quarta-feira, 30 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その213 拙宅に来る鳥183。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、インコなどの小鳥たちがやってくる。
ロリーニャも、このグアヴァの木にとまる。
だが、ロリーニャはグアヴァの実をついばむことはない。
ブラジルのロナウドが「おかま」とトラブルで、彼女に捨てられる。
スキャンダルのあと、彼女がロナウドRonaldoを棄てた。
リオ・デ・ジャネイロでの、ロナウドRonaldoが起こしたおかまとのスキャンダルは、別れる結果を生んだ。
ロナウドの彼女のビア・アントニーBia Antonyは、一緒に住んでいたのだが、昨日(4月28日)に、リオ・デ・ジャネイロのバッハ・ダ・チジュッカBarra da TijucaのロナウRonaldoドのマンションを出て行った。
ネルシーニョ・ピケNelsinho Piquetの元婚約者のビア・アントニーは荷物をまとめ、家族が住んでいるブラジリアBrasíliaに戻った。
ビア・アントニーとロナウドRonaldoは、2007年1月から一緒だった。
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当然の結果である。
自業自得。
ロナウドがパリの病院で手術を受けるために入院した時には、そのそばに付き添っていた彼女である。
でも、F1のネルシーニョ・ピケとも関係があったとは、有名人好きとしか言えない。
※※日本では、ネルソン・ピケ・ジュニアとか呼ばれているようだが、
ブラジルでは、ネルシーニョ・ピケと呼ばれている。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その120。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
terça-feira, 29 de abril de 2008
ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その126 我慢と靴下汁。
ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時30分頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
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2007年11月頃から、
サブリナ・サトウ単独のチャレンジが減って、
いつも番組ではビキニ姿でゆらゆらしているだけのレギュラーの女性も加わってのチャレンジ企画が増えた。
今や伝説となった「牛」ファッションショーの評判が良かったのか、視聴率が良かったのかしらないが、
その二番煎じとしか言いようのない「犬」ファッションショーを行い、見事に外した後は「ネズミ」である。
「ネズミ」もいい加減馬鹿らしかったのだが、これで味をしめた企画が「罰ゲーム」である。
チームに分かれて競技をした後に、負けたチームが必ず「罰」をうけるようになった。
大笑いにはわけがある。
今回は、笑ったら負けなのだ。
彼女たちの前で、パフォーマーがいろいろな動きをするのだが、それみて吹き出したら負け。
チームの3人が、それぞれのブースに立つ。
頭上には赤いバケツが用意されている。
ほかのメンバーもすぐに笑ってしまい、サブリナ・サトウのチームの負け。
「20080330paniconaTV-SabrinaSato2.wmv」をダウンロード
そして、いつものように負けチームには罰が与えられるのだが、今回もまたひどい。
日本でも、ちょっとない。
男性のボノが履いていた靴下を、お湯につける。
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笑いを我慢するところなどは、
「ガキの使い」で見たような企画だが、
罰はちょっとありえない。
どういう感覚を持って、こういうことを考え付くのか。
まさか本当に使った靴下をお湯につけるようなことはしていないと思うのだが。
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もう126回も、サブリナ・サトウをこのブログでは取り上げてきた。
なぜ、サブリナ・サトウを取り上げているのか、このブログの初期からお付き合いいただいている人も、もう忘れてしまっていることと思うので、改めて明らかにしておきたい。
今から20年以上前には、日系人がブラジルのテレビに出演しているのを見ることはほとんどなかった。
SBTのシルヴィオ・サントスの日曜日の夜の番組に、いろいろな芸を持った人が次々と出演して、それを審査されるというものがあった。
まじめな芸もあれは馬鹿なものもあったのだが、その中にたまに日系人が出てきて、本人がまじめでも「笑い」をとったりしていたのを覚えている。
たとえば、刀を振り回せば回すほど、大笑いとなるような扱いであった。
そのころは、
地上波のテレビに、バンデイランチ局というのあって、日曜日の正午から2-3時間「イマージュ・ド・ジャポン」という
日本人や日系人向けの番組があった。
そこでは、日系人が司会をし、日系人が出演していたが、全く特殊な番組である。
この番組も、いつの間にかなくなった。
日系人が出稼ぎに行ったり、日系一世が亡くなったり、その後始まったNHKの海外放送を見るようになったことで、番組の位置づけがなくなったためだろう。
ところが、100%日系人というわけではないが、サブリナ・サトウという存在は、弱小局のrede TV!局とはいえゴールデンの番組のレギュラーで、彼女がいなければ成り立たないというものである。
活動は、テレビだけには限らず、ブラジルにおける有名女性タレントの一人として、立派に地位を確立している。
このところ、他にも日系人がテレビに出演しているケースはないわけではないが、それにしてもサブリナ・サトウは傑出している。
そのサブリナ・サトウの活躍ぶりを紹介したいと思って、ずっとpanico na TVでのサブリナ・サトウを注視している。
だが、長く見ている中で、そのサブリナ・サトウといえども、日系人としての宿命を背負ったうえで、ある悲しい役割を与えられているような気もしている。
それは、移民100周年を迎えた日系人全体が、サブリナ・サトウを一つの例として、ブラジル人の中でどういう位置にあるのかを表しているともいえる。
ブラジルの社会で存在は認められているが、まだまだ中核の一つとは決してみられていない。
このさき、サブリナ・サトウがどういう方向に進んでいくのかが、日系人のありようをまた指し示すことになるのではないかと思っている。
panico na TVのサブリナ・サトウのコーナーに出てくる他の白人女性たちの動画も見たいというような要望もよく寄せられるが、サブリナ・サトウだけに焦点を当てているのには、理由があるのである。
panico na TVという番組が、ブラジルではかなり例外的な番組であることも、あえて取り上げている理由であるが、サブリナ・サトウのコーナー以外についてはあまり紹介しないのは、笑いの内容を理解してもらうには相当な背景説明を必要とするだろうと思われることもある。
サブリナ・サトウという存在を通じて、何かを感じ取ってもらえれば、それでよいと思っている。
それについて、意見を開陳するような気はない。
もちろん、「笑って」もらえることも、大事なことである。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その212 拙宅に来る鳥182。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、インコなどの小鳥たちがやってくる。
ロリーニャも、このグアヴァの木にとまる。
だが、ロリーニャはグアヴァの実をついばむことはない。
ブラジル・サンパウロの「文化の総ざらい」2008 その3 空中パフォーマンス。
サンパウロ市の各所で4月26日(土)18時から行われた第4回「文化の総ざらいVirada Cultural」。
26日(土)16時過ぎ、サンパウロの歴史的中心部セントロのサン・ジョアン大通りに面したオリド・ビルEdificio Olidoの前で、人々が上を見上げていた。
このオリド・ビル自体も、サンパウロ市の文化施設となっている。
地上階には、市の観光案内所があって、いろいろなパンフレットを手に入れることができる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その161 Os gêmeos 18。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
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バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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サンパウロ市の歴史的中心部セントロの北西のバッハ・フンダ地区。
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナの東側付近は、
パンドルフォ兄弟の作品が集中しているところである。
少なくとも4点は確認していた。
だが、またさらによもやというところに、作品があるのを発見した。
ほとんどいつもは隠れているので「幻の作品」ともいえる。
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナの南側を東西に走るアウロ・ソアレス・ヂ・モウラ・アンドラヂ大通りと言う通りがある。
パカエンブー大通りからバッハ・フンダ複合駅に向かう道である。
この大通りは、1週間に2-3回は通っているのだが、その時までは全く「作品」の存在には気付かなかった。
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのちょうど南側にある倉庫の壁に作品が描かれていたのだ。
いつもは、貼り紙によってグラフィッチのほとんどが隠されているのだが、
奇特な方がグラフィッチが見えるように、紙をはがしていたのだった。
また、貼り紙がなされてはいけないと思い、すぐに写真を撮った。
この日以降、このグラフィッチは再び隠されてしまい、一度も目にしていない。
3月11日には隠れている。
足だけがわずかにいつも見えている。
4月24日には、
サンバ・パゴーヂのトップ歌手のゼッカ・パゴヂーニョの公演ポスターによって隠されている。
超一流歌手のゼッカ・パゴヂーニョでも、こんなポスターである。
サンパウロ市の東部タツアペでショーを5月3日(土)21時にやるわけだ。
そういつも、この場所はショーの公演のポスターが貼られている場所である。
今度、このグラフィッチを見ることができるのはいつになるのか。
サッカー・ブラジル代表 親善試合 カナダ戦・ベネズエラ戦 その1 米国で開催と発表。
ブラジル・サッカー協会CBFは、4月28日(月)に、公式サイトで、ブラジル代表seleção brasileiraの親善試合2試合を確認した。
ドゥンガDunga代表監督のチームは、5月31日にシアトルSeattleでカナダCanadáと、6月6日にボストンBostonでベネズエラVenezuelaと対戦する。
6月には、2010年ワールドカップCopa do Mundoの南米予選の試合で、ブラジルBrasilは14日にアスンシオンAssunçãoでパラグアイParaguaiと、18日にミネイロンMineirão競技場(ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンチ)
でアルゼンチンArgentinaと対戦する。
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カナダとかベネズエラとか、
どうもサッカーのイメージがわかない。
ベネズエラは南米の国だが、
人気のスポーツは野球だ。
どういう選択基準で、こういう相手になったのか。
カナダが相手ならば、シアトルではなくバンクーバーでもよかったのではないか。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その26 "Fabiana Cozza" 1。
4月4日(金)21時から、
サンパウロ市南部ヴィラ・クレメンチーノ地区の地下鉄サンタ・クルーズ駅に近いジョアン・カエターノ劇場Teatro João Caetanoでファビアーナ・コッザFabiana Cozzaのコンサートがあった。
ファビアーナ・コッザFabiana Cozzaは、新進気鋭の女性サンバ歌手である。
日本では、まだ一般にはそれほど知られていないかもしれないが、ブラジル音楽シーンを語っている人たちの中では、常識となっているはずだ。
ジョアン・カエターノ劇場は、昨年までは劇だけを行っていたのだが、今年からは音楽のほうもプログラムに入れることにした。
その最初のショーが、ファビアーナ・コッザのショーとなった。
ジョアン・カエターノ劇場Teatro João Caetanoは、サンパウロ市営である。
1950年代に建てられて、
今までに2度大規模な改修工事を行っている。
古いと言えば古いのだが、
別に支障はない。
収容人数は436人の、それほど大きなものではない。
住所:R. Borges Lagoa, 650, Vila Clementino. Tel.: 5573-3774
※なお、リオ・デ・ジャネイロにも同名の劇場がある。
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今回のファビアーナ・コッザのこのコンサートは、4月4日(金)と5日(土)は21時から、そして6日(日)は19時から、さらに翌週の11日(金)、12日(土)そして13日(日)も同様の時間からと、合計6回行われた。
このうち日曜日のショーは、無料だった。
有料といっても、15レアル(約900円)。
※クリックすると拡大する。
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もちろん、初日から行った。
このコンサートは、21時に開演だったのだが、
チケットの販売開始時間が分からない。
劇場周辺の様子を確認するためにも、日中に一度下見を兼ねて、劇場に行った。
周辺の駐車場の有無など、安全にも気を使っているわけである。
劇場にいた人に尋ねたところ、開演1時間前からという、なんとも暢気な発売であることが分かった。
でも、せっかく来たのだからと、親切に予約リストに名前を入れてくれた。
リストにある唯一の人物になった。
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開演時間になっても、なかなかショーは始まらない。
「sps20080404TJC-FabianaCozza1.WAV」をダウンロード
結論を先に言っておくと、とてもすばらしいショーだった。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その119。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
segunda-feira, 28 de abril de 2008
ブラジルのロナウドが「おかま」とトラブルで警察へ。
4月28日(月)未明、ミランMilanのFWロナウドRonaldoがもめごとに巻き込まれた。
(参考画像)
リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのあるナイトクラブに行ったあと、ロナウドは、アンドレイア・アルベルチンAndréia Albertineとして知られているおかまtravestiのアンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノAndré Luis Ribeiro Albertinoともめて、バッハ・ダ・チッジュカBarra da Tijucaの警察の16分署で夜を過ごした。
おかまはロナウドを「薬」にかかわっていると訴え、ロナウドと示すビデオを"youtube"にアップした。
ビデオでは、フラメンゴのユニフォームを着たロナウドを見ることができる。
警察の情報によると、ロナウドRonaldoは恐喝未遂の犠牲者だと言う。
アンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノはもめごとが起きたモーテルの前で記者会見をして、ほかに二人のおかまも夜にはいたと言った。
アンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノは更にロベルト・ルイス・ナザリオ・ヂ・リマRonaldo Luiz Nazário de Lima(=ロナウドの本名)の名前の車の書類を見せた。
支払いを保証するために、彼のものに残したものである。
ロナウドFenômenoの広報担当者は、いまのところ、ロナウドRonaldoはおかまとのもめごとについて発表することはないと言った。
