sexta-feira, 30 de novembro de 2007
ロマリオRomárioは、11月30日(金)に他の同僚たちと共にサン・ジャヌアリオSão Januárioで素早くトレーニングをした。
ロマリオは、ボボ廻しroda de boboに参加し、すぐに筋トレ室に行った。
クラブを出る時は、ちょうど試合形式の練習が終わる前だったが、ロマリオはちょっと見たただけで、日曜日に行われるブラジル選手権最終節のパラナParaná戦の出場は確認しなかった。
コリンチャンスCorinthiansとの試合のあと、ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督はパラナとの試合ではロマリオRomárioを使いたいと言っていた。
ロマリオBaixinhoは、米国のマイアミMiamiに出発した先週の水曜日から、サン・ジャヌアリオSão Januárioに現れていなかった。
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ロマリオRomárioは今年はもうプレイしない。
金曜日のサン・ジャヌアリオSão Januárioでのトレーニングの後にヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督が発表した。
ロマリオはクラブに現れた。
しかし少しして、すぐに出て行った。
ヴァウヂール・エスピノーザ監督は、ロマリオと話をして、ロマリオはグラウンドに出る状態だとは思わないと明かしたと、言った。
ヴァウヂール・エスピノーザ監督は、ロマリオBaixinhoのマイアミMiamiへの旅行は計画を狂わせたと思っている
「出ない。 トレーニングの前にロマリオと話をした。 ロマリオは駄目だ、パラナParaná戦ではプレイすることはないと決めた。 ロマリオはよくトレーニングをしていたが、あの旅行で 少し狂ってしまった。 ファンは理解してくれると思う。 状態のよい選手がグラウンドにいることを望んでいるからだ」と明言した。
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2008年のリオ・デ・ジャネイロ選手権には、本当に出場するのだろうか。
その前に、年末に、幾つかの”草試合”でプレイするはずだが。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジャは、水辺に棲息する鳥ではない。
樹上もしくは平地で見かける小鳥である。
だが、どういう訳か、びしょぬれになるのが好きだ。

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11月28日(水)21時45分から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、ブラジル選手権の第37節のコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦を観戦に行った。
いつもは、試合開始前30分頃に家を出るのだが、
満員になると分かっていたので、
1時間半前に家を出た。
パカエンブー競技場の脇にある、
デヴィッヂ・ベン・グリオン広場にも、
ちょっとのどを潤し、腹ごしらえをしている観客がいっぱいいた。
この人たちのおかげで、広場の植物が傷むのだ。
おまけに、このあたりでは花火を上げまくるので、うるさい。

デヴィッヂ・ベン・グリオン広場はイタポリス通りに面しているのだが、もう人でいっぱいで車も動きがとれない。

パカエンブー競技場の横ももう人で埋まった。
試合開始1時間半前に、こんな状態になるのは、2006年5月以来だと思う。

向こう正面スタンドの入り口から、正面スタンドをのぞいてみた。
この時間にしてはもうかなり埋まっている。
急いだのだが、何しろ人がいっぱいで、時間がかかった。

パカエンブー競技場の正面入り口。

パカエンブー競技場の正面のシャルレス・ミラー広場に置いてある大きな袋。
これは、空き缶やペットボトルを入れるために置いてある。
競技場内にはこういった物は一切持ち込めないので、外でいっぱいやったあと、この袋に入れて競技場内にはいるのである。
でも、この袋の中はいつまでたっても空き缶がいっぱいにならない。
というのは、廃品回収を生業としている人たちがお金になるアルミ缶をどんどんと持っていくからである。
こういう人たちが何人も競技場周辺を歩き回っている。
サンパウロの廃品回収は、実際このようになっているので、空き缶を道で見つけることは難しい。

シャルレス・ミラー広場。
※クリックすると拡大する。

20時30分前には競技場内にはいることが出来た。
南側ゴール裏席のトボガン席にも割と観客がいた。

北側ゴール裏席のガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様のお席。

徐々に入ってくる。



21時35分頃に、選手の紹介が始まった。
まず、ヴァスコ・ダ・ガマの選手からだ。
当然、罵声が飛ぶ。

ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様は、
アルミ箔をずっと飛ばしておられた。
そういう仕掛けも持ち込んだようだ。

バンデイランチ局の女性レポーター。

コリンチャンスの選手紹介。

ネルシーニョ・バチスタ監督。

コリンチャンスの選手を待つ子供の列だけではなく、
ヴァスコ・ダ・ガマの選手を待つ子供の列も出来た。
こんな遅い時間なのに。
アウェーのチームではめずらしいことだ。
それも、なんとコリンチャンスの子供より人数が多かった。

Globo局のマウロ・ナヴィというグラウンド・レポーター。

ヴァスコ・ダ・ガマの選手が入ってきた。

ヴァスコ・ダ・ガマのファンに挨拶。
当然、競技場全体からは大罵声。

ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様のお席もほぼ埋まった。

ヴァスコ・ダ・ガマのヴァウヂール・エスピノーザ監督。

早速記者に囲まれる。

かなり遅れて、コリンチャンスの選手が入ってきて、グラウンドの中央で挨拶。
この時点で、試合開始予定時刻の21時45分を過ぎていた。

コリンチャンスの選手の記念撮影。
※クリックすると拡大する。

ヴァスコ・ダ・ガマの選手の記念撮影。
※クリックすると拡大する。

国歌演奏。

コリンチャンスのファン組織エストピン・ダ・フィエウの幕が上段から下に広がった。

左側の青のユニフォームがGKフィリッピ。
そして、右のヴァスコ・ダ・ガマの選手がFWレアンドロ・アマラルである。

続く。
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ブラジル・サンパウロの業務中心街パウリスタ大通りにあるレアル銀行Banco Real。
来年は、この銀行も名称が変わるかもしれない。
今年も、例年同様(2006年)(2005年)に、ナタウ(=クリスマス)の飾り付けを終えた。
外装は一見地味である。

上で、パパイ・ノエルPapai Noel(=サンタクロース)がうつぶせになっている。

この銀行の場合は、飾り付けは建物の内部に設置される。
巡回式になっている。
今年のテーマは、Escola de Papai Noel(=サンタクロースの学校)だそうだ。

入り口の右側には、親切に案内図まであった。

入り口を入って左の方に進む。
もちろん、無料である。

次々に、飾り付けが現れていく。



吹き抜けの最上層まであるツリー。

ステージでは、時折ミニ・コンサートも開かれる。

ここにいる人たちは、男性も女性も服装にまでこだわっている。
じっとしているとまるで人形のようにも思える。
実際そのようなパフォーマンスもやってくれるのである。

もう例年のことなので、
楽しみにやってくる人たちがいて、
写真を撮るのもすっかり当たり前のことになっている。

飾り付け。







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暗いのだが、ストロボを使うと、このように白けた色になるので、出来るだけストロボは使いたくない。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。
このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。
グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
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どこが日本なのか、皆目見当が付かないグラフィッチ(壁絵)。

暗そうな顔をした若者が日本を表しているのかも。

落書きによって、全くオリジナルのものを失ってしまい、
全く判読できなくなってしまったグラフィッチ(壁絵)。

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11月28日(水)に、パカエンブー競技場で、ブラジル選手権2007の第38節のコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦が行われた翌日。
サンパウロ市内で発行された新聞は、当然、この試合が1面で取り扱われる。
一流紙の2紙の一面。
※クリックすると拡大する。


そして、やや庶民的な新聞3紙の一面。

写真が秀逸だったのは"Agora"紙の写真。

見にくいかもしれないが、
写真の下の方は、パカエンブー競技場の選手通路で、グラウンドとロッカールームを地下でつないでいる。
そこで、コリンチャンスの選手たちがグラウンドに出る前に、輪になっているところを撮している。
そして、上部は、パカエンブー競技場の南側ゴール裏席のトボガン席で、観客が写っている。
そのどちらにも、焦点が合っている。
芸術的な写真が好きなブラジルの新聞であるが、この写真はその要求にかなっている。
この写真は"Folha de S.Paulo"紙のスポーツ面でも使用された。
使われている写真が各紙違うのは、
写真に相応しいシーンがなかったこの試合の内容を端的に表している。
コリンチャンスがゴールでも決めていれば、当然そのシーンが使われただろう。
そんなシーンは一つもなかった。
もし、コリンチャンスが勝っていた、降格を完全に免れたとしたら、
選手たちと観客が一緒になった感動的な写真が1面を飾っただろうが、
そんなことは夢のまた夢だった。
テレビでは、11月29日(木)の夜になっても、全国ニュースで、この試合のことが報じられていた。
Globo局によると、コリンチャンスの降格率は50%だそうだ。
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quinta-feira, 29 de novembro de 2007
ダフ屋cambistasはパカエンブーPacaembu競技場で「お祭り」をした。
ブラジル選手権Campeonato Brasileiro2007の第37節の試合として11月28日(水)に行われたコリンチャンスCorinthians対ヴァスコ・ダ・ガマ戦のために多くの警察がいたので、こっそりとしたものだったが、ダフ屋はチケットを最高100レアル(=約6500円)で売った。
興味深いことに、売られたチケットはネスレのプロモーションの一部として行われた。
チケットの権利を得るために、ファンは決まったビスケットを3個を持って、チケット交換するところに持っていく必要があった。
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ダフ屋の組織は、相当に強力なようだ。
長い伝統があるのだろう。
元締めは、ビスケットを何百箱も買って、チケット交換所の責任者(もしくはネスレと)と交渉し、数千枚以上のチケットを事前に手にしている。
それを、販売係に振り分けるわけだ。
販売も、中間の人間がいる。
末端の人間は、ただ数枚を持って、販売するだけである。
警察に捕まっても、被害を小さくする目的もある。
ビスケット3個で、数レアルである。
その儲けの多さが分かる。
ダフ屋といっても、競技場の周辺で売っているだけではない、
電話で注文を受け、配達もしてくれる。
競技場で長い時間並んで買うくらいならば、こういうダフ屋を使った方が、簡単で苦労もないと考える人が多いのも事実である。
忙しい人は、ダフ屋から買うのが当たり前だと思っている人も多い。
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ドゥンガDunga代表監督によって初めて招集されたオリンピック代表Seleção Olímpicaは、12月5日(水)からテレゾポリスTeresópolis市のグランジャ・コマリーGranja Comaryで、12月9日(日)16時にジョアン・アヴェランジェ競技場Estádio João Havelangeで行われるブラジル選手権優秀選手選抜seleção dos melhores do Campeonato Brasileiroチームとの試合に備えての、トレーニングを開始する。
招集選手は、11時に、サントス・ドゥモンSantos Dumont 空港とトム・ジョビンTom Jobim空港に集合し、テレゾポリスTeresópolis市に向かう。
グランジャ・コマリーGranja Comaryで、チームは水曜日16時45分からもうトレーニングを行う。
12月8日(土)に、一行はリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroに向かい、バッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijucaのホテル・ウィンザーHotel Windsorに宿泊する。
土曜日に、ドゥンガDunga代表監督は、日曜日の試合が行われるジョアン・アヴェランジェ競技場Estádio João Havelangeの芝生に慣れるためのトレーニングを16時から指揮する
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ホテル・ウィンザーは、ブラジルサッカー協会CBFの近く、
記者会見などもここでよく開かれる御用達のホテルである。
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レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは、ヴァスコ・ダ・ガマの一行がサントス・ドゥモンSantos Dumont空港に到着した時に、ヴァスコ・ダ・ガマがレアンドロ・アマラルとの契約の自動更新条項を使うとの情報は嬉しくないと明言した。
レアンドロ・アマラルによると、彼はブラジル選手権Campeonato Brasileiro2007が終了したあとに、社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaと話をする。
「こういうことでの更新は自分は嬉しくない。 本当に彼らが自動更新条項を実行すると、嬉しくない。 合意に達するようにエウリコ・ミランダEurico Miranda社長が自分と話をすることを望んでいる。 良いかたちでブラジル選手権を終わり、そのあとでもう長い話になっているこの件を解決する」とレアンドロ・アマラルLeandro Amaralは明言した。
レアンドロ・アマラルは2008年もヴァスコ・ダ・ガマに残ると認めた。
しかし時計を合わせ、サン・ジャヌアリオSão Januárioにいるために給与を改定することを望んでいる。
「ヴァスコ・ダ・ガマは更新の優先権がある。 契約についてそのオプションがある。 合意に達するようにしたい。 しかし自動更新条項にあるがどれくらい改訂されるのか分からない」と、レアンドロ・アマラルは明言した。
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「現在いるチームに残りたい」というのは、選手たちの言う常套句で、全く真実味はない。
ファンに、お金に目がくらんで出て行った守銭奴と言われたくないための言い方である。
いつかまた戻る時に、嫌われたくないから、言うだけである。
出て行くにしても、「自分は残りたかったのだが、自分や家族の将来を考えると、熟慮の上、移籍することにした。 十分な給与を支払わないクラブに責任がある」と言うための布石である。
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社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaが選手と合意に達したと保証したあとの、ヴァスコ・ダ・ガマのレアンドロ・アマラルLeandro Amaralの契約の更新の話は終わったようだ。
レアンドロ・アマラルは、シーズン中は無いと言った。
11月28日(水)に、ヴァスコ・ダ・ガマの一行がパカエンブーPacaembu競技場に到着した時に、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは契約の更新に証明していないと保証した。
「まだこの件についてはヴァスコ・ダ・ガマの役員とは何も話をしていない。 ブラジル選手権の後休暇になって、この件について話をし、決定をしたい」と言った。
将来の移籍の可能性について、レアンドロ・アマラルははっきりとしたオファーを一つだけ受け取っていると言うに留めた。
「公式には、今までにボタフォゴBotafogoからのオファーを受け取った」と締めた。
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エウリコ・ミランダ社長の発言は何だったのか。
レアンドロ・アマラルとしては、
年齢も考えると、いい給与をくれるところに移籍したいはずだ。
鹿島アントラーズにも十分チャンスはありそうだ。
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ロマリオRomárioはブラジルBrasilに戻った。
ロマリオBaixinhoは、11月29日(木)の朝リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroに着いた。
金曜日には、サン・ジャヌアリオSão Januárioに現れるに違いない。
しかし、ロマリオが、12月2日(日)に行われるブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最終節の試合として行われる対パラナParaná戦に出場するかどうかは分からない。
ロマリオは、個人的な問題の解決のためにマイアミMiamiに行っていた。
友人たちとの話で、ロマリオRomárioは先週お吸い曜日から同僚たちとの活動に参加していないので、パラナParaná戦については不安を見せた。
ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督はチームにロマリオが入ると明言した。
ヴァウヂール・エスピノーザ監督はただロマリオの決心を期待している。
先週、エウリコ・ミランダEurico Miranda社長はロマリオが2008年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaに参加すると明言した。
社長によると、ロマリオBaixinhoの引退はこの選手権の後になる見通しである。
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個人的な問題の解決とは何だろう。
個人的な問題の解決のために、シーズン途中で、クラブを離れるロマリオ。
今年は、もうプレイしないのだろうか。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジャは、
羽を繕いを終えたはずなのだが、
また水につかった。
またびしょぬれになった。

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サッカー・ブラジル選手権の第37節が、
11月24日(土)、25日(日)および28日(水)に行われた。
結果は次の通り。
11月24日(土) 第1日目
試合開始 試合結果 競技場
18h10 América-RN 0 x 3 Grêmio Machadão
18h10 Fluminense 3 x 2 Juventude Maracanã
「20071124GN22-BA37.wmv」をダウンロード
※ジュヴェンチューヂは、降格決定。
11月25日(日) 第2日目
試合開始 試合結果 競技場
16h São Paulo 2 x 2 Botafogo Morumbi
16h Internacional 2 x 1 Palmeiras Beira-Rio
18h10 Paraná 2 x 3 Santos Durival Brito
18h10 Sport 1 x 0 Cruzeiro Ilha do Retiro
18h10 Flamengo 2 x 0 Atlético-PR Maracanã
「20071125GN22-BA37.wmv」をダウンロード
※パルメイラスは、アウェーで敗戦。
※サントスは、リベルタドレース杯の出場権獲得決定。
※フラメンゴは、リベルタドレース杯の出場権獲得決定。
11月28日(水) 第3日目
試合開始 試合結果 競技場
21h45 Corinthians 0 x 1 Vasco Pacaembu
21h45 Atlético-MG 4 x 1 Goiás Mineirão
21h45 Figueirense 2 x 0 Náutico Orlando Scarpelli
「20071128encimadahora-BA37.wmv」をダウンロード
※コリンチャンスは、ホームで敗戦。
次節の第38節は、最終節である。
全ての試合が、同時刻に行われる。
12月2日(日)
試合開始 試合予定 競技場
16h Palmeiras x Atlético-MG Palestra Itália
16h Atlético-PR x São Paulo Kyocera Arena
16h Goiás x Internacional Serra Dourada
16h Botafogo x Figueirense Engenhão
16h Náutico x Flamengo Aflitos
16h Cruzeiro x América-RN Mineirão
16h Santos x Fluminense Vila Belmiro
16h Juventude x Sport Alfredo Jaconi
16h Grêmio x Corinthians Olímpico
16h Vasco x Paraná São Januário
※パルメイラスは、地元パレストラ・イタリアにアツレチコ・ミネイロを迎える。
勝利で、リベルタドレース杯出場権獲得を決定する。
※ゴイアスは地元にインテルナシオナウを迎える。
※コリンチャンスはアウェーでグレミオと対戦。
(第37節を終了した時点での順位)

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。
このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。
グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
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富士山と新幹線という、誠にわかりやすい日本。
熱海とか静岡とか、
出稼ぎとの関連を思わせる地名である。

他の文字は判読不可能である。
漢字がいっぱい並んでいるので、それらしく思えるグラフィッチ(壁絵)。
髷の部分が今ひとつ苦労したところのようだ。

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quarta-feira, 28 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロのパウリスタ大通りにあるItau Culturalというところで、”Futuro do Presente”という美術展が開催されている。

Itau Culturalがあるところは、番号で言うとパウリスタ大通りのはじまりの方だが、どちらかといえばあまり賑やかではなかったところだ。
近年やっと高層の業務ビルが建ってきて、パウリスタ大通りらしくなってきた。
Itau Culturalは、ブラジル民間銀行第2位のイタウ・グループの文化メッセ施設。
美術展や講演会などを行っている。

原則として、無料である。
この美術展は、ブラジルの現代美術の作家の作品を集めた企画展で、作品を見てどう思うかは来館者の勝手である。
見たかったのはHenrique Oliveiraという作家の作品が展示されているからだ。
いつも彼の作品は、ベニヤ板を大胆に曲げて貼り合わせて、作り上げる空間がとてもダイナミック。
今回は、ついに中を人が通り抜けられるようになった。


そのほかにも、面白い作品がいくつかあった。
頭が痛くなるような作品もあったが。
ふと見上げると、建物の外にも作品が展示してあった。
隣のビルとの間にケーブルを渡し、自転車が吊されてあった。

公道上である。

好みの問題だが、この美術展はお勧めだ。
「20071116JNsp-Exposicao1.wmv」をダウンロード
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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羽の繕いを終えたサビア・ラランジェイラ。
愛嬌のある顔をしている。

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11月28日(水)21時45分から、サンパウロのパカエンブー競技場で、ブラジル選手権セリエAの第38節のコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦が行われる。
コリンチャンスは、降格圏から、絶対的に逃れるために、この試合に勝つことが必要だ。
コリンチャンスが勝ち、ゴイアスが負けると、コリンチャンスの降格の可能性は完全に消え去る。
チケットは売り切れた。
原則として、地元で開催の試合は、テレビで実況中継放送はしないのだが、今日は実況放送が行われる。
競技場の周辺は、夕刻から何か騒がしい。
19時過ぎから、
競技場の周辺の道路がやや混み出したようだ。
クラクションが鳴り始めた。
早くも、観客も現れ始めている。
19時30分、大渋滞。
クラクションが鳴り響く。
観客もかなり集まり始めてとても騒がしい。
19時45分、
競技場の周辺に、入場を待つ観客の列が出来た。
20時15分に家を出た。
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試合は、
コリンチャンスが負けた。
1対0で負けた。

「20071128sporTVnews-BA37-Corinthians-Vasco.wmv」をダウンロード
(試合映像録画済)
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しきたりどおり、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァLuiz Inácio Lula da Silva大統領は、外務省Palácio do Itamaratyでの記者との話を、11月28日(水)に行われる対ヴァスコ戦でコリンチャンスへの応援をするために利用した。
「今日は、世界中がコリンチャンスCorinthiansを応援するのを見たい」と、ルクセンブルグLuxemburgoのアンリ大公grão-duque Henri deの到着を待っている時に、コリンチャンスのファンの大統領は記者に明言した。
多くの者がヴァスコ・ダ・ガマの勝利に応援するかもと聞いて、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領は「自分はヴァスコ・ダ・ガマも好きだ。 でも、ヴァスコ・ダ・ガマはもう戦うことはない」と言い返した。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大容量のコメントには理由がある。
コリンチャンスCorinthiansは、この水曜日に、サンパウロSão Pauloのパカエンブー競技場で、ブラジル選手権Campeonato Brasileiro2007の降格圏から絶対的に抜け出すために、ヴァスコ・ダ・ガマと対戦する。
ヴァスコ・ダ・ガマは、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領が言ったのとは異なり、まだ2008年の南米杯Copa Sul-Americanaの出場権を夢見ている。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領の招待による昼食会の前に、アンリ大公もまたスピーチの時があった。
乾杯の前に、アンリ大公はグァラナを発見したのはジョアン・フィリッピ・ビッテンドルフJoão Felipe Bettendorfというルクセンブルク人のイエズス会の司教であるといった。
アンリ大公のブラジル訪問の理由の一つは、バイオ燃料におけるブラジルの経験を知るためである。
地球温暖化と戦うのを推進すると挨拶した。
「バイオ燃料の生産に感銘を受けた」と言った。
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仕事もしているルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領。
大統領といえば、国家元首。
日本で、国家元首にあたる方といえば、あのお方である。
あのお方は、決してこのようなことをおっしゃるはずがない。
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2004年半ばを底に、高騰を続けていたブラジル通貨レアルがこの1ヵ月やや弱含みになっている。
1ヵ月前からの変動率の推移のグラフである。

※グラフはすべて、クリックすると拡大する。
日本円の価値が対ドルで上昇していることもあり、中値では1レアルが60円を割った。
2007年で、60円を割ったのは2度目になる。

サンパウロ株式市場の指標も下がっている。
これは、ブラジル経済がどうこうと言うよりも、
米国の経済の先行きへの不安が原因と考えた方が良さそうだ。
ブラジルの高金利と好調な株式市場に投資していた外国勢(多くは米国勢)が、
その資金を引き揚げざるを得なくなったことにより、
株式市場の指標の低下と、
レアルを売ってドルを買う動きを起こして、
レアルの価値を下げているのである。
100%そうだと言うだけの、完全なデータ分析をしたわけではないが、ブラジルの国内の経済の好調さには、今のところ不安材料はない。
12月からは、クリスマスそして2008年2月のカルナバルむけて休暇期間となるために、市場の動きはおそらく緩慢となるはずである。
2月からの動きを注視すべきである。
季節調整をした上での2月以降の消費および雇用動向指数が堅調ならば、ブラジル国内経済は引き続き手堅く成長しているとみることができるだろう。
そもそも為替というものは、一月程度の動きでみるものではない。
思惑と投機で、動きやすい。
もう少し長いスパンで見るべきである。
この1年でのブラジル通貨レアルの変動率のグラフである。

さらに、2004年からのブラジル通貨レアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の変動率をみると、どの通貨に対しても強くなっていることが分かる。
この延長上に、推移曲線を引くと恐ろしいことになる。
この期間に、ブラジルは未だ高金利とはいえ、金利を下げ続けてきている。

もっと長い期間で為替を見てみる。
1984年からの日本円の対米ドル変動と、対ユーロおよび対レアルについてはそれぞれの通貨が出来た時からの変動のグラフである。
1985年から1年で、日本円は対米ドル通貨で急上昇した。
1米ドル=250円台が一年間で150円台になった。
1987年までに、さらに120円台にまでなった。
実は、このグラフを見ても何も分からない。
日本円が、対米ドルで強くなったことと、近年はかなり狭い範囲で変動していることが分かるだけである。

通貨だけを見て、経済を語ることは、あまり意味がない。
実際の生活に当てはめるならば、購買力平価でみたほうがよい。
よく知られているビッグマック・インデックスも、すごくわかりやすい指標である。
ブラジルは、ビッグマックがとても高い。
つまり購買力平価は低いことになる。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。
このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。
グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
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ここのグラフィッチ(壁絵)は、幅15メートルくらいから20メートルくらいの場所を1人の作家が担当している。
かなりの規模の絵になる。
日本に関する知識はあるような作品である。

波の向こうに富士山がある構図などは、ネタ元がすぐに分かる。
右手の男性のやりを持ったような構えも渋い。
「愛」と「世界」がテーマとすると、ちょっと違う気がする。
左下の「ビニオ」とはなんだろうか。
女性の雰囲気だけが、そうかもしれないと思えるグラフィッチ(壁絵)。
ともかくも、作者にとっては日本なのだろう。

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ブラジル・サンパウロの歴史的中心部セントロの東南部にあるドトール・ジョアン・メンデス広場。
カテドラルの裏側になる。
このあたりには巨大な民事裁判所が2箇所もあり、
弁護士などの関係者の行き来もあり、人通りがとても多い。
東部および東南部へ向かうバスが多く通り、車もとても多いところである。
このドトール・ジョアン・メンデス広場は、東西に長い広場であるが、人通りが多いので、幅の広い歩道といった感じである。
各方向から、急ぎ足の人が通り過ぎるところである。
この広場の西側に、歩道上で花屋が3軒ほど並んでいるところがある。
両側は、バンカ(=新聞・雑誌売り場)になっている。

このあたりに、女性が立っている。
最初は、花屋の店員かと思っていたのだが、違うようだ。

だいたい4-5人はいる。
営業中の女性である。

視線を向けてくる。
目が合うと、ウインクをしたり、舌なめずりをする。
間違いない。
このあたりでは、
ここより150メートルほど、リベルダーヂ大通りをいったところに、そういった女性たちがいたのだが、そちらは今でもいる。
2軒あるホテルの入り口あたりにたむろしている。
この花屋の周辺だけではなく、
カテドラル側にも、何人かいた。

このところ、ブラジルの景気がとてもいいから、この商売も需要が拡大しているのだろうか。
だいたい、こういうことなら、夜でも働けるはずなのに、
人目にさらすことを恐れずに、昼間からこんなところにいるのは、夜は家を出ることが出来ないからである。
つまり、主婦である。
ナタウ(=クリスマス)前なので、いろいろとお金も必要なのだろう。
素晴らしい美人がいるわけもないが、「ルース公園」に比べれば、レベルははるかに上だ。
お値段は、50-60レアル(=3500円前後)というのが、言い値だった。
本人たちに直接聞いたから、間違いはない。
おそらく多少は交渉できるはずだ。
セントロでは、ここの他に、
アンニャンガバウーのサン・ジョアン大通りとの交差点付近、そして、パイサンドゥー広場のノッサ・セニョーラ・ド・ロザリオ・ドス・オーメン・プレット教会の裏手にも、このての女性たちが昼間にいることは知っている。
いずれも、レベルは高くない。
ルース公園よりは、かなりましだが。
ブラジルは、この手の商売はかなりあけっぴろげだ。
あまり暗さがない。
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いつものように、
サンパウロの歴史的中心部のセントロを、車で走っていた。
前を走るタクシーの後部ガラスのど真ん中に、
見たことがあるマークのステッカーが貼り付けてある。

いつものように、
何も考えること無く、すぐに撮影した。
マークが、日系の宗教である「成長の家」のそれであることは、一目でわかっていた。
だから撮影したのだ。
そして、その上部に書かれている文言から判断するに、
これは、「交通安全守護ステッカー」である。
すごく直訳すると「神様の保護下の、交通における安全」と書いてある。

成長の家の神様が、どんな神様なのか知らないが、
誠に失礼ながら、なかなか「商売」は上手そうだ。
ブラジルで、この手のたぐいのステッカーを見たことがない。
あるのだろうか。
日系の他の宗教も、見習うべきだ。
教勢拡大にきっと役立つに違いない。
今のブラジル人は、現世利益を求める傾向が極めて強いからだ。
死んだあとに天国に行くでは、とても待ちきれない。
今は受験シーズンなので、「学業お守り」は時期的によいだろう。
実のところ、結構、お守り好きである。
お守りコレクターでもある。
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でも、ブラジルでは自分の車にはいかなるステッカーも貼らないことにしている。
日本語の「交通安全ステッカー」など、とんでもないことである。
犯罪者にとって、格好の目印になりかねないからだ。
目立つことはしないことだ。
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terça-feira, 27 de novembro de 2007
午後に激しい雷雨が降った日。

雨上がり。
夕方のラッシュ時には、いつも以上に道が混雑するサンパウロ。
車が動かないので、
普段は見過ごしてしまうような光景を、じっくりと見ることが出来る。
道は、円を描いて登っていく。
その円の中にある緑地。
テントがいくつも立てられている。

何もキャンプをしているわけではない。
ここに住みついているのである。
小さな子供もいる。
夏が近づくと、例年、このような生活者が増える。
豊かなサンパウロを目指してやって来るのだろう。

一斉に子供達が出て来ていた。

ここは、サンパウロ市のセントロのすぐ東になる。
車に乗っていた人は、みんなこの光景を目にしたはずだ。

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ブラジル・サンパウロの業務中心街パウリスタ大通りにある銀行の支店。
今年も、例年同様に、ナタウ(=クリスマス)の飾り付けを終えた。


例年のことで、ものすごく変わったわけでもない。




それでも、楽しみにしている人もいるだろうから、紹介しておく。
写真を撮って思い出を残す父と娘。

この銀行での思い出がある方には、懐かしく思っていただけただろうか。

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11月27日(火)のサンパウロ。
曇っていた。
夜に降った雨で、地面が濡れていた。
昼頃までは、ときどき日がわずかに差したこともあった。
でも、その後雲が厚くなってきて、
それと共に気温が下がった。

15時には、18度。

日没後、また雨がすこし降った。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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水浴びをしたあと、
サビア・ラランジェイラは、
羽の繕いに時間をかける。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。

このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。

このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、交通量が多いいし、夜露や雨があたらないので住民も多いし、壁際には狭くはない歩道があるのだがパウリスタ大通り側には抜けていくことが出来ないようになっているので、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。

グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
「日本移民100周年記念」というのだが、
これが、そうかとうなずくには、抵抗を覚えるグラフィッチ(壁絵)もある。
しかし、グラフィッチ(壁絵)の作者にとっては、
それが「日本」のイメージなのだろう。
作者に日系人がいるのか、
もしくは、日系人の友人がいるのか、
日本の文化に関心があるのか、
または、全く作家の頭の中で構成した日本なのか、
グラフィッチ(壁絵)を見て、想像をするしかない。
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10月8日から14日まで、
サンパウロのイビラプエラ公園で、
「持続可能な地球展」が開催されていた。
この展示会では、
公園内の何カ所で、ゴミ箱が展示されていた。
アーチストが着色したゴミ箱である。
こういうこともいいアイデアだと思った。









日本人作家の作品もあった。
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11月26日(月)に、ドゥンガDunga代表監督は12月9日にリオ・デ・ジャネイロのジョアン・アヴェランジェ競技場Estádio João Havelangeで2007年ブラジル選手権優秀選手選抜seleção dos melhores do Campeonato Brasileiro de 2007と対戦するオリンピック代表seleção olímpica22選手の招集を発表した。
リストにある最大の名選手は、ミランMilanのアレシャンドレ・パトAlexandre Patoである。
ブラジルのためにオリンピックのプロジェクトを率いるドゥンガ代表監督自身によると、選手達は12月4日に集合し、この親善試合のための準備のトレーニングを始める。
「彼らの可能性を見て、ブラジル代表のユニフォークを着るための準備をする。 サッカーでは、真実はグラウンドに真実がある。 出場する選手は招集される状態を見せる者だ」と、説明した。
ドゥンガ代表監督はチームのトレーニング期間は実験と強調した。 ドゥンガ代表監督は選手達の状態を観察することが出来る
「合宿したトレーニングで、近くから見ることが出来る大きな機会になる。 前に観察された選手達は仮招集リストの一部に入っている」
招集選手は次の通り:
選手名 クラブ名
Alexandre Pato Milan-ITA
Apodi Vitória
Breno São Paulo
Charles Cruzeiro
Diego Souza Grêmio
Diogo Portuguesa
Felipe Santos
Keirrison Coritiba
Leandro Almeida Atlético-MG
Leonardo Grêmio
Leonardo Portuguesa
Rhodolfo Atlético-PR
Maycon Internacional
Nei Atlético-PR
Pedro Ken Coritiba
Pedro Odoni Atlético-PR
Ramires Cruzeiro
Renan Internacional
Thiago Neves Fluminense
Toró Flamengo
Valmir Palmeiras
Wagner Cruzeiro
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海外のクラブに所属している選手は、
アレシャンドレ・パトだけである。
コリンチャンスからは誰も招集されていない。
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segunda-feira, 26 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
水浴びのあとに、
羽を繕うサビア・ラランジャはものすごくリラックスする。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
これは、壁にペンキで描かれたグラフィッチ(壁絵)ではない。
タイルを組み合わせたものだ。
一つ一つのタイルに書き込まれた絵や文字は、焼き付けられたものである。

