quarta-feira, 31 de dezembro de 2008
ギリシアGréciaのパナチバイコスPanathinaikosにいたソウザSouzaがコリンチャンスCorinthiansと契約し、コリンチャンスTimãoにとって2009年のシーズンのための6人目の新加入選手となった。
ソウザの前に、コリンチャンスはすでにAWロナウドRonaldo、MFジョウジ・エンリクJorge Henrique、ボランチのツーリオTúlio、DFのジェアンJeanとエスクデロEscuderoとの契約を発表している。
「あらゆる憶測を終わらせる。 ソウザSouzaはコリンチャンスCorinthiansの選手になる」と、アンドレス・サンシェスAndrés Sanches社長は語った。
ソウザに、コリンチャンスは、15回分割で、3百万ドル(=7百万レアル)を支払う。
コリンチャンスのすべての役員がソウザへの関心を否定していたにもかかわらず、交渉は45日前から始まってうまく進んでいた。
ソウザSouzaは,ギリシアGréciaではほとんど使われておらず、ブラジルBrasilに戻りたがっていた。
コリンチャンスは,ソウザをサントスに置きたがっていたスーパーのチェーンに関係するグループからの接触に直面していた。
しかし、コリンチャンスTimãoは交渉を決めるためにより高く支払うことにした。
「不幸にして、その投資家により、高くなった。 彼らがオファーしていたとの同じだけ支払った。 もっと少なくしたかった」と、アンドレス・サンシェス社長は締めた。
ロナウドRonaldoがデビューするのが3月から4月になるので、ソウザは新年すぐにでもコリンチャンスの攻撃の正選手となる。
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1982年3月4日、リオ・デ・ジャネイロ生まれの26歳。
身長1.88メートルで、体重87キロの大型選手である。
2006年にゴイアスに所属して、ブラジル選手権で17ゴールを決めて得点王になっていた。
2007年から2008年には、フラメンゴに移ったが、良かったり悪かったり。
ブラジル選手権の最後になって,ギリシアに移ったが、ほとんど何もしなかったようだ。
どうなることか。
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2万人以上の囚人がサンパウロ州の刑務所presídioから、ナタウNatal(=クリスマス)と新年Ano-Novoを祝うために,一時解放された。
刑務所管理局SAP (Secretaria de Administração Penitenciária)が12月30日(火)に発表した情報によると、
2008年に、裁判所は、サンパウロ州Estado de São Pauloの刑務所にいる20,090人の囚人がナタウNatalと新年Ano Novoのフェスタを祝うために一時出所することを認めた。
2007年には、17,968人が一時出所の恩恵を得た。
このうち、6.36%の1,143人が刑務所に戻らなかった。
2006年には、14,323人が同様のことで一時出所した。
このうち6.81%に当たる974人がまた戻らなかった。
一時出所saída temporáriaの恩恵は、半開放囚semi-abertoもしくは模範囚にだけ裁判所が実施する。
刑務所管理局によると、恩恵を受けた囚人は,最大7日間まで刑務所を出る。
期間が終了した後に刑務所に戻らない者は逃亡囚と見なされる。
再収監された後には、半開放などの権利を失う。
刑事執行法Lei de Execuções Penaisの定めるところによると、一時出所は、感謝祭Páscoa、父の日Dia dos Pais、母の日Dia das Mães、こどもの日Dia das Criançasもしくは死者Finadosの日、そしてナタウNatalと新年Ano-Novoのフェスタfestasの時に実施される。
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逃亡囚が約6%毎回出るにしても、
実施されるこの一時出所。
日本の刑務所システムからはとても考えられないことだ。
どちらが,人権に配慮しているのか。
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レアンドロ・アマラウLeandro Amaralは正式にフルミネンセFluminenseの選手である。
レアンドロ・アマラウは、12月30日(火)に,フルミネンセとの2年契約の最後の詳細について合意した。
レアンドロ・アマラウは、1月5日にラランジェイラスLaranjeirasで、健康診断をした後に、2009年のシーズンのほかの新戦力とともに紹介される。

「我々は話し合いをし、最後の詳細について合意した。 今は彼がフルミネンセFluminenseの選手と言うことができる」と、Unimedの社長のセルソ・バッホスCelso Barrosは語った。
※Unimedは、ブラジル最大手の個人医療保険会社で、フルミネンセのスポンサー。
フルミネンセFluminenseとの労働契約は,紹介までに署名されるように法務部で準備中である。
ワシントンWashingtonがサンパウロFCに出て行った後のフルミネンセを活性化するためにレアンドロ・アマラウは復帰する。
レアンドロ・アマラウCampeonato Brasileiroは、労働裁判所Justiça do Trabalhoによりブラジル選手権はヴァスコ・ダ・ガマでプレイするように義務づけられた後に、フルミネンセに復帰することを社長と合意していた。
レアンドロ・アマラウLeandro Amaralは、今年の初めに、まだヴァスコ・ダ・ガマとの契約があるにもかかわらず,フルミネンセとの契約に署名をしていた。
この件は、裁判に持ち込まれ、ヴァスコ・ダ・ガマが勝った。
レアンドロ・アマラウは、今シーズンヴァスコ・ダ・ガマで33試合に出場して,14ゴールを残した。
ヴァスコ・ダ・ガマは、契約の更新をするとしていて、
ロベルト・ヂナミッチRoberto Dinamite社長は新ユニフォームの紹介をしたときに、
レアンドロ・アマラウとの合意の可能性は90%だとまで宣言していた。
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結局1年がかりで、
レアンドロ・アマラウは、フルミネンセに移ることになった。
セリエBに降格したヴァスコ・ダ・ガマは、
まったく新戦力の獲得に成功していない。
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FWナヂソンNadsonはヴィトリアVitóriaに戻った。
ヴァスコ・ダ・ガマとバイーアBahiaからも関心を持たれていたナヂソンは見いだされたクラブであるヴィトリアと来期の松までの契約に合意した。
紹介は,12月30日(火)16時に行われる。
「ヴァスコ・ダ・ガマからのオファーは金銭的には勝っていた。 しかし,自分は一連の事実を分析し、今の時点でもっとも良いことは、自分の家族のそばにいて、2009年を良いシーズンにしてヴィトリアに貢献することと思う」と,広報を通じてナヂソンは語った。
ナヂソンは26歳で、2002年にヴィトリアでプロになった。
翌年、ナヂソンは韓国Coréia do SulのSamsung Blue Wingsに移籍し,そこで昨年までプレイした。
2006年の後半に、コリンチャンスCorinthiansに一時レンタルされた。
今期は、日本Japãoのヴェガルタ仙台Vegalta Sendaiでプレイした。
ナヂソンについてのデータ:
名前Nome completo: ナヂソン・ロドリグェス・ヂ・ソウザNadson Rodrigues de Souza
ポジションPosição: FWatacante
生年月日および出生地Nascimento: 30/01/1982, バイア州セヒーニャSerrinha (BA)
身長Altura: 1,75m
体重Peso: 72 kg
所属クラブClubes:
ヴィトリアVitória (2002/2003)
サムスン・ブルー・ウィングスSamsung Blue Wings - 韓国Coréia do Sul (2003/2006 e 2007/2008)
コリンチャンスCorinthians (2006)
ヴェガルタ仙台Vegalta Sendai - 日本Japão (2008)
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かつては神童だったようで、
韓国でも得点王になったこともあるナヂソンだった。
けがで約1年以上療養に努めていて、
回復後コリンチャンスでプレイしたが
期待に背いて、全く活躍しなかった。
キムチは好きだったようだが、
牛タンと笹かまぼこは口に合わなかったのだろう。
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12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様の続きである。
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予定よりも、約1時間も早い12時3分に始まった
ロナウドのコリンチャンスの入団披露。
ロナウドが、グラウンドの中央に設置された円形のステージの上で、
競技場に集まった大観衆に一通り挨拶をしたころになって、
やっと場内は落ち着いた。


花火の打ち上げもいったん終了し、
高く舞い上がっていた紙テープも降りた。


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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
だが、
約80キロ離れた海岸へ行くと、全く天気が異なり、
低い雲に覆われているときがある。
こういうときは、とても海に入ることはできないし、
体が冷えてしまうので浜辺でじっとしていることできない。
海岸沿いに歩いて時間を過ごすのだ。



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ロマリオRomárioは、12月29日(月)に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州のニテロイNiteróiのあるクラブで開催されたイブソンのフェスタでスターだった。
フラメンゴFlamengoのMFイブソンがブラジル内外の選手達とグラウンドでチャリティー試合のために汗を流しているときに、ロマリオBaixinhoはマスコミとファンに囲まれていた。
いつものように、ロマリオは驚かせ、ロナウドRonaldoとエヂムンドEdmundoの幸運を願い、休みに疲れたと言った。
ロマリオはサッカーに戻りたがっていたが、選手としてではないとだけは付け加えた。
「もうほとんど1年間プレイをしていない。 仕事に戻らなくてはならない。 オファーを受け付けている。 自分にとってもクラブにとっても良い交渉であれば、サッカーに戻るのは最高である。 支払わなくてはならないお金がある」
ロマリRomárioオは,また、すでに引退している、それで、選手としては復帰しないと言った。
「自分の時代は終わった。 もう選手はできない」
ロマリオBaixinhoは引退する少し前にヴァスコ・ダ・ガマで監督として働いたことを思い出す。
引退に関連して、ロマリオは、まだプレイに復帰するのかしないのかはっきり決めていないエヂムンドEdmundoについてコメントした。
「自分は42歳までプレイして、とても良かった。 もし彼は今やめるのがよいと思うならば,それは彼の決定だ。 もし続けたいならば、幸運を祈る」
ロマリオRomárioは、またロナウドRonaldoがコリンチャンスCorinthiansに行ったことをほめた。
「ロナウドがブラジルのサッカーに戻ってきてとても幸せだ。 彼はブラジルBrasilの大クラブの一つにいる。 幸運を願っている。 サッカーを愛する者として、ロナウドRonaldoの成功を応援する」
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ロマリオの話題がめっきり減って寂しかったのだが、
また登場してくれた。
サッカー界への復帰を期待している。
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terça-feira, 30 de dezembro de 2008
国立気象研究所Inmet (Instituto Nacional de Meteorologia)の予想によると、サンパウロSão Paulo州全域は新年virada de anoは雨になるだろう。
海岸地方の都市では、雨は31日の夜は降る可能性はあるのだが、止むかもしれない。
悪天候の理由は、寒冷前線がやってきていることである。
国立気象研究所Inmetによると、不安定な大気がサンパウロ州を多い、木曜日と金曜日の午前中に雨が降るリスクが多い。
今日(30日)、サンパウロ市では暑さが勝っていて、最高気温は29℃にまで達した。
高温によって、午後は昨日同様ににわか雨のリスクがある。
しかし、明日からは、寒冷前線がやってくるので、サンパウロ州全域で天気が変わる。
サンパウロ市ではまだ温度は29℃になるが、雨はもっと早く午後の初めには降る。
木曜日(1月1日)には、サンパウロ州の最低気温は15℃で,最高気温は29℃を超えない。
サンパウロ市では、元旦は最低気温は19℃で、最高気温は26℃。
今日明日に比べて3度も最高気温が下がる。
金曜日も雨が続き、気温はさらに少し下がる。
予想では、最低気温は17℃で,最高気温は24℃。
土曜日は、、雨の可能性は少し減るが、天気は引き続く曇りとなっている。
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FWアモローゾAmorosoが、彼を見いだしたクラブのグァラニ-へ16年ぶりに復帰する。
グァラニ-の社長が、12月29日(月)にアモローゾとの契約を確認した。
同日、アモローゾはブリンコ・ヂ・オウロ・ダ・プリンセーザ競技場estádio Brinco de Ouro da Princesaで公式に紹介される。
1992年にグァラニ-のジュニアで見いだされた後、アモローゾAmorosoはブラジルと世界を回った。
日本Japão(Verdy)、イタリアtália(Udinesse, Parma, Milan)、スペインEspanha(Málaga)、ドイツAlemanha(Borussia Dortmund)、ギリシアGrécia(Aris Salônica)でプレイした。
ブラジルのサッカーでは、フラメンゴFlamengo、そして2005年の世界クラブ杯で優勝したサンパウロFC、コリンチャンスCorinthians、グレミオGrêmioでプレイし、ブラジル代表seleção brasileiraにもなった。
34歳のアモローゾAmorosoはグァラニ-Guaraniと、1月21日に始まるサンパウロ州選手権Campeonato Paulistaを戦うだけの契約に署名した。
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2008年は,たぶん何もしていなかったアモローゾ。
2006年前半はミランにいて、後半はコリンチャンスにいた。
コリンチャンスでは全く精彩を欠いていた。
一気に落ちぶれてしまった感のあるアモローゾ。
とうとうグァラニ-と契約をするようなことになってしまった。
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ロナウドRonaldoは、12月26日(金)16時前に、パルケ・サン・ジョルジParque São Jorge(=コリンチャンス本部)に到着した。
ロナウドのコリンチャンスでの最初のトレーニングの日に、エルゴメトリック・バイシクルbicicleta ergométricaを30分以上行った。
ファゼンジーニFazendinhaャ競技場でファンが走ることになった。
ロナウドの登場で、多くのカメラマンと貴社がコリンチャンスの本部に集まった。
2009年のシーズンへのチームのただの集合にしてはあまりに多い、何百人ものコリンチャンスCorinthiansのファンも同所に集まった。
最初、ファンFielはロナウドを近くで見ることを禁止されていた。
クラブへ入るのも自由になっていなかった。
みんな駐車場で、ロナウドFenômenoの動きを見ようとしていた。
クラブへ入る権利を持っている会員たちsóciosでさえも選手達の近くへ近づくことができなかった。
しばらくして、コリンチャンスの社長はファンが、グラウンドを回っている選手達を見るために、競技場の観客席に入ることを許可した。
最後に、ファン達はより近くでロナウドRonaldoを見るためにカメラマンに確保された場所に侵入し、何度もロナウドの名前を叫んだ。
ロナウドは記者会見をしなかった。
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12月26日(金)以降、ロナウドは、サンパウロ市東部のコリンチャンスの本部でのトレーニングを行っている。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
だが、
約80キロ離れた海岸へ行くと、全く天気が異なり、
低い雲に覆われているときがある。
こういうときは、とても海に入ることはできないし、
体が冷えてしまうので浜辺でじっとしていることできない。
海岸沿いに歩いて時間を過ごすのだ。



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segunda-feira, 29 de dezembro de 2008
サンパウロ市のイビラプエラ公園内のビエンナル館で開催されていた「第28回サンパウロ・ビエンナル」は、12月6日(土)に終了した。
全く盛り上がらず、内容が話題になることもなく、観客であふれかえることもなかった。
終盤唯一の話題といえば、
開幕直後に落書きをした集団で唯一逮捕されていた女性が50日間も拘置されていたことで、終了後にやっと釈放された。
釈放されなかったのは、無職で、確実な身元引受人がいなかったこと。
しかし、いくら何でもほかのより重大な犯罪の容疑者でもすぐ釈放されるのに、落書きくらいで50日間以上も拘置されるのはということで、釈放された。
閉幕後の撤収も早かった。
あの滑り台も、
閉幕後10日間でもう跡形もなかった。


2006年の第27回サンパウロ・ビエンナルの撤収には、結構時間がかかっていたのだが。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
だが、
約80キロ離れた海岸へ行くと、全く天気が異なり、
低い雲に覆われているときがある。
こういうときは、とても海に入ることはできないし、
体が冷えてしまうので浜辺でじっとしていることできない。
海岸沿いに歩いて時間を過ごすのだ。



