domingo, 31 de dezembro de 2006
新・ブラジル・サンパウロは「夏」 その2 12月31日。
12月21日から「夏」になったサンパウロ。
ずっと気持ちよくいい天気だった。
適度に暑く、適度に雨が降り、夜はそれなりに温度が下がった。
12月29日の夜から雨が降っている。
12月30日も、一日雨が降ったり止んだり。
夜はずっと降っていて、
12月31日の朝まで雨が残っていた。
そして、
午前中も霧雨だったり、小雨だったりが続いている。
15時から、
男女別で、1万人が参加する、
サンパウロの中心部15キロを走る伝統のショートマラソンが
パウリスタ大通りを出発して、またゴールするコースで行われる。
気温は23度程度だから、走る方にとっては快適なはずだ。
ただ坂が多いサンパウロなのでスリップしないか心配だ。
ブラジル・サンパウロにもスターバックスが開店。
コーヒー豆の生産量で世界一を誇っているのはまだブラジルだ。
50%弱を生産している。
ブラジルのコーヒーの消費量は、1人あたりでは世界一ではない。
だか、このところの経済の好調さを反映して、増加を続けている。
コーヒーを飲むことが出来る階層が広がってきているのだろう。
今でもまだそうだが、
コーヒーはどの事務所に行っても、でてくる物だ。
市内のあちこちに、バールがある。
ここでは、かつてはカフェヂーニョといって小さなカップにどろりとしたコーヒーを出していた。
深炒りの粉ひきで、底にはコーヒーの粉がどろりと沈殿していた。
砂糖をいっぱい入れて飲むのが、普通だった。
あまり香りはなく、馴れないと泥のように感じた。
しかし、次第にそれなりにおいしさを感じ始める物である。
ところが、このところこのカフェーヂーニョを出す店が減ってきている。
その代わりにでてくるのが、エスプレッソ。
例のエスプレッソマシンで、高圧蒸気をかけて、抽出されてくる。
カフェヂーニョと同じく濃いのだが、味は洗練されている。
作り置きして、ポット毎湯煎に付けておくのが普通のカフェヂーニョと違って、
一杯ごとに抽出するので、価格はやや高い。
ブラジル人は意外に保守的なので、
カフェヂーニョに執着するのかと思っていたが、
このエスプレッソの方に確実に移っているようだ。
普通に飲めるのはこういった濃いめのコーヒーであって、
さすがにアメリカンなどといったシャバシャバのコーヒーはない。
米国人が多く宿泊する超高級ホテルの朝食のバイキングのメニューにはあるかも知れない。
市内のバールも以前に比べるとずっと清潔になったが、
そのほかに立ち飲みのコーヒーショップも増えてきた。
そして、このたび満を持してスターバックスが、ブラジルにも進出した。
色々と進出、そして開店までは紆余曲折あったが、
今のところ2店あるのは確実だ。
いずれも、サンパウロ市内南部のひとつの高級ショッピングセンターの中にある。
スターバックスの最初のイメージを大事にするためだろう。
価格は、エスプレッソで2.8レアル(=150円程度)。
市内のバールよりはかなり高いが、
まあ、場所とブランドを考えると、妥当なところか。
所謂スペシャリティー・コーヒーと呼ばれる部類のコーヒーも売れていた。
冷たいコーヒーもだ。
また、ブラジル人の生活が変わっていくに違いない。
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日本では、あの有名な生活雑貨のサザビーが、
シアトルのスターバックス本社との交渉に成功して、
最初の店を銀座と青山に出店したのは、10年にもならないのではないかと記憶している。
5-6年前からは、渋谷の拙宅の近くにまで出来ていたりするので、
それほど高級感はなくなった。
今や、上海などの中国にも大規模に展開し、世界中で見かけるようになってしまったが、
10数年前はまだシアトルのローカルチェーンであった。
巧みなイメージ戦略であっと今に世界ブランドになった。
スターバックスの成功で、
コロンビア南部のコーヒー豆が足りなくなって、価格が高止まりしたり、
1960年代から減り続けていた米国のコーヒーの勝利が1990年半ばに反転したりと、
影響は大きなものがあった。
実は、サザビーより3-4年前に、このスターバックスと交渉をしていた企業があった。
1992-93年頃のことだったと思う。
サザビースとは違って、
大手の食品製造メーカーで、実際にコーヒー関連製品についても当時も今も製造販売している企業だ。
交渉がまとまらなかったのは、2-3年の間に数十店舗を一気に展開することを求めたスターバックスに対して、日本側が難色を示したことである。
当時は、まだバブルが始めたばかりで、不動産賃貸価格は下がっておらず、
銀座や青山に出店すると、一店あたり1億円などという時代であった。
日本的な徐々に展開という考えはよくある失敗例の一つであるが、
そのころの経常利益が数十億円のその企業にとっては、
成功するかどうか分からないものへの投資なので、
当然といえば当然のことであった。
この企業は、
業界ナンバーワンになって、
本業での大ヒット商品の連発で、今では最高益を出す好調ぶりである。
でも、海外との提携や展開は極めて不得意。
どの提携事業も成功したとはいえない。
そう多くもない海外事業からは、徐々にこっそりと撤退をしている。
意思決定をするのに国内的発想の金太郎飴人材しかいないからだ。
おそらくスターバックスと仮に事業を始めても、早晩行き詰まったであろう。
さらに、サザビーズが交渉した時代は、
もう街角の一等地にあった銀行支店が閉鎖撤退した時代であったので、
いくらでも不動産の出物は溢れていた。
出店費用は大幅に下がっていたはずだ。
スターバックスも、日本の不動産価格の高いことを理解していただろうし。
企業にとっても、時の運というものはあるものだ。
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それほどコーヒーを飲むわけではない。
むしろ今は飲まないほうだ。
米国のコーヒーチェーンもいいが、
ブラジルのカフェヂーニョの飲める店が減っているのが残念である。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その32。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
ブラジル・サンパウロをGoogle Mapでみる その32 rede TV!局
rede TV!局といえば、ブラジルで一番俗悪な番組"panico na TV!"を放送しているテレビ局である。
そのほかにも色々な問題を起こしてきているテレビ局である。
ブラジルでは、GLOBO局がガリバーで、視聴率数十%の番組をいくつも持っているが、他の局は全部足してもGLOBO局には及ばない程度である。
いきおい番組の質も、お金のかけ方も掛かりようも その差は歴然としている。
rede TV!は、その昔はなかった。
TV Manchete局があったのだが、それが潰れて、いつの間にか名前が変わった。
rede TV!局の本社は、サンパウロ市内ではなくて、
サンパウロ市の中心から20キロほどの西郊にあるバルエリ市にある。
バルエリ市は元は田舎町だったのだが、
30年ほど前から、サンパウロの治安の悪さから逃げ出した中流の上の階層が、数百戸の分譲地全体が高い塀に囲まれた住宅地に移り住むようになったのだが、その中でも最も有名なアルファビレという地区がある市である。
このアルファビレ地区には、そういった塀に囲まれた規模の大きな住宅地区が、10箇所以上もあり、今もどんどんと開発されている。
アルファビレ地区の中心には、業務地区や商業地区もある。
また、企業や工場も、サンパウロ市内から移ってきたところもあり、
アルファビレ地区に限って言うならば、高級そうなところである。
バルエリ市の旧市街地は、そうではない。
だが、財政的には恵まれているようで、
開発が進んでいる。
地元のサッカークラブのバルエリ・グレミオも躍進中である。
2007年には、ブラジル選手権のセリエBで戦うように昇格した。
rede TV!局はサンパウロ州の内陸部へ向かうカステロ・ブランコというハイウェー沿いにある。
アルファビレの出口の近くである。
行ってみた。
サンパウロから見ると、左手に建物が見える。
屋上にいくつのもパラボラが設置してあるので、それとすぐ分かる。
テレビ局ということから考えると、かなり小さな建物である。
敷地も、せいぜい3000-4000平米程度のようだ。
敷地いっぱいに建物が建っている。
そして、建物の前の道を渡ったところに、ちょっとした緑地がある。
これはハイウェーの出口へ向かう道の路側の緑地である。
しかし、今までにこの緑地でなんどもrede TV!局はロケを行っている。
許可を得ているのかどうかは分からない。
panico na TVで、
ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウが、送風機で「猛烈な風」を当てられたのはここである。
何週にも渡って、風船で飛んでいくロケを続けたのもここである。
最後は、サブリナ・サトウも飛んでいったわけである。
そもそも路側帯という物は何のためにあるのかなど、何も考えていないrede TV!局である。
ともかくも、サブリナ・サトウはここで頑張っている。
第27回サンパウロ・ビエンナル その66 作品53。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
不思議な空間にいるような感じがしてくる。
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sábado, 30 de dezembro de 2006
2006サンパウロ自動車ショー その28 ランボルギーニ。
2年に一度開催されるサンパウロ自動車ショーは、今年2006年は10月19日(木)から開催されていた。
すでに終了している。
ランボルギーニも、ブースを出していた。
ここまで来ると、一体誰が買うのかというレベルである。
大金持ちはいくらでもいるのだが、この車を走らせる道がない。
ことサンパウロは坂道だらけで、舗装も悪い。
すぐに車体を擦ってしまうに違いない。
普通の車ですら、頻繁にガリガリとしてしまうのだから。
ところで、このサンパウロ自動車ショーの最中に、このランボルギーニは事件を起こした。
それで、連邦警察によって多くの車が没収されて、会場から持ち出されたのである。
ランボルギーニを見ようとしたら、サンパウロの連邦警察の駐車場に行けば見られることになっていた。
この自動車ショーに展示された輸入車の多くは、国際見本市への展示用として免税扱いで輸入申告をしていた。
だから、見本市が終われば、販売されることなく、元の国へ戻さなくてはならないことになっていた。
ところが、このランボルギーニのブラジルの販売店は、
そうやって免税で入れた車を販売していたのである。
つまり輸入税をごまかしていたのである。
それで、この自動車ショーに展示されていた車だけではなく、エウロッパ大通りにある代理店の在庫の車も没収されていた。
その後はどうなったのか。
そういう面白い事件があった。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その31。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その65 作品52。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
台の上面は、赤、青、黒にも着色されている。
作品の一番奥に、小さなディスプレーがあり、映像が流されていた。
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sexta-feira, 29 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その30。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
ブラジル・サッカー:オフ その36 カルロス・アルベルトの放出には見返りを求めるコリンチャンス。
フルミネンシFluminenseのスーパーバイザーのブランコBrancoは、MFカルロス・アルベルトCarlos AlbertoについてコリンチャンスCorinthiansとMSIを仲介するレナト・ドゥプラRenato Dupratと話をするために、12月27日(水)にサンパウロSão Pauloにいた。
会話の中で、レナト・ドゥプラは、2010年までの契約があるカルロス・アルベルトを1年間のレンタルすることに合意すると明言した。 しかし、変わりに金銭的な見返りを求めた。
レナト・ドゥプラは明言しなかったが、50万レアル(=2800万円)を超える金額である。
「ブランコBrancoはカルロス・アルベルトをレンタルすることは出来るかと聞いた。 自分はイエスといった。 それで、ブランコは話し合いに戻るために、カルロス・アルベルトの給与に合意した」と、レナト・ドゥプラは明言した。
カルロス・アルベルトCarlos Albertoは、南米杯Copa Sul-Americanaの対ラヌースLanús戦の最中にエーメルソン・レオンEmerson Leão監督と喧嘩をしたあと、コリンチャンスTimãoから外されていた。
カルロス・アルベルトはフルミネンシに戻ることに関心があると明言していて、フルミネンシと合意するために給与を減らすことまでも受け入れていた。
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カルロス・アルベルトは、あまり賢いとはいえない。
まだ、若いのに給与を減らすことを受け入れるのは、プロとしてはあるまじきことである。
フルミネンシは、彼が育ったチームであるが、
2006年は降格すれすれの成績で、2007年はリベルタドーレス杯はもとより南米杯も出場しない。
カルロス・アルベルトがいくら能力があっても、それを発揮するに相応しい舞台はあまりないのである。
欧州へのカムバックも含めて、大チームでプレイするべきである。
コリンチャンスは、レンタルを認めたと言うことであるが、
おそらくエーメルソン・レオン監督が解任されるようなことになると、
またカルロス・アルベルトを使おうという魂胆から来ているのだろう。
エーメルソン・レオン監督が居るうちは、カルロス・アルベルトは絶対に使われない。
ブラジルでは、監督が1年以上務めることは稀な状況になっているので、
おそらくエーメルソン・レオン監督もあと半年くらいで居なくなっている可能性がないともいえない。
むしろ、1月に始まるサンパウロ州選手権でも優勝でもしない限りはいなくなっている可能性が高い。
ブラジル・サッカー:オフ その35 悪天候でジーコの「スターのサッカー」に参加できなかった選手達。
ブラジルBrasilの南東部の悪天候により、フラメンゴFlamengoの永遠のアイドルのジーコZicoの年末の草試合の輝きが少し失われた。
カルロス・アルベルトCarlos Alberto、デコDeco、ロビーニョRobinhoは、サンパウロ州の海岸のマレーシアMaresiasで休暇を過ごしていたが、飛行中の視界の悪さが理由でヘリコプターはリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroに到達することが出来なかった。
彼らは主催者に電話をして、参加できないことを謝った。
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テレビで見ていて、
ちょっと有名選手が少ないと思っていたが、このような理由であった。
その日に、保養地からリオ・デ・ジャネイロに行こうなんて思っているとこういうことになる。
12月28日(木)のサンパウロ市はとくに雨も降らなかったが、
海岸の方は違ったようだ。
ブラジル・サッカー:オフ その34 ロナウドは、リオ・デ・ジャネイロの襲撃事件が怖かった。
ジーコZicoの息子のアルツール・コインブラ・ジュニオールArtur Coimbra Júniorは、12月28日(木)にリオ・デ・ジャネイロの西部のレクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos Bandeirantesにあるセントロ・ヂ・フチボル・ジーコCentro de Futebol Zicoで行われた「スターのサッカー"Jogos das Estrelas"」にロナウドRonaldoが現れなかった理由を明らかにした。
イベントの組織者によると、リオ・デ・ジャネイロの暴力がロナウドFenômenoを足踏みさせた。
「ロナウドRonaldoは電話してきて、リオ・デ・ジャネイロの暴力が怖いと言った。 彼は参加したいが、家族とそして母親といたがった。 彼はとても多くの人に驚いていた」と、アルツール・コインブラ・ジュニオールは言った。
木曜日は朝から、ロナウドRonaldoはマラカナMaracanã競技場で行われた彼の草試合に参加した。
ロナウドFenômenoは45分間プレイをして、それから「スターのサッカー"Jogo das Estrelas"」に行くことになっていた。
しかし、ロナウドはセントロ・フチボル・ジーコに行かないことに決めた。
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ロナウドが、やって来るという触れ込みだったのだが。
ミランのGKヂーダのように、プレイしなくてもやってきたのはいた。
第27回サンパウロ・ビエンナル その64 作品51。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
壁は、メタルのようであった。
スクリーンが2面あり、
水爆が爆発するような映像が流されていた。
なんだかよく分からない。
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ブラジル・サッカー:オフ その33 2010年は考えていないロナウド。
年末のお祭りとして、リオ・デ・ジャネイロで、ロナウドRonaldoは12月28日(木)の午後マラカナMaracanã競技場で行われた草試合に参加した。
グラウンドに入る前に、ロナウドFenômenoはブラジル代表seleção brasileiraでの彼の将来について語り、次のワールドカップCopa do Mundoにはプレイしない可能性を明らかにした。
「自分は短期で考えている。 ずっと先のことは考えていない。 2010年は考えていない。 喜びを感じる限りプレイを続けたいだけだ」と言った。
ロナウドRonaldoは、ブラジル代表に復帰するために、レアル・マドリで再出発する。
ドイツAlemanhaでのワールドカップに敗れて、ドゥンガDungaが監督になって以来代表から外れているロナウドRonaldoは、2007年は2006年とは全く違う物にしたいと期待している。
「自分の目標はいつもよい状態でいることだ。 ケガをせず、健康でいる。 今終わろうとしている年とは全く違う年になることを期待している。 より平穏な物である」と、見るからに痩せたロナウドは明言した。
マラカナMaracanãの試合は「ロナウドの草試合"Pelada do Ronaldo", 」と言っていたが、「アレックス・ヂアスの友達"Amigos de Alex Dias"」と「SBガブリエル"Amigos do lateral Gabriel" 」のチームの間での物であった。
ロナウドFenômenoは、父親のネリオNélioそしてレアル・マドリReal Madridの同僚のエーメルソンEmersonとともに、アレックス・ヂアスAlex Diasのチームでプレイした。
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このところ、以前とは違って全く話題を提供してくれないロナウド。
寂しいぞ。
それにしても、アレックス・ヂアスとエーメルソンは、ジーコの試合にも出場していたから、試合の梯子をしたことになる。
quinta-feira, 28 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その32 ジーコの「スターのサッカー」は8対4。
12月28日にリオ・デ・ジャネイロの西部のレクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos Bandeirantesのセントロ・ヂ・フチボル・ジーコCentro de Futebol Zico (CFZ)にやって来た人は遅れてきたナタルNatal(=クリスマス)のプレゼントを受け取って人生の幸せを関した。
「スターのサッカー"Jogo das Estrelas", 」を企画したジーコZico、ヴァグネル・ロヴィVágner Loveそしてオランダ人のシードルフSeedorfがこのお祭りの舞台を奪った。
約6トンの食糧が集まった。
試合では、ジーコとシードルフに指揮された赤チームが白チームを8対4で破った。
ジーコのチームは、シードルフが2ゴールを決めた。
ヴァグネル・ロヴィは3ゴールを決めた。
お祭りには多くの人が集まった。
プロのアモローゾAmoroso、ロジャーRoger、ファビアーノ・エラーFabiano Eller。
元選手ではジュニオールJúnior、アンドラーヂAndrade、ロベルト・ヂナミッチRoberto Dinamiteなど。
世界クラブ選手権で優勝したインテルナシオナウのアベル・ブラーガAbel Braga監督が、この場で、現在ヴァスコ・ダ・ガマの役員のヴァウヂール・エスピノザValdir Espinosaに祝福された。
「20061228JG-CFZ-Zico.wmv」をダウンロード
赤Vermelho 8 x 4 白Branco
場所: CFZ, レクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos Bandeirantes (リオ・デ・ジャネイロRJ)
主審: ヴァグネル・タデーリWagner Tadelli (RJ)
ゴール:
前半: 16分 シードルフSeedorf
19分 アモローゾAmoroso,
29分 レオナルド・リマLeonardo Moura,
32分 ヴァグネル・ロヴィVágner Love;
後半: 3分 アレックス・ヂアスAlex Dias,
8分 ヂーニョZinho,
12分 シードルフSeedorf,
17分 ジーニョZinho,
21分 ベベットBebeto,
26分 ヴァグネル・ロヴィVágner Love
30分 アモローゾ
31分 Vágner Love,
41分 マルセリーニョMarcelinho・カリオカ
赤チームVermelho
ゼ・カルロスZé Carlos, レオナルド・モウラLeonardo Moura, ジュニオール・バイアーノJúnior Baiano (ジャイミJaime), ゴンサウヴェスGonçalves, レオナウドLeonardo (ロジャーRoger) (ファビアーノFabinho);
ジュニオールJúnior (レニーLenny), エーメルソンEmerson (ジーニョZinho), シードルフSeedorf, ジーコZico;
チアゴ・コインブラThiago Coimbra (ベベットBebeto), アモローゾAmoroso.
