sábado, 8 de agosto de 2009

サッカー・ブラジル選手権2009 その85 コリンチャンスのロナウドは、「息子」も手術。

左手の第3指と第4指の骨折の整形のために先月7月29日(水)に手術をした後、ロナウドRonaldoは8月8日(土)からやっとコリンチャンスCorinthiansで身体の回復過程に入ることになっていたはずだった。
しかし、今週パルケ・サン・ジョルジParque São Jorge(*コリンチャンス本部の所在地)に不在だったことについては理由がある。

ロナウドFenômenoは、予定されていた医療部による診察を受けることになっていたが、コリンチャンスに現れなかった。
それは、彼の「息子」ロナウドRonaldが、サンパウロSão Pauloでのどgargantaの手術を行ったからである。

しかし、コリンチャンスの医師のジョアキン・グラヴァJoaquim Gravaはこの何日か3回ロナウドとあっている。
ジョアキン・グラヴァによると、ロナウドRonaldoは良好で、もう吊り包帯もしてないしすでに石膏もない。
一方、ジョアキン・グラヴァは、ロナウドが受けた脂肪吸引l手術ipoaspiraçãoについてコメントすることは拒絶した。
しかし、脂肪吸引手術によって、回復過程が遅れるとこは否定した。

すべてうまくいけば、ロナウドRonaldoは9月12日(土)にコウト・ペレイラCouto Pereira競技場で行われるブラジル選手権の第23節の対コリチーバCoritiba戦でに復帰するだろう。

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「息子」のロナウドは、最初の結婚で生まれた息子のこと。

怪我をしてから、
ロナウドの映像は全くない。

ほぼ毎日、拙宅の近所にあるロナウドのアパートを眺めているが、何の動きも確認できない。
(8月3日)
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(8月4日)
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(8月6日)
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terça-feira, 3 de fevereiro de 2009

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供たち その22 すれ違い。

ナタル(=クリスマス)の前2ヶ月ほど、とても多かった物乞い。

不思議なことに、
ナタルとともに、
ほとんどがどこかに消えてしまっていた。

ナタルそして新年にかけて長期休暇を取る人が多いので、
街には人が少なくなる。

つまり、
物乞いの対象となる人ような、
余剰なお金を持っている人が減るわけである。

その休暇シーズンも終わり、
街の人通りが多くなると、
また
物乞いの人たちも現れてきた。

物乞いのパターンにもいろいろとあるのだが、
幼い子供を連れていることも多い。

本当にその人の子供なのかかなり疑わしいような場合もあるが、
ともかくも子供を連れていれば、
かなり目を引くことは間違いない。

だからといって、
通り過ぎる人が、
次々とお金を与えるわけではない。

毎日、そしてそこかしこに何組もいるわけで、
わずかの金であっても、
まともにいちいち対応していけば
累積するととんでもないことになる。

だが、
やはり可哀想なのは、
何もわからないまま、路上に連れてこられている子供である。

あと5年したら、
あと10年したら、
あと15年したら、
そして大人になったら、
どうなっているのだろう。

成長するのは早いのである。
いつまでも、
路上に座っていることもできないのだが。
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quarta-feira, 24 de dezembro de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その21 途方に暮れる。

ブラジルでは、ナタウ(=クリスマス)はほとんど誰でもよりよく過ごしたいと思う、1年で最も重要な一日である。

11月と12月に、いつもより1ヶ月分給与も多く支払われるので、
これを当てにして、買い物をする人が多いので、
商業はとても賑わう。

まだ、世界不況の影響は、直接的にはとても深刻な状態ではないので、今年2008年のクリスマス商戦も全体としては好調だったようだ。

だが、そういった楽しいナタウを迎えられるのは、安定した収入がある人だけだ。

安定した収入がない人は、
何とか再分配にありつくしかない。

拙宅から数百メートルのところにあるスーパーの近くは、やや人通りが多い。
このあたりに働いている人や住民が朝から夜までも、割と歩いている。
サンパウロ市で唯一歩ける地区といわれるイジェノポリスである。

その歩道には、
物乞いをする人たちが、
30-40メートルごとに、
何組か座り込んでいる。

12月は、特に多い。

毎日8時半頃に現れて、18時頃までいる。

一人だったら、一組だったら、
何とかと思わないこともない。

本当の子供なのか、借りてきた子供なのか知らないが、
「健康で、文化的な最低限の生活」にも達していない子供達を見るのは、
本当に心が痛む。
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でも、何組も続いているのを見ると、
とても対応することができない。

何も、ここだけではない。
サンパウロのビジネス街や高級アパート街のそこかしこで見かけるのである。

何百組できかないかもしれない。

どうしようもなくて、いまさら「途方に暮れてしまう」。

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こういった子供達の脇を、
富裕層の子供も、
通り過ぎるのである。

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sexta-feira, 3 de outubro de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その20 物売り。

昼過ぎ、ピンクの服を着た女の子が、信号待ちの車を回っていた。
物売りだ。
こちらに回ってくる前に、信号が青になった。
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その2時間後、
近くだが、別の交差点で、先頭で信号待ちをしていたら、
その女の子が現れた。
拾ってきたような紙の箱に、巻いた布巾が5-6本。
見ないふりをしていたら、窓をたたかれたので、
知らない顔をするわけにはいかなかった。
窓も開けずに、首を横に振った。
そうしたら、ぴょんぴょん跳ねて、懇願するかのように、箱を上に掲げた。
でも、すぐにあきらめて、次の車に行った。

角に、
子供を二人連れた女性がいた。
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その女性が、ピンクの服の女の子の、母親だった。
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少しでも楽しいナタル(=クリスマス)にするためには、自分が稼がなければならないことは、十分に知っている女の子である。
自分のためではない、妹と弟と家族がいる。

これから、12月まで、こういった光景を目にし、そして遭遇することが増える時期になる。

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sábado, 13 de setembro de 2008

ブラジル・サンパウロの選挙2008 その3 市議選の立候補者。

ブラジルは、今年、全国一斉に、市長選挙と市議会議員選挙が行われる。
10月5日(日)が、第1回目の投票日である。

市長選は、過半数の得票を得ることが出来た候補者がいれば、その人が当選となる。
しかし、過半数を獲ることが出来た候補者がいなければ、
得票の多い二人の候補者の間で、第2回投票となり、それは10月26日(日)に行われる。

