ブラジルの年末 その6 カウントダウン
サンパウロの目抜き通りパウリスタ大通りでは、
カウントダウンが行われる。
そちらの準備も進んでいる。
アウグスタ通りとの交差点付近には、
大通りをまたいでステージが作られている。
人出は、100万人という。
警察官は3000人で警備に当たるそうだ。
仮設トイレも、もう設置されていた。
新年を迎える準備は着々と進んでいる。

サンパウロの目抜き通りパウリスタ大通りでは、
カウントダウンが行われる。
そちらの準備も進んでいる。
アウグスタ通りとの交差点付近には、
大通りをまたいでステージが作られている。
人出は、100万人という。
警察官は3000人で警備に当たるそうだ。
仮設トイレも、もう設置されていた。
新年を迎える準備は着々と進んでいる。


サンパウロのリベルダーヂ広場の餅つき大会が行われているところでは、
南米大神宮のお守りや、破魔矢、絵馬などが売られていた。
売っているのは、「巫女さん」ということになるが。。。。

小林幸子の歌も終わった。
サンパウロの東洋人街リベルダーヂは
12月31日の朝、恒例の餅つきが行われていた。
6000個の餅を配るということで、
もの凄い列になっていた。
そして、その列の先端には
「南米大神宮」が。

衛星放送で見ることができるNHKの紅白歌合戦もトリになった。
とても朝から、見る気にはなれない。
サンパウロの12月31日は静かだ。
パウリスタ大通りは、
15時から
15キロのショートマラソンが行われる。
今年で80回という伝統のあるものである。
かつては、深夜に行われていたが、いつの間には変わった。
参加者は1万5千人という。
ゴール前では、準備が進んでいた。
午後0時からパウリスタ大通りは
明日の朝まで、通行止めだ。
12月24日の午後、そして25日のクリスマス、その翌日の26日(日曜日)が、
普通の短いクリスマス休暇だ。
新年は、1月1日だけが正式な休日。
だが12月31日は休みの企業が多いし、12月30日も午前中だけというところもある。
12月27日から30日までは、休暇と休暇の間というなんとも
だらけた中途半端な期間だ。
両方の休暇をつなげて、長い休暇に入っているものも多い。
クリスマスの前は、街は買い物客で大混雑で、
道も混んでいて、喧噪の中にいるといったところだった。
しかし、今週は一転して、街は閑散としている。
人はいるのだが、何か活気がないのだ。
クリスマスの大パーティーで大騒ぎしてそして食べ過ぎて、
疲れているのだろうか。
市内の車も日中もとても少なく、とても運転しやすい。
スーパーに行っても、あまり客もいないし、沢山の買い物をする人もいない。
企業によっては、年末の古い伝統の
窓から使用済みの紙を投げ捨てることをやったところもあるようだ。
「仕事は終わり!」ということだ。
ブラジルも、年末を迎えている。
捨てられた紙くずを片づける人たちが、
仕事を終えたら、新しい年がやってくる。


サンパウロから、カルロポリスへの道は、
湖の畔にまで降りてきた。
とても大きな湖だ。
とても人工湖とは思えない。
からっとした風が、対岸のパラナ州から吹いてきた。
サンパウロ州はここで終わり。
州境を示す標識がある。

湖がくびれたところを道は進んでいく。
両側が湖になって、堤防の様な道だ。
まもなく、橋が見えてきた。
この橋を渡れば、本当にパラナ州だ。

今朝(30日)のスポーツ面で驚いたのは、
つい先日、
サントスの監督として、ブラジル選手権を制した、
ルクシェンブルゴ監督が、
サントスを去り、
レアル・マドリへ行くという記事。
サントスと残留へ向けて交渉中という話もあっただけに、
誠に突然の話。
憶測記事も何も無しに、いきなり記者会見で正式発表とは。
ブラジル選手権5度優勝の名監督ともなれば、そういうものなのか。


イエマンジャーの女神像の前から、海岸へ向かっての行進が始まった。
だいたい、200メートルで波打ち際に達する。
一団は、更に楽器を鳴らし、歌を歌い、そして踊りながら進んでいく。
一人の女性は、完全にトランス状態に入っている。
足がふらふらで歩くことも、立つことすらもできない状態。
仲間が支えている。
本日(12月29日)午後、
ロマリオは「引退」を否定した。
引退報道をしたグローボ紙のレポーターが、
ロマリオの言ったことを局解したと言っている。
今朝の、フォーリャ・ヂ・サン・パウロ紙も引退を報じていたのだが、
これも当然否定されたというわけだ。
さすが、ロマリオ、またしてもやってくれたとしか言いようがない。

