segunda-feira, julho 14, 2008

ブラジル・サンパウロで、陸橋が落ちて、邦人が亡くなった。

7月14日(月)9時半頃のことらしいが、
サンパウロ市からサントスに向かうイミグランテスと言う自動車専用道路で、
トラックの荷台の高さが制限をオーバーしていたために、
陸橋の橋桁にぶつかった。

その橋桁は衝撃で落下した。
Sps20080714te

その橋桁に、一台の車がぶつかった。
Sps20080714tb

Sps20080714tc

Sps20080714ta

事故が起きたのは、サンパウロ市のすぐ南のヂアデマ市域内である。
その車には、運転手と邦人が乗っていた。

その邦人は、ヘリコプターで
クリニカス病院に運ばれたが、
亡くなった。

運転手の名前は発表されている。
亡くなった方の氏名は、18時を過ぎても、発表されていない。

ただ、昼のGlobo局のローカルニュースでは、
車には"MAKITA"と書いてあるそうだ。
普通、MAKITAと言えば、電動工具のMAKITAと思うのだが。
Sps20080714td

未確認情報では、
赴任後日の浅い駐在員の方らしい。

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19時のGlobo局のローカルニュースでも、短かったがトップで伝えられている。

「20080714JNsp2-Acidente-Makita.wmv」をダウンロード

これによると、
関連会社を訪問する
MAKITAの役員が犠牲になられたということである。
ブラジルの子会社に役員としてきている駐在員ではなく、
日本からの出張者のようにとれた。
車のロゴを見る限り、電動工具のMAKITAのようだ。
Sps20080714tf

Sps20080714tg

ご氏名は報道されていない。

事故当時、
どういう訳かトラックの荷台が持ち上がり、
それで歩道橋の橋桁にぶつかったという。
運転手の操作ミスか整備不良かを調べるという。
Sps20080714ti

Sps20080714tk

Sps20080714tj

なお事故を起こしたトラックの運転手は、
器物損壊と過失致死で
警察の取り調べの後、
もう釈放されている。
Sps20080714th

運転手からはアルコールは検出されていない。

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時事通信のサイトでは、7時47分配信のニュースで、
MAKITAの駐在員のフルヤブ・ソウイチロウさん(30)が犠牲者と報じられている。

共同通信のサイトでは、7時9分配信の速報で、事故が起きて日本人が亡くなったことだけを伝えている。

共同通信の8時14分の配信では、「古藪聡一郎」さんと伝えた。

朝日新聞のサイトは、8時27分に報じた。
2年ほど前から駐在されていた方だそうだ。

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ご冥福をお祈りする。

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sexta-feira, junho 20, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その1 皇太子、サンパウロ御到着。

ご存知の方も少なくないと思うのだが、
2008年は、
日本人が、ブラジルに、最初の集団移民をしてから、100周年にあたる。

6月18日に、そのニッポン人移民団が乗船していた笠戸丸が、サンパウロ州のサントスに到着した日が、ブラジルの「移民の日」となっている。

例年、この6月18日の中心とした週には、サンパウロ市東部のブラスにある「移民博物館」でイベントが行われている。

「日本移民100周年」のイベントは、2008年に入って、いろいろなものが次から次へと開催されている。
このブログでは、ほとんど取り上げていないのだが、いろいろなレベルのイベントが、サンパウロ市内でも常にいくつか開催されている。

中には、無理やり100周年にかこつけているようなものもあるようにも思えるが、主催者は真面目にやっておられるのであろうから、あげつらうようなことはしないようにしている。

この100周年のイベントは、この6月18日の週にもっとも重要なイベントが行われる。

6月13日から22日までは、サンパウロ市北部のアニャンビー展示場で、「日本文化週間」というものが開催されていて、いろいろな文化を紹介している。
ただし、100年の間にその文化はかなり変容している。
もちろん変容したのは、ブラジルだけではなくて、日本そのものの文化も100年の間に変容しているのであるから、どちらがどうと軽々に語ることはしない。
とにかく、100年前の日本がどうだったかを想像する機会にはなる。
いまでこそ、テレビやインターネットという伝達手段もあるし、さらに飛行機でわずか24時間で、それも距離を考えるとさしたる費用を要すことなく移動できるのだが、それはつい最近のことである。
戦前も情報量なんて微々たるものだったろうが、戦中は10年近く交流さえも途絶していたのである。
ブラジルの中で、独自に発達するものもあったことは間違いない。

そして、6月21日(土)には、そのアニャンビー展示場の隣の、「サンボードモ」(=サンパウロ市におけるカルナバルでの主会場)で「100周年記念式祭典」が執り行われる。

これにご出席されるのが、皇太子殿下である。

皇太子殿下は、6月17日(火)夜に、ブラジリアに到着されて、18日(水)はブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァにお会いになっている。

そして、19日(木)の午後、サンパウロ市に入られて、さっそくタイトなスケジュールをこなされている。

その模様が、19時ころからのローカルニュースで伝えられた。
「20080619JNsp-ImigracaoJaponesa-Narihito.wmv」をダウンロード

皇太子殿下を、ニュースではNaruhito(=徳仁)と呼んでる。
名前に当たるものは、徳仁なので、ほかに呼びようがないわけである。

ブラジリアからは、
ブラジル空軍機を使用されている。
ブラジル大統領専用機のはずである。

サンパウロ市のコンゴニアス空港には予定より30分遅れて到着されて、タラップの下ではサンパウロ市長のカサビが出迎えている。
皇太子のすぐそばには、西林サンパウロ総領事の姿が見える。

コンゴニアス空港からは、それほど遠くないのだが、そのままイビラプエラ公園に向かわれ、園内の移民慰霊碑をおとづれられている。
さらに、すぐその脇の日本館では、鯉に餌をおあたえになっている。

ホテルは、サンパウロ市中心部のパウリスタ大通りの一本南西側のサントス通りにあるメリア・モファヘジである。
このホテルは、20数年前に開業した時はシェラトンであったが、いつの間にかメリアになっていた。
大きなホテルではないが、良いホテルである。

20日(金)のご予定も、ニュースでは伝えられている。
日本では、安全面からして考えられないような報道である。

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それにしても思うのだが、
もう若いとも言えない皇太子にとっても、
この日程はきついだろうと思うのである。

