sábado, 3 de outubro de 2009

ブラジル・サンパウロの「2016リオ・デ・ジャネイロ・オリンピック決定」,と【緊急告知】。

9月30日以降、このブログにおいてトラブルが発生しており、
新規の記事等が正しく表示されない状態が続いている。

そのうちには解決することだろうが、
一応対応策を考えているところである。

「裏」も同様のトラブルが発生しているので、
別のプロバイダーの「ブログ」である「まだ見ぬ」を使用しようかと思っている。

尚、アップしたものも直接アドレスを入れると表示は可能である。

サッカー・ブラジル選手権2009 その132 第27節コリンチャンス対アツレチコ・パラナエンセ戦
ブラジル・サンパウロは「春」2009 その14 暑くなったり、そうではなくなったり
サッカー・ブラジル選手権2009 その133 第27節終了
ブラジル・サンパウロは「春」2009 その15 また暑くなった
サッカー・ブラジル代表 2010年W杯南米予選 その64 GKエルトンが追加招集


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リオ・デ・ジャネイロが、2016年のオリンピックの開催地に決まった。

テレビは、
地上波でも、
コペンハーゲンでのIOF総会の模様を中継した。

最終プレゼンテーションや投票は、ブラジル・ブラジリア時間では、ちょうど昼。

この1-2週間、リオ・デ・ジャネイロでの開催の可能性が高まったという観測があって、ニュースでも取り上げる時間も増えたし、ポジティブな内容になっていた。

リオ・デ・ジャネイロとマドリッドとの決戦になり、ますます期待が高まり、
そして最後の投票の結果発表の段になると、
地上波の全国ニュースは、画面を完全に切り替えた。

そして、13時50分ちょうどに、開催地がリオ・デ・ジャネイロと発表された。

Globoなどのサイトは、それから1分も経たないうちに、それを報じた内容になっていた。

テレビの画面では、
リオ・デ・ジャネイロの歓喜の様子も映し出していた。

で、サンパウロ市だが、花火の一つも聞こえなかった。

でも、
昼食を取りながら、決定後もその関連報道が続くテレビの画面を見ている人たちの顔には、誇りと喜びがあふれているように見えた。

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人口は、サンパウロの方が2倍も多い。

でも、リオ・デ・ジャネイロは、また特別だ。

元々、帝都であり、そういったことを背景にした格式ある施設も多い。
そして、何よりも抜群に風光明媚である。

サンパウロは、ただ大きくて、茫洋とした、可哀想な大都市だ。
経済の中心というだけだ。

オリンピックが、リオ・デ・ジャネイロで開催されることに、
サンパウロの人も納得しているだろう。

2014年に開催されるワールドカップの決勝戦が、
リオ・デ・ジャネイロのマラカナン競技場で行われることについても、
何の議論もなく、事実上決まっているようだ。

サンパウロで、オリンピックが開催されることは、
向こうまず50年間もしくはその倍の期間でもないだろう。

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今回、リオ・デ・ジャネイロが決まったことは、よかったと思う。
南米で初めての開催ということもある。

ブラジルの関係者は、本当に素直に、そして真剣に、熱く、開催に向けて動いていた。

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日本の人はいったいどれだけブラジルのことを知っているのだろうか。

ブラジルと言えば、未だにサッカーしかない国と思い込んでいるのだろうか。

いまや、バレーボールでは男女とも世界のトップである。

アテネ五輪では、馬術やヨットでも金メダルを取った。

北京では、水泳や女子幅跳びでも金メダルを取った。

柔道でも、強国の一つになっている。

オリンピック競技ではないスポーツでも、F1を筆頭に傑出した選手を輩出している。

国に強制されているわけでもないのに、スポーツの強国にもなりつつある。

ブラジルは南米の国には違いないが、
その文化的な背景は、はっきり言って欧州である。

そして、移民の国といっても、欧州からの移民がほとんどである。

支配層は、欧州との強いつながりを持っている。

言葉の面でも、マルチリンガルな人はいくらでもいる。
レセプションでも、通訳なしで、話せる人は多い。
上流層はそういうものだ。

ブラジルは、世界で知られた有名人は、日本よりも遙かに多い。

今回、オリンピックとはあまり関係なさそうなペレもいたが、
文化人では作家のパウロ・コエーリョもいた。

ちなみに、馬術のメダルを取るような人は上流層に決まっている。
彼は、あのオナシスと結婚した。

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日本には、顔となる人がいなかったという。
日本で知られていても、
世界ではそれほど知られていないわけだ。

日本という国の中でのあり方がそうさせるのかもしれないが、
「顔」を売っていくのは、個人である。

その「顔」が、その国を想起させるような個人が必要なのだ。

ブラジルには、そうした人がいっぱいいるように思う。

日本は、経済大国で、秩序もあり、安全であるけれども、
「顔」がみえない。

日本が作って、世界に知られているものは、
超一流の工業製品群の他には、
カラオケ、ゲーム、そしてアニメさらには最近はコスプレ。

ブラジルのサイトで使われていたのだが、日本の顔は悲しいことに「無機質なウルトラマン」だった。

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とはいえ、日本の招致関係者は、石原知事を筆頭に、尽力されたことだと思う。

日本には、地理的にも大きなハンディーがある。
それを乗り越えなければならないのだから、そうそう実現できることではない。

これに対し、冷淡であるどころか、揶揄するような向きもあったのは、本当に悲しいことである。

日本を奮い立てようとしているのに。

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quinta-feira, 24 de setembro de 2009

ブラジル・サンパウロは「春」2009 その3 夏時間は10月18日から。

今年(2009年)の夏時間horário de verãoは、10月18日(日)から、2010年2月21日(日)までである。
時計を1時間進めなくてはならない。

時刻の変更は、次の州で採用される。

リオ・グランヂ・ド・スルRio Grande do Sul, サンタ・カタリーナSanta Catarina, パラナParaná, サンパウロSão Paulo, リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro, エスピリット・サントEspírito Santo, ミナス・ジェライスMinas Gerais, ゴイアスGoiás, マット・グロッソMato Grosso, マット・グロッソ・ド・スルMato Grosso do Sul, 連邦特別区Distrito Federal。

昨年(2008年)は、夏時間は2008年10月19日(日)から、2月15日(日)までであった。

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夏時間がニュースになる時期になった。

毎年のことだが、1時間のずれでも、しばらくは何となく具合が悪い。

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terça-feira, 18 de agosto de 2009

ブラジルの人口が、1.9億人を突破。

8月14日(金)に、ブラジル地理統計院IBGE (Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística)が、ブラジルの人口推計値が191,480,630人になったと発表した。
この数字は2009年7月1日現在の推計値とされている。
昨年8月に発表された推計値は、189,612,814人だった。
Sps20090814ta

ブラジル地理統計院IBGEによると、サンパウロSão Paulo州は連邦の構成する州の中で最も人口が多く41,4百万人の住人がいる。
次いで、ミナス・ジェイラスMinas Gerais州の20百万人、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州の16百万人となっている。
この南西部にある3つの州に、ブラジル人口の40.4%が集中している。
Sps20090814tb

市の中では、サンパウロSão Paulo市は最も人口が多く11百万人の住人がいる。
次いで、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro市が6.2百万人、サルヴァドールSalvador市が3百万人。
Sps20090814tc

Sps20090814te

ベロ・オリゾンチBelo Horizonteは2.4百万人で、2000年には4位だったが、2007年からは6位に落ちた。
連邦特別区Distrito Federal(2.6百万人)とフォルタレーザFortaleza(2.6百万人)に追い越された。
Sps20090814tf

百万人以上2百万人以下の都市としては、クリチーバCuritibaが1.8百万人、マナウスManausが1.7百万人、レシフェRecifeが1.5百万人、ベレンBelémが1.4百万人、ポルト・アレグレPorto Alegreが1.4百万人、グァリューリョスGuarulhosが1.3百万人、ゴイアニアGoiâniaが1.2百万人、そしてカンピーナスCampinasが1.1百万人となっている。

州都を除くと、最も人口が多いブラジルの都市は、サンパウロSão Paulo州のグァリューリョスGuarulhos市が1.3百万人で、同じくカンピーナスCampinas市が1.1百万人。
それに、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州のサン・ゴンサーロSão Gonçalo市が992千人となっている。
2000年以来、この3つの都市で変わっていない。
Sps20090814tg

サンパウロSão Paulo市を除いて、百万都市が2つもあるサンパウロ州であるが、最小の市もある。
ボラBorá市で人口は837人で、2000年には42人だった。
Sps20090814td

Sps20090814th

ブラジル地理統計院によると、推計人口は出生数、死亡数そして移動数を考慮に入れる。

ブラジル地理統計院IBGEのデータは、26の州と連邦特別区Distrito Federalのもの。
ブラジルの5565都市の人口の推計値を出している。

都市人口の推計値は毎年発表されている。

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出生率は激減傾向にあるのだが、
まだまだ人口そのものは増え続けている。

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quinta-feira, 23 de julho de 2009

ブラジル・サンパウロの新幹線計画 その2 徐々に明らかになる計画。 

国家地上交通局ANTT (Agência Nacional de Transportes Terrestres)が、7月16日(木)に発表したところでは、サンパウロSão Pauloとリオ・デジャネイロをつなぐ高速鉄道は、346億レアルの費用がかかる。

この金額は、成長促進計画PAC (Programa de Aceleração do Crescimento)が110億米ドル(=212.3億レアル)とした予想よりも63%も上である。

工事は、年末までに入札があり、2014年に終わる。

サンパウロSão Pauloとリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro間のピーク時ではないときの運賃の予想はエコノミークラスで150レアルで、エグゼクティブクラスは200レアル。
ピーク時には、エコにミークラスは200レアルで、エグゼクティブクラスは350レアル。

費用には、線路の建設費、車両費、土地買収費、社会環境費、すべての必要なシステムの設置の費用を含む。
最大の費用は土木工事費obras civisで、245億レアル。

研究によると、弾丸列車trem-balaは2014年には1年間に640万人の乗客を運ぶ。
航空輸送transporte aéreoは390万人、自動車automóveisは96万人、バスônibusは86.5万人。

現在、航空輸送の需要は1年間に440万人である。

2024年の予想では、高速列車の乗客需要は1年間に1020万人。
2044年には、2490万人となっている。

列車はサンパウロSão Pauloとリオ・デ・ジャネイロを直接に1時間33分で結ぶ特急サービスである。
カンポ・ヂ・マルチCampo de Marte駅を出て、バロン・ヂ・マウアBarão de Mauá駅までである。

さらにカンピーナスCampinas(SP)とリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro間で、ヴィラコポス国際空港aeroporto internacional de Viracopos (SP)駅、グァリューリョス国際空港aeroporto internacional de Guarulhos (SP)駅、ヴォルタ・レドンダVolta Redonda駅、バッハ・マンサBarra Mansa (RJ)駅、ガレオン国際空港aeroporto internacional do Galeão (RJ駅にとまる長距離の地域サービスもある。

さらに、短距離での地域サービスも提供される。
カンピーナスCampinasからサンパウロSão Pauloとグァリューリョス国際空港aeroporto de Guarulhos駅に止まりサン・ジョゼ・ドス・カンポスSão José dos Campos駅までである。

2014年には、1日に42列車が運行され、ピーク時には1時間の間に20分毎3列車が、そして閑散時には40分ごとに1本(1時間に1.5本)直通の特急サービスをすることになる。

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以前よりは、
随分とそれらしい数字が出てきているのだが、
さてさて
本当に今回は実現するのだろうか。

なにしろ、
日本から見ると驚くべき鉄道貧困後進国である。
(世界的に見たらどうかは知らないが)

貨物輸送はそこそこあるのだろうが、
日本のそれに比較すると、旅客輸送は非常にお粗末に思える。

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domingo, 19 de julho de 2009

ブラジル・サンパウロの新幹線計画 その1 今度こそは実現か。

リオ・デ・ジャネイロRio de JaneiroからカンピーナスCampinasまでの弾丸列車trem-bala(=いわゆる新幹線)は、サンパウロSão Paulo市を少なくとも16キロメートルのトンネルで通過する。

専門家によると、トンネルのコストは、地下鉄での同様のコストを適用すると、32億レアルから50億レアルの間になる。

プロジェクトの総コストは成長促進計画PAC (Programa de Aceleração do Crescimento)を含めて220億レアルで、専門家によると330億レアルになる。

サンパウロSão Paulo市における唯一の駅になる予定の市内北部のカンポ・ヂ・マルチCampo de Marteは地下駅になる。

大サンパウロ都市圏Grande São Pauloでは、列車が地表を通るグァリューリョスGuarulhos市のクンビッカCumbica空港に駅がもう一つできる。

この情報は、連邦および州の政府に関係する技術者と政治家、それにプロジェクトに関わっているコンサルタントによって確認された。

先月、ヂウマ・ロウセフDilma Rousseff大臣はサンパウロSão Pauloとリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの連絡はブラジルがワールドカップを開催する2014年にはできると明言した。

サンパウロSão Paulo,以外にも、弾丸列車はカンピーナスCampinas市、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro市、そしてアララス山脈Serra das Ararasでも必要で、地下区間は約50キロになる。

より高くなるのだが、技術者はトンネルには土地買収のコストを無くし、環境負荷を減らし、高架線によって町に与える影響を減らすという利点もあると明言した。

経路はまだ決定していないが、駅はカンポ・ヂ・マルチCampo de Marte駅、サン・ジョゼ・ドス・カンポスSão José dos Campos 駅(サンパウロから91キロ)、ヴォルタ・レドンダVolta Redonda駅(リオから112キロ)そして、ヴィラコポスViracopos(カンピーナス)、グァリューリョスGuarulhos、ガレオンGaleãoの各空港駅が予想される。

さらに、ジュンジャイJundiaí(サンパウロから60キロ)とアパレシーダAparecida(サンパウロから167キロ)にも駅ができるだろう。

サンパウロとリオ・デ・ジャネイロの最も早い列車は約150レアルで、飛行機のシャトル便の利用者を引きつけるだろう。
より安く、よく止まる列車は、100レアルとなり、バスを使っている人の代替となる。

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何となく、具体的な計画が話題になり始めたのだが、
実現するのだろうか。

日本政府も、そして企業も、
随分と働きかけをしているようだ。

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sexta-feira, 12 de junho de 2009

ブラジル・サンパウロ発のエア・フランス機が行方不明になった件 その3 毎日記者会見が行われている。

ブラジルの・リオ・デ・ジャネイロを、
5月31日(日)19時過ぎの出発した
AF447便が、ブラジルのフェルナンド・ヂ・ノローニャの管制官への連絡を最後に、
消息を絶った事故についての、その後。

ブラジルでは、6月2日に3日間の喪に服すと発表していたが、
5日もまだ半旗のところが多かった。
Sps20090605cf

Sps20090605cx

Sps20090605cy

墜落したと思われる海域は、ブラジルの航空管制域内であるが、領海内ではない。
しかし、一番近いのはやはりブラジルなので、
ブラジルの空軍と海軍が、遺体や機体の回収作業を、中心となって進めている。

それに、フランスの海軍艦艇も、情報を交換しながら行っているようだ。

空軍および海軍の共同記者会見は毎日行われている。
Sps20090607fb

Sps20090608ta

捜索は空軍が中心となっているということだ。
Sps20090607fa

見つかった遺体や機体は、発見地点からいったんフェルナンド・ヂ・ノローニャ島まで運び、
そこから遺体は検視や身元確認のために、ペルナンブコ州レシフェまで航空機で運ばれている。

やっと、レシフェにその遺体が搬送されて、
これからが、具体的な鑑定にはいるということである。

あまりに本土から離れているので、
時間がかかるのは仕方がないことなのだろう。

悪天候の時もあり、
捜索は非常に難航しているようだ。

すべての遺体というわけにはいかないだろう。

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これまでは、
機体が行方不明ということで、
まだ遺体が見つかっていなかったので、
冥福を祈るという表現はしていなかったのだが、
すでに40遺体が回収されているという事実がある。

ここで初めて、
事故に遭われたの冥福を祈り、
関係者に追悼の意を表します。

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quarta-feira, 3 de junho de 2009

ブラジル発のエア・フランス機が行方不明になった件 その2 3日間の喪

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロを、
5月31日(日)19時過ぎに出発した
AF447便が、
22時30分に、ブラジルのフェルナンダ・ノローニャの管制官への連絡を最後に、
消息を絶った事故について、
ブラジル連邦政府は、
6月2日から3日間の「喪」に服すことを発表した。

2日朝5時30分に、連絡を絶った地点付近の海上に,ブラジル空軍機が油膜の帯を発見し、
さらに6時49分に別の空軍機が海上に座席を発見した。

この座席が、AF447機の物と確認されたことで、
墜落事故と確定された。

事故と確定されたことで、
「喪」に服することも決定した。

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2日(火)さらに3日(水)も,航空機による現場付近の捜索は続いている。

3日午後になって、やっと現場付近に艦艇が到着している。

ブラジル本土のナタウからは、1020キロの距離がある。

※クリックすると拡大する。
Spf20090603a

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外遊中のブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、
「深海の原油を見つけられるのだから、ブラジルは機体も発見できる」と、
語った。

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事故機の乗員・乗客名簿はまだ、完全な物は発表されていない。

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terça-feira, 2 de junho de 2009

ブラジル発のエア・フランス機が行方不明になった件 その1

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロを、
5月31日(日)19時過ぎに出発した
AF447便が、
22時30分に、ブラジルのフェルナンダ・ノローニャの管制官への連絡を最後に、
消息を絶った事故について、
ブラジルでは、6月1日(月)朝7時頃からニュースで報じられ始めた。

ブラジリア時間の6時に、パリに到着予定だったのに、到着しなかったことで、何か事故が起きたということが,確実されたからだろう。

おそらくそれ以前でも、事故は関係者間では予想されていたのだろうが、とりあえず到着時間までは,期待があったのだろう。

ただ、朝9時頃でも、
まだほとんど情報がなかった。
CNNの映像や,パリの映像が使われていたくらいだった。

ただ、ニュース専門局では、
他のニュースはほとんど無く、この件だけを延々繰り返して伝えていた。

ブラジル空軍が,朝から捜索機を出したことは伝えられた。

23時14分(*ブラジリア時間)に、
電気系統の異常を示す自動連絡が、エアー・フランスに入っていたことは、まだ報じられていなかった。

乗客数は216人、乗員は12人。

ブラジル人は、エアー・フランスの発表では58人。

夕方になるにつれて、
そのブラジル人について、その人なりについての、報道が出てきている。

サンパウロのローカルニュースでも、サンパウロに関係している人について、報じられてきた。

この機には、
フランス人が61人、ドイツ人が26人、イタリア人が9人、中国人が9人、スイス人が6人,英国人が5人が乗っていたほか、32の国籍の人が乗っていたそうである。

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ただ、2日(火)に日付が変わっても、
AF447便に安否ついての、
確実な何かが見つかったとは報じられていない。

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sexta-feira, 8 de maio de 2009

ブラジル・サンパウロの「”豚”インフルエンザ」 その1 感染者発生。

ブラジルでも、ついに「“豚”インフルエンザ」も感染者が確認された。

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5月7日(木)19時過ぎに、
保健相ジョゼ・ゴメス・テンポロンJosé Gomes Temporãoが、ブラジルにおいてインフルエンザが4件あることを確認した。

ブラジルBrasilにおいて、新型インフルエンザが初めて確認されたことになる。

4件は,若い男性のブラジル人である。
すべて、外国で感染した。
2件がサンパウロSão Paulo州で、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州とミナス・ジェライスMinas Gerais州でそれぞれ1件である。

3件は、最近メキシコにいた人であることが確認され、もう1件は米国にいた人である。

すべて、体調はよいという。

サンパウロSão Paulo州での1件は、
4月17日から22日までメキシコMéxicoにいた人で、24日から新型インフルエンザの症状が出た。
ジョゼ・ゴメス・テンポロンによると、感染者は4月29日から5月4日まで入院した。
ビールスを他人に移す可能性が高い10日間を過ぎたので、他の人へ移す危険はない。

サンパウロSão Paulo州でのもう一件は、4月28日に(火)に、米国Estados UnidosのフロリダFlóridaから到着した患者である。
翌日には症状が出始めた。
しかし入院はしていなかった。
というのは、WHOによると、フロリダFlóridaは感染地区と考えられていなかったからである。
しかし、疑わしいので、彼は自宅で隔離された。
保健相によると、彼の家族の誰も病気の症状が出ていない。

ミナス・ジェライスMinas Gerais州で確認されたケースは、4月22日から27日までメキシコMéxico にいた患者で、まだ海外にいた26日に症状が出始めていた。
保健相によると、彼はブラジルBrasilに到着してすぐに入院し、5月6日までは家で隔離されていた。
他の人に感染するリスクはないという。

リオ・デ・ジャネイロ州で確認された4件目は、メキシコMéxicoにいて、5月3日にブラジルBrasilに戻った患者である。
彼は、まだ海外にいた5月2日に症状を現していて、5月5日から入院した。
まだ、ビールスを感染させるかもしれない病気の状況にある。

ブラジルにおける最初のケースが確認された後に,マスクの使用が必要かと問われて、ジョゼ・ゴメス・テンポロンは保証は否定した。

彼によると、ブラジルは12,5千人分の患者の治療の準備をして、必要であれば9百万人までの治療の薬を税蔵することができる。

保健相によると、
「分析的に確認された」 "confirmados laboratorialmente"ケースの発表は、「防疫モニター・システムが機能している」“sistemas de vigilância e monitoramento estão funcionando”ことを示している。

「今のところ、ビールスが他の人に感染した証拠はない。 つまり、ビールスはブラジルでは広がっていない」と、ジョゼ・ゴメス・テンポロンは語った。

ジョゼ・ゴメス・テンポロンは、ブラジルのテリトリー内で感染したというケースがないという事実により、状況はコントロール下にあると確認した。
「WHOが警報を出して以来、連邦政府は保健省Ministério da Saúdeação を通じて、この件については完全に透明にしている」と語った。

ジョゼ・ゴメス・テンポロンは、5月6日(水)に、ブラジルは患者がH1N1ビールスに感染しているかどうかを検出可能にするキットを受け取ったとした。
彼によると、ブラジルでは3つの分析所が72時間以内に検出をする。

保健相によると、木曜日(7日)に発表された24件の疑わしいケースのうち、4件が確認された。
5件は関係がなく、
残り15件が引き続き調査されている。
結果は,金曜日(8日)に発表される。

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保健大臣ジョゼ・ゴメス・テンポロンが自ら、記者会見で、詳細に状況を説明した。

いまのところ、
ブラジルは冷静である。

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terça-feira, 10 de março de 2009

ブラジル・サンパウロの「ボサノバ50年」 その11 ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音がネット上に 2。

ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音がネット上に流出」して、1ヶ月以上がたった。

ブラジルのネット事情について、軽く触れておく。

ブラジルも、今ではネットが盛んで、ブロードバンドもかなり広がっているようだ。

企業や公官庁も、サイトを参照するようにと指示していることが多いので、
インターネットなしでは、どうしようもならないことがある。
インターネットなしの人に対する配慮など全くしてくれないこともある。

とはいっても、
貧富の差の激しいブラジルなので、
富裕層とそうではない人とは、同じように使っているとは思えない。

さて、
ブラジルのネットでは、
音楽ソフトも、ゲームソフトも、その他のソフトも、
ダウンロードすることが可能である。

最新の映画も可能である。
画面上を、人が歩くのがあって、
映画館で上映されているものを撮影したとがわかるものもあった。

もちろん、AVもだ。

雑誌や書籍のたぐいも、可能なものがある。

そういったことを可能にするサイトは、
おそらく数百はあるだろう。

ほとんどのサイトが、無料である。

何のために、そういった「便宜」をはかっているのかよくわからないサイトもある。
目的のはっきりしないサイトは、怪しいので、利用には警戒しなくてはならないだろう。

ブラジルでは、
こういったネットだけではなく、
CDやDVDというメディアになったコピー商品が、
町中で「半ば堂々」と売られている。

正規の音楽ソフトや映像ソフトも、壊滅的な打撃を受けているだろうと想像できる。

ブラジルはポピュラー音楽の宝庫であるが、
音楽市場はもともとそれほど大きくない。

日本のように、
ミュージシャンが、
年に何回も新譜を出すようなことは、昔からない。
だから、そのキャリアを通じてのアルバム数など、年数の割にはそれほどでもない。

レンタルビデオ店は激減している。

CDショップなども、元気がない。
もともと、大型店は少ないし、
品揃えは良くない。
あるミュージシャンの旧盤を求めようとすると、現役のミュージシャンでものすごく苦労をする。
あるショップにないと、確実に他のところにもない。
あるときには、どこにでもある。

どうしても揃えたければ、
サンパウロ市の場合は、歴史的中心部にあるいくつかのCD卸店にでも行くか、
今ならばネット専門ショップで探す方がよい。

中古レコード・CD店も、セントロやアウグスタ大通り界隈やピニェイロス地区などに、かなりあるが整理が悪いので、探すのに苦労するところが多いし、見つからないことも多い。 それに何より信じられないくらい価格は高い。

苦労多くして、結果として手に入らないのが現実である。

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そういった状況に対して、
「一種の福音」となっているのが、
旧盤をサイトにアップしている人たちである。

彼ら曰く、
現在市中で商業的に入手不可能となっている名盤を紹介し、
復刻を目指すなどという「高邁なる使命」を掲げておられるところもある。

事実、
20-30年以上前の、
つまりレコード盤(LPだけではなく45回転や78回転まで)だけを、
そのままではなくリマスターまでして、
音質にも気を配っているところまである。