サンパウロにある主なスーパーのチェーンは、あまり多くない。
ハイパーマーケットは、大規模に展開しているのは2つだけ。
カルフール(Carrefour)
エストラ(Extra)
スーパーは、ポン・ヂ・アスーカ(pao de acucar)グループだけ。
以前は、もっともっと色々なところがあったのだが、
この10年くらいで淘汰されて、これらのチェーンに吸収されて
しまったところが多い。
だから、どこに行っても同じような感じで、
違うスーパーに行く楽しみがない。
中小に行くと、品揃えが悪い、店や商品が汚い、
2流品しかないなどの問題があり、行かない。
同じチェーンでも、立地場所の所得階層を見て、
微妙に品揃えを変えているのがわかる。
Extraの場合、モルンビ店は電化製品も一流ブランドの
最新の高級モデルが並んでいるが、
その他の店に行くと、廉価ブランとのものが多く並んでいる。
売れないものを、並べても仕方が無いというわけだ。
そういう状況だから、どうしても自分のレベルにあったスーパーに行くことになる。
ハイパーマーケットの場合は、何故かカルフールに行ってしまうことが多い。
日本では、あえなく撤退のようだが、幕張店に行ったことがあるが、
時間の問題だと思った。
ブラジルでは20年ちょっと前に進出して、大成功を収めている。
行動範囲のサンパウロ西部の4店舗くらいに行く。
パンプローナ店、エルドラード店、ブタンタン店、そしてタボン・ヂ・セッハ店。
エストラは、たまたま行動範囲からはずれた店ばかりなので、あまり行かない。
他に米国系の世界一のウォルマートも進出してきているのだが、
まだ行ったことがない。
サンパウロ市内でも何店舗か見かけるが、なんだか活気がなさそうで、
行っていない。
ポン・ヂ・アスーカ・グループは、ブラジル最大の
スーパーチェーンである。
ここは、老舗である。
ハイパーと言うより中型店舗を展開している。
そして、合併で手に入れた店舗チェーンも含めて、
店舗を階層別にわけている。
もっとも高級な部類のスーパーに冠された名前が、
ポン・ヂ・アスーカという。
所得の高い階層が住んでいる地区に立地している。
ポン・ヂ・アスーカがあると、その地区は富裕層が多いのだとわかる。
そうではない地区にあるスーパーは、
バラテイロBarateiroとかボン・プレッソBon precoという名前で展開している。
ちなみに、ハイパーでは電化製品は値引きが可能だ。

サンパウロのセントロの中での、その中心とも言える場所。
アニャンガバウの谷で、東西に別れるセントロをつないでいるところだ。
アニャンガバウとは変な地名だが、インディオのグァラーニ語が語源らしい。
現在はこの谷には、サンパウロの南北をつなぐ最も重要な道が走っていて、
交通量も多い。
この道をまたぎ、谷の両側をつなぐ陸橋は、「茶の橋」という。
しかし、日本人移民は「お茶の水橋」といったという。
橋の東側には、3本の高層ビルが建っている。
新しそうに見えるが、すでに30-40年経ってる。
かつて、セントロが本当にサンパウロの中心だった頃には、
このビルにも、そしてこの付近にも日本企業の現地事務所があった。
倉敷紡績。
三菱銀行。
伊藤忠。
トーメン。
ユニチカ。
東海銀行。

中国からの参加作品。
それぞれの肖像画が2枚ひと組になっている。
驚いたのは、画の横に肖像の人物のプロファイルの内容。
「政治面貌」「文化程度」「家庭出身」まで書いてあった。
なんだか、恐ろしい。
中国は、こういうことが大事なんだなあと。
漢字が読めないブラジル人には、こんなことまでわからない。
芸術には関係がないことだが。
サンパウロから来た道は、
だんだんと道は高度を下げて、湖に近づいていく。
カフェの農場が増えてきた。
カフェの栽培に適した気候なのだろう。
日中の十分な日照と、気温。
夜半の霧。
収穫期の乾燥。
ただ、ブラジルのカフェの生産全体を見ると、
このあたりを含めた北パラナは、もう中心ではない。
冬季の降霜により、カフェの木がダメージを受けることが多いからだ。
冬季は、意外にもかなり冷え込む。