監督Técnico: レナット・ツリンダーヂRenato Trindade
白チームBranco
アカシオAcácio (エーメルソンEmerson), ガブリエルGabriel, ファビアーノ・エラーFabiano Eller, マウロ・ガルヴォンMauro Galvão, ジュリオ・セーザルJúlio César (デラシールDelacir);
アヂーリオAdílio, アイルトンAílton, ヂァルミーニャDjalminha (マルセリーニョ・カリオカMarcelinho Carioca), ロベルト・ヂナミッチRoberto Dinamite (アンドラーヂAndrade);
ヴァグネル・ロヴィVágner Love, クラウヂオ・アドンCláudio Adão (アレックス・ヂアスAlex Dias).
監督Técnico: レナット・ガウーショRenato Gaúcho
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前半は割と真面目にやっていた。
ジーコが、かなり太っていた。
トルコでは楽をしているのか。
ブラジル・サッカー:オフ その31 ロマリオは、ヴァスコ・ダ・ガマに戻ると繰り返す。
リオ・デ・ジャネイロのレメLeme海岸での年末の伝統的な草試合の前に、ロマリオRomárioは12月27日(水)に2007年はヴァスコVasco・ダ・ガマのユニフォームを着ると繰り返した。
希望と現実の間にFIFAがある。
2006年に2つのクラブで戦ったロマリオのような場合、ロマリオは来年の半ばに他のクラブと契約することが出来るのである。
「自分は、1月6日にヴァスコ・ダ・ガマに集合する。 エウリコ・ミランダEurico Mirandaと話をした。 彼は、1年間に2つ以上のクラブと契約をする問題を解決するために自分の弁護士と話をする。 自分の夢は、マラカナMaracanãでヴァスコVasco・ダ・ガマのユニフォームを着て1000ゴールをすることである」と、ロマリオは明言した。
「草試合でも負けるのは嫌だ。 自分が入るのは勝つためだ。 大事なことは昔の子供を捨てないことだ。 ここでは自分は小さな時から常連だ。 草試合は身体を保持するのにいい」と、ロマリオは締めた。
1月29日で、41歳になる。
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2007年の前半は、ロマリオはFIFAの規則ではプレイできない可能性が高いということか。
問題だ。
しかし、ロマリオはこのところ草試合とは言え、連日試合をやっている。
恐るべき、40歳。
ブラジル・サッカー:オフ その30 GKジェアンがポンチ・プレッタと契約解除し、コリンチャンスと契約へ。
GKジェアンJeanがポンチ・プレッタPonte Pretaとの契約の解除に、12月27日(水)に署名した。
12月28日(木)には、コリンチャンスCorinthiansと来シーズンの契約に署名する。
ジェアンJean34歳は、コリンチャンスがブラジル選手権Campeonato Brasileiroの後にシルヴィオ・ルイスSilvio Luizとジョニー・エヘーラHerreraを失ったあとに、エーメルソン・レオンEmerson Leão監督よって指名されていた。
「このような過程を経て、サルヴァドールSalvadorからやって来た。 友好的に契約を解除できた。 今度はコリンチャンスCorinthiansとの契約に署名する」と、ジェアンは言った。
ジェアンは、2007年のシーズンへコリンチャンスにとって7番目の新戦力となる。
コリンチャンスはすでに、DFグスターヴォGustavo、ボランチのダニエリDaniel 、FWアルシArce、クリスティアンChristian、ジャイルソンJaílsonと契約をしている。
「全ての選手はコリンチャンスCorinthiansのユニオームを着るのを誇りにする。 自分もとても幸せだ。 2007年のタイトルをとるようにクラブに貢献することを希望している」
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GKジェアンがいたポンチ・プレッタは、2007年からはブラジル選手権の2部に降格して戦うことになった。
ジェアンは、ポンチ・プレッタでも一番給与の高い選手で、その給与を支払うことが出来ないので、契約解除が友好的に交渉できたのである。
ブラジル・サッカー:オフ その29 ジーコの「スターのサッカー」
「スターのサッカーJogo das Estrelas」の試合を見る人は、ジーコ・フチボル・クルビCFZに行くか、ジーコZicoのお祭りを20時30分からのテレビで見る理由がある。
肩の痛みを抱えたロナウドRonaldoが試合には参加しない。
しかし、イベントのVIPエリアにはいることを保証した。
「彼がプレイするのは難しい。 しかしジーコ・フチボル・クルビにやって来ることは確かだ。 ジーコとは抱き合うだろう」と、ロナウドの付き人は明言した。
イベントのオーガナイザーのジュニオール・コインブラJúnior Coimbraは、観衆は少なくとも3つの驚きを期待できるという。
しかし、ジダンZidane、マラドーナMaradona、マンクーソMancusoではなくて、世界の優秀女性プレイヤーでもない。
「我々はマルタMartaは招待していない。 フットサルのファルコンFalcãoは招待している。 彼の返事を待っているところだ」と、ジーコの一番年上の息子は言った。
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この試合は、今日12月28日20時30分からテレビで生中継される。
ジーコ・フチボル・クルビには、観客は僅かに2500人程度しかはいることが出来ない。
立ち見がほとんどだ。
第27回サンパウロ・ビエンナル その63 作品50。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
空間の中には、低いテーブルがあり、その上にはオブジェがある。
テーブルの脇には、加湿器があり、蒸気をあげていた。
空間の内側に、スクリーンがあり、映像が流されていた。
椅子もいくつか並べてあった。
空間の外側に白いがベガあり、
そこでも映像が流されていたし、
ただマイクスポットライトが当てられてもいた。
なんだかよく分からない。
ただ、ブラインドの内側に潜り込むと落ち着いたような。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
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画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
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2006サンパウロ自動車ショー その26 ボルボ。
2年に一度開催されるサンパウロ自動車ショーは、今年2006年は10月19日(木)から開催されていた。
すでに終了している。
ボルボも、ベンツと並んで、ブラジル人であれば、貧しくても子供のころからよく乗る車のブランドのひとつである。
ボルボは、ブラジルでは乗用車は生産していないはずだ。
トラックやバスのシャーシは、生産している。
子供のころから乗るのはバスである。
頑丈な造りは、道の悪いブラジルには向いているはずだが、
それほど人気がある車とは思えない。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その29。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
上層階は、広いだけではなく、天井も高かったので、大きな作品も多かった。
quarta-feira, 27 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その28 カルロス・アルベルトのチームが勝利。
ビラ・ヴェルミロVila Belmiroで行われたチャリティー試合で、カルロス・アルベルトCarlos Albertoの友達チームがロビーニョRobinhoのチームに5対4で勝利した。
「20061226sporTVnews-Romario.wmv」をダウンロード
ペダラーダの王ロビーニョ、ロマリオRomárioなどのスターが同じ試合でプレイした。
問題の多いカルロス・アルベルトCarlos Albertoは自分のチームで1ゴールを決めて、「レオンLeão」と叫ぶファンをおとなしくさせた。
サントスのジュニアでロビーニョの後継者になるであろうと考えられているネイマールNeymar14歳がデビューで輝いた。
彼は試合を決定するゴールを決めた。
試合は、お祭りの気分で戦われた。
ロビーニョRobinhoは、すべての曲芸を見せた。
2002年のブラジル選手権をサントスSantosでとった時を思い出すように、ロビーニョは元の同僚で今ヴェウデル・ブレーメンWerder Bremenにいて、ドイツ選手権Campeonato Alemãoの前半で最優秀選手になると考えられていたヂエゴDiegoと色々なプレイをした。
ロビーニョRobinhoは2ゴールを決めた。
ロマリオRomárioも1ゴールを決めて、同僚から祝福された。
しかし、試合を決めたのはネイマールNeymarだった。
ロマリオRomárioからパスを受けた後に、ドリブルで元コリンチャンスex-CorinthiansでクルゼイロCruzeiroのジルGilを抜いて、手堅くゴールを決めた。
全ての選手が遊びの雰囲気で親善に務めたわけではない。
コリンチャンスCorinthians、アツレチコ・ミネイロAtlético-MG、パルメイラスPalmeiras、ヴァスコVascoなどでプレイしてきたボランチのアマラルAmaralは、厳しくマークをした。
2007年の彼の行き先は、サントスSantosになるだろう。
お祭りは観客席も同様だった。
競技場に集まった17千人以上がロビーニョのチームを開けっぴろげに応援した。
ロビーニョのチームTIME DE ROBINHO 4 x 5 カルロス・アルベルトのチームTIME DE CARLOS ALBERTO
場所: Vila Belmiro, Santos (SP)
主審: Oscar Roberto Godoi
ゴール:
(前半)
マルセリーニョ・カリオカMarcelinho Carioca (CA), ヂエゴDiego (R), ロビーニョRobinho (R), ロマリオRomário (CA), デイヴィッヂDeivid (R), カルロス・アルベルトCarlos Alberto (CA) ロビーニョRobinho (R)
(後半)
カイオCaio (CA) ネイマールNeymar (CA)
ロビーニョのチームTIME DE ROBINHO
先発:
ヂエゴ・カヴァリエリDiego Cavalieri;
レオナウド・モウラLeonardo Moura, アンドレ・ルイスAndré Luís プレットPreto;
ファブリーニョFabinho, エラーノElano, ヂエゴDiego, デニウソンDenílson ファルコンFalcão;
デイヴィッヂDeivid ロビーニョRobinho.
TIME DE CARLOS ALBERTO
先発:
セルジオSérgio;
ガブリエルGabriel, アマラルAmaral, ロドルフォRodolfo ジョルヂーニョ・パウリスタJorginho Paulista;
エールデール・グランジャÉlder Granja, マルセリーニョ・カリオカMarcelinho Carioca, ヂジャルミーニャDjalminha カルロス・アルベルトCarlos Alberto;
ロマリオRomário ヴァルネル・ロヴィVagner Love.
ブラジル・サッカー:オフ その27 コリンチャンスのマリーニョ契約更新。
コリンチャンスの社長は、コリンチャンスCorinthiansの公式サイトでDFマリーニョMarinhoの契約をあと2シーズン、2008年の1月16日まで更新したことを発表した。
マリーニョMarinhoは12月はじめから契約の更新についてクラブと打ち合わせていた。
このところ、ポルトガルPortugalのスポルチンギSportingが関心を持っているというニュースがあった。
同じ発表で、コリンチャンスの役員はポルトガルPortugalのベンフィカBenficaから目を付けられているボランチのマルセロ・マットスMarcelo Mattosについていかなるオファーも受け取っていないと保証した。
マルセロ・マットスは2010年までコリンチャンスと契約があるが、MSIによって契約されており、MSIはマルセロ・マットスを交渉したがっている。
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とりあえず、DFの要のマリーニョは残留だ。
第27回サンパウロ・ビエンナル その62 作品49。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
※※リンクは、この記事にすること。
画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
このブログでは、念のため解像度を相当落としている。
より解像度の高い画像を望む場合は、個別に対応する。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その28。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
サンパウロ市内の各所で見ることが出来る作家の作品。
各所というのは、壁であって、落書きのような絵である。
おそらくブラジル北東部の海岸の光景と思われる映像を流していた作品。
基本的には、黒人系の男女が海岸でイチャイチャしているのを、望遠でずっと撮り続けていた物である。
この作品が、何故か印象深かった。
何か残る作品だった。
terça-feira, 26 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その26 ロマリオは1月5日か6日にヴァスコ・ダ・ガマに登場。
毎日ロマリオRomárioはよりヴァスコVasco・ダ・ガマに近づいている。
ロビーニョRobinhoとカルロス・アルベルトCarlos Albertoによって指揮されたサントスSantosでの草試合でプレイしたあとに、ロマリオBaixinhoはサン・ジャヌアリオSão Januárioには1月始めに行くことになると明言した。
「何も変わったことが起きなければ、1月5日か6日にサン・ジャヌアリオSão Januárioに集まる。 エウリコ・ミランダは自分の友達だ。 いつも接触している。 ただ契約に署名していないだけだ。 第一に、1000ゴールはヴァスコ・ダ・ガマである」と保証した。
ロマリオRomárioは第一の目的はヴァスコ・ダ・ガマが優勝することだと言った。
2番目が1000ゴール。
ロマリオは、彼の計算で987ゴールを決めている。
「リオ・デ・ジャネイロ州選手権を勝ち取り、そしてまた多分ブラジル杯Copa do Brasilも勝ち取る。 それに優勝すれば満足するだろう。 そのあとで辞めることを考える」と打ち明けた。
ロマリオBaixinhoにとって、リオ・デ・ジャネイロ州選手権は最後の時の最も感動的なことになるに違いない。
「やるからには、リオ・デ・ジャネイロ州選手権の技術レベルを高めたいと思っている。 ドドゥDodôやアレックス・ヂアスAlex Diasのような大選手がやってくる。 つまりリオ・デ・ジャネイロのファンはこの選手権を本物と思うのは間違いない。
一番勝つのがヴァスコ・ダ・ガマVascoになることを期待している」と締めた。
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ロマリオを見るために、リオ・デ・ジャネイロ州選手権のヴァスコ・ダ・ガマの試合に行きたくなってきた。
ブラジル・サッカー:オフ その25 ロマリオがあと半年で引退。
12月26日(火)に、サントスSantosのヴィラ・ベルミロVila Belmiro競技場で、ロビーニョRobinhoの友達チーム対カルロス・アルベルトCarlos Albertoの友達チームのチャリティー試合に参加した後に、ロマリオRomárioは2007年の前半6ヵ月にヴァスコ・ダ・ガマで戦い、その後にキャリアを終えることになると明言した。
「ブラジルBrasilでプレイするのに関して問題がなければ、現実的にヴァスコVascoである。 自分のキャリアをヴァスコVasco・ダ・ガマで追える。 6ヵ月の契約になるだろう」と、ロマリオは明言した。
40歳のロマリオは、1000ゴールを狙っている。
この火曜日には、ロマリオは彼のチームつまりカルロス・アルベルトCarlos Albertoのチームで1ゴールを決めた。
5対4であった。
しかし、このゴールは計算に入らないと保証した。
「ここはただの遊びである。 このゴールは計算しない」と、ロマリオは明言した。
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ロマリオのプレイがあと半年の訳がない。
まだまだ引退などあり得ない。
今日も、サントスの大豪雨の中で、90分プレイしていた。
テレビで生中継されていたのだが、円熟ぶりを見せていた。
ブラジル・サッカー:オフ その24 ロマリオはヴァスコ・ダ・ガマ。
12月26日(火)に、ロマリオRomárioは2007年はヴァスコVasco・ダ・ガマでプレイしたい希望を持っていることを再び明言した。
プロ通算1000ゴールまで13ゴールのロマリオは、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaとすでに話をしており、(ロマリオは1年間に2つのチームで戦っている)FIFAによって禁止されることがなければ、1985年に見いだされたクラブに戻ることになる。
「エウリコ・ミランダと電話で話した。 ヴァスコ・ダ・ガマの門は開いているという。 法的な問題がなければ、間違いなく自分はヴァスコVascoに戻る」と、ロマリオは言った。
サン・ジャヌアリオSão Januárioに戻るとすると、ロマリオRomárioは次のシーズンにとってヴァスコでの主要な戦力になる。
今のところ、ヴァスコは少ししか知られていない3人の選手と契約をしているだけだ。
(左SBエドゥアルドEduardo、MFエリアスElias、FWアレサンドロAlessandro)
「名前ではもう試合には勝てない。 サッカーは近年変わっている。 時々誰も思いもしなかった選手が試合を決める。 もしヴァスコ・ダ・ガマが重みのある良い選手と契約できるならばいい。 いいだろう。 しかしサッカーは名前ではない」と、ロマリオは締めた。
1月29日で、41歳になる。
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ロマリオ本人が、ヴァスコ・ダ・ガマに戻ると言っているのだが、こればかりは実際に現れてみないと分からない。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その27。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
この会場は、元々事務所として使われていたものを、この展示会のために急に改造を施したものである。
床などは、かつてのままになっているところが多くて、作品を十分に意図したようには見せてくれなかったところもあった。
会場は、2層になっていた。
上層へ上がるのは、スロープをつかう。
上層階は、2倍以上の広さで、刺激的な作品も多かった。
人によっては不快感を覚えるような作品や
未成年者には不適切ではないかと思われる作品もあった。
だが、何もそういった作品について規制されているものはなかった。
そういった作品も、今後そのまま紹介する。
第27回サンパウロ・ビエンナル その61 作品48。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
その下には小部屋があって、一体この作品全体といかなるつながりになるのか分からないものが展示してあった。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
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※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
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segunda-feira, 25 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その23 マルセロ・マットスはベンフィカに行きたい。
ボランチのマルセロ・マットスMarcelo MattosはコリンチャンスCorinthiansからポルトガルPortugalのベンフィカBenficaにとても変わりたい。
少なくとも選手自身がインタビューで認めている。
「ベンフィカBenficaでプレイしたい。もちろんだ。 欧州の大きなクラブでリガ・カンピオンLiga dos Campeõesを戦うのは夢だ。 アンデルソンAndersonとアルシーデスAlcidesが自分にベンフィカBenficaは大クラブだと言っていた。 可能性があるならば、確かなものにしたい。 考えることはない」と、マルセロ・マットスは告白した。
マルセロ・マットスMarcelo Mattosはブラジル北東部で休暇を過ごしている。 まだベンフィカBenficaからは公式に申し出はない。 交渉は今週に行われることになるはずだ。 マルセロ・マットスの契約は2010年までだが、MSIはすぐにも彼を交渉したがっている。
「ベンフィカBenficaにはブラジル人の選手が沢山いる。 とけ込むのにはとても良い。 もしいなければ出来るだけ早く適応するようにしなくてはならない」と、マルセロ・マットスは明言した。
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マルセロ・マットスも、欧州行きか。
ブラジル・サッカー:オフ その22 ロビーニョのチームの素晴らしいメンバー。
12月26日(火)16時から、サントスSantosのヴィラ・ベルミロVila Belmiro競技場で行われる今年の「連帯のサッカーFutebol Solidário」に出場するメンバーが固まった。
ロビーニョRobinhoの友達チームでは、先発も控えも入れて、GKセルジオSérgio、SBイルシーニョIlsinho、DFアレックスAlex、マルコ・アウレリオMarco Aurélio、ヂネルソンDinelson、セルシーニョCelsinho、ファルコンFalcão(フットサル・ブラジル代表Seleção Brasileira de futsal)。