サンパウロ市内では、
時々このようなタイルの作品を見ることが出来る。
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ブラジル・サンパウロのパカエンブー地区にある「イスラエル建国50年記念碑」を巡る「攻防戦」が続いている。
難しい国際政治の話ではない。
宗教的なことでもない。
一人の人間の生活をかけた問題である。
「イスラエル建国50年記念碑」は、
ゴイアス通りとイタポリス通りに挟まれた3角形の敷地に設置されている。

周囲は、一戸建て住宅専用地区で、豪邸だけしかない。
鉄の板4枚を交差させて立っているような感じである。
真ん中に祭壇のようなものがある。

鉄板には、ポルトガル語とヘブライ語で、「イスラエル50周年記念」というようなことが、打ち抜かれている。
だが、こんな小さな記念碑で、穴も開いているから風も雨も完全に防ぐことは出来ないのだが、人が住みつくのである。
最初は昼寝をするくらいだが、徐々に本格化するのだ。


家財道具がどこからか持ち寄られてくる。

持ち物一式が整頓しておかれるようになると、居住を宣言しているようなものだ。

ビニールで、雨が入らないように穴を塞いだ。
風よけにもなる。

裏側がカラフルだ。
傘の布地だろうか。

祭壇の上にも物が置かれる。

変化は日々起きている。

住民が中から出て来た。
今度の住民は女性だ。
この辺で、廃品を集めていたことがあった。

石を積んだ。
広場の石を剥ぎ取ったに違いない。

暑い日、また住民が出て来ていた。

この地区には、全く相応しくない格好だ。
この女性、ここで、同じ様な境遇の男性を相手にすることを、なりわいにしているようだ。
わずかなお金や食品を手にしているらしい。

石が少し崩れた。

そして、いなくなった。

そう、この「イスラエル建国50年記念碑」では、絶えずこのようなことが繰り返されている。
人が住みつき、定住しつつあるとみると、いつの間にか撤去させられている。
特に、夏場はそれほど寒くないので、ここでも過ごしていける。
また、新たな住民が現れることになるだろう。
だが、他の場所ならばまだ許せても、
この「イスラエル建国50周年碑」を汚すことは、
パカエンブー地区そしてイジェノポリス地区に住むユダヤ人が絶対に看過するはずもない。
「イスラエル建国50周年碑」がなんたるか字も読めない人には、この碑がなんであるかも、思いが行くはずもない。
だから、ここに住みつこうとするのだ。
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10月8日から14日まで、
サンパウロのイビラプエラ公園で、
「持続可能な地球展」が開催されていた。


広い公園内の7箇所に、テントが張られ、
それぞれのテーマに沿った展示が行われていた。

社会的包合
持続可能な建築
廃棄物、廃棄物処理
運動と社会的な参加
意識した消費
持続可能なビジネス






それぞれ、NGOが企画運営していた。
これらのテントを全部まわり、スタンプをもらうと、
本部でエコ・バックをもらえることになっていた。

こういうことの積み重ねが、意識を高めていくのだと思う。

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11月20日(火)は、ブラジルは「黒人覚醒の日」。
休日のところもあるし、そうではないところもある。
サンパウロ市は休日だった。
市内各所で、色々な行事が行われた。
例年行われているのが、パレード。
昼頃に、パウリスタ大通りのMASP前に集合し、16時頃にレパブリカ広場に向かって移動し始める。

12時過ぎに、MASP前を通りすぎた時には、まだそれほど人も集まってはいなかったようにみえた。
17時頃、
カイオ・プラド通りから、コンソラソン大通りを越えて、マリア・アントーニア通りに向かっていた。
コンソラソン大通りを越える時に、ちょうどパレードの一行が近づいてくる時で、
警察の規制が始まるところだった。
おそらく、コンソラソン大通りを越えることが出来た最後だったと思う。
さっそく、マリア・アントーニア通りに車を止めて、パレードを見に行った。

先頭に横断幕がある。
「第4回黒人覚醒パレード」。
見たことがあるヤツがいる。

あの「ビン・ラディン調」である。
いつものスタイルは崩してはいない。
なんで、横断幕を持っているんだ。

ただの、コリンチャンスのファンではなかったようだ。
こういうところで、彼に会うとは思わなかった。

大音響を轟かせる車がやってきた。

参加者の少女。

参加者は、まず黒人。
白人はほとんどいなかった。
混血でも、色の濃い方の人が多かった。
もちろん、日系人もいない。
見ているのも、自分だけだ。

大音響の車が通りすぎる。

また、別の一団がやってくる。


カラフルに飾った一家。
いい顔をしている。

段々と、何故か感動してきていた。



ゲイパレードではこんな事は感じない。
こういったことが行われることが出来るようになったことはとても良いことだ。
本当は、胸がいっぱいになっていた。
ゲイパレードよりはるかにスケールは小さいけど、
何か誇らしげだ。




参加者も、ちゃんとポーズととってくれた。

パレードは、時々止まりゆっくりと進む。

こういうことにきちんと目を向けるようになったブラジルは本当によい国だ。

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サンパウロのパウリスタ大通りにあるイタウ・ペルソナリテ銀行の支店も、ナタウ(=クリスマス)の飾り付けを終えている。

2005年まではボストン・バンクの支店だったが、
イタウ・グループがボストン・バンクのブラジルでの支店を買収したので、
2006年からはイタウ・ペルソナリテ銀行の支店になった。
イタウ・ペルソナリテ銀行は、イタウ・グループの中でも、富裕層に特化した銀行である。
今年は、ちょっと地味になったようにも思える。
毎年毎年、飾り付けを考えるの大変なことである。
建物の大きさは決まっている。
年々豪華にして行くにも限界がある。
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domingo, 25 de novembro de 2007
ブラジルは、このところバレーボールも、男女ともに強い。
先日日本で開催されていた女子バレーでは、イタリアに次いで、第2位だった。
ブラジルでは、一応社会人リーグもあって、一番強いのがリオ・デ・ジャネイロで、その次がオザスコ。
代表チームのメンバーも、国内で活動している場合には、このあたりから選出されている。
オザスコは、ブラジル最大の民間銀行ブラデスコの系列である。
そのオザスコのセッターが、アナ・チエミ。
以前に一度紹介したが、その後キャッチできていなかった。
久方ぶりに、遭遇することが出来た。

セッターにしては、長身だ。
代表チームのセッターのファボンはかなり小柄である。

どう見ても、日系人だ。
笑うと、本当は結構可愛い。

でも、基本的には無表情。
大仏顔というのか、菩薩顔というのか。
慈悲深そうな感じではある。

一瞬のおもしろ顔も、この程度である。

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リーガ・カンペオンに優勝し、来る12月17日にFIFA世界最優秀選手に選ばれるとして、2007年のシーズンがプロとして、カカKakáの人生で最良になるとして、最近知らされたニュースはカカの個人的な人生にとってもまた特別な年に変えた。
今週、カカの妻カロリーニCarolineは、血液検査をして、妊娠しているという結果を得た。
まだ何ヶ月かは分からない。
2005年12月に結婚し、とても宗教的なカカKakáは、カロリーニCarolineとはともに純潔で結婚したと明らかにしていた。
10月に、イタリアのサイトが初めてカカが父親になると報じていたが、確認されていなかった。
親しい友達は、夫婦は待ちこがれていた知らせを受けてとても喜んでいると、保証した。
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まだ、カカが発表したわけでもない。
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10月24日に、「ゲイ・コミュニティー防衛議員前線Frente Parlamentar em Defesa da Comunidade Gay」の設立に置いて、仮装したゲイのショーがあり、サンパウロ州議会Assembléia Legislativa de São Pauloの議員達の間で論議となっている。





このイベントのオーガナイザーのカルロス・ジアナズィーCarlos Gianazzi (PSOL), は、このパーフォーマンスによって、議会の規則を破ったと訴えられている。
「最低限の服-乳当てと下履き」は女性であっても不適当。
男性であっても、また不適当。
個人的なところでそうするならともかくも、公共の場所では駄目だ。
ここは、大衆の家である。
それで、ここにいる全ての人は尊敬されるし、尊敬されるべきである」と、ヴァウヂール・アグネーロWaldir Agnelloは言った。
このような訴えで、議員は議長にパーフォーマンスについて説明を求めている。
彼は、同僚のカルロス・ジアナズィーCarlos Gianazziがこのイベントを組織したことで議会の規則を破ったと訴えている。

カルロス・ジアナズィーは、サンパウロ市民にとっては、起きたことは何も新奇なことではないと弁護している。
「全く普通なことで、サンパウロのゲイパレードParada Gay。 これは全てのマスコミで取りあげられている。 全てのマスコミが新聞でも、テレビでも参加した人の写真を載せている。 議員だって参加している」と言った。

議長はまだこの件では動いていない。
カルロス・ジアナズィーCarlos Gianazzi議員は、すでにまた別の論議を起こし始めている。
彼は、議会人に義務付けている背広とネクタイ着用を終わらせようとしている。
バミューダbermuda,、Tシャツcamiseta、帽子bonéの着用を自由にしようとしている。
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サンパウロ州議会の服装コードは、約200年の伝統があるそうだ。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
水浴びをして、羽を繕っている時のサビア・ラランジャはかなり不細工だ。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差するところに、リヴェイラ・バーがあった。
リヴィエラ・バーがあるビルは、大きなビルで、
上階はアパートになっている。
パウリスタ大通りに面したアパートの入り口付近は、改修をしている。
リヴィエラ・バーの入り口は、
コンソラソン大通りに面していた。
そのかつての入り口の横にもグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
この2つの絵のどちらも、市内では時々見かける絵である。

注目は、
左側の手のグラフィッチ(壁絵)であるが、
この作者は、いつもこのような絵を描いている。
いつも指が5本ではない。(横から出ているのを指とみた場合だが)
だいたい大作が多い作家である。
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ルイゾンLuizão32歳は、コリンチャンスCorinthiansで、左膝の手術からの回復トレーニングをする。
しかし、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの終わりで、降格から逃れようとしているチームを混乱させないために、ルイゾンは12月3日(火)からコリンチャンスTimãoでトレーニングをすることを、友達で、社長のアンドレス・サンシェスAndrés Sanches,と合意した。
12月3日は、ブラジル選手権2007が終わった翌日である。
「よくない雰囲気を作りかねないことは分かった。 集中させなければならない」と、ルイゾンLuizãoは言った。
ルイゾンは、週末を過ごすサンパウロ州の来た海岸のマレシアスMaresiasに向かう車の中で、電話で話をした。
ルイゾンは、ブラジル選手権セリエBの、現在所属しているサン・カエターノSão Caetano対アヴァイAvaíの試合で左膝の半月板を痛めた。
サン・カエターノとの契約は12月で終了するので、2008年は自由である。
大きな可能性として、回復後にコリンチャンスCorinthiansと契約をする。
「もし回復をし、コリンチャンスCorinthiansが自分が戻ることを望めばそれは大きな喜びである。 過ごしたクラブに戻るのは全ての選手の夢である。 自分もそれと違わない。 あそこのユニフォーム係から社長までみんな知っている」とルイゾンLuizãoは言った。
コリンチャンスCorinthiansでは、1999年から2002年までプレイし、1999年にブラジル選手権、1999年と2001年にサンパウロ州選手権、そして2000年にFIFA世界クラブ選手権に優勝した。
ルイゾンはそのころにアンドレス・サンシェスAndrés Sanchesを知った。
そのころは、ただの評議員で、2部の役員だった。
「彼が役員で会った時から知っている。 社長になりたいといっていた。 しかし友情はプロのこととは関係ない。 はっきりしている」と、ルイゾンは言った。
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すでに、コリンチャンスを混乱させていると思う。
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サッカー・ブラジル選手権セリエB(=第2部)の第38節の全9試合が、11月24日(土)に行われた。
優勝は、コリチーバ。
順位は次の通り。

上位4チームが、セリエAに昇格。
コリチーバは、2005年にセリエAから降格し、2年間セリエBで過ごした。
パラナ州クリチーバの名門チームである。
イパチンガは、1998年設立のミナス・ジェイラス州イパチンガの新興クラブ。
イパチンガは、ウジミナス製鉄所があることで有名だ。
ポルツゲーザは、サンパウロ市の名門チーム。
2002年にセリエBに降格決定。
6シーズンぶりのセリエA復帰となる。
ヴィトリアは、バイア州サルバドールの名門クラブ。
延べ29年間、セリエAで戦ってきている。
2004年にセリエB,そして2005年にはセリエCに降格した。
下位4チームが、セリエCに降格。
パウリスタは、サンパウロ市から50キロのサンパウロ州ジュンジャイのクラブ。
この6年間セリエBで戦ってきた。
笠井健太選手が所属しているはずだが、今年は出番が無いようだ。
セリエBはテレビ中継も少ないし、サンパウロ市では新聞情報もほとんどない。
ジュンジャイの新聞であれば、出場選手が出ているが、ベンチに入った選手までは出ていない。
テレビ中継があった最終戦では、ベンチ入りもしていなかった。
公式サイトにもそういった情報はない。
サンタ・クルーズは、2006年はセリエA。
2年続けての降格。
ペルナンブコ州レシフェの名門クラブ。
レモは、パイサンドゥと並ぶパラ州ベレンの名門クラブ。
かつては、セリエAの常連だった。
イツアーノは、サンパウロ市から60キロのサンパウロ州イツーのクラブ。
セリエBとセリエCを行き来しているクラブだ。
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ロマリオRomárioは、2008年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaに出場することが確実になっている、そして、この選手権がロマリオにとって最後の選手権になるはずである。
しかし、ヴァスコ・ダ・ガマの医師で副社長のペドロ・ヴァレンチPedro Valenteによると、プロ選手としてのキャリアーを伸ばすように調整しているロマリオBaixinhoが意見を変えて、2008年のブラジル選手権Campeonato Brasileiroを戦うとしても驚くことはないと言う。
「州選手権でプレイするというロマリオRomárioの決定に驚きはなかった。 ロマリオRomárioは医学的そしてフィジカル的にも細かく手当てをしている。 ロマリオRomárioは自宅にもジムを設置していて、ロマリオがブラジル選手権Campeonato Brasileiroを戦うと決定したとしても驚くことはないだろう」と、ペドロ・ヴァレンチは明言した。
ロマリオRomárioは、11月28日8水)にサンパウロSão Pauloで行われるコリンチャンスCorinthians戦には出場しない。
水曜日に、ロマリオMiamiはマイアミに出発した。
戻るのは28日になる。
ロマリオは、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最終節の対パラナParaná戦には出場する。
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この医師というのが、大概怪しい。
おまけに、ヴァスコ・ダ・ガマの副社長だという。
(参考画像)

2008年のブラジル選手権は、5月からだ。
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sábado, 24 de novembro de 2007
11月28日(水)21時45分からパカエンブーPacaembu競技場で行われるブラジル選手権第37節のコリンチャンスCorinthians対ヴァスコ・ダ・ガマ戦のために販売された33,811枚のチケットが、この土曜日(11月24日)13時30分過ぎに売り切れた。
全部のうち、27千枚はネスレNestléのプロモーションの部分であった。
ビスケット3個で、アルキバンカーダ席のチケット1枚と取り替えられるのは、わずか3時間でなくなった。
そして、コリンチャンスCorinthiansは、正面スタンド席を売り切った。
チケットの多くの部分は、またダフ屋cambistasの手に渡ったに違いない。
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販売されたのは、正面スタンド席とアウェーチーム席。
公式には11月22日(木)から発売といわれていたが、
実は11月21日(水)から発売されていた。
窓口のお姉さんと話して、直接に確認したので間違いない。
チケットは、11月22日(木)に正規に窓口で手に入れた。
たまたま、通りかかったら、窓口が開いていて、車を止めて、そこで買っていた人にきいたら、ボタフォゴ戦がどうのこうの言っていた。
ボタフォゴ戦?
つまり、サンパウロFC対ボタフォゴ戦のことで、その人はサンパウロFCファンだったということだが、ヴァスコ・ダ・ガマ戦は販売されているのかと、窓口に確認してもらった。
売っているということだったので、
そこではじめて、車を降りて、買った。
何の関係もない親切なブラジル人をこんな風に使ってしまった。
窓口には、他に人もいなかったので、
暇をもてあましている、お姉さんとお話をしたわけである。
満員らしいので、
いつもは30分前に家を出るのだが、
もっと早く出よう。
この試合が、2007年のコリンチャンスのパカエンブー競技場での最後の試合である。
次の試合は、2008年1月16日のサンパウロ州選手権の初戦のグァラニーとの試合である。
パカエンブー競技場にとっても、2007年最後の試合である。
やっと改修工事にはいるらしい。
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ヴァスコ・ダ・ガマは、11月24日(土)に、ヴァスコ・ダ・ガマとレアンドロ・アマラルLeandro Amaralの契約の取り消し条項を明らかにした。
2008年にレアンドロ・アマラルを使いたいと望んでいる、ブラジル国内もしくは海外から関心がある場合には、9百万レアル(=約6億円)を支払わなければならない。
社長は、レアンドロ・アマラルの権利を自動的に延長できるというオプションがあることも強調した。
レアンドロ・アマラルはヴァスコ・ダ・ガマとの契約の更新についてマスコミとまだ話をしていない。
レアンドロ・アマラルは、来週の月曜日にマスコミと話すことになるに違いない。
日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersは、2008年にレアンドロ・アマラルLeandro Amaralを使うことに関心を持っているクラブの一つである。
給与を100%あげたレアンドロ・アマラルは、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroではヴァスコ・ダ・ガマで12ゴールをあげている。
レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは来期のために、ヴァスコ・ダ・ガマで期待されている1人である。
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レアンドロ・アマラルは、77年8月5日サンパウロ生まれの30歳。
(参考画像)

ポルツゲーザの出身。
すでに、パルメイラス、サンパウロFCそしてコリンチャンスにも、それぞれ短い期間所属していいる。
ヴァスコ・ダ・ガマには、2006年から。
ブラジル代表として、7試合に出場しているが、ゴールはない。
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浦和レッズ・ダイアモンズUrawa Red DiamondsのFWワシントンWashingtonは、11月23日(金)にフルミネンシFluminenseと交渉をしていることを再確認した。
ワシントンは、2008年のリベルタドレースLibertadores杯を戦うチームを作るために、役員に望まれているものの1人である。
ラジオ・ブラジルRádio Brasilのインタビューで、2004年にブラジル選手権Campeonato Brasileiroで34ゴールをあげて得点王になったワシントンは、
今年のFIFA世界クラブ杯Mundial de Clubes da Fifaを浦和レッズのためにプレイし、1月に、ブラジルBrasilに戻るのは自由になるといった。
フルミネンシは選択肢の一つである。
「いつもブラジルに着くのかは分からない。しかし交渉は上手く進んでいる。 まだサインしていないので、自分の行き先がフルミネンシFluminenseで正しいというようなことはない」と言った。
ワシントンWashingtonによると、彼の代理人ジウマール・リナウヂGilmar Rinaldiが交渉の責任者である。
ワシントンは1月2日まで浦和レッズと契約があり、すでに日本では続けないと通知した。
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サンパウロFCの役員は2008年のFWを探している。
元ポンチ・プレッタPonte Pretaでアツレチコ・パラナエンセAtlético-PRで現在浦和レッズのワシントンの名前は、この何日か挙がっていた。
ワシントンの代理人と幾度か話をし、ワシントンに近い人たちに相談したあとで、サンパウロFCの役員は来年の強化選手とするのを諦めた。
価格的な不一致とワシントンの体調に関係することで、サンパウロFCの選手からはワシントンWashingtonは外された。
毎日、ムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督は、社長のジュヴェナウ・ジュヴェンコJuvenal Juvêncioと、この件について話をしてきた。
ブラジル選手権に優勝したあと、焦点はリベルタドレースLibertadores杯を考えた契約に移っている。
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リベルタドレース杯は、
ブラジルのクラブにとっては、とても大きな存在だ。
出場権を得ることも大変だが、
出場するからには、良いチームを作り上げることが、社長と監督の仕事である。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
とても水浴びが好きだ。
水浴びのあと、近くの木に飛んでいって、そこで羽を繕う。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差するところに、リヴェイラ・バーがあった。

昨年から閉店になり、内部はもう廃墟のようになっている。
このリヴェイラ・バーは、1970年代は、サンパウロのスノッブの夜のたまり場だったところである。
その後有名になった人たちが、明け方まで議論を交わしていたそうだ。
1980年代中頃に、深夜何度か行ったことがある。
そのころも、まだ混んでいた。
そのリヴェイラ・バーのかつての入り口の脇に、コンソラソン大通りをくぐる地下道の入り口がある。
この地下道は、今も使われている。
一時期、荒れていて、地下道を利用する人はいなくなっていたが、今は地下道で古書店が何軒か営業していて、綺麗に整備された。
その入り口の外壁にも、グラフィッチ(壁絵)がある。

このグラフィッチ(壁絵)と、色は違うが、、同じ様な意匠のものをみたことがある。
以前に紹介しているのだが、もう一度再撮影したので改めて掲載する。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場は、サッカー場や体育館、プール、テニスコート、複合コートなど色々な施設からなっている。
それらの施設の貸し出しをしているのだが、
そのほかにも、普通のスポーツクラブのように、毎日色々なプログラムを実施している。
トボガンの地下1階には、ジムが2箇所ある。
設置されているマシンは、それほど新しくはない。

その入り口に、このジムで行われるプログラムが貼り付けられていた。

体操や、ストレッチ、ジョッギング、筋トレなどである。
水泳や、フットサル、バレーボールのメニューもある。
よく分からないのが、「お腹のダンス」というもの。
水曜日と金曜日の朝に、屋内テニスコートのある体育館で行っている。
時間からみると、高齢者向けのものかもしれない。

なお、
地下1階には、
そのほかにも、管理事務所、そして真ん中にプレスルームもある。
試合後の選手や監督のインタビューが行われるところである。

ロッカールームも、このプレスルームを挟んで2つある。
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サッカー・オリンピック・ブラジル代表が。2008年の北京Pequimオリンピックに向けた準備で、2007年ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの優秀選手達からなる選抜チームと対戦する。
この親善試合は、12月9日(日)に、ジョアン・アヴェランジェ競技場Estádio João Havelangeで、ブラジルのサッカー・シーズンが終わった時に行われる。
ブラジルサッカー協会会長のリカルド・テイシェイラRicardo Teixeiraとの会議で親善試合の予定を決めたオリンピック代表の監督ドゥンガDungaは、現在ブラジルBrasil,でプレイしている23歳までの選手を優先して招集する。
しかし海外でプレイしている選手を自由にするようにもトライする。
ドゥンガ代表監督は、ブラジル正代表でもやっているように、ドゥンガ代表監督とジョルジーニョJorginhoが作ったオリンピック代表の仮リストはある。
それぞれのポジションに3-4人の選手がいる。
ドゥンガDunga代表監督は、オリンピック代表Seleção Olímpicaを招集することで、技術委員会がブラジル選手権Campeonato Brasileiroで活躍したが、正代表Seleção Principalでの機会がまだ無い選手達の仕事ぶりを近くで見ることが出来ると言った。
「ブラジル選手権Campeonato Brasileiroは選手達が高いレベルの技術を持っていることを見せてくれる。 代表の雰囲気の中で、彼らの可能性を見せる機会になる。 招集は、我々がみていたブラジル選手権での彼らの働きを表彰することになる」
ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最終節が終わって1週間後の12月9日の試合の招集は、来週初めに行われる。
ブラジル選手権代表の技術委員会は、ブラジル選手権優秀選手賞Prêmio Craque Brasileirão 2007での優秀監督として選ばれた監督達が構成することになる。
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2005年および2006年は、
ブラジル選手権での優秀選手からなる選抜チームと、優勝チームが対戦していた。
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FWロマリオRomárioは、12月2日(日)にサン・ジャヌアリオSão Januárioで行われる対パラナParaná戦の出場選手に、もうなった。
確認したのは、監督のヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosaである。
マイアミMiamiにいるロマリオBaixinhoは、来週水曜日にブラジルBrasilに戻り、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの最後の試合に備える。
ヴァスコ・ダ・ガマのヴァウヂール・エスピノーザ監督によると、このところのトレーニングにおけるロマリオRomárioの出来は12月2日の試合の先発として信任できる。
「ロマリオRomárioはトレーニングに参加し、パラナParaná戦にプレイする。 彼は来週戻り、グループの残りと準備をする」と、ヴァウヂール・エスピノーザ監督は言った。
ロマリオRomárioの最後の試合は、11月4日にサン・ジャヌアリオSão Januárioで行われた、ヴァスコ・ダ・ガマが2対1でインテルナシオナウInternacionalに敗れた試合であった。
ロマリオは後半から出場したが、この試合でヴァスコ・ダ・ガマに貢献できなかった。
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ロマリオ本人がいてもいなくても、
話題の中心。
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sexta-feira, 23 de novembro de 2007
レアンドロ・アマラルLeandro Amaralとの契約の更新は、サン・ジャヌアリオSão Januárioに残留することを保証しない。
11月21日(水)に、ヴァスコ・ダ・ガマの社長エウリコ・ミランダEurico Mirandaはヴァスコ・ダ・ガマが選手の権利を自動的に延長するという条項を適用すると確認した。
しかし、そのことで選手をクラブで保持できることではない。
日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersが、2008年の強化選手として狙っている。
鹿島アントラーズは、現在浦和レッズ・ダイアモンズUrawa Red DiamondsにいるワシントンWashigtonを欲しがっていた。
しかし、ワシントンは実質的にフルミネンセFluminenseと契約を終えている。
それで、鹿島アントラーズKashima Antlers の役員達はレアンドロ・アマラルLeandro Amaralとの契約に向かった。
レアンドロ・アマラルはサン・ジャヌアリオSão Januárioを出ていくことは出来る。
海外の移籍には自由に出来るという条項が契約にあるからだ。
より悪いことには、ヴァスコ・ダ・ガマはレアンドロ・アマラルの交渉で何も補償を受け取ることがない。
エウリコ・ミランダEurico Miranda社長のほうから更新の発表があったあと、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralはマスコミと話をしていない。
レアンドロ・アマラルは、月曜日に発表をするに違いない。
(参考画像)

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レアンドロ・アマラルは、今が盛り。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
このサビア・ラランジェイラの大好物は、マモン(=パパイヤ)。
マモンを置いておくと、すぐに飛んでくる。
黒い種は食べない。
身体の色と同じオレンジ色のところだけを食べる。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差するところにジョセ・モリーナ広場というのがある。
その脇の道に、ヴィニシウス・ヂ・モライス通りというのがある。
この一角は、パウリスタ大通りとそれにつながるドトール・アルナウド大通りとコンソラソン通りがトンネルや陸橋で、立体に交差するところにあって、それらの道に完全に囲まれたところである。

とても人が住むような、環境ではない。
それで、やや荒れたところである。
その一角にあるビル群。

そのビルの一つの屋上に、何かタンクのようなものがあるのだが、そこにまで絵が描かれている。
グラフィッチ(壁絵)ではなく、タンク絵だ。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場には、駐車場がある。
利用者は使用できる。
だが、サッカーの試合がある時などは、別だ。
あらかじめ登録された車だけが中にはいることが出来る。
ここは、テニスコートと体育館の間の駐車場である。

舗装が新しく、駐車枠が鮮やかなのは、
5月にローマ法王ベント13世(=ベネディクト13世)がここにおいでになる前に、補修をしたからである。
ローマ法王のあの防弾車は、
この駐車場の左上にある入り口から入り、
この駐車場の左下の方に進み、
競技場に入っていったのである。
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11月21日(水)に、サンパウロのモルンビー競技場で行われた2010年ワールドカップの南米予選の第4節のブラジル代表対ウルグアイ代表戦の翌日。
市内の新聞・雑誌売り場で、新聞の1面をチェックした。
読者層がもっともレベルが高い2紙でも、2ゴールをあげたルイス・ファビアーノの写真が大きく掲載されている。
ルイス・ファビアーノとGKジュリオ・セーザルがブラジルを救ったとある。
試合内容については、非常に辛口だ。

新聞を毎日買う家はあまり多くない。
大抵の人は、テレビと口コミに、情報を頼っている。
新聞を宅配してもらう人でも、一流紙は気取りすぎだし、普通の生活に全く関係ない、マクロ経済、国際政治、文化などは不用だという人がほとんどだ。
庶民の生活に関係する記事だけでまとめた新聞の方が読みやすい。
そういった新聞2紙も、やはり1面はルイス・ファビアーノ。
当然である。

そして、スポーツ専門紙。
1紙だけある。
一面の写真は、
なんと「ルイゾン」。
ルイス・ファビアーノの写真もあるが、小さい。

33歳の、故障が絶えず、今も療養中のルイゾンが、何故1面。
今年所属しているブラジル選手権第2部のサン・カエターノのユニフォームを着た写真だ。
コリンチャンスと契約が噂されているからだ。
もちろん、記事ではブラジル代表の記事が一番多い。
全36ページ中、8ページもある。
しかし、広告がほとんどは行っていない新聞である。
よく経営が成り立つものだ。
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ブラジル代表のドゥンガDunga代表監督とジョルヂーニョJorginho監督補佐は、11月22日(木)に、2007年ブラジル選手権の優秀選手の最終候補選手を、サンパウロSão Pauloのホテル・トランスアメリカHotel Transaméricaで行われた記者会見で、発表した。
2007年ブラジル選手権Craque Brasileirão 2007優秀選手は、昨年より30%も投票が増えて、投票数の記録を達成した。
12月3日(月)に、最終候補選手達は、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの市立劇場Teatro Municipalに集まって、金・銀・銅賞をもらう。
最終候補選手達は次の通り:
GK:Goleiros
Diego Cavallieri - Palmeiras
Felipe - Corinthians
Rogério Ceni - São Paulo
右SB:Laterais-direitos
Coelho - Atlético Mineiro
Joílson - Botafogo
Leonardo Moura - Flamengo
右DF:Zagueiros - lado direito
Breno - São Paulo
Fábio Luciano - Flamengo
Thiago Silva - Fluminense
左DF:Zagueiros - lado esquerdo
Alex Silva - São Paulo
Juninho - Botafogo
Miranda - São Paulo
左SB:Laterais-esquerdos
André Santos - Figueirense
Juan - Flamengo
Kleber - Santos
右ボランチ:Volante direito
Hernanes - São Paulo
Maldonado - Santos
Pierre - Palmeiras
左ボランチ:Volante esquerdo
Martinez - Palmeiras
Richarlyson - São Paulo
Rodrigo Souto - Santos
右MF:Meia direita
Diego Souza - Grêmio
Ibson - Flamengo
Paulo Baier - Goiás
左MF:Meia -esquerda
Jorge Wagner - São Paulo
Thiago Neves - Fluminense
Valdívia - Palmeiras
FW1:Atacante 1
Acosta - Náutico
Dagoberto - São Paulo
Leandro Amaral - Vasco
FW2:Atacante 2
Aloísio - São Paulo
Dodô - Botafogo
Josiel - Paraná
監督:Técnicos
Caio Júnior - Palmeiras
Joel Santana - Flamengo
Muricy Ramalho - São Paulo
審判:Árbitros
Heber Roberto Lopes (PR)
Leonardo Gaciba (RS)
Paulo Cesar Oliveira (SP)
新人:Revelação
Breno - São Paulo
Felipe - Corinthians
Hernandes - São Paulo
2007年ブラジル選手権優秀選手:Craque Brasileirão 2007
Acosta - Náutico
Rogério Ceni - São Paulo
Valdivia - Palmeiras
ファンが選ぶ優秀選手:Craque da Torcida
Felipe - Corinthians
Rogério Ceni - São Paulo
Valdívia - Palmeiras
ブラジル代表Seleção BrasileiraのドゥンガDunga代表監督は、選手、元選手、監督、そしてマスコミからなる選挙権者による選択は素晴らしと考えている
このイベントのジョゼ・マルリシオ・マシリーニJosé Maurício Machlineは、12月3日(月)20時30分に市立劇場Teatro Municipalで始まるこの授与式の一部であるアトラクションを発表した。
ゼカ・パゴヂーニョZeca Pagodinho、ロベルタ・サRoberta Sá、ペドロ・ルイスPedro Luís、グルッポ・フンド・ヂ・キンタウGrupo Fundo de Quintalなどが呼ばれている。
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コリンチャンスからは、GKのフィリッピだけだ。
当然といえば当然だ。
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DFは右左とも、激戦だ。
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quinta-feira, 22 de novembro de 2007
左膝の手術を最近行ったFWルイゾンLuizãoが、コリンチャンスCorinthiansのフィジオテラピー部で回復治療をする。
アンドレス・サンシェスAndrés Sanches社長の友達のルイゾンは、ケガをするまでは、2008年の強化選手リストの1番にいた。
ルイゾンが復帰できるのは、来シーズンの後半である。
ルイゾンの回復と、その時にコリンチャンスTimãoのFWの状況によるのだが、来年の終了まで契約をする可能性がある。
ルイゾンとサン・カエターノSão Caetanoとの契約は12月31日までである。 更新はない。
それで、ルイゾンLuizãoは手当てをするクラブを必要としていた。
2005年にサンパウロFCにはいる前にいたサンパウロFCの治療回復センターもあった。
しかし、サンドレス・サンシェスとの親しい関係から、コリンチャンスにした。
コリンチャンスとの新契約の可能性も決定に影響した。
サンパウロFCではもうあり得ない。
ルイゾンLuizãoは32歳である。
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悪い冗談だと思いたい。
サッカーシューズを一足駄目にする間に、
ビーチサンダルを10足は履き潰しているルイゾン。
もう毎年、ルイゾンのビーチサンダルのコレクションが増えていくことが続いている。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
水浴びで、水を飛び散らかす。
周囲が濡れているので、サビア・ラランジェイラがやってきていたことが分かる。