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国立大気研究所Inpe (Instituto Nacional de Pesquisas Espaciais)の天気予想および気象研究センターCptec (Centro de Previsão e Estudos Climáticos)の予報によると、12月29日(月)のサンパウロSão Pauloはより暑くなるに違いない。
しかし、にわか雨の可能性がある。
サンパウロ州の気温は35℃にまで達するところがあるに違いない。
年末、大晦日véspera do Réveillonには寒冷前線がやってきて、1月3日までとどまり、サンパウロ州の北部海岸地域では強い雨をもたらす。
海岸地帯全域では、天気は曇りで、ずっと雨になる。
天気が不安定な地域ではにわか雨が、30分間から1時間、日中の暑さがたまることでだいたい午後遅くに降るだろう。
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サンパウロ市は、
12月26日(金)は、終日雨だった。
27日(土)は、曇りで、雨が降ることはなかったが、気温は低く最高気温は22-23℃程度だった。
28日(日)は、
朝は薄く雲がかかっていたが、
徐々に晴れてきた。
10時過ぎで、市内の温度計は26℃を指していたし、
正午過ぎには30℃にもなっていた。
実際は、最高気温は26℃程度だったはずだ。
14時頃には、やや雲がまた多くなり夕立になるのかと思わせたが、
逆に17-18時頃には、この時期にしては珍しく快晴となった。
この時間から気温はいつものように急に下がり始め、
20時頃には、窓からは冷たい風が入ってきて、
半袖ではもう過ごすことはできなかった。
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12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様の続きである。
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予定よりも、約1時間も早い12時3分に始まった
ロナウドのコリンチャンスの入団披露。
入団で気になることが、背番号が何番になるのかということ。
ロナウドは花道をまっすぐ歩いてきたので、
背中にある番号が見えなかった。
グラウンドの中央にある円形のステージにまで歩いてきて、
そこで初めて、観客席を埋めたファンの方向を向いて、
手を振って挨拶をした。

それぞれの観客席に対して、身体の向きを変えたので、
背番号9を確認することができた。

このときもまだものすごい量のテープが舞っていた。

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domingo, 28 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
だが、
約80キロ離れた海岸へ行くと、全く天気が異なり、
低い雲に覆われているときがある。
こういうときは、とても海に入ることはできないし、
体が冷えてしまうので浜辺でじっとしていることできない。
海岸沿いに歩いて時間を過ごすのだ。




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sábado, 27 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。




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sexta-feira, 26 de dezembro de 2008
マリア・ベアトリス・アントニーMaria Beatriz Anthonyとの娘のマリア・ソフィアMaria Sofiaが誕生して48時間も経たずに、出産が行われた病院をロナウドRonaldoは二人とともに去った。
そして、この金曜日(12月26日)16時にコリンチャンスCorinthiansに現れるためにサンパウロSão Pauloに向かった。
ロナウドFenômenoが現れるかどうかについて疑念があったが、ロナウドは新しい同僚達と一緒にいると明言した。
マリア・ソフィアMaria Sofiaはナタル(=クリスマス)の前の12月24日16時55分に、体重2980グラム、身長49.4センチで生まれた。
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子供の誕生はとても大事なことで、
それに付き添うのももちろん大事なことである。
だが、
今のロナウドは、
コリンチャンスでやっていくことをはっきり示すことも必要である。
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12月26日(金)、ブラジルの南東部にとどまっている寒冷前線frente friaが、サンパウロSão Pauloを曇り空にし、午後に局地的な雨を降らせた。
サンパウロ市の危機管理センターCGE (Centro de Gerenciamento de Emergências)は、サンパウロ市に冠水を引き起こすには、累積した雨の量では不十分だという。
危機管理センターによると、サンパウロSão Paulo市は14時45分過ぎで、気温は23℃を超えなかった。
市内南部のコンゴニアスCongonhas空港の近くに達した雲と軽い雨のために、ターミナルの飛行機は機器によって操作された。
しかし、悪天候が大きな遅れを起こすようなことはなかった。
国立大気研究所Inpe (Instituto Nacional de Pesquisas Espaciais)の天気予報および研究センターCptec (Centro de Previsão e Estudos Climáticos)の予報によると、天気は引き続き不安定である。
サンパウロSão Pauloでは、気温は26℃から19℃の間で変化する。
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サンパウロ市は、
12月24日(水)の午前中こそ、晴れたのだが、
午後からは、曇った。
20時過ぎから、雷鳴がなり、
24時過ぎから、朝まで雨が降っていた。
25日も、終日曇りで、気温も上がらなかった。
26日(金)は、朝は霧雨だった。
その後も、1時間ごとに、小雨が降ったり、驟雨になったり、
時には雨がやんだりが、
終日続いた。
22時には、気温は18℃。
また、冬と変わらない服装になった。
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12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様の続きである。
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予定よりも、約1時間も早い12時3分に始まった
ロナウドのコリンチャンスの入団披露。
登場したロナウドを、グラウンドの真ん中に設けられたステージで待ち受けていた人がいる。
コリンチャンスのファン組織の中で最強最大のガヴィオンエス・ダ・フィエウのジャンパーを着込んでいる。

Rappin Hoodという歌手である。

コリンチャンスにとって、パカエンブー競技場での2008年最後の試合となったブラジル選手権セリエBの第37節の対アヴァイ戦の時にも登場し、国歌などを歌った歌手である。
もちろん、ガヴィオンエス・ダ・フィエウとは強いつながりがある。

続く。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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まだ2009年にエヂムンドEdmundoが引き続きプレイするのかはっきりさせるために交渉し、そして来期もレアンドロ・アマラウLeandro Amaralがチームに残るのかを期待しながら、ヴァスコ・ダ・ガマの社長は攻撃部門の強化に走っている。
12月25日(もく)に、ヴァスコ・ダ・ガマは、2008年にヴェガルタ仙台Vegalta SendaiにいたナヂソンNádsonとの契約に関心があることを明らかにした。
ナヂソンの代理人のアントーニオ・グスターヴォ・アモリンAntônio Gustavo Amorimによると、すでにナヂソンはヴァスコ・ダ・ガマからオファーを受け取っている。
「ヴァスコ・ダ・ガマはブラジル選手権Campeonato BrasileiroのセリエAへ復帰するために強いチームを組みたがっている。 ナヂソンNádsonの名前は、攻撃部門の第1番のオプションの一人である。 ヴァスコ・ダ・ガマのオファーはとても関心がある。 ナヂソンがヴァスコ・ダ・ガマに行く可能性がある」と、アントーニオ・グスターヴォ・アモリンは語った。
ヴァスコ・ダ・ガマ以外にも、ほかに2つのクラブ(Bahia、Vitória)がナヂソンについての情報を求めている。
ナヂソンが育ったヴィトリアは、すでにナヂソンを復帰させる動きをしている。
「ヴィトリアVitóriaでナヂソンNadsonを見いだしたパウロ・カルネイロPaulo Carneiroは、今はバイーアBahiaのサッカー部門の管理を担当していて、自分にこの何日か何度も電話をしてきている。 すべての可能性を分析して、ナヂソンのこれからの状態を決定することになる」と、アントーニオ・グスターヴォ・アモリンは語った。
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ナヂソンは、
韓国でプレイしていた。
その後、1年半ほどけがのために戦列を離れ、
2006年にはコリンチャンスでプレイしていた。
しかし、
そのときには、ブラジルのサッカーになじめなく、
全く活躍できなかった。
ヴェガルタ仙台では、どうだったのだろうか。
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quinta-feira, 25 de dezembro de 2008
12月22日(月)、グレミオは、DFファビオ・フェヘイラFábio Ferreiraとの契約を公式サイトで発表した。
ファビオ・フェヘイラは、今週中、たぶん月曜日にもポルト・アレグレに到着し、グレミオとの契約に署名し、公式にファンに紹介される。
ファビオ・フェヘイラは、コリンチャンスCorinthiansに行ったジェアンJeanの代わりである。
ファビオ・フェヘイラ・ダ・シウヴァFábio Ferreira da Silvaは、1984年10月4日に、ペルナンブコ州のカンピーナ・グランヂCampina Grande (PB)に生まれた。
24歳で、身長188センチで、76キロ。
ノロエスチNoroeste、ジュヴェンチューヂJuventudeそしてコリンチャンスCorinthiansでプレイした。
ファビオ・フェヘイラの代理人のマルセロ・ゴルドファールビMarcelo Goldfarbによると、ファビオ・フェヘイラはフランスFrançaのボルドーBordeauxとギリシアGréciaのAEKからのオファーがあった。
「彼は、リベルタドーレス杯で戦いたがった。 彼は夢を実現するために欧州Europaからの2倍の給与をあきらめた」と、マルセロ・ゴルドファールビは語った。
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コリンチャンスが、セリエBに降格した2007年に、DFとしてプレイしていたファビオ・フェヘイラ。
2008年は、出場機会が減っていた。
コリンチャンスの最大のファン組織であるガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様の、折り合いが良くなかった。
決して悪い選手ではない。
新クラブでの活躍を願っている。
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100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。
今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。
皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。
6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。
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この除幕式の後、
この100周年記念碑がどうなっているのかを見てきた。
除幕式から一ヶ月余の、8月はじめ。
このカルモ公園の桜園で、毎年恒例の「桜祭り」が開催されているときだ。





カサビ市長と、
皇太子殿下がお手植えになった木の苗が、
何とか生きながられているように見えた。


「夢と感謝」と書かれた碑。

そして、12月。
赤い石の碑を中心に、
その周りを取り囲んで設置された6つの碑は、
子供達が遊具として使えるようになっている。

子供達は、
ちゃんと落書きまで残している。

だが、どういう訳か、
「夢と感謝」と書かれていた黒い碑がなくなっていた。
まさか、盗まれることもないだろうし、
どこか別の場所に移動したのだろうか。

そして、その黒い碑の前にあったお手植えの木の苗。

どちらも、丈夫な囲いの中にあった。
カサビ市長の植えた木。

皇太子殿下の植えられた木。

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これらの碑が、子供達によってずっと愛されることを願っている。
もちろん、苗木が大きく成長することもだ。
また、再訪の折には、報告をしたいと思っている。
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12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様の続きである。
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12時3分に、突然始まったロナウドの入団披露。
ロナウドは、コリンチャンスの社長のアンドレス・サンシェス社長とともに花道をゆっくりと進んだ。

何度かみかけたことがあるのだが、
アンドレス・サンシェス社長は、それほど身長は高くない。
170センチちょっとではないだろうか。
そうすると、ロナウドもとても身長が高いとはいえないようだ。

登場とともに、
花火が上がり、そして大量のテープが舞った。


つづく。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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quarta-feira, 24 de dezembro de 2008
ナザーリオNazário一家は、ナタウNatal(=クリスマス)の少し前に、新しい家族を得た。
12月24日(水)の午后遅くに、リオ・デ・ジャネイロRio de JaneiroでロナウドRonaldoの2番目の子供となる娘のマリア・ソフィアMaria Sofiaが誕生した。
コリンチャンスCorinthiahsの選手のロナウドは、出産に立ち会い、果ては、臍の緒cordão umbilicalを着るところにまで特別参加した。
「ロナウドRonaldoは最高に行儀が良かった。 我々の横ですべての過程に立ち会った。 今はお祝いの時だ」と産婦人科医師のアルツール・カンポス・ダ・パスArthur Campos da Pazは語った。
ロナウドの婚約者マリア・ベアトリス・アントニーMaria Beatriz Anthonyは、自然分娩を選び、午前の終わりにリオ・デ・ジャネイロの南部のラランジェイラスLaranjeirasのペリナタウ病院clínica Perinatalに入った。
マリア・ソフィアMaria Sofiaは2,980グラムで、49.5センチメートルで生まれた。
「すばらしい出産だった。 痛みも何もない。 マリア・ベアトリス・アントニーは、お祝いしている」と、アルツール・カンポス・ダ・パス医師は語った。
出産は18時と見られていたが、16時55分だった。
母子共に健康で、金曜日(12月26日)に退院する。
マリア・ソフィアMaria Sofia以外に、ロナウドFenômenoはすでに男の子の父親である。
モデルでサッカーの選手だったミレーニ・ドミングェスMilene Dominguesとの結婚の結果のロナウドRonaldがいる。
その後、ロナウドはダニエラ・シカレリDaniela Cicareliと結婚し、彼女はすぐに妊娠したが、流産している。
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ロナウドの莫大な財産の相続人が一人増えたことになる。
ロナウドとマリア・ベアトリス・アントニーが、
結婚するという予定はまだ聞いたことがない。
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ブラジルでは、ナタウ(=クリスマス)はほとんど誰でもよりよく過ごしたいと思う、1年で最も重要な一日である。
11月と12月に、いつもより1ヶ月分給与も多く支払われるので、
これを当てにして、買い物をする人が多いので、
商業はとても賑わう。
まだ、世界不況の影響は、直接的にはとても深刻な状態ではないので、今年2008年のクリスマス商戦も全体としては好調だったようだ。
だが、そういった楽しいナタウを迎えられるのは、安定した収入がある人だけだ。
安定した収入がない人は、
何とか再分配にありつくしかない。
拙宅から数百メートルのところにあるスーパーの近くは、やや人通りが多い。
このあたりに働いている人や住民が朝から夜までも、割と歩いている。
サンパウロ市で唯一歩ける地区といわれるイジェノポリスである。
その歩道には、
物乞いをする人たちが、
30-40メートルごとに、
何組か座り込んでいる。
12月は、特に多い。
毎日8時半頃に現れて、18時頃までいる。
一人だったら、一組だったら、
何とかと思わないこともない。
本当の子供なのか、借りてきた子供なのか知らないが、
「健康で、文化的な最低限の生活」にも達していない子供達を見るのは、
本当に心が痛む。

でも、何組も続いているのを見ると、
とても対応することができない。
何も、ここだけではない。
サンパウロのビジネス街や高級アパート街のそこかしこで見かけるのである。
何百組できかないかもしれない。
どうしようもなくて、いまさら「途方に暮れてしまう」。
-------------------------------
こういった子供達の脇を、
富裕層の子供も、
通り過ぎるのである。
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12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様の続きである。
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このロナウドの入団披露は、
事前の発表によると13時から行われることになっていた。
入手した入場券にも、13時と記載されていた。
だが、11時過ぎに、
会場のファゼンジーニャ競技場に行ったのは、
ブラジルでは何が起きるかわからないからという、
今まで経験がそうさせた。
11時20分過ぎに、競技場に入り、しばらくは写真なども撮っていたのだが、
この頃はちょうど雲間から日が差してきて、暑くなったので、
体力を消耗しないようにとおとなしくしていた。
グラウンド上での、会場整備も終わり、
子供たちが何グループかに分かれて、
芝生の上に座った。
予定時刻までまだ1時間以上もあるのに、
子供たちにはきついだろうと思ってみていた。
コリンチャンスのいくつかのファン組織の大きな旗も、ステージを取り囲んだ。
もしかしたら、予定よりずっと早く始まるかもしれないと思わせた。
12時3分。
それは突然に始まった。
花道を、
ロナウドと、コリンチャンスの社長のアンドレス・サンシェスが、
中央のステージに向かって歩き始めた。

本物のロナウドだ。

続く。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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terça-feira, 23 de dezembro de 2008
12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様の、続きである。
-------------------------------
再び、コリンチャンスの本部のあるパルケ・サン・ジョルジに到着したのは、
11時15分頃。
周辺道路は規制が敷かれていて、渋滞をおこしていた。
コリンチャンスの本部の駐車場に車を止めて、ファゼンジーニャ競技場へと急いだ。
この日に集まった食糧である。
前日と併せて、6千人が1キロの食糧を持ってきたわけで、少なくとも6トンになったはずである。
貧しい人たちへ贈られることになっている。

ファゼンジーニャ競技場内に入ったのは、11時20分。
もうかなり、観客席が埋まっていた。

テレビ各社も、中継車を出していた。

コリンチャンスのファン組織の中で、最強最大のガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆様が、いつものように気勢を上げておられた。


ファゼンジーニャ競技場のグラウンドの中央に、花道とステージが設置されていた。


つづく。
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国立気象研究所Inmet (Instituto Nacional de Meteorologia)の予想では、12月22日(月)のサンパウロ市は、朝は湿った靄に包まれ、徐々に晴れてくるが、局地的な雨が降る。
気温は、17℃から31℃の間になる。
-------------------------------
実際のところ、
12月22日のサンパウロ市は、
朝から晴れていて、気温は8時過ぎで22℃とこの時刻にしてはやや高かった。
午前中は、ところどころに雲があったが、よく晴れていて、
気温は正午過ぎには30℃近くまでいっていた。

