segunda-feira, 14 de fevereiro de 2011

ブラジル・サンパウロのコリンチャンスのロナウドの引退会見。

2月14日(月)13時から、
サンパウロ市東部にある
コリンチャンスのパルケ・エコロジコ・トレーニング・センターにおいて、
ロナウドの記者会見が行われた。
約50分間続いた。
記者会見の前に、
ロナウドは、
グランドの選手たちにお別れをした。
http://sportv.globo.com/videos/v/antes-da-coletiva-de-despedida-ronaldo-cumprimenta-os-companheiros-de-corinthians/1435326/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1


ロナウドは、
何度も感極まり、
また非常にゆっくりと言葉を選んで話をした。
http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-anuncia-aposentadoria-e-explica-que-lesoes-encurtaram-carreira/1435460/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-revela-que-familia-estava-viajando-e-diz-estava-sozinho-quando-decidiu-parar/1435504/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

引退の大きな理由として、
膝のけがに加えて、
あらたに
ミランにいるときにすでに発症していたとのことだが、
甲状腺の異常(hipotireoidismo)をあげた。

これが、
体重の減少を妨げたということである。

治療は、ホルモン療法なのだが、
これを行うと、ドーピングとなるので、
これを行うことができなかったという。

すでに、
コリンチャンスのユニフォームは着用していなかったが、
ユニフォームと同色のナイキのポロシャツを着ていた。

二人の息子も同席した。
最初の結婚で生まれたロナウドと、
昨年末にDNA検査の結果確認された、日系のミシェリ梅津との間に生まれたアレックスである。

選手としては引退したが、
当分、コリンチャンスで、各種プロジェクトに関わる。
http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-revela-que-continuara-no-corinthians-levando-o-nome-do-clube-pelo-mundo/1435507/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

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domingo, 13 de fevereiro de 2011

ブラジル・サンパウロのコリンチャンスのロナウドが引退。

ロナウドが引退を決めたようだ。

2月13日(日)のある新聞では、友人の談として報じられていたが、
夕刻になって、
各メディアでも、
「ロナウドが引退を決めた」ということを、
同日に行われたサッカーの試合の結果よりも、
大々的に報じている。
http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-pode-anunciar-aposentadoria-nesta-segunda-feira/1434962/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

ロナウド本人は、まだ、登場していない。

2月14日(月)12時40分から、
サンパウロ市東部の
コリンチャンスのパルケ・エコロジコ・トレーニング・センターにおいて、
記者会見が設定されている。

ここで、正式にロナウド本人が発表するようだ。

12時40分という中途半端に思える時刻は、
Globo局の昼のスポーツ番組”GLOBO Esporte”の放送時刻にあわせたことは明々白々。

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コリンチャンスは、2月12日(土)に
ロベルト・カルロスとの契約を解除したばかり。

続いて、
ロナウドがいなくなるわけである。

経営的には、
超高給の二人がいなくなるわけで、支出は減る。
その分、若くて、まだ安い選手を買うことができるだろうが、
入場料やテレビ放送料さらにスポンサー料が
減ることもまた否めない話だ。

2008年末のロナウドの入団で、
場所によっては5倍以上になった入場料がいささかでも安くなるのだろうか。
ブラジルのクラブの中では、断トツに高い入場料だが、
それでもコリンチャンスのファンはいつも大挙して現れていた。

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ロナウドの選手生活は、けがとの戦いだったわけだが、
コリンチャンスに入ってからもそれは変わらなかった。
2009年にサンパウロ州選手権とブラジル杯に優勝に貢献したが、
その後は目立った活躍はしていない。

2010年そして2011年のリベルタドーレス杯では、全く期待はずれ。

2009年そして2010年は、
「格の違い」を見せていたが、
2010年の末から今年になって、
凄みもなくなっていたのは明らかであった。

つい先頃の記者会見では、本年12月の契約満了まではコリンチャンスでプレイするといっていたが、
その願望はかなわなかったことになる。

熱烈なコリンチャンスのファンであるブラジルの前大統領の
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァも
数日前に記者会見で
「ロナウドは太りすぎ、止めるべきだ」と、
引導を渡していた。