ブラジルは、少数乱立状態で、
サンパウロでは、
過半数を獲る候補者はいないと見られる。
そこで、
二人の候補者は、他党の票を得ようと、多数派工作を始める。
第2位の候補者でも、逆転する余地はいくらでもある。

ブラジルでは、
法律で、地上波のテレビは、一斉に、選挙広報番組を放送しなくてはならない。
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今は、13時からと、20時30分からの、一日2回、選挙広報番組が放送される。

つまらないようで、
見方を変えると、結構楽しめる番組で、突っ込みどころは満載なのだ。
ただ、そのためには、知識が必要だ。

市議会議員選挙の選挙放送も、よく見ていると面白い人が立候補していた。

アヴァニール女史は、もう選挙の常連である。
ユニークな広報でもうおなじみ。
国政選挙にも立候補したことがある。
当選したことがあるとは思えない。
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セルジオ・マランドロ氏。
テレビタレントだ。
かつては、シルビオ・サントスの子分だった。
最近は、あまりテレビで見かけなくなった。
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ブラジル代表でキャプテンだったカフーが出てきた。
カフーは、契約満了でミランを退団しているが、
まだ次のクラブは決まっていない。
ブラジルのクラブで引退したいと言っていたのだが、
金額が折り合わないのだろうか。
カフーが立候補しているのではなくて、
その隣にいるマウリシオ・カフー氏が候補者である。
カフーの実兄である。
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マルコ・アルレーリオ・クンニャ氏は、
サンパウロFCのサッカー担当役員だ。
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サッカー担当役員として、
よくスポーツ・ニュースにも登場する。
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quinta-feira, 4 de setembro de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その19 昼食。

日差しが強く、気温が上がった冬のある日。

13時過ぎ。
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交差点の広い中央分離帯の縁石に座って、子供が何か食べていた。
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それから30分ほどたってまたそこを通りかかったら、
まだ子供達はいた。
姉らしい子供が、荷物を整理していた。
商品のようだった。
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歩道を渡ったときに、気づいたのだが、
実は、子供は、2人ではなく3人だった。
学校帰りのようだった。
学校だけは行っているようだ。
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さらに30分ほどして通りかかったら、
仕事に入っていた。
それぞれが、信号待ちの車に物売りをしていた。
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terça-feira, 26 de agosto de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その18 物売り。

ブラジル・サンパウロでは、
曜日によって、
昼食のメニューが変わる習慣が未だある。

月曜日は、ヴィラーダ・パウリスタ。
火曜日は、鶏肉料理。
水曜日と土曜日は、フェジョアーダ。
木曜日は、パスタ料理。
そして、金曜日は魚料理。

日替わり定食のようなものである。

だんだん、いつも出す店が増えてきて、こういう習慣は消えつつある。

最近来た駐在員はこういったことを知らないままで過ごしてしまうかもしれない。

店によって、美味しいところやそして安いところなどがあるので、ある程度、そういったものを食べたいときにわざわざ行く店がある。

金曜日の魚料理の場合は、セントロの南西部にあるマルチンス・フォンテス通りのある軽食店によく行く。

いつも同じものを注文するので、もう顔なじみである。
ブラジルは、メニューにないものでも、要求すれば作ってくれる場合が多いので、多少は変更をお願いすることもある。

店の中でも食事はできるのだが、
歩道側に出たテーブルを選ぶことが多い。
綺麗な女性が通るのを見るためだ。

そうやって食事をしていると、
子供が入ってきて、
お客に物売りを始める。
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つまらないものが多い。

テーブルを一つずつ回っていく。

店の人が出て行くように言うが、
ぐずぐずしてなかなか出て行かない。

店の人も、無理をしてまで追い出すようなことはない。

小さな子供であれば、物乞いをする。

子供の親は、それを物陰に隠れて見ているのだ。

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quarta-feira, 20 de agosto de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その17 スーパーに入ることができない子供。

拙宅から、
北に、
車で10分ほどのところに、
ウォールマートのパカエンブー店がある。

ある日の午後、
曇って、雨も降っていた日だった。

レジが何十台も並ぶいわゆるハイパーマーケットである。

入ってすぐ右側には、生鮮食品売り場があって、人も多いのだが、奥に行くにつれて、人が少ない売り場がある。

雑貨や園芸用品などの売り場があるところだ。
そこに、二人の子供がいた。

しばらくして、
その二人の子供が、
警備員に連れ出されていった。

もう同じことを何度も、何日も繰り返しているのだろう。
おとなしく警備員の後を歩いていった。
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こういった子供達にも、そしてその家庭にも、スーパーでものを買うようなお金はない。
子供達は、スーパーに行っても、何も買わないし、買えない。

ほしいものを見つけると、
それを手にして、
レジに並んでいる客に、
それの支払いを請うのである。

牛乳であったり、卵であったりという場合が多い。

多くの人は断るが、
そう裕福でもなくむしろ貧しい人が、その願いを聞き入れることが多い。

このような子供が、商品を店内で飲んだり、食べたりすることもある。

時には、なめ回したり、なで回したり。

もしかしたら、盗みもするのかもしれない。

店としては、
やはり迷惑なので、退去してもらうしかないのである。

雨の中、
退去させられた子供達は、
きっとまた舞い戻ってきたはずだ。

そうしないと、
親が納得しないし、
一家が生きていけないことは何よりも子供が知っている。
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quinta-feira, 7 de agosto de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その16 空き缶。