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ロマリオRomárioは、2008年もヴァスコ・ダ・ガマの11番で活動を続ける。
エウリコ・ミランダEurico Miranda社長が、11月14日(水)にロマリオBaixinhoは来年のリオ・デ・ジャネイロ選手権Campeonato Cariocaをヴァスコ・ダ・ガマのために戦うと確認した。
エウリコ・ミランダ社長によると、ロマリオはこのリオ・デ・ジャネイロ選手権の後に引退することになるだろう。
「ロマリオRomárioは州選手権に参加する。 我々はヴァスコ・ダ・ガマのユニフォームを着てロマリオのお別れを計画している。 自分は終わりにあたって特別なものをみることが出来ることを期待している。 そして、ロマリオは引退するだろう。 昔の人が言ってきたように」と、エウリコ・ミランダ社長は言った。
11月28日(水)にサンパウロSão Pauloで行われる対コリンチャンスCorinthians戦には、ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督はロマリオを使わないだろう。
ロマリオBaixinhoは、この木曜日(11月22日)にマイアミMiamiに行き、戻るのは来週になる。
このところ、トレーニングをしているが、ロマリオはブラジル選手権Campeonato BrasileiroセリエAの最終節の一つ前の試合にはいない。
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マイアミには、何の用事で行くのだろう。
やっぱり、ロマリオはパカエンブー競技場には現れることはない。
それにしても、
本当に、来年1月に始まるリオ・デ・ジャネイロ州選手権にも出場するのだろうか。
来年1月29日で、ロマリオは42歳になる。
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サッカー・ワールドカップ2010年南アフリカ大会の南米予選の第3節が11月17日(土)と18日(日)に、そして第4節が11月20日(火)と21日(水)に行われた。
参加10ヵ国が総当たりし、2009年10月14日まで続く長丁場である。
4チームが予選の結果で出場権を得て、
5位のチームが、北米カリブ海エリアの4位の国と、敗者復活戦を行う。
第3節と第4節の試合結果は次の通り。
(10月に行われた第1節および第2節の結果)
11月17日(土) 第3節第1日目
試合開始 試合結果 開催都市
17h Argentina 3 x 0 Bolívia Buenos Aires
19h10 Colômbia 1 x 0 Venezuela Bogotá
21h10 Paraguai 5 x 1 Equador Assunção
「20071117GN22-Copa2010-Eliminatorias.wmv」をダウンロード
「20071117sporTVnews-2010Copa-Eliminatorias.wmv」をダウンロード
11月18日(日) 第3節第2日目
試合開始 試合結果 開催都市
17h Uruguai 2 x 2 Chile Montevidéu
19h10 Peru 1 x 1 Brasil Lima
「20071118sporTVnews-2010Copa-Eliminatorias-Uruguai-Chile.wmv」をダウンロード
11月20日(火) 第4節第1日目
試合開始 試合結果 開催都市
20h40 Venezuela 5 x 3 Bolívia San Cristóbal
22h50 Colômbia 2 x 1 Argentina Bogotá
「20071120sporTVnews-Futebol-Eliminatorias-Venezuera-Bolivia.wmv」をダウンロード
「20071120sporTVnews-Copa2010-Eliminatorias-Colombia-Argentina.wmv」をダウンロード
※ボリビアは勝てない。

※アルゼンチンのFWテベスが、退場。
アルゼンチンが負けた。
(コロンビアの先発と控え)


(アルゼンチンの先発と控え)


11月21日(水) 第4節第2日目
試合開始 試合結果 開催都市
19h30 Equador 5 x 1 Peru Quito
21h45 Brasil 2 x 1 Uruguai São Paulo
23h30 Chile 0 x 3 Paraguai Santiago
「20071121encimadahora-Selecao-Eliminatorias-Uruguai.wmv」をダウンロード
「20071121encimadahora-Copa2010-Eliminatorias.wmv」をダウンロード
次節の第5節および第6節の予定は次の通り。
6月14-15日 第5節
試合予定
- Uruguai x Venezuela -
- Paraguai x Brasil -
- Bolívia x Chile -
- Argentina x Equador -
- Peru x Colômbia -
6月17-18日 第6節
試合予定
- Equador x Colômbia -
- Venezuela x Chile -
- Uruguai x Peru -
- Brasil x Argentina -
- Bolívia x Paraguai -
※ブラジル対アルゼンチンという宿命の対決は、ベロ・オリゾンチで開催といわれている。
※※2008年は、6月、9月10月に、それぞれ2試合を行う。
(第4節を終了した時点での順位)

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ロマリオRomárioは11月21日(水)にもヴァスコ・ダ・ガマに現れた。
ロマリオBaixinhoは、ルイス・フラヴィオLuís Flávioの指揮によるフィジカル・トレーニングに参加したが、全ての体操をやるために力を抜いたりしなかった。
この5日間で、ロマリオは3日間サン・ジャヌアリオSão Januárioにいたことになる。
ロマリオRomárioは、40分間のトレーニングを行って、ロッカールームに下がった。
11月28日(水)のサンパウロでの対コリンチャンス戦にロマリオBaixinhoが参加することはまだ不確定である。
ロマリオがコリーナColinaに現れることは、マスコミにとって驚きである。
というのは、ロマリオはすでにマイアミMiamiに旅行することになっているからである。
コリンチャンスは、ロマリオが好きな敵の一つである。
ロマリオは、19ゴールを決めている。
--------------------------------
練習に、5日間で3回出て来たことが、話題になるロマリオ。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差するところにジョセ・モリーナ広場というのがある。
その脇の道に、ヴィニシウス・ヂ・モライス通りというのがある。
この一角は、パウリスタ大通りとそれにつながるドトール・アルナウド大通りとコンソラソン通りがトンネルや陸橋で、立体に交差するところにあって、それらの道に完全に囲まれたところである。
とても人が住むような、環境ではない。
それで、やや荒れたところである。
そういうところには必ずグラフィッチ(壁絵)がある。

住民は、家財の整理で忙しそうだった。

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11月21日(水)21時45分から、
2010年ワールドカップの南米予選のブラジル代表対ウルグアイ代表戦が、
サンパウロのモルンビー競技場で行われた。
------------------------------
拙宅をでたのは、19時20分。
真っ当に行くなら、レボウサス大通りからフランシスコ・モラット大通りを行くのだろうが、帰宅ラッシュでもあるし、試合もあるので、ルートを考えた。
元もと、レボウサス大通りは混んでいるので嫌いなのだ。
特に、オスカー・フレイリ通りとブラジル大通りの交差点での信号待ちが長い。
それで、
夜にピニェイロス方面に向かう時には、ドトール・アルドナウド大通りからカルヂアル・アルコヴェルヂ通りを下ることにしている。
しかし、エンリキ・シャウマン通りとの交差点を過ぎても非常に混んでいるので、左折してコンセリェイロ・エウジェニロ・レイチ通りに入り、さらにアウツール・ヂ・アゼヴェード通りを下ることにした。
これは正解で、ずいぶんと早く下ることが出来た。
そして、ペドローぞ・ヂ・モライス大通りから、レボウサス大通りそしてすぐにフェルナンド・ヴィエイラ・ド・メーロトンネルをくぐった。
これで、もう20時になっていた。
そのままフランシスコ・モラット大通りに入り、しばらくはそれなり進むことが出来た。
でも、トレース・ポデーレスを過ぎたころから、進みがすごく遅くなった。
はじめから、モルンビー競技場の正面でるジョルジ・ジョアン・サアヂ大通りに入る気はなかったので、
フランシスコ・モラット大通りから一旦逃げることにした。
右折し、ロッキ・ピント通りに入り、
フランシスコ・モラット大通りとほぼ並行しているエリゼウ・ヂ・アルメイダに入り、市内方向に向かい、トレース・ポデレス大通りとの交差点でUターンした。
エリゼウ・ヂ・アルメイダ大通りの動きは多少よかった。
しかし、ショッピング・ブタンタンあたりで、貸し切りバスがすでに列をなして路肩に駐車していた。
これから先が、難易度トリプルAの特殊な道である。
ショッピング・ブタンタンを過ぎて、最初の角つまりサンタ・アルビナ通りを右折する。
ここは左折も出来るのだが、列が出来ているので、一回では左に曲がれない。
そこで、右折して、ルイス・カルロス・プレステス公園方面に行き、すぐにUターンするのだ。
このあたりはちょっと荒れたところなので、Uターンは簡単に出来る。
そうして、エリゼウ・ヂ・アルメイダを交差し、最初の角を右折し、タヴァレス・ヴィエイラ通りにはいる。
普通の住宅街の道である。
二つ目の角を左折し、リオ・アズール通りにはいる。
そして、真っ直ぐ行き、フランシスコ・モラット大通りを交差し、マニュエル・ジャシント通りを登る。
登り切ったところで、左折しフランシスコ・ヂ・プロエンサ通りにはいると、これもモルンビー競技場近くの住宅街に出る方法である。
しかし、この道は急坂なので嫌いだ。
マニュエル・ジャシント通りを道なりにそのまま進む、
フランシスコ・プレット通りにはいる。
もうあたりになると、モルンビー競技場に向かう人が歩いているのだが、車は全く通らない。
ものすごい穴場である。
そして、マエストロ・トルクァント・アモーリ通りにぶつかったら、左に行く。
さすがにこのあたりになると、急に混み出す。
このあたりは住宅街。
適当に、車を止めれば、もう歩いて5分で競技場の入り口である。
もちろん、フラネリーニャからは逃れることは出来ない。
仕方がないことなので、気持ちよく支払っておきたい。
これで、20時45分頃にこのあたりに着いた。
1時間25分もかかったことになる。
日曜日ならば、もっと簡単な方法で25分もかからない。
こんな試合の時だから、このような道を使わざるを得ないのだ。
帰りは、次のようにした。
23時50分頃に、試合が終わった。
急いで出たわけではなかったが、10分以内には、モルンビー競技場の西側のジオヴァーニ・グロンシ大通りに出ていた。
もう、人で溢れていた。
そして、車を止めたところにいって、
マエストロ・トルクァント・アモーリ通りをもと来た方に行った。
さらにフランシスコ・プレット通りに行き、ニウダ・メデイロス通り、テオ・ドゥツラ通り、そしてルイス・カルロス・ヴェンツーラ通りと名前は変わるがほぼ道なりに進む、
そして、ドトール・シルヴィオ・ダンチ・ベルタッシ通りに突き当たり、右折し、東に進む。
2つ目の角を、左折し、真っ直ぐ下ると、フランシスコ・モラット大通りにぶつかるので、右折すると、都心方向である。
あとは、道なりに、進んでいった。
ほとんど、混むことはなく、信号待ちも少なく、
試合終了から、25分で、なんとパウリスタ大通りとコンソラソン大通りの交差点に着いた。
運転したのは実質15分である。
セントロの祝賀会場まで、試合終了後30分で着いた。
試合観戦組では、一番乗りだった。
モルンビーについては、あまりこのブログで触れていないし、遠いし、危ないところなので、あまり好きではない。
でも、モルンビー地区の裏道には、かなり自信を持っている。
このあたり、道が複雑だが、それだけに裏道を知っていないと、そのままファヴェーラに入り込む可能性がある。
だから、裏道を知っておくことはとても重要だ。
主要道のジオヴァーニ・グロンシ大通りやジョルジ・ジョアン・サアヂ大通りは、渋滞しているいないにかかわらず、危険なので通りたくない。
最悪の道である。
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ところで、試合だが、
ブラジルが2対1で勝利した。
ゴールは、2ゴールとも、追加招集されたルイス・ファビアーノによるものである。
(ブラジルの先発と控え)


(ウルグアイの先発と控え)


しかし、内容は悪い。
前半および後半のはじめは、ウルグアイの好きなようにやられた。
ウルグアイに先制され、その後も中盤でウルグアイに支配された。
ウルグアイのマークは厳しく、ブラジルは全く球を持てなかったし、当然シュートチャンスもほとんどなかった。
後半ですら、ただ1回のチャンスをゴールにつなげて、逆転できた。
観客は、すでに前半から、ドゥンガ代表監督に非難の声を上げていた。
後半になると、それが罵声に変わったくらいである。
結果は勝ったので、それはそれでよいが、
ホームでこんな試合では、今後が危ぶまれる。
(試合映像録画済み)
この勝利で、一応、アルゼンチンに次ぐグループ2位に付けた。
その後、パラグアイがチリに圧勝して、
パラグアイが1位、アルゼンチンが2位、そしてブラジルは3位となった。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
------------------------------
あとから建設されたので、パカエンブー競技場の南側ゴール裏席のトボガン席は、他の部分に比べるとモダンである。
試合の時の、このトボガン席への入場は、競技場の東西の道路のそれぞれの側から入ることになる。
トボガン席の当日売りのチケットも、その入り口付近の窓口で販売される。
それぞれの入り口を入ると、陸橋を渡り、トボガン席の中段の裏側に至る。
そこから、スタンドへ出ることになる。
トボガン席の裏から、東側の入り口。

そして、トボガン席の裏から西側の入り口。

試合の時には、トボガン席まで行かず、陸橋から立ち見している観客もいる。
トボガン席の席裏の1階部分は3つの部分に分かれている。
一つは、観客のためのトイレと売店がある部分。
そして、地階にあるジム、そして選手のロッカールームやプレスルームへのアプローチ部分。
さらに、フットサルのコートもある。

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quarta-feira, 21 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
-----------------------------
サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
サビア・ラランジェイラは、水浴びが好きだ。
小鳥のために、飲み水を用意しているのだが、
その中に入ってしまう。

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11月21日(水)21時45分から、
2010年ワールドカップの南米予選のブラジル代表対ウルグアイ代表戦が、
サンパウロのモルンビー競技場で行われる。
拙宅は、市内の中心部なのだが、
モルンビー競技場が辺鄙なところにあるので、
さすがにもう出かけなければならない。
試合開始、3時間前だ。
すでに、開場している。
いつものように、気楽に行けるパカエンブー競技場ではないので、
実は結構気が滅入っている。
家で、テレビを見ていた方がいいかもしれない。
でも、3-4年に1回しか、ブラジル代表はサンパウロでは試合をしないのだから、見に行くことにする。
ブラジル代表は、親善試合は基本的に全部国外。
ブラジルでの試合は、ワールドカップの南米予選くらいのものだ。
日本代表のように、親善試合は日本でやるのとはずいぶん違う。
ブラジル代表は引く手あまたである。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りの交差するところにあるのが、ジョゼ・モリーナ広場。
そこに、元々はコンクリートの打ちっ放しだったのでは無かろうかというコンクリート製のオブジェがある。
だが、今は、グラフィッチ(壁絵)そのものになってしまっている。

裏面も同様だ。

知らないうちに、絵が変わっていることがある。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
------------------------------
パカエンブー競技場の南側ゴール裏席のトボガンの南側には、
体育館そして最南部には屋外プールがある。

体育館では、格闘技の試合が行われていたこともある。
プールは、1963年のパン・アメリカン大会の水泳競技会場となった。
今でも、時々子供の競技会などが、日曜日の午前などに開催されている。

結構深いプールだ。

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terça-feira, 20 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
このサビア・ラランジェイラは、大きな割に人の気配を嫌う。
だいたいつがいでやって来ることが多い。
今年、拙宅の前の街路樹に巣を作った。
その後、拙宅にも作ろうとしていたが、その木を切り倒してしまったので、駄目になった。

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ブラジルサッカー協会CBFは、11月19日(月)に、水曜日21時45分からサンパウロのモルンビー競技場で行われる2010年ワールドカップの南米予選のブラジル代表対ウルグアイ代表戦のチケットの追加発売を発表した。
発表によると、
椅子席を1000席、そしてウルグアイ人向けに800席。
椅子席は、ただ一箇所イビラプエラ体育館のチケット売り場で発売するというもの。
ウルグアイ人向けは、セントロのサン・ルイス大通りの旅行社で発売するというもの。
椅子席の発売については、
11月20日(火)に発売ということであったが、発売開始時間がソースによって異なる。
10時と11時というのがあった。
また、実は、11月19日(月)に同所において発売が開始されていたという。
いつものように、突然、そういうことが行われるのがブラジルである。
情報を得たものだけが、そしてその情報を伝えてくれるアミーゴがいるものだけが、いい思いが出来る。
普段から、そういったルートにお金を使っておかなければならない。
この第一報を得たのが、19日(月)の19時15分頃。
本来ならば真偽を確認する前に飛んでいくくらいだが、もうチケット売り場は開いていない時間だった。
ともかくも、20日(水)朝、9時頃に、拙宅をでて、イビラプエラ体育館のチケット売り場付近へ車で向かった。
一応休日だし、割と飛ばしたので、拙宅からは、約15分で着いた。
すでに、列は200メートル以上になっていた。
何も考えることはなく並んだ。

1人あとに来た人が、まめな人で、何人並んでいるか数えてきていた。
150人だといっていた。
1人が5枚買えるとして、最大で750枚だから、十分に買えると踏んでいた。
並んでから、色々な情報が交差する。
テレビによるととか、新聞によると、さらに幾つかのサイトからの情報もそれに加わる。
10時からなのか11時からなのかは、11時派が強かった。
さらに、モルンビー競技場でも発売するのではないかという情報もあった。
そのたびに、みんな考え込むわけである。
さらに、ブラジル人の多くは、並んでいる時に、何故か電話をするのが好きである。
もちろん、並んでいるから、かってあげようかとかそういった話もあるのだが、ただ並んでいるからそれを知らせるだけとか、無意味な電話も多い。
並んでいるから、20分以内においでという電話をしている人もいたし、家族に身分証明書をもってこいという人もいた。
警察がいっぱいいて、何か色々な取り締まりをしていて、なんだか知らないが別々の2人がパトカーで連れて行かれた。
テレビ局やラジオ局もきて、
映像録画やインタビューもしていた。
新聞社のカメラマンは、角度にこだわって撮影するし、並んでいる人にポーズまで要求した。
ブラジルの新聞写真は、アート性が高いのだ。
そのうちに、また新たな情報が伝わってきた。
1000枚ではなく、350枚だという。
この情報には緊張感が走った。
ただ、1人3枚。
でも、みんなが3枚買うわけでもない、1枚や2枚の人もいる。
だから、何とか行けるのではないかという祈りもある。
11時ちょっと前に、発売が開始された。
列は割と早く動く。
売り切れないように祈るしかない。
11時50分頃に、窓口までもう少しのところへ来た。
そこにいた案内員は、500枚だといった。
それに学生などの半額券もあると言っていた。

ついに、窓口にたどり着き、買えた。
12時ちょっと前だった。
まだまだ列は200メートル以上はある。

さっさと家に戻った。
12時17分だった。
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3時間近く並んでいたわけだが、その中でも、いろんな事があって、結構楽しいものだ。
ブラジル人は、本当に面白い人たちばかりだ。
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これで、すでに買っていた自分用のチケットが余ってしまった。
明日にでも、モルンビー競技場前で、ダフ屋に買ってもらおうかな。
でも、ずいぶんと、今回は警察がうるさくて、ダフ屋を摘発している。
大丈夫かな。
これは、定価+αで売るつもりだから、問題はないと思うが、
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今夜も、また「ブラジル人のパーティー」に悩まされている。
1年に数回のことだが、またもや限度を超えている。
静かな住宅街にある拙宅なのだが、
今夜は違う。
日付が月曜日から火曜日に替わるころから、大音量が始まった。
そのころから、人が集まってくるのだろう。
そして、今は3時半。
眠れない。
今夜のパーティーが行われている家がどこかは分からない。
たぶん、200メートルくらい離れている。
それだけに、低音が強めに響いている。
人の話し声は聞こえない。
ほとんど、クラブの中にいるのと変わらない。
まあ、クラブのトイレの中くらいか。
なぜ、近所近辺に轟き渡るように、音楽を大音量で響かせるのか全く理解できない。
自分たちだって、難聴になるだろうに。
一応、サンパウロには22時以降は大音響を出してはならないという条例がある。
アパートだけに適用されることもないだろう。
大邸宅の住民は何をやってもいいのだろうか。
この音源のすぐ近くの住民は、眠れるのだろうか。
防音室を持っていることもないだろうし、地下室に籠もっていることもないだろうに。
いつかやり返してやろうとおもっているのだろうか。
11月20日(火)は、「黒人覚醒の日」で、一応サンパウロ市は休日になっている。
だから、このパーティーをやっているのだろう。
しかし、この休日は、全ての企業が休みになるわけでもない。
このパーティーの参加者は、休みなのだろうが。
6時までには、終わるだろうか。
いつもその時刻頃まではやっているのが普通だ。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
非常にシンプルな作品である。
でも、何かほのぼのとしたのもの感じる。
後ろにいるのは、お父さんなのかお母さんなのか。
ブラジルだから、お母さんかな。

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11月19日(月)、ロマリオRomárioはサン・ジャヌアリオSão Januárioに現れて、ヴァスコ・ダ・ガマのトレーニングに普通に参加した。
ロマリオBaixinhoは、フィジカルトレーナーのルイス・フラヴィオLuís Flávioとヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督の指揮によるワークで、力を抜くことはなかった。
ロマリオは、16時に他の選手達と共にグラウンドに入り、ウォーミング・アップを始めた。
いつもはしないローダ・ヂ・ボボroda de bobo(=真ん中に1人の選手が立ちも、残りの選手達が環状に立って、ボールをパスしあうもの)にも、ロマリオRomárioは参加した。
これは、2個のボールを使って行われた。
ロマリオは同僚の後ろを走ることになった時も、ユーモアを持っていた。
「ボール、1個だ」と同僚からボールを取るのに10秒も遅れることなく、ロマリオBaixinhoは言った。
ウォーミング・アップのあと、ロマリオは技術委員会の指示で輪になった。
最初はマルセリーニョMarcelinho相手に1つのゴールだけを使った。
そのあと、2つのゴールを使って、シュート練習をした。
活動は約1時間だった。
こういうことで、みんなはロマリオBaixinhoが28日のコリンチャンスCorinthians戦のためにサンパウロSão Pauloに行くと言っている。
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このロマリオの存在で、コリンチャンスの選手達は非常に警戒している。
リオ・デ・ジャネイロでしかプレイしないはずなのに、本当に、ロマリオはサンパウロに行くだろうか。
尚、28日(水)に、ブラジル選手権の第37節の試合として行われるコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦は、またもやネスレのお買いあげ試合である。
このためパカエンブー競技場の正面スタンド席を除いては、一般に販売されない。
24日(土)に、市内のスーパーで、ネスレの指定商品3点を買うと、入場券がもらえることになる。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
------------------------------
パカエンブー競技場は、何もサッカー場だけがあるのではない。
南側には、色々な施設があり、利用できる。
テニスコートが2面ある。
屋内と、屋外である。

屋内コートはクレーコートである。
実際に、試合に使われているところは、ついぞみたことはない。
屋外コートの観客席では、近隣の女性がビキニ姿で日光浴をしている。
テニスコートの端に、女性プレイヤーの彫像がある。
1950年代に世界のトップだったブラジル人プレイヤーの彫像である。

ご存命である。
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segunda-feira, 19 de novembro de 2007
ドゥンガDunga代表監督は、リマLimaのモニュメンタル競技場Estádio Monumentalでのインタビューで、ペルーPeru戦でのブラジル代表seleção brasileiraの動きを素早く分析した。
ドゥンガ代表監督は結果は正当だったと思っている。
ブラジル人およびペルー人記者の質問には深く答えなかった。
ブラジルへの評価:
ブラジルへの評価はまだ今するべきではない。 まだ試合の雰囲気だ。 あとでする。 一般的に、ポジショニングで幾つかミスがあり、ボールを持ちすぎたと思っている。
結果の正当性:
サッカーは正当と仮装ではないとかの交渉ではない。 どちらがゴールをしたかである。 ゴールをする機会はあった。 試合終了時にもボールがポストに当たった。 でも結果は正しい。
DFの動き:
守備はサッカーの一部である。
ボールを持っている時には、チームは攻撃する。 持っていない時には守らなくてはならない。
我々のDFの質は、世界中が知っていることである。
ペルー代表:
自分にとっては驚きではない。 ペルー選手の質は知っている。 かっらの多くは欧州でプレイしている。 リマLimaでの試合はいつも難しい。 今回も何も違いはなかった。 ブラジルBrasil戦でプレイしたように他ともプレイするならば、彼らは大きな未来があるだろう。
ヴァルネル・ロヴィVágner Love対ルイス・ファビアーノLuís Fabiano:
ヴァグネル・ロヴィVágner Loveはよく動く選手である。 ルイス・ファビアーノLuís Fabianoはどちらかというとペナルティー・エリア内にいて戦う。 ペルーの守備は肉体的な戦いが目立っていたので、交替させた。
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ブラジル代表の選手達は、
試合後1時間で、帰国のためにバスで空港に向かった。
監督は代表質問に答えた。
選手達は、ミックス・コーナーで立って、答えただけである。
選手達は、11月19日(月)朝には、サンパウロに予定より2時間遅れて到着した。
16時半過ぎからは、試合に出場しなかった選手達はトレーニングを行った。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジェイラ。
体長25センチと、やって来る鳥の中でももっとも大型になる。
サンパウロ州のシンボル鳥である。
サビアには、他の種類もいるが、これはお腹の部分がオレンジ色なのでラランジェイラという。
とても良い啼き声をしている。
大きくそして長く啼く。
夜明け前から鳴き始めて、眠れなくしてくれる鳥はこの鳥だ。

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ブラジル・サンパウロの家は、レンガ造り。
屋根組だけは木材である。
内装も、レンガの上に、コンクリートそして漆喰を塗って、それにペンキを塗る。
内壁や床が、木質の家はそう多くない。
家の中で、木製のところは、部屋の扉くらいではないだろうか。
サンパウロでは、火事はそう多くないと思う。
家の造りがそんなものだし、家の中にものがいっぱいという人もそう多くない。
風もそれほど強くないし、隣家もレンガ作りなので、延焼もしにくい。
ところが、時たま大火事になる時がある。
レンガの家が多いと書いたばかりだが、大火事になる家は木製の家が多い。
大火事になるのは、だいたいファヴェーラ(=貧民窟)である。
住宅が密集しているし、木製の部分も多い。
拾ってきた木材や紙やビニールの部分が多い家もある。
すぐに何十世帯、何百人もが焼け出される。
10月10日に、
ベラ・ヴィスタ地区のジョアン・パサラクゥア通りが、ラヂアル・レスチ-オエスチ大通りの下を交差するところで、火事があった。
そのラジアル・レスチ-オエスチ大通りの高架の下の一角が焼けたのだ。
「20071010JNsp-Incendio.wmv」をダウンロード
ここは、週に2-3回は通るところなどで、ニュース映像ですぐわかった。
そこは、廃品回収をする人たちの作業場であり、住居であった。
燃えるものはいくらでもあるから、すぐに焼ける。
でも、焼け出された住民は、誰かが夜にガソリンを撒いて火を付けたと言っていた。
こういう人たちやファヴェーラの人たちは、公有地や私有地を、いつの間にかそして何年も不法占拠していることが多い。
その既成事実を支持するような運動家もいる。
一方、土地の所有者や、近隣の人たちにとっては、何とかしてもらいたいという思いがものすごく強い。
これも当然である。
こういうのがあると、地域の雰囲気は悪くなり、不動産の価値は暴落する。
居住権があるし、それにこの人達の生業は、ゴミが出て来る都心でしか成り立たないので、郊外に格安の集合住宅を造っても、そこには行かない。
こういう時に起きるのが、放火である。
強制的に、たたき出すわけである。
もちろん誰がやったか分からない。
火事の翌日から、残材はさっさと片づけられている。


そして、道路は今も一部は閉鎖されている。
今は、焼け跡に囲いが出来て、人がもう入り込めないようになっている。
そして、内部の修復作業が進んでいる。


何か手際がよいのだ。
今回焼けたところと、その向かいの土地は、再開発計画がある。
向かいの土地は、自然発生的に出来たジムがあり、そして図書館もあった。
今は、更地になって、改修工事が進んでいる。
より綺麗なジムや図書館が出来るらしい。
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ブラジルにも、ユダヤ人はいる。
10万人くらいという資料もある。
ユダヤ人というと、先入観を持ってみてしまうのであるが、誰もがそうではない。
でも、やはりある世界はユダヤ人の力が強いというのが、ブラジルでもあるようだ。
サンパウロでは、イジェノポリス地区に多く住んでいる。
この付近には、シナゴーグも多い。
厳重な警備の建物になっていることを、前に記事にした。
金曜日の夕方や土曜日には、ユダヤ人と一目で分かる服装でそのあたりを歩いている。
そのイジェノポリスの隣のパカエンブー地区も少なからぬユダヤ人が住んでいる。
そして、そのパカエンブー地区に、ユダヤ人に関係する2つの広場がある。
一つは、パカエンブー競技場の脇にある。
ダヴィッヂ・ベングリオン広場。
いうまでもなく、イスラエルの初代首相である。
首相になる前は、独立運動の闘士である。
英国の信託統治のもとで、建国のために過激な非合法活動をやった人である。

広場といっても大した面積ではない。
路肩のようなものだ。
だが、試合の日には、観客のそのあたりにたむろして、荒らしてしまう。

でも荒らされても荒らされても、何度も修復がなされる。
最近の修復は、近年ではもっとも手が込んだものになった。
上段の歩道の脇には、木材チップが敷き詰められた。

そして、下段の歩道の脇には、入り込めないように木が植えられた。
以前は、芝生にされたりしていたのだが、
歩道が狭く、
その芝を踏みつけて歩くので、育たなかったのだ。

そこまでして、この広場に費用をかけるのは市である。
いつも書いていることだが、サンパウロ市の行政は決して公平ではない。
こういう地区は、停電も少ないし、ゴミの回収の回数も多い、道路の清掃も、道路の補修も頻繁に行われる。
多くのの広場は、名ばかりの広場で、瓦礫の山であったり、草が生え放題になっているのが普通である。
このダヴィッヂ・ベングリオン広場から、300メートルほどのところにあるのが、「イスラエル建国50年記念碑」である。

5月のイスラエル建国記念日には、花が置かれる。

そして、ここはイスラエル建国50周年広場である。

だいたい、なぜ「イスラエル建国50年」を記念して、ブラジル・サンパウロに碑が出来て、広場になるのだろうかという本質的な問題もある。
独立そのものは、ブラジルには関係ない。
アラブ系からみたら、とんでもない話だ。
その「イスラエル建国50年記念碑」を巡る「攻防戦」が続いている。
難しい国際政治の話ではない。
宗教的なことでもない。
一人の人間の生活をかけた問題である。
つづく。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
あまり良質の絵はないなかで、もっともよい雰囲気を出している絵。
このあたりでは、かなりの大作である。

この作家の他の作品を見たいものである。


塀の向こうの緑は、パカエンブーの住宅街。
その先のアパート街は、ペルヂーゼスになる。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
------------------------------
パカエンブー競技場の南側ゴール裏のトボガン席最上段から、パカエンブーの住宅街をみてみた。

