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segunda-feira, 13 de março de 2006

”ブラジル人”スター、カルメン・ミランダの回顧展

往年の”ブラジル人”大スターであるカルメン・ミランダを知っている日本人は多くないだろう。

1920年代から1950年代中葉に掛けての大スターだ。
ブラジルで十分なスターであったのだが、1939年に米国に渡り、ブロード・ウェイやハリウッドでの大スターになった。

彼女は、ブラジル生まれではない、1909年にポルトガルで生まれている。
生後10ヶ月と8日で、リオ・デ・ジャネイロに一家で移った。
当時のポルトガルは、国王が暗殺されるなど、国内が不安定だったのだ。

1923年、14歳の時にラジオに出演している。
学校が、他の生徒ともにラジオ局を訪れたのだ。
この時が、カルメン・ミランダのデビューと言うことになる。

公式の彼女のデビューは、1929年1月9日のことで、あるフェスティバルで唄ったときのことである。
初レコーディングは、同年の8月か9月である。

翌年には彼女は、ブラジルの大ポピュラー歌手になっていた。

このころの南米のショービジネスの中心は、ブラジルではなく、アルゼンチンのブエノスアイレスだった。
当時のアルゼンチンは、豊富な食糧資源を背景に、高所得国であった。
彼女も、1931年から、ブエノスアイレスでステージに上がっている。

1933年には、映画デビューを果たした。

1939年5月4日にブラジルを出発し、5月17日にニューヨークに到着している。
早くも6月19日にはブロードウェイでのデビューを飾った。

1944年には、米国で最も稼いだ女性になっている。
その後、ほとんど米国で過ごしている。
20世紀FOXで、6年で10本の主演映画に出演した。

1947年3月17日に結婚している。
38歳の時だ。

1948年頃から、彼女は薬物中毒の症状を見せていた。

1950年から1953年にかけて、米国や欧州でのツアーを行っている。
1953年後半から1954年にかけて、療養生活を送った。
1954年12月に、ブラジルに戻った。
健康を回復したあと、1955年4月にロサンジェルスに戻り、契約済みの仕事を殺人的なスケジュールでこなしていた。
再び、薬の量が増えることになった。
1955年8月4日に、最後の仕事となったテレビに出演した。
1955年8月5日に、彼女は死んだ。
一週間後、彼女の亡骸はリオ・デ・ジャネイロに戻った。
多くの人々が、彼女を送った。

「最もブラジル人な外国人」であるカルメン・ミランダである。

昨年2005年が、彼女が亡くなって50年であった。
リオ・デ・ジャネイロで、追悼展が開催されていた。

そして、先週からサンパウロでも追悼展が開催されている。
会場は、バッハ・フンダにあるMemorial America Latinaというところである。
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早速行ってきた。
なかなかの内容であった。

彼女が実際に使用した衣装も数多く展示されていた。

身長が低かった彼女の使用した厚底靴。
彼女のシンボルそのものである"Tutti Frutti hat"もいくつも展示されていた。
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彼女が出演した映画のポスターや写真。
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彼女が出演した映画の映像の一部。
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※会場内は撮影は禁止である。(ニュース映像より)

この展示会のグッズも販売されていた。
CDやDVDはない。

彼女の活躍は、主に米国で行われ、米国人の演出であり、どうしても米国人のイメージするブラジルを演じており、ブラジルに直接に影響を与えたというものはあまりない。

しかし、1950年代の終わりが揺籃期出会ったボサノヴァには、なにがしかの影響を与えたのである。
大スターであった彼女のバンド・メンバーは、いずれも超一流の演奏家であり、彼女の死後ブラジルでそれぞれ活動をしており、後のボサノヴァの担い手になったミュージシャンに影響を与えたと言われている。

そのボサノヴァも、ブラジルではとうの昔に過去の物になっているのだが。


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