どうも、一人でではなく、
グループが運営しているところもあるようである。

さらに、
サイト間での、連帯があるところもある。

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実際に、こういったサイトによって、
今の人たちが聞くことが不可能であった旧盤が復活した例もあるというので、
このサイトの存在も、100%悪ではない。

レコード会社にも、著作権者にも、復刻によって、新たにお金が入るかもしれないからである。

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新盤を直ちにアップしているサイトの方が、遙かに多いし、
それらの方が、お金のない若者の支持を得ていることと思う。

アシェー、ファンキ、それにセルタネージョという、今もっとも売れているジャンルが多い。

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「ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音がネット上に流出」して、数日もたたずして、流出させたそのサイト(ブログ)が突然活動を停止した。

ブログ上で、何百もの旧盤を紹介し、そしてダウンロード可能なrapidshareなどへのリンクを掲載していたのだが、それらが消えてしまった。
もちろん、発端となった「ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音」も消えた。
ブログは、Bloggerであったのだが、規約違反とされたようだ。

相前後して、やはりBlogger上の類似のサイトが一つ活動を停止した。

だが、Blogger上には類似のサイトは、いくつもあるが、全く影響していないものがほとんどであった。

それに、「ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音」を紹介し、別の新たなリンクを作成して、掲載しているサイトもあった。

そして、2週間もせずして、
活動を停止したはずのブログが、アドレスこそ替わったが、
内容はそのままに登場し、かつてのリンクも復活させつつある。

もちろん、、「ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音」も、今は、またそこに掲載されている。
そして、その他のいくつかのサイトでも、ダウンロード可能なリンクを掲載している。

リンクは、rapidshareなどによっても削除されることがあるが、
新たにまた復活するだろう。

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このブログでは、
直接、それらのサイトを紹介するつもりもないし、
まして、直接にリンクを掲載はしない。

おそらく、
日本でもすでにこの件はもう、衆知のこととなっているとは思うのだが、
一気に接続が集中し、BloggerやRapidshareの監視対象になってはいけないからだ。

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ダウンロードのことは、
ポルトガル語では、
”Baixar”とか”Abaixar”という言葉を使っている。

そういうサイトを見つけたときには、参考にされたい。

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さて、
最初に、、「ジョアン・ジルベルトの幻の私的録音」を紹介したサイトだが、
復活後に再び
別のある意味「伝説の録音」を紹介した。

これは、1962年に、
リオ・デ・ジャネイロにあった”Au Bon Gourmet”というレストランで行われたショーの録音である。
”Joao, Tom, Vinicius & Os Cariocas - Um Encontro No Au Bon Gourmet (1962)”
Sps20090301aencontrocapa
※このアルバム・ジャケットは、サイト運営者の作成による物と思われる。

出演者は、トム・ジョビンTom Jobim, ヴィニシウス・ヂ・モラエスVinícius de Moraes, ジョアン・ジルベルトJoão Gilberto、そしてオス・カリオカスOs Cariocas

さらに、ドラムをミルトン・バナナMilton Banana、コントラ・バスをオターヴィオ・バイリーOtávio Baillyという顔ぶれ。

内容は、次の通り。
2晩とも同じ内容だが、ライブなので、演奏時間が異なっている。

このサイトの紹介したのは、その2晩ともであり、
その違いを楽しむことができる。

01. Só Danço Samba (Antonio Carlos Jobim/Vinicius de Moraes)
                                 Os Cariocas
02. Samba de uma Nota Só (Antonio C. Jobim/Newton Mendonça)
                         Tom Jobim & Os Cariocas
03. Corcovado (Antonio Carlos Jobim)
                       João Gilberto & Os Cariocas
04. Samba da Bênção (Baden Powell/Vinicius de Moraes)
                             Vinicius de Moraes
05. Amor em Paz (Antonio Carlos Jobim/Vinicius de Moraes)
                       João Gilberto & Os Cariocas
06. Bossa Nova e Bossa Velha (Miguel Gustavo)
                                 Os Cariocas
07. Samba do Avião (Antonio Carlos Jobim)
                        Tom Jobim & Os Cariocas
08. O Astronauta (Baden Powell/Vinicius de Moraes)
                   Vinicius de Moraes & Os Cariocas
09. Samba da Minha Terra (Dorival Caymmi)
                               João Gilberto
10. Insensatez (Antonio Carlos Jobim/Vinicius de Moraes)
                               João Gilberto
11. Garota de Ipanema (Antonio C. Jobim/V. de Moraes)
                           João, Tom & Vinicius
12. Devagar com a louça (Haroldo Barbosa/Luiz Reis)
                                 Os Cariocas
13. Só Danço Samba (Antonio Carlos Jobim/Vinicius de Moraes)
                       João Gilberto & Os Cariocas
14. Garota de Ipanema /Só Danço Samba /
   Se Todos Fossem Iguais a Você (Jobim/Vinicius)
    Tom Jobim, Vinícius de Moraes,João Gilberto、Os Cariocas                                
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この録音は、
全くの幻ではなく、
知っている人にはかなり知られていたものだそうだ。

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sábado, 7 de março de 2009

ブラジル・サンパウロのカルナバル2009 その3 カルナヴァル雑誌に異変。

例年のことだったのだが、
カルナヴァル(=カーニバル)が水曜日に終了すると、
すぐに、木曜日には、
華やかなカルナヴァルの模様を記録する雑誌が、
街の新聞・雑誌売り場に何種類も一斉に山積みになるのが、通例であった

いつもは、まじめな雑誌でも、
この時期だけは、
女性の半裸体なども満載になっていた。
カルナヴァルのエスコーラ・ヂ・サンバのパレードの写真を写せば、そうなるのは当然である。

週刊誌などは、2号にわたって、そういった特集号を出していた。

実際、よく売れていたようで、
いつもよりずっと山の高さが高かった。

ブラジルにいるときは、

日本から頼まれていたので、それらを何冊も買い求めて、
発送していた。
逆に、
日本にいるときには、送ってもらった。

そういった雑誌の中でも、
かつてもっとも充実していた内容を誇っていたのが、
グラフ週刊誌だったマンシェッチMancheteという雑誌だった。

日本でもかつてあった、アサヒグラフや毎日グラフのような判型と内容で、
普段はおとなしい雑誌だったが、
カルナヴァルの時だけは、
何も知らない人には誤解されような写真が満載であった。

ところが、このMancheteという雑誌は、
2000年に週刊誌としては、廃刊になってしまった。

それでも、カルナヴァルの時だけは、特別号を発行し続けていた。

今年も、
2月25日(水)にカルナヴァルが終わり、
26日(木)の朝には、
20日(金)と21日(土)に行われたサンパウロと、22日(日)と23日(月)に行われたリオ・デ・ジャネイロのエスコーラ・ヂ・サンバのデスフィーリ(=パレード)の模様を中心にした雑誌が数誌発行されていた。
Sps20090303re

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それらを買い求めて、
見比べていたのだが、
エスコーラ・ヂ・サンバのデスフィーリに登場するアレゴリア(=山車)の写真がほとんど無いのだ。
そういった写真を見て、その年のカルナヴァルの様子を知ることが出来たのだ。

どういう内容になっているかというと、
カルナヴァルの会場にいた芸能人や著名人の姿を写した写真ばかりになっている。
それらの人たちを知らない人が見ても、「誰この人」というしかないようになっているのだ。

これでは、もう日本には送れない。

どうしてこんなことになっているのだろうか。
雑誌よりも、DVDなどで動画の方が音楽入りでより良いということでそちらに移行しているのだろうか。

でも、写真には写真の良さもある。

実際、カルナヴァルのDVDをあまり興味がない人が、仮にうまく編集されていたとしても2時間も見るのはかなり退屈なことなのである。

そして、何よりも悲しいことは
Mancheteがとうとう発行されなかったことだ。
とうとう本当にダメになったようだ。

世の中の変化は、本当に激しいものであるとつくづく思っている。

一度、保管している昔のカルナヴァルの雑誌でも見てみよう。

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terça-feira, 10 de fevereiro de 2009

ブラジル・サンパウロは「夏」2008-2009 その31 夏時間は2月15日0時まで。

昨年10月19日~ブラジルの3つの地区に適用されていた夏時間horário de verãoが、2月15日(日)0時に終了する。

そのときには、ブラジルの南Sul部、南東Sudeste部、中西部Centro-Oesteでは時計を1時間戻さなくてはならない。

これは、ブラジルにこの方法が適用された38回目である。

変更は、リオ・グランヂ・ド・スルRio Grande do Sul州, サンタ・カタリーナSanta Catarina州, パラナParaná州, サンパウロSão Paulo州, リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州, エスピリット・サントEspírito Santo州, ミナス・ジェライスMinas Gerais州, ゴイアスGoiás州, マット・グロッソMato Grosso州, マット・グロッソ・ド・スルMato Grosso do Sul州および連邦区Distrito Federalに影響する。

前回は、夏時間は約1千万レアル(=4億円)の経済的効果があった。
2006年の5千万レアルよりもずっと低かった。

今年の予想は、ピーク時間の需要の4-5%減らすという。
これは、2.3千MWの経済効果があり、6.5百万人の都市の消費に相当する。

今年から、夏時間はその開始と終了の日が固定された。
以前は、毎年、時間の変更の日の決定宣言が発表されていた。

昨年の政府が発表した決定によると、夏時間はいつも10月の第3日曜日の0時に適用が始まり、翌年の2月の第3日曜日まで続く。

しかし、2月の第3日曜日がカルナバル(=カーニバル)期間中になるときは、夏時間はその次の日曜日まで続く。

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徐々に日が短くなってきて、
夜明けが遅くなってきた。

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domingo, 11 de janeiro de 2009

ブラジル・サンパウロの刑務所から約2万人が一時解放されたが、1520人が戻らず。

2008年末にナタウNatal(=クリスマス)と新年Ano-Novoの祝うために,一時的にサンパウロSão Paulo州の刑務所を出所するという恩恵を得た20.514人の囚人のうちで、7.41%にあたる1,520人が戻ってこずに、逃亡した。
この情報は1月7日(水)にサンパウロSão Paulo州の刑務所管理局SAP (Secretaria de Administração Penitenciária)によって発表された、

逃亡州の中に、この土曜日(3日)から逃げている元整形外科医ex-cirurgião plásticoのオスマリ・ラモスHosmany Ramos61歳がいる。

州刑務所管理局によると、2007年には17,968人の囚人が一時出所の恩恵を受けた。
そのうち、6.36%の1,143人が刑務所に戻ってこなかった。

2006年には、14,323人の囚人が恩恵を受けた。
このうち、6.81%の974人がやはり戻ってこなかった。

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逃亡した1,520人のうちの何人かは、
もう何か犯罪を犯したかもしれない。

この数字は,サンパウロ州だけのものである。
ブラジル全体では、
いったい何人が一時出所し、
そして戻ってこなかったのか。

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quarta-feira, 31 de dezembro de 2008

ブラジル・サンパウロの刑務所から約2万人が解放された。

2万人以上の囚人がサンパウロ州の刑務所presídioから、ナタウNatal(=クリスマス)と新年Ano-Novoを祝うために,一時解放された。

刑務所管理局SAP (Secretaria de Administração Penitenciária)が12月30日(火)に発表した情報によると、
2008年に、裁判所は、サンパウロ州Estado de São Pauloの刑務所にいる20,090人の囚人がナタウNatalと新年Ano Novoのフェスタを祝うために一時出所することを認めた。

2007年には、17,968人が一時出所の恩恵を得た。
このうち、6.36%の1,143人が刑務所に戻らなかった。

2006年には、14,323人が同様のことで一時出所した。
このうち6.81%に当たる974人がまた戻らなかった。

一時出所saída temporáriaの恩恵は、半開放囚semi-abertoもしくは模範囚にだけ裁判所が実施する。

刑務所管理局によると、恩恵を受けた囚人は,最大7日間まで刑務所を出る。
期間が終了した後に刑務所に戻らない者は逃亡囚と見なされる。
再収監された後には、半開放などの権利を失う。

刑事執行法Lei de Execuções Penaisの定めるところによると、一時出所は、感謝祭Páscoa、父の日Dia dos Pais、母の日Dia das Mães、こどもの日Dia das Criançasもしくは死者Finadosの日、そしてナタウNatalと新年Ano-Novoのフェスタfestasの時に実施される。

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逃亡囚が約6%毎回出るにしても、
実施されるこの一時出所。

日本の刑務所システムからはとても考えられないことだ。

どちらが,人権に配慮しているのか。

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sexta-feira, 7 de novembro de 2008

ブラジルの経済2008 その21 為替の不安定さは続く。

ブラジル通貨レアルは、世界的な金融危機の影響を受けて、この8月から10月の第1週まで対米ドルなどに対して急激な下落を続けていた。

その後、各国の対策が出そろったこともあり、やや持ち直し、また上昇へと反転をするかと思っていたのだが、その方向が見えないまま揺れている。

9月初めからのレアルの、対米ドル、対ユーロそして対日本円の下落率を示したグラフである。
このところ、ユーロが弱いので、下落率は縮小している。
※グラフはすべてクリックすると拡大する。
Sps20081106abrlusdeurjpy00010012245

2004年8月からの、レアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の変動率の推移。
2008年半ばまでずっとレアルが上昇していたのが、7-8月頃から一気に落ちたことを示している。
Sps20081106bbrlusdeurjpy10010012245

2008年8月からの、米ドルレートの対レアルレートの推移。
今は、1ドル=2.1レアル台あたりで収まっている。
Sps20081106cbrlusd00010012245468024

2008年8月からの、レアルの対日本円レートの推移。
現在は、1レアルが、40円台半ばである。
Sps20081106dbrljpy00000012245468024

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quarta-feira, 5 de novembro de 2008

ブラジルの経済2008 その20 デジタル・テレビ放送開始から1年。

正式にデジタル放送が始まってから1年がたつ今年の末までに、デジタルテレビTV digitalの視聴者は645千人に達する。

11月4日(火)に、電気電子機器生産者協会Eletros (Associação Nacional de Fabricantes de Produtos Eletroeletrônicos)のデータをベースにして、ブラジル・デジタルテレビ・システム・フォーラムFórum SBTVD (Sistema Brasileiro de TV Digital)によって発表されたこの数字は、人口の0.3%に相当する。

645千人の視聴者という数字は、受像器の販売数の予想である。
電気電子機器生産者協会によると、2008年末までの販売予想は150千台(コンバーター内蔵もしくは外装)である。

電気電子機器生産者協会は、それぞれの機器について、3.3人の視聴者はいると考えていて、さらに携帯電話のようなモービル受像器を150千台(一台について1視聴者の計算)を加えている。

2006年に発表されたブラジル地理統計院のサンプル家庭調査PNAD (Pesquisa Nacional por Amostra de Domicílios, do IBGE)のデータでは、ブラジルでは93%の家庭がテレビを持っている。

比較すると、今年の第3四半期の調査によると、42百万人がインターネットにアクセスしている。

クリチーバCuritiba、サンパウロSão Paulo、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro、ベロ・オリゾンチBelo Horizonte、ゴイアニアGoiâniaはすでに正式にデジタル信号を受けている。
今月にはポルト・アレグレPorto Alegreが、そして来月にはサルバドールSalvadorで始まる。

ブラジル・デジタルテレビ・システム・フォーラムは、2009年まではインテラティヴィティーなしで放送される。
というのは、インテラティヴィティーに使用するシステムのGingaはまだ仕様段階である。
その後に、この技術のための規格はブラジル技術規格協会ABNT (Associação Brasileira de Normas Técnicas)の承認を得る必要がある。

もっとも楽天的な予想では、インテラティヴィティーが機能するのは次の6ヶ月間のあるときになる。

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ブラジルは、デジタルテレビ放送の規格に、日本の規格を採用した。

デジタルテレビ放送が始まって、1年たった時点で、
視聴者が60万人余というのは、
予想の範囲なのだろうか。

まだ、一部の大都市だけでの放送なのであるが、
ブラジル全体に広がるには何年かかるのだろうか・

ちなみに、拙宅は、アナログのケーブルである。

ワンセグは受信できる。
でも、画面が小さいので、普段は使用しない。

パソコンショップに行くと、デジタルテレビ放送を受像できる周辺機器が売っていた。
もちろん中国製である。

規格は日本のデジタルテレビ放送の規格としても、
日本のメーカーのブランドの存在は目立たない。

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sábado, 11 de outubro de 2008

ブラジルの経済2008 その17 波乱の週終わる。

10月10日(金)のブラジル・サンパウロの株式市場は、同日のアジア、欧州、米国の市場の下落を受け、3.97%さらに下落した。

また、9日(木)にいったん持ち直したブラジル通貨レアルも、3日間連続の中央銀行のドル売りで一旦は対ドル上昇したにもかかわらず、また下げた。
米ドルはレアルに対して、5.27%上昇した。

10日の米ドル相場のグラフ。
Sps20081010ea

2008年9月からのレアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の変動率のグラフである。
Sps20081010abrlusdeurjpy00010012245

クリスマス商戦を前にして、
輸入商品を扱っている業者は、
価格設定に四苦八苦している。

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segunda-feira, 6 de outubro de 2008

ブラジル・サンパウロの選挙2008 その9 サンパウロ市長選は第2回投票へ。

10月5日(日)は、
ブラジル全土で、
市長選と市議会議員選挙が行われた。

ブラジルは、電子投票が行われているので、広い国土にもかかわらず、開票は早い。
時差はあるが、8時から17時の投票が終わったあと、
各投票機の投票データが送られる。

データは送られても、
集計に多少の時間がかかるので、5-10分で結果が出るわけではない。

ところが、
サンパウロ市の場合は、
トラブルがあり、
22時で開票率60%程度。
24時で開票率90%。
100%になったのは、もう明け方。

市長選挙の結果は次の通りで、
現市長のジウベルト・カサビが事前の世論調査の結果を予想を超えて第1位。
そして、1位になると見られていた元市長のマルタ・スプリシーが僅差で第2位。

元サンパウロ州知事のジェラルド・アルケミンは3位。
Sps20081006ta

人口20万人以上の市長選挙で、過半数を獲った候補者がいない場合は、
上位2候補者による決選投票が3週間後に行われることになっている。

つまり、ジウベルト・カサビとマルタ・スプリシーの間で戦われる。
これから、
落選した候補者の党の有権者を獲得するための、
交渉が行われる。

サンパウロ市の選挙地区での第1位の候補者を表した地図がある。
マルタ・スプリシー候補は、周縁部ではすべて1位だった。
周縁部は、貧しく、そして治安が悪く、病院もなく、交通も不便なところだ。
こういったところで、5割-6割台の得票率だったが、
逆に、ジウベルト・カサビ候補が第1位の地区では、
つまり中産階級以上の多い地区であるが、
10%台程度の得票で3位に終わったところも多かった。
Sps20081006tb

サンパウロ市長選挙でも、
結果に、
格差が露骨に現れた。

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sábado, 4 de outubro de 2008

ブラジルの経済2008 その11 ブラジル通貨レアル続落。

10月に入っても、いっこうにブラジル通貨レアルの下落は継続している。

今週の米国の金融救済法成立にむけての不透明な動きが、レアルの一層の下落を招いたようだ。

この1ヶ月間に、レアルの対米ドルレートは、
1レアル=約0.60米ドルから0.50米ドル以下になった。
※※すべてのグラフはクリックすると拡大する。
Sps20081004abrlusd00000012245471324

同じく1ヶ月間で、日本円についても大きく下げた。
1レアル=約64円が、約53円になった。
Sps20081004bbrljpy00000012245471324

この一ヶ月間のレアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の変動の推移をグラフにしてみた。
Sps20081004cbrlusdeurjpy00010012245

レアルが上昇を始めた2004年8月からのレアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の変動のグラフなのだが、ほぼ2006年の水準にまでわずか2ヶ月ほどで急落したことがわかる。
Sps20081004dbrlusdeurjpy10010012245

これだけの変動があると、そろそろブラジルの実体経済にも影響が出てきたようだ。

絶好調とつい最近まで言っていた自動車販売が、金利の上昇で、消費者の買い控えが出てきた。
GMが、12000人に、10月20日から11月2日までの2週間の休暇を与えると発表した。
自動車産業は裾野が広いので、部品メーカーなどにも、その余波が広がるに違いない。

まだ、他の完成車メーカーはそういうことは発表していないが、早晩同じようなことになるのだろう。

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sexta-feira, 19 de setembro de 2008

ブラジル・サンパウロの選挙2008 その4 ソクラテスも登場。

ブラジルは、
今年は、
全国の市長と市議会議員の選挙が行われ、
投票日は10月5日(日)である。

つまり、今選挙戦たけなわなのだ。

ブラジル最大の都市のサンパウロ市の市長選挙は、
もちろん全国でももっとも注目される選挙である。

このところ、
連日、
支持率の世論調査結果が発表されている。

第1回目の投票で誰も過半数を獲ることができなければ、
上位2候補者の間で第2回目投票が行われる。

世論調査の結果で、上位につけない候補者はそろそろ、第2回目投票に残りそうな候補者にすり寄り始めたようだ。

選挙公報番組を、おもしろがってみているのだが、
はやり多士済々が現れる市議会選挙の候補者のものは見落とすことができない。

調べれべすぐわかることなのだが、
だいたい議員定数も知らない。
いったい何人が立候補しているかも知らないのだが、
候補者はある程度対象としている有権者を絞っている。

それは、福祉、医療もなどの政策を訴えることによって、
もしくは地域を絞り込んで、
その住民に対して訴えているからである。
市議会議員選挙なので、そういった絞り込みは必要なだろう。

別の形では、宗教を明らかにして、その信者に訴えていることもある。
もちろんある程度の規模の宗教なのであるが、
それ以外の宗教の票は期待しないのだろう。

さらにブラジルならではというのは、
サッカー・クラブのファンに訴えるものである。
これも、コアなファンの多いクラブになるので、
コリンチャンスとパルメイラスになる。

コリンチャンスのファンは多いので、
そのファンを取り込もうとする候補者は一人ではない。

その一人が、
ヴァラヂミールWldimirという候補者。
政権党である労働者党PTの候補者である。
Sps20080917tb

彼は、コリンチャンスの元選手であった。
Sps20080917tf

政見放送では、
彼の隣に現れたのが
ソクラテスSocratesだ。
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1984年のワールドカップ・メキシコ大会の
予選リーグを通過したブラジル代表が、
トーナメントで対戦したのがフランス。

この試合は、0対0で延長も終了し、
PK戦となった。

フランスは、プラチーニが外した。
そして、ブラジルは、このソクラテスとジーコが外して、敗れた。

ソクラテスも、コリンチャンスの選手だった。

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サッカー・クラブで候補者を決める有権者はどれほどいるのだろうか。

そういったレベルの有権者が現にいるから、それを売りにしている候補者がいるのだろうが。

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sábado, 13 de setembro de 2008

ブラジル・サンパウロの選挙2008 その3 市議選の立候補者。

ブラジルは、今年、全国一斉に、市長選挙と市議会議員選挙が行われる。
10月5日(日)が、第1回目の投票日である。

市長選は、過半数の得票を得ることが出来た候補者がいれば、その人が当選となる。
しかし、過半数を獲ることが出来た候補者がいなければ、
得票の多い二人の候補者の間で、第2回投票となり、それは10月26日(日)に行われる。

ブラジルは、少数乱立状態で、
サンパウロでは、
過半数を獲る候補者はいないと見られる。
そこで、
二人の候補者は、他党の票を得ようと、多数派工作を始める。
第2位の候補者でも、逆転する余地はいくらでもある。

ブラジルでは、
法律で、地上波のテレビは、一斉に、選挙広報番組を放送しなくてはならない。
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Sps20080824tc

今は、13時からと、20時30分からの、一日2回、選挙広報番組が放送される。

つまらないようで、
見方を変えると、結構楽しめる番組で、突っ込みどころは満載なのだ。
ただ、そのためには、知識が必要だ。

市議会議員選挙の選挙放送も、よく見ていると面白い人が立候補していた。

アヴァニール女史は、もう選挙の常連である。
ユニークな広報でもうおなじみ。
国政選挙にも立候補したことがある。
当選したことがあるとは思えない。
Sps20080824ta

セルジオ・マランドロ氏。
テレビタレントだ。
かつては、シルビオ・サントスの子分だった。
最近は、あまりテレビで見かけなくなった。
Sps20080824th

ブラジル代表でキャプテンだったカフーが出てきた。
カフーは、契約満了でミランを退団しているが、
まだ次のクラブは決まっていない。
ブラジルのクラブで引退したいと言っていたのだが、
金額が折り合わないのだろうか。
カフーが立候補しているのではなくて、
その隣にいるマウリシオ・カフー氏が候補者である。
カフーの実兄である。
Sps20080824tg

マルコ・アルレーリオ・クンニャ氏は、
サンパウロFCのサッカー担当役員だ。
Sps20080824te

サッカー担当役員として、
よくスポーツ・ニュースにも登場する。
Sps20080803fa

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quinta-feira, 4 de setembro de 2008

ブラジルの経済2008 その5 ブラジル通貨レアルが下落中。

ブラジル通貨レアルが、
8月に入ってから、
米ドルに対して下落を続けている。
Sps20080903abrlusd00000012245462324

理由は何だろうか。
下落基調が続く理由を思いつかない。
一次産品の価格上昇は基本的にはブラジルにとってはメリットが多いはずだ。

ブラジルの金利は、インフレ懸念を払拭するという名目で、上がっているので、金利目当ての投資家にはメリットはある。

唯一の問題は、
世界的な株安傾向は、
サンパウロ株式市場も同じで、
年初来の下落は10%を超えている。

海外からの株式市場への投資資金が逆流始めたのだろうか。

輸入が増加して、
為替の影響もあり、
工業品の輸出が減っているという問題はある。

対米ドルで下落と言っても、
この1ヶ月間のことで、
1年間で見ると、上昇基調の中の調整期間と見ることも出来る。
Sps20080903bbrlusd00000012245434924