パカエンブー競技場は、谷間にあって、周囲はすべて一戸建て専用住宅街になっている。
谷の傾斜地に建っている家がほとんどで、平屋は少ない。
だいたい2階建てであるが、
地形の関係で道路側からは平屋でも、実は3階建てというのもある。
土地は、350平米から1000平米くらいは普通だろうか。
建物は、200平米からやはり600平米くらいまでか。
最近、ブラジル通貨が高騰しているので、これらの家も日本円に換算すると5000万円くらいから1億円くらいだろう。
都心で、この豪邸で、この価格なので、日本の常識で考えるととても安い。
中には、6階建てという大豪邸もある。
表からみると2階建てなのだが、競技場側からみると6階建てになっているというものだ。
多くの家が、1940-50年代に建てられているので、設計も古く、今の生活にはあわない部分もある。
また老朽化しているので、あちこち修理をしなくてはならない。
それでも、もともと超高級住宅街の家なので、造りはしっかりしている。
今では、とても作ることが出来ない頑丈な家ばかりだ。
でも、どの家からも、競技場のグラウンドで行われている試合を見ることは出来ない。
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ブラジル・サンパウロでは、
よく建物を使用禁止、立ち入り禁止にする。
基準を満たさないホテル。
犯罪に使われた倉庫や工場。
ビンゴと呼ばれる賭け事屋
(一時は合法だったようだが、今は禁止だ。 この何年か頻繁に合法になったり非合法になったりしている。ちなみにブラジルにカジノはない。 1950年台まではあったようだ。)
このところ、またこの処分を受けた建物を見かける。
それつい最近急に増えた。
セントロのジョアン・メンデス広場あたりを歩いて、キンチーニョ・ボカウーバ通りに入ったら、早速閉鎖されていた。
シャッターは閉められ、そして下半分にコンクリートブロックが積み上げられていた。
さらに、赤く「閉鎖」の文字がスプレーされている。

たぶんここは、普通のバールだったはずだ。
そして、そこからわずか10メートルのところも閉鎖になっていた。
看板からすると駐車場だったようだ。

どうしたのかなあと思っていたのだが、
翌日、拙宅からそれほど遠くないイジェノポリスからコンソラソン通りにでる時に必ず使う道の角にあったバールも、同様に閉鎖されていた。

アパート街の一角にあるごく普通のバールだったのが。
そして、またセントロのアニャンガバウーに行った。
そこでも、何軒もの店が閉鎖されていた。
バールがあったり鍵屋があったり、何か物を売っていたようなところだったはずだが。

それぞれ事情は違うのだろうが、どうしたのだろう。
ニュースで何か言っていたようなこともなかったと思うのだが。
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domingo, 18 de novembro de 2007
11月18日(日)19時10分(*以下ブラジリア時間)より、2010年ワールドカップの南米予選のペルー代表対ブラジル代表戦が、ペルーの首都リマのモニュメンタル競技場で行われる。
17時31分 ペルー代表が競技場にバスで到着。
17時45分 この試合では、両翼をそれぞれ2メートル減らしたそうだ。
ペルー代表がマークをし易くするためだろうということ。
17時59分 ブラジル代表が乗ったバスが競技場前に到着。
競技場敷地内に入った。
2階建てバスなので、
競技場内のトンネルに入らないので、別のバスに乗り換えるそうだ。
18時1分 乗り換え中。
カメラが中に入られないため、映像が不十分。
選手の顔も写らない。
18時6分 乗り換えたバスがロッカールームの近くに着いた。
代表選手が降り始めた。
ロナウヂーニョ・ガウーショの出場はまだ不明。
そのロナウヂーニョ・ガウーショが歩いていった。
18時22分 ロナウヂーニョ・ガウーショは、先発。
18時30分 ペルーのGKのウォーミングアップが行われている。
主審および線審もウォーミングアップを行っている。
18時38分 ブラジル代表がウォーミングアップ中。
18時45分 ブラジル代表が、ストレッチを行っている。
ウォーミングアップは終わりである。
18時56分 Globo局が中継を始めた。
ガルヴォン・ブエノのナレーションである。
(モニュメンタル競技場)

19時01分 選手の入場。

19時02分 ブラジル国歌演奏。
短い。
「20071118Futebol-Selecao-Eliminatorias-Peru-Hino.wmv」をダウンロード
19時04分 ペルー国歌演奏。
(ペルー代表の先発と控え)


(ブラジル代表の先発と控え)


(ドゥンガ代表監督とジョルヂーニョ監督補佐)

19時10分 キックオフはブラジル。
前半39分 カカのゴール。
1対0。
後半25分 ペルーのフアン・バルガスが、ゴール。
1対1。
後半48分 試合終了。 1対1。
※※実況はしない。
「20071118sporTVnews-Selecao-Eliminatorias-Peru.wmv」をダウンロード
(映像録画済み)
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ちょっと遅れてしまったが、
ブラジルのスポーツ専門チャンネルのsporTV局が、毎晩放送しているsporTVnewsでも、11月14日に「浦和レッズ」がアジアチャンピオンリーグで優勝したことを伝えている。
このところ、ブラジル選手権も優勝が決まったし、第36節と第37節の間がだいたい2週間も試合が無く、合宿中のブラジル代表もおしゃべりな人やニュースバリューのある人が昨年に比べたら減ったこともあって、1時間半の番組のネタがなかったとはいいたくないが、アジアのサッカーの動向が報じられることはまず無い。
どこにでもいるブラジル人選手の動向の一つともいいたくない。
ワシントンに焦点が当てられるが。
今年は、ブラジルが出場しない世界クラブ選手権の出場権の一つが決まった試合という位置づけということ。
しかし、最初みた時は、平壌でのアウェーの試合かと思った。
「20071114sporTVnews-ACC-Urawa.wmv」をダウンロード
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
どこまでも歪な絵。

これも、顔面が崩壊しつつある。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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ハチ鳥。
ブラジルではよく見ることが出来る小鳥である。
拙宅にもよくやってくる。
花の蜜が主食なので、花が咲いていないと来ない。
飛んでいる時は羽の動きが肉眼では全く見えない。
花から花へ移る時も早すぎてとてもカメラでは追えない。
そんなハチ鳥も、もちろん休息をする。

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11月17日(土)にペルーの首都リマLimaのモニュメンタル競技場Estádio Monumentalで行われたブラジル代表seleção brasileiraのトレーニングで、ロナウヂーニョ・ガウーショは日曜日に行われるペルーPeru代表との試合への出場について理解させることになった。
ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúchoが参加したトレーニングで、ロナウヂーニョ・ガウーショの出場は決まったに違いない。
疑問があるにも関わらず、ロナウヂーニョ・ガウーショは同僚と共に普通に活動に参加した。
時には、右くるぶしの怪我に違和感を覚えているところを見せていた。
トレーニングの後、医師のジョゼ・ルイス・ルンコJosé Luiz Runcoは慎重さを崩さず、ロナウヂーニョ・ガウーショが日曜日にプレイするかどうかの判断をすると行った。
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ロナウヂーニョ・ガウーショが出場しない場合は、
ヂエゴが入ることになるだろう。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の南側ゴール裏席は、トボガン席という。
トボガンとは、本来は途中に段のある滑り台状のものという。
でも、パカエンブー競技場のトボガンは最上段から最下段まで真っ直ぐだ。
このトボガン席は、パカエンブー競技場が出来た時にはなかった。
元は、小さなステージ状のものがあった。
それを取り壊して、近年になって建設された。
観客が少ない試合の時は、このトボガン席は開放されない。
トボガン席最上段から、左手にある正面スタンドを見てみた。
正面スタンドの庇の上に、テレビの中継カメラが設置される。
試合の全体の動きを映し出すのはここのカメラからの映像である。

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sábado, 17 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロの歴史的中心部セントロの、ラモス・ヂ・アゼヴェアード広場の横に、ショッピング・ライチShopping Lightというショッピングエンターがある。

もともと、EletroPauloというサンパウロ州の電力会社の本社であった。
重厚な建物で、かつて一流企業に相応しい人たちが出入りしていたのを覚えている。
しかし、時は過ぎ、その本社はショッピングエンターに成り果てた。
それも、セントロという場所柄、2流以下のショッピングエンターになった。
何しろ、客層が客層だから、それに相応しいものしか売っていない。
高級品など無い。
内装は、かつての本社然としたところがほとんど残っているだけに、とても不釣り合いだ。
そのショッピング・ライチのショーウィンドウにあったのが、「極道」シャツだったが、
その「極道シャツ」は消えていた。
売れてしまったのだろうか。
「極道」っぽい人に買ってもらえれば、よかっただろう。
そして、替わってショーウィンドウに展示されていたのが、
このシャツだ。
ひらがな交じりで何か書いてある。
少女は花手鞠を持っているようだ。
それとも、線香花火だろうか。

「原子の分野の花」
何でしょうか。

原子物理学の世界で、「原子の分野の花」と呼ばれるものがあるのあろうか。
こういうシャツが似合う人のイメージも全くわかない。
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ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエナウ館で、11月11日から12月16日まで開催の「第7回サンパウロ国際建築ビエナウ」。
続きである。
ビエナル館の最上階の4階に、「国際招待建築家」のコーナーがある。
入り口から、一気にそちらに向かった。
上から、順に降りていこうと思ったわけだ。
その「国際建築家」のコーナーには18人の建築家の作品が展示されているのだが、その一つに日本人の遠藤秀平氏のコーナーがある。

日本人は、この遠藤秀平氏だけである。
コーナーの両側の間仕切りでもある2枚の壁に、パネルが取り付けてあり、幾つかの作品の写真が展示されている。

模型や図面はなかった。


日本という国は、自然災害が多いそれに地価が高いから、設計には大きな条件的な制約がある。
どうしても大胆で自由な作品は難しい。
柱が太く、窓が小さな、重い感じのする作品になるのは仕方がない。
建築に関しては、ブラジルとは全くかけ離れたところである。
ブラジルの建築家の作品は、個人の住宅であっても、超豪邸であるのにたいして、
この遠藤秀平氏の作品の一つにあった崖っぷちの狭隘敷地に建てられた個人住宅。
眼下に海を見下ろす絶景のところにあるのだが、道路や鉄道の騒音もすごそうなところだ。
その厳しい条件を乗り越えて、また景観を生かした見事な作品ということが出来る。

でも、ブラジル人には、理解されないだろうなと思った。
図面や模型があったら、更にその小ささに呆れられることだろう。
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渋谷の家を建て替えるときがきたら、お話をしたい。
狭隘敷地である。
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2007年は、サンパウロ市およびその周辺の日系のお祭りにかなり行った。
柿祭り(1)(2)、桜祭り(1)(2)(3)、秋まつり、「七夕祭り」そして「日本祭り」に花祭り。
知っていて行かなかったのは、スザノ市の「イッペーまつり」くらいだ。

アチバイア市の「イチゴと花祭り」は、2006年に行ったので、それでよしとした。
招待券までいただいていたのだが、人に回した。

まあ、だいたいどんな程度かどんなものか掴めた。
来年はもう行かないと思う。
時間と費用をかけて、わざわざ行くほどのものもないからだ。
それに、日本のこととなるとどうしても点数が辛くなるのだが、「ちょっと違う」というものを感じるからだ。
主催者や関係者が努力されているのは理解しているのだが、それ以前に「違うように」教わっていれば、その後の発展も違う方向になる。
食べ物に関しては、どこにいっても似たようなもので、「焼きそば」と「天ぷら(称するもの)」ばかりだし、それも素人が作っている割に高い。
これも、わざわざ食べるほどものは、全くない。
家で、もっともっとはるかにレベルが高いものを食べられる。
普段、日本食にアクセスできない人や、日本食を知りたがる非日系人にとっては、こういったお祭りが、貴重な機会であることは分かる。
ところで、サンパウロは世界各国からの移民の子孫がいっぱいである。
その非日系人達の「お祭り」はどうなんだということになる。
どういう訳か、非日系人のお祭りというのはそれほど多くない。
結構調べてみた結果であるが、それぞれの民族がやるお祭りというのが、日系ほど多くないのだ。
どういう訳か分からない。
だいたいカトリックに関係するものが多いので、同化してしまっているのかもしれない。
もしくは、このところの日系のお祭りように、非日系人を含めた一般向けに開かれたものではなくて、いまだに民族だけが集まってやっているものが多いのかもしれない。
もう一つは、日系は最後にやってきた移民でいまだに民族色を保っているほうかもしれない。
欧州からの移民のようにキリスト教というような共通の何かが無くて、日本はかなりかけ離れた文化圏なので、それだけに余計に「お祭り」に非日系人までが好奇心で集まるり、規模が大きいのかもしれない。
その非日系を主体としたお祭りの一つを紹介しておく。
-------------------------------
サンパウロ市から西に60キロほどのところに、サン・ロッキという街がある。
サンパウロ市から、200キロくらいまでは、イタリア系が多数を占める街が多い。
入植が早いからだろう。
日本人はあとから来たから、もっと奥に入植したからか、その距離では、それほど日系人は多くない。
ごく近郊のモジ・ダス・クルゼイロ、アルジャ、スザノ、コチア等々の日系人は、都市型農業に従事しているのであって、内陸部の大規模農業とは一緒には出来ない。
サン・ロッキは、山がちのところにあって、平地は少ない。
そういう地形のせいか、広大な農地はあまりみられない。
サン・ロッキは、サンパウロ州ではワインで有名な街ということになっている。
ブラジルのワインは、やはり歴史的にイタリア系やドイツ系の人たちによって生産されているわけで、ブラジル全体でみると、サンパウロ州というよりは、南部のリオ・グランヂ・ド・スル州やサンタ・カタリーナ州で多く生産されている。
気候的な要素もある。
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10月の週末に、このサン・ロッキで「ブドウまつり」が開催された。
※※正確には「ブドウとアーキチョーク」である。
会場はExpo Sao Roqueという常設会場。
多くの日系のまつりとは違って、仮設の会場ではない。
入場料も取られるし、駐車場代も必要だった。

でも、それだけに会場はよく整備されていた。

フードコート。
焼きそばはなかった。

会場内。
全て舗装されている。

遊園地もある。
これは、射的場である。
日本のそれと変わらない。

移動ポップコーン売り場。

このカラフルなポップコーンはどうやって着色するのか。

これは、真ん中にあるフックが付いた丸いものを竿で吊り上げるというもの。
その個数で、景品がもらえるというもの。

「アート体育館」。

中でやっていることは、美術品展示即売会。

雑貨を売っている屋台。

小動物園。
馬、牛、ヒツジ、山羊。
それに家禽、小鳥などがいた。

いかにもイタリア系という人たちが多かったが、
日系人も割と見かけた。
このあたりには日系人も多いようだ。


レストラン。

ステージでは、音楽関係のコンサートが次々に開催されていた。

カラオケはない。
太鼓もない。
そのステージの前で、イタリア系かと思うような服装の若者が、音楽に合わせて、踊っていた。

そして、このお祭りの最大のアトラクションの「ブドウ踏み」がはじまる。
お祭りの日は毎日17時に始まる。
むかしは、こうやってワインを作っていましたという前口上があった。

ステージの前に、3つの大きなタライ状のものがある。
真ん中のものは小さくて、水が入っている。
左右にあるのは大きい。
その大きなタライに、ブドウを次々に入れる。

どんどんと入れる。

そして、裸足になって、
真ん中のタライで、
足を綺麗にする。

音楽に合わせて、ブドウを踏み始める。

観客にも踏んでもらう。

「20071006SaoRoque1.MOV」をダウンロード
ブラジル人はこういうことにはとても積極的に参加する。
ノリがいい。
「20071006SaoRoque2.MOV」をダウンロード
踏みまくる。

「20071006SaoRoque3.MOV」をダウンロード
そして、ほぼ踏み終わったあとで、
若者が、イタリアの民謡に合わせて、踊る。

「20071006SaoRoque4.MOV」をダウンロード
でも、よく見ると、イタリア系でないような顔つきも多かった。

ところで、ブラジルで大流行の「カニ踊り」の本物を見ることが出来た。
ステージで演奏していたバンドが、
観客の中の若者の要求にあわせて「カニ踊り」の曲を演奏したら、あっという間に若者が前に出て来て踊り始めた。
かわいかったから、大変よかった。
「20071006SaoRoque-DancadoSiri.MOV」をダウンロード
日系の祭りのようなアトラクションと食べ物いっぱいのごちゃ混ぜ感はないが、
まじめにやっているところに好感は持てた。
でも、もう行かないかな。
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肝心のワインなのだが、
これも常設の会場で10業者くらいがワインの試飲即売会をやっていた。
7-8品種試飲したのだが、何も買わなかった。
酸味が強く、深みのない、そして香りにも乏しいワインばかりだった。
だいたい南回帰線でワインを生産するのは無理があると思う。
ブラジルの南部のワインでも、
近年良いものが出来るといわれているが、
自分としてはぜんぜん認められない。
ブラジルのレストランでは、
ワインはチリ産やアルゼンチン産を頼むのが無難である。
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ワインについては、
多少は蘊蓄は持っているつもりだ。
多少だが。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
倒壊した塀の横にある2人の肖像画。
誰だろう。
真面目な顔をしているから、政治家だろうか。

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ブラジルで大人気の日系人タレントの、サブリナ・サトウSabrina Sato。

サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。

この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。

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「空中ホットドッグ」で、パニカッチに敗れてしまったサブリナ・サトウ。
負けた場合には、何でもすると「女の約束」をさせられてしまっていたのだ。
サブリナ・サトウは、今までに色々なことをやられてきたが、ゲームに負けての罰を受けるのは初めてである。
今までは「罰ゲーム」はなかったのである。
そのサブリナ・サトウが受ける罰とは、番組panico na TVの別のコーナーに出演するのだ。
そのコーナーでは、若者などが集まるイベント会場に行って、そこにいる若者と話をして、さらに女性と「口づけ」をするのが売りになっている。
それにサブリナ・サトウが参加する。
なんだか、キャンディーを手に、サブリナ・サトウが登場。

サブリナ・サトウは大人気。
生サブリナをみた若者は大興奮。

サブリナ・サトウへの罰は、つまり「口づけ」をすることなのだ。
当然逡巡する。

でも、その時はやって来た。
彼の名前は、エステファーノ・カルロス。

でも、まだ覚悟が出来ない。

色々と、言い訳をする。

でも、唇と唇が近づいた。

まだ、駄目だ。

でもついに。

あやー。

「20071007paniconaTV-SabrinaSato-Beijo.wmv」をダウンロード
その彼が、スタジオにも現れた。
観客席からは、「もう一度」と大合唱。

びっくりして、観客席に逃げたサブリナ・サトウ。

ひとまず、番組終了まで、サブリナ・サトウの隣にいることになった。
エステファーノ・カルロスは、何という果報者か。
もう一生分の運を使い果たしてしまったはずだ。

-------------------------------
まあ、
大人気の女性タレントであることを考えると、
日本では考えられないような「罰」である。
あまり面白くもない罰であるが。
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ヴァスコ・ダ・ガマは、11月16日(金)の午後、サン・ジャヌアリオSão Januárioで、リオ・デ・ジャネイロの2部のグァナバラGuanabaraと練習試合を行った。
チームで目新しかったのは、今週初めてクラブに現れたロマリオRomárioがMFの4人としてプレイしていたことであった。
出て行くことになったのは、ボランチのアマラルAmaralであった。
ヴァスコ・ダ・ガマは3対2で敗れた。
アラン・カルデッキAlan Kardecとレアンドロ・アマラウLeandro Amaralがゴールを決めた。
先発メンバーは次の通り:
GK: Cássio;
DF: Wagner Diniz, Jorge luiz, Luizão, Rubens Jr.;
MF: Thiaguinho, Leandro Bomfim, Morais, Romário;
FW: Leandro Amaral, Alan Kardec
後半に、ヴァウヂール・エスピノーザ監督はロマリオBaixinhoを外してアマラルAmaralももどした。
練習試合なので、ヴァウヂール・エスピノーザ監督は控えの選手達に機会を与えた。
-------------------------------
MFの方が、走り回らなくてはならないのできつい思えるが。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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ハチ鳥。
ブラジルではよく見ることが出来る小鳥である。
拙宅にもよくやってくる。
花の蜜が主食なので、花が咲いていないと来ない。
飛んでいる時は羽の動きが肉眼では全く見えない。
花から花へ移る時も早すぎてとてもカメラでは追えない。
そんなハチ鳥も、もちろん休息をする。

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FWアドリアーノAdrianoが、2008年のシーズンのサンパウロFCの新戦力の1人になるかもしれない。
アドリアーノは、何週間かサンパウロFCの治療回復センターで過ごす。
社長の考えは、アドリアーノImperadorは少なくともリベルタドレース杯米州選手権Copa Libertadores da Américaを戦うためにでも契約をする。
「すでにサンパウロFCでアドリアーノが治療をすることについてはOKをしている。 いつもブラジル代表になるような選手達を受け入れてサンパウロFCの治療センターでこのようなことをしているから、いつでも彼を最大限受け入れる」と、社長の特別顧問のジョアン・パウロ・ヂ・ジェズス・ロペスPaulo de Jesus Lopesは説明した。
全ての費用について、社長は治療の期間の費用は無料である。
「我々としては、彼が少しでも、少なくとも半年でもいてくれることが望ましい。 特にリベルタドレースLibertadores杯のような我々の選手権の一つでも戦ってくれれえば」と、役員は締めた。
レンタルは、サンパウロFCにとって、また、イタリアItáliaで不調な時を過ごしブラジルBrasilでの肉体的そして精神的な治療をするためにインテルから自由になったもアドリアーノAdrianoにとっても関心のあるところ。
-------------------------------
サンパウロFCの治療センターでは、
国外でプレイしている選手がよく治療に使っている。
全ての費用は無料にしている。
これで、リカルド・オリヴェイラは2006年に治療快復後、サンパウロFCでプレイした。
逃げたのはゼ・ロベルトで、サントスでプレイした。
ニウマールにも、同様のオファーをしていた。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の南側ゴール裏席は、トボガン席という。
トボガンとは、本来は途中に段のある滑り台状のものという。
でも、パカエンブー競技場のトボガンは最上段から最下段まで真っ直ぐだ。
このトボガン席は、パカエンブー競技場が出来た時にはなかった。
元は、小さなステージ状のものがあった。
それを取り壊して、近年になって建設された。
観客が少ない試合の時は、このトボガン席は開放されない。
トボガン席最上段から、パウリスタ大通り方向を見てみた。
パカエンブーの住宅街の向こうに見えるビル群は、アンジェリカ大通り付近のビルである。

20年前は、こういったビルはほとんどできていなかった。
パウリスタ大通りにあるビルを見ることができた。
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sexta-feira, 16 de novembro de 2007
GKシルヴィオ・ルイスSilvio Luizは、11月16日(金)の午後サン・ジャヌアリオSão Januárioで同僚と通常通りトレーニングをした。
木曜日にゴイアスGoiásのイツンビアーラItumbiaraがシルヴィオ・ルイスと契約したと発表したので、クラブに現れるのか現れないかのかと思われていた。
ヴァスコ・ダ・ガマの躍進はまだ何もこの件について動いていない。
しかしシルヴィオ・ルイスの代理人のマルセロ・ロバリーニョMarcelo Robalinhoは移籍を否定した。
しかし、シルヴィオ・ルイスSilvio Luizが2008年に残留するのはとても難しい。
シルヴィオ・ルイスはヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosaに使われていないし、契約は今年の年末までである。
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よく分からない状況だ。
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11月16日(金)の午後、ロマリオRomárioはトレーニングをするために雨にもかかわらずサン・ジャヌアリオSão Januárioに現れた。
今週ロマリオがクラブに現れたのは初めてである。
ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督は、11月28日にパカエンブーPacaembu競技場で行われる対コリンチャンスCorinthian戦への出場を決めるのはロマリオ自身であると明らかにしている。
ロマリオRomárioは、この金曜日には、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの2部のグァナバラGuanabaraとの練習試合に参加する。
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まだ、やる気はあるようだ。
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ブラジル代表seleção brasileiraは、11月16日(金)の午後、ペルーの首都リマLimaに向かって出発した。
日曜日に、2010年ワールドカップの南米予選としてペルーPeru代表と対戦する。
一行の乗るバスはテレゾポリスTeresópolis市からリオ・デ・ジャネイロのトン・ジョビン国際空港へ向かって、静かに向かった。
連邦道路警察Polícia Rodoviária Federalの2台の車にエスコートされて、ブラジル代表は1時間20分で到着した。
ヂエゴは一番最初にバスを降りてきた1人だ。
パンデイロpandeiroを持って、ファンに向かって盛り上げた。
ロビーニョはタンタンtantanを持ってすぐに降りてきた。
テレゾポリスではパゴーヂpagodeを指揮していた。
これらのパゴーヂをきかずにいたのは、DFフアンJuan、GKドーニーDoni、DFアレックスAlexだった。
ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúchoは批判には答えなかった。 遅れて、混乱を避けるために、空港の警備が選手達がすぐに出発エリアに行けるように通路を隔離していた。
右くるぶしの痛みのために試合の出場が疑問視されているロナウヂーニョ・ガウーショは最後にバスを降りた。
ファンが名前を叫んだ。
「出場するの。 ロナウドRonaldo」
しかし、ロナウヂーニョ・ガウーショは質問を無視した。
きびすを返し、出国エリアに向かった。
マスコミの対応のために止まる選手はいなかった。
というのは一行はぎりぎりに到着したからだ。
リマLimaまでの飛行時間は5時間半。
ブラジル代表は21時30分(*ブラジリア時間horário de Brasília)に、リマに到着する。
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ブラジル代表一行は、
22時30分(*ブラジリア時間)に、
リマの宿泊ホテルに到着した。
このホテル入り模様は同時中継された。
この時も、マスコミ対応はしていない。
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ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園のビエナウ館で、11月11日から12月16日まで開催の「第7回サンパウロ国際建築ビエナウ」。
このシンボルマークは、イビラプエラ公園の各建物を結んでいる渡り廊下をモチーフにしている。
一部将来像なども取り入れられている。
もちろんこれは、オスカー・ニーマイヤーのデザインである。

早速行ってきた。
考えてみたら、2年前に開催されていた「第6回サンパウロ国際建築ビエナウ」にも行っていた。
会場の一階で、入場料の12レアルを支払い、入場券をもらう。
会場案内図などが載ったプログラムをもらう。
これがなければとてもお目当てには辿り着くはずもない。

一階は、建築資材企業のブースや書店があり、ここだけは無料である。

そして、ビエナウ館の一階から二階へのスロープのところが、本当の会場への入り口になっていた。
つづく。
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アツレチコ・ミネイロAtlético-MGの社長はすでにクラブ設立100年の年になる2008年のシーズンの計画を立て始めている。
社長の最初の行動の一つは、エーメルソン・レオンEmerson Leão監督を留任させることに違いない。
南米杯の出場権も確定していないので、来年戦うことになる選手権がなんなのかも分からないが、ジザ・ヴァラダレスZiza Valadares社長は来年の準備をしている。
「もう我々はサッカーの計画をしている。 セリエA、B、Cの試合を見ている人がいる。 先週、2人の人間が我々が求めている選手に会うために出張した。 選手権が近づいているので、我々は急がなくてならない。 輪rわれのスーパーバイザーがプレ・シーズンにすることをみに出張することになっている。来年の計画を完全なものにするために南米杯の出場権の確保に焦点を当てなくてはならない」と、社長は締めた。
ジザ・ヴァラダレス社長によると、エーメルソン・レオン監督は100周年の年のチームの監督に違いない。
「保証があって仕事をしているわけではない。 我々はエーメルソン・レオン監督が留任するために仕事をしている。 我々は彼の仕事に満足している。 何ヶ月か前にヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督と話をするに至った。 素晴らしい監督である。 アツレチコ・ミネイロAtlético-MGは彼を監督にすることが出来れば誇らしい。 しかし今は我々の監督エーメルソン・レオンを注視している」と明言した。
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エーメルソン・レオン監督より、
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の方がいいと言っているようにしか聞こえない。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
「一杯やるか」とでもいうような絵。

この塀は、一月半ほど前に一部が倒壊した。
塀の向こうは崖になっている。
この塀は、その崖の向こうにある住宅を覗けないように、建てられていたものである。

塀の向こうの住宅街は、市内中心部に近い最高級住宅街のパカエンブー地区である。
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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
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正確にはイジェノポリス地区ではなくて、その隣のパカエンブー地区にあるFAAPという財団。
コーヒーで巨額の財をなした大富豪の資産を運用して、今は大学と美術館が主とした活動になっている。
そのFAAPの警備員は、敷地の周囲を回るのに、セグウェイを使っている。
大学と美術館の建物がある一角だけではなくて、
その区画全てが今はFAAPが買収済みである。
外周は、1キロ弱ははあるだろう。
かつてのお屋敷が数軒そのままになっているが、塀だけは緑に塗られて、統一を保っている。
FAAPとしては、これらの屋敷を壊して、新たにビルを建てて、大学を拡張したいらしいが、住民が反対している。
ほぼ現在の2倍の規模になり、学生が増えて、騒がしくなるからという理由だ。
この区画は東側が高くなっていて、歩くと結構疲れる。
そこを、セグウェイに乗った警備員がスイスイと回っている。



とても楽そうだ。
1人の警備員にきいたのだが、
慣れるのはとても簡単で、30分だと言っていた。

操縦方法も教えてくれたが、乗せてはくれなかった。
当たり前だ。

歩道と言えども、公道のはずなのだが、セグウェイはいいのかな。
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イビラプエラ公園の北側のエスコテイロ・アウド・シオラット広場に設置される巨大クリスマスツリーの設置工事が進んでいる。

骨組みの組み立ては終わり、周囲に布が巻かれた。

今までは、赤い色の比率が多かったのだが、
ちょっと違った雰囲気になりそうだ。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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真っ黒く見える小鳥。
雄と雌では微妙に色が違う。
この色はおそらく雌だ。
滅多に見かけない小鳥だ。
渡り鳥だからだ。
見た目は地味だが、鳴き声はとても美しい。
ショピンChopinという名前は、そのあたりから来たのだろうか。

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ブラジルは、11月15日(木)は共和制記念日で、祝日で全国的に休み。
更に、全国的ではなくて、サンパウロ市は、11月20日(火)が「黒人覚醒の日」で、これまた休み。
つまり、飛び石を繋げて、6連休にする人も多いのだ。
でも、ブラジルはこのところ天候不良。
サンパウロは、このところだいたい曇りで、気温もそれほど高くならず、雨も必ず降っている。
11月15日も、昨夜半に強く降った雨がそのままのこり、ほぼ一日中雨が止まなかった。
気温も、やっと20度くらいと寒い。
休日にもかかわらず、パウリスタ大通りには、人も車も少なかった。

こんな雨の中、
コンソラソン墓地の横では、少女が傘もなく裸足で物を売っていた。

これから、12月のナタウ(=クリスマス)まで、
楽しいナタウにするために、自分で稼がなくてはならない子供達が増えてくる。
来月夏休みになると、更に増えてくる。
パカエンブー競技場の、今は工事のために使われていないチケット売り場の前は、雨が降り込みにくいので、このあたりに住みついているホームレスが溢れている。
年末になり、暖かくなってくると、こういう人たちも例年増える。
もちろん、小さな子供もその中にはいるのだ。

