quinta-feira, 25 de junho de 2009

ブラジル・サッカー2009 その1 リベルタドーレス杯の試合での人種差別発言。

リベルタドーレス杯は、
準決勝まで進んでいる。

準々決勝までは、ブラジルのクラブが参加していた5クラブのうちスポルチをのぞく4クラブが残っていた。
その4クラブの中には、パルメイラスともう一つのクラブの2つのサンパウロのクラブが入っていた。

でも、ともに準々決勝で消えてしまい、ブラジルのクラブで勝ち残っている2クラブはリオ・グランヂ・ド・スル州のグレミオとミナス・ジェライス州のクルゼイロである。

サンパウロでは、もう今年のリベルタドーレス杯は終わってしまったことになっている。

準決勝では、このブラジルの2クラブが対決することになり、
6月24日(水)22時から、
第1戦が、
クルゼイロのホームであるミネイロン競技場で行われて、
3対1で、クルゼイロが勝利した。

水曜日の22時の試合は、
Globo局の地上波でのサッカー枠の時間にもかかわらず、
サンパウロ州では、この試合は放送されなかった。

サンパウロ州だけではなく、
この2クラブが所在する
リオ・グランヂ・ド・スル州とミナス・ジェライス州だけしか放送されなかった。

ファンでもないクラブの試合を見るような酔狂な人間はいないのだ。

代わりに、映画が放送された。

試合は地上波では放送されなかったのだが、
ケーブルのスポーツ専門局であるGlobo局系のSporTV局では、実況中継された。

試合後は、
その日のスポーツ全般についてのSporTVnewsという番組が始まる。

ここで、
試合を振り返ったり、
試合後の両チームの監督や選手の記者会見が中継される。

グレミオの監督は2005年から2006年にかけて鹿島アントラーズの監督だったパウロ・アウツオーリ。
クルゼイロの監督は、2006年から2007年にかけてジュビロ磐田の監督だったアヂウソン・バチスタ。

今晩は、他に試合がなかったので、
この試合についての時間が多いのは当然だが、
もう試合終了後2時間たってもまだ続いている。

試合終了後に、
クルゼイロの選手が、
試合中に人種差別的な発言を、グレミオの選手からされたと訴えたからだ。

激しい試合で、
選手間での小競り合いがあったのだが、
その中で、そういうことがあったようだ。

グレミオに所属のアルゼンチン人選手FWマクシ-・ロペスが、
クルゼイロのボランチのエリカルロスに、”Macaco”(=猿)と言ったらしい。

この言葉は、
ブラジルでは、肌が黒い選手への蔑称を意味し、
人種差別発言ととられることになっている。

ブラジルの白人選手が、こういう言葉を言ったり、もしくはそういうことを意味するジェスチャーをして問題になることが時々あり、処罰される。

リベルタドーレス杯のような国際試合では、
しばしば白人系選手しかいないアルゼンチンのクラブの所属選手が、
ブラジルでの試合中に、
そういった言葉を出したりして、問題になっている。

実際に、
そういう言葉を、
今晩の試合で言ったかどうかはわからないが、
グレミオの選手の訴えがあったので、
警察が動いている。

ミネイロン競技場を離れる前の
グレミオのバスを止めて、
選手の事情聴取をするしないで、長い時間バスの中で交渉が行われていた。

バスは、マスコミに囲まれている。

一時は、
バスを出発させて、ホテルで尋問と行うという報道もあった。

試合後1時間半過ぎに、
選手たちが全員バスを降りた。
マクシ-・ロペス選手も最後に出てきた。

ホテルの周りは、
クレゼイロのファンで囲まれており、
さらなる混乱が起きると判断されたようだ。

試合終了後2時間たつが、
まだ、
混乱は続いている。

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マクシ-・ロペス選手が、
”Macaco”という言葉が、
ブラジルでは、
時と場合によっては禁句であることを知っていたのかどうか。