月曜日午後の記者会見で、バッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijucaの16分署のカルロス・アウグスト・ノグェイラCarlos Augusto Nogueira警部は、朝の尋問でのロナウドの発言を語った。
警察によると、ロナウドRonaldoはおかまのアンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノによる5万レアル(=約3百万円)の恐喝未遂の犠牲者であると言った。
警察によると、ロナウドRonaldoはおかまを売春婦と思って契約をして、バッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijucaのモーテルに連れて行った。
そこで、さらに二人の売春婦を頼んだ。
おかまとわかり、一人がファヴェーラのシダーヂ・ヂ・デウスCidade de Deusで「薬」を探しているとわかって、ロナウドはもう「やらない」と決めて、彼らのうちの二人に1千レアル(=約6万円)を渡した。
アンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノと思われるもう一人はそれは望まずに、マスコミにこの出来事を言わないために5万レアルを要求した。
(アンドレイア・アルベルチンAndréia Albertine嬢ことアンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノ)
ロナウドRonaldoは恐喝未遂tentativa de extorsãoに憤慨して、モーテルの門でおかまとのもめた後に警察が呼ばれた。
警部によると、ロマリオは一人で朝警察で尋問された。
カルロス・アウグスト・ノグェイラCarlos Augusto Nogueiraはロナウドの言葉のほうがより信じられると言った。
「ロナウドRonaldoの話はより信じられる。おかまは尋問の途中で出て行った。0から10までのうち、9割はロナウドの尋問だった。ロナウドRonaldoはとても興奮していて、楽しむために出て行った、そしてこの件をマスコミが知ることを望んでいないと言った。ロナウドは自分に回復中で精神的な問題があったと言った」と、警部は語った。
モーテルの部屋に「薬」があったというおかまの訴えについて、警察はそういったものは見つけていないと発表した。 警部によると、ロナウドRonaldoは薬はしていないと保証した。
「ロナウドRonaldoは自分に次のように言った: 『自分は飲んだと言った、少し飲んだだけだ。 しかし自分はだれらにシダーヂ・ヂ・デウスCidade de Deusに薬を探しに行こうと頼んだというのはばかげた話だと思う』」と、カルロス・アウグスト・ノグェイラCarlos Augusto Nogueira警部は言った。
ロナウドRonaldoの車の書類をアンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノが持っていたことについて、警部はロナウドが警察に行こうとした動機の一つがそれを取り戻すためだと明言した。
(書類)
4月28日(月)の午後、このもめごとに加わっていたべつのカルラCarlaというおかまが尋問のために呼ばれて、警察に入った。
(カルラ嬢)
カルロス・アウグスト・ノグェイラ警部は、まだ3番目のおかまとも話をしたいし、アンドレ・ルイス・リベイロ・アルベルチーノをまた尋問することを諦めていないと明言した。
ロナウドRonaldoは、まだ別の日にまだ呼ばれることになるだろう。
警部は、傷害(ロナウドはおかまにけがをさせる脅されたが、何もなかった)と恐喝未遂で捜査すると発表した。
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サッカー選手による面白い話題が、このところないとブログに書いたら、さっそく大物中の大物のロナウドが、話題を作ってくれた。
それも、ロナウドらしい脇の甘い事件である。
ロナウドは、靭帯断裂のあとの再生手術のあとの回復治療中で、リオ・デ・ジャネイロで過ごしている。
歯医者の彼女とすごしているところをパパラッチに撮られたりと、適当に話題になっていた。
この事件で、その彼女との関係はどうなるのか。
もちろんこのニュースは、20時の全国ニュースで、映像つきで報道された
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おかまかどうかわかりそうなものだ。
それに、ロナウドの趣味もよくわかった。
モーテルも、ごく普通のもので、ロナウドともあろう人が行くようなところではない。
ロナウドの健在ぶりを示してくれた一件である。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その211 拙宅に来る鳥181。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その160 Os gêmeos 17。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
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バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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サンパウロ市の北部にあるカランジル地区。
古くから刑務所地区があるところで、虐殺事件があった刑務所地区は今は取り壊されて公園になっているが、そのほかにもまだ女子刑務所などが機能している。
このカランジル刑務所地区の北東部の端の、ザッキ・ナッキ大通りとジェネラル・アタリーバ・レオネル大通りの交差点部分の塀にも、パンドルフォ兄弟のグラフィッチがある。
このグラフィッチは、かなり以前に描かれたもののようで、色褪せているし、塀の表面も剥落しているので、状態は良くない。
※写真では、コントラストをあげている。
この交差点は、どちらも広い道で、交通量は多い。
人通りは少ない。
撮影については、やはり日曜日にしかできないところだった。
塀には、他にもいくつかのグラフィッチがあった。
作品は、彼らがプロドゥソンと呼ぶ大きな壁画で、すべてパンドルフォ兄弟だけで描かれたものなのかは判断が難しい。
人物の周辺に、いろいろなオブジェが描かれており、彼らの作品の中で、このような作品はここだけである。
その中にある、2人の人物が、パンドルフォ兄弟の作品であることを示している。
この人物は、パンドルフォ兄弟によるプロドゥソンにはよく登場している。
刑務所にカメラを向けているわけで、
脱獄のポイント探しと思われないかと、
撮影には注意した。
ブラジルでは、脱獄はとても多い。
外部からの脱獄の手助けも、かなり大仕掛けであることがある。
ブラジル・サンパウロの「ゲイ・パレード2008」 その1 今年は5月25日(日)。
警察とGLBTの誇りパレード協会Associação da Parada do Orgulho GLBT (APOGLBT)は、サンパウロで5月25日(日)に行われる第12回のパレードの安全管理方法を決定した。
※※GLBT:ゲイ、レスビアン、バイセクシャル、性転換者の略号。
初めて、ルーズベルト広場Praça Rooseveltに40床の病院ができる。
パレードの終りに起きる多くの医療的処置に対応するするためである。
46人の医師médicoと55人の看護士enfermeiroがイベントで働く。
30の集中治療室Intensivo (UTIs)も用意される。
約800の簡易トイレbanheiros químicosも用意される。
1000人の警察と200人の市警が安全を管理しる。
2007年6月19日に行われた第11回のパレードでは、350万人が集まった。
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いろいろなイベントが次から次と行われるサンパウロであるが、
その中でも最も特異なイベントが、このゲイ・パレード。
世界最大規模になってしまった。
また、異形の方々が、その美を競うことになるだろう。
ブラジル・サンパウロの「文化の総ざらい」2008 その2 4百万人が集まり大成功のうちに終了。
サンパウロ市の各所で4月26日(土)18時から行われた第4回「文化の総ざらいVirada Cultural」に、27日(日)未明までに350万人が集まった。
サンパウロSão Paulo市当局の予想では、27日(日)8時のイベントの終了までに4百万人が集まる。
市当局によると、今年の文化の総ざらいVirada Culturalは何も事件が起きていない。
「2008年の文化の総ざらいVirada Culturalは、サンパウロ市が平穏に楽しく民主的なイベントをすることの表れだ」
市当局によると、人々の安全を保証するために、3300人の警官が動員され、そのうち約2300人がセントロにいた。
カサビKassab市長によると、2008年のイベントは、サンパウロSão Paulo市の地位を高めた。
「文化の総ざらいはサンパウロだけのものではなく、ブラジルの文化にとって重要な出来事の一つになった。 サンパウロSão Paulo市に国内のいろいろなところから5000人のアーチストが集まったからだ」
市長によると、イベントの成功の主なポイントの一つは、2007年の前回のとエリアを変えたことである。
「昨年はエリアを集中させた。 より多くの舞台を作るためにスペースを広げた」
サンパウロ市の文化局長のカルロス・アウグスト・カリルCarlos Augusto Calilは、昨年起きた騒動を避けるために、セ広場praça da Séを避けたと言った。
今回は、規模が2倍になった。
昨年の13の舞台に対して、26の舞台。
そのうち24の舞台は、24時間プログラムがあった。
サン・ジョアンSão João大通りの舞台には、最も多くの人が集まった。
カーボ・ヴェンルヂの歌手セザリア・エヴォーラCesaria Evoraが、花火とともにイベントを開始した。
ショーは続いて、ガル・コスタGal Costaそしてゼ・ラマーリョZé Ramalhoが大通りをいっぱいにした。
音楽、ダンス、劇、サーカス、映画などを含む800のアトラクションがあった。
美術館やプラネタリウムplanetárioも特別の開館時間となった。
セントロ以外で、イベントは、市内10のCEU(統合教育センター)やSesc(商業従事者向けの文化施設)でも行われた。
日曜日の10時までに10か所のSescを64千人がおとづれた。
2007年の3倍になる。
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今回で4回目になるこの「文化の総ざらい」。
すっかり定着した。
26日(土)の夕刻から、セントロには続々と人たちが集まってきた。
深夜11時過ぎでも、セントロ周辺の道路は大混雑。
未明の3時ころでも、セントロをものすごい人が歩いていた。
27日(日)の午後のセントロも、
普段の日曜日のセントロとはまったく異なり、
人たちで埋まった。
セントロの危険な雰囲気は、
ものすごい人たちの中で、消えうせてしまっていた。
いくつかのイベントを見に行った。
とても楽しかった。
終り近くには、特に見逃せないイベントが重なっていて、体が5つは欲しかった。
すべてのイベントが無料である。
こんなことは、
日本では絶対にできないことだ。
ブラジルは、どんどんと良い国になってきている。
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いつものことだが、
こういったイベントで、
駐在員系の日本人を見かけることはまずない。
(探しているわけでもないが)
日系人も、その人口比からするとかなり少ない。
そういったイベントばかりに行っているわけでもないのだが。
サッカー・サンパウロ州選手権2008 その33 決勝第1戦終了。
サッカー・サンパウロ州選手権の内陸部杯及び本選の決勝第1戦が、
4月26日(土)及び27日(日)に行われた。
結果は次の通り。
4月26日(土) 内陸部杯決勝第1戦
試合開始 試合結果 競技場
18h10 Noroeste 1 x 2 Barueri Alfredo de Castilho
4月26日(土) 本選決勝第1戦
試合開始 試合結果 競技場
16h Ponte Preta 0 x 1 Palmeiras Moisés Lucarelli
「20080427GN22-PAF1-PontePreta-Palmeiras.wmv」をダウンロード
※アウェーで勝利したパルメイラスは、優勝に一歩前進。
優勝が決定する決勝第2戦の予定は次の通り。
5月3日(土) 内陸部杯決勝第2戦
試合開始 試合予定 競技場
18h10 Barueri x Noroeste Arena Barueri
5月4日(日) 本選決勝第2戦
試合開始 試合予定 競技場
16h Palmeiras x Ponte Preta Parque Antarctica
※しばらく、サンパウロ市西部のポンペイアあたりでは、緑色の人が増えるに違いない。
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決勝戦を戦っているクラブのファンは、とてつもなく盛り上がっていることは間違いない。
でも、そうではないクラブにとっては、
5月中旬に始まるブラジル選手権までオフのようなもの。
そういったこともあって、このところこのブログでのサッカーを取り上げる頻度がますます減っている。
このところ、
ブログで取り上げるような面白い話題もそれを引き起こしてくれるような選手もいないことが、最大の要因であるが。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その25 "Juan Falú & Yamandu Costa" 17。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
いよいよ最後のアンコールの演奏である。
「sps20080328MAL-Yamandu17.WAV」をダウンロード
サッカー・ブラジル杯2008 その11 第3フェーズの第2節終了。
サッカー・ブラジル杯の第3フェーズの第2節が、
4月23日(水)及び24日(木)に行われた。
結果は次の通り。
※下線のクラブはベスト8進出決定。
4月23日(水)
試合開始 試合結果 開催都市
15h15 Corinthians-AL 2 x 0 Juventude Maceió
17h30 Botafogo 2 x 1 Portuguesa Rio de Janeiro
21h50 Náutico 3 x 2 Atlético-MG Recife
21h50 Internacional 5 x 1 Paraná Porto Alegre
21h50 Criciúma 2 x 2 Vasco Criciúma
「20080423JN-CB.wmv」をダウンロード
4月24日(木)
試合開始 試合結果 開催都市
21h30 Palmeiras 0 x 0 Sport São Paulo
次節の予定は次の通り。
4月30日(水)
試合開始 試合結果 開催都市
20h30 Atlético-GO x São Caetano Goiânia
20h30 Juventude x Corinthians-AL Caxias do Sul
21h50 Corinthians x Goiás São Paulo
21h50 Atlético-MG x Náutico Belo Horizonte
21h50 Sport x Palmeiras Recife
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その118。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
domingo, 27 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その210 拙宅に来る鳥180。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その24 "Juan Falú & Yamandu Costa" 16。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その117。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sábado, 26 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その209 拙宅に来る鳥179。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その23 "Juan Falú & Yamandu Costa" 15。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