10年間で見ると、
2002年から2004年を底とした、上昇率はすごいものがある。
この8月からの下落など取るに足らない。
Sps20080903cbrlusd10000012245118024

対ユーロでは、
今年の3月からは、
レアルは価値を上げていたが、
8月末からは、ちょっと下げた。
まだ、9月に入って何日もたっていないので、
何とも言えない。
Sps20080903dbrleur00000012245434924

対日本円も見てみた。
8月から、対日本円では下落しはじめていたことがわかる。
Sps20080903ebrljpy00000012245462324

ただ、これも過去10年の変動の中では、
上昇基調の中での、変動の範囲内と見ることも出来る。
Sps20080903fbrljpy10000012245118024

2008年初のレートを100としたときの、レアルの米ドル、ユーロそして日本円に対する変動率を示してみた。
8月に入って、変調をきたしていることは事実である。
Sps20080903gbrlusdeurjpy00010012245

レアル高による高物価のサンパウロになっているので、
個人的には、レアルの下落を願っている。

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quarta-feira, 3 de setembro de 2008

ブラジル・サンパウロの選挙2008 その2 物まね立候補者。

エネーアス・カルネイロEnéas Carneiroの真似をして市会議員になろうとしているルシアーノ・エネーアス・マルチンス・ナンテス・ソアレスLuciano Enéas Martines Nantes Soares37歳は、サンパウロSão Paulo選挙第1ゾーンで、亡くなった連邦下院議員のエネーアス・カルネイロのイメージを選挙運動で使うことを禁止された。

ルシアーノ・エネーアス・マルチンス・ナンテス・ソアレスは、”エネーアスの息子”Enéas Filhoという名前を使い、テレビでは彼の父親の仕事を続けると言っている。

事実、ルシアーノ・エネーアス・マルチンス・ナンテス・ソアレスは、エネーアスEnéasの息子だが、オズヴァルド・エネーアスOsvaldo Enéasといって、1996年にサンパウロSão Pauloの市会議員に選出されたエネーアスのほうである。

ルシアーノ・エネーアス・マルチンス・ナンテス・ソアレスの弁護士のダシー・セラフィン・ヂ・オリヴェイラDarci Serafim de Oliveiraは、二人がにた風貌をしているのは、「偶然」"mera coincidência"と明言した。

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故エネーアス・カルネイロ下院議員は、
その風貌からして、
有名な人物だった。
人気もあった。

エネーアス・カルネイロの選挙放送は、
いつも同じパターンで、
毎回、ベートーベンの交響曲の「運命」のあの有名な「ジャジャジャジャーン」の部分が使われていた。

今回サンパウロの市会議員に立候補している、
ルシアーノ・エネーアス・マルチンス・ナンテス・ソアレスは、
その風貌も、故エネーアス・カルネイロの髪型、ひげ、服装もそっくりにした。

そして、
政見放送では、
その「ジャジャジャジャーン」を使い、
話し方もそのまま真似をしている。
Sps20080901ta

この政見放送を見たときには、
「エネーアスの息子」というので、
本当にその下院議員の息子かと思った。

しかし、
下院議員だった故エネーアス・カルネイロは、
リオ・デ・ジャネイロの選出で、
未亡人が「そんな息子はいない」と訴えたことを知って、
実情がわかった。

まともな有権者ならば、
こんないい加減な候補者には投票しないと思うのだが、
どうなるのか。

投票日は、
10月の第1日曜日である。
つまり10月5日。

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ブラジル人が、132カ国の調査で、もっとも将来に楽観的。

ブラジル人はこの先5年間の将来についてもっとも楽観的ということが、2006年に132カ国でギャロップ・ワールド・プールGallup World Pollによって行われた調査データの一部が、ジェッツリオ・ヴァルガス財団FGV (Fundação Getúlio Vargas)によって、9月2日(火)に発表されて、明らかにした。

0から10で表して、生活の質に関する期待のブラジル人の平均は8.78。
次いで、ベネズエラVenezuelaが8.52,デンマークDinamarcaが8.51。

この先5年の将来についてもっとも悲観的な国は、ジンバブエZimbábueの4.04、次いで、カンボジアCambojaの4.86、そしてパラグアイParaguaiの5.04。

15歳から29歳の若者の中では、楽観視はさらに高く9.29に達する。
次いで、米国Estados Unidosの9.11、ベネズエラVenezuelaの8.87。
若者の中で悲観的なのは、ジンバブエZimbábueが4.86、ハイチHaitiの5.18、カンボジアCambojaの5.37。

同時に、ブラジルは現在については同じようなところは見せていない。
現在の幸福については、ブラジルBrasilは24位である。
トップはデンマークDinamarca。

ブラジル人は、自身の将来に関して大きな期待を持っている。
ブラジルの将来のシナリオについて尋ねたときには、楽観はとても少ない。

「ラテンの国は、現在についてよりよい状態でなくでも、一般的に将来についてより楽観的である。」

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若者が、将来について、楽観できる国はよい国だ。

この調査では、
日本はどうだったのだろうか。

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terça-feira, 2 de setembro de 2008

ブラジルの人口の半分以上が5つの州に住んでいる。

ブラジルの人口の半分以上が5つの州-サンパウロSão Paulo、ミナス・ジェライスMinas Gerais、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro、バイアBahia、リオ・グランヂ・ド・スルRio Grande do Sul-に住んでいる。


サンパウロ州Estado de São Pauloだけで、4分の1の41,011,635人のブラジル人が住んでいる。
サンパウロ市には6%の10,900,249人が住んでいる。

8月29日(金)に、ブラジル地理統計院IBGE (Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística)によって発表されたブラジル人口計画データをベースにされたものである。

2008年のブラジルの人口は、5565都市に、1億8960万である。

この統計によると、53.8%が5つの州にいる。
サンパウロSão Paulo州:41,011,635人
ミナス・ジェライスMinas Gerais州:19,850,072人、
リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州:15,872,362人
バイアBahia州:14,502,575人
リオ・グランヂ・ド・スルRio Grande do Sul州:10,855、214人

人口統計は、地域別の人口も示している。
南東部Sudesteには、42%にあたる80,187,717人が住んでいる。
最も少ないのは、中西部Centro-Oesteで、7.2%の13,695,944人である。

もっとも人口が多いのは、引き続き南東部Sudesteで、次いで北東部Nordeste,で53,088,499人である。
南部は27,497,970人で、北部は15,142,684人である。

州別では、人口が最も多いのはサンパウロSão Paulo州で、もっとも少ないのはロライマRoraima州で412,782人である。

人口配分では2007年もそれほど違いはない。
1991年から2000年に現れた傾向で、中規模都市は成長している。
しかし、5000人以下の都市は人口が減少傾向にある。

ブラジル地理統計院IBGEの調査コーディネーターの一人であるルイス・アントニオ・ピント・ヂ・オリヴェイラLuiz Antônio Pinto de Oliveiraの分析では、このは、農業の衰退と中規模都市に起きている石油関係の動きによるという。

「教育、医療のいろいろのサービスの極となっている都市は、雇用の極になっている。 より成長している都市はそういうものである。 内陸部での現象である」。

この動きは、ルイス・アントニオ・ピント・ヂ・オリヴェイラによると、サンパウロSão Paulo州では、カンピーナスCampinas、リベリロン・プレット、サントスSantos、ソロカバSorocabaなどの都市で起きている。
リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州では、カンポス・ドス・ゴイタカーゼスCampos dos Goytacazes、マカエMacaéで起きている。
ミナス・ジェライスMinas Gerais州では、ウベランヂアUberlândia、モンテス・クラロスMontes Clarosで起きている。

反面、ルイス・アントニオ・ピント・ヂ・オリヴェイラは、東北部、ミナス・ジェライスMinas Gerais州のある部分、サンパウロ州の西部、サンタ・カタリーナ州での人口の減少をしてきた。
この人口は発表されなかった。
最終結果は、今年の11月に発表される。

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サンパウロ州の中都市が発展しているのは、実感する。

サトウキビつまり、アルコール産業の好調がそれを促進している。

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segunda-feira, 1 de setembro de 2008

ブラジル・サンパウロは「冬」2008 その6 夏時間は10月19日から。

今年2008年の夏時間O horário de verãoは、10月19日(土)から、ブラジルの南部、南東部および中西部で始まる。

0時に、時計は1時間進められなければならない。
鉱山エネルギー省Ministério de Minas e Energiaの情報によると、夏時間は、2009年2月15日24時に終了する。

政府の予想では、ピーク時に4%-5%の電力が減少する。
これは2000MWで、約6百万人の一つの都市に供給するのに十分な量に匹敵する。

夏時間は、暑さとナタウNatal(=クリスマス)の前に工業生産が増大することによって、需要が増大するこの時期にいつも適用されている。

この期間、太陽と地球の位置関係によって昼が長くなり、自然の光をより利用できる。

昨年、ブラジルは夏時間によって1000万レアルを削減した。
電力エネルギーの消費の減少が4000万レアルだったその前年より少ない。

ブラジル電力部門生産者ONS (Operador Nacional do Setor Elétrico)によると、これは年末の雨が少なかったことによって起きた。
これによって、ブラジルはより火力発電所usinas termelétricasを動かさなければならなかった。
一般的に使用されている水力発電hidrelétricasよりもずっとコストが高い。

夏時間O horário de verãoは、ブラジルBrasilでは、最初に1931年に5ヶ月間適用された。
1967年までに、時間の変更は9回なされた。

1985年からは、適用される州や期間に変更はあるが、中断することなく、この方法が採用されている。

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わずか1時間の変更なのだが、
変更後しばらくは、
何となく変になる。

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domingo, 31 de agosto de 2008

ブラジルの成長が、2040年に止まる。

ブラジルBrasilの成長が、予想よりも20年早く、2040年に止まるだろうと、ブラジル地理統計院IBGEは言った。

ブラジルの人口は、2040年に安定するに違いないという予想よりももっと早く成長が止まりつつある。
そのときには、ブラジルの人口は、約2.2億人に達するだろう。
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この予想は、8月29日(金)に、ブラジル地理統計院IBGE (Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística)による、今年のブラジルの都市の人口計画の報告の中で、発表された。

2004年のデータをベースにした、ブラジル地理統計院の最新の予想では、人口は2060年すぐに成長が止まるはずであった。
しかし、2008年の計画では、その成長率の低下はより加速していることが明らかになった。

今年の研究では、ブラジルBrasilは低下している率で年率1.2%増加している。
調査のコーディネーターの一人であるルイス・アントニオ・ピント・ヂ・オリヴェイラLuiz Antônio Pinto de Oliveiraによると、20年前は、年率2%であった。

「下がっている傾向にある。 ブラジルBrasilは、毎年、もしくな10年毎に、人口増加率が下がっている。 これはブラジル地理統計院IBGEの予想である。今世紀の40年に成長の限界に達する。 そのときには約2.2億人で安定するに違いない」と言った。
Sps20080831td

新たな予想の主な理由は、ブラジルの出生率fecundidadeが低下しているからである。 30年間に、それは一人の女性が5.6人の子供であったのが現在は2人になった。 2040年には、一人の女性について1.5人より少なくなる。

「我々は今年率成長率が1.2%の中にいる。 しかしこの30年間はブラジルの人口は成長するが、出生率が加速的に下がっている」

この金曜日に、ブラジル地理統計院IBGE (Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística)によって、発表された計画によると、ブラジルBrasilには、2008年に5565都市に1億8千9百6十万人が住んでいる。

サンパウロSão Pauloは、引き続きブラジルでもっとも人口が多く、10,990,249人である。
次が、リオ・デ・ジャネイロで、6,161,047人。
バイア州のサルヴァドールSalvadorが3番目で、2,948,733人である。
Sps20080831tc

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ブラジルも先進国と同じ道を、より加速して、進むことになる。

すでに、高齢者の割合が急上昇している。
拙宅の付近では、特にそれが顕著である。

2040年のブラジルは、果たしてどんな国になっているのだろうか。

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quarta-feira, 6 de agosto de 2008

ブラジルの経済2008 その4 「中流が50%を超えた」という調査結果。

中流Classe médiaがすでに、経済活動人口の50%以上になったと、ジェッツリオ・ヴァルガス財団FGVは言った。

ジェッツリオ・ヴァルガス財団FGV (Fundação Getúlio Vargas)が、8月5日(火)に発表した調査結果によると、近年ブラジルBrasilでは中流階級classe médiaが増加し、経済活動人口PEA (população economicamente ativa)の半分以上になった。

「新中流階級」"A Nova Classe Média"と名付けられた調査結果は、エコノミストのマルセロ・ネリMarcelo Neriによって発表され、このカテゴリーの家族の数は2004年から2008年の間に、42.26%から51.89%に上昇した。

労働収入を元にした財団の基準では、15歳から60歳の活動人口が考えられている。

ジェッツリオ・ヴァルガス財団FGVによると、月々の収入が1064レアルから4591レアルまでの時に家族は中流classe média (classe C)と考えられる。

エリート層(classes A と B)は4591レアル以上で、classe Dは768レアルから1068レアル。
classe Eは、財団によると、768レアル以下の収入の家族である。
※1レアルは約65円。

調査によると、2004年から2008年の間に、「classes A と B」の家族は11.61%から15.52%に増加した。
classe Dは、46.13%から32.49%になった。

このデータを決めるために、ジェッツリオ・ヴァルガス財団FGVは労働省Ministério do Trabalhoとブラジル地理統計院IBGE(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística)の情報を分析した。

財団によると、6大都市圏regiões metropolitanas(São Paulo, Rio de Janeiro, Belo Horizonte, Porto Alegre, Recife e Salvador)における2002年から2008年の間に貧困層は、減少し、13.5%になっていた。

マルセロ・ネリMarcelo Neriによると、貧困層の減少と中流層classe médiaの増加は、正式雇用者emprego com carteira assinadaの増加を直接に反映している。

雇用非雇用一般統計Caged (Cadastro Geral de Empregados e Desempregados)のデータによると、今年の最初の6ヶ月だけで、136.1万人の新たな雇用があった。
2007年の最初の6ヶ月よりも24.3%増加しで、この期間のレコードとなった。
今年は2百万になると見られる。

今日(8月5日)にブラジリアBrasíliaで発表された応用経済調査研究所Ipea (Instituto de Pesquisa Econômica Aplicada)による別の調査によると、貧困層の家族の割合は、2003年から2008年の間の6大都市圏における人口で35%から24.1%に低下した。
これは、約3分の1の貧困層が減少したことになる。
つまり約400万人になる。

ブラジル地理統計院のデータを基礎にすると、一人あたりの月収が最低給与の半分(207.5レアル)までの家族の貧困と考えられる。

収入103.75レアルまでの極貧indigentesの割合は同期間に半分の13.7%から6.6%に下落した。
この状況にある人たちは約3百万人減った。
今日、貧困層の27.4%の人たちが極貧と考えられる。
2002年には38.6%だった。

応用経済調査研究所Ipeaの調査では、2003年から2008年までに、経済成長はまたもっとも裕福な層(40歳低給与もしくは16.6千レアルを超える月収のある家族)に利益を与えた。

比率では、富裕層は2003年の0.8%から2008年には1%になった。
絶対人数では、36.2万人から47.65万になった。

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世界一格差が大きいと言われたブラジルだが、
経済成長に伴い、貧困層が減りつつあると言うことだが、
これはとてもよいことだ。

治安が確実によくなっているのも、こういうことを反映しているのだろう。

教育熱が高まって、高等教育以上を終了した人が増えていることも、中流層を増やしているようだ。

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terça-feira, 22 de julho de 2008

ブラジルの出生率が激減。

ブラジルは、予想したよりももっと早く高齢化している。

2006年に、出生率は一人の女性につき1.8人となり、2043年にこの水準になると予定した水準だった。

ますます高齢化し、子供が少なくなることで、公共政策は現実に合わせるために見直されることになる。

ブラジルの高齢化envelhecimentoは、予想よりもっと早くやってくる。

今月初めに出された、「人口統計と健康調査」PNDS (Pesquisa Nacional de Demografia e Saúde)の発表結果は、2006年に、ブラジルの出生率が一人の女性が1.8人の子供を産むという率になったことを示していた。

ブラジル統計地理院IBGEは、2004年に出されたその公式予想で、その水準は2043年になるという見通しをしていた。

国連の予想はより控えめで、2010年前には2.0にならないとしていた。
出生率がより低くなったという調査により、ブラジル統計地理院IBGEはその予想を見直す。

統計上の数字を単純に見直す移乗に、ブラジルは予想以上により多くの高齢者がいて少ない子供がいるということは、年金計算にインパクトを与え、高齢化する人口構成に適応しなくてはならないための社会政策に影響する。

「人口統計と健康調査PNDS」の分析・計画・調整センターの人口統計学者demógrafaのエルザ・ベルクオElza Berquóは、ブラジル統計地理院が毎年出すサンプル家庭による国家統計Pnads (Pesquisas Nacionais por Amostra de Domicílios, feitas anualmente pelo IBGE)が、すでに出生率が予想されたリズム以上に早く下がっていることを示していたことを想起した。

2004年に、一人の女性のこどもが2.1人という水準になっていた。
これは、ブラジル統計地理院が2014年に達すると予想したいたものである。

「出生率の変化の動きは40年前に始まった。 最近のデータは一連の歴史と密着している。 どうして、ブラジル地理統計院が現象を少なく見ている予想で仕事を続けているのかは知らない。 プロジェクトはしないが、この傾向を判断すると、出生率は下がり続けると思う」と、エルザ・ベルクオは言った。

ブラジル統計地理院IBGEの予想に作成に参加したフェルナンド・アルブクェルキFernando Albuquerqueは、当院は2000年のセンサーCenso(=国勢調査)と2001年の人口統計と健康調査Pnadが下落の進行を示していなかったので、その下落を小さく予想したと言った。

「しかし、2002年と2006年の人口統計と健康調査で、より早く下落していることを記録している。 それで、すでい最近の結果似合わせるために予想を見直している」。

ブラジル統計地理院の統計科学スクールEscola Nacional de Ciências Estatísticas の人口統計学者demógrafoのジョゼ・エウスタクィオ・アルヴェスJosé Eustáquio Alvesは、出生率fecundidadeのより早い下落は予想より人口は減少し始めることを示している。 ブラジル統計地理院の予想では、それは2062年から始まるとしていた。 より最近に出された国連の予想はもっと早くて、それでも、2030年代に始まるに違いないと指摘していた。

高齢化がより早くブラジルに来るという予想である。
これにより、高齢者をよりよくみるために健康に対する投資を増やさなくてはならない。

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ブラジルの社会の急激な変化をしめす重要な事実である。

日本に比べれば、まだまだ子供をいっぱい見かけるブラジルである。

「貧乏人の子だくさん」という傾向は変わらないにしても、その貧困層や低教育層までも、子供を少なくしているのである。
すでに、高所得者層から中産階級までは、子供の数は2人程度が普通であった。

ブラジルの人口構造は1980年頃までは、完全なピラミッド型であったが、
今は30歳前後をピークとする紡錘形になっている。

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segunda-feira, 14 de julho de 2008

ブラジル・サンパウロで、陸橋が落ちて、邦人が亡くなった。

7月14日(月)9時半頃のことらしいが、
サンパウロ市からサントスに向かうイミグランテスと言う自動車専用道路で、
トラックの荷台の高さが制限をオーバーしていたために、
陸橋の橋桁にぶつかった。

その橋桁は衝撃で落下した。
Sps20080714te

その橋桁に、一台の車がぶつかった。
Sps20080714tb

Sps20080714tc

Sps20080714ta

事故が起きたのは、サンパウロ市のすぐ南のヂアデマ市域内である。
その車には、運転手と邦人が乗っていた。

その邦人は、ヘリコプターで
クリニカス病院に運ばれたが、
亡くなった。

運転手の名前は発表されている。
亡くなった方の氏名は、18時を過ぎても、発表されていない。

ただ、昼のGlobo局のローカルニュースでは、
車には"MAKITA"と書いてあるそうだ。
普通、MAKITAと言えば、電動工具のMAKITAと思うのだが。
Sps20080714td

未確認情報では、
赴任後日の浅い駐在員の方らしい。

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19時のGlobo局のローカルニュースでも、短かったがトップで伝えられている。

「20080714JNsp2-Acidente-Makita.wmv」をダウンロード

これによると、
関連会社を訪問する
MAKITAの役員が犠牲になられたということである。
ブラジルの子会社に役員としてきている駐在員ではなく、
日本からの出張者のようにとれた。
車のロゴを見る限り、電動工具のMAKITAのようだ。
Sps20080714tf

Sps20080714tg

ご氏名は報道されていない。

事故当時、
どういう訳かトラックの荷台が持ち上がり、
それで歩道橋の橋桁にぶつかったという。
運転手の操作ミスか整備不良かを調べるという。
Sps20080714ti

Sps20080714tk

Sps20080714tj

なお事故を起こしたトラックの運転手は、
器物損壊と過失致死で
警察の取り調べの後、
もう釈放されている。
Sps20080714th

運転手からはアルコールは検出されていない。

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時事通信のサイトでは、7時47分配信のニュースで、
MAKITAの駐在員のフルヤブ・ソウイチロウさん(30)が犠牲者と報じられている。

共同通信のサイトでは、7時9分配信の速報で、事故が起きて日本人が亡くなったことだけを伝えている。

共同通信の8時14分の配信では、「古藪聡一郎」さんと伝えた。

朝日新聞のサイトは、8時27分に報じた。
2年ほど前から駐在されていた方だそうだ。

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ご冥福をお祈りする。

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sábado, 5 de julho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その12 「100年記念碑除幕式」2。

100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。

今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。

皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。

6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。

実は、この除幕式を見に行った。

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続きである

皇太子殿下は、この式に最後までご出席になって、ご退席された。

そういうわけで、皇太子殿下が去られると、もう警備も何もない。

招待者も含めて、集まった人は、すぐに散り始めた。

ブラジル最大のメディアグループのGlobo局の取材。
Sps20080620cze

ローカルニュースのレポーターの中で、もっとも美人のジャナイナ・レプリJanaina Lepri嬢。
テレビで見るとき以上に、美しかった。
実は、この除幕式を伝える、この日のGlobo局のニュースに映されてしまった。
Sps20080620czf

除幕したばかりの、「100年記念碑」の碑石。
この碑石の両側に、お手植えの木がある。
皇太子殿下は、ブラジルの国花イペーを、
サンパウロ市長は、桜を植えた。
Sps20080620czg

「100年記念碑」は、いくつかの碑石からなっている。
これは、
日本から船に乗って、ブラジルに向かったような図が彫り込んである。
Sps20080620czh

最初は、おずおずだったが、どんどんと人々が碑の周りに集まってきた。
Sps20080620czi

写真撮影会になってきた。
ブラジル人は、ポーズをとるのが好きだ。
Sps20080620czj

人が増えたので、完全な姿で碑の写真を撮るのは難しくなった。
Sps20080620czk

碑にもさわり放題。
Sps20080620czl

楽団もすぐに撤収。
Sps20080620czm

碑に上る子供たち。
上るために階段も彫ってある。
ほんの10分前までは、皇太子殿下が御覧になったばかりのところなのであるが、もうそんなことはお構いなしだ。
Sps20080620czn

子供たちがこうやって碑で遊ぶことは、作者の意図したところらしい。
Sps20080620czo

いくつかの白い碑の真ん中に赤い石がある。
もう写真の撮影で、碑をとらえることはできなかった。
Sps20080620czp

先ほどまで、皇太子殿下がお立ちになっていたステージに立ってみた。
Sps20080620czq
※クリックすると拡大する。

とうとう大人も、碑に上った。
Sps20080620czr

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この「100年記念碑除幕式」に、招待された人に配布されたパンフレットである。
Sps20080626d

どういう訳か、ポルトガル語でしか書かれていなかった。
式次第。
Sps20080626f

作家の紹介。
Sps20080626g

協賛者のリスト。
日本のそうそうたる大企業の名前、下部に並んでいる。
Sps20080626e

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「100年記念碑」が、人々に親しまれるのはよいのだが、
あっという間に、
こんな状態になってしまったことには、
ちょっと驚いた。

皇太子殿下は、
このカルモ公園のすぐ西側の「広島学校」を、ご視察になっていて、その道は閉鎖されていた。

まだ、皇太子殿下がご滞在中の時に、
日本国サンパウロ領事館の公用車プラド1台が、突然飛び出してきて、ブラジル警察の先導もなく暴走運転を繰り返して、市内中心部に向かっていった。
一般の車を、対向車線も使って、次々と蛇行運転で、追い抜いていった。
サイレンもないわけで、、非常に危険で、みんな急ブレーキをかけたり、抗議のクラクションを鳴らした。

何があったのか知らないが、呆れた。

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sexta-feira, 4 de julho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その11 「100年記念碑除幕式」1。

100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。

今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。

皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。

6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。

実は、この除幕式を見に行った。

除幕式は、13時30分に始まり、15時10分に終わる予定であった。

カルモ公園は、サンパウロ市の中心部から20数キロ離れており、平日では1時間以上かかるようなところにある。
と言っても、沿道の警備が厳しいということもなかった。
ただ、公園に入るときは、園内の駐車場は、一部閉鎖されており、別のところに行くように言われたのだが、結果的にはそこに止めたことが会場には近かった。