ところが、14時頃には、また雲が発達し、
市内の中心部と北部の境付近では、15時頃から、雷雨になった。

この雨は、1時間以上も強く降り、
その後も小降りが続き、
19時頃にやっとおさまった。
市内各所で、冠水が発生し、
交通が麻痺した。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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segunda-feira, 22 de dezembro de 2008
12月12日(金)に、
サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジにあるコリンチャンスの本部で、ロナウドの入団発表の記者会見と、ファンへのお披露目が行われた。
ロナウドのファンへのお披露目は、
本部内にあるファゼンジーニャ競技場に、ファン約1万人を集めて行われた。
この顛末と模様である。
-------------------------------
ロナウドのファンへのお披露目については、
前日の11日(木)に発表された。
1キロの日持ちのする食糧を持っていけば、
コリンチャンス本部のファゼンジーニャ競技場の入場券売り場で、
入場券と引き替えるというものであった。
先着6千名ということであった。
この11日の午後早くに、この情報を得ていたのだが、
コリンチャンスの本部に行って、
長い列ができていることを想像するとぞっとしたので、
入手ははじめから断念していた。
だが、11日中に、5千枚しか捌くことができていなくて、
まだ12日にも9時から、1千枚を配布するということが、夜に入って情報として入ってきた。
何となく、トライしてみる気になった。
12日8時20分頃に、パウリスタ大通りへ行く用事が済んだので、
そのままコリンチャンスの本部へ向かった。
約15-16キロほどある。
意外なことにほとんど渋滞しておらず、8時55分には、到着してしまった。
500グラムのスパゲティを2袋持って、
急ぎ足で、入場券売り場に向かい、
列に並んだ。
この時点で、10名程度しか並んでいなかったが、
予定時間になっていなかったのに、もう配布は始まっていた。
右に止まっているトラックに、持ってきた食糧が積み込まれていく。

食糧を係員に渡すと、
引換券をくれた。

そして、窓口で、入場券を手に入れることができた。
わずか5分足らずのことだった。

入場券を手にして、売り場を後にした。
コリンチャンスの本部の前には、早くもファンが大集合して、気勢を上げていた。

入場券には、
13時に始まるとなっていたので、
いったん戻ることにした。
続く。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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夏は、公式には、10時4分に始まった。
サンパウロSão Paulo市は、1年でもっとも暑い季節が、気温19℃で、湿度は84%で始まった。
国立気象研究所Instituto Nacional de Meteorologia (Inmet)によると、天気は部分的な曇り空だが、しかし、午後になると、空は雲に覆われ、局地的に雨が降る。
サンパウロ市の予想最高気温は26℃で、最低気温は18℃。
-------------------------------
日曜日の夜になってサンパウロSão Paulo市の雨が弱くなったので、サンパウロ市の危機管理センターCGE (Centro de Gerenciamento de Emergências)は、18時40分に注意報を解除した。
雨は、市内で20カ所の冠水を引き起こした。
20時50分過ぎには、6カ所がまだ引き続き冠水している。
消防署によると、約20の救助要請があった。
ほとんどは、冠水箇所で車に閉じ込められたというものであった。
雨は、また15時39分から16時24分までの、45分間にわたって、コンゴニアス空港を閉鎖させた。
12月22日(月)にも、不安定な天気は雨を降らせるだろう。
計測によると、もっとも雨が多かった地区はサンパウロSão Paulo市の中心部で20.1ミリ。
西部は16.4ミリ、北部は4.1ミリであった。
-------------------------------
サンパウロ市の中心部と北部の境にいたのだが、
雨は16時半頃から約30分間強く降った。
その後も、小雨になることはあっても、降り止むことはほとんどなく、22時頃まで降っていた。
まとまった雨としては10日ぶりだろうか。
夏になると、ほとんど毎日のように雷を伴った夕立が降ることが多い。
何かするときには、午前中に用事を済ませるようにしないと、雨が降ると交通が麻痺する。
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domingo, 21 de dezembro de 2008
国立気象研究所Inmet (Instituto Nacional de Meteorologia)の予想では、12月20日(土)のサンパウロSão Paulo市は、曇りで、にわか雨の可能性がある。
最高気温は25℃を超えず、最低気温は18℃。
-------------------------------
サンパウロ市は、10日間ほど曇りの日が続いている。
気温も、この時期にしては低く、公式には最高気温は25度を超えていない。
12月20日(土)も、時折日が差すこともあったが、
ほとんど曇り。
日向を歩けば、汗ばむのだが、
家の中では、半袖では寒い。
12月21日(日)10時4分から、
夏になる。
夏になるのだが、
暑いという気はしないし、
夜になると着込まないと寒いくらいだ。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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sábado, 20 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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sexta-feira, 19 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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quinta-feira, 18 de dezembro de 2008
コリンチャンスTimãoのファンは、コリンチャンスのユニフォームを着たロナウドRonaldoが良い状態になるのを見るのを、思った以上に待たなくてはならない。
12月12日(金)に、2009年の新戦力として紹介されたロナウドは、5月3日に始まるブラジル選手権Campeonato Brasileiroには100%になると言った。
ロナウドFenômenoは、2008年2月に左膝を痛めた。
パリParisで手術をして、ロナウドはすぐに回付基地料を始めた。
先月、ロナウドは、モロッコMarrocosで、フランス人のジダンZidaneとともに慈善試合に参加し、22分プレイした。
12月17日(水)から、ロナウドはコリンチャンスCorinthiansでのトレーニングプログラムを始める。
年末の休暇の後、サンパウロSão Paulo州内陸部のイツ-Ituでのプレ・シーズンの合宿を行う。
しかし、1月21日に始まるサンパウロ州選手権Campeonato Paulistaでは、ロナウドRonaldoはまだ完全に準備ができていないだろう。
「サンパウロ州選手権は自分の回復のステージになる。 たぶんブラジル選手権では自分は身体的にも技術的にも100%になる」
ロナウドは、コリンチャンスのファンの一部が大きな期待を持っていることを知っている。 しかし、ロナウドは、手術後の運動不足で、まだ体重が重く、筋肉を鍛える必要がある。
ロナウドFenômenoは集中することを約束した。
しかし、ファンFielにお願いもした。
「忍耐が必要だ。 圧力はないだろう。 デビューは、自分が良くなったそのときになる」
-------------------------------
実際のところ、
いつユニフォームを着て、公式戦に出場することができるのだろうか。
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カルロス・アルベルト・パヘイラCarlos Alberto Parreira監督に断られた1日後、フラメンゴFlamengoの社長は、次シーズンのチームの監督としてクーカCucaとの契約に合意した。
最終的な話し合いは、12月12日(金)の夜、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの南部の、サッカー担当副社長のクレーベル・レイチKleber Leiteの会社で行われた。
クーカ監督は、12月15日(月)の午後に、ガーヴェアGáveaに現れる。
契約期間はまだ明らかにされていない。
クレーベル・レイチKleber Leite副社長に好まれていたクーカCuca監督は、まだブラジル選手権の最中の、ヴァスコ・ダ・ガマ戦の前に、役員と非公式の夕食をしていた。
「これで、自分の前からの夢が実現化した。 いつもクーカ監督を戻したかった」と、クレーベル・レイチKleber Leite副社長は明言した。
クーカCuca監督は、2005年にもフラメンゴの監督を務めていた。
-------------------------------
これで、
主立ったクラブの新監督はすべて確定したことになる。
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ロナウドRonaldoは、正式にコリンチャンスCorinthiansの選手になった。
12月17日(水)の午後、身体を戻すために朝リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで草試合をした後、ロナウドFenômenoはコリンチャンスTimãoとの契約に署名するためにサンパウロSão Pauloに向かった。
ロナウドは、サンパウロに17時過ぎに到着し、すぐにタツアペTatuapéのパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに向かった。
ロナウドは、アンドレス・サンシェスAndrés Sanches社長、サッカー担当役員のマリオ・ゴッビ・フィーリョMário Gobbi Filho、そしてマーケティング担当役員のルイス・パウロ・ローゼンベルグLuis Paulo Rosenbergに会った。
コリンチャンスCorinthiansとの、ロナウドRonaldoの契約期限は2009年12月31日まで。
契約の条項は発表されていないが、
ロナウFenômenoドはこの期間に、給与とスポンサー商品の分け前で、1200万レアル(=約4.5億円)を受け取る。
ロナウドRonaldoは、まだ最適な体重より重いのであと5キロ落とすために、身体トレーニングをしている。
ロナウドは、12月26日に、ほかの選手とともに、マノ・メネゼスMano Menezes監督の前に現れる。
1月2日から、ロナウドとグループは、サンパウロ州の内陸部にあるイツ-Ituで、プレ・シーズンの合宿をする。
-------------------------------
先週金曜日(12月12日)に、
記者会見し、ファンの前に現れてから、
実際に契約するまでに、やや時間が必要だった。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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quarta-feira, 17 de dezembro de 2008
ロナウドRonaldoが、コリンチャンスCorinthiansにいるときに、懐にするのはユニフォームのスポンサー・フィーだけではない。
ロナウドと契約をするために、コリンチャンスTimãoの社長はロナウドFenômenoにコリンチャンスのファンによって作られるケーキの一片をオファーした。
チケットを売り上げたことで得られるお金の一部をロナウドに向けるというものだ。
コリンチャンスの社長はまだ公式に発表していない。
しかし、ホームの試合での椅子指定席の入場料を上げる計画がある。
現在はそれは60レアル(=約2200円)である。
※※2008年のブラジル選手権では50レアルであった。
60レアルになったことは一度もない。
2007年のサンパウロ州選手権は、パカエンブー競技場の改修のために
開催されていない。
2006年の料金は40レアルであった。
予想では、90レアルか1000レアルに上がる。
差額は、ロナウドに入る。
「固定給与は椅子指定席の価格の値上げからだ。 一般席の入場料は据え置く、しかし需要も増えることだから、椅子席はあげる。 それは、それぞれの入場券について、20レアルか30レアルだ」とコリンチャンスCorinthiansのマーケティング担当副社長のルイス・パウロ・ローゼンベルグLuis Paulo Rosenbergは説明した。
期待されているところでは、ロナウドはコリンチャンスの試合に多くの人を引きつけるに違いない。
現在、パカエンブーPacaembu競技場には6,167の椅子指定席がある。
値上げが20レアルであれば、ロナウドRonaldoは、コリンチャンスTimãoの試合ごとにファンFielから12万レアルを得ることになる。
これ以外に、ロナウドは、ユニフォームの売り上げからも受け取る。
ロナウドは、袖やパンツのスペースごとに売り上げの80%を得る。
契約が終了する2009年12月末までに、約1200万レアルを得るだろう。
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パカエンブー競技場で開催されるコリンチャンスの試合には、
ほぼ無条件に、観戦に行っているのだが、
この値上げは、かなりきつい。
ロナウドが、出場するしないにかかわらず、価格が上がるのだろうか。
2009年のコリンチャンスのホームの試合は、
公式戦では次の通りだ。
サンパウロ州選手権がたぶん9試合。
ブラジル杯、勝ち抜けば試合数は増えるが、最低でも2-3試合はあるだろう。
そして、ブラジル選手権は19試合。
だいたい30試合くらいだが、
サンパウロ州最大の”クラシコ”の対パルメイラス戦などは、
モルンビー競技場で行われる可能性が高いので、
パカエンブー競技場での試合は、3-4試合は減るだろう。
ブラジルは所得格差が大きいので、
一番安い席と一番高い席から、売れていくというのは事実で、
パカエンブー競技場でも、
事実椅子指定席はいつも観客が多い席である。
取れるところから取ろうということなのだろうが、
ちょっと困った。
それだけのものを、ロナウドが見せてくれればよいが。
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12月16日(火)の午後、バイーアBahiaの社長は、次シーズンの監督の名前をアレシャンドレ・ガーロAlexandre Galloとして発表した。
アレシャンドレ・ガーロ監督は、12月17日(水)にサルヴァドールSalvadorに到着し、監督補佐のマウリシオ・クペルチーノMaurício Cupertinoとトレーナーのヴァウミール・クルーズValmir Cruzも連れてくる。
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名門だったバイーアも、今はセリエBのクラブ。
それも2007年までは、セリエCにまで落ちていた。
FC東京の監督もしたことがあったアレシャンドレ・ガーロ監督は、
将来を嘱望されている若手監督の一人だが、
このところは良い成績を残せず、長続きしていない。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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12月16日(火)に、経済調査研究所Ipea (Instituto de Pesquisa Econômica Aplicada)によって発表された調査によると、1993年から2007年の間に、男性よりも女性の寿命と、黒人に比べて白人の寿命が伸びた。
Retrato das Desigualdades de Gênero e Raça
1993年の「性と人種の不平等の状況」研究では、白人女性で60歳以上が人口の9.4%であったのに対し、黒人女性のそれは7.3%であった。
この比率は、2007年には、それぞれ13.2%と9.5%になった。
60歳以上の白人男性は、1993年には、8.2%だったのが、2007年には11.1%になった。
黒人男性では同じ期間に、6.5%から8%になった。
60歳以上の白人男性と黒人男性の格差は、1.7%から3.1%になった。
白人女性と黒人女性の差は、1993年から2007年に、2.1%から3.7%に広がった。
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死亡理由を考えてみなくてはならない。
この20年で、ブラジルの幼児死亡率は大きく低下している。
ブラジルでは、特に男性の殺人および事故による死亡がとくに青年期に多い。
それにもちろん所得差に代表される社会階層差もある。
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イヴォ・ウォルチマンIvo Wortmann監督が、ジュヴェンチュージJuventudeを出ることが、12月16日(火)17時30分に行われた記者会見で、ジュヴェンチュージの社長セルジオ・フロリアンSérgio Florianによって発表された。
イヴォ・ウォルチマン監督は、2009年に創立100年を迎えるコリチーバCoritibaの指揮をするというオファーに合意し、ブラジル・サッカーの1部に戻る。
「自分は、コリチーバCoritibaにとって100周年という特別な時に思い出してもらったことに、とても満足し、誇りに思っている。 すべてのタイトルをとり、ファンに幸せを与えられるように、前と同じかそれに以上にしたい」と、広報担当者を通して、イヴォ・ウォルチマン監督は語った。
イヴォ・ウォルチマン監督は、ジュヴェンチュージの財政状況をみて、減俸でジュヴェンチュージとの契約更新に合意していた。
しかし、2001年にイヴォ・ウォルチマン監督がよい仕事をしたコリチーバからの強い勧誘があった。イヴォ・ウォルチマン監督はジュヴェンチュージで受け取る2倍をコリチーバで受け取ることになる。
「ジュヴェンチュージの経営者は、コリチーバのオファーがあるという状況に感情的になったが、理解してくれて、自分を自由にした。 ジュヴェンチュージとは関係がなくなった」
契約に署名していなかったにもかかわらず、イヴォ・ウォルチマン監督は今日ジュヴェンチュージの社長と自由になることを合意するためにジュヴェンチューヂに行った。 コリチーバは償いとしてジュヴェンチュージJuventudeにその選手をレンタルすることになる。 監督補佐のマルセロ・マビーリアMarcelo Mabíliaはイヴォ・ウォルチマン監督とともにコリチーバCoritibaに行く。
「コリチーバCoritibaから最初のコンタクトがあったときからすべて明らかにしていた。 自分はジュヴェンチュージJuventudeと約束があった。 それで、出て行くことに唯一の条件は両クラブの間の合意である。 それがなされた」と、イヴォ・ウォルチマン監督は説明した。
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2005年にセリエBに降格し、2年後の2008年にセリエAに復帰したパラナ州の名門コリチーバ。
2007年にセリエBに降格して、2008年末にセリエAへの復帰ができなかったジュヴェンチュージ。
イヴォ・ウォルチマン監督は、だいたいこのクラスの指揮を執っている。
まじめそうな監督だが、強い個性は感じられない。
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terça-feira, 16 de dezembro de 2008
FWロナウドRonaldoは、12月12日(金)の朝、コリンチャンスCorinthiansの選手として紹介された。
ロナウドFenômenoは、コリンチャンス本部のパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに10分早く到着した。
そしてコリンチャンスTimãoのチームにおいてただの一選手として扱ってくれるように要求した。
ロナウドはコリンチャンスの背番号9のユニフォームを着るまえに、コリンチャンスの社長はロナウドが回復し、すばらしいプレイを取り戻すためにみんなが平静でいることを要求した。
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記者会見の後、
ロナウドは、12時過ぎに、サンパウロ市東部のパルケ・サン・ジョルジのコリンチャンスの本部にあるファゼンヂーニャ競技場に集まった約1万人のファンの前に姿を現した。
予定では13時だったのだが、それよりも1時間も早く現れた。
グラウンドの中央に設置されていた台に、社長のアンドレス・サンシェスとともに進み、
ファンに手を振り、
短い挨拶をした。
その後、グラウンドを半周し、ボールを4個、スタンドのファンに向かって、蹴った。
そして、消えた。
約10分間で、セレモニーは終了した。
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この模様は、また別途、紹介する。
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パラPará州政府は、2014年のワールドカップの開催都市として州都ベレンBelémをプロモートするために、ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúchoの友達チームとパラ州選抜チームの親善試合を企画している。
「スターの試合」‘Jogo das Estrelas’は、12月23日に、マングェイロンMangueirão競技場でおこなわれ、クルゼイロCruzeiroのソリンSorín、バイエルン・レバールセンBayer Leverkusenのレナット・アウグストRenato Augusto、コリンチャンスCorinthiansのルリーニャLulinhaとデンチーニョDentinho、マンチェスター・シティManchester CityのジョーJôなどの偉大な選手たちがやってくる。
4万5千人の観客がやってくることが予想されている。
このイベントの組織は観衆がマングェイロンMangueirãoを緑と黄色に染めることを望んでいる。
この試合で、2006年のワールドカップCopa do Mundoの南米予選としておこなわれた対ベネズエラVenezuela戦でブラジル代表seleção brasileiraが3対0で勝利して3年経って、ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúchoがベレンに戻ってくることになる。
一般観客席の入場券は、前売りでは20レアル(=約750円)と腐敗しない食糧1キロでもしくは当日は25レアルとなっている。
椅子指定席は1キロの腐敗しない食糧のほかに40レアルである。
学生、高齢者、障害者は半額。
ロナウヂーニョ・ガウーショの試合に参加が決まっているのは次の通り:
ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúcho (ミランMilan)
ヂエゴ・ソウザDiego Souza (パルメイラスPalmeiras)
アルゼンチン人のソリンSorín (クルゼイロCruzeiro)
クレーベルソンKléberson (フラメンゴFlamengo)
ツーリオTúlio, ルリーニャLulinha、デンチーニョDentinho (コリンチャンスCorinthians)
ヴィクトルVictor, フェリピ・マチオーニFelipe Mationi、チェコTcheco (グレミオGrêmio)
レジスRegis (ウルグアイ代表Uruguai)
ダニエル・カルヴァーリョDaniel Carvalho (インテルナシオナウInternacional)
マルコスMarlos (コリチーバCoritiba)
フェルナンドFernando (ヴァスコ・ダ・ガマVasco)
ヴァンペッタVampeta (引退選手)
レナット・アウグストRenato Augusto (バイエルン・レバークーセンBayer Leverkusen)
ジョーJô (マンチェスター・シティManchester City)
ガヴィランGavilán (パラグアイ代表seleção paraguaia)
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欧州で活動している選手たちが戻ってくると、
このような慈善試合があちこちで行われる。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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もうあと1週間で、ナタウ(=クリスマス)になる。
このところの経済の動きからして、
株、投資信託それに為替で、財産を目減りさせ、
さらに金利の上昇で負債の返済の負担が増えている中流層以上の「可処分所得が多い階層」は、
当然大きな出費を控える行動に出ているようだ。
超富裕層は多額の損失を出しているだろうが、
買い物程度には変化はないだろう。
彼らが散財をしないと、その下の階層にはお金が回っていかない。
所得の再分配が進まないと、治安に問題が出てくる。
政府もそれがわかっているようで、
中間層の消費意欲を増進する施策を打ち出した。
先週、その最たるものが、車へかかっていた商品流通税の税率を大きく減らした。
2009年3月までの期間限定であるが、
自動車組み立てメーカーの3ヶ月分の工場在庫を減らす狙いもある。
これで、
消費者が先週末にどっと販売店に押し寄せたということである。
価格が10%近く下がるのだから、
購買線状にいて思案していた人は、決断のきっかけになったはずだ。
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今年もまた出現していたリサイクル仕様のツリーがパウリスタ大通りにもあった。