更に彼らの友達のヂエゴDiego、レナットRenato、エラーノElano、アンドレ・ルイスAndré Luis、バイアーノBaiano、プレットPreto、ウィリアムWilliam。
対するカルロス・アルベルトCarlos Albertoの友達のチームにも多くのスターがいる。
ロマリオRomárioも確約している。
バルセロナBarcelonaのデコDeco、ヴァグネル・ロヴィVagner Love、デニウソンDenílson、マルコス・アスンソンMarcos Assunção、ジョーJô、デイヴィヂDeivid、アマラルAmaral。
更にブラジルからは、ヂエゴ・カヴァリエリDiego Cavalieri、ガブリエルGabriel、レオ・モウラLeo Moura、コエーリョCoelho、ヴィトール・ウーゴVitor Hugo、レオ・リマLeo Lima、フェルナンドFernando、マルセリーニョ・カリオカMarcelinho Cariocaが招待されている。
カルロス・アルベルトCarlos Albertoと共にイベントを組織したロビーニョRobinhoは、サンパウロSão Pauloに到着しており、2006年の疲れをいやしている。
「今年は、ワールドカップCopa do Mundoのこともあってそれほどよくもなかった。 我々の大きな目標は間違いなくワールドカップである。 自分は他の試合ではなくて、6回目の優勝をしたい」と、レアルマドリReal Madridの名選手ロビーニョは言った。
レアル・マドリでの2年目について、元サントスのロビーニョは適応したと明らかにした。
「少し自分に合ってきた。 欧州は難しい。 プレイするべきところで出来ないと思うことがあるでしょう」と、ロビーニョは締めた。
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サントスまで、山を下りて、見に行きたい気分だ。
ブラジル・サッカー:オフ その21 ニウマールへの債務の支払い。
コリンチャンスCorinthiansは座ってニウマールNilmarと、ニウマールへの債務の支払いについて、交渉する。
ニウマールの代理人のオルランド・ダ・オーラOrlando da Horaによると、債務の金額は340万レアル(=約2億円)である。
「債務はコリンチャンスCorinthiansではなくてMSIのものである。 ニウマールと合意した時に支払われていなかった」と、コリンチャンスCorinthiansとMSIの投資家を仲介しているレナト・ドゥプラチRenato Dupratは言った。
裁判所はニウマールNilmarは2007年12月までコリンチャンスCorinthiansと契約があると決定した。
オルランド・ダ・オーラはニウマールは1月3日に集合して、プレ・シーズンの合宿をし、プレイすると約束した。
しかし、コリンチャンスTimãoはリヨンLyonに8百万ユーロを支払っていないことで、まだFIFAから処罰される恐れがある。
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終わりのないニウマールの話だ。
コリンチャンスというのは、シーズンオフでも話題の尽きない唯一のクラブである。
それも、よくないニュースばかり。
ブラジル・サッカー:オフ その20 エヂムンドも元気。
12月23日(土)に、リオ・デ・ジャネイロの西部のバッハ・ダ・チジュカBarra da Tijucaで行われたフチボレイのイベントで、FWエヂムンドEdmundoは、少なくとも契約が切れる2007年の12月まではパルメイラスPalmeirasを出て行かないと保証した。
さらに、2007年も選手の広報を続けると約束した。
「自分がパルメイラスPalmeirasを出て行くような機会はない。 すでに新監督のカイオ・ジュニオールCaio Júniorとも話をした。 もし不正義だと自分が感じたら、いつもやってきたようにグループで戦う。 誰がチームの前面に立つかこととは別に。」と、エヂムンドAnimalは語った。
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2006年は、パルメイラスに入団した後、割とおとなしくなって、大人の発言を続けている。
カルナバルに参加しなかったなど、行動も大人になった。
エーメルソン・レオン監督とはうまくいっていた。
チチ監督とは危うい時もあったが、修復した。
ブラジル選手権での通算得点が、ジーコを抜いて、ペレそしてロマリオについで3位になった。
ブラジル選手権の終盤でケガをして、最後の2-3試合は出場しなかった。
若い選手のリーダーとして、そのつとめを果たしているし、2007年も果たすようだ。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その26。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
黒い円形の台の上に、
透明の立方体の箱がある。
その真ん中に、半透明のスクリーンがあり、
後ろから映像がプロジェクターによって映し出されている。
映し出されている映像は「闘鶏」である。
鶏が激しくぶつかる羽音がずっと出ている。
四角の箱の中そして黒い台の上にも、
白い鶏の羽根が散らばっている。
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実は、ブラジルでは「闘鶏」はかなり盛んに行われているギャンブルである。
もちろん非合法である。
非合法だから、田舎の別荘などに闘鶏場を作ってこっそりと集まって行う。
摘発されているニュースが一年に何回か流れるのだが、
地方のボスや小金持ちが逮捕されている。
ブラジル・サッカー:オフ その19 ロマリオはまだヴァスコ・ダ・ガマの選手ではない。
公式には、ロマリオRomárioはまだヴァスコ・ダ・ガマの選手ではない。
しかし、そうであるかのようにもう話している。
12月24日(土)午後ヴァスコ・バッハVasco-Barraで行われた、ロマリオBaixinhoが企画している独身対既婚の伝統的な草試合で、ロマリオは、パウロ・アンジオーニPaulo Angioniがサッカー担当役員になって、ヴァウヂール・スピノザValdir Espinosaがコーディネーターになったことについてコメントした。
ロマリオは興奮しているようだった。
色々なところで働いてきて、ヴァスコに多くのことをやってくれるプロである。 彼らがやってくるのを期待している。
2006年よりもっとヴァスコは強くなるだろう。 タイトルを争えるくらいに」と、ロマリオは言った。
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ロマリオの主催する独身者対既婚者の試合は、毎年末に行われている恒例の物だ。
パウロ・アンジオーニは、この2年間はMSIの役員として、コリンチャンスとの交渉を行ったりしていた。
7-8月頃に、MSIを止めていた。
ヴァウヂール・スピノザは、2006年はフルミネンシの監督とサンタ・クルーズの監督をしていた。
どちらも短い間であった。
これらの小姑そしてエウリコ・ミランダ監督更にロマリオに囲まれることになるレナット・ガウーショ監督の心境はどうなのか。
ブラジル・サッカー:オフ その18 マルセロ・マットスの行方。
コリンチャンスCorinthiansのボランチvolanteのマルセロ・マットスMarcelo Mattosの将来は、12月26日か27日決定するだろう。
休暇をブラジルの北東部で過ごしているマルセロ・マットスは、代理人のジウリアーノ・ベルトルッチGiuliano Bertolucciと自分の将来について話し合うために26日にサンパウロSão Pauloに戻ってくる。
マルセロ・マットスMarcelo MattosはコリンチャンスTimãoとは2010年まで畏敬役をしているが、MSIによって契約された物だ。
キア・ジョオラビシアンKia Joorabchianの会社MSIは全てのMSIの選手をコリンチャンスから出したがっている。
ポルトガルPortugalのベンフィカBenficaはマルセロ・マットスとの契約に関心がある。
マルセロ・マットスMarcelo Mattosの他に、MSIと契約している選手のなかでロジャーRogerとグスタヴォ・ネリーGustavo Neryがコリンチャンスに残っている。
DFセバSebáは2月はじめまでの契約があるが、すでにコリンチャンスからは自由になっている。
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MSIとコリンチャンスの契約から、ほぼ2年が過ぎた。
蜜月だったのは、1年足らず。
契約はまだあと8年間もあるのだが。
第27回サンパウロ・ビエンナル その60 作品47。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
映像は、文字が書かれた6面体を並べていって、単語を作っては壊していた。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
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画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
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domingo, 24 de dezembro de 2006
2006サンパウロ自動車ショー その22 本田。
2年に一度開催されるサンパウロ自動車ショーは、今年2006年は10月19日(木)から開催されていた。
すでに終了している。
本田は、ブラジルでは30年以上に渡って2輪車を生産している。
アイルトン・セナのこともあって、本田の知名度は高かった。
そして、1990年代はじめから4輪車もサンパウロ州で生産している。
FitとCivicを生産している。
そのほかにアコードやCR-Vを輸入して販売している。
本田のブースで展示してあるのも、こういったラインナップである。
2007年モデルからは、ブラジルでは一般的になっている、ビ・コンブスチーベル(ガソリンでもアルコールでも燃料として使える車)を遅ればせながら発売することになっているので、そのエンジンを搭載したFitとCivicを展示していた。
すでに、VW、Fiat,GM,Fordなどはこのビ・コンブスチーベルを発売しているのであるが、本田はなぜか開発を」秘密」扱いにしていた。
事実は、誰でも知っていたのである。
この自動車ショーの直前に、プレスリリースをうやうやしくやっていた。
プレスリリースでは、いろんなお土産を配っていた。
前回は、2輪は全く別のブースであったのだが、今回は本田として一つにまとめてあった。
大型のバイクは、このところブラジルで売れ行きが急上昇している。
その大型を中心に展示されていた。
そして、目玉はASIMO。
20分に一度くらいASIMOの短いショーをやっていた。
大げさな音楽(リヒャルト・シュトラウスのツァラトゥストラだったはずが)と共にASIMOが現れる。
司会者と握手。
この司会者は、打ち合わせどおりきちんとやっていた。
ロボット相手に上手だった。
ブラジルなので、サッカーボールも1回だけ蹴って見せた。
ASIMOを今まで日本でも見たことがなかったので、
最新のASIMOにはかなり期待をしていたのだが、
思ったより感激しなかった。
凄い技術なのだろうが、
その凄さがステージからは見えてこなかった。
2足歩行するところが、ポイントなのだろうが、
ステージ上の決まったポイントを動くだけで、自由な判断をしている動きには見えなかったところが、期待はずれだったところだ。
ブラジル・サッカー:オフ その17 コリンチャンスの若手にオファー。
コリンチャンスCorinthiansで見いだされて、2006年のブラジル選手権Campeonato Brasileiroではサン・カエターノSão CaetanoにレンタルされていたMFエルトンEltonに、スポルチ・レシフェSport Recifeが触手。
しかしながら、コリンチャンスTimãoは、来期のエーメルソン・レオン監督の計画に入っているエルトンを離さない。
エーメルソン・レオンEmerson Leão監督には、カルロス・アルベルトCarlos Alberto、レナットRenato、ラモンRamonが出て行った後で、このポジションに多くのオプションがない。
コリンチャンスCorinthiansは、毎日多くのオファーを受け取っている。
特に、サンパウロ州のセリエA-1,A-2,A-3を戦うことになるサンパウロ州内陸部のチームから、コリンチャンスTimãoの若手に集中している。
サンパウロ州選手権の2部Segunda Divisãoを戦うリベイロン・プレットRibeirão PretoのボタフォゴBotafogoは、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最後にエーメルソン・レオンEmerson Leão監督によって価値を上げられた若手に関心がある。
右SBファグネルFágner、MFウィリアムWillian、FWダニエルDaniel.である。
ダニエルDanielのポジションについてはコリンチャンスは来年に向けてすでに3人のFWと契約をした。
ファグネルFágner17歳は1月は南米選手権Campeonato Sul-AmericanoのU-20をパラグアイParaguaiで戦うので、かなり価値は上がる。
ファグネルは、コリンチャンスではエドゥアルド・ラチーニョEduardo RatinhoとエヂソンEdsonとポジションを争う。
同じポジションのコエーリョCoelhoはアツレチコ・ミネイロAtlético-MGへレンタルされる。
ウィリアムWillianはレナットRenato、ラモンRamon、カルロス・アルベルトCarlos Albertoのような選手がいなくなったポジションでプレイする。
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身長156センチのちびっ子選手エルトン20歳が、復帰することになっているコリンチャンスでプレイするのをまた見たい。
身体には全く恵まれないが、スピードはあるし、パスも正確で、ゲームを組み立てる力を十分持っている。
サン・カエターノでも孤軍奮闘していた。
かなりの試合に出場して経験を積んだので成長しているはずだ。
コリンチャンスは、一軍レギュラー前の若手を色々なチームにレンタルして、試合経験を積ませて成長させている。
ブラジル・サッカー:オフ その16 マリーニョはスポールチンギか。
コリンチャンスCorinthiansはDFマリーニョMarinhoを失うかも知れない。
行き先は、ポルトガルPortugalのスポールチンギSportingである。
マリーニョは、コリンチャンスTimãoとの契約は2007年1月16日までしかないが、まだ更新していない。
スポールチンギはマリーニョとサントスSantosのマンスールManzurに打診をしている。
交渉は、講習の移籍市場が再開する1月に行われるに違いない。
マリーニョMarinhoは、2006年はコリンチャンスTimãoの控えとして始まった。
しかしエーメルソン・レオンEmerson Leãoが監督として来てからはコリンチャンスの守りのリーダーになった。
マリーニョの契約の更新はエーメルソン・レオン監督自身の要請による。
ブラジル選手権での働きをとても賞賛していた。
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マリーニョは、2005年にコリンチャンスにやってきた。
2005年も守りの最終ラインとして、大活躍していた。
しかし、ケガをしたということで、2006年の半分は控えでほとんど出場機会がなかった。
本人は、その当時の監督が使ってくれなかったと言っていた。
器用に動き、球を力一杯蹴り出すのは得意だが、
中盤につなぐのは、極めて不得意。
もたついてしまう。
一昨年には、母親が誘拐された。
年齢は30歳。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その25。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
白いすだれのような物に、銀箔の文様が貼り付けられていた作品。
窓に映った外の景色を見せている映像作品。
スクリーンに映った景色は、最初は普通なのだが、
次第に、8面のガラスに映った景色が変化して、バラバラになっていく。
面白かった。
ブラジル・サッカー:オフ その15 マルセロ・マットスがベンチかと交渉中。
ボランチvolanteのマルセロ・マットスMarcelo Mattosが、ポルトガルPortugalのベンフィカBenficaと合意して、コリンチャンスCorinthiansを出て行くかも知れない。
ベンフィカBenficaとマルセロ・マットスの代理人ジウリアーノ・ベルトルッチGiuliano Bertolucciとの最初の接触はすでに行われたという報道がある。
マルセロマットスMarcelo Mattosは、2010年の末までコリンチャンスCorinthiansと契約がある。 しかし、MSIによる強化選手の1人である。
ジウリアーノ・ベルトルッチGiuliano BertolucciはMSI社長のキア・ジョオラビシアンKia Joorabchianと強い関係がある。
多くの場合、ジウリアーノ・ベルトルッチはキア・ジョオラビシアンのコンサルタントのように動いてきた。
ジウリアーノ・ベルトルッチGiuliano BertolucciはまたベンフィカBenficaと強いつながりがある。
彼はベンフィカの選手ではルイゾンLuisãoとアウシデスAlcidesをみている。
マルセロ・マットスMarcelo Mattosは2005年はブラジル選手権後のベストメンバーに選出された。
2006年はコリンチャンスの最悪の状態にもかかわらず、優秀ボランチの1人になった。
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マルセロ・マットスは、コリンチャンスにとっては、いなくてはならない選手だ。
ブラジル代表としてもいつ招集されてもおかしくない選手だ。
ベンフィカが最善とは思わないが、年齢的にも欧州行きは近い将来の選択の一つである。
第27回サンパウロ・ビエンナル その59 作品46。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
ごちゃごちゃとしているが、骨で構成された作品だ。
趣味が悪い。
アルゼンチンの地図が描かれた刺繍の作品。
ご丁寧に、アルゼンチンが領土権を主張している南極領も入っている。
同様の物が、いくつかあった。
針金の長さや結び方に工夫があって、できあがりが異なっていた。
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※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
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sábado, 23 de dezembro de 2006
2006サンパウロ自動車ショー その21 TOYOTA 2。
2年に一度開催されるサンパウロ自動車ショーは、今年2006年は10月19日(木)から開催されていた。
すでに終了している。
TOYOTAのブースの目玉といっても良いのは、実は車ではなかった。
TOYOTAはリベルタドーレス杯南米選手権のスポンサーでもある。
南米のサッカークラブにとっては、リベルタドーレス杯南米選手権に出場し、優勝することは最大の目標である。
リベルタドーレス杯南米選手権に優勝すると、世界クラブ選手権に出場することになる。
過去の優勝チームのユニフォームだ。
もちろんサンパウロFCのユニフォームと、2006年の優勝チームのインテルナシオナルのユニフォームが並べてあった。
みんな真剣に見ていた。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その24。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
真っ暗な部屋の中央に、小さな箱が置かれていた。
箱だけにスポットライトが当てられていた。
中に入っている物は、全て鏡を小さく割って貼り付けた物である。
スポットライトの光は、それらに反射して、暗い部屋の壁に小さな光のシミをつくっていた。
第27回サンパウロ・ビエンナル その58 作品45。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
とにかく長い棚の上に、いろいろな物が飾ってあった。
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ブラジル・サッカー:オフ その14 クルゼイロのジョニルソンがベガルタ仙台へ。
12月22日(金)の朝、クルゼイロCruzeiroの社長は、ボランチのジョニルソンJonílsonが2007年は日本Japãoの2部のチームであるベガルタ仙台Vegalta Sendaiへ移籍すると発表した。
クルゼイロは、ジョニルソンの権利を持っているレオ・ラベロLéo Rabelloから、権利の50%つまり40万ドルを受け取る。
ジョニルソンJonílson28歳は、当時の監督パウロ・セザール・グスマンPaulo César Gusmãoの指名で、今年ボタフォゴBotafogoからクルゼイロCruzeiroへやって来た。
2人は、ボタフォゴで一緒だったことがあった。
クルゼイロCruzeiroでは期待された働きをしなかった。
特に、オズワルド・ヂ・オリヴェイラOswaldo de Oliveira監督の時には先発になるのは僅かだった。
クルゼイロのユニフォームを着たのは、僅か30試合だった。
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新監督就任が決まっているパウロ・アウツオーリも要らないと、日本から指示してきたのだろうか。
ブラジル・サッカー:オフ その13 ドドゥがボタフォゴに復帰。
FWドドゥDodô32歳がボタフォゴBotafogoに復帰することが公式になった。
12月22日(金)に交渉が固まった。
契約は2007年末までで、もう1シーズンの延長オプションがある。
ドドゥDodôのボタフォゴBotafogoとの前の契約とは違っているのは、今回は契約の期間中に海外のクラブへの移籍の可能性についての条項がないことである。
2006年には、この条項を使って、ブラジル選手権の途中で出ていった。
ドドゥとアラブ首長国連邦のアル・アインAl-Ainとの契約は、2007年1月31日に終了する。
しかし、アラブのシーズンの最後の試合の1日後の1月17日にも、ブラジルBrasilに戻ってくる可能性がある。
