サンパウロ州の内陸部へ その2 赤い蟻塚
道路の脇に、真っ赤な蟻塚。
蟻塚は、その土地の土壌の色を教えてくれる。
黒い土であれば黒く。
白い土であれば白く。
サンパウロ州の内陸部には、真っ赤なテラロッシャという土が多い。
ここは、その中でももっとも濃い赤色をしている。
道路の脇に、真っ赤な蟻塚。
蟻塚は、その土地の土壌の色を教えてくれる。
黒い土であれば黒く。
白い土であれば白く。
サンパウロ州の内陸部には、真っ赤なテラロッシャという土が多い。
ここは、その中でももっとも濃い赤色をしている。
サンパウロは、大西洋岸から80キロくらいの距離で、
800メートルくらいの高原に位置している。
そこから奥地へ向かう。
サンパウロから90キロの所に、奥地への入り口ともいうべき
カンピーナス市がある。
人口は100万を超えている。
ここのサッカーチームは、グァラニー。
サンパウロから、カンピーナスまでは、
山がちの高原が続いている。
両市を結ぶ2本の高速道路は、山を縫って走る。
カンピーナスから、この高速道路は、いくつにも分かれていく。
この先は、とてもフラットな高原が広がっている。
豊かなサンパウロの農業地帯が広がる。
サトウキビ
オレンジ
コーヒー
大豆
ジャガイモ
綿花
それらの作物を積んだ大型トレーラーが、走り回っている。
片側2車線の快適な高速道路。
道路全体の幅は、路肩を入れると150メートル以上はあるだろう。
広い大地を、貫いて進んでいる。
サンパウロのセントロ(市内中心部)は、忘れられ、うち捨てられ、
廃墟と化すのだろうか。
実際に、そういうビルはいくつもある。
もしくは、ほとんど廃墟のようなビルに人が住んでいるのを見かける。
だいたい、黒い方の人たちだ。
セントロの北の端には、鉄道が走っている。
とてもクラシックな駅もある。
しかし、その南のセントロ側は極めつけに危険。
そこに、日曜日に入り込んでしまった。
異臭がする通り。
落書きだらけの建物。
道で、ゴミを燃やしている。
何をするわけでもなく、道に座り込む人々。
無気力な目をした人々。
一人の男の子がいる。
少年の集団が、大声を出しながら、過ぎていく。
「ここはやばい」
サンパウロフッチボールクラブの本拠地である、
モルンビー競技場。
ここで、試合が行われる日には、必ず騎馬警官も配備されている。
試合の始まる3-4時間前には、もう競技場前に現れている。
そして、会場周辺を回っている。
試合後には、
興奮した観客が、騒動を起こすこともある。
そういうときに高いところから、監視したり、
もめ事には間に分け入って、双方を隔離するのに
便利がよいようだ。
騎馬警官は、セントロにも時々登場しているのを見たことがある。
故あって、今日は「電機屋巡り」をした。
昔は日曜日は、商店は閉店であったが、
今は大きいところは開いている。
昨日までに、
スーパー(カルフールとエストラ)の中の家電売り場と、
いくつかのショッピングはチェックしていたので、
今日は路面店を狙った。
サンパウロの都心で、こういった店が割と集中しているのは
ピニェイロス地区。
日曜日は、道が空いているので、10分くらいで着いた。
路上駐車した。
テオドロ・サンパイオ通りを中心に300メートルの間に
最大手のカーザス・バイア3軒
それから、ポント・フリオ2軒
コルンブス、エストラ・エレトロなどが位置している。
買いたいモデルは決めているので、順番に値段を聞いていく。
表示価格は形だけで、本当の価格を聞く。
「うちで買うと決めたら、教えます」なんていうところもあるが、
そういうところは無視。
どんどんと次へ行く。
コルンブスに、スーパーの価格をいったら、
「そりゃすぐ買った方が良いですよ、お客さん」と、本気にしてくれなかった。
ここの社長は、毎日にテレビで自らCMにでて、安いっていっているのに。
密かに、「ブラジルの高田社長」と思っていたが。
結局、ここでは、「カーザス・バイア」で、冷蔵庫を決めた。
この「カーザス・バイア」は、テレビでの広告がすごく、夜はどのチャネルでも
頻繁に流れている。
そのCMも2-3日で内容が切り替わっている。
この「カーザス・バイア」と、安物家具専門の「マラブラス」の広告の多さには
あきれている。
電機屋は多いが、ここピニェイロスは庶民の街であり、
高級なものは置いていない。
そこで、ポント・フリオのメガストアに行くことにした。
これは、ちょっと遠いマージナルチエテに沿ったところにある。
だが、ブラジルにしては珍しい巨大な専門店舗で、
展示スペースも広いので、ピンからキリまで色々置いてある。
駐車場もちゃんとある。
ここで、じっくり商品を見て、また決めた。
どちらも、1-2日で配達してくれるという。
かつてのブラジルでは考えられない。
カーザス・バイアの配送センターは、サンパウロの北にあるが、
それは、めちゃくちゃ大きなものだ。
ここから、サンパウロ中にカーザス・バイアの車が走り回っている。
クリスマスの時期になり、13ヶ月目の給料の支払いも始まる時期
電機屋も一年で一番売れる時期。
お客も多く、月賦申し込みの窓口は混雑していた。
しかし、年末だけの臨時雇いの店員も多く、
ちょっと力不足の店員もいた。
ブラジルの犯罪の話は、本当に気が滅入るのであまり話題にしたくない。
でも、今週の麻薬の摘発での、量があまりにあまりだったので一応
記録しておく。
数日前に、
サンパウロ近郊のエンブ・グァス市で、コカインの精製工場が摘発された。
エンブ・グァス市は、サンパウロの南西30-40キロに位置し、
まだサンパウロ市街地とは繋がっていない。
山がちで、農場や別荘地が多い。
その別荘で、精製をしていたのだ。
リオの麻薬組織「赤いコマンド」のものと報道された。
2週間に1トンの精製をするそうだ。
そして、500キロのコカインが見つかったそうだ。
そこにいた男女が逮捕された。
そして今日の報道では、やはりサンパウロで
3トンのマリファナ(こちらではマコーニャという)が摘発された。
コカイン500キロって、すごい。
マリファナ3トンなんて、考えられない。
日本での摘発なんて、数グラムなんかあるけど、桁違い。
末端価格はいくら。
まあ、あきれてしまう。
この作品は、壁に据え付けられていた。
よく乾燥した木の枝の、それぞれの元の方には小型のモーターが
付いていて、回転する振動で、枝が揺れるようになっている。
この枝には、この木の実が付いている。
この実は、エンドウ豆の大きなもののようで、
揺れると、鞘の中の豆がカサカサと鳴る。
そして、全部の枝が揺れると、面白いハーモニーとなる。
サンパウロは、昨日の土曜日は暑かった。
34度くらいまでいって、やっと夏かと思った。
しかし、夕方には曇り始め、
そして夕立になり、雷がとどろいた。
その雨は、結局寒波の到来の印。
朝方には、気温も下がり、またどんよりと曇り。
そして、また夕方になり、土砂降りになった。
近所には、教会がある。
ブロックごとにあるといっても良い。
どれも、新しくそしてそれだけに活発な且つ地道な
活動を続けている。
もっとも近くにある教会は、どんどんと信者を増しているようで、
増築増築してきたが、もう入りきれない。
時々、道をふさいで、夜にパーティーをやっている。
今日は、朝から大パレード。
朝8時に大勢で出かけたのが、19時には戻ってきた。
ところが、大騒ぎ。
雨の中、
鳴り物は響き、車のクラクションは途切れない。
サンバのような音楽も聞こえる。
子供たちは大はしゃぎで続く。
おい、これはまるでカーニバルの予行演習かい。
サンパウロの南方、海岸に近い山間には
至る所にバナナ畑が広がっている。
バナナは非常に安い果物だ。
市内各所で開かれる市で、大きさや種類によって違うが、
1ダース(12本)で、40円から120円の範囲で買える。
こうやって、バナナ畑の路上でもバナナを売っている。
販売の単位が、一房。
いくら美味しくても、とても食べきれない。
バナナは栄養価が高い。
これがあるからか、餓死者は少ないブラジル。
犬を預けて、もう一週間以上が過ぎた。
これまでに、2回見に行った。
いつも何の連絡もせずに、訪ねるのだが、
きれいに世話をしてくれているようだ。
運動不足か、食べ過ぎか太った。
コチアは、サンパウロから西に30キロほど。
やや高地にあり、サンパウロ市民の別荘なども多かったところだが、
随分と市街化が進んできている。
気温は、サンパウロより2度は低いという。
預けているところは、Dogworldという。
英語はたぶん通じないかな。
場所も、サイトにある地図を見てもちょっとわかりにくいが、間違いはない。
ハッポーゾ・タバレス32キロを左に曲がって、5分くらいで着くはずだ。
オーナーのダンさんは、信頼の置ける人だと思う。
今回のサンパウロ・ビエンナルの出展物で、
よく取り上げられていたのが、これ。
フォルクスワーゲンを吊り下げたもの。
どこが、アートなのか判らない。
この作者は、色々ものを吊り下げる芸風をお持ちの方だ。
ちなみに、この車には希望すると乗ることができる。
そのための、階段も準備してある。
そして、ぐるぐると回してくれる。
動物園には、平日は学校から集団でやって来る子供たちが多い。
動物を見ているような、見ていないような、子供が多いのは
万国共通だ。
年齢が、上になるほどその傾向は強い。
一番熱心に見ていたのは、園児たち。