「sps20080328MAL-Yamandu15.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その116。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sexta-feira, 25 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その159 Os gêmeos 16。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロ市の南北を結ぶ大幹線道路のヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通り。
ここがマヒするとサンパウロ中の交通に影響する。
この道沿いのセントロに近いところでも、パンドルフォ兄弟の絵を発見した。
このグラフィッチがとんでもないところににあったので、発見して、実際に写真を撮影するまでには、
その撮影をどのように行うかで、かなり考え、なんどもロケーション・ハンティングを行った。
グラフィッチは、
ヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通りそのものではなく、その側道沿いの建物の壁に描かれていた。
しかし、道路からは、10メートル以上は上にあり、サイズも大きいので、渋滞を狙って、窓を開けて真正面から撮影するという手段は使えない。
車を降りて、下から上に俯瞰する形での撮影をするしかない。
平日は、その側道の右側は路上駐車でいっぱいで、フラネリーニャが待ち構えているが、そこに空きがあるとは限らない。
仮に、そこに車を駐車しても、側道の右側からの撮影では、グラフィッチは真上といってもよいくらいであるので、側道を渡り、本線との間の緑地から撮影しないと、グラフィッチをよりよくとらえることはできない。
側道は、平日は、交通量が多く、かつスピードを出しているので、横断は極めて危険である。
このグラフィッチの、全貌をとらえるために、ヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通りの反対側にまわり、ヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通りに並行しているジャンダイア通りから、そのグラフィッチを確認した。
樹木の間に見える建物の最下層階に描かれている。
建物は、側道に面して入口はない。
リベルダーヂ広場に近いドトール・ロドリゴ・シウヴァ通り側に入り口がある。
駐車場ビルである。
反対側からの撮影では、あまりに遠い。
それに、グラフィッチの下部が、樹木によって隠される。
考えた挙句に、
交通量の少ない日曜日に撮影を決行することにした。
側道に車を止めた。
車のスピードは早くても、側道を渡る余裕はある。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その208 拙宅に来る鳥178。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その22 "Juan Falú & Yamandu Costa" 14。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
「sps20080328MAL-Yamandu14.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その115。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quinta-feira, 24 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その207 拙宅に来る鳥177。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その158 Os gêmeos 15。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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サンパウロ市北部のカランジル。
カランジルと聞いただけで、刑務所を思い出す人は、映画通だ。
そのカランジル刑務所地区の南側を通るザッキ・ナッキ大通り。
さらに、そのザッキ・ナッキ大通りに、パンドルフォ兄弟の作品を発見した。
ザッキ・ナッキ大通りとウルピアイラ通りの交差点の北東側の塀に描かれていた。
ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その125 「うさぎ」、「チョコレート」、「イノブタ」。
ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時30分頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
------------------------------
2007年11月頃から、
サブリナ・サトウ単独のチャレンジが減って、
いつも番組ではビキニ姿でゆらゆらしているだけのレギュラーの女性も加わってのチャレンジ企画が増えた。
今や伝説となった「牛」ファッションショーの評判が良かったのか、視聴率が良かったのかしらないが、
その二番煎じとしか言いようのない「犬」ファッションショーを行い、見事に外した後は「ネズミ」である。
「ネズミ」もいい加減馬鹿らしかったのだが、これで味をしめた企画が「罰ゲーム」である。
チームに分かれて競技をした後に、負けたチームが必ず「罰」をうけるようになった。
サブリナ・サトウと女性たちがまた集まった。
放送された3月23日は、パスコア(=復活祭)の時期で、「ウサギが卵型のチョコレートを運んでくる」ことになっている。
カルナヴァル(=カーニバル)後から、スーパーに爆裂展示してある巨大な卵型のチョコレートが、この何日かで売り切れてしまう時期である。
女性たちは、可愛いバニー姿。
唯一の男性のボノも、うさぎ姿で、うさぎを抱いている。
ボノの股間には、「Ovos(=卵)」があるなんて、ちょっといじりながらコーナーは進行する。
エアー・クッションのリングに、溶かしたチョコレートが撒かれた。
このチョコレートが撒かれたリンクの中で、女性が対戦するのだ。
マニアには、もうたまらない映像になることは間違いない。
リンクに入る姿は、もちろんお尻を外さない。
ブラジルの常識である。
リンクの真ん中に、上からニンジンが吊るされている。
このニンジンを、先に口にした女性が勝ちというルールである。
なぜか固まらない、ぬるぬるのチョコレートと、エアークッションで、
足元はよくない。
「20080323paniconaTV-SabrinaSato-Coelho2-Samanbaia.wmv」をダウンロード
いきなり勝手に倒れ、大股開き。
タレント根性を見せてくれる。
日本で、ゴールデン・タイムに、こんな番組もないだろうが、ここまでやってくれる有名タレントもいないだろう。
そして、サブリナ・サトウが、相手を突き倒して、ニンジンにありついた。
「20080323paniconaTV-SabrinaSato-Coelho3.wmv」をダウンロード
サマンバイア嬢も舐める。
イノブタに代わって、舐められたいという諸氏も多いことだろう。
そのサマンバイア嬢が舐めた後に、
鼻から口から、いろんなものを出した。
イノブタが、不満そうな表情を見せる。
---------------------------
まあ、
単純に楽しめた今回。
イノブタには、多少同情した。
---------------------------
今回のものにも、
「インヂオ部落訪問」の回と同様に、
女子相撲マニアのサイトからのリンクが貼られて、
アクセスがずっと続くことになるだろう。
いろいろなマニアの方がいるものだと思っている。
インターネットとはこういうものだとつくづく思っている。
ブラジルの「武士道を守って実行する事」。
2008年10月は、ブラジルは議員選挙がおこなわれる。
いつもの電子投票なので結果はあっという間に出てしまう。
ブラジルでは、昔から、大体20時過ぎに、地上波の全局は、ときどき、政府の番組を一律に放送しなくてはならないことがある。
インフレ時代は、大統領が明日からガソリンが上がるとかを発表して、つまらんことを大統領がいうものだと思ったことがある。
サルネイ大統領の「プラノ・クルザード」も、このようにして突然発表された。
ただ、物価を凍結するということと、当時の貨幣クルゼイロをデノミしてクルザードにすると、発表したのだが、その施行細目が全く分からなかった。
今も、ときどき大統領や大臣が、ときどき政府のメッセージを流すが、驚きの発表をするようなことはなくなった。
この頃、20時30分には、各政党が順番に10分程度の枠で、政党のPRをしている。
ブラジルは、小党乱立状態なので、政党の数は多い。
各政党は、それぞれ固有の番号を割り当てられている。
先日、
33番の政党で、PARTIDO DA MOBILIZAÇÃO NACIONAL(国家流動党?)というのが、その時間にPRをした。
「武士道を守って実行する事」と出てきた。
背景の画面も、日本の何かの映画から拝借したような映像が流れる。
アイヌのイヨマンテのようで、武士道とは関係ないようだが、日本のものには違いない。
いきなり、日本人(日系人)が、「武士道を守って実行する事」と、ややもたつきながら言った。
「20080410JN-CM-PMN33.wmv」をダウンロード
この映像のあとに、
サンパウロ州の支部長が出てきて、
日本人は、恥だと感じたら「ハラキリ」まですると言った。
ブラジルには、倫理観が足りないということを言いたいらしい。
その後、議員などが次々にでてきたが、
もう日本人(=日系人)はまったく出てくることはなかった。
※映像録画済み
この政党のサイトをちょっとみてみたのだが、軍政終焉期の民生復帰の過程でできた政党で、それなりの歴史はある。
でも、、何名かの国会議員を出しているが、どこかの州知事を出しているわけでもない。
州議会議員や市会議員などは、それなりにいる。
ただ、全国的に組織を持っているようではない。
で、なぜ武士道なのか。
日系人が、党首もしくは執行部にいるようでもない。
日系人が多い、サンパウロ州やパラナ州の役員にも、日系人の名前はない。
サイトでは、「武士道を守って実行する事」は、発見できなかった。
この政党は、武士道をどのように理解しているのだろうか。
何しろ、ほとんどブラジル人は、せいぜい「サムライ」と「ゲイシャ」しか知らないのだから。
それに、「武士」は腹を切ったり切らされたりしたが、
「政治家」は日本でも「ハラキリ」はしないことは知らないようだ。
---------------------------
こういうことがあるので、
ブラジルのテレビからは目が離せない。
NHKばかり見ている日本移民や駐在員の方々には、
永遠にブラジルのテレビの面白さはわからないだろう。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その21 "Juan Falú & Yamandu Costa" 13。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
「sps20080328MAL-Yamandu13.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その114。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quarta-feira, 23 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その206 拙宅に来る鳥176。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その157 Os gêmeos 14。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロ市北部のカランジル。
カランジルと聞いただけで、刑務所を思い出す人は、映画通だ。
そのカランジル刑務所地区の南側を通るザッキ・ナッキ大通り。
本来は、あまり利用しないほうが良い通りである。
理由は、そこに警察の組織犯罪取締本部があるので、警察車両が突然飛び出してきたりすることがあるのと、この本部を狙う組織があって、ときどき道路が閉鎖されたり、警戒が厳重になるからである。
巻き添えは食いたくない。
さらに、その東には、5階建てのアパートになっているのだが、よく騒ぎを起こすファヴェーラがあり、こちらも道路で物を燃やして閉鎖することがあるからである。
この警察とファヴェーラの間には、南北に流れる小さな川がある。
この川をはさんで、ザッキ・ナッキ大通りの北側には、木造のバラックという正真正銘のファヴェーラがあったが、何度か火をつけられるなどして、今は完全に撤去されている。
そのファヴェーラ跡地に残った壁に、パンドルフォ兄弟の作品を発見した。
現地の東側200メートルくらいには、5階建てだが、ファヴェーラがある。
あのファヴェーラの北側を通るアントニオ・ドス・サントス・ネーロ通りは、なかなかスリリングなところである。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その20 "Juan Falú & Yamandu Costa" 12。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
「sps20080328MAL-Yamandu12.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「文化の総ざらい」2008 その1 今回は、800の出し物。
サンパウロ市の「文化の総ざらいVirada Cultural」は、今年は、サンパウロ市中心部だけで、全部で26の舞台で、5千人以上のアーチストによって800の出し物がある。
4月26日(土)の18時から27日(日)18時まで市によって行われるこの文化のイベントは、第4回の今回は、ショーに3百万人以上がいろいろなイベントに集まり、9千万レアル(=約54億円)が動くとみられている。
今回出演するアーチストの中には、ガル・コスタGal Costa、ジョルジ・ベンジョールJorge Benjor、ムータンテスMutantes、オルケストラ・インペリアルOrquestra Imperial、テアトロ・マジコTeatro Mágico、セザリア・エーヴォラCesária Évoraなどがいる。
市内中心部のセントロの26の舞台の中で、2か所だけが24時間は空いていない。
市内中心部のの部隊以外にも、文化センターcentros culturais、各所のSesc、統合教育センターCentros Educacionais Unificados (CEUS)でアトラクションがる。
この催しに集まる観客のために、公共サービスは時間を延長する。
市によると、地下鉄は24時間運行する。
そのほかに、中心部のセントロの交通は迂回処置がとられることになる。
約1200人の警備員が配される。
2キロメートルの柵と、350基の簡易トイレが設置される。
80万ワットの55トンの音響機器が用意される。
イベントの照明は8.1kVAの能力がある。
---------------------------
このイベントについては、
2週間まえに、
具体的なことは市当局によって正式に発表された。
印刷されたプログラムも、早めに手に入れたので、
じっくりと予定を立てることができた。
インターネットでも、
プログラムなどは知ることができる。
ほとんどのイベントが無料なので、駐車料くらいしか必要ない。
惜しむらくは、移動の時間などを考えると、いくつかのイベントに行けそうなことがない。
ガル・コスタのショーは、歴史的中心部セントロのサン・ジョアン大通りに設けられる舞台で、26日(土)の21時から行われることになっているが、おそらくもうそこは早くからいっぱいになっているはずである。
ショーの間も含めて、3-4時間も立ちっぱなしはつらいので、断念の方向である。
何しろ、無料なのでいろいろな人が集まる。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その113。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
terça-feira, 22 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロで「マグニチュード5.2」の地震。
サンパウロSão Pauloの住民は、4月22日(火)21時すぎに、揺れを感じた。
揺れは、サンパウロ市のすべての地区と大サンパウロGrande São Paulo都市圏のある地域で感じされた。
地震の震源は、サンパウロ州南海岸のサン・ヴィセンチSão Vicente市から270キロメートル。
マグニチュードは5.2に達した。
震源は、約10キロメートルの深さ。
「珍しい地震である。 規模からして、サンパウロ市全域と都市圏で感じられたはずである。 300キロメートル以内で感じられただろう」と、ブラジリア大学UnB (Universidade de Brasília)の地震研究所Laboratório de Sismologiaのゲオルジ・サンヂGeorge Sand,博士は言った。