地球の裏側なので、時差が12時間もある。
季節も逆である。

だが、
その役目を担う人は、ほかに誰もいないわけである。

「ご公務」だとは言え、到着早々からのスケジュールはハードすぎるのではないだろうか、同情してしまう。
それに、他の地域と異なり、気の休まらないことは、世界最大の日系社会があるということである。

ブラジルには9日間のご滞在である。

ブラジルでの報道ぶりについて、今後も紹介していきたい。

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なお、ブラジル最大のメディア・グループのGloboは、
このところ「日本移民100周年」に関する報道をニュースでも多く流しているが、
それがすべてのマスコミがそうかというとそうでもない。
一部のマスコミに限られているようだ。
好奇心が旺盛で、感度の高いブラジル人には、改めて日系人や日本文化を知る機会にはなっているだろうが、
多くのブラジル人にとっては、それほどの関心事ではないだろう。

報道されればされるほど、逆に日系人や日本文化が、まだブラジルの中で特異であることを露呈していることを証明しているような気もする。

何しろ、日本以外に世界各地から移民もやってきているのだが、日本人以外ではこういった大々的なイベントがないからである。

報道されるのは、日系人が、ブラジルにそれだけ貢献したからで、その存在が大きいからだというのは、手前味噌にすぎる気もする。

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terça-feira, março 04, 2008

ブラジル・サンパウロの「南米危機」。

ほとんど日本では気にされていないだろうし、報道もされていないことのようだが、3月3日(月)のブラジルの全国ニュースのトップは、「南米危機」についてである。

「南米危機」とは、コロンビアとエクアドルとベネズエラの間に外交問題が発生したことである。

その発端については、歴史は続いているもので、いつからとははっきり言えないものだろうが、
一応今回の直接の原因は、
3月1日(土)に、
コロンビア軍が、コロンビアの反政府ゲリラ組織FARC(麻薬組織でもある)の掃討作戦を実施し、そのナンバー2などを殺害したことである。

問題は、その場所が、エクアドル領に1080メートルの地点であった。
明確なコロンビア軍による国境侵犯である。

コロンビア政府は、当初エクアドル政府も了解していたとか、追って行ったらついつい入ってしまったとかと発表した。

エクアドル政府は、
日曜日になって現場を検証し、全員寝こみを襲われた、大殺戮であると反論した。

なぜか、ここでベネズエラのチャベス大統領が、コロンビアから外交団を引き上げることと、コロンビア国境沿いにベネズエラ軍を展開することを発表した。
「わが国には絶対に侵犯をさせない」ということである。
コロンビアにも、駐ベネズエラ大使館の閉鎖を求めている。

コロンビアは、今度はベネズエラがFARCに資金援助をしていた証拠があるとか、エクアドルが領内を聖域として使わせていたとか、2日(日)に発表し始めた。

エクアドルが、コロンビアとの国交断絶と国境への軍の展開を発表したのは、3日(月)のことである。

このうちエクアドルとは国境を接していないが、ブラジルはコロンビアともベネズエラとも国境を接している。
ともに関係は悪くない。

とくに、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領は、チャベス大統領とは、中道左派として、親しい。

ブラジルのアモリン外務大臣は、3日(月)の夜に、「コロンビアが国境を侵犯したことは悪い。 謝るべきである」と言っていた。

コロンビアは、4日(火)になって、一応謝った。
エクアドルの大統領が、ベネズエラに行ってチャベスとあっているはずだが。

さて、今後はどうなるのか。

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この3国は、1820年代に独立した時は、同じ国であった。
いまでも、国旗にその名残がある。

隣国とはいうが、国境の多くは、山岳地帯かアマゾンのジャングルである。
それぞれの軍隊も、とても本格進攻できるようなレベルではない。

ともに、原油を産出しているので、お金は多少ありそうだが。
ベネズエラは、原油高でかなりお金はある。
いまやキューバのスポンサーとなっている。

コロンビアは、南米ではもっとも親米で、麻薬組織対策として、軍および情報組織の指導を受けている。

チャベスは、とても反米。
今回も、コロンビアを「帝国の犬」と呼んだ。

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こういうニュースを機会に、改めて南米の歴史や問題を改めて知ることができている。

ウォッチ中である。

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terça-feira, abril 03, 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その19 北西部の5つの公園。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっており、東部と北部の公園の紹介はすでに終えた。

サンパウロの北西部に集まっている5箇所の比較的小さな公園について、おさらいをしておく。

ロドリゴ・ヂ・ガスペリ公園Parque Rodrigo de Gásperi
ジャルヂン・フェリシダーヂ公園Parque Jardim
サン・ドミンゴス公園Parque São Domingos
トロント市公園 Parque Cidade de Toronto
ヴィラ・レメヂオ公園Parque Vila dos Remédiosの5箇所である。

これらの公園の位置を改めて確認する。
番号は、それぞれの公園の「緑の地図」において振られている番号である。
Spd20070401pgmb
(クリックすると拡大する)

これらの公園は、
最も近い公園で直線で1キロも離れていない。
最も遠い公園でさえ、直線で5キロもない。

しかし、このあたりはサンパウロ市からみて北の方になるサンパウロ州の内陸部へつながる鉄道やハイウェーが通っている事もあって、縦に4つに分断されている。

このため、それぞれの地区を横断的に結ぶ道路がないに等しいのである。
((特に鉄道と、バンデイランテスは横断ポイントが限られる。)

サンパウロの中心部からは、紺色の道を通ってアプローチすると良いと、それぞれの公園についての記事で案内した。
つまり全てマルジナル・チエテを使うことになる。

帰路は、水色で示した。
これも、いちおうマルジナル・チエテを使う方法と、それに代わるルートで市内中心部へ入っていく方法を示しておいた。

⑪サン・ドミンゴス公園Parque São Domingos、⑫トロント市公園 Parque Cidade de Toronto,⑭ヴィラ・レメヂオ公園Parque Vila dos Remédiosの場合は、同じ帰路をとる事も可能である。
Spd20070401pgma
(クリックすると拡大する。)

