segunda-feira, 31 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その68 カカが隠れている。
FIFAの世界最優秀選手に選ばれたカカKakáは、サンパウロSão Paulo市で新年のフェスタAno Novoを過ごす。
しかし場所は明らかにされていない。
広報担当者はカカは家族の側にいて休みを過ごしていると明言するにとどめている。
記者会見をしたり、居場所を明らかにはしたがらない。
カカKakáが新年を祝うのにキリスト再生伝道者教会Igreja Apostólica Renascer em Cristoの本部の一つで過ごす可能性がある。
しかし、カカの担当者は確認しない。
しかし、彼の家族とそこに現れたとしても、カカは一般から隔離された場所にいることになるだろう。
誰とも接触しない。
ただで放送されるならば、記者会見、写真、マスコミとの接触は無い。
それに、カカは宗教とエステヴァン・エルナンデスEstevam HernandesとソニアSoniaの両宣教師について話すことには同意しない。
キリスト再生伝道師教会の本部では、福音派の信者に伝統的な新年の宗教儀式があるという。
セレモニーは火曜日の22時に始まり、水曜日の未明1時頃まである。
次いで、新年のフェスタReveillonが行われる。
しかし、誰もカカKakáの出席を確認しない。
広報は沢山の人がそこに集まると言うだけである。
カカKakáは福音派の信者で、サンパウロFCでそのキャリアを始めたときから、キリスト再生伝道師教会 Igreja Apostólica Renascer em Cristoに帰依している。
それに、彼の結婚式もエステヴァン・エルナンデスEstevam Hernandes伝道師とその妻のソニアSonia牧師によって執り行われた。
夫妻は、2007年1月9日に米国Estados Unidosの連邦捜査局Federal Bureau of Investigation (FBI)によってマイアミMiamiで身柄を拘束された。
彼らは税関への虚偽申告と、米国に56千ドルをCD入れ、子供のバッグ果ては聖書bíbliaの中にかくして持ち込もうとしたことで訴追された。
エステヴァン・エルナンデス・フィーリョEstevam Hernandes Filhoとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスSônia Haddad Moraes Hernandesは10万米ドルの保釈金を支払って、自由になっている。
しかし、彼らはくるぶしの電子追跡装置を警察によってつけられた。
警察は、24時間2人の伝道師の全ての行動をモニターしている。
ブラジルBrasilでは、彼らはまた資金洗浄、偽思想、偽取引で訴えられている。
連邦警察は、米国Estados Unidos.でのそれとは別に、エステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニアの予備拘置を要求している。
カカKakáは、この件についてコメントするのを拒絶している。
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カカは、今回だけではない、いつも休暇の時には、ブラジル内での行動がほとんど報じられることはない。
プライバシーといえばそれまでだが、
マスコミとしては、相当に不満のはずである。
特に今年は、
FIFAの世界最優秀選手に選ばれたし、
美しい妻のカロリーニ・セリコの懐妊の話題もある。
それになんといっても聞きたいのは、
自らが所属しているこの宗教団体の両トップの事件についてのカカのコメントである。
ある筋によると、カカはエステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニアには心酔しきっており、「陰謀説」をとなえいるらしい。
先日、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァに招待されて、ブラジリアの大統領公邸に美しい妻カロリーニ・セリコと共に行った。
その前に訪れたブラジリア連邦区の知事のところで僅かなインタビューに答えただけで、
大統領訪問の際には代表撮影だけ。
インタビューもなく、公邸を疾風のように去っていった。
この記事を書いた記者には、そういったカカに対する不満がかなり感じられる。
これでも将来を考えて、かなり遠慮したつもりだろう。
ブラジル・サッカー:2007オフ その67 フラメンゴがロナウドの移籍の件を正式に計画。
フラメンゴのファンは活気づくだろう。
15日以内に、フラメンゴFlamengoは、2008年にロナウドRonaldoを選手とするための「ロナウドへのプロジェクト」を発表する。
フラメンゴは、ロナウドFenômenoを来年にはフラメンゴのファンの大きなシンボルとしたがっている。
そのために、フラメンゴは企業の参加を期待している。 フラメンゴのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKléber Leiteによると、フラメンゴはそれに期待を持っている。
「関心を持っている企業はすでに我々のところにやってきた。 ロナウドRonaldoを選手として発表するためのプロジェクトの正式なものとするようにしている」と、クレーベル・レイチKléber Leiteは言った。
ロナウドRonaldoがオファーとミランMilãoからリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの移籍に合意した場合、、フラメンゴはミランMilanから自由になることを期待している。
フラメンゴRubro-Negroの役員は、ロナウドFenômenoが実際に活動しているミランとの直接交渉をする気はない。
「今、これにはいると混乱する」と、クレーベル・レイチは明言した。
別の面からみると、ミランはロナウドを今は放さなくても、フラメンゴは諦めない。
ロナウドとミランの契約が終了する7月に、交渉に戻るだろう。
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ロナウドは、まだまだスポンサーにとっては価値があるとみているのか。
本人は、この頃浮いた話もなく、やや枯れてきた。
グラウンドの内外で、話題の中心になって欲しい。
ブラジル・サッカー:2007オフ その66 サントスが、ダニーロとファボンに関心。
サントスSantosの役員は、DFzagueiroと攻撃的MFmeia ofensivoのそれぞれ1人との契約に奔走している。
守りの部分では、ウクライナUcrâniaに戻るのでもう計画に入っていないレオナルドLeonardoの他に、アダイルトンAdailtonもまた日本に行くので契約を更新していない。
MFでも、ペチコヴィッチPetkovicとペドリーニョPedrinhoは出て行くことになる。
ブラジルのメルカードにはそれほどもうオプションがないので、サントスは日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersで活動しているファボンFabãoとダニーロDaniloでチームを強化するためにその可能性を検討している。
2人は、2005年と2006年のシーズンにサンパウロFCで、可能なタイトル全てをとっていた。
2005年のサンパウロ州選手権のタイトルを獲ったときにサンパウロFCで選手たちと働いたエーメルソン・レオンEmerson Leão監督は、2人との契約を示唆している。
彼らは、2008年のシーズンにサントスSantosの正選手の座を占めるためにやって来ることになる。
エーメルソン・レオン監督がサンパウロFCをさったあと、パウロ・アウツオーリPaulo Autuori監督の時にファボンFabãoとダニーロDaniloはリベルタドーレスLibertadores杯と世界クラブMundial de Clubes杯で優勝したときにいた。
2006年に、ムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督の時に、彼らはブラジル選手権セリエAで優勝した。
サントスの役員は、2009年の終わりまで鹿島アントラーズKashima Antlersとの契約がある2人の元サンパウロFCの選手ファボンFabãoとダニーロDaniloを連れてくるのは簡単ではないことは分かっている。
しかし、選手たちは日本の習慣になれていない。
2007年に日本のタイトルを獲ったにもかかわらず、ブラジルのサッカーに戻りたがっている。
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サントスのエーメルソン・レオン監督と鹿島アントラーズのオズワルド・ヂ・オリヴェイラ監督は、かなりの友人であるということが、大きな意味を持っている気がする。
よく知らないが、鹿島アントラーズのファンにとっては、2人のうち1人は、願ったりかなったりという移籍話のはずだ。
「初夢」にピッタリか。
ブラジル・サッカー:2007オフ その65 アドリアーノが交通事故。
インテル・ミランInternazionale de Milãoからレンタルされて2008年はサンパウロFCで活動するFWアドリアーノAdrianoが、12月30日未明にリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro西部Zona Oesteのレクレイオ・ドス・バンデイランテスRecreio dos Bandeirantesで交通事故を起こした。
警察によると、アドリアーノはセルナンベチーバ大通りAvenida Sernambetibaで彼の黒のAudi TTのコントロールを失い、中央分離帯にぶつかったあと、更に3台の車に接触した。
誰も怪我をしなかった。
サンパウロFCにとって来期の最大の契約となったアドリアーノAdrianoはブラジルBrasilに戻ってから論議を生んでいる。
アドリアーノは、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroでのフェスタで手にビール缶を持っているところを、写真に撮られている。
休暇中ということで、サンパウロFCの役員はいかなる処分もしていない。
ただ、プレ・シーズンのために集合したあとは状況は変わるといった。
この何日かで、アドリアーノがよい時を過ごしたのは、12月27日(水)にマラカナ競技場で行われたジーコZicoの「スターのサッカー試合Jogo das Estrelas」で2ゴールを決めたときであった。
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おそらく酔っぱらい運転だったのだろう。
アドリアーノの精神的未熟さをまた見せることになったエピソードである。
サンパウロFCも、これには何らかの態度をとるかもしれない。
怪我がなかったから良かったということはない。
ブラジル・サンパウロは「夏」2007-2008 その3 3番目に暑かった。
12月30日(日)は、サンパウロSão Pauloは、この一年で3番目に暑い日だった。
週末のサンパウロSão Paulo市は、サンパウロ市役所の緊急管理センターCGE (Centro de Gerenciamento de Emergências), da prefeituraの測定によると、この一年で3番目に暑い日を記録した。
15時20分に、サンパウロ市の北部ジャサナンJaçanã観測所で、温度計は35.6度にまで達した。
約24時間ほど前に、ここジャサナンJaçanãで、2007年で最も高い36.3度を記録していた。
市役所の緊急管理センターの測定によると、2番目に暑い日は、10月29日で、サンパウロSão Paulo市東部のサン・ミグェルSão Miguelで、温度計は36.1度を記録した。
朝まで、気温は高いままに違いない。
夕方か、新年Réveillonのフェスタが行われるパウリスタ大通りavenida Paulistaで新年を迎える、夜には雨になる。
2008年は、気温が下がって始まるに違いない。
それでもまだとても暑い。
1月1日には、温度計は31度に達するに違いない。
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記録の上からも暑かったのだ。
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その6 ヤマンドゥ・コスタ 6。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
すっかり、2人の演奏に聴き入り、そして超絶技巧に魅入ってしまった。
ただ、ブラジルの観衆の拍手のタイミングはちょっと早い。
演奏が終わるやいなやなので、
時には終わりきっていないのに、拍手になることもある。
一呼吸おいて欲しいと思いながら拍手をしていた。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話を使って動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu6.WAV」をダウンロード
「spd20071203yamandu7.WAV」をダウンロード
このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナは、コンサートに向かう20時頃であれば、拙宅から車で5-10分である。
とても便利がよいので、頻繁に利用させて貰っている。
サッカー・ブラジル代表 2010年W杯南米予選 その29 対ウルグアイ戦 観戦1。
11月21日(水)21時45分から、サンパウロのモルンビー競技場で行われた、
2010年ワールドカップの南米予選のブラジル代表対ウルグアイ代表戦を観戦に行った。
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試合開始の3時間以上も前に拙宅を出て、競技場付近からは裏道を駆使して、何とか試合開始1時間前に競技場に到着することが出来た。
観客が続々とやってくる。
黄色が目立つのは、ブラジル代表の試合だからだ。
Globo局系のスポーツ専門局のsporTV局の放送ブースがあった。
試合開始40分前に、ブラジル代表がウォーミングアップに現れた。
もちろん大盛り上がりである。
左が、正GKのジュリオ・セーザル(インテル・ミラン所属)。
そして右が控えのドーニ(ローマ所属)。
米州杯では、ジュリオ・セーザルがケガだったこともあり、
ドーニが正GKであった。
一番左はカカ、隣はロビーニョ。
一番右は、ロナウヂーニョである。
最後にストレッチをやっていた。
この人たちの年収を考えるだけでも恐ろしい。
※クリックすると拡大する。
ウルグアイ代表もウォーミングアップに入ってきた。
ウルグアイの応援席に向かって挨拶をした。
もちろん競技場全体からはブーイングである。
でも、クラブの試合ではないので、殺気はない。
この日のモルンビ競技場。
観客席が楕円形をしているので、正面スタンドでも、グラウンドは近くない。
※クリックすると拡大する。
ウォーミングを終えたブラジル代表。
一番右はボランチのミネイロ。
その隣はDFフアン。
ブラジル代表が、正面スタンド側に近づいた。
そして、ロッカールームに戻った。
試合開始前10分頃に、出場メンバーに入っていない選手や控えの選手が入ってきた。
一番右は、ジュリオ・バチスタ。
隣は、サントスのクレーベル。
左は、この試合では出場停止中のDFルーシオ。
更に、ダニエル・アルヴェスに、ヂエゴ。
左が代表チームの医師のルイス・ルンコ。
フラメンゴの医師である。
靱帯切断の復元手術は得意。
ニウマールの手術も行った。
ウルグアイの旗を持ってきた子供たち。
何となくだらけている。
本当は、ブラジルの国旗を持っていたかったはずだ。
左から、
GKジュリオ・セーザル、MFカカ、FWロビーニョ、MFロナウヂーニョ。
左から
カカ、ロビーニョ、ロナウヂーニョ。
本物だ。
カカは、何故かずっとあのように遠くを見ていた。
将来は、貴乃花親方みたいにならないか心配だ。
※クリックすると拡大する。
左から、
DFフアン、ジュリオ・セーザル、カカ、ロビーニョ、ロナウヂーニョ。
※クリックすると拡大する。
左から、
DFアレックス、ジウベルト、FWルイス・ファビアーノ、ミネイロ、フアン、ジュリオ・セーザル、カカ。
この顔ぶれでも十分にすごい。
※クリックすると拡大する。
左から、
ジウベルト・シウヴァ、マイコン、アレックス、ジウベルト、ルイス・ファビアーノ。
この顔ぶれでも、一流だ。
左から、
DFフアン、ジュリオ・セーザル、カカ、ロビーニョ、ロナウヂーニョ。
※クリックすると拡大する。
左から、
DFアレックス、ジウベルト、FWルイス・ファビアーノ、ミネイロ、フアン。
ブラジル代表の記念撮影。
122番のカメラマンが邪魔。
一人だけ高い脚立を持っていたのだ。
※クリックすると拡大する。
両チームのキャプテンと審判の記念撮影。
ウルグアイ代表のルガーノは、元サンパウロFCで、
今はトルコのフェネルバシェに所属している。
言うまでもなく、ジーコ監督のチームだ。
※クリックすると拡大する。
つづく。
ブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー その5 メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ 3。
12月15日に100歳を迎えたブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー。
サンパウロにも、彼の作品が少なからずある。
サンパウロ市の西部バッハ・フンダ複合駅の横にあるのが、敷地面積約85千平米のメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da America Latinaである。
※※「地球の歩き方」には「ラテンアメリカ記念公園」として紹介されているが、公園ではない。
1989年に、オスカー・ニエマイヤーによる全体設計で建設された、複合文化施設である。
ラテンアメリカの文化芸術の発信センターという位置づけである。
建物は、オスカー・ニエマイヤーによる設計で、いかにも彼らしく曲線で形作られているが、どれもこれもいつも開館しているわけではなく、中に入りづらい。
ここにある施設は、次の通りである。
シモン・ボリヴァール公会堂。
市民広場。
マルタ・ツゥラバ・ギャラリー。
ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館。
ダルシー・リベイロ・クリアチヴィダーヂ・パビリオン。
チラデンテス行動サロン。
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北側の敷地にあるシモン・ボリヴァール公会堂は、諸施設の中では、図書館と並んで、一般に利用されている施設ではないだろうか。
週に3-4階はコンサートが開催されている。
週日には夜20時30分もしくは21時開演で、
週末には夜もしくは昼に開催されている。
面白い構造になっていて、ステージを挟んで、両側に観客席が広がっている。
ただ、まだその構造を生かした催し物をみたことはない。
普通は、片側を使ってのコンサートが行われている。
この建物は、オスカー・ニエマイヤーの作品らしさをいかにもといった感じで見せている。
その入り口の右側に、入場券販売所がある。
バールがあるので、軽食をとることが出来る。
観客席には、その飲食物は持ち込めない。
尚、このシモン・ボリヴァール公会堂の裏側には、
ブラジル外務省サンパウロ事務所がある。
一般の人には、あまり関係ないことである。
ブラジル・サンパウロのマリア・アントニアの美術展。
ブラジル・サンパウロの歴史的中心部セントロの西側にヴィラ・ブアルキ地区がある。
そこに、マリア・アントニア通りが走っている。
コンソラソン通りから、最高級アパート街のイジエノポリス地区に繋がる一方通行の道である。
マッケンジー大学のレンガ塀が始まるあたり、道を隔てた反対側にマリア・アントニア大学センターがある。
古い建物で、長らく閉鎖されていたのだが、改修されて、今年になって開館した。
サンパウロ大学の施設である。
そこで、今、美術展が開催されている。
5人の作家による絵画、写真、映像、デザインの作品が展示されている。
無料である。
1月6日まで、12時から21時まで開催されている。
なかなか良い感じだった。
お勧めである。
都合の付く方は、のぞかれると良い。
駐車場はないが、マリア・アントニア通りにはある。
比較的安全な地区である。
domingo, 30 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロは「夏」2007-2008 その2 猛暑。
ブラジル・サンパウロは、猛暑。
12月28日(金)から、連日30度を軽く超えて34-35度までになっている。
夜になっても気温は下がらず、熱帯夜になっている。
標高約800メートルの高原都市サンパウロでは、考えられない暑さである。
大体いつもは夜になると急に気温が下がり、窓を閉めて、布団がけで寝ないと、絶対に風邪を引くようなところあるが、この3日間は違う。
とうとう30日(日)の朝には、寝汗いっぱいで、寝ていられなくて、睡眠時間3時間余で起きてしまった。
日曜日ということもあるだろうが、もう市内を走る車はもう本当に少ない。
市内を走る車の約2割が、休暇や帰省でいなくなっていることもあるだろう。
パカエンブー大通りを北に向かっていたら、Globo局の車が走っていた。
車は3台で、バイクが2台。
31日(月)の午後に行われる恒例のショートマラソン大会のサン・シルヴェストレの伴走実況車の予行練習をしていたのだ。
コースを実際に走っていたわけである。
さらに、クルゼイロ・ド・スル大通りを北に向かっていたら、
あまりに荷物を積み過ぎた「フスカ(=フォルクスワーゲンの通称カブトムシ)」を見つけた。
丸っこい屋根のはずなのだが、どうやって荷物を動かなくしているのか。
それもこれも、交通量が少ないから、出来ることである。
どことなく年末のようでもあるサンパウロである。
ただ、「師走」といった気ぜわしさはない。
そういった狂騒状態はナタウ(=クリスマス)前までである。
ブラジル・サンパウロのナタウ2007 その12 1月6日まで。
ナタウ(=クリスマス)は12月25日だった。
日本の店舗であれば、25日の夜にはクリスマスの飾りは取り外され、翌日には年末そして正月の飾りに切り替わるのだろうが、ここではそうではない。
ナタウの飾りは、1月6日までは大方が残っている。
(一部は1月4日まで。)
だから、イビラプエラ公園の巨大ツリーもまだ煌々と輝いている。
その近くにあるバンデイランチスの像にも、多くの人が流れて、それぞれ思い思いに過ごしている。
写真を撮る人たちが本当に増えた。
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パウリスタ大通りにある道路やそれぞれの建物を飾るイルミネーションも同様だ。
サンパウロ州工業連盟FIESPも、その建物の形状をツリーに見立てているのだ。
レアル銀行。
※ここは1月4日まで。
2007年のブラジル・サンパウロは景気が良かったこともあり、本当に明るい年末になった。
ブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー その4 メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ 2。
12月15日に100歳を迎えたブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー。
サンパウロにも、彼の作品が少なからずある。
サンパウロ市の西部バッハ・フンダ複合駅の横にあるのが、敷地面積約85千平米のメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da America Latinaである。
※※「地球の歩き方」には「ラテンアメリカ記念公園」として紹介されているが、公園ではない。
1989年に、オスカー・ニエマイヤーによる全体設計で建設された、複合文化施設である。
ラテンアメリカの文化芸術の発信センターという位置づけである。
建物は、オスカー・ニエマイヤーによる設計で、いかにも彼らしく曲線で形作られているが、どれもこれもいつも開館しているわけではなく、中に入りづらい。
ここにある施設は、次の通りである。
シモン・ボリヴァール公会堂。
市民広場。
マルタ・ツゥラバ・ギャラリー。
ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館。
ダルシー・リベイロ・クリアチヴィダーヂ・パビリオン。
チラデンテス行動サロン。
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このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナの敷地は、南北に分かれているのだが、まず南側の敷地にある建物を紹介してゆく。
市民広場は、各建物の真ん中にあって、普通は通路のようなところである。
時たま、それも週末には、子供向けのイベントが行われていることがある。
立派な仮設のテントが張られて、若者向け音楽のイベントがあることもある。
ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館には、開架図書館、インターネット・コーナー、多目的スペース、展示スペースなどがある。
開架図書館では、ラテン・アメリカ各国からの書籍が多く約3万冊が集められている。
映像資料も約1700本がある。
面白い発見があるので、興味のある方は一度覗いてみると良い。
またここでは、雑誌や書籍の発行も行っているが、そういったものとともに、DVDやオリジナル・グッズの販売コーナーもある。
インターネット・コーナーには、10数台のパソコンがあって、自宅での接続環境に恵まれない学生などで、大抵埋まっている。
多目的スペースでは、たとえば12月には、ウッディー・アレンの作品10数本を、一日2本づつ公開していた。
展示スペースでは、2007年4月には、この図書館棟の設計図面が展示されていた。
つまり、オスカー・ニエマーヤーの図面である。
12月には、いまさらという感もあるが、エルネスト・チェ・ゲバラほか、各国の抵抗運動のポスター展示が行われていた。
チラデンテス行動サロンは、入り口部分迄は一般の人でも立ち入れる。
正面に、カンヂード・ポルチナリによる横18メートル、高さ3メートルのチラデンテスの絵が飾ってある。
左右には、それぞれ高さ15メートルのカリベとポチーによるコンクリート製のパネル6枚が立っている。
ラテンアメリカに現れた色々な人たちがそこに刻まれている。
マルタ・ツラーバ・ギャラリーは、企画展が開催されるスペースであるが、12月は、オスカー・ニエマイエルをほめたたえる美術作品展が開催されている。
10分もあれば、十分な内容だ。 無料である。
つづく。
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その5 ヤマンドゥ・コスタ 5。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
2人の話はあまり多くなく、
どんどんと演奏をしていったショーであった。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話の動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
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つづく。
(索引)ブラジル・サンパウロの公園。
ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介してしてきた。
対象とした公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
ひとまず、この対象とした公園全ての紹介を終えたので、「索引」を用意してみた。
見落とした方や実際に行ってみようという方の便宜になればと思う。
実際に行くにあたっては、それぞれの記事における注意を必ず読んで、自己責任で行動していただきたい。
取材から、1年以上が経過している公園も多いので、当時と今では異なった部分も多いはずである。
公園によっては、そういった変化を把握しているところもあるが、周縁部の公園については、再訪する気になれないところもある。
毎週異なった公園に行って、修正をし続ける意欲も金力もない。
独力で行った、この一連の公園探訪を通じて、サンパウロ市の一般の人も行かないところまでもいけて、そこで見聞きしたことは、なによりも貴重で得がたいものである。
「公園」というキーワードで、サンパウロ市を更に知ることが出来たことは間違いない。
ブラジル・サンパウロの公園 その1 緑の地図 2006/7/30
ブラジル・サンパウロの公園 その2 総論。 2007/3/6
ブラジル・サンパウロの公園 その3 Parque Santa Amélia 2007/3/7
ブラジル・サンパウロの公園 その4 Parque Chácara das Flores 2007/3/8
ブラジル・サンパウロの公園 その5 Parque Chico Mendes。 2007/3/10
ブラジル・サンパウロの公園 その6 Parque Raul Seixas。 2007/3/11
ブラジル・サンパウロの公園 その7 最東部のおさらい。 2007/3/16
ブラジル・サンパウロの公園 その8 Parque do Carmo。 2007/3/17
ブラジル・サンパウロの公園 その10 Parque Piqueri。 2007/3/18
ブラジル・サンパウロの公園 その11 Parque Anhanguera。 2007/3/19
ブラジル・サンパウロの公園 その12 Parque Lions Club Tucuruvi。 2007/3/20
ブラジル・サンパウロの公園 その13 Parque Rodrigo de Gásperi。 2007/3/24
ブラジル・サンパウロの公園 その14 Parque Jardim Felicidade。 2007/3/25
ブラジル・サンパウロの公園 その15 Parque São Domingos。 2007/3/28
ブラジル・サンパウロの公園 その16 Parque Cidade de Toronto。 2007/3/31
ブラジル・サンパウロの公園 その17 Parque Vila Guilherme。 2007/4/1
ブラジル・サンパウロの公園 その18 Parque Vila dos Remédios。 2007/4/2
ブラジル・サンパウロの公園 その19 北西部の5つの公園。 2007/4/3
ブラジル・サンパウロの公園 その20 北部の公園。 2007/4/4
ブラジル・サンパウロの公園 その21 Parque Previdência 2007/4/5
ブラジル・サンパウロの公園 その22 Parque Luís Carlos Prestes 2007/4/6
ブラジル・サンパウロの公園 その23 Parque Raposo Tavares。 2007/4/7
ブラジル・サンパウロの公園 その24 Parque Alfredo Volpi。 2007/4/8
ブラジル・サンパウロの公園 その25 Parque Cemucam。 2007/4/9
ブラジル・サンパウロの公園 その26 西部の公園。 2007/4/10
ブラジル・サンパウロの公園 その27 Parque da Luz。 2007/4/11
ブラジル・サンパウロの公園 その28 Parque Buenos Aires 2007/4/12
ブラジル・サンパウロの公園 その29 Parque Tenente Siqueira Campos (Trianon) 2007/4/13
ブラジル・サンパウロの公園 その29 Parque da Aclimação 2007/4/15
ブラジル・サンパウロの公園 その30 中心部の公園。 2007/4/16
ブラジル・サンパウロの公園 その31 Parque Independência。 2007/4/18
ブラジル・サンパウロの公園 その32 Parque Ibirapuera。 2007/4/19
ブラジル・サンパウロの公園 その33 Parque dos Eucaliptos 2007/4/20
ブラジル・サンパウロの公園 その34 Parque Lina e Paulo Raia。 2007/4/21
ブラジル・サンパウロの公園 その35 Parque Severo Gomes。 2007/4/23
ブラジル・サンパウロの公園 その36 Parque Burle Marx。 2007/4/24
ブラジル・サンパウロの公園 その37 Parque Santo Dias。 2007/4/25
ブラジル・サンパウロの公園 その38 Parque Nabuco。 2007/4/26
ブラジル・サンパウロの公園 その39 Parque Guarapiranga。 2007/4/28
ブラジル・サンパウロの公園 その40 南部の公園。 2007/5/4
ブラジル・サンパウロの公園 その41 州立公園。 2007/5/29
ブラジル・サンパウロの公園 その42 Horto Florestal 1。 2007/6/18
ブラジル・サンパウロの公園 その43 Horto Florestal 2。 2007/6/19
ブラジル・サンパウロの公園 その44 Horto Florestal 3。 2007/6/21
ブラジル・サンパウロの公園 その45 Horto Florestal 4。 2007/6/22
ブラジル・サンパウロの公園 その46 Parque da Luzの女性たち。 2007/6/25
ブラジル・サンパウロの公園 その47 Horto Florestal 5。 2007/6/26
ブラジル・サンパウロの公園 その48 Parques Estaduais Cantareira。 2007/6/28
ブラジル・サンパウロの公園 その49 Parques Estaduais Cantareira 2。 2007/7/3
ブラジル・サンパウロの公園 その50 Parques Estaduais Cantareira 3。 2007/7/7
ブラジル・サンパウロの公園 その51 Parques Estaduais Cantareira 4。 2007/7/11
ブラジル・サンパウロの公園 その52 Parques Estaduais Cantareira 5。 2007/7/13
ブラジル・サンパウロの公園 その53 市営公園ガイド1。 2007/7/19
ブラジル・サンパウロの公園 その54 市営公園ガイド2。 2007/7/20
ブラジル・サンパウロの公園 その55 Parques Estaduais Cantareira 6 Linha Verde。 2007/7/23
ブラジル・サンパウロの公園 その56 Parque Estadual Jaraguá 1。 2007/7/28
ブラジル・サンパウロの公園 その57 Parque Estadual Jaraguá 2。 2007/7/29
ブラジル・サンパウロの公園 その58 Parque Estadual Jaraguá 3。 2007/8/1
ブラジル・サンパウロの公園 その59 Parque Estadual Jaraguá 4。 2007/8/2
ブラジル・サンパウロの公園 その60 Parque Estadual da Serra do Mar 1。 2007/8/4
ブラジル・サンパウロの公園 その61 Parque Estadual da Serra do Mar 2。 2007/8/18
ブラジル・サンパウロの公園 その62 Parque Estadual da Serra do Mar 3。 2007/8/19
ブラジル・サンパウロの公園 その63 Parque Estadual da Serra do Mar 4。 2007/8/22
ブラジル・サンパウロの公園 その64 Parque Estadual da Serra do Mar 5。 2007/8/24
ブラジル・サンパウロの公園 その65 Parque Estadual da Serra do Mar 6。 2007/8/25
ブラジル・サンパウロの公園 その66 Parque Estadual da Serra do Mar 7。 2007/8/28
ブラジル・サンパウロの公園 その67 Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monos 1 概要。 2007/8/29
ブラジル・サンパウロの公園 その68 Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monos 2 コロニア隕石口 1。 2007/8/30
ブラジル・サンパウロの公園 その69 Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monos 3 コロニア隕石口 2。 2007/8/31
ブラジル・サンパウロの公園 その70 Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monos 4 サンパウロ市最南端の駅Estação de Evangelista de Souza。 2007/9/1
ブラジル・サンパウロの公園 その71 Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monos 5 インヂオ保護区。 2007/9/20
ブラジル・サンパウロの公園 その72 Área de Proteção Ambiental Municipal do Capivari-Monos 6 カピヴァリ街道。 2007/9/23
ブラジル・サンパウロの公園 その73 Área de Proteção Ambiental Municipal do Bororé-Colônia 1 概略。 2007/9/24
ブラジル・サンパウロの公園 その74 Área de Proteção Ambiental Municipal do Bororé-Colônia 2 ボロレへの道。 2007/9/25
ブラジル・サンパウロの公園 その75 Área de Proteção Ambiental Municipal do Bororé-Colônia 3 ボロレ島。 2007/9/26
ブラジル・サンパウロの公園 その76 Área de Proteção Ambiental Municipal do Bororé-Colônia 4 ボロレ島からリアッショ・グランヂ。 2007/9/27
ブラジル・サンパウロの公園 その77 Área de Proteção Ambiental Municipal do Bororé-Colônia 5 ボロレ島からコロニア市街地。 2007/9/28
ブラジル・サンパウロの公園 その78 Parque Estadual das Fontes do Ipiranga 1 概説。 2007/9/30
ブラジル・サンパウロの公園 その79 Parque Estadual das Fontes do Ipiranga 2 植物園。 2007/10/1
ブラジル・サンパウロの公園 その80 Parque Estadual das Fontes do Ipiranga 3 植物園の動物。 2007/10/2
ブラジル・サンパウロの公園 その81 Parque Estadual das Fontes do Ipiranga 4 植物園諸々。 2007/10/3
ブラジル・サンパウロの公園 その82 Parque Ecológico do Guarapiranga 1 概説。 2007/10/5
ブラジル・サンパウロの公園 その83 Parque Ecológico do Guarapiranga 2。 2007/10/6
ブラジル・サンパウロの公園 その84 Parque Ecologico do Tiete 1 概要。 2007/11/4
ブラジル・サンパウロの公園 その85 Parque Ecologico do Tiete 2。 2007/11/5
ブラジル・サンパウロの公園 その86 Parque Villa-Lobos 1 概要。 2007/11/9
ブラジル・サンパウロの公園 その87 Parque Villa-Lobos 2。 2007/11/10
ブラジル・サンパウロの公園 その88 Parque Água Branca 1。 2007/12/8
ブラジル・サンパウロの公園 その89 Parque Água Branca 2。 2007/12/24
ブラジル・サンパウロの公園 その90 Parque Água Branca 3。 2007/12/25
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「緑の地図」に掲載されなかった、これ以外の公園についても、