この公園の位置関係については、よく知っているので、中に入ることができれば、特に問題はない。

園内では、いつもは警備員程度しかいないのだが、そこは警備員もいつもより遙かに多く、警察もいた。

会場に向かう道である。
この非舗装の道を、皇太子殿下を乗せた車も往復している。
Sps20080620ce

会場に近づいてくると、人が集まっていた。
Sps20080620cf

皇太子殿下は、車を降りると、カーペットの上を、約100メートル歩くことになっていて、到着1時間も前なのだが、人がいっぱいだった。
Sps20080620cg

会場には、仮設のテントが4つ設置されていた。
一つは、ステージ。
2つは招待客用。
Sps20080620ca
※クリックすると拡大する。

そして、楽団用だ。
Sps20080620ch

会場は、やや高い丘の上にある。
Sps20080620ci

丘の上は、以前から、子供の遊び場があったところで、その脇に記念碑が設置される。
Sps20080620cj

楽団のテント。
クラシック中心で、
テノール歌手も登場していた。
ご到着前には、ブラジルのポピューラーも演奏していた。
Sps20080620ck

14時30分頃、
除幕式に参加する子供たちが入場してきた。
Sps20080620cl

そして、予定より遅れていたが
14時40分過ぎ、
皇太子殿下が到着された。
遠くでもすぐに、どなたが皇太子なのか、見分けがついた。
高齢の招待者も立ち上がって旗を振った。
Sps20080620cm

皇太子殿下の隣の、赤いネクタイをしたのがサンパウロ市長のカサビ。
この公園は市営だ。
そして、柿色の紙袋を持っているのは、西林サンパウロ総領事である。
どうも、各総領事はその紙袋を持って、皇太子殿下のすぐそばにいなくてはならなかったようだ。
何が入っているのか、とても気になった。
何かの「お印」なのだろうか。
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ひげの男性が、
「記念碑」制作したKota Kinutaniと言う人。
日芸の卒業である。
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まず、日本国歌の「君が代」の短い演奏の後、
ブラジル国歌の長い演奏があった。


サンパウロ市長カサビの挨拶。
皇太子殿下は、いつも挨拶をしている人の方を向いておられた。
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皇太子殿下はご挨拶をされることはなかったが、
何人かが挨拶をした後、
除幕となった。
Sps20080620cp

NHKが、参加者に取材していた。
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除幕の後、ステージを降りられて、
皇太子殿下は、記念碑をごらんになった。
記念碑はいくつかの碑からなっており、
それらを順に回られたのである。
作家が説明をしていた。
Sps20080620cs

参加者に、お手を振られる皇太子殿下。
作家も手を振っているが、これはちょっと勘違いだと思った。
こういうときに、手を振ってよいのは、皇太子殿下とサンパウロ市長だけだろう。
作家ではあるが、そこはわきまえてほしかった。
みんな皇太子殿下を見に来ているである。
Sps20080620ct

かなりゆっくりと回られた。
Sps20080620cu

皇太子殿下と市長の間にいるのは通訳。
西林総領事の持つ紙袋はどうしても目立つ。
人に預けるわけにはいかないものが入っているのは明らかだ。
このあと、木を植えられているが、そこは報道陣の場所の真ん前で、視界には入らなかった。
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ステージの上では、鋭い目をした連邦警察の警備陣。
Sps20080620cw

そして、除幕式が終わり、ステージを降り、次の予定のために車に向かわれる皇太子殿下。
あの手の振り方は、なんとも上品で、簡単そうで簡単ではないと思えた。
Sps20080620cx

周りを警備が取り巻くにしても、結構無防備な。
Sps20080620cy

「20080620f.MOV」をダウンロード

ほんの数メートル先を、通り過ぎられた。
Sps20080620cz

皇太子殿下がサンパウロで使用されたベンツ。
ブラジリア・ナンバーだった。
Sps20080620cza

すぐに車に乗り込まれることもなく、市長などに挨拶をされ、そしてまた手を振られた。
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この車は防弾車なのだが、
日本ではあるカーテンがなく、外から丸見えのままである。
これでは、移動中も気が休まらないことだったと思う。
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一行が会場を離れられた。
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つづく。

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quinta-feira, 26 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その9 「移民百周年記念式祭典」は終了したが。

6月18日(木)が、ブラジルに日本人移民が笠戸丸でサントス港に到着して100年にあたる日で、
6月21日(日)に、サンパウロ市のアニャンビーにあるサンボードモで、皇太子殿下のご臨席のもとで、「移民100周年記念式」が開催されたあと、24日(火)までは皇太子殿下の動静が伝えられるなどして、まだこの100周年関連の報道もあったが、それ以降はなくなった。

25日(水)に、皇太子殿下はブラジルを離れられたわけだが、それについてはテレビ・ニュースの映像がない。

前大統領のフェルナンド・エンリケのロッチ夫人が亡くなられたので、サンパウロのローカルニュースも、全国ニュースも、この件に多くの時間をとったこともあっただろう。

ただ、移民100周年の記念行事は、
ビッグなものはこの6月に集中していたといっても、
まだ2008年中は各地で行われる。

実際恐ろしい数のイベントが、この1年に行われるのである。
Sps20080626h

このブログでは、そういった行事については、ほとんど取り上げてきてはいないし、今後も力を入れて伝えることはないと思う。

とはいえ、まったく無視するわけでもない。

多少はとりあげていく。

皇太子殿下は、20日(金)には、サンパウロ市のリベルダーヂ地区にあるブラジル日本文化協会の建物にある「日本人移民史料館」を訪れられ、そのあとガルヴォン・ブエノ通りを車で通過されている。
そういうことで、ガルヴォン・ブエノ通りの一部の街路灯は、日本とブラジルの国旗に飾られていた。
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リベルダーヂ広場から、バロン・ジ・イグアッペ通りとの交差点あたりまでだった。
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日曜日にリベルダーヂ広場で開催される「東洋市」も、いつも以上に混んでいた。
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quarta-feira, 25 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その8 皇太子、ブラジルを出発。

今日6月25日(水)は、日本の皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhitoにとり、ブラジルBrasilでの最後の日であった。

皇太子は、今日10時16分にロス・アンジェルスLos Angeles (EUA)に向かって出発した。
明日、皇太子は日本Japãoに戻る。 東京Tóquio到着は、27日(金)18時30分である。

皇太子は、ブラジルに日本人移民が到着して100年の祝賀に参加するために、先週17日にブラジルBrasilに到着した。

厳しいスケージュールの中、皇太子はブラジリアBrasília、サンパウロSão Paulo、パラナParaná、ミナス・ジェライスMinas Gerais、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroを訪れた。
皇太子は、しきたり(儀礼)を破り、ルーラLula大統領と大統領夫人のマリーザ・レチッシアMarisa Letíciaと、プラナルト宮Palácio do Planaltoに到着してすぐに、手を握って挨拶をした。

皇太子は、サントスSantosで日系人にあいさつをして、パラナParanáでは集まった7万5千人の一部と握手をした。
ミナス・ジェライス州知事アエシオ・ネヴェスAécio Neves、サンパウロ州知事ジョゼ・セッハJosé Serra、リオ・デ・ジャネイロ州知事セルジオ・カブラルSérgio Cabralと会った。

皇太子は、サンパウロSão Paulo市のサン・フランシスコ広場Largo do São Franciscoのサンパウロ大学USP法学部Faculdade de Direitoの訪問では、約5分間、ポルトガル語portuguêsであいさつをして驚かせた。

ジョゼ・セッハJosé Serra知事による、バンデイランチ宮Palácio dos Bandeirantesでの夕食の後には、ヴィオラを演奏して、しきたりを破った。

「20080623JNsp-ImigracaoJapaonesa-Naruhito-Jantar-Viola.wmv」をダウンロード

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皇太子殿下は、今回の訪問で、
日系人だけではなく、
非日系ブラジル人にも、
素晴らしく好印象を残されたと思う。

今回の訪問は、
大成功だったのではないだろうか。

110年記念や120年記念が開催されるとしても、
また違ったものになるのは、当然だと思うが、
その際には、どなたが訪れられるのだろう。

かなり、先のことであるが、必ず110年目も120年目もやってくる。

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ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その7 皇太子、リオ・デ・ジャネイロでの日程。

日本Japãoの皇太子の徳仁Naruhitoは、6月24日(火)に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのポン・ヂ・アスカールPão de Açúcarを訪問した。
観光ポイントの頂上で、皇太子はカメラで市のイメージを記録した。

雨は降らなかったが、曇りの日で、雲と視界の悪さで、皇太子はポン・ヂ・アスカールPão de Açúcarから市の海岸の写真を撮ることができなかった。

観光ガイドに案内されて、皇太子と彼の一行はまたリオ・デ・ジャネイロの人気がある別の観光地の植物園Jardim Botânicoを訪れた。
そこで、皇太子は、そこの植物や生き物を観察することができた。

※原文にない敬称や敬語は極力その原文をそのままにしている。

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リオ・デ・ジャネイロの名所を訪問した日、日本の皇太子の徳仁Naruhitoは、火曜日の夜に、ブラジルの音楽、スポーツ、芸術、そしてビジネスの著名人に会った。

リオ・デ・ジャネイロにおいて「ブラジルにニッポン人移民がやってきて100年」を祝う最大の展示会が開催されているリオ・デ・ジャネイロの中心部のブラジル銀行文化センターCentro Cultural Banco do Brasilを訪問したときに、皇太子はジーコZico監督、日系3世で歌手のフェルナンダ・タカイFernanda Takkaiと会った。

ジーコZicoの手を握り、皇太子は日本語で、「あなたは日本のサッカーのレベルを上げるのにとても貢献した」"O senhor contribuiu muito para elevar o nível do futebol japonês"と言った。
ジーコZicoは、日本Japãoでプレイし、日本代表seleção japonesaの監督だった。

ブラジル銀行文化センターCCBBの訪問は、リオ・デ・ジャネイロにおける皇太子príncipe herdeiroの最後の公式日程であった。

皇太子は、16時20分に展示会に到着し、すぐに、4階で行われたセレモニーに人が来れなくするために建物のすべてのエレベーターが止まった。

訪問が終わって、展示会に来た人は写真を撮るためにとまった。
皇太子は訪問者たちに合図をして、賞賛された。

午後、皇太子は、リオ・デ・ジャネイロ州知事のセルジオ・カブラルSérgio Cabralの公邸のラランジェイラ宮Palácio Laranjeirasで、知事と昼食をともにした。

※原文にない敬称や敬語は極力その原文をそのままにしている。

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皇太子殿下は、植物園で、またもや植樹をされている。

※ニュース専門チャンネルでの夜のニュース映像。
「20080624encimadahora-ImigracaoJaponesa-Naruhito-Rio.wmv」をダウンロード

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terça-feira, 24 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その6 皇太子、リオ・デ・ジャネイロへ。

日本Japãoの皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhitoは、6月23日(月)の夕刻にリオ・デ・ジャネイロに到着し、夜すぐにリオ・デ・ジャネイロでの最初の公式プログラムを行った。

リオ・デ・ジャネイロ州知事セルジオ・カブラルSérgio Cabralと日本人社会の関係者を隣に、リオ・デ・ジャネイロの市立劇場Teatro Municipalでの、ブラジル・日本コンサートconcerto Brasil-Japãoに行った。

ペトロブラス交響楽団Orquestra Petrobras Sinfônicaとブラジル・レパートリーrepertório brasileiroが参加した、コンサートは、日本とブラジルの音楽を混ぜ合わせた。

指揮者ノブユキ・ナカノNobuaki Nakatoは、紹介の時に、指揮者カルロス・プラゼレスCarlos Prazeresと交代した。
ピアニストで作曲家のヴァグネル・チゾWagner Tisoと歌手のジョイスJoyceも参加した。

皇太子は、約2時間のコンサートをすべて出席した。
セルジオ・カブラルSérgio Cabral知事によると、オーケストラがこの夜の最後に「3月の水」 "Águas de Março"と「イパネマの娘」"Garota de Ipanema"を演奏したときに、感激していた。

「彼はコンサートは素晴らしかったといった。 ポルトガル語で言った。 皇太子はブラジルの文化を称賛した。 彼はすでにヴィラ・ロボスVilla-Lobosとトム・ジョビンTom Jobimを知っていた」と、イベントの後、知事は言った。

皇太子は何も話さなかった、しかし今一度「しきたり(儀礼)protocolo」を破り、コンサートから退出するときに、セルジオ・カブラルSérgio Cabral知事の手を強く握った。
日本の総領事館により企画されたこのイベントには、リオ・デ・ジャネイロのいろいろな国の領事やリオ・デ・ジャネイロにおける日本人社会の関係者も出席した。

皇太子は、24日(火)までリオ・デ・ジャネイロに滞在する。

※※原文にない敬称や敬語表現は、そのままにしている。
「20080623JG-ImigracaoJaponesa-Naruhito-RiodeJaneiro-Concerto.wmv」をダウンロード

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皇太子殿下が、ヴィラ・ロボスをご存じだったというのは、何も不思議なことでもないと思う。

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ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その5 皇太子、ベロ・オリゾンチへ。

日本Japãoの皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhitoは、6月23日(月)の昼前に、ミナス・ジェライス州の州都ベロ・オリゾンチBelo Horizonteのパンプーリャ空軍基地Base Aérea da Pampulhaに到着した。
空港から、皇太子はリベルダーヂ宮Palácio da Liberdade(知事官邸)に向かい、そこでアエシオ・ネーヴェスAécio Neves知事が出迎えた。

またもや、皇太子は「しきたり」を破り、手を強く握ってアエシオ・ネーヴェスとあいさつをした。
次いで、州知事、ベロ・オリゾンチBelo Horizonte市長のフェルナンド・ピメンテウFernando Pimentel、さらにブラジル人と日本人の企業家が、両国の経済と関係について挨拶をした。

集会の後、皇太子は官邸での知事による昼食会に出席した。
午後、皇太子は最近開園した日本庭園jardim japonêsがあるベロ・オリゾンチ動物園zoológico de Belo Horizonteを訪れる。
「20080623JH-ImigracaoJaponesa-Naruhito.wmv」をダウンロード

訪問の後、皇太子は、25日(水)まで滞在のリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroに向かう。

皇太子は、20時過ぎに、市立劇場Teatro Municipalでのコンサートで、リオ・デ・ジャネイロ州知事のセルジオ・カブラウSérgio Cabralと会う。

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ベロ・オリゾンチには、宿泊しない日程になっていた。

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segunda-feira, 23 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その4 皇太子、パラナへ。

皇太子殿下は、
6月21日(土)の夜に行われたサンパウロ州知事ジョセ・セッハの主催した夕食会にご出席されて、これをもってサンパウロ州での日程を終えられた。
6月22日(日)の朝、次の訪問先であるパラナ州に向かわれた。

日曜日には、ローカルニュースの時間はないので、皇太子殿下については、全国ニュースが取り上げただけである。

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パラナ州の警察の集計では、日曜日の午後、日本の皇太子herdeiro do trono japonês徳仁Naruhitoは、北パラナParanáのローランヂアRolândiaで7万5千人に迎えられた。

この町で、皇太子はユメ・テーマ・マークparque temático Yumêの礎石式lançamento da pedra fundamentalに参加されて、日本文化の象徴の木である桜cerejeiraを植えられた。

朝は、州都クリチーバCuritibaから381キロのロンドリーナLondrinaで、皇太子はニッポン人移民をたたえるトミ・ナカガワTomi Nakagawa広場の開所式に出席された。
※※「中川トミ」さんは、笠戸丸乗船者で最後まで生存されていたかたである。

約5千人が集まった式典で、皇太子徳仁はサンパウロSão Pauloでも行われたようにまたも「しきたり(儀礼)」を破られて、大衆と挨拶を交わされた。
※※「皇太子のしきたり」については、ご訪問の前に、西洋的な習慣とは異なることが、かなり詳しく報じされていた。 ブラジルでは普通のことを、「皇太子はされないし、また受け入れ側もしてはならない」と、いくつかの例をあげて、到着前に記事になっていた。
ところが、この「しきたり」を、皇太子が「破られて」おり、そのことについても、何度か報道があった。
別の機会に、これを取り上げてみたい。

移民者のハルオ・タケトミHaruo Toketomi89歳は、皇太子príncipeの手を握った一人である。
彼にとって、日本の将来の天皇imperadorとの挨拶は「予想もしなかったことで、感激」"uma coisa inesperada e emocionante"であった。

皇太子がパラナParanáを訪問したことの公式式典solenidade oficialが行われたローランヂアRolândiaでは、ロベルト・レキオンRoberto Requião知事と連邦副大統領のジョゼ・アレンカールJosé Alencarが最近の欧州連合União Européiaの反移民規則を批判するのに挨拶を使った。

ジョゼ・アレンカールは、ブラジルBrasilと日本Japãoの良好な関係は欧州のと「手本」"exemplo"となるに違いないと言った。

副大統領は、ローランヂアRolândiaでのあるへまの責任者であった。
ジョゼ・アレンカールJosé Alencarは、まだロンドリーナLondrinaにいるかのように、朝に開所した広場とこの町の開拓者である中川一家família Nakagawaの歴史についてのあいさつをした。

夜の初めに、皇太子はクリチーバCuritibaから420キロのマリンガMaringá市に行った。
そこで、1982年に最初にパラナParaná州を訪れた時に植えた桜の木を見た。

※22日(日)夜のニュース専門チャンネルの全国ニュース。
「20080622GN22-ImigracaoJaponesa-Parana.wmv」をダウンロード

皇太子の公式訪問の日程は、23日(月)も続き、ベロ・オリゾンチBelo Horizonteを訪問され、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで終了する。
皇太子は、水曜日に日本Japãoに向かって出発する。

※記事の中には、敬称や敬語表現はないので、極力その文章を生かして翻訳した。

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パラナ州の北部も、日系人が多いところである。
一日で、3か所を、陸路移動するというのも、きつい話である。

さらに、パラナ、ベロ・オリゾンチそして、リオ・デ・ジャネイロと、毎日空路での移動もある。

相当な使命感がなければ、これだけの日程はとてもやっていけいない。

日本に戻られてからは、
2週間程度は、ご静養をと思うのだが、もどられたらまた「公務」が待っているのだろう。

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domingo, 22 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その3 皇太子、稠密日程2。

サンパウロSão Paulo州知事の招待による夕食会で、日本の皇太子príncipe herdeiro徳仁NaruhitoはブラジルBrasilと日本Japãoの関係においてサンパウロ州の重要さを強調した。

サンパウロSão Paulo市南部のバンデイランチ宮Palácio dos Bandeirantesにおいて土曜日に行われたイベントは、ブラジルBrasilに日本移民が到着して100周年の祝賀のひとつである。

「サンパウロは称賛に値する。 サンパウロSão Paulo州はブラジルの日本の間にかけ橋として重要である」と、公式訪問で18日(水)からブラジルに滞在中の皇太子は言った。

皇太子は両国の関係がより拡大することを望むと付け加えた。
300人の招待者の中には、サンパウロSão Paulo市長のジルベルト・カサビGilberto Kassab (DEM)、元州知事のジェラルド・アルケミンGeraldo Alckmin、サンパウロ市議会議長presidente da Câmaraのアルリンド・シナグリアArlindo Chinaglia (PT-SP)などがいた。

サンパウロSão Paulo州知事のジョゼ・セッハJosé Serraは、日本人はブラジルの社会に計り知れないを作り出したと明言した。
「芸術的、科学的、経済的果てはスポーツの財産」とブラジルがオリンピックで柔道judôで優勝したことを引いて、明言した。
ジョゼ・セッハは両国の関係における経済の重要性を強調した。
挨拶の最後に、知事は皇太子の健康を祈った。

皇太子は、この21日(土)の午後は、ブラジルにおけるニッポン人移民100周年の公式セレモニーcerimôniaに参加した。
彼は、アニェンビーAnhembiのサンボードモSambódromoに温かく迎えられた。
警察によると、2万5千人の観客の拍手を受けた。

その前には、ニッポン人移民が最初に到着したサントスSantos市を訪れている。

皇太子は日本語であいさつし、移民100周年を祝うことができて「とても嬉しい」と言った。
そして、妻の皇太子妃princesa herdeiraの雅子Masakoについて、「雅子Masakoもまたブラジル政府から招待を受けてとても喜んでいる」と言った。

あいさつの最後に、皇太子はポルトガル語で、ほとんど訛りなく、「とてもありがとう」"muito obrigado"と言った。

それより前、皇太子príncipe herdeiroは、1908年6月18日に笠戸丸Kasato Maruに乗ってきたブラジルに最初のニッポン人移民が到着したサントスSantosにいて、同国人をたたえるモニュメントに花を捧げた。

※※夜の全国ニュースの映像の一部。
「20080621JN-ImigracaoJaponesa-Ceremonia2.wmv」をダウンロード

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雅子皇太子妃について、こういった機会にも、きちんと一言述べられていたとは、さすが。

次に、もし機会があれば、ぜひとも雅子妃にも、ブラジルをご訪問いただきたいものである。
その前に、お元気になられることが、何よりも大事なことだ。

州知事の夕食会の映像を見ていると、そこに高田賢三氏のお顔を見つけた。
ちょうど開催中のサンパンロ・ファッション・ウィークに招待されていることは知っていたが、こちらでも招待されていたとは。

サントスは、サンパウロ市から約80キロ離れている。
車で、通常1時間半ほどかかる。

午前中に向かわれ、
モニュメントの除幕式に参加され、
日系人のクラブで昼食を摂られ、
最初の船が着いた埠頭にも足を運ばれている。

そして、またサンパウロに戻られて、そのまま休息なしで、
「100周年式典」の会場のサンボードモに、
16時半ころに到着されて、18時40分ころまで滞在になっている。

そして、今度は夕食会である。

本当に、稠密なスケジュールである。

皇太子殿下は、22日(日)には、
次の訪問地であるパラナ州へ向かわれることになっている。

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sábado, 21 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その2 皇太子、稠密日程。

日本Japãoの皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhito殿下は、6月20日(金)に、サンパウロSão Paulo市東部のカルモ公園Parque do Carmoで、ブラジルBrasilに日本人が移民して100年をたたえるモニュメントの開幕をした。

強い日差しの下で、徳仁Naruhito殿下とサンパウロSão Paulo市長のジルベルト・カサビGilberto Kassab (DEM) は手袋をして、モニュメントのわきに木の苗を植えた。

何百人もの人たちが、セレモニーを祝った。

記念碑は、キヌタニ・コータKota Kinutaniによるもので、日本からの7つの岩と大理石の日本庭園となっている。
そして、日本のシンボルカーラーの赤い石がある。

岩の表面に、アーチストは日本文化とブラジルの文化の関係をイメージしたものを彫った。
富士山monte Fuji、キリスト像Cristo Redentor、桜cerejeira、ツカーノtucano。

公園にやってくる子供たちに、これらは小さな公園となる。
ある岩には、ベンチ、窓、階段がある。

続いて、皇太子は、"Viva Japão"プロジェクトを視察するために、州立広島市学校escola estadual Cidade Hiroshimaに行った。

このプロジェクトは、100周年を機会に、公共教育において、日本の文化を普及させるためのものである。

夕刻には、徳仁殿下は、宿泊しているホテルで、ブラジルにおける日系のコミュニティの代表者との会議に参加した。

朝は、皇太子はリベルダーヂLiberdadeにあるブラジル日本文化協会Bunkyo、そしてサン・フランシスコ広場Largo de São Franciscoのサンパウロ大学法学部Faculdade de Direito da USPに行った。
サンパウロ大学では、訛りのないポルトガル語であいさつさして、学生を驚かせた。

※夜の全国ニュースの映像。
「20080620JN-ImigracaoJaponesa-Naruhito.wmv」をダウンロード

6月22日(土)は、午前中はサントスSantos (SP)に行き、午後はサンパウロSão Paulo市北部のアニャンビーAnhembiでのサンボードモSambódromoでの「祭典」に出席する。
夜は、サンパウロ州知事のジョゼ・セッハJosé Serraの招待によるバンケッチに参加する。

※※記事の翻訳なので、文章からくみとれない敬称や敬語表現は極力使わないようにしていることに、ご理解願いたい。

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サンパウロのローカルニュースだけなのかもしれないが、
皇太子殿下の動静は、映像つきで、かなり細かく報じられている。

このスケジュールは、かなりキツイ。
いくら交通規制がひかれていて、一般の場合よりも短いとはいえ、移動時間だけでもばかにならない。

それに、なによりも「時差」が12時間もあるのである。

何びとにも代えられない「公務」である。
強い使命感をお持ちであることは間違いない。

リベルダーヂのブラジル日本文化協会は、3年前に当時の小泉首相が泣いたところである。
ここにある日本移民史料館をご訪問になり、金一封の寄付をされた。
※「金額は明らかにされていない」と、ニュースでは付け加えていた。
 皇族の寄付は日本でも、金額は明らかないならないのが普通である。

サンパウロ大学法学部は、歴史的中心部セントロにあり、リベルダーヂからもすぐである。
挨拶は、紙を読みながらで5分ほどで、出席した学生はかなり感激したようである。
ご出発前に、相当に努力されたのであろう。

カルモ公園は、中心部からは25キロほど離れている。
交通規制があるにしても、30-40分は必要なところである。

広島学校は、そのカルモ公園のすぐ脇にある。

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sexta-feira, 20 de junho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その1 皇太子、サンパウロ御到着。

ご存知の方も少なくないと思うのだが、
2008年は、
日本人が、ブラジルに、最初の集団移民をしてから、100周年にあたる。

6月18日に、そのニッポン人移民団が乗船していた笠戸丸が、サンパウロ州のサントスに到着した日が、ブラジルの「移民の日」となっている。

例年、この6月18日の中心とした週には、サンパウロ市東部のブラスにある「移民博物館」でイベントが行われている。

「日本移民100周年」のイベントは、2008年に入って、いろいろなものが次から次へと開催されている。
このブログでは、ほとんど取り上げていないのだが、いろいろなレベルのイベントが、サンパウロ市内でも常にいくつか開催されている。