ブラジル・サンパウロの中心部に近いパカエンブー競技場のサッカーの試合の時には、
観客は入り口でボディーチェックを受ける。

固いものは持ち込み禁止である。

スポーツ新聞などの紙類もだめだ。
燃やすからかもしれない。

傘もだめだ。
ビニール製の雨合羽を使うしかない。

カメラやビデオやラジオは問題ない。
そんな高価なものを投げるわけはない。
それにそういうものを持っている人は、良識と理性が働く人だ。

缶や瓶も当然だめだ。
水の入ったペットボトルもだめだ。

競技場内で売っている、250ミリリットル程度のコップ入りの高い高い水を買うしかない。

少なくない観客が試合のずっと前に競技場の周辺に集まって、
友人達と、
いっぱいやって気勢をあげる。

そういった人たちに、飲料を売りに来る行商人が競技場周辺にいっぱい集まってくる。

観客達は、
飲んだ後の空き缶は、ゴミ箱に入れるようなことはしない。
そのあたりに投げ捨ててゆく。

だが、試合が終わるまでには、そういった空き缶はもうすっかり無くなっている。

廃品回収を生業とする人たちが、
空き缶を発見次第拾っていくからだ。
そういう人たちも、たくさん集まってきて、観客の手から空き缶が離れるのを待っている。

そんな中に空き缶を集める子供がいた。
いつの日か、観客になることができるだろうか。
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terça-feira, 22 de julho de 2008

ブラジルの出生率が激減。

ブラジルは、予想したよりももっと早く高齢化している。

2006年に、出生率は一人の女性につき1.8人となり、2043年にこの水準になると予定した水準だった。

ますます高齢化し、子供が少なくなることで、公共政策は現実に合わせるために見直されることになる。

ブラジルの高齢化envelhecimentoは、予想よりもっと早くやってくる。

今月初めに出された、「人口統計と健康調査」PNDS (Pesquisa Nacional de Demografia e Saúde)の発表結果は、2006年に、ブラジルの出生率が一人の女性が1.8人の子供を産むという率になったことを示していた。

ブラジル統計地理院IBGEは、2004年に出されたその公式予想で、その水準は2043年になるという見通しをしていた。

国連の予想はより控えめで、2010年前には2.0にならないとしていた。
出生率がより低くなったという調査により、ブラジル統計地理院IBGEはその予想を見直す。

統計上の数字を単純に見直す移乗に、ブラジルは予想以上により多くの高齢者がいて少ない子供がいるということは、年金計算にインパクトを与え、高齢化する人口構成に適応しなくてはならないための社会政策に影響する。

「人口統計と健康調査PNDS」の分析・計画・調整センターの人口統計学者demógrafaのエルザ・ベルクオElza Berquóは、ブラジル統計地理院が毎年出すサンプル家庭による国家統計Pnads (Pesquisas Nacionais por Amostra de Domicílios, feitas anualmente pelo IBGE)が、すでに出生率が予想されたリズム以上に早く下がっていることを示していたことを想起した。

2004年に、一人の女性のこどもが2.1人という水準になっていた。
これは、ブラジル統計地理院が2014年に達すると予想したいたものである。

「出生率の変化の動きは40年前に始まった。 最近のデータは一連の歴史と密着している。 どうして、ブラジル地理統計院が現象を少なく見ている予想で仕事を続けているのかは知らない。 プロジェクトはしないが、この傾向を判断すると、出生率は下がり続けると思う」と、エルザ・ベルクオは言った。

ブラジル統計地理院IBGEの予想に作成に参加したフェルナンド・アルブクェルキFernando Albuquerqueは、当院は2000年のセンサーCenso(=国勢調査)と2001年の人口統計と健康調査Pnadが下落の進行を示していなかったので、その下落を小さく予想したと言った。

「しかし、2002年と2006年の人口統計と健康調査で、より早く下落していることを記録している。 それで、すでい最近の結果似合わせるために予想を見直している」。

ブラジル統計地理院の統計科学スクールEscola Nacional de Ciências Estatísticas の人口統計学者demógrafoのジョゼ・エウスタクィオ・アルヴェスJosé Eustáquio Alvesは、出生率fecundidadeのより早い下落は予想より人口は減少し始めることを示している。 ブラジル統計地理院の予想では、それは2062年から始まるとしていた。 より最近に出された国連の予想はもっと早くて、それでも、2030年代に始まるに違いないと指摘していた。

高齢化がより早くブラジルに来るという予想である。
これにより、高齢者をよりよくみるために健康に対する投資を増やさなくてはならない。

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ブラジルの社会の急激な変化をしめす重要な事実である。

日本に比べれば、まだまだ子供をいっぱい見かけるブラジルである。

「貧乏人の子だくさん」という傾向は変わらないにしても、その貧困層や低教育層までも、子供を少なくしているのである。
すでに、高所得者層から中産階級までは、子供の数は2人程度が普通であった。

ブラジルの人口構造は1980年頃までは、完全なピラミッド型であったが、
今は30歳前後をピークとする紡錘形になっている。

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sábado, 19 de julho de 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その15 三兄弟。

ブラジル・サンパウロのパカエンブー競技場の前にあるシャルレス・ミラー広場。

中心部から西部や北部にむかう、ちょっとした道路交通の結節点になる。

夕方も17時なると、車が増えて、信号待ちの時間も長くなる。

そうした信号待ちの車の運転手に対する「物売り」が現れるのもこの時間からだ。

広場を横切っていった3人の子供達。
手にしている平たい箱の中には、大切な「商品」が入っていた。
商品は、細く巻かれたクロスだった。
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売れる時間は、せいぜい20時までだろう。
いったい何本売れるだろうか。
ライバルはいくらでもいるので販売競争は厳しいのだ。

運転手だって、
いくら哀れに思ったとしても、
毎日、
信号待ち毎に現れる
物売りをする子供たちから、
買っているわけにはいかないのだ。

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sábado, 5 de julho de 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その12 「100年記念碑除幕式」2。

100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。

今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。

皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。

6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。

実は、この除幕式を見に行った。

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続きである

皇太子殿下は、この式に最後までご出席になって、ご退席された。

そういうわけで、皇太子殿下が去られると、もう警備も何もない。

招待者も含めて、集まった人は、すぐに散り始めた。

ブラジル最大のメディアグループのGlobo局の取材。
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ローカルニュースのレポーターの中で、もっとも美人のジャナイナ・レプリJanaina Lepri嬢。
テレビで見るとき以上に、美しかった。
実は、この除幕式を伝える、この日のGlobo局のニュースに映されてしまった。
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除幕したばかりの、「100年記念碑」の碑石。
この碑石の両側に、お手植えの木がある。
皇太子殿下は、ブラジルの国花イペーを、
サンパウロ市長は、桜を植えた。
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「100年記念碑」は、いくつかの碑石からなっている。
これは、
日本から船に乗って、ブラジルに向かったような図が彫り込んである。
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最初は、おずおずだったが、どんどんと人々が碑の周りに集まってきた。
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写真撮影会になってきた。
ブラジル人は、ポーズをとるのが好きだ。
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人が増えたので、完全な姿で碑の写真を撮るのは難しくなった。
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碑にもさわり放題。
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楽団もすぐに撤収。
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碑に上る子供たち。
上るために階段も彫ってある。
ほんの10分前までは、皇太子殿下が御覧になったばかりのところなのであるが、もうそんなことはお構いなしだ。
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子供たちがこうやって碑で遊ぶことは、作者の意図したところらしい。
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いくつかの白い碑の真ん中に赤い石がある。
もう写真の撮影で、碑をとらえることはできなかった。
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先ほどまで、皇太子殿下がお立ちになっていたステージに立ってみた。
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※クリックすると拡大する。