そして、ピンクで示しておくが、それぞれの公園を結ぶルートである。
いちおう西から東へ向かうルートとして設定してみた。
逆方向では、一方通行などもあって、そのまま逆に行く事は出来ない。

ピンクの●で示して地点は、間違えやすい交差点なので、事前に地図で良く確認しておく必要がある。
これを怠ると、鳥肌が立つような事態に陥る事もある。

さて、これら5箇所の公園は、どれも小さいのだが、それぞれに特色がある。

行くべきだというような公園はないのだが、
あえて1度くらいはという公園がある。

⑪番のサン・ドミンゴス公園と⑫番のトロント市公園である。
サン・ドミンゴス公園は、原生林の散策が気持ちよい。
トロント市公園は、静かな池である。

共に、例のあの大きな公園では味わう事が出来ないものである。

この2つの公園は、"サンパウロ市の北部にしては”閑静な住宅地にあり、路上駐車をしても、それほど心配ないと思う。
ルート上にも”あからさまに”危険なところは、まずない。

ただ、いつも言う事だが、あくまでも自己責任である。

サンパウロでの滞在を、平穏に過ごし、いい思い出だけを持って、日本に戻りたいと望む人には、勧めるものではない。
パライゾに住んで、満足しているならばそれでよいはずだ。
これらの地区は、パライゾやモエマなどとはぜんぜん違う。

公園には、誰でも立ち入る事ができる。
だから、何が起きるかわからない。
事件が起きてからでは、もう遅い。

事件にはならなくても、かなり不愉快な思いもするかもしれない。

それぞれの公園の記事でも書いているが、日系人のいるような公園はない。
公園の雰囲気にどこまでとけ込めるかが、安全に関わってくる。

サンパウロでは、日系人がわりと多く歩いているのは、リベルダーヂ、アクリマソン、プラッサ・アルヴォリ、サウーヂなどの地区だろう。
それに幾つかの高級ショッピングには日系人は比較的多いようだが。

日系人でも全くみる事がない地区がほとんどである。
まして、日本人なんてである。

最初にお断りしたように、
「子供が日本語でしか話さない」ようであれば、なかなかどこにでも出て行く事は難しいと思う。

「木を隠すには森」という格言があるが、
日本人を隠してくれるような森は、サンパウロにはない。

このブログの記事を読んだだけで満足し、実際に行ってみようなどという気を起こさないでほしい。
そうあってほしい。

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quarta-feira, janeiro 10, 2007

ブラジルのダニエラ・シカレリ その7 最新映像。

相変わらず、ダニエラ・シカレリおよびそれに関連する検索で、このブログへのアクセス数が極めて高い水準となっている。

本音を言うと、ダニエラ・シカレリについて、もともとどれくらい知っていて、アクセスしているのだろうかと思っている。
”ブラジルのスーパーモデル”という肩書きがついているが、本当にそうだろうか。
確かに、ロナウドと付き合っているときには、急に有名になって、ギャラが上がり、モデルとしての仕事も急増した。
2005年初めのファッション・サンパウロでは、かなりのデザイナーに起用されていた。

しかし、ロナウドとの「(模擬)結婚式」での色々なトラブルやその後のロナウドとの別れ方があまり綺麗なものではなかったためか、モデルとしての仕事が激減した。
それは今もあまり変わっていないはずである。
2006年半ばに、下着モデルとして、久しぶりに素晴らしい肢体を披露した。
ダニエラ・シカレリは、もともと下着モデルである。
2004年までは、そんな扱いだった。

このところは、ブラジルのMTVでの司会者の仕事がメインのはずだ。
MTVはサンパウロにあるので、ダニエラ・シカレリは普段はサンパウロにいる。

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ところで、そのダニエラ・シカレリDaniella Cicarelliがこの数日ブラジルでそして世界でも話題になったあとで、2つのインタビューに応じた。

モデルで司会者のダニエラ・シカレリは、マスコミに対して、ブラジルでユー・チューブYouTubeへのアクセスをブロックするという裁判所の決定についてコメントした。

ダニエラ・シカレリは、その映像へのアクセスだけをブロックするという決定は、愛人の弁護士が起こした結果であって、彼女ではないと明言した。

「要求も、決定も、何も見ていない。 誰が訴えたかというと、映像にでてくるレナトRenatoである」と明言した。 
「20070109JG-DanielaCicarelli-YouTube.wmv」をダウンロード

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ダニエラ・シカレリDaniella Cicarelliは、ユー・チューブYouTubeのファンであると言った。

ダニエラ・シカレリは、愛人は”正しい司法の判断で、彼に対する興味から自分を守った”のであって、「彼の決めたことには立ち入らない」と締めた。

「ちょっと困惑している。 自分は映像が流れるのは好きではない。 青少年は今休みで、自分は映像から守りたい。 自分の番組の視聴者は青少年である。 でも自分はユー・チューブに反対はしていない。 自分もまたユー・チューブにアクセスするのは好きだ」

ダニエラ・シカレリは、あの映像を撮影したスペイン人写真家のミゲル・テンプラーノMiguel Tempranoを訴えていることを明らかにした。
「これ以上騒ぎを起こしたくないので、出来るだけ控えめな手段としてそうすることを望んだ。 話すのもとても心苦しい」 ダニエラ・シカレリは、映像のことを知ってとても傷ついたことを明かした。

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さらに、
リオ・グランヂ・ド・スル州Rio Grande do Sulの健康局Secretaria de Saúdeが、デンギ熱の予防のために作成したキャンペーンcampanhaCMについても、とても配慮が足りないと言った。

あの映像をパロディーにしたもので、デンギ熱を媒介する蚊に扮した2人の俳優が、あの映像そのままに海岸ですごすもので、最後に「どこででも子供を作ります」と流れるものである。

ダニエラ・シカレリの事務所の広報担当者は、ダニエラ・シカレリはこの件については公式文書を出すことはないという。
インタビューで、公式な言葉として語ることで目的を達したと考えられるからである。

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なにかとマスコミの標的になるダニエラ・シカレリ。

彼女も、かなり脇が甘い。
あまりに話題を提供しすぎ。
マスコミの本質は、大衆が望むものを提供することにあることを念頭にしておくべきだ。

マスコミがどんな立派な建前を言っても、資本主義世界のマスコミはそんなものだ。

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terça-feira, janeiro 09, 2007