先生の言うこともきいている。
この幼稚園は、何故か黒人系の子供ばかりだった。
ほとんど亜熱帯に属するサンパウロ州。
牛も暑いだろう。
ブラジルの牛は、インドにいるセブ種と、ヨーロッパからの
牛を交配させてできたものが多かった。
インドの牛は、暑さに強いからだ。
色は白くて、やせて見える。
背中に、瘤があるのが特徴で、この部分を
シュラスコではクッピンと呼ぶ。
好きな人は好きだ。
ところが、最近は、こういった牛が減ってきた気がする。
アンガス種のような牛が増えてきた。
牛は、放牧だ。
ブラジルには、とても珍しい動物が沢山いるようだ。
だが、この500年の急激な開発で、
生息域が狭まり、絶滅の危機を迎えている動物が沢山いる。
大都市サンパウロでも、実は「マタ・アトランチカ」とよばれる世界遺産でもある、
大西洋岸の海岸山脈が、こういった希少動物の宝庫であり、
保護の努力が続けられており、
生息数が増加しているものもあるという。
52年前に始まり、国際的にも有名な
第26回サンパウロ・ビエンナルが、市内のイビラプエラ公園で開催されている。
今回は、入場料は無料。
会期も後半にさしかかり、行き損じてはと、
機会を見てやっと行ってきた。
ブラジルの新進の現代アートの若手と、
海外からの招待展示という形。
はっきり言って、理解できないものもある。
フラッシュを使わない限りは、写真撮影は自由であり、
かなり撮ってきた。
順に紹介していきたい。
ブラジル・サンパウロの名門サッカークラブである
コリンチャンスが揉めている。
コリンチャンスはもちろんサッカーチームでも有名だが、
実は総合的なスポーツクラブ。
ブラジルはこういうものが多く、
各家庭や、職場などで、クラブに入会する。
バレーも、バスケットも、陸上も、テニスも、乗馬も、
それぞれのクラブによって色々なスポーツを楽しめる。
ところが、慢性的に経営がうまくいっておらず、
資金がショートしてきた。
設備も老朽化してきたので、改修費用も必要だ。
そこで、新たなスポンサーを捜すことにしていた。
ブラジルの中では、見つからない。
そこに現れたのが、謎のイラン人が経営する投資グループの
会社MSI(Media Sports Investiment)。
経営陣には、反対の意向を持っているものもいたが、
ほかに相手もいない。
そこへ、仲介人のブラジル永住ビザに疑惑が持ち上がって、
警察が捜査に乗り出したとの報道。
今日(11月23日)の経営会議が開かれて、
このMSIの経営参加の契約を認めるかどうかの話し合いが
深夜まで行われた。
報道陣が、コリンチャンス前に陣取り、ニュースでは現場中継も行われた。
ファンも集まった。
結局、日付が変わった頃、
MSIの経営参加を認めることとなったようだ。
※リオの名門、フラメンゴも:
フラメンゴは現在ブラジル選手権で21位と低迷している。
これを打開するために、クラブの社長は、CBFにいるザカロを
呼ぶ方向で話を進めている。
もしくは、現在日本代表監督のジーコにも助けを求めると言っている。
12月には、ドイツとの親善試合も控えているので、
その困難さは十分判っているようだが。
ブラジル選手権も後半に入り、各チームに色々な動きが出てきた。
低迷するチームは、来期に向けての動きでいっぱいだ。
クリスマスが近づいて、お店がクリスマスの飾り付けを行っている。
大きなショッピングセンターの飾り付けは、やはり豪華だ。
ツリーを中心に、動物や小屋や、そしてサンタさんがいる。
子供と一緒に写真を撮ってくれる。
エルドラードショッピングセンターの場合は、その飾りの中を
歩いて回遊できる。
子供連れの客の列ができる。
そして、その途中に着ぐるみを着た人がいる。
その中に、蛇女。
これじゃ、子供が泣くだろうが。
毎晩、ニュースを見ているわけだが、
1時間のニュースの3分の1が、ブラジル国内の犯罪ニュースばかり。
だいたい、良いニュースはニュース価値はなく
悪いニュースに報道価値があるのだから、
いきおい、そういうニュースばかりになるのは仕方がない。
それにしても思う。
昨日は、こんな感じ。
サンパウロのある少年院で、暴動。
4人を人質。 宿舎に火をつけた。
リオの麻薬組織の抗争で3名死亡(これは、毎日のこと)
リオのその他の犯罪。
外国人を狙った犯罪。(スペイン人が襲われて亡くなった話等々)
アンゴラ航空の乗務員のバスが襲われた話。
サンパウロ郊外のイビウナ市の副市長殺害犯が捕まる
3名(未成年を含む)
ヴィトリア市のバス炎上事件
先週から10台のバスが炎上。
州知事が、軍隊の展開を要請し、500名が出動。
夜間の外出を控えるようにと。
(戒厳令みたいだ。 誰も守らないだろうけど。)
ほかにもあったが、とにかく疲れる。
もちろんこれに、航空機事故や汚職や密輸の事件もある。
そして、国際ニュースでは、
イラクやアフガニスタンなど。
この映像も、血なまぐさい。
毎日これだ。
これでは、誰でも自分だけは脳天気な生活をしたくなるではないか。
今年から、サンパウロでは11月20日が、「黒人覚醒の日」として、休日になった。
この経緯は、判らない。
とにかく第1回目の休日は、土曜日。
元々、休日なので特にありがたみもない。
パウリスタ大通りにある、MASP(サンパウロ美術館)の広場では
集会が開催されて、そのあと行進に移っていた。
参加者は、多く見て数百人くらい。
ブラジルの黒人は、旧ポルトガル領アフリカから奴隷として連れてこられた
のが、起源。
今の、アンゴラやモザンビークから、サトウキビなどの農場で働かせるために
バイヤ州など当時の中心地に多く入った。
南米ブラジルに入った奴隷の数は、北米に入った数の2倍という説がある。
ブラジルの奴隷解放は、100数十年前のこと、米国の南北戦争の時期と
ほぼ一致する。
当時のブラジルは帝政で、イザベラ女王が解放を宣言した。
解放しても今に至るまで、奴隷とあまり変わらない人がいるようだ。
結局、大農場にずっとしがみつかなければならない環境にいる人もいる。
都市に出てきても、底辺層を形成する。
短い歴史の中で、なかなか登れないのは、教育なども強く影響しているように思う。
奴隷解放後、農場の労働者に困ったブラジルは、一部の白人と元奴隷の黒人で、
黒人帝国に近かったという状態で、それもあり、戦争の続く当時のヨーロッパからの
移民を受け入れ始めた。
ドイツ、イタリア、東欧。
戦乱がある度にやってきた。
中東からもやってきた。
しかし、劣悪な環境は移民はブラジルを避けたという。
そこで、新たな移民の受け入れを模索した。
それで、日本人が出てくる。
当時は、そういう背景もあったようだ。
奴隷解放から、数十年しか経っていない。
農場主の意識は、そう変わっていなかったろう。
現在のブラジルは、混血が進み、本当の黒人は数%もいないという説がある。
混血が、半分くらいを占める。
表だった人種差別はない。
だが、歴然とした社会階層の違いは存在する。
サンパウロのショッピングセンターや、大きなスーパーには
必ずフード・コートがある。
真ん中に、各店共用の席があり、
その周りを10店舗前後のファーストフードが囲んでいる。
ブラジル料理。
魚料理。
イタリア料理。
ピザ専門店。
パスタ専門店。
サンドウィッチ専門店。
マクドナルド。
そして、寿司。
たまに中華もある。
日本とちょっと違うのは、
料理の選択の幅が広いことだ。
肉を頼んだとしても、焼き方の注文もできる。
上にかけるソースを選べる。
肉の横につけるものを色々と選べる。
また、セルフサービスで料理を皿に取り、
重さで料金を払う店もある。
これをポル・キロ(キロあたりと言う直訳)という。
もちろんキロも食べるわけではない。
場所柄、働く女性の多いところは
Lightと言って、カロリーの低い料理を揃えているところもある。
ブラジル人の昼食は、
だいたい12時から14時頃まで。
遅い人は、15時頃までだ。
これを過ぎると、かなり空いてくる。
昔は、普通のレストランは平日は14時に頃に昼の営業を終わっていて、
これを逃すと夜の営業開始までは、ろくな食べ物がなかった。
パステルやキビせいぜいサンドウィッチ。
今は、ここがずっと開いているのでいつでもそれなりのものを
食べることができるようになった。
しかし、価格は、普通のブラジル人には決して安くない。
400円から1000円以上する。
日本の価格に近い。
どうして、毎日食べられるのかと思う。
会社からの補助があるからだが。
犬が、2匹いる。
犬種は、大型犬のバーニーズ・マウンテンドッグ。
サンパウロでは、珍しい犬種だが、
超高級住宅街では、たまに見かけることもある。
先日は、エルドラード・ショッピングセンターの
地下のペットショップで売られていた。
一匹12万円程度で、日本での価格に比べると安いが、
こちらの水準では飛び抜けて高い。
その2匹の犬を、ペットホテルに預けている。
大型犬なので、都心部ではちょっとかわいそうなので
郊外の運動スペースを取れるところを探した。
サンパウロの西隣のコチアにあるところにした。
大型犬で一匹1日1200円程度。
安くはないが、日本に比べると激安。
長期になると値引きもしてくれる。
思った以上に清潔で、満足している。
ここは、
主にボーダーコリーのアジリティーの訓練をしている。
お金持ちの間で、はやっているようだ。