彼によると、新たな地震が起きる様相はない。
消防署の電話は、揺れに驚いた住民からの電話が増えたことで混雑している。
消防署によると、バルエリBarueri、イタペセリカItapecerica、コチアCotia、オザスコOsascoの住民もまた揺れを感じた。
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この時間には、静かにしていたはずなのだが、
まったく感じなかった。
揺れがあっても、それが地震によるものとは思いもしなかっただろう。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その205 拙宅に来る鳥175。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
インコは、木に取り付いてからは、歩いて枝を移動する。
保護色なので、最初は発見は難しかったが、もう慣れたので、たやすく発見できるようになった。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その156 Os gêmeos 13。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
パンドルフォ兄弟の作品が多いところは、市内中心部のやや荒れた所が多いのであるが、今回は彼らにしてはかなり例外的な場所にあるグラフィッチである。
市内南部のイタイン・ビビ地区。
この20年来、高級アパート街となり、
おしゃれな店やレストランが集まってきているところである。
その地区を、東西に貫通するプレジデンチ・ジュッセリーノ・クビシェッキ大通りに面して、
パンドルフォ兄弟のグラフィッチがある。
この大通りにある、かつてメスブラMesbraという量販店があり、いまはエストラExtraというハイパー・マーケットからみて、南西方向の交差点の壁に描かれている。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その19 "Juan Falú & Yamandu Costa" 11。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
「sps20080328MAL-Yamandu11.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その112。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
segunda-feira, 21 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その204 拙宅に来る鳥174。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
インコは、木に取り付いてからは、歩いて枝を移動する。
保護色なので、最初は発見は難しかったが、もう慣れたので、たやすく発見できるようになった。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その155 Os gêmeos 12。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロのイピランガ大通りとサン・ジョアン大通りの交差点から、リオ・ブランコ大通りに向かって数十メートルのところに、パンドルフォ兄弟の作品がある。
車ではよく通る道なのであるが、わき見をしにくい交通量なので気付かなかったが、ふと右を見た時に発見した。
交通量の少ない日曜日に、現場近くに車を止めてさっと撮影した。
消されてしまってはいけないと思ったからだ。
ここも、閉鎖されているビルの壁に描かれている。
このあたりで寝起きしている住民に、お金をねだられたが、無視した。
それくらいのことは、平気で出来るようになってきた。
そうでなければ、写真など撮ってはいられない。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その18 "Juan Falú & Yamandu Costa" 10。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
そして、ふたたびフアン・ファルーが登場し、二人のセッションが始まった。
「sps20080328MAL-Yamandu10.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その111。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
domingo, 20 de abril de 2008
サッカー・ブラジル杯2008 その10 第3フェーズの第1節終了。
サッカー・ブラジル杯の第3フェーズの第1節が、4月16日(水)に行われた。
結果は次の通り。
4月16日(水) 第1日目
試合開始 試合結果 開催都市
19h30 Vasco 1 x 0 Criciúma Rio de Janeiro
20h30 São Caetano 2 x 1 Atlético-GO Ribeirão Preto
21h50 Goiás 3 x 1 Corinthians Goiânia
21h50 Portuguesa 1 x 1 Botafogo São Paulo
21h50 Paraná 2 x 0 Internacional Curitiba
「20080416encimadahora-CB.wmv」をダウンロード
※ヴァスコ・ダ・ガマは、エヂムンドのPKで勝利。
※コリンチャンスは、ひどいプレイで惨敗。
(ゴイアスの先発)
(コリンチャンスの先発)
次節以降の試合日程は次の通り。
4月23日(水) 第2日目
試合開始 試合予定 開催都市
15h15 Corinthians-AL x Juventude Maceió
19h30 Botafogo x Portuguesa Rio de Janeiro
21h50 Náutico x Atlético-MG Recife
21h50 Internacional x Paraná Porto Alegre
21h50 Criciúma x Vasco Criciúma
4月24日(木) 第3日目
試合開始 試合予定 開催都市
21h30 Palmeiras x Sport São Paulo
※パルメイラスは、地元パレストラ・イタリアに、スポルチを迎える。
4月30日(水) 第4日目
試合開始 試合予定 開催都市
20h30 Atlético-GO x São Caetano Goiânia
20h30 Juventude x Corinthians-AL Caxias do Sul
21h50 Corinthians x Goiás São Paulo
21h50 Atlético-MG x Náutico Belo Horizonte
21h50 Sport x Palmeiras Recife
※コリンチャンスは、サンパウロでゴイアスと対戦だが、
勝ち抜けには厳しい戦いを強いられる。
サッカー・サンパウロ州選手権2008 その32 準決勝第2戦終了。
サッカー・サンパウロ州選手権の準決勝が、4月19日(土)及び20日(日)に行われた。
※※内陸部杯の準決勝も、4月18日(金)及び19日(土)行われた。
結果は次の通り。
4月18日(金)
試合開始 試合結果 競技場
(内陸部杯準決勝第2戦)
20h30 Mirassol 1 x 1 Noroeste Municipal
「20080418sporTVnews-PA-CopaInterior.wmv」をダウンロード
※ノロエスチが決勝進出を決めた。
4月19日(土)
試合開始 試合結果 競技場
(内陸部杯準決勝第2戦)
16h Barueri 3 x 3 Ituano Arena Barueri
※バルエリが決勝進出を決めた。
(本選準決勝第2戦)
18h10 Guaratinguetá 1 x 2 Ponte Preta Dario Leite
「20080419encimadahora-PASF2-Guaratigueta-PontePreta.wmv」をダウンロード
※グァラチングェタが決勝進出を決めた。
4月20日(日)
試合開始 試合結果 競技場
(本選準決勝第2戦)
16h Palmeiras 2 x 0 São Paulo Parque Antarctica
「20080420sporTVnews-PASF2-Palmeiras-SaoPauloFC.wmv」をダウンロード
※パルメイラスが決勝進出を決めた。
13年ぶりのタイトルを目指す。
インターバルに、サンパウロFCのロッカールームに辛子スプレーが撒かれ、
選手がグランドで時を過ごすことになった。
(パルメイラスの先発と控え)
決勝の予定は次の通り。
4月27日(日)
試合開始 試合結果 競技場
(内陸部杯決勝第1戦)
- Noroeste x Barueri -
(本選決勝第1戦)
- Ponte Preta x Palmeiras -
5月5日(日)
試合開始 試合結果 競技場
(内陸部杯決勝第2戦)
- Barueri x Noroeste -
(本選決勝第2選)
- Palmeiras x Ponte Preta -
ブラジル・サンパウロの小鳥 その203 拙宅に来る鳥173。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
インコは、木に取り付いてからは、歩いて枝を移動する。
保護色なので、最初は発見は難しかったが、もう慣れたので、たやすく発見できるようになった。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その154 Os gêmeos 11。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロの南のリベルダーヂ地区は、パンドルフォ兄弟の作品が多いところである。
だが、その作品のほとんどは、リベルダーヂでも低地部に集中している。
つまり、ガルボン・ブエノ通りの次のグロリア通りのその次のコンセリェイロ・フルタード通りよりも、東側ということになる。
まともな人は、まずコンセリェイロ・フルタード通りでも車ではともかく歩くのは逡巡するようなところで、そこより東の低地部にはいかないはずである。
もっとも、20年ほど前は、まだその辺りにも日系の商店もあったし、カラオケなんかもあったのだが。
名前だけは立派だが、実際にはかなり恐怖のサンパウロ通りを登って、コンセリェイロ・フルタード通りにぶつかったところから、アメリゴ・ヂ・カンポス通りと道の名前が変わる。
この交差点の西側に、廃業したガソリンスタンドがある。
このガソリンスタンドの西隣のビルの壁に彼らの作品があった。
見上げるようなところに描いてあり、発見した時は、
これからは上も見ながら探さなければならないと、いささか暗くなった。
グラフィッチは、3つあるが、真ん中のモノだけが、パンドルフォ兄弟の作品である。
足の下から、2本の線が延びている。
塗料が流れたかとも思えるが、これは竹馬のようなものである。
壁に合わせたのだろう。
しかし、この作品を描くためには、建物の屋上からぶら下がったのだろうが、大変な作業である。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その17 "Juan Falú & Yamandu Costa" 9。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その110。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sábado, 19 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その202 拙宅に来る鳥172。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
グァヴァの実を食べる主役は、やはりインコ。
強力なくちばしで、硬い皮をはぎとってついばむ。
ほかの小鳥には、そんなことはできない。
インコが食い破ったあとの実にやってくるのだ。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その153 Os gêmeos 10。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロから南南東に延びるブリガデイロ・ルイス・アントニオ大通り。
この大通りは、1960年代は深夜でも高歌して歩けるようなところだったという話を聞いたことがある。
いまは、パウリスタ大通りより手前のベラ・ヴィスタ地区では、廃墟のような状態になった建物が多い。
このブリガデイロ・ルイス・アントニオ大通りもそうだが、このベラ・ヴィスタ地区には以前から劇場が多い。
著名な劇場もある。
開演時間や終演時間には、場所にそぐわないような上品な人たちが道にあふれている。
小劇場もとても多く、かなり深夜から上演するところも多い。
夜は別の表情を持っている地区である。
でも、中には、かつての大劇場が閉鎖されたままに荒れ果てているところもある。
マジョール・ヂオゴ通りとの三叉路付近である。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その16 "Juan Falú & Yamandu Costa" 8。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
「sps20080328MAL-Yamandu8.WAV」をダウンロード
ほぼ曲順は守られた。
ジョイントコンサートなので、わがままはできないわけだ。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その109。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sexta-feira, 18 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その201 拙宅に来る鳥171。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
サニョッソ・シンゼントを追い払ったにもかかわらず、
サビア・ラランジャは、すぐにグァヴァに向かうわけでもなく、じっとしている。
サビア・ラランジャは、ときどき電池でも切れたようにじっとしていることが多い。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その152 Os gêmeos 9。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロから北西のサンタ・セシリア地区。
パカエンブー大通りの北行が、メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナを左に見て、鉄道を超えるために陸橋になっている部分の側道。
バッハ・フンダ通りとブリガデイロ・ガルボン通りとの間。
パンドルフォ兄弟の作品がある。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その15 "Juan Falú & Yamandu Costa" 7。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
超絶技巧が続く。
歌うことはないが、ハミングをすることはある。
「sps20080328MAL-Yamandu7.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その108。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quinta-feira, 17 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その200 拙宅に来る鳥170。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
サビア・ラランジャが近くに止まったことで、
サニョッソ・シンゼントはグァヴァをあきらめてすぐに飛んで行ってしまった。
サビア・ラランジャは、身体がふたまわりほど大きい。
サビア・ラランジャも、グァヴァの実を食べる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その151 Os gêmeos 8。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロから北東のブラス地区。
とても気軽には歩けない地区である。
タマドゥアテイ川に沿ったエスタード大通りの北行側、タマンドゥアテイ橋付近。
エスタード大通りが、鉄道と交差するために下り始めるところの、
かつてのサントス・ジュンジャイ鉄道会社の門から北より20メートルの塀に、彼らの作品がある。
パンドルフォ兄弟の作品の中に、このような「家」に入り込んだようなシリーズがある。