カカが信者である教会の創立者が捕まった。

米国連邦捜査局FBI (Federal Bureau of Investigation)が、キリスト再生協会Igreja Apostólica Renascer em Cristoの創始者のエステヴァン・エルナンデス・フィーリョEstevam Hernandes Filhoとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスSônia Haddad Moraes Hernandesの夫婦を、マイアミMiamiで、身柄を拘束した。
Spd20070109a

夫婦は、1月8日(月)に、サンパウロのグァリューリョスGuarulhos空港を出て、米国Estados Unidosに到着した。

ブラジルの連邦警察Polícia Federalと公共省Ministério Públicoからも捜査されている夫婦は、米国の税関alfândegaで56千ドルを持っていたにもかかわらず、10千ドル持っていないと虚偽の申告をしたために、拘束された。
Spd20070109c

エステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスの夫婦は、彼らを拘置所に入れるという要求を取り消す最高裁判所STJ (Superior Tribunal de Justiça)の仮決定を12月末に得ることが出来たので、米国Estados Unidosに向かって出発できた。
これまでは、彼らは逃亡者と考えられていた。
Spd20070109b

ブラジルBrasilで、エステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスの夫婦は、資金洗浄lavagem de dinheiro、詐欺などで訴えられている。
犯罪には、信者による寄付金や幽霊企業"empresas fantasmas". の設立などが含まれている。

組織犯罪抑止行動グループGaeco (Grupo de Atuação de Repressão ao Crime Organizado),によると、サンパウロ州の公共省Ministério Públicoは資金洗浄の罪で米国Estados Unidosでもまた捜査をするように依頼する。

ブラジルBrasilでは、裁判所Justiçaがサンパウロ州のアチバイアAtibaiaにある種馬場harasなどの彼らの財産を差し押さえている。
Spd20070109g

フロリダFlóridaにある屋敷など19百万レアル(=約12億円)の富があるにもかかわらず、教会は各所の教会の賃貸料などで12百万レアル(=7.2億円)の負債がある。

組織犯罪抑止行動グループの検事にとって、米国で申告しなかった金を持った彼らの拘置は、ブラジルでもやっていることを明らかにした。

彼らは、組織犯罪抑止行動グループは米国の警察に彼らを刑務所に入れるのに協力を依頼している。

組織犯罪抑止行動グループの検事は、エルナンデスHernandes夫婦を拘置所に入れる要求を新たに出すと言っている。

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エルナンデス夫婦は、信者からの寄付を、自分の企業の運営に使ったり、
ありもしない教会をつくって、捜査を逃れようとしているという。

どこでも、宗教に関わるこういう犯罪が起きるわけだ。
こういう宗教にはまっても、だまされていることに気付かない信者がいるのが、何とも哀れだ。

迷惑なので、こういう人とは関わりたくない。

自分の心がしっかりしていれば、身も心も宗教によってボロボロにされることはない。

要は、自分次第だ。

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ところで、このキリスト再生教会の信者として一番有名なのが、
サッカー・ブラジル代表のカカである。

2005年12月に、
この教会の本部教会で結婚式を挙げている

Spd20070109ab

この教会の所業についての内部告発が、2006年10月にあった。
しかし、それ以後、カカへのインタビューなどはない。

カカは、ブラジルでのメディアでは、私的な生活はまず出てこない。
年末年始に、他の選手が続々とブラジルに戻ってきていることが、伝えられるがカカについては帰国したことは伝えられたが、その映像もなければ、その後の様子も全く伝えられない。

一流選手では、カカくらいだ。
もちろん、チャリティー試合に出場もしていない。

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ブラジルのダニエラ・シカレリ その6 You Tubeへの接続が可能に。

サンパウロ州裁判所の個人権利部門大4法廷の控訴院判事のエニオ・サンタレーリ・ズリアーニÊnio Santarelli Zulianiは、ブラジルのインターネットユーザーがユー・チューブYoutubeのサイトでダニエラ・シカレリのビデオにアクセスするのをブロックするという決定を繰り返した。

このビデオは、レナット・アウフィエロ・マルゾーニ・フィーニョRenato Aufiero Malzoni Filhoとダニエラ・シカレリDaniella Cicarelliが、スペインEspanhaの海岸での行為を映し出していた。

控訴院判事desembargadorは、しかし決定は「技術的に可能な限り、サイト全ての停止をさせることなく」実行されなくてはならないと強調した。

2006年9月に最初に訴えが起こされた第23民事裁判所の判事は、関連する気魚は今日にもサイトの残りへのアクセスを再開すると発表した。
更に、判事は通信会社にビデオにアクセスする天使アドレスだけをブロックすることが不可能なサポートであることの技術的な理由を報告するように要求した。

エニオ・サンタレーリ・ズリアーニは、「予防的に30日間かそれ以上サイトをブロックするとか、はてはユー・チューブが禁止された映像を自制するようなソフトをインストールするというな、ドラスティックな手段」をとるかもしれないという可能性を否定するものでは無いとも言った。

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これで、1月5日(金)の夜から始まったバックボーンを運営する会社のユー・チューブへのアクセス規制は一旦なくなることになる。

まったく、ブラジルらしい解決だ。

華々しく花火を上げて、引きも早い。

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昨日1月8日(月)も再びダニエラ・シカレリおよびそれに類する検索で、このサイトへのアクセスが急増した。
日本時間の16時から18時に特に集中した。
16時台は、2000アクセスを越えた。
この時間帯に限るとまるで、「風俗系のサイト」のようなアクセス数になった。

こういうことがきっかけでも良いので、このサイトに引き続きアクセスしていただければ、幸いである。

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segunda-feira, janeiro 08, 2007

ブラジルのダニエラ・シカレリ その4。

1月4日(木)の深夜から、急に「ダニエラ・シカレリ」もしくはそれに関連する検索で、このブログにアクセスする人が急増した。

1月5日(金)で7000アクセス、1月6日(土)で4000アクセス、1月7日(日)になって落ち着いたが、それでも1000アクセスくらいが、これに関係するアクセスと思われる。
それくらいが、いつものアクセス数よりも多かったからだ。

