segunda-feira, dezembro 31, 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その68 カカが隠れている。
FIFAの世界最優秀選手に選ばれたカカKakáは、サンパウロSão Paulo市で新年のフェスタAno Novoを過ごす。
しかし場所は明らかにされていない。
広報担当者はカカは家族の側にいて休みを過ごしていると明言するにとどめている。
記者会見をしたり、居場所を明らかにはしたがらない。
カカKakáが新年を祝うのにキリスト再生伝道者教会Igreja Apostólica Renascer em Cristoの本部の一つで過ごす可能性がある。
しかし、カカの担当者は確認しない。
しかし、彼の家族とそこに現れたとしても、カカは一般から隔離された場所にいることになるだろう。
誰とも接触しない。
ただで放送されるならば、記者会見、写真、マスコミとの接触は無い。
それに、カカは宗教とエステヴァン・エルナンデスEstevam HernandesとソニアSoniaの両宣教師について話すことには同意しない。
キリスト再生伝道師教会の本部では、福音派の信者に伝統的な新年の宗教儀式があるという。
セレモニーは火曜日の22時に始まり、水曜日の未明1時頃まである。
次いで、新年のフェスタReveillonが行われる。
しかし、誰もカカKakáの出席を確認しない。
広報は沢山の人がそこに集まると言うだけである。
カカKakáは福音派の信者で、サンパウロFCでそのキャリアを始めたときから、キリスト再生伝道師教会 Igreja Apostólica Renascer em Cristoに帰依している。
それに、彼の結婚式もエステヴァン・エルナンデスEstevam Hernandes伝道師とその妻のソニアSonia牧師によって執り行われた。
夫妻は、2007年1月9日に米国Estados Unidosの連邦捜査局Federal Bureau of Investigation (FBI)によってマイアミMiamiで身柄を拘束された。
彼らは税関への虚偽申告と、米国に56千ドルをCD入れ、子供のバッグ果ては聖書bíbliaの中にかくして持ち込もうとしたことで訴追された。
エステヴァン・エルナンデス・フィーリョEstevam Hernandes Filhoとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスSônia Haddad Moraes Hernandesは10万米ドルの保釈金を支払って、自由になっている。
しかし、彼らはくるぶしの電子追跡装置を警察によってつけられた。
警察は、24時間2人の伝道師の全ての行動をモニターしている。
ブラジルBrasilでは、彼らはまた資金洗浄、偽思想、偽取引で訴えられている。
連邦警察は、米国Estados Unidos.でのそれとは別に、エステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニアの予備拘置を要求している。
カカKakáは、この件についてコメントするのを拒絶している。
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カカは、今回だけではない、いつも休暇の時には、ブラジル内での行動がほとんど報じられることはない。
プライバシーといえばそれまでだが、
マスコミとしては、相当に不満のはずである。
特に今年は、
FIFAの世界最優秀選手に選ばれたし、
美しい妻のカロリーニ・セリコの懐妊の話題もある。
それになんといっても聞きたいのは、
自らが所属しているこの宗教団体の両トップの事件についてのカカのコメントである。
ある筋によると、カカはエステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニアには心酔しきっており、「陰謀説」をとなえいるらしい。
先日、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァに招待されて、ブラジリアの大統領公邸に美しい妻カロリーニ・セリコと共に行った。

その前に訪れたブラジリア連邦区の知事のところで僅かなインタビューに答えただけで、
大統領訪問の際には代表撮影だけ。
インタビューもなく、公邸を疾風のように去っていった。

この記事を書いた記者には、そういったカカに対する不満がかなり感じられる。
これでも将来を考えて、かなり遠慮したつもりだろう。
ブラジル・サッカー:2007オフ その67 フラメンゴがロナウドの移籍の件を正式に計画。
フラメンゴのファンは活気づくだろう。
15日以内に、フラメンゴFlamengoは、2008年にロナウドRonaldoを選手とするための「ロナウドへのプロジェクト」を発表する。
フラメンゴは、ロナウドFenômenoを来年にはフラメンゴのファンの大きなシンボルとしたがっている。
そのために、フラメンゴは企業の参加を期待している。 フラメンゴのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKléber Leiteによると、フラメンゴはそれに期待を持っている。
「関心を持っている企業はすでに我々のところにやってきた。 ロナウドRonaldoを選手として発表するためのプロジェクトの正式なものとするようにしている」と、クレーベル・レイチKléber Leiteは言った。
ロナウドRonaldoがオファーとミランMilãoからリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの移籍に合意した場合、、フラメンゴはミランMilanから自由になることを期待している。
フラメンゴRubro-Negroの役員は、ロナウドFenômenoが実際に活動しているミランとの直接交渉をする気はない。
「今、これにはいると混乱する」と、クレーベル・レイチは明言した。