コンソラソン通りと交差するあたりである。


上部には、ソーラーパネルもついている。

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ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウが、
12月発売のRolling Stone誌(ブラジル版)の表紙を飾った。
もちろん、
表紙だけではなく特集に登場している。
「お笑いタレント」の特集で、
つまりお笑いとしての扱いになっている。

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segunda-feira, 15 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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DFチアゴ・マルチネリThiago MartinelliはもうクルゼイロCruzeiroの選手ではない。
もとGKで、今は代理人のジウマール・リナウヂGilmar Rinaldiによると、チアゴ・マルチネリはブラジル人のレヴィール・クルピLevir Culpiが指揮する日本のセレッソ大阪Cerezo Osakaへの移籍に合意した。
「彼はセレッソ大阪との1年契約に合意した。 すぐにも日本へ行く」と、ブラジルBrasilにおけるセレッソ・大阪の代理人のジウマール・リナウヂは言った。
チアゴ・マルチネリThiago Martinelli以外に、パルメイラスPalmeirasにいたボランチのマルチネスMartinezもまた日本Japãoの同じクラブに行く。
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今年は、早々と日本行きを決める選手が多いような。
円高で、レアル安も、影響しているのかもしれない。
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エーメルソン・レオンEmerson Leão監督が2009年のシーズンに、アツレチコ・ミネイロAtlético-MGの指揮に復帰することになる。
エーメルソン・レオン監督は、給与のベースに合意しなかったことで、クラブを去ってから1年ちょっとでアツレチコ・ミネイロGaloに戻る。
あれから、エーメルソン・レオン監督は、サントスSantosそして11月に解任されたカタールのアル・サアヂAl-Saddを指揮した。Qatar
この日曜日(12月14日)に、エーメルソン・レオン監督は、契約取り消しの罰金の設定を必要とすることなしに、30分で合意したと言った。
「必要としない。 不満があれば、解決する」と、エーメルソン・レオン監督は言った。
アツレチコ・ミネイロGaloの公式サイトによると、1年間の契約が、この日曜日の午前中に、サンパウロSão Pauloのエーメルソン・レオン監督の家で、社長のアレシャンドレ・カリウAlexandre Kalil社長によって決定された。
エーメルソン・レオン監督は、火曜日(12月16日)の15時に、ロウデスLourdesの本部で記者会見を行う。
トレーナーのフェルナンド・レオンFernando Leãoとロドリゴ・シャヴェスRodrigo Chavesで、技術委員会comissão técnicaを形成する。
エーメルソン・レオン監督は、アツレチコ・ミネイロに戻ることを決めたのはベロ・オリゾンチBelo Horizonteに友達がいっぱいいて、良い思い出があるという事実だと言った。
「アツレチコ・ミネイロの指揮をしたときは、困難さはともかくとして、いつもとても良いことが起きた」
今回はエーメルソン・レオン監督にとって、アツレチコ・ミネイロAlvinegro mineiroを指揮するのは3回目になる。
最初は1997年で、ベロ・オリゾンチ100年杯Copa Centenário de Belo Horizonteと南米サッカー連盟杯Taça Conmebolの二つのタイトルを獲得した。
2回目は2007年の7月で、ブラジル選手権の時で、10試合無敗の時もあり、クラブを降格から救い、南米Sul-Americana杯の出場権を得た。
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エーメルソン・レオン監督が、またブラジルのサッカーに戻ってきたことになった。
このところ、監督として良い成績を残しているとはいえないエーメルソン・レオン監督にとっては、正念場でもある。
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国立気象研究所Inmet (Instituto Nacional de Meteorologia)の予想では、サンパウロSão Paulo州は、この日曜日(12月14日)は曇りで、雨の可能性がある。
サンパウロ州での最高気温の予想は30℃で、最低気温は9℃。
サンパウロ市では、最高気温は25℃で、最低気温は15℃。
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この週末(12月13日と14日)には、
サンパウロ市は曇っていた。
最高気温は、土曜日の方が少し高かったはずだが、23-24℃程度だった。
日曜日は、
何か風が冷たく感じた。
午後になると雲が厚くなり、
16時過ぎには、軽く雨が降った。
雨の後さらに気温が下がり、
20℃程度になった。
夜になると、
長袖でも寒く、さらにもう一枚必要になった。
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ナタウ(=クリスマス)まで、もう10日余。
景気が減衰するのが見えているにもかかわらずブラジル・サンパウロは、今年も街が輝いている。
世界の多くの国と同様に、12月には「13ヵ月給与」も支払われるから、さらに金回りも良い。
この週末は、サンパウロの夜の街は、どこもごった返している。
イルミネーション見物で、渋滞が起きているところも多いので、そこは避けて通らざるを得ない。
治安がどうこうなんて、気にしていて、家に籠もっているようなヤツは、生きている資格がない。
というわけで、
12月14日(日)の夜。
拙宅の前の家が大パーティーを、今年も始めた。
21時頃から始めた。
もちろん大音量でだ。
都心に近い一戸建て住宅専用地区で、
だいたいそれぞれの敷地面積は500平米前後のところが多い。
道路を隔てているので、
音源からは、70メートルは離れていると思うのだが、
家の中でも、その音楽を避けることはできない。
今年は、
生バンドを用意したようだ。
たぶん百人程度だと想うのだが、招待客が一緒に唄っていることもある。
幸いなことに、今年はテクノではないので、大脳に響き渡ることはない。
それに、早くお開きになったようで、
25時30分には、かなり静かになった。
さすがに日曜日の夜なので、近隣に配慮したのかもしれない。
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domingo, 14 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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マルセロ・オリヴェイラMarcelo Oliveira監督はもうアツレチコ・ミネイロAtlético-MGの監督ではない。
マルセロ・オリヴェイラ監督は、12月9日(火)の午後に、ロウルデスLourdesでおこなわれたアレシャンドレ・カリウAlexandre Kalil社長との会議で決定を通知された。
8年前にアツレチコ・ミネイロGaloに来たマルセロ・オリヴェイラ監督は別のクラブで監督としての仕事を続ける。
アレシャンドレ・カリウ社長は午後に記者会見をおこなう。
アツレチコ・ミネイロGaloの新監督の名前はまだ発表されていない。
社長の夢は、セルソ・ロッチCelso Rothもしくはエーメルソン・レオンEmerson Leãoである。
マルセロ・オリヴェイラ監督は実質的に23試合指揮をした。
8勝6分け9敗で、勝ち点率は43.47%。
マルセロ・オリヴェイラMarcelo Oliveira監督は、創立100年のアツレチコ・ミネイロが降格することを防ぎ、南米杯Copa Sul-Americanaの出場権を得ることができた。
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もっと重みのある監督をほしいと思ったのだろうが、
給与は高い。
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アツレチコ・パラナエンセFuracãoのファンによいニュースだ。
アツレチコ・パラナエンセAtlético-PRの社長は、12月11日(木)の朝、チームを指揮するジェニーニョ監督の留任を発表した。
ジェニーニョGeninho監督との契約は2009年12月まで更新された。
ジェニーニョ監督の留任についての最終決定は、12月8日(月)に選出されたアツレチコ・パラナエンセの新社長が就任した1日あとに決まった。
ジェニーニョGeninho監督はクラブの指揮を続けるのに関心をしめしていた。
しかしすべて金銭的な合意次第でもあった。
ゴイアスGoiásからのオファーもあった。
アツレチコ・パラナエンセの広報は、12月11日(木)16時30分から、アレーナ・ダ・バシャーダArena da BaixadaでジェニーニョGeninho監督が記者会見をすることを確認した。
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ジェニーニョ監督も、まじめな監督である。
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コリンチャンスCorinthiansから渇望されていたパルメイラスのマルチネスMartinezは、ブラジルのサッカーから日本へ取り替えるために荷物をまとめた。
元GKで現在は代理人のジウマール・リナウヂGilmar Rinaldiによると、ボランチのマルチネスは、レヴィール・クリピLevir Culpiが指揮するセレッソ・大阪Cerezo Osakaと1年間の契約をした。
「彼はあそこに1年にいる。 それはも確かだ。 まもなく日本Japãoに行く」と、ブラジルBrasilにおけるセレッソ・大阪の代理人のジウマール・リナウヂは明言した。
パルメイラスPalmeirasにおける彼の状況が決まっていなかったので、マルチネスMartinezはコリンチャンスTimãoの標的になっていた。
しかし、ジウマール・リナウヂによると、交渉は進んでいなかった。
今年のブラジル選手権Campeonato Brasileiroで、マルチネスMartinezはヴァンデルレイ・ルシェンブルゴVanderlei Luxemburgo監督のスキームで、基本的な武器になっていた。
後半の6ヶ月の多くはDFとして活動してきた。
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良い選手との印象がある。
でも、ファールが少なくなかったような気もする。
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ドリヴァル・ジュニオールDorival Júniorがヴァスコ・ダ・ガマの新監督。
12月11日(木)の夜に両者で合意がされてないままに発表されたが、ドリヴァル・ジュニオール監督はリオ・デ・ジャネイロでおこなわれた金曜日(12月12日)の未明に終わった会議でヴァスコ・ダ・ガマの社長と詳細まで合意した。
ドリヴァル・ジュニオール監督の紹介は、この金曜日の14時に、サン・ジャヌアリオSão Januárioでおこなわれる。
ヴァスコ・ダ・ガマの管理担当副社長ジョゼ・アミルトン・マンダーリオJosé Hamilton Mandarinoに自分のプロジェクトを示したドリヴァル・ジュニオールDorival Júnior監督はヴァスコ・ダ・ガマをブラジル選手権の第1部に復帰させなければならない。
46歳のドリヴァル・ジュニオール監督はサッカー部門の再建からプロジェクトを始める。
そのためにドリヴァル・ジュニオール監督は監督補佐のイヴァン・リゾIvan Rizzoとトレーナーのセルソ・レゼンヂCelso Resendeをサン・ジャヌアリオSão Januárioに連れてくる。
セリエBへの降格の後チームのより重要な選手の一部はクラブを去った。
エヂムンドEdmundoは引退し、ヴァグネル・ヂーニスWagner DinizはサンパウロFCへ、マヂソンMadsonはサントスSantosと契約した。
そのほかに、レアンドロ・アマラウLeandro Amaralも、社長の計画に入っていなかったDFオヂヴァンOdvanとMFペドリーニョPedrinhoと同様に、また残留はしない。
ドリヴァル・ジュニオールDorival Júnior監督の監督としてのキャリアーは2003年にフィグェイレンセで始まった。
彼は2004年にサンタ・カタリーナ州選手権で優勝した。
2005年には、フォルタレザFortalezaを指揮して、セアラ州選手権で優勝した。
同年には、クリシウマCriciúma、ジュヴェンチューヂJuventudeそしてアヴァイAvaíと移った。
2006年は、スポルチSportでペルナンブカーノ州選手権で優勝。
翌年には、サンパウロ州選手権で、サン・カエターノSão Caetanoを指揮して、準優勝した。
この後に、クルゼイロCruzeiroからのオファーを受けて、契約し、チームがリベルタドーレス杯Taça Libertadores出場権を得ることを達成した。
しかし年末にコリチーバCoritibaの指揮のためにすぐに出て行った。
今年、ドリヴァル・ジュニオールDorival Júnior監督はパラナ州選手権で優勝し、コリチーバをブラジル選手権Campeonato Brasileiroの9位にした。
選手としては、ドリヴァル・ジュニオールDorival Júniorは、1982年にフェフォヴィアリアFerroviária-SPではじめた。
彼は、そのほかに、1995年にジュヴェンチューヂJuventudeで引退する前に、グァラニGuarani、アヴァイAvaí、ジョインヴィリJoinville、サン・ジョゼSão José、コリチーバCoritiba、パルメイラスPalmeirasそしてグレミオGrêmioでプレイした。
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実直そうな人だ。
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国立気象研究所Inmet (Instituto Nacional de Meteorologia)の予想では、12月13日(土)は、サンパウロSão Paulo州は曇りで、雨の可能性がある。
サンパウロ州での予想最高気温は30℃で、最低は11℃。
サンパウロ市では、最高気温は25℃で最低は16℃。
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サンパウロ市は、
12月9日(火)と10日(水)はとても暑く32℃くらいにまでなった。
夜も珍しく気温が下がらなかった。
ところが、10日の夕方18時半頃から、約40分間降った雨の後から、天候が変わり始めた。
11日になると曇りで、やや気温が下がった。
そして12日(金)になると、日中でも最高気温は23度程度までにしかならず、涼しくなった。
夕方には、20度割って、長袖でも寒いくらいになった。
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サントスSantosの社長は、12月12日(金)の午後に、マルシオ・フェルナンデスMárcio Fernandes監督との契約を2009年の末まで更新したことを発表した。
マルシオ・フェルナンデス監督は、サントスPeixeをブラジル選手権で21試合指揮して、チームを降格圏から自由にした。
7勝8分け6敗であった。
サントスの社長のマルセロ・テイシャイラMarcelo Teixeiraは、マルシオ・フェルナンデス監督の仕事を賞賛して、良い果実を得るために継続することの重要性を強調した。
「マルシオ・フェルナンデス監督との契約更新は、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの後半で彼がおこなった仕事の継続である。 彼はサントスのチームを知っていて、我々は彼の仕事の継続がチームの選手の成熟と強化にとても重要であると信じている」と明言した。
マルシオ・フェルナンデスMárcio Fernandes監督は仕事を認めてもらった満足を隠さずに、プレシーズンから仕事を始められることを祝った。
「更新できて幸せである。 チームを引き受けたとき、チームはとても難しい状況にいた。 しかし、その状況を変えることができた。 そして今、一シーズンを始めて、自分の仕事を続ける機会を得た」と言った。
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サントスは、
お金がないので、
高い監督を雇えない。
マルシオ・フェルナンデス監督が、
意外に、
頑張ってくれたので、
そのまま安く使おうとしているのだろう。
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sábado, 13 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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コリンチャンスのファンは、ロナウドRonaldo Fenômenoの披露をみるために早起きをした。
朝8時から、コリンチャンスのファンFielはパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに現れて、お祭りを始めて、現地の交通渋滞を引き起こした。
入場券を交換するために列ができた。
コリンチャンスの役員は、今のところブラジルのサッカーで最大の契約をみるために、1万人以上が現れると予想している。
このイベントは13時からを予定している。
この時を失することができないのは、マスコミの人間である。
コリンチャンスの役員に約500人以上が記者証を要求した。
しかしわずか118人だけが、コリンチャンスの本部の講堂で11時に予定されている紹介に参加できる。
いろいろな国のマスコミが、コリンチャンスCorinthiansの9番を着るロナウドRonaldoをみるために、ブラジルBrasilに来ている。
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ロナウドの紹介は、
12月12日(金)の大ニュースである。
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コリンチャンスCorinthiansは、、ロナウドRonaldoとの契約を盛り上げるために、重みのある敵を求めている。
役員は、来シーズンのコリンチャンスの試合として1月17日にパカエンブーPacaembu競技場での親善試合の相手として、アルゼンチンArgentinaのボカ・ジュニオールスBoca Juniorsとの合意を目指している。
「ボカ・ジュニオールスとの親善試合をするために働いている」と、アンドレス・サンシェスAndrés Sanches社長は語った。
サンパウロ州選手権Campeonato Paulistaの開幕前に練習し合いをするという要求は、マノ・メネゼスMano Menezes監督から出てきていた。
2008年の初めに、マノ・メネゼス監督は同じ戦略をとった。
コリンチャンスTimãoは、サンパウロSão Paulo州の内陸部のイツ-Ituで合宿をしてトレ-ニングをしていたときに、インテル・ヂ・リメイラInter de Limeiraと対戦した。
この計画にもかかわらず、ロナウドがこの試合に参加するかは不確定だ。
コリンチャンスの医療部によるとロナウドはプレイする状態になるにはまだ5週間は必要である。
それに、コリンチャンスはロナウドが筋肉を痛めることを恐れている。
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ロナウドの出場もさることながら、
この親善試合の実現の可能性自体も低そうだ。
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ロナウドRonaldoのファンへの披露のための入場券を求めて、コリンチャンスCorinthiansのファンが探し回るのは当然。
12月11日(木)15時までに、約2千枚が、サンパウロSão Paulo市の東部のパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeにあるコリンチャンスの本部で、取り替えられた。
8時から、6千枚が用意されていた。
ロナウドFenômenoと会うために、ファンFielは1キログラムの腐敗しないnão-perecível食糧を、本部に持ってこなくてはならない。
組織は、ファンに塩salと砂糖açúcarを持ってくるのは避けるように要求している。
この二つが、今まで一番持ってこられている。
米arrozとフェイジョンfeijãoのようなものを欲しがっている。
ロナウドRonaldoは、まだリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroにいて、この金曜日(12月12日)の朝にサンパウロSão Pauloに到着する。
彼は、11時にパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeの講堂でマスコミに紹介される。
そして、13時過ぎに、ファンが待ち構えているファゼンヂーニャFazendinha競技場のグラウンドに現れる。
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このところのサッカーの話題は、ロナウドのことばかりである。
ロナウドからは、目が離せない。
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まだコリンチャンスCorinthiansが所有していて、今年からイツアーノItuanoでブラジル選手権のセリエCで戦ったGKマルセロMarceloは、サンパウロ州選手権Campeonato PaulistaではマリリアMaríliaに新加入する。
Timão
マルセロはコリンチャンスと2010年6月30日まで契約があり、レンタルされることになる。
マリリアはサンパウロ州選手権では、セリエCに降格してしまった今年のブラジル選手権とセリエBと同じ恥辱は避けたいところである。
マルセロMarceloはコリンチャンスCorinthiansの正選手であったが、フェリッピFelipeがやってきてことでポジションを失い、他のクラブにレンタルされた。
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2006年は、ほとんど正GKだったマルセロ。
それほど悪いGKではないが、
態度に締まりがなかった。
ブラジル選手権のセリエAに属するクラブの正GKを目指してほしい。
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sexta-feira, 12 de dezembro de 2008
サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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quinta-feira, 11 de dezembro de 2008
カイオ・ジュニオールCaio Júnior監督は日本へ行く準備ができた。
カイオ・ジュニオール監督は、日本Japãoのヴェッセル神戸Vissel Kobeをこれから3シーズン指揮することになる。
交渉は、ブラジル選手権の第37節の前からおこなわれていた。
このときは、監督もフラメンゴの役員も情報を否定していた。
カイオ・ジュニオールCaio Júnior監督は、この木曜日(12月11日)の夜に、契約の詳細について議論するために、クリチーバCuritibaで、ヴェッセル神戸の代表と会議をする。
カイオ・ジュニオール監督は海外での初めての機会に感動して、新しいクラブの組織をほめた。
「ヴェッセル神戸Vissel Kobeは自分をとても引きつけた。 若いクラブで、うまく組織されて、オーナーは自分の年齢の事業家でクラブを立派にするのにとてもやる気を見せた。 ほかの良い点は契約は3年間で計画をもって仕事を冷静にやることができる」と、カイオ・ジュニオール監督は説明した。
ヴェッセル神戸Vissel Kobeのオファーは、ブラジル選手権Campeonato Brasileiroの対ヴィトリアVitória戦の前に出てきた。
FC東京FC Tokyoからもまた求められていたが、カイオ・ジュニオール監督はヴェッセル神戸に優先権を与えることを約束していた。
深クラブでの仕事は2月から始まる。
カイオ・ジュニオール監督は何人かの選手をすでに指名している。
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気鋭のカイオ・ジュニオール監督が、
ブラジル以外で良い経験を積んで、
戻ってくることを願う。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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コリンチャンスCorinthians、グレミオGrêmioそしてサンパウロFCが来期の契約について関心を明らかにした後、FWワシントンWashingtonは2009年はすでに知った方向つまり日本に行くかもしれない。
ガンバ大阪Gamba Osakaと浦和レッズUrawa Redsの役員たちがワシントンWashingtonの代理人のジウマール・リナルヂGilmar Rinaldiと接触に入り、ワシントンと契約するために高額なオファーをした。
交渉金額は明らかにされていていない。
ワシントンCoração Valenteはまだ次のクラブを決めていない。
「冷静に、フルミネンセFluminenseも含めて、すべてのオファーを分析している。 役員たちは自分を求めており、来週もう一度一緒に話しあう。 自分はクラブに残るつもりだが、実際のところブラジルBrasilと日本Japãoから良いオファーがある」と、ワシントンは語った。
ワシントンWashingtonは浦和レッズUrawa Redsのファンのアイドルである。 浦和レッズのユニフォームを着てワシントンは2006年の日本リーグLiga Japonesaで優勝し、26ゴールで得点王になった。
2007年にはアジア・チャンピオン・リーグLiga dos Campeões da Ásiaで優勝し、その年の世界クラブMundial de Clubes杯で3位になるのに貢献した。
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ワシントンは、12月7日(日)に終了したブラジル選手権でも21ゴールで得点王になった。
21ゴールで3人が並んでいたが。
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quarta-feira, 10 de dezembro de 2008
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
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バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシCambuci、リベルダーヂLiberdade、ベラ・ヴィスタVela Bistaのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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思いもかけない場所にあった作品である。
なんとパカエンブーにあったのだ。
それもパカエンブー競技場のすぐ脇にだ。