中には、無理やり100周年にかこつけているようなものもあるようにも思えるが、主催者は真面目にやっておられるのであろうから、あげつらうようなことはしないようにしている。

この100周年のイベントは、この6月18日の週にもっとも重要なイベントが行われる。

6月13日から22日までは、サンパウロ市北部のアニャンビー展示場で、「日本文化週間」というものが開催されていて、いろいろな文化を紹介している。
ただし、100年の間にその文化はかなり変容している。
もちろん変容したのは、ブラジルだけではなくて、日本そのものの文化も100年の間に変容しているのであるから、どちらがどうと軽々に語ることはしない。
とにかく、100年前の日本がどうだったかを想像する機会にはなる。
いまでこそ、テレビやインターネットという伝達手段もあるし、さらに飛行機でわずか24時間で、それも距離を考えるとさしたる費用を要すことなく移動できるのだが、それはつい最近のことである。
戦前も情報量なんて微々たるものだったろうが、戦中は10年近く交流さえも途絶していたのである。
ブラジルの中で、独自に発達するものもあったことは間違いない。

そして、6月21日(土)には、そのアニャンビー展示場の隣の、「サンボードモ」(=サンパウロ市におけるカルナバルでの主会場)で「100周年記念式祭典」が執り行われる。

これにご出席されるのが、皇太子殿下である。

皇太子殿下は、6月17日(火)夜に、ブラジリアに到着されて、18日(水)はブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァにお会いになっている。

そして、19日(木)の午後、サンパウロ市に入られて、さっそくタイトなスケジュールをこなされている。

その模様が、19時ころからのローカルニュースで伝えられた。
「20080619JNsp-ImigracaoJaponesa-Narihito.wmv」をダウンロード

皇太子殿下を、ニュースではNaruhito(=徳仁)と呼んでる。
名前に当たるものは、徳仁なので、ほかに呼びようがないわけである。

ブラジリアからは、
ブラジル空軍機を使用されている。
ブラジル大統領専用機のはずである。

サンパウロ市のコンゴニアス空港には予定より30分遅れて到着されて、タラップの下ではサンパウロ市長のカサビが出迎えている。
皇太子のすぐそばには、西林サンパウロ総領事の姿が見える。

コンゴニアス空港からは、それほど遠くないのだが、そのままイビラプエラ公園に向かわれ、園内の移民慰霊碑をおとづれられている。
さらに、すぐその脇の日本館では、鯉に餌をおあたえになっている。

ホテルは、サンパウロ市中心部のパウリスタ大通りの一本南西側のサントス通りにあるメリア・モファヘジである。
このホテルは、20数年前に開業した時はシェラトンであったが、いつの間にかメリアになっていた。
大きなホテルではないが、良いホテルである。

20日(金)のご予定も、ニュースでは伝えられている。
日本では、安全面からして考えられないような報道である。

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それにしても思うのだが、
もう若いとも言えない皇太子にとっても、
この日程はきついだろうと思うのである。

地球の裏側なので、時差が12時間もある。
季節も逆である。

だが、
その役目を担う人は、ほかに誰もいないわけである。

「ご公務」だとは言え、到着早々からのスケジュールはハードすぎるのではないだろうか、同情してしまう。
それに、他の地域と異なり、気の休まらないことは、世界最大の日系社会があるということである。

ブラジルには9日間のご滞在である。

ブラジルでの報道ぶりについて、今後も紹介していきたい。

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なお、ブラジル最大のメディア・グループのGloboは、
このところ「日本移民100周年」に関する報道をニュースでも多く流しているが、
それがすべてのマスコミがそうかというとそうでもない。
一部のマスコミに限られているようだ。
好奇心が旺盛で、感度の高いブラジル人には、改めて日系人や日本文化を知る機会にはなっているだろうが、
多くのブラジル人にとっては、それほどの関心事ではないだろう。

報道されればされるほど、逆に日系人や日本文化が、まだブラジルの中で特異であることを露呈していることを証明しているような気もする。

何しろ、日本以外に世界各地から移民もやってきているのだが、日本人以外ではこういった大々的なイベントがないからである。

報道されるのは、日系人が、ブラジルにそれだけ貢献したからで、その存在が大きいからだというのは、手前味噌にすぎる気もする。

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quinta-feira, 15 de maio de 2008

ブラジルの奴隷制廃止から120年。

5月14日は、ブラジルの奴隷制廃止Abolição da escravaturaから120年目の記念日である。

奴隷制は、1888年に廃止された。
ブラジルは、キューバと並んで、世界でも最も遅く奴隷制を廃止した国である。
米国でのそれが1860年代のリンカーン大統領がきっかけでそして南北戦争を起こしたことは、日本では常識だろうが、ブラジルの奴隷制など知っている人はほとんどいないだろう。

ブラジルの奴隷制の廃止も、一日で成ったわけではない。
数十年にわたる論議と制度の変更の末に、最終的に廃止された。
もともと奴隷貿易をおこなっていた英国からの圧力もあった。

奴隷制の廃止が一つのきっかけで、ブラジルは独立以来の帝政がほどなく終わり、共和制になった。
それだけインパクトがあったことなのだ。

もっとも、奴隷制が廃止されたからといって、元奴隷の境遇が大きく改善されたわけではない。
120年たったいまでも、最底辺にいると言ってもよい。
その理由について語るのは、簡単なことではないので、、またの機会にしたい。

奴隷制の廃止は、日本人移民とも深い関係がある。
奴隷を失った農場主が、代わりの労働力を求めていたというのが、日本人移民の受け入れの理由だ。
その前に、欧州からの移民をすでに受け入れていたのだが、あまりの待遇の悪さに、イタリア政府などがブラジルへの移民を禁止したこともあって、あらたな移民を供給国として、日本を選んだのだ。

奴隷廃止から、わずか20年後のことであるから、
受け入れる農場主の側としては、
奴隷と同様の扱いという頭がまだまだあったはずだ。

ちょうど100年前の日本人の最初移民の人たちは、さぞかし大変だったことだろう。

ただちがうのは、
奴隷は無理やり連れてこられ、文化も言葉も失われたのであるが、移民の人たちにはやむを得ない事情があったとしてもそこには強制はなかったことだ。

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この奴隷制廃止から120年年目の5月14日(水)の夜、
それに関係する一つのイベントに行ってきた。

ブラジルの大歌手の一人ウィルソン・シモナウWilson Simonalの伝記的ドキュメンタリー映画の上映会に行った。
Sps20080514malb

1939年に生まれ、2000年に62歳で亡くなっている。
黒人であった。

1960年代から70年代にかけて、テレビ番組などを通じて、ロベルト・カルロス及び彼に関係の深いジョウヴェンン・グァルダを上回る人気を持っていた。
1970年には、ワールドカップのためにメキシコまで出かけて、ブラジルの第3回目の優勝に立ち会った。
Sps20080514mala

ところが、彼の持っている会社の経理事件に巻き込まれ、さらに当時の軍政の情報組織の情報提供者との疑惑が沸き起こり、テレビからは追放されてしまった。

その後、1994年には、テレビにも復帰したのだが、失意の期間に深酒で痛めた肝臓病のために、2000年に亡くなった。

その後、情報組織との関係などは、正式に否定されている。

この事件は、ブラジルのマスコミが、
なんの明らかな証拠もないのに、
一人の人間をパージした恥ずべきこととして、
記憶されている。

まず、Globo系の黒人のジャーナリストが、この上映会の趣旨などを話した。
Sps20080514malf

その後、白人の監督が出てきて、
撮影の苦労やこの映画を製作するに至る経緯をインタビューに答えるような形で話をした。

映画は、その彼の輝かしい活躍時代の貴重な映像そして関係者の証言映像そして事件に関係した人の証言などで構成されていて、1時間半の上映時間はとても短く思われた。

ブラジル映画に多いくどい演出もなかった。

そして、その映画がおわったあとに、スクリーンが上がり、
映画にも出演していたウィルソン・シモナウの二人の息子の
ウィルソン・シモニーニャWilson Simoninhaとマクス・ヂ・カストロMax de Castroのミニ・コンサートが始まった。

ブラジルには、純粋の黒人は多くない。
多いのは、混血化した人たちである。
ブラジル全体では、約半分が黒人と混血の人たちである。

でも、コンサートなどでは、そのジャンルにも場所にもよるが、白人系の観客が多いのが現実だ。

だが、
この映画の上映会には、
黒人もしくはかなり肌の色の濃い混血の人たちがとても多かった。
Sps20080514male

8割以上がそうだった。
それも、黒人の中でも、何かリーダー的な人が多かった。
Sps20080514malc

終了後、
出口の警備の人に聞いてみたら、
1000人弱の観客で、
東洋人は2人だけだったと言っていた。
自分だけかと思っていたのだが、もう一人いたわけだ。

このイベントを選び、
そして参加者の一人としてそこにいたことは、
自分にとって、
大きな誇りである。

ブラジルは、本当に良い国になってきている。

このイベントは無料だった。
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terça-feira, 4 de março de 2008

ブラジル・サンパウロの「南米危機」。

ほとんど日本では気にされていないだろうし、報道もされていないことのようだが、3月3日(月)のブラジルの全国ニュースのトップは、「南米危機」についてである。

「南米危機」とは、コロンビアとエクアドルとベネズエラの間に外交問題が発生したことである。

その発端については、歴史は続いているもので、いつからとははっきり言えないものだろうが、
一応今回の直接の原因は、
3月1日(土)に、
コロンビア軍が、コロンビアの反政府ゲリラ組織FARC(麻薬組織でもある)の掃討作戦を実施し、そのナンバー2などを殺害したことである。

問題は、その場所が、エクアドル領に1080メートルの地点であった。
明確なコロンビア軍による国境侵犯である。

コロンビア政府は、当初エクアドル政府も了解していたとか、追って行ったらついつい入ってしまったとかと発表した。

エクアドル政府は、
日曜日になって現場を検証し、全員寝こみを襲われた、大殺戮であると反論した。

なぜか、ここでベネズエラのチャベス大統領が、コロンビアから外交団を引き上げることと、コロンビア国境沿いにベネズエラ軍を展開することを発表した。
「わが国には絶対に侵犯をさせない」ということである。
コロンビアにも、駐ベネズエラ大使館の閉鎖を求めている。

コロンビアは、今度はベネズエラがFARCに資金援助をしていた証拠があるとか、エクアドルが領内を聖域として使わせていたとか、2日(日)に発表し始めた。

エクアドルが、コロンビアとの国交断絶と国境への軍の展開を発表したのは、3日(月)のことである。

このうちエクアドルとは国境を接していないが、ブラジルはコロンビアともベネズエラとも国境を接している。
ともに関係は悪くない。

とくに、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領は、チャベス大統領とは、中道左派として、親しい。

ブラジルのアモリン外務大臣は、3日(月)の夜に、「コロンビアが国境を侵犯したことは悪い。 謝るべきである」と言っていた。

コロンビアは、4日(火)になって、一応謝った。
エクアドルの大統領が、ベネズエラに行ってチャベスとあっているはずだが。

さて、今後はどうなるのか。

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この3国は、1820年代に独立した時は、同じ国であった。
いまでも、国旗にその名残がある。

隣国とはいうが、国境の多くは、山岳地帯かアマゾンのジャングルである。
それぞれの軍隊も、とても本格進攻できるようなレベルではない。

ともに、原油を産出しているので、お金は多少ありそうだが。
ベネズエラは、原油高でかなりお金はある。
いまやキューバのスポンサーとなっている。

コロンビアは、南米ではもっとも親米で、麻薬組織対策として、軍および情報組織の指導を受けている。

チャベスは、とても反米。
今回も、コロンビアを「帝国の犬」と呼んだ。

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こういうニュースを機会に、改めて南米の歴史や問題を改めて知ることができている。

ウォッチ中である。

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segunda-feira, 3 de março de 2008

ブラジルで史上第2位の銀行強盗発生 その28 その後、首謀者も逮捕。

連邦警察Polícia Federalは、2005年にフォルタレーザFortalezaのブラジル中央銀行Banco Centralから1億6千4百万レアルが盗まれた件に関係する3人をさらに逮捕した。

捜査されたのは、名義貸しつまりこの犯罪にかかわっていた36人のグループによって利用された人物と目されている。

彼らは、先週水曜日(2月27日)にブラジリアBrasíliaで逮捕された、しかし、この件では2次的な人間である。
犯罪グループのビジネスを管理したか、盗んだ金の出所を隠そうとして買った財産に彼らの名前を知ってか知らずか名前を貸した。

この事件にかかわったすべてのなかで、アントニオ・セルソ・ドス・サントスAntonio Celso dos Santos警部の指揮により連邦警察Polícia Federalは、直接に参加した26人を逮捕した。
4人が死んで、6人がまだ逃げている。

この件で最も重要な逮捕は、先週月曜日(2月25日)にブラジリアBrasíliaで、連邦警察によって犯罪の指揮者と指摘されているアレマンAlemãoとしていられていたアントニオ・ジュシヴァン・アルヴェス・ドス・サントスAntonio Jussivan Alves dos Santosを逮捕したことである。

犯罪組織の首都第1軍団PCC (Primeiro Comando da Capital)に関係しているアレマンはブラジル中央銀行Banco CentralのフォルタレーザFortaleza支店の警備をしていた人間を経由して秘密の情報に入手した。

アレマンAlemãoは、この犯罪のためのチームを作り、地下に80メートルのトンネルを4ヶ月間で掘るために40万レアル(=2400万円)を使った。
そして、警備システムのカメラに曝されることなく紙幣を手にした。

連邦警察の捜査によると、中央銀行の窃盗のあとに、アレマンAlemãoは首都第1軍団PCCに少なくとも1万レアル(=60万円)を送った。

この件に関する尋問で、係わった者はそれぞれ490万レアル(=約3億円)を手にした。
アレマンは例外で1千万レアル(=約6億円)までは手にしただろう。

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首謀者と目されていたアレマンまでも逮捕された。

ブラジルの警察も、意外と、しっかりしていると思う。

でも、盗んだお金はほとんど戻ってきていない。

農場や家や車などに姿を変えている部分も多い。
それに、犯罪にかかわった者が、被害者になった事件も起きたからだ。

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sábado, 23 de fevereiro de 2008

ブラジルの経済2008 その2 1999年以来の対米ドルレート。

ブラジル経済の好調は続いている。

ますます絶好調である。

国内経済がなによりも堅調である。
車も売れているし、建設ラッシュである。
ともに、実需が伴っている。

さて、2004年以来高騰を続けているブラジル通貨レアルの対米ドルレートが、とうとう1999年以来の水準に達した。
なにも対米ドルだけではなくで、対ユーロでも対日本円でも同様の傾向である。


1999年2月の対米ドル、対ユーロ、対日本円の為替レートを100として、その後の変動率を示すグラフである。
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※グラフは、すべてクリックすると拡大する。

1年前の対米ドル、対ユーロ、対日本円の為替レートを100として、その後の変動率を示すグラフである。
20080223ebrlusdeurjpy00010012245415

そして、1999年からの対米ドルレートの推移である。
20080223abrlusd10000012245121124545

1999年からの日本円の対レアルの推移である。
20080223bbrljpy10000012245121124545

1997年はタイに始まったアジア通貨危機のあった年である。
1998年の前半は、ロシアのルーブル危機があった。

そして、1998年の後半は、ブラジルのレアル危機でレアルは大幅に下落している。
まだ、そのレアル危機前の水準にはさすがに程遠い。

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2004年以来のレアルの上昇にもかかわらず、
国際収支は悪化するどころか、
よくなっている。

とうとう、ブラジルの歴史始まって以来のことだが、
ブラジルの外貨準備が、対外債務の金額を超えた。

もう、
借金国ではないと、中央銀行が宣言した。

20年前に、
国際銀行団とリスケジュールの会合を続けたり、モラトリアムを発表していたことが、嘘のようなことになっている。

その20年間に、日本経済はすっかり色あせてしまった。

すくなくとも、ここブラジルではその存在は小さくなった。

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為替のためと、インフレのために、
ブラジルはすっかり高物価国になってしまった。

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terça-feira, 5 de fevereiro de 2008

ブラジル・サンパウロのカルナヴァル2008 その21 今年も、あのキャンペーン。

1980年代中ごろ、ブラジルはAIDSの感染者数が、米国、フランスに次いで3位であった。
その後2位になったが、米国に追いつくことはなかった。

ブラジル政府は、
拡大を防ぐために、キャンペーンを続けていて、それはかなり効果を示している。
感染者が減っているということはないが、抑えられていることは間違いない。

なによりも、行動パターンが変わったことは間違いない。


カルナヴァルの時期になると、毎年、このキャンペーンが行われる。
今年も、保健大臣が、自らキャンペーンを説明している。
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カルナヴァルの会場で、
予防キットを配布するというのだ。
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シールもある。
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そして、テレビでキャンペーンCMも始まった。

若い二人が、カルナヴァルで、盛り上がってきた。
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女性が、「持ってる」と聞く。
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男性が、「忘れた。でも、大丈夫」と答える。
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女性が、「ダメ。 それならもうこれ以上○○しないで」ときつく言う。
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そこにちょうど楽団が現れて、1個くれた。
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そして、
「こんなことあると思っていない」と、別の女性からのメッセージ。
Spd20080131th

「AIDSのためにどんな態度をとらなくてはならないかな」
Spd20080131ti

Spd20080131tj
「20080129JN-CM-ContraAIDS.wmv」をダウンロード

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今や、この姿勢はブラジルの常識である。

いわゆる先進国の中で増加が著しい日本も、これくらいのキャンペーンをするべきではないのかな。

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segunda-feira, 4 de fevereiro de 2008

ブラジル・サンパウロのカルナヴァル2008 その19 Yuka-Shan。

ブラジルは、いまカルナヴァル(=カーニバル)の真っ最中である。

2月3日(日)と4日(月)は、リオ・デ・ジャネイロのデスフィーリが開催されている。

サンパウロのデスフィーリ(=パレード)は2月1日(金)と2日(土)に終わった。
14のエスコーラ・ヂ・サンバが競演した。
※※このテレビ中継は、すべて録画した。
   DVDでNTSC化が可能な状態になっている。

そのほかにも、サンパウロ市内ではいろいろな形でのカルナヴァルが行われているのだが、それについては別の機会に紹介する。

今年は、
ブラジルに日本移民が到着して100周年でそれを祝って、それをテーマにしたエスコーラ・ヂ・サンバが、リオ・デ・ジャネイロにもサンパウロにもあった。

サンパウロのそれは、ヴィラ・マリアというエスコーラ・ヂ・サンバである。
このヴィラ・マリアについても、別途紹介する。
思ったより、よかったというのが感想である。

このエスコーラ・ヂ・サンバの目玉の一つだったのが、Yuka-shanYuka-chan)であった。

2年前に、サルバドールのカルナヴァルの女王になっていたユカ・チャンが、サンパウロにも呼ばれていた。
Spd20080201cvmb_2

Spd20080201cvmc

最初は、十二単のようなものを着ていた。
「20080201Carnaval-SP-VilaMaria-Yukachan.wmv」をダウンロード

だが、途中で脱いで、踊りまくっていた。
「20080201Carnaval-SP-VilaMaria-Yukachan2.wmv」をダウンロード
Spd20080201cvmr

Spd20080201cvmw

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ブラジル人にとっては、
地球の裏側の日本で、
サンバをやっている人がいて、
わざわざやってくることが不思議なようだ。

肉体的にも、ビジュアル的にも、
サンバには向いていないのに。

ことしも、
日本からやってきたような人が、
何人かニュースや番組に登場していた。
どちらかというと、色もの扱いであるようだが。

欧州からやってくるような人がいるのかいないのか、テレビには出てこない。

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quinta-feira, 31 de janeiro de 2008

ブラジル・サンパウロのカルナヴァル2008 その18 3年目のさらに刺激的なCM。

2008年のカルナヴァルに、もう突入している人は突入しているようだ。

毎年言っていることだが、
サンパウロ市にいて、普通に暮らしていると、カルナヴァルというものをそれほど感じない。

拙宅の場合は、割とカルナヴァルのパレードが行われるサンボードォモに近いことで、その会場設営準備が行われているのを見たり、すでにかなりのアレゴリア(=山車)が集まっているのも見たりしているので、カルナヴァルだなと感じている。

それに、いくつかのエスコーラ・ヂ・サンバの関係者も知っていて、お誘いを受けることもあって、やっている人はやっていることは知っている。

ヴィラ・マリアからは、そのアレゴリアの上の目立つところに登らないかとも言われていたが、これは”タダ”ではない。
普通に参加するだけでも、それなりに費用はかかるのだが、
アレゴリアの上で、目立つのは、大変な費用を必要とするので、これは辞退させてもらった。
一番きついわけではないが、それにここは、練習がきついのである。
拙宅からちょっと遠いほうだし、本部のある場所がなかなかのところなので、できれば近づきたくないところだ。
ネネ・マリウヂと並んで、割とオープンなエスコーラである。

練習が、別の意味できついのは、あのガヴィオンエス・ダ・フィエウだ。
下手すると、撃ち合いが始まるので、時期と時間を考えて、あの本部に行かないと、危ない。
毎回、事件が起こる殺伐とした雰囲気を持っている。
何しろコリンチャンス命の人ばかりで、試合の結果がそのまま、エスコーラの空気に反映する。
ガヴィオンエス・ダ・フィエウとベルヂ・イ・ブランコは、拙宅からは車で10分もかからない。

モシダーヂ・アレグレやインペリオ・ダ・カーザ・ヴェルヂも、練習にまじめに参加しないといけない。
このあたりは、本気で優勝を狙えるところなので、
それだけに真剣なのだ。

そんなこんな、いろいろなことがあるのだが、
今年は、カルナヴァルについては、このブログでは控えめにしておくことにしている。

カルナヴァルのエスコーラ・ダ・サンバのデスフィーリ(=パレード)の中継も、
サンパウロもリオ・デ・ジャネイロも、
ブラジル最大のメディア・グループの中核のGlobo局が、例年のように独占中継する。

そのこともあって、
Globo局のニュースでも、
このところカルナヴァル関係のニュースがとってつけたように多い。
盛り上げたいのが見え見えで、辟易とする部分もある。

そのGlobo局が、
例年の如くとても刺激的なCMを流し始めた。

この女性は、2006年2007年そして2008年と、3年連続の登場。
愛くるしい表情と見事なボディは変わらない。
維持するのも大変なはずだ。

このCMのメイキングを、2週間ほど前にみたが、
3日間かかって撮影していた。

カルナヴァルでなければ、
ブラジルの放送コードでは
ちょっと見られないCMである。
「20080130Carnaval-GloboBeleza.wmv」をダウンロード

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sexta-feira, 18 de janeiro de 2008

ブラジルで逮捕された日系人3人殺しの犯人についての、ブラジルでの報じられ方。

日本Japãoの焼津Yaizu市で、恋人とその子供2人を殺したことで告発されているエヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスEdilson Donizeti Neves45歳は、に偽名を使うことによってサンパウロSão Paulo州内陸部で1年以上インターポールInterpol (polícia internacional)から隠れることが出来た。

エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは、サンパウロ市から260キロ離れたサルタイアSarutaiá市で今週逮捕された。

犯罪は2006年末に起き、その残酷さでショックを与えた。

日本の警察によると、金銭問題に苦しんで、ブラジル人のエヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは恋人の家に行った。
彼女は日系ブラジル人のソニア・アパレシーダ・フェヘイラ・サンパイオ・ミサキSônia Aparecida Ferreira Sampaio Misaki41歳で、窒息死された。

続いて、エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは彼女の10歳の子供を同様にして殺した。
そのあとで、エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは自分のアパートに戻り、ソニア・アパレシーダ・フェヘイラ・サンパイオ・ミサキの上の息子15歳にであった。
エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスはまた窒息死させた。

エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは、犯罪を計画していたとして訴えられている。
その前に、彼はブラジルBrasilへ帰る航空券を買っていた。

警察が犠牲者の死体を見つけたときにはは犯人はすでに見下手いた。

犯人を追って、日本の警察はインターポールInterpolに助けを求め、そのあとブラジルの警察にこの件が報告された。

逃亡するために、犯人は名前をフラウミールFlaumirと変えて、サルタイアSarutaiá市の小農場に住んで、畜産業で働き始めた。

エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスが生まれて、日本人のたまり場のバストスBastos市の警察は彼の隠れ家について通報を受けた後で、拘置することが出来た。
エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは家で逮捕された。
犯人はブラジルBrasilで殺人で裁かれる。
日本Japãoとの間に引き渡しの取り決めがないからである。

エヂルソン・ドニゼッチ・ネヴェスは、その後別れた最初の妻と、1991年に日本に移っていた。

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事実関係だけの、淡々とした内容である。
これは、サンパウロ市で発行されているDiario de Sao Paulo紙の記事である。

前にも、ブラジル人が日本で起こした事件でブラジルで裁かれたことが報じられたことを取りあげたが、こういうブラジル人が他国で起こした犯罪が報じられること自体が、異例だと思う。

ブラジルでも、3人という数字は決して小さくはない。
それに、計画的犯罪で、犠牲者に子供も入っているというのは、ほとんどのブラジル人がひどいと思うはずである。

だが、サンパウロ市では、昨日北部のバールにいた客が襲われて、7人が死んだ事件が起きた。
犯罪組織の何らかの抗争によるものと思われる。

その前には、同じ銃によると思われる殺人事件が白昼起きた。
殺されたのは、休暇中であった警察の幹部である。

ブラジルの中で、いくらでも殺人が起きている中で、
逮捕されたことが報じられたことだけでも、
評価すべきことではないかと思うのである。

裁判の結果が報じられるかどうか分からない。
大体1人殺すと、最大26年の刑である。
3人であれば、おそらくその3倍である。
だが実際に刑務所で過ごす期間は、はるかに短いのも事実である。