別の面からみると、ミランはロナウドを今は放さなくても、フラメンゴは諦めない。
ロナウドとミランの契約が終了する7月に、交渉に戻るだろう。
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ロナウドは、まだまだスポンサーにとっては価値があるとみているのか。
本人は、この頃浮いた話もなく、やや枯れてきた。
グラウンドの内外で、話題の中心になって欲しい。
ブラジル・サッカー:2007オフ その66 サントスが、ダニーロとファボンに関心。
サントスSantosの役員は、DFzagueiroと攻撃的MFmeia ofensivoのそれぞれ1人との契約に奔走している。
守りの部分では、ウクライナUcrâniaに戻るのでもう計画に入っていないレオナルドLeonardoの他に、アダイルトンAdailtonもまた日本に行くので契約を更新していない。
MFでも、ペチコヴィッチPetkovicとペドリーニョPedrinhoは出て行くことになる。
ブラジルのメルカードにはそれほどもうオプションがないので、サントスは日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersで活動しているファボンFabãoとダニーロDaniloでチームを強化するためにその可能性を検討している。
2人は、2005年と2006年のシーズンにサンパウロFCで、可能なタイトル全てをとっていた。
2005年のサンパウロ州選手権のタイトルを獲ったときにサンパウロFCで選手たちと働いたエーメルソン・レオンEmerson Leão監督は、2人との契約を示唆している。
彼らは、2008年のシーズンにサントスSantosの正選手の座を占めるためにやって来ることになる。
エーメルソン・レオン監督がサンパウロFCをさったあと、パウロ・アウツオーリPaulo Autuori監督の時にファボンFabãoとダニーロDaniloはリベルタドーレスLibertadores杯と世界クラブMundial de Clubes杯で優勝したときにいた。
2006年に、ムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督の時に、彼らはブラジル選手権セリエAで優勝した。
サントスの役員は、2009年の終わりまで鹿島アントラーズKashima Antlersとの契約がある2人の元サンパウロFCの選手ファボンFabãoとダニーロDaniloを連れてくるのは簡単ではないことは分かっている。
しかし、選手たちは日本の習慣になれていない。
2007年に日本のタイトルを獲ったにもかかわらず、ブラジルのサッカーに戻りたがっている。
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サントスのエーメルソン・レオン監督と鹿島アントラーズのオズワルド・ヂ・オリヴェイラ監督は、かなりの友人であるということが、大きな意味を持っている気がする。
よく知らないが、鹿島アントラーズのファンにとっては、2人のうち1人は、願ったりかなったりという移籍話のはずだ。
「初夢」にピッタリか。
ブラジル・サッカー:2007オフ その65 アドリアーノが交通事故。
インテル・ミランInternazionale de Milãoからレンタルされて2008年はサンパウロFCで活動するFWアドリアーノAdrianoが、12月30日未明にリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro西部Zona Oesteのレクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos Bandeirantesで交通事故を起こした。
警察によると、アドリアーノはセルナンベチーバ大通りAvenida Sernambetibaで彼の黒のAudi TTのコントロールを失い、中央分離帯にぶつかったあと、更に3台の車に接触した。
誰も怪我をしなかった。

サンパウロFCにとって来期の最大の契約となったアドリアーノAdrianoはブラジルBrasilに戻ってから論議を生んでいる。
アドリアーノは、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroでのフェスタで手にビール缶を持っているところを、写真に撮られている。
休暇中ということで、サンパウロFCの役員はいかなる処分もしていない。
ただ、プレ・シーズンのために集合したあとは状況は変わるといった。
この何日かで、アドリアーノがよい時を過ごしたのは、12月27日(水)にマラカナ競技場で行われたジーコZicoの「スターのサッカー試合Jogo das Estrelas」で2ゴールを決めたときであった。
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おそらく酔っぱらい運転だったのだろう。
アドリアーノの精神的未熟さをまた見せることになったエピソードである。
サンパウロFCも、これには何らかの態度をとるかもしれない。
怪我がなかったから良かったということはない。
ブラジル・サンパウロは「夏」2007-2008 その3 3番目に暑かった。
12月30日(日)は、サンパウロSão Pauloは、この一年で3番目に暑い日だった。
週末のサンパウロSão Paulo市は、サンパウロ市役所の緊急管理センターCGE (Centro de Gerenciamento de Emergências), da prefeituraの測定によると、この一年で3番目に暑い日を記録した。
15時20分に、サンパウロ市の北部ジャサナンJaçanã観測所で、温度計は35.6度にまで達した。
約24時間ほど前に、ここジャサナンJaçanãで、2007年で最も高い36.3度を記録していた。
市役所の緊急管理センターの測定によると、2番目に暑い日は、10月29日で、サンパウロSão Paulo市東部のサン・ミグェルSão Miguelで、温度計は36.1度を記録した。
朝まで、気温は高いままに違いない。
夕方か、新年Réveillonのフェスタが行われるパウリスタ大通りavenida Paulistaで新年を迎える、夜には雨になる。
2008年は、気温が下がって始まるに違いない。
それでもまだとても暑い。
1月1日には、温度計は31度に達するに違いない。
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記録の上からも暑かったのだ。
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その6 ヤマンドゥ・コスタ 6。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
すっかり、2人の演奏に聴き入り、そして超絶技巧に魅入ってしまった。