競技場の西側のデゼンバルガドール・パウロ・パサラクア通りにあった。
ほぼ、毎日通るところにあった。

こんな場所に、壁絵がずっとあったはずははないので、
つい最近描かれたはずである。

すぐに消される可能性があるので、
すぐに撮影した。



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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
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ピチガリPitiguariという小鳥がやってきた。
はじめて見る小鳥だった。


学名は、Cyclarhis gujanensisだそうだ。

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ブラジル選手権Campeonato Brasileiroが終わってすぐ、サン・ジャヌアリオSão Januárioの多くの者はFWレアンドロ・アマラウLeandro Amaralは翌日にでも、2009年を戦うフルミネンセFluminenseの最初の新加入選手として紹介されると信じていた。
しかし、ヴァスコ・ダ・ガマがセリエBへ降格したあと2日間たつが、レアンドロ・アマラウは契約の更新についてのサッカー担当部長のカルロス・アルベルト・ランセッタCarlos Alberto Lancettaによる接触を受け入れるところを見せた。
カルロス・アルベルト・ランセッタによると、レアンドロ・アマラウはフルミネンセとの仮契約の存在を否定した。
ヴァスコ・ダ・ガマの役員はレアンドロ・アマラウと二つの機会について電話で話した。
更新の公式なオファーをするために2日間を要求した。
レアンドロ・アマラウLeandro Amaralは待つことに同意し、次の会話はこの金曜日にも起きそうである。
カルロス・アルベルト・ランセッタは、レアンドロ・アマラウに提示する金額を決定するためにジョゼ・アミルトン・マンダリーノJosé Hamilton Mandarino副社長と会議をする。
「レアンドロ・アマラウLeandro Amaralと話をした。 彼は受け入れてくれるところを見せた。 レアンドロ・アマラウが残留するための条件についてジョゼ・アミルトン・マンダリーノ副社長と話をするために何日か猶予をとお願いをした。 何日か中に彼にオファーをする。 フルミネンセとの仮契約については、彼はすべて否定した」と、カルロス・アルベルト・ランセッタは語った。
レアンドロ・アマラウLeandro Amaralとヴァスコ・ダ・ガマの契約は12月14日まで、
ゴイアスGoiásとフルミネンセFluminenseが、次シーズンに向けてレアンドロ・アマラウと使いたいと関心を見せている。
今のところ、見たところ、レアンドロ・アマラウはセリエBからヴァスコ・ダ・ガマが脱出するのを助けそうだ。
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昨年末に、ヴァスコ・ダ・ガマとの契約でごたごたしたレアンドロ・アマラウ。
鹿島との仮契約があったらしいが、
それはどう解決されたのだろう。
それに、フルミネンセに行ったが、
ヴァスコ・ダ・ガマの訴えが認められ、
シーズン途中で、
またヴァスコ・ダ・ガマに戻ってきていた。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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コリンチャンスCorinthiansと契約に合意したロナウドRonaldoは、決定の理由を説明した。
ロナウドFenômenoは、フラメンゴにいて、フラメンゴFlamengoがロナウドと契約をしようというしっかりした関心がなかったと明らかにした。
「コリンチャンスCorinthiansは自分を信じてくれて、2009年のファンタスティックな計画がある。 とても信頼できる」と、ロナウドは言って、コリンチャンスへ行くことをはっきりとした。
しかし、フラメンゴへの想いを打ち消すことはなく、「自分はフラメンゴのファンであるが、リオ・デ・ジャネイロに戻ってきてから4ヶ月間過ごし、ガーヴェアGáveaでトレーニングをしたが、自分にプロジェクトを全く見せてくれなかった」
そうではあるが、ロナウドRonaldoは、コリンチャンスとの合意の後に、フラメンゴの抗議の対象になった。
-------------------------------
会話が足りなかったようだ。
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ロナウドRonaldoは、コリンチャンスのCorinthians新加入選手として発表されたが、すでに利益を与えた。
コリンチャンスが合意を確認して6時間のうちに、コリンチャンスの本部のパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeの店では80枚のロナウドFenômenoのユニフォームを販売した。
午後だけで、ロナウドは、製品を販売したことで、13,500レアルを動かした。
正午すぐに、役員がロナウドとの契約を発表したすぐ後に、loja Poderoso Timãoには背中にロナウドRonaldoの名前と9番の入ったコリンチャンスのユニフォームがあった。
白と紫と黒で、ユニフォームは1枚169,90レアル。
求める者が多くて、9番はすぐになくなった。
多くのファンは、コリンチャンスの新たなアイドルのユニフォームを買うためにクラブに走ってきた。
コリンチャンスの製品は次のところでも買える。
Shopping Metrô Itaquera,
Shopping Center Vale, (São José dos Campos),
Shopping Aricanduva,
Shopping Mauá,
Shopping Interlagos,
Shopping SP Market,
Shopping Metrô Tatuapé,
Shopping Taboão.
-------------------------------
レアルが安くなったので、
ユニフォームの価格を日本円にすると安くなった。
6000円程度で、ナイキが買える。
それにしても、
コリンチャンスの店があるショッピングセンターはなぜか
すべてやや郊外の二流ばかりだ。
都心部の一流ショッピングにはない。
サンパウロ市では、圧倒的に多いファンを持つコリンチャンス。
だが、そのファンの層を反映しているだろう。
もっとも、正規のユニフォームを買えるのは庶民ではない。
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フラメンゴFlamengoの社長と副社長も、ロナウドRonaldoがコリンチャンスCorinthiansと合意したというニュースには驚かされた。
二人は、12月9日(火)に、ガーヴェアGáveaで2時間会議をしていて、クラブにいた記者から情報を受けた。
社長のマルシオ・ブラーガMarcio Bragaは情報は噂としたがった。
彼は、ロナウドFenômenoとコリンチャンスTimãoの間で交渉の情報があったのを思い出して、ロナウドの代理人のファビアーノ・ファラーFabiano Farahにこれを打ち消させるために電話をした。
しかし、ファビアーノ・ファラー自身から、契約のことを知らせられた。
「本当ならばとても不思議だ。 彼らはフラメンゴFlamengoに満足を与えなかった」と、マリオ・ブラガは言った。
ロナウドRonaldoは左膝の手術からの回復治療の最終段階をガーヴェアGáveaでおこなって、両者はロナウドが完全に回復したらすぐに交渉を始めるとと約束をしていた。
「我々はけがをしている選手とは契約をするつもりはなかった。 それは試合をしなければならないと圧力を与えるとが彼を傷つけるかもしれないからだ」と、マルシオ・ブラーガMarcio Bragaは説明した。
ファンたちがガーヴェアGáveaの前で、ロナウドの写真を焼くことを計画しているが、サッカー担当副社長のクレーベル・レイチKleber Leiteは冷静に言った。
「何をするの。 彼の選択だ。 ロナウドRonaldoが彼のキャリアーにとって最善と思ったのだろう。 我慢だ」と言った。
-------------------------------
ロナウドに、回復治療の場所を与えてきたフラメンゴにしてみれば、
裏切りに違いない。
それに、ロナウドもフラメンゴに対して思わせぶりなことを言ったりしたりしていたのだが。
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terça-feira, 9 de dezembro de 2008
ロナウドRonaldoがコリンチャンスCorinthiansと合意したことは、ロナウドFenômenoの父親までも驚かせた。
ネリオ・ナザーリオ・ヂ・リマNélio Nazário de LimaはロナウドがフラメンゴFlamengoにいくのは正しいとしていた。
彼の息子がフラメンゴのユニフォームを着ているのをみるという夢が延びたにもかかわらず、ネリオ・ナザーリオ・ヂ・リマは決定を理解した。
ネリオ・ナザーリオ・ヂ・リマによると、ロナウドRonaldoがコリンチャンスTimãoの選手としてリオ・デ・ジャネイロのクラブと対戦しなくてはならないのも問題ない。
「フラメンゴFlamengoが我々の心のクラブというのははっきりしている。 しかしプロとしての判断で行った。 ロナウRonaldoドは働かなくてはならない」と、ネリオ・ナザーリオ・ヂ・リマは語った。
ネリオ・ナザーリオ・ヂ・リマは、ロナウドRonaldoがコリンチャンスに適応するのにも困難はないと思っている。
「ロナウドRonaldoは、いつもどこでもうまくやっている」と保証した。
ロナウドFenômenoの父親はコリンチャンスのファンFielにメッセージを送るのに利用した。
ファンは、ロナウドがデビュー前に身体を作ってくるのか、心配することはない」と言った。
-------------------------------
いつも、前向きに考えてくれるとぼけた父親である。
いいキャラクターをしている。
含蓄あるコメントを出すので、よくマスコミに登場する。
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12月9日(火)正午過ぎに、突如出てきた「コリンチャンスがロナウドと契約」という超ビッグニュース。
「2008年のブラジル選手権」など、もう完全に終わった話になった。
コリンチャンスとロナウドという、想像もできない組み合わせに、さすがコリンチャンスと改めて大クラブであることを知らしめた。
とにかく、午後からは、このニュースに関連する報道であふれている。
ロナウドの話なので、これは「通常のオフの話題」とは別にしておきたい。
それに、長くコリンチャンスにいることもないだろうと思うからである。
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コリンチャンスのために診断をする医師ジョアキン・グラヴァJoaquim Gravaが、リオ・デ・ジャネイロRio de JaneiroでロナウドRonaldoの診断をした。
彼によると、30日間でロナウドFenômenoは通常にトレーニングをおこなえる体重になる。
先月、コリンチャンスの役員の依頼により、ジョアキン・グラヴァはリオ・デ・ジャネイロでロナウドRonaldoと会った。
ロナウドは、2月に行った膝の手術からの回復治療中でフラメンゴFlamengoでトレーニングをしていた。
パリParisでの手術の時に、医師団は今年の終わりまでにロナウドはプレイに復帰できると予想していた。
先月17日に、ロナウドRonaldoはグラウンドに戻った。
モロッコMarrocosでの慈善試合で、ジダンZidaneやマルタMartaなどのサッカーでの世界的なスタートともに登場した。
回復治療の最終段階にあるので、ロナウドはグラウンドに22分間いた。
リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで、ロナウドはバッハ・ダ・チジュッカBarra da Tijucaのジムで、体重を落とし、良い身体を作るためのとレーニンをしている。
「30日間で彼はよい体重になる。 ベストではないが、良い体重だ」と、ジョアキン・グラヴァは言った。
サンパウロ州選手権Campeonato Paulistaは、1月21日にはじまり、コリンチャンスCorinthiansはパカエンブーPacaembu競技場でバルエリBarueriと対戦する。
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通常のトレーニングができるまでに、
あと1ヶ月かかると言うことは、
サンパウロ州選手権の開幕に間に合うかどうかかなり怪しい。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
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ピチガリPitiguariという小鳥がやってきた。
はじめて見る小鳥だった。