何しろ、
ポルトガル語とスペイン語は、きわめて類似の言語で、
同じ意味の単語がほとんどと言っても良い。

ただ、それは表面の意味のことで、
辞書に載っていない裏の意味までは、
それぞれの国で異なることは言うまでもない。

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sexta-feira, 12 de junho de 2009

ブラジル・サンパウロ発のエア・フランス機が行方不明になった件 その3 毎日記者会見が行われている。

ブラジルの・リオ・デ・ジャネイロを、
5月31日(日)19時過ぎの出発した
AF447便が、ブラジルのフェルナンド・ヂ・ノローニャの管制官への連絡を最後に、
消息を絶った事故についての、その後。

ブラジルでは、6月2日に3日間の喪に服すと発表していたが、
5日もまだ半旗のところが多かった。
Sps20090605cf

Sps20090605cx

Sps20090605cy

墜落したと思われる海域は、ブラジルの航空管制域内であるが、領海内ではない。
しかし、一番近いのはやはりブラジルなので、
ブラジルの空軍と海軍が、遺体や機体の回収作業を、中心となって進めている。

それに、フランスの海軍艦艇も、情報を交換しながら行っているようだ。

空軍および海軍の共同記者会見は毎日行われている。
Sps20090607fb

Sps20090608ta

捜索は空軍が中心となっているということだ。
Sps20090607fa

見つかった遺体や機体は、発見地点からいったんフェルナンド・ヂ・ノローニャ島まで運び、
そこから遺体は検視や身元確認のために、ペルナンブコ州レシフェまで航空機で運ばれている。

やっと、レシフェにその遺体が搬送されて、
これからが、具体的な鑑定にはいるということである。

あまりに本土から離れているので、
時間がかかるのは仕方がないことなのだろう。

悪天候の時もあり、
捜索は非常に難航しているようだ。

すべての遺体というわけにはいかないだろう。

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これまでは、
機体が行方不明ということで、
まだ遺体が見つかっていなかったので、
冥福を祈るという表現はしていなかったのだが、
すでに40遺体が回収されているという事実がある。

ここで初めて、
事故に遭われたの冥福を祈り、
関係者に追悼の意を表します。

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quarta-feira, 3 de junho de 2009

ブラジル発のエア・フランス機が行方不明になった件 その2 3日間の喪

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロを、
5月31日(日)19時過ぎに出発した
AF447便が、
22時30分に、ブラジルのフェルナンダ・ノローニャの管制官への連絡を最後に、
消息を絶った事故について、
ブラジル連邦政府は、
6月2日から3日間の「喪」に服すことを発表した。

2日朝5時30分に、連絡を絶った地点付近の海上に,ブラジル空軍機が油膜の帯を発見し、
さらに6時49分に別の空軍機が海上に座席を発見した。

この座席が、AF447機の物と確認されたことで、
墜落事故と確定された。

事故と確定されたことで、
「喪」に服することも決定した。

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2日(火)さらに3日(水)も,航空機による現場付近の捜索は続いている。

3日午後になって、やっと現場付近に艦艇が到着している。

ブラジル本土のナタウからは、1020キロの距離がある。

※クリックすると拡大する。
Spf20090603a

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外遊中のブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、
「深海の原油を見つけられるのだから、ブラジルは機体も発見できる」と、
語った。

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事故機の乗員・乗客名簿はまだ、完全な物は発表されていない。

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terça-feira, 2 de junho de 2009

ブラジル発のエア・フランス機が行方不明になった件 その1

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロを、
5月31日(日)19時過ぎに出発した
AF447便が、
22時30分に、ブラジルのフェルナンダ・ノローニャの管制官への連絡を最後に、
消息を絶った事故について、
ブラジルでは、6月1日(月)朝7時頃からニュースで報じられ始めた。