いまや、サンパウロの中心のパウリスタ大通り。
平日は会社関係の人が忙しく行き交う。
休日は市民が余暇を楽しむ。
このパウリスタ大通りに面したBank Bostonの支店の、
クリスマスの飾りはどうだ。
名前が示す通り、米国系の銀行で、支店はここだけではない。
本店は、サンパウロのセントロにある。
古くから展開している外資系なので、やはり顧客は
どちらかというと富裕層。
とても銀行とは思えない姿になりはてている。
おもちゃ屋か、子供のパーティー屋かと見まごう姿。
この銀行のほかの支店は、このような飾り立てはされていない。
この支店だけが、ここまでいっている。
しかし、どうして。。。。
ブラジル・サンパウロは、地球の裏側にもかかわらず、
日本文化を身近に感じることが多い。
もちろん、日本からの移民とその子孫の存在のおかげである。
だが時々、「首をかしげる」こともある。
"Sala Dekassegui"=出稼ぎの部屋
ブラジル銀行は、ブラジル最大で、かつ国営の商業銀行である。
日本にも、東京や浜松などに支店を持っている。
東京以外の支店は、すべて日本への出稼ぎのブラジル人が多いところに
存在している。
そして、送り出し側のブラジルにおいては、
この「出稼ぎの部屋」が存在していた。
サンパウロは、リベルダーヂ地区は、かつては日本人町
そして今は東洋人街である。
ここのブラジル銀行リベルダーヂ支店の2階(日本的には3階)に
「出稼ぎの部屋」が用意されている。
真っ赤な鳥居がある。
鳥居をくぐると、右手には床の間がある。
鳥居の手前には、竹の生け垣がある。
灯籠も、提灯もある。
鳥居をくぐった奥に、窓口が2つある。
日本語も堪能な日系人行員がアテンドを
してくれるというわけだ。
ブラジルの大都市であれば、必ず存在するのがファベーラと呼ばれる
貧民窟。
都市の中心部から、周辺部まで、どこにでも存在すると言ってもよい。
犯罪も、ここが絡むことが多い。
麻薬も、誘拐もだ。
殺人も、ここの内部で起きることが多い。
ファベーラの居住人口も、サンパウロの人口の2-3割は占めると推定されている。
ファベーラは、どこにでも形成される。
空き地があればだ。
道路の緑地。
公園の脇。
工場の塀のそば、
崖地。
川のそば。
公有の保留地。
森。
最初は、ビニールや紙と、わずかの木材。
そして、木造。
更に、煉瓦と進化する。
5年、10年経つと、
煉瓦に漆喰が塗られ、赤い壁が白くなる。
パラボラもある。
電話も通る。
車もとまる。
教会ができる。
だんだん、生活が向上するのが判る。
ほとんどの人は、ちゃんと働いているのだ。
ブラジルの政府は、不法占拠者であるにもかかわらず、
こういった貧困者を無碍には見捨ててはいない。
電気は、盗電から始まるが、割と早くから開通する。
水道は、共同水道が引かれる。
地形が悪いと、水くみは重労働だ。
下水はちょっと問題がある。
地形的に引けないところがあるし、家も変化する。
電話も、公衆電話が引かれる。
木造の段階のファヴェーラでは、時々火事が起きる。
当然あっという間に、燃え尽きる。
先日、4人の子供が亡くなった。
親は、24歳の女性のみ。
夜、働いていたらしい。
電気が引かれておらず、ロウソクを使っていたようだ。
ロウソクの火が、火事の原因ではと書かれていた。
このような木造のバラックは、日本の大都市には、
昭和40年代の終わりまでは、まだあった。
いま、ファベーラは、東京は六本木に存在する。
サンパウロでも、ビルの壁面を使った巨大な広告がよくある。
だいたい人物が使われているのが多いような気がする。
きれいなお姉さんが大胆なショットでいるものも多い。
下着の広告などだ。
男性のもある。
ノーヴェ・デ・ジュリョ大通りは、よく利用する。
意外と、渋滞が少ない。
パウリスタ大通りとは直接には交差せず、トンネルで下を抜けるせいだろうか。
そこに、この広告がある。
なんだか際どい部分に、窓がある。
窓のところで、不振な動きをされては、
運転に支障を来しそうだ。
国際線が到着する飛行場は、
サンパウロ市の東にあるグァリューリョス市にある。
そこから、サンパウロ市内中心部まで25キロ。
飛行場から市内に入るには、しばらく空港専用の道路を走る。
その道は、サンパウロとリオ・デ・ジャネイロをつなぐ
ブラジルで最も重要な道路に合流する。
この合流地点付近に、少なくとも4カ所の刑務所がある。
刑務所が、かたまって4カ所もあるのだ。
通過するときも、気味が悪い。
脱走も多いので、そのあたりに脱走犯がいるかもしれない。
犯罪が多いので、どんどん刑務所を作るが、
追いつかない。
入所者は、環境が悪いと言っては、暴動を起こす。
それならば、犯罪を起こさなければ良いではないかと思うが、
そういう意識は全くないようだ。
そういう刑務所なのに、全く厳重そうに見えない。
規格化されたプレハブのような刑務所。
サンパウロ市の西側の流れる川を、ピニェイロス川という。
その川に沿って、郊外電車が走っている。
ただ、市内の中心部を全く通らないので、お客は少ない。
編成も短い。
運行頻度も少ない。
駅も、日本のそれのようには活気がない。
現在のサンパウロ州知事は、アルケミンと言う。
前職が、任期半ばでなくなったので副知事から繰り上がった。
そのせいか、何となく影が薄い。
あまり、ニュースにも出てこない。
その州知事の公邸執務室があるのがここだ。
Palacio do Governo
直訳すると政府宮殿。
正式には、Palacio dos bandeirantesという。
モルンビの丘の上にある。
アベニダ・モルンビとアベニダ・ジオバーニ・グロンシの分岐点だ。
アベニダ・ジオバーニ・グロンシをみちなりに下っていくと、
サンパウロ・フッチボール・クルビの本拠地の
モルンビ競技場にぶつかる。
ブラジル全体で見ると、日系人はあまり見かけない。
日系人は、サンパウロ州に集中している。
その中でも、サンパウロ市内には、日系人が多い。
だから、色々と便利なことが多い。
病院もそうだ。
日本語で診察ができるところも多い。
地下鉄サンタクルーズ駅から歩いて10分弱。
サンタクルーズ病院がある。
とても大きなそして、設備の整った総合病院。
受付には、写真のような表示がある。
判ったような判らないような日本語だ。
もう、医者も2世どころか、3世4世の時代だ。
日本語も通じないと思った方が良いというのが本当のところ。
実は、ここは戦前は「日本病院」であった。
戦時中にブラジル政府に接収された。
そしてサンタクルーズ病院と名前を変えた。
しかし、その後も日系人が運営を続けており、
今もつながりが強い。
患者も、日系人が多い。
そして、日本語新聞の訃報欄を見ると、
このサンタクルーズ病院で亡くなる方が実に多い
ブラジルのサッカー界で、最近よく話題になることがある。
ペレ以降では、誰が一番のプレイヤーかと言うことだ。
ペレ以降と言うだけあって、「ペレ」ははじめから別格だ。
議論の余地はないのだ。
選手を引退した後も、よくありがちなスキャンダルもトラブルも起こさず、
今日まで来ている。
ブラジルの大臣も務めた。
いまでも元気で、国内外で行われる色々なイベントに引っ張りだこだ。
ただ、ブラジル・サッカー界からは何故か遠い。
もちろん、ペレ本人が「ペレ」以降を語ることはない。
ペレ以降について、一番語っているのは「ロマリオ」。
自分だと言っているのだ。
先日、なんだか米国のロスまで行って「代表引退試合」という
変な試合をやっていたが、そのときのインタビューでも臆せず言っている。
ジーコは、まだ現役バリバリのロナウジーニョと言った。
ブラジルでは、ペレは"Rei Pele"と呼ばれている。
「王様ペレ」という意味。
では、神様は誰かというと、そういう呼ばれ方をする人はいない。
ジーコは、ジーコであり、何も尊称はない。
よく考えて欲しい。
ブラジルはカトリック国である。
神様は、ただ一人である。
日本のように八百万の神様がいる国とは違う。
ブラジルのサッカーを語り、またジーコのことを語るなら、
まずこのところを理解して欲しい。
ブラジルで、「神様○○」と呼ばれることは、どの分野でもありえない。
もちろん、ジーコは、今のブラジルでも、発言力のある人である。
尊敬され、きちんと評価されている。
サンパウロ市の中心から、州知事事務所向かっての大通り沿いに
一週間ほど前から、韓国大統領の訪問を歓迎する垂れ幕がつけられた。
その数は、ものすごいものだ。
さらに、同じような内容の大きなビルボードもかかっている。
いずれも、韓国メーカーのLGとSAMSUNGが、それぞれ用意したもので、
自国の大統領に対するアピールなのだろう。
韓国のブラジルへの進出は、それほど早くない。
ブラジルには、アジアの国の中では日本のプレゼンスが大きかったからだ。
しかし、この10年韓国企業の進出はめざましい。
身近なところでは自動車、携帯電話、テレビなどが市場で目につく。
ブラジルは、元々韓国の移民を受け入れていなかった。
しかし、隣国のパラグアイはかつて同じ反共国家だった韓国の移民を
受け入れており、その移民が非合法的にブラジルに流れてきて、
橋頭堡を築いたと言われている。
その移民たちは、主に縫製業者となり、徐々に力を蓄えていった。
サンパウロ市内でこういった縫製業者が集まっている地区である