この悪天候は、連休中は続くらしい。
11月16日は、更に寒くなるようだ。
最高気温は17度だそうだ。
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イツンビアーラItumbiara-GOが、ヴァスコ・ダ・ガマのGKシルヴィオ・ルイスSilvio Luizと2008年のシーズンの契約したと発表した。
シルヴィオ・ルイスは、パルロ・セーザル・グスマンPC Gusmão監督の指揮のものとゴイアニア州選手権Campeonato Goianoでプレイすることになる。
GKトレーナーは、アカーシオAcácioになる。
シルヴィオ・ルイスSilvio Luizは、セルソ・ロッチCelso Roth監督が解任されてすぐ、ロマリオRomário監督代行の元で初めて控えに置かれた。
ヴァスコ・ダ・ガマの指揮をヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosaがするようになっても、カッシオCássioが正GKである。
シルヴィオ・ルイスSilvio Luizはこの木曜日の朝も普通にサン・ジャヌアリオSão Januárioでトレーニングをした。
ヴァスコ・ダ・ガマの役員はまだシルヴィオ・ルイスが出ていくのを確認していない。
イツンビアーラItumbiaraは、最近やはりサン・ジャヌアリオSão Januárioで使われなかった別の選手とも契約をしている。
FWヴァウヂランValdiramである。
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このイツンビアーラなんていうチームについては全く知らない。
パウロ・セーザル・グスモン監督やシルヴィオ・ルイスが行くに値するクラブなのだろうか。
パウロ・セーザル・グスモン監督は、このところずっとブラジル選手権のセリエAのクラブの指揮をしていたし、シルヴィオ・ルイスだって、2006年はコリンチャンスにいたし、ブラジル代表のGKとして招集されたこともあるのである。
ヴァウヂランだって、素行不良で、ヴァスコ・ダ・ガマで処罰を受け、うまく行かなくなっただけで、なかなか良い選手である。
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コリンチャンスCorinthiansは、ブラジル選手権Campeonato BrasileiroではボタフォゴBotafogoで活躍したFWドドゥDodôと契約する関心はもうない。
コリンチャンスは、高給とドドゥがフルミネンセFluminenseと合意することで交渉を諦めた。
「彼はほとんどフルミネンセFluminenseでたしかである。 話まではいった。しかし要求する給与は33歳でベテランの選手にしてはとても高い」と、コリンチャンスCorinthiansのサッカー担当副社長のアントニエ・ジェブランAntoine Gebranは明言した。
ゼ・ロベルトZé RobertoそしてアレックスAlex、ジョイルソンJoílsonと共に、ドドゥDodôはこの火曜日(11月13日)にボタフォゴBotafogoの役員によってブラジル選手権の終了前に解雇された。
彼の行き先は、2008年のリベルタドレース杯Taça Libertadoresを戦うライバルのフルミネンセFluminenseになるに違いない。
「ドドゥDodôは我々をだいたい15日間求めていた。 しかし交渉は進まなかった。 ブラジル選手権が終わる12月2日以降に強化について考えることにする」と、アントニエ・ジェブランは強調した。
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このアントニエ・ジェブランは、11月14日(水)におしゃべりが過ぎた。
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ブラジル選手権Campeonato BrasileiroはボタフォゴBotafogoで戦ったジョイルソンJoilsonが、来シーズンのためのサンパウロFCの最初の新戦力となった。
2年半の契約にサインしたことが、11月14日(水)に確認された。
ジョイルソンの紹介は、来週月曜日16時にバッハ・フンダBarra Fundaのトレーニングセンターで行われる。
「リベルタドーレス杯アメリカ選手権Taça Libertadores da Américaを戦えるのはとても良い」と、ジョイルソンJoilsonはコメントした。
元々はボランチで、リオ・デ・ジャネイロ出身の28歳は、別のポジションでもプレイできるので、そこがサンパウロFCの役員が気に入ったところである。
サンパウロFCには、そういった複数のポジションで戦える選手がいっぱいいる。
リシャルソンRicharlysonはヴォランチでMF、DFさらにSB。
ジョルジ・ヴァグネルJorge WagnerとソウザSouzaはMFとSB。
レアンドロLeandroは全部。
ロジェリオ・セニRogério Ceniに至っては得点王。
ボランチ以外に、ジョイルソンJoilsonはMFとしてプレイする。
しかし、ボタフォゴではクーカCuca監督は右SBとしていた。
彼のボタフォゴとの契約は今年の末までであったが、ジョイルソンが他のクラブと交渉をしていることを知って、ボタフォゴの役員はドドゥDodô、ゼ・ロベルトZé RobertoそしてアレックスAlexと共に前倒しに自由にした。
ジョイルソンJoilsonとの契約はムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督の要求によるもので、
グレミオGrêmioのヂエゴ・ソウザDiego Souzaも2008年のサンパウロFCの10番として狙っている。
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サンパウロFCは、買った選手がだいたいそれなりに活躍するから、いいな。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の南側ゴール裏席は、トボガン席という。
トボガンとは、本来は途中に段のある滑り台状のものという。
でも、パカエンブー競技場のトボガンは最上段から最下段まで真っ直ぐだ。
このトボガン席は、パカエンブー競技場が出来た時にはなかった。
元は、小さなステージ状のものがあった。
それを取り壊して、近年になって建設された。
観客が少ない試合の時は、このトボガン席は開放されない。
トボガン席の最上段から、真裏の方向を見てみた。

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quinta-feira, 15 de novembro de 2007
ブラジル選手権Campeonato Brasileiroはまだ終わってもいない。
しかし、コリンチャンスCorinthiansとポルツゲーザPortuguesaは選手の交渉について、突き合いを始めた。
11月14日(水)に、コリンチャンスTimãoの役員はポルツゲーザLusaの役員と左SBレアンドロLeonardoと契約するために話をしたことを明らかにした。
レアンドロは、ポルツゲーザRubro-Verdeがブラジル選手権第1部に復帰するにあたり活躍した選手である。
しかし、ポルツゲーザの役員はいかなる取引も無いと強く否定した。
コリンチャンス Corinthiansのサッカー担当副社長のアントニエ・ジェブランAntoine Gebranによると、今期少ししか利用されなかったFWウィルソンWilsonとジュニオール・ネグロJúnior Negãoと、それに50万米ドルを条件に、ポルツゲーザPortuguesaは交渉をするのを合意した。
「レアンドロLeonardoは、関心がある。 話をしている。 色々とアイデアを交換している。 彼らは考えている。 ブラジル選手権が終わったあとにこの件は進展すると思っている」と、アントニエ・ジェブランは明言した。
他方、ポルツゲーザPortuguesaの役員はいかなる公式のオファーもコリンチャンスTimãoから受け取っていないと保証した。そして、レアンドロLeonardoを欧州のクラブに250万ユーロで売ることに合意しそうだと明らかにした。 行き先は明らかにしなかった。
「アントニエ・ジェブランの話は本当ではない。 サンパウロ州サッカー連盟Federação Paulista de Futebolでの会議で、コリンチャンスに関係するものが両クラブの間で取り持ちたがっていると言った。 タダである選手を貸すことが出来るという。 それはない」と社長のマヌエル・ダ・ルパManuel da Lupaは思い出していた。
それでも、社長は、ポルツゲーザPortuguesaが十分なお金をもらえるならばコリンチャンスTimãoと選手の交渉をすることを否定していない。
レアンドロLeonardo22歳はポルツゲーザのジュニアから見いだされて、今期は5ゴールを決めている。
「コリンチャンスCorinthiansに彼を売ることが出来る。 しかし、それはコリンチャンスが我々が要求するものを支払ったらだ。 交換の選手は要らない。レアンドロLeonardoが金銭的な自立をするために出て行くことを望み、今のままを続けるのはノーである」と言った。
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交渉は、色々な形で始まっている。
ポルツゲーザは、すでに第2部から来期の第1部への昇格を決めた。
それに対して、コリンチャンスは降格逃れに必死である。
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ロマリオRomárioは、今週はまだサン・ジャヌアリオSão Januárioでトレーニングをしていない。
しかし、11月28日(水)にパカエンブーPacaembu,競技場で行われるコリンチャンスCorinthians戦に、ロマリオが出場しないことはまだ保証されていない。
実際、グラウンドにはいるか入らないかは、ロマリオBaixinho自身が選択することである。
リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの外ではプレイしないことにしているが、長い時間プレイしないままにしないようにコリンチャンスTimão戦に出場するかもしれない。
次のサン・ジャヌアリオSão Januárioでの試合は、12月2日に行われるブラジル選手権の最終節の対パラナParaná戦である。
ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督は、コリンチャンス Corinthians戦にロマリオRomárioを選ぶことについて最後の決定は、ロマリオ自身からであると確認した。
「ロマリオは選択する自由がある。 プレイするかどうかを決めるのは彼である。 ロマリオRomárioはいつも関心の的で、決めたことやり遂げる。 まだ、試合まで2週間あるのでみていよう」と明言した。
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ロマリオを、パカエンブー競技場で見たいものだが。
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ジョイルソンJoilsonと同じように、ドドゥDodôはボタフォゴBotafogoからドドゥが出て行くのを前倒しにした役員の決定に驚きを見せた。
ドドゥが起きたことに満足を見せて、ボタフォゴの社長によってなされた金銭的な合意について明らかにした。
それは同様に首になったゼ・ロベルトZé Roberto、ジョイルソンJoilsonそしてアレックスAlexに起きたことである。
「火曜日にトレーニングをするために着いた。 この状況には自分も驚いた。 自分はお別れをするまでの2試合で、ボタフォゴにおける自分の良い歴史を実現しようという関心があった。 しかし役員達はこのように頼んできて、このやり方を行うことを決めた。 それで、12月の給与を諦めた」と、ドドゥは自分の広報を通じて言った。
ボタフォゴBotafogoでトレーニングをすることなく、ドドゥDodôは来週は休暇を取る。
そのあとで、ドドゥはボタフォゴを出て来ることと自分の将来について話すために記者会見を行う。
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ドドゥ自身も、1月以上も前に、来期はボタフォゴに残留しないことを明らかにしていた。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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真っ黒く見える小鳥。
雄と雌では微妙に色が違う。
この色はおそらく雌だ。
滅多に見かけない小鳥だ。
渡り鳥だからだ。
見た目は地味だが、鳴き声はとても美しい。
ショピンChopinという名前は、そのあたりから来たのだろうか。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
温かみを感じる絵である。

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ボタフォゴBotafogoは、まだブラジル選手権が終わっていないのに、11月13日(火)に、2008年にクラブにいない選手達はブラジル選手権の残りもプレイしないと発表した。
これによって、先週土曜日にマラカナMaracanã競技場で行われた試合が、ドドゥDodô、ゼ・ロベルトZé Roberto、ジョイルソンJoilsonにとってボタフォゴBotafogoのユニフォームを着た最後の試合となった。
アレックスは、レンタルのあと、サンパウロFCに戻ることになるだろう。
4人とも、2007年末で、ボタフォゴを離れることは確実になっていた。
ボタフォゴのサッカー担当副社長のカルロス・アウグスト・モンテネグロCarlos Augusto Montenegroによると、話をして、給与の合意もした。
ボタフォゴBotafogoからの提案で、12月の給与は支払わない。
13ヵ月給与は支払い、休暇を与える。
「クラブの財政面でもよい。 選手達を誉めたい。 最後の試合で起きたように非難されるのを避けることが出来たからだ」と、カルロス・アウグスト・モンテネグロは言った。
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ボタフォゴにとっては、もう2007年は終わったようだ。
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すでに、2008年に向けた移籍の話題が出て来ている。
「オフ」として、とりあげていく。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の南側ゴール裏席は、トボガン席という。
トボガンとは、本来は途中に段のある滑り台状のものという。
でも、パカエンブー競技場のトボガンは最上段から最下段まで真っ直ぐだ。
このトボガン席は、パカエンブー競技場が出来た時にはなかった。
元は、小さなステージ状のものがあった。
それを取り壊して、近年になって建設された。
観客が少ない試合の時は、このトボガン席は開放されない。
トボガン席の最上段から、グラウンドを見てみた。
遠い。

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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
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そのイジェノポリス地区のアパート街で、寝ている人がいる。
それもマットまでどこからか持ち込んでいる。

歩道は、街路樹の大木の蔭だから、気持ちがよい。
だが、強い雨が降ると、大木の下といえども、避けることは出来ない。
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ブラジル代表seleção brasileiraが揃った。
ボランチのジルベルト・シウヴァGilberto SilvaとFWルイス・ファビアーノLuis Fabianoが、テレゾポリスTeresópolis市のグランジャ・コマリーGranja Comaryに到着した。
すでに、11月14日(水)の朝からトレーニングに参加している。
未明に到着したにもかかわらず、ルイス・ファビアーノLuis Fabianoはフィジカル・トレーニングでも、ボールを使った活動でもとても良いところを見せていた。
走って、同僚と冗談を言って、やる気があるところを見せていた。
ジルベルト・シウヴァGilberto Silvaは、サンパウロからリオ・デ・ジャネイロへの接続便が無く、グランジャ・コマリーに到着したのは水曜日の10時になった。
すぐにユニフォームに着替えて、グラウンドに行った。
しかし、グラウンドのまわりを軽く走っただけであった。
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技術委員会は、木曜日の午前にテレゾポリスTeresópolis市のグランジャ・コマリーGranja Comaryで行うことになっていたトレーニングをキャンセルした。
水曜日には、ブラジル代表は、午前午後それぞれ2時間のトレーニングを行った。
選手達に休息を与えるために、技術委員会は選手により多くの休息時間を与えて、木曜日の午後だけよりハードなトレーニングをすることにした。
それで、9時半から予定されていたトレーニングはキャンセルになった。
これで、ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúchoがボールを使ったトレーニングをする可能性が出来た。
ロナウヂーニョ・ガウーショは、右くるぶしの問題の治療をしている。
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ブラジル代表の練習は、11月15日(木)までである。
16日(金)には、ペルーのリマに向けて出発する。
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ブラジル代表の新ユニフォーム。
ブラジルサッカー協会CBFは、11月14日(水)にテレゾポリスTeresópolis市のグランジャ・コマリーGranja Comaryで、新しいユニフォームを紹介した。
このユニフォームのデビューは、11月21日(水)に2010年のワールドカップの南米予選の対ウルグアイUruguai戦になる。
新ユニフォームは、ブラジルBrasilが初めて優勝した1958年のワールドカップで使ったものに参考にしている。

※クリックすると拡大する。
来年は、この優勝からちょうど50年になる。
このユニフォームが、その記念のはじまりになる。
11月18日(日)に、リマLimaで行われる対ペルーPeru戦では、ブラジル代表はまだ現在のユニフォームを使用する。
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今のユニフォームは、
ああいうことになった2006年からのままだ。
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サッカー・ブラジル選手権の第36節が、
11月10日(土)、11日(日)および14日(水)に行われた。
結果は次の通り。
11月10日(土) 第1日目
試合開始 試合結果 競技場
18h10 Botafogo 3 x 2 Paraná Maracanã
18h10 Náutico 4 x 0 América-RN Aflitos
18h10 Internacional 1 x 0 Cruzeiro Beira-Rio
「20071110JN-BA36.wmv」をダウンロード
※パラナはますます降格が確実になった。
※ナウチコはほぼ降格を逃れそうだ。
11月11日(日) 第2日目
試合開始 試合結果 競技場
16h Figueirense 3 x 3 Vasco Orlando Scarpelli
16h Goiás 1 x 1 Corinthians Serra Dourada
17h Atlético-PR 0 x 0 Sport Kyocera Arena
18h10 Atlético-MG 4 x 1 Juventude Mineirão
18h10 São Paulo 1 x 0 Grêmio Morumbi
18h10 Flamengo 1 x 0 Santos Maracanã
「20071111GN22-BA36.wmv」をダウンロード
※ヴァスコ・ダ・ガマは引き分け。
ロマリオはやっぱりフロリアノポリスにも行かなかった。
※コリンチャンスは何とか引き分けで、16位を保った。
※ジュヴェンチューヂはもうほとんど降格決定。
※サンパウロFCは、本気でやったはずもないだろうが勝った。
入場者数は最低。
※今年のブラジル選手権セリエAの試合で最高の8.2万人が入った
マラカナ競技場で、フラメンゴが勝利。
リベルタドレース杯出場権を巡る争いは熾烈。
11月14日(水) 第3日目
試合開始 試合結果 競技場
21h45 Palmeiras 1 x 0 Fluminense Palestra Itália
「20071114JG-BA36.wmv」をダウンロード
※大豪雨の中、地元で、パルメイラスが勝利。
リベルタドレース杯出場権内に復帰。
次節の第37節の予定は次の通り。
11月24日(土) 第1日目
試合開始 試合予定 競技場
18h10 América-RN x Grêmio Machadão
18h10 Fluminense x Juventude Maracanã
※グレミオは、リベルタドレース杯出場権に一途の望みをかけて、必勝を目指す。
※ジュヴェンチューヂは、これで引き分け以下だと降格決定。
11月25日(日) 第2日目
試合開始 試合予定 競技場
16h São Paulo x Botafogo Morumbi
16h Internacional x Palmeiras Beira-Rio
18h10 Paraná x Santos Durival Brito
18h10 Sport x Cruzeiro Ilha do Retiro
18h10 Figueirense x Náutico Orlando Scarpelli
18h10 Flamengo x Atlético-PR Maracanã
※リベルタドレース杯出場権をかけるパルメイラスは、インテルナシオナウと。
※フラメンゴは、またもやマラカナを8.2万人の超満員にする。
11月28日(水) 第3日目
試合開始 試合予定 競技場
21h45 Corinthians x Vasco Pacaembu
21h45 Atlético-MG x Goiás Mineirão
※コリンチャンスは地元パカエンブー競技場にヴァスコ・ダ・ガマを迎える。
これで勝利し、ゴイアスが負けると、降格の可能性はなくなる。
(第36節を終了した時点での順位)

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ブラジル・サンパウロの歴史的中心部セントロの、ラモス・ヂ・アゼヴェアード広場の横に、ショッピング・ライチShopping Lightというショッピングエンターがある。
もともと、EletroPauloというサンパウロ州の電力会社の本社であった。
重厚な建物で、かつて一流企業に相応しい人たちが出入りしていたのを覚えている。
しかし、時は過ぎ、その本社はショッピングエンターに成り果てた。
それも、セントロという場所柄、2流以下のショッピングエンターになった。
何しろ、客層が客層だから、それに相応しいものしか売っていない。
高級品など無い。
内装は、かつての本社然としたところがほとんど残っているだけに、とても不釣り合いだ。
そのショッピング・ライチのショーウィンドウにあったのが、「極道」シャツ。

「極道」の意味を理解して買う人もいないと思うが。
本当に「極道の妻」あたりが着るようになる気がする。
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quarta-feira, 14 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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すずめよりも一回り小さな小鳥。
コフイーラCorruira。
非常に警戒心が強い小鳥である。
ちょっとした動きでも、すぐに飛んでいってしまう。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
人間の方にはそれほど力が入れられていないが、
口からはき出している方は、
かなり丁寧に描いたのではないかと思われる。

白黒の作品ではあるが、「色」を感じる。
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ロマリオRomárioの1000ゴールのお祭りはまだ終わっていない。
今度は、ブラジルサッカー協会CBFが、ロマリオBaixinhoの表彰の準備をしている。
それも、大々的に。
ロマリオは、12月3日(月)にリオ・デ・ジャネイロの市立劇場Teatro Municipalで行われる2007年のブラジル選手権の閉幕のフェスタで表彰される。
ブラジル選手権での優秀選手の表彰の間に、ロマリオRomárioは5月20日にサン・ジャヌアリオSão Januárioで2007年のブラジル選手権の試合として行われた対スポルチSport戦で1000ゴールを達成したことでCBFからトロフィーを受け取る。
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2005年に始まったブラジル選手権の優秀選手の表彰式。
その2005年には、ロマリオは得点王として表彰されている。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の南側ゴールの真後ろ。

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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
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イジェノポリス地区のほぼ中心にあるブエノスアイレス公園。
この公園のアンジェリカ大通り側の入り口から入った正面にある噴水が修復された。

いいことだ。
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テレゾポリスTeresópolis市のグランジャ・コマリーGranja Comaryでは、11月13日(火)には、ボールが転がることはなかった。
2010年ワールドカップ南米予選の対ペルーPeru戦と対ウルグアイUruguai戦のためのブラジル代表seleção brasileiraのトレーニングの初日に、選手達はただフィジカル・ワークをしただけであった。
18人の選手が筋トレ室で、そしてグランジャ・コマリーGranja Comaryのグラウンドの周囲を走った。
ロナウヂーニョ・ガウショRonaldinho Gaúcho、GKドーニーDoniは、身体の問題で参加しなかった。
ルイス・ファビアーノLuís Fabianoとジウベルト・シウヴァGilberto Silvaは火曜日の夜にしか到着しない。
グランジャ・コマリーGranja Comaryのグラウンドを水浸しにするほど、テレゾポリスTeresópolis市にこの数日強い雨が降ったことで、ドゥンガDunga代表監督はトレーニングのグランドをチェックし、休むことにした。
それで、ワークは、フィジカル・トレーナーのパウロ・パイションPaulo Paixãoが指揮した。
この水曜日の朝から、ドゥンガ代表監督はテレゾポリスTeresópolis市でのボールを使った最初のトレーニングを指揮する。
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今日から、またスポーツ専門チャネルでは、ブラジル代表のトレーニング風景を延々と流しながら、評論家がああだこうだという番組が始まった。
ダラダラした番組だが、それはそれで、面白い。
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terça-feira, 13 de novembro de 2007
11月13日(火)、ブラジルサッカー協会CBFがブラジル選手権の第37節37ª rodadaの試合の日程を決めた。
とりあえず、全ての10試合が、11月25日(日)16時から行われることに予定されていた。
しかし、ブラジルサッカー協会CBFは幾つかの試合の予定を変えた。
大きな変更は、コリンチャンスCorinthians対ヴァスコ・ダ・ガマVasco戦と、アツレチコ・ミネイロAtlético-MG対ゴアイスGoiás戦で、11月28日(水)21時45分から行われることになった。
本来は、南米杯の試合が行われるかもしれなかったので、週の半ばにブラジル選手権Campeonato Brasileiroの試合は予定されていなかった。
しかし、南米杯Copa Sul-Americanaではすでにブラジルの全てのクラブは敗退しているので、ブラジルサッカー協会CBF破水曜日に2試合を行うことに決定した。
パカエンブーPacaembu競技場で行われるコリンチャンスCorinthians対ヴァスコ・ダ・ガマVasco戦と、ミネイロンMineirão競技場でのアツレチコ・ミネイロAtlético-MG対ゴアイスGoiás戦の試合は、セリエBへの降格を決めるものになる。
パラナParanáがクリチーバCuritibaでサントスSantosに敗れ、コリンチャンスTimãoが勝利し、ゴイアスGoiásが負けた場合には、コリンチャンスは降格を逃れることになる。
日程は次の通り。
第37節
11月24日(土) 第1日目
18h10m Fluminense x Juventude Maracanã
18h10m América x Grêmio Machadão
11月25日(日) 第2日目
16h São Paulo x Botafogo Morumbi
16h Internacional x Palmeiras Beira-Rio
18h10m Flamengo x Atlético-PR Maracanã
18h10m Paraná x Santos D. de Brito
18h10m Figueirense x Náutico O. Scarpelli
18h10m Sport x Cruzeiro Ilha do Retiro
11月28日(水) 第3日目
21h45m Corinthians x Vasco Pacaembu
21h45m Atlético-MG x Goiás Mineirão
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つまり、Globo局の水曜日のサッカー枠が空いたので、
2試合をこの時間に行うことになったわけである。
コリンチャンスの試合はサンパウロを除く全国向けで、もう一つの試合はサンパウロ向けである。
降格を争う試合を見せられるわけである。
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サンパウロFCのファンは誰もロジェリオ・セニRogério Ceniを失うことを認めない。
ロジェリオ・セニはプロとしてのキャリアをサンパウロFCで始め、そこで終えるだろう。
少なくとも全てのサンパウロFCのファンはそう考えている。
しかし、1月22日に35歳になるロジェリオ・セニに国外のメルカードがもう無いと思っていた人は裏切られた。
つい最近、ロジェリオ・セニは移籍しないかという打診を受けていた。 しかし交渉の開始を断り、この件は社長のジュヴェナウ・ジュヴェンシオJuvenal Juvêncioによって解決された。
「今年サンパウロFCをでるというオファーを受け取った。 スペインでもなく、イタリアでもない。 それは他の国だ。 自分は代理人もいないし、2010年まで契約があるクラブの許可無く話をしたくなかった。 この件は社長のジュヴェナウ・ジュヴェンシオによって解決してもらうようにした。 自分が出て行くのは、自分の将来を決定する責任がある彼次第である」と、ロジェリオ・セニRogério Ceniは言った。
ロジェリオ・セニは、日本のクラブから、巨額の提示を受けていた。
ジュヴェナウ・ジュヴェンシオJuvenal Juvêncio社長は、GKで得点を失う可能性を否定した。
2010年まで契約を伸ばした社長は、サンパウロFCのファンを増やし続けるのは彼だと言い、まだまだサンパウロFCのユニフォームを着てタイトルを獲ると言った。
交渉は、始まったばかりで終わった。
「自分は35歳になる。 バルセロナBarcelonaやレアル・マドリReal Madridはそんな年の選手に投資することはない。 GKに投資するとしたら、彼らは20歳代にするだろう。 自分も同じで、役員だったら、投資しない。 自分はサンパウロFCで満足しているし、幸せである。 このユニフォームでトレーニングし、プレイするのが好きである・ クラブを変えようとは思わない」と、ロジェリオ・セニは明言した。
ロジェリオ・セニRogério Ceniは代理人がいない。 最初の契約では、せいぜい、彼はクラブと幾つかの文言についてチェックするために弁護士を雇うくらいであった
しかし、最近のサンパウロFCとの契約では、別のプロの助けも依頼することはない。
一対一で歴代の社長と交渉し、全てやりたいようにやってきた。
「打診がある時にはいつも、自分は社長と話すようにと言ってきた。 サンパウロFCが自分の将来を決める。 自分が決めるのは、ここで引退することだ。 他のユニフォームを着ることはない」と、ロジェリオ・セニRogério Ceniは強調した。
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いつもながら、
おもしろみのない、優等生の、ロジェリオ・セニのインタビューである。
ロジェリオ・セニは、現在ブラジルでプレイしている選手では、最も高い給与をもらっていると言われている。
実績から見て、当然だろう。
そのロジェリオ・セニに、ちょっかいを出した日本のクラブとはどこだろう。
それについては、何も情報がない。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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すずめよりも一回り小さな小鳥。
コフイーラCorruira。
非常に警戒心が強い小鳥である。
ちょっとした動きでも、すぐに飛んでいってしまう。

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サンパウロ州サッカー連盟Federação Paulista de Futebolは、11月12日(月)に、2008年のサンパウロ州選手権の日程を発表した。
コリンチャンスの試合日程は次の通り。
月日 対戦
1月16日(水) Corinthians x Guarani
20日(日) São Caetano x Corinthians
23日(水) Corinthians x Paulista
27日(日) São Paulo x Corinthians
30日(水) Sertãozinho x Corinthians
2月 2日(土) Corinthians x Mirassol
6日(水) Barueri x Corinthians
10日(日) Ituano x Corinthians
17日(日) Corinthians x Bragantino
20日(水) Corinthians x Portuguesa
24日(日) Ponte Preta x Corinthians
3月 2日(日) Corinthians x Palmeiras
9日(日) Corinthians x Guaratinguetá
12日(水) Rio Preto x Corinthians
16日(日) Corinthians x Juventus
23日(日) Corinthians x Rio Claro
26日(水) Santos x Corinthians
30日(日) Corinthians x Marília
4月 6日(日) Noroeste x Corinthians
コリンチャンスは、ホームの試合が10試合で、アウェーが9試合。
ホームでも、パルメイラス戦のクラシコは、モルンビー競技場で行われるので、パカエンブー競技場で行われるのは9試合。
それも、コリンチャンスがサンパウロから逃げ出さなければの話である。
コリンチャンスは、2005年は2位、2006年は6位、2007年は9位に終わっている。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
この絵が描いてあるところは、道路壁である。
土中の水を抜くために、何カ所も穴が開いている。
その穴を、グラフィッチ(壁絵)の目や鼻、口にしてしまった作品である。

制約の中で、面白い表情にもなる。

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サンパウロ州サッカー連盟Federação Paulista de Futebolは、11月12日(月)に2008年のサンパウロ州選手権の日程を発表した。
サンパウロ州選手権は、1月16日(水)にはじまり、5月4日に優勝が決定する。
現在の2年連続(2005年、2006年)のチャンピオンであるサントスSantosは、昨年2部で優勝したポルツゲーザPortuguesaとの試合が初戦となる。
形式は2007年と同じ、
20チームが1回ずつ対戦し、上位4チームが準決勝戦に出場する。
そして勝った2チームが決勝戦で優勝を争う。
2008年の昇格チームは、ポルツゲーザPortuguesa、リオ・プレットRio Preto、ミラソウMirassol、グァラニーGuarani。
降格したのは、サント・アンドレSanto André、リオ・ブランコRio Branco、サン・ベントSão Bento、アメリカ・ヂ・サン・ジョゼ・ド・リオ・プレットAmérica de São José do Rio Preto。
最初のクラシコは、1月20日ヴィラ・ベルミーロVila Belmiroで行われるサントスSantos対パルメイラスPalmeiras戦。
(1月16日の第1節の対戦組合せ)
Portuguesa x Santos
Guaratinguetá x São Paulo
Palmeiras x Sertãozinho
Corinthians x Guarani
Rio Preto x São Caetano
Rio Claro x Paulista
Juventus x Noroeste
Ponte Preta x Ituano
Mirassol x Barueri
Bragantino x Marília
----------------------------
もう、2008年の話になってきた。
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オランダHolandaのヘーレンヴェーンHeerenveenに所属しているFWアフォンソAfonsoは、左足のアキレス腱tendão-de-aquilesの打撲傷により、2010年ワールドカップCopa do Mundoの南米予選として行われる対ペルーPeru戦(11月18日)及び対ウルグアイUruguai戦(11月21日)のために招集されたブラジル代表から外れた。
替わりに、
セヴィーリャSevilla,のFWルイス・ファビアーノLuis Fabianoが、ドゥンガDunga代表監督によって招集された。
ルイス・ファビアーノが最後にブラジル代表Seleção Brasileiraのユニフォームを着たのは、2004年7月25日の米州杯Copa América。
この時には、ブラジルBrasilはアルゼンチンArgentinaをペナルティー戦で4対2で破り、優勝している。
ブラジル代表として6ゴールを決めているルイス・ファビアーノLuís Fabianoの最後のゴールは、2004年7月14日の同じく米州杯Copa América。
ブラジルBrasilが、パラグアイParaguaiに2対1で敗れている。
ブラジル代表に最後に招集されたのは、2005年2月の香港Hong Kongとの親善試合。
しかし、ルイス・ファビアーノが所属していたクラブは、彼を自由にしなかった。
ルイス・ファビアーノLuís Fabianoが、ブラジル代表Seleção Brasileiraに招集されたのは、全部で26回。
----------------------------
アフォンソは、ドゥンガ代表監督のお気に入り。
ブラジルでは、つい最近まで、アフォンソって誰だった。
ルイス・ファビアーノは、スペイン選手権で現在のところ8ゴールで得点王らしい。
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11月11日(日)16時から、ゴイアニア州ゴイアニア市で、ブラジル選手権セリエA第36節のゴイアス対コリンチャンス戦が行われた。
勝ち点差1で、16位のコリンチャンスと17位で降格圏内のゴイアスの対決は、勝敗がそのまま順位に反映するという試合であった。
フラメンゴに次いで、ブラジルで2番目のファンの数を誇るコリンチャンスは、ゴイアニアにもファンは多い。
そういった地元のファンの他に、本拠地サンパウロやその他の州からもバスを連ねて熱狂的なファンが大挙して出かけた。
もちろん、競技場では圧倒的にゴイアスのファンが多いのだが。
(ゴイアスの先発と控え)


(コリンチャンスの先発と控え)


試合は、前半28分に、ゴイアスの左SBパウロ・バイエルがゴールを決めた。
しかし、同じく前半38分に、コリンチャンスのDFファビオ・フェヘイラが頭で決めた。
後半、ゴイアスがPKのチャンスを得て、パウロ・バイエルが蹴ったのだが、コリンチャンスのGKフィリッピの神懸かり的な動きで、外へはじいた。
試合は、結局1対1の引き分けで終了し、両チームは共に勝ち点1を得て、順位は変わらず。

「20071111TrocadePasses-BA36-Goias-Corintians.wmv」をダウンロード
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11月12日(月)にサンパウロ市内で発行の新聞では、
いつものようにコリンチャンスのGKフィリッピの写真が大きく扱われる。

PKを決めたサンパウロFCのGKロジェリオ・セニの写真もあるが。
----------------------------
Globo局のニュースによると、
残り2節になって、コリンチャンスの降格率は48%。

これでも、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは「降格を免れた」と言っているのだ。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
------------------------------
パカエンブー競技場の場合、
選手達は南側ゴールの後方にある2箇所の穴から出て来る。
東側がホームチーム、そして西側はアウェーチームが使用する。
この穴は、観客席の近くではないので、
選手を守るために地上部分にカバーが置かれたことはない。

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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
-----------------------------
イジェノポリス地区にある最高級ショッピングセンターのShopping Patio Higienopolis。
エスカレーターにのって、ふと前を見ると男が2人。

