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sexta-feira, 14 de abril de 2006

ブラジルで史上第2位の銀行強盗発生 その21 第6の誘拐の人質解放。

2005年8月に、ブラジル・セアラ州の州都フォルタレーザFortaleza市のブラジル中央銀行Banco Centralの金庫を破り大金を盗んだ者に関係している6番目の誘拐犠牲者が、4月13日木曜日の明け方に解放された。
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強盗事件のリーダーの1人とされているアントニオ・ジュシヴァン・アウヴェス・ドス・サントスAntônio Jussivan Alves dos Santos(通称アレマンAlemão)の兄弟である、アントニオ・ジュシエ・アウヴェス・ドス・サントスAntônio Jussiê Alves dos Santosは拷問されて、12日間の監禁生活のあと解放された。

彼と彼の弁護士は身代金の支払金があったことを否定しているが、市民警察Polícia Civilは7万レアル(約400万円)が支払われたとの情報を持っている。

アントニオ・ジョシエ・アウヴェス・ドス・サントスは、フォルタレーザFortaleza市の市民警察Polícia Civil の本部に木曜日の午後に行ったが、話すことも出来ないくらいであった。

アントニオ・ジョシエ・アウヴェス・ドス・サントスによると誘拐犯人達は、彼を「逃亡中の」彼の兄弟と勘違いし、”アレマンAlemão”と呼んだ。
彼らは、1百万レアルを解放するために要求した。
「彼らは自分がそのお金を持っている思っていた」と、記者会見で言った。
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フォルタレーザ市から234キロのボア・ヴィアージェンBoa Viagemの農家である彼は、すでに2回誤って逮捕されかかった。

これにもかかわらず、ルイス・カルロス・ダンタスLuiz Carlos Dantas刑事は誘拐犯人達が目標を誤るとは思えない。
彼によると、目標は”アレマンの兄弟” irmão de Alemão". そのものであった。
「彼らは彼が金の一部を持っていたと思っていた」

アントニオ・ジョシエ・アウヴェス・ドス・サントスに対する扱いは、非常に暴力的であった。
彼は、4月1日に傷の治療を予約していたフォルタレーザの病院の前で誘拐された。

警察の発表では、4人の武装した男達が、取り囲み、銃を発射した。
一発はアントニオ・ジョシエ・アウヴェス・ドス・サントスの顔をかすった。

彼は、監禁場所で拷問を受けた。
腕にはタバコによる火傷のあとが見えた。
彼の弁護士エルベニア・ロドリグェスErbênia Rodriguesによると、誘拐犯人達は後ろ手に縛り、手錠をし、更に足に穴を開けた。 

アントニオ・ジョシエ・アウヴェス・ドス・サントスは、全部で何人の男がいたか知らないと言った。
かれはずっとそこに監禁されていて、どこに捕まっていたのかはわからないと言った。
震えて、泣いて、彼は記者会見をすぐに中断した。

解放は、明け方の2時であった。
ルイス・カルロス・ダンタス刑事によると、警察は何も知らなかった。
「彼は家に行った。警察には何も知らせなかった」と言った。
「こういうタイプの犯罪は明らかにするのは難しい。 それは犠牲者が情報が流れることを恐れるからだ。」と、市民警察のニヴァウ・フェレイリNival Freire部長は語った。

捜査の仮説では、誘拐犯達は中央銀行の強盗に参加していて、誰が盗んだ金の大部分を持っているかを知っていて、それを奪おうとしているか、もしくは犯罪について話を聞いただけで、盗んだ金を奪おうとしている。

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誘拐犯人を捕まえると、盗んだ金につながるのだろうか。
まだ、中央銀行から盗まれたお金の僅か11%しか見つかっていない。

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