近々(2008年からになるが)また紹介をしていくつもりである。
sábado, 29 de dezembro de 2007
サッカー:ロマリオの日々 その73 スポーツ最高裁判所の処罰を不当だと思っている。
ロマリオRomárioは、フィナステリーダfinasteridaの使用によってドーピングで処罰するスポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Deportiva (STJD)の決定は不当だと思っている。
この物質は、脱毛の手当ての薬から検出された。
ロマリオBaixinhoは第1審で120日間の出場停止という処罰を受け、この水曜日に処分停止を否定された。
ロマリオは、10月28日に行われたパルメイラスPalmeiras戦のあとにドーピング検査を受けた。
ロマリオRomárioは裁判所に情緒が無く、過去の経歴に対する尊敬が少し足りないと思っている。
「みんなは長い間脱毛防止のその薬を使っていることを知っているし、また何度も採尿してきた。
検査では何も問題がなかった。 それで、処罰は不当だ。 考えるべきである。 しかしこれはブラジルだ。 みんな自分の側にいて、誰も幸せではない。
それでも、ロマリオはユーモアを失わなかった。
「長いこと使っている。 それでまだ髪がある」
12月28日(金)にロマリオRomárioは自身で企画している独身と既婚者の友人との草試合を行った。
招待選手の中には、フラメンゴFlamengoのレオ・モウラLéo Moura、フルミネンセFluminenseのアレックス・ヂアスAlex Diasがいた。
「冷静である。 これが起きなかったらと思う。 自分には新奇なことである。 しかし裁く人がいる。 彼らが切って胃することに従わなくてはならない。 人生は続く」
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第2審では、出場停止は60日間に軽減されるはずだろうが。
ブラジル・サッカー:2007オフ その64 フルミネンセがグスタヴォ・ネリーと契約。
フルミネンセFluminenseの社長は、12月29日(土)に、コリンチャンスCorinthiansにいた左SBのグスタヴォ・ネリーGustavo Nery,との契約に合意した。
社長のロベルト・オルカーデスRoberto Horcadesの昔からの夢であるグスタヴォ・ネリーは、リオ・デ・ジャネイロ州の山脈地方Região Serranaのノヴァ・フリブルゴNova Friburgoの生まれで30歳、身体検査を受けて、そのあとで2年間の契約に署名する。
グスタヴォ・ネリーGustavo Neryは公式には他の選手たちはラランジェイラスLaranjeirasに集合する日である1月3日に正式に紹介されるに違いない。
※※ラランジェイラスはフルミネンセの本拠地。
しかし、グスタヴォ・ネリーGustavo Neryとの契約はほとんど緊急処置である。
フルミネンセの社長は約2ヵ月前からベンフィカBenficaのレオLéoとの契約交渉をしてきたが、成功には至らなかった。
この間、10月にグスタヴォ・ネリーへの関心を否定していたフルミネンセは、このポジションには国際試合の経験がなく、身長が低く、技術委員会を心配させるような問題があるジュニオール・セーザルJunior Cesarしかいないので、また獲得に動いた。
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2006年初めまではブラジル代表だったグスタヴォ・ネリー。
でも、その後全く精彩がない。
特に、2007年は前半はスペインに行ったが出番なく、コリンチャンスに戻ってからもケガだかなんだかで全く良いところがなかった。
(参考画像)
ブラジル・サッカー:2007オフ その63 ロナウドの件は秘密扱いになった。
ロナウドRonaldoの件は、ガーヴェアGáveaでは秘密になった。
※※ガーヴェアはフラメンゴの本部の所在地。
12月26日(水)に、ロナウドFenômenoが2008年にガーヴェアGáveaにいる可能性があることを誇示したあとに、フラメンゴFlamengoのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKléber Leiteは秘密扱いにして、ロナウドの件は交渉が実際に固まってミランMilanが放出を決めたときに新たに話したいという。
実現しないときは、話をしない。
クレーベル・レイチによると、フラメンゴFlamengoは、ミランでよい時を過ごしていなくて、カルロ・アンチェロッチCarlo Ancelotti監督によって軽く扱われていると感じているロナウドを揺さぶる戦略を立てた。
ロナウドRonaldoはミランにいたくないと友人に言っている。
ミランMilanがロナウドの放出を考えている徴候は、英国InglaterraのチェルシーChelsea,のドログバDrogbaとの契約に関心を持っていることに表れている。
「ロナウドRonaldoについての新たなことは、彼が紹介されるその日になる。 今はロナウドに思いを感じて貰い、フラメンゴFlamengoで.プレイしたいと思わせることである」とクレーベル・レイチKléber Leiteは、12月27日(木)の記者会見で、ロナウドと契約する戦略を立てていることを確認した。
クレーベル・レイチはリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの南フルミネンセ地方のアングラ・ドス・レイスAngra dos Reisに向かった。
そこで、年末のフェスタを過ごす。
ロナウドRonaldoはすでに代理人のファビアーノ・ファラーFabiano Farahとそこにいる。
あるミランの役員が同じ場所で新年を過ごす可能性がある。
ロナウドが2008年にフラメンゴのユニフォームを着る可能性について話し合うための出会いがあるだろう。
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ミランは、まだ完全に否定している。
サッカー:ロマリオの日々 その72 エヂムンドに入り口は開くと言った。
ロマリオRomárioはエヂムンドEdmundoのためにヴァスコ・ダ・ガマの入り口を開いた。
ロマリオBaixinhoは、2008年にはリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaでプレイする以外にヴァスコ・ダ・ガマの監督になる。
古いライバルのエヂムンドとの契約に反対は全くしない。
2人は愛と憎悪の関係である。
12月28日(金)に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのヴァスコ・バッハVasco-Barraで行われたロマリオがいつも企画している独身者対既婚者の草試合の前に、ロマリオBaixinhoはエヂムンドAnimalの契約の可能性についてコメントした。
「みんな合意は近いと知っている。 エヂムンドEdmundoはヴァスコ・ダ・ガマのアイドルである。 クラブにとっても、ファンにとってとても良いことになる」
ヴァスコの社長は2008年にFWエヂムンドEdmundoと契約するための交渉に熱心である。
エウリコ・ミランダEurico Miranda社長は、ヴァスコ・ダ・ガマがエヂムンドAnimalの弁護士のルイス・ロベルト・レヴェン・シアーノLuiz Roberto Leven Sianoと、ヴァスコ・ダ・ガマがエヂムンドに負っている1400万レアルの負債の支払い方の交渉をしていることを認めた。
このシーズンの終わりにこの水曜日の夜に行われたソーシャルサッカーの決勝戦で、エヂムンドEdmundoと会ったにもかかわらず、ロマリオRomárioはエヂムンドAnimalと接触しなかった。
「まだ話はしていない」と、ロマリオBaixinhoは言った。
監督としての生活に慣れようとして、ヴァスコ・ダ・ガマは次シーズンに向けて良いチームを作ろう考えている。
「まだ良く考えてはいない。 自然に心配している。 ヴァスコ・ダ・ガマは強化しようとしている。現在の財政状況の中で出来ることをする リオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaではタイトルを目指して戦う。
「20071228sporTVnews-Romario.wmv」をダウンロード
ロマリオRomário とエヂムンドEdmundoは、フラメンゴFlamengoで、ヴァスコ・ダ・ガマでそしてフルミネンセFluminenseで一緒だった。
毎回、関係は友好的な形ではなく終わる。 いつもロマリオBaixinhoがエヂムンドAnimalに勝っている。
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ロマリオとエヂムンド。
強烈な個性の2人だが、ロマリオのほうが上か。
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その4 ヤマンドゥ・コスタ 4。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話の動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu4.WAV」をダウンロード
つづく。
サッカー:ニウマールの行方 その39 2008年はインテルナシオナウでプレイすると言った。
育ててくれたインテルナシオナルに戻ってから、ニウマールNilmarは期待を浪費した。
ニウマールは2008年は彼のキャリアで特別な年と思っている。
欧州のサッカーからのオファーがあっても、来年末まではインテルナシオナルから出て行く可能性を捨てる。
「自分の望みは残留である。 まだ全くプレイしなかった。 人が自分はただ一年だけいて出て行くと言っている。 来年はプレイを続けて、可能な選手権全てでプレイしたい」と宣言した。
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ニウマールは、結局インテルナシオナウではまだ3試合しか出場しなかった。
また、ケガをしていたのだ。
今のニウマールには、欧州からまともなオファーは来ないだろう。
ブラジル・サッカー:2007オフ その62 アルシの行き先は韓国。
韓国Coréia do Sul サッカーが、ブラジル選手権セリエBに向かうことになったコリンチャンスCorinthiansの破滅的な戦いに参加していたFWアルシArceの行き先になるだろう。
アルシの代理人のウーゴ・ガルシアHugo Garciaによると、アルシはサンパウロ州のチームからオファーを受け取っていたが、全てがアジアとルーマニアのサッカーからのオファーよりもとても低かった。
まだあと2年間オリエンチ・ペトロレオOriente Petrolero (BOL)との契約があるアルシArceは、売却オプション付きで1年間の契約でレンタルされるだろう。
しかし、代理人によってまだクラブは発表されていない。
「自分はチームの名前を言うことは出来ない。 監督で2晩に大きなクラブである」と言った。
今のところ、ウーゴ・ガルシアは契約の詳細部分で移籍を遅らしていると明言した。
数日中に固まるに違いないという。
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アルシは、ボリビア代表選手である。
ブラジル・サッカー:2007オフ その61 中田はフラメンゴのファンに印象づけられる。
日本の歴史でもっとも偉大な選手の1人である日本人中田Nakataは、12月27日(木)に、元日本代表監督のジーコZicoによって企画されて行われた「スターのサッカー」"Jogo das Estrelas"に威信を与えた。
ジーコの友達Amigos do Zicoチームでプレイした中田はこれだけの大選手たちと一緒に、マラカナMaracanã競技場でプレイして感動したと言った。
「これら全て名選手と一緒に今日ここにいることは、自分にとってとても特別なことである。 アイドルであるジーコZicoの反対チームでプレイすることは興味深い感動である」と明言した。
中田Nakataは、フラメンゴのファンはマラカナMaracanã競技場の観客席で行ったショーについても強調した。
「ファンが好きになった。 フラメンゴFlamengoのファンとジーコZicoとの関係をみてとても良かった」と言った。
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中田と言えば、「旅人」のことである。
中田は、前半フル出場して、後半にはヴァグネル・ロヴィーと交替した。
前半開始2-3分に独走して、シュートを打ったが、バーにあたって跳ね返ったくらいのプレイしか報じられていない。
スポーツ専門局で実況放送されたのだが、
後半しかみなかった。
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ニュース映像には、それと分かる形では全く登場しない。
「20071228GloboEsporte-Zico.wmv」をダウンロード
ニュース映像には、
元ブラジル代表で、ミランの役員のレアンドロが登場している。
息子がそっくりである。
sexta-feira, 28 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その3 ヤマンドゥ・コスタ 3。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話の動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu3.WAV」をダウンロード
つづく。
ブラジル・サッカー:2007オフ その60 コリンチャンスは、SBコエーリョをセルチックに売却。
右SBコエーリョCoelhoはもうコリンチャンスCorinthiansの選手ではない。
この12月27日(木)に、アンドレス・サンシェスAndrés Sanches社長がコエーリョをスコットランドEscóciaのセルチックCelticに売ったことを認めた。
コエーリョは近々欧州Europaに行き、契約に署名し、公式に発表される。
コエーリョCoelhoの権利を売ったことで、コリンチャンスTimãoは2百万ユーロを得ることになる。
この価格は社長にとってはとても良いと考えられている。
コエーリョはコリンチャンスAlvinegroにいてポジションをとることは出来なかった。
今シーズンはアツレチコ・ミネイロAtlético-MGにレンタルされて、そこでチームの中で傑出した選手の1人となった。
コエーリョを売ったことで、マノ・メネゼスMano Menezes監督はこのポジションの2人の若者を持つことになる。
ロシアRússiaのCSKAへのレンタルから戻ってくるエドゥアルド・ラチーニョEduardo Ratinhoと2008年末までパルメイラスからレンタルされているアマラルAmaralである。
今期に幾つかの試合で正選手となったエヂソンEdsonは契約を更新されない。
ポルトガルに移籍することになるだろう。
コリンチャンスTimãoの権利は13月31日に終了する。
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コエーリョは、2005年のシーズンは、それなりに先発していた。
プレイにムラがあった。
エヂソンも同様だ。
エドゥアルド・ラチーニョとアマラルは、2006年には共にブラジル代表U-20だった。
エドゥアルド・ラチーニョは、守りが出来ないという問題がある。
それにシュートも下手。
アマラルが、2008年に大活躍することを期待している。
顔はちょっと不細工だが、
好青年である。
コエーリョ、エヂソン、エドゥアルド・ラチーニョは、コリンチャンスの生え抜きである。
ブラジル・サンパウロの美人のサッカーの線審 その17 7ヵ月ぶりにマラカナに復帰。
7ヵ月経って、アナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラAna Paula OliveiraはマラカナMaracanã競技場に戻った。
ブラジル杯Copa do Brasilのベスト8戦のボタフォゴBotafogo対フィグェイレンセFigueirense戦の試合で、ボタフォゴのゴールを2つも取り消すという論議を呼んだ行為について、アナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラは冷静さを見せた。
「マラカナMaracanã競技場に戻ってくるのはいつも良い。 あれは大試合だった。 ここにボタフォゴBotafogoのファンもいるに違いないことは知っている。 それはジーコZicoがみんなに賞賛されているからだ。 でも、あの喧嘩はもう済んだことだ」
グラウンドの中では悪いことばかりで、外ではよいことばかりで過ごした1年で、アナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラはこのジーコZicoのお祭り試合が再出発の意味になると信じている。
「今年を良いことで終えようとしている。 2008年はより良く始められるに違いない。 体力検査に向けて準備をしている。 より良くなって復帰するだろう。
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相変わらずこういうときには人気のある女性線審のアナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラである。
quinta-feira, 27 de dezembro de 2007
サッカー:ロマリオの日々 その71 120日間の出場停止は変わらず。
スポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Desportivaのルーベンス・アプロバットRubens Approbato所長は、ロマリオを120日間外すという処罰についてヴァスコの停止要求に合意しなかった。
これによって、1月24日か31日に行われるであろう次の審判まで、ロマリオBaixinhoはリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaのヴァスコ・ダ・ガマの最初の試合ではグラウンドからも控席からも園にいなくてはならない。
この件は、スポーツ最高裁判所のサイトで発表された。
ロマリオRomárioは、12月18日にスポーツ最高裁判所STJDで出場停止になった。
10月28日に行われたブラジル選手権Campeonato BrasileiroセリエAのヴァスコ・ダ・ガマ対パルメイラスPalmeirasの試合でドーピング検査によって、頭髪の脱落防止に使っていたトニックの中にフィナステリーダfinasteridaが検出されたことでロマリオBaixinhoは罰せられた。
停止要求で、ヴァスコ・ダ・ガマは1月21日に終了するスポーツ最高裁判所STJDの休みを理由にするようにしていた。
しかし、所長のルーベンス・アプロバットRubens Approbatoは、出場停止がロマリオRomárioの経歴を傷つけると思うというのを尊重しなかった。
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ヴァスコ・ダ・ガマが色々な理屈を考え出しても駄目なものは駄目ということである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その59 ジーコのDVD発売計画。
収集家は注目!
フラメンゴFlamengoの歴史で最大のアイドルでブラジルサッカーの大選手の1人であるジーコの素晴らしいゴールが、DVDになる。
12月27日(木)に、ジーコZicoは2008年に古い夢を実現することを発表した。
「来年、自分の素晴らしいゴールを集めたDVDを発売する。 3月に発売したいが、自分がブラジルにいなくても7月にはでるに違いない」と言った。
トルコTurquiaのフェネルバシェFenerbahçeの監督によるともっと特別の計画がある。
「4月に産まれる孫のお祝いをする」と言った。
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DVDと孫。
監督としての夢はないのかな。
ブラジル・サッカー:2007オフ その58 ロビーニョはサントスに戻りたいと言った。
サントスの本拠地のヴィラ・ベルミロVila BelmiroはロビーニョRobinhoのホームである。
レアル・マドリReal Madrid (ESP), の選手とはいうものの、ロビーニョはヴィラ・ベルミロではサントスの選手としての扱いをいつも受けている。
12月26日(水)に、ロビーニョは慈善試合に参加した。
ファンとの交流の後、ロビーニョはいつかサントスのユニフォームを着るように戻りたいと言った。
「自分はいつか戻りたい。 ファンに懐かしさがいっぱいである。 彼らが自分のことを好きなことは知っている。 すごい力を与えてくれることで、そんなことを考える」と、ロビーニョRobinhoは告白した。
2002年と2004年にブラジル選手権のタイトルを獲って、ロビーニョはリベルタドーレス杯Copa Libertadores da Américaに優勝するためにサントスに戻りたがっている。
2003年には、ロビーニョRobinhoもいたが、サントスSantosは決勝戦でボカ・ジュニオールスBoca Juniors (ARG).に敗れた。
「またサントスのユニフォームを着ることは大きな誇りになるだろう。 しかし、まだレアル・マドリとの契約が2010年まである」
2008年にむけて、ロビーニョは沢山優勝する年だと認めた。
「来年は、今年かそれ以上の年になる。 だいすきなサッカーをやって、スペイン選手権とチャンピオンリーグに優勝したい」
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ロビーニョは、サントスではペレ以来のスターである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その57 レアンドロ・アマラルがフルミネンセで紹介。
レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは1時間以上遅れてフルミネンセLaranjeirasの貴賓室に入ってきた。
しかし、12月27日(木)にレアンドロ・アマラルは初めてフルミネンセFluminenseのユニフォームを着たときには幸福感を浸ることを我慢できなかった。
やりとりの中で、レアンドロ・アマラルは、まだ法廷での戦いに持っていこうというヴァスコ・ダ・ガマへの悪口を隠さなかった。
レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは、フルミネンセに移籍して7番を選んだ理由について問われたときに、ヴァスコ・ダ・ガマの名前を全く出さなかった。
「ポルトゲーザPortuguesaで14年間7番を使った。 フィオレンチーナFiorentinaではすでに持ち主がいたので使わなかった。 他のクラブでは他の理由があった。 しかしどのユニフォームでも重みは同じである。 フルミネンセの関心に答えたいと思う」と言った。
ともかくも、関心はレンアドロ・アマラルLeandro AmaralがフルミネンセFluminenseとの契約を決めた大きな要素である。 それはあけすけには語られなかったが、レアンドロ・アマラルはエウリコ・ミランダEurico Mirandaに指揮されているヴァスコ・ダ・ガマにおける状況に不満だったことは明らかにした。
「リベルタドーレスLibertadores杯は合意した理由の一つである。 しかしフルミネンセFluminenseのやり方は自分が選ぶ中で重みがあった。 正しい選択をしたことは間違いない」と、明言した。
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とりあえず、レアンドロ・アマラルはフルミネンセと契約をした。
しかし、ヴァスコ・ダ・ガマは法廷に持ち込むことを決定した。
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その2 ヤマンドゥ・コスタ 2。
12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話の動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu2.WAV」をダウンロード
つづく。
ブラジル・サッカー:2007オフ その56 レアンドロ・アマラルは交渉可能だが、フルミネンセとはしない。
ベガルタ仙台から移籍のボランチのジョニルソンJonílsonの新加入の発表の席で、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaはレアンドロ・アマラルLeandro Amaralの件についてまた話をした。
この木曜日にもレアンドロ・アマラルはフルミネンセFluminenseで紹介される可能性について、エウリコ・ミランダははっきりとレアンドロ・アマラルと契約をする場合にそのクラブは補償金を支払わなければならないと言った。
「レアンドロ・アマラルがどこでプレイするかもしくは誰と契約するかは知らない。 知っているのはレンアドロ・アマラルと契約するクラブは我々に補償をしなくてはならないことだ。 支払いが今は先かは知らない。 しかしヴァスコ・ダ・ガマは補償して貰うことは知っている。 フルミネンセFluminenseとの関係では、補償金は904万レアル(=約5.8億円)である。 全額支払われたら、フルミネンセFluminenseに放出する」と、エウリコ・ミランダは言った。
「他のクラブとの関係では、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralを持っていくための違約金は交渉可能である。 フルミネンセFluminenseは、全額である」と言った。
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裁判で自由になったレアンドロ・アマラルLeandro Amaralの移籍に合意するには904万レアルというヴァスコ・ダ・ガマの要求は、フルミネンセFluminenseに無視されている。
フルミネンセは、12月26日(水)に、レアンドロ・アマラルを2年間使うための交渉の残りの詳細に合意した。
「この水曜日に、残りの詳細について合意した。 ついにレアンドロ・アマラルと契約することができた」と、フルミネンセのスポンサーのUnimedの社長のセルソ・バッホスCelso Barrosは確認した。
レアンドロ・アマラルは、12月27日(木)11時30分に、フルミネンセ本部での身体検査を通過した後に、貴賓室で正式に紹介される。
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たぶん違約金は、全くとれないはずである。
サッカー:ロマリオの日々 その70 金曜日にスポーツ最高裁判所の新たな決定が下される。
先週金曜日に、ヴァスコ・ダ・ガマは選手兼監督のロマリオRomárioがリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaの初めにも使えるようという仮処分申請を出していた。
スポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Desportiva,の所長のルーベンス・アプロバット・マシャードRubens Approbato Machadoは今週末までに決定をすることを約束した。
ロマリオBaixinhoは、ドーピング検査で検出されて明らかになったように、頭髪の脱落を避けるために禁止されている薬物のフィンサテリーダの使用により、最初の審判で120日の出場停止となった。
処分がそのままであると、ロマリオは監督エリアにも入ることはできない。
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どんな決定がでるのか。
ブラジル・サッカー:2007オフ その55 ロナウドの交渉を公認していないミラン。
ミランMilanは、12月26日(水)の午後に、公式文書でロナウドRonaldoをフラメンゴFlamengoに移籍させるための交渉を否定した。
4行の公式文書で、ミランはロナウドがフラメンゴと交渉するのを公認していないと言っている。
この情報は、フラメンゴのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKléber Leiteが12月25日(火)に発表した内容と反対である。
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情報が錯綜する時点で、もう何か動きがあることは間違いない。
quarta-feira, 26 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのコンサート2007 その1 ヤマンドゥ・コスタ 1。
実は、この頃、音楽のコンサートづいている。
だからといって、お金をかけているわけではない。
ブラジルの超一流タレントがショーを行う場所は、このところサンパウロ市の南部のほうに大きなホールが建設されたので、そちらで行われることが多い。
高い席は150レアル(=約1万円)とかそれ以上の値段になっている。
1時間もかけて、そんなところまで行く気もしないし、
そこまでの関心もない。
サンパウロでの生活は、基本的にチープでシックに行くと決めているので、いつもそういったものを求めている。
このブログで紹介するのも大体そんなものである。
このブログをきちんと読んでいただいている方は、もうご理解いただいているはずである。
どうしても、お金を出したほうがよいものには出すが、
そんなことをいつもするのはまったく趣味に合わない。
レストランでもそうである。
ただ、サッカーの試合とカルナヴァルは、お金を出して、出来るだけ良い席のほうが良いと思っている。
やはり安い席は、遠いので見えないからだ。
観客の熱気はともかくとしても、テレビのほうがましとも思えるくらいだ。
サンパウロにおいては、音楽のショーが、年末年始やカルナヴァル前後を除いては、毎日のようにあちこちの会場で開催されている。
それも、手頃な時間から手頃な価格で、良い会場で開催されている。
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12月3日20時30分から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリヴァール公会堂で、
7弦ギターでの超絶技巧で知られるヤマンドゥ・コスタYamandu Costaとマンドリンbandolimのアミルトン・ヂ・オランダHamilton de Holandaのコンサートがあった。
ヤマンドゥ・コスタは、2005年末に、日本でもコンサートを行っているので、知っている方も多いことだと思う。
その彼のコンサートであれば、これはもう行かないわけには行かない。
バッハ・フンダ複合駅のすぐ近くなので、ここに行くのはそれほど難しくない。
それに、この日のコンサートは無料だったのだ。
※日本で7千円位したはずだ。
チケットは、この会場のチケット売り場で、14時から配布された。
1人最大2枚だった。
このヤマンドゥ・コスタの超絶技巧を、是非とも知って欲しい。
※音質は悪いがご理解願いたい。
ブラジルでは、この種のコンサートで、
大体写真撮影や録音については文句を言われない。
ストロボを使わないくらいの配慮は必要だが。
ビデオは駄目な場合が多い。
中には、携帯電話の動画撮影をずっとしている者がいた。
そこまでやると音楽を聞きに来たとは思えない。
「spd20071203yamandu1.WAV」をダウンロード
この2人は、
1月の18,19,20日にも、イビラプエラ公園の公会堂で、
同じコンサートを行うことになっている。
だが、こちらは30レアル(=約2000円)である。
同じサンパウロでの、似たような会場での、
同じスポンサーによる、同じ演者によるコンサートで、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナでは無料で、
イビラプエラ公園では有料というのは、
多少不思議である。
もっとも、この価格であっても、
このコンサートは絶対的にお勧めである。
日本から上品な訪問者がある方は、このコンサートにお連れすると良いと思う。
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つづく。
ブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー その3 メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ 1。
12月15日に100歳を迎えたブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー。
サンパウロにも、彼の作品が少なからずある。
サンパウロ市の西部バッハ・フンダ複合駅の横にあるのが、敷地面積約85千平米のメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da America Latinaである。
※※「地球の歩き方」には「ラテンアメリカ記念公園」として紹介されているが、公園ではない。
1989年に、オスカー・ニエマイヤーによる全体設計で建設された、複合文化施設である。
ラテンアメリカの文化芸術の発信センターという位置づけである。
実際に行ってみると分かるが、
広い敷地のほとんどがコンクリートで固められており、その割には樹木がほとんどない。
日中はコンクリートからの照り返しがきつすぎて、とてもその敷地内で公園のようにくつろぐことは出来ない。
そこで、公園かのように過ごしている人もいない。
ガイドに載っているからと、ここに行った人はとまどうはずである。
がらんとした敷地と点在するいつかの建物。
その建物で、何が行われているのかも分からない。
南側敷地にある最大7万人が入るという市民広場にある手を広げたような彫刻の写真を撮ってそれで終わりというところだろう。
建物は、オスカー・ニエマイヤーによる設計で、いかにも彼らしく曲線で形作られているが、どれもこれもいつも開館しているわけではなく、中に入りづらい。
ここにある施設は、次の通りである。
※クリックすると拡大する。
シモン・ボリヴァール公会堂。
ステージを真ん中にして、両側に観客席が広がっているという作りになっている。
片方は876人、もう一方は733人収容である。
市民広場は、総面積は3万平米で、使用可能な面積は12千平米。
マルタ・ツゥラバ・ギャラリー。
企画美術展などがよく開催されている。
面積は962平米。
※以前に「カルメン・ミランダ展」や「ボテーロ展」などが開催されたときに紹介した。
ヴィクトール・シヴィッタ・ラテン・アメリカ図書館。
ここは、月曜日を除いて開館している。
開架図書館の他に、インターネット・スポット、小劇場、展示スペースなどがある。
図書館では、ラテンアメリカの文化関係図書が中心となっていることは言うまでもない。
インターネット・スポットは、自宅でアクセスできないような学生たちで順番待ちとなっている。
ダルシー・リベイロ・クリアチヴィダーヂ・パビリオン。
ここはどこが入り口か分からないような、また開館しているかどうかも分からないような施設だが、中にはいると一風変わった展示に驚く。
ラテンアメリカの文化工芸品を中心にした展示がある。
ここも月曜日を除いて開館している。
チラデンテス行動サロン。
ここは、サンパウロ州の公式レセプションを行う会場である。
最初は取っつきにくいところだったが、
慣れてくると、
面白い施設であることが段々分かってきた。
つづく。
terça-feira, 25 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その54 エヂムンドのヴァスコ・ダ・ガマ復帰は近い。
FWエヂムンドEdmundoとヴァスコ・ダ・ガマVascoは、近日中の合意が近い。
社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaは両者の接触があったことを認めた。
近日中にエウリコ・ミランダとエヂムンドAnimalの弁護士のルイス・ロベルト・レヴェン・シアーノLuiz Roberto Leven Sianoとの間で会議がありそうだ。
最初の接触は、ヴァスコ・ダ・ガマがエヂムンドに負っている14百万レアル(=約9億円)の借金の交渉をするためである。
エウリコ・ミランダはエヂムンドとの合意が近いと認めた。 しかしまた公式にエヂムンドEdmundoの復帰を公式に発表するためにはまだ合意が足りないと認めた。 エヂムンドは2008年のシーズンのヴァスコ・ダ・ガマにとって最大の新戦力となる。
「初期の話し合いはあった。 しかしまだ何も合意していない。 発表するためには、まだ話し合いが必要だ」と、エウリコ・ミランダは説明した。
先週金曜日に、ルイス・ロベルト・レヴェン・シアーノはヴァスコ・ダ・ガマが持っているエヂムンドへの負債の支払いについての合意をするために、ヴァスコ・ダ・ガマの社長と話し合いをした。
ルイス・ロベルト・レヴェン・シアーノは最初の話し合いで動いた。
金額は10年間に支払われるべきとした。
分割支払金額は、116千レアル(=約700万円)となる。
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上手く交渉がまとまるだろうか。
ブラジル・サッカー:2007オフ その53 フラメンゴとロナウドの交渉。
先週、フラメンゴのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKléber Leiteは交渉の可能性について知るためにミランMilanに打診したことを認めた。
返事は否定的であった。
しかし、まだ話は終わりになっていなかった。
「フラメンゴFlamengoはミランMilanからロナウドRonaldoと話をすることを公認されている。 ロナウドと初期的なやりとりをした。 人生の目的を変えるためにロナウドがとても大きな望みを持っていることを知った。 関心はお互いにある。 ルンコ(*フラメンゴのそしてブラジル代表の医師)は医学的にはよい状態だと言っている」と、クレーベル・レイチは言った。
クレーベル・レイチに関係している人物によると、ロナウド31歳はイタリアでの位置づけを好んでおらず、ミランがすでにアレシャンドレ・パトAlexandre Pato、ジラルヂーノGilardino、カカKakáなどがいるということを引き合いに出して放出を望んでいる。
フラメンゴでプレイするためには、ロナウドは、彼の給与の50%減に合意しなくてはならない。 現在、約75万レアル(=約500万円)を受け取っているので、約375千レアルとなる。
フラメンゴFlamengoでもっとも給与が今高いのはクレーベルソンKlébersonであるが、これの半分にもいっていない。
フラメンゴに関係する情報源によると、要請があれば、ミランはロナウドを自由にするだろう、移籍は「進んでいる途中」である。 ロナウドはいつもフラメンゴを応援しているといっているし、フラメンゴのユニフォームをいつの日か着たがっている。
ミランMilanの役員のレオナルドLeonardoは、移籍を否定していないが、ミランはロナウドRonaldoを保持したがっていると言っている。
「フラメンゴFlamengoはこれを長いこと夢見ていた。 しかし今のところ何も固まってはいない。 彼はミランMilanの選手である。 ロナウドRonaldoは何を望んでいるかを考えなければならない」と、役員は明言した。
先週土曜日に、クレーベル・レイチとロナウドの代理人のファビアーノ・ファラーFabiano Farahがリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのレストランであったという。
しかし電話で、ファビアーノ・ファラーはこの情報を否定した。
「会っていない。でも会わないと言うことは望んでいない。 フラメンゴFlamengoの関心は知っている。 しかし、全てミランMilan次第である。 ロナウドは2008年7月までは契約がある。 1月からはどこのクラブからでもオファーを受ける」と、ファビアーノ・ファラーは言った。
ロナウドRonaldoは年末の休みを利用してリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroにいて、左の腿のケガの回復に努めている。
友達のアドリアーノAdrianoのサンパウロFCへの移籍は、ブラジルBrasilに戻りたいという動機付けになった。
「ロナウドRonaldoが今の時点でもっとも望んでいることは、プレイへの復帰である」と、ファビアーノ・ファラーは言った。
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段々、現実味を帯びてきたきたのかもしれない。.
