ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
州営公園の4番目として、州営の公園の中でももっとも面積が広いセッハ・ド・マール(=海岸山脈)州立公園Parque Estadual da Serra do Marを紹介した。
広大なこの公園域でセンターとして公開されている部分のうち、サンパウロ市域内にある「クルクツ・センターNúcleo Curucutu」を紹介してきた。
このクルクツ・センターがあるセッハ・ド・マール州立公園はは、サンパウロ市の最南端部に位置しているのだが、その公園域の北側が、サンパウロ市によって、カピヴァリ・モノス環境保護区に指定されている。
カピヴァリ・モノス環境保護区Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monosは、公園ではないのだが、サンパウロ市環境緑地局が管轄している地区であり、「緑の地図」にも記載されている。
この地区は、自然環境だけではなく、歴史的遺産、産業的遺産、さらには人文的に重要なインヂオ集落、天文学的地質的にも貴重な地形が存在し、観光的にも今後、自然と調和したエコ・ツーリズムの発展が見込めるところである。
この機会に、このカリヴァリ・モノス環境保護区Área de Proteção Ambiental (APA) - Capivari-Monosも紹介している。
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クルクツ・センターNúcleo Curucutuに行く道を紹介したときに、
鉄道線路を越えた。
この地域には、鉄道が1本通っている。
この鉄道の駅が、カピヴァリ・モノス環境保護区Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monosにある。
エヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザEvangelista de Souza駅である。
この駅は、現在、サンパウロ市最南端の駅である。
この駅を紹介する。
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途中までは、コロニア隕石口に行く道と同じである。
コロニア市街地を南に向かう道はバハージェン街道という道で、
その名の通りバハージェン地区に向かっている。
片側1車線の舗装道路である。
それほど交通量は多くなく、道なりに行くとバハージェン地区にはいる。
多くの途中の分かれ道は、非舗装であるので、間違う事はないだろうが、
ノヴァ・アメリカ地区では、直進方向やや右に舗装道路が延びているが、
これはその地区内で行き止まりである。
バハージェン街道は、ここでは緩やかに左にカーブしている。
バハージェン街道は、バハージェン地区にはいる前にくだり、
左手に真っ直ぐ延びた堰堤が見えるところを通る。
この堰堤が、バハージェンの名の元になった堰堤である。
現在は、ビリングス湖が出来た事もあってか、その機能を終えているようだ。

堰堤の西側には、警察の派出所がある。
この堰堤の上にも道路が東に延びているが、この道は通らない。
南に向かう。

すぐにバハージェン地区にはいる。
バハージェン地区といっても、道に沿って、家がまばらに並んでいるだけである。
バハージェン地区は、
先ほどの堰堤の作った貯水池の東西に別れており、
この西側の地区の方が小さいが、バスの終点があるのは西側の地区である。

このバハージェン地区をぬけて、
そのまま道を南にすすむ。
この先、道の名前はエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ街道と変わる。
もっともそういった表示は何もない。
地区の外れからは、非舗装道路に変わる。

この非舗装道路は、
徐々に悪路になる。

とくに、数百メートル行き、全く表示のない三叉路以降は、筆舌にしがたい悪路になった。
細く曲がりくねり、上り下り、そして滑る。
路面も、泥道に石が突き出ているような状態で、
さらに流水で深い溝も掘られていた。
慎重な運転をしていても、車の底部を擦る音がした。
この区間では、とても悠長に写真を撮る気持ちになわれなかった。
まわりは全て森の、こんなところにも、まだ農場が点在し、人家もあった。
オーナーではなく、管理人が住んでいるのだろう。
こういった道を30分近くいくと、
やっと開けたところにでた。

線路が見えた。
線路は、西の方から来て、大きく南に曲がっていた。

線路沿いの側道を、南に向かう。
もちろん非舗装だが、線路沿いなので、平坦であり、状態はよい。
しばらく行くと、
廃墟のような3-4階建ての建物と、
白と青に塗り分けられた平屋がある。
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廃墟のような建物は、
以前は食堂だったそうだ。

この平屋は、警察Policia Civilの派出所である。
この先はもう車で行ってはいけないと言う。
歩いていくようにといわれた。
車をおいて、
線路沿いに南にあるく。
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5分も歩くと、
停車中の機関車などが見えてくる。
その先に建物が見えてくる。
また線路が別れて、広くなってくる。

朽ち果てつつある貨車なども止まったままだ。
保線工事をしている人たちが結構いた。
更にそこをとおりすぎて、
また5分ほど行くと、
建物そして、プラットホームが見えてきた。

プラットホームは、1面しかない。

ここがサンパウロ市最南端の駅の、エヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅である。
この路線は、1996年までは、旅客輸送もしていたが、今は貨物だけである。
当時は、この駅にも旅客列車が止まり、プラットホームが人で賑わっていた事もあったようだ。