いくら絞ろうとしても、やせない体質と、止まらない食欲が、結局これにつきるようだ。

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2009年そして2010年に、何試合も、
ロナウドをみることができたのは、
幸運であった。

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sábado, 3 de outubro de 2009

ブラジル・サンパウロの「2016リオ・デ・ジャネイロ・オリンピック決定」,と【緊急告知】。

9月30日以降、このブログにおいてトラブルが発生しており、
新規の記事等が正しく表示されない状態が続いている。

そのうちには解決することだろうが、
一応対応策を考えているところである。

「裏」も同様のトラブルが発生しているので、
別のプロバイダーの「ブログ」である「まだ見ぬ」を使用しようかと思っている。

尚、アップしたものも直接アドレスを入れると表示は可能である。

サッカー・ブラジル選手権2009 その132 第27節コリンチャンス対アツレチコ・パラナエンセ戦
ブラジル・サンパウロは「春」2009 その14 暑くなったり、そうではなくなったり
サッカー・ブラジル選手権2009 その133 第27節終了
ブラジル・サンパウロは「春」2009 その15 また暑くなった
サッカー・ブラジル代表 2010年W杯南米予選 その64 GKエルトンが追加招集


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リオ・デ・ジャネイロが、2016年のオリンピックの開催地に決まった。

テレビは、
地上波でも、
コペンハーゲンでのIOF総会の模様を中継した。

最終プレゼンテーションや投票は、ブラジル・ブラジリア時間では、ちょうど昼。

この1-2週間、リオ・デ・ジャネイロでの開催の可能性が高まったという観測があって、ニュースでも取り上げる時間も増えたし、ポジティブな内容になっていた。

リオ・デ・ジャネイロとマドリッドとの決戦になり、ますます期待が高まり、
そして最後の投票の結果発表の段になると、
地上波の全国ニュースは、画面を完全に切り替えた。

そして、13時50分ちょうどに、開催地がリオ・デ・ジャネイロと発表された。

Globoなどのサイトは、それから1分も経たないうちに、それを報じた内容になっていた。

テレビの画面では、
リオ・デ・ジャネイロの歓喜の様子も映し出していた。

で、サンパウロ市だが、花火の一つも聞こえなかった。

でも、
昼食を取りながら、決定後もその関連報道が続くテレビの画面を見ている人たちの顔には、誇りと喜びがあふれているように見えた。

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人口は、サンパウロの方が2倍も多い。

でも、リオ・デ・ジャネイロは、また特別だ。

元々、帝都であり、そういったことを背景にした格式ある施設も多い。
そして、何よりも抜群に風光明媚である。

サンパウロは、ただ大きくて、茫洋とした、可哀想な大都市だ。
経済の中心というだけだ。

オリンピックが、リオ・デ・ジャネイロで開催されることに、
サンパウロの人も納得しているだろう。

2014年に開催されるワールドカップの決勝戦が、
リオ・デ・ジャネイロのマラカナン競技場で行われることについても、
何の議論もなく、事実上決まっているようだ。

サンパウロで、オリンピックが開催されることは、
向こうまず50年間もしくはその倍の期間でもないだろう。

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今回、リオ・デ・ジャネイロが決まったことは、よかったと思う。
南米で初めての開催ということもある。

ブラジルの関係者は、本当に素直に、そして真剣に、熱く、開催に向けて動いていた。

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日本の人はいったいどれだけブラジルのことを知っているのだろうか。

ブラジルと言えば、未だにサッカーしかない国と思い込んでいるのだろうか。

いまや、バレーボールでは男女とも世界のトップである。

アテネ五輪では、馬術やヨットでも金メダルを取った。

北京では、水泳や女子幅跳びでも金メダルを取った。

柔道でも、強国の一つになっている。

オリンピック競技ではないスポーツでも、F1を筆頭に傑出した選手を輩出している。

国に強制されているわけでもないのに、スポーツの強国にもなりつつある。

ブラジルは南米の国には違いないが、
その文化的な背景は、はっきり言って欧州である。

そして、移民の国といっても、欧州からの移民がほとんどである。

支配層は、欧州との強いつながりを持っている。

言葉の面でも、マルチリンガルな人はいくらでもいる。
レセプションでも、通訳なしで、話せる人は多い。
上流層はそういうものだ。

ブラジルは、世界で知られた有名人は、日本よりも遙かに多い。

今回、オリンピックとはあまり関係なさそうなペレもいたが、
文化人では作家のパウロ・コエーリョもいた。

ちなみに、馬術のメダルを取るような人は上流層に決まっている。
彼は、あのオナシスと結婚した。

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日本には、顔となる人がいなかったという。
日本で知られていても、
世界ではそれほど知られていないわけだ。