とうとう大人も、碑に上った。
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この「100年記念碑除幕式」に、招待された人に配布されたパンフレットである。
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どういう訳か、ポルトガル語でしか書かれていなかった。
式次第。
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作家の紹介。
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協賛者のリスト。
日本のそうそうたる大企業の名前、下部に並んでいる。
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「100年記念碑」が、人々に親しまれるのはよいのだが、
あっという間に、
こんな状態になってしまったことには、
ちょっと驚いた。

皇太子殿下は、
このカルモ公園のすぐ西側の「広島学校」を、ご視察になっていて、その道は閉鎖されていた。

まだ、皇太子殿下がご滞在中の時に、
日本国サンパウロ領事館の公用車プラド1台が、突然飛び出してきて、ブラジル警察の先導もなく暴走運転を繰り返して、市内中心部に向かっていった。
一般の車を、対向車線も使って、次々と蛇行運転で、追い抜いていった。
サイレンもないわけで、、非常に危険で、みんな急ブレーキをかけたり、抗議のクラクションを鳴らした。

何があったのか知らないが、呆れた。

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terça-feira, 10 de junho de 2008

サッカー・ブラジル代表のカカの子供誕生。

6月10日(火)1時過ぎに、ブラジル代表seleção brasileiraで、2007年にFifaの最優秀選手に選ばれたカカKakáの最初の子供が生まれた。

伸長51センチで3600グラム、サンパウロSão Pauloのアルベルト・アインシュタイン病院Hospital Albert Einsteinで通常出産でルーカLucaは生まれた。

カカKakáとその妻カロリーニ・セリコCaroline Celicoは、彼女の羊膜bolsa amnióticaが破れてすぐ、18時過ぎに病院へ入った。
彼女は、月曜日の夕刻から出産に入っていた。

これにより、カカKakáは出演が予定されていたSporTV局の番組"Bem, Amigos"への出演をやめた。
おそらく、来週その番組に出ることになるだろう。

左ひざの手術によりカカKakáは米国Estados Unidosで行われたブラジル代表seleção brasileiraの二つの親善試合に行かなかったし、ドゥンガ代表監督によって2010年のワールドカップCopa do Mundoの南米予選のパラグアイParaguai戦もアルゼンチンArgentina戦も外された。

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出産は、予定日よりちょっと遅れた。
ブラジルは、以前は異常に帝王切開が多かったのだが、このごろやっと自然分娩が増えてきた。
アルベルト・アインシュタイン病院は、最高級の病院。

Globo局系列のスポーツ専門チャンネルのsporTV局の"Bem, Amigos"は、毎週月曜日21時から、Globo局のスポーツ・ナレーターのガルヴォン・ブエノが取り仕切る番組で、大体約2時間35分くらい放送される。
昨夜は、ガルヴォン・ブエノがまた一人で喋りまくったので、23時45分頃まで延びていた。

毎週、スポーツ選手が2-3人呼ばれ、座談をする番組。
この番組での発言が、大きな意味を持つこともあるので、暇な人は見逃せない番組。

過去に、ジーコが「君が代」を歌ったこともある。

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terça-feira, 22 de janeiro de 2008

ブラジルの朝から、Xuxaが消えたその翌日。

2007年12月31日に、ブラジル最大のメディア集団の中核であるGlobo局で21年間続いてきたシューシャXuxaの番組が終わった。
月曜日から金曜日まで、朝9時半くらいから12時過ぎまでの番組であった。
内容は、シューシャが若かった頃は、子供たちと唄って踊るパートが多かったのだが、段々とアニメのパートが長くなっていた。
アニメには、日本製のものや米国製のものが次々と放映され、
最近ではその合間にシューシャが、ちょっとだけ子供と話をしたり、子供の芸を仕切るようなものになっていた。

かつてのはち切れるようなシューシャとはほど遠いものになっていた。

そして、その翌日の
2008年1月1日からは、グロビーニョGlobinhoという番組が始まった。
もともとグロビーニョは、土曜日の朝に放送されていた番組で、
アニメだけを、3時間ほど流していた。

そのグロビーニョで、シューシャのあとを埋めることになった。

でも、一応司会を用意した。

若さが、はち切れんばかりの女性である。
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Spd20080101tb

その初回の放送の番組の最後に、ちょっとだけ締めの挨拶をした。
Spd20080101tc

「20080101TVGlobinho.wmv」をダウンロード

「さよなら」なんて言っているが、
この女性は日系人だった。

その第3回目の番組の終了時には、
妹が日本にいるということも、語っている。
Spd20080102th
「20080103Globinho.wmv」をダウンロード

1月4日には、名前も分かった。
Spd20080104th

混血ではなく、純粋の日系人のようだ。
Spd20080104tj

「20080104TVGlobinho.wmv」をダウンロード

「20080109Globinho.wmv」をダウンロード

いつまで続くかと思っていたが、
しばらくたつうちに「さよなら」は言わなくなってしまった。

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segunda-feira, 21 de janeiro de 2008

ブラジルの朝から、Xuxaが消えた日。

2007年12月31日に、
21年間、
ブラジルの子供たちを魅了し続けてきた、
Globo局のXuxaの番組が終了した。

番組名は、何度変わっても、Xuxaが消えることはなかった。

その最後の番組の、最後に、Xuxaのメッセージがあった。

決して、「お別れ」とは言っていない。
「20071231TVXuxa-MessagemdaXuxa.wmv」をダウンロード

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12月から1月にかけて、
日曜日の午後、1時間ほど、
特番として
Xuxaが番組を取り仕切った。
Spd20080107tg