学名は、Cyclarhis gujanensisだそうだ。

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コリンチャンスCorinthians は、2009年のシーズンのためにロナウドRonaldoと契約した。
膝の手術を受けた2月からグラウンドを離れているFWロナウド32歳は、2009年に向けてコリンチャンスの最大のアトラクションになる。
12月9日(火)、コリンチャンスはロナウドと契約の詳細について合意したという文書を発表した。
コリンチャンスの社長アンドレス・サンシェスAndres Sanchez、サッカー担当役員マリオ・ゴッビMario Gobbi、マーケティング担当役員ルイス・パロ・ローゼンベルグLuís Paulo Rosenbergは契約の最後の清書のため会議をしている。
文書ではすでにロナウドを紹介するための契約書に合意したといっている。
ロナウドRonaldoとの合意は、当初アンドレ・サンシェスによって進められ、この何時間かで起きたことだともいっている。
ロナウドとコリンチャンスとの契約は1年間で、さらに1年の延長の可能性がある。
コリンチャンスは、金曜日にロナウドを紹介する計画である。
3回(1996年、1997年、2002年)もFIFAの最優秀選手に選ばれたロナウドRonaldoは、イタリア選手権Campeonato のミランMilan対リヴォルノLivorno戦で膝の腱を切った。
それで、フランスFrançaのパリParisで手術を余儀なくされた。
ミランとの契約が終了した後契約がないロナウドは、2009年1月にプレイに戻るに違いない。
ロナウドは、回復の最後の段階をフラメンゴFlamengoで行っていて、来年はフラメンゴで活動する噂が高まっていた。
ロナウド自身がフラメンゴのファンである。
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ちょっとした驚きのニュースである。
本当にプレイできる状態になっているのだろうか。
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12月8日(月)、ブラジル・サンパウロは、最高気温が32℃になった。
暑かった。

市内の温度計では、34℃を示していたものもあった。

もう夏が近いので、冬のような雲一つないといった快晴にはなかなかならないが、
雲の量は少ない。

乾燥しているので、
汗がべたつくことはない。
それでも、19時過ぎには、気温は25℃台になっていたが、
深夜になっても、なかなか気温が25℃台から下がらない。
ところで、
外の気温がいくら高くても、拙宅は寒いくらいだといつも思っていたのだが、
実際かなりの気温の差があることがわかった。
外が、32℃でも、
2階でも29度程度。
そして1階では25℃台なのだ。
どちらも、外気が入るように窓を開けている。
特に午前中は、本当に寒い。
しかし、こんなに気温の差があるのは、過ごしよいともいえるし、
逆によくないのではないかと思う。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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6回目となるブラジル選手権を制した1日後、サンパウロFCはブラジル選手権表彰式Prêmio Craque Brasileirãoでの的になった。
4つの部門で、最優秀賞を得た。
その中には、MFのエルナーネスHernanesが得たブラジル選手権の最優秀選手賞も含まれている。
ほかの賞は、8つのクラブに及んだ。
サンパウロFCと同じ8人がノミネートされていたパルメイラスPalmeirasは、フラメンゴFlamengoと同じ2つのトロフィーを得た。
フルミネンセFluminense、コリチーバCoritiba、クルゼイロCruzeiro、グレミオGrêmio、インテルナシオナウ、サントスSantosが、それぞれ1つ賞を得た。
ブラジル選手権選抜は、ヴィクトールVictor, レオ・モウラLeo Moura, チアゴ・シウヴァThiago Silva, ミランダMiranda、フアンJuan; エルナーネスHernanes, ラミレスRamires, ヂエゴ・ソウザDiego Souza、アレックスAlex; クレーベル・ペヘイラKléber Pereira、アレックス・ミネイロAlex Mineiro。
ムリシー・ラマーリョMuricy Ramalho監督は、4年間続けての受賞。
コリチーバCoritibaのFWケイヒソンKeirrisonが、ブラジル選手権の新人賞に選ばれた。
ファン選出名選手は、フルミネンセFluminenseのDFチアゴ・シウヴァThiago Silva。
フラメンゴFlamengoのフアンJuanが、サンパウロFCのヘルナーネスHernanesを押さえて、2位だった。
コリンチャンスCorinthiansは、ただセリエBSérie Bの優勝杯を受け取るだけ以外には舞台にはいなかった。
ファンが「金の応援杯troféu Torcida de Ouro」でたたえられ、社長のアンドレス・サントAndrés Sanchesスが受け取った。
アツレチコ・ゴイアスAtlético-GOもまたセリエCSérie Cの優勝杯を持ち帰った。
表彰式に現れなかったのパルメイラスのマルコスMarcosとアレックス・ミネイロAlex Mineiroである。
このイベントでは、50年前に最初にワールドカップでブラジルが優勝したときに参加した選手たちをたたえた。
特別ゲストはペレである。
2008年のブラジル選手権優秀選手賞Prêmio Craque Brasileirãoの勝者は次の通り。
GK:Goleiro:
1º Victor (Grêmio)
2º Rogério Ceni (São Paulo)
3º Marcos (Palmeiras)
右SB:Lateral-direito:
1º Leo Moura (Flamengo)
2º Vitor (Goiás)
3º Elder Granja (Palmeiras)
右DF:Zagueiro pela direita:
1º Thiago Silva (Fluminense)
2º André Dias (São Paulo)
3º Fábio Luciano (Flamengo)
左DF:Zagueiro pela esquerda:
1º Miranda (São Paulo)
2º Ronaldo Angelim (Flamengo)
3º Réver (Grêmio)
左SB:Lateral-esquerdo:
1º Juan (Flamengo)
2º Leandro (Palmeiras)
3º Kleber (Santos)
右ボランチ:Volante pela direita:
1º Hernanes (São Paulo)
2º Rafael Carioca (Grêmio)
3º Pierre (Palmeiras)
左ボランチ:Volante pela esquerda:
1º Ramires (Cruzeiro)
2º Guiñazu (Inter)
3º Diguinho (Botafogo)
右MF:Meia-direita:
1º Diego Souza (Palmeiras)
2º Tcheco (Grêmio)
3º Ibson (Flamengo)
左MF:Meia-esquerda:
1º Alex (Inter)
2º Wagner (Cruzeiro)
3º Lucio Flavio (Botafogo)
第1FW:Primeiro atacante:
1º Kléber Pereira (Santos)
2º Guilherme (Cruzeiro)
3º Keirrison (Coritiba)
第2FW:Segundo atacante:
1º Alex Mineiro (Palmeiras)
2º Nilmar (Inter)
3º Kléber (Palmeiras)
監督:Treinador:
1º Muricy Ramalho (São Paulo)
2º Vanderlei Luxemburgo (Palmeiras)
3º Celso Roth (Grêmio)
最優秀選手Craque:
1º Hernanes (São Paulo)
2º Kléber Pereira (Santos)、 Alex (Inter)
ファン選出名選手Craque da Galera:
1º Thiago Silva (Fluminense)
2º Juan (Flamengo)
3º Hernanes (São Paulo)
新人Revelação:
1º Keirrison (Coritiba)
2º Marquinhos (Vitória)、 Jean (São Paulo)
審判Árbitro:
1º Leonardo Gaciba (RS)
2º Leandro Vuaden (RS)
3º Carlos Eugênio Simon (RS)
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この表彰式を以て、
2008年のブラジル選手権の全日程を終了した。
2008年のブラジルのサッカーも終わり。
約1ヶ月の休暇になる。
これから、選手の移動が活発になる。
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レナット・ガウーショRenato Gaúcho監督はもうヴァスコ・ダ・ガマの監督ではない。
役員の決定は、ブラジル選手権Campeonato BrasileiroのセリエBに降格が決定する前だった。
新監督の名前は、年末までに発表される。
役員の考えでは監督のリストを作成し、彼らの考え方と、チームの指揮を引き受ける条件を知るために、それぞれを話をする。
役員たちはまだ名前については話をしていないが、2009年のチームを指揮するために重みのある者を望んでいる。
降格のすぐ後の記者会見で、
レナット・ガウーショRenato Gaúcho監督はすでに実質的にお別れをした。
監督は、役員を突っつき、ヴァスコ・ダ・ガマのサッカー部門に間違いがあったと明言した。
「ヴァスコ・ダ・ガマとの自分の契約はこの日曜日までである。 働くのは好きで、頑張った。 しかしまた新たに引き受けるときには自分が望むやり方をしなくてはならない。 出て行くことになる。 もし残るとしたら、多くのことを変えなくてはならない。 間違いがいっぱいある」と、レナット・ガウーショRenato Gaúcho監督は語った。
選手を選ぶほかに、社長は契約の更新を決定するために時間と競争する必要がある。
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レナット・ガウーショ監督も、次世代の監督として、将来を嘱望されている監督の一人である。
だが、なかなか監督としてのタイトルに恵まれない。
今年は、いいところがなかった。
一度海外で監督をするのもよいのではないか。
現役時代は、グレミオとフルミネンセでFWとして活躍し、ブラジル代表にもなっている。
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フラメンゴFlamengoは、12月8日(月)の夜、カイオ・ジュニオールCaio Júniorはもうフラメンゴの監督ではないと発表した。
フラメンゴのサッカー担当副社長のクレーベル・レイチKleber Leiteとカイオ・ジュニオールの代理人のジョアン・フランシスコJoão Franciscoとの会議が、クラブの本部であった。
この会議で、両者は合意に達して、何も契約解除の罰金を要求しない。
契約は2009年の末までであった。
フラメンゴは今週中にも交代の名前を決定したいとしている。
「彼は出た。 契約解除の合意をした。 カイオ・ジュニオールCaio Júniorは海外からのオファーがあり、3ヶ月間の休暇を取る。 電話でカイオ・ジュニオールに感謝した。 今ほかのことすることはない。 人生は続く。 最高レベルのプロはいつか戻ってくる」と、クレーベル・レイチKleber Leiteは言った。
カイオ・ジュニオールは、日本Japãoのヴィッセル神戸Vissel Kobeとの話が進んでいる。
ブラジル選手権が終わる前にフラメンゴFlamengoを去ることを決めていた。
彼が出て行くことにしたのは、選手権の戦いよりも、両者間の軋轢であった。
役員の分析では、カイオ・ジュニオールは選手権の終わりにチームのやる気を盛り上げなかったし、要求した選手を利用しなかった。 カイオ・ジュニオールCaio Júniorからすると、フラメンゴは組織がない。
ブラジル選手権の38試合を指揮して、カイオ・ジュニオール監督は、18勝2分10敗であった。
10節の間トップにしたが、フラメンゴRubro-Negroは最終的に勝ち点64点で、勝ち点率は56%で、5位だった。
この火曜日に、クレーベル・レイチKleber Leiteとマルシオ・ブラーガMarcio Braga社長は新監督について決定するために会議をする。
副社長はカルロス・アルベルト・ペヘイラに関心があると確認した。
「社長とこの件を始めなくてはならない。 メルカードはダイナミックなので、急ぐ」と、クレーベル・レイチKleber Leiteは言った。
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カイオ・ジュニオール監督は、まじめな人柄。
魑魅魍魎が跋扈する名門フラメンゴは疲れるのだろう。
フラメンゴの最大のアイドルのジーコでさえ、
現在のフラメンゴの経営陣とは距離を置いている。
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segunda-feira, 8 de dezembro de 2008
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
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ピチガリPitiguariという小鳥がやってきた。
はじめて見る小鳥だった。