日本という国の中でのあり方がそうさせるのかもしれないが、
「顔」を売っていくのは、個人である。

その「顔」が、その国を想起させるような個人が必要なのだ。

ブラジルには、そうした人がいっぱいいるように思う。

日本は、経済大国で、秩序もあり、安全であるけれども、
「顔」がみえない。

日本が作って、世界に知られているものは、
超一流の工業製品群の他には、
カラオケ、ゲーム、そしてアニメさらには最近はコスプレ。

ブラジルのサイトで使われていたのだが、日本の顔は悲しいことに「無機質なウルトラマン」だった。

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とはいえ、日本の招致関係者は、石原知事を筆頭に、尽力されたことだと思う。

日本には、地理的にも大きなハンディーがある。
それを乗り越えなければならないのだから、そうそう実現できることではない。

これに対し、冷淡であるどころか、揶揄するような向きもあったのは、本当に悲しいことである。

日本を奮い立てようとしているのに。

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terça-feira, 4 de agosto de 2009

ブラジル・サンパウロの「フィリッピ・マッサ」のF1事故報道 その3 退院。

フィリッピ・マッサFelipe Massaはすでに家にいる。
頭蓋骨の手術を行わざるを得なくさせた事故から11日後、フィリッピ・マッサは報道陣を避けて、8月4日(火)18時過ぎに地下の出口からサンパウロSão Paulo市のアルベルト・アインシュタイン病院Hospital Albert Einsteinを出た。

フィリッピ・マッサは、サンパウロ市の南部のモルンビMorumbiの彼のアパートに、両親と兄弟と妻とポポ・ブエノPopó Buenoのような友人たちと向かった。

フィリッピ・マッサの個人医のヂノ・アルツマンDino Altmannによると、ハンガリーHungriaのブダペストBudapeste軍事病院に9日間入院した後ブラジルに到着した月曜日(8月3日)に予定されていたようには、フィリッピ・マッサはもう1日病院にいる必要はなかった。

「フィリッピ・マッサは自宅で回復する必要がある。 来週、彼はまた別の眼科検査を受け、今日から1ヶ月後に断層検査(tomografia, ressonância)を行う。 彼は今のところもう手術をする必要は全くない」と、ヂノ・アルツマンは語った。
Felipe Massa
退院する前に、フィリッピ・マッサは血液sanguínea、眼科oftalmológicos、断層検査のような一連の検査を受けた。

ヂノ・アルツマンDino Altmann, グィリョルミ・ヴィラスGuilherme Vibas (neurocirurgião), クラウヂオ・ロッテンベルグCláudio Lottemberg (oftalmologista), ヂオジェネス・ラアエルシオ・ロッシャDiógenes Laércio Rocha (cirurgião buco-maxilar), ミルトン・グレゼールMilton Glezer (clínico geral e diretor do hospital)からなる医師団の医学的な評価の後に、フィリッピ・マッサは退院し、この火曜日に医師たちによって行われる予定の記者会見には出席しなかった。

「彼はとても自宅に戻りたがっていて、幸せだ。 フィリッピ・マッサは外科的な勧めに従い、早い回復をするためにできることをする」と、ヂノ・アルツマンは語った。

フィリッピ・マッサがいつコースに戻るかという質問に、ヂノ・アルツマンは慎重だった。

「いつ戻るかについての予想は早すぎる。 検査での回復次第である。 彼の家の前に張り付かないことをあなた方マスコミにお願いする。 彼は休息しなくてはならない。 それか最も重要である」

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抜糸もしたそうだ。

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segunda-feira, 3 de agosto de 2009

ブラジル・サンパウロの「フィリッピ・マッサ」のF1事故報道 その2。

フィリッピ・マッサFelipe MassaはすでにブラジルBrasilにいる。

フェラーリのパイロットのフィリッピ・マッサは、8月3日(月)の夕方6時すぎにサンパウロSão Paulo市南部のアルベルト・アインシュタイン病院Hospital Albert Einsteinに到着した。