ブラジル・サンパウロの小鳥 その88 拙宅に来る鳥58。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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テゾウロンというハチ鳥。
ずっと見ていると段々と行動パターンが分かってきた。
拙宅での場合、
花の蜜を吸った後、
3メートルくらい離れた別の木のだいたい同じところに止まってしばらく休息をとるのである。
それが分かると、焦らずに撮影することが出来る。
ブラジル・サンパウロのナタウ2007 その11 持続可能なナタウ 2。
12月24日(月)のサンパウロは、23日(日)よりは、車が多かった。
でも、いつもの月曜日ではない。
買い物を残した人だけが、現れている感じだった。
そういった店も、だいたい午後もしくは夕刻には早じまいをしていた。
従業員も、それぞれナタウを迎える準備をするためだ。
夜になるにつれて、街は本当に静かになった。
深夜には、バチカンのミサの様子が同時中継された。
これは、かなり昔から同時中継されている。
ところで、
12月16日ころから、サンパウロ市内の各所に、「廃材や使用済みボトル」を使ったクリスマス・ツリーが立った。
全部で30基ほどが設置されたようだ。
でも、このようなツリーは、それだけではなかった。
コンソラソン通りにある公立学校の玄関の上部に設置されたツリーも、ペットボトルで作られたものである。
そして、バッハ・フンダにあるメモリアル・アメリカ・ラチーナの図書館入り口前にもペット・ボトルのツリーが設置された。
12月25日(火)、サンパウロ市は朝から静かである。
車の通りも本当に少ない。
ブラジル・サンパウロの公園 その90 Parque Água Branca 3。
ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
「緑の地図」にある公園では、最後の公園になった。
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アグア・ブランカ公園Parque Água Branca(正式名称はドトール・フェルナンド・コスタ公園Parque Dr. Fernando Costa)は州営である。
園内を簡単に紹介する。
フランシスコ・マタラーゾ大通りに面した正門。
この入り口からは、車は入ることはできない。
車の場合は、別の2箇所の駐車場入り口を利用しなくてはならない。
正門を入って、正面に見える建物、
この公園の中にある建物のほとんどは、ノルマンディー形式の建物である。
誰だかよく分からないのだが、銅像が建っている。
この公園名称のフェルナンド・コスタ博士だった。
サンパウロの公園ではもっとも詳細な園内の案内表示である。
それだけ、色々な施設があるということである。
水族館。
2年ほど前に開館した。
僅かだが入館料が必要である。
大変にしょぼい。 熱帯魚店のほうがまだマシである。
でも、小さな子供にはこの程度でも良いだろう。
※サンパウロ市にある別の水族館については、すでに紹介している。
地質学博物館。
これも規模は小さい。
鉱物や化石の標本などが展示してある。
ここは無料である。
馬場。
ここでは、子供向けの馬術訓練も行われている。
多目的スペースでもある。
※クリックすると拡大する。
かつては、牛などの品評会に使われただろうスペース。
今は、イベントの会場になったりしている。
ただ、この施設のすぐ近くに木が茂っていて、鳥を発見するのは難しい。
こんなところに籠もらなくても、
鳥はいくらでも発見できる。
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そして、なんと猿もいた。
僅か2-3メートルのところに4頭もいたのである。
都会のど真ん中の人工林の公園に、猿がいるとは驚きだった。
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こういう公園なので、
犬などを連れてはいることは出来ない。
規模が大きな公園ではないが、
一度訪れてみる価値はある。
週末には、色々なイベントが開催されているので、
それだけでも楽しみは増す。
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これで、サンパウロ市内にある公園のうち「緑の地図」にある公園全てを紹介し終わったことになる。
実際のところ、市営公園でも周縁部にある公園の調査には、かなり緊張を強いられた。
おかげでかなり度胸が付いた。
また、州営の公園の調査には、時間と費用がかかった。
でも、自分としても、かなり楽しむことが出来た。
サンパウロ市の隅から隅まで、行ったかのような気がする。
この企画を思いついてから1年半以上になる。
もちろんきっかけは「緑の地図」を手に入れたことである。
日常生活でも、サンパウロ市内における色々な格差を感じるのだが、公園という物を対象にしたときに、その格差はどういった表れ方をしているのかを知りたかった。
結果としては思った通りだったとも言えるし、
行政も格差是正の努力はしているし、
社会全体も格差の縮小に向かって動いていることは間違いない。
どの公園に行っても、静かなそして平和で幸福な生活を願う人たちが訪れていた。
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公園によっては、
この連載で紹介した時点とは、異なっていることが考えられる。
今後も、折をみて訂正や補遺は行っていきたい。
「緑の地図」には、サンパウロ市営32箇所の公園が掲載されていた。
だが、その後2箇所の公園が新たに開園している。
また、どういう訳かわからないが、すでに開園していた市営公園にもかかわらず掲載されていないものがある。
更に、だいたい周縁部であるが、公園予定地となっていて、一部供与されているところもある。
そういったところの調査も、ある程度進んでいる。
今後、そういったところも取りあげていく。
まだ、「ブラジル・サンパウロの公園」は、しばらくは続くことになる。
ブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー その2 コパン。
12月15日に100歳を迎えたブラジルの建築家オスカー・ニエマイヤー。
サンパウロにも、彼の作品が少なからずある。
その一つが、南米最大の集合アパートと言われているコパンである。
サンパウロ市の歴史的中心部のセントロの西側に立っている。
32階建てでウェーブした屏風のような建物は、かなり遠くからでも目立つ。
建物の形に沿って、ウェーブしている。
カカが信仰している福音派系の教会の一つも入居していた。
後から設置されたのだろうが、スプリンクラーの配管が天井にあらわになっている。
もう築後40年以上も経っているので、近づいてみると外壁はかなり傷んでいる。
だいたいこのコパンの写真は、西側から撮影されたものが多い。
各階に横一直線の幅のある白い庇が付いていて、各部屋の窓は遠目では見ることは難しい。
1600戸とも言われる集合住宅でのそれぞれの生活を感じることが出来るのは、東側からの眺めである。
このコパンは、
まだ全くスラム化していない。
それどころか、建築当初ほどではないにしても、
都心生活を満喫したい人でいっぱいなのである。
1970年代は、日本人駐在員も単身者などは住んでいたそうである。
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その8 "Os Cariocas"8。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
ほぼ無休で営業している。
週の半分ほどは、カバーチャージを取るようなミュージシャンがゲストとして演奏する。
その時以外は、食事代と飲み物代しかかかからない。
だいたいショーは、22時過ぎから始まる。
食事もお酒も、雰囲気を考えると、高くない。
共にメニューも豊富である。
食事のほうも、ブラジル的には量は少ないが、質は良い。
ここは、拙宅から歩いて5分くらいのところなのである。
このあたりの今の治安を考えると、歩いていける。
だからこそ、重宝しているところである。
毎晩、日付が変わるような時間までそこにいると思っている人がいるらしい。
そんなことはない。(そこまではない)
ここで、日系人(もしくは日本人)を見かけることは、本当に稀である。
200席弱ほどの場所である。
上品な出張者を、ここにお連れするのも悪くないと思うのだが。
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そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
このショーのカバーチャージは、50レアル(=約3200円)。
やはり有名な人はとても高い。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
-------------------------------
その模様を紹介する。
今回は、ボサノバのスタンダードばかりを演奏した。
「spd20071201cariocas9.WAV」をダウンロード
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
ショーの最後に、このステージのプロデューサーも出て来て、今年の活動を振り返り、また来年もよろしくと言って締めくくっていた。
この晩に販売されたCDを買ってしまった。
25レアルであった。
このCDの曲は演奏されなかった。
本当に、スタンダードばかりだった。
ブラジル・サンパウロの「カルロス・ゴーンはブラジル人だった」。
12月19日のことだが、ルノー・日産グループ社長のカルロス・ゴーンが、ニュースに出て来た。
ブラジル・サンパウロを訪れていたのだ。
来年のF1のルノーのドライバーに、
80年代初めのブラジル人レーサーのネルソン・ピケの息子ネルシーニョ・ピケと契約したのだが、その発表会に参加したりしていた映像なども出て来た。
ブラジルにおけるルノー・日産グループのシェアは4%程度である。
そして、ニュースの中で単独インタビューに応じていた。
そのインタビューは、全てポルトガル語でおこなわれたのだが、
カルロス・ゴーンは、「よどみなく」とまではいかないまでも、
きちんと話していた。
「20071219JG-CarlosGosn-Entrevista.wmv」をダウンロード
日本では、カルロス・ゴーンはフランス人というイメージ強いだろうが、
彼はブラジル人である。
レバノン系フランス人が親で、ブラジルの辺境ロンドニア州で生まれている。
だから、出生地主義をとるブラジルの国籍を持っている。
ただし、その後7-8歳で、ブラジルを離れて、
レバノンそしてほとんどの教育はフランスで受けている。
ミシェランそしてルノーを経て日産にやってきたわけだ。
ブラジルにいた期間などほとんどない。
だから、ポルトガル語はたぶん話せないだろうと思っていた。
ただ、数年前だったか、日産の株式総会の前に、父親が亡くなって、その総会を社長にもかかわらず欠席したことがあった。
その父親の葬儀が行われたのは、リオ・デ・ジャネイロであった。
カルロス・ゴーンと、ブラジルの縁は切れていなかったのだろう。
segunda-feira, 24 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その52 その後のレアンドロ・アマラル
鹿島アントラーズが関心を持っていると報じられた後、すぐに断念したと伝えられたことで、レアンドロ・アマラルについては取りあげていなかったが、鹿島アントラーズとは関係無いところで動きは続いていた。
所属していたヴァスコ・ダ・ガマが、契約にある自動延長条項を使い、1年の延長という内容で、ブラジルサッカー協会CBFがその申請を受け付け、登録した。
しかし、レアンドロ・アマラルは登録取り消し処分を裁判所に訴え、その訴えが認められた。
この裁判所の決定を受けて、ブラジルサッカー協会CBFは登録を取り消した。
これで、レアンドロ・アマラルはどこのクラブとでも契約できるようになった。
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ヴァスコ・ダ・ガマVasco da Gamaのとの関係を断ち切るために裁判に訴えたFWレアンドロ・アマラルLeandro Amaralは、この木曜日にもフルミネンセFluminenseで紹介される。
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ところが、
12月24日(月)に、アジアサッカー連盟Federação Asiática de Futebolのサイトで、FWレアンドロ・アマラルLeandro AmaralがカタールCatarのアル・ライイアンAl Rayyanとの契約に証明したと報じられた。
このサイトによると、レアンドロ・アマラルは1月3日にカタール選手権の対アル・アラビAl Arabi,戦でデビューするという。
このアル・ライイアンを指揮しているのは、ブラジル人のパウロ・アウツオーリPaulo Autuori監督である。
30歳のレアンドロ・アマラルLeandro Amaralはブラジル選手権Campeonato Brasileiroで15ゴールを決めたヴァスコ・ダ・ガマでの名選手である。
しかし、ヴァスコ・ダ・ガマが契約にある自動更新条項を使ったことで、その状況に不満を持った。
レアンドロ・アマラルは、12月11日にヴァスコ・ダ・ガマを訴える裁判に入り、、契約会場の仮処分決定を勝ち得た。
初めての審問は、1月14日に行われる。
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レアンドロ・アマラルの行き先は、混沌としてきた。
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その7 "Os Cariocas"7。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
ほぼ無休で営業している。
週の半分ほどは、カバーチャージを取るようなミュージシャンがゲストとして演奏する。
その時以外は、食事代と飲み物代しかかかからない。
だいたいショーは、22時過ぎから始まる。
食事もお酒も、雰囲気を考えると、高くない。
共にメニューも豊富である。
食事のほうも、ブラジル的には量は少ないが、質は良い。
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そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
このショーのカバーチャージは、50レアル(=約3200円)。
やはり有名な人はとても高い。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
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その模様を紹介する。
今回は、ボサノバのスタンダードばかりを演奏した。
客層は、だいたいいつも30歳以上の人ばかりで落ち着いた雰囲気なのだがなのだが、
この日は特に高齢者が多かった。
ボサノバというジャンルを考えるとそういうことになるのだろう。
老夫婦が、一緒にボサノバを唄っていた。
スタンダードなので、誰でもその当時は知っていた曲だったのだろう。
ボサノバ以降の軍政期の色々な出来事もよぎったのではないだろうか。
ボサノバ最初の録音の曲ともいわれているChega de Saudade「邦名:想いあふれて」なんて、大合唱だった。
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
「spd20071201cariocas7.WAV」をダウンロード
今は、もうブラジルでボサノバは若者にはまったく聞かれないかこのものになっている。
でも、かつて本当にボサノバは流行っていたことを知った晩であった。
ブラジル・サンパウロの公園 その89 Parque Água Branca 2。
ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
「緑の地図」にある公園では、最後の公園になった。
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アグア・ブランカ公園Parque Água Branca(正式名称はドトール・フェルナンド・コスタ公園Parque Dr. Fernando Costa)は州営である。
1904年に、当時の市長が、サンパウロ市の農業が揺籃期にあること知り、その振興をする必要を感じていた。
農業特に酪農畜産の研究開発そして博覧会場として、この公園が1911年に出来ている。
その後、1940年前後に、サンパウロ州に移管されている。
現在のイビラプエラ公園の土地と交換されている。
現在は、その歴史を引きずっており、各種の研究所がまだある。
ただ、多くの研究所の活動拠点は、サンパウロ州各地に点在することとなっている。
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公園の総面積は136.765.41m²で、そのうち79.309,66m²が緑地となっている。
建物の敷地面積は27.110m²そして通路や広場の面積は30.345,7m²
この公園の植生は、原生ものものはなく、全て後から植えられたものである。
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この公園には、その歴史を反映して、実に多くの施設がある。
水族館AQUARIO
ピクニック・エリアÁREA PIC-NIC
森林回復エリアAREA DE RECUPERAÇÃO DA MATA II
イベント・アレーナARENA DE EVENTOS
竹林BAMBUZAL
椰子林BOSQUE DAS PALMEIRAS
カボクロの家CASA DE CABOCLO
野外ステージCORETO
役員室・貴賓室DIREÇÃO DO PARQUE E SALÃO NOBRE
運動器機EQUIPAMENTOS DE GINÁSTICA
生物スペースESPAÇO BIOLÓGICO E ESPAÇO OFICINA
イチジクスペースESPAÇO DAS FIGUEIRAS
有機農業スペースESPAÇO DE AGRICULTURA ORGÂNICA
展示スペースESPAÇO DE EXPOSIÇÃO
読書スペースESPAÇO DE LEITURA
動物学スペースESPAÇO ZOOTÉCNICO
多目的スペースESPAÇO MULTI-USO PAVILHÃO 15
駐車場ESTACIONAMENTO
サンパウロ連帯財団FUNDO SOCIAL DE SOLIDARIEDADE DE SÃO PAULO
黒池LAGO PRETO
養蜂園MELIPONÁRIO
地質学博物館MUSEU GEOLÓGICO WALDEMAR LAFREVE
鳥観察施設OBSERVATÓRIO DE PÁSSAROS
子供公園PARQUE INFANTIL
イベント館PAVILHÃO DE EVENTOS
鳩小屋POMBAL
日時計RELÓGIO DE SOL
レストランRESTAURANTE
鯉池TANQUE DE CARPAS
このほかにも、色々なNGO組織の事務所などいっぱいある。
ただ、それほど広くもない公園にこれだけの施設があるので、どれも規模は小さい。
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この公園を訪れる人は、色々だ。
公園の南東側にある高級アパート街のペルヂーゼスの住民が、ジョッギングをしているようなのも見るし、どちらかというとやや貧しそうな階層の人たちも訪れている。
バッハ・フンダ駅が近いなど交通の便がよいこともあるだろう。
日曜日になると、とても大勢の人が訪れる。
だいたい何かイベントが行われれているので、それを見るだけでも飽きの来ない公園である。
公園内に治安の問題はないようだ。
この公園は、実は犬を連れて胚ことは出来ない。
園内に、ニワトリやクジャクなどが放し飼いになっているからだ。
そういう雰囲気の公園なのである。
拙宅からそう遠くないこともあって、好きな公園の一つである。
お勧めである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その51 ロナウドの従兄弟が虐殺された。
ロナウドRonaldoの従兄弟が、リオ・デ・ジャネイロの北部で虐殺された。
12月22日(土)夜に、リオ・デ・ジャネイロの北部での虐殺で、3人が死に1人がケガをした。
犯罪者は、犠牲者のうちの2人が働いていた薬局Drogaria Proguressoに向かって撃った。
死者の中に、薬局の従業員のイゴール・ナザリオ・ヂ・リマIgor Nazário de Lima25歳がいた。
彼はロナウドRonaldo31歳の従兄弟である。
警察によると、22時過ぎに、一台の黒のプジョーPeugeotが、リオ・デ・ジャネイロ北部のヴィセンチ・ヂ・カルヴァーリョ大通りAvenida Vicente de Carvalhoの薬局に向かって撃ちながら通り過ぎていった。
イゴール・ナザリオ・ヂ・リマ以外に、店頭員のウェリントン・タナキWellington Tanaki30歳と客のロムロ・アラウージョ・ベラルミノAraújo Belarmino18歳が死んだ。
3人は銃弾を受けており、即死だった。
モイゼス・ポンテス・ソブリーニョ27歳がケガをして、ジェツリオ・ヴァルガス病院Hospital Getúlio Vargasに向かった。
警察によると、証人は発射したのは明らかに機関銃であったと証言した。
生後20日の子供を残したイゴール・ナザリオ・ヂ・リマ25歳の埋葬は、イラジャ墓地で日曜日の午後に行われた。
警察によると、イゴール・ナザリオ・ヂ・リマは、犯罪記録に2つ名前が残っている。
2001年に麻薬取引で82分署に逮捕された。
2002年7月から2005年4月まで、武装して母親を襲って収監された。
しかし、彼の叔父のニウトン・ラザリオ・ヂ・リマは、どの犠牲者も犯罪には関わっていないと言った。
標的は、ケガをしているモイゼス・ポンテス・ソブリーニョと考えられている。
話せる状態にあるので、捜査員が尋問をしている。
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ロナウドの父親が、埋葬に参列していた。
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ロナウドの従兄弟でなければ、
ここまでは、
報道されなかったかもしれない。
domingo, 23 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのナタウ2007 その10 持続可能なナタウ。
12月23日(日)のサンパウロは、普段の日曜日以上に、車が少なかった。
買い物をするところには人出はまだ多かったのだろうけど、そうではないところはもう閑散としていた。
金曜日や土曜日に、もうナタル(=クリスマス)休暇をサンパウロ市以外で過ごす人はもう出て行ってしまったのだろう。
まるで、大晦日の東京のようだった。
ところで、
12月16日ころから、サンパウロ市内の各所に、クリスマス・ツリーが立った。
そのツリーを最初に発見したのは、コンソラソン通りのフランクリン・ルーズベルト広場の側であった。
一面は、解体した木箱の木っ端が打ち付けてある。
そして、もう一面は、ペットボトル。
緑色に見える。
ブラジルのサッカー雑誌PLACAR その21 2007年の優勝チーム。
ブラジルで唯一といっても良いサッカー雑誌Placar誌。
月刊である。
だが、ほぼ毎月増刊号を発行する。
12月は、この増刊号の発行が多い。
増刊号でも出さないと売れないこともあるだろう。
サンパウロFCのブラジル選手権優勝特集号。
2007年ブラジル選手権優秀選手特集号。
「2007年ブラジル選手権優秀選手特集号」は、このPlacar誌が選定する各ポジション別の優秀選手を発表する内容だ。
そして、さらにまた特集号が出た。
2007年の各選手権での優勝チーム記念撮影写真だけを集めた内容だ。
ブラジル選手権優勝のサンパウロFC。
ブラジル杯優勝のフルミネンセ。
リベルタドーレス杯優勝のボカジュニオールス。
米州杯優勝のブラジル代表、等々
一部はA4変版2枚分の大きさだが、
その他のものはA4変版1枚と、誠にコンパクトな大きさである。
2007年のサンパウロ州選手権優勝のサントス。
5月のことだが、もうずいぶん前のことのようだ。
欧州各国の選手権の優勝チームの物もある。
ブラジル人選手がいっぱいいるからだろう。
2007年のブラジル選手権セリエBの優勝は、コリチーバというチームである。
2005年に、セリエAから降格し、2年間セリエBにいた。
そのチームに、ペドロ・ケンという日系人選手がいる。
12月9日に行われたブラジル選手権優秀選手選抜対オリンピック代表の試合のために招集されたオリンピック代表に入っていた。
そのペドロ・ケン選手を確認することが出来た。
日系人ではあるが、
顔つきからして、ロドリゴ・タバタとは違って、
混血のようである。
コリチーバのサイトで調べてみた。
登録名:Pedro Ken
本名 :Pedro Ken Morimoto Moreira
出生地: クリチーバCuritiba (PR)
誕生日: 1987年3月20日
体重:75キロ
身長:181センチ
コリチーバのジュニア出身だそうだ。
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2008年にこのペドロ・ケンを、ブラジル選手権で本物をみることはできそうもない。
なぜなら、コリチーバは、1部に昇格したからだ。
パカエンブー競技場では、第2部の試合がおこなわれることになるからだ。
コリンチャンスの相手のチームの試合を見ることができるだけだ。
※ペドロ・ケンは、サントスに移籍という「噂」はある。
ブラジル・サンパウロの「ブラジル美術のパノラマ」展。
ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園の中にある美術館の一つ現代美術館MAMーMUSEU DE ARTE MODERNAで「第30回ブラジル美術のパノラマ」展が開催されている。
入場料は、5.5レアル(=約350円)と、ブラジルにしてはちょっとだけ高い。
このパノラマ展は、毎年定期的に開催されているもので、
現代美術作家の作品を10数点展示している。
はっきり言って、好みではなかった。
「20071116JNsp-Exposicao2.wmv」をダウンロード
現代美術は、絶対多数に受け入れられるような芸術を目指しているわけでもないだろうから、作家としても展示企画者としても、それはそれでも良いだろう。
でも、5.5レアルを支払った者としては、不満だった。
先に紹介したイタウで開催されていた美術展「現在の未来」に満足していたのは、それが無料だったからではない。
サッカー:ロマリオの日々 その69 2百万レアルの賠償命令。
2007年の終わりはロマリオRomárioにとって良くはない。
ドーピングの件でスポーツ最高裁判所STJDによって120日間の出場停止となった翌日に、ロマリオBaixinhoは巨額の補償の支払い命令の判決を受けた。
ロマリオは、2,276,000.48レアル(=約1億4千万円)をレヴィ・フェヘイラ・ソテーロLevi Ferreira Soteroに物的そして精神的な損害の補償として支払うことになる。
バッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijuca民事裁判所17法廷の決定によると、原告はロマリオの元妻モニカ・サントーロが住んでいるアパートのCondomínio Golden Greenの工事による損害の補償を要求していたのが認められた。
彼女たちは、階下にあるレヴィ・フェヘイラ・ソテーロのアパートに損害を与えた。
ロマリオRomárioの控訴は却下された。
ロマリオは15日以内に決定を実行するだろう。
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損害賠償だけで、そんな金額になるアパートとは、相当に豪華であるということである。
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その6 "Os Cariocas"6。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
ほぼ無休で営業している。
週の半分ほどは、カバーチャージを取るようなミュージシャンがゲストとして演奏する。
その時以外は、食事代と飲み物代しかかかからない。
だいたいショーは、22時過ぎから始まる。
食事もお酒も、雰囲気を考えると、高くない。
共にメニューも豊富である。
食事のほうも、ブラジル的には量は少ないが、質は良い。
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そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
このショーのカバーチャージは、50レアル(=約3200円)。
やはり有名な人はとても高い。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
一番手前のピアノを弾いている人がリーダーである。
曲の合間には、1960年前後の話をし、トム・ジョビンやメネスカルなどの名前も出て来た。
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その模様を紹介する。
今回は、ボサノバのスタンダードばかりを演奏した。
「spd20071201cariocas6.WAV」をダウンロード
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
ブラジル・サッカー:2007オフ その50 アドリアーノの給与は10分の1に。
お金は幸せを持ってこない。
アドリアーノが過ごしている状況は最大の契約金の減少である。
サンパウロFCでプレイするために、アドリアーノAdrianoはインテル・ミランInter de Milãoで受け取っていた高い給与を諦めた。
「自分は給与については諦めた。 お金は今は大事ではないからだ。 大事なことは、プレイに復帰することだ。 戻ることが幸せを持ってくる。 自分にとって自分がお金を得るか得ないかは問題ではない。 大事なことはここから前進することである。 今自分はここでとてもよい。 お金を失っても悔いることはない」と、アドリアーノは保証した。
サンパウロFCでは、今までの10%を受け取ることになる。
アドリアーノAdrianoにとって、お金を考えるために第1に必要なことは良いプレイに復帰することである。 良い状態に復帰すれば、自然に銀行口座はいっぱいになる。
「プレイし、幸せになる必要がある。 以前のアドリアーノAdrianoに戻れば、間違いなく自分は戻るし、自分は回復している。 いまは自分が望んでいることは、プレイである」と言った。
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アドリアーノが復調すると、
サンパウロFCはいい買い物だ、
sábado, 22 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その49 エヂムンドは、パルメイラスを退団。
パルメイラスPalmeirasの社長は、サッカーのジムでこの木曜日の午後に話し合いをした後に、FWエヂムンドEdmundoとの関係を絶ったことを公式に発表した
自由になったエヂムンドAnimalの行き先は、ヴァスコ・ダ・ガマに戻ることになるだろう。
「友好的に話し合いをした。 いつもクラブにプロとして尽くしてくれたエヂムンドEdmundoを尊敬していることは言うまでもない。 パルメイラスPalmeirasのシンボルとしてエヂムンドを扱ってきただけに残念な状況である。 彼が残らないのは、何も彼個人のことでも監督の異動とも関係がない。 ただ、クラブの仕事の哲学の問題である」と、サッカー担当副社長のジウベルト・シプロGilberto Cipulloは説明した。
今年の12月31日に契約が終了することになっていたエヂムンドEdmundoは、ファンの応援に感謝しつつも、タイトルを獲ることもなく、2008年のリベルタドーレス杯Taça Libertadoresの出場権を得ることもなくパレストラ・イタリアPalestra Itáliaを去ることを残念がった。
「ファンからこの何年も親切にして貰ったことにはただ感謝している。 忘れられないときもあった。
1993年にここの地を踏んだ最初の日から、パルメイラスは自分の心にいつもいた。 このクラブが好きだ。 告白する。 もう1つか2つのタイトルを獲り、もしくは少なくともリベルタドーレス杯Copa Libertadoresの出場権を得て、出て行きたかった。 サッカーは、こんな事を我々にする」と言った。
エヂムンドは、次シーズンのパルメイラスの成功を応援した。
「パルメイラスでは再建の年だった。 多くのことがより良く変わった。 2008年には勝利者となることを期待している。パルメイラスPalmeirasが2008年に勝利者となることを期待している。 心から、いつも応援していく」と、パルメイラスの広報担当者から出された文書で付け加えている。
エヂムンドEdmundo36歳は、パルメイラスPalmeirasで223試合に出場し、99ゴールを決めた。
パルメイラスに所属してきた約1800人の選手の中で、エヂムンドは18番目のゴールを決めている。
ブラジル選手権Campeonatos Brasileirosでは、エヂムンドEdmundoはパルメイラスPalmeirasで34ゴールをあげた。
パルメイラスのこの選手権の記録では2番目である。
1993年に11ゴール、1994年には9ゴール、2006年に10ゴール、そして2007年には4ゴールだった。
41ゴールを決めたレイヴィーニャLeivinhaに次ぐものである。
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エヂムンドの退団を決定的にしたのは、
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督がパルメイラスの監督に就任したこと以外にはない。
2人は、裁判で争っている。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督が、負債を支払うために、エヂムンドに渡した小切手が不渡りだったので、また支払ったことになっていることで、エヂムンドが訴えている。
すでに、第1審では、エヂムンドの言い分が認められている。
係争相手のヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督と、一緒にはいられないというわけである。
当然な話である。
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問題は、エヂムンドの行き先と見られるヴァスコ・ダ・ガマだが、
エヂムンドはこのヴァスコ・ダ・ガマにも債権があるのである。
これが問題で、エヂムンドはヴァスコ・ダ・ガマにはいかないのではないかという報道もある。
更に、ロマリオとの関係も気になる。
かつては、同じヴァスコ・ダ・ガマに所属して仲は良かったのだが、
両雄並び立たずというのか、
その後喧嘩別れしたままのはずである。
個人的には、エヂムンドの生き方は嫌いではない。
ブラジル・サンパウロのナタウ2007 その9 セントロ 2。
ナタウ(=クリスマス)は、もう来週。
ブラジル・サンパウロは、景気の良さを反映して、夕方になると、買い物で手がふさがった人がいっぱい歩いている。