ただ、ブラジルの観衆の拍手のタイミングはちょっと早い。
演奏が終わるやいなやなので、
時には終わりきっていないのに、拍手になることもある。
一呼吸おいて欲しいと思いながら拍手をしていた。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話を使って動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu6.WAV」をダウンロード
「spd20071203yamandu7.WAV」をダウンロード
このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナは、コンサートに向かう20時頃であれば、拙宅から車で5-10分である。
とても便利がよいので、頻繁に利用させて貰っている。
サッカー・ブラジル代表 2010年W杯南米予選 その29 対ウルグアイ戦 観戦1。
11月21日(水)21時45分から、サンパウロのモルンビー競技場で行われた、
2010年ワールドカップの南米予選のブラジル代表対ウルグアイ代表戦を観戦に行った。
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試合開始の3時間以上も前に拙宅を出て、競技場付近からは裏道を駆使して、何とか試合開始1時間前に競技場に到着することが出来た。

観客が続々とやってくる。
黄色が目立つのは、ブラジル代表の試合だからだ。

Globo局系のスポーツ専門局のsporTV局の放送ブースがあった。

試合開始40分前に、ブラジル代表がウォーミングアップに現れた。
もちろん大盛り上がりである。

左が、正GKのジュリオ・セーザル(インテル・ミラン所属)。
そして右が控えのドーニ(ローマ所属)。
米州杯では、ジュリオ・セーザルがケガだったこともあり、
ドーニが正GKであった。

一番左はカカ、隣はロビーニョ。
一番右は、ロナウヂーニョである。

最後にストレッチをやっていた。
この人たちの年収を考えるだけでも恐ろしい。
※クリックすると拡大する。

ウルグアイ代表もウォーミングアップに入ってきた。
ウルグアイの応援席に向かって挨拶をした。
もちろん競技場全体からはブーイングである。
でも、クラブの試合ではないので、殺気はない。

この日のモルンビ競技場。
観客席が楕円形をしているので、正面スタンドでも、グラウンドは近くない。
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ウォーミングを終えたブラジル代表。
一番右はボランチのミネイロ。
その隣はDFフアン。

ブラジル代表が、正面スタンド側に近づいた。
そして、ロッカールームに戻った。

試合開始前10分頃に、出場メンバーに入っていない選手や控えの選手が入ってきた。
一番右は、ジュリオ・バチスタ。
隣は、サントスのクレーベル。

左は、この試合では出場停止中のDFルーシオ。
更に、ダニエル・アルヴェスに、ヂエゴ。

左が代表チームの医師のルイス・ルンコ。
フラメンゴの医師である。
靱帯切断の復元手術は得意。
ニウマールの手術も行った。

ウルグアイの旗を持ってきた子供たち。
何となくだらけている。
本当は、ブラジルの国旗を持っていたかったはずだ。

左から、
GKジュリオ・セーザル、MFカカ、FWロビーニョ、MFロナウヂーニョ。

左から
カカ、ロビーニョ、ロナウヂーニョ。
本物だ。
カカは、何故かずっとあのように遠くを見ていた。
将来は、貴乃花親方みたいにならないか心配だ。
※クリックすると拡大する。

左から、
DFフアン、ジュリオ・セーザル、カカ、ロビーニョ、ロナウヂーニョ。
※クリックすると拡大する。

左から、
DFアレックス、ジウベルト、FWルイス・ファビアーノ、ミネイロ、フアン、ジュリオ・セーザル、カカ。
この顔ぶれでも十分にすごい。
※クリックすると拡大する。