「契約を実現できることがファンの願いだった。 良い知らせが届いて嬉しい」と、ベベト・ヂ・フレイタスBebeto de Freitas社長は明言した。
ドドゥDodôは、そのキャリアをサンパウロのナシオナウNacional (SP) で始めた、サンパウロFCで見いだされる前にフルミネンシFluminenseで短い間過ごした。パラナParanáとサントスSantosでプレイした後に、2001年にボタフォゴBotafogoにやって来た。 翌年多くのゴールを決め、良いプレイをして、ボタフォゴにアイドルになった。しかしすぐに荷物をまとめてパルメイラスPalmeirasに行った。
パルメイラスVerdãoから、ドドゥはアジアのサッカーに行った。
蔚山現代Ulsan Hyundaiと大分トリニータOita Trinitaのユニフォームを着た。
2005年にゴイアスGoiásでブラジルに戻った後、またボタフォゴBotafogoにやって来た。
ことし、ドドゥDodôはリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaで、9ゴールをあげて、2番目の得点をあげて、輝いた。
そして、アラブ首長国連邦Emirados Árabesのアル・アインAl-Ainに行く時には、ブラジル選手権で9ゴールをあげて得点王になっていた。
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ドドゥ31歳。
ボタフォゴで落ち着くことが出来るだろうか。
ブラジル・サッカー:オフ その12 ロマリオが1000ゴールについて語る。
リオ・デ・ジャネイロのゴヴェルナドール島Ilha do Governadorにあるジャルヂン・グァアナバラヨットクラブIate Clube Jardim Guanabaraで、アーチストと、選手と元選手による伝統の草試合が、12月22日(金)に行われた。
ロマリオRomárioはもう一度ヴァスコ・ダ・ガマの選手として活動すると明らかにした。
ロマリオBaixinhoは、豪州Austráliaから戻ったあとに、望みはマラカナMaracanã競技場で1000ゴール目を決めることと明言していた。
これは、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaの望みと同じだ。
エウリコ・ミランダ社長は1000ゴールのお祭りは最大のライバルのフラメンゴFlamengo戦を望んでいるが、ロマリオBaixinhoは1000ゴール目はマラカナMaracanã競技場であれば、相手はリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの伝統的な敵であればどこでもよいとしている。
「マラカナMaracanã競技場で1000ゴール目を決めるのが夢である。 最も重要なことは、リオ・デ・ジャネイロの大きなチームとの対戦であることである。 ボタフォゴBotafogo、フラメンゴFlamengoもしくはフルミネンシFluminenseであれば問題はない」と、ロマリオBaixinhoは言った。
いつサン・ジャヌアリオSão Januárioに戻るのか、エウリコ・ミランダ社長と話をしたと明らかにした。
ヴァスコ・ダ・ガマがプレ・シーズンを過ごすことになるレゼンヂResendeの軍学校Academia Militar das Agulhas Negras (Aman),を訪問した時に、エウリコ・ミランダ社長はロマリオRomárioは1000ゴールまで2-3ゴールになった時に戻ると明言した。 しかし、ロマリオが望むならば、ヴァスコ・ダ・ガマでもっとプレイすることは出来る。
「木曜日にちょっとだけ話をした。来週会うことになる。 もっと話し合うことになる。 自分の望みは出来るだけ全ての試合でプレイすることである。 しかし社長が言うことは、決定するところをみたいと言うことである」と、ロマリオRomárioはコメントした。
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ロマリオの試合を見る機会があるリオ・デ・ジャネイロの人が羨ましい。
sexta-feira, 22 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その11 ただロマリオの1000ゴールのため。
ロマリオは、2007年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaでのヴァスコ・ダ・ガマの試合の全てには出場しない。12月20日(水)にエウリコ・ミランダEurico Miranda社長が理解させたように。
その一日あとに、ヴァスコ・ダ・ガマがプレ・シーズンの合宿を行うレゼンヂResendeの軍学校Academia Militar das Agulhas Negras (AMAN), を訪れた時に、エウリコ・ミランダ社長はロマリオRomárioは 生涯100ゴールまで1-2ゴールまでプレイする。
ロマリオBaixinhoの計算では、1000ゴールまで残り13ゴールである。
「ロマリオRomárioはレゼンヂResendeにやってくる。 彼は毎日トレーニングも、試合もする必要はない。 ヴァスコ・ダ・ガマではロマリオRomárioは1000ゴールをするためにプレイする。 自分はフラメンゴ戦でそうなることを期待している。 残り1-2ゴールになったときに、ロマリオは1000ゴールをするためにフラメンゴ戦にいると、エウリコ・ミランダは説明した。
ロマリオBaixinhoが1000ゴールを決めるのを手伝うために、いくつものとの親善試合を行うとも言った。
丁度2006年の初めにやったように。
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エウリコ・ミランダ社長の、ロマリオ狂いも相当だ。
ロマリオのための、ヴァスコ・ダ・ガマである。
とても、リオ・デ・ジャネイロ州選手権での優勝を目指しているとは思えない。
ロマリオがいるのといないのでは、チームの組み立ても全く違ってくる。
レナット・ガウーショ監督も大変だろう。
新・ブラジル・サンパウロは「夏」 その1
ブラジルは、12月21日(木)22時22分(ブラジル・ブラジリア時間、サンパウロも同じ)から、公式には「夏」になった。
国立気象研究所Inmet (Instituto Nacional de Meteorologia).の発表によると、この夏は平年よりも暑く、雨が多くなるだろうと言うことである。
サンパウロ州Estado de São Pauloでは、特にサンパウロと海岸では、毎日暑く、午後にはにわか雨になるに違いないということである。
12月から2月までの平均では、サンパウロは月に540ミリから800ミリの雨が降り、最高気温と最低気温の平均はそれぞれ、27.5度と18.2度という。
11月については、国立気象研究所の統計では、とても雨が多かった。
過去の平均は151.9ミリであるのに対し、11月の総雨量は230.7ミリであった。
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12月21日は、サンパウロはほぼ日中は曇りであった。
夜になって、雨がしとしとと降っていた。
12月22日(金)も明け方過ぎまで雨が残っていた。
午前中もずっと曇っている。
蒸し暑い。
ブラジル・サンパウロの「巨大広告」 その7 プレイボーイ12月号。
ブラジル・サンパウロの町に溢れている屋外広告を規制する条例が施行されない。
どういう訳か、市長が延期している。
広告業者だけではなく、商業関係者からの圧力があるのだろう。
だから減るどころが、12月という年間を通じて最大のかき入れ時だけに広告は増える一方だ。
そういった中で、また2週間ほど前から、目の保養になる広告が、市内に掲示された。
「パパイ・ノエル(=サンタクロース)は、彼女の存在を信じないだろう」とのコピーが付いている。
率直なところ、それほどの女性でもないと思うが。
あまり若くもなさそうだし。
彼女だけだと、買う気にはなれないけど。
しかし、やはりこういう広告は事故の元になりそうだ。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その23。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
男性が手にしているプロペラ状の物の実物が、写真の脇に置いてあった。
裸の女性は、残念ながら立っていなかった。
女性が、綿を撚ったものを大量に抱えた写真。
バックが綿花畑でもないところがよく分からない。
すだれのように小部屋の入り口にチェーンが下りていた。
奥には同じくチェーンでつくられたハンモックがかかっていた。
困った作品もなかったわけではない。
第27回サンパウロ・ビエンナル その57 撤収。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
会場のビエンナル館での撤収作業は、12月18日(月)から急ピッチで進んでいる。
搬出口では、海上コンテナーがつけられて、作品がどんどんと詰め込まれている。
あの大きな回る作品は、2つに割られた。
それでも、普通のコンテナーには入らないようだ。
展示されていた場所にあったカーペットもすでにはがされていた。
屋外展示の柱も、無惨なことになった。
天井にその痕跡を残している。
カップのようなものは、まだそのままになっている。
周囲にあった椅子はもう無い。
鉄骨とドラム缶でつくられていたオブジェは、移動していた。
ごちゃごちゃと飾られていたものは、取り外されていた。
段ボールの壁の中にあった展示物が一個一個丁寧に梱包されていた。
外壁に吊してあった「無用階段」も、いつの間にか屋内に取り込まれてあった。
「祭り」が終わったあとは、やはり何か寂しい。
サッカー:ニウマールのゆくえ。 その15 来期もコリンチャンスでプレイ決定。
多くの見所があったあと、ニウマールNilmarは来シーズンもコリンチャンスCorinthiansに留まる。
ニウマールは、1月3日にシーズン前の合宿のために再集合し、1月17日に行われるサンパウロ州選手権Campeonato Paulista第1節の対ポンチ・プレッタPonte Preta戦ではグラウンドに出るだろう。
しかしながら、ニウマールは340万レアル(=1.9億円)を受け取ることを諦めることはない。
ニウマールNilmarは座って、話し合い、この債権を受け取りたいとしている。
「女性判事のマリア・クリスチーナ・フィスキMaria Cristina Fischが契約があると決定した、でしょ。 それで、ニウマールNilmarは再集合して、トレーニングをして、エーメルソン・レオン監督が望むならばプレイする。 何もおかしなことはない、それはコリンチャンスCorinthiansが支払わなくてはならない義務を知っているからだ」と、ニウマールの代理人のオルランド・ダ・オーラOrlando da Horaは言った。
オルランド・ダ・オーラはニウマールNilmarとブレーノ・タンヌリBreno Tannuri弁護士と12月20日(火)に会議をして、2007年12月28日までコリンチャンスCorinthiansとの契約があるということを認めた女性判事の決定に対し控訴しないことを決めた。
債権の支払いについての合意がなければ、法的な手段を取る。
先週、ニウマールはコリンチャンスTimãoにいて傷ついて、コリンチャンスにいたくないといった。
しかし、裁判に敗れて、コリンチャンスに残るかリヨンに戻るかという2つの可能性があった。
リヨンLyonは、8百万ユーロを支払うか、ニウマールを戻すようにFIFAに訴えていた。
ニウマールNilmarとの契約を取り消したにもかかわらずだ。
リヨンLyonに戻ると、ニウマールはあと2年半リヨンにいることになる。
コリンチャンスCorinthiansであれば、2007年12月末に出て行くことが出来る。
更に、6ヵ月でどこのクラブとも仮契約を結ぶことが出来る。
つまり、コリンチャンスにいる方がメリットがある。
「コリンチャンスCorinthiansはFIFAでは悪いことになると思っている。 リヨンLyonはお金を回収するかニウマールを戻すだろう。 ここの女性判事がニウマールNilmarはコリンチャンスCorinthiansのものだと決めたのでニウマールはリヨンには戻らない。 高い罰金はコリンチャンスに行くことになる」と、オルランド・ダ・オーラは言った。
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ブラジルの中では、ニウマールはコリンチャンスのものになった。
しかし、こんな結論で、ニウマールは来年1年間コリンチャンスでしっかりプレイする気になるのだろうか。
7月になれば、もうどこかのチームを仮契約をすることになるだろう。
それまでは、いいところを見せるのだろうか。
ブラジル・サッカー:オフ その10 パルメイラスはエニウトンの大宮行きを認めた。
FWエニウトンEníltonはパルメイラスPalmeirasをでる。
12月21日水曜日にエニウトンの代理人のアンドレ・クリーAndré Curyとパルメイラスの副社長のジョゼ・シリロJosé Cyrilloの間で行われた会議において、パルメイラスは2007年末までエニウトンを大宮アジーダOmiya Ajidaにレンタルすることを決めた。
パルメイラスVerdãoは1月31日までのエニウトンの給与を支払い、そのあとは日本のクラブが支払うことになる。
レンタル終了後はエニウトンEníltonはパルメイラスPalmeirasに戻る。
エニウトンがパルメイラスをでることになると、別の選手がやってくるだろう。
この水曜日に、パルメイラスは今年のブラジル選手権Campeonato BrasileiroではグレミオGrêmioでプレイしていたロームロRômuloに関心があることを明らかにした。
パルメイラスは、イツアーノItuanoと2010年4月29日までの契約があり、これ以上レンタルを望んでいない選手からの反応を待っている。
パルメイラスの他に、グレミオGrêmioとクルゼイロCruzeiroが来シーズンの契約を交渉している。
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エニウトンは、パルメイラスでは良い働きをしていた。
鋭いつっこみをしてくる選手である。
なかなかボールを諦めない選手だった。
日本でも同じように動くだろうか。
ブラジル・サッカー:オフ その9 ロマリオも出場。
ロマリオRomárioは、FWロビーニョRobinhoとMFカルロス・アルベルトCarlos Albertoによって組織され、ヴィラ・ベルミロVila Belmiroで行われるる、サントス周辺Baixada Santista地区のまずしい子供を助けるための「連帯のサッカーFutebol Solidário」に参加することを明言した。
キックオフは、12月26日16時である。
ロマリオBaixinhoは、1ゴールしか決めることの出来なかった豪州Austráliaのアデレード・ユナイテッドAdelaide Unitedでの4試合から戻ってきている。
引き続き、1000ゴールを目指している。
ロマリオBaixinhoの他には、元サントスのヂエゴDiego、レナットRenato、エラーノElano、アンドレ・ルイスAndré Luís、更にデコDeco(バルセロナBarelona)、ヴァグネル・ロヴィVagner Love(CSKA Moscou、デイヴィヂDeivid(Sporting)、マルセリーニョ・カリオカMarcelinho Cariocaなどの名選手がこの草試合に出場する。
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ちなみに、ロマリオがジーコの主催する試合に出場することはまずあり得ない。
仲が悪いからだ。
quinta-feira, 21 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの暑くなるとでてくる人。
ブラジル・サンパウロは、このところ暑い。
最低気温も20度を割らない。
サンパウロは、標高700-800メートルの高原に位置しているので、
南回帰線上の都市とはいえ、
夜になると気温がグーンと下がる。
夏でも、エアコンは、寝る時には全く必要ない。
その分、冬は寒い。
路上生活者には、凍死者も出るくらいである。
このところ、11時前だというのに、太陽がほぼ真上から照りつけるから、気温は30度近くなる。
所持品を全て着込むか、持って移動する路上生活者にとってはつらい時期である。
セントロの西の端、レパブリカ広場の更に西側のマルケス・ヂ・イツー通りは額縁屋や画材店が軒を並べている通りである。
セントロから拙宅へ向かう時には、時々使う道である。
そこを、1人の路上生活者が彷徨していた。
当然のことながら、通り過ぎる人たちも避ける。
冬にはこんな服装では生きてはいけない。
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こんな人は、サンパウロでもまずいない。
ブラジルの人は、路上生活者に近い人でも、服装には結構気を使っている。
ここまでのはだけぶりは、初めてだ。
むしろ、渋谷で、こんな人を何回も見たことがある。
昼間に、一切何もまとわない人もいた。
こういう人の存在は、「貧困」が理由だとは思わない。
第27回サンパウロ・ビエンナル その56 閉幕。
ブラジル・サッカー:オフ その8 コリンチャンスはアモローゾが残留すると信じている。
コリンチャンスCorinthiansの役員は、FWアモローゾAmorosoが来シーズンもコリンチャンスに残留すると信じている。
アモローゾは、2007年6月末までの契約で、すでに12月末までに契約延長のオファーを出している。
しかし、新契約では給与は現在のそれより40%少なくなるはずである。
「うまくいっている。最後はハッピーになるだろう。 アモローゾAmorosoとニウマールNilmarの攻撃陣でやるつもりだ」と、コリンチャンスとMSIの間を仲介するレナト・ドゥプラチRenato Dupratは明言した。
アモローゾの代理人ニヴァウド・バルドNivaldo Baldoはアモローゾに限っては給与の減額は受け入れられないと宣言している。
アモローゾAmorosoは、クルゼイロCruzeiroからも、サントスSantosからもオファーをもらっている。
アモローゾの契約取り消しの違約金は僅か10万レアル(=約570万円)である。
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急にアモローゾの動向が話題になってきた。
サントスでは、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督が強い関心を持っているという。
1999年にパラグアイで行われたアメリカ杯で優勝した時の、ブラジル代表監督と選手という関係があって、とても良好な関係だという。
2006サンパウロ自動車ショー その19。
2年に一度開催されるサンパウロ自動車ショーは、今年2006年は10月19日(木)から開催されていた。
すでに終了している。
クライスラーの乗用車は、あのネオンをたまに見かけるくらいである。
ジープでは、チェロキーをやはりたまに見かける。
4WDは、ブラジルには向いている車である。
農場主であれば是非とも欲しい車のはずである。
ドッヂも、ブラジルの農場では重宝する車だろう。
まれに見かけるが、
サンパウロ市内ではやはりガタイが大きすぎるようだ。
徐々に頑丈になっているようだ。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その22。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
会場に入ってすぐのところには、
所謂、「玄関マット」が、何十枚も並べられていた。
低く積み上げれている。
「玄関マット」の向こうには、
巨大な「枕」のような作品があった。
「枕」のように見えるが、表面は新聞や本などが貼り付けてあった。
この作者の「枕」シリーズは、OCAで開催されているMAMの収蔵品展にも展示されている。
そちらは3段重ねになっている。
ブラジル・サッカー:オフ その7 ロナウドも、ジーコのチャリティー試合に出場。
またもう1人の大選手が、ジーコZicoによって組織される年末の草試合「スターの試合Jogo das Estrelas」に出場すると明言した。
ロビーニョRobinhoとエーメルソンEmersonに続いて、ロナウドRonaldoがこのイヴェントの場所を予約した。
この試合は12月28日にリオ・デ・ジャネイロの西部のレクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos BandeirantesにあるフラメンゴFlamengoの歴史上最大のアイドルであるクルビ・フチボール・ジーコで行われる。
バルセロナBarcelonaのデコDecoも、この試合に参加する。
肩の痛みを訴えているにもかかわらず、ロナウドRonaldoは少なくとも何分かはプレイすることを保証した。
調子がよければ、ずっとプレイする。
この草試合にはジーコZicoの時代の過去の選手と、いまのスターが出場する。
日本人の中田Nakata、パラグアイのアルシArce、FWヴァグネル・ロヴィVágner Love、MFカルロス・アルベルトCarlos Albertoなどだ。
バルセロナBarcelonaのデコDecoは、休暇をサンパウロ州の海岸のマレシアスMaresiasで過ごす、世界クラブ選手権には負けたがこの試合には出場すると明言している。
エーメルソンEmersonはカンナヴァロCannavaroとトゥレセグエッチTrezeguetをこの試合に参加するように招待している。
2人はまだ返事をしていない。
他にも期待されているのは、2005年に参加したマラドーナだ。
この試合を見るには、ファンはただ2キロの食料をクルビ・フチボール・ジーコに持ってくれば、1枚の入場券と交換してくれる。
すでに4トンの食料が集まっており、残りは少ししかない。
クルビ・フチボール・ジーコは、リオ・デ・ジャネイロの西部のレクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos Bandeirantesのアメリカ大通りAvenida das Américasの17キロ地点にある。
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この試合は、おそらくテレビでも中継される。
2005年はスポーツ専門チャネルで中継された。
昨年のマラドーナの登場は大変な騒ぎだった。
ポルトガル代表のデコは、元々ブラジル人なので、休暇はブラジルで過ごす。
この試合は、クルビ・フチボール・ジーコのグラウンドで行われるので、
観客席がほとんどない。
立ち見になる。