それに、会社のちょっとしたパーティーなどで、プレゼントを貰った人やパネトーニを貰った人などで溢れている。
12月は、給与も2ヵ月分出ているわけで、その分財布もちょっと緩んでいるようだ。
仲間との打ち上げパーティーも、それぞれのレベルで、あちこちで行われている。
サンパウロの歴史的中心部のセントロも、夜遅くまで、そういった人たちが歩き回っている。
今年は、特にイルミネーションが豪華になったこともあるだろう。
20年前のこのあたりのことを知っているだけに、とても驚いているし、そこまで治安が回復したのかと、喜ばしい限りである。
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今のサンパウロは、夏時間を採用していることもあって、20時過ぎまでまだ明るい。
仕事を終えて、友達や仲間と待ち合わせている人たちが集まってくる。
セントロの中のセントロと言えるのが、アンニャンガバウ。
サンパウロ市を南北に結ぶ幹線道路が、地下を走るようになって、10数年になる。
道路の上は、公園のようになっているのだが、ちょっと前までは、夜は物騒というイメージしかなかった。
しかし、今年はそこも夜遅くまで人がいっぱいになった。
中心は、キリスト誕生の様子を表した大きなプレゼピオ。
何度かここで、ショーも開催される。
サンパウロ市は、夜のサンパウロを知るツアーを実施している。
イルミネーションに輝くところを、バスでそして歩いて回るというツアーだ。
揃いのTシャツを着た人たちがそのメンバーである。
そのアンニャンガバウの谷に面して立つ3本の高層ビルの一つも壁面を飾った。
そのシャ陸橋の、東のたもとにあるフランシスコ・マタラーゾ・ビル。
今は、サンパウロ市庁舎になっているのだが、
ここも壁面が光の洪水になった。
さらに、アニャンガバウの北側にかかるもう一本の陸橋である
サンタ・イフィジェニア陸橋もその橋脚が眩しいまでになっている。
市立劇場の脇のラモス・ヂ・アゼヴェアード広場も美しく飾られている。
こんな写真を、21時から24時にかけて撮影できることが、なんとも驚きである。
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その5 "Os Cariocas"5。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
ほぼ無休で営業している。
週の半分ほどは、カバーチャージを取るようなミュージシャンがゲストとして演奏する。
その時以外は、食事代と飲み物代しかかかからない。
だいたいショーは、22時過ぎから始まる。
食事もお酒も、雰囲気を考えると、高くない。
共にメニューも豊富である。
食事のほうも、ブラジル的には量は少ないが、質は良い。
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そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
このショーのカバーチャージは、50レアル(=約3200円)。
やはり有名な人はとても高い。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
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その模様を紹介する。
今回は、ボサノバのスタンダードばかりを演奏した。
「spd20071201cariocas5.WAV」をダウンロード
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
ブラジル・サッカー:2007オフ その48 アドリアーノがサンパウロFCで紹介された。
6ヵ月。
アドリアーノAdrianoがサンパウロFCの選手として、昨年選手としてそして個人生活でも失ったものを全てまた獲得するための時間である。
アドリアーノは、12月21日(金)に微笑んだそして大きな期待をもってサンパウロFCの社長によって発表された。
「舞台に戻ってきた」"volta por cima"という表現を何度も記者会見で使った。
ボールに植えていたアドリアーノAdrianoはサンパウロ州選手権、ブラジル選手権、そしてもちろんリベルタドーレス杯米州選手権Copa Libertadores da Américaの全ての試合で戦うと保証した。
「自分が望むこと以上に信頼していた。 サンパウロFCに来た時に、自分はここで良くなるだろうと思った。 クラブの設備によって、人々によって、そして歴史によって。 ここのユニフォームを着ることは自分にとっての誇りである。 ここでまた舞台に戻りたい。 また再びブラジルBrasilにいることでとても幸せである」と、アドリアーノAdrianoは言った。
約1ヵ月の治療のあと、アドリアーノAdrianoは社長により、休暇のために自由にされていた。 しかしアドリアーノはグラウンドに戻る時のことを考えていた。 他の選手たちとの再集合は1月7日となっている。
彼は休むという言葉を聞くことは全く望んでいない。
「休養はもう沢山だ。 もうみんなのお世話になってきた年だった。 可能な試合全てでプレイしたい。 ゴールをし、サンパウロFCが決勝にすすめるように貢献をする」と明言した。
アドリアーノとサンパウロFCとの契約は、7月10日までである。
サンパウロFCがリベルタドーレス杯の決勝に進んだ時は、アドリアーノはチームが3度目のチャンピオンとなるように貢献することになるだろう。
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アドリアーノが、とても嬉しそうに微笑んでいた。
身体の割に、とても気持ちが繊細なアドリアーノである。
ブラジル・サンパウロは「夏」2007-2008 その1 「夏」になった。
ブラジル・サンパウロSão Pauloは、12月22日(土)3時28分に夏になった。
いつものように、太陽が南回帰線に達した時刻を以て、夏になると言うわけだ。
国立宇宙研究所Inpe (Instituto Nacional de Pesquisas Espaciais). によると、暑くまた雨の季節は、また昼が夜より長いことで特徴付けられる。
夏はまた、昼間の天気がすぐに変わることも特徴である。
すぐに雨が降るのだが、それは特に午後に集中する。
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12月22日(土)のサンパウロは、午前中は雲はでていたが晴れ。
午後になって、更に雲が増えた。
夕刻になって、湿気が増えたので、夜になると雨が降るかもしれない。
ブラジル・サッカー:2007オフ その47 フラメンゴは、ロナウドを求めている。
この何週間か前に、フラメンゴFlamengoのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKléber Leiteはミランに、ロナウドRonaldoをリベルタドーレス杯Taça Libertadoresをフラメンゴの一員として戦わせるためにオファーをする気があると打診している。
しかし、返答はよいものではなく、クレーベル・レイチの夢の実現は先送りになった。
「彼らは自分にロナウドRonaldoについて少なくとも6月までは関心があると言っていた。 素晴らしいことになっただろうに」と、クレーベル・レイチは言った。
ロナウドRonaldoは、ケガの連続のために、実質的に、2007年はグラウンドには入っていない。
この木曜日に彼は年末のフェスタをするため、そして打撲傷の回復治療をするために、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroに着いた。
この木曜日にガヴェアGáveaに広まった情報では、ロナウドはミランMilanの役員レオナウドLeonardoにフラメンゴFlamengoのためにリベルタドーレスLibertadores杯を戦いたいと頼んだという。
※※ガヴェアは、フラメンゴの本部。
クレーベル・レイチKléber Leiteはこの情報を否定した。
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ロナウドは、フラメンゴでプレイをしたことはない。
子供の時にも、クラブに入れてもらえなかった。
でも、フラメンゴのファンである。
それは、何度も繰り返して明らかにしている。
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ロナウドの情報が、少なくなった。
以前のように、ロマンスの、そしてスキャンダルな、話題もなく、映像もない。
寂しい限りである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その46 ドドゥは、フルミネンセ。
FWドドゥDodôは、12月21日(金)にフルミネンセFluminenseで紹介された。
ドドゥ32歳は、2008年のシーズンのためにフルミネンセのユニフォームを着る2人目の新戦力となった。
一人目は、日本Japãoの元浦和レッズ・ダイアモンズex-Urawa Red DiamondsのワシントンWashingtonで、この金曜日にクリチーバCuritibaで発表された。
ドドゥDodôは、ボタフォゴBotafogoでゴールと問題の時を過ごした後に、フルミネンセにやってきた。
ドドゥは、リオ・デ・ジャネイロ州選手権で準優勝したチームの名選手の1人であった。
しかし、ドーピング検査で彼の名前が出て来た。
スポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Desportivaでの2度の審理の後に無罪となったが、2008年にはFIFAによって裁かれる。
ドドゥは、1994年に短期間フルミネンセのジュニオールにいて14試合で6ゴールを決めた。
彼はまたプロとして1試合マラカナMaracanã競技場でも戦うに至った。
「フルミネンセFluminenseのユニフォームを着ることに戻れて幸せである。 12-13年たった。 あの時の職員にまた会えて嬉しい。 このユニフォームを着られて嬉しく誇りである」と、ドドゥDodôは明言した。
ドドゥは、2007年の出来がとても良かったのにフルミネンセFluminenseに来ることになったかを明らかにした。
「フルミネンセはチームを強くしたがっていて、自分と話をした。 初めてリベルタドーレス杯を戦うことになって嬉しい」と言った。
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ほぼ毎年、それほど悪くない成績を残しながらも、
クラブを移り続けているドドゥ。
フルミネンセへの移籍の理由は、ブラジル人選手としてのあこがれのリベルタドーレス杯と説明したわけだ。
ブラジル・サッカー:2007オフ その45 ワシントンはフルミネンセ。
クリチーバCuritibaで、フルミネンセFluminenseは公式にフルミネンセの最初の新戦力の入団を公式に発表した。
FWワシントンWashingtonは、契約の終了時に同じ期間を延長するオプションがある1年の契約にサインをした。
ワシントンは、初めてフルミネンセFluzãoのユニフォームを着ることに誇りを感じているところを見せた。
ファンを大喜びさせることを約束した。
「フルミネンセのような歴史のあるクラブで戦うことはとても嬉しい。 タイトルを獲るためにブラジルに戻ってきた。 2008年は良い試合をする。 やる気いっぱいである」と、ワシントンWashingtonは言った。
ワシントンは、2003年に手術をした医師の検査を受けるためにパラナ州の首都クリチーバにいる。
約1年半の休みのあとアツレチコ・パラナエンセAtlético-PRのグラウンドに戻ることを可能にしたコンスタンチーノ・コンタンチーニCostantino Costantini博士のところである。
ワシントンは、フルミネンセのためにプレイするに適しているかを確認するための検査をした。
「ワシントンWashingtonはとても従順な患者である。 体調管理、食事管理をして、健康に注意し、定期的な検査をしている 彼は2003年からやって来ているように高いレベルの選手権でプレイする彼の生活を保つことができる」と、コンスタンチーノ・コンタンチーニ博士は明言した。
心臓専門医のロベルト・オルカーデスRoberto Horcades社長もまた契約に署名する前にワシントンの心臓がどうなのをかを知ることが重要だと話した。
「ワシントンをフルミネンセに引っぱったことは大きな喜びである。 ここコンスタンチーノ・コンタンチーニ博士のところであるで検査をするという問題があった。 クラブにとってそして自分にとっても特別な心配であった。 ワシントンは契約に合意する前に理解していた」と、ロベルト・オルカーデス社長は言った。
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ワシントンのフルミネンセ行きはすでに既定のことであったが、これで正式に決まったことになる。
sexta-feira, 21 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その44 コリンチャンスの新スポンサーの「緑」は禁止。
コリンチャンスCorinthiansは、2008年のシーズンに新しいスポンサーを持った。
ブラジルの健康保険運用会社のもっとも大きなものの一つである、メヂカル・サウヂMedial Saúdeである。
12月19日(水)夜の会議で決まった合意が、コリンチャンスTimãoの社長のサンドレス・サンシェスAndrés Sanchesの記者会見で、12月20日(木)にパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeで発表された。
合意の細かいところの一つで、コリンチャンスはメヂカル・サウヂに対してコリンチャンスAlvinegroのユニフォームに使うロゴマークに緑色を使わないように要求した。
すべてコリンチャンスのユニフォームでは、ライバルのパルメイラスの色は使わないのだ。
新スポンサーの発表の記者会見で、社長のアンドレス・サンシェスAndrés Sanchesは、ライバルを示す”あの色”の名前を言うことはなく明言した。
パートナーの社長は、この状況を楽しんでいた。
「我々は、アンドレス・サンシェス社長は決して言わないあの色をユニフォームに使わないことに大して、鷹揚に対応できる。 白と黒を使い始める。 それから、シンボルとしてどれほど目立っているかを評価したい」とメヂカル・サウヂのルイス・カウフマンLuiz Kaufmann社長は言った。
この契約で、コリンチャンスは1年間に1650万レアル(=約10億5千万円)を受け取る。 更にタイトルを獲る毎に2百万レアル。
この何日間か、コリンチャンスの社長は、小売業の巨人のMagazine Luizaと契約しそうなところまで行っていた。
また、家電小売り最大手のCasas BahiaそしてVisaもオファーをしていた。
「メヂカル・サウヂはクラブの財務的健康状態を回復させるためにとても重要である。 我々はこの結婚によって一緒に活動する計画を立てている」と、コリンチャンスCorinthiansのマーケティング担当副社長のルイス・パウロ・ローゼンベルグLuiz Paulo Rozembergは言った。
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コリンチャンスは、つい先日、今前のスポンサーのサムスンとの契約を解除したばかりである。
2部に落ちても、スポンサーはいくらでもいるようだ。
ところで、コリンチャンスの社長ともなれば、「緑」という言葉すら発しないとはさすがである。
真っ当なコリンチャンスのファンならば、「緑色野菜」も生まれた時から1回も食べていないと言い張る。
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その4 "Os Cariocas"4。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
ほぼ無休で営業している。
週の半分ほどは、カバーチャージを取るようなミュージシャンがゲストとして演奏する。
その時以外は、食事代と飲み物代しかかかからない。
だいたいショーは、22時過ぎから始まる。
食事もお酒も、雰囲気を考えると、高くない。
共にメニューも豊富である。
食事のほうも、ブラジル的には量は少ないが、質は良い。
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そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
このショーのカバーチャージは、50レアル(=約3200円)。
やはり有名な人はとても高い。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
現在のメンバーである。
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その模様を紹介する。
今回は、ボサノバのスタンダードばかりを演奏した。
「spd20071201cariocas4.WAV」をダウンロード
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
ブラジル・サンパウロのナタウ2007 その8 セントロ 1。
クリスマスは、もう来週。
ブラジル・サンパウロは、景気の良さを反映して、夕方になると、買い物で手がふさがった人がいっぱい歩いている。
それに、会社のちょっとしたパーティーなどで、プレゼントを貰った人やパネトーニを貰った人などで溢れている。
12月は、給与も2ヵ月分出ているわけで、その分財布もちょっと緩んでいるようだ。
仲間との打ち上げパーティーも、それぞれのレベルで、あちこちで行われている。
サンパウロの歴史的中心部のセントロも、夜遅くまで、そういった人たちが歩き回っている。
今年は、特にイルミネーションが豪華になったこともあるだろう。
20年前のこのあたりのことを知っているだけに、とても驚いているし、そこまで治安が回復したのかと、喜ばしい限りである。
セントロのシンボルといっても良いアルチーノ・アランテス・ビルは、そのてっぺんから、地上まで満艦飾になった。
サン・ジョアン通りのはじまりにあるビルのなので、サン・ジョアン通り沿いではかなり遠くからでも、この輝きを見ることが出来る。
ブラジルの「プレイボーイ」誌 その8 2008年1月発売の表紙を飾る女性を巡る話題3。
体育学の学生のレチッシア・カルロスLetícia Carlos24歳は、2008年1月発行のプレイボーイ誌 'Playboy'の表紙になる。
レチッシア・カルロスは、サンパウロFCのボランチのリシャリソンRicharlysonの元の彼女である。
2人は、同じ学校で知り合った。
リシャリソンRicharlysonはいつもセンセーショナルな写真には反対してきた。 これが理由の一つで2人の関係は終わった。
3か月間しか続かなかった。
プレイボーイ誌ではリシャリソンRicharlysonの名前を表紙で使うことはないだろう。
そこで、プレイボーイ誌は、いつものように、販売を盛り上げるために、撮影した写真の公開を少しずつはじめた。
※クリックすると拡大する。
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いい顔をしていると思うが、
何か身体はごつい感じだ。
体育学の学生だからだろうか。
ブラジルのプレイボーイ誌は、ちょっと話題になった女性を次々と裸にするのだが、センセーショナリズムはプレイボーイ誌のイメージとはちょっと違う気がするのだ。
本家米国のプレイボーイ誌なども今はそうなのだろうか。
そして、ほとんどの女性が、すぐに忘れられてしまう。
quinta-feira, 20 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その3 "Os Cariocas"3。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
ほぼ無休で営業している。
週の半分ほどは、カバーチャージを取るようなミュージシャンがゲストとして演奏する。
その時以外は、食事代と飲み物代しかかかからない。
だいたいショーは、22時過ぎから始まる。
食事もお酒も、雰囲気を考えると、高くない。
共にメニューも豊富である。
食事のほうも、ブラジル的には量は少ないが、質は良い。
そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
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その模様を紹介する。
今回は、ボサノバのスタンダードばかりを演奏した。
「spd20071201cariocas3.WAV」をダウンロード
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
quarta-feira, 19 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その43 アドリアーノがサンパウロFCにレンタル。
代理人のジウマール・リナルヂGilmar Rinaldiが、イタリアItáliaで、インテル・ミランInter de MilãoからアドリアーノAdrianoを6か月間サンパウロFCにレンタルすることが出来た。
ボタフォゴBotafogoのジュニーニョJuninhoとジョイルソンJoílsonとの契約の後、アドリアーノAdrianoが2008年シーズンとリベルタドーレス杯Taça Libertadores da Américaを戦うための3人目の新戦力となる。
この金曜日に、ジウマール・リナルヂはブラジルBrasilに戻りサンパウロFCの社長ジュヴェナウ・ジュヴェンシオJuvenal Juvêncioに会い、契約条件を決定する
アドリアーノをトレーニングセンターで1ヶ月前から手当てしているサンパウロFCは、まだ何も条件が決まってないと発表している。
「インテル・ミランはアドリアーノをサンパウロFCでプレイさせるために自由にすることに同意した。 これから詳細を解決する」とサッカー担当の役員のマルコ・アウレーリオ・クンニャMarco Aurélio Cunhaは確認した。
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サンパウロFCの思惑通りに、話が進んだ。
ブラジル・サッカー:2007オフ その42 パルメイラスの新監督に、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督がパルメイラスPalmeirasの新監督である。
給与のベースについては、すでにクラブと合意している。
契約期間も決まった。
監督としての他に、パルメイラスのマネージャーになる。
グラウンドの中での仕事をするだけではなく、選手の契約、契約解除、交渉そして、計画とチームの目標の立案などを行う。
問題は解決し、パレストラ・イタリアPalestra Itáliaへ現れるのは12月18日(火)の17時30分。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の登場は遅れた、というのはサントスSantosとの契約が12月31日まであるためである。
契約終了前に、契約を反古にすると、巨額の違約金を支払わなくてはならない条項がある。
しかし、サントスのマルセロ・テイシェイラMarcelo Teixeiraがエーメルソン・レオンEmerson Leão監督の就任を発表したことで、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督もまた紹介されることが出来る。
しかし、契約の署名は1月1日となる。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督は計画を早めるために役員と会議をしている。
彼は、すでに2008年に使いたい選手を決めている。
解雇する選手のリストを発表した。
今回で、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督がパルメイラスを指揮するのは4回目である。
最初は1993年と1994年で、17年ぶりにタイトルをもたらした。
サンパウロ州選手権で2回、ブラジル選手権セリエAで2回、そいてリオーサンパウロ杯で1回優勝した。
1996年にパルメイラスに戻り、またサンパウロ州選手権に優勝した。
3回目は、2002年。
パルメイラスはブラジル杯Copa do でASA・ヂ・アラピラーカASA de Arapiracaに敗退し、タイトルを獲ることはなかった。
ブラジル選手権の始めに、クルゼイロに移った。
パルメイラスのファンから、この年にセリエBに降格に持っていった端緒となったとして、追求された。
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長期的にチーム作りをするそうである。
2008年は、タイトルを約束していない。
結果が出なければ、ファンが我慢してくれるはずもないだろうが。
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その2 "Os Cariocas"2。
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
2005年10月にオープンした。
Tom Brasilという大きなショー会場のオーナーが、何人かで、小振りなスペースを持った。
そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
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その模様を紹介する。
※音質は良くないが、ご理解願いたい。
「spd20071201cariocas2.WAV」をダウンロード
サッカー:ロマリオの日々 その68 ドーピングの審判で120日間サスペンド。
12月18日(火)にスポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Desportivaで行われた審判で、ヴァスコ・ダ・ガマのFWで監督のロマリオRomárioは、120日間の出場停止処分を受けた。
10月28日にサン・ジャヌアリオSão Januárioでおこなわれたヴァスコ・ダ・ガマ対パルメイラスPalmeirasの試合の後でのドーピング検査で違反が見つかった。
ロマリオの経歴を強調し、肉体のために使用したのではないと弁護したにも関わらず、スポーツ最高裁判所の第2規律委員会はロマリオを有罪とした。
しかし、まだ控訴することになるだろう。
ヴァスコ・ダ・ガマの法務部で検討されるに違いない。
ロマリオBaixinhoはスポーツ最高裁判所には出席せず。
ヴァスコ・ダ・ガマからは法務担当副社長のパウロ・レイスPaulo Reisと社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaと、弁護士が出席した。
ヴァスコ・ダ・ガマの弁護士は、ロマリオRomárioはフィナステリーダfinasteridaを含む薬を長い間使っていると申し立てた。
ブラジルサッカー協会の元スーパーバイザーのカルロス・アルベルト・ルースCarlos Alberto Luzは、ロマリオは1994年のワールドカップの時から抜け毛予防のシャンプーを使っていると尋問で保証した。
弁護側の証人として、ヴァスコ・ダ・ガマの医師ラファエル・ブルーンRafael BlumはロマリオRomárioが抜け毛予防の薬を使っていることは知らなかったと認め、ロマリオBaixinhoの検査は普通ではないところがあったと指摘した。
「通常は、検査をするための尿の量は最低60ミリリットルである。 ロマリオRomárioは採尿がむずかしかった。 最初は20ミリリットルしかとれなかった。 次にまた20ミリリットルだった。 3回目にフラスコがいっぱいになった。 やっと50ミリリットルになっただけだ。 ドーピング検査のためには60ミリリットルでなければならない。 医師に問題はないかと聞いたが、採尿の担当医師は無いと言った」と明かした。
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控訴審で、かなり出場停止期間は短縮されるはずである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その41 サムスンは、もうコリンチャンスのスポンサーではない。
サムスンSamsungはもうコリンチャンスCorinthiansのスポンサーではない。
サムスンの担当者がマスコミに送った公式文書によると、コリンチャンスAlvinegroは受け取る金額を減らすことに合意しなかった。
契約の中で、コリンチャンスが契約期間中にブラジル選手権Campeonato BrasileiroセリエAに参加しないことを予想していた。
両者は2005年の後半からパートナーになっていた。
両者が結んだ最初の契約の中では、チームが戦っている選手権で優勝した時を予想した条項があった。
コリンチャンスTimãoがブラジル選手権に優勝し2006年のリベルタドーレス杯Copa Libertadoresの出場権を得たときに、金額は増えた。
来年第2部に落ちることで、逆のことが起きる。
金額が減る。
サムスンSamsungは、契約期間を延長することをコリンチャンスCorinthiansに提案したことを認めた。
「2009年末まで契約を延長することを提案した。クラブを完全に信用していること見せるためだ」と、担当者はいった。。
「コリンチャンスの役員はサムスンSamsungの提案に合意せず、この日で契約を終了させることを望んだ」。
このスポンサー契約の終了により、今のところ、コリンチャンスTimãoは2008年はユニフォームにスポンサーのロゴがないまま始まる。
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第2部に降格した悲哀の一つである。
terça-feira, 18 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロの”Tom Jazz” その1 "Os Cariocas"1.
ブラジル・サンパウロにTom Jazzという名前のジャズ・クラブがある。
そこで、11月30日(金)と12月1日(土)に、オス・カリオカスOs Cariocasがショーを開催した。
オス・カリオカスとは、ボサノバ好きな人なら当然知っているグループだと思うのだが、1950年代から活動し、ボサノバの最初期からその音楽を録音したグループである。
もちろん、今までに何度もメンバーの変更をし、そして解散したこともある。
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日頃、特定の店を取りあげたり、またショーを取りあげることは、あまりないのだが、ナタル(=クリスマス)も近いので、アクセスしていただいている方へのプレゼントとして、そのショーの様子を紹介してみる。
「spd20071201cariocas1.WAV」をダウンロード
※音質は良くないがご容赦願いたい。
ブラジル・サンパウロの密輸王ラウ・キン・ション その1 また告発された。
連邦公共省Ministério Público Federalは、中国人でブラジルに帰化したラオ・キン・ションLaw Kin Chongを密輸(禁止された商品もしくは税金の支払いを行わない輸出入)の罪で告発した。
連邦公共省Ministério Público Federalによると、ラオ・キン・ションは、11月14日にサンパウロSão Paulo市と市警察Polícia Civilと連邦警察Polícia Federal,によって行われた捜索で、彼の所有するショッピング・パリShopping Pariにおいて、販売するために非合法に輸入された商品を持っていたことである。
ラオ・キン・ションは、すでに資金洗浄の罪によってサンパウロでの連邦裁判所の第2審の裁判の被告人であり、また彼と彼の弁護士が元連邦下院議員のルイス・アントニオ・メデイロスLuiz Antonio Medeirosを買収しようとした賄賂の現行犯の罪で判決を受けて在宅服役中であった。
告発によると、8箱の非合法に輸入された商品がショッピング・パリの4階の部屋で見つかった。
見つかった商品の中には、1,834個の腕時計relógios de pulso、ワイヤレスマイクmicrofones sem fio、女性用バッグbolsas femininas,、1990枚のビデオゲーム用メモリーカード、帽子bonés、何百ものリモートコントローラーcontroles remotos、ヘッドフォーン、マウス、電卓があった。
検事局によると、ラオ・キン・ションと彼の息子はショッピング・パリの所有権を隠すために操作をしようとしていた。
書類上は、ラオ・キン・ションの息子のトーマスThomasとエンリキHenriqueの所有するTR25という会社のものである。
しかし、ラオ・キン・ションの会社の一つのカリンダCalindaからTR25に4百万レアルで貸したようになっていた。
TR25は2002年8月に2万レアルの資本で設立された。
同年の11月に、資本が40億2千万ドルと登録された。
告発以外に、検事局は連邦警察Polícia Federalに対して、連続している違反と資金洗浄の容疑を更に深く操作するために新たな尋問をするように要求している。
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サンパウロ市の中心部にいくつもショッピングのビルを持っているラオ・キン・ション。
そこでは、数平米の面積の小さな店が、密輸品やコピー品を販売している。
そして、その商店主は、ほとんどが中国人である。
まったく、このラオ・キン・ションは大した人である。
「ブラジル最大の密輸王」という称号を持っている。
もちろん、見つかった商品は、彼が扱っている中のほんの僅かな部分に違いない。
その証拠に、そういった店で売っている商品が棚から消えるようなことはないからだ。
この中国系ブラジル人の作り上げた組織は、相当に大きなものだということは容易に想像できる。
当然、非中国系ブラジル人の協力無くしては出来ないことである。
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実は、つねづね、大したものだ偉いものだと尊敬している。
これが家業である。
一家で捕まっている。
サッカー・ブラジル代表カカは男の父親になる。
この月曜日(12月17日)にサントスSantosで息子のロブソン・ジュニオールRóbson Jr.が産まれたロビーニョRobinhoと同様に、カカKakáもまた男の子との父親になる。
妊娠4ヵ月目の、カカの妻カロリーニ・セリコCaroline Celicoは、夫がミランMilanのために世界クラブ杯Mundial de Clubesで戦っている時に、東京Tóquioで検査をし、赤ちゃんの性を知った。
この月曜日、カカKakáはFIFAの世界最優秀選手に選ばれた。
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あの美しいカロリーニ・セリコの診察をした産科医は誰だろう。
どうしてわざわざ日本で、性別検査をしなくてはならないのだろうか。
これも、神の思し召しかな。
ブラジルで裁判を受け有罪になった日系人の、ブラジルでの報じられ方。
ミナス・ジェライスMinas Gerais州の裁判所は、12月17日(月)に、2005年11月に日本Japãoの浜松Hamamatsuのレストランのオーナーに対して行われた強盗殺人で訴えられたブラジル人に34年の禁固と有罪にした。
告訴によると、2005年11月22日未明の2時過ぎに、被告はレストランのオーナーを襲い、プラスチックの紐で後ろ手に腕を縛り、絞殺した。.