駅以外には何もないところである。
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この鉄道そのものについては、「ブラジル・サンパウロの鉄道」というシリーズでもつくって、いずれ別の機会にでも、詳しく触れてみたい。
元々はソロカバナ線といって、
サントスから、サンパウロ州内陸部を結ぶ鉄道であった。
サントスから内陸部へ向かう鉄道は2本あるが、そのうちの一つである。
もう一つの鉄道は、パラナピアカーバを経由して、
サンパウロ市中心部へ向かっている。
いずれの鉄道も、日本人の集団移民の人たちが、
サントス港に到着後に乗せられて、
移住地へ向かうときに乗った列車である。
1920年代に建設されており、当時も今も、サンパウロ市中心部には向かっていない。
※このエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅から北に向かう線路は、ピニェロス川に沿って、
サンパウロ市西部を通りオザスコ市に向かっていた。
現在その一部は、近郊路線として、複線電化されている。
この鉄道は、このエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅からは北西にむかい、
エンブー・グアス市、コチア市南郊、サン・ロッキ市、アルミニオ市などを通ってボツカツ市方面に向かう。
現在は、内陸部からの大豆などの穀物などをサントス港に運ぶ基幹路線の一つである。
この鉄道が止まると、油脂穀物の相場が上がるかもしれない。
今、この路線を運行している会社は次の会社である。
ブラジル南部のみならず、アルゼンチン中部の路線を統合している大会社になっている。
路線のある地域で、メルコスルの75%のGDPを占めているという事である。
ALL - America Latina Logistica do Brasil S/A
Rua Emilio Bertolini, 100 - Cajuru
Curitiba - Parana - Brasil

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このエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅から南に向かうと、サントスなのだが、
標高差約800メートルの海岸山脈の急崖を下りるために、
線路は大きく迂回していかなくてはならない。
エヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅からしばらくはそれほど高度は下がっていかないのだが、
東に回りつつ、
海岸山脈と海の間にある前山脈の山腹を利用して、線路は進む。
この路線は、イミグランテスを使って車で、海岸に下りるときに、前山脈の山腹に斜めに
筋が入っているのに気付いた人もいるだろうが、その筋が線路である。
時速15キロで、2時間かかって、山を下りると、駅長さんは説明してくれた。
たぶん駅長さんだ。
色々と説明をしてくれた。

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駅名表示は残っている。
北隣のバハージェン駅は廃止駅である。
線路もない。
エンジネイロ・フェハス駅は、イタニャイン市域になる。

駅舎には、BARも営業している。
お客は、駅関係者と工事関係者くらいしかいないはずなのだが。


店番の子供。

止まっていた機関車。



きつい傾斜の上り下りに使うので、かなりの馬力があるものと思われる。
それも3重連もある。
上り下りの基点として、存在している駅だ。
ここで、この先必要のない機関車を切り離しているようだ。
一列車は、割と長大で、数百メートルどころではない。
この駅は、離合のポイントとなっているようである。
レールが3本ある理由は聞き忘れた。

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この駅に来るのにエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ街道を通ってきたわけだが、
あまりにひどい道だったので、
他にないのかと聞いた。
エンジネイロ・マウシラッキ市街地に向かう道もあるが、
これは良くないようだ。
エンジネイロ・マウシラッキに向かう線路に沿ってしばらく行くと、
道は山の中にはいるようだ。
実は、
このエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅から北に向かっていた路線は線路はとうに外れているのだが、
路床はそのまま残っている。
その路床が今は道路になっているのだ。
現存の路線と廃止路線の分岐点。

来たときは、右側から出て来た。
廃止路線の跡の道は、コンクリート柱の右を真っ直ぐ行けばよい。

道は舗装されていなので、多少穴は開いているが、幅は広い。
何よりも鉄道路線の跡なので、平坦である。
行きが行きだったので、かなり快適であった。
やがて、この道路もおわりになる。
路床は続いているのだが、道路にはなっていない。
そこを、右に下る。

そうするとそこは、バハージェン市街地の南の外れにあった3分岐点であった。
はじめからこの道を行けばと思ったが後の祭りである。
この路床の道は、名前もないし、地図にも出てこない。
そのまま、来た道を戻った。
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このエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザという地名のものになった人物は、
イリネウ・エヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザIrineu Evangelista de Souza子爵といって、
ブラジルでは大変偉い人であったようだ。
鉄道の父とも言える人で、鉄道大臣を務めている。
そのほかにも、色々な会社を設立に関わっている。
そういうことが出来た時代だったのだろう。
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ブラジルにも大変な鉄道ファンがいることが分かる。
このエヴァンジェリスタ・ヂ・ソウザ駅についての説明である。
この鉄道の多くの駅が、
廃止され、廃墟となっているのが悲しい。
ブラジルの鉄道全駅を調査しているらしい。
リンクからも、なかなか興味深いサイトに行くことが出来るが、
鉄道については、また別の機会にしたい。
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