Bon Retiroは、かつてはアラブ系の街だったが、現在は韓国系の
街に変わった。
事務所、レストランそして教会。
チリのサンチアゴで開催のAPEC首脳会議にあわせて、韓国大統領はやってきた。
チリに行くついでというわけだ。
ブラジルは、太平洋に面していないので、APECには参加していない。
韓国大統領の直前には、中国国家主席もやってきた。
そして、韓国大統領のあとには、ベトナム首相。
続々と、ブラジル詣でが続き、ニュース報道も誇らしげだ。
もちろん、首都はブラジリアなので、公式の政府間協議はここで行われる。
その後、経済の中心であるサンパウロにもやってきて、
経済団体と会合を持ったり、自国移民の団体を激励したりしていくわけだ。
その一つに、サンパウロ州知事とも面談の機会を持っているようだ。
ブラジルの存在は、日本人の常識以上に、大きなものになっている。
サンバ、アマゾン、サッカーくらいの知識では、ちょっと寂しい。
農産物の輸出大国であり、また工業製品の大市場でもあるのだ。
サンパウロは、大都市だから、世界の大都市と同様に
大渋滞だ。
だが、一歩でると、とたんに人がいなくなる。
次の都市が現れるまで、農地か森林か空き地が広がる。
新大陸特有の構造だ。
それでも、サンパウロから100キロ圏内は、衛星都市があったり、
都市住民の別荘やレジャー施設などもあって、街道沿いは
何となく賑やかだ。
しかし、それよりもっと奥地に行くと、
広大な広がりを見せる高原が連なっている。
高原は、農地や森林が延々と続いている。
道は、高原を緩やかなうねりを見せて続いている。
一つの高原を越えると、またその先に新たな高原の連なりが見える。
こういう道を、ずっと運転していくのは実に気持ちが良い。
サンパウロ州の奥地は、世界的な観光地なんかではないが、
密かに人に勧めたい景色だ。
サンパウロ市の西部の高級住宅街アルト・ヂ・ピンニェイルソを貫く、
ペドローゾジ・モラエス通り。
車の通行の多いこの通りの、グリーンベルトに
この人はいつもいる。
黒いビニールをまとい、思索の時を過ごしている。
この日は、一心に読書をしていた。
周りの喧噪など、気にならないようだ。
ブラジル・サンパウロに浮浪者は多いが、
このような住宅街で、このような過ごし方をしている人は
いない。
都心の商業地区で、家財道具も無しに、
寝ているのが普通だ。
今日のサンパウロは、昨日に続いて終日雨。
午後4時頃、ここを通りかかったら、
黒いビニールを頭からかぶり、じっとしていた。
ビニールをしたたり落ちる雨が跳ねて、
赤くビニールを染めていた。
サンパウロ州の西南に位置するのがパラナ州。
農業が盛んな豊かな州だ。
日系人も多い。
このパラナ州にカルロポリスという小さな街がある。
サンパウロ州との州境にあり、
サンパウロから車で4-5時間かかる。
牧畜が中心で、コーヒーも作られているようだ。
中心部の広場に、また日本語で書かれた碑があった。
「友好の碑」
カルロポリス入植50年記念
カルロポリス文化体育協会
平成9年に設置されている。
実は、市街地では日系人らしい姿は見かけなかった。
でも、この碑を見て思った。
しっかりと、生きていらっしゃるんだなと。
この小さな街が身近になった。
また、いってみよう。
州境には、川をせき止めて農業用水にするための
巨大な人造湖があり、とても風光明媚なところだった。
11月17日ブラジル時間19時から、
アクアドルの首都キトで行われた
ワールドカップ南米予選ブラジル対エクアドルの試合は、
前半を終わって、ゼロ対ゼロ。
最後まで一枚のイエローカードもでない、”きれいな”試合。
後半32分。
エクアドル先取点。
メネゼスが、ゴール左隅に低いシュートを決める。
結局、0対1でブラジル敗れる。
ブラジルは敗戦の理由を高地のせいにしているが、
それにしても全く精彩を欠いた試合だった
ブラジルの次の予選は、2005年3月。
ペルーとの試合。
ブラジルのゴイアスでおこなれる予定だが、まだ未定。
ブラジルの敗戦と、アルゼンチンがベネズエラに勝ったことで
南米予選ではついにアルゼンチンが勝ち点1位になった。
エクアドル
選手
Villafuerte;
de la Cruz, Ivan Hurtado, Espinoza、Urrutia (Salas);
Tenorio,
Marlon Ayovi, Mendez、Ambrosi; Kaviedes (Walter Ayovi)、 Agustín Delgado (Reasco)
監督: Luiz Fernando Suarez
ブラジル
選手
Dida;
Cafu, Juan, Roque Júnior、 Roberto Carlos;
Renato, Kleberson (Ricardinho)、 Juninho Pernambucano (Dudu Cearense);
Kaká (Adriano);
Ronaldinho Gaúch、Ronaldo
Técnico: Carlos Alberto Parreira
場所:Olímpico Atahualpa 競技場、 キト
審判: Óscar Ruiz (Colômbia)
ゴール: Mendez(エクアドル) 後半32分
サンパウロの動物園には、当然なことながら屋外展示が多い。
その動物の餌を狙って、付近の小鳥がやってくる。
その小鳥たちにも、十分に興味を持てる。
この小鳥たちは、頭が不思議に青い。
動物園の周囲は、動物園の何倍もある広大な公園。
周りにも、もっと色々な動物がいるに違いない。
昨日(11月15日)の夕刻から降り始めた雨は、
珍しくほとんど降り止まず、
本日(11月16日)は深夜まで止まない。
朝は、10時にジャルジンスで約束。
でも、電話をかけて30分遅刻。
今日は、火曜日で末尾が3もしくは4の車は、
市内中心部を朝は午前10時まで走ることができないのだ。
それで、「動けません」と電話を次第だ。
ルア・サンパイオ・ヴィダルとルア・サンタ・クリスチーナで用件済み。
この間まで、トンネル工事の影響で、一方通行で
あったときは交通量が多かったが、今は減っている。
そのあとは、市内東部へ。
ゾナ・レスチ(東部)は、どちらかというと治安は悪い。
できれば、こんな雨の日は行きたくないが仕方ない。
その東部でも、サン・ミゲール・パウリスタという
ディープなところだ。
いくつか道があるが、雨も強くなってきたし、
その東部について食事をするのは、あまり安全とは言えないかも
しれないので、マージナル・チエテ経由で行くことにした。
途中のマックで、食事。
久しぶり。
雨の割に、すいすいと行って、
14時の約束が、13時半に。
実は、弁護士との打ち合わせ。
一時間ほどで終了。
こんなところで路上駐車するが一応問題なし。
また、街へ戻る。
帰りは、アイルトン・セナ高速道路経由。
これもすいすい。
セントロから、アウグスタ通り、そしてヨーロッパ通りを
通った。
先日、購入した「エリス・レジーナ」のDVDは
リージョン・フリー。
ただし、ポルトガル語のみ。
雨の日には、ちょっと重苦しい。
明日も、雨と言うこと。
犬の散歩もできない。
サンパウロで開催されている「アイルトン・セナ追悼展」は、
市内のやや西部にあるエルドラード ショッピング
"Shopping Center Eldourad"が会場となっている。
よって、十分な広さの駐車場があり、かつ
展覧会を見たあとは、ショッピングも食事もできるというわけだ。
且つ、安全にだ。
建物の外側には、
とても大きく、展示会の表示がある。
このショッピングは、20年ちょっと前にできた。
その規模から言っても、サンパウロで随一の輝きを誇っていたが、
あとから新しく、更に豪華なものができたせいなのか、
何故か今は精彩を欠いている。
エルドラードは、ここレボウサス通り店と、もう一つパンプローナ通り店が
あった。
やや、高級スーパーの雰囲気もあったのだが、
ともに今は、カルフールに変わってしまった。
ブラジルは、カトリック国なので当然クリスマスは
とても大事な行事だ。
一番大事かもしれない。
ブラジルでは、クリスマスとは言わないナタルだ。
もちろん宗教的に大事。
12月24日は、半日勤務で、午後休みというのが多い。
12月25日は、休みだ。
昔から、バチカンからのクリスマスミサの衛星中継をやっている。
静かに過ごす。
しかし、商業主義も当然強い。
12月には、法律で決まっているのだが、
月給をもう一月分払う。
ボーナスのようなものだ。
だから、消費が増える。
子供へのプレゼントもさることながら、
大きな買い物をしたりする。
商店も、消費者の消費を喚起する宣伝に努めている。
ただし、この時期、ものの価格がやや上がるとも言われている。
また、12月以降は、本格的な夏になり
つまり、バカンスシーズンとなる。
クリスマスを挟んだ休暇を取ることも多い。
最近、クリスマスの飾り付けが非常に華やかになってきた。
店舗でも、また家庭でもだ。
以前は、家庭用にはあまり良い飾り付けは見あたらなかったが、
輸入品も増えて、ほぼ日本で見られるようなものと同じようになった。
電飾をつけている家庭も多い。
ショッピング・センターも、大きなツリーをたてている。
ブラジルの有名な作曲家の名前を付けた、
ここショッピング・ヴィラ・ロボスも、
