ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。
これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく。
番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっており、東部、北部、西部および中心部の公園の紹介はすでに終えた。
これからは、サンパウロ市の南部の公園を紹介していく。
”緑の地図”による24番は、インデペンデンシア公園Parque Independência。
面積:161.300m²
開園:1989年
この公園で特筆するべきものは、噴水のあるフランス式庭園である。
噴水は、1922年のブラジル独立100年 (centenário da Independência do Brasil)を祝って計画され、2004年に再整備された。
公園は、ドン・ペドロ1世D. Pedro Iが1822年に国の独立を宣言したイピランガIpirangaの丘にあり、歴史的場所である。
公園の中には、サンパウロ大学USPが所有するパウリスタ博物館Museu Paulista,と、イタリア人のエットーレ・シメネスEttore Ximenezによる「イピランガの叫び」"grito do Ipiranga",を讃える彫刻がある。
住所 :Av. Nazareth, s/n - Ipiranga
電話 : (11)2273-7250
開園時間: 5h-20h
サンパウロ市の中心部セントロから直線で南南東に4キロ離れた南部にある。
主な設備は、博物館、フランス庭園、噴水、遊び場、器械運動器具、散策路。
駐車場はある。
Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)



南北にとても長い公園である。
北が低く、南に向かって徐々に高くなってくる。
公園は、パトリオッタス通りを境に南北2つに分かれている。
北側の東側半分には立ち入る事は出来ない。
未整備の部分も残っている。
南側に、フランス庭園、噴水、パウリスタ博物館、遊び場、散策路がある。
公園は、サンパウロの中心部から東部や南部を結ぶ道路交通の結節点にある。
公園の北部は交通量が多い通りに面している。
入り口は、公園北部と南部にそれぞれ3箇所。
公園の西側や南側は、基本的には1戸建ての住宅地。
中流の中もしくは下の住宅地。
アパートも徐々に増えてきている。
また、学校がとても多いところでもある。
駐車場は、公園南部の西側にある。
100台程度は駐車可能である。
休日はこれでも当然足りない。
周辺に路上駐車することは可能である。
特に、博物館の東側の住宅地や北部の記念碑の東側には、路上駐車が多い。
北部の記念碑の東側は商工業混在地域で、やや劣悪な環境になっている。
休日は閑散としている。
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この公園に行ってみた。
サンパウロ市営公園に共通なデザインによる公園名表示板。

右手に遊び場がある。
奥が散策路。

散策路。

大して長いわけでもなく、通路も狭いのだが、暗く、湿気ていて
若干の秘境感はある。

竹林もある。
竹の幹が黄色いのが特徴だ。

博物館前から見たフランス式庭園。
(クリックすると拡大する)

フランス式庭園の街路灯。
この日は、大雨だった。

博物館の内部は撮影禁止。
入り口からこっそり撮影してみた。

博物館の入り口にあった水準点の標識。
サンパウロの他ではまだ発見した事がない。
こんなものを探して歩いていたら危険である。

噴水の向こうに、独立記念塔が見える。

庭園から見た博物館。

庭園の正面から噴水越しに見た博物館。

ジョギングをする女性。
こういう風にスタイルきめている人は、中流の上以上である。

庭園の脇の一段高いところから見た博物館。

一段高いところへ登る通路。

公園名称表示板。

1922年は、独立100周年の年である。
このあたりが整備されたのも、それを記念しての事。

公園北部の中央の通路から独立記念塔を望んだ。

公園北部の中央の通路から博物館を望んだ。

独立記念塔から博物館を望む。

独立記念塔の北側には、イピランガ川が流れている。
国歌にも唄われる川である。
残念ながら、汚染の問題がある。
水に触れる事は出来ない。

川を挟んだ対岸には、国旗の掲揚塔がある。
何ヶ月か前にこの国旗が盗まれた。
たわけ者がいる。
監視も気付かなかったというから、手際がよかったのだろう。
でも国旗を盗んでどうしたのか。
愉快犯だろう。

独立記念塔は北を向いている。

その北側には点火台があり、火が燃え続けている。




独立記念塔の中には、
ポルトガルからの独立を宣言し、初代皇帝となったドン・ペドロ1世とその妻レオポルヂーナ王妃の墓がある。
祭壇を中心にして、左右に向かい合う形で設置されている。