でも、もう消されていたような気がする。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その14 "Juan Falú & Yamandu Costa" 6。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
ファン・ファルーが、6曲目を短く演奏し、
ヤマンドゥ・コスタを呼びに袖に下がった。
ヤマンドゥ・コスタは登場すると、すぐに演奏に入った。
いきなり超絶技巧で魅了してくれた。
「sps20080328MAL-Yamandu6.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その107。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quarta-feira, 16 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その199 拙宅に来る鳥169。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
サニョッソ・シンゼントも、グァヴァを食べに来た。
さらに、サビア・ラランジャも近くに止まった。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その150 Os gêmeos 7。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロから、北西のバッハ・フンダ地区。
リオ・ブランコ大通りが、ルッジ大通りと名前を変え、ノルマ・ピエルッチーニ・ジノノッチ通りと交差するところに、パンドルフォ兄弟の作品がある。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その13 "Juan Falú & Yamandu Costa" 5。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏をした。
歌は好きなのだが、歌ってくれという声がかからないと、笑いを取った後、5曲目を演奏し、歌い始めた。
「sps20080328MAL-Yamandu5.WAV」をダウンロード
サッカー:ロマリオの日々 その108 CBFはロマリオの雇用を保証。
グラウンドから引退したロマリオRomárioは、長いことサッカーから外れることはない。
ブラジル・サッカー協会CBFの会長リカルド・テイシェイラRicardo Teixeiraは、ブラジルBrasilで行われる2014年のワールドカップCopa do Mundoのプロジェクト・チームにロマリオは入り続けると明言した。
「ロマリオRomárioは2014年のプロジェクトにいつもいることになる」と、ブラジル・サッカー協会のサイトで語った。
リカルド・テイシェイラRicardo Teixeiraは、ロマリオRomárioが引退を発表した、月曜日の、ロマリオのDVDの発売のイベントにいた。
「ロマリオは世界がそのプレイを見た最高のFWの一人としてサッカーから出ていく。 ワールドカップで優勝したブラジル代表での彼を近くで見ることができたことは幸せだった。 このイベントで、多くの友人に囲まれた彼を見るのもまた幸せである」。
---------------------------
リカルド・テイシェイラは、
どういうわけかロマリオが大好きなようだ。
もっとも、
リカルド・テイシェイラが、
誰かと関係が悪いということも、聞いたことがないが。
ブラジルの「ミス・ブラジル2008」 その2 視聴率。
伝統的にミス・ブラジルMiss Brasilのコンテストに力を入れているBand局は、日曜日の放送の視聴率4.3%で、5位と苦い目にあった。
Ibopeの調査による1%は、大サンパウロ都市圏Grande São Pauloの調査地域の55500世帯を示している。
Band局はこのイベントを20時26分から23時7分まで放送した。
コンテストの勝者はミス・リオ・グランヂ・ド・スル州miss Rio Grande do Sulのナタリア・アンデルリNatália Anderle22歳だった。
ミス・セアラmiss Cearáのヴァネッサ・ヴィダルVanessa Vidal24歳は2位だった。
ヴァネッサ・ヴィダルは”聾唖”(彼女は聴覚障害者と呼ばれるのを好まない)で、彼女のために、番組は字幕legendas付きで放送された。
※※手話通訳付き。
Rede TV!局が4位で5%。
この時間には、"Pânico na TV"、"Dr. Hollywood"と"Show Business"を放送した。
Record局が3位で、12%。 "Domingo Espetacular"と"Tela Máxima"を放送した。
2位は、SBT局で13%で、"Domingo Legal"と映画を放送。
Globo局が1位で、26%だった。
---------------------------
もともと、日曜日の夜は激戦区。
平均的な家庭にはテレビは1台しかなく、
チャンネル権を、女性が握っている以上、ミス・ブラジルの視聴率は妥当なところ。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その106。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
terça-feira, 15 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その198 拙宅に来る鳥168。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その149 Os gêmeos 6。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロのアンニャンガバウーにも、もう一つ、彼らの作品があった。
サンタ・イジェジェニア陸橋のサンベント修道院側の橋脚の脇の壁には、グラフィッチがいくつも描かれていた。
その一番奥に、バンドフォ兄弟によるグラフィッチがあった。
このグラフィッチは、すでに一度紹介したことがある。
だが、このグラフィッチも今はもうない。
壁全体が、コンクリートの色に塗られてしまい、すべてのグラフィッチが消えた。
2か月ほど前になるだろうか。
サッカー:ロマリオの日々 その107 「引退」。
今回は「公式」。
4月14日(月)に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのバッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijucaのレストランで行われた、そのキャリアにおける主なゴールのDVDの発売発表にあたり、ロマリオRomárioはキャリアの終わりを発表した。
42歳、ロマリオBaixinhoは子供たちと友人たちとの生活を過ごすことだけを今は望んでいる。
「公式にもうプレイしない。 やめた。 自分の時代は終わった。 すべて楽しかったことだ」と、ロマリオは言った。
サッカーの歴史において最大のFWのひとりであるロマリオRomárioは1000ゴールをマークしたあと1年足らずでキャリアを終える。
最後にグラウンドに入ったのは、サン・ジャヌアリオ São Januárioで行われたブラジル選手権Campeonato BrasileiroのインテルナシオナウInternacional戦で、ヴァスコ・ダ・ガマは2対1で敗れている。
キャリアにおける1002ゴールの最後のものは、2007年6月9日で、サン・ジャヌアリオSão Januárioでの、グレミオGrêmio戦であった。
ロマリオBaixinhoはまだマラカナMaracanã競技場でお別れ試合をすることを考えている。
しかし、ブラジルサッカー協会CBFとリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroでプレイした3つのクラブが一緒に組織するような、大掛かりなものになるに違いない。
「何も考えていなかった。 しかし、もし誰かがオファーをしてくれるならば、自分はブラジル代表そしてまたほかのリオ・デ・ジャネイロのプレイした3つのクラブのヴァスコ・ダ・ガマ、フラメンゴFlamengo、フルミネンセFluminenseのユニフォームを着るだろう。 しかし、自分の友達やそこで戦った選手たちすべてを呼んで行われなければならない」
昨年より4キロ重く、キャリアを続けるオファーもなく、ロマリオBaixinhoはキャリアを続けるための活力がないことを認めた。
「考えた。 再考した。 止めることに決定した。 6ヶ月間プレイしていないので、公式試合に戻るのは難しい。 『やめた』という時である」と、ロマリオは言った。
「20080414JG-Romario-Entrevista.wmv」をダウンロード
42歳のロマリオRomárioは、監督のキャリアに戻る関心は全くないと言った。
ブラジル・サッカー協会CBFのリカルド・テイシェイラRicardo Teixeira会長はロマリオを2014年のワールドカップCopa do Mundoの組織でロマリオRomárioを使うと言った。
「自分が手伝える事についていうことは難しい。 まず自分に彼が何をさせたいのかを知る必要がある。 しかし自分のことを考えてくれることを知って嬉しい。 もう仕事がある」と、ユーモアたっぷりに話をした。
この何カ月か、ロマリオRomárioはグラウンドに入ることができなかった。
フィナステリーダfinasteridaの使用によってドーピングで出場停止になっていた。
そのあと、エウリコ・ミランダEurico Miranda社長といさかいを起こして、監督となっていたヴァスコ・ダ・ガマを出た。
2月14日に、スポーツ最高裁判所STJDは無罪にした。
しかし、引き続きプレイしなかった。
3月31日まで契約をしていたヴァスコ・ダ・ガマに縛られていた。
この何週間か、カリブCaribeで草試合に参加していた。
ロマリオRomárioは、1985年に、アントニオ・ロペスAntônio Lopes監督によってヴァスコ・ダ・ガマのジュニアから引き上げられてプロのキャリアを始めた。
最初の年から、ロマリオのゴール率は注目され、1986年と1987年にはリオ・デ・ジャネイロ選手権の得点王になった。
PSV EindhovenとBarcelonaと海外のクラブで成功した後、ブラジルBrasilに戻り、フラメンゴFlamengoそして、フルミネンセFluminense、さらにヴァスコ・ダ・ガマに戻った。
国外では、ほかにValencia-ESP、Al Sadd-EAU、Miami-EUA、Adelaide United-AUS.でプレイした。
ブラジル代表としては、1994年のワールドカップで優勝したことが特筆される。
米国Estados Unidosでのワールドカップにおける活躍で、ロマリオは、フィファFifaによって最優秀選手に選出された。
1990年のワールドカップでは目立つことなく、1998年はケガによって外され、2002年にはルイス・フィリッピ・スコラーリLuiz Felipe Scolariによって除外された。
ブラジル代表では、米州杯Copa Américaで1989年と1997年に、そしてコンフェデレーション杯Copa das Confederações で1997年に優勝した。
この何年かは、ロマリオRomárioは衰えを指摘されて非難を受け、引退を要求された。
しかし、ヴァスコ・ダ・ガマが優勝した2001年と、39歳だった2005年の2度、ブラジル選手権の得点王になった。
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このところ、
映像もなく、話題もなかったロマリオがついに引退を発表した。
コメントもしようがない。
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実は、4月13日(日)の未明に、
ロマリオの所有するフェラーリが大破したというニュースがあった。
ロマリオの友人が運転していて、ポストにぶつかったというもので、誰もけがもしなかったというのに、全国ニュースで流れた。
ロマリオも乗っていなかった。
そんな久しぶりのニュースが、「引退」の露払いのニュースだったかのようだ。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その12 "Juan Falú & Yamandu Costa" 4。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
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ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏を始めた。
「sps20080328MAL-Yamandu4.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その105。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
segunda-feira, 14 de abril de 2008
サッカー・ブラジル杯2008 その9 第3フェーズの日程。
2008年のブラジル杯の第3フェーズの日程は次の通り。
16チームが、ホーム・アウェー戦を行う。
4月16日(水) 第1日目
試合開始 試合予定 開催都市
19h30 Vasco x Criciúma Rio de Janeiro
20h30 São Caetano x Atlético-GO Ribeirão Preto
21h50 Goiás x Corinthians Goiânia
21h50 Portuguesa x Botafogo São Paulo
21h50 Paraná x Internacional Curitiba
※コリンチャンスは、アウェーでゴイアスと対戦。
※ポルツゲーザは地元サンパウロのカニンデにボタフォゴを迎える。
4月23日(水) 第2日目
試合開始 試合予定 開催都市
15h15 Corinthians-AL x Juventude Maceió
21h50 Náutico x Atlético-MG Recife
21h50 Internacional x Paraná Porto Alegre
21h50 Criciúma x Vasco Criciúma
4月24日(木) 第3日目
試合開始 試合予定 開催都市
19h30 Botafogo x Portuguesa Rio de Janeiro
21h30 Palmeiras x Sport São Paulo
※パルメイラスは、地元パレストラ・イタリアに、スポルチを迎える。
4月30日(水) 第4日目
試合開始 試合予定 開催都市
20h30 Atlético-GO x São Caetano Goiânia
20h30 Juventude x Corinthians-AL Caxias do Sul
21h50 Corinthians x Goiás São Paulo
21h50 Atlético-MG x Náutico Belo Horizonte
21h50 Sport x Palmeiras Recife
※コリンチャンスは、サンパウロでゴイアスと対戦。
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ブラジル杯もやっとチーム数が絞れてきたことで、これから盛り上がるだろう。
ブラジル杯に優勝すると、リベルタドーレス杯の出場権を得るのだから、優勝の価値は大きい。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その197 拙宅に来る鳥167。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
サッカー・サンパウロ州選手権2008 その31 準決勝第1戦終了。
サッカー・サンパウロ州選手権の準決勝が、4月12日(土)及び13日(日)に行われた。
※※内陸部杯の準決勝も行われた。
結果は次の通り。
4月12日(土) 準決勝第1戦第1日目
試合開始 試合結果 競技場
(内陸部杯)
16h Noroeste 1 x 0 Mirassol Alfredo de Castilho
(本戦)
18h10 Ponte Preta 1 x 0 Guaratinguetá Moisés Lucarelli
「20080412JN-PASF1-PontePreta-Guaratingueta.wmv」をダウンロード
4月13日(日) 準決勝第1戦第2日目
試合開始 試合結果 競技場
(本戦)
16h São Paulo 2 x 1 Palmeiras Morumbi
「20080413GN22-PASM1-SaoPauloFC-Palmeiras.wmv」をダウンロード
※アドリアーノが、2得点を挙げた。
1ゴール目は、「神の手」ならぬ「皇帝の手」によるもの。
2ゴール目は、センターフォワードとしての破壊力を見せつけた。
(内陸部杯)
18h10 Ituano 2 x 2 Barueri Novelli Jr.