ブラジリア時間の6時に、パリに到着予定だったのに、到着しなかったことで、何か事故が起きたということが,確実されたからだろう。

おそらくそれ以前でも、事故は関係者間では予想されていたのだろうが、とりあえず到着時間までは,期待があったのだろう。

ただ、朝9時頃でも、
まだほとんど情報がなかった。
CNNの映像や,パリの映像が使われていたくらいだった。

ただ、ニュース専門局では、
他のニュースはほとんど無く、この件だけを延々繰り返して伝えていた。

ブラジル空軍が,朝から捜索機を出したことは伝えられた。

23時14分(*ブラジリア時間)に、
電気系統の異常を示す自動連絡が、エアー・フランスに入っていたことは、まだ報じられていなかった。

乗客数は216人、乗員は12人。

ブラジル人は、エアー・フランスの発表では58人。

夕方になるにつれて、
そのブラジル人について、その人なりについての、報道が出てきている。

サンパウロのローカルニュースでも、サンパウロに関係している人について、報じられてきた。

この機には、
フランス人が61人、ドイツ人が26人、イタリア人が9人、中国人が9人、スイス人が6人,英国人が5人が乗っていたほか、32の国籍の人が乗っていたそうである。

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ただ、2日(火)に日付が変わっても、
AF447便に安否ついての、
確実な何かが見つかったとは報じられていない。

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segunda-feira, 14 de julho de 2008

ブラジル・サンパウロで、陸橋が落ちて、邦人が亡くなった。

7月14日(月)9時半頃のことらしいが、
サンパウロ市からサントスに向かうイミグランテスと言う自動車専用道路で、
トラックの荷台の高さが制限をオーバーしていたために、
陸橋の橋桁にぶつかった。

その橋桁は衝撃で落下した。
Sps20080714te

その橋桁に、一台の車がぶつかった。
Sps20080714tb

Sps20080714tc

Sps20080714ta

事故が起きたのは、サンパウロ市のすぐ南のヂアデマ市域内である。
その車には、運転手と邦人が乗っていた。

その邦人は、ヘリコプターで
クリニカス病院に運ばれたが、
亡くなった。

運転手の名前は発表されている。
亡くなった方の氏名は、18時を過ぎても、発表されていない。

ただ、昼のGlobo局のローカルニュースでは、
車には"MAKITA"と書いてあるそうだ。
普通、MAKITAと言えば、電動工具のMAKITAと思うのだが。
Sps20080714td

未確認情報では、
赴任後日の浅い駐在員の方らしい。

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19時のGlobo局のローカルニュースでも、短かったがトップで伝えられている。

「20080714JNsp2-Acidente-Makita.wmv」をダウンロード

これによると、
関連会社を訪問する
MAKITAの役員が犠牲になられたということである。
ブラジルの子会社に役員としてきている駐在員ではなく、
日本からの出張者のようにとれた。
車のロゴを見る限り、電動工具のMAKITAのようだ。
Sps20080714tf

Sps20080714tg

ご氏名は報道されていない。

事故当時、
どういう訳かトラックの荷台が持ち上がり、
それで歩道橋の橋桁にぶつかったという。
運転手の操作ミスか整備不良かを調べるという。
Sps20080714ti

Sps20080714tk

Sps20080714tj

なお事故を起こしたトラックの運転手は、
器物損壊と過失致死で
警察の取り調べの後、
もう釈放されている。
Sps20080714th

運転手からはアルコールは検出されていない。

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時事通信のサイトでは、7時47分配信のニュースで、
MAKITAの駐在員のフルヤブ・ソウイチロウさん(30)が犠牲者と報じられている。

共同通信のサイトでは、7時9分配信の速報で、事故が起きて日本人が亡くなったことだけを伝えている。

共同通信の8時14分の配信では、「古藪聡一郎」さんと伝えた。

朝日新聞のサイトは、8時27分に報じた。
2年ほど前から駐在されていた方だそうだ。

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ご冥福をお祈りする。

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sexta-feira, 20 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その1 皇太子、サンパウロ御到着。