被告は、約41,200円(=741レアル)を盗んだとして訴えられた。
逃げる前に、被告はガスの栓を開き、火事を起こそうとして新聞の山に火を付けた。
しかし、すぐに火が消えたので、そうはならなかった。
「刑事訴訟法88条:ブラジルのテリトリーの外で行われた犯罪の裁判は被告人が最後に住んだ州の州都で行わなければならない」にしたがい、裁判はベロ・オリゾンチBelo Horizonte,で行われた。
裁判によると、被告人はブラジルBrasilに到着して、ミナス・ジェライス州のリオ・カスカRio Cascaに母親と住んでいた。
そこで、日本の警察Polícia Federal Japonesaと、ミナスジェライス州公共省Ministério Público de Minas Geraisと警察の共同作戦で逮捕された。
被告人は、今年の2月17日に予備収監された。
被告人は犯罪の当事者であることを否定した。
したし、その犯罪秘にレストランにいたことは確認した。
彼はレストランにいた、お金を支払った、家に戻った、しかしそこを最後にでた人間ではないと明言していた。
彼は、また日本に10年間住んでいて、お金に困ったことはないと明言した。
被告によると、その間、失業したのは僅か2ヵ月だけだった。
日本での証人は、警察の調書を確認している。
一審の決定について、被告側の弁護士は控訴することが出来る。
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これは、
サンパウロ市で発行されている一流紙のFolha de S.Pauloのウェブ記事である。
この記事より大きな扱いを、ミナス・ジェライス州の新聞がしているとは思えない。
日系人が多いサンパウロの新聞で、これだけの記事である。
被告人の名前すら出てこない。
これだけの記事ではあるが、「事件の規模」にしては、大きいとも言える。
※※亡くなられた方を貶めるつもりは全くない。
ブラジルで、事件が起きた報道があっても、裁判の報道ははるかに少ない。
新聞でもテレビでも、スペースには限りがあるからだ。
裁判が報道される時は、あまりに衝撃が多かった事件だけだ。
被告もしくは被害者に富裕層が絡んでいる場合とか、
多人数が死んだ事件とか、
犯罪金額が多い時とかである。
事件の風化は、とても早い。
この裁判が、日本とブラジルとの間での代理処罰であるという記述はない。
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おそらく、
サンパウロで発行されている日本語による新聞では、
はるかに大きい扱いになるだろう。
ただ、それを読むことが出来る日本語能力がある人が、極めて限られている。
2世でも能力的に読める人は、僅かである。
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他の裁判の判決などをきいていると、
ブラジルの刑は、犯した罪の数だけ年数が増える。
だいたい1人殺して、26-29年くらいで、
2人だとその2倍、3人だとその3倍。
さらに、強盗罪、共謀罪などが加わって、更に年数が増える。
100年以上というのもある。
しかし、現実に30年禁固というのはない。
もっともっと早く出て来るのが、普通。
週末だけ、家に戻るというものある。
昼は外で働いて、夜は刑務所というのもある。
脱走も多い。
segunda-feira, 17 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その40 エーメルソン・レオンがサントスの監督に正式就任。
エーメルソン・レオンEmerson Leãoが、サントスSantosの新監督。
2002年にサントスPeixeを指揮して18年ぶりにタイトルを獲ったエーメルソン・レオン監督は、2008年にまたサントスを指揮する。
紹介は、12月17日(月)の午後、ヴィラ・ベルミロVila Belmiroで行われる。
交渉は、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督が退任した後に始まった。
エーメルソン・レオン監督は、アラブ首長国連邦Emirados ÁrabesのドュバイDubaiにいて、そこのチームとの契約交渉をしていた。
エーメルソン・レオン監督はまたイランIrã代表チームを指揮するオファーも受け取っていた。
しかし、ブラジルBrasilに、サントスSantosに戻るほうを好んだ。
「エーメルソン・レオン監督はブラジルの代表的な監督の1人で、サントスSantosについてとても良く知っている。 そのほかに、ジュニアの選手の才能を見いだすことが出来る。 間違いなく、彼の3回目の就任は、前と同様にチームを勝利者にするだろう」と、社長のマルセロ・テイシェイラは、サイトで、述べた。
最初の時1998年には、南米サッカー連盟杯Copa Conmebolで優勝している。
2002年には、ロビーニョRobinho、ヂエゴDiego、エラーノElanoという若い選手をチームに置いた。
「サントスSantos、その選手、養成の仕組みなどよく知っている。 2008年の選手権では素晴らしいパフォーマンスを見せることが出来ると確信している」と、エーメルソン・レオン監督は、サントスSantosのサイトで明言している。
サントスで、2回監督をして、244試合を指揮した。
126勝、63分け、55杯。
ポイント獲得率は、60.24%。
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正式に、発表となった。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督に次いで、高給のエーメルソン・レオン監督を雇うことが出来るクラブは、ブラジルにはいくつもない。
アラブ首長国連邦やイランは、かなり良い条件を出したはずだ。
サッカー:ロマリオの日々 その67 ドーピングの審判は火曜日に決定。
ロマリオRomárioのとても待たれていた審判が、12月18日(火)18時から、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのスポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Desportivaで行われる。
ドーピング検査をうけたロマリオBaixinhoは、その尿からフィナステリーダという物質が発見されていた。
ヴァスコ・ダ・ガマのFWそして今は監督でもあるロマリオRomárioは、120日間から360日間の出場停止処分を受けることなるだろう。 監督としても同じことで、芝生から離れなくてはならない。
つまり、スポーツ最高裁判所STJDによる処分を受けた場合には、ロマリオは、グラウンドの縁で、ヴァスコ・ダ・ガマを指揮することも出来ない。
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17時30分から、
サイトでは実況になるようだ。
ブラジル・サッカー:2007オフ その39 ロビーニョの子供の誕生。
ロビーニョRobinhoは、”ペダラーダ”を引き継ぐための後継者を得た。
12月17日(月)12時20分に、ロブソン・ヂ・ソウザ・フィーリョRóbson de Souza Filhoが、サントス健康病院Casa de Saúde de Santosの産科で誕生した。
3,240グラム、47センチメートル。
2008年に結婚を考えているロビーニョRobinhoとヴィヴィアンVivianの最初の子供である。
ロビーニョは、この5月に父親になることを明かしていた。
そこ後何ヶ月かして、米州杯Copa Américaの時に、ベネズエラで、子供のために全てのゴールを捧げ始めた。
子供の性別が分かる前に、ロビーニョRobinhoは男の子になると確信を持っていて、名前も決めていた。
もし女の子だったら、ジュリアJúliaになっていた。
ロビーニョRobinhoは近日中に子供にあう。
先週末は、ロビーニョはレアル・マドリReal MadridがオサスナOsasunaに2対0で勝利するのに貢献した。
来週日曜日には、バルセロナBarcelonaとの”クラシコ”がある。
帝王切開の後、母親は具合良く、すでに病室で休んでいる。
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誠に、おめでたい話である。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その116。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
サンパウロの歴史的中心部セントロの西側、コンソラソン教会の背後に、フランクリン・ルーズベルト広場がある。
このフランクリン・ルーズベルト広場は、今は、地下にサンパウロの東西を結ぶラジアル・レスチ・オエスチとプレシデンチ・アウツール・ダ・シウヴァ・エ・コスタが通っていて、コンクリートで固められた広場となっている。
道路の上は、24時間営業の広い駐車場になっている。
そのまた上階は、頻繁に用途が変わっている。
ずっと以前には、図書館があったはずだ。
そのあと、スーパーになった時もある。
今は、一部が警察になっているし、花屋が何軒か営業している。
でも、使われていなくて荒れ果てている部分が多く、一見近づきがたい。
事実、通り抜けする人も多くない広場である。
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このフランクリン・ルーズベルト広場の北側には、サンパウロ市の歴史的中心部セントロから西に延びる幹線道路のコンソラソン通りが通っている。
警察はそこにある。
その警察の入り口のところに、信号機の制御盤がある。
制御盤全体が、完全にデザインされてしまっている。
これと同様のデザインの制御盤が、ピニェイロス地区のカヂアル・アルコベルヂ通りに沿って2-3個あることは、以前に紹介した。
このフランクリン・ルーズベルト広場から、コンソラソン通りを西に200メートルほど離れたところにある制御盤もまた同様の状態になっている。
逆に、コンソラソン通りをセントロ方向に向かい、フランクリン・ルーズベルト広場の外れから10メートルもないところになる制御盤も、同じ作家によるものと思われることになっている。
この作家が、制御盤を主な対象としているのは、間違いないのだが、実はここフランクリン・ルーズベルト広場では更にこの作家の異なった作品を見ることが出来る。
フランクリン・ルーズベルト広場の一角に、ラヂアル・レスチ・オエスチの出口があるのだが、その道路壁にも作品がある。
「目玉」のような意匠は、この作家の特徴をそのまま出している。
さらに、先ほどの警察とコンソラソン通りを挟んで、陸橋にも、作品がある。
やはり「目玉」で、この作家の作品と同定できる。
動物の「顔」のようなところが、他の作品とは異なったところだ。
さらに、フランクリン・ルーズベルト広場にも、作品がまだ2つあることを発見した。
色づかいなどにも、そして「目玉」にも、この作家ならではの特徴がでている。
そして、作品の一部が、住民の煮炊きで焦げてしまっているが、これも同一の作家によるものである。
この作家にとって、ここフランクリン・ルーズベルト広場はアトリエのようなところである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その38 エーメルソン・レオン監督がサントスを訪問。
エーメルソン・レオンÉmerson Leão監督が、12月16日(日)にサントスSantosにある、サントスPeixeの社長ともう一度会議をするために王様ペレ・トレーニング・センターCT Rei Peléを訪問した。
サントスの財務部も、エーメルソン・レオン監督の給与問題について合意するためにこの会議に同席していた。
サントスSantosの新監督としてエーメルソン・レオン監督を公式に発表するのは来週初めになる。
エーメルソン・レオン監督とサントスSantosとの契約は、契約取り消しの署名をしていないヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督との契約が有効なために、固めることが出来ない。
技術委員会の多くは引き続き残る。
しかし、エーメルソン・レオン監督の忠実な盾として、監督補佐でGKトレーナーのペドロ・サンチーリPedro Santilli、トレーナーで監督の甥のフェルナンド・レオンFernando Leãoは、将来のサントスSantosの監督から、要求がでている。
エーメルソン・レオン監督はまだ社長に選手の強化を要求していない。
日曜日の会議の中で、エーメルソン・レオン監督は決定をする前に現有の戦力を評価検討すると言った。
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さっそく、ドュバイから戻ってきたようだ。
ブラジル・サンパウロで死んだハイアン・グレイシーの埋葬。
12月15日(土)にサンパウロSão Paulo市の警察で死んでいるのが見つかった柔術jiu-jitsuの格闘家ハイアン・グレイシーRyan Gracieの家族は、サンパウロ州と警察の留置場で彼に薬を与えた医師を告訴すると明言した。
ハイアン・グレイシーの遺体は、12月16日(日)の午後、リオ・デ・ジャネイロのサン・ジョアン・バチスタSão João Batista墓地に埋葬された。
「20071216GN22-RayanGracie.wmv」をダウンロード
ハイアン・グレイシーの父親のカルロス・ロブソン・グレイシーCarlos Robson Gracieによると、家族にとっての宿命として、精神科医のサビオ・フェヘイラ・ヂ・ファリアス・ネットSabino Ferreira de Farias Netoとサンパウロ州を、息子の治療において不注意があったとして告訴する。
ブラジルBrasilにおいての柔術の先駆者であるグレイシー一家の1人として、ハイアン・グレイシーは、14日(金)にサンパウロ市西部のイタイン・ビビItaim Bibi地区で、車の強盗および未遂で逮捕された。
同日中に法医学院IML (Instituto Médico Legal)で薬物検査を受けた後、土曜日の未明に91分署に連れて行かれた。
カルロス・ロブソン・グレイシーによると、薬を大量に調合した医師の他に、病院に連れて行くべきだったのに医師が牢屋の中で薬を与えることを許可した91分署の当直警部もその告発の対象となる。
「医師がやったことは、一つの暴行である。 彼は警察にはいるべきではなく、そういうやり方で自分の息子に薬を与えるべきではなかった。 彼に与えられた処方の半分で、普通の人間は意識不明になっただろう」
カルロス・ロブソン・グレイシーはまた、ハイアン・グレイシーがコカインcocaínaとマリファナmaconhaのような薬を使っていたことが検出されたという、薬物検査exame の結果を公表したのは医師としての倫理にかける行為だとして、サビオ・フェヘイラ・ヂ・ファリアス・ネット医師を告発している。
15日(土)に、医師は、牢屋に入った後でハイアン・グレイシーに行われた尿検査でコカイン・マリファナと処方薬の存在が確認されたことを話していた。
この検査は、精神科医自身が持ってきた輸入キットを使って行われた。
それは、精神科医によると、ハイアン・グレイシーを薬物依存として弁護するためのものであった。
サビオ・フェヘイラ・ヂ・ファリアス・ネットは、土曜日の朝に少なくとも6種類の薬をハイアン・グレイシーに処方したといった。
精神安定剤tranqüilizantes, 反精神病薬?antipsicóticos、抗高血圧薬contra hipertensão
ハイアン・グレイシーは留置所に1人でいて、8時過ぎに死んでいるのが見つかった。
家族は、ハイアン・グレイシーが牢屋に入る前に車を奪い、オートバイをも奪おうとしたのは、パニック症候群síndrome do pânicoを患っていた彼の犯罪であると確認した。
さらに牢屋の中で薬を与えることを許可した警察の警部のおこないを理由としてサンパウロ州を相手に訴えることにすることについて、
カルロス・ロブソン・グレイシーは、「逮捕者の体調が悪いならば、警部は、病院に連れて行くことなく、医師を牢屋に入れて、逮捕者に薬を与えるべきではない。 怠慢である。 逮捕者は州Estadoの監督下にあった」
※この警察は、州の管轄下にある。
グレイシー一家família de Gracieは、裁判にはいるために法医学院IMLの報告書が出るのを待っている。
警察安全局Secretaria de Segurança Públicaによると、逮捕者が牢屋で個人的な医師の手当を受けることを禁止する法的な根拠はない。
市警察は、15日(土)に、麻薬と薬の使用がハイアン・グレイシーの死を引き起こしたのではないかと捜査をすると明言した。
警察安全局Secretaria da Segurança Públicaによると、死体検索報告書は30日間で出来る。
法医学院IMLの職員は、死因は医師によって与えられた薬でもなければ、車を盗んだ後にモトボーイに囲まれた時に受けた頭の傷にも関係がないと思うと言っている。
職員は、コカインの過剰摂取による心筋梗塞ではないかという。
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今はまだ、こういう詳細な報道もでているが、いずれ風化してしまう。
報告書が出る30日後にどれだけ報道されることか。
ハイアン・グレイシーは、車を盗んだ後に、モト・ボーイ(=バイク宅急便)の1人を狙って失敗したのである。
でも、その後の報道では、仲間がやられているのも見て、あっという間に30人のモト・ボーイが集まったそうである。
1-2人ならともかくも、30人もが相手ではと、逮捕時の状況について納得をした。
モト・ボーイは、それぞれ個人営業のようなものだが、とても団結力が強い。
車と事故を起こした仲間を見たら、すぐに止まって助けに行く。
あっという間に、何十台も止まる。
仕事はそっちのけである。
だから、30人が集まったというのも、全く自然なことである。
domingo, 16 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その37 ジーコの「スターの試合」のチケット発売開始。
フラメンゴFlamengoの公式サイトによると、ジーコZicoがオーガナイズしてマラカナMaracanã競技場で行われる「スターの試合」"Jogo das Estrelas"の入場券の販売が、リオ・デ・ジャネイロ西部のジーコ・サッカー・クラブCFZで、12月16日(土)から始まった。
試合は、12月27日に行われ、全ての収入はリオ・デ・ジャネイロのまずしい子供の協会に向かう。
日曜日には、更に次の3箇所での販売がおこなわれる。
:マラカナMaracanã競技場、フラメンゴFlamengo本部、フルミネンセFluminense本部。
アーキバンカーダarquibancada席は10レアル(=650円)で、青椅子席は6レアル。
今までに、次の選手の出場が確認されている。
: シードルフSeedorf, 中田Nakata, アルシArce, ガマッハGamarra, イブソンIbson, セルヂーニョSerginho, エヂムンドEdmundo, レオ・モウラLeo Moura, ヴァグネル・ロヴィVagner Love, アモローゾAmoroso, カルロス・アルベルトCarlos Alberto, エーメルソンEmerson, アレックス・ヂアスAlex Dias, ドニゼッチDonizete, ガブリエルGabriel, ルーベン・ジュニオールRubens Junior, チアゴ・コインブラThiago Coimbra, ジーニョZinho,
元選手としては、ジュニオールJúnior, レナット・ガウーショRenato Gaúcho, ベベットBebeto, ゼ・カルロスZé Carlos (GK), アルダイールAldair,
線審bandeirinhaのアナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラAna Paula de Oliveira。
さらに、ジダンZidaneもお祭りに参加するかもしれない。
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例年以上に、豪華なメンバーになりそうだ。
※中田(こと旅人)は当然現役ではない。
ブラジル・サッカー:2007オフ その36 エーメルソン・レオン監督がサントスに復帰。
サントスSantosの社長マルセロ・テイシェイラMarcelo Teixeiraは、12月15日(土)にエーメルソン・レオンEmerson Leão監督がヴィラ・ベルミロVila Belmiroに戻ることを発表した。
マルセロ・テイシェイラ社長によると、契約の署名がないだけという。
エーメルソン・レオン監督は、アラブ首長国連邦Emirados ÁrabesのドゥバイDubaiにいて、来週戻ってくる。
「社長は素早く動いて、エーメルソン・レオン監督と契約することができた。 エーメルソン・レオン監督はオファーを検討した。 契約を終了するために出来るだけ早く戻ってくることを期待している。 公式発表が早く出せることを期待している」と、マルセロ・テイシェイラMarcelo Teixeiraは言った。
2002年にサントスPeixeをブラジル選手権セリエAで優勝させたエーメルソン・レオン監督がサントスを指揮するのは3回目になる。
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なるべき人に決まった。
ブラジル・サンパウロの美人のサッカーの線審 その16 リオ・グランヂ・ド・スル州選手権に出場の噂。
線審のアナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラAna Paula de Oliveiraが、リオ・グランヂ・ド・スル州選手権Campeonato Gaúchoの何試合かで線審を務めるかもしれない。
リオ・グランヂ・ド・スル州サッカー連盟Federação Gaúcha de Futebolが関心を持っていることが、12月14日(金)の夜に、アナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラによって確認された。
「可能性はある。 でも、自分はサンパウロ州サッカー連盟で続ける。 1試合か2試合をするくらい。 自分はサンパウロ州選手権で始める。 でもリオ・グランヂ・ド・スル州選手権の1試合だけということは出来ない。 みんな過去のような好意を示してくれてとても幸せである」と、アナ・パウラ・ヂ・オリヴェイラは言った。
ブラジル・サンパウロで死んだグレイシー一家のハイアン・グレイシーは、リオに埋葬。
ハイアン・グレイシーRyan Gracieの遺体は、12月16日(日)にリオ・デ・ジャネイロで埋葬。
※ハイアンとするより、ライアンの方が正しい。
しかし、格闘家の場合はハイアンとしておく。
ポルトガル語のRの発音は、Hの発音ではない。
ハイアン・グレイシーRyan Gracieの家族によると、柔術の格闘家ハイアン・グレイシー(享年33歳)の遺体は、12月16日(日)12時過ぎにリオ・デ・ジャネイロ Rio de Janeiroのサン・ジョアン・バチスタSão João Batista,墓地で埋葬される。
ハイアン・グレイシーは、土曜日の朝、サンパウロSão Paulo市の91分署91º Distrito Policial (Ceagesp), の留置所で死んでいるのが見つかった。
ハイアン・グレイシーの遺体はサンパウロSão Pauloの法医学局IML (Instituto Médico Legal)をでて、リオ・デ・ジャネイロに飛行機で運ばれている。
ハイアン・グレイシーの父親のカルロス・ロブソン・グレイシーCarlos Robson Gracieは、「追悼をするために海外から彼の兄弟が到着するのを待っている」と明言した。
ハイアン・グレイシーは、警察安全局SSP (Secretaria da Segurança Pública)によると、7時半過ぎに看守の交替する時刻に、留置場の隅の一つで死んでいるのが見つかった。
彼は、そこに1人で入れられていた。
彼の弁護士のロドリゴ・ソウトRodrigo Soutoによると、死因はまだ警察から公表されていない。
金曜日に15分署15º DP (Itaim Bibi)で逮捕され、ハイアン・グレイシーは91分署に土曜日の3時に到着した。
そこの留置所が、夜、週末、休日のためのものであるからだ。
ハイアン・グレイシーは、月曜日(17日)に拘置センターCDP (Centro de Detenção Provisória)に送られることになっていた。
金曜日の夜から土曜日の明け方までハイアン・グレイシーに付き添っていた精神科医のサビノ・フェヘイラ・ヂ・ファリアス・ネットSabino Ferreira de Farias Netoは、牢屋に入った後にグレイシーに対して行われた尿検査で、コカインcocaína、マリファナmaconhaそして処方薬の存在が確認された。
サビノ・フェヘイラ・ヂ・ファリアス・ネットは少なくとも6種類の処方薬が警察でハイアン・グレイシーに処方されたと言った。
市警察Polícia Civilは、薬の使用について操作するとしている。
それとは別に、精神科医が処方した薬がハイアン・グレイシーを死に至らしめたかもしれないと言う。
州人権審議会Condepe (Conselho Estadual dos Direitos da Pessoa Humana)は、土曜日に91分署の刑事局で医師がハイアン・グレイシーに付き添うことを認めた警察の取り扱いを問題にしている。
ハイアン・グレイシーは、金曜日にサンパウロ市西部の高級地イタイン・ビビItaim Bibiで76歳の老人から車を奪った容疑で逮捕された。
ハイアン・グレイシーはモト・ボーイによって倒されて、そして警察に逮捕された。
刑事局で、ハイアン・グレイシーは暴れそして逮捕された時には「追われている」と言った。
アイルトン・カマルゴ・ブラーガAílton Camargo Bragaは報告書に、ハイアン・グレイシーが「ファヴェーラの人間から、首都第一軍団PCC [Primeiro Comando da Capital]". から追われていると言っていたと記録した。
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今のところ、死因は謎になっている。
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ところで、このハイアン・グレイシーの一連のニュースに関して、
逮捕された件では、それほどアクセスは多くならなかった。
その後、「死んだ」ことを報じた時から、
アクセスが増えて、
たぶん5000-6000アクセスくらいにはなったと思う。
幾つかのブログなどには、「リンク」そして「引用」がなされた。
それはそれで、ありがたいことである。
ただ、どこからも、その「リンク」もしくは「引用」について、一言もない。
20以上のリンクで、ひとつでもいただければ励みになった。
サッカーのファンと、格闘技のファンの、違いの一端を見せていただいた。
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そういうことなので、
今後、
この件について、
あまり詳細に立ち入ることもないし、
追跡記事を連発することも、しないつもりだ。
このブログのあり方では、
逮捕現場の確認をし、
91分署の写真でも掲載するくらいはやるのだが、
今回は気が乗らない。
どちらも、どんなところか、目に浮かぶところである。
逮捕現場は、一月ほど前に、
別の件の取材でそのあたりを歩いたばかりである。
ブラジル人のパーティー その6
ナタウ(=クリスマス)まで、もう1週間余。
景気の良いブラジル・サンパウロは、例年以上に街が輝いている。
昨年まで無かったところに、イルミネーションが出来ている。
世界の多くの国と同様に、12月には「13ヵ月給与」も支払われるから、さらに金回りも良い。
この週末は、サンパウロの夜の街は、どこもごった返している。
10時11時とレストランは混んでくる。
治安がどうこうなんて、気にしていて、家に籠もっているようなヤツは、生きている資格がない。
やはり、ナタルそして新年にかけて、お祭りなのだ。
というわけで、
12月15日(土)の夜。
というか12月16日(日)に日付が変わったころから、
拙宅の前の家が大パーティーを始めた。
もちろん大音量でだ。
音源からは、70メートルは離れていると思うのだが、
家の中でも、
クラブの中にいるようだ。
音響装置はレンタルして、おそらくDJも呼んできているのだ。
途切れることなく音楽が続いている。
数十台の車が、付近の道路に駐車していた。
だから、100人くらいはやってきているのだろう。
いつものように戸を開け放して、庭も使っている。
たぶん、6時くらいには終了してくれると思う。
そう願いたい。
拙宅のある道の警備員に聞いたのだが、比較的若い夫婦が住んでいるという。
訪れるものも、確かに20-30代が多いようだ。
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どうも、
今晩はもしかしたら、生バンドが入っているかもしれない。
庭で、コンサートをやっているようだ。
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4時半に、急に音量が下がった。
これはいつもより早い。
でも、音が消えたわけではない。
sábado, 15 de dezembro de 2007
サッカー:ニウマールの行方 その38 コリンチャンスとリヨンの交渉がやっと終わった。
コリンチャンスの社長のアンドレス・サンシェスAndrés Sanchesがリヨンを訪問し、12月14日(金)にコリンチャンスCorinthiansとリヨンLyonは合意に達した。
ニウマールNilmarの移籍に関する6百万ユーロの負債は、コリンチャンスCorinthiansが望んだように、カルロス・アルベルトCarlos AlbertoのドイツAlemanhaのヴェルデル・ブレーメンWerder Bremenへの移籍の対価の信用状の4百万ユーロでもって支払われ、残りは分割払いとなった。
さらに、新たに決まったことで、アンドレス・サンシェスとリヨンLyonの社長ジャン・ミシェル・アウラJean-Michel Aulasは2つのクラブの都合の良い時にの時に親善試合を大なうことに合意した。
「我々は、両クラブの関係がこれから良好なことを見せるためにコリンチャンスCorinthiansと親善試合を行うことを約束した」と、リヨンLyonの社長ジャン・ミシェル・アウラJean-Michel Aulasは公式サイトで言っている。
ニウマールNilmarは、当時のパートナーのMSIの力によって、2005年に契約した。
ニウマールの価値は1千万ユーロだった。
しかし、コリンチャンスは2百万ユーロを支払っただけだった。
MSIがいなくなって、残り8百万ユーロが残った。
リヨンはFIFAに提訴していた。
今年初めに、FIFAはリヨンの訴えを認めていた。
「コリンチャンスは全ての問題を解決したがっていた。 ニウマールNilmarもその一つである」と、ジャン・ミシェル・アウラは締めた。
アンドレス・サンシェスは来週初めにブラジルBrasilに戻るに違いない。
CSKAモスクワがレンタルしていた右SBエドゥアルド・ラチーニョEduardo Ratinhoを買い取るというオプションを実行するという良いニュースを持ってである。
この交渉で、8百万レアル(=約5億円)がコリンチャンスTimãoにはいることになる。
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当のニウマールは、
移籍金無しで、すでにインテルナシオナウにいる。
【速報】ブラジル・サンパウロでグレイシー一家の1人が逮捕、そして死んだ。
(速報である。)
柔術jiu-jítsuとヴァリ・ツゥドvale tudoの格闘家ハイアン・グレイシーRyan Gracie33歳が、12月15日(土)の朝、サンパウロ市西部Zona Oesteのヴィラ・レオポルヂーナVila Leopoldinaにある91分署の拘置所で、死んでいるのが発見された。
警察安全局Secretaria de Segurança Pública (SSP), によると、ハイアン・グレイシーは独房にいた。
ハイアン・グレイシーは、法医学局IMLでの薬物検査exame toxicológicoを受けて、91分署へ向かったのは2時30分過ぎだった。
91分署の刑事局に到着したのは3時。
車の強盗と強盗未遂事件を担当した警察の15分署の当直刑事ダニエラ・ランナDaniella Rannaによると、91分署へ向かったのは、そこが移送の刑事局であったからである。
そこから、また別のところへ向かうことになっていた。
警察安全局によると、7時過ぎに、警察官が収監者の見回りをした時にハイアン・グレイシーが床に倒れているのを発見した。
彼らは、ハイアン・グレイシーが死んでいるのを確認しようとした。
10時過ぎに、法医学局の人間がそこに来て、必要な検査を行うために、遺体を法医学局に運ぶ。
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ハイアン・グレイシーの逮捕は、
12月14日のローカルニュースだけでなく、全国ニュースでも伝えられていた。
「20071214JG-RyanGracie.wmv」をダウンロード
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昼のローカルニュースでは、トップニュースである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その35 コリンチャンスはサント・アンドレでは試合が出来ない。
2008年の初めはパカエンブーPacaembu競技場がリフォーム工事をしているので、コリンチャンスは主催試合の8試合を別の場所で行わなくてはならない。
選ばれたグラウンドは、サント・アンドレSanto Andréのブルーノ・ジョゼ・アンドレBruno José Daniel競技場であった。
コリンチャンスの代表が、水曜日にサント・アンドレにいた。
しかし、警察が安全上の問題があるとしてこの場所での使用を禁止した。
それで、役員はまた別の場所を健闘している。
コリンチャンスTimãoは、モジ・ミリンMogi Mirim(ジョアン・パウロ2世競技場Estádio João Paulo II)とジュンジャイJundiaíのパウリスタPaulista(ジャイミ・シンツラ競技場Jaime Cintra) の役員と交渉をしている。
最後のオプションはモルンビーMorumbi競技場であるが、賃貸料がとても高いと考えられている。
コリンチャンスCorinthiansは、サンパウロ州選手権ではグアラニーGuarani,、パウリスタPaulista、ミラソルMirassol、ブラガンチーノBragantino、ポルツゲーザPortuguesa、グァラチングェタGuratinguetá、ジュヴェンツスJuventusを迎える。
また、必要ならば、ブラジル杯Copa do BrasilではバッハスBarras-PIと試合をするが場所がまだ決まっていない。
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また、コリンチャンスの流浪の旅で、2008年も始まることになる。
2008年の1月から2月にかけては、パカエンブー競技場が使えないということなので、こちらもこの間試合観戦には行かないということになりそうである。
その分、お金を使わなくて済むわけである。
パカエンブー競技場の工事は、今週から始まっている。
sexta-feira, 14 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その115。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
サンパウロの歴史的中心部セントロの西側、コンソラソン教会の背後に、フランクリン・ルーズベルト広場がある。
このフランクリン・ルーズベルト広場は、今は、地下にサンパウロの東西を結ぶラジアル・レスチ・オエスチとプレシデンチ・アウツール・ダ・シウヴァ・エ・コスタが通っていて、コンクリートで固められた広場となっている。
道路の上は、24時間営業の広い駐車場になっている。
そのまた上階は、頻繁に用途が変わっている。
ずっと以前には、図書館があったはずだ。
そのあと、スーパーになった時もある。
今は、一部が警察になっているし、花屋が何軒か営業している。
でも、使われていなくて荒れ果てている部分が多く、一見近づきがたい。
事実、通り抜けする人も多くない広場である。
事実、雨に濡れない部分が多いので、生活している人が多い。
若者が、スケートボードをやっていて騒がしい。
そういったところにこそ、グラフィッチ(壁絵)が多いのである。
ただし、ここには著名な作家によるものはそれほど多くない。
比較的最近描かれたと思われる傷みの少ない絵。
広い壁を思い切り使っている。
ただ、作品を見てくれる人が多いとは言えない場所である。
柵に囲まれた円筒状の柱に描かれた作品。
上の作品のタッチとは似ている部分が多いのだが、同じ作家によるものかどうかは不明。
横に思いっきりスペースをとった作品である。
この作家の作品は、市内各所で見ることができる。
かなり離れても、円筒状になっていることもあり、撮りきれない。
この円筒状の柱は、今は使われていない屋上駐車場への車のスロープになっている。
人が入り込まないために、この柵が設置されている。
実際は多少の隙間があるので、入り込める。
入り込めるからこそ絵も描けた。
ブラジル・サンパウロで、グレイシー一家の1人が逮捕。
柔術jiu-jitsu格闘家ハイアン・グレイシーRyan Gracie(*テレビ・ニュースでの発音にしたがう)が、12月14日(金)に逮捕された。
サンパウロSão Paulo市の西部の高級地イタイン・ビビItaim Bibiで76歳の老人と喧嘩をして、車を奪った容疑である。
ハイアン・グレイシーは、その後すぐにモト・ボーイ(*バイク便)に発見され、警察に逮捕された。
ハイアン・グレイシーは、ブラジルの格闘界の象徴であるグレ-シー一家のメンバーである。
警察の23分署によると、13時30分過ぎに、ジャクリシJacurici通りでカローラCorollaに乗っていた老人に近づいた。
包丁をもって、老人の左腕の指を斬り付けた。
ハイアン・グレイシーは車を運転し、アロルド・ヴェローゾHaroldo Veloso通りそしてエンリッキ・シャーマHenrique Chamma大通りに逃げた。
そして、ジュセッリーノ・クビシェッキJuscelino Kubitschek大通りで車をコンクリートの壁にぶつけた。
そして、ハイアン・グレイシーはカローラCorollaを降りて、フィアッチ・フィオリーノFiat Fiorinoの運転手に近づいたが、その運転手は逃げることが出来た。
さらに、ハイアン・グレイシーはモトボーイを倒し、バイクを奪おうとしたと、警察は言っている。
別のモトボーイがその場にいて同僚を助けようとして、ハイアン・グレイシーと喧嘩を始めた。
そこに警察が到着し、ハイアン・グレイシーを取り押さえた。
ハイアン・グレイシーRyan Gracieは別の問題もかつて起こしている。
2000年3月に、18日間、生地のリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで拘置されている。
バッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijucaでのフェスタの家を壊した喧嘩で、学生を刺した容疑である。
2005年には、警察と喧嘩し、そしてサンパウロ市の南部の78分署で警部を罵倒した容疑である。
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「薬」を使ったのではないかという、報道がある。
ブラジル・サッカー:2007オフ その34 アルフレッド・サンパイオがロマリオの補佐。
ロマリオRomárioは、サッカーの監督としての最初の体験で1人ではない。
ロマリオBaixinhoは、ヴァスコ・ダ・ガマの新監督補佐のアルフレッド・サンパイオAlfredo Sampaioの助けを得ることになる。
アルフレッド・サンパイオはマドゥエイラMadureiraのトレーニングを見ていたが、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaに呼ばれた。
12月13日(木)、ロマリオRomário、アルフレッド・サンパイオAlfredo Sampaioそしてエウリコ・ミランダは詳細について合意した。
ヴァスコ・ダ・ガマがグァナバラ杯Taça Guanabara(リオ・デ・ジャネイロ州選手権の前半戦)で優勝すると、ロマリオは引退し、アルフレッド・サンパイオが監督になる。
ヴァスコ・ダ・ガマが優勝できない場合は、ロマリオは続け、引退するためのタイトル獲得を狙う。
アルフレッド・サンパイオAlfredo Sampaioは、チームのプレシーズンのトレーニングの始まる1月2日に現れる。
アラブ首長国連邦Emirados Árabesで行われるドゥバイ・トーナメントTorneio de Dubaiにも行く。
2007年、アルフレッド・サンパイオAlfredo Sampaioは、マドゥエイラMadureiraをグァナバラ杯Taça Guanabaraで準優勝させた。
後半は、ブラジル選手権セリエBでサンタカタリーナSanta 州のアヴァイAvaíの指揮をした。
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書類上では、
アルフレッド・サンパイオが監督となる。
ロマリオは、監督資格を持っていない。
quinta-feira, 13 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その33 ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督はもうサントスの監督ではない。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督はもうサントスSantosの監督ではない。
4日間に渡り、サントスの社長のマルセロ・テイシェラMarcelo Teixeiraと交渉してきたが合意できなかった。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督は、ヴィラ・ベルミロVila Belmiroを離れる。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の行き先はおそらくパレストラ・イタリアPalestra Itáliaである。
カイオ・ジュニオールCaio Júnior監督を失ってから、パルメイラスPalmeirasはヴァンデルレイ・ルシェンブルゴに期待していた。
サントスの次期監督には、ドリヴァル・ジュニオールDorival Júnior監督とエーメルソン・レオンEmerson Leão監督の名前が挙がっている。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督が、自身のブログに掲載した「お別れのメッセージ」である。
※翻訳はしない。
"Após ter cumprido estes últimos dois anos de contrato com o SANTOS, onde alcançamos a conquista de dois títulos paulistas, um vice-campeonato brasileiro e assegurado a participação em duas Copas Libertadores, venho aqui comunicar que não renovarei meu contrato com o SANTOS F.C., que se encerra em 31/12/2007, e a partir desta data estarei aberto para escutar uma proposta concreta de um clube da Inglaterra, bem como de outras equipes que estão interessadas em meu trabalho profissional.
A razão da minha saída deve-se ao fato de não ter conseguido chegar a um ponto comum sobre o projeto a ser realizado para as duas próximas temporadas. Entendo e respeito perfeitamente a posição da diretoria do Santos.
Nestes últimos anos de trabalho conseguimos conquistar coisas importantes para o clube, onde a participação do presidente Marcelo Teixeira foi fundamental.
Quero agradecer a todos os diretores e funcionários do Santos pela dedicação, pelo apoio e principalmente pela cordialidade que norteou esse nosso relacionamento. O meu eterno agradecimento a esta instituição tão importante no futebol mundial, que abriu as portas do futebol europeu para mim.
Ao presidente Marcelo Teixeira, de quem espero continuar desfrutando de sua amizade, o meu reconhecimento público do excelente dirigente que se tornou dentro do futebol brasileiro.
Aos torcedores, minha eterna gratidão pelo respeito e pelos momentos inesquecíveis e marcantes da minha vida profissional.
Grato por tudo, e, quem sabe, até um dia.
