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domingo, 22 de maio de 2005

サンパウロの移民博物館 その1

いうまでもなくブラジルは移民の国である。

だから、世界中の色々な地域から人々がやって来て、混じり合い国ができあがっている。
ブラジルは、ポルトガル人によって「発見」され、ポルトガル領であった。
しかし、ポルトガル人は当初ブラジルではたいした資源を発見できず、ブラジルよりインドの方の開拓に力を入れたようだ。
ポルトガル自体も、海洋国家として一時代を築いたとはいえ、まもなく国力は衰えてしまった。
人口自体が元々多くなく、航海で命を落とす男が多かったのも影響したようだ。
その時代には、ポルトガルからブラジルに移民するものは多くなかったようだ。
しかし、ゴムや砂糖などのプランテーションが徐々に盛んになり、労働力が必要となった。
当初は、原住民であるインヂオを使おうとしたが、欧州人が持ってきた病原菌に免疫がなかったなどの理由であっという間に、激減してしまったそうだ。
そこで、黒人を奴隷として「輸入」し、労働力として使うことが始まった。
しかし、18世紀にはこういったことはもう出来なくなった世界的な環境であった。
ブラジルも、18世紀の後半には奴隷制を廃止した。
この時点でブラジルは黒人国家のようだったという。

その代替の労働力として求められたのが、各国からの移民である。
欧州の各地から移民がやってきた。
イタリア、スペイン、スイス、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、リトアニア、ウクライナ、クロアチア等々。
そして、ユダヤ人。
欧州で戦乱がある度に移民たちが大挙してやってきたそうだ。
さらに当時のトルコ領であった今のレバノンやシリアからもやってきた。
ブラジルでの、白人比率は急上昇したようだ。

だが、実際のブラジルでの労働環境は悪く、奴隷と変わらない境遇でもあったという。
欧州からのブラジルへの移民は応募者が減った。
移出国側で、ブラジルへの移民を禁じたところもあったようだ。

そこで新たに白羽の矢が当たったのが、日本だったようだ。
日本からの移民は、もうすぐ百年だが、最後の大量移民の民族ということになる。

そういった移民たちの記録を残しているのが、サンパウロ市の東部にある「移民博物館」である。

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サンパウロ州への移民たちは、サントス港についたあと列車に乗せられて、この建物の横にある専用のプラットフォームでおろされる。

そこで、受け入れがおこなわれ、しばらく収容されたという。
そして、各地へ散っていったわけだ。

その受け入れ収容施設であったところが、この「移民博物館」に今は転用されたわけである。

サンパウロの東部といっても、当時のはずれも今は中心部といっても良い。
ただし、周囲の環境はとても良いとはいえない。
アクセスの方法を考えて訪問しないと、危険度は高い。

この博物館には、受け入れた移民たちの記録が今も保管されている。
先祖のルーツを求めて、今も移民の子孫たちが多く訪れるところである。
今も、生きている博物館である。

日系人はせいぜい4-5世代目であろうが、欧州からの移民たちは歴史も古く、婚姻を通じて、ルーツがわからない人がほとんどである。
ここでの記録が、頼りという人も多いようだ。

なお、イタリア人の場合、3世までは自動的にイタリア国籍を取得できると聞いている。
その申請の資料をさがすために、ここにやってくるイタリア系の人も多いようだ。

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