ご存知の方も少なくないと思うのだが、
2008年は、
日本人が、ブラジルに、最初の集団移民をしてから、100周年にあたる。

6月18日に、そのニッポン人移民団が乗船していた笠戸丸が、サンパウロ州のサントスに到着した日が、ブラジルの「移民の日」となっている。

例年、この6月18日の中心とした週には、サンパウロ市東部のブラスにある「移民博物館」でイベントが行われている。

「日本移民100周年」のイベントは、2008年に入って、いろいろなものが次から次へと開催されている。
このブログでは、ほとんど取り上げていないのだが、いろいろなレベルのイベントが、サンパウロ市内でも常にいくつか開催されている。

中には、無理やり100周年にかこつけているようなものもあるようにも思えるが、主催者は真面目にやっておられるのであろうから、あげつらうようなことはしないようにしている。

この100周年のイベントは、この6月18日の週にもっとも重要なイベントが行われる。

6月13日から22日までは、サンパウロ市北部のアニャンビー展示場で、「日本文化週間」というものが開催されていて、いろいろな文化を紹介している。
ただし、100年の間にその文化はかなり変容している。
もちろん変容したのは、ブラジルだけではなくて、日本そのものの文化も100年の間に変容しているのであるから、どちらがどうと軽々に語ることはしない。
とにかく、100年前の日本がどうだったかを想像する機会にはなる。
いまでこそ、テレビやインターネットという伝達手段もあるし、さらに飛行機でわずか24時間で、それも距離を考えるとさしたる費用を要すことなく移動できるのだが、それはつい最近のことである。
戦前も情報量なんて微々たるものだったろうが、戦中は10年近く交流さえも途絶していたのである。
ブラジルの中で、独自に発達するものもあったことは間違いない。

そして、6月21日(土)には、そのアニャンビー展示場の隣の、「サンボードモ」(=サンパウロ市におけるカルナバルでの主会場)で「100周年記念式祭典」が執り行われる。

これにご出席されるのが、皇太子殿下である。

皇太子殿下は、6月17日(火)夜に、ブラジリアに到着されて、18日(水)はブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァにお会いになっている。

そして、19日(木)の午後、サンパウロ市に入られて、さっそくタイトなスケジュールをこなされている。

その模様が、19時ころからのローカルニュースで伝えられた。
「20080619JNsp-ImigracaoJaponesa-Narihito.wmv」をダウンロード

皇太子殿下を、ニュースではNaruhito(=徳仁)と呼んでる。
名前に当たるものは、徳仁なので、ほかに呼びようがないわけである。

ブラジリアからは、
ブラジル空軍機を使用されている。
ブラジル大統領専用機のはずである。

サンパウロ市のコンゴニアス空港には予定より30分遅れて到着されて、タラップの下ではサンパウロ市長のカサビが出迎えている。
皇太子のすぐそばには、西林サンパウロ総領事の姿が見える。

コンゴニアス空港からは、それほど遠くないのだが、そのままイビラプエラ公園に向かわれ、園内の移民慰霊碑をおとづれられている。
さらに、すぐその脇の日本館では、鯉に餌をおあたえになっている。

ホテルは、サンパウロ市中心部のパウリスタ大通りの一本南西側のサントス通りにあるメリア・モファヘジである。
このホテルは、20数年前に開業した時はシェラトンであったが、いつの間にかメリアになっていた。
大きなホテルではないが、良いホテルである。

20日(金)のご予定も、ニュースでは伝えられている。
日本では、安全面からして考えられないような報道である。

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それにしても思うのだが、
もう若いとも言えない皇太子にとっても、
この日程はきついだろうと思うのである。

地球の裏側なので、時差が12時間もある。
季節も逆である。

だが、
その役目を担う人は、ほかに誰もいないわけである。

「ご公務」だとは言え、到着早々からのスケジュールはハードすぎるのではないだろうか、同情してしまう。
それに、他の地域と異なり、気の休まらないことは、世界最大の日系社会があるということである。