左から、
ジウベルト・シウヴァ、マイコン、アレックス、ジウベルト、ルイス・ファビアーノ。
この顔ぶれでも、一流だ。

左から、
DFフアン、ジュリオ・セーザル、カカ、ロビーニョ、ロナウヂーニョ。
※クリックすると拡大する。

左から、
DFアレックス、ジウベルト、FWルイス・ファビアーノ、ミネイロ、フアン。

ブラジル代表の記念撮影。
122番のカメラマンが邪魔。
一人だけ高い脚立を持っていたのだ。
※クリックすると拡大する。

両チームのキャプテンと審判の記念撮影。
ウルグアイ代表のルガーノは、元サンパウロFCで、
今はトルコのフェネルバシェに所属している。
言うまでもなく、ジーコ監督のチームだ。
※クリックすると拡大する。

つづく。
ブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー その5 メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ 3。
12月15日に100歳を迎えたブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー。
サンパウロにも、彼の作品が少なからずある。
サンパウロ市の西部バッハ・フンダ複合駅の横にあるのが、敷地面積約85千平米のメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da America Latinaである。
※※「地球の歩き方」には「ラテンアメリカ記念公園」として紹介されているが、公園ではない。
1989年に、オスカー・ニエマイヤーによる全体設計で建設された、複合文化施設である。
ラテンアメリカの文化芸術の発信センターという位置づけである。
建物は、オスカー・ニエマイヤーによる設計で、いかにも彼らしく曲線で形作られているが、どれもこれもいつも開館しているわけではなく、中に入りづらい。
ここにある施設は、次の通りである。
シモン・ボリヴァール公会堂。
市民広場。
マルタ・ツゥラバ・ギャラリー。
ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館。
ダルシー・リベイロ・クリアチヴィダーヂ・パビリオン。
チラデンテス行動サロン。
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北側の敷地にあるシモン・ボリヴァール公会堂は、諸施設の中では、図書館と並んで、一般に利用されている施設ではないだろうか。
週に3-4階はコンサートが開催されている。
週日には夜20時30分もしくは21時開演で、
週末には夜もしくは昼に開催されている。
面白い構造になっていて、ステージを挟んで、両側に観客席が広がっている。
ただ、まだその構造を生かした催し物をみたことはない。
普通は、片側を使ってのコンサートが行われている。
この建物は、オスカー・ニエマイヤーの作品らしさをいかにもといった感じで見せている。
その入り口の右側に、入場券販売所がある。
バールがあるので、軽食をとることが出来る。
観客席には、その飲食物は持ち込めない。

尚、このシモン・ボリヴァール公会堂の裏側には、
ブラジル外務省サンパウロ事務所がある。
一般の人には、あまり関係ないことである。

ブラジル・サンパウロのマリア・アントニアの美術展。
ブラジル・サンパウロの歴史的中心部セントロの西側にヴィラ・ブアルキ地区がある。
そこに、マリア・アントニア通りが走っている。
コンソラソン通りから、最高級アパート街のイジエノポリス地区に繋がる一方通行の道である。
マッケンジー大学のレンガ塀が始まるあたり、道を隔てた反対側にマリア・アントニア大学センターがある。
古い建物で、長らく閉鎖されていたのだが、改修されて、今年になって開館した。
サンパウロ大学の施設である。

そこで、今、美術展が開催されている。
5人の作家による絵画、写真、映像、デザインの作品が展示されている。

無料である。
1月6日まで、12時から21時まで開催されている。
なかなか良い感じだった。
お勧めである。
都合の付く方は、のぞかれると良い。
駐車場はないが、マリア・アントニア通りにはある。
比較的安全な地区である。
domingo, dezembro 30, 2007
ブラジル・サンパウロは「夏」2007-2008 その2 猛暑。
ブラジル・サンパウロは、猛暑。
12月28日(金)から、連日30度を軽く超えて34-35度までになっている。
夜になっても気温は下がらず、熱帯夜になっている。
標高約800メートルの高原都市サンパウロでは、考えられない暑さである。
大体いつもは夜になると急に気温が下がり、窓を閉めて、布団がけで寝ないと、絶対に風邪を引くようなところあるが、この3日間は違う。
とうとう30日(日)の朝には、寝汗いっぱいで、寝ていられなくて、睡眠時間3時間余で起きてしまった。
日曜日ということもあるだろうが、もう市内を走る車はもう本当に少ない。
市内を走る車の約2割が、休暇や帰省でいなくなっていることもあるだろう。
パカエンブー大通りを北に向かっていたら、Globo局の車が走っていた。