大きなツリーを、11月はじめに、フードコートにたてた。
ヴィラ・ロボスを背景に、きらめく。
真夏のクリスマスは何となく、興が乗らない。
サンタクロースは「パパイ・ノエル」というのだが、
この格好も暑苦しい。
サンパウロ動物園では、は虫類や両生類のコレクションも多い。
すべて、屋内展示となっている。
有名なアナコンダのいる建物。
いるにはいたが、丸くなって物陰に隠れていて、
よく大きさが判らない。
頭上にある脱皮した皮で、その大きさを知るしかない。
映画「アナコンダ」ほどではないが、すごい。
池の中に、いくつかの島。
これらは、猿のための島。
この島の中で、猿たちが飛び回っている。
猿たちは、泳ぐことができないのか。
檻が無いだけに、猿の動きが判る。
対岸から猿をからかい、猿を興奮させた若者がいる。
連れの友達にふれ回り、また猿の方に戻っていった。
「猿」並だ。
アリクイも、南米独特の動物だ。
見ていても、ものすごく独特。
体は薄っぺらく、細長い。
今日のテレビで言っていた。
春になって、動物園でも赤ちゃんがうまれてきていると。
アリクイの背中に、確かに赤ちゃんが乗っていた。
昨日(11月14日)の新聞に、サンパウロ市内の少年の
殺人による死亡が増えたとある。
5歳から14歳の少年の死亡率を調査したそうだ。
1994年から1998年までの死亡原因の1位は、交通事故だった。
20.86%を占めている。
2位はその他の殺人
1999年から2003年までの1位は、なんと殺人。
17.53%という。
1616件の死亡の内の、283件ということだ。
特に、12-14歳までが高く、247件で87.27%という。
新聞では、戦争地域の数字と変わらないと言っている。
パレスチナやイラク並と言っている。
また、この殺人が起きている地域にも偏りがあって、
悲しいかな、市内最南部とから東部の新興貧民窟の
密集地域で起きている。
11月13日土曜日。
ブラジルは、月曜日まで3連休だ。
久しぶりによく晴れていた。
気温はやや低かったが、それだけに気持ちよかった。
サンパウロのセントロ。
アニャンガバウにかかる陸橋「Viaduto do cha」=お茶陸橋の意味。
日本人移民は、これを「お茶の水橋」と呼ぶ。
ここの上から南に、Placa da Bandeira=国旗広場がある。
巨大な、ブラジル国旗がはためいている。
サンパウロ屈指の高級住宅街ジャルジンス地区(※庭園という意味)。
一台の車が止まっていた。
車体には、ネズミや蟻や白蟻の画が描いてある。
そして業者名はOSAKAと書いてある。
漢字で、「大阪」とも書いてある。
これは、シロアリなどの駆除業者の車。
サンパウロ周辺では、シロアリが発生する。
その被害は、おおきい。
煉瓦とタイルで作った庶民の家より、
木材を内装に使った、お金持ちの方がむしろ被害が大きいかもしれない。
これから、夏になる時期、
こういった駆除業者の仕事は多いに違いない。
もちろん経営者は、日系人だろう。
何故「大阪」と名付けたのか。
サンパウロの中心から、モルンビに向かうには
シダージ・ジャルジン橋を渡る。
橋を渡ったあたりに、妙にカラフルな家がある。
これは、お子様用のパーティー会場なのだ。
ブラジル人にとって、誕生日は大人にとっても、
子供にとってもとっても大切な行事。
絶対に忘れてはならないことだ。
まして、自分の子供の誕生パーティーは、
盛大にやるのである。
自宅でやる場合もあろうが、
用意をしたり、駐車場の心配をしたりするなら、
こういったパーティー会場を借りて、
やることも多いようだ。
この通り、わずか100メートルに3軒もある。
半径3-4キロは、高級住宅・マンション街だから、絶好のロケーションだ。
大人のパーティーではないから、
平日でも、夕方まだやや明るいうち6時頃から行われる。
招待されたおぼっちゃまやおじょうちゃまが、
お車でいらっしゃる。
当然のことながら、こんなことをやれるのはお金持ちに決まっている。
誘拐などがあっては大変だから、ガードマンが何人も
辺りを見回して、不審人物がいないかを確認している。
11月12日(金曜日)、ブラジル随一の観光地リオ・デ・ジャネイロに
着いたばかりの日本人旅行者の
女性が襲われて、重体という報道が、こちらブラジルである。
テレビのニュースでも割とおおきく伝えられている。
この不幸な女性のお名前は、Yoshiko Magoshiさん(61歳)。
ご主人とホテル到着後、すぐに海岸に出たところを
少年に襲われたようだ。
ご主人と、海岸に沿ったアトランチカ通りを歩いているところを
10人くらいの少年に襲われかかったようだ。
走って逃げようとして、
刺され、さらに道路の反対側に逃げようとして、
車によって倒され、折から工事中の排水溝に倒れたということ。
刺し傷、打撲、骨折など。
病院に入院している。
死に至るようなものではないにしても、重体であるということだ。
日本領事館員が、夫婦に付き添っている。
この報道は、まだ日本では無いようだが。
昨日金曜日では、リオのコパカバーナ海岸14人が襲われたということだ。
※ 私事も、ちょっと。
今日15時過ぎに、サンパウロのセントロを歩いていると
何者かがズボンのポケットに手を入れました。
中に入っていて、盗ったのは、車の鍵。
投げ捨てていきました。
でも、すぐに振り返っても、誰か判らないんです。
鍵を拾って、また歩きましたが。
すごいでしょ。
ブラジルのプロサッカークラブのサントスのロビーニョ選手について。
母親が誘拐されて、6日目に入るも、何か動きがあったという情報は
全くないという。
周辺からも全く漏れてこない。
ロビーニョ選手は、母親の誘拐以降は、試合には出ていない。
サントスは、この間2試合を行った。
日曜日のブラジル選手権のクリシウマとの試合に引き分け、
更に水曜日に行われた南米選手権のLDU(エクアドル)との試合に
負けている。
ロビーニョ選手は、トレーニングは続けている。
昨日も、シュート練習をしている。
その練習のあと、試合に戻りたいとルゥクシェンブルゴ監督に
直訴したという。
結局、ロビーニョ選手はゴイアスとの試合が日曜日に行われる
サンパウロ州の奥のプレジデンチ・プルーデンチ市に向かって、
ほかの選手が出発した本日(11月12日)は、出発していない。
試合当日の日曜日に向かうという話もある。
尚、話題の移籍問題であるが、
代理人は昨日ブラジルに戻ってきた。
ヨーロッパの新聞-特にスペインやポルトガルの新聞では
レアルマドリなどの名前が出てきて、確実視されているが、
この代理人は、まだ決まっていないとしている。
今日(11月12日)の新聞に、「ブラジルの中流階級が、250万人減った」という記事があった。
この記事の中に中流階級の定義と、それぞれの人口があった。
次の通りだ。
中の上 月収5000レアル以上(約20万円) 590万人
中の中 月収2500レアルから5000レアル迄 1150万人
中の下 月収1000レアルから2500レアル迄 3710万人
労働者階級 月収500レアルから1000レアル迄 4640万人
貧窮階級 月収250レアルから500レアル迄 3850万人
それ以下 月収250レアル以下 3440万人
合計 1億7370万人
つまり、ここでは中流層は合計5440万人となる。
いくつか疑問がある。
上流は、どこにいるのだろうか。
中の上に入っているようだ。
極めて少ないのだろうが、とんでもない収入を得ている人もいるのだが、
統計に入らないくらいなのか。
上も、中として、慎ましく見せようとしているようだ。
この新聞を買う人は、中の中以上だと思う。
合計で、約1億7千万人となり、これはブラジルの総人口に等しいことから、
この収入は世帯収入とみることができる。
法律で決められた最低給料は、地域によって違うが、だいたい米ドルで80ー100くらいだ。
つまり250レアル程度。
最低給料ももらえていない層がある。
働いていない、もしくは毎日8時間,週に5日間働いていない層がかなりあると言うことだ。
この統計は、ブラジル全体の統計だが、
経済の中心であるサンパウロ州ではどうであろう。
そのまた中心のサンパウロ市はどうだろう。
サンパウロ市であれば、大企業の正規労働者の場合
最低給料の4倍程度はもらえるはずだ。
またそれくらいもらえないと、大都市では暮らせない。
この統計の定義の中流層は、世帯収入ということでもあり、
サンパウロでは70-80%程度はいるのではないか。
さらに、中の上に属する層は10%から15%はいるような気がする。
そう考えないと、市内の高級店は成り立たないし、
高級住宅街も存在し得ない。
亡くなって22年。
エリス・レジーナのDVDは、ブラジルで今週発売される。
テレビclturaの番組に、1969年にでたときのもの。
月曜日、現在では、店頭にはまだ並んではいなかった。
新聞2紙が特集しているのは、今日なので今日発売かな。
このDVDは、”Ensaio”(リハーサルの意味)シリーズの最初のものとして発売される。
今後は、次のような歌手のDVDもシリーズとして企画中である。
Tom, Toquinho, Vinicius, Caymmi, Nara Leão, Baden Powell, Caetano, Paulinho da Viola, Pixinguinha, Gal Costa.