静かに、病院に歩いて入いり、個人医のヂノ・アルツマンDino Altmannと並んで、良好であるところを見せた。

フィリッピ・マッサは、7月25日(土)にハンガリーGP Grande Prêmio da Hungriaの練習走行での事故での衝突で起きた頭蓋骨の手術からの回復過程にある。
彼は、病院の入り口で止まり、記者たちに向かって、良好であるところを見せた。


「やってきてくれたみんなに感謝します。 でもまだたくさん話すことはできません。 治さなくてはならない」と、フィリッピ・マッサは語った。


すぐに、フィリッピ・マッサは病院に入り、彼の状態を検査するために入院する部屋に向かった。

到着して1時間ちょっとで、医師は最初の所見を発表した。

「イスラエリッタ・アルベルト・アインシュタイン病院Hospital Israelita Albert Einsteinは、患者のフィリッピ・マッサFelipe Massaが今日(8月3日)の夜18時10分にモルンビ本院に入院したことを発表する。 患者は状態良く到着し、健康状態が非常に改善しているところを見せた。 明日(火曜日)の朝に医学的な再検査を受ける」と、ヂノ・アルツマンDino Altmann医師、ミルトン・グレーセルMilton Glezer役員そしてルイス・フェルナンド・アラーニャLuís Fernando Aranha.役員に署名された文書は明らかにしている。


9日間の入院の後、フィリッピ・マッサはこの月曜日にブダペスト軍事病院Hospital Militar de Budapesteを退院し、医師が付き添う設備がある飛行機でブラジルに向かった。
妻のラファエラRaffaelaと医師のヂノ・アルツマンが一緒だった。

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サンパウロのグァリューリョス国際空港に到着してからは、
ヘリコプターで病院に向かったフィリッピ・マッサ。

左のこめかみから眉の上あたりまで、まだ抜糸されていない痛々しい傷跡がある。


また、今朝のニュースでは、
ブダペストを出発する前のインタービューの映像が流された。
事故のことは何も覚えていないそうである。

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domingo, 26 de julho de 2009

ブラジル・サンパウロの「フィリッピ・マッサ」のF1事故報道。

F1パイロットのフィリッピ・マッサは、
ブラジル・サンパウロ州のボツカツ市の出身である。

7月25日(土)にハンガリーGPの練習走行中に起きたフィリッピ・マッサの激突事故について、
ブラジルでは午前中の事故発生の第1報からずっと、
ほとんどのニュースでトップに報道されている。

事故そのものについては、
ハンガリーで起きたことなので、
ブラジルでの報道も、
ニュースソースは限られる。

F1報道のために現地にいるTVレポーターが、
直接に中継に出てくる。

ブラジル人レーサーのルーベンス・バリケロが、取材を受けて、答えるところなどは、ブラジル人同士なので、内容的にはより深いものがあるはずだ。

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フィリッピ・マッサFelipe Massaが、ブダペストBudapesteのミリタール病院Hospital Militarで手術をした後、妊娠5ヶ月のフィリッピ・マッサの妻ラファエラRaffaelaと
両親のルイス・アントニオLuiz Antônio(通称チトーニオTitônioとして知られている)とアナAnaが、サンパウロSão Pauloを出発し、息子のそばにいるためにハンガリーHungriaに、金曜日の夜に、旅立った。

彼らの他に、家族の意志のヂノ・アルツマンDino AltmannもまだブダペストBudapesteに向かった。

彼らは、日曜日の7時(*ブラジリアBrasília時間)に現地に到着する。

「誰も話すことはできない。 我々は回復に付き添うためにあそこに行く。 遠くでそれを見ることは、父として母として妻としてはできない。 我々が持っている情報は重大なことが起きつつあるということだ」と、チトーニオ・マッサTitônio Massaは語った。

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サンパウロ市のグァリューリョス国際空港を出発するマッサ一家の様子が、ニュースで報じられた。

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terça-feira, 17 de março de 2009