車は3台で、バイクが2台。
31日(月)の午後に行われる恒例のショートマラソン大会のサン・シルヴェストレの伴走実況車の予行練習をしていたのだ。
コースを実際に走っていたわけである。
さらに、クルゼイロ・ド・スル大通りを北に向かっていたら、
あまりに荷物を積み過ぎた「フスカ(=フォルクスワーゲンの通称カブトムシ)」を見つけた。
丸っこい屋根のはずなのだが、どうやって荷物を動かなくしているのか。
それもこれも、交通量が少ないから、出来ることである。

どことなく年末のようでもあるサンパウロである。
ただ、「師走」といった気ぜわしさはない。
そういった狂騒状態はナタウ(=クリスマス)前までである。
ブラジル・サンパウロのナタウ2007 その12 1月6日まで。
ナタウ(=クリスマス)は12月25日だった。
日本の店舗であれば、25日の夜にはクリスマスの飾りは取り外され、翌日には年末そして正月の飾りに切り替わるのだろうが、ここではそうではない。
ナタウの飾りは、1月6日までは大方が残っている。
(一部は1月4日まで。)
だから、イビラプエラ公園の巨大ツリーもまだ煌々と輝いている。

その近くにあるバンデイランチスの像にも、多くの人が流れて、それぞれ思い思いに過ごしている。
写真を撮る人たちが本当に増えた。

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パウリスタ大通りにある道路やそれぞれの建物を飾るイルミネーションも同様だ。

サンパウロ州工業連盟FIESPも、その建物の形状をツリーに見立てているのだ。

レアル銀行。
※ここは1月4日まで。

2007年のブラジル・サンパウロは景気が良かったこともあり、本当に明るい年末になった。
ブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー その4 メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ 2。
12月15日に100歳を迎えたブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー。
サンパウロにも、彼の作品が少なからずある。
サンパウロ市の西部バッハ・フンダ複合駅の横にあるのが、敷地面積約85千平米のメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da America Latinaである。
※※「地球の歩き方」には「ラテンアメリカ記念公園」として紹介されているが、公園ではない。
1989年に、オスカー・ニエマイヤーによる全体設計で建設された、複合文化施設である。
ラテンアメリカの文化芸術の発信センターという位置づけである。
建物は、オスカー・ニエマイヤーによる設計で、いかにも彼らしく曲線で形作られているが、どれもこれもいつも開館しているわけではなく、中に入りづらい。
ここにある施設は、次の通りである。
シモン・ボリヴァール公会堂。
市民広場。
マルタ・ツゥラバ・ギャラリー。
ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館。
ダルシー・リベイロ・クリアチヴィダーヂ・パビリオン。
チラデンテス行動サロン。
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このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナの敷地は、南北に分かれているのだが、まず南側の敷地にある建物を紹介してゆく。
市民広場は、各建物の真ん中にあって、普通は通路のようなところである。
時たま、それも週末には、子供向けのイベントが行われていることがある。
立派な仮設のテントが張られて、若者向け音楽のイベントがあることもある。

ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館には、開架図書館、インターネット・コーナー、多目的スペース、展示スペースなどがある。

開架図書館では、ラテン・アメリカ各国からの書籍が多く約3万冊が集められている。
映像資料も約1700本がある。
面白い発見があるので、興味のある方は一度覗いてみると良い。
またここでは、雑誌や書籍の発行も行っているが、そういったものとともに、DVDやオリジナル・グッズの販売コーナーもある。

インターネット・コーナーには、10数台のパソコンがあって、自宅での接続環境に恵まれない学生などで、大抵埋まっている。
多目的スペースでは、たとえば12月には、ウッディー・アレンの作品10数本を、一日2本づつ公開していた。
展示スペースでは、2007年4月には、この図書館棟の設計図面が展示されていた。
つまり、オスカー・ニエマーヤーの図面である。

12月には、いまさらという感もあるが、エルネスト・チェ・ゲバラほか、各国の抵抗運動のポスター展示が行われていた。

チラデンテス行動サロンは、入り口部分迄は一般の人でも立ち入れる。

正面に、カンヂード・ポルチナリによる横18メートル、高さ3メートルのチラデンテスの絵が飾ってある。

左右には、それぞれ高さ15メートルのカリベとポチーによるコンクリート製のパネル6枚が立っている。
ラテンアメリカに現れた色々な人たちがそこに刻まれている。

マルタ・ツラーバ・ギャラリーは、企画展が開催されるスペースであるが、12月は、オスカー・ニエマイエルをほめたたえる美術作品展が開催されている。
10分もあれば、十分な内容だ。 無料である。

つづく。
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その5 ヤマンドゥ・コスタ 5。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
2人の話はあまり多くなく、
どんどんと演奏をしていったショーであった。

このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話の動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu5.WAV」をダウンロード
つづく。































































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