準決勝第2戦の予定は次の通り。
4月18日(金) 準決勝第2戦第1日目
試合開始 試合予定 競技場
(内陸部杯)
20h30 Mirassol x Noroeste Municipal
4月19日(土) 準決勝第2戦第2日目
試合開始 試合予定 競技場
(内陸部杯)
16h Barueri x Ituano Arena Barueri
(本戦)
18h10 Guaratinguetá x Ponte Preta Dario Leite
4月20日(日) 準決勝第2戦第3日目
試合開始 試合予定 競技場
(本戦)
16h Palmeiras x São Paulo Parque Antarctica
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その11 "Juan Falú & Yamandu Costa" 3。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
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ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏を始めた。
「sps20080328MAL-Yamandu3.WAV」をダウンロード
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その148 Os gêmeos 5。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロの歴史的中心部セントロのアンニャンガバウーにも、彼らの作品がある。
このあたり、
アニャンガバウーが今のように整備される前は、
ともに車道があり、
もっと人の動きが多く活気があった。
整備されて、すっきりした分、人の流れが変わり、商店が閉まってしまった。
この作品の写真を撮るにあたり、ちょっと気を使ったことがある。
アニャンガバウーでは、毎日、日中から、何人かの女性が客を引いておられるのである。
作品に向かって、左のほうから撮影しようとすると、どうしてもそれらの女性が入ってしまう。
女性たちは、やはり写真を撮られるのを嫌がるし、
こちらもそういったことでトラブルになることは避けたい。
彼女たちも、まさかグラフィッチを撮影しているといっても、なかなか信じてくれないだろうし。
ブラジルの「ミス・ブラジル2008」決定。
4月13日(日)20時25分ころから、
Band局で、
2008年のミス・ブラジルの選考会の中継が始まった。
「20080413Band-MissBrasil2.wmv」をダウンロード
Band局のサイトでは、番組は20時30分に始まり22時30分には終了することになっていたのだが、番組が早くはじまるようなことはブラジルではよくある話だ。
ブラジルの各州と連邦特別区(ブラジリア)から選ばれた27人の候補者が、サンパウロ市のシチー・ホールに集まった。
23時2分に、最終選考の5人の中からミス・ブラジルが発表された。
「20080413Band-MissBrasil1.wmv」をダウンロード
ミス・リオ・グランヂ・ド・スルのナタリア・アンデルリNatália Anderle嬢22歳。
綺麗すぎると、オカマの方のようにも見えることに気がついた。
準ミスは、ミス・セアラのヴァネッサ・ヴィダルVanessa Vidal嬢。
この方は、聾唖の方で、インタビューには手話の通訳がついた。
ミス・サンパウロのジャナイーナ・バルセロスJanaína Barcelos嬢は、第4位。
最終選考の5人は次の通り。
1 RIO GRANDE DO SUL* Natália Anderle
2 CEARÁ* Vanessa Vidal
3 GOIÁS* Cyntia Oliveira
4 SÃO PAULO* Janaína Barcelos
5 MINAS GERAIS* Marina Marques
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昨年のミス・ブラジルのナタリア・ギマランエス嬢は、
日本人に敗れて、
ミス・ユニバースでは準ミスになったわけだが、
それでもなかなか美人で、
決定してもほとんどどこに行ったか分からない最近のミス・ブラジルの中では、
この一年間の露出が多かった。
でも、2008年のミス・ブラジルのナタリア・アンデルリ嬢は、
ミス・ユニバースでよもや優勝することはないだろう。
それにしても、
候補者はどなたも美人に違いないのだが、
選考の過程で、
消えていく美女を見ていると、
ブラジル人の基準がよくわからない。
ミス・ミナス・ジェライスもよかったし、ミス・サンパウロもよかったと思っていたのだが。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その104。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
domingo, 13 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その10 "Juan Falú & Yamandu Costa" 2。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
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ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
そして、まずフアン・ファルーJuan Falúが一人でステージに登場し、演奏を始めた。
「sps20080328MAL-Yamandu2.WAV」をダウンロード
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いつも、コンサートといえば、
ポピュラー・ミュージックを紹介しているが、
クラシック・コンサートにも同じくらい行っている。
ただ、クラシックといえば、作曲家はブラジル人であることはほとんどない。
クラシックの世界で著名なブラジル人作曲家はヴィラ・ロボスくらいだろう。
アルゼンチンの作曲家としては、ジネステラ。
クラシックのコンサートに行く度に、ブラジルはやはり欧州だと思う。
ポピュラー・ミュージックの宝庫であるブラジルだが、
分厚いクラシックの素養がそのベースになっているのだと思う。
いずれクラシック・コンサートについても取り上げていきたい。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その196 拙宅に来る鳥166。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
しっかり、目に焼き付けるだけだ。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その147 Os gêmeos 4。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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渋滞は嫌なものだが、
渋滞の時にこそ、普段見ることができないものを見つけることができる。
サンパウロ市の歴史的中心部セントロの南側を回って、東部と西部を結ぶ高架道路ラヂアル・レスチ・オエスチは、よく利用する。
日中は、事故でもない限りは、それなりに流れているのだが、夕方近くなると渋滞する。
渋滞になり、何気なく左を見たら、あった。
このあたりは幅広く4車線はある対向車線の交通量も多く、完全に把握することは難しい。
翌日また通りかかった時に、もう一度確認した。
確かに、パンドルフォ兄弟のグラフィッチに間違いない。
しかし、絵のわきには住民がおられる。
このグラフィッチが描かれている場所は、リベルダーヂ地区のグロリア通りの三重県橋という陸橋の南詰の下である。
できれば楽をして、撮影をしたい。
グロリア通りの、一本隣のガルボン・ブエノ通りの大阪橋から、撮影してみた。
距離があるし、橋げたの下は暗く光量が足りない。
それに、距離もあるし、角度も悪い。
歩道はそれなりの広さはあるが、駐停車は禁止である。
事実上の自動車専用道路なので時速70キロ以上で、車が絶え間なく通り過ぎる。
とても、車をこの道で止めることは危険である。
交通量が激減する日曜日にも実地調査をしたのだが、やはりこの場所での駐車は難しいそうだった。
この三重県橋の手前は、サンパウロ市の南北の大幹線道路のヴィンチ・トレース・ヂ・マイヨ大通りから、このラヂアル・レスチ・オエスチへの連絡路が合流してくるところで、連絡ををカーブしてくるドライバーは左の本線に気がいっている。
右側に、駐車している車を見落とす可能性がある。
結局、このグラフィッチまで歩いていくことにした。
とはいうものの、どこからでもいけるわけではない。
サンパウロ通りという名前だけは立派な通りがあるのだが、現実は身がすくむような通りがラヂアル・レスチ・オエスチの南側に並行している。
このサンパウロ通りと交差するミツオ・ミズモト通りが、ラヂアル・レスチ・オエスチにぶつかって切れている。
そこは、段差が少なく、ラヂアル・レスチ・オエスチの歩道に出ることができる。
途中のコンセリェイロ・フルタード通りのシンペイ・ウエツカ陸橋の下には、この日一家族がお住まいになっていた。
このシンペイ・ウエツカ陸橋の橋脚のひび割れから、わずかに地下水が漏れ出ており、生活用水として使えるからだ。
2体を同時に正面から撮影するには、歩道だけでは十分ではなく、車道に出なくてはならない。
それは、交通量が多いので断念した。
三重県橋の北詰の橋脚にもグラヂッチがあったが、大した作品ではなかった。
かなり、ロケーション・ハンティングに苦労をした撮影であった。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その103。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sábado, 12 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その9 "Juan Falú & Yamandu Costa" 1。
3月28日(金)21時から、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナMemorial da América Latinaのシモン・ボリヴァール公会堂Auditório Simón Bolívarで、”Juan Falú & Yamandu Costa”のコンサートがあった。
このコンサートは、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催するに相応しく、
ラテンアメリカのミュージシャンのジョイントコンサートを行っている
Conexão Latinaシリーズの一つとして企画された。
ラテンアメリカの音楽文化により親しむことにより、
ラテン・アメリカの国の間での
研究、情報や経験の交換、文化の強化と統合を行っていくというものである。
------------------------------
ヤマンドゥ・コスタYamandu Costaは、ブラジル人で7弦ギターの超絶技法の持ち主。
フアン・ファルーJuan Falúは、アルゼンチンの作曲家でギター演奏家である。
ヤマンドゥ・コスタの演奏会は、2007年の末にも、このメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで開催されており、その模様は、このブログで紹介している。
すでに、ブラジルでもかなり知名度の高いヤマンドゥ・コスタなので、チケットを手に入れにくいのではないかと思い、コンサート前日のチケット発売開始30分前に、発売窓口に行った。
別のコンサートで、ちょっと失敗をしてしまって懲りたからだ。
やっと10分前に、一人やってきた。
誰かの依頼を受けてチケットの入手にきたモトボーイ(=バイク便)だった。
発売開始の14時2分前に、売場のお姉さんが中に入った。
それまでは、売り場の外でお話をしていた。
「少ないね」と言ったら、こんなものではと言っていた。
ともかく、一番乗りだったので、このコンサートではいちばんよいと思われる席を手に入れることができた。
無料ではない、10レアル(=約600円)。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その196 拙宅に来る鳥166。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その146 Os gêmeos 3。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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2007年11月に、このグラフィッチを見つけた時は、
嬉しくもあったが、実はかなり困惑した。
パンドルフォ兄弟のパターンとして、グラフィッチが一つでも描かれた地区には、必ずその近くにも描かれている可能性が高い。
つまり、ここにあるということは、このあたりを探索すると、まだまだグラフィッチが見つかるということだ。
今まで、この地区ではパンドルフォ兄弟のグラフィッチを発見したことがなかったから、ないものと思っていたのだが、信号待ちの時に、ちょっと左を見たらあった。
ここは、サンパウロ市中心部から東北のブラス地区とパリ地区の境を通る、ジョアン・テオドロ通り。
エスタード大通りとの交差点付近である。
休日には、住民が道に出てきて、なぜかうろうろしているところである。
グラフィッチが描かれている家は、数家族数十人がお住まいになっているようだった。
この道は、パリ地区から拙宅に向かう時によく使うルートであるが、いまだこのグラフィッチは健在である。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その102。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sexta-feira, 11 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その195 拙宅に来る鳥165。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その101。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quinta-feira, 10 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その194 拙宅に来る鳥164。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その145 Os gêmeos 2。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
------------------------------
サンパウロ市の歴史的中心部から南東方向になるイピランガ地区の低地部も、ジェメオスのグラフィッチ作品が多いところである。
イピランガと言えば、インディペンデンシア公園の北端部にある独立記念塔のあるモニュメント広場のすぐそばのタボール通りとレアイス・パウリシターノ通りの交差点部にある建物の壁に、作品があった。
このあたりは、交通量が多く、駐車禁止の道路なので、適当な駐車場所を探すのに手間取った。
この作品は、残念ながら今はもう見ることができない。
2008年1月には、別の”つまらない”グラフィッチにより完全に消されてしまった。
グラフィッチの仁義があって、作品はあるうちは、それを上書きをしないはずなのだがどうしたことだろう。
ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その124 トカゲ・ファッションショー。
ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時30分頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
------------------------------
2007年11月頃から、
サブリナ・サトウ単独のチャレンジが減って、
いつも番組ではビキニ姿でゆらゆらしているだけのレギュラーの女性も加わってのチャレンジ企画が増えた。
今や伝説となった「牛」ファッションショーの評判が良かったのか、視聴率が良かったのかしらないが、
その二番煎じとしか言いようのない「犬」ファッションショーを行い、見事に外した後は「ネズミ」である。
「ネズミ」もいい加減馬鹿らしかったのだが、これで味をしめた企画が「罰ゲーム」である。
チームに分かれて競技をした後に、負けたチームが必ず「罰」をうけるようになった。
ボーラが、今回の企画の説明をすると、サブリナ・サトウの顔が曇った。
殺人トカゲの前で、ファッションショーである。
負けたチームへの罰は、ウォーキングマシンで汗をかいている男性がかかわっている。
トカゲが用意された。
サンパウロ近郊の湿地でよく見ることができるトカゲである。
対するサブリナ・サトウのチーム名は、カンダンキーニョス・ダ・ペダッソ。
この番組にしては、かなり立派なセットが用意された。
トカゲが、徐々に女性たちに近づいて行くようになっている。
それでは、視聴者を引き付けるには不十分なので、
身をくねらせる女性たちのお尻のショットが固定カメラで映し出される。
いつものように、この点については、ブラジルのテレビ局は抜かりがない。
「20080316paniconaTV-SabrinaSato-Lagato1.wmv」をダウンロード
罰ゲームは、男性の腋の汗をつけた指をなめるというもの。
日本ではありえないと思うのだが。
そのサブリナ・サトウがむせって、
鼻汁を盛大に出してしまった。
「20080316paniconaTV-SabrinaSato-Lagato3.wmv」をダウンロード
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ブラジルでもっと下品で、
ほかに類似の番組がないこのpanico na TVなので、
ほかの番組との比較ができなのだが、
こういう企画は視聴者には受け入れられているということだろうか。
サッカー・ブラジル杯2008 その8 第2フェーズ終了。
サッカー・ブラジル杯の第2フェーズの残り6試合が、
4月9日(水)に行われた。
結果は次の通り。
※※太字はサンパウロ州のクラブ。
※※下線は勝ち抜けのクラブ。
4月9日(水)
試合開始 試合結果 開催都市
15h15 Corinthians-AL 4 x 1 Paranavaí Maceió
20h30 Coritiba 0 x 0 São Caetano Curitiba
20h30 Botafogo 2 x 0 River Rio de Janeiro
20h30 Atlético-MG 4 x 1 Nacional Belo Horizonte
20h30 Sport 4 x 1 Brasiliense Recife
21h45 Grêmio 2 (3) x 1 (4) Atlético-GO Porto Alegre
「20080409encimadahra-CB.wmv」をダウンロード
※サン・カエターノが、コリチーバを破って勝ち抜け。
※グレミオがPK戦の末、敗退。
州選手権に続いてのふがいないチームの状態に、
ファンが荒れている。
就任後2か月のセルソ・ロッチ監督の解任が濃厚。
※※ベスト16チームが出そろったことになる。
ブラジル・サッカー:2008始動 その67 アドリアーノがチェルシーを称賛。
アドリアーノAdrianoは、サンパウロFCへのレンタルが今年の7月に終了した後に、インテル・ミランからチェルシーChelseaへの移籍の可能性があることを好んだ。