でも、この番組では、
もうXuxa自身が飛び跳ねることはない。
Spd20080107tb

Spd20080107ta

年齢的にも、そういったことは、難しくなってきたことは明らかだ。
Spd20080107th

Spd20080107ti

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3-4月に始まるという、Xuxaの新番組についてはまだ何も明かされていない。

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segunda-feira, 7 de janeiro de 2008

ブラジル・サンパウロの「悲しきエア・ギター」。

ブラジル・サンパウロは、ナタウ(=クリスマス)も新年のお祝いも終わったのだが、人の動きや車の通りはまだ少ない。

1月いっぱいは、休暇シーズンなので、まだまだ休みを取っている人が多いからである。
学校のほうも、12月中旬から1月末もしくは2月初めまで、夏休みとなっている。

1月6日(日)の午後、
サンパウロ市の中心部からそれほど遠くないカンブシ地区を通りかかった。
独立記念碑へ向かって南に延びるドン・ペドロ1世大通り。

男の子の兄弟が2人いた。
道路の中央分離帯である。

まだ、5-6歳くらいだろうか。
手に棒を持っているのは、棒だ。
本来なら、信号で止まった車の前に立ち、この棒3本を使って、曲芸を見せる。
そして、ドライバーから幾ばくかのお金を貰うのだ。
Spd20080106a

でも、この子は棒を1本しか持っていない。
まだ、小さいから曲芸が出来ないのだ、

車の前に立って、
その棒をギターに見立てて、掻き鳴らした。
Spd20080106b

何も曲芸をみたからといって、ドライバーに支払う義務は全くない。
でも、貰えた。
何か感じたのだろう。
Spd20080106c

でも、いつも貰えるわけではない。
貰えないことがほとんどなのだ。

この子供たちのすぐ側に、大人がいた。
大人がこんなでは絶対にお金は貰えない。
小さな子供だからこそ、小さな子供だから、エア・ギターでお金が貰えるのである。

こういった子供たちにはもう見慣れているはずなのだが、
今日は、心がかなり痛んだ。

何もしてやることも出来ないし、
何をしたらいいのかもよく分からない。
あまりに、対象が多すぎるからだ。
「20080106a.MOV」をダウンロード

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segunda-feira, 17 de dezembro de 2007

ブラジル・サッカー:2007オフ その39 ロビーニョの子供の誕生。

ロビーニョRobinhoは、”ペダラーダ”を引き継ぐための後継者を得た。

12月17日(月)12時20分に、ロブソン・ヂ・ソウザ・フィーリョRóbson de Souza Filhoが、サントス健康病院Casa de Saúde de Santosの産科で誕生した。

3,240グラム、47センチメートル。
2008年に結婚を考えているロビーニョRobinhoとヴィヴィアンVivianの最初の子供である。

ロビーニョは、この5月に父親になることを明かしていた。
そこ後何ヶ月かして、米州杯Copa Américaの時に、ベネズエラで、子供のために全てのゴールを捧げ始めた。

子供の性別が分かる前に、ロビーニョRobinhoは男の子になると確信を持っていて、名前も決めていた
もし女の子だったら、ジュリアJúliaになっていた。

ロビーニョRobinhoは近日中に子供にあう。
先週末は、ロビーニョはレアル・マドリReal MadridがオサスナOsasunaに2対0で勝利するのに貢献した。
来週日曜日には、バルセロナBarcelonaとの”クラシコ”がある。

帝王切開の後、母親は具合良く、すでに病室で休んでいる。

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誠に、おめでたい話である。

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terça-feira, 11 de dezembro de 2007

ブラジルの朝からXuxaの番組が無くなる。

シューシャXuxaが、毎朝の番組を無くし、2008年には土曜日だけになる。

Globo局は、12月11日(火)夜に、シューシャXuxaは2008年には週一の番組だけになると発表した。
新しい番組は、土曜日の午後の時間に放送される。
放送開始は4月になる。


毎日放送している"TV Xuxa"払い年初めに消える。
この時間には、Globo局は"TV Globinho"というアニメ番組を入れる。

Globo局は、シューシャの新しい番組企画についての詳細を明らかにするのを避けた。
番組が子供とファミリー向けのもので、インテラクチブになると、発表しただけである。

2007年はシューシャにとって難しい年になった。
毎日の番組は視聴率に置いて満足な数字を出すことが出来なくなった。

色々なトライはしたが、成功しなかった。
先週日曜日に放送された彼女の新しい番組の "Conexão Xuxa"は、レコルヂRecord局の"Turma do Pica-Pau"に負けた。

2006年の終わりに、もうGlobo局がシューシャXuxaが競争相手に負け続けていることで解決策出すだろうと予想されていた。.

回答がでた:「子供たちの女王」 "rainha dos baixinhos"は消える。

10月に、シューシャXuxaはGlobo局で21年やって来たことを祝った。

子供向けの司会者としてのキャリアーは、今はもう無いマンシェッチ局Rede Mancheteで、1983年に"Clube da Criança"という番組を指揮した時に始まった。

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ブラジルでは、これは一つの時代が終わったニュースだ。

今の25歳以下のブラジル人でシューシャの番組を見なかった人はいないはずだ。

でも、21年も番組を続けているシューシャも、40歳を超えて、見ていてちょっと辛いところがあったのは事実だ。
子供向けに特化しているだけに、他の番組で使えないところがある。

4月からの番組で、新しいシューシャを見せてくれないと、やはり辛いことになるだろう。

かつて、ブラジルの朝の時間は、どの局もほとんど子供向けの番組やアニメばかりであった。
子供自体が多かったし、午後から学校に行く子供もいたので、視聴率は高かったのだろう。
制作側も、日本製アニメを買ってきて、繰り返し放送するだけで、楽だったと思う。

でも、今は子供が急激に減っているので、視聴率が減るのも、仕方がない。
主婦向けの番組の時間が増えたのだが、これとて競争が激しい。

同じGlobo局の朝の主婦番組の"Mais Voce"もその存続が危ぶまれている。

ブラジルではガリバー的なGlobo局なのだが、
このところ視聴率が減少傾向にある。
トップは焦っているはずだ。

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terça-feira, 27 de novembro de 2007