このような関係の方々は、ここから徒歩で15ー20分ほどのShopping Frei Canecaがメッカであるはずなのだが、テリトリーが広がったのだろうか。
あちらに行くと、夜など、ノンケは居場所がない。
女2人も多い。
世界最大のゲイ・パレードの影響だろうが、
市民権を完全に得られていて、本当によく見かける。
海岸に行っても、
見かける。
ノンケとしては、理解できない。
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segunda-feira, 12 de novembro de 2007
11月12日(月)、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァLuiz Inácio Lula da Silvaが、コリンチャンスCorinthiansはブラジル選手権Campeonato Brasileiroでの降格を免れた"está salvo"と言った。
大統領の贔屓のチームのコリンチャンスは、11月11日(日)にゴイアニアGoiânia (GO)で行われた第36節の対ゴイアスGoiás戦で1対1で引き分けた。
この結果、コリンチャンスは降格圏の一つ上の16位を守った。
ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、国連ONU (Organização das Nações Unidas)の事務総長バン・キ・ムーンBan Ki-moonと、外務省Palácio do Itamaratiで昼食をしたあとに、「コリンチャンスは免れた」といった。
----------------------------
ブラジル大統領といえば、つまり国家元首である。
日本で国家元首にあたる方といえば、あのお方である。
日本でそんなお方が、こういったことを言われるはずもないが、もし言われたとしたら、その通りになるようにしなくては、不敬である。
でも、ブラジルではそんなことはない。
コリンチャンスの大ファンのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、昼食会で飲み過ぎて酔っぱらっていたに違いない。
よく酔っぱらうのである。
----------------------------
昼食会では、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領とバン・キ・ムーンBan Ki-moon事務総長は、地球温暖化、ハイチの平和維持軍(ブラジルが指揮をとっている)、そして安全保障理事会Conselho de Segurançaへの参加についてのブラジル政府の関心などについて話をしたそうだ。
また、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領は、先日チリChileのサンチアゴSantiagoで行われたイベロ・アメリカーナ円卓会議Cúpula Ibero-Americanaで、ベネズエラVenezuela大統領ウーゴ・チャベスHugo ChávezとスペインEspanha国王フアン・カルロス1世Juan Carlos 1ºに絡んだエピソードを、事務総長に説明した。
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仕事もしていたようだ。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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すずめ。
すずめは、実はブラジルの固有種ではない。
欧州から持ってこられたものが、あっという間に広がったものだそうだ。
拙宅にも、すずめもひっきりなしにやってくる。
数羽が一組になってやってくる。
雄と雌では、羽の色は違う。
雄の方が、色が濃く、模様もはっきりしている。

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11月21日(水)21時45分からブラジル・サンパウロのモルンビー競技場で行われる、2010年ワールドカップの南米予選のブラジル対ウルグアイ戦のチケットが、11月10日(土)9時からサンパウロ市内各所で発売され、65千枚のうち54千枚が同日15時頃までに売り切れた。
一応、入場券を確保する顛末はすでに記事にした。
そのときに、11月12日(月)9時から、残りを販売するという係員の言葉も気になっていた。
そこで、
発売場所のひとつであるパカエンブー競技場の売り場に行ってみた。
誰もいなかった。
係員も、そして買いに来たような人も。
ダフ屋も。

そんなものなのだ。
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チケット販売については、
土曜日にもいろいろなことが起きていたようだ。
とりあえず、正規価格で確保できただけで良しとしたい。
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ブラジルで大人気の日系人タレントの、サブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
そのpanico na TVが、番組開始4周年を迎えた9月30日に、サブリナ・サトウの出番は、色気は全くなかった「人間ロウソク」の前にもう一つあった。
------------------------------
先に報じられていたサブリナ・サトウと番組のレギュラーであるムリェール・サマンバイア(=シダ娘)の対決である。
だったのだが、
なんとムリェール・サマンバイアはおりてしまった。
でも、サブリナ・サトウはおりていないし、
番組のスタッフも、ネタを仕組んだわけだし、
止めるわけにはいかない。
続きである。
サブリナ・サトウが登場した。
場所は同じ山の上だが、着ている服が違う。

ムリェール・サマンバイアが脱落したので、違う女性が出て来た。

これも番組のレギュラーの1人であるターニア・パニカッチである。
彼女は、番組の冒頭に、毎回MCをやっている。
それ以外にも時々せりふがある。
ムリェール・サマンバイアよりは、扱いは多少よい。

一応マイクを持たされても、しゃべることは出来る。

おきまりの「お尻」タイム。

「ばあさん。あれはなんですかね」
「お尻でしょ」
「やっぱり、お尻ですね」
なんて、会話だろう。

そして、ついに対決が始まる。
サブリナ・サトウも、テレビカメラなどの装備を付ける。

パラグライダーの訓練。

カメラは、当然後ろにも回り込む。

ここでも「お尻」にズームイン。

もちろんサブリナ・サトウが単独で飛行するわけではない。
インストラクターにしがみつくのである。

そして、飛んだ。

ターニア・パニカッチも飛んだ。
余裕の表情で、早速「作業」に取りかかる。

それに対して、サブリナ・サトウはわめいているだけだ。

そのサブリナ・サトウも、「作業」をはじめる。

でも、「作業」手順は悪い。

何をしているかという「飛行中にホットドッグを作る」のだ。
パンにマヨネーズ、マスタード、ケチャップを塗る。
そして、ソーセージをはさむ。
それを紙の袋に一個ずつ入れるのだ。

地上に着いて、泣きべそ顔のサブリナ・サトウ。

そして、早速「作業」結果のカウントだ。

まず、サブリナ・サトウからだ。
ぐしゃぐしゃのがたった1個だけだった。

それに対して、ターニア・パニカッチは9個。
ターニア・パニカッチの勝ち。

まあ、サブリナ・サトウが勝っても、面白くも何ともないので、シナリオ通りだ。
まけたサブリナ・サトウが言い訳をする。

まけた方が罰ゲームがあるのだ。
それを必ずやると、サブリナ・サトウは約束をした。

「20070930paniconaTV-AzaDelta1.wmv」をダウンロード
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いつもながら、たわいのない馬鹿馬鹿しい企画であった。
そもそも勝負から逃げたムリェール・サマンバイアにも罰ゲームがあるのではないかというような正論はある。
でもこういう番組だから、そういうことは無視。
罰ゲームを受けるのがサブリナ・サトウでなければ、視聴率は取れない。
番組スタッフも企画を考えるのに相当に悩みが深いだろうと思わせるこの頃である。
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次は、その罰ゲーム編になる予定である。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
いわゆる「猥褻画」である。
前にも書いたが、グラフィッチ(壁絵)には猥褻画が非常に少ない。

発見しているもので、まだ4例しかない。
それも、何かためらいもしくは恥じらいを感じる絵ばかりで、面白くない。
堂々とした作品を見たいものだ。
この作家の作品と思われるものが、インテルラゴスの橋のたもとにあるのだが、場所が場所だけに、まだ撮影できていない。
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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
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イジェノポリス地区にある最高級ショッピングセンターのShopping Patio Higienopolisのイジェノポリス大通り側に「スターバックス・カフェ」がオープンしていた。

2007年になって、ブラジルで展開をはじめたスターバックス・カフェ。
日本でもそうだったように、最初は開店する地区を選別している。
まだまだ、10店にもなっていないはずだ。
2-3ヵ月に前に、スターバックス・カフェの誘致に成功した女性が、リオ・デ・ジャネイロでタクシーに乗っていて、交通事故死するという不幸なことがあった。
ここのスターバックス・カフェはとても狭い。
屋外にもテーブルがある。
週末には、列が出来る。
値段は、ブラジル・サンパウロにおける高級カフェとしては、無茶苦茶高いということもない。
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11月10日(土)から12月16日(土)まで、
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園にあるビエナウ館で、
第7回国際建築ビエナウ展7ª Bienal Internacional de Arquitetura (7ª BIA)が開催されている。
1000のプロジェクトが展示され、期間中に20万人が訪れると期待されている。
今年は、オスカー・ニーマイヤーが、11月に100歳を迎えることもあって、彼を褒め称える展示もある。
イビラプエラ公園の建物のほとんどが、オスカー・ニーマイヤーの手によるもので、ビエナウ館もその作品である。
先週、ビエナウ館の外ででも、オスカー・ニーマイヤーの作品の模型が設置作業が進んでいた。


この「国際建築ビエナウ展」については、実際に行ったあとに、展示の他に、沿革なども含めて、改めて報告することとしたい。
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11月になって、市内各所でのナタルNatal(=クリスマス)の飾り付けが始まってきた。
イビラプエラ公園の北側のエスコテイロ・アウド・シオラット広場に設置される巨大クリスマスツリーの設置工事が始まった。
2004年から設置されてきたこの巨大ツリーであるが、今年はいままでより少しだけ高くなるそうだ。
そのせいか、骨組みの構造も、今までと違う。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場のサッカーグラウンドの外側は、
陸上のトラックの形になっている。
だが、今は細かい砂利が敷き詰められている。

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domingo, 11 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
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このイジェノポリスにあるShopping Patio Higienopolisという、瀟洒なショッピングエンター。
規模は小さいが、シックな人だけが訪れる最高級ショッピングセンターの一つである。
拙宅からは、歩いて20分くらいである。
近いのだが、あまり行くことはない。
駐車場も、2時間くらいで6レアルもとられる。
それに、駐車場は混んでいる。
もう一つは、何でも高いからだ。
ブラジルの中流階級以上はというか誰でも、如何に自分がお金持ちかを示そうという傾向が強い。
その示し方の一つが、お金のかかることをしていると言うことを、聞きもしないのに、説明したがることがある。
どの地域に住んでいて、
どんなアパートに住んでいて、
どこのショッピングエンターで買い物をして、
どこのレストランで食べて、
休暇はどこで過ごして、
子供はどこの私立学校に通っているか、
等々、すべて高いところでお金を使っていることを自慢しているのだ。
日本人でも、こういう人がいないわけでもないが、
ブラジル人は、一体にこういう傾向が強いと思う。
少なくとも、倹約生活をしていることを、このように話してくれる人はない。
安く買うのは好きなくせに、安く買うのに生活の質を落とすのは、全く自慢にならないようだ。
こちらは、
住んでいる地域と家は別にして、
あとは、
如何にB級グルメをB級レストランで美味しく食べるかにかけているし、
同じものが大型スーパーやショッピングセンターの半額以下で買うことが出来るセントロに行くのが好きだし、
タダもしくはそれに近い催し物に行くのも好きだ。
でも、そんなことを言うと、貧乏人として軽蔑されるか、変な人として遠ざけられるので、言わない。
ちゃんとした人は、乗り合いバスに乗ることもないし、セントロに行ったことも無いのが当たり前だ。
こちらとしても、なにもShoppinng Patio Higienopolisの雰囲気が嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。
物を買うことはまずないが、ときどき行くことはある。
そのShopping Patio Higienopolisも、ナタウ(=クリスマス)の飾り付けを終えていた。
イジェノポリス大通り側の入り口。


そして、中央の吹き抜けに設置された巨大なクリスマスツリー。

ツリーの基部は、人が入ることができるようになっている。
去年と大きく変わったような感じではなかった。

ツリーの先端の先に、ジゼール・ブンシェン。
別に好みでも何でもない。

パパイ・ノエル(=サンタクロース)は、子供達の人気者だ。
何かお話をしている。
こちらは、お姉さんの方にやはり目がいく。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りのはじまりは、パライゾに近いオズワルド・クルーズ広場。
パウリスタ大通りの終わりは、コンソラソン通りを越えたマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場。
高台にある景色のよい広場であるが、ここに行ったことがある人は少ないと思う。
このマレシャル・コルデイロ・ヂ・ファリアス広場の目の前から、数十メートルのところに、グラフィッチ(壁絵)の一群がある。
それほど良質のグラフィッチ(壁絵)ではないが、
他では見られない作家の作品がある。
メルヘンを感じるグラフィッチ(壁絵)である。

このあたり、日中でも人通りはほとんどない。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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ロリーニャばかり続いているのだが、それだけロリーニャが多くやってくるということだ。
このロリーニャは、啼かない。
少なくとも啼いた声を聞いたことがない。
雛も同じである。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の正面スタンドの中央部である。
座席の色の青もオレンジも、普段は区別無く座ることが出来る。
だが、最上段の数列は別だ。
ここには、コリンチャンスの招待者などだけが座ることで出来て、他の座席とは隔離されている。
入り口も別である。
右上の黒いところが、Globo局のテレビのブースである。

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sábado, 10 de novembro de 2007
ブラジルで大人気の日系人タレントの、サブリナ・サトウSabrina Sato。

サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。

この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
そのpanico na TVが、番組開始4周年を迎えた9月30日に、サブリナ・サトウの出番は、色気は全くなかった「人間ロウソク」の前にもう一つあった。
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先に報じられていたサブリナ・サトウと番組のレギュラーであるムリェール・サマンバイア(=シダ娘)の対決である。
ムリェール・サマンバイアは、番組では草の葉が付いたようなビキニで、いつもふわふわと踊っている。
せりふなどほとんどないお飾りのような存在である。
でも、今年の6月頃にSexyという雑誌で、その素晴らしい身体を晒した。
これによって、ちょっとだけ存在感が増した。

そのことで、多少ムリェール・サマンバイアが増長して、番組のスタッフと摩擦があったらしいのだ。
そういう因縁で、サブリナ・サトウと対決するというコーナーになったようだ。
いきなり、サブリナ・サトウとムリェール・サマンバイアが登場した。
屋外で、こんな女性が出て来たら、嬉しいやらびっくりするやらだ。

ムリェール・サマンバイアは、番組でおなじみのいつものビキニだ。
これは一張羅なのか、それとも何枚も用意しているのだろうかなど気になる。

当然、後ろを向いて、お尻を見せるのは、ブラジルの常識である。
これがなかったら、テレビ局にクレームが殺到する。

ほとんどの説明は、サブリナ・サトウがおこない、ムリェール・サマンバイアはただニコニコしていただけだった。

2人は、後方の山に向かうのだ。

で、着いた。

ここでも、一応お尻クネクネ。

まだまだお尻。

こんなスタイルの女性に、マイクを向けられることは一生に一度もない。
説明するほうも、集中できないだろう。

説明を受けたムリェール・サマンバイアに、サブリナ・サトウがマイクを向ける。

でも、ムリェール・サマンバイアはなんだか上の空。
頭に行くべき栄養が、違うところにいったという典型的なタイプかもしれない。

2人は、パラ・グライダーに乗るのだ。

またまた、お尻。
このロケ地は、サンパウロから北東に約80キロのアチバイア。
アチバイア市街地の南側にあるペドラ・グランヂといって、パラ・グライダーのメッカである。
でも、お金持ちのお坊ちゃんがやってくるので、
それを目当てに悪者もやってくるというところなので、
ちょっと気を付けた方がよい。

お尻中心の映像がまだまだ続く。

しかし、こんなところで、どう考えても変だ。
でも、お尻。

ムリェール・サマンバイアは、どう見てもちょっとトロイ顔だ。

そして、いよいよパラ・グライダーに乗るスタイルになったのだが、ムリェール・サマンバイアはもう泣きべそ。

どうしても駄目なのだ。

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結局、ムリェール・サマンバイアはこれでロケを断念した。
こういう娘も、ブラジルにもちゃんといるということである。
サブリナ・サトウのように、なんでもチャレンジするタイプがそうそういるはずもない。
こんなことで、サブリナ・サトウの偉いところがわかった。
映像はお尻ばかりだったが、本当にお尻ばっかりだったのだ。
続く。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャは、拙宅では一番見ることの出来る鳥である。
このロリーニャのアルビノがいた。
いつもロリーニャと一緒にいたが、微妙に仲間はずれのようであった。
足に、糸が巻き付いて、小枝が付いていた。
仕掛けを作って、掴まえて、小枝をとってあげた。
でも、それっきり拙宅には来なくなった。

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ブラジル・サッカー協会は、11月21日(水)21時45分から、ブラジル・サンパウロのモルンビー競技場で行われる、2010年ワールドカップの南米予選のブラジル対ウルグアイ戦のチケットを、11月10日(土)10時からサンパウロ市内各所で発売すると、11月8日(木)に発表した。
この情報を得たのは、もちろん11月8日のことである。
こういう情報は、ブラジルでは決してそのまま信じてはならないということを知っているので、まず確認することがとても重要である。
それも複数のルートを通じてである。
発売所の一つに、拙宅のすぐ近くのパカエンブー競技場が入っている。
当然、歩いていけるここで買いたいと思った。
いつもは、このパカエンブー競技場のチケット売り場は、11時に開く、そして17時に閉まる。
これは、一応の原則となっている。
だが、時には、12時の時もある。
また時には、10時の時もある。
土曜日は、10時の時が多い。
試合の日はまた違う。
いつの間にか開いていて、そして早く閉まる時もある。
そこにいないと、何も分からない。
ブラジル・サッカー協会は、10時に発売と発表したのだが、
市内の他の発売所では、窓口が開く時間が異なる。
たとえば、パルメイラスの本拠地のパレストラ・イタリアの土曜日の発売開始は通常10時である。
これでは、パカエンブー競技場より1時間も早く手に入れる人がでることになる。
さらに、イピランガにあるピッタ・スポーツ店は9時から発売が通常である。
インターネットの販売サイトの見てみた。
IngressoFacilというのだが、11月9日(金)の夜まで、このチケットの販売については何も触れていなかった。
予告も何もなかった。
しかし、11月10日(土)の朝には、発売の案内がでていた。
そして、サイトではほんの一部のチケットだけしか発売しない。
ほとんどのチケットは窓口でしか発売しないとあった。
さらに、窓口では9時から発売するとあった。
こういう時はサッと決断しなくてはならない。
小雨が降り出していたので、車で出かけた9時1分に、パカエンブー競技場発売窓口の前について、案内の人にきいて発売開始を確認した。
そして、列が2つあったのだが、片方は学生などの半額の人の列で、これはもう200-300メートルの列になっていた。
そして、正規の人の列は100メートル。
30秒で、家に戻り、車を置いて、走って窓口に向かった。
列の最後尾に並んだのは9時9分であった。
そして、並びながら、情報の交換も行われる。
時には、この列が正規の列であって、半額の列ではないことを知らない人には、あっちだよと教えてあげる。
前に並んでいる人の中にも、半額の券を買おうと思っていて、そのことを知って、あわてて半額の列に向かう人もいる。
いつも大抵こんなもんなのだ。
こんな不親切にたいていの人は、当たり前のことのようになれている。
正規の列と、半額の列が、別になっているだけましなのだ。
半額の券を買うためには、学生証を見せなければならないし、その学生証の番号は売り場で記録される。
1人で何枚も買わないようにするためにだ。
問題は、インチキ学生証を持っているものがとても多いということだ。
とても学生とは思えない年齢や顔つきのものが買おうとしている。
時々、インチキ学生証や認められていない学校の学生証で、窓口で揉める。
とにかく、半額の列は時間がかかる。
ダフ屋も、この半額の券を買って、正規の価格の何倍もの値段で売って更に利ざやを稼ぐ。
100メートルの列だが、
どんどんと進むわけでもない。
40分くらいたって、あと10数名というときになって、
売り場の列を監視している案内員が、
今日はアーキバンカーダ(モルンビー競技場の安い席)しか販売していないと、他の席(高い席)は月曜日から販売すると大声で告げた。
当然、どよめく。
なにしろ、いつものブラジル選手権より平均して3倍の価格のこの試合。
並んでいるのは、白人系ばかりである。
朝早くから、列に並んでいても、友人知人に携帯電話で、注文を受けていた。
それなのに、安い席しかないとは。。。。
本当に買いたい席は、別にあったのだが、とりあえず売っている席を買った。
案内人に月曜日は9時から開くということを確認し、窓口のお姉さんにも月曜日は9時からということを確認した。
チケットを買ったのは、10時頃。
(正規価格の窓口と列)


(正規価格の列の最後尾)

(半額価格の窓口と列)

家に着いたのは、10時7分だった。
朝からちょっと疲れた。
-----------------------------
今朝は、いつもはほとんど見かけない日系人の姿もちらほらとあった。
やはり、日系人はどちらかというとお金持ちの部類にはいるようだ。
まあ、コリンチャンスのファンのレベルとは、かなり違っていた。
-----------------------------
11月10日(金)に発売されたチケットは、67千枚のうちの56千枚。
これは全て売り切れた。
15時頃に売り切れたそうだ。
16時過ぎに、パカエンブー競技場に行った時にはもう窓口は閉まっていた。

早速ダフ屋が活躍している。
3-5倍だそうだ。
(パカエンブー競技場)

さて、本当に月曜日にも発売するのだろうか。
どうも、スポンサーなどに行ってしまっているような気がする。
ブラジル・サッカー協会CBFが、10月にマラカナ球技場で行われた対エクアドル代表戦には800枚を押さえていた。
当然、モルンビー競技場でも同様のことが行われるに違いない。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
現在、コンソラソン大通りは、地下鉄の工事が進んでいる。
日本のように、オープンカット工法ではなくて、シールド工法の区間がほとんどである。
だから、道路に鉄板が敷き詰められるのは、駅になるところくらいしかない。
それでも、機材搬入のために、地上にも、工事のための施設が、ところどころにある。
だいたいは、道路沿いの、空き地や空き建物を利用しているので、
道路を夜になると塞ぐようなことは、あまりない。
歩道に、青い囲いが設置されているのだが、地下鉄工事のためのものである。

右側には、「壁紙絵」が貼り付けてある。
そして、左にはサインだけである。
あのサインを、グラフィッチ(壁絵)の隣で見つけた時は、その壁紙の作者のサインだと思っていた。
しかし、こうしてサインだけが独立しているのを見ると、サインだけをして満足しているようだ。
そういうことが分かってくると、このサインだけが、実はやたらにあることに気が付いたのだ。
サインだけならば、スプレーでサッと書ける。
グラフィッチ(壁絵)くらい描いて、サインをして欲しいものだ。
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ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
----------------------------
ヴィラ・ロボス公園Parque Villa-Lobosは、サンパウロSão Paulo市中心部から西約10キロの、ピニェイロス川Rio Pimheiros沿いのジャグアレJaguaré橋の近くに位置している。

ヴィラ・ロボス公園Parque Villa-Lobosには、サイクリング・コース、ジョッギング・コース、環境教育センターCentro de Educação Ambiental、、450席の屋外劇場、複合コート、サッカー場4面、テニス・コート7面、遊び場、体育施設、キオスク、レンタ・サイクルなど、色々な設備がいっぱいである。
特に、スポーツ施設に関しては充実している。
※クリックすると拡大する。

----------------------------
この公園は、1994年に開園したというのだが、それ以前は何だったのか、1980年中期にこの公園の横を走っているマルジナル・ピニェイロスを通っていて、ただただ小高い台形の丘だったはずという記憶しかない。
すでに、アルト・ヂ・ピニェイロスは高級住宅街だったのだが、今と違って、ブリガデイロ・ファリア・リマ大通りは、バタタ広場で終わっており、直接にはアルト・ヂ・ピニェイロスには行けなかった。
パン・アメリカン広場周辺でも、まだ閑散としていたような思い出がある。
今、公園となっている土地の一部は、年ゴミの分別場になっていて、それを生業とする人たちが何十家族も住んでいたり、またピニェイロス川の浚渫ゴミも置かれたりしていたらしい。
高級住宅街のすぐ横でそういったことが行われている状況を改善するために、この公園の設置計画が進められたようだ。
当初の計画では、オペラ・ハウスを設置するなど、かなり音楽系を充実させる計画であったようだが、その後その計画は変更されたようだ。
全く、そういった色はない。
1994年に開園したにもかかわらず、この公園は危ないところというイメージが強かったそうだ。
それで、2004年に大規模に工事が行われて、今のイメージとなった。
更に、2007年初めに、マルジナル・ピニェイロス川沿いも新たに公園化されて、面積が更に広がった。
まだまだ、工事が進行している公園である。
整備状況がよいのは、東南側である。
北側の整備状況はまだよくない。
歴史が短いため、樹木が細く、小さく、やたらに広いという印象のある公園である。
周囲に比べて土地が高くなっていることや、周辺に遮るものが無く見晴らしがよすぎて、やや落ち着かない公園でもある。
-----------------------------
実際に行ってみた。
公園の東部にある駐車場。
駐車場からも、公園へは登らなくてはならない。

公園の案内板。
毎月のイベントなども紹介されている。

黄色の部分が東側。
テニスコートなどがある。
オレンジ色の部分には、芝生広場があり、遊び場などがある。
赤い部分は、サッカー場や集会場がある。
この赤い部分とオレンジ色の部分の間に正門がある。
緑色の部分は、花壇などもあるのだが、まだ未整備というところもある。
水色の部分が、2007年初めに新たに供与された部分で、マルジナル・ピニェイロスに沿っている。
まだ木も小さく、芝生も根付いていない。
※クリックすすると拡大する。

軽食や飲料を売っている売店である。

サイクリングおよびジョギングコース。

器械体操器具がある。

テニスコート。

東側にあるサッカー場。

遊び場。

遊び場。

芝生広場。

高齢者向けの花壇。


2007年初めに供与された部分。

もう何年も工事がストップしている部分もある。

柱には落書きまである。
ここは、もう以前から供与されている部分である。

屋外ステージ。

西側サッカー場。

中央部の広場。
樹木の生育状況はよくない。

正門。

正門の前は、コンクリート敷きの広い広場になっている。
レンタ・サイクル店や軽食店などが営業している。

正門から外側を見てみた。
道路は、プロフェッソール・フォンセッカ・ロドリグェス大通りである。
その向こう側は、高級住宅街であるが、樹木に遮られてみることは出来ない。

正門の脇にある屋内集会場。

正門の内側も、コンクリート敷きになっていて、夏はとても熱い。

公園の名前の由来となったヴィラ・ロボスの彫像。

ひびが入っているが大丈夫だろうか。

略歴。

そのほかにも色々な展示がある。


学童向けに楽器もある。

楽しませる仕掛けになっている。

公園内にある環境教育センター
NGOが運営している。



教育的な掲示も多い。

園内にある彫像。

ジョギングコースの説明。

公園の中心から360度の画像。
遮るものがないので、ただただ広い感じがする。
※クリックすると拡大する。

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公園から見た、ピッコ・デ・ジャラグア。
サンパウロ市の最高峰である。

公園の西側を走るマルジナル・ピニェイロス。
ピニェイロス川の両岸が道路になっている。
川の向こうは、サンパウロ大学の広大な敷地である。

マルジナル・ピニェイロス。
向こうの丘の斜面はすべてファヴェーラである。

低層の建物は、ショッピングエンター・ヴィラ・ロボス。
規模は大きくないが、高級である。
何しろ、歩いてくる人は絶対にいないようなところに立地している。
高層のミラー張りのビルは、業務ビルである。

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この公園は、
通常の週末は、イビラプエラ公園以上に、白人系比率の高い公園である。
週末は、かなり混雑する。
そうでない混血系の人もいるが、それほど多くない。
セアザ周辺のファヴェーラから来ていると思われる子供たちもいるが、これもそれほど多くない。
公園は、台地状になっていて、周辺の道路よりは一段高いところにある。
公園内は、全く平坦で、丘もなく、単調。
池も川もなく、潤いに欠ける。
樹木も、他の公園に比べると、疎らで、その面積も少ない。
日陰も少ない。
でも、せみは鳴いていた。
「spd20070228pvla.MOV」をダウンロード
しかし、平坦なだけに、ジョギングやウォーキング、サイクリングにローラースケートをする人には好まれるようで、そういった人が多い。
まあ、イビラプエラ公園以外の公園に行きたい、それも安全な公園に行きたいという方には、このヴィラ・ロボス公園はお勧めである。
尚、ヴィラ・ロボス公園から、ショッピングエンター・ヴィラ・ロボスに歩いて行くのは容易なことではない。
相当、遠回りをしなくてはならない。
背中合わせになっているが、別物と考えた方がよいだろう。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場で、椅子席は、正面スタンドと向こう正面スタンドだけである。
共にグラスファイバー製である。
ところどころ色が違うのは、破壊されるたびに、取り替えているからである。

階段には各列別にアルファベットが書き込まれ、
椅子には番号が書かれている。
でも、サッカーの試合で、座席指定になったことがない。
早い者勝ちである。
チケットには、列も番号も、記されているのだが。
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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
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イジェノポリスとパカエンブーの境にあるのが、FAAP。
コーヒーで財をなした大富豪の遺産で出来た財団である。
美術館と大学がある。
この美術館では、企画展が催されている。
美術館の正面に、開催されている展覧会の巨大な垂れ幕がかけられる。

ここで、開催される展覧会はいつも無料である。
拙宅から、歩いて15分もかからない。
そんなに近いのだから、行かないわけにはいかない。
10月初めから、3つの展示会が同時に開催されていた。
一つは、ベルギーに関するもの、絵画と写真であった。

絵画は、Jean-Michel Folonという作家の作品。
独特のタッチの作品だが、インパクトはない。


写真は、ブリュッセル市街の色々な写真。
ブリュッセルには、何度か行ったことがある。
パリの、それもルーブル美術館のすぐ近くで、ある国際的な業界団体の年次会議が開催されて、それに参加した。
日本からは、ただ1人の参加だった。
夜に晩餐会があって、その時に隣に座ったベルギーからの女性に、電車でわずか1時間半でブリュッセルに行けると聞いて、会議が終わった翌日の朝にはもうパリ北駅からでブリュッセルに向かっていた。
パリには飽きていたのだ。
ガイドブックも地図もなかった、ブリュッセルだったが、また訪れてみたいと思わせる街だった。
その後、機会を見ては、ブリュッセルの街を歩いた。
だから、この写真作品には見入ってしまった。


この展示会は11月11日(日)までの開催である。
もう一つは、Marcel Gautherotという写真家の膨大な作品を一堂に集めた作品展。

これも、見応えがあった。
12月2日までの開催である。


いつものことだが、
こういう展示会で日系人もしくは日本人を見かけることは本当にない。
このFAAPは、かなり高貴な且つスノッブな雰囲気を持っていて、鼻につく部分も無いわけではない。
でも、そういう雰囲気に浸るのもたまには悪くはないと思う。

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sexta-feira, 9 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャは、拙宅では一番見ることの出来る鳥である。
このロリーニャのアルビノがいた。
標準のものよりも、やや細身であった。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
グラフィッチ(壁絵)の収集も、本格的にはじめて、もう1年近くになる。
落書きはいくらでもあるのだが、「絵」としての体をなしているものは、そうそうあるものでもないことが分かってきた。
それに、何とも書いてきたことだが、ろくなところにない。
下町それもいささか危険を感じるようなところに多い。
グラフィッチ(壁絵)そのものに関しても、何人かおなじみの作家の作品があることも分かってきたし、その分布地域にも、それぞれテリトリーのようなものがあることも、感じてきた。
何となく、目も肥えてきた。
グラフィッチ(壁絵)探しの中で、この頃気付いたのだが、「壁紙絵」というのもあるのだ。
A4程度の紙に、絵を描いてもしくは印刷して、それを壁に貼るのだ。
こういった「壁紙絵」も結構ある。

壁に直接描くのは時間もかかるが、すでに絵が描かれた壁紙を貼り付けるのはそれほど時間もかからないはずである。
印刷物なので、同じ絵があちこちにある。
着色が違うこともある。
今やっと、この壁紙絵の収集にも取りかかっているところである。
いずれまとまったら、これも紹介していきたい。
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ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
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ヴィラ・ロボス公園Parque Villa-Lobosは、サンパウロSão Paulo市中心部から西約10キロの、ピニェイロス川Rio Pimheiros沿いのジャグアレJaguaré橋の近くに位置している。
ヴィラ・ロボス公園Parque Villa-Lobosには、サイクリング・コース、ジョッギング・コース、環境教育センターCentro de Educação Ambiental、、450席の屋外劇場、複合コート、サッカー場4面、テニス・コート7面、遊び場、体育施設、キオスク、レンタ・サイクルなど、色々な設備がいっぱいである。
特に、スポーツ施設に関しては充実している。
ヴィラ・ロボス公園parque Villa-Lobosは、1994年に開園した。
面積は、732、000平方メートル。
入り口は、プロフェッソール・フォンセッカ・ロドリグェス大通りAv. prof.º Fonseca Rodriguesに面している。
※クリックすると拡大する。
駐車場は750台のスペースがある。
この公園では、サンパウロ国際テニス・オープン・トーナメントtorneio internacional Aberto de São Paulo de Tênisが開催される。
平日は約3千人、そして週末には25千人がこの公園を訪れる。
ちなみに、この公園名称のヴィラ・ロボスは、
ブラジルが生んだ現代クラシックの作曲家の名前から来ている。
1987年に生誕100年を迎えていた。
園内に、このヴィラ・ロボスにちなんだものがある。
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この公園についての公式サイト。
内容は、平凡。
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サンパウロ市中心部から、このヴィラ・ロボス公園へのアプローチは、次の通り。
色々な方法が考えられるのだが、裏道を何度も曲がるコースは間違いの元なので、大きな道を通るコースと紹介しておく。
コンソラソン通りを郊外に向かう。
パウリスタ大通りとの交差を過ぎたところで右に曲がりドトール・アルナウド大通りにはいる。
道なりに進み、次にセホ・コラー通りにはいる。
セホ・コーラ通りは、ラッパ墓地のところで、クェイロス・フィーリョ大通りとなる。
そして、プロフェッソール・フォンセッカ・ロドリグェス大通りにはいるというものである。
プロフェッソール・フォンセッカ・ロドリグェス大通りに沿って、公園の駐車場があるが、一番東側の駐車場を利用することをお勧めする。
というのは、広いこともあるが、警備員が監視しているのでより安全であるからである。
他の2つは、プロフェッソール・フォンセッカ・ロドリグェス大通りに面していることもあるし、フラネリーニャが出現するからである。
したがって、入り口も一番東側を使うことになる。
帰路は、
上記の駐車場を出て右折しプロフェッソール・フォンセッカ・ロドリグェス大通りを東に向かうことにする。
パン・アメリカン広場を過ぎると、名称はペドローゾ・ヂ・モラエス大通りと名称を変える。
更に行くと、ブリガデイロ・ファリア・リマ大通り方向との分岐があるが、そのままペドローゾ・ヂ・モラエス大通りを行く。
ペドローゾ・ヂ・モラエス大通りは、そのまま行くとレボーサス大通りに突き当たり、そこを左折して、真っ直ぐ行くとセントロに着くがこれはお勧めしない。
レボーサス大通りとブラジル大通りの交差点は信号待ちが長く、休日でも渋滞する。
その先の、オスカー・フレイレ通りとの交差点も信号待ちが長いからである。
お勧めは、ペドローゾ・ヂ・モラエス大通りから、テオドロ・サンパイオ通りに入り、そのままドトール・アルナウド大通りまで登り切ることである。
意外と、こちらの方が早い。