VANDERLEI LUXEMBURGO"
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ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の
来期のプロジェクトに対して、
サントスが十分な理解を示してくれなかったのが、
退任の理由。
具体的には、リベルタドーレス杯で優勝するために、
チームの強化が必要なのだが、
そのための選手を揃えてくれないと言うことだ。
サントスは、
2006年と2007年は、
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の指揮下で、
サンパウロ州選手権に連続優勝した。
しかし、ブラジル選手権セリエAには優勝できていない。
攻撃力が足りない。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その114。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
サンパウロの歴史的中心部セントロの西側、コンソラソン教会の背後に、フランクリン・ルーズベルト広場がある。
このフランクリン・ルーズベルト広場は、今は、地下にサンパウロの東西を結ぶラジアル・レスチ・オエスチとプレシデンチ・アウツール・ダ・シウヴァ・エ・コスタが通っていて、コンクリートで固められた広場となっている。
道路の上は、24時間営業の広い駐車場になっている。
そのまた上階は、頻繁に用途が変わっている。
ずっと以前には、図書館があったはずだ。
そのあと、スーパーになった時もある。
今は、一部が警察になっているし、花屋が何軒か営業している。
でも、使われていなくて荒れ果てている部分が多く、一見近づきがたい。
事実、雨に濡れない部分が多いので、生活している人が多い。
若者が、スケートボードをやっていて騒がしい。
そういったところにこそ、グラフィッチ(壁絵)が多いのである。
ただし、ここには著名な作家によるものはそれほど多くない。
太い柱そして壁には、くまなくグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このスペースが、有効に利用されていないのが勿体ないくらいだが、もう雨漏りがするくらいに傷んでいる。
改修工事が必要だろう。
屋上も本来は駐車スペースなのだが、今は使われていない。
ブラジル・サッカー:2007オフ その32 コリンチャンスは、GKフィリッペは残留すると公式に発表した、が。
オファーを受け取っていることを否定した。
文書では、フィリッペの契約は2011年までで、昇給と2012年までの延長の交渉にもかかわらず、残留するとしている。
この文書は、ギリシアGréciaからのオファーがフィリッペが受け取っているなかでもっとも高額で、フルミネンセFluminenseが2倍の給与を提示し、3人(レニーLenny, ロドリゴ・チウイRodrigo Tiuí,GKヂエゴDiego)の選手を差し出すとと明かされたその日に出た。
「フィリッペFelipeはサルヴァドールSalvadorに旅行している。 そこで、フィリッペに会う。 我々はコリンチャンスCorinthiansとまた会う予定はない。 今のところそうだ」と、フィリッペの代理人の1人のマルセロ・ゴルドファルビMarcelo Goldfarbは言った。
全てが示していることは、コリンチャンスCorinthiansはフィリッペのオファーを本当に受け取っていない。
フィリッペの代理人は、フィリッペがパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに残留したいと望んでいるのでコリンチャンスに見せていないと説明した。
一方、フィリッペは給与の増額を望んでおり、それでコリンチャンスが提示した80%昇給は合意していない。
しかし、契約があるので、フィリッペが出て行くのは、オファーがある場合である。
代理人によると、フルミネンセFluminenseが3人の選手を提示しても、コリンチャンスTimãoがブラジルの他のクラブへの移籍を認めることは困難である。
契約取り消し金額は、1200万レアル(=約7億5千万円)と高額である。
ギリシアのチームだけがこの金額に達している。
それで、フィリッペFelipeはギリシアGréciaでプレイすることになるだろう。
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フィリッペは、2007年のサンパウロ州選手権は、ブラガンチーノの選手であった。
その後、ブラジル選手権前にコリンチャンスへ移籍した。
シーズン途中で、一度昇給した。
さらに、コリンチャンスは80%昇給を提示した。
月額8万レアル(=約550万円)といわれている。
一方、フルミネンセは12万レアルを提示しているらしい。
ブラジル・サッカー:2007オフ その31 ジーコの息子がマドゥレイラへ。
シーズン始めにフラメンゴFlamengoから出され、ポルトガルPortugalのポルチモネンセPortimonenseにちょっといた、ジーコZicoの息子のチアゴ・コインブラThiago Coimbraが、12月12日(水)にマドゥレイラMadureiraの新加入選手となり、2008年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権に出場することになる。
チアゴ・コインブラ24歳は、来週月曜日に紹介される。
そのキャリアを、ジーコ・サッカー・クラブCFZで始め、腕の重いケガでブラジルに戻ってきた。
マドゥレイラは、今年2007年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権の前半戦のグァナバラ杯Taça Guanabaraでは準優勝だったので、来年もそのような試合をしたいとチアゴ・コインブラを指名した。
チアゴ・コインブラと共に、左SBシナChinaもやって来る。
フラメンゴFlamengo、ドイツAlemanhaのボシュンBochum、パイサンドゥPaysandu、コリチーバCoritiba、アヴァイAvaíを経て、シナはすでにチームでトレーニングをしている。
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スイスのルーツェンに行ったと思っていたのだが、ポルトガルに行っていた。
チアゴ・コインブラ本人が、プロとしてどこかのチームでプレイしたいのだろうが、もう24歳なので、見切りを付けた方がよいのではないだろうか。
大学の体育学科でも卒業してコーチや監督を目指すとか、「親の七光り」で代理人稼業にはいるとか、そちらの方が将来の生計が安定しそうだが。
とりあえず、CFZの役員にはなれるだろうが。
quarta-feira, 12 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その113。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
サンパウロの歴史的中心部セントロの西側、コンソラソン教会の背後に、フランクリン・ルーズベルト広場がある。
このフランクリン・ルーズベルト広場は、今は、地下にサンパウロの東西を結ぶラジアル・レスチ・オエスチとプレシデンチ・アウツール・ダ・シウヴァ・エ・コスタが通っていて、コンクリートで固められた広場となっている。
道路の上は、広い駐車場になっている。
そのまた上階は、頻繁に用途が変わっている。
ずっと以前には、図書館があったはずだ。
そのあと、スーパーになった時もある。
今は、一部が警察になっているし、花屋が何軒か営業している。
でも、使われていなくて荒れ果てている部分が多く、一見近づきがたい。
事実、雨に濡れない部分が多いので、生活している人が多い。
若者が、スケートボードをやっていて騒がしい。
そういったところにこそ、グラフィッチ(壁絵)が多いのである。
ただし、ここには著名な作家によるものはそれほど多くない。
terça-feira, 11 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その30 フルミネンセがレアンドロ・アマラルに正式オファー。
フルミネンシFluminenseは、ヴァスコ・ダ・ガマとレアンドロ・アマラルLeandro Amaralの契約の終了するこの木曜日(12月13日)に、レアンドロ・アマラルに正式にオファーをするに違いない。
フルミネンセは、ロベルト・オルカーデスRoberto Horcadesとエウリコ・ミランダEurico Miranda、そしてセルソ・バッホスCelso Barrosと今やヴァスコ・ダ・ガマの監督のロマリオRomárioとの友情を尊重して、この何日かレアンドロ・アマラルとは距離を保っていた。
「レアンドロ・アマラルとヴァスコ・ダ・ガマの契約が終了するところで、我々のオファーを出す。 ブラジルでの大選手の1人として扱う。 彼を使いたい」と、ブランコBrancoは確認した。
先週日曜日、ブラジル選手権選抜とブラジルオリンピック代表との試合の後、レアンドロ・アマラルは日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersへの移籍を認めなかったとエウリコ・ミランダEurico Mirandaへの悪口を言った。
またボタフォゴBotafogoからのオファーを受け取っていることを確認した。
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やっぱり、鹿島アントラーズは諦めたのだろうか。
ブラジルの朝からXuxaの番組が無くなる。
シューシャXuxaが、毎朝の番組を無くし、2008年には土曜日だけになる。
Globo局は、12月11日(火)夜に、シューシャXuxaは2008年には週一の番組だけになると発表した。
新しい番組は、土曜日の午後の時間に放送される。
放送開始は4月になる。
毎日放送している"TV Xuxa"払い年初めに消える。
この時間には、Globo局は"TV Globinho"というアニメ番組を入れる。
Globo局は、シューシャの新しい番組企画についての詳細を明らかにするのを避けた。
番組が子供とファミリー向けのもので、インテラクチブになると、発表しただけである。
2007年はシューシャにとって難しい年になった。
毎日の番組は視聴率に置いて満足な数字を出すことが出来なくなった。
色々なトライはしたが、成功しなかった。
先週日曜日に放送された彼女の新しい番組の "Conexão Xuxa"は、レコルヂRecord局の"Turma do Pica-Pau"に負けた。
2006年の終わりに、もうGlobo局がシューシャXuxaが競争相手に負け続けていることで解決策出すだろうと予想されていた。.
回答がでた:「子供たちの女王」 "rainha dos baixinhos"は消える。
10月に、シューシャXuxaはGlobo局で21年やって来たことを祝った。
子供向けの司会者としてのキャリアーは、今はもう無いマンシェッチ局Rede Mancheteで、1983年に"Clube da Criança"という番組を指揮した時に始まった。
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ブラジルでは、これは一つの時代が終わったニュースだ。
今の25歳以下のブラジル人でシューシャの番組を見なかった人はいないはずだ。
でも、21年も番組を続けているシューシャも、40歳を超えて、見ていてちょっと辛いところがあったのは事実だ。
子供向けに特化しているだけに、他の番組で使えないところがある。
4月からの番組で、新しいシューシャを見せてくれないと、やはり辛いことになるだろう。
かつて、ブラジルの朝の時間は、どの局もほとんど子供向けの番組やアニメばかりであった。
子供自体が多かったし、午後から学校に行く子供もいたので、視聴率は高かったのだろう。
制作側も、日本製アニメを買ってきて、繰り返し放送するだけで、楽だったと思う。
でも、今は子供が急激に減っているので、視聴率が減るのも、仕方がない。
主婦向けの番組の時間が増えたのだが、これとて競争が激しい。
同じGlobo局の朝の主婦番組の"Mais Voce"もその存続が危ぶまれている。
ブラジルではガリバー的なGlobo局なのだが、
このところ視聴率が減少傾向にある。
トップは焦っているはずだ。
segunda-feira, 10 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その29 ネルシーニョ・バチスタがスポルチの新監督。
前監督のジェニーニョGeninhoがアツレチコ・ミネイロAtlético-MGに去った後、スポルチSportはすでに新監督をもった。
ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督57歳が2008年のスポルチの指揮官となる。
スポルチの社長との会議の後、合意した。
ネルシーニョ・バチスタ監督は、12月10日(月)17時の記者会見で発表される。
「ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督がスポルチの新監督である。 全て合意した。 彼は今日のうちに発表される」と、スポルチの社長ミトン・ビヴァールMiton Bivarは保証した。
ネルシーニョ・バチスタNélson Baptista Júnior監督57歳は、監督としてのキャリアを1985年に始めた。
ブラジル・サッカーの色々なチームの指揮をしている。
その中には、コリンチャンスCorinthians、インテルナシオナウInternacional,、クルゼイロCruzeiro、サンパウロFC、フラメンゴFlamengo、パルメイラスPalmeirasがある。
海外のクラブもまた指揮している。
バハンキージャ(コロンビア)Barranquilla (Colômbia)、コロコロ(チリ)Colo-colo (Chile)などである。
ネルシーニョ・バチスタ監督は、セリエBに降格したコリンチャンスTimãoの指揮をとっていた。
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ネルシーニョ・バチスタ監督の行き先が、もう決まった。
今度は、良い成績を出して欲しい。
嬉しそうな表情を見たいからだ。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その74 拙宅に来る鳥44。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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ハチ鳥。
ハチ鳥には、幾つかの種類がいるのだが、拙宅付近に現れるのは、テゾウロンという種類である。
花の蜜が餌なので、拙宅にある花が咲いている時しか現れない。
空中を飛翔中は素早い動きをするが、
もちろん木に止まることもある。
ブラジル・サッカー:2007オフ その28 レアンドロ・アマラルは鹿島アントラースに行きたかった。
12月9日(日)に行われたオリンピック代表seleção olímpicaとの親善試合で、3対0で勝ったブラジル選手権選抜の中で目立った活躍をしたレアンドロ・アマラルLeandro Amaralが、ヴァスコ・ダ・ガマのエウリコ・ミランダEurico Miranda社長に対して、エンジェニョンEngenhão競技場のミックス・ゾーンでの記者会見で、反対のことを言おうとしているにもかかわらず。みるからに不機嫌であった。
レアンドロ・アマラルの言うことには、ヴァスコ・ダ・ガマのファンにはいつも感謝しているが、来年サン・ジャヌアリオSão Januárioに残留するのは困難である。
「ヴァスコ・ダ・ガマにいる機会があるにしても、エウリコ・ミランダ社長が望んでいる方法ではない。 彼がみんなに、マスコミに言っていることはおかしい。 自分には良くない。 自分の期間は金曜日までであった。 今はもう知りたくもない。 家族と休息し、子供の面倒を見る」
レアンドロ・アマラルは、エウリコ・ミランダ社長は2人の間での口約束であった日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersでプレイするために自由にするということを守らなかった。
そして、フルミネンセFluminenseからはまだオファーはなく、ボタフォゴBotafogoからだけだと保証した。
「自分の望みは、鹿島アントラーズに行くことであった。 みんなそれは知っていた。 エウリコ・ミランダ社長も知っていた。 オファーは素晴らしかった。 しかしエウリコ・ミランダ社長は合意せず、自分を話さなかった。 今はそれは過去だ。 期間は終わった。 ボタフォゴBotafogoからの良いオファーがある。 しかし自分は年末で休養する。 自分にはとても良かった年だった。 ヴァスコ・ダ・ガマは自分を助けてくれたし、自分も助けた。 いつも組織を尊重してきた。 それで、自分は自分に対する尊重が足りなかったと思う。 みんなは会話で解決すると思う。 しかし、彼は話したがらない。 それならもういい十分だ。 家に行く」
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鹿島アントラーズも諦めずに、
もう一度トライしてみたらどうなのかな。
domingo, 9 de dezembro de 2007
(索引)ブラジル・サンパウロの笠井健太
12月9日(日)午後より、
このブログで、「笠井健太」という検索ワードによるアクセスが急増していた。
調べてみると、急増の理由は、日本で「笠井健太選手」に関する報道があったからのようだ。
つまり、「鹿島アントラーズが、笠井健太選手の獲得に動いている」という報道である。
せっかくなので、アクセスしたいただいている方の便宜に、このブログで「笠井健太選手」に関する記事を、下記の通り、一覧にしておく。
ご興味のある方は、アクセス願いたい。
ただし、2007年に関しては、笠井健太選手が所属しているパウリスタが、サンパウロ州選手権でもブラジル選手権セリエBでも良い成績ではなかったことで、あまり報道がなかったので内容はかなり薄い。
時々、気にして調べていたのだが、笠井健太選手も、2007年のシーズンは、それほど出場していなかったのではないかと思われる。
肉眼で「笠井健太選手」を見たのは、2006年のサンパウロ州選手権のコリンチャンス対パウリスタ戦だけである。
(2006年)
サッカー・リベルタドーレス杯南米選手権 その19 サンパウロFCは勝ち残り、パウリスタは消え、パルメイラスは跳び蹴り 06/04/14
サッカー・サンパウロ州選手権 その64 第19節 コリンチャンス対パウリスタ 06/04/07
サッカー・サンパウロ州選手権 その65 第19節 コリンチャンス対パウリスタ その2 06/04/10
サッカー・サンパウロ州選手権 その69 第19節 コリンチャンス対パウリスタ その5 試合観戦3 笠井健太 06/04/15
サッカー・リベルタドーレス杯南米選手権 その25 リーグ戦終わり、ベスト16が決定。 06/04/21
サッカー:パウリスタは5人に戦力外通告 06/04/26
サッカー・ブラジル選手権2006 その298 アツレチコ・ミネイロ対パウリスタ戦。 06/09/14
サッカー・ブラジル選手権2006 その313 アヴァイ対パウリスタ戦。 笠井健太先発。 06/09/26
サッカー・ブラジル選手権2006 その325 笠井健太の活躍。 06/10/04
サッカー・ブラジル選手権2006 その330 笠井健太が先発との報道。 06/10/13
サッカー・ブラジル選手権2006 その334 笠井健太は先発したが。 06/10/16
サッカー・ブラジル選手権2006 その363 アツレチコ・ミネイロの昇格決定。 06/11/08
サッカー・ブラジル選手権2006 その393 セリエB終了。 06/11/25
(2007年)
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その8 第1節終了。 07/01/19
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その19 第5節終了。 07/02/01
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その20 第8節終了。 07/02/11
ブラジル・サッカー:2007始動 その96 ニウマールは、パウリスタ戦で復帰。 07/02/12
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その42 第12節 笠井健太、ベンチ入りせず。 07/03/08
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その44 第12節終了。 07/03/09
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その63 第16節終了。 07/03/29
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その68 第17節終了。 07/04/01
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その91 笠井健太選手、ベンチ入り。 07/04/16
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その95 笠井健太選手、ベンチ入りせず。 07/04/21
サッカー・サンパウロ州選手権2007 その98 「内陸部杯」準決勝戦終了。 07/04/22
サッカー・ブラジル選手権2007 その136 セリエB終了。 07/11/25
※出場しているテレビ中継映像もあるのだが、それは2006年のものである。
本当は、もう少しブラジルにいて活躍して欲しいのだが、
鹿島アントラーズで、ブラジル仕込みのサッカーを見せられるならば、それもよいことである。
今後のご健闘ご活躍を祈りたい。
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「ロドリゴ・タバタ」という検索ワードでのアクセスも、
2-3日前から増えていたが、
これは、サントスのMFロドリゴ・タバタ選手が、
初来日していることに関係しているようだ。
ロドリゴ・タバタ選手は日系3世である。
サッカー・ブラジル・オリンピック代表 その5 ブラジル選手権選抜が圧勝。
2008年の北京オリンピックの準備のための最初の親善試合で、オリンピック代表Seleção Olímpicaは、12月9日(日)にジョアン・アヴェランジ競技場Estádio João Havelangeで、ブラジル選手権選抜Seleção do Brasileiroに3対0で敗れた。
(国歌演奏)※ブラジル同士で、ブラジル国内での試合なので、演奏が長い。
「20071209Futebol-SelecaoOlimpica-Amistoso-SelecaoBrasileirao.wmv」をダウンロード
ゴールは、アコスタAcosta、イブソンIbson、そしてレアンドロ・アマラルLeandro Amaral。
ドゥンガDunga代表監督は招集した22選手を使った。
※ドゥンガ代表監督は、出場停止中で、
ジョルヂーニョがベンチに座った。
親善試合で、一度も一緒にプレイをしたことがない選手の当然の不慣れが現れたチームを見ることになった。
日曜日のリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroはとても暑く、両チームの出来に影響した。
特に、オリンピック代表Seleção Brasileira Olímpicaが、グランジャ・コマリーGranja Comary の2回の試合形式の練習で見せていた早いリズムは無かった。
経験ある、高い技術を持った選手たちからなるブラジル選手権選抜Seleção do Brasileiroは、より多くボールをキープし、より正確にパスをした。それでアコスタAcostaとジョジエルJosielがゴールする機会が2回もあった。
オリンピック代表は攻撃が遅かった。
「20071209sporTVnews-SelecaoOlimpica-Amistoso-SelecaoBrasileirao.wmv」をダウンロード
観客は、8、945人しかいなかった。
真剣な試合でないと、ブラジル人は冷たい。
オリンピック代表:
Renan (Felipe)
Nei (Apodi)
Breno (Leo)
Leandro Almeida (Rhodolfo)
Leonardo (Valmir)
Charles (Maycon)
Ramirez (Toró)
Diego Souza (Pedro Ken)
Wagner (Thiago Neves)
Alexandre Pato (Keirrison)
Diogo (Pedro Oldoni)
監督: Jorginho
ブラジル選手権選抜:
Felipe (Diego Cavalieri)
Leonardo Moura (Joílson)
Thiago Silva
Miranda
Juan (André Santos)
Hernanes (Pierre)
Richarlyson
Ibson (Rodrigo Souto)
Jorge Wagner
Acosta (Aloísio)
Josiel (Leandro Amaral)
監督: Joel Santana
Caio Júnior
sábado, 8 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロの公園 その88 Parque Água Branca 1 概要。
ブラジル・サンパウロ市域内にある公園を紹介している。
公園は、2006年にサンパウロ市の環境緑地局が発行した「緑の地図」に掲載されたものである。
すでに、市営公園の紹介を終えたので、州営の公園を紹介している。
「緑の地図」にある公園では、最後の公園になった。
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アグア・ブランカ公園Parque Água Branca(正式名称はドトール・フェルナンド・コスタ公園Parque Dr. Fernando Costa)は州営である。
サンパウロ市の歴史的中心部セントロから、西北西に4.5キロのところにある。
住所:Av. Francisco Matarazzo 455 - Água Branca
電話: 3865-4130
開園:月曜-日曜 7時-18時
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サンパウロ市の中心部に近いので、この公園のアプローチとしては、色々な方法が考えられる。
公園の門は3箇所あるのだが、そのうちフランシスコ・マタラーゾ大通りに面した入り口を除く2箇所は駐車場があるので、この入り口へのアプローチを考えてみた。
セントロからは、ラヂアル・レスチ・オエスチを使って、ミニョコンを使うのが、公園付近に到達する一番速い方法である。
ミニョコンの終点で、右に曲がり、マルタ通りに入り、すぐ次の角を左にはいる。
タジプル通りである。
更に、また次を左に曲がり、リンコルン・アルブクェルキ通りにはいる。
直進し、フランシスコ・マタラーゾ大通りを越えて、ドトール・カンヂッチ・エスピニェイラ通りで右に曲がる。
そこで、公園の塀に突き当たるところを左に曲がる。
ミニスロト・ゴッヂ通りというのだが、ここに駐車場の入り口が一つある。
個人的にはこの駐車場はお勧めだ。
警備員がいて、本当に公園の利用者なのかどうかなど確認される場合がある。
近隣のアパートや事務所への訪問者が車を置いていくことがあるからだ。
この駐車場が満員の場合などは、公園の反対側の駐車場へ行く。
ツリアス通りを右折し、道なりに数百メートル行く。
最初の角を右折する。
2番目の角を右折すると、公園の入り口がある。
そこに駐車場がある。
駐車場は、平日で、公園でイベントが行われていないようであれば、スペースはある。
しかし、イベントが行われている時には、駐車場自体が閉鎖されている時もある。
駐車場は、フランシスコ・マタラーゾ大通りの西行き沿いの公園に面したあたりには大きなものが並ぶ。
公園の西側、南側、東側には大きな駐車場はない。
また、平日はこの付近で路上駐車するスペースを見つけることは至難である。
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ご存じの方も多いと思うが、
ミニョコンは、日曜日と休日は閉鎖される。
※深夜から早朝までも閉鎖される。
これで、別のルートを考えなくてはならない。
ラジアル・レスチ・オエスチを、フランクリン・ルーズベルト広場まで行く。
ミニョコン方向は閉鎖されているので、
高架道の下のアマラル・グージェル通りを行き、サラニドゥッキ・ヂ・カシアス大通りに入る。
サン・ジョアン大通りとの交差点を左折し、サン・ジョアン大通りを、高架道の下を、西に進む。
ミニョコンの終点以降は、前述の説明と同じである。
帰路は、
フランシスコ・マタラーゾ大通りそしてサン・ジョアン大通りをセントロ方面に向かう。
そのままイピランガ大通り方向に行くことは出来ないので、
ラルゴ・ド・アロウシュそして、レプブリカ広場を通ってサン・ルイス大通りに行く。
サン・ルイス大通りには行って道なりに行くと、セントロのセに至る。
※パウリスタ大通りからは、
ドトール・アルナルド大通りを行き、
アラサ墓地の終わりを右折し、
カルドーゾ・ヂ・アルメイダ通りを道なりに進むと、公園付近に至る。
個人的には、カルドーゾ・ヂ・アルメイダ通りは好きな通りである。
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アグア・ブランカ公園の周辺は、それほど危険なところではない。
公園の北側をはしるフランシスコ・マタラーゾ大通りは、サンパウロ中心部と西部のラッパを結ぶ幹線道路で、ビルが建ち並んでいる業務地区である。
平日はとても渋滞する。
公園の南側を走っているツリアス通り沿いも商業地区である。
公園の南東側は、ペルヂーゼスの高級アパート街である。
カジュアルなアパート街でとても雰囲気が良いところだ。
駐在員の方には、ここをお勧めしたいくらいだ。
公園の西側の一角も、良い住宅街があるが、事務所化が進みつつある。
公園の北側はかつては、工場や倉庫があったところであるが、今は駐車場の他、スーパーや大学、コンサート会場などになっている。
バッハ・フンダ複合駅まで、徒歩5分くらいである。
このため、こういった公共交通機関を使ってやって来るような来園者も多い。
つづく。
ブラジル・サンパウロは、12月7日には殺人が記録されなかった。
公共安全局SSP (Secretaria de Segurança Pública)によると、ブラジル最大の都市サンパウロSão Paulo市は、まる一日93箇所の警察の分署でただの1件も殺人homicídiosが記録されなかった。
約11百万人が生活しているサンパウロは、12月7日(金)に、殺人を記録しなかった。
これは、公共安全局によると警察の統計では未発表の事実である。
2008年の目標は、10万人あたり10件の殺人件数という世界健康機関OMS (Organização Mundial de Saúde), が認める限界に到達することである。
2006年は、1984件の殺人を記録した。
1日に約5人となる。
10万人あたり18人の死者であった。
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8日(土)には、さっそくモルンビー地区の中でも最高級地区になるジャルヂン・グェダーラに住む、リカルド・マンスールRicardo Mansurの大邸宅で強盗殺人事件が発生し、住み込みの雇員が1人殺された。
警察の広報によると、この事件は7日の24時過ぎに起きており、7日の記録に入らない。
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1人も殺人がなかったことが、
ニュースになるサンパウロ。
このところ、景気がよいこともあってか、
市内中心部の治安は以前に比べて、かなり改善しているように感じる。
20時を過ぎたら人がいなくなっていた歴史的中心部セントロでも、
このところ深夜まで人がいっぱい歩いている。
それで、店も開いている。
それも、危険そうな雰囲気もなくである。
セントロ好きな自分としては喜ばしい。
本当は、ナタル(=クリスマス)前は、治安は例年悪くなるはずだ。
誰でも、よいナタルを迎えたいから、どうしてもそういうことになる。
殺人事件がたまたま無くても、
他の強盗や窃盗や詐欺などの犯罪はいくらでも起きている。
だから決して油断をしてはならないが、ともかくも少しでも安全なことは良いことだ。
ブラジル・サッカー:2007オフ その27 ジェニーニョ監督が、アツレチコ・ミネイロの新監督。
ジェニーニョGeninho監督がアツレチコ・ミネイロAtlético-MGの新監督になった。
ジェニーニョ監督は、アツレチコ・ミネイロのオファーに合意し、スポルチSportとの関係を絶つことをスポルチLeãoの社長のミルトン・ビヴァールMilton Bivarに通知した。
「ジェニーニョGeninho監督は自分に20分間にアツレチコ・ミネイロAtlético-MGのオファーに合意したことを知らせてきた。 彼とは、彼との契約が切れた時から別の監督を探し始めると、了解してた。 こういうことになったので、別の監督を探す」と、ミルトン・ビヴァールは明言した。
アツレチコ・ミネイロの社長によると、契約の署名がまだ無いだけだ。
「我々が契約するためにジェニーニョGeninho監督自身からの通知を待っている」と、サッカー担当役員のベト・アランテスBeto Arantesは言った。
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ジェニーニョ監督は、誠実な人。
サッカー:ロマリオの日々 その66 エウリコ・ミランダ社長と2時間会議。
ロマリオRomárioは、12月7日(金)、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaとサッカー担当副社長のジョゼ・ルイス・モレイラJosé Luís Moreiraとの会議のためにサン・ジャヌアリオSão Januárioにいた。
ロマリオBaixinhoはコリーナColinaに約2時間にて、色々なことについて話をした。
社長によると、話題は2008年の選手としての新たな機能に付いてではなく、監督についてだった。
「ロマリオは自分と話すためだけに来た。 ロマリオがやることについて全て了解した。 色々なことの半紙をした。 ロマリオは短い期間いた」と、エウリコ・ミランダEurico Mirandaは明言した。
この水曜日に、社長はロマリオRomárioの名前を2008年の最初のヴァスコ・ダ・ガマの監督として発表した。
ロマリオBaixinhoは、チームの指揮者としての他に、グァナバラ杯Taça Guanabaraの終わりまで少なくともプレイすることになる。
エウリコ・ミランダ社長によると、引退した後、ロマリオBaixinhoはヴァスコ・ダ・ガマで広報関係の役職に就くことになる。
ロマリオRomárioは、エミレーツ航空Fly Emiratesとのスポンサー契約を結ぶためにヴァスコ・ダ・ガマにとっては基本的なものだと考えられている。
マーケティングのプロのマルコス・ドゥアルチMarcos Duarteが1月に行われるドゥバイ・トーナメントTorneio de Dubaiに、ロマリオは不可欠なものとして参加をさせる。
「ロマリオRomárioは世界的な選手である。 企業に合意させるために彼の参加はとても重要である」。
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ロマリオの現役続行の理由が、
実は
ヴァスコ・ダ・ガマの「スポンサー獲得」のためということなのだろうか。
エミレーツ航空は、最近ブラジルに乗り入れている。
ブラジル・サンパウロの美人のサッカーの線審 その15 ジーコの”スターの試合”に参加。
アナ・パウラ・オリヴェイラAna Paula Oliveiraは、ジーコZicoと友達による年末の伝統的な”草試合”の”スターの試合Jogo da Estrelas”に参加することを確認した。
12月27日にマラカナMaracanã競技場で行われる。
アナ・パウラ・オリヴェイラは試合の線審となる。
この試合は、ジーコ Zicoの他に、1987年のフラメンゴFlamengo対現在と過去の名選手の軍団が対戦する。
参加が確認されている名前では、中田Nakata、アルシArce、ジュニオールJúnior、アモローゾAmoroso、カルロス・アルベルトCarlos Alberto、エーメルソンEmerson、シードルフSeedorf、セルジーニョSerginho(ミランMilan)他である。
入場券は、アーキバンカーダarquibancada席が10レアル(=約650円)で、椅子席cadeirasが6レアル。
全ての収益は、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのまずしい子供の財団に寄付される。
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アナ・パウラ・オリヴェイラについての久しぶりの話題である。
お元気で、ますます美しくなられていればよいが。
ところで、
ジーコによる年末恒例の”スターの試合”であるが、
このところジーコのクラブで行われていたはずだが、
マラカナ競技場で今年はやるとは大したものだ。
参加選手に中田とあったが、これはもしかしたら「旅人」のことか。
彼は名選手の中に入っているのか。
ブラジルでは、まずほとんど人が知らないのが現実だと思うが。
かなりびっくり。
考えてみれば、ジーコが代表メンバーの時の代表だったわけだ。
中田は、昨年も名前が出場予定と名前が出たが、
結局現れなかったはずだ。
尚、入場券の料金だが、椅子席の方が高いはずなので、この報道は間違っている。
ジーコのクラブでやった時は、入場券は無料で、
食料を1-2キロ持ってくることになっていたと思うのだが、
マラカナ競技場なので、料金を取るのだろう。
ブラジルでは、シーズンオフの年末に、このような慈善試合があちこちで行われる。
欧州でプレイしている選手たちも、ナタウ(=クリスマス)で戻ってきているので、参加することも多い。
自分の生まれ育った町に寄付をしたりする。
また、欧州にいるのでブラジルでは忘れられかねないので、引退後の人脈作りの意味もある。
sexta-feira, 7 de dezembro de 2007
ブラジル・サッカー:2007オフ その26 クルゼイロの監督にアヂウソン・バチスタ。
ミステリーが終わった。
クルゼイロCruzeiroの役員との会議の後で、アヂウソン・バチスタAdilson Batistaはクラブと1年間の契約に合意した。
アヂウソン・バチスタは来年のリベルタドレースLibertadores杯でクルゼイロを指揮する使命を帯びることになった。
クルゼイロの、リベルタドレース杯の初戦は1月30日になる。
相手はまだ決まっていない。
「役員は、アヂウソン・バチスタがクラブが今必要としてる人物だと理解している。 丈夫で、規律正しく、選手として国際試合で勝利した監督である」とクルゼイロCruzeiroの広報担当役員のギリェルミ・メンデスGuilherme Mendesは明言した。
アヂウソン・バチスタ監督は、12月6日(木)17時に現れて、記者会見を行う。
アヂウソン・バチスタは39歳で、クリチーバCuritiba生まれ。
1987年にDFとして、サッカー選手としてのキャリアを始め、7つのプロチームでプレイした。
1989年にクルゼイロCruzeiroに移籍し、1990年と1992年にミナスジェライス州選手権Campeonato Mineiroに優勝し、1992年と1993年にスーペルコパ・ドス・カンペオンエス・ダ・リベルタドーレスSupercopa dos Campeões da Libertadoresに優勝した。
監督としての仕事は、2001年にサンパウロSão Paulo州のモジ・ミリンMogi Mirimから始めた。
その後、クルゼイロCruzeiroにやってくるまでに、アメリカAmérica-RN、アヴァイAvaí、パラナParaná、グレミオGrêmio、パイサンドゥPaysandu、スポルチSport、フィグェイレンセFigueirenseそしてジュビロ磐田Jubilo Iwata-Japãoの8つのチームを指揮した。
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監督として、キャリアも十分だ。
サッカー:ロマリオの日々 その65 ロマリオの父は語る。
息子のロマリオがヴァスコ・ダ・ガマVasco da Gamaの新監督に選ばれたことを知って、エデヴァイールseu Edevairは、少し疑いながらも、ロマリオRomárioの新しい職業を応援し、ロマリオBaixinhoの経歴はまだ良くなっていると言った。
「これは物事が良くなっていることを意味しているね。 失業よりも良い」とインタビューに答えていった。
しかし、エデヴァイールSeu EdevairはロマリオRomárioが長い間得点王として成功したように、監督としてもまた成功するとは思っていない。
息子はまたもっと選手を続けることが出来ると思っている。
「ロマリオが良い監督になるかならないかどうかは言うことは出来ない。 選手としては彼は最高だ。 しかし監督としてはまた別物だ。 自分はまだロマリオはプレイを続けることが出来ると思っている。 自分が60歳まで働いたので、彼はまだ19年間は働けるね」と、笑いながら明言した。
別の面から、エデヴァイールseu Edevairはロマリオにプレイするかトレーニングをするのか一つにするように勧めた。
「彼が指揮するのか指揮されるのか、2つのことは駄目だ。 選手を選ぶのと選ばれるので混乱する。 あれかこれかだ」と、メッセージを送った。
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時々テレビに現れてインタビューを受けているのだが、
ややぼけているのではないかと思っていたが、
このやりとりならまだ大丈夫そうだ。
quinta-feira, 6 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのデジタルテレビ放送開始2。
12月2日(日)から、ブラジルでの最初の地上波デジタル放送が、サンパウロで開始された。
日本での地上波デジタル放送開始の時のような、情報の洪水は全くない。