学名は、Cyclarhis gujanensisだそうだ。


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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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domingo, 7 de dezembro de 2008
ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
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ピチガリPitiguariという小鳥がやってきた。
はじめて見る小鳥だった。

学名は、Cyclarhis gujanensisだそうだ。


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サッカー・ブラジル選手権のセリエAの最終節第38節の全試合が、
12月7日(日)17時から行われた。
試合結果は次の通り。
12月7日(日) 第38節
試合開始 試合結果 競技場
17h Fluminense 1 x 1 Ipatinga Maracanã
17h Grêmio 2 x 0 Atlético-MG Olímpico
17h Goiás 0 x 1 São Paulo Bezerrão
17h Santos 0 x 0 Náutico Vila Belmiro
17h Atlético-PR 5 x 3 Flamengo Arena da Baixada
17h Vasco 0 x 2 Vitória São Januário
17h Figueirense 3 x 1 Internacional Orlando Scarpelli
17h Cruzeiro 4 x 1 Portuguesa Mineirão
17h Palmeiras 0 x 1 Botafogo Parque Antarctica
17h Sport 4 x 3 Coritiba Ilha do Retiro
※すでに降格が決まっていたイパチンガは結局9勝に終わった。
フルミネンセは何とか南米杯出場権を得た。
※グレミオは勝利したが、逆転優勝はできなかった。
※サンパウロFCは、自力で優勝を決めた。
※サントスは、引き分けでまた順位を15位に下げた。
ナウチコも順位を下げたが、降格は免れた。
※アツレチコ・パラナセンセは勝って、降格を免れさらに南米杯出場圏内に入った。
フラメンゴは破れて、リベルタドーレス杯出場圏内に入ることができなかった。
※ヴァスコ・ダ・ガマは破れて、降格決定。
※フィグェイレンセは勝ったが、降格決定。
※クルゼイロは3位確定。
※パルメイラスは地元パレストラ・イタリアで破れたが、4位で、
リベルタドーレス杯出場権を手にした。
※※第38節のゴールシーン。
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優勝: サンパウロFC
リベルタドーレス杯出場権: サンパウロFC
グレミオ
クルゼイロ
パルメイラス
スポルチ(ブラジル杯優勝クラブ)
降格: フィグェイレンセ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ポルツゲーザ
イパチンガ
(セリエBからの昇格): コリンチャンス
アヴァイ
サント・アンドレ
バルエリ
この結果、2009年のブラジル選手権は、
サンパウロ州のクラブが6クラブ参加することになった。
サンパウロ州のクラブにとっては、
移動が少なく、
費用的にも体力的にも、有利になる。
その6クラブは、サンパウロ市を中心にわずか80キロほどに集まっている。
※コリンチャンス、パルメイラス、サンパウロFCはサンパウロ市。
サント・アンドレとバルエリはともにサンパウロ市の衛星都市で30キロ程度。
もっと遠いのがサントスで80キロ弱。
-------------------------------
(最終順位は次の通り)

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サッカー・ブラジル選手権2008のセリエAの最終節の第38節の、
ゴイアス対サンパウロFCが、
12月7日(日)17時から、
連邦区のガマで行われ、
サンパウロFCが1対0で勝利。
この結果、
他の試合の結果に関係なく、
優勝を決めた。
ブラジル選手権におけるサンパウロFCの優勝は6回目。
それも、初めての3年連続優勝となった。
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サンパウロ市内は、
このところ普段はおとなしいサンパウロFCのファンが現れており、
特に今日(12月7日)は朝から、
それらしい人が目立っていた。
テレビの放送前から、
市内では時折花火が上がり、
さらに、得点時、
さらに、試合の行方がほぼ決まった試合終了前からは、
各所では花火が断続的に上がった。
おそらく、
市内を、
ファンが車で走り回っていることだと思う。
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サンパウロ市の市街地の北方を、東から西へ流れるチエテ川。

内陸に向かって流れ、
やがてパラナ川と名前を変え、
さらにラプラタ川となって、ウルグアイとアルゼンチンの国境となり、ついに大西洋に流れる。
このチエテ川はサンパウロ市域では、
その両岸が、片道6-8車線の道路になっていて、
サンパウロ市でそしてブラジルで、最も重要な道路となっている。

東に行けば、430キロ先のリオ・デ・ジャネイロに至る道である。
また、ブラジル南部やサンパウロ州内陸部に行くにも、この道を通らなくてはならない。
このチエテ川は、毎年夏になり、ちょっと激しい雨が降ると、すぐに増水して、道路が冠水するような状況になっていた。
このため、改修工事が行われ、川底の浚渫や護岸工事が行われ、一応2006年末に終了した。
この工事には、一部、
日本国民の税金が使われた。
その工事が終わって、両岸には木も植えられ、順調に生育していた。

植えられた木も最初は頼りなさそうだったが、徐々に幹も太さを増してきた。

その工事の完了を記念したモニュメントも建てられていた。
でも、今みると、それがなんだったのか全くわからないような状態になっている。

めぼしいところは、すべてはぎ取られ、鉄骨だけになりはてて、さらに落書きまである。

こんなものである。
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10月26日(日)から12月6日(土)まで、
イビラプエラ公園のビエンナル館で開催中の、
「第28回サンパウロ・ビエンナル」。
とんでもなく規模が縮小されたわけで、見るべきところも作品も当然少なくなった。
12月6日に、静かに閉幕したようだ。
開幕直後に、ここでとりあげたように、
会場内で落書き集団による騒ぎがあったことで、
第2週目からは、入り口に金属探知機が設置されるという事態になっていた。

空港のようだったのだ。
だけど、いつも見学者は少なく、手持ちぶさたな案内人と緊張した警備員だけが目立つ状態であった。
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ブラジルで大人気の日系人タレントのサブリナ・サトウSabrina Sato。
サブリナ・サトウは、rede TV!局が毎週日曜日20時30分頃から約2時間放送している、ブラジルで最も下品な馬鹿番組のpanico na TVにレギュラー出演している。
この番組の企画で、今まで考えられないくらい数々のハードな(そして時には馬鹿馬鹿しい)チャレンジをさせられてきたサブリナ・サトウである。
------------------------------
このブログは長くやってきたが、
何度もサブリナ・サトウを取り上げてきた。
最初は、こんなに取り上げるとは思っても見なかったのだが、
彼女の活躍が続くので、今まで来た。
たとえ半分だけでも日系人という立場の人間が、
ブラジルのテレビ界や芸能界のトップのひとりになるなどということは、
以前はとても想像できなかった。
未だにその扱いには、
多少「色物」としたところもあるが、
その中でうまく立ち回っているサブリナ・サトウはすばらしいと思う。
そのサブリナ・サトウに実際に会う機会が、
本当に偶然に起きた。
panico na TVのロケで、
別のレギュラーのヴェスゴといた。
頼みもしないのに、おおはしゃぎでポーズをとってくれた。

スタッフが、
写真を撮ってくれた。
日本の芸能界とは大違いだ。

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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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サンパウロ市の危機管理センターCGE (Centro de Gerenciamento de Emergência)によると、12月6日(土)は空には雲が少しあるが、すぐに快晴になる。
朝のはじめの気温は15℃だが、太陽が出てくることで徐々に上昇し25℃になる。
一日に晴れていて、大サンパウロGrande São Paulo都市圏内で雨の予報はない。
国立気象研究所Inmetの予想でサンパウロ市は部分的に曇りとなっているにもかかわらず、サンパウロSão Paulo市中心部は9時で快晴である。
気温は19℃。
-------------------------------
明け方は、15℃まで冷えるサンパウロ。
午前中の室内は本当に冷えている。
当然、長袖。
太陽が出て、快晴にもかかわらず、12時でも22℃。
でも、市中の温度計によっては、29℃などという表示もあった。
午後になって、やや雲が出てきたが、一応晴れていたサンパウロ市。
半袖で過ごさなくてはならないほど暑くはならなかった。
そして、夜になるとまた冷えはじめ、
窓を開けていると冷たい風が入ってくるので、閉めた。
長袖でも寒くなり、またカーディガンを着た。
このところ、サンパウロ市は晴れていてもそれほど暑くならない。
流れている風は、ちょっと冷たい気がする。
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sábado, 6 de dezembro de 2008
ブラジルの通貨レアルは、
2004年7月からほぼ4年間、対米ドルに対して上昇を続けていた。
しかし、その流れは、米国発の世界的な金融危機の中で、
2008年8月に反転し、
レアルは米ドルに対して急降下を続けている。
このところやや凪になっていたのだが、
今週になり再び下落をし、
5日(金)の取引途中のレートでは、
1レアル=2.6米ドルまでいった。
ブラジル中央銀行が介入をして、
終値で2.4米ドル台まで戻したが、
それでも2005年の水準である。

一方、日本円は、
今週対米ドルで上昇した。
米ドルを挟んで、上昇している日本円と、
下落しているレアルは対象的で、
とうとう1レアル=35円台とこちらは2004年8月の水準になってしまった。


2004年8月の1レアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の為替レートをベースにした、変動率の推移を示したグラフである。

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日本円とレアルでの、
投資や資産が、
それなりに均衡しているのだが、
すべてが、
2004年8月の水準に戻ってしまい、
儲けていた部分はすべて消えてしまい、
損したところはやっぱり損している。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
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ピチガリPitiguariという小鳥がやってきた。
はじめて見る小鳥だった。

学名は、Cyclarhis gujanensisだそうだ。


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10月26日(日)から12月6日(土)まで、
イビラプエラ公園のビエンナル館で開催中の、
「第28回サンパウロ・ビエンナル」。
とんでもなく規模が縮小されたわけで、見るべきところも作品も当然少なくなった。
最上層の階の作品を紹介をしていたが、
わざわざ紹介するような作品もないのでやめることにした。
カーペットが敷いてあり、
その端に白い山がある。


白い山は、文字でできている。
文字は木製であった。


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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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sexta-feira, 5 de dezembro de 2008
このブログで、ずっと取り上げてきたサブリナ・サトウだが、
9月くらいからご無沙汰になってしまった。
元気で、
今も、毎週日曜日20時30分からrede TV!局で放送されているpanico na TVに出演している。
サブリナ・サトウに関する記事の初期の部分についての索引である。
2008年の9月分までで「その139」までいっていたので、約半分である。
2004/12/8 ブラジル版プレイ・ボーイ誌最新号に、日系女性が巻頭を飾る
2005/3/27 ブラジルのセンスある政府広報
2005/6/8 ロナウドの前妻(?)ダニエラ・チカレリに新恋人 その5
2005/7/8 サブリナ・サトウは、ブラジル日系の星
2005/8/14 ブラジルの「サブリナ・サトウ」
2005/8/21 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その2
2005/8/29 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その3
2005/9/4 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その4
2005/9/8 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その5 ハリケーン
2005/9/10 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その6
2005/9/17 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その7 ゴミ収集
2005/9/18 ブラジルのFIATのCMにきれいな日系人がいる。
2005/9/19 ブラジルの「ダニエリ・スズキ」
2005/9/21 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その8 サトウキビ
2005/9/23 ブラジルで一番の馬鹿番組
2005/9/30 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その10 ダチョウ 2
2005/9/30 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その9 ダチョウ 1
2005/10/4 ブラジルで一番の馬鹿番組 その2 代役
2005/10/5 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その11 元気に登場
2005/10/16 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その12 「風船」と「小学4年生」
2005/10/19 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その13 「風船」の続編
2005/10/19 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その14 動くサブリナが、日本でも見ることが出来る
2005/10/21 気さくな「サッカー・ブラジル代表」の記者会見 その2 サブリナ・サトウ登場
2005/10/27 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その15 「風船」で、まだもたせる
2005/10/30 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その16 サブリナ・サトウは歌えない。
2005/11/1 ブラジルの「ダニエリ・スズキ」 その2
2005/11/4 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その17 サブリナ・サトウ飛ぶ1
2005/11/5 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その18 サブリナ・サトウ飛ぶ2
2005/11/6 ブラジルで一番の馬鹿番組 その3
2005/11/9 ブラジルのテレビ番組が放送禁止処分
2005/11/10 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その19 スタジオ復帰
2005/11/12 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その20 チャレンジ・コーナー
2005/11/14 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その21 GLOBO
2005/11/15 ブラジルのテレビ番組が放送禁止処分 その2 電波が止められた
2005/11/19 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その22 ランジェリー復活
2005/11/20 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その23 小さなチャレンジ
2005/11/24 ブラジルで一番の馬鹿番組 その4
2005/11/29 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その23 宅配ピザ1
2005/12/4 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その24 宅配ピザ2
2005/12/15 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その25 ただのランジェリー
2005/12/29 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その26 潜ったり、上がったり、下がったり
2006/1/5 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その27 表紙を飾る
2006/1/8 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その28 ナタウ
2006/1/11 ブラジルの"Big Brother Brasil" その1
2006/1/22 ブラジルで一番の馬鹿番組 その6 放送コード2
2006/1/27 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その29 最近のサブリナ・サトウ
2006/1/31 ブラジルの広告 その6 超豪華な顔ぶれの銀行のCM
2006/2/10 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その30 サンパウロの歴史的建造物
2006/2/12 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その31 絶叫し、失神するサブリナ・サトウ
2006/2/13 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その32 日本のrede TV!の人
2006/2/17 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その33 電気ウナギ
2006/2/28 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その33 サブリナ・サトウにぶっかけ1
2006/3/5 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その34 サブリナ・サトウにぶっかけ2
2006/3/7 ブラジル・サンパウロのカルナヴァウ その25 サブリナ・サトウ登場
2006/3/8 ブラジルのカルナヴァウ その5 雑誌
2006/3/14 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その35 どうしようもない企画
2006/3/17 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その36 サブリナ・サトウ寝起き
2006/3/18 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その37 牧場での一日
2006/3/25 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その38 消防・救助訓練
2006/4/1 ブラジルで一番の馬鹿番組 その7 法務省の決定
2006/4/2 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その39 科学の実験
2006/4/2 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その40 サブリナ・サトウが。。。。
2006/4/5 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その41 犬
2006/4/5 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その42 サブリナ・サトウの「退場」1
2006/4/6 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その43 サブリナ・サトウの「退場」2
2006/4/8 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その44 サブリナ・サトウの「退場」3
2006/4/9 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その45 1週間経って
2006/4/11 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その46 サブリナ・サトウの「退場」4
2006/4/12 ブラジルで一番の馬鹿番組 その9 その罪状1
2006/4/12 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その47 サブリナ・サトウの「退場」5
2006/4/15 ブラジルで一番の馬鹿番組 その10 その罪状2
2006/4/16 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その48 サブリナ・サトウの「復帰」は近い
2006/4/20 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その49 サブリナ・サトウの「近況写真」
2006/4/27 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その50 サブリナ・サトウの「公式ファンクラブ」
2006/5/1 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その51 サブリナ・サトウは歌手へ転身
2006/5/4 サッカー・ブラジル代表 ワールドカップ態勢 その13 ロナウヂーニョ・ガウショ
2006/5/7 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その52 【速報】サブリナ・サトウがヴィデオで登場
2006/5/13 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その53 サブリナ・サトウの出演で視聴率が2倍。
2006/5/14 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その53 サブリナ・サトウ
2006/5/15 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その54 唄い、踊るサブリナ・サトウ
2006/5/20 ブラジルで一番の馬鹿番組 その11 サブリナ・サトウに替わる企画
2006/5/21 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その55 サブリナ・サトウ、メキシコへ飛ぶ。
2006/5/23 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その56 サブリナ・サトウが語り、そして唄い踊った。
2006/5/27 サッカー・ブラジル代表 スイス合宿 その27 警備が強化された。
2006/5/28 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その57 サブリナ・サトウが語り、そして唄い踊った。 2
2006/5/28 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その58 今週もビデオ・レター。
2006/5/31 ブラジルで一番の馬鹿番組 その12 サブリナ・サトウに替わる企画2
2006/6/4 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その59 サブリナ・サトウも、ドイツに行くようだ。
2006/6/6 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その60 サブリナ・サトウのSBT移籍報道。
2006/6/11 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その61 欧州紀行
2006/7/22 ブラジル・サンパウロのゲイ・パレード その10 ナス男。
2006/7/24 ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その62 新たな使命。
2006/7/30 ブラジルの歌番組。
2006/8/13 ブラジルのサブリナ・サトウ その63 新たな使命2。
2006/8/20 ブラジルで一番の馬鹿番組 その13 視聴年齢制限がとれたpanico na TV。
2006/8/20 ブラジルのサブリナ・サトウ その64 【速報】サブリナ・サトウがスタシオ復帰。
2006/8/27 ブラジルのサブリナ・サトウ その65 今夜も無事出演。
2006/9/20 ブラジルのサブリナ・サトウ その66 復帰後のサブリナ・サトウ。
2006/9/28 ブラジルのサブリナ・サトウ その67 濡れて、大絶叫。
2006/10/4 ブラジルのサブリナ・サトウ その68 過激度と、露出時間を増した。
2006/10/13 ブラジルのサブリナ・サトウ その69 人間バンパー。
2006/11/29 2006サンパウロ自動車ショー その6。
2006/12/31 ブラジル・サンパウロをGoogle Mapでみる その32 rede TV!局
2007/1/1 ブラジルのサブリナ・サトウ その70 埋葬されたサブリナ・サトウ。
2007/1/2 ブラジルのサブリナ・サトウ その71 目隠しテスト。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
-----------------------------
ベン・チ・ヴィーが水をのみにやってきた。


