sexta-feira, janeiro 26, 2007

ブラジルの「アントニオ・カルロス・トム・ジョビン生誕80年」

1月25日(木)は、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンが生まれてちょうど80年の日であった。

各時間のニュースでは、そのことを伝えている。
過去の映像が流れている。
孫やひ孫の映像もでてくる。

先週のエリス・レジーナElis Reginaに続いて、今週はアントニオ・カルロス・トム・ジョビンの映像のアーカイブを集めた番組を放送していた。
(映像録画済み)

その中には、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンとシコ・ブアルキとカエターノ・ヴェローゾが、顔を揃えたものもあった。
20年前のものであった。

フランク・シナトラと「イパネマの娘」を歌っているものものあった。
フランク・シナトラは英語で、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンはポルトガル語で歌っていた。
2人で一緒に歌うところは、英語であった。

この日曜日(1月28日)の夜にも、また別の番組が放送されるようだ。

ボサノバは、ブラジルではわずか数年で消えてしまったけれど、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンはいつまでも生き続けているようである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sexta-feira, janeiro 19, 2007

ブラジルのエリス・レジーナ番組。

ブラジルの歌手エリス・レジーナが、36歳の若さで亡くなって25年になるそうだ。

そういうわけでもないだろうが、エリス・レジーナのドキュメンタリー番組が放送された。
Spd20070117y

短い番組だったのだが、なかなか興味深い映像がでてきた。
ブラジルにいるからこそこういった貴重な映像を見ることができる。
「20070119AquivoN-ElisRegina-Vou_deitar_e_rolar.wmv」をダウンロード

1965年の映像では、エリス・レジーナの髪型が、まだ何かあてがわれた物のようで、彼女らしくはない。
Spd20070117z

古い映像は白黒である。
Spd20070117za

Spd20070117zc
Spd20070117zd

ドイツのテレビに出て、ドイツ語で歌っているものもあった。
色々な映像が次々に出て来た。
Spd20070117zb

最後は、トム・ジョビンとの共演シーンまであった。
Spd20070117ze

2006年に放送されたいくつかの番組でそうだったのだが、
同時代ではエリス・レジーナを知らないにもかかわらず、
改めてこの映像を見て、凄い歌手だったのだなと思わずにはいられない。

歌が本当に好きだったようだ。
それだけに、壁に突き当たることも多かったのだろう。

また、サンパウロ市南西部にある墓に行ってみようかと思った。

(映像録画済み)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

domingo, novembro 05, 2006

ブラジル・サンパウロを舞台にした名曲。

ブラジルは、ポピュラー・ミュージックに満ちている。
そう思う。

もちろん、若者はロックやヒップホップのような、世界共通の音楽が大好きだ。
でもそういった音楽でさえ、やはりブラジルっぽいのである。

サンパウロのように、海が無く、夜冷え込む都市にはあまり向かないとおもうが、
アシェーとかフォフォとかいうブラジル東北部で大人気のジャンルもある。

サンパウロ州だけではないだろうが、内陸部ではセルタネージョにトドメを刺す。
ブラジルのカントリーミュージックである。
内陸部の小都市のバールや別荘に行って、この種の音楽が聞こえてくると、
何故かとても和むのである。

サンパウロは、大都市なのであらゆる音楽を聴こうと思えば聴くことが出来る。
それぞれの年代や階層や出身地によって、好きな音楽は異なる。

MPBはあちこちのライブ・ハウスで、今の音楽としても聴くことが出来るが、
ボサノバはもう観光客向けといっても良いだろう。
専門の店を探すのが難しい。

そのボサノバが、1960年代の初期に短いピークを迎える頃、
サンパウロはもっともっと小さな街だった。

そして、セントロだけが、大人の夜を過ごすことが出来る場所を提供していた。

そのころは、まだとても安全で、夜歩くことが出来たそうだ。

そして、それよりも前のこと、都市が都市住民だけのもので、
地方からの大規模な人口の流入が起きる前に流行っていた音楽がある。

静かな、そして切なく、ロマンチックでもある音楽である。

その中に”Ronda”という名曲がある。

ずっと年上の人たちが、よく気持ちを込めて、歌うことがある曲だ。
だけど、今はラジオなどではまず聴くことは出来ないし、CDも入手は難しいかも知れない。

サンパウロのセントロのサン・ジョアン大通りを舞台にしている曲である。
今のサン・ジョアン大通りでは想像もつかないのだが、
深夜に細かい霧雨が降るサンパウロの中心部が、淡い光の街灯に照らされている。
そこを彷徨する男の様子を歌っている。