ブラジルのGlobo局が、ガルヴォン・ブエノ氏の後継者を捜す。

ブラジル最大のメディアグループのGlobo局が、この何ヶ月か、秘密裏に、そのうちに、ガルヴォン・ブエノGalvão Bueno氏の”後継者”"sucessor"となる第1級のスポーツナレーターlocutor esportivoを探している。

Globo局は、ラジオでもまだ知られていない新人を捜している。
と言っても、現在59歳のガルヴォン・ブエノ氏がすぐに引退することを意味していない。

ガルヴォン・ブエノ氏は、64歳となる、2014年のブラジルBrasilでのワールドカップCopa do Mundoのあとに引退を考えるに違いない。

しかし、Globo局は戦略的に前倒しに考えており、それで「新ガルヴォン・ブエノ氏」を探し始めている。

昨年、Globo局はスポーツナレーターの養成所を作るに至った。
いろいろな人が呼ばれて、訓練とテストが行われたが、誰も合格しなかった。
それで、発掘に力が入っている。

ナレーターの「序列」"hierarquia"では、Globo局にはクレーベル・マシャードCléber Machadoとルイス・ロベルトLuiz Robertoがいる。

クレーベル・マシャードは、レコルヂRecord局からの誘いを受けたが、契約の更新をしたばかりである。

国内のスポーツの大多数の放送を独占しているGlobo局にしては、レコルヂ局は取るに足りない。

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すでに、
Globo局は昨年末からは、
ガルヴォン・ブエノ氏の露出を減らす方向にある。

彼が、ナレーションをするのは、
サッカーのブラジル代表戦と、
F1だけに絞るようだ。

ガルヴォン・ブエノ氏は、
毎週月曜日21時から2時間半放送されるGlobo局の系列のスポーツ専門局の”Bem, Amigos!”では、
番組の司会を務めているのだが、
放送時間を毎回無視して、一人でしゃべりまくっている。
3月16日(月)の放送は、ほとんど3時間だった。

メリハリのきいた滑舌の良いナレーションでは、やはりガルヴォン・ブエノ氏は第一級である。
ただ、うるさい。

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sexta-feira, 30 de janeiro de 2009

ブラジルのグレーシー柔術の創始者エリオ・グレーシーがなくなった

柔術jiu-jitsu,のブラジルスタイルの創始者の一人と考えられているパラ州人のエリオ・グレーシーHélio Gracieが,1月29日(木)にリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの山脈地区のイタイパーヴァItaipavaでなくなった。
95歳だった。

パラ州のベレンに生まれ、エリオ・グレーシーは肉体的により弱い格闘家がより強い敵に勝つことができる手段の基本的な技術を開発した。

埋葬は、1月29日(木)17時に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro.のペトロポリスPetrópolis市立墓地で行われる。

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このニュースは、全国ニュースでも取り上げられている。
Sps20090129ta

機会を得て、近くに立ち寄ることがある人は、ペトロポリス市立墓地にも行って、冥福を祈っていただきたい。

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quinta-feira, 2 de outubro de 2008

ブラジルの「フットサル・ワールド・カップ」 その2 ブラジル人選手が各国にいる。

9月30日(火)から、10月19日(日)までの日程で、
ブラジルのブラジリアとリオ・デ・ジャネイロで、
フットサル・ワールド・カップが行われている。

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試合の結果などは、
ニュースなり、サイトなりで確認すればよいことなので、
もう触れない。

本当な、サンパウロには関係ないので、触れないつもりだったが、
ニュースでおもしろいことを言っていた。

各国のチームに、ブラジル選手がいっぱいいるというのである。
参加20チームのうちの6チームにいる。
Sps20080930taa

もっともひどいのは、イタリアで登録した全員で、14人。
監督のパウロ・セーザル・ヂ・オリヴェイラPaulo César de Oliveiraもブラジル人。

ブラジルには、イタリア移民の子孫が何千万人もいる。
2千5百万人というデータもあったが、もう代を重ねているので、イタリア人とは思えないようなのもいるはずだ。
そのイタリアは、イタリア人の孫までは、申請をすると、イタリア国籍を認めている。
そういうこともあって、
サンパウロ市のパウリスタ大通りにあるイタリア領事館領事部には、国籍を申請する人がいっぱいやってくる。
サッカー選手でも、イタリア人の孫であれば、イタリア国籍取得できるので、イタリアで外国人枠にならないというメリットがある。