昨年は、当時のブラジル代表監督のカルロス・アルベルト・パヘイラも、グラウンドを取り囲むネットに寄りかかっての立ち見だった。
ところで、「中田『氏』」は出場を辞退されたと、日本では報じられているが、ブラジルではまだそうはなっていないようだ。
ともかくも、この報道に名前が出てくるわけなのだが、ブラジル人で中田を知っている人はどれほどいるのか。
色々とこの時期には慈善試合が行われるが、いちばん話題になる試合だ。
クルビ・フチボール・ジーコではなくて、マラカナ競技場でやればもっと食料が集まるだろうに。
クルビ・フチボール・ジーコのプロモーションも兼ねているのだろう。
quarta-feira, 20 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その6 ロマリオはリオ・デ・ジャネイロ州選手権でプレイする。
ヴァスコ・ダ・ガマの社長エウリコ・ミランダEurico Miranda,は、12月20日(水)に、ロマリオRomárioはヴァスコ・ダ・ガマのユニフォームを着て、リオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaでプレイすると明言した。
エウリコ・ミランダによると、Fロマリオが2007年6月まで他のクラブでプレイすることを禁止しているFIFAの決定は問題にならないだろうという。
「ロマリオは、2006年7月から2007年6月まで2つのクラブでプレイすることは出来ない。 しかしマイアミFCとの最初の契約に署名したのは4月である。 ロマリオは他のクラブとプレイすることは出来る。 彼はヴァスコでプレイするだろう。ここでプレイするのをみたい」と明言した。
ロマリオの1000ゴールの応援者として、エウリコ・ミランダはヴァスコVascoの最大のライバルであるフラメンゴとの試合でそれが起きることを見失いたくない。
「ロマリオはリオ・デ・ジャネイロ州選手権でプレイする。 フラメンゴFlamengo戦で1000ゴールを決めることを期待する」
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エウリコ・ミランダはロマリオの大ファンのようだ。
いつも異常に肩入れしている。
サッカー・ブラジル選手権2006 その416 第38節コリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦 観戦3。
2006年のブラジル選手権最終節の第38節の試合として、12月3日(日)にサンパウロのパカエンブー競技場で行われたコリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦を観戦した。
続きだ。
インターバルには観客は色々なことをする。
携帯電話のカメラで「自分たち撮り」もする。
コリンチャンスの控えの選手達が戻ってきた。
控えのGKジュリオ・セーザルはどう見ても長身とはいえない。
エーメルソン・レオン監督が、ジュヴェンチューヂのキャプテンと話をしていた。
笑っているから、仲がいいのだろう。
1人で勝手にポーズをとってくれる熱烈なコリンチャンスファンの老婆。
家族は誰も止められないようだ。
コリンチャンスのゴール前。
長身のDFマルキーニョスが、ジュヴェンチューヂのFWクリスティアンに密着だ。
でも、ゴールは決まる時には決まる。
3対3になった。
ジュヴェンチューヂが、この試合3回追いついたことになる。
観客はとても不満だ。
GKマルセロ。
この日は、体調でも悪いのかと思うような出来だった。
3失点には罵声が飛んだ。
後半30分すぎに、突如、ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんが、何か始めた。
コリンチャンスの現経営陣に対する抗議運動だ。
2007年1月にコリンチャンスは、社長の選挙がある。
それに関係している。
ガヴィオンエス・ダ・フィエウは単なるファン組織を越えている。
こういった政治的な活動も行っている。
現社長のアルベルト・アリビに対抗する勢力と組んだのだろう。
もちろん、何かの見返りがあるのだろう。
無料入場券やユニフォームくらいは当たり前だ。
「MSI出て行け」というのも多い。
小さく折りたたんだあとがある。
前もって用意して、競技場に持ち込んだようだ。
本来は、競技場には、紙類は持ち込み禁止なのだ。
「ドァリビ、泥棒」というのもある。
「泥棒」など呼ばれるのは、ベネズエラの大統領チャベスに国連総会上で言われたブッシュ以来だ。
「コリンチャンスに所有者はいない」「競技場はどこ」なども見える。
そんな抗議運動の間も、試合は進行していた。
DFマルキーニョスが潜り込んで、頭で決めた。
4対3になった。
左から、FWアモローゾ、DFベットン、DFマルキーニョス。
試合は進んでいるが、抗議活動は新たな段階へ進んだ。
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんが普段固まっている北側ゴール裏スタンド席から動き始めた。
正面スタンドを目指している。
貴賓席があって、そこにアルベルト・ドァリビ社長がいるからだ。
この日の有料入場者数は6,424人だった。
このくらいの入場者でも利益が出ている。
50万円くらいだが。
そして、試合は進んでいる。
アモローゾが、だめ押しの得点を決めた。
5対3。
ユニフォームを脱いだので、イエローカードのはずだ。
試合は進んでいるのだが、抗議活動も進んでいる。
一応万一に備えて、警察も集まってきた。
MFロジネイ。
ジュヴェンチューヂのレナンは、2005年はサンパウロFCにいた。
試合が終了した。
FWアモローゾが、ジュヴェンチューヂの監督イヴォ・ワットマンに近づいて、
ユニフォームをプレゼントした。
5対3でコリンチャンスが勝利した。
コリンチャンスが今期5点も入れたのは、2試合だけだ。
FWアモローゾもインタビューに応じた。
これで、コリンチャンスの選手の「2ヵ月続いたインタビュー拒否」は終了した。
ジュヴェンチューヂのイヴォ・ワットマン監督にもインタービューしている。
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結局、2006年は、22試合を競技場で観戦した。
すべてパカエンブー競技場での試合である。
コリンチャンスが出場しなかった試合は、2試合ある。
コリンチャンスが、5月4日の暴動事件の後、5月から8月までパカエンブー競技場を使えなかったことも、観戦試合数が少なかった理由だ。
コリンチャンスは、年間70試合を戦った。
ホームの試合は通常はパカエンブー競技場で行われるのだが、
対パルメイラス戦や対サントス戦はモルンビー競技場を使うので、
またパカエンブー競技場での試合は減ることになる。
2007年は、コリンチャンスはリベルタドーレス杯への出場権がないので、
その分また試合数が減ることになる。
サンパウロ州選手権の19試合と、
ブラジル選手権の38試合は決まっている。
そのほかに南米杯の試合がある。
これは、勝ち抜けば試合数が増えてくる。
サッカーの試合を見に行くのは、
ただサッカーを見に行っているわけではない。
拙宅から一番近い娯楽ということが大きな理由だが、
それだけでもない。
なによりも、やってくる観客が面白いのだ。
そして、たまにガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんが大暴れをしたり、抗議運動をしたりということもある。
サッカー場という空間も、ブラジルの縮図だ。
いつも、そういった環境の中で、心地よさを感じている。
どこからともなく漂ってくるマコーニャ(=マリファナ)の煙のせいでもない。
第27回サンパウロ・ビエンナル その55 作品44。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた。
中が空っぽのスピーカーボックスが積み重ねてあった。
それだけだ。
誰も近づかなかった。
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ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その21。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
真っ白い上質紙が使われていた。
紙がもったいないと思った。
ブラジル・サッカー:オフ その5 今年もアモローゾがきな臭い。
代理人のニヴァウド・バルドNivaldo BaldoがコリンチャンスCorinthiansにおけるアモローゾAmorosoの状況を48時間以内に解決することを期待している。
ニヴァウド・バルドは、サントスSantosの監督ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgoがアモローゾに関心を持っていることを明らかにした。 しかしコリンチャンスの役員の扱いによると語った。
「最初にコリンチャンスCorinthiansと諸事を解決しなくてはならない。 アモローゾはコリンチャンスにいたがっている。 しかし彼を欲しがっているものがいるのも事実である。 他のクラブとも話をする。 出来ることはやっている」と、ニヴァウド・バルドは語った。
ニヴァウド・バルドNivaldo Baldoは、コリンチャンスとの交渉の雰囲気を乱した。
しかし、コリンチャンスのサッカー担当役員のエヂヴァール・シモンエスEdvar SimõesとアモローゾAmorosoの給与を減らすようにという要求がハードルだと明らかにした。
「コリンチャンスCorinthiansに負っているものは何もない。 コリンチャンスは13ヵ月給与の支払いと休暇の義務がある。 みんなアモローゾAmorosoが残留することを望んでいる。 ただ、エヂヴァール・シモンエスだけが否定的なことを山のように言っているだけだ」と明言した。
コリンチャンスCorinthiansは、公式サイトで、12月19日(火)にアモローゾAmorosoの契約を2007年の終わりまで延長するように提案し、アモローゾの返答を待っていると発表している。
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アモローゾといえば、
2006年の世界クラブ選手権の終わった時点では、
FC東京と仮契約があったにもかかわらず、
どういうわけかFC東京がお金を支払わなかったとしてそれを反古にした。
裁判はどうなったのだろうか。
更に、サンパウロFCとの契約延長交渉がほぼ妥結していたにもかかわらず、
署名を避けた。
そして、最終的にはミランと契約をした。
そのミランには、約半年いて、ほとんど試合の出場機会がなかったので、
ブラジルに戻ってきてコリンチャンスと契約した。
ブラジル選手権での、ゴールは2ゴールだけであった。
コリンチャンスが、給与を減らしたいというのも、当然だ。
ファンもそれほどアモローゾを支持していないと思う。
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代理人のニヴァウド・バルドは、
2006年の更改の一連の出来事で、
サンパウロFCからは蛇蝎のごとく嫌われている。
terça-feira, 19 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その4 クリスティアンがサンパウロに到着。
コリンチャンスCorinthiansと契約をしたばかりの、FWクリスティアンChristianが12月18日(月)の夜サンパウロSão Pauloのグァリューリョス国際空港Aeroporto Internacional de Guarulhosに到着した。
到着時に、クリスティアンは多くを語りたがらなかったが、サンパウロFCで同僚であったアモローゾAmorosoとまた一緒にプレイできる機会を得て幸せだと言った。
「アモローゾAmorosoは自分のパートナーだ。 また彼とプレイできてとても幸せだ」と強調した。
クリスティアンは、2006年のブラジル選手権Campeonato Brasileiroでの対コリンチャンス戦で考えられないミスをした。
それで試合は0対0で終了した。
「2006年はもう過ぎた。 今は将来を考えて、最大限コリンチャンスに尽くすことである」
クリスティアンChristianは、まだ契約に署名するにはいくつかの詳細のツメが必要だと言った。
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この程度のことがニュースになるシーズン・オフ。
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コリンチャンスCorinthiansと契約のFWクリスティアンChristianは、12月19日(火)にサンパウロSão Paulo北部にある医院で身体検査を受けた。
10時過ぎに到着し、検査を受けた。
コリンチャンスの役員は検査の間に選手の写真を撮影するのとインタビューを禁止した。
まだ、契約に署名していないからである。
12時過ぎに医院をあとにした。
そのあとに、医師がテスト結果について明らかにした。
何も問題がないそうである。
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これくらいしか話題がない。
シーズン・オフ。
サッカー・ブラジル選手権2006 その415 第38節コリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦 観戦2。
2006年のブラジル選手権最終節の第38節の試合として、12月3日(日)にサンパウロのパカエンブー競技場で行われたコリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦を観戦した。
続きだ。
左から、
左SBエヂソン、MFパウロ・アルメイダ(顔は隠れている)、MFマルセロ・マットス、DFマリーニョ、DFベットン。
FWアモローゾが、パスを要求している。
移籍後の働きは期待に全く応えていない。
この日のパカエンブー競技場。
消化試合なので、観客はとても少なかった。
左から、MFロジネイ、右SBファグネル、MFロジャー、MFパウロ・アルメイダ。
コリンチャンスのファン組織ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さん。
コリンチャンスのファン組織ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんだ。
この日は割と女性が多かった。
ジュヴェンチューヂのFWクリスティアン。
大分トリニータにいたこともある。
2007年からは、コリンチャンスでプレイすることが決まった。
ジュヴェンチューヂのFWクリスティアンと、
コリンチャンスのDFベットン。
前半が終了し、インターバルになって、
テレビのインタビューをやっているのだが、
2人の世界に入っている人もいた。
この女性はとても積極的で、
試合中も迫っていた。
いつものコリンチャンスの大ファンの老婆。
これは実はナタル(=クリスマス)を意識した服装である。
ママイ・ノエルとして※パパイ・ノエル(=サンタクロース)の女性版は、ブラジルではママイ・ノエルと呼ぶ、
この今季最終戦で観客の子供達にお菓子を配っていた。
昨年もそうだった。
つづく。
第27回サンパウロ・ビエンナル その54 作品43。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から12月17日(日)まで開催されていた。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
大きな作品である。
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2006サンパウロ自動車ショー その17 ルノー。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その20。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されていた第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELAパラレラ"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
そして、ところどころが盛り上がって、
蛍光灯が輝いていた。
なにぶんにも日が当たらない屋内であったことと、
蛍光灯を使っていたので
水を与えることが出来なかったようで、
期間の終わりには、芝生が刈れてしまった。
ブラジル・サッカー:オフ その3 クリスティアンはコリンチャンスと契約。
サンパウロFCにボルジェスBorgesをとられたあと、コリンチャンスCorinthiansの役員は素早く動いた。
12月18日(月)に、2006年のブラジル選手権Campeonato BrasileiroはジュヴェンチューヂJuventudeでプレイしたクリスティアンChristianとの契約を発表した。
クリスティアン31歳は、6月30日までの契約で合意したが、シーズン終わりまで自動延長することになっている。
クリスティアンは、他の選手と同様に1月3日に集まることになる。
シーズン前はジャリヌJarinuで合宿をして過ごすことになる。
「クリスティアンChristianは大きなチームに戻ることが出来て幸せだ。 子供の頃からコリンチャンスCorinthiansでプレイする希望があった。 彼の経歴で最初のクラブになるようなものだ」と、クリスティアンの代理人のタデウ・オリヴェイラTadeu Oliveiraは言った。
クリスティアンは、ブラジル選手権では32試合に出場し11ゴールを決めている。
クリスティアンは、エーメルソン・レオン監督に指名されていた。
コリンチャンスでは、クリスティアンはアモローゾと2トップを組むことになる。
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やや高齢の2人。
心配だ。
この2人は、2005年はサンパウロFCで一緒だったはずだ。
クリスティアンは、それほど出場機会に恵まれなかったので、2006年初めに望んでボタフォゴに移籍した。
ボタフォゴにはドドゥがいて、出場機会は多くなかった。
そして、まもなくジュヴェンチューヂに移籍していた。
しかし、FWが2人ということは、
FWニウマールについては、コリンチャンスはもう諦めたということになるのか。
サッカー・ブラジル選手権2007 その1 日程発表。
5ヵ月も前に、ブラジルサッカー協会CBFは、12月18日(月)に、2007年のブラジル選手権Campeonato BrasileiroのセリエASérie AとセリエBのスケジュールを発表した。
セリエAは、5月12日に開始される。
セリエBは、その前に始まる。
発表されたスケジュール表では、日付も時刻も固まっていない。
それぞれの節で決定した試合は、「土曜日もしくは日曜日」となっている程度である。
完全なスケジュールは、2月始めに発表されることになっている。
現チャンピオンのサンパウロFCは、地元でのゴイアスGoiás戦が、初戦となっている。
世界チャンピオンのインテルナシオナウInternacionalは、ボタフォゴBotafogoと地元で戦う。
第1節での伝統的な”クラシコ”は、フラメンゴFlamengo対パルメイラスPalmeiras戦とフルミネンシFluminense対クルゼイロCruzeiro戦である。
セリエASérie Aの第1節の組合せは次の通り:
São Paulo x Goiás
Internacional x Botafogo
Flamengo x Palmeiras
Fluminense x Cruzeiro
Corinthians x Juventude
Paraná x Grêmio
América-RN x Vasco
Sport x Santos
Atlético-MG x Náutico
Figueirense x Atlético-PR
セリエBSérie Bの第1節の組合せは次の通り:
Coritiba x Paulista
Ipatinga x Santa Cruz
Fortaleza x Portuguesa
Criciúma x São Caetano
Ponte Preta x Gama
Brasiliense x Marília
Vitória x Avaí
Santo André X CRB
Ituano x Ceará
Barueri x Remo
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2006年のブラジル選手権が終わったばかりなのに、
もう2007年のスケジュールは発表された。
segunda-feira, 18 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その2 ロビーニョが戻ってくる。
サントスファンとブラジル・サッカーファンのアイドルであるFWロビーニョRobinhoが、来週サントスの本拠地ビラ・ベルミロVila Belmiroに戻ってくる。
ペダラーダの王ロビーニョがサントスPeixeのユニフォームをまた着て試合をするという契約をするわけではなくて、親善試合に参加する。
12月26日火曜日に、「ロビーニョの友達"amigos de Robinho"」対「カルロス・アルベルトの友達 "amigos de Carlos Alberto", 」の親善試合が行われる。
試合はチャリティー試合で、海外で活動しているブラジル選手達も参加する。
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欧州の中断期間に、続々とブラジル人選手が戻ってきて、このようなチャリティー試合が行われる。
昨年は、パカエンブー競技場で、ロベルト・カルロスとロビーニョがチャリティー試合を行った。
入場料は無料だったが、1人1キロの食料を持っていくことが条件であった。
サッカー・ブラジル選手権2006 その414 第38節コリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦 観戦1。
2006年のブラジル選手権最終節の第38節の試合として、12月3日(日)にサンパウロのパカエンブー競技場で行われたコリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦を観戦した。
試合は16時に始まった。
いつものように、試合開始前25分頃に拙宅をでて、5分後に競技場に入った。
すでに、選手の入場を待つ子供達の列がグラウンドに出来ていた。
ジュヴェンチューヂの選手が入ってきた。
もちろん、競技場内からは大ブーイングである。
試合も始まっていないのに、罵声が浴びせかけられる。
ジュヴェンチューヂの監督の、イヴォ・ワットマンである。
一癖も二癖もある監督も多い中ではおとなしい監督である。
コリンチャンスの控えの選手達が入ってきた。