11月10日ブラジル時間午後10時から地元サントスで開始された、
南米選手権サントス対LDU(エクアドル)の試合は、
サントスが2対1で敗れた。
キト行われた試合に続いての連敗で、
サントスはこれで敗退ということになる。
試合は、折からのスコールの中始まった。
前半6分に早々と先取点を奪われた。
その後は優勢に進めるも、ゴール前でもたつくなどして
追いつけず。
前半のサントスのパスミスが目立った。
後半も、だるい試合が続く中、
38分にやっと同点ゴール。
それもつかの間43分に追加点を取られた。
ホームとは思えないほど、
ミスが目立った試合。
ブラジルの生徒たちは、元気だ。
しかし意外と、まとまっている。
もっと、言うことをきかずに、むちゃくちゃしてそうだったが。
先生を真ん中にして、生徒が歩く。
先生は生徒に説明をしたり、あらぬ所へ行く生徒に大声で注意したり、
まあ大変そうだ。
まあ、あほな生徒は、どこにでもいるもので、
猿山ならぬ猿島の猿と喧嘩をしている、高校生もいた。
万国共通だなあと感じることの多かった、動物園だった。
本日(11月9日)朝、サントスのロビーニョ選手がインタビューを受けた。
所属するサントス・フッチボール・クルビの事務所で行われた。
早口で、且つ短いインタビューだった。
質問は受け付けていない。
母親の誘拐のについて、
応援の手紙などに感謝の意を表した。
新聞などのマスコミに、自宅の周りに張り込んでいることについて、
もう少し距離を置いて欲しいと言った。
家族は静穏にして欲しい。
※事件については、相変わらず解決に向かっているのかどうかは
確たる報道はない。
警察も捜査はしているようだが、
介入はしない(身代金交渉のことか?)と言っている。
ブラジルの名門サッカーチーム「サントス」のロビーニョ選手の母親が誘拐された。
先週、土曜日の夜、
サントスの近くのプライヤ・グランヂ(大浜と言う意味)という街へ、
友人宅でのシュラスコパーティーに。
二人の武装した男が、突然塀を上ってきて、
ロビーニョ選手の母親を指名して連れて行ったという。
車は発見されたが、もちろん母親の姿はない。
月曜日の夜で丸2日経ったことになるが、
犯人からの連絡は無いというのが、警察の発表だ。
夜のテレビでも、自宅アパート前からも、報道をしていた。
この選手は、スペインのチームからもの
すごいオファーがでている選手で、
現在はその去就が注目されていた選手。
サントスの浜辺に近い母親の自宅アパートの前には、報道陣や野次馬がいっぱい。
無事に帰宅をすることを祈るメッセージが。
ブラジルサンパウロでは、営利誘拐はすごく多い。
70キロ離れたサントスではそうでも無いということであったが。
サンパウロの新しい市長に当選した、セッハ(Serra)さん。
その彼が住んでいるのが、アロト・ド・ピニェイロス(Alto do Pinheiros)。
その地域の紹介が、日曜日の新聞に出ていた。
この地域は、7.70平方キロに、42,692人が住んでいるという。
1平方キロに6000人弱ということになる。
大半が2階建ての、一戸建て住宅専用地域である。
この地域は、この20-30年で開発されたところである。
場所にもよるが、敷地面積が300平方メートルから1000平方メートルくらいで、
平均は500平方メートルで、建物は300平方メートルから500平方メートルくらい
のが多いようだ。
駐車場は3-4台。
プール付きも多いようだ。
サンパウロ市の平均の家族収入は月に1400レアル(5.5万円程度)だが、
ここは月4200レアル(16万円強)ということだ。
85%の人が車を所有。
緑が多く、一人につき、84.5平方メートルの緑地がある。
昨年のこの地区の殺人は3件で、サンパウロで2番目に低い。
都心に近いわけでもないが、通過交通量が増えてきた。
低い率とはいえど、事件が起きたなどから、
転出する人がやや増えている。
売り家や貸家のサインが見える。
もちろん、路上生活者もいる。
しかし、最高ではないが、どう見てもここは
高級住宅街の一つに見える。
大邸宅が何百軒も、辺り一帯ずらりと並んでいる様は、
少なくとも、田園調布や成城よりは遙かに立派に見える。
これで、ここが中流というならば、サンパウロは90%が
貧乏人の地域になる。
ここで、道路側のガラスがすべて防弾ガラスという家に
行ったことがある。
すばらしい内装だった。
サンパウロで開催中の「アイルトン・セナ追悼展」。
チケットは、磁気カード。
入り口で入れて、出口で回収される。
なかなか良いデザインなんだが、手元には何も残らない。
行った証拠が無いじゃないか。
展示場の最後に、「写真」を撮影するコーナーがある。
観光地にある、顔の所に穴があいた衝立。
それの電子版だ。
3つのデザインから1つを選んで、自分の顔写真とあわせると、
合成される。
そして、それを自分のe-メールアドレスに送付できるというもの。
まだ、e-メールはこない。
会場は、もちろん撮影禁止だったが、
このJPS(John Player Special)が、出口の直前にあり、
撮影ができた。
セナが、最初に乗ったF1カー。
フェラーリは、マセラティと同じブース。
市内の販売店も、同じ店。
そうそう売れるものでもないので、当たり前か。
それほど売れるわけ無いのに大きなブース。
だけど、知名度は抜群だから、あこがれの車として大盛況。
実は、フィアットも含めて、社長は同じ人。
フィアット・グループなのだ。
この自動車ショーで、フィアットのショーが行われたときには、
F1の「バリケロ」(イタリア語的発音ではバリケロなので、今後はバリケロ)も
来ていた。
髪の毛を、真っ赤に染めて、「フェラーリ」色だった。
会場には、別の場所だったが「フェラーリ・グッズ」ショップもあった。
サンパウロで、急に起きてきた「新たな運動」が、組織だった「空きビル」への侵入である。
昨夜(11月7日)も、
先日の「サンパウロのセントロ」に使った写真の右にある教会の
あたりの、政府系金融機関の空きビルで事件が起きた。
この教会は、ルーズベルト広場と言うところにある。
侵入されたビルも、この広場に面している。
進入した方は、
「土地無き農民運動」の人たち。
家に住みたくても、連邦政府、州政府、市政府などの
住宅政策が悪いので、住むところがない。
この問題を提起するためにやっているんだという。
この土地無き、家無き連中をバス数十台に乗せて、
あらかじめ目をつけていたビルに乗り付けて、
あっという間に進入してしまうのだ。
もちろん、老人や、女性、子供等々社会的弱者を
含めている。
これは、明らかな私有財産権の侵害なのだが、
「連邦政府が悪いから、連邦政府系金融機関の
ビルに侵入した」と、運動のリーダーは言っている。
警察が、直ちに出動し、排除した。
2-3日前も、近くの別のビルで同様のことがあったが、
これも警察が排除した。
不法占拠を長引かせて、裁判所から占拠を認めるような
決定を出されては大変だからであろう。
この国は、こういった社会的弱者に優しいところが時々出てくる。
もちろん、大金持ちが、圧倒的に強い。
歴史的に、大土地所有制で始まったこの国は、今も基本は変わらない。
自営農家はそう多くない。
土地改革を求めるものも多いが、大土地所有者の方が
経済的にも、政治的にも強い。
小作人も、生活を農場場主に頼っているから、強くもでられない。
この現状に対して、土地改革運動が始まって、
20年以上にもなる。
特に大農場制の強いブラジル北東部から、大農場の隅っこを、
勝手に占拠して、耕作を始めるという運動から始まった。
もちろん、大農場主は黙っていない。
不法占拠者との、撃ち合いもあり、死者も沢山でている。
単に、「私有財産制度の否定」とも、位置づけられないのが、
このブラジルが歴史的に抱えた問題だ。
サンパウロ動物園は、サンパウロ市の南部にある。
昔は、相当に町はずれだったのだろうが、
今は完全に市街地に囲まれている。
しかし、そこだけ州立公園や植物園と一体化していて、
とてつもなく大きな森になっている。
ブラジルのサッカーチーム
アメリカのボランチが亡くなった。
名前はClaudinei Dutra Rezende, 25歳。
11月6日未明、
ブラジルは、ミナス・ジェライス州の州都ベロ・オリゾンチ。
クラブで、ギャング団同士の喧嘩から撃ち合いが始まり、
その弾が頭に当たったというもの。
こういうところでは、時々こういう事件が起きてしまいます。
今週の金曜日まで、
リオ・デ・ジャネイロにおいて、南米やカリブ海諸国の
グループ「リオ・グループ」の会議が行われた。
各国の大統領級が集まって、諸問題について
討議をしたらしい。
ところが折からの、米国大統領選挙で、
その成り行きが気になって、いささか
議論をつっこめない状態だった。
それはともかく、最終日のホスト国アトラクションで、
定番のサンバが登場。
大統領と大統領夫人が、踊りを披露しているところ。
この大統領は、労働党。
昔は、ストライキの主導者で、大会ではアジ演説ばかりしていた人。
まあ、どこまでいっても、ブラジルということでした。
「セントロ」とは、centroと書き、中心と言うこと。
地名でセントロと言えば、中心部のこと。
サンパウロのセントロは、サンパウロの発足からずっと中心だった。