ヴィラ・ロボス公園の南東側は、アルト・ヂ・ピニェイロス地区で、サンパウロ市内でも屈指の高級住宅街である。
ほとんどが、一戸建て住宅専用街となっている。
高台から見ると、緑の中に、一戸建てのお屋敷が点在しているかのように見える。
ここも商業施設の設置が厳しく制限されており、パン・アメリカン広場の周辺の他、ピオ11世通りやナザレ・パウリスタ通りの一部などにわずかにパン屋などがあるくらいである。
この地区に住むと、スーパーはもちろん、パンも新聞も、車がないと買いに行けないところである。
また、高級住宅街なのだが、ピニェイロス川沿いは、風向きによっては、ものすごい悪臭が漂ってくる。
川から数百メートルの住宅では、それが問題である。
現サンパウロ州知事のジョゼ・セッハの私邸は、このアルト・ヂ・ピニェイロス地区にある。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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向こう正面スタンドの最上段を歩いていた。
雲に穴が開き、光が差した。

向こう正面スタンドと正面スタンドの観客席は、地形の関係から、最上段に入場口がある。

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quinta-feira, 8 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャの雛は、
わずか1.5メートルのところのシャッター音を気にしながらも、じっとしていた。

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11月4日(日)17時から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、
ブラジル選手権セリエAの第35節のコリンチャンス対アツレチコ・パラナエンセ戦を観戦した。
続きである。
アツレチコ・パラナエンセのネイ・フランコ監督。

ネルシーニョ・バチスタ監督。

後半は、アツレチコ・パラナエンセのキックオフで始まった。

DFファビオ・フェヘイラ。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ18歳。

途中出場のMFヴァンペッタに、ネルシーニョ・バチスタ監督が指示。

途中出場のFWアルシ。

有料入場者数は32,106人と発表された。

逆転されて、沈痛なガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様。
腕組みしたり、神に祈ったり。

しかし、後半46分。
FWフィナッツィが同点ゴール。

ネルシーニョ・バチスタ監督ともタッチ。

途端に、ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様は生き返った。
勝ったわけではないのだが。

ネルシーニョ・バチスタ監督も元気になった。
残り3分だったのだが。

試合が終わり、グラウンドでマスコミに囲まれたフィナッツィ。

2対2の同点。
ホームでの引き分けは、負けも同然なのだが。

DFファビオ・フェヘイラが、正面スタンドにいた客とお話。

次の試合は、ゴイアスと、ゴイアニアでの試合。
「ゴイアニアに行こう」というメッセ-ジがでた。
バスで15時間はかかる。

コリンチャンスの選手の控え室への通路の前。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
ここにもあの兄弟の絵があるのを発見した。

車で通っているのだが、見落としていた。
交差点を渡ってすぐのところで、人が多いところで、そちらに目がいっているのだ。
バールの脇の壁に描かれていた。

やはり、街は歩かなくては駄目だ。
歩いてこそ、グラフィッチ(壁絵)などの色々なものの発見が出来る。
ということで、セントロくらいまでは、出来るだけ歩くようにした。
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2008年の北京オリンピックOlimpíada de Pequimのブラジル代表seleção brasileiraの指揮をすることになっているドゥンガDunga代表監督は、ロマリオRomárioを自分の技術委員会comissão técnica入りさせたいと言っている。
この願いを受け入れてブラジルサッカー協会CBFのリカルド・テイシェイラRicardo Teixeira会長は、もしロマリオがプレイをするのを止めたなら、代表の手伝いをするように呼びたいと明言した。
「ドゥンガはオリンピックのためにロマリオを技術委員会入りさせたい希望があると言った。 しかし、今のところ、ロマリオRomárioはまだ選手である。 引退を決意しなくてはならない。 そうしたら、我々を手伝うように呼ぶだろう。 ロマリオは早く起きるのは望まないと言ったが、それについては話をしなくてはならない」とコメントした。
リカルド・テイシェイラRicardo Teixeira会長はドゥンガDungaをオリンピック代表seleção olímpicaの監督に起用することにした動機を、北京に行くチームをトレーニングする時間が少ししかないからだと説明した。
「ドゥンガDungaはいい仕事をして見せている。 彼はオリンピック代表seleção olímpicaにおいてもそれを見せてくれるだろう。 2010年のワールドカップのための南米予選以外で、ブラジル正代表を使えるのはわずか2試合だけである。 これは難しいことだ。 我々はどうするか話し合わなくてはならない。 どこにも逃げるところはない。 方法を考える必要がある」
------------------------------
ロマリオが技術委員会するというのも面白い。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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ラジオの放送席は、正面スタンドにも、そして向こう正面スタンドの最上段にもある。
向こう正面のラジオ・ブースを覗いてみた。
各ラジオ局のブースが、壁一枚挟んで並んでいる。

これでは、
隣の大声が、マイクに拾われるのは当然だと思った。
試合中は、相当にやかましいはずである。
特に、ゴールが決まったあとには、あの長い雄叫びが各ブースから一斉に轟き渡ることになる。
圧巻だろう。
一つの局のブースは狭い。
平日は、何一つ機材はない。

ブラジルのラジオのサッカー放送は、AM局だけではなくFM局でも放送される。
共に、ものすごい早口で実況をする。
試合中でも、ニュースや交通情報やCMも挟まるし、最初は何かなんだかわからないくらいで、ただただやかましいだけである。
聞き取りに慣れてくると、騒音とは思えなくなる。
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サッカー・ブラジル選手権2007の第35節が、11月3日(土)、4日(日)および7日(水)に行われた。
※3日間に渡って行われるのは、テレビ局のGlobo局のサッカー中継時間枠の関係。
南米杯でブラジル勢が消えたので、水曜日の放送枠で放送する試合が無くなった。
このため、ブラジル選手権の1試合を水曜日に行うようにした。
結果は次の通り。
11月3日(土) 第35節第1日目
試合開始 試合結果 競技場
18h10 Paraná 1 x 0 Goiás Durival Brito
18h10 Fluminense 2 x 1 Náutico Maracanã
18h10 Grêmio 1 x 2 Figueirense Olímpico
「20071103encimadahora-BA35.wmv」をダウンロード
※パラナが勝利して、順位を暫定で16位に上げていた。
※グレミオはこの敗戦で、ますますリベルタドーレス杯出場権から遠ざかっている。
11月4日(日) 第35節第2日目
試合開始 試合結果 競技場
16h Cruzeiro 3 x 1 Flamengo Mineirão
16h Santos 2 x 2 Atlético-MG Vila Belmiro
17h Corinthians 2 x 2 Atlético-PR Pacaembu
18h10 América-RN 1 x 1 Botafogo Machadão
18h10 Sport 3 x 1 Palmeiras Ilha do Retiro
18h10 Vasco 1 x 2 Internacional São Januário
「20071104GN22-BA35.wmv」をダウンロード
「20071104GN22-BA35b.wmv」をダウンロード
※クルゼイロは、リベルタドレス杯出場権内に復帰。
※コリンチャンスは、地元パカエンブー競技場で何とか引き分け。
それでも、降格圏内を脱出した。
※パルメイラスは、リベルタドーレス杯出場権から脱落。
※ヴァスコ・ダ・ガマは、地元で敗戦。
ロマリオは、後半出場している。
インテルナシオナウのニウマールがついに出場し、活躍した。
11月7日(水) 第35節第3日目
試合開始 試合結果 競技場
21h45 Juventude 2 x 0 São Paulo Alfredo Jaconi
「20071107JG-BA35-Juventude-SaoPaulo.wmv」をダウンロード
※優勝が決まっているサンパウロFCは、主力をかなり休ませた。
もう1月にはすぐ、サンパウロ選手権やリベルタドーレス杯が始まるので
出場させて、ケガをさせたくない
若手を起用した。
次節の第36節の予定は次の通り。
11月10日(土) 第36節第2日目
試合開始 試合予定 競技場
18h10 Botafogo x Paraná Maracanã
18h10 Náutico x América-RN Aflitos
18h10 Internacional x Cruzeiro Beira-Rio
※ボタフォゴは、なんとかリベルタドレース杯出場権を得るために勝ちたいところだ。
※インテルナシオナウのニウマールはゴールなるか。
11月11日(日) 第36節第2日目
試合開始 試合予定 競技場
16h Figueirense x Vasco Orlando Scarpelli
16h Goiás x Corinthians Serra Dourada
17h Atlético-PR x Sport Kyocera Arena
18h10 Atlético-MG x Juventude Mineirão
18h10 São Paulo x Grêmio Morumbi
18h10 Flamengo x Santos Maracanã
※ロマリオは、リオ・デ・ジャネイロの外での試合にもかかわらず参加するようだ。
※コリンチャンスは、降格圏脱出を確たるものにするために勝ちたいところだ。
対するゴイアスは降格圏脱出ために、勝たなければならない。
※サンパウロFCにとっては、何の意味もない試合。
グレミオにとっては、、リベルタドレース杯出場権をかけた大事な試合。
※フラメンゴにとってもサントスにとっても、
リベルタドーレス杯出場権を確実にするために勝ちたい。
11月14日(水) 第36節第3日目
試合開始 試合予定 競技場
21h45 Palmeiras x Fluminense Palestra Itália
※パルメイラスも、リベルタドレス杯出場権のために勝ちたい。
(第35節を終了した時点での順位)

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FWロマリオRomárioは、11月7日(水)に、サン・ジャヌアリオSão Januárioに現れて、ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督が指揮する試合形式の練習に参加した。
ロマリオBaixinhoは、グラウンドに入り、特別なウォーミングアップからはじめた。
ロマリオは、控えのチームでトレーニングをした。
ロマリオは、オルランド・スカルペリOrlando Scarpelli競技場で行われる、ブラジル選手権Campeonato BrasileiroセリエAの第36節の対フィグェイレンセFigueirense戦に参加するだろう。
最後にロマリオRomárioが、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの外で行われたヴァスコ・ダ・ガマの試合に参加したのは、3月21日におこなわれたブラジル杯Copa do Brasilであった。
この時には、ヴァスコ・ダ・ガマは、ガマGamaに2対2で引き分けている。
ロマリオBaixinhoは、控えの席にいる可能性が高い。
ヴァウヂール・エスピノーザ監督は週末の試合にロマリオRomárioを使う可能性についてはまだ何も言っていない。
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ロマリオが、フロリアノポリスに行くかもしれないということは、
11月25日(日)にサンパウロのパカエンブー競技場で行われる
ブラジル選手権セリエAの第37節のコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦にも参加する可能性があるかもしれないということだ。
ともかく、肉眼で、ロマリオを見たいものだ。
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quarta-feira, 7 de novembro de 2007
ブラジルサッカー協会CBFは、11月7日(水)に、2008年に行われるブラジル代表seleção brasileiraの最初の親善試合を、アイルランド代表と2月6日にアイルランドIrlandaの首都ダブリンDublinで行うことに決定したと発表した。
この試合はFIFAの指定日に行われ、82,300人収容のクローク・パーク競技場Croke Park Stadiumで行われる。
------------------------------
2月6日とは、まだ寒いだろうに。
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11月4日(日)17時から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、
ブラジル選手権セリエAの第35節のコリンチャンス対アツレチコ・パラナエンセ戦を観戦した。
続きである。
アツレチコ・パラナエンセで名前を知っているのは、このクライトンくらいだ。

コリンチャンスのDFベットン3番が、試合そうそうゴールを決めた。

早速、ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様の方に走って、お礼を言わなくてはならない。
FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ、20番のMFカルロス・アルベルト、そしてFWフィナッツィが伴走する。

DFベットン。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ18歳。

DFベットン。 キャプテンである。

MFルリーニャ17歳。

コリンチャンのゴール前。

MFカルロス・アルベルト。
2006年に、年齢を5歳もごまかしていたことが発覚した。

右SBイラン。

MFカルロス・アルベルト。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ。

MFモラデイ。
21歳。
18歳までは、牧場で働いていた。
父親がテストを受けさせたことから、プロになった。

アツレチコ・パラナエンセのゴール前で、FWフィナッツィが頭であわせたが。。。。

DFゼロン。

GKフィリッピ。

手前MFルリーニャ、奥FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ。

この日のパカエンブー競技場。
※クリックすると拡大する。

ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様。
コリンチャンスがリードしているので元気。

MFカルロス・アルベルト。

DFファビオ・フェヘイラ。

ビンラディン調は人気者。
綺麗なお姉さんとお話。

インターバルには、このところ3試合ほど行われている余興が行われた。

続く。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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鳩の一種であるロリーニャの雛2羽は、屋根の上で、仲良くじっとしていた。

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「イビラプエラ公園の鳥ガイド」という小冊子がある。
イビラプエラ公園で無料でもらえるものだ。

イビラプエラ公園で観察できるという135種の鳥を紹介している。

この中にもロリーニャRolinhaはもちろんいる。
学名も記載されている。

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サッカー・ブラジルSeleção Brasileira代表は、11月18日(日)と21日(水)に、今年最後となる2010年ワールドカップの南米予選となる2試合を行う。
対戦相手は、ペルーPeruとウルグアイUruguaiである。
試合は、リマLimaのモニュメンタル競技場Estádio Monumentalと、サンパウロSão PauloのモルンビーMorumbi競技場で行われる。
代表選手達は、11月13日(火)にリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのサントス・ドゥモンSantos Dumont空港もしくはガレオンGaleão空港に11時に集合し、テレゾポリスTeresópolis市のグランジャ・コマリーGranja Comaryに向かう。
最初のトレーニングは、同日の16時60分から行われる。
チームは、リマLimaに向かう金曜日までテレゾポリスTeresópolis市で合宿をする。
11月13日(火)から22日(日)までのスケジュールは次の通り。
※クリックすると拡大する。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
建物の2階部分の横に書かれた巨大なグラフィッチ(壁絵)。

表は、バールとして営業している。
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ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。

サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。

この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。

そのpanico na TVが、9月30日に、番組開始4周年を迎えた。
7月に、200回記念をやったばかりなので、総集編を流すということもなく、また特別版ということもなく、ほとんどが通常通りのコーナーであった。
------------------------------
だが、
生放送されていることになっているこの番組のスタジオにいるサブリナ・サトウは、なぜか厚着をしている。


いつもはもっと露出の激しい服を着て、楽しませてくれているのだが、なんだかもこもことして、体の線は拝めない。



何ともすごい目の厚化粧。

そうこうしているうちに、番組は最後の方になってきた。
また、司会者のエミーリオ・スリタ以下ほとんどのレギュラーメンバーが、rede TV!局前の公道に出て来た。
それほど幅の広くない一方通行の公道だが、今までに何度も占有している公道である。

道の真ん中で、堂々と撮影をしているだ。

番組4周年を祝って、ケーキを用意していた。
でも、とても小さなケーキである。

余りにも小さなケーキなので、せめてロウソクだけでも大きなものを用意するということで、「人間ロウソク」の企画となったのだ。
もちろん、ロウソクはサブリナ・サトウの役である。

そのために、この厚着をしていたのだ。

肌がでている部分には、ワセリンのようなものをたっぷりと付ける。

手にも付ける。

顔にも付ける。

ものすごく付ける。

そうして、係の人が火を点ける。
サブリナ・サトウが、「きゃー」と言っても、点ける。

あっという間に火が広がる。

火がついたら、止まるなという注意がでていたので、サブリナ・サトウは走り回る。
男達は、それを局前でただ見ているだけだ。

サブリナ・サトウは、公道を駆け回る。

男達は見ているだけ。

よく見ると、火がついているのは、身体の後ろ側だけだ。

そのうち、倒れ込んで、毛布と消化剤をかけられる。

上に着ていた白い服は背中のほうは焼け落ちている。

一応、男達が心配そうに、そしてケーキを手に、「サブリナ」の名を呼ぶ。

まもなくして起き上がったサブリナ・サトウは無事だった。

それで、「番組4周年おめでとう。 これからもよろしく」と、大団円を迎えたのであった。

「20070930paniconaTV-SabrinaSato-VelaHumana.wmv」をダウンロード
------------------------------
つくづく、サブリナ・サトウだけで持っている番組だと思う。
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尚、前回の「サブリナ・サトウが街娼」になる編は、
多くのかたに刺激を与えたようである。
サンパウロの夜を探訪して欲しいとか、
レポートが欲しいという、要望が殺到している。
実際、「サンパウロの夜は酒池肉林」である。
この一言に尽きるのだ。
だが、普通の日本人旅行者・出張者には言葉の点などで難易度は高い。
現地の事情通(知り合いがいれば長く滞在している駐在員など)にお願いして案内してもらい、最後まで面倒を持てもらったほうが、楽しいし、危険を避けやすいはずである。
一般の観光ガイドは、費用を安くするために年金生活に入った年齢の女性などを使うことが多く、こちらの方面の案内をお願いするのは無理である。
こういうことで、費用を惜しんで、よいことはない。
一応、このブログはサンパウロについての事実は伝えることにしているが、
それにしても最低限の品位は守りたいと思っている。
また、夜のレポートは割と費用もかかるし、今まで以上の危険も伴う。
面白くなるのは分かっているが、限度がある。
このブログにも、検索で「サンパウロの夜の風俗」などでやってこられる方もいるが、今までこの方面の話題に具体的に触れたことはあえて一度もない。
でも、業務としての依頼であれば、これは別である。
そういった筋からの依頼も来ているので、鋭意交渉中である。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
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パカエンブー競技場の北側ゴール裏席の東側は、
コリンチャンス最大のファン組織のガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様がいつも陣取って、応援をされる場所である。
事実上の指定席である。
このガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様が、いつもどういう角度から試合を見ているのか知りたくなって、その場所に行ってみた。

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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
見上げると、あるアパートの窓が真っ赤だった。

芸術家も多く住んでいると言われているイジェノポリスなので、こういう色づかいの部屋に住む人もいるかもしれないと思ったが、念のために写真を撮っておいた。
拡大してみると、カーテンではない。
窓に沿って、ベニヤ板が並べてあるのだ。
窓にガラスはない。

この部屋全体を改装するために、窓ガラスも外しているのだ。
そして、雨が入り込まないように、ベニヤ板をおいているのだ。
1フロアに、1世帯のアパート。
面積は200平米はありそうだ。
おそらく30年以上は経っているアパートだろう。
だが、一戸建てとの境に建っているので、眺望は妨げられていない。
日本円で3000万円はしないと思うが。
ブラジルのベニヤ板には、このようにピンク色をしたものが多い。
防腐剤の色だろうか。
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terça-feira, 6 de novembro de 2007
11月4日(日)17時から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、
ブラジル選手権セリエAの第35節のコリンチャンス対アツレチコ・パラナエンセ戦を観戦した。
朝からずっと雨が降っていたサンパウロ。
14時半頃に雨は止んだ。
試合開始前35分には、トボガン席への入り口から競技場の塀に沿って長い列が出来ていた。

パカエンブー競技場の東側の道路は、観客がいっぱいで、大渋滞。

この試合はもしかしたらネスレの招待試合であったかもしれない。
でも、普通の席もチケットも売っていたが、どうだったんだろう。

いつもは、500メートルくらい距離に、信号のない直線のこの道を車は飛ばしていくのだが、これだけ人がいると、車は小さくなるしかない。

パカエンブー競技場の正面。
一番上にある時計は、まだ夏時間に修正されていない。

正面入り口。

パカエンブー競技場の正面にあるシャルレス・ミラー広場。
いつもよりずっとごった返していたのだが、写真ではそこが撮れていない。
※クリックすると拡大する。

競技場の中にはいる。
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様が、黒い風船を手にして、すでに大応援をはじめていた。

この頃、電光掲示板に色々なメッセージがである。
「チームはあなたの応援を必要としている。 試合中歌え」とある。
「観戦するんじゃない。 応援しろ」というのもあった。

コリンチャンスの監督はネルシーニョ・バチスタ監督。

コリンチャンスの選手の入場を待つ子供達が、グラウンドに長い列を作った。

アツレチコ・パラナエンセの選手達が入ってきて、
アツレチコ・パラナエンセのファン席に向かって挨拶。

いつものコリンチャンス大好きおばあさんも登場。

アツレチコ・パラナエンセのネイ・フランコ監督に、マスコミがインタビュー。

アツレチコ・パラナエンセの選手達の記念撮影。
※クリックすると拡大する。

コリンチャンスの選手達がグラウンドに出て来た。
キャプテンのDFベットンが先頭である。

コリンチャンスの選手がグラウンドに出て来ただけで、
コリンチャンス大好きおばあさんは狂喜乱舞。

コリンチャンスの選手で一番の人気はGKフィリッピ。

GKフィリッピがまだ来ないのに、観客に挨拶。
※クリックすると拡大する。

巨大な幕も広がった。

コリンチャンスの選手達の記念撮影。
※クリックしても大きくならない。
巨大なものが欲しい人は連絡を。

つづく。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャのつがいが、水を飲みに来た。
拙宅では、小鳥たちのために、餌と水は用意している。
水はただみたいなものなのでまだいいのだが、
餌はあっという間になくなるので、餌代のことも多少は考えなくてはならない。

ロリーニャは、何つがいかが一組になって、現れ去っていく。
餌を置くと、一番最初に現れるのは、ロリーニャといってもよい。
拙宅は完全に餌場の一つになっている。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
かつての大豪邸が、今は廃墟と化している。
そういうところには、思いっきりグラフィッチ(壁絵)が描かれる。

それもなんだか、気持ちが悪い絵である。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
ブラジルのサッカーにおいては、アウェーのチームは観客席からのものすごいプレッシャーに耐えなくてはならない。
うっかりホームのチームに大勝してしまうと、競技場全体が荒れるから、引き分けくらいに押さえておいて方が無難かもしれない。
パカエンブー競技場のアウェーチームのファンの観客席は、通常は西南の隅の部分である。
そこから見ると、グラウンドは遠い。

アウェーチームがグラウンドに出て来ると、この席に近いコーナーあたりまで来て、わざわざやってきてくれたファンに挨拶をする。
この席は、試合の時は、トラブルが発生しないように、警察が厳重に警備する。
両側の席からの挑発も多い。
アウェーチームが得点を入れたりすると、この席は大いに沸く。
試合が緊張して終わった時など、この席のファンをしばらく出さないでいるときもある、場外でのトラブルを避けるためだ。
また、この席に来るアウェーチームのファンは、この席への入場口もしくはこの席についてはじめてユニフォーム姿になる。
以前、この席にたった1人しかいないことがあった。
ブラジリエンセのファンだった。
サンパウロ州選手権などで、対サントス戦や対サンパウロFC戦などのアウェーのチームのファンも多いと思われる時は、この席以外の部分もアウェー席になる。
たとえば、南側ゴール裏席のトボガン全体がアウェー席になったこともある。
この席がホームチーム用になることもある。
やはり、サンパウロ州選手権でのことだが、主催チームがジュヴェントスで、アウェーのチームがコリンチャンスというような時である。
ホームのチームが隅っこにいるという悲惨さである。
ジュヴェントスだって、サンパウロ市のチームなのである。
ジュヴェントスは、この試合で、かなり稼ぐわけであるが。
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ニウマールが、11月4日(日)にリオ・デ・ジャネイロのサン・ジャヌアリオ競技場で行われた、ブラジル選手権の第35節のヴァスコ・ダ・ガマ対インテルナシオナウ戦に、先発出場した。
今年の3月4日に、当時所属していたコリンチャンスの選手として、サンパウロ州選手権の対パルメイラス戦で、左膝の靱帯を切って手術をして以来、療養に努めて、試合からは遠ざかっていた。
9月17日にインテルナシオナウと契約したあと、復活に向けて、トレーニングを続けており、この2試合ほど、出場の噂があったが、ベンチ入りもしていなかった。
復帰最初の試合が、先発出場であったが、
長いブランクを感じさせない大活躍であった。
ゴールはなかったが、
ニウマールの存在が試合の流れを決定した。
スピードは全く落ちていなかった。
この試合で、インテルナシオナウは2対1で勝利した。
「20071104TrocadePasses-BA35-Vasco-Internacional.wmv」をダウンロード
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両膝の2度の手術で、ニウマールNilmarはこの18ヵ月実質的に出ていなかった。
インテルナシオナウのユニフォームを着ての再デビューとなったサッカーへの復帰戦で、ニウマールはとても良いプレイをした。
FWフェルナンドンFernandãoの最初のゴールのアシストをしたし、インテルナシオナウColoradoの全ての攻撃に活動的に参加した。
しかし、それにもかかわらず、ニウマールにはただ一つのことで、フラストレーションがある。
「ゴールを決めること出来なかったのでちょっとがっかりした。 ゴールを決めることが出来ればとても良い復帰になっただろうと一晩中考えていた。 しかし問題もなく、よい動きで、復帰できてよかった。 文句はない」と、ニウマールは明言した。
ニウマールは、よい出来に、全く驚いてはない。
彼は、長い期間準備してきたことを思い出した。
「この時のためにとても準備をしてきた。 何ヶ月も何ヶ月もトレーニングをしてきた。 トレーニングばかりでプレイしないのはよくない。 しかし、幸いなことに全てよかった。 自分が前にやっていたように、全てすることが出来た」とコメントした。
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ブラジル選手権は、残り3試合である。
ニウマールは、この3試合には出場するだろう。
ニウマールは、インテルナシオナウとの契約上、2007年は海外には移籍しない。
しかし、2008年になると、話は別である。
欧州のクラブに戻らないと、
ブラジル代表への道もない。
ニウマールにとって、欧州への復帰が、次の課題である。
ニウマールは、23歳になった。
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コリンチャンスは、サンパウロ市役所と会議をおこない、このブラジル選手権Campeonato Brasileiroの主催試合の最後までパカエンブーPacaembu競技場で行うことことになった。
11月25日に行われる対ヴァスコ・ダ・ガマ戦は、コリンチャンスにとって、2008年にセリエBに降格することから、逃げるための決定的な試合である。
「スポ-ツ局と日曜日に合意した。 パカエンブーPacaembu競技場の改装工事は、26日に始まると、コリンチャンス Corinthiansの副社長のアントイニ・ジェブランAntoine Gebranは言った。
合意は、サンパウロ市のスポーツ局長のワルテル・フェルヂマンWalter Feldmanとの間でなされた。
先週の会議で、この要求は社長のアンドレス・サンシェスから出ていた。
アンドレス・サンシェスAndrés Sanchesは、最終局面でファンの後押しは基本的なことだと思っている。
パカエンブーPacaembu競技場は芝生の張り替えとトイレの設置を行う。
当初、改装工事は10月15日に始まることになっていた。
それで、コリンチャンスCorinthiansは主催試合の最後の3試合の試合をパカエンブー競技場で行えないことになるはずであった。
フィグェイレンセFigueirense戦、アツレチコ・パラナエンセAtlético-PR戦、そしてヴァスコ・ダ・ガマ戦であった。
最初の2試合は、工事の開始が遅れたことで、パカエンブー競技場で行うことが出来た。
改装工事の期間からみると、ヴァスコ・ダ・ガマ戦は難しいところにあった。
市当局は、工事を終わらせて、1月25日に行われるサンパウロ杯ジュニアCopa São Paulo de Junioresの決勝戦をパカエンブーPacaembu競技場で行いたがっている。
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結局、コリンチャンスの主催試合の今年の最後の試合となるヴァスコ・ダ・ガマ戦まで、パカエンブー競技場で行われることになった。
つまり、試合を見に行くことになったわけである。
ヴァスコ・ダ・ガマ戦は、ブラジル選手権の最終節の第38節の試合ではなくて、第37節の試合である。
もちろん、この試合にロマリオが出場することはないはずである。
ロマリオは、ヴァスコ・ダ・ガマがリオ・デ・ジャネイロで行う試合にしか出場しない。
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segunda-feira, 5 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャは、割と人を恐れない。

もちろん近づくと飛んでいくが、人のわずかな動きを察して、あっという間に飛び去るということはない。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
駐車場の壁に描かれたとてもカラフルなグラフィッチ(壁絵)。

駐車場の扉にも絵は描かれている。
扉絵というべきか。
営業していなくて、扉が閉まっていると、道路からも見える。

ただ、グラフィッチ(壁絵)とは一体化していない。
これらの絵は、一応オーナー公認の元に描かれていると思われる。
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ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
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チエテ環境公園Parque Ecologico do Tieteは、サンパウロSão Paulo市中心部から北東約13キロの、チエテ川Rio Tietêの河川敷の湿地帯Várzeaに位置している。
チエテ環境公園Parque Ecológico do TietêNúcleo Eng. Goulartのエンジネイロ・ゴウラルチ・センターには、ハイキング道、環境教育センターCentro de Educação Ambiental、文化センターCentro Cultural、チエテ資料館Museu do Tietê、図書館Biblioteca、ショー・ステージPalco para Shows、5つの複合コート、17のサッカー場、遊び場、体育施設、キオスク、シュラスコ場、レンタル・ボート、レンタ・サイクルなど、色々な設備がいっぱいである。

このチエテ環境公園は、毎日8時から17時まで開園している。
ただし、諸施設はそうではない。
それぞれ異なるので、事前に確信しておいた方がよい。
公園の諸設備は、広大な公園域の西側に集中している、
東側は幾つかの池の間をぬける周回道があるだけである。
この周回道は、長いので、ジョギングもしくは自転車がないと、
歩いてでは、時間がかかりすぎる。
また、ロドヴィア・アイルトン・セナを挟んで、南側の駐車場がある方も、
本来は公園域に含まれているはずである。
だが、このエリアはグラウンドも含めて、かなり荒れている。
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この公園については、
ブラジルのこの種の施設では他に類を見ないくらい詳細な記述のあるサイトが用意されている。
更新も頻繁である。
ポルトガル語を理解する人は、そこを見ると、これから先はもう読む必要はない。
素晴らしく充実している。
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東側の公園ゲート。
一般車は入ることはできない。
職員や団体バスそして偉いさんの車は入れるようだ。

入園者は、この門標の横を通って園内にはいる。

門を入ったところに、園内の詳細な地図がある。
しっかりと見て、把握しておく必要がある。
園内はとても広い。

門を入って、西側に大きな広場がある。
遊具がある遊び場広場になっている。

遊び場広場にある注意表示には、
雷に注意とある。
この公園は河川敷で、積乱雲の通り道になっているのかもしれない。
あまり逃げ場もないので、空が暗くなってきたと思ったら、早めに帰った方がよいかもしれない。

その先の林のところは、シュラスコ場になっている。
シュラスコ場は、ここ以外にもある。

チエテ資料館。

チエテ川に関する色々な資料がある。
ここは、かつて行われていたボートのレガッタについての展示がある。
ボートも展示されている。
レガッタは、20世紀の初めまではブラジルではとても盛んであったスポーツであったようだ。
フラメンゴもヴァスコ・ダ・ガマも、元々はレガッタ・クラブである。
サンパウロにも、レガッタ・クラブが今もポンチ・ヂ・バンデイランチの脇にあるが、今はもうチエテ川に面していない。

1926年頃の地形図を貼り合わせて、サンパウロ市域を流れる当時のチエテ川の河道を示している。
蛇行し、頻繁に氾濫を繰り返していたチエテ川を改修する必要性や、その工事の計画そして工事の模様などの資料が展示されている。

パルケ・サン・ジョルジのコリンチャンスは、もうこのころには現在の場所にあったことが分かる。

ショー・ステージと、その先に何面ものサッカー・コートがある。

サッカー・コート。

図書館。 レストランも同じ建物にある。

プール。

ごく稀に、こんな人がいる時もある。

チエテ川の本流。
本流の水に触れることは出来ない。
道がない。

変な色に澱んでいる。

こんなところでも、鳥は生きている。

公園内の池。
ボートに乗ることが出来る池である。

ボート。

ボート乗り場。
レンタ・サイクルも、休日だけ、この付近で営業する。

サッカー・グラウンドに近いところに、軽食屋がある。
飲料とサンドウィッチなどを供する。

こんな感じである。

公園域の外周を回る道は、2つある。
一つは一周4100メートルで、もう一つは5360メートルである。
動物に餌を与えてはいけないということと、道から外れてはいけないという注意書きもある。