今期限りで戦力外の選手はすでにこの試合から休暇を与えられているので、ここにいる控えは来年もコロンチャンスに残る選手達である。
若手が多い。
控えのGKのジュリオ・セーザルの身長が低いのには驚いた。
エーメルソン・レオン監督が入ってきたが、審判の方に向かった。
手に何か紙を持っている。
エーメルソン・レオン監督が、ベンチの方にやってくる。
ジュヴェンチューヂの選手とは旧知のようで、挨拶を交わしていた。
ベンチ前でインタビューに応じているエーメルソン・レオン監督。
左から、
MFウィリアム18歳、MFロジネイ、MFマルセロ・マットス。
つづく。
第27回サンパウロ・ビエンナル その53 作品42。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
このビエンナル館の建物の柱と同じ形状をしている。
事実、このうちの一本はビエンナル館の柱だ。
さらに、柱の一本は、動かすことが出来る。
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ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その19。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
小部屋の中に、ビーズ条の細いチェーンが天井全体から簾のように下がっていた。
小部屋は、入口が2箇所にあって、通り抜けられるようになっていた。
チェーンに触れながらでないと、絶対に通り抜けは出来ない。
domingo, 17 de dezembro de 2006
2006サンパウロ自動車ショー その15。
2年に一度開催されるサンパウロ自動車ショーは、今年2006年は10月19日(木)から開催されていた。
すでに終了している。
前回同様大きなスペースだった。
実際に、サンパウロ市内でもKIAの車には割と遭遇することが多い。
トラックや軽自動車さらに乗用ワンボックスなどがよく売れているようだ。
ブラジルには、乗用のワンボックス車のまともなものが生産されていないので、KIAのワンボックスは全く手頃なものと言える。
日本車にもいいのがあると思うのだが、それほど需要がないということだろうか。
ブラジルの金持ちは、見栄張りだから、ワンボックス車の方が乗用車よりもいいところが多いことに目を向けないのだろう。
第27回サンパウロ・ビエンナル その52 作品41。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
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一度は、取り外されていたこともあった。
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サッカー:ニウマールのゆくえ。 その14 正式オファー無し。
来シーズンにニウマールNilmarがプレイするところがないという可能性はない。
インテルナシオナウInternacional、サンパウロFC、フラメンゴFlamengo、サントスSantos、そしてコリンチャンスCorinthians自身もニウマールを欲しがっている。
しかし、今のところ、全て口だけである。
ニウマールの代理人によると、名前が挙がった全てのクラブが契約をしたいと明言しているにもかかわらず、正式な条件提示は一切ない。
「色々なことを聞いて、色々な人が自分に話してくる。 しかし固まったものはない。 話すのと、書類を見せるのは全く別のことである」と、オルランド・ヂ・オーラOrlando da Horaは明言した。
代理人は、8月からコリンチャンスとの契約の更新の交渉をした。
「終わりはとても近い。 今は忍耐の時だ」と言った。
コリンチャンがニウマールNilmarについての公式に発表した、ニウマールはまだあと1年コリンチャンスと契約があって、1月3日にコリンチャンスに現れなくてはならないということについては、オルランド・ヂ・オーラは何も言いたがらない。
「コリンチャンスがいったとかいわなかったことについては何もコメントしない」
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ニウマールが欲しくても、どのチームにもお金がないのだろう。
ニウマール自身は、
来年のリベルタドーレス杯に出場したいはずだ。
コリンチャンス以外の全てのチームに出場権がある。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その18。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
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レースの手袋に、黒い糸を使ってデザインをしたものを写真にしている。
手のひらの皺などを付け加えている。
この作者が、作品をつくっている映像も流されていた。
サッカー・ブラジル選手権2006 その413 最優秀選手はロジェリオ・セニ。
ブラジルサッカー協会CBFとGLOBO局Rede Globoによる2006年ブラジル選手権の最優秀選手表彰式Prêmio Craque do Brasileirãoが、12月4日(月)にリオ・デ・ジャネイロの市立劇場Theatro Municipalで行われた。
サンパウロFCは、優勝チームであり、ブラジル選手権の代表にロジェリオ・セニRogério Ceni、ソウザSouza、ファボンFabão、ミネイロMineiroの4人が選出された。
4人に加えて、ムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督も2年続けて最優秀監督に選出された。
(昨年2005年は、インテルナシオナウの監督であった。)
サンパウロFCのフェスタの締めくくりは、ロジェリオ・セニRogério Ceniが、最優秀選手に選ばれたことである。
キーパーで得点王の彼は、現役選手としての世界記録の68ゴールを決めている。
金の鍵をもらった。
インテルナシオナウInternacionalは、2人が選ばれた。
ファビアーノ・エレールFabiano Eller、フェルナンドンFernandão。
グレミオGrêmioからは、ルーカスLucas18歳。
ボタフォゴBotafogoからは、ゼ・ロベルトZé Roberto。
元フルミネンシFluminenseで現在レアル・マドリReal Madridに移籍したばかりのマルセロMarcelo18歳も選出された。
フラメンゴからは、レナトRenato。
17ゴールで得点王となったゴイアスGoiásのソウザSouzaも選ばれた。
最優秀審判には、リオ・グランヂ・ド・スルRio Grande do Sul州のレオナウド・ガシーバLeonardo Gacibaが選出された。
ポジション別の優秀選手:
GK Goleiro: Rogério Ceni (São Paulo)
右SB Lateral-direito: Souza (São Paulo)
DF Zagueiro central: Fabão (São Paulo)
第4DF Quarto zagueiro: Fabiano Eller (Internacional)
左SB Lateral-esquerdo: Marcelo (Fluminense)
第1ボランチ Primeiro volante: Mineiro (São Paulo)
第2ボランチ Segundo volante: Lucas (Grêmio)
右MF Meia direita: Zé Roberto (Botafogo)
左MF Meia esquerda: Renato (Flamengo)
第1FW Primeiro atacante: Fernandão (Internacional)
第2FW Segundo atacante: Souza (Goiás)
監督 Técnico: Muricy Ramalho (São Paulo)
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コリンチャンスからは、誰も入らなかった。
sábado, 16 de dezembro de 2006
サッカー:ロマリオが豪州4戦目で初ゴール。
ロマリオRomárioが、豪州Austráliaのアデレード・ユナイテッドAdelaide Unitedでの最後の試合で良いプレイをした。
アデレード・ユナイテッドでの最初のゴールを決めただけではなく、ロマリオBaixinhoは12月15日(金)に行われた豪州サッカーリーク戦において3対2でアデレード・ユナイテッドがニューキャッスル・ジェッツNewcastle Jetsを破った試合で1アシストもした。
12千人が入ったヒンドマルシュ競技場Hindmarsh Stadiumで、ロマリオは前半14分に決定的なボールをうけた。
相手ゴールキーパーのイヴァンIvanがボールをはじいたところに、ロマリオRomárioが機会を捉えて右足で、ゴールの奥に押し込んだ。
このゴールは、ロマリオの計算では987ゴール目となる。
より1000ゴールに近づいたことになる。
ボールを持つ時間は短かったが、ロマリオは試合の間中よく動いた。
同僚にゴールを打たせようとした。
良い動きに満足して、ロマリオは大歓声の中を後半41分に交替で引き上げた。
「20061215sporTVnews-Romario.wmv」をダウンロード
(試合映像録画済み)
-----------------------------
ロマリオの、豪州での挑戦は終わった。
4試合で、1得点であったが、よく動いていた。
2007年の、ロマリオの大活躍を期待する。
でも、リオ・デ・ジャネイロ州選手権は、サンパウロでは試合を実際に見ることが出来ない。
その前に、ロマリオがどのチームに所属するかもこれからである。
おそらく、ヴァスコ・ダ・ガマであろうが。
第27回サンパウロ・ビエンナル その51 作品40。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
外に出られるかのようになっていた。
でも、テープで立ち入り禁止になっていた。
ずっとそのまま何週間もそうであったので、そういう作品だと思っていた。
この橋のどこがアートだったのか。
高いところを歩くので、気持ちはよかった。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
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画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
このブログでは、念のため解像度を相当落としている。
より解像度の高い画像を望む場合は、個別に対応する。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その17。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
これは小品であった。
壁から垂直に2枚の額が出ていた。
犬と猫だったが、
両面から、裏表の図案になっている。
こういうのは、中国の刺繍の民芸品にもっと精緻なのがある。
サッカー:ニウマールのゆくえ。 その13 ニウマールの治療完了。
ニウマールNilmarが、2007年にどこのクラブでプレイするのかは分からない。
しかし、ニウマールの医学的な治療は完了した。
ニウマールの代理人のオルランド・ヂ・オーラOrlando da Horaによると、治療をしたフラメンゴFlamengoの医師(ブラジル代表の医師でもある)のジョゼ・ルイス・ルンコJosé Luis Runcoが12月12日(火)にトレーニングに戻ってもよいとニウマールを自由にした。
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トレーニングに戻ろうとしても、
今はどのクラブも休みである。
コリンチャンスは、来年1月3日再集合となっている。
移籍先が決まれば、また別のクラブということになるのはもちろんだ。
ニウマールの出身クラブのインテルナシオナウには、ニウマールを買う金はない。
インテルナシオナウも、次から次と良い選手を発掘しては、欧州に輩出している。
sexta-feira, 15 de dezembro de 2006
ブラジル・サッカー:オフ その1 ボリス・ベレゾフスキー
ロシアの大富豪ボリス・ベレゾフスキーBoris Berezovskiが、コリンチャンスCorinthiansとMSIのパートナー関係を救うかも知れない。
コリンチャンスの社長アルベルト・ドゥアリビAlberto Dualibによってキア・ジョオラビシアンKia Joorabchianの会社であるMSIの出資者の1人と指摘されているボリス・ベレゾフスキーはグループの出資の過半数を握ってコントロールをする可能性を検討している。
「自分は先週彼と話をした。 彼は色々と見ている。 コリンチャンスCorinhiansに対する行動計画もある。 彼は過半数を握ってサッカーをみることに同意している」と、ロンドンで、パートナー関係について議論しているレナト・ドゥプラRenato Dupratは語った。
レナト・ドゥプラDupratによると、ボリス・ベレゾフスキー自身はコリンチャンスCorinthiansに対する出資者の1人となって2年間だという。
ボリス・ベレゾフスキーはキア・ジョオラビシアンKia Joorabchianの友人で、コリンチャンスの社長アルベルト・ドゥアリビAlberto Dualibとその同盟者から尊敬されている。
ボリス・ベレゾフスキーがMSIのコントロールをするようになると、パートナー関係は新たな局面を迎える。
しかし、ボリス・ベレゾフスキーの最優先は、サッカー・クラブに出資することではない。
彼の希望は競技場の建設だ。
ボリス・ベレゾフスキーの目標は、全てのコリンチャンスのファンの夢を実現することではない。
2014年にブラジルで開催されるワールドカップの競技場で商業的に大成功して利益を得ることである。
「彼は2014年のワールドカップの競技場をとても建設したがっている。 彼はアイデアはある。 だが、まだ場所を選定中である」と、レナト・ドゥプラは言った。
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ボリス・ベレゾフスキーの名前は、最近日本でも新聞紙上でみることが出来る。
ロシアの元情報部員の暗殺事件に絡んで出てくる名前である。
ボリス・ベレゾフスキー自身は、
エリツィン時代に一挙に財をなしたが、
プーチンになって、ロンドンに政治亡命している。
2006年5月には、サンパウロにやってきた。
ブラジル連邦警察によって、一時身柄を拘束されている。
MSIへの出資について、
資金洗浄の疑いを掛けられているためである。
ブラジル・サンパウロは「春」 その25 12月14日。
ブラジル・サンパウロは、まだ一応「春」だ。
12月14日(木)、
朝からとても湿度が高かった。
まるで日本の梅雨時の、雨と雨の日の合間の一日のように高かった。
もちろん空は、雲が低く覆っていた。
それでも、気温は、正午には27度まで上がっていた。
この時点で、
午後には雨が降ると言っていた。
たしかに、午後になって、一時ぱらついた時はあった。
夜になっても、一時雨が落ちてきたこともあった。
だが、結局大降りになることはなかった。
日付が変わる時刻を過ぎても、
気温は、22度とあまり下がらない。
相変わらず湿度は高いままである。
サンパウロで、こんなに湿り気を感じることは、一年をとおしてあまりあることではない。
第27回サンパウロ・ビエンナル その50 作品39。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
壁に黒いジャンバーが掛けられていた。
それぞれ、異なったメッセージが書いてある。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
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※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
このブログでは、念のため解像度を相当落としている。
より解像度の高い画像を望む場合は、個別に対応する。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その16。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
非常に細かい白い粉で出来た山がある。
おそらく砂糖だ。
奥の山から、手前の山にベルトコンベヤーで、ごく微量の砂糖がおくられてくる。
それが、さらさらと静かに手前の山に積もっていく作品。
quinta-feira, 14 de dezembro de 2006
第27回サンパウロ・ビエンナル その49 作品38。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
それだけだ。
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ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その15。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
棚にはガラスのグラスなどが置いてあった。
正直言って、こういうのはよく分からない。
ブラジル・サンパウロの「リンダ・リンダ・リンダ」
よく注意していると、ブラジル・サンパウロの普通の映画館でも、日本の映画が上映されていることに気が付く。
ブラジル日本文化協会でも毎週水曜日に映画を上映しているが、これは一世の方々に向けたもので、とても古い映画である。
ぶらるじんで日本映画を知っているといっても、多くの場合が、いまだに小津であったり黒沢であったりして、欧州の評価がそのまま来ていることが分かる。
その延長に、北野武もいる。
ブラジルが、独自に日本映画を評価しているのではない。
先日、サンパウロで”MIX BRASIL”という映像のフェスティバルが開催されていた。
14回目になるそうだ。
その開幕の日に、ただの1階だけの上映だったのだが、
ある日本の映画が上映された。
それが、「リンダ・リンダ・リンダ」だ。
上映された映画館が拙宅から歩いていけるところにあったし、上映開始時刻が都合がよかったので、出かけた。
映画館は、パウリスタ大通りからアウグスタ大通りをセントロ方向に3-4分行ったところにある。
この一見大きくもない建物に、4つの映画館がある。
この催しのポスターは小さく掲げてあっても、「リンダ・リンダ・リンダ」のポスターは一枚もない。
チケット売り場にも、「リンダ・リンダ・リンダ」の文字は見あたらなかった。
それでも、買えたからよかったが。
上映は、2階だった。
中に入ったが、上映時間丁度だったのに、館内には20名も観客はいなかった。
そのうちの半数は、入場料が無料か半額の高齢者。
身なりがよかった。
おそらく頻繁に映画館に通えるような階層の人たちだろう。
分かって、この映画を選んだわけでもないと思う。
いくつも見ている中の、たまたまの1本がこれになったのだろう。
開始時間になっても、始まらない。
今のブラジルでは、こういうことはない。
時間厳守で始まる。
数分して、座席の最前列に人が出て来て、
機械のトラブルで、上映が遅れると短く告知した。
映写室で何かやっているのかいないのか、振り返ってみたが動きは分からなかった。
映写機が壊れたのだろうかなんて思っていたのだが、
それから20分以上何も動きがない。
しばらくして、
2-3人の人が最前列中央に座った。
パソコンとプロジェクターを持っていた。
まさか、映写機が使えないからといって、プロジェクターでスクリーンに映すわけではないだろうなと心配した。
延長コードがなかったようで、しばらくして誰かが買ってきた。
スクリーンに向かって、左手の小部屋にケーブルを持っていったり、右手のトイレにケーブルを持っていったりしていた。
開始予定時間から、40分以上が過ぎた。
あれっきり一切何の説明もない。
そのうちに、スクリーンにプロジェクターが映像を映し出した。
”Windows 98”というロゴが見える。
まだそんな古いOSを使っていて大丈夫なのかと思った。
プロジェクターにあうようなドライバーがないだろう。
事実、スクリーンから下部からはみ出して、映像が映っていたのだ。
おまけに、とても小さな投射面積だ。
まさか、これでやるわけではないだろう。
でも、そんな雰囲気かなと、もうやけになりそうだった。
そして55分を過ぎた頃に、
「始めます」と、やっと告知があった。
もちろん肉声だ。
そして、館内が暗くなった。
もうあのパソコンとプロジェクターを使ってやるんだと、諦めた。
そして、上映が始まった。
なんと、スクリーンいっぱいに画面が広がった。
冒頭のシーンで、ちゃんと日本語で話している。
日本映画だから当たり前だが、とても理解し易い。
これだけちゃんと映っているのに、何が問題だったんだということになる。
実は、字幕だった。
日本語だから、ポルトガル語の字幕が必要だ。
だが、一度だけの字幕なので、フィルムに焼き込むわけにも行かず、
プロジェクターを使って、スクリーンに重ねて映し出すことにしたわけだ。
だが、あまりに字が小さい。
真ん中付近に座っていては読めない。
それで、自分を除くすべての観客はいっせいに前列に移動してしまった。
つまり、誰も日本人はいなかったわけだ。
内容は、高校の学園祭が舞台の青春もの。
青春ものにとても弱い自分としては、とてもいい映画だと高評価だ。
でも、ブラジルの高校生活とは全然違うので、
背景をどこまで理解したのかなあと心配してしまった。
まあ、こういう新しい映画を選択して上映してくれたことがとても有り難かった。
映画が終わった時には、観客は10人程度しかいなかった。
だいたい、この催しの初日に上映されたのだが、新聞に掲載されたのがその日だ。
発見するのは非常に困難である。
この映画の上映をめざとく見つけた自分を誉めてやった。
quarta-feira, 13 de dezembro de 2006
第27回サンパウロ・ビエンナル その48 作品37。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
この作品は説明しづらい。
スクリーンは、平面だった。
でも、映し出される映像はいつも歪んでいた。
グニャグニャの鏡を見ているようなのだが、そこに自分がいるわけでもない。
これもちょっと手法として面白かった。
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ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その14。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