このブログは、テーマがテーマで、日本の流行を追っているわけではないので、割とアクセス数に変化がない。
こういうことがあるとすぐに気付くのである。

今までの最高アクセス数は、2006年のワールドカップ期間中に一日に5000アクセス以上の時があったのだが、今回の「ダニエラ・シカレリ」で、その記録をあっさりと更新した。

しかし、その1万人以上の人は果たしてダニエラ・シカレリをもともと知っていたのだろうか。
おそらく、「You Tubeに閉鎖命令」という報道の見出しで、興味を持ったに違いないと思う。

だが、
ブラジルの裁判所の決定は、You Tubeの閉鎖ではない。
誤報だ。

ブラジルの出来事についての日本での報道は、
欧米の通信社からの報道をただ鵜呑みにして、おそらく英文の文章を翻訳したものが多い。

もしくは、ブラジルの新聞社のサイトの引用である。(朝日新聞はこれが多い。)

今回は、欧米の通信社の発信が不正確であった。

別に多少間違っても問題はないが、
これだけアクセスがあると、一言指摘したくなる。

日本での、ブラジルに関する報道で、時たま間違っているのがある。
名前や地名や方向や距離などは、事件の本質ではないことが多いので、それほど問題視はしない。
でも、
報道内容の構造自体が、全く違っていると、問題だ。

たとえば、アドリアーノの子供を産んだ女性が、今回の「ダニエラ・シカレリ」という報道とかである。
まるで、アドリアーノとロナウドが、「ダニエラ・シカレリ」と巡って争ったかのような報道もあった。

アドリアーノの子供を産んだのは、ダニエリという女性である。
別人である。

いつまでも、このことでも検索してくる人がいる。

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今回のこの「ダニエラ・シカレリとYou Tube」については、
ブラジルでは報じられたが、それほど話題にはならなかった。

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sexta-feira, janeiro 05, 2007

ブラジルのダニエラ・シカレリ その3。

1月4日(木)夜に、このサイトへのアクセスが急増している。

アクセスを分析をしてみると、「ダニエラ・シカレリ」というキーワードで、検索サイトからやってこられている。

「ダニエラ・シカレリ」での検索が増えている理由は分かっている。

You-Tube上でのダニエラ・シカレリの映像の差し止めの訴訟の件だ。
この件を報じているブラジルでの1月4日の最終ニュースの映像である。
「20070104JG-JusticaDaniellaCicareli.wmv」をダウンロード
(一部カットしている)


すでに、You-Tube上では問題の映像は見ることは出来ない。

しかし、この時代のこと、あちこちのサイト(1)(2)(3)(4)(5)(6)で見ることは可能だ。
(便宜のためにあえて紹介しておく。)

すぐに消えている場合も多い。

見たい人は見ればいい。

この映像は、2006年9月20日頃から出回っている物で、
ブラジルでは当時大いに話題になっていた。

2006年に最もアクセスされた映像である。

でも、ダニエラ・シカレリ自身も、
11月に行われたブラジルMTV大賞の発表の司会を務めていたときに、
この映像を意識したパロディーを見せていた。

ともかくも、ダニエラ・シカレリもちょっと行動を考えた方がいい。
あまり賢くないと思われてしまう。

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この記事は、しばらくすると削除するつもり。

あまりうれしくもないアクセス増加だ。
ワールドカップのときに、1日5000アクセスを超えたこともあったが、今回はそれも上回るかもしれない。
単なるパパラッチのためにだ。

ブラジルそれもほぼサンパウロでの、人々の暮らしや生き方などにテーマを絞って、ブラジルという国について多角的に知ってもらいたいと思って続けているこのブログでは、スペインの浜辺で起きたことについては、あえて取り上げなかった。

まあ、これを機会にほかの記事も読んでいただければ幸いであるが、
残念ながら一過性だろう。

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sábado, setembro 30, 2006

ブラジルでの航空機事故 その1 乗客名簿。

9月29日(金)、ブラジルのアマゾニア州マナウスから首都ブラジルリアに15時35分に向かったゴル航空のB-737ー800の1907便が、16時半頃にレーダーから消えた。
機体は最新のもので、9月12日にゴルに到着したものだという。

ブラジル・サンパウロでこの件が報じ始められたのは、21時頃である。

アマゾニア州からパラ州そしてマットグロッソ州の上空を経由していくなかで、別の航空機と空中で接触を起こしたという。
別の航空機は、近くのジャカレアカンガ飛行場に緊急着陸して無事である。
この機体は、エンブラエルのレガシー機という小型ジェットである。
米国に向かっていた。

ゴル機の消息については、具体的には何も伝えられていない。

パラ州とマットグロッソ州の境にあるカシンボ山脈serra do Cachimboあたりで不明になっている。
このあたりは全くのジャングルだそうだ。
数百キロに渡り、地図上では道も、街もないようなところだ。