サンパウロのセントロにあるルス駅。
この駅前のあたりをそのままルスという。
かつては、長距離列車も出ていて、とても賑わっていたと思う。
駅前だった名残だろう、安そうなホテルが沢山ある。
月曜日から金曜日までは、長距離列車の本数も多く、
商店も開いていて、賑わっている。
しかし、特に日曜日ともなれば、商店も閉まり閑散としている。
歩いているのは、付近の住民だけだ。
ほとんど、路上に人がいないので、
ホテルの入り口の横に立っている女性が浮かび上がってしまう。
その手の女性だ。
だが、とてもお客が付く様な容姿ではない。
このあたりには、絵画美術館がある。
入場料は、4レアル(150円くらい)だが、
そこに入ってくる人と、外にいる人の間には絶望的な差がある。
もちろん、美術館は厳重に入り口は警備されている。

ロマリオが、リオ・デ・ジャネイロの新聞グローボの
インタビューに答えている。
「やめた。 もうやらない。 やる気もない。」
と、サッカーからの引退を示唆した。
10月に、リオのチームであるフルミネンシを、
監督との諍いから、首になっていた。
11月には、ブラジル代表のユニフォームで、
米国で試合をして、2ゴールを決めていた。
それ以来、ニュースはなかった。
同じくリオのヴァスコ・ダ・ガマの社長が、
戻らないかといった話もあったようだ。
しかし、ロマリオはグローボの記事によると、
サッカーでのキャリアに終止符を打つとしている。
来年の4月から6月の間に、引退試合をやりたいと行っている。
そのときには、長くいたフラメンゴとヴァスコのユニフォームを着ると言っている。
現在、38歳。 来年の1月で39歳になる。
あくまでも、新聞の報道だけで、
正式に引退は表明していない。
ロマリオは、1994年のワールドカップ米国大会での、
ブラジルの4回目の優勝の立役者である。
ブラジル代表として、84試合(非公式試合13試合)に出場し、
69得点(非公式試合の得点は14)をあげている。
型にはまらない選手である。
「ノモンハン」といっても、なんだかわからない人がほとんどだと思う。
ノモンハンは、現在のロシアとモンゴルと中国国境付近の地名である。
ここで、日本軍とソ連軍がぶつかったところである。
日本が、大東亜戦争を宣する前に、
満州国とソ連の国境紛争から、
日本軍の精鋭であった関東軍が、ソ連軍機工師団に
敗れたと言われているが、当時の軍部は
これを隠した。
日本では、「ノモンハン事件」と呼ばれているが、事件どころではない
立派な会戦だったとされている。
このノモンハンでなくなられた方の墓碑が、
ブラジルはサンパウロ州アチバイア市にあった。
ブラジルから出征されたのであろうか。
日本軍兵士として、
ノモンハンで戦死し、ブラジルに眠る。
語る言葉もなく、ただ合掌。


カルロポリスCarlopolisは、
サンパウロから北西にだいたい400キロ行った所にある
観光地でもない、小さな街だ。
サンパウロ州ではなく、パラナ州に属している。
といっても、州境にある。
周辺は、とても風光明媚なところであった。
パラナ州でも北の方になり、かつてはコーヒーの生産の中心の
一つであり、沢山の日本人も入植したところのようである。
サンパウロからは、ハイウェイでずっと行くことはできない、
途中からは一般道を通って行くことになる。
一般道を通っていくだけに、沿線の風景をいっそう楽しむこともできる。
ファルツーラFarturaという街が、サンパウロから行くときの
サンパウロ州最後の街だ。
この小さな街を過ぎると、高原の高度は下がっていき、
山がなだらかになる。
そして、景色が広がっていく。
州境となるシャヴァンテス湖が眼下に広がっている。