三方から、膨れあがったものの存在感に圧倒される。
近づくともっと圧倒される。
材質は、ベニヤ板だ。
これをはぎ取り、曲げ、貼り合わせて、形を作っている。
力を感じる作品である。
この作家は、これをシリーズ化している。
別の機会に、この作家の別の作品を紹介したい。
terça-feira, 12 de dezembro de 2006
第27回サンパウロ・ビエンナル その47 作品36。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
不思議な映像だったが、疲れるものではなかった。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
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※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
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ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その13。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
統一性は感じられない。
上部のバーから、床に向かって白い紐が3本下がっている。
そして、床に重しのように置いてあるものに結ばれている。
重しは、ドクロだったりする。
図案から見ると、そういう作品でもないようなのだが。
重しで、台無しになった。
segunda-feira, 11 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの自動車愛好家。
ブラジル・サンパウロの中心部に近いパカエンブー競技場の前のシャルレス・ミラー広場に、車がずらりと止まっていた。
12月3日(日)の午前中だ。
本当は、サッカーの試合がある日なので、朝から車は進入禁止のハズである。
よく見ると、どれも同じ車種であった。
VWのサンタナSantanaと言って、
ブラジルでは21年くらい前に新発売された車である。
今もまだ確か販売されているようだが、さすがに基本設計が古いのだろう、タクシーくらいにしか売れていないようだ。
当時は、最高級車として、大企業の社長が使用するような車であった。
この車は、25年くらい前に、日本でもVWと日産が提携をして、日産が生産して販売していた車である。
あまり売れなかったようであるが。
ドイツでは、サンタナではなく、パサートという名前であった。
サンタナという名前になったのは、日本とブラジルと中国である。
中国の上海のタクシーは、上海第1自動車製の全てサンタナである。
ブラジルでは、4ドア車と2ドア車はサンタナという名前であったが、バンはクアンツムQuantumという名前で販売された。
その長い歴史を持つ車が、ずらりと並んでいるのを見ると、細かいモデルチェンジが繰り返されたことが分かった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その46 作品35。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
写真では動きがないので、分からないだろうが、
次々にこの建物のようなものの形が変化していくのである。
廊下が延びたり、縮んだり。
階段が出来たり。
不思議な雰囲気だった。
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ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その12。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
domingo, 10 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの"BRAVIA"
ブラジル・サンパウロには、巨大な広告看板があまりに多いので美観を損なっている。
サンパウロ市は、3ヵ月ほど前に、今年中にこれらの広告看板を禁止する条例を作って、実施すすることになった。
ところが、11月末に、市長がこの条例の施行実施を2007年4月からに延ばすと発表した。
条例に関係なく、その広告看板は全く自粛している様子すらない。
SONYの液晶テレビのブランドが、”BRAVIA”で、それを大々的に打ち出している。
でも、ブラジル人はメーカー名までは受け入れるだろうが、製品ブランドまでは認知しないだろうと思っている。
すくなくとも家電製品でそういったものはない。
ブラジルでは、液晶テレビは、非常に高価である。
まだまだ、かなりの富裕層だけが購入できるものである。
だから、この広告は、空港と市内の連絡道路沿いと、高級住宅街へのアクセス道路沿いでしか見たことがない。
だがやりすぎだと思う。
しつこい広告は、かえって逆効果だということに、ブラジルのSONYも、広告代理店も考えが及ばなかったようだ。
富裕層に販売するならば、ターゲットを絞ることが出来るケーブル・テレビと雑誌で十分かも知れない。
SONYは、この”BRAVIA”にとても力を入れているようで、
最高級アパート街イジェノポリスにあるショッピングセンターでも、”BRAVIA”のコーナーが出来ていた。
でも、ここにいるスタッフの姿勢は、とても良くなかった。
空振りにならなければいいが。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その11。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その45 作品34。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
少なくとも、自分が見たときには、スクリーンには何も映っていなかった。
ただ光が当たっていた。
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sábado, 9 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その10。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
見たままである。
黄色のベースの一方の端からポールが立っている。
そのポールの上部には、看板でもないのだが、蛍光灯が光っている。
黄色のベースの反対の端には、草が生えている。
こんな作品ばかりで、割と有名な人らしい。
第27回サンパウロ・ビエンナル その44 作品33。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
中には、いつも人がいた。
でも愛想は全くない。
作者そのものでもないようだった。
そのときも一人だけ、仲間はずれの人がいた。
疎外されているようだった。
この第27回サンパウロ・ビエンナルのテーマには反しているようだ。
知らない間に、外に衝立が立っていた。
人の顔になる部分に穴が開いていた。
ような、そこから顔を出して写真が撮ってもらうようになっていた。
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ブラジル・サンパウロの「調整池」。
ブラジル・サンパウロの中心部にあるパカエンブー競技場は、パカエンブーの谷になった地形を利用してつくられている。
正面スタンドと向こう正面のスタンドが谷の斜面になっている。
パカエンブー競技場の前のシャルレス・ミラー広場にたつと周囲をほとんどを丘に囲まれているのが分かる。
北に向かって、谷は細く開いている。
雨が降ると、周囲のアパート街や住宅街から、一気に雨がこの谷へ集まってくるのは容易に想像が付く。
拙宅は谷の中腹にあるので、相当な豪雨が降っても、道路が冠水するようなことになったことはない。
だか、その水が集中するシャルレス・ミラー広場は、北に向かって開いているとは行っても、排水能力が追いつかなくなることがあるのかも知れない。
そのシャルレス・ミラー広場の北の端に、以前から気になるものがあった。
地上から50センチくらいの高さである。
中を見ると、緩やかにスロープになっていて、奥に空間が見える。
パカエンブー競技場では、サッカー以外にも色々な催し物があって、駐車場が足らなくなり、周囲の住宅街にずらりと路上駐車の車が並ぶ。
力のある住民が多いから、強硬にクレームされると、市としても駐車場をつくらざるをえなかったいう可能性もある。
だが、これは洪水時の調整池であった。
サンパウロの場合は、市の周辺部にこういった調整池が20箇所以上建設されている。
都市型の洪水が増えて、あっという間に幹線道路が冠水して通行止めになったりして、大混乱になって
いるからで、つくってもつくっても追いつかない。
だいたい、貧しい人が住んでいるところは、住環境が悪く、こういった調整池を必要とするようだ。
このようなサンパウロの中心部の高級住宅街に調整池があるとは思いも寄らなかった。
でも、この調整池に雨水が流れ込むようなことになったことがないのである。
以前はなったことがあったかも知れないが、このところはないはずだ。
この広場の脇を抜ける重要な道が、雨が原因で渋滞したことがないからだ。
とすると、住民から文句がでる前にこの調整池をつくったのだろうか。
このあたりで、すぐに冠水するのは、
バッハフンダ駅の南側であったり、パルメイラスの本拠地のパルケ・アンタクチカの東側のポンペイア大通り付近だ。
sexta-feira, 8 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その9。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その43 作品32。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
壁画のように見えたのだが、
丸いカラフルなものは、全て刺繍でできた作品だった。
結構手間が掛かっている作品だ。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
※※リンクは、この記事にすること。
画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
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ブラジル・サンパウロのナタル2006 その13
ブラジル・サンパウロは、12月になって、ナタル(=クリスマス)の飾り付けが急ピッチで進んでいる。
サンパウロの中心部に近い最高級アパート街の中心にある、最高級ショッピングセンターのパチオ・イジェノポリスの飾り付けもほぼ完成している。
このショッピングセンターは、
顧客にあわせてとても上品なところが特徴であり、
飾り付けもそしてその色づかいも微妙に押さえられている。
もちろん別のフロアには、パパイ・ノエル(=サンタクロース)のコーナーもあった。
今年のきれいなお姉さんは、ちょっと眠たそうな顔だった。
このショッピングセンターは、ブラジルではなかなか味わえない雰囲気を持っている。
何でも高いが。
イタリア製のパネトーニは、120レアルもした。
6000円弱だ。
食品などを詰め合わせた贈答品セットには、30万円以上のものもあった。
ここは限られた富裕層にふさわしい。
quinta-feira, 7 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その12
ブラジル・サンパウロの中心部のリベルダーヂ地区。
高台は、東洋人街などと呼ばれているところもある。
だが、その東洋人街から2本目まで下ったところまではまだいいが、3本目からはやや身構えたくなる雰囲気になる。
一番下まで下っていくと、そこにはまた悲しい光景がある。
そこにも、暮らしがある。
高架道路の下に広がっている。
時々、撤去させられている時もあるが、いつの間にかまた元に戻っている。
高架道路の下には、
回収した廃品の集積分別所がある。
男は、荷車を引いてセントロを歩き回って回収してくる。
女は、それらを分別する。
廃品回収は、一種の協同組合組織になっている。
サンパウロで、分別をする必要がないのは、この人達がいるからだ。
パカエンブー競技場の周辺でも、試合前に観客がのみ散らかした飲料のペットボトルやアルミ缶は、あっという間に回収されている。
東京でも、隅田公園沿いに青いビニールシートで出来た家が並んでいる。
日本の大都市では、こういった風景を見ることも出来る。
だが、日本のそこには、子供はいないはずだ。
ブラジルでは、今そこで子供が生まれている。
この子供達が、坂道を上っていって、お菓子を売ったり、芸を見せたりしている。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その8。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
1室の隣り合った壁を使って、その接合するtころを中心に、写真がすべて左右対称になっている。
ただ、使っている写真が写真だ。
固く信じてもらいたい。
納得してもらいたい。
芸術でなければ、もっと気楽に見ることができたのに。
第27回サンパウロ・ビエンナル その42 作品31。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
そして、その脇の小さなモニターでは、
女性が口を開けて、紙を咬んだり、液体を出したりする、映像が流れていた。
それが、もう一組あって、向かい合っていた。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
※※リンクは、この記事にすること。
画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
このブログでは、念のため解像度を相当落としている。
より解像度の高い画像を望む場合は、個別に対応する。
quarta-feira, 6 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その7。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その41 作品30。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
映像作品は、この第27回サンパウロ・ビエンナルに、かなり出展されていたが、疲れるものが大半といっても良い。
見たあとに疲れるものもあるが、
見る前に疲れるものもある。
とても小さなモニターが3台並べてあった。
写真ではなんだかわからないだろうが、
真ん中は猿の人形だった。
中南米にも、馬跳びがあることが分かっただけの作品。
馬跳びは、もう日本では危険だということで禁止になって久しいはずだが、この映像の国ではそんなことはないようだ。
そういうことが分かった作品だ。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
※※リンクは、この記事にすること。
画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
このブログでは、念のため解像度を相当落としている。
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terça-feira, 5 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その6。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
椅子のようなものと壁掛けのようなものが一体になっていた。
そして、木目模様のものが、まるで液体がこぼれたように床に向かって広がっていた。
第27回サンパウロ・ビエンナル その40 作品29。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
絵の前に、このビエンナル館の円い柱がある。
その柱にも、奥の壁画と一体になるように絵が描かれている。
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ブラジル・サンパウロのナタル2006 その10 パウリスタ大通り5。
segunda-feira, 4 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロは「春」 その24 12月4日。
ブラジル・サンパウロの12月4日は、朝からどんよりとした曇り空。
それでも、正午には26度。
サンパウロにしては珍しく蒸していた。
午後になるにつれて、ますます雲は厚みを増してきた。
13時過ぎには、水滴が何滴が地面に痕跡を残した。
15時になった、サッと驟雨。
そして、16時になると遠くで雷が鳴った。
そして、16時半をすぎて、豪雨になった。
寒冷前線が近づいているということだったから、こういう天気になったのだろうか。
18時前には、やや小降りになった。
帰宅ラッシュにも相当影響が出るだろう。
また、冠水しているところが、あちこちにあるはずだ。
ブラジル・サンパウロの「どじふんじゃった」
ブラジル・サンパウロの東洋人街のリベルダーヂに行くのは、日本食品を買いに行く時くらいで、月に1回くらいだ。
だから、行くところも決まっているので、それ以外のことは何も知らない。
中心部のセントロのすぐ南にあって、道も狭いし、車も込んでいるので、どこかへ行くのに通過するにも便利が良いところではない。
でも、11月30日(木)午後のサンパウロは道が混んでいた。
雨のせいもあっただろう。
いつも使うサンパウロの西部から東部へ行く道が、ほぼ止まっていた。
サンパウロの南北を結ぶ大幹線道路の5月23日大通りの渋滞が、この道にまで影響を及ぼしているようだった。
仕方がないので、この道を諦めて、裏道を抜けることにした。
サンパウロ市内の中心部の道は、タクシーの運転手になれるくらいとは行かないまでも、かなり詳しいので、色々と代替案が浮かんでくる。
その時は、ビッシーガと言うところにいたのだが、ベラビスタの路地を抜けて、リベルダーヂそしてカンブシにでることにした。
幸いこのルートは混んでいなかった。
大正解であった。
リベルダーヂを通る時に見つけたある看板。
時間的にシャッターか閉まっていたので、何の店なのか全く分からない。
スナックかカラオケのようなものかも知れない。
思ったのだが、
今時の日本で「どじふんじゃった」と使う人はいるのだろうか。
「どじった」という短縮形の方が頻度が遙かに高いのではないだろうか。
そういうことも考える機会を与えてくれるブラジル・サンパウロである。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その5。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
そこからテープが床に向かって下がり、そして左右に波を打って広がっていた。
この作風では、有名な作家らしい。
第27回サンパウロ・ビエンナル その39 作品28。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
※※リンクは、この記事にすること。
画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
商業使用については、主催者から禁止されている。
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より解像度の高い画像を望む場合は、個別に対応する。
ブラジル・サンパウロのナタル2006 その9 パウリスタ大通り4。
ブラジル・サンパウロの業務中心部を貫くパウリスタ大通りは、サンパウロの繁栄のシンボルだ。
いつも紹介している銀行のイタウ・ペルソナリテ(旧ボストン銀行)の支店もここにある。
そのほかに、いくつかのナタウ(=クリスマス)の飾り付けを見ることが出来る。
イタウ・ペルソナリテと、毎年覇を争っているのが、バンコ・レアウBanco Realである。
今年の外観は一見地味だ。
まだ、これから変化するかも知れないがサンタクロースが座っているだけだ。
だが、建物の中に大がかりな飾り付けのセットがある。
この建物の低層階部分の中央は大きなホールになって、いつも色々な催しが出来るようになっている。
そこに、ナタル(=クリスマス)の飾り付けが今年もつくられた。
domingo, 3 de dezembro de 2006
サッカー・ブラジル選手権2006 その412 最終節(第38節)終了
サッカー・ブラジル選手権の最終節(第38節)が終了した。
結果は次の通り。
12月2日(土)
試合開始 試合結果 競技場
18h10 Internacional 1 x 4 Goiás Beira-Rio
18h10 Flamengo 4 x 1 São Caetano Raulino de Oliveira
「20061202GN22-BA38.wmv」をダウンロード
※インテルナシオナウは地元での最終戦で大敗。
日本行きの壮行試合とはならなかった。
レッドカードとイエローカードが乱れ飛ぶ荒っぽい試合だった。
(試合映像録画済み)
※フラメンゴは地元で大勝。
若手中心のサン・カエターノは先制点を決めたが、守れなかった。
この試合を最後に、サン・カエターノはセリエAからお別れだ。
12月3日(日)
試合開始 試合結果 競技場
16h Fluminense 1 x 1 Palmeiras Maracanã
16h Figueirense 0 x 0 Vasco Orlando Scarpelli
16h Ponte Preta 1 x 1 Atlético-PR Moisés Lucarelli
16h Paraná 0 x 0 São Paulo Durival de Brito
16h Cruzeiro 3 x 1 Botafogo Mineirão
16h Corinthians 5 x 3 Juventude Pacaembu
18h10 Santos 3 x 1 Santa Cruz Vila Belmiro
18h10 Fortaleza 1 x 0 Grêmio Presidente Vargas
「20061203GN22-BA38a.wmv」をダウンロード
「20061203GN22-BA38b.wmv」をダウンロード
※控え中心のパルメイラスは、16位が決定した。
※ヴァスコ・ダ・ガマは、引き分け。
リベルタドーレス杯の出場権獲得はならなかった。
レナット・ガウーショ監督は、ヴァスコ・ダ・ガマの歴史で、
初めて年間を通して交代しなかった監督となった。
※ポンチ・プレッタもセリエA最後の試合。