捜索に5機の航空機がでているようだが、広大なエリアで、
現実的に相当時間がかかるようだ。

ゴルは、同便の乗客名簿を発表している。

掲載しておく。

姓    名
ACKER/JAQUES
ALVES/LEONARDO
ANCHIETA/ELCIO
ARAUJO/AGAMENON
ARMINDO/ANTONIO
AZEREDO/GILSON
AZEVEDO/MARCELO
AZEVEDO/OTTO BERNARDO
BARATO/JOSE
BARBERO/VALDINEI ROBERTO
BARBOSA/HENRIQUE
BARRETO/RAFAEL
BENEDITO/LUIZ ROGÉRIO
BENJAMIM/MARIA TEREZINHA
BEYER/HUGO
BONAROSKI/LUIZ
BORTOZOLO/ERTHELVINE
BOVI/MARILENE
BRANCO/KELISON
BRESSAN/KEILA
BRITO/ANA CLAUDIA
CABRERIZO/GUSTAVO
CALANDRINI/FABIANA
CARDOSO/CLAUDIO
CARVALHO/LUIZ
CARVALHO/VIVIANE
CAVALCANTE/FRANCISCO
CAVALCANTE/ROSSANA
COELHO/JOSE
COLLI/VANESSA
COLOGNESE/NELSON
COPAT/IVAN
COSTA/ELISABETH
COSTA/JOSENILDA
COSTA/GILCLEY
CRUZ/CARLOS
CRUZ/MARIA VALERIA
CUSTODIO/LUIZ
DA ROCHA/CLAUDIO
DARC/JOANA
DE JESUS/OSCAR
DE JESUS/RUTH
DIVINO/SILVA
DUARTE DORIA/NILO
EUSTAQUIO/THIAGO
FALCAO/JOSEANE
FARIAS/FRANCISCO
FELIPPE/PAULO CESAR
FERREIRA/MARCELO
FONTOURA/ANDRE
FREIXO/LUANA
GARCIA/FRANCISCO
GARCIA/HELEN
GARCIA/PEDRO HENRIQUE
GODOY/HELIO
GOMES/REGINA
GONCALVES SOBRINHO/LAZA
GUIDI/JULIO
GUTJAHR/ROLF
HANCOCK/DOUGLAS
IGNACIO/JOANA
KOWALSKI/ANDREAS
LEAL/JOAO
LEITE/ANGELO
LEMOS/LUCAS
LESQUEVES/EUGENIO
LIMA/THALITA
LINS/ETEUVINO
LLERAS/MARIO
LLERAS/DANIEL
LOIOLA/FRANCISCO CHAGAS
LOPES/MARCELO PAIXAO
LOPES/MARCELO
LOPES/MARCELO
LUCAS/ESDRAS
MACEDO/OLGA
MACENA/MARIA AUXILIADORA
MACHADO/MARLON
MACHADO/VALDOMIRO
MAGALHAES/ROSANA
MAIA/MARIA ZILDA
MAIA/LAVOSIER
MALAFAIA/MARIO
MARQUES/INEZ
MATTOS/ANTONIO
MELO/OSMAN
MELO/IZELIA
MENDES/JULIO
MENDES/AUGUSTO
MENDES/MARINA
MICHEL/FREDERICK
MIRANDA/RONIVON
MORAES/GLECIO
MOREIRA/PATRICIA
MOREIRA/QUEZIA
NARANJO/RAYSSA
NARDT/FRANCISCO
NERES/KARLA
NOE/RONALDO
OLIVEIRA/CHARLIE
OLIVEIRA/MARCIO
OLIVEIRA/FRANCISCO
OLIVEIRA/ENIO DE
OLIVEIRA/VANDEMIR
OLIVEIRA/ANTONIA
PADILHA/JANINE
PANIZZI/LOURDES
PEIXOTO/PEDRO
PESSOA/ANTONIO
PIMENTEL/WALTER
PIVOTTO/ELETA
PRADO/DORNELIO
RADESCA/RICARDO
RAMOS/JOAO ELOI
REZENDE/ATILA
REZENDE/ISMAR
REZENDE/MARIA
REZENDE/FRANCIELLE
RICKLY/MARIA DAS GRAÇAS
RIGUEIRA/MARCELO
ROCHA/SALUSTIANO
RODRIGUES/MARIA JOSE
RODRIGUES/ADAIR
RODRIGUES/ANTONIO
ROMANO/MAURO
RONDINI/MICHEL
ROSA/CLAUDEMIR
SANT ANNA JUNIOR/MOZART
SANTOS/PAULO
SANTOS/ALEXANDRE
SANTOS/EMANUELLE (INF) MACENA/REBECA 11 MONTHS
SANTOS/LUIZ
SILVA/FELIPE
SILVA/ANA
SILVA/JUVÊNCIO
SILVA/ROGERIO
SILVA/MARIO
SIQUEIRA/PLINIO
SOUSA/CARLOS
SOUZA/EDUARDO
SOUZA/RICARDO
SOUZA JUNIOR/CARLOS
TARIFA/RICARDO
TRINDADE/JOSE
VIANA/HUEDERFIDEL
VIANNA/HAMILTON
XAVIER/SAMANTHA

見る限り、日本人もしくは日系人の名前らしいものはないようだ。
だが、それでひとまず良かったなどとは思っていないので念のため。

国籍や人種にかかわらず、事故は起きている。

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21時頃からの第1報から、その後の報道でも、
機体の消息についての具体的な情報は全くない。

乗客の関係者が、最終目的地のリオ・デ・ジャネイロの空港に集まっている様子などが伝えられている。

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domingo, julho 23, 2006

ブラジルとレバノン。 その2

ブラジルは、世界各国からの移民とその子孫で出来た国である。

中東からやって来たアラブ系の人たちももちろんその中に含まれている。
19世紀の中期頃から、当時のオスマントルコの領土に含まれていた、今のレバノン・シリアから多くの移民達がやってきている。
20世紀の初めに始まった日本人移民とその子孫よりも歴史が長い。

サンパウロで、1番良い病院といわれるのはユダヤ系のアインシュタイン病院であるが、2番目によい病院といわれているのはシリノ・レバノ病院といわれる彼らが造り上げた病院である。

すでにレバノンやシリアには、もう直接の家族や親戚がいないのかと思っていたが、
今回のイスラエルのレバノンへの攻撃についての報道で全く違っていたことを知った。

このところ、レバノンに家族や親戚のいる人たちがその安否を心配する様子がニュースで伝えられている。

それどころか、すでにレバノンではブラジル国籍保持者が7名もなくなっている。
この人数は、第2次世界大戦以来の人数だそうだ。

どうも、レバノンからの移民は綿々として続いていたようで、特に1970年代からのレバノン内戦を逃れて、相当に新たな移民がブラジルに流入していた。
そうした移民達とその子孫が、内戦が一応終結していたレバノンにまた戻って、復興に参画していたようだ。