歌詞は、曲のイメージとはかなり違う。

別れた女性を捜している。
そして、自堕落な生活に陥ってしまい。
酔っぱらい、喧嘩をする。
そして、悲しい結末になる。

久しぶりに、この曲を聴くこと出来た。
「20061104Sarau-Ronda.wmv」をダウンロード

現在のサン・ジョアン大通りでは、とてもこのような雰囲気に浸ることはできない。
街灯と建物は残っているのだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sábado, junho 03, 2006

サッカー・ブラジル代表 スイス合宿 その54 代表の”国歌”が決まった。

2002年には、選手達はゼカ・パコヂーニョZeca Pagodinhoの"Deixa a vida me levar"をブラジル代表の”国歌hino”に選んだ。
2006年は、ワールドカップ・ドイツ大会のウォーミングアップaquecimentoは、"Ô, Irene"という、80年代にFundo de Quintal が録音した曲とともに行っている。

ロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho Gaúchoのリズムで、スイスSuíçaのヴェッギスWeggisにいるブラジル代表の選手達にもっともよく歌われている。

「選手達を活気づけるために大音響を出している」と、ロナウヂーニョ・ガウーショは冗談を言った。

ヴェッギスWeggisでホテルから競技場へ行く道は短いので、そのバスの中ではパゴーヂpagodeが”テクノロジー”に譲っている。
選手達はIpodsで音楽を聴いている。
しかし集まったときには、演奏はロナウヂーニョ・ガウーショRonaldinho GaúchoとロビーニョRobinhoに指揮されている。
選手達は、トレーニングの期間のために色々な楽器を持ってきた。

「それぞれ自分の好きな楽器を持っている。合唱をしている。よくそういったときがある。 みんなが好きな曲の一つを歌っている。 しかしワールドカップが始まったら、同じ曲を歌うようになることを知っている。」と、フアンJuanはいった。

Fundo de Quintalフンド・ヂ・キンタウ以外では、選手達はIvete Sangaloイヴェッチ・サンガーロとZeca Pagodinhoゼカ・パゴヂーニョを歌うのが好きだ。


"Irene"の歌詞は、次の通り。

Ô, Irene
Fundo de Quintal


Ô Irene, Ô Irene
Ô Irene, Ô Irene
Vai buscar o querosene
Pra acender o fogareiro
Eu disse mel, alfavaca
Feitos do manjericão
Arruda e pimenta
Pra dispersar o mau olhado
Meu pai minha mãe mandou
Meu pai minha mãe mandou
Meu pai minha mãe mandou você
Tomar um banho de alecrim cheiroso
De alecrim cheiroso, de alecrim cheiroso

----------------------------
やっぱり、ロナウヂーニョ・ガウーショとロビーニョが仕切っていた

ブラジル代表達も、ブラジルで今普通に好まれている曲が好きだということだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

quarta-feira, junho 09, 2004

渋谷から世界へ

渋谷に住んでいるというと、
よく凄いと言われます。
でも、ここには19万人の人が住んでいます。
山手線の内側にもたぶん百万人くらいの人は住んでいます。

ちょっと細かい場所はこういうところです。
渋谷の駅から、徒歩公称8分。
表参道駅からは17分。
代官山駅からは15分。
恵比寿駅からは18分。

そんなところですが、
そこにはふつうの生活がたくさんあります。
有名な人もたまにおられますが、
いたって庶民な方ばかりです。

富士山も、東京タワーも見えません。
六本木ヒルズは、見えます。

そういうところから、何かを発信していきます。


| | Comments (1) | TrackBack (1)