※パラナは控え中心のサンパウロFCを相手に、
引き分けであったが、リベルタドーレス杯の出場権を獲得した。
※コリンチャンスは、地元での最終戦で勝利した。
※サンタ・クルーズは先制ゴールを決めたが、
逆転された。
サンタ・クルーズもセリエAからお別れだ。
※グレミオは、この敗戦で2位になることは出来なかった。
フォルタレーザは、セリエAにお別れ。
優勝は、サンパウロFC。
負け試合の少なさと、得点力が優勝の大きな原因だ。
失点も少ない。
1位から3位までが、2007年のリベルタドーレス杯出場権を得ている。
(インテルナシオナウは、2006年の優勝チームなので、ブラジル選手権の結果に関係なく、自動的に出場権がある。 さらに、フラメンゴは2006年のブラジル杯の優勝チームとしてリベルタドーレス杯の出場権がある。)
4位と5位のチームには、2007年のリベルタドーレス杯の予選出場権がある。
優勝チームと6位から13位までのチームには、2007年の南米杯出場権がある。
(フラメンゴはリベルタドーレス杯に出場するので、ブラジルサッカー協会の規則で、南米杯には出場できないはずである。)
17位から20位は、降格。
得点王は、ゴイアスのソウザ。
サンパウロFCの得点王には、GKロジェリオ・セニがレアンドロと並んだ。
サンパウロFCには傑出した得点をする選手はいなかった。
全員得点だ。
サントスのロドリゴ・タバタは、サントスの得点王にはなれなかった。
ウェリントン・パウリスタが最終戦で2ゴールを決めて、追い越した。
サッカー・ブラジル選手権2006 その411 第38節コリンチャンス対ジュヴェンチューヂ。
ブラジル選手権の最終節の第38節。
コリンチャンス対ジュヴェンチューヂ戦が、12月3日(日)16時から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われる。
朝、チケットをパカエンブー競技場に歩いて、買いに行った。
パカエンブー競技場の周辺は、一戸建て住宅専用地区である。
商業行為は禁止されているところである。
だが、また露店が準備を始めていた。
5月頃までは、試合の日の露店は営業していたのだが、
その後駄目になっていた。
14時40分になって、花火が上がった。
でも、周辺はとても静かだ。
15時35分になった。
出かけることにする。
-----------------------------
試合は、コリンチャンスが5対3で勝利した。
先制点を試合開始早々に取ったが、すぐに追いつかれた。
そういうことが続いて、観客は喜んだり、落ち込んだり。
前半は、3対2で折り返し、観客はひとまず落ち着いた。
ところが、後半に入ってまた追いつかれた。
そして、35分頃まで膠着した試合が続いた。
コリンチャンスのGKマルセロの飛び出しの悪いことが続いて、
観客からエーメルソン・レオン監督に交替を求めて、
”Bufo(=馬鹿)”の罵声が飛んだ。
さらに、
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんが、
どこに隠し持っていたのか、コリンチャンスの役員の交代を求める紙を取り出した。
全て手製なのだが、2百から3百枚を用意していた。
そして、観客席をでて、
正面スタンドの方に向かって、競技場の周囲を行進始めた。
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんの座っている席は、ゴール裏の席なので、
正面スタンドには行けないが、一番近いところまで来て、抗議をしていた。
強行突破して、警察とぶつかるようなことはなかった。
しばらくは、試合はそっちのけの雰囲気だった。
そのうちにコリンチャンスは、DFマルキーニョスが飛び込んで追加点をあげて、
とりあえずエーメルソン・レオン監督に対する非難は止んだ。
そして、さらにFWアモローゾが本当に久しぶりに得点をあげて、
5対3になり、ほぼコリンチャンスの勝ちが決まったので、
観客はおとなしくなった。
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんは、
試合終了間際になって、
静かに引き上げ始めた。
そこで、試合終了となり、
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんの多くは、そのまま教条の正面ゲートから退出していった。
試合終了後に、
約50日間記者会見には応じていなかったコリンチャンスの選手のうち、MFロジャーとFWアモローゾがグラウンドでインタビューに応じていた。
-----------------------------
これで、2006年のコリンチャンスの公式戦は全て終了した。
この試合については、今年中には掲載するつもりである。
パカエンブー競技場では、
このあと12月は、
いくつかの慈善試合が行われるはずである。
おそらく欧州のシーズンが中断して、欧州組が帰国してからになるはずである。
サッカー・ブラジル選手権2006 その410 第36節コリンチャンス対フルミネンシ 観戦3。
サッカー・ブラジル選手権の第36節のコリンチャンス対フルミネンシ戦が、サンパウロのパカエンブー競技場で、11月18日18時10分から行われた。
続きである。
フルミネンシのパウロ・セーザル・グルマン監督(左)が戻ってきた。
交替で出場するFWラファエル・モウラに指示する、エーメルソン・レオン監督。
MFマルセロ・マットスが、フルミネンシのFWクラウヂオ・ピッツブルを殴りそうにも見える。
交替出場のMFパウロ・アウメイダと、エーメルソン・レオン監督。
あまり新しいとも言えないコリンチャンスのバス。
実に久しぶりに、パカエンブー競技場にあった。
今年は、このバスを使うと、石を投げられそうだったから使えなかった。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その4。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
いろんなものがごちゃごちゃと置いてあった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その38 作品27。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
広いスペースには小さな液晶のモニターが2台と、そのモニターの前には椅子があった。
映像もあまり面白そうでもなかった。
足がすくんだので、パスした。
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写真についての著作権は強く主張する。
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sábado, 2 de dezembro de 2006
ブラジル・サンパウロは「春」 その22 12月1日・2日。
ブラジル・サンパウロも、12月になった。
ブラジルは世界最大のカトリック人口を抱える。
ナタル(=クリスマス)は、年間の最重要行事である。
別に、キリスト教の信者ではなくても、やはりこの月は特別だ。
何しろ12月には、給与を1ヵ月分余計に払うことが法律で定められているからである。
13ヵ月給与である。
ブラジルには通常の労働者に対してのボーナスの習慣はないから、年間給与は月給の13ヵ月分ということになる。
だから、購買力が一挙に増すことになる。
クリスマスのプレゼントだけではなく、ありとあらゆるものがこの12月に売れる。
大型家電もそうである。
何しろ、結婚式も12月が一番多いというのだ。
宗教的な理由でもなく、習慣的なものでもなくて、単にお金の問題であると言っていた。
これだけ売れるので、商店などでの雇用が増える。
工場などでは、すでに期間工などが増えているのだが、商店ではこの時期に雇用が増えるから、またそこでお金を獲ることが出来る人が増えるので、購買が増えるのだ。
もちろん、月が変わると、契約に基づき解雇されるのが普通だ。
稀に、目に留まったものは、そのまま雇用されることもある。
ショッピングセンターも、テナントの閉店時刻が20時から22時に延びた。
ナタル(=クリスマス)の直前は、24時間営業までする。
さて、天気が悪かったサンパウロは12月1日は、雨が降らなかった。
晴れたり曇ったりだったが、雨は降らなかった。
気温もあまり上がらず、木陰では涼しい風が吹いて気持ちよかった。
12月2日は、より晴れた。
それでも、気温はやや上がったが、それでも日陰では良い風を感じた。
12月3日は、気温が29度にまで上がるという。
サッカー・ブラジル選手権2006 その409 サントスのロドリゴ・タバタが得点王。
ミッド・フィルダーでありながら、試合によってはまだ控えになっている、MFロドリゴ・タバタRodrigo Tabataはブラジル選手権でサントスの得点王になりそうだ。
ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最終節を残したところで、ロドリゴ・タバタは8ゴールを決めている。
次が、7ゴールのウェリントン・パウリスタWellington Paulistaで7ゴール。
そして、ロドリゴ・チウイRodrigo Tiuíの6ゴール。
「すでに言ったことだがそんな目標はなかった。 しかし得点王になることは良いし、サンパウロ州選手権とブラジル選手権での最多アシストにもなっている。 サントスSantosに貢献できて幸せだ」と、明言した。
今年初めにゴイアスGoiásからやって来て、ロドリゴ・タバタはマスコミからの批判を受けて、傷ついた。
「新聞は読んでいる。 言われていることを見るためだ。 多くの人は自分の仕事が良いと見ている。リベルタドーレス杯Libertadoresの出場権を得たことと、サンパウロ州選手権のタイトルと撮ったことはとても重要だった」と強調した。
結論として、ロドリゴ・タバタはサントスに適合するのにちょっと時間がかかったと言った。 ゴイアスGoiásよりも大きいし、組織や伝統がある。
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ブラジル代表だったゼ・ロベルトが9月に入ってから、完全にポジションを失うかと思っていたが、そういうこともなく、むしろヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督からはトップにでるように指示されているようで、更にシュートの機会がえた。
また、コーナーキックやフリーキックでもキッカーになることが多く、これによる得点もある。
サントスは、今期はFWが今ひとつであったことも、ロドリゴ・タバタがこのようなことになった理由の一つである。
これで、一回でもブラジル代表に招集されると、かなり金銭的な価値が上がるだろう。
でも、ブラジルはあまりに層が厚すぎる。
年齢も26歳と微妙になってきた。
欧州くらいに行かないかな。
サッカー・ブラジル選手権2006 その408 第36節コリンチャンス対フルミネンシ 観戦2。
サッカー・ブラジル選手権の第36節のコリンチャンス対フルミネンシ戦が、サンパウロのパカエンブー競技場で、11月18日18時10分から行われた。
正式なキックオフ。
アモローゾとウィンソンが、真ん中にいる。
MFウィリアム18歳。
たぶん、初めての先発出場である。
このあと、その素晴らしい働きを存分に見せてくれた。
試合開始早々に、コリンチャンスが得点をあげた。
圧勝だと思ったのだが。
手前が、MFマグロン。
奥は、DFベットン。
左奥のフルミネンシの選手は、FWツータ。
MFマルセロ・マットス。
コリンチャンスの選手の中で、唯一2006年のブラジル選手権の優秀選手候補にノミネートされた。
ボールは左から2番目のMFマルセロ・マットスの胸のあたりに見える。
DFマルキーニョス。
右端はMFロジネイ。
左端は、フルミネンシのFWツータ。
GKマルセロと、右SBファグネル17歳。
試合中とは思えない雰囲気だ。
左から3人目の右SBファグネルも、壁になったが役に立つのかな。
チアガールがやはりいなかったので、お姉さんを撮してみた。
踊ってくれるわけもなかった。
つづく。
ブラジル・サンパウロの"//PARALELA"展 その3。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園で開催されている第27回サンパウロ・ビエンナルに協賛して、同じくイビラプエラ公園で開催されていた"//PARALELA"は、11月19日(日)に閉幕した。
この美術展は、ブラジルのアーチストを紹介するために、サンパウロのギャラリーが共同で企画したものであった。
ビエンナル以上に、面白い作品も多かった。
第27回サンパウロ・ビエンナル その37 作品26。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。
こういうのは、よく分かりません。
※※このブログで使用しているすべての画像および映像については、
それぞれ著作権者がある。
このブログを通じての2次使用は一切禁止する。
※※リンクは、この記事にすること。
画像および映像への直接リンクは禁止。
※※サンパウロ・ビエンナルの作品を紹介していくが、
写真についての著作権は強く主張する。
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より解像度の高い画像を望む場合は、個別に対応する。
サッカー・ブラジル選手権2006 その407 サンタナのクレーベルは、まだサントスに残る。
サントスSantosのファンは静かになるだろう。
左SBのクレーベルKléberは2007年のリベルタドーレスLibertadores杯でプレイする前にサントスを出ることはないと言った。
今週、クレーベルが、イタリアのローマRomaとラツィオLazioそしてロシアRússiaのチームからのオファーによって揺れているのではないかという見方があった。
「そういうオファーは事実ではない。 ローマRomaは自分のサッカーに関心があるが、誰も正式なオファーをしていない。 サントスにいて、良いかたちでリベルタドーレスLibertadores杯を戦いたい」と、ヴェンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督を喜ばせることを、言った。
しかし、リベルタドーレス杯の後は、サントスAlvinegroの今の選手のなかで、一番高い給与を受け取っている1人であるクレーベルは、旧大陸Velho Continente特にイタリアItáliaの新しいユニフォームを検討することを認めた。
「イタリアの大きなクラブでプレイするのは全ての望みである。 自分も違わない。 しかし、その前に、リベルタドーレス杯に参加したい」と、クレーベルは打ち明けた。
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リベルタドーレス杯は、ブラジルの選手にとっては特別だ。
せっかくの出場機会を逃したくないのは当然だ。
sexta-feira, 1 de dezembro de 2006
サッカー・ブラジル選手権2006 その406 エーメルソン・レオン監督がニウマールは自分のものではないと言った。
コリンチャンスCorinthiansの監督のエーメルソン・レオンEmerson Leão監督が、ボランチのマスケラーノMascheranoとFWテベスTevezが出て行った時と同じフレーズを、ニウマールNilmarの状況について話す時に繰り返した。
「彼はもう自分の所有物ではない。 署名された契約がないものはコリンチャンスCorinthiansの所有物ではない」と、エーメルソン・レオン監督は明言した。
ニウマールNilmarは引き続きパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeで治療を続けている。
コリンチャンスは、11月29日(水)に8百万ユーロを回収しようとするリヨンLyonによるFIFAへの訴えに対して回答書を出した。
係争は別にして、コリンチャンスのサッカー担当役員のエヴァール・シモンエスEdvar SimõesはニウマールはまだコリンチャンスTimãoから給与を受け取っていると明言した。
「ニウマールNilmarは宙ぶらりんである。 しかし、彼はトレーニングをしているし、コリンチャンスCorinthiansから契約に規定され散るものを受け取っている」と明らかにした。
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ニウマールの件は、、まさか年越しということにはならないだろう。
サッカー:ロマリオはまた無得点。
ロマリオRomárioがまたもう一度アデレード・ユナイテッドAdelaide Unitedで得点をあげなかったとしても、ロマリオはこの12月1日(金)にメルボルン・ヴィクトリーMelbourne Victoryに3対1で敗れた試合で2つの記録を破ったのを見た。
豪州のサッカーの歴史で最初に、豪州での試合で全ての入場券が前売り段階で売り切れた。
もう一つの記録は、もっと多くのブラジル人が、豪州サッカーの第1部での同じ試合にいたことである。
後半30分には、4人がグラウンドにいた。
ロマリオの他には、同じアデレード・ユナイテッドのFWフェルナンドFernando、メルボルン・ヴィクトリーには、MFフレッヂFredと左SBアレサンドロAlessandroがいた。
前には1980年と2000年に、同じ試合で3人のブラジル人がプレイしたことがあった。
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この試合も、同時中継された。
「20061201GloboEsporte-Romario.wmv」をダウンロード
豪州のサッカーは、何かあの豪州ラグビーのようだ。
GKが、相手を蹴って退場になってしまった。
ロマリオのおかげで、満員になったのであれば、興行的には十分元が取れるはずだ。
おまけにロマリオがゴールも決めてくれれば、次の試合も満員になるだろうに。
(試合映像録画済み)
ブラジル・サンパウロの「節夫」の車。
ブラジル・サンパウロの中心部のやや南東にカンブシという地区がある。
以前は、古い倉庫街のようなところで、ごちゃごちゃしたとした印象しかなかったのだが、このところ何か明るくなってきた。
サンパウロ市の治安が以前よりも多少よくなったこともあるのかも知れないが、
この地区自体の変化はそれよりも大きな気がする。
商店街も綺麗になって、活気がある。
高台の住宅街に、新築のアパートが建ち並んできたせいだろうか。
かなり古い型のVWのゴルという車種だ。
「節夫」さんの車だ。
見てすぐに分かった。
なによりも、窓に名前が書いてある。
ブラジル・サンパウロでは、たとえポルトガル語でも名前をこのように明記している車は、まず無い。
誰も読めないと思って貼ったのだろうか。
でも、何のために。
よく街で見かけるのは、「愛」だの「和」だの「繁栄」だの貼り付けた車だ。
でも一時より減ってきたような気がする。
ステッカーが剥がれてきたのだろうか。
「節夫」さんの車を運転していたのは、
どうみても、「アントニオ」とか「フランシスコ」という名前のような人だった。
ちらりとみえた横顔がそうだった。
「カルロス」だったかもしれない。
ブラジル・サンパウロのナタル2006 その7 パウリスタ大通り2。
ブラジル・サンパウロの業務中心部を貫くパウリスタ大通りは、サンパウロの繁栄のシンボルだ。
いつも紹介している銀行のイタウ・ペルソナリテ(旧ボストン銀行)の支店もここにある。
そのほかに、いくつかのナタウ(=クリスマス)の飾り付けを見ることが出来る。
ブラジル最大の民間銀行のブラデスコBradesco。
そのブラデスコのプライベートバンクがブラデスコ・プライムBradesco Prime。
ブラジル・ポルトガル語では、本当はブラデスコ・プリミと発音するべきだろうが、富裕層だけを相手にするので、英語の発音している。
ことしは、ここもちょっと頑張っている。
昨年は、建物にリボンをしたくらいであったが、
今年は大きなサンタクローズと、プレゼントの箱を置いた。
第27回サンパウロ・ビエンナル その36 作品25。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、一般公開が始まっている。
12月17日まで開催である。
床に、白にクッションが10数枚敷いてあった。
並びはよく変わっていた。
あまりにリラックスして、何か怪しく、淫靡な雰囲気を醸し出すご婦人もいた。
クッションだけではなく、写真がいっぱい貼り付けられたような額も床にあった。
モニターもあって、そういったものを流していた。
そして上には、小さな気球の模型が2個吊されていた。
寝ころばないと気付かないものだ。
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サッカー・ブラジル選手権2006 その405 サンパウロFCはほとんどの正選手が休暇入り。
技術委員会の計画に従って、サンパウロFCの6人の選手が今期はトレーニングセンターに現れる必要がない。
DFファボンFabão、MFダニーロDanilo、GKロジェリオ・セニRogério Ceni、MFミネイロMineiro、MFジョズエJosué、左SBジューニオルJúniorは休暇を前倒しにした。
イウシーニョIlsinho、ミランダMiranda、そしてアロイーゾAloísioも同じ様になる。
日本の鹿島アントラースKashima Antlersとの契約によって、DFファボンFabãoとMFダニーロDaniloはすでにクラブから別れている。
ロジェリオ・セニRogério CeniとミネイロMineiroは、ブラジル代表だったので、ワールドカップの時の休暇を取れなかった。
ジョズエJosuéとジューニオルJúniorは共に来年トレーニングに戻ってくるが、身体に問題がある。
右SBのイウシーニョIlsinhoと、DFミランダMirandaは、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最終節の試合として12月3日に行われる対パラナParaná戦には、出場停止なので、休暇を前倒しにするはずだ。
FWアロイージオAloísioは、治療中で、試合には出場しない。
これによって、クリチーバCuritibaで行われる対パラナ戦でサンパウロFCの正選手で出場するのは、MFソウザSouzaだけである。
DFアンドレ・ヂアスAndré Diasは出場する。
レアンドロLeandroも休暇を前倒しにするかどうかはまだ分からない。
サンパウロFCの来シーズンは、1月4日に再集合となっている。
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今年のサンパウロFCは、控えのチームも強かったのだが、
最後の試合はどうなるのか。
パラナは、リベルタドーレス杯の出場権がかかっているので、本気のメンバーになる。
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