ブラジルは、2重国籍を認めているし、おそらくレバノンもそうなのだろう。

ブラジル国籍者の救出ブラジル政府は、レバノンだけではなくヨルダンやシリアにいるブラジル人の救出活動を行っている。

レバノンからバスでトルコにまで脱出したブラジル人を、すでに一回ブラジル軍用機でブラジルに帰還させた。

そして、その作戦を更に繰り返して行うことになっている。
7月20日の段階では3回行うことになっていた。
Spd20060720h

7月21日には更に1回追加されて、4回になった。
Spd20060721i

1回に乗機出来るのは百名余である。

②行進
7月22日に、サンパウロで、「レバノンの平和を願う行進」があった。
Spd20060722b

レバノン共和国大通りを、レバノン・シリア系の人たちを中心に数百名が参加した。
Spd20060722a

行進は極めて静かに行われた。
Spd20060722c

決してイスラエルを非難するものではなく、
レバノンの平和を願うものであった。
Spd20060722d

ブジラルは、こういう国でもあることを知って欲しい。
Spd20060722e

③シャビエール選手
今年の初めにコリンチャンスに在籍していたシャビエール選手が、6月にイスラエルのプロチームに移籍した。
Spd20060721d

チームの所在地は、イスラエル北部の港湾都市ハイファ。
今回ヒズボラからのロケット砲による攻撃を受けている都市で、レバノン国境から30キロである。

家族は、まだブラジルにいた。
電話しか連絡手段がなく心配だと言っていた。
Spd20060721b
Spd20060721c

本人は、一応元気だといっていた。
Spd20060721a

テレビカメラに向かって、妙に艶めかしい表情をみせる妻である。
Spd20060721f

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イスラエルにも、何度か行ったことがある。
1991-1992年にかけてだ。
湾岸戦争の後で、一応その時期は中東は静かだった。
ただ、やはりいつ何が始まるかわからないと落ち着かないものを感じていた。
今になって考えてみれば、インティファーダが始める前でもあり、結果として一番平穏な時期だったと思える。

イスラエルに入るには、まず乗機地の空港で面倒なことが待っている。
今はもっと厳しくなっているだろうが、当時でもチェックインの時に荷物について細かく聞かれた。
一旦預けた後に、搭乗待合室に入る前に、またもう一度その荷物があって、
また質問を受けた。
ハイジャックやテロを避けるためとわかっていたので、素直に従うしかない。

イスラエルの空港はベングリオン空港である。
ロッドにあるのでロッド空港ともいうが、日本赤軍の3人がテロ事件を起こして、百名もの死傷者を出した空港である。
日本人として到着時には色々と思いが巡った。

イスラエルについて言うならば、行く機会があって良かったと思っている。

観光的にも、エルサレムや死海等見るべきものがある。
地中海の海の幸も美味であった。

それ以外に見たことや知ったことも、日本では知らなかったことばかりで、考えを新たにすることばかりであった。

決して広いとは言えないイスラエルには、聖書を通じて聞いたことがある地名が沢山ある。
北部のナザレに行った時のことだ、ユダヤ系の人と一緒だったのだが、
旧市街はアラブ系の街だからという。 
イスラエル建国後からやって来たユダヤ人は取り囲むように住んでいるのだ。
エルサレムの旧市街でもそうだ。
ユダヤ人のガイドと一緒だったのだが、狭い旧市街の4つの地区(ユダヤ、アルメニア、キリスト教、そしてアラブ)のうちアラブ地区だけには近づかなかった。

かつてはほとんど砂漠だった国土に植林を進めていることも知った。

独立宣言後の第1次中東戦争時のブリキのおもちゃのような戦車が路肩で朽ち果てているのを見た。
この時は、今と違ってまともな武器がなかった。
欧米が売ってくれなかった。

ローマ帝国の侵攻時にユダヤ人が最後に立てこもったというマサダにも行った。
死海を見下ろす荒涼とした土漠のの中にある丘の砦に立てこもったが、最後には全滅したところだ。
これ以降、ユダヤ人が国を失い世界中に散らばった。
イスラエルの新兵は、必ずここにやってくるそうだ。
「マサダの二の舞は決してしない」
今のような、防衛的な先制攻撃は、マサダを繰り返さないという民族的な誓いから来ている。

だが、考えてみるとイスラエル建国までは、このパレスチナと呼ばれる地域には
アラブ人とユダヤ人がそれこそ2千年近く共存していたのだ。
パレスチナだけではなく、中東のどこにでもユダヤ人がいた。
イスラム教徒は、ユダヤ教を弾圧したりしていなかった。
ユダヤ教徒を弾圧したのはキリスト教徒である。

19世紀になっても、ユダヤ教徒というだけであらぬ嫌疑を掛けられたことがフランスであった。
ドレフュース事件である。
この事件が、約束の地に帰ろうというシオニズム運動のきっかけの一つである。
欧州列国もこれ幸いと、ユダヤ人達の追い出し先を用意しようとした。
この時から、パレスチナでの共存が崩れ始めた。
元々パレスチナはほとんど乾燥地でそれほど多くの人が住むことが出来るだけの土地ではなかった。
今は灌漑で多くの人が住めるようになったが、それも約束の地にやって来たユダヤ人達が懸命に造り上げたものだ。
しかし、その中でアラブ人は土地を追われている。
以前はアラブ人がいたという空き家がいくらでもあった。

今でも、イスラエルではヘブライ語とアラブ語が使われている。
アラブ人が全くいなくなったわけではない。
ちゃんと残っているアラブ人もいるのだ。
だが、2級国民のような扱いだ。

イスラエルのある企業に行った。
有名なダイアモンドセンターがあるラマットガンに本社があった。
役員がいるフロアは多くの場合上階の景色の良いところと世界では決まっているのだが、
この役員フロアは半地下だった。
防空壕のようなものだ。
そこが一番安全だということだろう。

安息日の土曜日の前後に、兵士に休暇がある。
だが、軍服を着て、そして銃器を持って、帰郷する。
いつ何があっても直ちに対応できるようにだということだ。
小さな国土では、兵舎に復帰する間に敵がやってくるからだ。