東側の入り口付近から、その外周道を回ってみた。
この道沿いには、大小の池がある。
池はどれもこんな色をしている。

猛禽類が、池の枯れ木に止まっていた。

道は、舗装されていないが平坦である。
樹間を抜ける感じである。

池には、島があるものがある。

その一つに、猿島がある。

猿がいっぱいいるのだが、
これは自然にいるものではないと思われる。
この島にしかいないからである。



この池の水も、あまり綺麗な感じではない。

これは、竹の島。

この道は、チエテ道というようだ。

カップルが、バレーボールのようにして遊んでいた。
この女性がとても運動神経が鈍く、全く続かなかった。

世界中どこの国でも、男はこんな事をすることがわかる。

そのうちに、こんな事になってしまった。

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ロドヴィア・アイルトン・セナを挟んだ公園域の南側は、本当は公園域に入っているはずである。
サッカー場が何面もあるし、遊び場もあるが、草むしている。
公園域であるというのは、ここにある野球場の標識に公園名が入っているからである。
これが何よりの証拠なのだが、公園内にあった地図にはこの部分が入れられていない。

野球場も、かなり荒れている。

ピッチャーマウンド付近から、本塁を見てみた。

ベンチ。

このグラウンドには、やたら、男物のパンツが散らばっていた。
何をするとこういうことになるのか、理解できなかった。
発展場なのだろか。
この南側部分は、門の外にあるので、24時間立ち入ることができる。
この南側部分の一部は、
ポルトゲーザのトレーニングセンターとして使用されている。

------------------------------
この公園は、河川敷なので、高低差はほとんどない。
とても広大である。
外周道を回るのに、自転車を持ってきて、サイクリングをするのは気持ちよい。
これは、お勧めである。
歩いて回るのは、大変である。
公園内の西側の諸設備があるあたりは、日陰を作ってくれるような大きな木が少ない。
炎天下に、このあたりを歩くのは大変である。
そういう意味でも、自転車はあった方がよい。
さらに、午前中に訪れる方がよいだろう。
夏期には、午後は雷雨の可能性が多い。
チエテ川本流に近い割には、意外とそこからの悪臭は漂ってこない。
もっとも、これも時期によるかもしれない。
園内の池も、悪臭はしない。
問題なのは、ロドヴィア・アイルトン・セナをとおる車の騒音である。
これは、非常に大きい。
特に、諸施設があるところは、樹木が疎らなので、この音が遮られることがない。
公園の北の端に行っても、この音からは逃れられない。
西行きの車線が、チエテ川本流の向こうを通っているからだ。
この騒音のために、静かな時間を過ごすという雰囲気になれる場所は、あまりない。
道路と公園の間に樹木帯があるところは、多少この音が緩和される。
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この公園は、
平日は、訪れる人は多くない。
それでも、午後からは学校を終えた近所の子供がてくてく歩いてやって来る。
休日は、サンパウロ市東部の市民達が大挙して訪れる。
2007年10月12日のこどもの日には、過去最高の6万人が訪れたそうだ。
やって来られる方のレベルは、駐車場の車を見るとだいたい想像できる。
車でやって来られる方が、この公園にやって来られる方の中では、もっとも上位に位置する方になるわけである。
また、公園のすぐ近くではないが、そう遠くもないところにファヴェーラがある。
こちらからのかたも、とても多いことは留意して欲しい。
てくてく歩いて、大人数でやって来られている。
もちろん、他の公園と同様に、
どういう訳か人口比率からいっても、日系人は非常に少ない。
サンパウロ市東部には、日系人は割と多いはずなのであるが。
日系人は、いつも目立たないように家に引きこもっているようだ。
1世の教えをこういったところでは守っているわけだ。
情けない。
白人系も少なくはないが、ほとんどは混血系の人である。
公園にやってくる人は、大抵はいい人だと思うので、事件は起きないと思う。
だが、サイトでは外周道では単独行動を避けるように薦めている。
どこにでも、犯罪者はいるとまで書いてある。
他のグループと一緒になるようにしましょうと薦めている。
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この公園は、距離の割には、
マルジナル・チエテそしてロドヴィア・アイルトン・セナを使ってアクセスできるので、到達するのにそれほど時間はかからない。
広大だし、平坦だし、一度は訪れても悪くはない。
サイクリングには本当に向いていると思う。
こういった場所は、サンパウロ市内では他にはない。
ただ、車の騒音が、公園の雰囲気をかなり害しているので、そこのところは覚悟しておいて欲しい。
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チエテ環境公園の東側ゲートを入り、更にロドヴィア・アイルトン・セナ沿いに東に行ったところに、今はまだ一般に公開されてはいないのだが、JICAも関係しているのだが、日本語では、「豊穣の森」という。
これも日本国民の税金から出ているのである。
木がある程度の大きさになったところで、公開されるらしい。
その隣には、市民が植樹できる「市民の森」というところがある。
といっても、一般市民はほとんど誰も知らない。
JICA関係者が、帰国時に植樹して思い出にするためにあるようなところだ。
(この森は、JICAとは関係ないはずだ。)
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10月28日(日)17時から、サンパウロの・パカエンブー競技場で行われた、サッカー・ブラジル選手権の第33節のコリンチャンス対フィグェイレンセ戦を観戦に行った。
続きである。
フィグェイレンセのゴール前。

彼女の名前はBrunaだろう。

PKの1回目は、蹴る前にグスタヴォ・ネリーがペナルティーエリアに侵入したということで、やり直しになった。

PKのやり直しも、やはり入ってしまい、先制されてしまった。

この日のパカエンブー競技場。
※クリックすると拡大する。

そして、今度はコリンチャンスのPK。
FWフィナッツィが蹴る。

決まった。
ボールがネットに突き刺さった。

胸を張って走るフィナッツィ。

観客席に幕が広がった。

前半が終了して、フィナッツィに報道陣が集まった。

インターバルにこのところ毎回行われている余興が行われた。

観客から何人かを選び、白い帯の上を通って、ゴールを決めると何か貰える。

コリンチャンス大好きおばあさんは人気者。
みんな一緒に写真に写りたがる。
もちろん、おばあさんも断ることはない。

正面スタンド席。

いつものビン・ラディン調を発見した。

後半は、コリンチャンスのキックオフで開始。

いつもの有能な球拾いの少年が、帽子を被っていなかった。
眼鏡には気を使っているらしい。

ネルシーニョ・バチスタ監督。

ネルシーニョ・バチスタ監督。

GKフィリッピ。

MFヴァンペッタ。
元ブラジル代表で、40試合に出場している。

MFヴァンペッタ。

左は、左SBグスタヴォ・ネリー。
2006年のはじめ頃まではブラジル代表だった。

踊るコリンチャンス大好きおばあさんの側にビン・ラディン調を発見。

指先にまで力が入るコリンチャンス大好きおばあさん。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ18歳。

フィグェイレンセのアレシャンドレ・ガーロ監督。

いつの間にか、ビン・ラディン調がコリンチャンス大好きおばあさんの隣に移動していた。
神出鬼没な男だ。
ただ、試合は見ているのか。

コリンチャンスが逆転。

こちらも、十字架を振り回して、神様に感謝。

この老婆も、よく来ている。
ポイントは、コリンチャンスのエンブレムが入ってるスカーフを頭に被っていることだ。
コリンチャンス大好きおばあさんと一緒に観戦していることもある。

コリンチャンスの旗も振り始めた。
このあたりで、観客を撮っているテレビカメラを意識したパフォーマンスになっていたが。

ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様も大喜び。

フィグェイレンセのアレシャンドレ・ガーロ監督のところに、女性の審判がやってきた。
監督のエリアから出ていたからだ。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ。

有料入場者は、21,971人だった。

ネルシーニョ・バチスタ監督。
椅子でくつろいでいるのは、Globo局のグラウンド・レポーターである。

FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ。

コリンチャンス大好きおばあさんも、超ご機嫌。

試合は、コリンチャンスが逆転し、2対1で勝利。

この綺麗な女性は、Globo局の観客取材のスタッフ。

Gazeta局の観客席での取材。

右側がコリンチャンスのバスである。

以上。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
正面スタンドの上方の真ん中に貴賓席のスペースがあり、
それを挟んだ両側にはテレビの中継ブースがある。

正面スタンドだけにある庇の下にへばりついているような位置にあり、貴賓席よりはやや位置が高い。
それもそのはず、梯子を登って行かなくてはならない。
Globo局とRecord局のブースがある。


Globo局のブースは、系列のスポーツ専門局のsporTVも使う。
Globo局のブースは、ガラスがない。
冬には、アナウンサー達は厚着をして頑張っている。
このテレビのブースも狭い。

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domingo, 4 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
----------------------------
チエテ環境公園Parque Ecologico do Tieteは、サンパウロSão Paulo市中心部から北東約13キロの、チエテ川Rio Tietêの河川敷の湿地帯Várzeaに位置している。

※クリックすると拡大する。
チエテ環境公園Parque Ecológico do TietêNúcleo Eng. Goulartのエンジネイロ・ゴウラルチ・センターには、ハイキング道、環境教育センターCentro de Educação Ambiental、文化センターCentro Cultural、チエテ資料館Museu do Tietê、図書館Biblioteca、ショー・ステージPalco para Shows、5つの複合コート、17のサッカー場、遊び場、体育施設、キオスク、シュラスコ場、レンタル・ボート、レンタ・サイクルなど、色々な設備がいっぱいである。
チエテ環境公園Parque Ecológico do Tietê-エンジネイロ・ゴウラルチ・センターNúcleo Engenheiro Goulartは、1982年に開園した。
面積は、1400万平方メートル。

※クリックすると拡大する。
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この公園については、
ブラジルのこの種の施設では他に類を見ないくらい詳細な記述のあるサイトが用意されている。
ポルトガル語を理解する人は、そこを見ると、これから先はもう読む必要はない。
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サンパウロ市中心部から、このチエテ環境公園へのアプローチは、次の通り。
マルジナル・チエテを東に進み、そのままロドヴィア・アイルトン・セナ(旧名ロドヴィア・トリャバリャドーレス)にはいる。
途中で、公園を通過するのだが、出口がないのでそのまま通過する。
17km地点ででて、今来た道に沿って南側の道路を、西方向に後戻りするようにすすむ、

※クリックすると拡大する
※※赤い×のところより先に入ってはならない。
左手に、駐車場が3箇所あるのだが、最初の駐車場が東側の入り口に近く、最後の駐車場は規模も大きく、西側の入り口に近い。
真ん中の駐車場は、どちらからも遠い。
この方法が、一般的であるが、
週末は、12km付近から、この測道に入る入り口が一般にも開放される。
これについても紹介しておく。
パルケ・サン・ジョルジのコリンチャンスを過ぎたあたりで、マルジナル・チエテのセンチード・ロカル側に必ず移っておく必要がある。
スーパーのExtraのPenha店を過ぎると、イミグランチ・ノロデスチーニョという名前の陸橋がある。
それを過ぎて最初の角を右折する。ガビリエラ・ミスツラル大通りになる。
そして、次に左折し、バッハ・ド・リオ・ドセ通りに入り、そのまま道なりに進む。
突き当たりを右方向に行くと、土日にだけ一般に開放されるゲートがある。
これだと、7-8キロは経路が短くなる。

※クリックすると拡大する。
帰りは、
駐車場から東方向に進み、ロドヴィア・アイルトン・セナの17キロ地点に入り、
そしてガリューリョス空港道のインターを利用して、戻る方法が、単純であるが、これだとものすごい遠回りになる。 ガソリン代が無駄である。
※※土日にしか開かないゲートは、入るだけで、出ることは出来ない。
西側の駐車場から、ゲートまでは、東行きだけの一方通行となっている。
距離が短い帰路は、次の通り。
西側駐車場の東側のグイル・アーアカンガタラ・クウァチアラ路を南に行く。
すぐに、鉄道の下をくぐる。
そして、最初の信号を右折し、ドトール・アシス・リベイロ路を西に向かう。

※クリックすると拡大する。
※※赤い×より先に入ってはならない。
4-5キロ進んだところで、突き当たりのようになるところで、右折し、再び線路の下をくぐる。
更に、イミグランチ・ノロデスチーニョという名前の陸橋をのぼり、チエテ川を超え、グァリューリョス市域にはいる。
陸橋を降りて、最初の角を右折し、道なりに進む。
このあたりは、石畳の道になっている。
そのまま行くと、マルジナル・チエテに至る。
ドトール・アシス・リベイロ路の南側は、カンガイーバという地区になるのだが、あまり雰囲気のよいところではないので、入り込まない方がよい。

※クリックすると拡大する。
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東側の駐車場から、東側の門までは、150メートルほどある。
ロドヴィア・アイルトン・セナの下をくぐったところがゲートになっている。
西側の駐車場からは、横断歩道橋で、ロドヴィア・アイルトン・セナを越えることになる。
越えたところにゲートがある。
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休日は、この公園を訪問する人はとても多い。
駐車場も満車になるくらいである。
勇気がある人は、
鉄道を使う方法もある。
エンジネイロ・ゴウラルチ駅から、(何事もなければ)歩いて7-8分くらいで、西側の駐車場に行くことが出来る。
平日は、とても人は少ない。
つづく。
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2007年のサッカー・ブラジル選手権も、第35節となり、もう最終節の第38節まで残りはわずかである。
優勝も本当に決まってしまったので、
残りの関心事は、リベルタドーレス杯出場権を得るのはどこかとか、
降格するのはどこかということくらいである。
11月4日(日)17時から、サンパウロのパカエンブー競技場で、コリンチャンス対アツレチコ・パラナエンセ戦が行われる。
サンパウロは、朝も、昨夜半からの雨が止むことなく降り続いていた。
その雨が、14時半頃に止んだ。
止んだと共に、
パカエンブー競技場の周辺が騒がしくなってきた。
15時には、もうクラクションを鳴らして走る車や、大声で唄いながら競技場を目指すファンが、出て来た。
拙宅付近の道路も、車が時々渋滞しはじめた。
こういう時だけ駐車場をやっているところも、早々と車が埋まった。
16時前には、もう競技場の中からの大合唱が続いている。
今日は、いつもより早めに出かけた方がよいかもしれない。
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(コリンチャンスの先発と控え)


(アツレチコ・パラナエンセの先発と控え)


試合は、2対2で引き分けだった。
試合開始直後に、コリンチャンスが先制点を決めて、今日は違うと思わせた。
しかし、後半になって、アツレチコ・パラナエンセになんと逆転されてしまって、「もう駄目だ」とみんなが思った。
だが、試合終了直前に、同点に追いついた。
「20071104TrocadePasses-BA35-Corinthians-AtleticoParanaense.wmv」をダウンロード
勝ったわけでもないのに、観客は狂喜乱舞。
この引き分けで、
コリンチャンスは、16位になり、一応とりあえず降格圏を脱出した。
有料入場者数は、約32千人と発表されたが、そんなにもいなかった気がする。
※※試合映像録画済。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャは、つがいで過ごすことが多い。
地上でも過ごすし、樹上でも過ごす。

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ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
パカエンブー競技場の正面スタンドの上方には「貴賓席」がある。
ホームチーム用とビジター用の2つだけしかない。
奥が、ホームチーム用つまりほとんどの場合にはコリンチャンスの関係者がいることになる。

この廊下だけは、艶のある花崗岩が敷き詰められている。
貴賓席といっても、実際に見てみると、がっかりする。
狭いし、椅子は余りにもちゃち。

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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
大きな通りの両側にも、グラフィッチ(壁絵)が散見される。
建設中の地下鉄イジェノポリス駅付近は、工事のための空き地もあり、グラフィッチ(壁絵)がすぐに描かれてしまった。

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ブラジルは、11月2日(金)の「死者の日」から、ほとんどの人は3連休だ。
事前の天気予報では、南から寒冷前線がやってきているので、残念ながら天気はよくないということであった。
でも、11月2日(金)は、サンパウロは気温も割と高く、午後になって日は陰ってきたが、雨が降ることもなかった。
夜になって、降った。
11月3日(土)。
午前中は、雲が多い天気ながらも晴れていた。
ただ、パカエンブー競技場の前の、シャルレス・ミラー広場のフェイラにいった時には、風がちょっと強かった。

12時過ぎに、
パカエンブー競技場のチケット売り場に、
11月4日(日)17時からのコリンチャンス対アツレチコ・ミネイロ戦のチケットを買いにいった時には、もう曇っていた。

そして、14時頃から、最初のにわか雨が降った。
1時間ほどで、一旦止んで、また晴れてきた。
セントロに出かけたのだが、
16時半頃に、空が真っ暗になって、激しい雨が20分ほど降った。
小降りになったところで、
歩いて拙宅まで戻った。

夜になっても、何度も降ったり止んだりという状態である。
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10月28日(日)17時から、サンパウロの・パカエンブー競技場で行われた、サッカー・ブラジル選手権の第33節のコリンチャンス対フィグェイレンセ戦を観戦に行った。
続きである。
コリンチャンスの選手がグラウンドに出て来た。
先頭は、今一番人気があるGKフィリッピである。

選手が出て来ただけで、もう風船が舞った。

コリンチャンスの控えの選手達と、
ネルシーニョ・バチスタ監督。
ネルシーニョ・バチスタ監督につきまとっている子供がいる。
サインでももらいに来たのか、変わった子供である。

先頭から、エーヴェルトン、ヴァンペッタ、ブルーノ・オッタヴィオ、
そしてネルシーニョ・バチスタ監督。

GKフィリッピに子供がまとわりついて、進みがとても遅かった。

マスコミにたかられて、嬉しそうな表情のネルシーニョ・バチスタ監督。

そして、グラウンドの真ん中で、全員揃って、観客に挨拶。

MFルリーニャ17歳。

記念撮影。
※クリックすると拡大する。

フィグェイレンセの選手が入ってきて、
フィグェイレンセのファンに挨拶。

フィグェイレンセの選手の記念撮影。
※クリックすると拡大する。

フィグェイレンセのアレシャンドレ・ガーロ監督。

ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さん。

左SBグスタヴォ・ネリー。

DFゼロン(奥)
DFファヴィオ・フェヘイラ(手前)

フィグェイレンセのアレシャンドレ・ガーロ監督。

右SBイラン。

試合は、フィグェイレンセのキックオフで始まった。

MFルリーニャ。
割と小柄である。

右SBイラン。

MFカルロス・アルベルト。

FWデンチーニョもしくはブルーノ・ボンフィン18歳。

FWフィナッツィ34歳。

MFルリーニャ。

GKフィリッピ。

DFゼロン。

左SBグスタヴォ・ネリー。

MFモラデイ。

MFルリーニャがコーナーキックのキッカー。

DF誰だっけ。

続く。
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sábado, 3 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
北側ゴール裏席の最上段から、グラウンドを見てみた。
手前ゴール付近の、それもコーナーキックからの選手の動きはよく分かるだろうが、向こう側のゴールになるともう選手なんて霞んで分からないだろう。
夜間の試合は特にそうだ。

かつてトラックだっただろうサッカー場の外側は、今は砂利が敷き詰めてある。
そして、フェンスを隔てた観客席側はアスファルト舗装されている。

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ブラジル通貨の上昇が止まらない。
今年2007年の初めから10月末までで、対米ドルでは18%の上昇である。
8月の米国の住宅金融に端を発した金融危機では、一時的に下落したのだが、その後は元のペースを取り戻すべく一気に急騰に転じている。
単に対米ドルで上昇しているだけではなく、対ユーロでも上昇するようになってきた。
(2007年年初からの米ドル・レアル為替変動)

(2007年年初からのユーロ・レアル為替変動)

ついでに、
レアルの対日本円の為替変動もグラフ化してみた。

わかりやすいように日本円の対レアルの価値変動もグラフ化してみた。
図示している価値はTTBとTTSの中値での価値だが、実際に日本円をブラジルに持ち込んで通常の銀行や両替商で交換すると、おそらく70-72円で1レアル程度しかないはずである。
ブラジルでは、日本円の現金の需要は供給に比べて少ないので、レートは悪い。
ブラジルには、米ドルに交換して持ち込み両替商で交換する方が、円をそのまま持ち込むよりかなり有利である。
その次によいのは、クレジットカードでほとんどの支払いを済ませることである。
T/Cもよいとは言えない。

対米ドルでは、2000年からの最高値になってしまった。
2000年からの、対米ドル、対ユーロ、対日本円、対豪ドル(資源通貨代表)、そしてチリ・ペソとの変動率の推移もグラフにしてみた。

今のところこのレアル上昇が止まるような要因を思いつかない。
原油を筆頭とする資源一般の上昇が続く限り、資源大国ブラジルに入ってくる海外からの資金は増大する一方だからである。
また、米国の金利の低下が止まったことにあわせてか、ずっと下げ続けていたレアルの金利も下げるのを止めた。
レアルの高金利を狙っての海外からの資金もまた流入に拍車をかけている。
もちろん、レアル高で、輸出競争力を失っている産業もある。
また、あまりのレアル高で、貿易黒字にかげりも出て来ている。
さらに、国内経済が好調で雇用が増え、失業者が減っているのはよいことなのだが、それがそのまま賃金の上昇にはつながっていないし、消費の増大にもつながっていないことである。
小麦や肉や乳製品などの基礎食品価格が、ブラジル国内でもインフレを超えて、上昇しているので、国民の多くがそれに属する低所得者層以下は、相変わらず食べるだけでやっとである。
ごく一部しかいない富裕層が、ますます豪華な消費を増やしているのが実態である。
その富裕層の消費が回り回って、庶民への所得分配になるわけでもある。
2014年のワールドカップの開催が決まったことで、今後国内のインフラ整備が始まる。
実需も増える。
企業の業績は良くなり、株価は上昇を続けるだろう。
まだまだ、このレアル高は続くと見ている。
良いか悪いかは別にして、
ブラジルの経済体質を変えていく一つの要因になることになるに違いない。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
鳩の一種であるロリーニャの雛。
巣立ちは済んでいるので、短い羽ではあるが、多少は飛ぶことが出来る。
でも、遠くへ行く力はない。
だから、おとなしく拙宅の駐車場の屋根の上の木の陰に隠れている。

昼間はどこからともなく出て来ても、夕方になるとどこかへ消えてしまう。
そして、数日もすると、もうここには現れることはなくなる。
親鳥にくっついて、拙宅の離れや庭木を飛び移っている。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部から西に延びるコンソラソン大通り。
ちょっとした空き地をふさいでいるレンガ塀も、グラフィッチ(壁絵)で飾られる。
年季が入ったグラフィッチ(壁絵)は、ずいぶんと剥離してきている。

隣のビルの壁にも「落書き」があるが、
どうやって描いたのかと思うような高いところにまで書かれている。
この土地は、売り地である。
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10月28日(日)17時から、サンパウロの・パカエンブー競技場で行われた、サッカー・ブラジル選手権の第33節のコリンチャンス対フィグェイレンセ戦を観戦に行った。
パカエンブー競技場の東側の道路は大渋滞。

さっさと入ればいいのに、結構場外でいつまでもうろうろしている観客も多い。
外で、友達や仲間とビールを飲んで、威勢をあげている。
ビールなどの飲み物を、せっせと売り歩く人たちも大声を上げる。

ダフ屋もいるし、
空き缶の回収を生業としている人も歩き回る。

パカエンブー競技場の正面。

正面入り口から見ると、南側ゴール裏に当たるトボガン席も、観客がかなりはいっていた。

試合中ずっと打ち鳴らされることになる打楽器。
これらも、警察に持ち込みをチェックされる。

パカエンブー競技場の正面にあるシャルレス・ミラー広場。
※クリックすると拡大する。

正面スタンド席のチケット売り場に列が出来ていた。
とても、試合開始までには入場できないような長さであった。

入場口に捨てられているペットボトル。
ペットボトルも、競技場内には持ち込みは出来ない。
でも、このペットボトルもすぐに回収屋がすべて拾っていく。

競技場の正面スタンド席は、もうほとんど埋まっていた。
配られた白い風船を膨らまして、気勢を上げていた。

いつものお席にお座りになっていたガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様は、黒い風船を振り回していた。

向こう正面スタンド席は、白い風船だった。

フィグェイレンセの監督は、FC東京の監督もしたアレシャンドレ・ガーロ。

そして、コリンチャンスの監督は、名古屋グランパスの監督もしたネルシーニョ・バチスタ。

審判に女性がいる。
Globo局系のスポーツ専門局のsporTVのグラウンド・レポーターが早速掴まえていた。

女性審判。
ブラジルサッカー協会の認定審判である。
胸のエンブレムでそれと分かる。

南側ゴール裏席のトボガン席。

選手の入場を待つ子供達の列も出来た。

女性審判は、マスコミの標的になりがちである。

審判団5人が記念撮影。

つづく。
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11月2日(金)は、「死者の日」ということで、ブラジル全体が休日になっている。
カトリックの祭日である。
国にとっては、「万聖節」のほうが、休日になるところも多いのだが、ブラジルは「死者の日」の方だ。
何をするかといえば、墓参りをする日である。
だから、物事に安易な日系人は、この日をもって「お盆」と称し、カトリックではなくても、お墓参りに行く。
日本人の宗教観をよく表していることの一つである。
ユダヤ人だったら、こんな事はしないだろう。
さて、この死者の日になると、
テレビ・ニュースは、各地の墓地の様子を伝えるのだが、
それと共に、サンパウロのローカル・ニュースで必ず現れる映像がある。
あの世界救世教の聖地に信者が集まる映像だ。
今年もまた、Globo局のローカルニュースでは昼も夜も取り扱われた。
日本で、それほど教勢が強いとも思えない世界救世教だが、
ブラジルでは随分と違うようだ。
今年は、2万人が集まったそうだ。
「20071102JNsp-Finados.wmv」をダウンロード
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sexta-feira, 2 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するパカエンブー競技場。
1940年代中期に住宅開発されたパカエンブー地区のシンボルとして建設された。
市に寄付され現在も市営である。
サッカー場だけがあるイメージが強いが、実は複合スポーツ施設である。
1950年開催のサッカーのワールド・カップの会場にもなっているし、1963年開催のパン・アメリカン大会の会場にもなっている。
すでに、歴史的な文化財に指定されていて、外観の変更は出来ない。
コリンチャンスの事実上のホームとして使われているのだが、
その試合のない日のパカエンブー競技場はとても静かである。
パカエンブー競技場の北側に広がるシャルレス・ミラー広場、
シャルレス・ミラーとは、ブラジルに最初にサッカーを伝えたという英国人の名前チャールズ・ミラーから来ているのである。
北側の観客席の最上段からの眺めである。

そのシャルレス・ミラー広場の先、パカエンブーの谷は北へ抜けている。
山並みは、サンパウロ市の北側の境を東西に走るカンタレーラ山脈。

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ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。
1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。
だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。
住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、
サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。
そのイジェノポリス地区において、レストランなどが集まったヴィラ・ボイン広場への入り口になるところで、
子供達が、歩道にあるバンカ(=新聞・雑誌売り場)の隅にしゃがみ込んでいた。
女の子ばかりだった。

そのうち、信号で止まった車に、小さい子はおねだりをした。

そして、大きな子はボールを使って芸を見せた。
もちろん幾ばくかのおひねりをいただくためにだ。

ここを通る車には、午後の学校を終えて、送り迎えをしてもらう同じくらいの年齢の子供も乗っている。
「悲しいくらい」というような平凡な言葉では言い表せない格差が、もうガラス一枚の間にある。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
拙宅の駐車場部分の屋根に、巣立ちしたあとのロリーニャという鳩の一種の雛が二羽いた。
巣立ちはしても、また十分に飛べるわけでもなく、親鳥が時々餌を運んでくる。
それを待って、おとなしく過ごしているのだ。

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サッカー・ブラジル選手権の第34節が、
10月31日(水)と11月1日(木)に行われた。
結果は次の通り。
10月31日(水) 第1日目
試合開始 試合結果 競技場
19h30 Atlético-PR 2 x 0 Grêmio Kyocera Arena
19h30 Figueirense 0 x 2 Fluminense Orlando Scarpelli
20h30 Atlético-MG 0 x 0 Paraná Mineirão
21h45 Goiás 2 x 3 Vasco Serra Dourada
21h45 Náutico 1 x 2 Santos Aflitos
21h45 São Paulo 3 x 0 América-RN Morumbi
21h45 Flamengo 2 x 1 Corinthians Maracanã
「20071031encimadahora-BA34.wmv」をダウンロード
※サンパウロFCが、約7万人が入った地元モルンビー競技場で優勝を決めた。
※コリンチャンスは、先行したが逆転された。
フラメンゴは、3位に上昇し、リベルタドーレス杯出場圏内に入った。
(フラメンゴの先発)

(コリンチャンスの先発)

11月1日(木) 第2日目
試合開始 試合結果 競技場
20h30 Palmeiras 0 x 1 Juventude Palestra Itália
20h30 Botafogo 4 x 1 Cruzeiro Engenhão
20h30 Internacional 0 x 0 Sport Beira-Rio
「20071101GN22-BA34.wmv」をダウンロード
※パルメイラスが地元で、ジュヴェンチューヂ相手によもやの敗戦。
※クルゼイロが勝てなくなった。
とうとうリベルタドーレス杯出場圏内から脱落した。
次節の第35節の予定は次の通り。
11月3日(土) 第1日目
試合開始 試合予定 競技場
18h10 Paraná x Goiás Durival Brito
18h10 Fluminense x Náutico Maracanã
18h10 Grêmio x Figueirense Olímpico
11月4日(日) 第2日目
試合開始 試合予定 競技場
16h Cruzeiro x Flamengo Mineirão
16h Santos x Atlético-MG Vila Belmiro
17h Corinthians x Atlético-PR Pacaembu
18h10 América-RN x Botafogo Machadão
18h10 Sport x Palmeiras Ilha do Retiro
18h10 Vasco x Internacional São Januário
※コリンチャンスは、地元パカエンブー競技場にアツレチコ・パラナエンセを迎える。
※ヴァスコ・ダ・ガマは、地元サン・ジャヌアリオにインテルナシオナウを迎える。
ロマリオの出場は未定。
11月7日(水) 第3日目
試合開始 試合予定 競技場
21h45 Juventude x São Paulo Alfredo Jaconi
(第34節を終了した時点での順位)

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quinta-feira, 1 de novembro de 2007
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部のすぐ南西側に位置するベラ・ヴィスタこそ、グラフィッチ(壁絵)が多い地区である。
グラフィッチ(壁絵)は、どちらかというと「古く」そして「汚い」ところにあるといってよいのだが、ベラ・ヴィスタは正しくそういうところである。
平日は路上駐車が多く、その車の陰に、グラフィッチ(壁絵)が隠れていて見えない。
だが、週末や休日になると、そういった車が減るので、グラフィッチ(壁絵)を発見できることがある。
いつも書いていることだが、
グラフィッチ(壁絵)は本当にろくなところにない。
2枚のグラフィッチ(壁絵)を発見したのは、元は車の修理などをしていたような建物。
今は営業していない。

この家の向かいの家も、なかば廃墟のようだ。
この家に描かれているグラフィッチ(壁絵)も最近気になっている。
伸びた腕のようなものに特徴があり、
結構あちこちにあるのを、最近感じている。

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このところのサンパウロ市は、よく雨が降る。
それも、夏型の雨になった。
朝から、午後にかけては、晴れているのだが、
そのあと入道雲が発達して、夕方から夜にかけて、雷雨になる。
10月31日(水)は、15-16時頃に市内南部で割と強い雨が降った。
11月1日(木)は、18時頃に市内北部から中心部にかけて、強い雨になった。
ブラジルは、11月2日(金)は、カトリックの「死者の日」で休日である。
真面目にお墓参りに行く人もいないではない。
でも、真っ当な家族は、3連休を遊んで過ごすのが、当たり前。
サンパウロを出かける手段とお金がある人たちが、車で100万台もサンパウロを離れるそうだ。
サンパウロの車の2割にあたるから、ものすごい比率である。
すでに、1日(木)の夕方から、ラッシュと重なって、大渋滞が始まっている。
朝の2-3時まで混雑は続くという。
だが、天気予報では、この3連休には、寒冷前線がまたやってきて、気温は下がり、天気はよくないということである。
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ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
市内中心部のすぐ南西側に位置するベラ・ヴィスタこそ、グラフィッチ(壁絵)が多い地区である。
グラフィッチ(壁絵)は、どちらかというと「古く」そして「汚い」ところにあるといってよいのだが、ベラ・ヴィスタは正しくそういうところである。
平日は路上駐車が多く、その車の陰に、グラフィッチ(壁絵)が隠れていて見えない。
だが、週末や休日になると、そういった車が減るので、グラフィッチ(壁絵)を発見できることがある。
いつも通っているところに、グラフィッチ(壁絵)を発見した。
これも、この作家による作品を今までに幾つか見つけたことがあるグラフィッチ(壁絵)である。

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