中にはいるのは無料である。
ここには警備員が何人も詰めている。
ドン・ペドロ1世は、元々はポルトガルの王子。
ブラジルの独立は、激しい戦争をしたわけでもない。
独立時の人口は約500万人。
半分が、奴隷だったそうである。
そのドン・ペドロ1世も、独立後まもなく、追い出される。
そしてポルトガルでペドロ4世として国王になっている。
幼いドン・ペドロ2世が形ばかりの、第2代のブラジル皇帝となった。
そして、最後の皇帝だった。
そのポルトガル国王ペドロ4世となったはずの墓がどうしてまたブラジルに戻ってきているのかはわからない。
いずれ調べてみたいと思う。
色々な角度から、独立記念塔を見てみた。



ちょうど大陸の中国人の団体が来ていた。

中国人というのはすごいと思った事がある。
独立記念塔のところで、学校帰りの10代半ばの3人の女学生が仲良く喋っていた。
日本でもよく公園で見かけるような風景である。
中国人は、
このうちの白人だけを、
それも言葉も出来ないのに、
強引に腕を引っぱって連れ出した。
そして、仲間数人と一緒にその彼女を入れて記念写真を撮っていた。
黒人系は無視である。
何というあからさまな人種差別かと唖然とした。
まったくひどいものだ。
ブラジルまで来ている団体なので、
共産党か政府の幹部のはずである。
それが、よその国に来てまで、こういう狼藉を働いてきたのである。
白人に関する中国人の深い劣等感を示しているともいるが、
同時に日本人もここまで事はしないかもしれないが、
近いものはあるのではないかと思った。
自分は、仲良しの3人を一緒に写真を撮ってあげた。
仲良しなのだから当然である。

ブラジルは、そういう国である。
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この公園の北部はイピランガ側が南西から北東に抜けており低地である。
南に向かって徐々に高度を増してくる。
非常に緩い坂である。
公園のあるイピランガの丘の西側にイピランガ川が走っており、この川の両岸を利用して大通りを南に行くと、サントスへ向かうハイウェーとなる。
東側のタマンドゥアテイ川の両岸も大通りになっており、サン・カエターノ・ド・スル市、サント・アンドレ市、マウア市、リベイロン・ピーレス市につながっている。
このタマンドゥアテイ川の両岸は工業・物流地区である。
平日は大型車の通行が多い。
しかし、近年西岸になるイピランガの丘側は、工場の移転があり、かなり静かになっている。
以前は、平日は東部に向かう車両で大渋滞していた。
イピランガの丘は、区画がきちんとして見えるが、それだけに一方通行が多い。
突然、一方通行が対面通行になったり、一方通行が逆になるところがあるので油断してはいけない。
周辺は、基本的に割と古い住宅地。
中流の中もしくは下程度か。
近年アパートが増えてきた。
休日は、幹線道路を除いてはとても静かなところである。
なお、学校や病院がとても多いところである。
古くから開けたところだけに、大規模なファヴェーラはない。
ただ、低地の商工業混在地域には、低劣な住宅がある。
公園のすぐ近くでは、公園の北東端付近がそれにあたる。
とても危険という地域は他にはない。
通常に、周囲に気を付けていればよいだろう。

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サンパウロの歴史的中心部のセントロから、
この公園に至るアプローチは簡単である。
エスタード大通りを南東に行き、
ドン・ペドロ1世大通りに入り真っ直ぐ南に行けば突き当たる。
(紺色の経路。)
駐車場に行くには、右側を登っていき、パトリオッタス通りでちょっと無理をする方法もあるが、
正しくは東側に行き、パトリオッタス通りにはいるのが正しい。
公園の南北の間を抜けるパトリオッタス通りとナザレ通りの交差点の手前左側に、駐車場入り口がある。
帰路は、色々考えられるが、ベストというものはない。
どれも、複雑だからである。
(水色の経路)
駐車場入り口をでて、ナザレ通りを渡り、イピランガ川を渡り、バシリオ・ダ・クンニャ通りを登り、リンス・ヂ・ヴァスイコンセイロ大通りを右に入り、カンブシの丘を下り、そこからがやや複雑なのだが、リベルダーヂの低地部分に辿り着き、そしてさらにバロン・ヂ・イグアペ通りをのぼり、コンセリェイロ・フルタード通りを右折し、登っていくと、セ広場に行き着く。
ドン・ペドロ1世大通りからカンブシに入る方法もある。
エスタード大通りをドン・ペドロ1世広場まで行き、一旦レスチ・オエスチに入り、5月23日大通りの手前を右に出て、メリア・パウラ通りを右にはいると、そこももうセ広場はすぐ近くである。
遠回りだが単純な道である。
なお、パトリオッタス通りの公園部分は日曜日は通行止めになっている。
また、紹介した経路のうちで、大通りではないところではあるが、
少なくとも2箇所では土曜日もしくは日曜日にフェイラが開催されていて、回り道を余儀なくされる。
カンブシやリベルダーヂあたりで、突然に回り道をさせられると言う事は、とても大変な思いをすることを心しておいて欲しい。