ブラジル・サンパウロの「テント村」 その1。

午後に激しい雷雨が降った日。
Spd20071031czl

雨上がり。
夕方のラッシュ時には、いつも以上に道が混雑するサンパウロ。
車が動かないので、
普段は見過ごしてしまうような光景を、じっくりと見ることが出来る。

道は、円を描いて登っていく。
その円の中にある緑地。
テントがいくつも立てられている。
Spd20071031czo

何もキャンプをしているわけではない。
ここに住みついているのである。
小さな子供もいる。
夏が近づくと、例年、このような生活者が増える。
豊かなサンパウロを目指してやって来るのだろう。
Spd20071031czp

一斉に子供達が出て来ていた。
Spd20071031czq

ここは、サンパウロ市のセントロのすぐ東になる。
車に乗っていた人は、みんなこの光景を目にしたはずだ。
Spd20071031czr

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sexta-feira, 16 de novembro de 2007

ブラジル・サンパウロは「春」2007 その13 11月15日は共和制記念日。

ブラジルは、11月15日(木)は共和制記念日で、祝日で全国的に休み。

更に、全国的ではなくて、サンパウロ市は、11月20日(火)が「黒人覚醒の日」で、これまた休み。
つまり、飛び石を繋げて、6連休にする人も多いのだ。

でも、ブラジルはこのところ天候不良。

サンパウロは、このところだいたい曇りで、気温もそれほど高くならず、雨も必ず降っている。

11月15日も、昨夜半に強く降った雨がそのままのこり、ほぼ一日中雨が止まなかった。
気温も、やっと20度くらいと寒い。

休日にもかかわらず、パウリスタ大通りには、人も車も少なかった。
Spd20071115p

こんな雨の中、
コンソラソン墓地の横では、少女が傘もなく裸足で物を売っていた。
Spd20071115l

これから、12月のナタウ(=クリスマス)まで、
楽しいナタウにするために、自分で稼がなくてはならない子供達が増えてくる。
来月夏休みになると、更に増えてくる。

パカエンブー競技場の、今は工事のために使われていないチケット売り場の前は、雨が降り込みにくいので、このあたりに住みついているホームレスが溢れている。
年末になり、暖かくなってくると、こういう人たちも例年増える。
もちろん、小さな子供もその中にはいるのだ。
Spd20071115r

この悪天候は、連休中は続くらしい。
11月16日は、更に寒くなるようだ。
最高気温は17度だそうだ。

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sexta-feira, 2 de novembro de 2007

ブラジル・サンパウロのイジェノポリスの午後 その1 子供。

ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。

1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。

だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。

住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、

サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。

そのイジェノポリス地区において、レストランなどが集まったヴィラ・ボイン広場への入り口になるところで、
子供達が、歩道にあるバンカ(=新聞・雑誌売り場)の隅にしゃがみ込んでいた。
女の子ばかりだった。
Spd20071009ci

そのうち、信号で止まった車に、小さい子はおねだりをした。
Spd20071009cj

そして、大きな子はボールを使って芸を見せた。
もちろん幾ばくかのおひねりをいただくためにだ。
Spd20071009ck

ここを通る車には、午後の学校を終えて、送り迎えをしてもらう同じくらいの年齢の子供も乗っている。

「悲しいくらい」というような平凡な言葉では言い表せない格差が、もうガラス一枚の間にある。

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quinta-feira, 1 de novembro de 2007

ブラジル・サンパウロは「春」2007 その11 雷雨。

このところのサンパウロ市は、よく雨が降る。
それも、夏型の雨になった。

朝から、午後にかけては、晴れているのだが、
そのあと入道雲が発達して、夕方から夜にかけて、雷雨になる。

10月31日(水)は、15-16時頃に市内南部で割と強い雨が降った。

11月1日(木)は、18時頃に市内北部から中心部にかけて、強い雨になった。

ブラジルは、11月2日(金)は、カトリックの「死者の日」で休日である。
真面目にお墓参りに行く人もいないではない。

でも、真っ当な家族は、3連休を遊んで過ごすのが、当たり前。
サンパウロを出かける手段とお金がある人たちが、車で100万台もサンパウロを離れるそうだ。
サンパウロの車の2割にあたるから、ものすごい比率である。

すでに、1日(木)の夕方から、ラッシュと重なって、大渋滞が始まっている。
朝の2-3時まで混雑は続くという。

だが、天気予報では、この3連休には、寒冷前線がまたやってきて、気温は下がり、天気はよくないということである。

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sábado, 20 de outubro de 2007

ブラジル・サンパウロのF1-2007 その3 とらえてみれば10歳と14歳。

軍警察Polícia Militarは、10月20日(土)に2人の未成年者を逮捕したことを確認した。
※※軍警といっても憲兵ではない。 普通の州警察である。

2人は、10月19日(金)の午後、サンパウロSão Paulo市の南部Zona SulのインテルラゴスInterlagos・レース場Autódromoの前を通っていた運転手への強盗に加わった容疑をもたれている。


土曜日の夜のはじめまでに、少なくとも10人の被害者が、シダーヂ・ドゥットラCidade Dutraにある警察の48番署に現れた。

逮捕者の1人は10年の少年で、警察で、被害者によって確認された。
警察によると、少年は犯罪に加わったことを認めた。 しかし武器を持っていたことは否定した。
被害者は警察に少年はリボルバーを持っていたと言っていた。

イヴァン・ブスマイエールIvan Busmaier軍曹は、強盗の犠牲者は強盗の1人として少年の似顔絵を描いていたと言った。
容疑者の捜索で、警察はレース場の近くのファヴェーラ・ダ・パスFavela da Pazに行って、少年を発見した。

土曜日の午後のずっと、少年は警察の48分署48º Distritoにいた。
しかし警察によると、彼を初等少年院Vara de Infância e Juventudeに連れていくことを約束した母親に渡されるという。
そこで、少年は保護観察になるのか、他の少年院に連れて行くのかが決定される。