ブラジルには9日間のご滞在である。

ブラジルでの報道ぶりについて、今後も紹介していきたい。

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なお、ブラジル最大のメディア・グループのGloboは、
このところ「日本移民100周年」に関する報道をニュースでも多く流しているが、
それがすべてのマスコミがそうかというとそうでもない。
一部のマスコミに限られているようだ。
好奇心が旺盛で、感度の高いブラジル人には、改めて日系人や日本文化を知る機会にはなっているだろうが、
多くのブラジル人にとっては、それほどの関心事ではないだろう。

報道されればされるほど、逆に日系人や日本文化が、まだブラジルの中で特異であることを露呈していることを証明しているような気もする。

何しろ、日本以外に世界各地から移民もやってきているのだが、日本人以外ではこういった大々的なイベントがないからである。

報道されるのは、日系人が、ブラジルにそれだけ貢献したからで、その存在が大きいからだというのは、手前味噌にすぎる気もする。

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terça-feira, 4 de março de 2008

ブラジル・サンパウロの「南米危機」。

ほとんど日本では気にされていないだろうし、報道もされていないことのようだが、3月3日(月)のブラジルの全国ニュースのトップは、「南米危機」についてである。

「南米危機」とは、コロンビアとエクアドルとベネズエラの間に外交問題が発生したことである。

その発端については、歴史は続いているもので、いつからとははっきり言えないものだろうが、
一応今回の直接の原因は、
3月1日(土)に、
コロンビア軍が、コロンビアの反政府ゲリラ組織FARC(麻薬組織でもある)の掃討作戦を実施し、そのナンバー2などを殺害したことである。

問題は、その場所が、エクアドル領に1080メートルの地点であった。
明確なコロンビア軍による国境侵犯である。

コロンビア政府は、当初エクアドル政府も了解していたとか、追って行ったらついつい入ってしまったとかと発表した。

エクアドル政府は、
日曜日になって現場を検証し、全員寝こみを襲われた、大殺戮であると反論した。

なぜか、ここでベネズエラのチャベス大統領が、コロンビアから外交団を引き上げることと、コロンビア国境沿いにベネズエラ軍を展開することを発表した。
「わが国には絶対に侵犯をさせない」ということである。
コロンビアにも、駐ベネズエラ大使館の閉鎖を求めている。

コロンビアは、今度はベネズエラがFARCに資金援助をしていた証拠があるとか、エクアドルが領内を聖域として使わせていたとか、2日(日)に発表し始めた。

エクアドルが、コロンビアとの国交断絶と国境への軍の展開を発表したのは、3日(月)のことである。

このうちエクアドルとは国境を接していないが、ブラジルはコロンビアともベネズエラとも国境を接している。
ともに関係は悪くない。

とくに、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領は、チャベス大統領とは、中道左派として、親しい。

ブラジルのアモリン外務大臣は、3日(月)の夜に、「コロンビアが国境を侵犯したことは悪い。 謝るべきである」と言っていた。

コロンビアは、4日(火)になって、一応謝った。
エクアドルの大統領が、ベネズエラに行ってチャベスとあっているはずだが。

さて、今後はどうなるのか。

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この3国は、1820年代に独立した時は、同じ国であった。
いまでも、国旗にその名残がある。

隣国とはいうが、国境の多くは、山岳地帯かアマゾンのジャングルである。
それぞれの軍隊も、とても本格進攻できるようなレベルではない。

ともに、原油を産出しているので、お金は多少ありそうだが。
ベネズエラは、原油高でかなりお金はある。
いまやキューバのスポンサーとなっている。

コロンビアは、南米ではもっとも親米で、麻薬組織対策として、軍および情報組織の指導を受けている。

チャベスは、とても反米。
今回も、コロンビアを「帝国の犬」と呼んだ。

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こういうニュースを機会に、改めて南米の歴史や問題を改めて知ることができている。

ウォッチ中である。

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terça-feira, 3 de abril de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その19 北西部の5つの公園。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっており、東部と北部の公園の紹介はすでに終えた。