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バストス市は、日系人が多い小さな市である。

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terça-feira, 1 de janeiro de 2008

ブラジル・サンパウロから2008年の新年のメッセージ。

ブラジル・サンパウロも、日本から11時間遅れて、2008年も迎えました。

日頃このブログを訪問していただいている方に、
そして何かの偶然でたどり着いた方に、
新年を迎えられましたことに、謹んでお喜びを申し上げます。

このブログは、
2004年6月に始まりました。
最初は、「渋谷からブラジル・サンパウロへ、そして世界」というブログ名でしたが、
程なく現在のブログ名に変わりました。

使っているSao_Pauloという名前も何も考えたものではありません。
他に思いつかなかったので、そのままになってしまいました。
今更変えるわけにも行かなくなってしまいました。
じつは、ここので生活では当然Sao_Pauloなどと呼ばれているわけでもなく、
他の呼称があります。

このブログでは、
ブラジルそれもサンパウロ中心という極めて狭い、そして日本からははるかに遠い地域での出来事を主として取りあげています。
サンパウロで起きていることにしても、そのほんの一部しか取りあげていないわけで、とてもその他の地域のことまでには手が回るはずもありません。
それに、ブラジル最大のサンパウロ市で起きていることを取りあげていけば、そこにブラジル人が見えてくると思います。
サッカーのことは当初は出来るだけ取りあげないようにしようと思ったのですが、サッカーはやはりブラジル人にとってかなり重要な話題であることに気付いたことと、サッカーを取り巻く世界で起きていることはそのほかの世界でも起きているようなので、理解し易く、登場人物も魅力的で、後追い記事も多いことことから、取りあげるようにしました。
パカエンブー競技場のすぐ側に住んでいることも、大きな要素です。

サッカーの記事は、翻訳だけなので、ほとんど時間がかかりません。
だから1日数本など、大した手間ではなく、その割にアクセス数が多いので有り難いことです。
サッカーの記事でアクセスしていただいた方が、そのほかの記事にもアクセスしていただけることを願っております。

手間がかかるのは、
実際に取材をした上での記事です。
多くの連載ものがそれに当てはまります。

2007年の「公園シリーズ」は、個人的には大変有意義でした。
サンパウロ市のかなりの辺境にまで行き、そこで暮らす人たちと接し、生活をかいま見ることが出来たからです。
まだ進行中の「グラフィッチ(壁絵)シリーズ」も、そうです。
グラフィッチ(壁絵)が多い地区は、どうしてもやや雰囲気の悪いところで、そこにお住まい人たちとの交流無しには、撮影はできません。
その辺についても、随分と話が出来るようになりました。

2008年の新企画テーマも、思索中です。
たとえば、「地下鉄駅全駅踏破」はすぐ終わりそうで没にしました、
「鉄道駅全駅踏破」はあまりに危険そうなので、そのうちにしようと思っています。
アイデアがあればお寄せください。

音楽ものは、少し強化したいと思っています。
ただ、日本で巷間にのぼる一般のブラジル音楽とは異なったものになると思います。

経済ものは増やしたいのですが、サッカーにかまけて、全く手が着いていないのが残念です。

このブログでは、
起きていること、そして起きたことを、出来るだけ正確にそして詳しく取りあげたいと思っています。
とりとめもない一行記事のような取りあげ方はしないつもりです。
実際に現場に行って、写真を撮ることで、より雰囲気を掴んでいただければと思っています。
出来るだけ、日本では報道されないようなことを取りあげたいと思っています。

記事では、私見を押しつけるようなことはしません。
読者が文章と写真から、ブラジルとは何かを感じ取ってもらえればそれで良いと思っています。
もちろん、記事と写真の選択の段階で、一定の方向になっていることは否めません。

ある日突然の終わりが来る日までは、当分続けていくつもりです。

今年もまた、一層のご指導道鞭撻をいただけますようお願いいたします。

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terça-feira, 18 de dezembro de 2007

ブラジルで裁判を受け有罪になった日系人の、ブラジルでの報じられ方。

ミナス・ジェライスMinas Gerais州の裁判所は、12月17日(月)に、2005年11月に日本Japãoの浜松Hamamatsuのレストランのオーナーに対して行われた強盗殺人で訴えられたブラジル人に34年の禁固と有罪にした。

告訴によると、2005年11月22日未明の2時過ぎに、被告はレストランのオーナーを襲い、プラスチックの紐で後ろ手に腕を縛り、絞殺した。.
被告は、約41,200円(=741レアル)を盗んだとして訴えられた。

逃げる前に、被告はガスの栓を開き、火事を起こそうとして新聞の山に火を付けた。
しかし、すぐに火が消えたので、そうはならなかった。

「刑事訴訟法88条:ブラジルのテリトリーの外で行われた犯罪の裁判は被告人が最後に住んだ州の州都で行わなければならない」にしたがい、裁判はベロ・オリゾンチBelo Horizonte,で行われた。

裁判によると、被告人はブラジルBrasilに到着して、ミナス・ジェライス州のリオ・カスカRio Cascaに母親と住んでいた。
そこで、日本の警察Polícia Federal Japonesaと、ミナスジェライス州公共省Ministério Público de Minas Geraisと警察の共同作戦で逮捕された。
被告人は、今年の2月17日に予備収監された。

被告人は犯罪の当事者であることを否定した。
したし、その犯罪秘にレストランにいたことは確認した。
彼はレストランにいた、お金を支払った、家に戻った、しかしそこを最後にでた人間ではないと明言していた。

彼は、また日本に10年間住んでいて、お金に困ったことはないと明言した。
被告によると、その間、失業したのは僅か2ヵ月だけだった。

日本での証人は、警察の調書を確認している。

一審の決定について、被告側の弁護士は控訴することが出来る。

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これは、
サンパウロ市で発行されている一流紙のFolha de S.Pauloのウェブ記事である。

この記事より大きな扱いを、ミナス・ジェライス州の新聞がしているとは思えない。

日系人が多いサンパウロの新聞で、これだけの記事である。
被告人の名前すら出てこない。

これだけの記事ではあるが、「事件の規模」にしては、大きいとも言える。
※※亡くなられた方を貶めるつもりは全くない。
   
ブラジルで、事件が起きた報道があっても、裁判の報道ははるかに少ない。
新聞でもテレビでも、スペースには限りがあるからだ。
裁判が報道される時は、あまりに衝撃が多かった事件だけだ。
被告もしくは被害者に富裕層が絡んでいる場合とか、
多人数が死んだ事件とか、
犯罪金額が多い時とかである。

事件の風化は、とても早い。

この裁判が、日本とブラジルとの間での代理処罰であるという記述はない。

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おそらく、
サンパウロで発行されている日本語による新聞では、
はるかに大きい扱いになるだろう。

ただ、それを読むことが出来る日本語能力がある人が、極めて限られている。
2世でも能力的に読める人は、僅かである。

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他の裁判の判決などをきいていると、
ブラジルの刑は、犯した罪の数だけ年数が増える。

だいたい1人殺して、26-29年くらいで、
2人だとその2倍、3人だとその3倍。

さらに、強盗罪、共謀罪などが加わって、更に年数が増える。
100年以上というのもある。

しかし、現実に30年禁固というのはない。

もっともっと早く出て来るのが、普通。
週末だけ、家に戻るというものある。
昼は外で働いて、夜は刑務所というのもある。

脱走も多い。

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domingo, 2 de dezembro de 2007

サッカー・ブラジル選手権2007 その145 コリンチャンス降格。

サッカー・ブラジル選手権2007の最終節の第38節が、
12月2日(日)16時から、全10試合が行われた。
(グレミオの先発)
Spd20071202b

(コリンチャンスの先発)
Spd20071202c

コリンチャンスは、グレミオと、1対1で引き分け。
Spd20071202a

「20071202TrocadePasses-BA38-Gremio-Corinthians.wmv」をダウンロード

ゴイアスは、インテルナシオナウに逆転勝ちした。

この結果、コリンチャンスは17位となり、降格が決定した。

降格が決定した。

18時18分のことであった。

コリンチャンスが降格となった。

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quarta-feira, 28 de novembro de 2007

ブラジルの経済2007 その6 ブラジル通貨レアルの高騰一服。

2004年半ばを底に、高騰を続けていたブラジル通貨レアルがこの1ヵ月やや弱含みになっている。
1ヵ月前からの変動率の推移のグラフである。
Spm20071127brlusdeurjpy000000122454
※グラフはすべて、クリックすると拡大する。

日本円の価値が対ドルで上昇していることもあり、中値では1レアルが60円を割った。
2007年で、60円を割ったのは2度目になる。
Spm20071127brljpy000000122454068245

サンパウロ株式市場の指標も下がっている。

これは、ブラジル経済がどうこうと言うよりも、
米国の経済の先行きへの不安が原因と考えた方が良さそうだ。

ブラジルの高金利と好調な株式市場に投資していた外国勢(多くは米国勢)が、
その資金を引き揚げざるを得なくなったことにより、
株式市場の指標の低下と、
レアルを売ってドルを買う動きを起こして、
レアルの価値を下げているのである。

100%そうだと言うだけの、完全なデータ分析をしたわけではないが、ブラジルの国内の経済の好調さには、今のところ不安材料はない。

12月からは、クリスマスそして2008年2月のカルナバルむけて休暇期間となるために、市場の動きはおそらく緩慢となるはずである。
2月からの動きを注視すべきである。
季節調整をした上での2月以降の消費および雇用動向指数が堅調ならば、ブラジル国内経済は引き続き手堅く成長しているとみることができるだろう。

そもそも為替というものは、一月程度の動きでみるものではない。
思惑と投機で、動きやすい。

もう少し長いスパンで見るべきである。

この1年でのブラジル通貨レアルの変動率のグラフである。
Spm20071127brlusdeurjpy0000001224_2

さらに、2004年からのブラジル通貨レアルの対米ドル、対ユーロそして対日本円の変動率をみると、どの通貨に対しても強くなっていることが分かる。
この延長上に、推移曲線を引くと恐ろしいことになる。
この期間に、ブラジルは未だ高金利とはいえ、金利を下げ続けてきている。
Spm20071127brlusdeurjpy000000122453

もっと長い期間で為替を見てみる。
1984年からの日本円の対米ドル変動と、対ユーロおよび対レアルについてはそれぞれの通貨が出来た時からの変動のグラフである。
1985年から1年で、日本円は対米ドル通貨で急上昇した。
1米ドル=250円台が一年間で150円台になった。
1987年までに、さらに120円台にまでなった。

実は、このグラフを見ても何も分からない。
日本円が、対米ドルで強くなったことと、近年はかなり狭い範囲で変動していることが分かるだけである。
Spm20071127jpyusdeurbrl100100122445

通貨だけを見て、経済を語ることは、あまり意味がない。
実際の生活に当てはめるならば、購買力平価でみたほうがよい。
よく知られているビッグマック・インデックスも、すごくわかりやすい指標である。

ブラジルは、ビッグマックがとても高い。
つまり購買力平価は低いことになる。

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sexta-feira, 19 de outubro de 2007

ブラジルの「リオ・デ・ジャネイロの本物の銃撃戦映像」。

ブラジルは、治安が悪いと言うけれども、
所かまわず悪いわけでもない。

といって、安全なところはない。

サンパウロも、治安が悪いということになっていて、
それはかなり事実である。

治安が悪いからといって、家に籠もっているわけにもいかない。

防弾車やガードマンを連れて回る人は、ごくわずかである。

普通の人は、普通にしているだけである。
ずっと住んでいると、自然に、なにか危険な予感を察知できるようになるようだ。
それも、限界がある。

危ない時間に、危ないところへ、できるだけ行かないようにするしかない。
それに、危ないことをしないことである。

大体の事件は、周縁部の低所得者層が住んでいるところで起きているのだから、
近づかないことである。

サンパウロでは、そういった対処方法があるがまだ何とがあると思うのだが、
リオ・デ・ジャネイロでは、地形的にもそして歴史的にも、
富裕層が住んでいるところ、危険なところが隣接している。
そこが問題だ。

その、リオ・デ・ジャネイロの周縁部はもっと危険だ。

10月17日(水)に、
リオ・デ・ジャネイロの警察が、
リオ・デ・ジャネイロの西部のファヴェーラ・コレイアにある麻薬組織の倉庫を狙って、約800人で制圧にかかった。
当然、麻薬組織も対抗するわけで、銃撃戦になった。

麻薬組織は、未成年者2人を含む12人が逮捕され、そして8人が死んだ。

警察も、1人が殉職した。
さらに、4歳の子供が銃撃戦の真っ只中で死んだ。

そのニュース映像を見ていて、
リオ・デ・ジャネイロは大変なところだと思った。

弾丸が飛び交い、死体が転がっているすぐその横を住民が逃げ惑う。
逃げまくる住民の家族や親戚や友人にも、麻薬組織員はいるのである。

ヘリコプターから狙われた二人は逃げまくるけど、
結局どちらも最後には死んでしまった。

まるで、映画みたいだけど、これは現実のことである。
「20071017JG-Rio-FavelaCoreia.wmv」をダウンロード

それでも、人間は死ぬまで生きていかなくてはならないのだから大変だ。

18日(木)には、葬式ばかりである。
逃げまくった人も、そして麻薬組織員も、生き残ったものは、参列する。
みんな住民だからだ。

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quarta-feira, 17 de outubro de 2007

ブラジル・サンパウロF1 その2 ルイス・ハミルトンとフィリッピ・マッサが、ブラジル代表戦に招待されている。

マクラーレンMclarenのルイス・ハミルトンLewis HamiltonとフェラーリFerrari,のフィリッピ・マッサFelipe Massaが、ブラジルサッカー協会CBFによって、2010年のワールドカップCopa do Mundoの南米予選として、10月17日(水)にマラカナMaracanã競技場でおこなわれるブラジルBrasil代表対エクアドルEquador代表戦に試合の観戦に招待されている。
2人はまだ観戦を確認していない。
行くとすれば、ブラジルサッカー協会の個室である。

フィリッピ・マッサとルイス・ハミルトンは、10月21日(日)にサンパウロSão Paulo市のインテルラゴスInterlagos・レース場で行われるF1の最終戦で戦う。

ルイス・ハミルトンは、タイトル争いではリーダーになっている。
フィリッピ・マッサは、この戦いには入っていない。

2人は、木曜日には何も活動しない。
それで、ルイス・ハミルトンとフィリッピ・マッサはマラカナMaracanã競技場に行くことは出来る。
しかし、サンパウロSão Pauloで他の約束があるので試合に行くのは難しいとおもうと、フィリッピ・マッサは明言した。

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ルイス・ハミルトンは、
10月17日(水)に、サンパウロに到着した。

F1の時は、毎日スポンサー関係のイベントがある。
何億円も出していただいているスポンサー様のイベントには、
絶対に出なければならないので、
サッカーの試合など見に行けないだろう。

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terça-feira, 16 de outubro de 2007

ブラジル・サンパウロのF1-2007 その1 中島一貴が走った。

F1のブラジルGPが、いよいよ今週末に開催される。

サンパウロのインテルラゴス・レース場で行われるので、
サンパウロではスポーツニュース以外にも一般のニュースでも、
準備の様子が連日報道されてきた。

もちろん中継は、何でも良いものはすべて中継する”独占”のGlobo局である。

サンパウロのインテルラゴスには、
各チームの荷物が到着し、
やっと荷を解きはじめたところである。

そんな中、
リオ・デ・ジャネイロで、
中島一貴が、
10月14日(日)に、走った映像がある。
Spd20071015a

「20071015GloboEsporte-F1-KazukiNakajima.wmv」をダウンロード

このようなイベントは、
昨年は、サンパウロで、
早朝に行われた。
でも、一般には告知されなかったので、
全く観客は集まっていなかった。

リオ・デ・ジャネイロから
サンパウロに、F1開催が移って、
もう20年以上になる。
リオ・デ・ジャネイロの人の慰めになっただろうか。

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中島一貴の父親と言えば、
中島悟氏である。

その中島悟氏の「中島悟事務所」が、
渋谷にあった。
それも、渋谷の拙宅のすぐ近くにあった。

一階が和菓子屋になっているビルの上階にあった。

実際にその付近で、中島悟氏を見たことはなかった。

そのすぐ近くに、駐車場を借りていて、
事務所の車が止まっていた。

いまでも、あの渋谷でもとても地味なところにあるのだろうか。

今度、渋谷に戻った時に確かめてみよう。
年に1-2回は、渋谷に戻っているのだから。

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segunda-feira, 15 de outubro de 2007

ブラジルの「シンクロナイズド・スイミング」

10月12日(金)から14日(日)まで、
リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの
マリア・レンキ・アクア・コンプレックスParque Aquático Maria Lenkで、
シンクロナイズド・スイミングnado sincronizadoの国際大会が開催された。
「20071011sporTVnews-NadoSincronizado.wmv」をダウンロード

ブラジルBrasil, ロシアRússia, 米国Estados Unidos, メキシコMéxico, 日本Japão, スペインEspanha, イタリアItáliaそしてエジプトEgitoの8ヵ国が参加して行れた。

ブラジルは、
7月に開催された
パン・リオでは3位だった。

この大会でも、
同じ振り付けで参加した。

優勝は、ロシア。
スペインが、いい演技を見せて2位。
日本は4位。
ブラジルは6位。
「20071014sporTVnews-NadoSincronizado.wmv」をダウンロード

「20071015GloboEsporte-NadoSincronizado.wmv」をダウンロード

エジプトが参加していた。
エジプトと言えば、政教分離しているとはいえ、
れっきとしたイスラム国である。
コーランによって、人前で肌をあらわにしてはいけないはずの
アラブ人女性の水着姿には、変に興奮した。

イスラム原理主義者が見たら、卒倒ものだろう。
世界各地からの移民で成り立ったブラジルにも、
もちろんアラブからの移民も、そしてイスラム教徒もいるのだが、
原理主義者はいないのだろうか。

海岸にいるブラジル水着の女性を見たら、
原理主義者もあまりのことに、気持ちが萎えてしまうのかな。
もっとも、ブラジルではお尻は良くても、トップレスは禁止であるが。

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コーランにある幾つかのタブーが、
いつも非イスラム教徒にはきちんと理解されないようだ。

実際に、中東に行ってみれば、
それらの戒律が、決して現実的な生活からかけ離れてはいなかったことが分かるはずである。

厳しい気候の中では、
厳しい規律を守っていないと生きていけないのである。

女性のベールや男性の長袖は、
太陽光線や砂嵐からの肌の保護である。
湿気が少ないので、汗がすぐ乾くので、
長袖でもべたべたしないのである。

禁酒は、
水の少ないところで、
飲み過ぎて脱水症状を起こさないためである。

多妻は、
肉体的に、精神的に、そして経済的にも余裕があると、
聖職者によって認められたものだけが出来ることで、
そういう人はほとんどいない。
イスラム勃興期には、あの地域では争いが多く、
未亡人が多かった。
多妻制度は、その未亡人の救済という観点を持っていたのである。

豚や「鱗がない魚」を食することの禁止は、
いうまでもなく衛生的な観点からである。

コーランに書いて、神の言葉にしているのだが、
それは、当時のあの地方で生きてきくためには、
必要だったことだと理解している。

イスラム教の地域が広まっていく中で、
アラブではない地域もあり、
この戒めにはマッチしない気候風土のところもあるが、
発祥の地のことを考えると、非常に合理的だとおもう。

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イスラム教そして、キリスト教の元になっている
ユダヤ教にすでに、
豚と「鱗がない魚」は食べないという戒律がある。

当時の中東では、常識だったのかもしれない。

このタブーのない現在のキリスト教は、
ローマの
ペドロの時代に変容したのだろうか。

-----------------------------
もちろん、ブラジルには食に関するタブーはない。

犬、馬、カエル、蛇などを、好んで食べる人は多くはないだろうが。

だが、パカエンブー競技場正面のシャルレス・ミラー広場のフェイラ(=青空市)の
魚屋さんは、時々「かえる」を扱っている。
誰が買うのだろうか。

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シンクロナイズド・スイミングから、全然違う話になってしまった。

(シンクロナイズド・スイミングの最終日は、全ての演技を録画した。)

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sábado, 15 de setembro de 2007

ブラジルの「弾丸列車」。

「弾丸列車」といえば、
弾丸のように速い列車と言うのが、世界的に一般的な意味である。

もちろん、
ブラジルでも、普通に弾丸列車といえば、
高速鉄道のことを意味していて、
欧州や日本で時速200キロ以上で運行されている列車のことを指している。

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、
9月10日に、港湾からの新しい鉄道が開通した。
Spd20070912l

港湾大臣や都市大臣が、
その開通を祝って、午前中に列車に乗った。
Spd20070912i
Spd20070912j

マスコミも同乗した。

港湾地区を出発し、
列車はそれほどスピードもなく、市街地を進んでいった。

ジャカレジーニョというリオ・デ・ジャネイロの北部にある、
それほど新しくもないファヴェーラを通過したときに、
この列車に向けて、
何発も銃弾が発射された。
Spd20070912f
Spd20070912g

列車内は大混乱になった。
Spd20070912h

この銃撃で、
けが人は出なかったようだ。
「20070910JG-TremBala.wmv」をダウンロード


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この日の午後、
ジャカレジーニョに、
警察が入り、
少なくとも1人を射殺したそうだ。
この列車への銃撃事件と関係があるものなのかどうかは分からない。
Spd20070912k

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ブラジルの弾丸列車は、
本当に「弾丸列車」であったという報道である。

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ジャカレジーニョは、
ロマリオの出身地として、
知る人ぞ知る地区である。

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quinta-feira, 23 de agosto de 2007

ブラジル・サンパウロの「100万ヒット」。

2007年8月23日12時43分に、このブログ「ブラジル・サンパウロから世界へ、そして渋谷」が、ブログを初めて間もなく設置したカウンター上で、「10000000」の数字を示した。
Spm20070823b

3年と2ヵ月余で、100万を超えた。

これは、何よりも自分の継続的な努力の累積の賜物である事は言うまでもない。
記事数は、とうに5000を超えている。

記事数が5000を超えている事、そして何よりも写真が多い事もあってか、、
検索サイトからのヒットも多く、
これらの力もあって、100万ヒットに到達したともいえる。
最近は、日本のみならず、ブラジルの検索サイトからのヒットも増加しつつある。

前に書いた事があったが、
初期の頃に「非常に不愉快な場違いなコメント」があり、
当初に考えていた方針を完全に放棄する事となった。
無念であった。

また、コメントやアクセス傾向から、
期待に添えるような内容の記事を充実させるように、多少は配慮している。

しかし、
何よりもブラジル・サンパウロで起きている事が、
世界のどんな都市でも、国でも起きている事であることで、
決して特殊なことではないことと、
ブラジルやサンパウロについて、日本でわずかに報じられている事が、
全て事実ではない事を知ってもらいたくて、このブログを続けている。

ブラジル・サンパウロに限らず、世界中どこででも、
そこに人間がいる限り、何か起きている。
それを、その人固有のものとしてとらえず、
国や人種というフィルターを通してみてしまいがちである。
もしくは、予断や偏見で解釈をしてしまいがちである。
情報が少ない国については、どうしてもそうなってしまう。

その情報でさえ、往々にして米国や欧州経由であり、
そこですでに加工されてしまっている事を忘れてしまう。

このインターネットの時代においては、
こういったブログを通じて、
そういったフィルターを少し外す事が可能になる。

もちろん、書き手のフィルターは、表現媒体として、これは致し方ない。
その書き手のフィルターを通した記事の解釈を少しでも自由にしてもらうために、
画像や映像があると思っている。

このブログの内容については、
違った方向へ持っていこうといつも思案している。
ただ、なかなか具体化することができていない。

別のサイトで具体化していく事も必要かとも思っている。
そういうときは、静かに始めていくはずである。

100万ヒットに何よりも貢献してくれたのは、
継続して検索サイトからのアクセスが多い
「サブリナ・サトウ」であり、「カカ」である。
1日あたり最大のヒット数を記録したときに、
貢献してくれたのは「ダニエラ・シカレリ」だった。
こういう方々に会う事があれば、お礼を言いたいと思っている。

100万ヒットは、一つの道標と理解している。
次の道標は、まだ何にするか決めていない。

毎日のようにアクセスしていただける方にも、
偶然に辿り着いた方にも、
その1ヒット1ヒットに感謝している。


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sexta-feira, 17 de agosto de 2007

ブラジルの経済2007 その3 株と通貨の同時下落。

先週から始まった米国発の世界的な市場不安。

ブラジルもその影響を受けて、株安と通貨下落が続いている。

世界中から資金が米国に向かって動いている事が問題であって、ブラジルのファンダメンタルに何か問題があるわけではないので、短期的なものであれば、また回復すると思う。
今のブラジルは、貿易についても好調であるし、外貨準備もブラジル史上では最大規模になっているのが、その理由だ。
広範な資源価格の下落の連鎖でも起きない限りは、ブラジル経済は今のところ大きく揺るがないであろう。


通貨変動についての、事実だけを伝えておく。

この1ヵ月の米ドル、欧州ユーロ、そして日本円の、ブラジル通貨レアルに対する変動率をグラフにしてみた。
この1ヵ月についてみると、レアルは徐々に下落していた事が分かる。
Spm20070815a
※全てのグラフは、クリックすると拡大する。

しかし、特に今週に入っての急激な下落は目を引く。

日本円とレアルの交換レートのこの3年間の変動をグラフでみると、まだ十分にレアル高である。
Spm20070815b

2007年1月の水準に戻ったというところである。
Spm20070815c

2007年1月からのレアルの対米ドル交換レートの変動グラフである。
1月の水準に戻りつつあるというところである。
Spm20070815d

この1ヵ月の米ドルの対レアル、対ユーロ、対日本円そして資源国通貨代表としての対豪州ドルの変動率である。
レアルと豪州ドルが急激に下がっているが、ユーロもまた下落している。
Spm20070815e