フットサルの14人が、すべてイタリア人の子孫として国籍を取得したかどうかはわからない。

そのほかの国におけるブラジル人は次の通り。

Sps20080930tbb

Sps20080930tcc

Sps20080930tdd

Sps20080930tee

ブラジルの法律では、国籍離脱を認めていないので、
他の国籍を取得したとしても、
ブラジル人であることは替わらない。
日本が認めていない2重国籍は認めている。

日本の国籍法は、日本に帰化したら、元の国籍を離脱しなければならないが、日本の法律が他の国の法律に何ら勝るものではないことは言うまでもない。

先のオリンピックでも、
ビーチバレーで、
やはりブラジル人が他の国の代表として出場しているのが伝えられていた。

サッカーでは、もう世界中でブラジル人が活躍している。

ブラジル人は、たくましいものだ。

日本人は、このような形で、どこの国籍を取得できるだろうか。

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ちなみに、この大会では、監督がブラジル人なのは、
イタリア以外では、日本と中国。

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国籍取得に関して、
ブラジルはつくづく欧州の国だと思う。

やはり血がつながっているのだ。

それに比べると、
日本は、出て行った者の子孫には、冷たい。
出生時に親が届け出を怠ると、
その後の国籍認定手続きはとてつもなく煩雑で、困難さを伴うようだ。

せいぜい労働ビザを発給した下だけだ。
それも、ほんの10数年前に単純労働者の確保が難しくなったときにだ。

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terça-feira, 9 de setembro de 2008

ブラジルの「サブリナ・サトウ」 その138 「サーフィンでギネスに挑戦」。

次の日曜日(9月14日)に、Rede TV!局の"Pânico na TV"は、ヴェスゴVesgoことロドリゴ・スカルパRodrigo Scarpaとサブリナ・サトウSabrina Satoによって、ギネスブックの記録を立てた新たな画を見せる。

サブリナ・サトウとロドリゴ・スカルパRodrigo Scarpaは、サントスSantos (SP)のジョゼ・メニーノJosé Menino海岸で、サーフィンの練習をした。

録画は、9月5日(金)に、サンパウロ州の海岸地域のサントスSantosのジョゼ・メニーノJosé Menino海岸で始まった。

彼らが、昨年打ち立てた84人という、同じ波でサーフィンをする人の数の記録を破るために、二人は指導員のリコ・ヂ・ソウザRico de Souzaとピクルタ・サラザールPicuruta Salazarによりサーフィンsurfeの講習を受けた。


サブリナ・サトウは、その日終わりにやっとサーフボードpranchaに立つことが出来たヴェスゴVesgoよりもずっと機敏だった。

「みんな簡単と思っているが、とても難しかった。 特に自分やサブリナ・サトウのような田舎ものには」と、ロドリゴ・スカルパは言った。

サブリナ・サトウもまた、困難さに当たった。
「波に乗る時を知るのがもっとも難しい。 それにバランスをとるのが」と明言した。

記録へのチャレンジは、サントスSantosで日曜日の朝から行われた

「記録を破る我々の次のチャレンジは枕との大戦争になる」と、ロドリゴ・スカルパは笑っていった。

"Pânico na TV"は、毎日曜日20時30分から放送されている。

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サブリナ・サトウも、ギネス記録に挑戦した一人だったのだ。

14日の放送が、楽しみである。

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かなり久しぶりに、サブリナ・サトウに関する話題を取り上げた。

サブリナ・サトウは、その間もずっとPânico na TVに出演を続けていた。
ただ、ここで紹介するようなネタがなかったのである。

ずっと紹介してきた、
サブリナ・サトウとパニカッチが、
何かにチャレンジし、
そして負けたものが罰を受けるという企画
は、
6月以降ただ1回しか行われていない。

パニカッチ達は、また台詞もなく、
番組中で、
ゆらゆらとしているだけになってしまっている。

サブリナ・サトウの出番は全く減っておらず、
2時間の番組の中で、
時には3回もサブリナ・サトウのコーナーがあるなど、
むしろ出番は増えているように思える。

ただ、
このブログで取り上げても、
言葉がわからない人に、理解してもらえるような、
内容のものがない。
動画的に、単純に楽しめるものがないのである。

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