世界の大都市なので、この100年で、一気に大きくなってきた街。
70-80年前は、人口数十万もなかった。
いまのセントロは、そのときに作られたようなビルが残っている。
だが、どういう訳かブラジルの企業家は、会社を外へ外へ新しい
街区へ移転する。
セントロがスラム化したからなのか、立派な企業が移転するからなのか、
とにかくセントロは、汚く、かつ危険。
1960年代までは、それほど危なくなく、本当に中心だったようだ。
写真に2つの高いビルがある。
左側の白い円筒状のビル。
サンパウロ・ヒルトンホテル。
とうとう、今年いっぱいで閉鎖される。
ヒルトンは、別の所に新しいものを作っているので、
こちらの方には集客できないと言うことらしい。
かつては、華やいでいたはずだ。
5ッ星ホテルだったが。
右の黒い建物。
ブラジルの有名な建築家オスカー・ニーマイヤーの設計したビル。
COPANという。
上階は、アパートにもなっている。
このビルの下にも、浮浪者がたむろしている。
書店は好きだ。
サンパウロには、昔は大きな書店はあまり無かった。
最近は、大きな書店も増えた。
もちろん日本とは比較にならない。
本そのものは、決して安くない。
だから、読書人口も少ないと思う。
サッカー選手名鑑を見つけた。
サッカー週刊誌PLACARの別冊だ。
1000人の選手が取り上げられているようだ。
夜の20時から22時くらいまでは、テレビでは
ニュースを見ている。
何言っているのか、だんだん判ってきた。
難しいのはブラジルの政治の話。
固有名詞も、政治用語も、行政用語も、機構が判らないのでよくわからない。
しかし、刑事事件ネタが多く、ほとんど「警察24時」のようだ。
今日は、密輸を取り締まり、中国系ブラジル人が捕まったというネタがあった。
殺人と麻薬はほぼ毎日なので、たまに密輸だとほっとする。
22時からは、チャネルをころころ変える。
すでに紹介した番組を見つつ、CMの時間になるとほかを当たってみる。
ケーブルの無料放送だけでも、チャネルは沢山ある。
今日は、AXNチャネルで止まった。
なんだか見たことある日本人がいっぱいでていた。
途中からなので、テレビなのか映画なのか判らなかった。
字幕は、ポルトガル語。
なのに、よくわからないと思ったら、音声は英語。
しばらくしてゴジラとわかった。
ゴジラも「ゴジラ2000」だった。
英語のようなポルトガル語のような、なんだか話は最後まで
よくわからなかった。
タダ、2000年と制作年は比較的最近なのに、
1960年代の全盛期のゴジラ映画と基本的なイメージが全く変わらない。
何故なのかというと、
特撮だからだ。
このCG全盛時代に、おもちゃの戦車がとことこと動いている。
ゴジラの動きも、のろく感じてしまう。
西新宿を模したセットの中での、怪獣との戦いはかったるい。
相撲のような様式美の世界だ。
20年以上も前の、スターウォーズ以来、思わずのけぞってしまうような
スピーディーな映像になれてしまった。
それが、日本ではつい最近までこんな映画を作っていたのには驚いた。
ただ、ゴジラの顔が凶暴で、背びれが大きくそして鋭角的になっていたのには
なじめなかった。
やはり、ゴジラは60年代のものに限る。
伊福部さん作曲のテーマが流れるとわくわくする。
実相寺監督や本多監督。
※日比谷の東宝のビルの所にあるゴジラがやはりゴジラだ。
止めるなんて言わずに、大事に大事に育てて欲しい。
言うまでもなく、ブラジルはカトリックの国だ。
国民の80%がカトリックらしい。
だから、世界最大のカトリックの国だ。
宗教の自由は完全に認められているが、憲法にもカトリックの精神がうたわれている。
サンパウロの古い街区には、広場があり、
その中心にいかにも教会らしい教会が建っている。
田舎の町でも、まず中心には広場があり、教会が建っている。
教会は、小さなものでもきちんとしており、
内部は更に整えられている。
宗教的な静けさを保っている。
写真の建物は、サンパウロの中心部ドンペドロ広場の南にある。
まるで、スーパーのような、家具センターのような建物。
これは教会だ。
しかし、屋根は尖っていないし、その先に普通あるはずの十字架もない。
教会とは、ちょっと思えないのだ。
このような教会が、どんどんと増えている。
実際に、空き店舗でもあればそこが教会になったりしている。
いくつかの団体があるが、どんどんと教勢を増しているようだ。
いずれも、カトリックではなくプロテスタントのようだ。
写真のものは、米国系のようだ。
体育館のような内部では、ステージを歩き回る牧師がいる。
音楽や光に満ちている。
キリストや聖母マリアの像も画もない。
独自のテレビで全国に放送をする。
従来のカトリックだけではカバーしきれない部分を拾っているのだろう。
ブラジルで、写真を撮ると、なんだかいつもあでやかになってしまう。
晴れた日の昼間の写真はすべてそうだ。
渋い写真でなければ渋い文章にならない。
やはり、太陽からの光量が、日本とは違うのだ。
緯度が低いせいだろう。
日の当たる部分と日の当たらない部分がくっきりと分かれてしまう。
日の当たらない部分を明るくすると、
日の当たった部分は、白く飛んでしまう。
どうもうまくいかない。
ブラジルは、すべてにおいてコントラストが強烈だ。
大都会と大自然。
富と貧困。
白と黒。
青と白。
赤と緑。
サンパウロの高級アパート街。
高級な高層アパートのすぐ塀の向こうには、
広大な貧民窟(ファヴェーラ)が広がる。
毎日。
上から下を見下ろす者。
下から上を見上げる者。
何を思うのか。
何も思わないのか。
お互いに交わることもない。
この差は、決してうめられることはない。
日曜版の新聞は、別刷りも多く、厚く、重い。
先週の日曜日には、「漫画からの日本語」というタイトルが
あった。
ポルトガル語でもそういう意味のタイトルになっている。
日本の漫画を読んでいたのは、
かつては日本語を学べと、親から言われていた日系人。
親は、本当は漫画ではなくて、もっと字ばかりの本を読んで欲しいのだろうが、
子供はいきなりそんな物は読めない。
漫画だと、漢字にはふりがなが振ってあるので、
ひらがなを読めばよいのだ。
こうやって、画をみながら、ひらがなをよんで、
日本語を覚えた人も多いようだ。
日本の本は、サンパウロでは日本の価格の2倍する。
それほど高い本を、日本より遙かに低い収入でも
親は買って与えたのだ。
今、時代は変わってきた。
デカセギに、多くの日系人やその配偶者としての
非日系ブラジル人が、日本に来ている。
彼らは、今の日本の文化に触れている。
親が知っている日本とは、全く違う日本だ。
彼らは、日本で漫画にふれてきている。
また、ブラジルでもますます日本製アニメは隆盛だ。
こういった流れを受けて、ブラジル語になった漫画も
ある。
しかし、非日系ブラジル人でもマニアは、
そんな物では物足りないのだ。
日本語の漫画の新作を読みたいのだ。
サンパウロの東洋人街には、日系人向けの
漫画の貸本屋がある。
そこに、非日系ブラジル人も現れる。
そして、漫画をより理解するために
日本語を学ぼうとするのだ。
つまり、「漫画からの日本語」というわけだ。
日本の経済力の伸び悩みで、世界での日本の経済シェアは
下がっており、日本語を学ぼうとする人は減っているようだ。
ブラジルでは、日本から遠すぎることもあって、
非日系人で日本語を学ぼうとする人はいなかっただろう。
しかし、こういった漫画という文化を通して、日本語を学ぶという
流れがあるとは興味深い。
日本でも、一部の人に人気のブラジル製ビーチサンダルの
有名ブランド"Havaianas"
"Havaianas"とは、"Hawaianas=Hawaians"のこと。
ポルトガル語では、wは普通は使わない。
wはvに置き換えられる。
ほかにも、色々なブランドがあるのだが、何故か
これが有名。
このHavaianasが、ほかと違うのは、
スーパーの吊しにも置いてあるし、ショッピングセンターの高級な店にも
置いてあること。
店が違っても、商品はそれほど変わらないように見える。
無地か、ちょっとデザインが印刷してあるかくらいだ。
無地でも、結構高いように思う、
一足400円は、スーパーでもする。
日本で、ビーチサンダルはもっと安く買えるのではないだろうか。
そのHavaianasが、ブラジルでもっとも売れている週刊誌Vejaに
広告を出した。
Vejaは、毎週100万部以上を売っている。
この広告、なんと日本語だけで、ごちゃごちゃ書いてある。
明らかにイメージコマーシャル。
ちょっとだけデザインが変わったサンダルのようだ。
この夏の新製品か。
先週水曜日に、サンパウロ・モルンビー競技場で行われた
サッカーブラジル選手権サンパウロ対サンカエターノの試合は、
後半14分に、選手が倒れそのまま死亡したので、
そこで中断となった。
その試合の残りの部分が、本日(11月3日)20時30分から、
同じくモルンビ競技場で行われた。
結果は、4対2でサンパウロの勝利。
サンカエターノの得点は、いずれもペナルティー・ゴール。
サンカエターノは、弔い合戦に勝利とはならなかった。
これで、サンパウロの勝ち点は68点。
トップのサントスに4点の差。
サンカエターノは、65点。