サンパウロ州のプライア・グランヂ市の海岸にある
イエマンジャーの女神像。
沢山の花が捧げられている。
やがて、この像の前で、儀式が始まる。
それを告げる間断のない太鼓の音が鳴り響く。
パラソルの下では、占いが行われている。
クリスマスの休みが終わると、また色々とサッカーの話題も出てきている。
もちろん、移籍の話だ。
コリンチャンスのダイレクター パウロ・アンジアジーニが語ったところによると、
「セレッソ大阪から大変良いプロポーズがあったので、
ファビーニョを出す。」
一方、ファビーニョは、「できればコリンチャンスでプレイしたいし、
色々なところから良いオファーがあったのは知っている」といっている。
更に、ブラジルのクラブからのコンタクトを待ったいるようだ。
セレッソ大阪に行くかどうかは、本人からは語られていない。
2月27日まで、サンパウロ州立絵画博物館の別館で、「死海文書展」が開催されている。
貴重な死海文書の本物も見られるとあって、とても期待していた。
「死海文書」とは、1946年に今のイスラエルの死海沿岸の荒涼とした
土地の崖の洞穴から見つかった文書のことである。
これらは、紀元2世紀頃から作成されたもので、
現在の聖書が形成される前のものも含まれている。
当時のヘブライ語が使われており、現代ヘブライ語の形成にも
役だった。
この文書の内容によっては、現在の聖書の内容が形作られた
6世紀以降のキリスト教世界と、キリスト教創成期のそれとの違いも
あるとされる、宗教的にも貴重な大発見だった。
また、この文書には新訳聖書の部分は含まれておらず、すなわち
旧約聖書の部分だけなのだが、つまりユダヤ教にとっても
非常に大きな意味のあるものである。
更に、紀元600年以降に成立した、イスラム教にとっても
意味があるものと言える。
そういった文書の展示は、ブラジルとイスラエルの関係も
物語るもので、ブラジルのユダヤ・コミュニティーの強さを
示している。
会場には、もちろん大多数がカトリック教徒である
ブラジル人はもちろんのこと、アラビヤ語も
聞こえていた。
イスラエルには、2度訪問したことがある。
強烈な印象を持った。
死海にも行った。
ジェルサレムには「死海文書館」があるが、
見学の時間がなかった。
まさかブラジルでこれを見ることができるとは
思わなかった。
本物とレプリカの死海文書が展示されている。
どれが本物か何も記載されていない。
係員に尋ねて、判った。
展示物は、死海文書の他に
文書が保管されていた壺や文書以外に見つかったものがあった。
コインやサンダルや食器だ。
また、文書が見つかった場所はカムランというのだが、
その遺跡あとから見つかった遺構の説明もあった。

イエマンジャーの女神は、海に向かって立てられている。
その海の向こうには、故郷のアフリカがある。
イエマンジャの女神像の前には、信者が何組いて、
それぞれに祈りを捧げている。
像の台座には、ロウソクを立てる祠もある。
また、像の付近には、ビーチパラソルの下に
机と椅子を用意して、占い師というのか人生相談というのかを
受け付けている人たちもいる。
かつては、こんな人はいなかったと思う。
ブラジルは、自然災害が極めて少ない。
その代わり、違う被害は沢山あるが。
インド洋で大変な地震が起きて、
津波で多くの被災者が出ていることは、
昨夕から、ブラジルでも報道されている。
ブラジルには、地震はほとんど無い。
極めて安定しているプレートの中心にいるからだ。
しかし、北東部でたまに局地的な地震がある。
マグニチュード2以下くらい。
日本人から見ると、なんでもないレベルだが、
貧しいこの地方の家では、倒壊もする。
太平洋岸のチリでは、頻繁に地震が起きるが、
ブラジルで地震波は観測されても、被害はない。
だから、基本的に
ブラジル人に、
地震の説明をしても全く理解されない。
(雪の説明も、理解されないが。)
昨日のニュースで、
サンパウロ大学の教授が
地震のメカニズムなどを説明していたが、
この人本当に判ってるのと疑わしいなと思って聴いていた。
本で調べたんじゃないかと。
今朝の新聞でも、国際面で大きく報道されていた。
欧米のクリスマス休暇の観光客が、かなり訪れていることを
伝えていた。
日本人何十人かが行方不明とも伝えていた。
インドの報道は、マドラスから報道。
元のポルトガル領だった歴史からだろうか。
ちなみに、津波はポルトガル語で"TSUNAMI"という。
地震の怖さについても、
多くの日系人が、日本で何度も体験しているので、
ブラジル人にも理解されていくだろう。
その後の報道で、
今回の地震と津波により、
タイでブラジル人2名の死亡・行方不明が伝えられている。
また、ブラジル外務省も情報を24時間電話で受け付けている。
サンパウロから70キロの山間の街アチバイア市。
サンパウロからミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテ市に
向かうハイウェイ沿いにある。
日系人も多い。
周辺は、野菜や果物、花などの農場だけではなく、
別荘や観光施設も多い。
さて、ここの墓地。
クリスマスも、人々は墓地を訪れる。
花を捧げる。
でも、この墓地にある花は、ほとんどが造花である。
切り花でもなく、鉢植えでもない。
長持ちすることを狙ったものでもない。
ブラジルでは、蚊が媒介するデンギ熱の発生が続いている。
よって、蚊のが卵を産み、ボウフラが発生する可能性がある
切り花や鉢植えは避けられているのである。