レアル、米ドル、ユーロそして豪州ドルのこの1ヵ月の対日本円の変動率である。
全ての通貨に対して上昇している。
Spm20070815f

2007年1月からの幾つかのアジア通貨に対する円の変動率である。
日本円は、ここにあげた全ての通貨に対して、この1月のレートに戻している事が分かる。
Spm20070815g

通貨レートだけが、全てを示すわけではない。
短期的な動きで一喜一憂すべきではない。

しかし、豪州ドル建てで輸入取引がある企業は、ここで一気に決済しておきたいだろう。

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segunda-feira, 13 de agosto de 2007

ブラジル・サンパウロの「乳児死亡率が激減」

ブラジル・サンパウロの乳児死亡率が激減している。

1995年から2006年までの変化をみてもそれは明らかだ。
Spd20070810a

元もと、ブラジルは、その経済レベルの割には異常なほど乳児死亡率が高い国であった。

貧富の差が激しいことや、国土が広く医療サービスが均等に行き渡らないことなど、乳児死亡率の改善に向けての前提となる条件も、簡単にはいかないことが多い。

しかし、この10年ほどでここまで改善できた理由については、次のように解説された。
Spd20070810b

基本的な衛生環境の改善。
妊産婦へのアシスタントの向上。
ワクチン接種。

劣悪な環境に住み、栄養状態が悪く、医療サービスを受けられなかった、もしくはそういった知識に欠けていた貧民層への行政サービスがよくなったことが大きな要因である。

また、以前は「貧乏人の子沢山」を地でいったのだが、
徐々にそれは変わりつつある。
貧民層でも、子供の数は減りつつあり、それだけにそれぞれの子供の生育環境、栄養状態もよくなっている。

社会自体が変化していることも大きい。

しかし、サンパウロ州でもっとも乳児死亡率高いのは、
海岸沿いの地域である。

低地なので高温多湿であり、
貧民窟は低湿地に広がっている。

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ブラジルでは、
以前は、スーパーの棚に、粉乳の占める割合が多かった。

乳児用の調製粉乳だけではなく、全脂粉乳や脱脂粉乳がずらりと山積みになっていた。

しかし、今はそれほどでもない。

よく言われるのが、粉ミルクを溶かす水そのものが汚染されていることが、乳児死亡率を高める原因の一つであるということである。

当たり前のことだが、乳児にとって一番の栄養源は母乳なのである。

どうも、以前のブラジルでは、富裕層も貧民層も、そこを調粉メーカーの戦略に乗せられたせいか、母乳よりも調製粉乳のほうがよいくらいに理解していたきらいがあった。
歴史的には、富裕層は、子育てには乳母を使ったくらいだから、元もと自分の母乳を与えるなどいうことに、あまり関心が高くなかったのかもしれない。

WHOと、調製粉乳メーカー(世界で圧倒的なのはネスレ)の戦いは、1960年以降にはじまり、いまは世界中のほとんどの国で販売されている乳児用の調製粉乳には、かならず「母乳が一番であることと、医師の指示を受けて与えるということ」が、缶の上部にその国の言葉ではっきりと記載されている。

日本は、この表示を記載していない例外的な国である。
元もと、民度が高く、調製粉乳のほうが母乳よりよいなどという理解がなかったからだとか、メーカーが詐欺的にあくどいことをしなかったからいうのだが、無いものはない。
この表示をしなくてよいことは、厚生労働省も認めていることである。

ブラジルでは、1980年代から、母乳推進運動が、中核的な病院から始まっている。
この運動はとても力強く、拡大した。
世界的にみても、きわめて先進的なものになった。
政府もこれを後押しした。
日本の政府とは立場が随分とちがうものだ。

いまでは、
母乳を与えるのが、当然になっている。
母乳を与えようというキャンペーン活動は今も続けられている。

8月7日にも、パウリスタ大通りでこういったキャンペーンが行われている。
Spd20070807tc

Spd20070807tb

Spd20070807ta

ブラジルの社会が、この20年間で大きく変わった事の一つが、調製粉乳の使用の大幅な減少ではないかと思っている。

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ブラジルでは、調整粉乳のメーカーとしては、ネスレしかなかった。

米国系のワイス、ミード・ジョンソン、ドイツ系のミウパなど、
世界で高いシェアを持っている調粉メーカーのものは、何故か無かった。

もちろん、日本の4社(明治、雪印、森永、和光堂)もなかった。

これは、乳製品の販売については、ブラジル農業省の許可を得なくてはならないのだが、その取得の条件が非常に厳しいということがある。
それと、ネスレのブランド力が圧倒的に確立されていて、新規参入が難しかったこと。
そして、普及のための病院でのプロモーションが、近年の母乳推進派によって認められなかったことも、新規メーカーにとっては普及の手段を断たれたことになった。

乳児用調製粉乳の販売については、WHOのコードがある。
メーカーによる母親への直接的な接触などはもってのほかである。

日本では、その辺もやや曖昧である。
もっとも、日本の母親は、メーカーの接触などあってもなくても、それ以前に知識を持っているはずである。

この種の製品のブランド選択の動機は、だいたい次の通り。

出産した病院の推薦するブランド。
自分の母親の推薦もしくは自分が使ったブランド。

最近は、育児雑誌の記事もやや影響があるようだが、
微妙にメーカーの色が付いていることもある。
テレビ番組など同じで、タイアップの可能性がある。

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quinta-feira, 19 de julho de 2007

サッカー・ブラジル選手権2007 その25 黙祷。

ブラジルサッカー協会CBF会長のリカルド・テイシャイラRicardo Teixeiraは、ブラジル選手権Campeonato BrasileiroのセリエA、セリエB,セリエCの試合のうち、今週水曜日、木曜日、金曜日に行われる試合において、7月17日(火)にサンパウロSão Paulo市のコンゴニアス空港で起きた多くの人が亡くなった航空機事故の惨劇に対して、1分間の黙祷をすることを決定した。

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ブラジル連邦政府は、この事故に対して、
7月18日(水)から3日間の喪に服すことを発表している。

掲揚されている国旗などが、いずれも半旗になった。

サッカーの試合でも、選手が喪章を付けた。

リオ・デ・ジャネイロで行われているPan Rioでの、
各競技においても同様なことが行われた。

表彰式で継承される国旗も、半旗になっていた。
「20070718sporTVnews-Luto.wmv」をダウンロード

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quarta-feira, 18 de julho de 2007

ブラジル・サンパウロのコンゴニアス空港で航空機事故発生 3 乗客名簿の発表。

7月17日(火)18時45分頃に、サンパウロSão PauloのコンゴニアスCongonhas空港で発生したタム航空の3054便の爆発炎上事故

7月18日(水)3時頃に放送された事故についてまとめたニュース報道である。
ほとんど実況報道が続いている中で、
やっとまとめたものが出てきた。
「20070718encimadahora-TAM-Congonias.wmv」をダウンロード

タムTAM航空は、18日(水)未明に、事故機に乗り合わせていた176人の乗員・乗客のうちの 11人の名前のリストを発表した。


11人のリストは次の通り:

Akio Iwasaki

Andrea Rota Sieczkowski

Andrei François Mello

Carlos Gilberto Zanotto

Cassio Vieira Servulo da Cunha

Clove Mendonça Junior

Fabiola Ko Freitag - タム航空の社員funcionária da TAM

Marcel Cassal Vicentim - タム航空の社員funcionário da TAM

Michelle Silveira Unterberger - タム航空の社員funcionário da TAM

Ricardo Kiey Santos - タム航空の社員funcionário da TAM

Vinicius Costa Coelho - タム航空の社員funcionário da TAM

乗員乗客以外に、
この事故は、地上にいた人をまた巻き込んだ。

18日(水)未明までに、約40人が発見された。
名前はまだ確認されていない。
消防署員Corpo de Bombeirosが、犠牲者を捜索している。

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タム航空は、
乗員橋脚の名簿は、一般に公表する前に、
家族への連絡をすることを優先すると発表している。

このため、
乗員・乗客の名簿が完全に発表されるのは、まだあとになりそうだ。

18日(水)1時43分現在、
まだ完全には鎮火されていない。

航空機が衝突した建物自体が、崩壊の可能性がある。

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1時43分。
ニュース専門局で、名簿を読み上げ始めた。
全てのリストのようだ。

Adelaide Moura

Alanis Andrade

Alejandro Camozzi

Alexandre Goes

Ana Carolina Cunha

Anderson Cassel

Andre Dona

Andrea Seiczkowski

Angela Haensel

Antonio Carlos Araujo de Souza

Arnaldo Batista Ramos

Arthur Queiroz

Atilio Sassa Bilibio

Bruna de Villi Chaccur

Bruno Ferraz

Bruno Nascimento

Caio Felipe Cunha

Carla Fioratti

Carlos Alberto Andriotti

Carlos Rockemback

Carmen Luisa Victoria Fonseca

Catilene Oliveira

Christine Souza

Ciro Numada

Claudemir Arriero

Decio Tevola

Demetrio Travessa

Denilson Lopes Costa

Deolinda Magaly Victor Fonseca

Douglas Teixeira

Edmundo Smith

Eduardo Mancia

Elcita Ramos

Elenilze Ferraz

Eliane Dornelles

Elida Dembinski

Emerson Freitag

Enrico Shiohara

Esio Freitas

Fabiana Amaral

Fabiane Ruzante

Fabiano Rosito Matos

Fabio Balsells

Fabio Marques

Fabio Velloza

Fatima Santiago

Felipe Fratezi

Fernando Antonio Laro Oliveira

Fernando Marques

Fernando Pessoa

Gabriel Correia Pedrosa

Gilmar Tenorio Rocha

Gottfried Tagloehner

Guilherme Moraes

Guilherme Pereira

Gustavo Martins

Heloiza Helena Lopes

Heurico Tomita

Ines Maria Kleinowski

Ivalino Bonato

Ivanaldo Cunha

Jamille Leao

Janus Silva

Jaqueline Dias

Joao Brito

Joao Caltabiano

Joao Valmir

Jose A Flores Amaral

José Lima Luz

José Pinto

Julia Camargo

Julia Elizabete Gomes

Julio Cesar Redecker

Katia Escobar

Katiane Lima

Jose Carlos Pierucetti

Larissa Ferraz

Leila Maria Oliveira dos Santos

Levi Leão

Lina Barbosa Cassol

Lisiane Schubert

Lucas Palomino Mattedi

Luciana Siqueira Lana Angelis

Luis Schneider

Luiz Baruffaldi

Luiz Luz

Marcelo Marthe

Marcelo Palmieri

Marcelo Pedreira

Marcelo Stelzer

Marcio Alexandre de Moraes

Marco Antonio da Silva

Maria Elizabete Caballero

Maria Isabel Gomes

Mariana Pereira

Mariana Sell

Mario Gomes

Marli Pedro Santos

Marta Almeida

Melissa Andrade

Mery Vieira

Mirtes Suda

Nadia Moyses

Nadja Soczeck

Nelly Priebe

Paulo Cassiano Feliza Oliveira

Paulo Pavi

Paulo Rogerio Amoretty Souza

Paulo Silveira

Pedro Abreu

Pedro Augusto Caltabiano

Jose Carlos de Oliveira

Priscila Bertoldi Silva

Raquel Warmiling

Rebeca Haddad

Remy Moller

Renan Klug Ribeiro

Renato Ribeiro

Renato Soares

Richard Salles Canfield

Roberto Gavioli

Rodrigo Benachio

Rodrigo Prado

Rodrigo Souza Moreale

Rogerio Laurentis

Rogerio Sato

Rosangela Maria de Avil Severo

Rospierre Vilhena

Sandro Schubert

Sergio Freitas

Silvan Stumpf

Silvania Regina de Avila Alves

Silvano Almeida

Silvia Grunewald

Sonia Machado

Soraya Charara

Sueli Fleck

Suely Fonseca

Thais Scott

Valdemarina Souza

Valdir Cordeiro de Moraes

Vanda Ueda

Vilma Klug

Vitacir Paludo

Zenilda Santos

Caio Augusto Bueno Dal Prata

Rafaela Bueno Dal Prata

Ricardo Almeida

Marcio Andrade

Cassio Vieira Servulo da Cunha

Akio Iwasaki

Andrei Melo

Clove Mendonça Junior

Janus Silva

Roberto Wilson Weiss Junior

Simone Wetrupp

Nelson Wiebbelling

Rubem Wiethaeuper

Paula Masseran de Arruda Xavier

Luiz Zacchini

Carlos Zanotto

サイトによると、以上である。

この事故によって、命を奪われた方のご冥福をお祈りいたします。

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terça-feira, 17 de julho de 2007

ブラジル・サンパウロのコンゴニアス空港で航空機事故発生 2。

7月17日(火)18時45分頃に、サンパウロ市のコンゴニアス空港で発生したタム航空TAMの事故。

事故発生から4時間が過ぎても、
また航空機および航空機が突っ込んだタム・エクスプレス・ビルの消火は、
まだ完了していない。

タムTAM JJ3054便は、エアバス320型機で、170人の乗客が乗っていた。
このほかに、6人の乗務員がいた。

ブラジル航空史上では、2006年9月に起きたGOL1907便の空中衝突事故で154人の犠牲者が出たのが最大の事故だった。


23時43分現在、タム航空からは、乗客名簿が発表されていないようだ。

犠牲者は、これらの事故機に乗っていた人たちだけではない。

タム・エクスプレス・ビルで働いていた人や、通行人なども、いるはずである。

現在、タム・エクスプレス・ビルでの犠牲者が、運び出され始めているところである。

航空機からはまだ全く搬出されていないと言う。

テレビは、事故発生の第1報から、特別報道態勢になっている。
随分と、時刻が変更になっているし、臨時ニュースとしても入る。

ただ、映像的には、夜間のために、燃えている映像しかない。
夜が明けると、惨劇の様子があからさまになるはずである。

サンパウロ市は、7月15日(日)午後から雨が降り始めていた。
16日(月)は終日雨。
朝は強い雨が降った。
17日(火)も、雨。
13時頃から15時頃は、一時止んだ。
その後、小雨が降り続いている。
事故当時も、空港付近も小雨だったはずである。

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domingo, 15 de julho de 2007

ブラジルの潜水艦。

ブラジルは、1964年から1984年まで軍政がしかれていた。
当時の他の多くの南米の国と同様である。
冷戦下で、裏庭たる南米に第二のキューバを生まないようにという
米国の強い操作があったことは、今ではほぼ常識である。

キューバになりそうな国は、
チリやグレナダのように、
呆気なく政府を転覆させるか侵攻された。

今は、
南米には続々と中道左派政権が登場しているが、
もう冷戦下のようなことはあり得ない。

そういった謀略のことはさておき、
ブラジルのサンパウロにいる限りあまり軍隊の存在は目立たない。

軍人の姿を見ることもほとんどない。

一応、市内に基地はある。

ブラジルの軍事費などは、
日本とは比較にならないし、
実際のところ、総兵員数も多くはない。

考えてみると、
近隣の国とは何も戦争に発展するような紛争や懸案も抱えていない。
侵攻してきそうな、危うい国もない。

テレビでも、
軍隊の華々しい姿を映し出すような番組はない。

もう、軍政がしかれていたことなど全く感じさせない。
もっとも軍政期であっても、
そこいら中に軍隊が展開しているといった極端な露出はなかったようだ。

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先日、
Globo局のニュースでブラジルの潜水艦が紹介された。

潜水艦は、海軍にとっては最大の機密兵器の一つである。
隠密行動を旨とする潜水艦には、極秘事項が多い。

その潜水艦の内部にカメラが入っていた。
「20070706JG-MardoBrasil-Submarine.wmv」をダウンロード

素人には何も分からないが、
見る人が見るとどの程度のものか分かるだろう。
多分たいしたことがないのだろうが。

潜水艦が、
ブラジルで建造されたのかどうかも知らない。
何隻持っているのかも知らない。

このニュースでは、原子力潜水艦の開発にまで言及されていて、
サンパウロ州の内陸部にある研究施設での開発状況までも、
映し出されていた。

Globo局が、ニュースにしても軍を取りあげることは滅多にない。
Bandeirante局は、時々取りあげている。

このニュースは、シリーズもので、
ブラジルの海洋について取りあげたうちの一つであった。

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domingo, 27 de maio de 2007

ブラジル・サンパウロは、リオ・デ・ジャネイロよりまし。

ブラジル・サンパウロにいるので、
サンパウロの空気には慣れている。

市内の道路も地名も、主要なところはだいたい知っている。

危険なところも、それほどでもないところも、
危険な時間もそうでもない時間も、
だいたい想像が付く。

肌で感じることが出来る。

でも、他の都市になると全く別である。

サンパウロ州の他の都市は、だいたい中小都市なので、何とか運転することは出来る。
それに、それらの都市にそれほど危険な地区はないと思う。

この3年間はないが、
以前は、他州の大都市へも車でたまにでかけていた。

サンタ・カタリーナ州のフロリアノポリスまで行ったこともある。
リオ・デ・ジャネイロにもよく行っていて、
市内を、海岸を車で走り回っていた。

久しくリオ・デ・ジャネイロには行っていないので、
行きたいとは思っている。

だけど、ニュースを見て、いつも躊躇してしまう。
まるで市街戦のようなのだ。
「20070523JG-Rio-Confronto.wmv」をダウンロード

リオ・デ・ジャネイロは、
歴史的にも、地形的も、ファヴェーラ(=貧民窟)が、
市内中心部にあり、且つリゾート地や高級住宅街にも隣接している。

数あるファヴェーラの一つであるアレマンは、国際空港から市内へはいる高速道路沿いにある。
このアレマンで、このところさながら市街戦のようなことが起きている。
アレマンをコントロールする麻薬組織と警察の特殊部隊が撃ち合いを続けている。
戦場は、ファヴェーラそのもの住宅密集地である。

人々は行くところがないので、
そこで生活をしている。

警察にも、年初からでは犠牲者がもう何十人もでているが、
市民にも流れ弾などによる死傷者が連日でている。

こういったところを、走り抜ける自信がない。

サンパウロも危険なところはあるが、こういったところはない。

リオ・デ・ジャネイロは、
サンパウロよりもはるかに圧倒的に風光明媚なところである。
海と山、そして緑ととても美しい都市である。

でも、サンパウロがまだましと思えてしまう。

もちろん、映像はもっとも危機が高まっているところを流しているのであって、
いつも市街戦が行われているわけでもない。

しかし、いつ起きるかわからないのである。
地元の人は知ることが出来ても、よそ者にはそれは分からない。

こういった映像が撮影されているところから、
そう遠くないコパカバーナやイパネマのような海岸では、いつものように、人々が浜辺を埋めているのも事実である。

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quarta-feira, 16 de maio de 2007

ブラジルの経済2007 その1 ブラジル通貨レアルの高騰。

ブラジルの経済について、真面目に報道し、分析をしてもいいのだが、
それだけの人が関心を持っているかと考えると、
気持ちが萎えていた。
でも、たまには。

5月15日(火)の夜のニュースのトップになったブラジル通貨のレアル高騰の話題である。

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5月15日(火)、ブラジル通貨レアルの対米ドルレートが、過去6年間での最高値になり、1レアル2ドルを割った。

昨日5月14日(月)までの、過去6年の対米ドルレートの推移グラフである。
2003年からは傾向としてほぼレアルが上昇していることを示している。
(クリックすると拡大する。)
Spd20070515a

昨日5月14日(月)までの、過去6年の対ユーロレートの推移グラフである。
この一年半ほど、まるでユーロリンクかと思えるほど、
対ユーロでは安定している。
Spd20070515b

昨日5月14日(月)までの、過去6年の対日本円レートの推移グラフである。
2004年半ばからは、レアルの価値が上昇している。
Spd20070515c

この1年の対日本円レートを、日本人にとってわかりやすくなるようにグラフ化した。
2006年の5月には、48円くらいだったのが、日本円の価値下落もあり、
どんどんとレアルが上昇していることを示している。
とうとう60円を超えた。
Spd20070515d

これは、中値なので、円を売ってレアルを買うとすると、66円くらいは覚悟しなくてはならない。

米ドル建てレアル払いで給与を貰っている駐在員などは、給与改定をしていただかないと、給与が目減りする一方のはずである。
まあ、ブラジルでの中流の上以上の給与は貰っているはずだし、
税金も、家賃も、学費も、医療費も、それに日本への休暇時の航空運賃も、
いまは会社負担という人が多いので、
生活が苦しいなどという人はいないだろう。

お金に関する限りは、大名旅行をする人をのぞけば、
余裕はいっぱいあるはずだ。

まさか、円建ての人はいないはずだろう。

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ともかくもレアル高で、
ブラジルの物価は、米ドル換算や日本円換算ではとても高い物になってきた。

22年前の日本円が急上昇してきた時の日本とおきていることは同じである。
ブラジルの中流層は、
輸入品の下落で物価の上昇が抑えられていることを喜んでいる。

富裕層では、
輸入車の販売が激増しているし、
海外旅行が好調である。

20年前と同じである。

もっとも、貧困層には全く関係がない。
基礎食品の価格の安定だけが唯一の救いである。

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quinta-feira, 1 de fevereiro de 2007

ブラジル・サンパウロの「ドナー・カード」

先日、拙宅から近い病院に行った。

病院のカウンターの上に何かカード状の印刷物があった。

「活字フェチ」なので、それがなんなのか何も考えずとりあえず持って帰った。

よく見てみると「ドナー・カード」だった。
その病院が発行しているものである。
Spd20070130a

裏面にはいろいろと書いてある。
「もし自分が脳死状態になった場合には、生きているうちに、移植を必要としている人の命を救うために自分の器官や組織を与えることを約束することを確認します」などということが書いてあるようだ。

そして自分の名前、連絡先の名前、電話番号、血液型も書き込むようになっている。
Spd20070130b

面白い物を持ってきてしまったようだ。

ブラジルは、移植は盛んである。
サンパウロ州だけでも年間100件どころではない。
いちいち、何例目の脳死移植などと騒ぎ立てることはない。
それでも、臓器が足りないと時々ニュースで言っている。

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sexta-feira, 26 de janeiro de 2007

ブラジルの「アントニオ・カルロス・トム・ジョビン生誕80年」

1月25日(木)は、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンが生まれてちょうど80年の日であった。

各時間のニュースでは、そのことを伝えている。
過去の映像が流れている。
孫やひ孫の映像もでてくる。

先週のエリス・レジーナElis Reginaに続いて、今週はアントニオ・カルロス・トム・ジョビンの映像のアーカイブを集めた番組を放送していた。
(映像録画済み)

その中には、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンとシコ・ブアルキとカエターノ・ヴェローゾが、顔を揃えたものもあった。
20年前のものであった。

フランク・シナトラと「イパネマの娘」を歌っているものものあった。
フランク・シナトラは英語で、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンはポルトガル語で歌っていた。
2人で一緒に歌うところは、英語であった。

この日曜日(1月28日)の夜にも、また別の番組が放送されるようだ。

ボサノバは、ブラジルではわずか数年で消えてしまったけれど、アントニオ・カルロス・トム・ジョビンはいつまでも生き続けているようである。

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sábado, 7 de outubro de 2006

ブラジルでの航空機事故 その3 追悼。

9月29日(金)に発生した、ブラジルのマットグロッソ州での航空機同士の接触による墜落事故。

連日、ニュースでは詳しく報道がなされている。

米国人パイロットが操縦していたレガシー機が、飛行計画にある高度を守らなかったことが、接触の原因のようだ。
だが、他にも謎はある。

この米国人の操縦士と副操縦士は、ブラジル国内から出られない状態である。

米国サイドでの報道で、ブラジルの航空管制に問題があったのではないかというのがあるようで、これには当局が激しく反発している。

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事故発生から7日目の
10月5日(木)17時に、ブラジル各地の空港で、
犠牲者155人を追悼して、1分間の黙祷が捧げられた。

7日目は、カトリックでの初七日でもある。
17時になったのは、事故が起きた時刻に近いからである。

墜落したGOL航空の職員も、
Spd20061005r_1

空港職員も、
Spd20061005s_1

そのほかの航空会社の職員も、
Spd20061005t_1

そして、利用客も一緒に、
Spd20061005u_1

犠牲者を追悼した。
Spd20061005v_1
「20061005JG-AcidenteGOL-Homenagem.wmv」をダウンロード

各地のカトリック教会などでも、
追悼のミサが行われ、
この模様が放送された。

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quarta-feira, 4 de outubro de 2006

ブラジルから日本への郵便の発送のことなど。

9月29日(金)に、日本へ郵便を送った。

急ぐということなので、EMSを使った。
300グラム弱のもので、67レアル(=約4千円)の郵送料がかかった。
Spd20061003i

EMSなので、配達状況を検索できる。

翌日30日12時頃には、サンパウロの海外郵便局に到着している。
そして、10月3日の深夜0時過ぎに、日本の東京の国際郵便局に到着した。

時差の関係で、どうしてもここは時間がかかるようになる。
実質36時間で、サンパウロから東京までかかっている。

10月3日14時に、通関を終了している。
10月4日6時に、静岡県のある郵便局に到着している。
同日に、配達に行ったが、不在だったということだ。

早く見てもらいたい物なのだが、
残念。

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5月に、同じ方に発送した時には、
普通の郵便で発送した。
安いからだ。

安くても、
速い時は、1週間もすると到着するのが普通だ。
でも、この時はほぼ1ヵ月もかかった。

それで、今回はEMSを利用した。

料金は、数倍違う。

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インターネットの発達で色々な通信費が
劇的に安くなった。