南米選手権は、国内予選が終わり、いよいよ国際試合が始まった。
サントス対LDU(Liga Deportiva Universitária)
(エクアドル)の試合は、キトで行われた。
ブラジルサンパウロ時間21時50分に始まった。
サントスは、
ルゥシェンブルゴ監督の方針で、わずか選手を15人しか連れて行っておらず、
更に主だった選手もほとんど入れていない。
そのせいか、パスミスやトラップミスが多く、
ブラジルを一応応援している方としては、いらいらした。
ミスは強い雨のせいだけではない。
前半、先に先制点を入れられたが、程なく同点に。
更に一点を入れられたが、また追いつくというような
主導権を握れない試合。
シュート数でも圧倒された。
ペナルティーの数では、圧倒。
後半終了間際にはついに、レッドカード。
結果は、3対2。
サントスの負けだ。
※ここログのメンテナンスのため、アップが一時間遅れました。
11月2日は、「死者の日」で本当の祝日。
交通量が少なかったので、サンパウロの東部まで行って来た。
サン・ミゲル・パウリスタというところで、普通は用もないのに行かないところだ。
まあすっかり変わって、道が判らなくなった。
夜なら怖いが、昼ならまず安心。
夕方、車の中で、ラジオでニュースを聞いていたら、
サンパウロで、200万人が22の墓地を訪れたと言っていた。
サンパウロには、22しか墓地がないと知った。
一つ一つは、確かに大きい。
サンパウロ東部の
フォルモーサ墓地は、100万ものスペースがあって、
世界一とから、南米一とかきいたことがあった。
昔、見たことがあったが、確かに広大なところであった。
夜になって、テレビを見ていたら、
色々な著名な墓地の光景などを写していた。
そのあとに、カトリック以外も、
同様に死者の霊を弔ったというようなことを言っていた。
そうして、まずサンパウロ郊外の
ある巨大な建物が出てきた。
最初はブラジル語でも教団名を言っていたので
ピンとこなかったが、それは「世界救世主教」の
寺院だった。
日本人らしい人、日系人の人そしてブラジル人も沢山いるようだった。
更に、仏教においてもということで、
ブラジル最大の仏教寺院が出てきた。
これも、サンパウロの西郊のコチアと言うところにある。
これは、台湾系の仏教寺院。
ブラジル人の僧侶が出てきていた。
多様な国だ。
11月1日に発表されたコンフェデレーションカップの組み合わせについて、
ブラジルの新聞での報道は、わずか数行。
決まったという事実を、組み合わせとともに伝えただけだ。
何のコメントもない。
サッカーの記事では、ほかにいっぱい書くことがある。
先日亡くなったサン・カエターノの選手についての続報で、
チームドクターの話とか、警察の捜査の話。
フラメンゴの監督が首になった話。
ヨーロッパで活躍しているブラジル出身選手の話。
ネタは尽きない。
1年後にドイツで開かれる試合のことを今からコメントしても、
意味が無いというのか、それともセレソン(ブラジル代表)にとって、
予選の組み合わせなど問題ではないというのか。
サンパウロは、夏時間入りした。
よって、日本との時差は-11時間となった。
11月1日の24時を、11月2日の1時とするということで
この変更は行われる。
11月2日の0時から1時はないのだ。
テレビを見ていたが、何の変化もない。
もちろん今夜のニュースはこのことを伝えている。
街中にある、色々な時刻表示の時間が、それぞれどのようにして
変えられるかなどをレポートしているものもあった。
衛星でコントロールしているので、いっせいに変えられるものや、
人がいちいち変えなければならないものがあるといっている。
夏時間を採用したのは、南部の諸州である。
サンパウロだけではなく、
リオ、ベロオリゾンチ、ブラジリア、クリチーバ、ポルト・アレグレ、
ヴィトリア、クイアバ、カンポベロ、フロリアノポリスなどが含まれる。
マナウス、ベレン、サルバドール、レシフェ、ナタール、
サンルイス、フォルタレザなどは含まれていない。
4つあるブラジルの時間帯に、夏時間が加わったので、多少複雑になった。
しかし、時間帯は4つのままだ。
日産は、ブラジルでピックアップトラックを製造している。
ブラジルは、内陸には大農場があるので、
本当にこういった車が必要とされているのである。
それにしても、地味なブースだった。
SENTRAやFairLadyも展示してあったが、
これらを今後ブラジルで販売したいのかどうかも判らなかった。
せっかく社長が、正真正銘のブラジル人なのだから、
これを利用しない手はないだろう。
面白いことができないのは、ルノーが背後から見張っているからかな。
スバル(富士自動車)は、製造拠点はブラジルには持っていない。
だが、オフロードレースなどのテレビ映像などで知名度は高い。
ImprezaやFresterなどの販売している。
昨日10月31日で、サンパウロ自動車ショーは閉幕した。
三菱自動車は、パジェロで人気がある。
ブラジルの内陸部は、そういった車でなければいけないところがいっぱいある。
だから、ラインナップもそういったものが中心。
三菱自動車のリコール隠しの不祥事など、伝わっていないようだ。
今日は、日曜日にしては、サンパウロの交通量が朝から多かった。
それは、市長選挙と、「死者の日」の連休が重なったからだ。
厳密には死者の日は、11月2日だが、
その日は墓地が混むので、先にお墓参りを済ませようとする人が多い。
そういうことで、今日は「モルンビー墓地」と「コンゴニアス墓地」の2カ所に行った。
実際ともに、いつもより遙かに多く参拝者が訪れていたので、
車を止めるところも少なく、周辺では渋滞も起きていた。
モルンビー墓地では、ついでだろうが、セナの墓にもお参りする人が多くいた。
墓地の外には、セナ・グッズの店がまたやっていた。
サンパウロの最近の墓地は、芝生が一面敷き詰めてあって、
そこに名前のプレートが埋めておいてあるという形式だ。
そのプレートを磨くのが、しきたり。
真鍮メッキの表面を、レモンで磨き、そして水を流す。
黒ずみが取れ、再び黄金色に輝く。
花は生花ではなく、鉢植えを使う。
生花の水をそのままにしていくと、蚊の発生の原因になるからだ。
デング熱という伝染病は、ブラジルで発生しており、蚊を媒介にするので、
こういうことになっている。
各家庭の鉢植えの受け皿の水の管理まで、市衛生局は指導をするくらい、
真剣な取り組みをしている。
この鉢植えの花の価格もこういうときは値上がりしそうだが、
通常サイズのものは5レアル以上ではいけないと決まっているという。
選挙は、電子投票だ。
投票所に行って、設置してある機械を操作して投票をする。
投票所は、だいたい学校だ。
だから、学校の前も投票をする人たちが次々とやって来るので
ごった返していた。
普段の学校は、部外者の立ち入りは厳しく取り締まられるが
こういうときは別である。
また、学校前に早速ちょっとした屋台ができるのもブラジルらしい。
投票は20時に終わった。
電子投票なので、直ちに結果が出てくる。
だから、日本の開票番組のように、じわじわと開票結果が伝えられるような
楽しみは全くない。
とはいえ、有権者700万人のサンパウロ市長選挙の場合は、
何故か一発では出ない。
一部に手書きも残っているようだ。
それでも、8時半で88%の開票率。
結局、現職を破って新人が当選した。
その当選のセッハ候補の投票光景。
衝立の下に、投票機がある。
ブラジルの選挙は、投票が義務づけられている。
といって翼賛選挙ではない。
サンパウロでも、15%くらいは、投票をしない(できない)人がいるらしい。
おもしろいのは、有権者だ。
16歳から18歳までは、任意。
18歳以上70歳までは義務。
70歳以上は、また任意。
更に、識字者でない人も任意という。
なんだか、よく仕組みが判らないが、そういうことらしい。
本田の四輪のブースには、3台のF1カーが展示してあった。
その真ん中に、ブラジルの英雄アイルトン・セナの車とヘルメットが展示してあった。
本田であっても、アイルトン・セナを使ってしまうんだなと思った次第。
もちろん、ここも黒山の人だかり。
そして、もう一つのF1カーは、セナののちょっと前に活躍した、
ネルソンピケのもの。
セナの台頭ともに、引退した。
セナに関連するものは色々な機会に見かけることが多いだけに、
実は、こちらの方が遙かに懐かしさを覚えた。
ピケは、ブラジルでは、最近ビールの広告に出ている。
お元気なようだ。
かつて、F1ブラジルGPが行われていたリオ・デ・ジャネイロの
レース場は、彼の名前が付いている。
アウディーも、ブラジルで一部の車種は生産している。
おそらくVWの工場で作っているのだろう。
アウディーのブースに、古いアウディーが展示してあった。
この車1994年に、アウディーがブラジルの英雄アイルトン・セナに贈ったものだという。
おそらく、セナ自身は、この車に乗る機会がないままに世を去ったのではないかと思う。
しかし、こんな車をわざわざ持ち出してまで、セナにあやかりたいのだろうか。
もちろん、人だかりができていたから、効果はあるに違いない。
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