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10月26日(日)から12月6日(土)まで、
イビラプエラ公園のビエンナル館で開催中の、
「第28回サンパウロ・ビエンナル」。
とんでもなく規模が縮小されたわけで、見るべきところも作品も当然少なくなった。
最上層の階の作品を紹介している。
柱にかけられたモニターには、異なった作品映像があった。
どう切り込んでよいのか理解できない。

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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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ボランチのツゥーリオが、コリンチャンスCorinthiansにとって2009年のシーズンのための最初の強化戦力である。
ツゥーリオTúlioの加入が、12月4日(木)の午後、コリンチャンスTimãoの役員によって公式に発表された。
公式な紹介は、選手達がトレーニングに戻ってくる日と同じ12月26日に予定されている。
ボタフォゴBotafogoとの契約を最近解除したツゥーリオはサンパウロで健康診断を行い、コリンチャンスAlvinegroと2010年12月31日までの契約に署名した。
ツゥーリオは、元インテルナシオナウex-InternacionalのFWフェルナンドンFernandãoと同じチームのカタールQatarのアル・ガハラファAl-Gharafaからオファーを受けていた。
しかし交渉のためにコリンチャンスTimãoから正式なオファー期待していると言っていた。
以前から、ツゥーリオはコリンチャンスの技術担当役員のアントニオ・カルロス・ザーゴAntônio Carlos Zagoから求められていた。
ツゥーリオ・ルストーザ・セイシャス・ピニェイロスTúlio Lustosa Seixas Pinheirosは、1976年4月25日にブラジリアBrasília-DFで生まれた。
ツゥーリオotafogoは、今年のブラジル選手権ではボタフォゴでプレイした。
以前には、ゴイアスGoiás、サウジ・アラビアArábia Sauditaのアル・ヒラルAl-Hilal、そして日本Japãoの大分トリニータOita Trinitaでもプレイしている。
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年齢はやや高いが、活躍を期待したい。
コリンチャンスは、まだ契約を延長しない契約切れの選手リストを発表していない。
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quinta-feira, 4 de dezembro de 2008
ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。
ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。
サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。
二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。
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バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。
彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシCambuci、リベルダーヂLiberdade、ベラ・ヴィスタVela Bistaのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。
撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。
描いた彼らはもっと大変だっただろうか。
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もう、発見は難しいと思っていたのだが、まだよく気をつけていれば発見できるのだと思った。
12月になり、
サンパウロ市の日中の道路の渋滞はとても激しくなっている。
車が動きそうもないときには、
何となく周囲の街並みを見てしまう。
動いているときとは、また違って見える。
サンパウロ市の歴史的中心部から東部へ向かう大幹線道路のアルカンターラ・マシャード大通り。
このアルカンターラ・マシャード大通りが、鉄道を越すために、高架になっている部分がある。
アルカンターラ・マシャード陸橋という名前である。
東部から、セントロに戻るときに、この陸橋の上で渋滞にはまってしまった。

南側の建物を見ていたら、そこにパンドルフォ兄弟のグラフィッチを発見してしまったのだ。

描かれてから、時間がたっているような作品だったが、
そのキャラクターはまさしくパンドルフォ兄弟の手による物だということを示していた。

同一場所には、ニナ・パンドルフォの作品もあった。
こういうことがあれば、渋滞も多少いいものだと思う。
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もうあと3週間で、ナタウ(=クリスマス)になる。
このところの経済の動きからして、
株、投資信託それに為替で、財産を目減りさせ、
さらに金利の上昇で負債の返済の負担が増えている中流層以上の「可処分所得が多い階層」は、
当然大きな出費を控える行動に出ているようだ。
超富裕層は多額の損失を出しているだろうが、
買い物程度には変化はないだろう。
彼らが散財をしないと、その下の階層にはお金が回っていかない。
所得の再分配が進まないと、治安に問題が出てくる。
今のところ、一時帰休などの話題も出ているが、
失業率が上がっていないのが、まだ救いだ。
ただ、例年並みに、このところ物乞いが増えてきたのには閉口している。
時期的なものだ。
それに、強盗事件などが多発してきて物騒になっているようだ。
気をつけなくてはならない時期だ。
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今年もまた、リサイクル仕様のツリーがあった。
サンパウロ市東部のカルモ公園にあった。

3本のツリーが立ててあったのだが、
青く見えるのは水のペットボトルで、
緑のは清涼飲料水のペットボトルである。
そして、真ん中は空き缶をつぶして取り付けてあるのである。

結構きれいに見えるものだ。

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12月3日(水)は、
「コピー物撲滅の日」だったそうだ。
ブラジル・サンパウロでよくあるコピー物は、
CDとDVDである。
音楽CD,PCソフト、ゲーム機ソフト、そして映画DVDで、
街中で広く堂々と売られている。
安い。
リベルダーヂに行くと、
日本語のソフトも売られている。
PCソフトも売っている。
時々、摘発が行われている。
そして、時々「製造元」や「保管場所」が発見されて、大量に押収されている。
さて、
パカエンブー競技場の前にあるシャルレス・ミラー広場に、昼過ぎに人だかりがあった。

テレビの中継車も2-3台来ていた。

その没収したコピー物のCDやDVDを割っていたのだ。

このようなデモンストレーションは、いつもここで行われる。
1年に2-3回はあるような。

ただ、全部割れているようでもなかった。
この催しが終わったあとの、後片付けを見ていたが、大変そうだった。
おまけに、ラベル紙が舞って、飛んでいって、清掃に手間がかかりそうだった。
ここで、何万枚か割っても、全く影響はない。
市内の売り場にはいくらでもある。
それに、ブラジルには、
これらソフトの無料ダウンロード・サイトがいっぱいある。
もちろん、違法である。
テレビのニュースでは、
コピー物の氾濫によって、
正規の権利者の利益が失われることによって、
雇用も減って、
経済にダメージを与えていると言っていた。
コピー物を売って生業としている人たちに、
お金が回っているという「実体経済」には言及はなかった。
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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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今年は、全然取り上げていなかった南米杯。
12月3日(水)22時から、ブラジルのリオ・グランヂ・ド・スル州の
州都ポルト・アレグレのベイラ・リオ競技場で、
ブラジルのインテルナシオナウ対アルゼンチンのエスツダンデスの間で、
決勝第2戦が行われた。
結果は、
インテルナシオナウが延長の後半で1対1として、
優勝を決めた。

この南米杯には、
今までブラジル勢は決勝に進んだこともなかったのだが、
インテルナシオナウは、
決勝第1戦のアウェーで、
PKにより1対0で勝っていた。
そして、ホームの試合ときわめて有利な状況だったのだが、
後半になって、
エスツダンテスにゴールを決められて、
本戦は0対1で敗れた。
第1戦の結果と併せて、
引き分けなので、
15分ずつの延長戦が行われた。
そして、延長戦になって疲れがたまったエスツダンテスのゴール前で、
ニウマールがゴールを決めた。
この南米杯は、勝ってもそれほど意味が無く、
それほど人気がある選手権ではない。
ブラジル選手権で、上位を競り合っているクラブは、
この南米杯を捨てる。
南米杯に優勝したチームの特典は、
翌年の8月頃に、
前年のリベルタドーレス杯の優勝クラブと、
レ・コッパという試合を行うくらいである。
※※
その後、
スルガ杯にも招待されることを知った。
この南米杯のスポンサーは、日産自動車。



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quarta-feira, 3 de dezembro de 2008
10月26日(日)から12月6日(土)まで、
イビラプエラ公園のビエンナル館で開催中の、
「第28回サンパウロ・ビエンナル」。
とんでもなく規模が縮小されたわけで、見るべきところも作品も当然少なくなった。
最上層の階の作品を紹介している。
同じ作家によるビデオ映像作品が、2つあった。


どうもビデオ映像作品は苦手だ。


時間がかかるものは嫌い。
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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
-----------------------------
6月になって、
拙宅の北側の木に、
蜜吸いを設置した。
ブラジルでは、スーパーでも売っているようなもので、
ハチドリのような蜜を吸う鳥を呼び寄せるためのものである。
ハチドリと並んで、
蜜が好きなのはカンバシッカCambacicaである。
ハチドリのように、空中で羽ばたきながら、蜜を吸うことはできない。



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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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ブラジル・サンパウロでも、
「月と木星と金星」が近くに光っていた。

12月1日(月)の19時頃から、21時頃まで西天に輝いていた。

※12月2日(火)は、雨のため確認できず。
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terça-feira, 2 de dezembro de 2008
もうあと2ヶ月で、ナタウ(=クリスマス)になる。
このところの経済の動きからして、
株、投資信託それに為替で、財産を目減りさせ、
さらに金利の上昇で負債の返済の負担が増えている中流層以上の「可処分所得が多い階層」は、
当然大きな出費を控える行動に出ているようだ。
超富裕層は多額の損失を出しているだろうが、
買い物程度には変化はないだろう。
彼らが散財をしないと、その下の階層にはお金が回っていかない。
所得の再分配が進まないと、治安に問題が出てくる。
今のところ、一時帰休などの話題も出ているが、
失業率が上がっていないのが、まだ救いだ。
ただ、例年並みに、このところ物乞いが増えてきたのには閉口している。
時期的なものだ。
-------------------------
さて、街中の飾り付けも、ずいぶんと完了してきたので、
それらを紹介していきたい。
やはりパウリスタ大通りにあるブラデスコ・プライムという富裕層向けに特化した銀行の支店である。

ここは年々豪華になってきている。


今年は、汽車が置かれた。


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ブラジル・サンパウロでは、
いつも街の中で、何かイベントが行われているように思う。
残念ながら、とてもそれらの一つ一つ追っていくことはできないどころが、
突然出くわしてなんだろうと思っただけで、そのままにしておくことも多い。
特に、10月下旬からは、第26回サンパウロ・ビエンナルが開催されていることもあって、
協賛するかのような美術展がいくつか開催されている。
それらを、とても追っかけることはできそうもない。
10月下旬から、
サンパウロの街角に立っている銅像のいくつかが救命胴衣を着けている。
全部で、20体ほどあるようだ。
すでに4体を紹介したが、
さらに1体発見したので追加しておく。
パウリスタ大通りのMASP(サンパウロ州立美術館)の向かい側のトリアノン公園の前にある。



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10月26日(日)から12月6日(土)まで、
イビラプエラ公園のビエンナル館で開催中の、
「第28回サンパウロ・ビエンナル」。
とんでもなく規模が縮小されたわけで、見るべきところも作品も当然少なくなった。
最上層の階の作品を紹介している。
最上層に敷き詰められた樹脂のカーペット。
これも作品のようだ。

初日から、一部がはがれたのがあったが、それも作家の狙いなのだろう。

違いない。

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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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segunda-feira, 1 de dezembro de 2008
もうあと2ヶ月で、ナタウ(=クリスマス)になる。
このところの経済の動きからして、
株、投資信託それに為替で、財産を目減りさせ、
さらに金利の上昇で負債の返済の負担が増えている中流層以上の「可処分所得が多い階層」は、
当然大きな出費を控える行動に出ているようだ。
超富裕層は多額の損失を出しているだろうが、
買い物程度には変化はないだろう。
彼らが散財をしないと、その下の階層にはお金が回っていかない。
所得の再分配が進まないと、治安に問題が出てくる。
今のところ、一時帰休などの話題も出ているが、
失業率が上がっていないのが、まだ救いだ。
ただ、例年並みに、このところ物乞いが増えてきたのには閉口している。
時期的なものだ。
-------------------------
さて、街中の飾り付けも、ずいぶんと完了してきたので、
それらを紹介していきたい。
まずは、例年異常なほどお金をかけて、建物を飾り付けている、あの銀行だ。
パウリスタ大通りにある。
3年前までは、ボストン銀行だったが、
ボストン銀行のブラジル部門をイタウに売却したので、
今はイタウ・ペルソナリテという富裕層向けの銀行の支店として営業している。


行き着くところまで行ったので、
今年は若干押さえているように思える。



夜になると、また違うのかもしれないが、
それはまた機会を見て報告できたらと思っている。
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10月26日(日)から12月6日(土)まで、
イビラプエラ公園のビエンナル館で開催中の、
「第28回サンパウロ・ビエンナル」。
とんでもなく規模が縮小されたわけで、見るべきところも作品も当然少なくなった。
最上層の階の作品を紹介している。
この作品を見落としていたので、
この作品のためだけに、1回会場に行った。

この作品があるはずのところで、
なかなか作品を見つけることができなかった。

見落として当然なはずだった。


これで、ビエンナルの作品なのだから、たいしたものというべきか。


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サンパウロ市には、海がない。
最も近い海までは80キロほど、
しばらく、サンパウロのありのままの海岸を紹介している。
季節は、冬になった。
ブラジルの季節では、冬は6月21日から9月20日までである。
つまり、日本でたとえると、夏至から秋分までの時期となる。
このあたりの海岸がにぎわうのは、10月中旬から4月上旬の天気がよい日だ。
4月下旬から9月までは、裸になるには寒い。
8月も下旬になると、冬も終わりに近づく。
太陽は徐々に高さを取り戻す。
曇りの日は、最高気温は10数度の日が続いても、
その翌週になると、一転し、
快晴の日は、サンパウロで30度を超すこともある。
そういう日を狙って、海岸に行くと、
海に入るには水は冷たいにもかかわらず、
もう海好きな人が現れている。



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ブラジル・サンパウロ市の中心部に近い一戸建て住宅専用街にある拙宅の付近は、都心にしては緑に溢れている。 大木も多い。 花の咲く木や実のなる木など、街路樹やそしてそれぞれの家に植えられた庭木には、実に多くの小鳥たちが集まっている。
拙宅にもやってくるそういった小鳥達を淡々と紹介している。
小鳥たちの中には、一年中見ることができるのもいれば、
ある季節にしか見ることができないものもいる
-----------------------------
6月になって、
拙宅の北側の木に、
蜜吸いを設置した。
ブラジルでは、スーパーでも売っているようなもので、
ハチドリのような蜜を吸う鳥を呼び寄せるためのものである。
ハチドリと並んで、
蜜が好きなのはカンバシッカCambacicaである。
ハチドリのように、空中で羽ばたきながら、蜜を吸うことはできない。


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