だいたい、サンパウロの周辺何キロ以内で視聴が可能かなども分からない。
東京の場合は、東京タワーを中心として、何キロとかという極めて狭い範囲ではじまり、渋谷駅の近くの拙宅でもエリアに入っていなかったことを思い出す。
サンパウロの場合は、そのエリアはどれほどなのだろうか。
全く分からない。
実は、
5月に日本で、地上波デジタルテレビ放送が視聴可能だというパソコンを買った。
もっともワンセグだが。
ワンセグではないものはスペックがよいので、価格的に高かったし、
ブラジルで見ることが出来なかったら、ばからしいので、ワンセグで十分だと思っていたのだ。
日本でその機能を試すこともなく、そのままにしていた。
もっとも、ワンセグなるものも、ブラジルにいる身なので、よく分かっていなかったのだ。
ブラジルが採用したデジタルテレビ放送のシステムは、日本のシステムだというのだが、どこまで同じなのかも全く分からないので、日本のパソコンに入っているソフトやハードが対応しているかどうかも分からなかったからである。
その新しく買ったパソコンは、まだ予備機としておいていて、5年以上も前のノート型機種がまだブログ程度には十分使えるので、メインとして使っている。
更に、画像処理にはデスクトップ機もあるので、2台までは使ってもいても、3台までは、一度に使い切れない。
そういうこともあって、12月2日(日)までは、試験放送がなされていたかもしれないワンセグ機能を試すこともなかった。
12月2日(日)の午後になって、そのほったらかしにしていたパソコンに充電をしつつ、テレビ受像についてのマニュアルを読んだ。
充電を終えて、付属品のアンテナをつないで、ソフトを立ち上げた。
日本のソフトなので、日本の地域設定は簡単に設定できる。
ここはサンパウロなので、手動設定で、といっても「新しい地域」として、自動でサーチする。
そしたら、なんと6局を感知した。
17時頃のことだった。
すでに、放送は始まっていたのだ。
画面も写った、といっても小さな画面なので、画質が高画質かどうこうなどは全く何とも言えない。
でも、本放送開始前なので、まだ横長の画面ではなかった。
そして、放送開始が予定されていた20時30分すぎ、
どうも20時42分が開始時刻だったらしいのだが、
その辺は、ブラジルなのでいい加減だ。
ブラジルで圧倒的な視聴率を持っているGlobo局は、Faustaoという番組が終了した直後に、サンパウロの「祝賀会場」からの中継に変わった。
そこでは、もう官房長官が話を始めていた。
※その後のニュース映像から。
この官房長官の話の後に、
ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの談話があった。
この特別放送は、約20分くらい続いた。
そして、Globo局はFantastcoという番組から地上波デジタル放送を開始した。
ワンセグで見ていたのだが、
何しろ従来のアナログ放送と同じ内容である。
時々画面が横長になるが、まだ従来の画角の素材が多かった。
CMも同様だ。
ともかくも、拙宅では地上波デジタル放送を見ることが出来ることを確認した。
拙宅は、ケーブルなので、その後このワンセグを見ていない。
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さて、日曜日のこの時間はredeTV!局の”panico na TV”の時間である。
当然、サブリナ・サトウが出演するこの番組の方を優先している。
アナログでは、この番組を見ていた。
rede TV!局ではpanico na TVがもっとも視聴率の高い番組なので、
rede TV!局では、この番組から、地上波デジタル放送が始まったことになる。
今は19時45分頃に始まっているこの番組の途中で、やはり20時40分頃に地上波デジタル放送の特別番組に切り替わった。
「20071202paniconaTV-ComecaTVDigital.wmv」をダウンロード
rede TV!局が画面を切り替えた時が、おそらくちょうど官房長官の話が始まったところだったはずなのだが、Globo局では切り替えが遅く、話は途中からになった。
地上波デジタル放送の放送開始というのは、そういう程度ものだったのだ。
ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの談話の後に、地上波各局の過去現在の番組の一部が次々と流されていったのだが、rede TV!局では早速トラブルがあって、その画像が一旦途切れ、panico na TVのスタジオからの映像になった。
しかし、ほんのちょっと番組が進行した後に、またその各局の映像に戻った。
このpanico na TVのスタジオに、rede TV!局にサポートに来ている日本人技術者2人が呼ばれていた。
ポルトガル語をほとんど解しない2人。
結構もてあそばれていた。
この模様は、また別の機会に記事にするつもりだが、顔だけでも出しておく。
日本人の方が、ここでがんばっておられるという証である。
ブラジルの地上波デジタル放送は、こういう人たちがブラジルに滞在して、指導をして出来たことなのである。
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今までのアナログ放送では、ブラジルの放送システムはM-Palといって世界で唯一の物であったので、日本のNTSCとは何の整合性もなく、テレビ受像器もビデオも日本で使っていた物はそのままでは使えなかった。
だが、これからは、どうも日本から持ち込んでも使えそうである。
これから駐在する人には朗報になるだろう。
サッカー:ロマリオの日々 その64 ヴァスコ・ダ・ガマの監督に。
エウリコ・ミランダEurico Miranda社長は、公式に、2008年のシーズンのヴァスコ・ダ・ガマの監督として、ロマリオRomárioの名前を確認した。
エウリコ・ミランダ社長によると、ロマリオBaixinhoはグァナバラ杯Taça Guanabaraの準決勝か最終戦まで進むことが出来た場合は、そのグァナバラ杯の終わりまでチームの監督となる。
※グァナバラ杯は、リオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaの前半戦primeiro turno。
後半戦はリオ杯。
「ここに君たちを呼んだのは予測を終わりにするためだ。 グァナバラ杯Taça Guanabaraまではロマリオは監督兼選手である。. これはもうみんなと話をして、合意済みである。 ロマリオRomárioはグァナバラ杯Taça Guanabaraの準決勝か決勝で選手としてのお別れまでやる。 もしそこまで行かなければ、ロマリオはリオ杯Taça Rioまで行く」と、エウリコ・ミランダ社長は言った。
エウリコ・ミランダ社長はロマリオRomárioがでた後の新しい計画をしていると明らかにした。 ロマリオBaixinhoはまだ選んでいないが、監督補佐を使う。 トレーナーのルイス・フラーヴィオLuiz Flávioは残留する。
「ロマリオRomárioがこの機能を続ける考えはない。 その後で全て決定する。 ロマリオRomárioは広報のような管理的な面でヴァスコ・ダ・ガマと関係を持つことになる」と、エウリコ・ミランダ社長は明言した。
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連日、ロマリオ関連の仰天ニュースが続いている。
だいたい、エウリコ・ミランダ社長の発表は、「飛ばし」が多い傾向にある。
ただ、ロマリオがドーピングで処分を受けると、監督としても、ベンチ入りは出来なくなるはずだ。
ブラジル・サッカー:2007オフ その25 カイオ・ジュニオール監督が、パルメイラスからゴイアスへ。
2008年はパルメイラスPalmeirasから出ることを確認した後まもなく、カイオ・ジュニオールCaio Júnior監督はゴイアスGoiásの新監督と発表された。
金曜日(12月6日)に現れることになっているカイオ・ジュニオール監督は1年の契約に署名し、2008年のゴイアス州選手権とブラジル選手権でクラブの陣頭に立つ。
「我々の最優先はカイオ・ジュニオールCaio Júnior監督であった。 パルメイラスPalmeirasとの関係を彼が解決することを期待していた」と、ゴイアスGoiásの社長のペドロ・ゴウラルチPedro Goulartは説明した。
水曜日に、社長はアヂウソン・バチスタAdílson Batistaと会議をしたが合意には至らなかった。
アヂウソン・バチスタは、この木曜日にクルゼイロCruzeiroと契約した。
カイオ・ジュニオールCaio Júnior監督は、ブラジル選手権の終盤でリベルタドレースLibertadores杯の出場権をとれなかったことで失望したファンからの強い圧力の下で、パルメイラスPalmeirasの監督職を去った。
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ファン組織の力が強すぎるクラブの監督は、心労がたまる。
ブラジル選手権が終わって4日目だが、何人の監督がもう代わっただろうか。
サッカー:ロマリオの日々 その63 ドーピングの審理は今年中にも。
ヴァスコ・ダ・ガマの法務部門が期待していたように、FWロマリオRomárioのドーピングの件の審理は今年のうちにおこなわれるだろう。
スポーツ裁判所Justiça Desportivaのサイトによると、ロマリオBaixinhoの件はスポーツ最高裁判所STJDの検事によって告発され、12月18日に弁明の機会がある。
ロマリオBaixinhoも、ロマリオとヴァスコ・ダ・ガマの医師も、この水曜日から書面による弁明と証拠を提出するために5日間の猶予が与えられる。
この期間のあと、書類は検事局と規律委員会Comissão Disciplinar に2日間以内に送られることになる。
検事局で検討されたあとで、ロマリオRomárioはブラジル・スポーツ裁判コード244条Código Brasileiro de Justiça Desportiva違反で告発される。
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半年から1年といわれる出場停止の処分が出るのが早ければ早いほど、復帰も早くなる。
早期の審理終了を、ロマリオもヴァスコ・ダ・ガマもそしてファンも望んでいる。
ブラジル・サッカー:2007オフ その24 ネルシーニョ・バチスタ監督は語る。
ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督は、コリンチャンスTimãoがマノ・メネゼスMano Menezesとの契約を発表した同じ日に、コリンチャンスCorinthiansを去ることに合意した。
ネルシーニョ・バチスタ監督は、退団後最初のインタビューに応じている。
悪口は言うことはなく、マノ・メネゼスと契約については話すのを避け、「自分が出来ることはすべてやった」と言った。
「コリンチャンスを降格から抜け出させるために可能なことは全てやったという意識をしている。チームは選手権の終わりにいて、選手、スキームの変更を試みた。 不幸にして、降格から抜け出せなかった」と、ネルシーニョ・バチスタ監督は言った。
ネルシーニョ・バチスタ監督は、チームから彼がでるのは普通だと考えていた。
「難しい状況にあるチームを引き受けた。 ある人は勇敢だとまで言った。 でもコリンチャンスCorinthiansはこの状況を抜け脱せるという確信があった。 ここで繰り返したくないミスがあった。 降格という結果になった。 顔を上げて出て行く」と、ネルシーニョ・バチスタ監督は言った。
ネルシーニョ・バチスタ監督は、グレミオ戦Grêmioで選手を替えたことを批判された。 しかし試合に勝つためで、ゴイアスGoiásとインテルナシオナウInternacional戦の結果次第にしないためだったと明言した。
マノ・メネゼスMano Menezesと契約についての質問には、ネルシーニョ・バチスタ監督はコメントしたがらなかった。
「それについては話さないことの望む」と明言した。
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ネルシーニョ・バチスタ監督の、次のチームはどこになるのだろうか。
サッカー・ブラジル・オリンピック代表 その4 招集選手集合。
12月5日(水)の朝、オリンピック代表Seleção OlímpicaとしてドゥンガDunga代表監督によって招集された22選手と技術委員会のメンバーが、今度の日曜日に16時から、ジョアン・アヴェランジェ競技場Estádio João Havelangeでのブラジル選手権選抜Seleção do Brasileiroとの試合のためのトレーニングのために集合した。
トン・ジョビン国際空港Aeroporto Internacional Tom Jobimからは、次のメンバーが、グランジャ・コマリーGranja Comary に向かった。
ドゥンガDunga代表監督, スパーバイザーのアメリコ・ファリアAmerico、監督補佐のジョルジーニョJorginho、医師のロドリゴ・ラズマールRodrigo Lasmar、トレーナーのオヂール・ヂ・ソウザOdir de Souza、GKトレーナーのヴェンデル・ラマーリョWendell Ramalho、そして選手は、アレシャンドレ・パトAlexandre Pato, トローToró,ヴァウミールValmir, アポヂApodi, シャルレスCharles, ラミレスRamires, ヂエゴ・ソウザDiego Souza, レアンドロ・アルメイダLeandro Almeida, ペドロ・ケンPedro Ken, ペドロ・オウドーニPedro Oldoni, ケイヒソンKeirrison, ロドルフォRhodolfo, ネイNei。
サントス・ドゥモンSantos Dumont空港からは次の選手たちが向かった。
フェリッピFelipe, レナンRenan, チアゴ・ネヴェスThiago Neves, ブレーノBreno, ヂオゴDiogo, レオLeo, レオナルドLeonardo, マイコンMaycon, ヴァグネルWagner
そして、広報担当のロドリゴ・パイヴァRodrigo Paivaである。
グランジャ・コマリーGranja Comaryに到着し、昼食をとる。
トレーニングは16時45分からである。
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トレーニングは、雨の中で行われた。
quarta-feira, 5 de dezembro de 2007
サッカー:ロマリオの日々 その62 ブラジルサッカー協会が、ロマリオのドーピングを発表。
12月5日(水)、ブラジルサッカー協会CBFのドーピングコントロール国内委員会Comissão Nacional de Controle de Dopagemは、バスコ・ダ・ガマVasco da Gamaのロマリオ・ヂ・ソウザ・ファリアRomário de Souza Faria選手の尿サンプルから、ブラジルサッカー協会ドーピングコントロールと国際アンチ・ドーピング機関の規則によって禁止されている物質カルボキシ・フィナステリーダCarboxi-Finasteridaが検出されたという結果を発表した。
※クリックすると拡大する。
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ブラジル・サッカー協会の発表の前日に、
ロマリオ自らが記者会見を開いて、
ドーピングを認めたという形にしたところが、
温情。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その111。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
中心部に多いと繰り返してきているのだが、
補足をすると、
中心部の「ちょっとやばそうなところ」に多いとしておく。
だが、グラフィッチ(壁絵)は本当はサンパウロ市の壁があるようなところには、どこにでもある。
前にも書いているのだが、
中心部を離れれば離れるほど、
スプレーで書き殴ったような言葉や絵が多くなる。
丁寧に描き込まれた物は、そう多くはない。
もしくは、その壁だけでしか、その作家の作品を見つけていない場合や、作品が明らかに集団の手による場合も取りあげていない。
集団というのは、よくあるのだが、子供が通っている学校の壁に絵を描いているようなものである。
ブラジル・サンパウロの公立学校の多くは、
壁に絵が描いてある。
華やかでいいという発想なのかもしれない。
それらの絵は、児童が書いたものが多い。
子供の時から、グラフィッチ(壁絵)の訓練をしているからこそ、
スプレーの扱いに長けていて、
街の中にグラフィッチ(壁絵)が氾濫するわけである。
サンパウロ市の深南部グラジャウ地区を通るベルミラ・マリン大通りは、どういう訳かグラフィッチ(壁絵)の宝庫なのである。
サンパウロ市の歴史的中心部セントロから直線でも24キロも離れているにもかかわらず、2000番台から5000番台までの約4キロほどに、質の高いグラフィッチ(壁絵)が次々と出現するところなのである。
だが、さすがにこの地区で、車を止めて、悠長に、グラフィッチ(壁絵)の撮影をする気分にはなれない。
なにしろ、サンパウロ市で一番失業率が高く、そして殺人が多い地区なのである。
グラフィッチ(壁絵)の収集も、それなりに続けていると、もうありきたりのところは、もうすでに踏破してしまった。
頻繁に通る道沿いにある壁に突然グラフィッチ(壁絵)が出現することもそうそうない。
歴史的中心部セントロそしてその周辺地区の「下町的な」ところを、主として探索しているのだが、時には「これはとても撮影できない」と思うようなところにグラフィッチ(壁絵)を発見する。
「撮影できない」理由は、一つはもちろんそのグラフィッチ(壁絵)がある地区の雰囲気である。
それと、交通量の多い道沿いで、駐車するところがない場合などである。
更に、グラフィッチ(壁絵)がとんでもないところに描かれていて、撮影のポイントを簡単に発見できない場合である。
でも、発見したら、はやりどうしてもカメラに納めたい。
いまは、セントロおよびその周辺地区だけに絞ってグラフィッチ(壁絵)の収集に努めている。
車を使わずに、歩くこともしばしばだ。
グラフィッチ(壁絵)1枚のために、何回もその絵のある場所の周辺に出向くこともしばしばである。
作家も、その場所でグラフィッチ(壁絵)を描くのは大変だっただろうから、こちらもそれなりの努力はしなくてはならないと思っている。
サッカー:ロマリオの日々 その61 ドーピングについての記者会見。
ロマリオRomárioは、フィナステリーダfinasteridaという物質が検出されたこととスポーツ最高裁判所STJDによって予備的に出場停止となったことを発表する記者会見に30分遅れてきた。
「20071204sporTVnews-Romario-Entrevista.wmv」をダウンロード
よいユーモアで、ロマリオBaixinhoは、脱毛を防ぐための頭髪用トニックを付けていることを認めて、再検査を求めることを断念した。
マスコミとのやりとりの中で、ロマリオはこのことで引退するようなことは否定した。
「頭髪用トニック」
髪の毛がちょっと足りなくなってきた。
自分はちょっとの間ある製品と使った。
その製品はフィナステリーダfinasteridaと呼ばれる物質を含んでいる。
ブラジルサッカー協会CBFはヴァスコ・ダ・ガマ対パルメイラスPalmeiras戦での検査結果の書類を送ってきた。
その物質は、その時の尿にあった。
確認するために自分が再検するように要求していた。
自分は必要ないと言った。
ある期間その薬を使っている。
自分がある期間それを使っていることをみんな知っている。
公の場で、皆さんにそれを伝えたかった。
このことがマスコミによって発表される前にだ。
ここで、自分が誰で、どうかということを話すのではない。
何年もプレイしている。
まだ、リオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaの試合でプレイする計画がある。
このことは何も自分のキャリアを混乱させない。
ただ、ここに皆さんを集めてこの状況を伝えたかった。
「引退」
自分はリオ・デ・ジャネイロ州選手権のレベルが将来に関しての自分の計画を混乱させることはないと思っている。
ドーピングについてなにか容疑をかけるだろうか。
自分はマルソンに髪の毛があるかどうかは知らない。
自分について言えば、もしこの薬を使わなければ髪の毛がもっと少なくなる。
終わりではない。
頭はよいし、はっきりしている。 これは穴祟りにも起きた問題だ。
41歳で、1月にてゃ42歳になる。
自分の年齢の選手はもう止めている。 ドーピングはない。 最後はただ死ぬ。 自分は120歳までに死ぬ。
「スポーツ最高裁判所での審理」
41歳で、2-3ヵ月もプレイできない。
誰もか感じるようにこの微妙な状況なので、特別の審理をしてくれることを期待している。
自分個人的な願い、自分のキャリアの考慮、そして自分自身、自分の両親、自分の子供のために、
自分は冷静であってもみんなには居心地の悪いことだ。
「ドーピング検査」
この使っていた薬をドーピングの人に送った。 医者まで行った。ラファエルRafael医師だ。
隠すことはないので、それを医師に送った。
その時の医者はメモをとった。
ドーピングのところにいた他のプロは必要ないと明言した。
これとは別に2つ問題がある。
一つはこれから行われるだろう審理の関係である。
計測している計画を続ける。 使用を止めることになるもう一つ。 自分の髪はまた落ち始めるだろう。
いかなる処罰も受けないためにがんばる。 目的はドーピングではない。
「トニックの成果」
救ってくれた。 残っている少ない髪の毛は薬のおかげだ。 みんなこの薬をいつも自分が使っていることをみんな知っている。 いまは、怠けて、週に1-2回だけども、前は毎日使っていた。
「製品を使い始めたきっかけ」
ほとんど髪の毛のない人が使っていたというのを聞いて、使い始めた。
ヴァスコ・ダ・ガマが再集合する時に自分も戻る。
ドゥバイDubaiでの2試合もやりたい。
そのあとで、リオ・デ・ジャネイロ州選手権のグァナバラ杯Taça Guanabaraに参加できるようにコンディションを整える。
残念ながら、髪は落ち始める。
「傷ついたイメージ」
自分は個人的に何も変わらないと思っている。
それは、ドーピングといわれても、ドーピングではないからだ。
唯一自分のイメージが変わるとすると髪の毛が少なくなることだ。
「検査結果への驚き」
新しいことで驚きである。
しかし、長期に使っていたことである。
ある人が自分にこの薬にある物質は最近禁止されたといった。
1年間でポジティブになるとは思っていなかった。
よい年だったので終わりまで良いと思っていたが、しかし。。。。
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ロマリオの一流のユーモアたっぷりののインタビューの雰囲気を、文字にして表現するのは難しい。
会話の流れの中で、それが出て来るからだ。
自分から、先に記者会見を開いて、マスコミに知らせたことになるのだが、なかなか戦略上手なロマリオである。
ブラジル・サッカー:2007オフ その23 コリンチャンスの新監督にマノ・メネゼス。
コリンチャンスCorinthiansの社長は、約束したように、素早く動いた。
ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督と更新しないと決定してすぐに、前グレミオGrêmio監督のマノ・メネゼスMano Menezesと契約した。
チームを指揮し、2008年にブラジル選手権のセリエAに復帰させるようにする。
クルゼイロCruzeiroもまたマノ・メネゼスと契約に関心を持っていたが、コリンチャンスTimãoのオファーが勝っていた。
マノ・メネゼスMano Menezesとの契約は、12月4日(火)の夜リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで、代理人のカルロス・レイチCarlos Leiteと社長のアンドレス・サンシェスAndrés Sanchesとの会議で決まった。
サンパウロSão Pauloにいた新サッカー担当副社長のマリオ・ゴッビ・フィーリョMário Gobbi Filhoも賛成であった。
契約期間は1年間。
マノ・メネゼスは、ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督が受け取っていた報酬の3倍を受け取る。
「マノ・メネゼスはとても幸せである。 彼は多くのクラブからオファーを受け取っていた。 しかしコリンチャンスCorinthianを望んだ。 記者会見で彼はコリンチャンスCorinthiansを選んだ理由についてより詳細を語るだろう」と、代理人のカルロス・レイチCarlos Leiteは言った。
社長の意向は、2008年のシーズンのためにチームを作り上げるのに時間を失いたくないということである。
新監督は、12月5日(水)18時に、パルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに現れ、すぐに何人かの新加入選手について語るだろう。 元サンパウロFCのFWリマLima、サン・ベルナルドSão BernardoのMFラフィニャRafinhaは契約した。 コリンチャンスは、さらにサン・カエターノSão CaetanoのMFドウグラスDouglas、フラメンゴFlamengoのボランチのジェルソン・マグロンGérson Magrãoそして元サントスex-SantosのボーヴィオBóvioを欲しがっている。
コリンチャンスCorinthiansをセリエAに戻すことは、マノ・メネゼス監督にとっては目新しいことではない。
2005年にグレミオを率いてそれをやっている。
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ネルシーニョ・バチスタ監督が、ますます可哀想にも思える。
ともかくも、コリンチャンスは
チーム作りにとって一番大事な監督を決めた。
どのような采配をふるうのか楽しみである。
ブラジルの「プレイボーイ」誌 その7 2008年1月発売の表紙を飾る女性を巡る話題2。
リシャリソンRicharlysonの元彼女のレッチシア・カルロスLetícia Carlosは、12月5日(水)に、プレイボーイPlayboy誌に掲載される彼女のヌード写真を撮影する。
出版社によって、撮影場所は秘密を保たれている。
「場所やシナリオのテーマについては明かすことは出来ない。 自分もはっきりとは知らないが、サッカーになる」とレッチシア・カルロスは電話に答えた。
「ちょっと不安だ」と言って、終えた。
プレイボーイ誌は、写真の発表にあたってはリシャリソンRicharlysonの名前を使うに違いない。 しかし、元彼女はそれに関知していない。
サンパウロFCのボランチとは体育学部の同僚であるレチッシア・カルロスは、それはただプレイボーイPlayboy誌の決定することであると言った。
レッチシア・カルロスは2008年1月発売の号の表紙になる、この写真が芸術方面の仕事への信任になることを期待している。
「まだ、大学の第2半期目である。 プレイボーイPlayboy紙でのこの機会をモデルとしての仕事に戻ることに利用したい。 自分はいつもイベントにいたが、リシャリソンRicharlyonとつきあい始めた後は止めていた」と、思い出していた。
レッチシア・カルロスは、リシャリソンRicharlysonがリシャリソンRicharlysonとレッチシア・カルロスの関係を2週間前に終わらせることを決めて驚いた。
プレイボーイ誌からのオファー受けてすぐのことだった。
元彼女は、リシャリソンの決定に驚きを見せていた。
「自分はそんなことが起きるとは予想もしてない買った。 彼は自分が雑誌に出ることを望んではいなかった。 しかし自分には決定は自分でするもので、同意した。 プレイボーイPlayboy誌との最初の話の時は、彼は一緒だった。 でも、オファーが公式になった時、リシャリソンRicharlysonは彼女がヌードで雑誌に出るのは望まないといった。 自分はそれには同意しなかった」といった。
こういうことになっても、レッチシア・カルロスはリシャリソンRicharlysonとは友人だといった。
最後にあったのは先週、大学でだ。
彼女はまだ恋人に戻ることを考えているといった。
「自分はまだ彼のことが大好きだ。 彼は変わっていないと思っている。 これから先どうなるか分からない」と明言した。
レチッシア・カルロスとリシャリソンRicharlysonの恋人関係は、リシャリソンの性的趣向についての論議との期に発覚した。
ブラジル選手権の間、リシャリソンはゲイではないかという噂の標的となった。
パルメイラスPalmeirasの役員はテレビでホモだとまで言った。
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プレイボーイ誌にでることで、
その女性に関する話題が必ず次々と出てくる。
ブラジル女性の生き様がよく分かる。
のし上がるためには、大変な努力がいるということなんだ。
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リシャリソンは、
12月3日(月)に行われたブラジル選手権優秀選手表彰式で、
表彰されたのだが、
その時の服装も、
どうみてもそちら系だった。
ブラジル・サッカー:2007オフ その22 ヴァウヂール・エスピノーザ監督もヴァスコ・ダ・ガマに残留せず。
ヴァスコ・ダ・ガマは、2008年に向けて監督が公式にいなくなった。
12月4日(火)の午後、ヴァウヂール・エスピノーザValdir Espinosa監督は、サン・ジャヌアリオSão Januárioで社長と会議をしたが、契約の更新に合意しなかった。
それで、10月25日にセルソ・ロッチCelso Roth監督のあとを受けてヴァスコ・ダ・ガマにやってきたヴァウヂール・エスピノーザ監督は、失業者に戻ることになる。
(参考画像)
エウリコ・ミランダEurico Miranda社長は、火曜日中にも新監督を発表するだろう。
「不幸なことに、両者の間に合意はなかった。 しかし、人生は続く。 ヴァスコ・ダ・ガマではいつも最高の扱いを受けたし、家にいるかのようだった。 自分がまた仕事を出来るように門を開けておいてくれることに感謝している。 選手たちがよい質を持っていることを証明できて、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroで誇らしい位置に持っていくことが出来た」と、ヴァウヂール・エスピノーザ監督は、広報を通じて言った。
ヴァウヂール・エスピノーザ監督の指揮下で、ヴァスコ・ダ・ガマは6試合を戦い、3勝2分1敗であった。
この結果で、ヴァスコ・ダ・ガマは、南米杯Copa Sul-Americanaの出場権を得ることが出来た。
パラナのマスコミによると、ヴァウヂール・エスピノーザ監督の行き先はブラジル選手権セリエBSérie Bで優勝したコリチーバCoritiba。
レネー・シモンエスRenê Simões監督はジャマイカ代表seleção da Jamaica.監督になった。
ヴァスコ・ダ・ガマでは、ヴァグネル・マンシーニVágner Mancini、アルフレッド・サンパイオAlfredo Sampaio、アントニオ・ロペスAntônio Lopesなどの名前がすでに挙がっている。
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監督がどんどんと代わっていく。
terça-feira, 4 de dezembro de 2007
サッカー:ロマリオの日々 その60 ドーピング。
FWロマリオRomárioは、10月28日にサン・ジャヌリオSão Januárioで行われた対パルメイラスPalmeiras戦の試合のあとに行われたアンチドーピングテストに引っかかった。
スポーツ最高裁判所Superior Tribunal de Justiça Desportivaの審理によって、120日間から1年間の出場停止となる。
ロマリオBaixinhoの組織から検出された物質は、頭髪のトニックの成分に使われているもの(finasterida)である。
ロマリオは、おそらく2008年に行われる審理まで、予備的に出場停止となった。
この件は、昼食のすぐあとに明らかになった。
エウリコ・ミランダEurico Miranda社長は検査の結果を知ると、選手生命を終わらせかねない出場停止からロマリオを自由をする方法を知るために法務担当副社長のパウロ・レイスPaulo Reisを呼んだ。
ロマリオRomárioのケースは、インテルナシオナウInternacionalのDFマルソンMarcãoのそれに似ている。
選手は同じ物質によって120日間の出場停止処分をスポーツ最高裁判所から受けた。
そして、8月21日に行われたブラジル選手権Campeonato Brasileiroの第13節の対ジュヴェンチューヂJuventude戦でのドーピングが発覚していた選手は出場停止は60日間に減ぜられ、残りは基礎食品cestas básicasの寄付ということになった。
41歳のロマリオRomárioは、2008年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaに出場することを確認している。
この選手権を戦ったあとに、引退することになるだろう。
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一晩明けても、またロマリオが話題の中心である。
今回は、よくない話だが。
サッカー・ブラジル選手権2007 その152 ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァには、誰もそのことを触れなかった。
伝統的に、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァLuiz Inácio Lula da Silvaは、雰囲気を和らげるためにちょっとした冗談や小話をしながらの政策調整の閣議を毎週開く。
しかし、この月曜日(12月3日)は違っていた。
参加者の1人の報告によると、「コリンチャンスCorinthiansについて自分には話をしなように」と、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは会議を始める前に出席者に注意した。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァがとても応援しているコリンチャンスCorinthiansは、12月2日(日)にブラジル選手権のセリエBに降格した。
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国家元首が、あれほど応援していたのだが。
ブラジル・サッカー:2007オフ その21 エーメルソン・レオン監督は、アツレチコ・ミネイロに残留しない。
来年クラブ創立100周年のアツレチコ・ミネイロAtlético-MGの監督は、エーメルソン・レオンEmerson Leão監督ではない。
エーメルソン・レオン監督はサンパウロSão Pauloで、アツレチコ・ミネイロGaloのサッカー担当役員のベト・アランテスBeto Arantesと会議をして、給与のベースで合意に達しなかったと説明した。
「不幸にして、自分を使いたい、100周年に必要だというクラブの意向にもかかわらず、合意しなかった。 社長は自分が受け取っていた50%オフを提示した。それでは難しい。 クラブの財務状況は尊重しなければならない。というのは社長のジザ・ヴァラダレスZiza Valadaresは緊急時にしたように1年間は支払い続けることは出来ないといった」と分析した。
エーメルソン・レオン監督は007になぞらえた。
「自分は不可能な使命を達成する007のようだ。 今日アツレチコ・ミネイロのファンは監督が出ていく悲しい年を終えることになる。 しかしここ最終節ではサンパウロでパルメイラス戦に勝利し賞賛されて、チームはシーズンを終えることが出来てしあわせである」と、コメントした。
エーメルソン・レオン監督は、ファンへのお別れをした。
「アツレチコ・ミネイロのファンにさよならは言わない。また今度という」と、エーメルソン・レオン監督は締めた。
アツレチコ・ミネイロは新監督の名前をまだ選んでいない。
名前は、今年中に発表されるに違いない。
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次々と、大物監督が退任している。
エーメルソン・レオン監督の次のクラブは、どこになるのか。
ブラジル・サッカー:2007オフ その20 ドリヴァル・ジュニオール監督は、もうクルゼイロの監督ではない。
ドリヴァル・ジュニオールDorival Júnior監督とクルゼイロCruzeiroのサッカー担当役員のエドゥアルド・マルフィEduardo Malufとの話し合いで、ドリヴァル・ジュニオール監督は2008年のシーズンは残留しないことに決定した。
契約は、12月31日に終了する。
クルゼイロRaposaは、2007年のシーズンのほとんどチームを指揮した監督との契約の更新をしないことを決定した。
クルゼイロCruzeiroの公式サイトによると、クルゼイロは新監督の名前を近日中に発表する。
社長のアウヴィマール・ペヘーラAlvimar Perrelaが旅行中なので、彼が戻ってから決定されるに違いない。
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クルゼイロにリベルタドレース杯の出場権を獲得させたのに、ドリヴァル・ジュニオール監督とは契約更新しないとは、薄情な話だ。
サッカー:ロマリオの日々 その59 リオ・デ・ジャネイロ州選手権で優勝したい。
今年2007年に1000ゴールを達成したことで、ブラジル選手権優秀選手表彰式Prêmio Craque do Brasileirãoで、表彰されたあと、ロマリオRomárioはブラジル選手権Campeonato Brasileiroの優秀選手のフェスタで、思い出されたことの重要性について話をした。
「このようなフェスタで表彰されたことはとても重要だ。 至上のもののだ」と言った。
ロマリオRomárioは、更にリオ・デ・ジャネイロ州選手権でもっとプレイをする機会があると言った。
「肉体的にはとても良い。 しかしこれが最後になると思う。 ともかくも、ベストを尽くす。 最高になることを期待している。 全てのスポーツ選手にとっての夢はタイトルを獲ることである。 リオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Cariocaでそのチャンスがある。 しかしそれが出来なくても、自分の人生は変更はない」と、ロマリオBaixinhoは明言した。
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一言一言、重みがある。
ブラジル・サッカー:2007オフ その19 ネルシーニョ・バチスタは、もうコリンチャンスの監督ではない。
ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptistaは、もうコリンチャンスCorinthiansの監督ではない。
サッカー担当副社長マリオ・ゴビー・フィーニョMário Gobbi Filhoと代理人のアルヴァロ・セルデイラÁlvaro Cerdeiraとの話し合いのあと、ネルシーニョ・バチスタ監督との契約は2008年のシーズンまで更新しないことを決定した。
コリンチャンスを降格から救うために契約した時から、ネルシーニョ・バチスタ監督は降格しようがしなかろうが、2008年も続けるチャンスは多くないことは知っていた。
ネルシーニョ・バチスタ監督は、11試合を指揮し、僅か2勝で、5引き分け4敗であった。
今回、ネルシーニョ・バチスタ監督にとって、コリンチャンスCorinthiansの指揮をするのは4回目であった。
1990年、ネルシーニョ・バチスタ監督はブラジル選手権のタイトルを得た。
しかすすぐにチームを離れて、92年から93年に戻った。
次にタイトルを獲得したのは、97年で、サンパウロ州選手権に優勝した。
公認としては、2人の名前が挙がっている。
グレミオを離れたマノ・メネゼスMano Menezes監督と、サントスとの契約が終了したヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督である。
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ネルシーニョ・バチスタ監督には、何故か悲哀感が漂う。
このところ、ずっと短命で終わっている。
サッカー:ロマリオの日々 その58 1000ゴール表彰。
12月3日(月)の夜、ブラジル選手権優秀選手表彰式Prêmio Craque do Brasileirãoで、多くの者が表彰された。
最も重要な表彰をされた1人がロマリオRomárioである。
ロマリオBaixinhoは、2007年のシーズンに、1000ゴールを達成したことで表彰を受けた。
会場から盛大な拍手を受け、とても感激して、ロマリオは表彰に感謝し、セレモニーを讃えた。
「自分の人生でまた一つの表彰を受けて全ての人に感謝します。 とても誇りです。 ブラジルのサッカーにとってかくも重要なイベントにこのようにして参加できて誇らしい。 ブラジルのサッカーを語ることは世界のサッカーを語ることである。 ブラジル選手権選抜になった選手たち全てにおめでとうをいいたい。
ロマリオRomárioは、南米サッカー連盟Confederação Sul-Americana de Futebol (Conmebol)の会長のニコラス・レオスNicolás Leozの手から、表彰を受け取った。
「20071204JN-Romario-PremioBrasileirao2007.wmv」をダウンロード
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ロマリオは、いつでも話題の中心。
サッカー・ブラジル選手権2007 その151 2007年優秀選手表彰式。
12月3日(月)の夜、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの市立劇場Teatro Municipalで行われた2007年ブラジル選手権優秀選手表彰式Prêmio Craque do Brasileirãoでは、サンパウロFCが大勝利者だった。
サンパウロFCは、5人の優秀選手を出し、優秀選手選抜のベースとなった。
ロジェリオ・セニRogério Ceni (GK, ファンが選ぶ優秀選手),
ブレーノBreno (右DF、新人選手),
ミランダMiranda, エルナーネスHernanesそしてリシャリソンRicharlyson.
