ブラジル・サンパウロの「日本」。
ブラジル・サンパウロの「日本」といえば、東洋人街のあるリベルダーヂ地区ガルボン・ブエノ通り周辺というのが、普通だ。
だが、地名で「日本Japao」と言うところがある。
サンパウロ市の中心部から北東に8-9キロのところに、ヴィラ・マリアVila Maria地区というところがある。
そのヴィラ・マリアの中にジャルヂン・ジャポンJardim Japaoという地区がある。
小高い丘になっている。
なんということはない中流の下の住宅地区である。
20年前は、地名も道はすでにあったが、まだ家が本当にまばらにしか建っていなかったのだが、サンパウロ市が成長していく中で、もうすっかり落ち着いた市街地になった。
バス通りに沿って、ずっと商店が建ち並んで活気もある。
このジャルヂン・ジャポン地区の多くの道の名前は、日本にちなんで付けられている。
ちょっとしたベンチなどもある。
通りすがりの人が一休みできる。
江戸広場Placa Yedoもある。
カラフルな塀は、この地区の学校のものだ。
東京広場と江戸広場をつなぐ横浜通りRua Yokoamaもあるが、
”H”が抜けてしまっているのでヨコアマになっている。
帝広場Placa Mikadoもある。
周囲の道は、有栖川通りRua Arissugawaという。
付近には、
京都通り、大阪通り、神戸通りと、関西の三都の名前もある。
広島通り、長崎通りもある。
東郷通というのもあるが、これは「東郷平八郎」から来ているのではないかと推察する。
成田通り、侍通り、娘通りというのもある。
全てただの住宅街である。
丁度そこに歩いてきた2人の少女。
「大和撫子」とでもよびたいところが、随分と風情が違う。
ブラジル・サンパウロの通りには、どんなに細い道でも全て名前が付いている。
ほとんどが、ブラジルやサンパウロに何らかの貢献をした故人の名前である。
大きな貢献をした人は、大きな道に名前を与えられる。
日系人の名前も、歴史の古い市内中心部ではあまり見ることはないが、郊外になると割と見かけることがある。
ただ、このジャルヂン・ジャポン地区のように日本に関係する名前がまとまったところはない。
このジャルヂン・ジャポン地区が、どうしてこのような名前を付けられたのかはわからない。
名前がそうだからといって、日系人が多く住んでいるようなわけでもなさそうだった。
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ジャルヂンJardimとは、「庭」の意味だが、地名の場合はそのままに理解することは出来ない。
ジャルヂンJardimがつく地名は市内いたるところにある。
ジャルヂン・アメリカJardim America地区とジャルヂン・エウロッパJardim Europa地区の、一戸建て住宅専用地区は、サンパウロ市内の最高級住宅街なのかでも最高のところである。
その中でも、ジャルヂン・エウロッパ地区は、最高の中の最高。
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