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sábado, 15 de julho de 2006

サッカー・ブラジル代表 在庫一掃 その2 カカが通った学校。

ブラジル・サンパウロの拙宅のある地区の西隣の地区はペルヂーゼスPerdizesという地区である。
高級アパートが住宅を浸食している地区である。

どちらかというと高級な地区である。
落ち着いた、そして静かな治安も比較的良い地区である。
カルドーゾ・ヂ・アルメイダCardoso de Almeidaという通りを中心に商店やレストランもある。

このカルドーゾ・ヂ・アルメイダ通りの1本西隣の道がモンチ・アレグリMonte Alegre通りで北へ向かう一方通行になっている。
この通りには、PUCというカトリックの名門大学がある。
しかし、最近は何故か経営不振で教職員を解雇するなどの寂しいニュースが多くなっている。

このPUCの北隣にカトリック教会がある。
PUCとは関係がない。
Igreja Baptista Brasileiroというのだが、建物はモダンだ。
この教会があるブロックのほとんどを占めて、この教会の経営する学校がある。
Colegio Baptista Brasileiraというブラジルにしてはシンプルな名前の学校である。
それほど大規模な学校ではない。
Spd20060708p

この学校の正門は、モンチ・アレグリ通りと直交するドトール・オーメン・ヂ・メーロ通りRua Doutor Homen de Meloに面している。
Spd20060708q

この学校にカカが通っていたのである。
Spd20060708r

カカは、ブラジリアに生まれているが、その後ゴイアス州のゴイアニアに移っている。
そして、サンパウロではこのペルヂーゼスに住んでいた。

カカが通っていたのは、サンパウロFCに入る前だから、今から8-9年前までのはずである。

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このペルヂーゼス地区は、とても良いところである。
どうして、日本人の駐在員がこの地区を選ばないのか、昔から不思議に思っている。

今は、かなり減ってしまったが、ほとんどの駐在員がパライゾにそして一部はモエマに住んでいるようだが、20年ほど前はもう少し西よりにも広がっていた。
さすがにアウグスタ大通り付近にはあまり住んでいなかったようである。

更にその前にはアクリマソンに多く居住した時期もあるし、単身者はセントロの有名なコパンにも住んでいたという。
そのころは、事務所はセントロにあったし治安が悪くなる前で、夜も歩いて遊びに行けたという。
社長宅も一戸建てのことが多く、イジェノポリスにも住んでいたことがあったという。

かなり昔のことで、サンパウロの人口は今の半分くらいの時のことではないかと思う。

ペルヂーゼスなのだが、少なくともモエマよりは良いところだと思う。

実はこのペルヂーゼスにも住んだことがある。
19年前のことだ。
カカの学校からドトール・オーメン・ヂ・メーロ通りを200メートルほど東に行ったところにあるアパートの7階である。
まだ、カカは通っていなかったはずだ。

アパートの窓からはパカエンブー競技場が見えていた。
風に乗って歓声が聞こえてきた。

そのころは今よりもっと治安が悪かったが、このペルヂーゼスはそういうことを感じさせない地区だった。
今でもそうだが、超高級なレストランはあまりないが、穴場的な良い店は沢山ある。
価格もぐっとお得な店が多い。

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