さらに、ムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督も選ばれている。
最初のトロフィーを渡す時に、ブラジルサッカー協会CBFのリカルド・テイシェイラRicardo Teixeiraはミスを犯した。
セリエCで優勝したブラガンチーノの代表を呼ぶ時に、もうクラブにはいないロベルヴァウ・ダヴィーノRoberval Davino監督を呼んだ。
しかし、実際は、現在の監督はマルコス・マルセロ・ヴェイガMarcos Marcelo Veigaである。
つづいて、セリエB優勝のコリチーバCoritibaそしてセリエA優勝のサンパウロFCがトロフィーを受け取るためにステージに上がった。
ブラジル選手権選抜はseleção do Brasileirão次の選手からなる。
ロジェリオ・セニRogério Ceni,
レオ・モウラLeo Moura, ブレーノBreno, ミランダMiranda,クレーベルKléber;
エルナーネスHernanes, リシャリソンRicharlyson, イブソンIbso, ヴァウヂヴィアValdivia;
アコスタAcosta, ジョジエルJosiel
チームは、12月9日(日)16時に、エンジェニョンEngenhão競技場で、ドゥンガDunga代表監督が指揮するオリンピック・ブラジル代表と対戦する。
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2007年のブラジル選手権は、これで名実ともに終了した。
ブラジル・サッカー:2007オフ その18 マノ・メネゼス監督は語る。
コリンチャンスCorinthiansの新監督にとも言われている、マノ・メネゼスMano Menezes監督は、まさにコリンチャンスをブラジル選手権のセリエBに降格させた試合でグレミオGrêmioにお別れしているが、何もコリンチャンスから公式のオファーを受け取っていないと言った。
(参考画像)
しかし、打診があったとしても、マノ・メネゼス監督は何も答えないだろう。
というのは、ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督の去就がまだ公式の物になっていないからだ。
「どこのクラブともまだ交渉を始めていない、それは正しくはない。 それとは別に、コリンチャンスCorinthiansにはまだ監督が居る。 監督が居なくなったことが公式に馴れは、そのチームと交渉をする」と明言した。
マノ・メネゼス監督は、今のところ、サウジ・アラビアArábia Sauditaからのオファーがあるだけであるが、今失業中であって、、2008年に第2部のコリンチャンスTimãoの指揮をすることは捨ててはない。
「監督が仕事をしていない時に、彼は全ての状況を分析し、大きな仕事をしたがる物だ。 第1部でも第2部でもよい仕事をすることは可能である。 もしコリンチャンスCorinthiansが自分を求めているなら、分析し他のオプションと比較をする」と、マノ・メネゼス監督は言った。
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マノ・メネゼス監督は、2年7ヵ月間と、ブラジルの監督としては極めて長い期間、グレミオの監督を務めてきた。
就任した時は、グレミオは、ブラジル選手権のセリエBにいた。
セリエBに優勝し、2006年にセリエAに復帰した。
そして、2007年のリベルタドーレス杯に出場した。
これからの名監督の1人である。
ブラジル・サッカー:2007オフ その17 鹿島アントラーズはレアンドロ・アマラルを諦めた。
鹿島アントラーズKashima Antlersはヴァスコ・ダ・ガマのFWレアンドロ・アマラルLeandro Amaralとの契約を諦めた。
(参考画像)
この情報を明らかにしたのは、鹿島アントラーズの監督オズワルド・ヂ・オリヴェイラOswaldo de Oliveiraである。
オズワルド・ヂ・オリヴェイラによると、鹿島アントラーズはヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaにコンタクトしたが、即座にオファーを拒絶された。
「選手との合意を目指したが、ヴァスコ・ダ・ガマに拒絶された。 レアンドロ・アマラルLeandro Amaralとの合意の可能性は少しもない。 レアンドロ・アマラルは諦めた」と、オズワルド・ヂ・オリヴェイラOswaldo de Oliveiraは語った。
鹿島アントラーズKashima Antlersが戦わないことで、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralがヴァスコ・ダ・ガマに残留する可能性が出てきた。
しかし、ヴァスコ・ダ・ガマは、フルミネンシFluminense、ボタフォゴBotafogo、そしてメキシコのハグアレスJaguaresと、レアンドロ・アマラルを2008年も使うために戦う。
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鹿島アントラーズは、あっさりと諦めたものだ。
この3年間のブラジル通貨レアルの上昇で、ブラジル選手の価値も上がっている。
そうそう安くはないだろう。
サッカー・ブラジル選手権2007 その150 コリンチャンス降格決定の翌日。
12月2日(日)に行われたブラジル選手権の最終節の第38節の対グレミオ戦で、コリンチャンスのセリエBへの降格が決定した。
その翌日12月3日(月)。
ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァが悲しんでいるにもかかわらず、半旗にはならなかった。
フラメンゴに次いで、ブラジルで2番目に多いファンを持つコリンチャンス。
健気なファンは、コリンチャンスのユニフォームを着て職場に出かけた。
サンパウロで発行されている新聞の1面。
そして、唯一のスポーツ紙は、1面と最終面を見開きで使った。
全面真っ黒の中に、コリンチャンスのエンブレムが沈んでいる。
この新聞を買うために、何軒のバンカ(=新聞・雑誌売り場)を回ったことか。
segunda-feira, 3 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その110。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。
このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。
グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
トンネル内なので、光量が足りず、画質がよくないがご理解願いたい。
サンパウロ在住者でも、ここのグラフィッチ(壁絵)の全貌を見た人はほとんどいないはずである。
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このトンネル内には、
日本をイメージしたグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
だが、今まで紹介したグラフィッチ(壁絵)と同じ並びに、
どうしても日本との関連がないと思われるグラフィッチ(壁絵)もある。
グラフィッチ(壁絵)の背景の色がえんじ色なので、「日本移民100周年記念グラフィッチ(壁絵)」のために用意された場所に描かれていると思われる。
サッカー:ロマリオの日々 その57 社長の隣で、試合観戦。
FWロマリオRomárioはグラウンドにはいなかった、しかしヴァスコ・ダ・ガマが12月2日(日)にサン・ジャヌアリオSão Januárioでのブラジル選手権の最終節でパラナParanáに勝利するところは逃さなかった。
ロマリオは、エウリコ・ミランダEurico Miranda社長と副社長で医師のペドロ・ヴァレンチPedro Valenteの隣で試合を観戦した。
ロマリオBaixinhoは、グラウンドの外で、同僚のゴールに感激していた。
2008年に、ロマリオRomárioは、リオ・デ・ジャネイロ州選手権Campeonato Carioca.に出場することが保証されている。
ロマリオBaixinhoの参加を確認したのは、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Miranda自身である。
もっとも、ロマリオは半年しかプレイしない。
ロマリオRomárioは先週からトレーニングに参加していなかったので、この日曜日の試合には参加しなかった。
ロマリオは、マイアミMiamiに6日間いて、木曜日に戻った。
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ヴァスコ・ダ・ガマの社長室は、スタンドの端にあって、グラウンドに面している。
いつも、社長はそこから試合を観戦する。
サッカー・ブラジル選手権2007 その149 コリンチャンスは逃げた。
予想されていた通り、コリンチャンスCorinthiansの一行は、ブラジル選手権のセリエBSérie Bに降格したあと、サンパウロのクンビッカCumbica空港に到着後のコリンチャンスのファンとの接触を避けた。
12月2日(日)23時05分丁度に、ポルト・アレグレPorto Alegreからチームを乗せてきた飛行機は停まった。
すぐに、一行を運ぶためにバスがエプロンに入ってきた。
選手たちが到着ロビーに出ることはなかった。
一行を乗せたバスの行き先はミステリーだった。
しかし、全てがコリンチャンスの本部のパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに行くことをしめしていた。
飛行場では、何人かのファンがチームを待っていた。
しかし、コリンチャンスの一行と共にポルト・アレグレから戻ってきたファンに会うことが出来ただけだった。
到着後、わずか3人の選手がパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに現れた。
ルリーニャLulinha、モラデイMoradei、エヴェルトン・リベイロÉverton Ribeiroはうつむいて、24時過ぎにタクシーで到着した。
マスコミには何も話さなかった。
多くの選手はサンパウロSão Paulo市東部のジャルヂン・アナリア・フランコJardim Anália Francoにあるホテルに行った。
全ての選手は、月曜日から休暇にはいる。
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半分以上の選手は、
そのままコリンチャンスを去ることになるに違いない。
ブラジルの「プレイボーイ」誌 その6 2008年1月発売の表紙を飾る女性を巡る話題。
サンパウロFCのボランチのリシャリソンRicharlysonと3か月間恋人だった体育学の学生のレチッシア・カルロスLetícia Carlosはこの11月30日金曜日にプレイボーイ誌"Playboy"との契約に署名した。
1月発売の表紙を飾ることになる。
このことに同意していなかったリシャリソンは、2週間前に関係を終了させたと言った。
火曜日に行われた優勝パーティーには、リシャリソンRicharlysonは1人で現れていた。
「もう一緒にはいない。 彼女がプレイボーイ誌との契約に固執したことが終わりの理由の一つである」と、リシャリソンは説明した。
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いつものように、
プレイボーイ誌の「プレイメイト」になる女性が、話題になるブラジル。
もう、毎月のことだ。
ほとんどの場合、その時だけ騒がれて、忘れられる。
野心のある女性にとっては、
プレイボーイ誌にでることは、
そのステップの一つであることは間違いない。
このレッチシア・カルロスにとっては、
まずリシャリソンと付き合ったことで、
すでにステップをあがった。
リシャリソンと付き合ったことで、プレイボーイ誌から声がかかったわけである。
このリシャリソンには、
今年、
ゲイ疑惑が起きた。
パルメイラスの役員が、そう呼んだことが、きっかけである。
それで、裁判を起こした。
更に、裁判官が、選手がゲイだからといって、パルメイラスの役員がそういったことを言うのは偏見でいけないと漏らしたことが、またまた問題になった。
何しろ当人のリシャリソンは、「ゲイ」であることを否定しているからである。
でも、素人目にも、リシャリソンは典型的なゲイの雰囲気を醸し出しているのだが。
そのゲイ疑惑を打ち消すためにレッチシア・カルロスが現れたような感じである。
別れた理由の最大の理由が、「ゲイだったから」と、レッチシア・カルロスが暴露でもするとまた面白いのだが。
リシャリソンは、12月27日で、25歳。
実の兄アレクサンドロ26歳も、クルゼイロでFWをしている。
こちらは、ゲイのようには見えない。
「香港さん」系の顔をしている。
サッカー・ブラジル選手権2007 その148 コリンチャンスの乗った飛行機でのトラブル。
12月2日(日)に、ブラジル選手権Campeonato BrasileiroセリエBSérie Bに降格したコリンチャンスの選手とファンの最初の接触ではもう問題が起きた。
コリンチャンスの一行をポルトアレグレPorto AlegreからサンパウロSão Pauloに運ぶ飛行機が、ポルト・アレグレのサルガード・フィーリョSalgado Filho空港で出発が遅れた。
リオ・グランヂ・ド・スルRio Grande do Sul州の警察ブリガーダ・ミリタールBrigada によると、混乱を起こしたファンを排除するために呼ばれる必要があった。
サッカー担当副社長のアントニエ・ジェブランAntoine Gebranによると、酔っぱらったファンが離陸前に叫んだ。 飛行機の乗務員の頼みにもかかわらず、彼らは止めなかった。 コリンチャンスTimãoの選手たちに対する脅かしはなかった。 飛行機の機長はコントロールタワーに警察を呼ぶように動いた。
2人の警察が機内に入り、集団の一つを連れ出した。
「彼らは酔っぱらいで、迷惑をかけた。 何も喧嘩はなかった。 しかし1人は脅かしたがっていた」と、離陸前にアントニエ・ジェブランは言った。
さらなる混乱を恐れて、5人の乗客が旅行を断念し、もっと遅い便か月曜日の朝の便にするように要求した。
飛行機は20時59分に出発することになっていたが、ポルト・アレグレPorto Alegreを出発したのは22時すぎであった。
たぶん、コリンチャンスは飛行場のエプロンに入って彼らを拾いに来たバスに乗って空港を出るだろう。 それで、ファンとの新たな接触を避けるためである。
遅れたことによって、到着地を替える必要が出来た。
当初はコンゴニアスCongonhas空港であった。
しかし、サンパウロ市中心部に近いコンゴニアス空港は23時に閉まる。
それで、着陸はクンビッカCumbica空港になる。
クリチーバCuritibaで、アツレチコ・パラナエンセAtlético-PRに敗れたサンパウロFCも、ほぼ同じ時間に同じところに到着することになっている。
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今回は、意外と騒ぎは起きていないと思う。
サッカー・ブラジル選手権2007 その147 コリンチャンスのネルシーニョ・バチスタ監督は語る。
ブラジルBrasilでフラメンゴについて2番目に多くのファンを持っているコリンチャンスCorinthiansは、セリエBSérie Bに落ちた。
コリンチャンスの歴史でもっとも悲しい日である。
しかしロッカールームで、楽観的な宣言をする空間があった。
ネルシーニョ・バチスタNelsinho Baptista監督は、多くの大クラブが降格し、そのあとでより強くなって戻ってきたことを思い出していた。
グレミオGrêmioがもっとも最近の例である。
「降格する最初の大クラブではない。 時には、立ち上がるために落ちることも必要だ。 そのように考えなければならない。 我々は悲しい、それは大クラブは降格に値しないからだ。 しかし多くはより強くなって戻った。 コリンチャンスCorinthiansも同じようにしなくてはならない」と、ネルシーニョ・バチスタ監督は言った。
ネルシーニョ・バチスタ監督は2008年もコリンチャンスにいるのか分からない。
ネルシーニョ・バチスタ監督は前に社長と話をしたがっていたが、残留はないだろう。
ネルシーニョ・バチスタ監督は必要と思う助けをするためにコリンチャンスCorinthiansにいられればと語っていた。
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監督として、
この2-3年、
どのクラブでも、
成果を出してはいない。
でも、いつも思うのだが、
ネルシーニョ・バチスタ監督はとても誠実な人。
domingo, 2 de dezembro de 2007
サッカー・ブラジル選手権2007 その146 最終節終了。
サッカー・ブラジル選手権2007の最終節の第38節が、
12月2日(日)16時から、全10試合が行われた。
結果は次の通り。
12月2日(日)
試合開始 試合結果 競技場
16h Palmeiras 1 x 3 Atlético-MG Palestra Itália
16h Atlético-PR 2 x 1 São Paulo Kyocera Arena
16h Goiás 2 x 1 Internacional Serra Dourada
16h Botafogo 1 x 1 Figueirense Engenhão
16h Náutico 1 x 0 Flamengo Aflitos
16h Cruzeiro 2 x 0 América-RN Mineirão
16h Santos 2 x 4 Fluminense Vila Belmiro
16h Juventude 2 x 1 Sport Alfredo Jaconi
16h Grêmio 1 x 1 Corinthians Olímpico
16h Vasco 3 x 0 Paraná São Januário
「20071202GN22-BA38a.wmv」をダウンロード
「20071202GN22-BA38b.wmv」をダウンロード
「20071202GN22-BA38c.wmv」をダウンロード
※パルメイラスは、ホームのパレストラ・イタリアで敗戦。
リベルタドレース杯の出場権を奪うことは出来なかった。
※サンパウロFCはアウェーで敗戦。
優勝は決まっているので、なんということもないだろう。
※ゴイアスが、インテルナシオナウに逆転勝ち。
16位に上昇して、降格を逃れた。
※唯一の親善試合といわれたナウチコ対フラメンゴ。
地元のナウチコが勝利。
フラメンゴはリベルタドレース杯の出場権を手にしているので、
すでにそちらのことで頭がいっぱい。
※クルゼイロは地元で勝利し、5位。
4位のフルミネンセがブラジル杯に優勝して、
リベルタドレース杯の出場権をすでに手にしているので、
クルゼイロにも出場権が回ってきた。
※サントスは地元で敗戦。
フルミネンシは、4位に上昇。
共に、リベルタドーレス杯の出場権を手にしている。
※すでに、降格が決定しているジュヴェンチューヂが勝利。
※グレミオとコリンチャンスは引き分け。
コリンチャンスは17位に転落し、降格決定。
※ヴァスコ・ダ・ガマは、地元で勝利。
パラナは18位となり、降格が決定。
サッカー・ブラジル選手権2007 その145 コリンチャンス降格。
サッカー・ブラジル選手権2007の最終節の第38節が、
12月2日(日)16時から、全10試合が行われた。
(グレミオの先発)
「20071202TrocadePasses-BA38-Gremio-Corinthians.wmv」をダウンロード
ゴイアスは、インテルナシオナウに逆転勝ちした。
この結果、コリンチャンスは17位となり、降格が決定した。
降格が決定した。
18時18分のことであった。
コリンチャンスが降格となった。
サッカー・ブラジル選手権2007 その144 第37節コリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦 観戦3。
11月28日(水)21時45分から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、ブラジル選手権の第37節のコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦を観戦に行った。
控えの選手たちも戻ってきた。
左から、
左SBカルロン、FWウィルソン、1人置いてMFエーヴェルトン、MFヴァンペッタ、そしてMFアイルトン。
後半32分、FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョに替わり、FWウィルソンが入った。
終了近くになると、
GKフィリッピもゴールを離れて、攻撃に出て来た。
試合終了後、
すぐに電光掲示板からは、点数表示が消えた。
「ポルト・アレグレにいこう」という表示が出た。
最終戦のグレミオ戦は、サンパウロから1000キロ以上も離れたポルト・アレグレで行われる。
グラウンド上では、ヴァスコ・ダ・ガマのFWレアンドロ・アマラルにGlobo局がインタビュー。
ヴァスコ・ダ・ガマのヴァウヂール・エスピノーザ監督へのインタビュー。
バンデイランチ局とGlobo局が付いている。
正面スタンド。
試合が終わって、10分たっても、座ったままの人が多かった。
泣いている人もいた。
あのビン・ラディン調もいた。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その110。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。
このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。
グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
トンネル内なので、光量が足りず、画質がよくないがご理解願いたい。
サンパウロ在住者でも、ここのグラフィッチ(壁絵)の全貌を見た人はほとんどいないはずである。
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色々な要素が盛りだくさんなグラフィッチ(壁絵)。
折り紙があるところは正しく日本文化。
女性が川の縁に座り込んでいるのはどういう意味なのか。
※クリックすると拡大する。
ウルトラマンが、沖縄のシーサーのような物にスペシューム光線を浴びせながら、「いらっしゃいませ」とは。
歓迎しているとすると、かなり手荒い。
左側の緑の物は何だろう。
ウルトラマンは、ブラジルでも放映されていた。
ウルトラ・オーメン”Ultra Homen”といっていたそうだ。
※クリックすると拡大する。
おそらく、世界一色っぽいキティーだ。
ナイス・バディーのキティちゃんが、ここまでのポーズをとると、たまらないものになる。
サンリオさんには叱られるだろうが。
sábado, 1 de dezembro de 2007
ブラジル・サンパウロのデジタルテレビ放送開始。
12月2日(日)から、
ブラジルでデジタルテレビ放送が開始することになっている。
まずは、サンパウロ市周辺だけである。
リオ・デ・ジャネイロ、ベロ・オリゾンチ、ブラジリアなどは、来年2008年からの開始。
2016年までは、アナログ放送も継続されるという。
デジタル放送のシステムは、日本規格を採用した唯一の国ブラジル。
このことが、吉と出るか凶と出るか。
Globo局は、20時からデジタル放送を開始すると告知している。
でも、実際のところ、たぶん全く一般的には盛り上がっていない。
まず、デジタル放送に対応するテレビがほとんど発売されていない。
やっと、液晶やプラズマのテレビが、かなり安くなった来たとはいえ、お金持ちに売れているくらいであり、それらのテレビもHD対応になっている物があるが、アナログである。
何しろ日本よりかなり高い。
一般の人には、やっと29インチのフラットスクェア・ブラウン管テレビを買えるかなというところだ。
いまだに、ブラウン管の表面が、丸くカーブしていたり、四辺が直角ではないテレビが新品で売られている。
新品のテレビを買える人は幸せなのだ。
かなり多くの人は、中古を買うかもらい受けるのが、普通なのだ。
このことは、サンパウロ市内にいるだけですぐに分かる。
中心部の高級ショッピングセンター内にある電気店は、もう薄型テレビしか並べていない。
菅前総務大臣が8月に、サンパウロを訪問された時に、サンパウロ総領事の先導でリベルダーヂのガルヴォン・ブエノ街を見物したあとに、拙宅の近くのショッピングセンターの地階にあるFASTという電気店を視察されたが、ここがそういう店である。
でも、中心部の庶民が来る路面店では、半分以上はブラウン管テレビである。
そして、15キロも離れたところにある電気店には薄型テレビなんか無い。
ブラウン管テレビで、それも四辺が丸いような物ばかりである
それより先には、新品を売っている電気店はない。
中古を修理して並べているような「得体のしれない」店ばかりだ。
テレビだけではなく、洗濯機や冷蔵庫でも、そんな感じである。
宝くじでも当たらないと新品など想像も出来ない。
完全なデジタル対応テレビがないのだから、
デジタル放送を見るためにはコンバーターを必要とする。
これが、最低で499レアル(=約3万円)もする。
中古テレビが買える。
いいコンバーターはこれより高い。
700-1000レアルもする。
一体どれくらいの人が、サンパウロで、初日から、デジタル放送を見ることが出来るのか。
何しろ日本のように、情報の嵐にはならない国。
やっと、今週になって、
新聞に、特集記事が出て、
デジタル放送とは何、どこが違うの、どうしたら見られるの等々の簡単な説明があっただけである。
「猿でも分かるような」親切な説明があるMOOKもない。
一気に時代が変わるような高揚感は、これっぽっちもない。
そういう盛り上げもない。
放送番組は、アナログ放送と同じだし、
一気に高解像番組になるわけでもない。
一部の番組だけだ。
それも、どの番組がデジタルになるのかもよくわかない。
Globo局で、2日(日)夜22時半からの「パイレーツ・オブ・カリブ」は、デジタル放送らしい。
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まあ、世界の中で、国民が新しい技術に付いていけるような国はそうそう無いということが分かる。
日本は、国民性もあるのだろうが、そういう国の一つである。
ついでだが、
携帯電話の3G(第3世代)も、ブラジルではこの12月からである。
日本では、FOMAはもう当たり前になっているのだろうが。
ただ、ブラジルの携帯のほとんどは、GSMなので、これは世界標準とも言える規格だから、日本や韓国を除くほとんどの国でそのまま使えるところが便利がよい。
データの受発信には、3Gからみると恐ろしいほど時間と費用はかかるけど。
サッカー・ブラジル選手権2007 その143 ゴイアスのマルシオ・アラウージョ監督解任。
マルシオ・アラウージョMárcio Araújo監督はもうゴイアスの指揮官ではない。
ゴイアスの社長はこのところのチームの状態が気に食わず、11月30日(金)の朝監督の解任を、ゴイアニアGoiâniaで、決定した。
クラブの広報担当者によると、GKトレーナーのカシウス・アルチマンCassius Hartmannが、12月2日(日)にセッハ・ドウラードSerra Dourada競技場で行われるブラジル選手権最終節の対インテルナシオナウInternacional戦の指揮をとる。
この知らせは今シーズンでチームにとって降格が決定するという最も重要な試合が近くなって出て来た。
ゴイアスEsmeraldinoは、セリエAに残るためには引き分けるか勝つ必要がある。
コリンチャンスCorinthiansが、オリンピコOlímpico競技場で、グレミオGrêmioに負けた場合であるが。
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最終戦を前に、監督解任とは。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その66 拙宅に来る鳥36。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にも、そういった小鳥たちがひっきりなしに訪れてくる。
しばらく、そういった小鳥達をゆっくりと紹介してみたい。
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サビア・ラランジャは水浴びが好き。
とてつもなく好きだ。
水を盛大にはねちらかして、水浴びをする。
まわりがびしょぬれになるので、サビア・ラランジャが来ていたことが分かる。
サッカー・ブラジル選手権2007 その142 第37節コリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦 観戦2。
11月28日(水)21時45分から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、ブラジル選手権の第37節のコリンチャンス対ヴァスコ・ダ・ガマ戦を観戦に行った。
右SBアマラウ。
パルメイラスから約半年間、今年の年末までレンタルされている。
20歳。
ブラジル代表U-20である。
正右SBイランが練習中に故障したので、この試合で先発出場になった。
顔はいかついが、本当は優しい。
むしろ、プレイでは内気という問題がある。
MFルリーニャ。
17歳。
英国のアーセナルが狙っていると報道があるが、
正式のオファーはないということだ。
コリンチャンスと契約更改をしたばかりで、
違約金は5千万米ドル。
まだ、ブラジル選手権ではゴールがない。
小柄。
キャプテンのDFベトン。
2007年は色々なことがあったベットン。
試合開始と共に、
ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様の幕が、下から上に広がった。
ボランチのカルロス・アルベルト。
2006年11月に、5歳もの年齢詐称が発覚した選手である。
半年の出場停止を経て、コリンチャンスに移籍して、5月からプレイしている。
ヴァスコ・ダ・ガマのFWレアンドロ・アマラル。
マークは、DFベットンの役目だった。
手前から、ネルシーニョ・バチスタ監督。
中、左SBエーヴェルトン・リヴェイロ、17歳。
奥、ヴァスコ・ダ・ガマのFWレアンドロ・アマラル。
この日のパカエンブー競技場。
満員になった。
※クリックすると拡大する。
FWブルーノ・ボンフィンことデンチーニョ。
ブラジル選手権でのゴール数は、2ゴール。
この日のチームの選手で、このブラジル選手権のゴール数は、僅か7ゴールだけだった。
前半が終了して、
いつものコリンチャンス大好きおばあさんを発見した。
元気に旗を振り回していた。
動きが早すぎるので、ぶれてしまった。
恒例の年末最終戦だけの衣装で、
白黒だが、ママイ・ノエル(=サンタクロースの女性版)に扮している。
こちらもおなじみのおばあさん。
願いを込めて、いつも以上に衣装を決めてきた。
挑戦者は10人くらいいたが、結局ゴールを決められたのは、2人だけだった。
続く。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その109。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
パウリスタ大通りとコンソラソン通りが交差地点は、ちょっと複雑な立体交差になっている。
パウリスタ大通りから、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向に行くには、コンソラソン大通りの下をくぐり、左方向にカーブしていくことになる。
左カーブが始まるところで、ドトール・アルナウド大通り方向とレボウサス大通り方向の道が分岐する。
このコンソラソン大通りの下をくぐるトンネル部分の壁に、2007年初めから「日本移民100周年」を記念するグラフィッチ(壁絵)が描かれている。
このグラフィッチ(壁絵)は、公認のグラフィッチ(壁絵)である。
このトンネル部分は、一般人が歩くには不適なところである。
だから、まず簡単に捉えられた部分のグラフィッチ(壁絵)だけを、紹介していく。
グラフィッチ(壁絵)の全貌については、そのうちに明らかにする。
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左手の侍は、三船敏郎を彷彿させる。
劇画っぽいタッチである。
「愛」と「日本」というのは、なんだか。
漢字をどうしても入れてみたかったのだろう。
この作品は、長大作品で、更に右に延びている。
ブラジル・サッカー:2007オフ その16 レアンドロ・アマラルは鹿島アントラーズからのオファーを認めた。
FWレアンドロ・アマラルLeandro Amaralは、11月29日(木)にオープンにマスコミと話をし、ヴァスコ・ダ・ガマを出るための2つのオファーを受け取っていることを認めた。
レアンドロ・アマラルによると、ボタフォゴBotafogoと日本Japãoの鹿島アントラーズKashima Antlersが2008年のそれぞれのサッカーでレアンドロ・アマラルを使いたいと公式にオファーをした。
「ボタフォゴBotafogoと鹿島アントラーズKashima Antlersの公式オファーがある。 そのほかには、何もない。 合意するためにヴァスコ・ダ・ガマと話をする。 ヴァスコ・ダ・ガマに残留したい。 自分を受け入れるための門を開いてくれクラブ。 ヴァスコ・ダ・ガマがそして自分が幸せになるように話をしたい」と、レアンドロ・アマラルは明かした。
ボタフォゴのオファーは、すでにボタフォゴBotafogoの監督のクーカCucaが15日前に明らかにしたようにレアンドロ・アマラルは断った。
それで、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralがヴァスコ・ダ・ガマに残留に唯一の邪魔は、鹿島アントラーズKashima Antlersのオファーである。
鹿島アントラーズはレアンドロ・アマラルと合意しなかった場合には、アモローゾAmorosoの名前が挙がってきている。
フルミネンシFluminenseとの合意については、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは明快だ。
「何も全くオファーがない。 自分が望んでいる唯一のことは、ブラジル選手権をちゃんと終わることだ。 それから、自分の将来を決めるために自分の妻と共に話し合いの席に座ることになる」と、レアンドロ・アマラルLeandro Amaralは明言した。
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アモローゾは絶対に止めた方がよい。
この2年間何もしていない。
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