サンパウロの北西部に集まっている5箇所の比較的小さな公園について、おさらいをしておく。

ロドリゴ・ヂ・ガスペリ公園Parque Rodrigo de Gásperi
ジャルヂン・フェリシダーヂ公園Parque Jardim
サン・ドミンゴス公園Parque São Domingos
トロント市公園 Parque Cidade de Toronto
ヴィラ・レメヂオ公園Parque Vila dos Remédiosの5箇所である。

これらの公園の位置を改めて確認する。
番号は、それぞれの公園の「緑の地図」において振られている番号である。
Spd20070401pgmb
(クリックすると拡大する)

これらの公園は、
最も近い公園で直線で1キロも離れていない。
最も遠い公園でさえ、直線で5キロもない。

しかし、このあたりはサンパウロ市からみて北の方になるサンパウロ州の内陸部へつながる鉄道やハイウェーが通っている事もあって、縦に4つに分断されている。

このため、それぞれの地区を横断的に結ぶ道路がないに等しいのである。
((特に鉄道と、バンデイランテスは横断ポイントが限られる。)

サンパウロの中心部からは、紺色の道を通ってアプローチすると良いと、それぞれの公園についての記事で案内した。
つまり全てマルジナル・チエテを使うことになる。

帰路は、水色で示した。
これも、いちおうマルジナル・チエテを使う方法と、それに代わるルートで市内中心部へ入っていく方法を示しておいた。

⑪サン・ドミンゴス公園Parque São Domingos、⑫トロント市公園 Parque Cidade de Toronto,⑭ヴィラ・レメヂオ公園Parque Vila dos Remédiosの場合は、同じ帰路をとる事も可能である。
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(クリックすると拡大する。)

そして、ピンクで示しておくが、それぞれの公園を結ぶルートである。
いちおう西から東へ向かうルートとして設定してみた。
逆方向では、一方通行などもあって、そのまま逆に行く事は出来ない。

ピンクの●で示して地点は、間違えやすい交差点なので、事前に地図で良く確認しておく必要がある。
これを怠ると、鳥肌が立つような事態に陥る事もある。

さて、これら5箇所の公園は、どれも小さいのだが、それぞれに特色がある。

行くべきだというような公園はないのだが、
あえて1度くらいはという公園がある。

⑪番のサン・ドミンゴス公園と⑫番のトロント市公園である。
サン・ドミンゴス公園は、原生林の散策が気持ちよい。
トロント市公園は、静かな池である。

共に、例のあの大きな公園では味わう事が出来ないものである。

この2つの公園は、"サンパウロ市の北部にしては”閑静な住宅地にあり、路上駐車をしても、それほど心配ないと思う。
ルート上にも”あからさまに”危険なところは、まずない。

ただ、いつも言う事だが、あくまでも自己責任である。

サンパウロでの滞在を、平穏に過ごし、いい思い出だけを持って、日本に戻りたいと望む人には、勧めるものではない。
パライゾに住んで、満足しているならばそれでよいはずだ。
これらの地区は、パライゾやモエマなどとはぜんぜん違う。

公園には、誰でも立ち入る事ができる。
だから、何が起きるかわからない。
事件が起きてからでは、もう遅い。

事件にはならなくても、かなり不愉快な思いもするかもしれない。

それぞれの公園の記事でも書いているが、日系人のいるような公園はない。
公園の雰囲気にどこまでとけ込めるかが、安全に関わってくる。

サンパウロでは、日系人がわりと多く歩いているのは、リベルダーヂ、アクリマソン、プラッサ・アルヴォリ、サウーヂなどの地区だろう。
それに幾つかの高級ショッピングには日系人は比較的多いようだが。