聖書の時代と、そして余りにも生々しい現代を知ることが出来た。

イスラエルから出国する時の空港での検査も厳しかった。
イスラエルを離れ、数時間で欧州に戻ってきた時は、本当にほっとした。

ナチスよるものだけではなく欧州で何度となく殺戮の対象になったユダヤ人が、どうして今パレスチナ人を強圧的に扱うのか。
考えることはいくつもある。

歴史と現実を学ぶことは必要だ。

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terça-feira, julho 18, 2006

ブラジルとレバノン。

イスラエルが、レバノンに攻撃を加えているニュースは、ブラジルの国際ニュースでは今一番大きく取り扱われている。

元々、パレスチナのニュースは取り扱いが大きい。
イスラエルがレバノンに攻撃を開始する前は、パレスチナ暫定政府の建物やガザ地区を攻撃する映像がながされていた。

ブラジル最大のメディアのGLOBOはエルサレムに駐在を置いていて、
イスラエルやパレスチナの情報は多かった。

ブラジルには、ユダヤ人が少なからずいて、彼らの存在は政治的経済的に日系人よりも大きいように思う。
そのこともあるし、カトリック国として聖地エルサレムがあるので、特派員を置いているのだと思っていた。
ちなみに、GLOBOは日本には特派員を置いていない。 アジアでは、北京にいる女性がカバーしている。

ブラジルのユダヤ人は、19世紀末からやって来はじめたのだと思うが、
多くは東欧やロシアからやって来たアシュケーナージだ。
スペインからやって来るのでは時代が合わない。
ナチスの迫害を逃れてきた人も多い。
当時はイスラエルはまだないから、パレスチナからやって来たユダヤ人はまずいないはずだ。

しかし、その後、ブラジルから約束の地イスラエルへ向かった人もいるので、
イスラエルにもブラジル人がいる。

そして、ユダヤ人よりももっと人数も多く歴史があるのが、アラブ系の人たちだ。
ブラジルのアラブ人の多くは、19世紀初め頃からブラジルに到着し始めたそうだ。
当時、オスマントルコ帝国の領土であった今のレバノン・シリアからやって来た人が多い。
アラブ系の人たちも、ブラジルにおいて経済力も強いし、特に政治力が強い。

すでに、代を重ねているので、レバノンやシリアに知っている人もいないかというとそうではなかったようだ。
イスラエルのレバノンへの攻撃が始まってすぐに、
ブラジル人一家4人(夫婦と子供2人)が亡くなったと伝えられた。

休暇で、レバノン南部に滞在していた家がイスラエルの攻撃に遭ってしまったのだ。

そして、レバノンに家族や親戚がいるアラブ系ブラジル人達が、家族や親戚達の安否を心配している様子が連日映し出されている。
どうも、今でも交流がかなり盛んであるようで、親や兄弟がいるという人が多い。

そして、そのブラジル人を救援するために、ブラジル政府は空軍機をトルコに派遣することに決めた。
空軍機といっても、小型の旅客機だ。
Spd20060717h
Spd20060717i

ベイルートの国際空港が使えないからだ。
少なくともレバノンから陸路でトルコに脱出する必要がある。
Spd20060717g

まずは120人が戻ってくるそうだ。
レシフェに到着し、その後サンパウロとリオ・デ・ジャネイロまで連れて行くそうだ。
Spd20060717j

さて、日本政府はどうしているのだろう。

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今から20年以上前に、中東のある国の首都にいた。
隣国と戦争をしていた。
その首都は、国境から800キロほど離れていたのだが、
たまに空襲があった。

少なくとも片道800キロという距離があるので、戦闘機でもあまり大量の爆弾を搭載することはできず、
そして首都上空での滞空時間も短いので、空襲は脅かしの意味だということであった。
主戦場は国境地帯であった。

時々、夜に、突然に空襲警報が鳴り、市内の電気が地区毎に次々に消えていき、
やがて対空砲火が上がり始める。
見た目にはきれいな花火のようなものだ。

ミサイルや爆弾だけではなく、戦闘機の衝撃波でも、建物の窓が激しく震えていた。
腹に来る音だった。

やがて空襲は終わってまた静かになるのだが、緊張はしばらく解けなかった。

隣国はスカッド・ミサイルを持っていたのだが、当時は800キロもの射程の
ミサイルではなかったので、首都までは届かなかった。

南西部の国境から70キロほどの都市に行ったことがある。
首都からバスで15時間ほどかかったのだが、
朝早くに、その都市について、最初にやったことはホテルを探すことだった。
聞いていたホテルは満室だった。
何とかホテルを探して、次は帰りのバスのチケットを買った。
意外にいい街だと思いながら散歩しながら、ホテルに戻り、
すこし休もうかと思ったところで、連絡があった。
隣国が、その都市を含めて11の都市をミサイル攻撃すると、放送で言ったという。
なんとなくホテルの4階の屋上に上って、ミサイルが来るかもしれない西の空を見た。
とても青い空だった。

そのあたりの建物はみんなレンガ造りの建物である。
ミサイルなんか来たら全壊に決まっている。

何故こんなところにいるのかなと思った。

戦争は残酷だ。
民族や宗教といった違いで、個人的な恨みがないもの同士が殺し合いをする。

世界の殆どの国が今もこういった状況にある。
1945年以降、戦争も内戦もなかった国はほんの僅かだそうだ。

戦争をする必要はないが、戦争を知る必要はあるのではないだろうか。

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quarta-feira, julho 12, 2006

ブラジル・サンパウロの犯罪組織による襲撃 その1 再開。

2006年5月に約1週間に渡って、ブラジル・サンパウロ州でおきた犯罪組織による警察などの施設への一連の襲撃は、一応収まっていた

ちょうどワールドカップ・ドイツ大会の期間中だけ「休戦」が行われていたようだ。

7月になって、刑務所職員が次々と殺されている。
刑務所職員の名前、顔写真、電話番号そして住所を書いたリストがいつの間にか紛失していたということだ。
実際、自宅の前などで殺されている。
家族が狙われて、殺されたりしている。
警察官が狙われたこともあった。

そして、7月12日水曜日未明。
サンパウロ市を中心にサンパウロ州でまた襲撃が多発した。

警察署の襲撃。
銀行やスーパーマーケットへの破壊行為。
バスの焼き討ち。
「20060712JN-criminosa-onibus.wmv」をダウンロード

同日中に、73件の襲撃があり、6人が死んだ。

襲われたスーパーマーケットの一つは、拙宅から1キロくらいのところだ。

警察署の警備もまた厳重になった。
拙宅の近くの、イジェノポリスのアンジェリカ大通りにある警察署は、車線規制を行っている。
Spd20060712c
Spd20060712b

5月