リベルタドーレスLibertadores杯の対アウダックスAudax戦ためにチリChileに出発する前に、アドリアーのはチェルシーを称賛した。
イタリアの"Corriere dello Sport",紙によると、ドログバDrogbaとアドリアーノImperadorを交換するかもしれないという。
「立派なチームで、ドログバDrogbaはアイドルだ。 そのチームの一人になるのは大きな満足になる。 しかしいつもインテルの決定を尊重している。 社長のマッシモ・モラッチMassimo Morattiの決定することは自分にとって良いことだ」と明言した。
英国のタブロイド紙によると、象牙海岸Costa do Marfimの選手が英国のシーズン後に出ていくのは確実と言っている。
インテルは関心を示していて、交渉にアドリアーノを入れるほかに、1千万ユーロをチェルシーChelseaに支払うだろう。
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アドリアーノの繊細な神経が、英国に向いているとも思えないが。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その100。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quarta-feira, 9 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その144 Os gêmeos 1。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、
もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、
その地域にマッチしている作品を
描き続けている作家は、
何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
今までにも、何作品化紹介してきたが、これから当分の間、彼らの作品だけを紹介していく。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、
作品のそばに署名を残している。
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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
今後ここに取り上げられた作品も紹介することがある。
雑誌掲載から2年以上が過ぎて、
どのような状態になっているのか、楽しみにしてほしい。
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バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシ、リベルダーヂ、ベラ・ヴィスタのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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サンパウロ市の歴史的中心部の西側を通る通称ミニョコン(=大きなミミズの意味)を車で通過していた。
高架道路で、信号がなく、ちょうど首都高速のような感じである。
いつもは、周辺を見ることもできず、ただ運転していくだけなのだが、渋滞していた。
渋滞はいやなのだが、止まっている間に、周辺を見まわして、普段は見落としている何かを探すことができる。
路側壁の間から見えた。
その角度からでしか見えない。
とりあえず、車内から写真を撮っておいた。
車を降りてまでして、撮ることはできなかった。
このグラフィッチは、今は営業をしていないガソリンスタンドの大屋根の向こうの隣接した建物の壁に描かれていた。
地上からの撮影が可能かどうか、現地に行ってみた。
この場所自体は、拙宅からはさほど遠くない。
歩いて行っても、25分くらいで、時々セントロに行く時などに通るところであるが、よもやあのようなところにグラフィッチがあるとは思ってもみなかった。
地上からみると、そのガソリンスタンドの大屋根が邪魔になって全体を見ることができない。
離れると、より多くの部分を見ることができるのだが、その分小さくなる。
あっちの角に行ってみたり、こっちの角に行ってみたりしてみたのだが、地上からグラフィッチを完全にみることができるところはなかった。
いろいろと撮影ポイントを求めて歩いていると、交差点から20メートルほど離れたところにある小さなホテルからお姉さんが出てきて、腰を振って誘ってきた。
ご商売の合間だったようだ。
この付近はヴィラ・ブアルクェ地区と言って、そのセントロよりの東半分は、その昔ボサノバがサンパウロに移ってきた1960年代中後期にはその中心となった地域である。
1980年代には、このすぐ近くのベント・フレイタス街は、C級ボアッチが10数軒立ち並び、夜毎道路は大混雑していた。 とても面白いところだった。
それらのボアッチは、どういうわけかこの10年くらいで激減している。
でも、いまでもこの付近にはネストール・ペスターナ街のA級ボアッチのお姉さん方が多くすんでいるのも事実である。
結局、地上からの完全撮影は断念した。
この高架道路ミニョコンは、夜21時30分から朝6時までは沿線住民のために閉鎖される。
でも、夜では撮影もできない。
だが、夜間だけではなく、日曜日は歩行者天国になるのである。
その時を狙って、このミニョコンを歩き、撮影をすることにした。
高架道路なので、歩いてはいることができるのは、車の進入路と出口だけなのだが、このミニョコンが通っているところは、あまりよいところではない。
まして、写真など悠長に撮影するようなことろではなかったのだが、ほかに撮影ポイントがなければ仕方がない。
ミニョコンとマジョール・セリトリオ通りとの交差点にまだある。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その193 拙宅に来る鳥163。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その123 スカイダイビング。
ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
------------------------------
2007年11月頃から、
サブリナ・サトウ単独のチャレンジが減って、
いつも番組ではビキニ姿でゆらゆらしているだけのレギュラーの女性も加わってのチャレンジ企画が増えた。
今や伝説となった「牛」ファッションショーの評判が良かったのか、視聴率が良かったのかしらないが、
その二番煎じとしか言いようのない「犬」ファッションショーを行い、見事に外した後は「ネズミ」である。
「ネズミ」もいい加減馬鹿らしかったのだが、これで味をしめた企画が「罰ゲーム」である。
チームに分かれて競技をした後に、負けたチームが必ず「罰」をうけるようになった。
左から2番目に一人小さな男性がいるが、このところ出演している日系人である。
グル・グルGLU GLUという呼び名で、「おもちゃ」なっている。
ブラジルでの日系人のポジションを如実に表している悲しい存在である。
今回は、やはり2チームに分かれて、
スカイダイビングをやり、
その落下中に、地上に書かれた計算式の答えを出し、
正解が多いチームが勝ちという企画である。
落下速度は、220キロにもなるので、冷静に計算をするどころではない。
ブラジルなので、展開に関係なく「お尻」のショットは適時出てくる。
サブリナ・サトウが乗り込むところで、ひと騒ぎあるが、軽く流す。
そのリャマと、口付けをするというものだが、リャマにとっては大災難だ。
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動画的には、間延びしていて、面白いシーンはなかったので、今回はアップしない。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その99。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
terça-feira, 8 de abril de 2008
ブラジルのミス・サンパウロ2008決定。
4月5日(土)の夜、サンパウロ市の北部のメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで、ミス・サンパウロ(州)の選考会が開催された。
この模様は、Band局で放送された。
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのシモン・ボリバール公会堂のステージが、いつもよりずっときれいに舞台作りがなされていて、見違えた。
最終選考前に残った12人を見る限り,
白人系ばかりだが、金髪は少ない。
2007年のミス・サンパウロ(州)のサブリナ・ローデン嬢が、最後の仕事に現れた。
「20080405Band-MissSaoPaulo-Miss2007.wmv」をダウンロード
そして、ミス・サンパウロ(州)に選ばれたのは、ミス・カイエイラスだったこのジャナイナ・バルセロス嬢。
「20080405Band-MissSaoPaulo.wmv」をダウンロード
このミス・サンパウロ(州)など、各州のミスからミス・ブラジル2008年が選ばれる。
ミス・ブラジルは、ミス・ユニバースのブラジル代表となる。
ミス・ブラジルの選考会は、4月13日(日)の夜に行われる。
これも、Band局で放送される。
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昨年2007年のミス・ブラジルのナタリア・グィマランエス嬢は、
あのミス日本に敗れて、準ミスに終わった。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その192 拙宅に来る鳥162。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その143。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
-----------------------------
拙宅の近くに、かなり荒廃した家があった。
だが、昨年から、その家の改修工事が始まり、壁は白く塗られた。
そして、敷地には入れないようになった。
新しく建てられた塀も黒く塗られて、
人の出入りも多くなった。
ここにグラフィッチがあったことなど知りもしない人たちばかりだ。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その98。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
segunda-feira, 7 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その191 拙宅に来る鳥161。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その142。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
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顔が斜めに延び、トサカがあるような人物画を、さらに見つけた。
サンパウロ市の歴史的中心部セントロの南側ベラ・ヴィスタ地区のマエストロ・カルヂン通りと、モンセニョール・パサイアクァ通りの角にある町工場の外壁に描かれていた。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その97。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
domingo, 6 de abril de 2008
サッカー・サンパウロ州選手権2008 その30 第19節終了。
サッカー・サンパウロ州選手権の第19節の全試合が、4月6日(日)16時から行われた。
結果は次の通り。
4月6日(日) 第19節
試合開始 試合結果 競技場
16h Santos 2 x 2 Ponte Preta Vila Belmiro
16h São Paulo 3 x 1 Juventus Morumbi
16h Barueri 0 x 3 Palmeiras Arena Barueri
16h Noroeste 3 x 2 Corinthians Alfredo de Castilho
16h Guarani 2 x 0 Rio Preto Brinco de Ouro
16h Sertãozinho 0 x 1 Portuguesa Frederico Dalmazo
16h São Caetano 0 x 2 Mirassol Marcelo Stéfani
16h Marília 3 x 1 Rio Claro Bento de Abreu
16h Paulista 2 x 1 Bragantino Jaime Cintra
16h Ituano 1 x 2 Guaratinguetá Novelli Jr.
「20080406GN22-PA19.wmv」をダウンロード
「20080406sporTVnews-PA19.wmv」をダウンロード
※サントスは控えを多く入れたチーム編成。
ロドリゴ・タバタが先発での出場機会を得た。
※ジュヴェントスハ、サンパウロFCに破れ降格決定。
(サンパウロFCの先発と控え)
(ジュヴェントスの先発と控え)
※首位のパルメイラスは、大勝利。
※コリンチャンスは決勝トーナメントに進めず。
(ノロエスチの先発)
(コリンチャンスの先発)
第19節終了時の、上位4クラブが決勝トーナメントに進む。
また、決勝リーグに進出しないクラブの中で、4大クラブでないクラブの上位4クラブが内陸部杯を争う。
次節の予定は次の通り。
4月13日(日) 第20節
試合開始 試合結果 競技場
(決勝トーナメント)
- Ponte Preta x Guaratinguetá -
- São Paulo x Palmeiras -
(内陸部杯)
- Ituano x Barueri -
- Noroeste x Mirassol -
4月20 日(日) 第21節
試合開始 試合結果 競技場
(決勝トーナメント)
- Guaratinguetá x Ponte Preta -
- Palmeiras x São Paulo -
(内陸部杯)
- Barueri x Ituano -
- Mirassol x Noroeste -
ブラジル・サンパウロの小鳥 その190 拙宅に来る鳥160。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
-----------------------------
拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その141。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
-----------------------------
顔が斜めに延び、トサカがあるような人物画を、また発見した。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その96。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sábado, 5 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その189 拙宅に来る鳥159。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その140。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
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顔が斜めに延び、トサカがあるような人物画はなく、かわいい恐竜の絵だけが存在しているものを紹介する。
サンパウロ市の南北を貫く大幹線のヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通りの側壁に描かれている。
実は、このあたりの側壁には、昨年末までは多くの壁絵や落書きがあった。
それをサンパウロ市当局が消した。
すぐに、落書きがなされたのだが、わずか1-2週間で消されて、その後しばらく何もなかった。
だが、恐竜の作家が3月下旬に描いた。
そういう経緯なので、またサンパウロ市当局が消すかもしれない。
写真を見て気づいたのだが、恐竜のグラフィッチの右側にいる人は、いつも写真に写っている。
実際に見たところでは、そこで商売をしている人ではなかった。
雨に当たらないというところでもない。
なぜあそこにいるのだろうか。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その95。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
sexta-feira, 4 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロの小鳥 その188 拙宅に来る鳥158。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
サッカー:ロマリオの日々 その106 エウリコ・ミランダ社長は支払ったと言った。
ロマリオRomárioとヴァスコ・ダ・ガマとの契約は、3月31日(月)に終了した。
それで、ヴァスコ・ダ・ガマの社長のエウリコ・ミランダEurico Mirandaは、アラン・カルデッキAlan Kardecのチームへの起用をめぐって起きた社長とのいさかいをした2月6日からロマリオBaixinhoがクラブには現れなかったにもかかわらず、最後までロマリオの給与を支払うという約束を全うしたことは誇りであると言った。
先週のインタビューで、ロマリオBaixinhoはトレーニングをしていないし、それでヴァスコ・ダ・ガマからも受け取っていないと言った。
「仕事に入っていなかった。 でも彼らもまた自分に支払っていない。 友情は続いている。 すでに、ヴァスコ・ダ・ガマには出ていくと言ってある。しかし契約は最後まで終わらせる」と言った。
しかし、エウりコ・ミランダ社長はロマリオとの約束は誇りだと言った。
「わずかな給与だ。 しかし、契約の最後まで、すべて支払った。 ロマリオRomárioだけではない、すべての選手たちに決まった日に支払った」と、エウリコ・ミランダ社長は言った。
そして、まだロマリオBaixinhoがヴァスコ・ダ・ガマのユニフォームを着て引退試合をすると信じている。
ヴァスコ・ダ・ガマでのロマリオRomárioの最後の公式戦は、2007年11月4日に行われたブラジル選手権Campeonato Brasileiroの対インテルナシオナウInternacional戦である。
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ヴァスコ・ダ・ガマとの契約は終了したとのだが、
フラメンゴと契約するという話もこのところ出てこない。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その94。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
中心部からは1時間半は必要である。
サントスの隣になるサン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸は、リオ・デ・ジャネイロの海岸がほとんどだ。
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quinta-feira, 3 de abril de 2008
サッカー・ブラジル杯2008 その7 コリンチャンス、第2フェーズ勝ち抜け。
サッカー・ブラジル杯の第2フェーズが、