日系人でも全くみる事がない地区がほとんどである。
まして、日本人なんてである。

最初にお断りしたように、
「子供が日本語でしか話さない」ようであれば、なかなかどこにでも出て行く事は難しいと思う。

「木を隠すには森」という格言があるが、
日本人を隠してくれるような森は、サンパウロにはない。

このブログの記事を読んだだけで満足し、実際に行ってみようなどという気を起こさないでほしい。
そうあってほしい。

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quarta-feira, 10 de janeiro de 2007

ブラジルのダニエラ・シカレリ その7 最新映像。

相変わらず、ダニエラ・シカレリおよびそれに関連する検索で、このブログへのアクセス数が極めて高い水準となっている。

本音を言うと、ダニエラ・シカレリについて、もともとどれくらい知っていて、アクセスしているのだろうかと思っている。
”ブラジルのスーパーモデル”という肩書きがついているが、本当にそうだろうか。
確かに、ロナウドと付き合っているときには、急に有名になって、ギャラが上がり、モデルとしての仕事も急増した。
2005年初めのファッション・サンパウロでは、かなりのデザイナーに起用されていた。

しかし、ロナウドとの「(模擬)結婚式」での色々なトラブルやその後のロナウドとの別れ方があまり綺麗なものではなかったためか、モデルとしての仕事が激減した。
それは今もあまり変わっていないはずである。
2006年半ばに、下着モデルとして、久しぶりに素晴らしい肢体を披露した。
ダニエラ・シカレリは、もともと下着モデルである。
2004年までは、そんな扱いだった。

このところは、ブラジルのMTVでの司会者の仕事がメインのはずだ。
MTVはサンパウロにあるので、ダニエラ・シカレリは普段はサンパウロにいる。

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ところで、そのダニエラ・シカレリDaniella Cicarelliがこの数日ブラジルでそして世界でも話題になったあとで、2つのインタビューに応じた。

モデルで司会者のダニエラ・シカレリは、マスコミに対して、ブラジルでユー・チューブYouTubeへのアクセスをブロックするという裁判所の決定についてコメントした。

ダニエラ・シカレリは、その映像へのアクセスだけをブロックするという決定は、愛人の弁護士が起こした結果であって、彼女ではないと明言した。

「要求も、決定も、何も見ていない。 誰が訴えたかというと、映像にでてくるレナトRenatoである」と明言した。 
「20070109JG-DanielaCicarelli-YouTube.wmv」をダウンロード

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ダニエラ・シカレリDaniella Cicarelliは、ユー・チューブYouTubeのファンであると言った。

ダニエラ・シカレリは、愛人は”正しい司法の判断で、彼に対する興味から自分を守った”のであって、「彼の決めたことには立ち入らない」と締めた。

「ちょっと困惑している。 自分は映像が流れるのは好きではない。 青少年は今休みで、自分は映像から守りたい。 自分の番組の視聴者は青少年である。 でも自分はユー・チューブに反対はしていない。 自分もまたユー・チューブにアクセスするのは好きだ」

ダニエラ・シカレリは、あの映像を撮影したスペイン人写真家のミゲル・テンプラーノMiguel Tempranoを訴えていることを明らかにした。
「これ以上騒ぎを起こしたくないので、出来るだけ控えめな手段としてそうすることを望んだ。 話すのもとても心苦しい」 ダニエラ・シカレリは、映像のことを知ってとても傷ついたことを明かした。

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さらに、
リオ・グランヂ・ド・スル州Rio Grande do Sulの健康局Secretaria de Saúdeが、デンギ熱の予防のために作成したキャンペーンcampanhaCMについても、とても配慮が足りないと言った。

あの映像をパロディーにしたもので、デンギ熱を媒介する蚊に扮した2人の俳優が、あの映像そのままに海岸ですごすもので、最後に「どこででも子供を作ります」と流れるものである。

ダニエラ・シカレリの事務所の広報担当者は、ダニエラ・シカレリはこの件については公式文書を出すことはないという。
インタビューで、公式な言葉として語ることで目的を達したと考えられるからである。