もう1人の容疑者もまた14歳の未成年者である。
すでに、盗みや窃盗の罪で捕まったことがあると、警察のイヴァン・ブスマイエール軍曹は言っている。

警察によると、彼は少年院Fundação Casaに行くことになるに違いない。
彼もまたファヴェーラ・ダ・パスFavela da Pazの住人で、警察に連れられて、彼の書類を持ってくるために自分の家に行った。

そこで、警察は彼の叔父に会い、殺人と盗みで手配されていた人物であることを発見した。
彼もまた警察に連れて行かれた。

※※ブラジルでは、12歳未満はお家に帰ることになっている。
  
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金曜日の午後に、少なくとも3台の車が、F1のフリー走行のあとに、インテルラゴスInterlagosのレース場Autódromoの前で襲われた。


名前を明かすと復讐が怖いので名前を明かさないでくれという犠牲者の1人の建築家によると、約10人の少年のグル-プがインテルラゴス大通りAvenida Interlagosが渋滞しているのを利用した。

「何秒かのことだった。しかし恐怖だった。 我々は前の車にグループがやって来るのを見て、窓を閉めようとしたが、間に合わなかった」と明言した。

彼は、他に4人の友達と本田フィットに乗っていて、囲まれた。
「彼らの1人が38口径の短銃を持っていた。 もう1人も武器を持っていた」と報告した。
この模様は、ロイターReutersのカメラマンのリッキー・ロジャーRickey Rogers,によって記録された。
Spm20071020a011783050ex00

驚いて、彼はレース場で、最終日のレースを見るのを諦めた。
「他の人は行く。 自分はもう行かない。 レース場の中の安全は素晴らしい。 しかし、南北の道は警護されていない。 出口でおそわれた。

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こういうこともあるブラジル・サンパウロのF1である。
毎年のことだが。

もともとインテルラゴスのレース場の周辺の、西側以外はファヴェーラ(=貧民窟)に囲まれている。

レース後、3時間は大渋滞するはずであるから、
動き始めるまで、どこかで時間つぶしをする手もある。
それも危ないか。

レース場の東600メートルのところに、
10月17日(木)に新たに鉄道の駅が開設された。
ここが終点である。
8分に1本運行する。

これだと、渋滞は関係ないが、
600メートルの距離がどうかな。
こういう時は、人の流れに紛れて進んで、不愉快な思いをする確率を少なくするしかない。

レースのない時には、
この列車に乗ることは自殺行為だろう。

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terça-feira, 2 de outubro de 2007

ブラジル・サッカー:2007 その91 息子を外されて、監督の肋骨を折った父親。 

パルメイラスPalmeirasの社長は、ファン組織の影響力あるメンバーのパうロ・セルダンPaulo Serdanを、パルメイラスVerdãoのU-14チームの監督のマルシオ・ヴィセンチMárcio Vicenteを襲ったことで、訴えた。

襲撃の理由は、パウロ・セルダンの息子のカイッキKaiqueが、バイシャーダ・サンチスタBaixada Santista(=サントスを含む周辺地域)ので9月29日土曜日に行われた
サントスSantosとの試合から外されたことである。

カイッキは、前半に早くも交替となった。
試合の間、パウロ・セルダンは監督を脅かしていた。
パルメイラスPalmeirasは、この「クラシコ」で3対0で負けた。
試合が終わって、パウロ・セルダンはグラウンドに侵入し、マルシオ・ヴィセンチ監督を拳骨で殴り、背中を2回蹴った。

マルシオ・ヴィセンチMárcio Vicente監督は、サントスSantosで検査を受けた。
医者は、肋骨に2箇所ひびが入っているのを発見した。
マルシオ・ヴィセンチ監督は、月曜日に退院した。

「攻撃した。 また攻撃したい。 しかし70%はあの子供の父親として攻撃したんだ。 みんな青の監督の具備を欲しがっていた。 彼は子供達の心を傷つけた」と、パウロ・セルダンPaulo Serdanは説明した。

パルメイラスPalmeirasのジュニア部門の役員によると、パウロ・セルダンPaulo Serdanはいつも自分の子供の試合を見に来ている。
ファン組織を率いている彼は、すでにライバルのファンとの喧嘩や、はてはパルメイラスの別のファン組織との喧嘩で逮捕されている。

パルメイラスのクラブ会員として、パウロ・セルダンは罰せられるだろう。

パルメイラスPalmeirasは、10月2日(火)に、パウロ・セルダンPaulo Serdanがマルシオ・ヴィセンチMárcio Vicente監督を攻撃したことについての離縁状を発表した。
サッカー担当副社長のジウベルト・シプロGilberto Cipulloの署名で、卑怯なこととして行為を非難している。

パルメイラスは、カイッキ・セルダンKaique Serdan選手は引き続きパルメイラスのユニフォームを着て、派rめいらすにいる限りは、その父親が攻撃したことには、影響されないと、発表した。

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どこでもいそうな父親の話である。

映像がないのが残念である。

14歳にもなると、息子の将来が見えてくる。
数年以内に、数十万米ドルで売れるのか、普通の人になるのかでは、
天と地の差である。
蹴りですむ問題ではない。

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sábado, 15 de setembro de 2007

ブラジルの「素敵なベリーダンス」。

月曜日から金曜日まで毎日午前に、Globo局で放送されているシューシャXuxaの番組。

色々とタイトルが変わったり、模様替えもあるのだが、20年以上続いている。

子供向けの番組なので、
普段は見ることはない。
9月11日に、何となく見ていたら、
とても素敵なベリーダンスが始まったので、
あわてて録画してみた。
「20070911Xuxa.wmv」をダウンロード

どうもこのコーナーは、
才能のある子供の芸を披露するコーナーのようであった。
毎日1人もしくは一組が、ダンスなどの芸を見せているようだ。
Spd20070912d

ブラジルは、
言うまでもなく移民の国である。

日本人移民の前に、
アラブ系の移民も沢山来ている。
19世紀の話である。
主に、当時はオスマントルコ帝国領であった、現在のレバノンやシリアあたりから来た人が多かったようだ。

サンパウロ市では、
商業に携わっている人が多く、
ここの分野では強い力を持っているほか、
政治家も多い。

そういうことで、アラブ系の人がいるわけで、
アラブ系の文化芸能が、ブラジルにあっても何の不思議もない。

たぶん十代前半だと思うのだが、
あどけなさもあるが、
艶めかしくもある。
Spd20070912a

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Spd20070912c

Spd20070912e

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かつて、中東で、
このようなダンスを見たことがあった。

ある人の家で、
その家の女性が踊ったのである。

手の動きが何とも妖艶であった。

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segunda-feira, 13 de agosto de 2007

