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segunda-feira, 26 de setembro de 2005

ブラジルの「労働党」創設者の一人が亡くなった。

アポローニオ・ピント・ヂ・カヴァーョApolonio Pinto de Carvalhoという人が、先週金曜日(9月23日)に、リオ・デ・ジャネイロで亡くなった。 93歳だった。
この人の人生も凄かった。

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1912年2月9日に、現在のマット・グロッソ・ド・スル州のコルンバで生まれている。
1930年に軍の士官学校に入り、1934年から軍務についている。
1935年にANL(Alianca Nacional Libertadora=国家解放者連盟?)という組織を作り、当時の大統領ジェッツリオ・ヴァルガス大統領を11月に糾弾した。
 ※ジェッツリオ・ヴァルガスも名大統領でもあるが、独裁者でもあった。
1936年1月に逮捕。4月に軍から解雇される。
1937年7月に釈放。
ブラジル共産党に入るが、スペインに向かう。
スペイン市民戦争に参加。
1339年、フランコ軍が勝利し、人民戦線が敗北したことにより、フランスへ逃亡。
1942年8月、フランスの対ナチスのレジスタンス活動に参加。
1945年、解放後、パリへ向かう。
1946年、ブラジルに戻る。
       青年共産主義者連盟のリーダーとなる。

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1947年、ブラジル共産党の登録取り消しにより、地下活動にはいる。
1967年12月、ブラジル共産党から除名。
1968年、革命ブラジル共産党を設立し、書記長となる。
       軍事政権に対して軍事闘争を実行。
1970年1月、逮捕。6月、アルジェリアに亡命。
1972年、フランスへ移動。
1979年10月、ブラジルへ帰国。

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1980年2月、労働党の設立に参加。

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労働党とは、現政権党のPT(Partido Trabalhadores)のことである。 
もちろん、現ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァも、この人は大事にしていた。

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先日亡くなったミゲール・アハエスMiguel Arraesの様も同様に凄い人生であったが、このアポローニオ・ピント・ヂ・カヴァーョの場合は必ずしも日が当たった政治人生ではなかった。

ブラジルにはこういったキャリアを持った人たちがいることは、十分に知っておかなければならない。
また、こういった人たちが生まれ、そして活動し、亡命し、また戻って活動できる国であるあることも知っておかなければならない。

そういう歴史を持った国であり、こうして現在があるのである。

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