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なにかとマスコミの標的になるダニエラ・シカレリ。

彼女も、かなり脇が甘い。
あまりに話題を提供しすぎ。
マスコミの本質は、大衆が望むものを提供することにあることを念頭にしておくべきだ。

マスコミがどんな立派な建前を言っても、資本主義世界のマスコミはそんなものだ。

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terça-feira, 9 de janeiro de 2007

カカが信者である教会の創立者が捕まった。

米国連邦捜査局FBI (Federal Bureau of Investigation)が、キリスト再生協会Igreja Apostólica Renascer em Cristoの創始者のエステヴァン・エルナンデス・フィーリョEstevam Hernandes Filhoとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスSônia Haddad Moraes Hernandesの夫婦を、マイアミMiamiで、身柄を拘束した。
Spd20070109a

夫婦は、1月8日(月)に、サンパウロのグァリューリョスGuarulhos空港を出て、米国Estados Unidosに到着した。

ブラジルの連邦警察Polícia Federalと公共省Ministério Públicoからも捜査されている夫婦は、米国の税関alfândegaで56千ドルを持っていたにもかかわらず、10千ドル持っていないと虚偽の申告をしたために、拘束された。
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エステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスの夫婦は、彼らを拘置所に入れるという要求を取り消す最高裁判所STJ (Superior Tribunal de Justiça)の仮決定を12月末に得ることが出来たので、米国Estados Unidosに向かって出発できた。
これまでは、彼らは逃亡者と考えられていた。
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ブラジルBrasilで、エステヴァン・エルナンデス・フィーリョとソニア・アダヂ・モラエス・エルナンデスの夫婦は、資金洗浄lavagem de dinheiro、詐欺などで訴えられている。
犯罪には、信者による寄付金や幽霊企業"empresas fantasmas". の設立などが含まれている。

組織犯罪抑止行動グループGaeco (Grupo de Atuação de Repressão ao Crime Organizado),によると、サンパウロ州の公共省Ministério Públicoは資金洗浄の罪で米国Estados Unidosでもまた捜査をするように依頼する。

ブラジルBrasilでは、裁判所Justiçaがサンパウロ州のアチバイアAtibaiaにある種馬場harasなどの彼らの財産を差し押さえている。
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フロリダFlóridaにある屋敷など19百万レアル(=約12億円)の富があるにもかかわらず、教会は各所の教会の賃貸料などで12百万レアル(=7.2億円)の負債がある。

組織犯罪抑止行動グループの検事にとって、米国で申告しなかった金を持った彼らの拘置は、ブラジルでもやっていることを明らかにした。

彼らは、組織犯罪抑止行動グループは米国の警察に彼らを刑務所に入れるのに協力を依頼している。

組織犯罪抑止行動グループの検事は、エルナンデスHernandes夫婦を拘置所に入れる要求を新たに出すと言っている。

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エルナンデス夫婦は、信者からの寄付を、自分の企業の運営に使ったり、
ありもしない教会をつくって、捜査を逃れようとしているという。

どこでも、宗教に関わるこういう犯罪が起きるわけだ。
こういう宗教にはまっても、だまされていることに気付かない信者がいるのが、何とも哀れだ。

迷惑なので、こういう人とは関わりたくない。

自分の心がしっかりしていれば、身も心も宗教によってボロボロにされることはない。

要は、自分次第だ。

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ところで、このキリスト再生教会の信者として一番有名なのが、
サッカー・ブラジル代表のカカである。

2005年12月に、
この教会の本部教会で結婚式を挙げている

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この教会の所業についての内部告発が、2006年10月にあった。
しかし、それ以後、カカへのインタビューなどはない。

カカは、ブラジルでのメディアでは、私的な生活はまず出てこない。
年末年始に、他の選手が続々とブラジルに戻ってきていることが、伝えられるがカカについては帰国したことは伝えられたが、その映像もなければ、その後の様子も全く伝えられない。

一流選手では、カカくらいだ。
もちろん、チャリティー試合に出場もしていない。

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