E-メイルやIP電話などを利用すると、
プロバイダーへの支払いを別にすると、
ほぼタダのようなものだ。

だが、実際に「モノ」を動かすとなると、
このように時間と費用がかかる。

やはり、ブラジルは遠い。

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ついでではあるが、
情報について。

お金をかけた情報ほど、より貴重なモノはないことを知っている人も多い。
情報は、タダだと思っている人が多いが、
それは本当に価値ある情報が何かを知らない人だ。

ブラジルのようなところについては、
日本では情報が乏しいはずである。
その乏しい情報のまま、高い費用と時間をかけてブラジルにやって来ても、
本当に楽しくもしくは効率の良い時間を過ごせるかどうかは、疑問である。
それこそ無駄な時間と費用を予期せずして、必要とすることになるだろう。
それと安全の問題もある。

とするならば、
「有料」であっても、より正確で詳細な情報を得ておくべきではないだろうか。
もしくは、その部分の費用をブラジルでは使うべきではないだろうか。

特に、お金があって、時間がない人はそうするべきではないか。
一番貴重なモノが何かを考えると結論は出ているはずだ。

時間があって、お金がないひとは、それほど多くないはずである。

このブログに記載されている範囲の情報など、所詮無料の情報である。
偽りは無いようにしているつもりだが、
最も重要なことが、抜けているかもしれない。

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segunda-feira, 2 de outubro de 2006

ブラジルでの航空機事故 その2 捜索。

9月29日(金)16時過ぎに起きたゴル航空機の遭難事故についての続報である。

9月29日中には、
行方不明になったこと。
レーダーから消えたこと。
燃料切れの時刻を過ぎたこと。
別の飛行機と接触したこと。

事故に関して具体的には、それくらいしか報じられなかった。

GOL航空からも、乗客名簿が発表されただけであった。

9月30日(土)になって、
捜索始まった。

墜落した機体が、ジャングルの中に埋もれているのが発見された。
9時過ぎのようだ。

マットグロッソ州のペイショット・ヂ・アゼヴェード市の東南200キロのところであった。
Spd20060930h

ただし、陸路によるアクセスは全く不可能なところである。

同日中に、
捜索の中心になっている空軍の隊員が、
12名野宿した。

航空局やゴル航空は、生存者はいない模様と発表した。

この日までに発表された映像は、
ジャングルの中に埋もれている機体らしきものだけである。

10月1日(日)になって、捜索活動は活発になってきた。 

先発の空軍隊員が、ジャングルを切り開いて、
ヘリコプターが着陸できるスペースを作り始めた。

遺体が、2体運び出された。

付近のインヂオが、捜索に協力すると言っている。

事故現場からの画像や映像は、少し増えたが、
ほとんどは空軍からの提供である。
マスコミの独自映像はない。

衝突事故を起こした相手方の期待の映像が公開された。
左翼の末端にある立ち上がった翼が、欠けている。

遭難した乗客の家族の映像は、独自映像が流れている。
サンパウロ州に在住していたものなどについては、
ローカルニュースでも報道されている。

乗員乗客155人の死亡が確認された。
遺体の回収には、1週間は必要ということである。

-----------------------------
ブラジルという国の広大さを、改めて知ってしまう。

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domingo, 1 de outubro de 2006

ブラジルの選挙 開票は進む。

10月1日(日)は、ブラジルは選挙の投票日だ。

まとめて多くの選挙が行われている。

連邦大統領。
連邦下院議員。
連邦上院議員。(改選議員のみ)
州知事。
州下院議員。

ブラジルは、電子投票である。
投票所に行って、投票機を使って投票を行う。
それぞれの候補者が、個有の番号を持っているので、その番号を入力することで、
投票となる。

投票は、8時から17時まで行われた。

サンパウロ市内でも、投票所の周辺は、人が多かった。
でも、それ以外の所では、とても静かなサンパウロだった。

昼頃には、
投票機が壊れたので、
投票機を交換したとか、手書きの投票したところがあるとかいう
ニュースも流れていた。
静かな選挙だった。

電子投票なので、開票は速い。
それぞれの投票機からのデータを送り、中央でそれを集計する。

焦点の大統領選挙だが、
第1回目の投票で得票率が50%を超すのではないかと見られていた
現職大統領のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票がやや伸び悩んでいる。
(50%以上取るものがいないと、上位2候補者による第2回投票が
4週間後に行われる。)

それでも、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、48-49%の得票率である。
開票率は、20時50分頃で、76%を超えている。

rede TV!局で生放送中のpanico na TVでも、番組の途中で開票速報が入ってくる。

大統領選の結果は22時頃までにははっきりする予定だ。

-----------------------------
開票だからといって、
どこの局も、日本のような「開票ショー」はやっていない。
真面目な開票番組やっているところもある。

ケーブルのニュース専門局では、18時頃から、ずっと開票番組を放送している。
各地の開票状況が入ってくる。

でも、選挙事務所からの「万歳」はない。

-----------------------------
21時5分。
開票率78.56%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率が49.58%になっている。
得票は36,503,143票。

ちなみにブラジルの有権者は約1億2千万人である。

-----------------------------
21時25分。
開票率81.75%
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.60%。
得票は、38,106,974票。

-----------------------------
21時30分。
開票率84.49%
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.56%。
得票は、39,414,431票。

出口調査では、50%を確保したという報道もある。

-----------------------------
21時45分。
開票率87.11%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.32%。
得票は、40,658,321票。

第2位は、アルケミンで、得票率は40.86%。
得票は、33,681,640票。

第3位は、ヘロイザ・エレーナで、得票率は6.81%。
得票数は、5,609,977票。

-----------------------------
22時00分。
開票率88.31%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.43%。
得票は、41,252,365票。

-----------------------------
22時17分。
開票率90.63%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.28%。
得票は、42,331,832票。

28百万票の大票田のサンパウロ州の票はまだ60%程度しか開いていない。
サンパウロ州では、アルケミン候補が50%以上を確保している。
このままで行くと、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は過半数は行かないはずだ。

-----------------------------
22時28分。
開票率92.03%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率が少し上がった。
49.34%。
得票数は、43,045,135票。

サンパウロ州ではアルケミンが55%の得票率。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、36%。

-----------------------------
20時50分。
開票率は、94.66%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.06%。
得票は、44,241,757票。

-----------------------------
23時00分。
開票率は95.10%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、49.09%。
得票は、44,429,242票。

-----------------------------
23時20分。
開票率は95.33%
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は49.12%
得票は、44,536,183票。

-----------------------------
23時28分。
開票率は97.02%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.91%。
得票は、45,308,060票。

-----------------------------
23時45分。
開票率は98.06%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.79%。
得票は、45,796,036票。

もう第2回投票になるのは決定的だ。
各党間の駆け引きが始まる。

-----------------------------
23時52分。
第1回目の投票で、50%以上を獲得したことでサンパウロ州知事に当選が確実になった
PSDBのジョゼ・セッハが、支持者に囲まれて、演説をしている中継が入った。
当選の弁である。
Spd20061001d

選挙事務所と言うよりは、選挙本部だ。

この人の場合は、知名度も高く、元々大統領候補に擬せられていた人である。
当選しても当然だ。

前サンパウロ市長である。
(2004年末の選挙で当選し、2005年からその職にあったが、
この選挙のために辞職していた。)

拍手はあっても、万歳はない。
Spd20061001a

現サンパウロ市長のジウベルト・カッサービも、よく見たら隣にいた。

現サンパウロ州知事クラウジオ・レンボもいる。

-----------------------------
00時06分。
大統領選挙は、第2回投票が行われることになったと、
テレビが報じ始めた。

サンパウロ州では、
ジェラルド・アルケミンが56%の票を取り、
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは34%程度のようだ。

ブラジル北東部の貧しい州では、
現職大統領のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は
圧倒的に高いが、
ブラジル南部および南東部の比較的豊かな州では、
ジェラルド・アルケミンへの票が勝っている。

-----------------------------
00時20分。
開票率は99.20%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.65%。
得票は、46,291,573票。
テレビは、これで計算上、第2回投票が行われることになったと報じた。

-----------------------------
00時23分。
PSDBのジェラルド・アルケミン候補の弁が、生中継で入った。
約2分間だ。
Spd20061001b

先ほど、サンパウロ州知事に当選したジョゼ・セッハが隣にいる。

これに続いて、
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ候補の
PT(労働者党)のタッソ・ジェンロ憲法関係大臣の弁が中継された。
Spd20061001e

どちらも、第2回投票が行われることになったことを受けての弁である。

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00時32分に、
ケーブルでのGLOBO局系のニュース専門チャネルの選挙特番が終了した。

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第2回投票は、10月29日(日)の予定。

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00時57分。
開票率99.82%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.60%。
ジェラルド・アルケミンの得票率は、41.64%

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01時11分。
開票率99.89%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.60%。
ジェラルド・アルケミンの得票率は、41.63%。

-----------------------------
01時15分。
開票率99.92%。
PTのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.61%。
PSDBのジェラルド・アルケミンの得票率は、41.63%。
PSOLのエロイーナ・エロイーザの得票率は、6.85%。
PDTのクリストヴァンの得票率は、2.65%。

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当選が決まった各州の知事の略歴やインタビューが、ずっと報じられている。
すでに開票率が100%になったところ、つまり終了したところが多い。

ブラジルのような大きな国で、これほど速く開票が終わるのは、
電子投票の成果である。

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01時41分。
開票率99.95%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.61%。
ジェラルド・アルケミンの得票率は、41.64%。
PSOLのエロイーナ・エロイーザの得票率は、6.85%。
PDTのクリストヴァンの得票率は、2.65%。

-----------------------------
02時03分。
開票率99.98%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.61%。
ジェラルド・アルケミンの得票率は、41.64%。
PSOLのエロイーナ・エロイーザの得票率は、6.85%。
PDTのクリストヴァンの得票率は、2.64%。

-----------------------------
02時37分。
開票率99.99%。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァの得票率は、48.61%。
ジェラルド・アルケミンの得票率は、41.64%。
PSOLのエロイーナ・エロイーザの得票率は、6.85%。
PDTのクリストヴァンの得票率は、2.64%。
Spd20061001c

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引き続き、
ニュース専門チャネルは、選挙番組を続けている。

各州選出の連邦上院議員について語り始めた。

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sábado, 30 de setembro de 2006

ブラジルでの航空機事故 その1 乗客名簿。

9月29日(金)、ブラジルのアマゾニア州マナウスから首都ブラジルリアに15時35分に向かったゴル航空のB-737ー800の1907便が、16時半頃にレーダーから消えた。
機体は最新のもので、9月12日にゴルに到着したものだという。

ブラジル・サンパウロでこの件が報じ始められたのは、21時頃である。

アマゾニア州からパラ州そしてマットグロッソ州の上空を経由していくなかで、別の航空機と空中で接触を起こしたという。
別の航空機は、近くのジャカレアカンガ飛行場に緊急着陸して無事である。
この機体は、エンブラエルのレガシー機という小型ジェットである。
米国に向かっていた。

ゴル機の消息については、具体的には何も伝えられていない。

パラ州とマットグロッソ州の境にあるカシンボ山脈serra do Cachimboあたりで不明になっている。
このあたりは全くのジャングルだそうだ。
数百キロに渡り、地図上では道も、街もないようなところだ。

捜索に5機の航空機がでているようだが、広大なエリアで、
現実的に相当時間がかかるようだ。

ゴルは、同便の乗客名簿を発表している。

掲載しておく。

姓    名
ACKER/JAQUES
ALVES/LEONARDO
ANCHIETA/ELCIO
ARAUJO/AGAMENON
ARMINDO/ANTONIO
AZEREDO/GILSON
AZEVEDO/MARCELO
AZEVEDO/OTTO BERNARDO
BARATO/JOSE
BARBERO/VALDINEI ROBERTO
BARBOSA/HENRIQUE
BARRETO/RAFAEL
BENEDITO/LUIZ ROGÉRIO
BENJAMIM/MARIA TEREZINHA
BEYER/HUGO
BONAROSKI/LUIZ
BORTOZOLO/ERTHELVINE
BOVI/MARILENE
BRANCO/KELISON
BRESSAN/KEILA
BRITO/ANA CLAUDIA
CABRERIZO/GUSTAVO
CALANDRINI/FABIANA
CARDOSO/CLAUDIO
CARVALHO/LUIZ
CARVALHO/VIVIANE
CAVALCANTE/FRANCISCO
CAVALCANTE/ROSSANA
COELHO/JOSE
COLLI/VANESSA
COLOGNESE/NELSON
COPAT/IVAN
COSTA/ELISABETH
COSTA/JOSENILDA
COSTA/GILCLEY
CRUZ/CARLOS
CRUZ/MARIA VALERIA
CUSTODIO/LUIZ
DA ROCHA/CLAUDIO
DARC/JOANA
DE JESUS/OSCAR
DE JESUS/RUTH
DIVINO/SILVA
DUARTE DORIA/NILO
EUSTAQUIO/THIAGO
FALCAO/JOSEANE
FARIAS/FRANCISCO
FELIPPE/PAULO CESAR
FERREIRA/MARCELO
FONTOURA/ANDRE
FREIXO/LUANA
GARCIA/FRANCISCO
GARCIA/HELEN
GARCIA/PEDRO HENRIQUE
GODOY/HELIO
GOMES/REGINA
GONCALVES SOBRINHO/LAZA
GUIDI/JULIO
GUTJAHR/ROLF
HANCOCK/DOUGLAS
IGNACIO/JOANA
KOWALSKI/ANDREAS
LEAL/JOAO
LEITE/ANGELO
LEMOS/LUCAS
LESQUEVES/EUGENIO
LIMA/THALITA
LINS/ETEUVINO
LLERAS/MARIO
LLERAS/DANIEL
LOIOLA/FRANCISCO CHAGAS
LOPES/MARCELO PAIXAO
LOPES/MARCELO
LOPES/MARCELO
LUCAS/ESDRAS
MACEDO/OLGA
MACENA/MARIA AUXILIADORA
MACHADO/MARLON
MACHADO/VALDOMIRO
MAGALHAES/ROSANA
MAIA/MARIA ZILDA
MAIA/LAVOSIER
MALAFAIA/MARIO
MARQUES/INEZ
MATTOS/ANTONIO
MELO/OSMAN
MELO/IZELIA
MENDES/JULIO
MENDES/AUGUSTO
MENDES/MARINA
MICHEL/FREDERICK
MIRANDA/RONIVON
MORAES/GLECIO
MOREIRA/PATRICIA
MOREIRA/QUEZIA
NARANJO/RAYSSA
NARDT/FRANCISCO
NERES/KARLA
NOE/RONALDO
OLIVEIRA/CHARLIE
OLIVEIRA/MARCIO
OLIVEIRA/FRANCISCO
OLIVEIRA/ENIO DE
OLIVEIRA/VANDEMIR
OLIVEIRA/ANTONIA
PADILHA/JANINE
PANIZZI/LOURDES
PEIXOTO/PEDRO
PESSOA/ANTONIO
PIMENTEL/WALTER
PIVOTTO/ELETA
PRADO/DORNELIO
RADESCA/RICARDO
RAMOS/JOAO ELOI
REZENDE/ATILA
REZENDE/ISMAR
REZENDE/MARIA
REZENDE/FRANCIELLE
RICKLY/MARIA DAS GRAÇAS
RIGUEIRA/MARCELO
ROCHA/SALUSTIANO
RODRIGUES/MARIA JOSE
RODRIGUES/ADAIR
RODRIGUES/ANTONIO
ROMANO/MAURO
RONDINI/MICHEL
ROSA/CLAUDEMIR
SANT ANNA JUNIOR/MOZART
SANTOS/PAULO
SANTOS/ALEXANDRE
SANTOS/EMANUELLE (INF) MACENA/REBECA 11 MONTHS
SANTOS/LUIZ
SILVA/FELIPE
SILVA/ANA
SILVA/JUVÊNCIO
SILVA/ROGERIO
SILVA/MARIO
SIQUEIRA/PLINIO
SOUSA/CARLOS
SOUZA/EDUARDO
SOUZA/RICARDO
SOUZA JUNIOR/CARLOS
TARIFA/RICARDO
TRINDADE/JOSE
VIANA/HUEDERFIDEL
VIANNA/HAMILTON
XAVIER/SAMANTHA

見る限り、日本人もしくは日系人の名前らしいものはないようだ。
だが、それでひとまず良かったなどとは思っていないので念のため。

国籍や人種にかかわらず、事故は起きている。

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21時頃からの第1報から、その後の報道でも、
機体の消息についての具体的な情報は全くない。

乗客の関係者が、最終目的地のリオ・デ・ジャネイロの空港に集まっている様子などが伝えられている。

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domingo, 23 de julho de 2006

ブラジルとレバノン。 その2

ブラジルは、世界各国からの移民とその子孫で出来た国である。

中東からやって来たアラブ系の人たちももちろんその中に含まれている。
19世紀の中期頃から、当時のオスマントルコの領土に含まれていた、今のレバノン・シリアから多くの移民達がやってきている。
20世紀の初めに始まった日本人移民とその子孫よりも歴史が長い。

サンパウロで、1番良い病院といわれるのはユダヤ系のアインシュタイン病院であるが、2番目によい病院といわれているのはシリノ・レバノ病院といわれる彼らが造り上げた病院である。

すでにレバノンやシリアには、もう直接の家族や親戚がいないのかと思っていたが、
今回のイスラエルのレバノンへの攻撃についての報道で全く違っていたことを知った。

このところ、レバノンに家族や親戚のいる人たちがその安否を心配する様子がニュースで伝えられている。

それどころか、すでにレバノンではブラジル国籍保持者が7名もなくなっている。
この人数は、第2次世界大戦以来の人数だそうだ。

どうも、レバノンからの移民は綿々として続いていたようで、特に1970年代からのレバノン内戦を逃れて、相当に新たな移民がブラジルに流入していた。
そうした移民達とその子孫が、内戦が一応終結していたレバノンにまた戻って、復興に参画していたようだ。

ブラジルは、2重国籍を認めているし、おそらくレバノンもそうなのだろう。

ブラジル国籍者の救出ブラジル政府は、レバノンだけではなくヨルダンやシリアにいるブラジル人の救出活動を行っている。

レバノンからバスでトルコにまで脱出したブラジル人を、すでに一回ブラジル軍用機でブラジルに帰還させた。

そして、その作戦を更に繰り返して行うことになっている。
7月20日の段階では3回行うことになっていた。
Spd20060720h

7月21日には更に1回追加されて、4回になった。
Spd20060721i

1回に乗機出来るのは百名余である。

②行進
7月22日に、サンパウロで、「レバノンの平和を願う行進」があった。
Spd20060722b

レバノン共和国大通りを、レバノン・シリア系の人たちを中心に数百名が参加した。
Spd20060722a

行進は極めて静かに行われた。
Spd20060722c

決してイスラエルを非難するものではなく、
レバノンの平和を願うものであった。
Spd20060722d

ブジラルは、こういう国でもあることを知って欲しい。
Spd20060722e

③シャビエール選手
今年の初めにコリンチャンスに在籍していたシャビエール選手が、6月にイスラエルのプロチームに移籍した。
Spd20060721d

チームの所在地は、イスラエル北部の港湾都市ハイファ。
今回ヒズボラからのロケット砲による攻撃を受けている都市で、レバノン国境から30キロである。

家族は、まだブラジルにいた。
電話しか連絡手段がなく心配だと言っていた。
Spd20060721b
Spd20060721c

本人は、一応元気だといっていた。
Spd20060721a

テレビカメラに向かって、妙に艶めかしい表情をみせる妻である。
Spd20060721f

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イスラエルにも、何度か行ったことがある。
1991-1992年にかけてだ。
湾岸戦争の後で、一応その時期は中東は静かだった。
ただ、やはりいつ何が始まるかわからないと落ち着かないものを感じていた。
今になって考えてみれば、インティファーダが始める前でもあり、結果として一番平穏な時期だったと思える。

イスラエルに入るには、まず乗機地の空港で面倒なことが待っている。
今はもっと厳しくなっているだろうが、当時でもチェックインの時に荷物について細かく聞かれた。
一旦預けた後に、搭乗待合室に入る前に、またもう一度その荷物があって、
また質問を受けた。
ハイジャックやテロを避けるためとわかっていたので、素直に従うしかない。

イスラエルの空港はベングリオン空港である。
ロッドにあるのでロッド空港ともいうが、日本赤軍の3人がテロ事件を起こして、百名もの死傷者を出した空港である。
日本人として到着時には色々と思いが巡った。

イスラエルについて言うならば、行く機会があって良かったと思っている。

観光的にも、エルサレムや死海等見るべきものがある。
地中海の海の幸も美味であった。

それ以外に見たことや知ったことも、日本では知らなかったことばかりで、考えを新たにすることばかりであった。

決して広いとは言えないイスラエルには、聖書を通じて聞いたことがある地名が沢山ある。
北部のナザレに行った時のことだ、ユダヤ系の人と一緒だったのだが、
旧市街はアラブ系の街だからという。 
イスラエル建国後からやって来たユダヤ人は取り囲むように住んでいるのだ。
エルサレムの旧市街でもそうだ。
ユダヤ人のガイドと一緒だったのだが、狭い旧市街の4つの地区(ユダヤ、アルメニア、キリスト教、そしてアラブ)のうちアラブ地区だけには近づかなかった。

かつてはほとんど砂漠だった国土に植林を進めていることも知った。

独立宣言後の第1次中東戦争時のブリキのおもちゃのような戦車が路肩で朽ち果てているのを見た。
この時は、今と違ってまともな武器がなかった。
欧米が売ってくれなかった。

ローマ帝国の侵攻時にユダヤ人が最後に立てこもったというマサダにも行った。
死海を見下ろす荒涼とした土漠のの中にある丘の砦に立てこもったが、最後には全滅したところだ。
これ以降、ユダヤ人が国を失い世界中に散らばった。
イスラエルの新兵は、必ずここにやってくるそうだ。
「マサダの二の舞は決してしない」
今のような、防衛的な先制攻撃は、マサダを繰り返さないという民族的な誓いから来ている。

だが、考えてみるとイスラエル建国までは、このパレスチナと呼ばれる地域には
アラブ人とユダヤ人がそれこそ2千年近く共存していたのだ。
パレスチナだけではなく、中東のどこにでもユダヤ人がいた。
イスラム教徒は、ユダヤ教を弾圧したりしていなかった。
ユダヤ教徒を弾圧したのはキリスト教徒である。

19世紀になっても、ユダヤ教徒というだけであらぬ嫌疑を掛けられたことがフランスであった。
ドレフュース事件である。
この事件が、約束の地に帰ろうというシオニズム運動のきっかけの一つである。
欧州列国もこれ幸いと、ユダヤ人達の追い出し先を用意しようとした。
この時から、パレスチナでの共存が崩れ始めた。
元々パレスチナはほとんど乾燥地でそれほど多くの人が住むことが出来るだけの土地ではなかった。
今は灌漑で多くの人が住めるようになったが、それも約束の地にやって来たユダヤ人達が懸命に造り上げたものだ。
しかし、その中でアラブ人は土地を追われている。
以前はアラブ人がいたという空き家がいくらでもあった。

今でも、イスラエルではヘブライ語とアラブ語が使われている。
アラブ人が全くいなくなったわけではない。
ちゃんと残っているアラブ人もいるのだ。
だが、2級国民のような扱いだ。

イスラエルのある企業に行った。
有名なダイアモンドセンターがあるラマットガンに本社があった。
役員がいるフロアは多くの場合上階の景色の良いところと世界では決まっているのだが、
この役員フロアは半地下だった。
防空壕のようなものだ。
そこが一番安全だということだろう。

安息日の土曜日の前後に、兵士に休暇がある。
だが、軍服を着て、そして銃器を持って、帰郷する。
いつ何があっても直ちに対応できるようにだということだ。
小さな国土では、兵舎に復帰する間に敵がやってくるからだ。

聖書の時代と、そして余りにも生々しい現代を知ることが出来た。

イスラエルから出国する時の空港での検査も厳しかった。
イスラエルを離れ、数時間で欧州に戻ってきた時は、本当にほっとした。

ナチスよるものだけではなく欧州で何度となく殺戮の対象になったユダヤ人が、どうして今パレスチナ人を強圧的に扱うのか。
考えることはいくつもある。

歴史と現実を学ぶことは必要だ。

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segunda-feira, 1 de maio de 2006

ブラジル大統領が、アルゼンチン代表のユニフォームを着た。

アルゼンチンのヒーローであるマラドーナが、ブラジル代表のユニフォームを着てアルゼンチンでは議論を呼んだようだが、実はブラジルではもっと大変なことが起きた。

なんといっても、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァその人が、アルゼンチン代表のユニフォームを着た。

4月26日に、ブラジルを訪問した、アルゼンチン大統領から「アルゼンチン代表のユニフォーム」を贈られたのだ。
Spd20060426c

そして、早速そのユニフォームを着た。
Spd20060426e

ただ、それだけだ。

本当は、大変でも何でもないことだ。
(ブラジル大統領は、何もヒーローでもないからか。)

今回は、この両国は経済関係について話をしたのだ。

ベネズエラからパイプラインを引いて、ウルグアイおよびアルゼンチンまで、天然ガスを供給するという計画について話をした。
Spd20060426d

翌日には、そのベネズエラのチャベス大統領も、またまたブラジルを訪問し、3ヵ国の大統領が一緒に写っていた。

今のところ、ブラジルは周辺諸国との関係は良好だ。

問題になりそうなのは、ボリビアだ。
先般、ボリビア大統領に就任したエボ・モラエスが、ちょっと急進的だ。
今日5月1日に、石油と天然ガ