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この公園の評価としては次の通り。
この公園は、観光地である。
そう見ておく必要がある。
少なくとも、独立記念塔とパウリスタ博物館に関しては、
何にも観光の目玉がないサンパウロでは、数少ない観光スポットである。
国際的な観光スポットではないが、
ブラジル人ならば一度は訪れてもよいところである。
サンパウロで、観光バスに乗ると一応ここはかならずはいるはずである。
がっかりするかどうかは、それぞれの価値観の問題である。
平日でも、
そういった観光客が訪れている。
観光バスに乗ってやってきた団体客もちらほらと見かける。
おもに、独立記念塔のほうに多い。
写真を撮って終わりである。
博物館は、時間がかかるのと、疲れるのと、
たいしたことがないと言えば、確かにそうなので割愛される事が多い。
この博物館と独立記念塔は、あくまでも観光スポットである。
サンパウロの人でも、これらは2-3回訪れれば十分なはずである。
学童の頃に、学校で行ったきりという人も多いはずである。
博物館と独立記念塔に公園に行くたびに必ず行くという人もいないはずである。
これらを除いてこの公園の評価をする。
南北に長いこの公園を区域分けしてみた方がいいだろう。
北部は、独立記念塔をのぞくと、広く緩やかな坂になっている。
その真ん中と記念塔の周辺は舗装されている。
平日は静かだが、休日は子供達でいっぱいである。
たこ揚げをしたり、ローラースケートやスケートボートをする子供が多い。
とても賑やかである。
そういった意味で、落ち着かないという事も言える。
森になったところが少なく、日陰が少ないので、晴天の時は、日中はとても暑い。
周囲の車の通行が多く、騒音も大きい。
公園南部は、
庭園部分と博物館の周囲に分けられる。
庭園は見事である。
休日でもそれほど人は多くないので、ベンチに座って過ごすのも悪くない。
庭園の東西の一段高いところにもベンチは多く、そこは木陰も多いので涼しい。
特に東側が静かである。
サンパウロでは、このように整った庭園になっているところは他にないので、ちょっとだけ別の国に来たような気分にもなれる。
博物館の前は広場で、庭園を一望するのにはよいが、ベンチはない。
それほど広くもない博物館の裏に、公園らしい設備が集中している。
ただ、木が茂っているので、遊び場も含めて、湿っぽい。
薄暗い。
それぞれの設備の規模も大きくはない。
その割に人は多い。
ジョギングやウォーキングをする人は、
博物館裏の散策路や博物館の周囲を回っている人が多い。
庭園部分や、北の部分には多くない。
もちろん、ジョッギングやウォーキングをする人はまず白人の中流の中以上である。
こういった発言力のあるスポーツ愛好家の圧力があるのだろう。
この公園の開園時間は5時から20時までと、とても長い。
また、日の出前と日没後にも開園しているという事は、
とりもなおさず園内の治安には格別の配慮がなされているという事である。
つまり、かなり安全なはずだ。
もちろん、自己責任であるが。
この公園は、南北にとても長い。
端から端までいるくと、歩くと意外に疲れる。
この公園は、
観光地なので、実に色々な人が訪れる。
北部に多い子供達は、その周囲の劣悪な環境の子供も多い。
ただ、博物館のような有料施設には、白人が多いので、全体としてみても白人が多いようだ。
社会階層の高そうな白人も散見する。
住民も、宅地としての開発の歴史が長い、高台に住んでいるのは、白人系が多い。
この付近には日系人は少なからず住んでいるはずなのだが、公園ではそれほど見かけない。
だが、観光地なので、日本人がいても不思議ではないだろう。
公園として考えた時には、フランス式庭園にしか魅力はない。
そこで時を過ごしたいならば、この公園に来る意味はある。
それ以外には魅力はない。
そして、ついでに博物館にも足を運ぶのも悪くはない。
博物館は有料と言ってもたかがしれているので、何度も通っても悪くはないはずだ。
何度か行くと、この博物館のいいところも見えてくるはずである。
公園の景観としては、独立記念塔と博物館の存在無しには語れない。
サンパウロで最もフォトジェニックなところである。
尚、この公園はトイレの設備が極めて少ない事で知られている。
2箇所しかない。
北部の独立記念塔の中に一箇所、
そして南部の遊び場の隣に1箇所である。
そしてこのトイレは湿気ていて、且つ混んでいる。
博物館の内部にもない。
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