ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その4 皇太子、パラナへ。
皇太子殿下は、
6月21日(土)の夜に行われたサンパウロ州知事ジョセ・セッハの主催した夕食会にご出席されて、これをもってサンパウロ州での日程を終えられた。
6月22日(日)の朝、次の訪問先であるパラナ州に向かわれた。
日曜日には、ローカルニュースの時間はないので、皇太子殿下については、全国ニュースが取り上げただけである。
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パラナ州の警察の集計では、日曜日の午後、日本の皇太子herdeiro do trono japonês徳仁Naruhitoは、北パラナParanáのローランヂアRolândiaで7万5千人に迎えられた。
この町で、皇太子はユメ・テーマ・マークparque temático Yumêの礎石式lançamento da pedra fundamentalに参加されて、日本文化の象徴の木である桜cerejeiraを植えられた。
朝は、州都クリチーバCuritibaから381キロのロンドリーナLondrinaで、皇太子はニッポン人移民をたたえるトミ・ナカガワTomi Nakagawa広場の開所式に出席された。
※※「中川トミ」さんは、笠戸丸乗船者で最後まで生存されていたかたである。
約5千人が集まった式典で、皇太子徳仁はサンパウロSão Pauloでも行われたようにまたも「しきたり(儀礼)」を破られて、大衆と挨拶を交わされた。
※※「皇太子のしきたり」については、ご訪問の前に、西洋的な習慣とは異なることが、かなり詳しく報じされていた。 ブラジルでは普通のことを、「皇太子はされないし、また受け入れ側もしてはならない」と、いくつかの例をあげて、到着前に記事になっていた。
ところが、この「しきたり」を、皇太子が「破られて」おり、そのことについても、何度か報道があった。
別の機会に、これを取り上げてみたい。
移民者のハルオ・タケトミHaruo Toketomi89歳は、皇太子príncipeの手を握った一人である。
彼にとって、日本の将来の天皇imperadorとの挨拶は「予想もしなかったことで、感激」"uma coisa inesperada e emocionante"であった。
皇太子がパラナParanáを訪問したことの公式式典solenidade oficialが行われたローランヂアRolândiaでは、ロベルト・レキオンRoberto Requião知事と連邦副大統領のジョゼ・アレンカールJosé Alencarが最近の欧州連合União Européiaの反移民規則を批判するのに挨拶を使った。
ジョゼ・アレンカールは、ブラジルBrasilと日本Japãoの良好な関係は欧州のと「手本」"exemplo"となるに違いないと言った。
副大統領は、ローランヂアRolândiaでのあるへまの責任者であった。
ジョゼ・アレンカールJosé Alencarは、まだロンドリーナLondrinaにいるかのように、朝に開所した広場とこの町の開拓者である中川一家família Nakagawaの歴史についてのあいさつをした。
夜の初めに、皇太子はクリチーバCuritibaから420キロのマリンガMaringá市に行った。
そこで、1982年に最初にパラナParaná州を訪れた時に植えた桜の木を見た。
※22日(日)夜のニュース専門チャンネルの全国ニュース。
「20080622GN22-ImigracaoJaponesa-Parana.wmv」をダウンロード
皇太子の公式訪問の日程は、23日(月)も続き、ベロ・オリゾンチBelo Horizonteを訪問され、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで終了する。
皇太子は、水曜日に日本Japãoに向かって出発する。
※記事の中には、敬称や敬語表現はないので、極力その文章を生かして翻訳した。
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パラナ州の北部も、日系人が多いところである。
一日で、3か所を、陸路移動するというのも、きつい話である。
さらに、パラナ、ベロ・オリゾンチそして、リオ・デ・ジャネイロと、毎日空路での移動もある。
相当な使命感がなければ、これだけの日程はとてもやっていけいない。
日本に戻られてからは、
2週間程度は、ご静養をと思うのだが、もどられたらまた「公務」が待っているのだろう。
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