サンパウロから70キロのこのプライア・グランジの砂浜は
とても長い。
この街のセントロ(中心部)から、その海岸に沿って、車を走らせる。
しばらくすると、海の方を向いた女性の像が立っている。
これが、海の女神イエマンジャーの像だ。
アフリカ系の土着宗教が、奴隷ともにブラジルへやってた。
その宗教は、カントンブレという。
奴隷が多くもたらされたブラジル北東部で、
その奴隷たちの子孫で今も信仰が続いている。
サンパウロ周辺では、このプライア・グランジの砂浜で、
イエマンジャーのお祭りが行われることで知られている。
新年を迎えるそのとき、
ここで祭祀がおこなわれる。
それに向かって、すでに信者は
この像の前で、祈りを捧げ始めていた。
クリスマス(ブラジルではナタウNatal)も、あっさりと終わった。
昨日(25日)は、久しぶりの好天。
気温も30度近くまで上がり、雨も降らなかった。
クリスマス晴れとでも言うのか。
しかし、今朝は一転、またもや雨。
それも、降ったり止んだりで、出かけて良いのか悪いのか決断できない。
気温も20度前半。
日曜日にもかかわらず、新聞はとても薄い。
広告も少ないし、記事もない。
スポーツ記事も無いに等しい。
サッカー記事なんか、2004年のチームのランキングなどで
埋めていた。
テレビも、ブラジルなりの年末特番になってきた。
コンサートの中継などが多い。
昨日は、ジルベルト・ジルもやっていた。
ブラジル音楽ファンにはたまらないだろう。
今日は、Tv CuturaのEnsaioという番組で
マリア・リタ(Maria Rita)のコンサート。
街の中のクリスマスの飾りは、年明けまで
そのままだが、
新年に向けての準備も進んでいる。
パウリスタ大通りは、カウントダウンを行うために
とても多くの人が集まる。
そして、新年と同時にショートマラソンが行われる。
道を横断するゲートの工事が進められていた。
新年の休暇を、サンパウロを脱出して、過ごす向きも多いが、
サンパウロで過ごすものまた趣深いはずだ。
また、花火の大音響が轟き渡ることを思うと、ちょっと気が滅入るが。

(12月24日撮影)
ブラジルでは、実に多くの鳥を見ることができる。
サンパウロから、70キロの街アチバイア。
その郊外の農場の柵の柱の上に
フクロウ2羽が留まっていた。
太陽がほぼ真上から照りつける時間なのに、
日陰でもないのに、じっとしていた。
夜行性ではなかったのだろうか。

普通のブラジル人にとって、
12月24日は、単にクリスマスの前日という意味しかない。
イエス・キリストが生まれた12月25日こそが
クリスマス(ブラジルではナタウNatal)で、
大事な日である。
24日をクリスマス・イブとして、
より大事にする日本は本末転倒しているのだ。
さて、24日は、クリスマスの準備も
大詰めの日で、終わっていない人は大忙しだ。
プレゼントの買い物や、クリスマスの特別な料理の準備。
大掃除や飾り付けもする。
商店は、午前中の営業を終えると、
閉め始めるところが出てくる。
スーパーも、18時までだ。
一般の会社も、午前中で終わりで、
ちょっとしたパーティーをやったりして解散だ。
パネトーニなんかもらって、もって帰る人もよく見る。
かつては、会社のいらなくなった白い紙を
ためておいて、シュレッダーにかけて、細いひも状のものを更にちぎって
細かくする。
それを、会社の窓からどんどんと播いたものだ。
雪の代わりというわけだ。
これは、実に気持ちが良かったが、
今は禁止になってしまった。
播いたその下の路上では、清掃作業員が集めても集めても
降ってくる紙くずを恨めしそうに見ていた。
惜しい習慣だと思う。
25日のクリスマスを家族で過ごすことが、大事で
教会に行くことが必須ではない。
だから、旅行に行くことも多い。
すでに休暇入りしている人も多く道路も、
渋滞だ。
飛行機や長距離バスも満席。
もちろん、教会へ行く人も多い。
教会では、キリストが生まれる様子のジオラマを
作ったりしているのが普通だ。
馬小屋の中に、生まれたばかりのキリストを
囲んで、聖母マリアが、そして3人の博士が立っているものだ。
24日も、日が暮れていくと、街は徐々に静かになっていく。
商店はもう開いていない。
レストランは、クリスマス用の特別メニューを出すところもあり、
予約客でいっぱいの所もある。
これは、結構高い。
子豚の丸焼きやイノシシなどが、この時期の代表的な材料となる。
そうして、日付が変わり25日になると、
街のあちこちからまたはナビの大音響が鳴り響いてきた。
25日は、バチカンで行われるクリスマスミサを長時間
生中継するはずだ。
ローマ法王のメッセージが楽しみだ。

サンパウロの古くからの超高級アパート街イジェノポリスにある、
パチオ・イジェノポリスというややこぢんまりしたショッピング・センターのツリー。
高級アパート街とその隣の超高級住宅街パカエンブーを控えているという
場所柄、豪華な老婦人が多い。
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