4月2日(水)及び3日(木)に行われた。
結果は次の通り。
※※太字のクラブはサンパウロ州のクラブ。
※※下線のクラブは第2フェーズの勝ち抜けが決定したクラブ。
4月2日(水)
試合開始 試合結果 開催都市
15h30 Madureira 0 x 3 Juventude Mesquita
19h30 River 2 x 1 Botafogo Bacabal
20h30 Icasa 1 x 6 Criciúma Juazeiro do Norte
20h30 Paranavaí 0 x 1 Corinthians-AL Paranavaí
20h30 Portuguesa 2 x 0 Volta Redonda São Paulo
20h30 Náutico 3 x 0 Juventus Recife
20h30 Vitória 2 x 1 Paraná Salvador
21h50 Fast Clube 1 x 3 Goiás Manaus
21h50 Atlético-GO 2 x 1 Grêmio Goiânia
21h50 São Caetano 1 x 0 Coritiba Santo André
21h50 Central 1 x 5 Palmeiras Caruaru
21h50 Brasiliense 1 x 2 Sport Taguatinga
「20080402sporTVnews-CB1.wmv」をダウンロード
※前節は2対0でナウチコを破ったジュヴェントスであったが、
今節は3対0で敗れ、敗退決定。
※パルメイラスは圧勝し、勝ち抜け決定。
4月3日(木)
試合開始 試合結果 開催都市
19h30 Vasco 2 x 1 Bragantino Rio de Janeiro
21h30 Corinthians-SP 2 x 0 Fortaleza São Paulo
「20080403JG-CB.wmv」をダウンロード
※ヴァスコ・ダ・ガマは、新監督アントニオ・ロペスが初戦で勝利。
※コリンチャンスは、勝ち抜け決定。
第3フェーズでの相手はゴイアスに決定。
(コリンチャンスの先発と控え)
(フォルタレーザの先発と控え)
次節の試合は次の通り。
次節で、第2フェーズは終了する。
4月9日(水)
試合開始 試合予定 開催都市
15h15 Corinthians-AL x Paranavaí Maceió
20h30 Grêmio x Atlético-GO Porto Alegre
20h30 Coritiba x São Caetano Curitiba
20h30 Botafogo x River Rio de Janeiro
20h30 Atlético-MG x Nacional Belo Horizonte
20h30 Sport x Brasiliense Recife
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その8 Miúcha2。
1月25日は、サンパウロ市の創基記念日で、サンパウロ市は祝日になっている。
この日に、メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナで、ミウーシャMiúchaのコンサートがあった。
ミウーシャといえば、ジコ・ブアルキの妹で、そしてジョアン・ヂウベルトの妻でもあった人で、ボサノバ後期から1970年代によく活動をしていた歌手である。
前回紹介して、時間がたってしまったが、続きである。
いつものように、この無料のショーでもパンフレットが配布された。
この日に予定されていたプログラムである。
実際には変更があった。
このショーは、ミウーシャとOrquestra Sinfonica Jazzというオーケストラのジョイントのショーであった。
「sps20080125micha3.amr」をダウンロード
「sps20080125micha4.amr」をダウンロード
「sps20080125micha5.amr」をダウンロード
「sps20080125micha6.amr」をダウンロード
「sps20080125micha7.amr」をダウンロード
「sps20080125micha8.amr」をダウンロード
「sps20080125micha9.amr」をダウンロード
「sps20080125micha10.amr」をダウンロード
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その139。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
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顔が斜めに延び、トサカがあるような人物画はなく、かわいい恐竜の絵だけが存在しているものを紹介する。
サンパウロ市の歴史的中心部セントロから、北にのびるクルゼイロ・ド・スル大通りがチエテ川を渡る前、公共交通博物館とショッピング・センターDの間に、公共交通退職者協会のクラブがある。
ここは、パリという地区で、中心部の中ではブラスと並んで治安は良くない。
もっとも、日中に、この付近の、クルゼイロ・ド・スル大通りのこのクラブ側の歩道を歩く人は少なくないので、危険は少ないだろう。 (反対側の歩道は避けられたい。)
ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その122 「3分36秒」に見えた
ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
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2007年11月頃から、
サブリナ・サトウ単独のチャレンジが減って、
いつも番組ではビキニ姿でゆらゆらしているだけのレギュラーの女性も加わってのチャレンジ企画が増えた。
今や伝説となった「牛」ファッションショーの評判が良かったのか、視聴率が良かったのかしらないが、
その二番煎じとしか言いようのない「犬」ファッションショーを行い、見事に外した後は「ネズミ」である。
「ネズミ」もいい加減馬鹿らしかったのだが、これで味をしめた企画が「罰ゲーム」である。
チームに分かれて競技をした後に、負けたチームが「罰」をうけるようになった。
ビキニでなかったところが、今回のことが起きた原因だ。
クロスの位置は胸の下であることに注目。
ゲームの説明をするのに、女性たちのお尻の画面。
まさしくブラジルの演出である。
それにしてもどなたも立派なお尻。
サブリナ・サトウの水着は、胸がなければ、クロスは形作られないタイプ。
ゲームはたわいがない。
プール・サイドにある回転台に立って、20回回される。
橋から落ちたら、プールから上がらなくてはならない。
ブラジルなのでお尻は逃さない。
最後は、橋を渡ったところにある粉の中に身を投げてゴール。
これを、3人一組の合計タイムで競う。
そして、サブリナ・サトウの順番だ。
しんがり。
チームの最初の女性サマンバイアが落ちたので、もう2分22秒にもなっている。
だが、立って行けと言われて、立ち上がったらすぐに落ちた。
なぜか「タツノオトシゴ」が胸のあたりに現れた。
やっとのことで、水から上がった。
もうほとんど全裸のようなシーン。
日本じゃ、まともなアイドルがやるわけもない。
インリンもやってないだろう。
こういうのを横チチなんていうのだろうが、たいしたことはない。
プールサイドを回ってきた。
水着のクロスの位置が、いつの間にか胸の上に来ている。
そして、粉に飛び込む。
このお尻も、日本では事務所が許さないだろう。
3分51秒。
結果は「お約束通り」だと思うが、
サブリナ・サトウ・チームの負け。
実は、ブラジル人は生卵を食べるような習慣はない。
だから、こんな表情になる。
一つには、昔から卵は新鮮ではないからサルモネラ菌に汚染されている可能性があり、必ず加熱するという常識がある。
これは、日本でもそうだったはずである。
今でも、ブラジルでは都会では「朝どり卵」などない。
スーパーで売っている卵をみると、採卵から1週間以上たっているものばかりだ。
日本人は、すき焼きなどで生卵を食することに抵抗がない。
ブラジル人に限らず、すき焼きの生卵を見て、ショックを受ける外国人がほとんどである。
すし・刺身を克服した外国人でもそうだから、すき焼きよりもしゃぶしゃぶやてんぷらでの接待のほうが無難である。
これは、日系人でも同様で、どうしてもすき焼きの生卵がだめで、生卵なしで食べる。
おいしいのかどうか。
吐き出してしまう。
こういうところがブラジルのテレビ・映画の演出がくどいところで露悪に思う。
食品を粗末にしているというクレームも無いようだ。
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ところで、
ブラジルでは、番組ごとに、番組の始まる前に「この番組は○○歳以上は不適」という表示が出る。
この1年くらいのことである。
このpanico na TVの場合は、あの騒ぎで、開始時間をかつての18時から20時にして、今は14歳以上ということになっている。
さらに、ブラジルのテレビでは、
女性の胸のあたりは、地上波の番組では、出してはいけない。
深夜の映画などでは、問題ない。
ケーブルなどは、こういった「年齢」の表示もないし、基準は異なる。
ところが、
今回のサブリナ・サトウのチームの3分36秒にこんなシーンがあった。
※クリックすると拡大する。
プールサイドなので「タツノオトシゴ」がいるわけでもなく、
修正もされていない。
※クリックすると拡大する。
そして、この番組でも一切このことに触れなかった。
触れてしまっては、放送コードに違反したことを認めることになるからだろうか。
※クリックすると拡大する。
「牛」ファッションショーでの、あのシーンはコーナーのあとにも出てきたし、その後も何度か取り上げられた。
編集ミスではないのはあきらかだ。
おきたことはハプニングにしても、確信犯である。
でも、サブリナ・サトウの事務所はどうなんだと思うが、OKなのだろう。
「20080302paniconaTV-SabrinaSato1.wmv」をダウンロード
すでに、雑誌などほかの媒体では済んでいることなので、よいのだろうか。
これが、もとでまたまた「番組から外されたことになる」ようにならなければと危惧する。
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こういう番組一つを見ても、
そこにブラジルについて説明することがいくらでもある。
だから、いつもこの番組をチェックし続けている。
そして、これを題材にブラジルのある一面を紹介しているつもりである。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その187 拙宅に来る鳥157。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その93。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、最短でも1時間半は必要である。
サン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸はけっしてありのままではない。
しばらく、ありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
quarta-feira, 2 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その138。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
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とてもシンプル極まりない線画。
パカエンブーのバイア通り。
ブラジル・サンパウロのコンサート2008 その7 Zizi Possi。
ブラジル・サンパウロのとある小さな会場で、ジジ・ポッシZIZI POSSIという女性歌手のデビュー30周年のライブショーが開催されている。
毎週火曜日にショーが開催されているのだが、
ジジ・ポッシZIZI POSSI以外に、毎週週替わりでゲストがやってくる。
このゲストが凄すぎるのだ。
4月22日 - Ivan Lins
4月29日 - Toninho Ferragutti
5月13日 - Menescal
5月20日 - João Bosco
5月27日 - Ana Carolina
この会場では、カバー・チャージは通常20レアル(=1200円)程度である。
時々、もう少し有名どころのショーのときは50レアル(=3000円)である。
これに、食事や飲み物代が加わるのだが、飲み物だけなら、それほど高くはない。
食事だって、雰囲気を考慮に入れるととてもリーズナブルなところだ。
ところが、
さすがに、これだけのゲストなので、
カバー・チャージが100レアルから200レアルもするのだ。
200レアル(=約12千円)ともなると、これはもう「日頃のモットー」である安く過ごすという限度をはるかに超えている。
百数十人しか入らない会場なので、こういう価格も当然だとは思うのだが。
なかでも、Ana Carolinaが、すぐそばで見ることができるとすれば、これは見逃せないと思うのである。
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200レアルで、おたおたしているのも情けないが、
普段のコンサートがあまりに安いので、
それに慣れてしまった。
サンパウロでも、
海外からのビックタレントが来ると、
大会場でも700レアルとかするので、
やはり小さな会場での200レアルは妥当なところには違いない。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その186 拙宅に来る鳥156。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その92。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、最短でも1時間半は必要である。
サン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸はけっしてありのままではない。
しばらく、ありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
terça-feira, 1 de abril de 2008
ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その137。
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロ市が、きれい好きな市長のせいで、
市の管轄にある施設や道路にあるグラフィッチを消しているのである。
消える前に、消される前に少しでも早く写真にとっておこうという焦りもある。
サンパウロ市の全域に、こういったグラフィッチはあるのだが、程度の良いものは歴史的中心部のセントロを中心としたところに多い。
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リベルダイーヂのカルロス・ゴメス広場の駐車場の塀に描かれていたグラフィッチ。
グラフィッチのまん前には電柱があって、真正面からは撮影ができなかった。
場所を考えて、描いてほしいものだった。
ブラジル・サッカー:2008始動 その66 アドリアーノの残留の可能性はない。
FWアドリアーノAdrianoは、7月12日までしかサンパウロFCとの契約がない。
この期間の後、アドリアーノはインテル・ミランInter de Milão (ITA)に戻ることになる。
サンパウロFCでは、アドリアーノImperadorが残留しないことはみんな承知している。
しかし、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroを戦うことになる技術委員会の望みでもある。
サンパウロFCの公式インタビューで、社長のジュヴェナル・ジュヴェンシオJuvenal Juvêncioは残留のチャンスはないと言った。
「全くない。 アドリアーノは6カ月プレイすることで合意した、 これを尊重する。 アドリアーノAdrianoがリベルタドーレス杯Taça Libertadoresで我々を助けてくれるのは確かだ」と、ジュヴェナル・ジュヴェンシオはコメントした。
社長はすでに攻撃を強化するために何人かと交渉をしている。 アロイージオAloísioがけがをした。 アドリアーノAdrianoはすぐにいなくなる。 同じことが、ファビオ・サントスFábio Santosとカルロス・アルベルトCarlos Albertoにもおきる。
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アドリアーノはまだあと3か月も、サンパウロFCでプレイできる。
復活したと言い切れるのか。
ブラジル・サンパウロの小鳥 その185 拙宅に来る鳥155。
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。
大木も多い。
花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる。
ただ、一回だけ目にしただけのものもいる。
そういった時には、カメラが間に合わない。
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拙宅の庭に、グァヴァの木がある。
2月になって、実がたわわになってきた。
その実を狙って、小鳥たちがやってくる。
ブラジル・サッカー:2008始動 その65 ヴァスコ・ダ・ガマの新監督にアントニオ・ロペス。
アントニオ・ロペスAntônio Lopesが、ヴァスコ・ダ・ガマの新監督。
アントニオ・ロペスは、リオ杯Taça Rioの最終節のひとつ前の対ヴォルタ・レドンダVolta Redonda戦で2対1で敗れた1日あとの月曜日に解任されたアルフレッド・サンパイオAlfredo Sampaio監督の後任となることに合意した。
アントニオ・ロペス監督は、サン・ジャヌアリオに、月曜日に現れる。
66歳のアントニオ・ロペス監督はヴァスコ・ダ・ガマの指揮を執るのは、これで6回目になる。
アントニオ・ロペス監督は、ヴァスコ・ダ・ガマをリオ・デ・ジャネイロ州選手権campeão carioca (1982, 1998, 2003)3回、ブラジル選手権campeão brasileiro (1997)、リベルタドーレス杯Libertadores (1998)そしてリオ-サンパウロ杯Rio-São Paulo (1999)で1回優勝させている。
最後に優勝したのは、2003年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権であった。
アントニオ・ロペス監督は、アツレチコ・パラナエンセAtlético-PRの指揮を去った昨年8月からサッカーから離れていた。
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ブラジル選手権で最も多くの試合を指揮している記録を持っているアントニオ・ロペス監督。
何カ月もつことやら。
ブラジル・サンパウロの「春の海」 その91。
このブログでは、ブラジルのサンパウロ市を中心にした話題を取りあげることを基本としている。
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、最短でも1時間半は必要である。
サン・ヴィセンチもしくはプライア・グランヂの海が時間的に一番早く到達できる。
その一番近い海岸を紹介している。
高級なところでもないし、庶民のところでもない。
雑誌やテレビに出て来るようなブラジルの海岸はけっしてありのままではない。
しばらく、ありのままの海岸を紹介していく。
※尚、人権に配慮して、一層写真の質を落とすことがあることにご理解をお願いしたい。
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