ブラジル・サンパウロの「乳児死亡率が激減」

ブラジル・サンパウロの乳児死亡率が激減している。

1995年から2006年までの変化をみてもそれは明らかだ。
Spd20070810a

元もと、ブラジルは、その経済レベルの割には異常なほど乳児死亡率が高い国であった。

貧富の差が激しいことや、国土が広く医療サービスが均等に行き渡らないことなど、乳児死亡率の改善に向けての前提となる条件も、簡単にはいかないことが多い。

しかし、この10年ほどでここまで改善できた理由については、次のように解説された。
Spd20070810b

基本的な衛生環境の改善。
妊産婦へのアシスタントの向上。
ワクチン接種。

劣悪な環境に住み、栄養状態が悪く、医療サービスを受けられなかった、もしくはそういった知識に欠けていた貧民層への行政サービスがよくなったことが大きな要因である。

また、以前は「貧乏人の子沢山」を地でいったのだが、
徐々にそれは変わりつつある。
貧民層でも、子供の数は減りつつあり、それだけにそれぞれの子供の生育環境、栄養状態もよくなっている。

社会自体が変化していることも大きい。

しかし、サンパウロ州でもっとも乳児死亡率高いのは、
海岸沿いの地域である。

低地なので高温多湿であり、
貧民窟は低湿地に広がっている。

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ブラジルでは、
以前は、スーパーの棚に、粉乳の占める割合が多かった。

乳児用の調製粉乳だけではなく、全脂粉乳や脱脂粉乳がずらりと山積みになっていた。

しかし、今はそれほどでもない。

よく言われるのが、粉ミルクを溶かす水そのものが汚染されていることが、乳児死亡率を高める原因の一つであるということである。

当たり前のことだが、乳児にとって一番の栄養源は母乳なのである。

どうも、以前のブラジルでは、富裕層も貧民層も、そこを調粉メーカーの戦略に乗せられたせいか、母乳よりも調製粉乳のほうがよいくらいに理解していたきらいがあった。
歴史的には、富裕層は、子育てには乳母を使ったくらいだから、元もと自分の母乳を与えるなどいうことに、あまり関心が高くなかったのかもしれない。

WHOと、調製粉乳メーカー(世界で圧倒的なのはネスレ)の戦いは、1960年以降にはじまり、いまは世界中のほとんどの国で販売されている乳児用の調製粉乳には、かならず「母乳が一番であることと、医師の指示を受けて与えるということ」が、缶の上部にその国の言葉ではっきりと記載されている。

日本は、この表示を記載していない例外的な国である。
元もと、民度が高く、調製粉乳のほうが母乳よりよいなどという理解がなかったからだとか、メーカーが詐欺的にあくどいことをしなかったからいうのだが、無いものはない。
この表示をしなくてよいことは、厚生労働省も認めていることである。

ブラジルでは、1980年代から、母乳推進運動が、中核的な病院から始まっている。
この運動はとても力強く、拡大した。
世界的にみても、きわめて先進的なものになった。
政府もこれを後押しした。
日本の政府とは立場が随分とちがうものだ。

いまでは、
母乳を与えるのが、当然になっている。
母乳を与えようというキャンペーン活動は今も続けられている。

8月7日にも、パウリスタ大通りでこういったキャンペーンが行われている。
Spd20070807tc

Spd20070807tb

Spd20070807ta

ブラジルの社会が、この20年間で大きく変わった事の一つが、調製粉乳の使用の大幅な減少ではないかと思っている。

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ブラジルでは、調整粉乳のメーカーとしては、ネスレしかなかった。

米国系のワイス、ミード・ジョンソン、ドイツ系のミウパなど、
世界で高いシェアを持っている調粉メーカーのものは、何故か無かった。

もちろん、日本の4社(明治、雪印、森永、和光堂)もなかった。

これは、乳製品の販売については、ブラジル農業省の許可を得なくてはならないのだが、その取得の条件が非常に厳しいということがある。
それと、ネスレのブランド力が圧倒的に確立されていて、新規参入が難しかったこと。
そして、普及のための病院でのプロモーションが、近年の母乳推進派によって認められなかったことも、新規メーカーにとっては普及の手段を断たれたことになった。

乳児用調製粉乳の販売については、WHOのコードがある。
メーカーによる母親への直接的な接触などはもってのほかである。

日本では、その辺もやや曖昧である。
もっとも、日本の母親は、メーカーの接触などあってもなくても、それ以前に知識を持っているはずである。

この種の製品のブランド選択の動機は、だいたい次の通り。

出産した病院の推薦するブランド。
自分の母親の推薦もしくは自分が使ったブランド。

最近は、育児雑誌の記事もやや影響があるようだが、
微妙にメーカーの色が付いていることもある。
テレビ番組など同じで、タイアップの可能性がある。

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sábado, 14 de julho de 2007

ブラジル・サンパウロの殺人犯は少年3人。

6月26日に、サンパウロSão Paulo市西部Zona OesteのモルンビーMorumbiで夫婦の殺人に加わった容疑で3人目の少年が、7月13日(金)に逮捕された。

公共安全局Secretaria de Segurança Pública (SSP), によると、少年はサンパウロ市南部Zona Sulのカパン・レドンドCapão Redondoで16時30分過ぎに発見された。

7月12日(木)に、警察は14歳と16歳の未成年者を拘束した。
警察によると、彼らは楽しみのために車を盗む気だった、それを売る気はなかったと言った。
ファラヴィオ・アフォンソ・ダ・コスタFlávio Afonso da Costa警部によると、殺人市民保護部Departamento de Homicídios e Proteção à Pessoa (DHPPの尋問の間に、2人から得た情報だという。

6月26日の夜、銀行員のグラウベル・アレシャンドレ・パイヴァGlauber Alexandre Paiva37歳と妻のマルタ・マリア・セナ・ヂ・オリヴェイラMarta Maria Sena de Oliveira30歳は、フェスタから戻っていた時に、アルベルト・アウグスト・アルヴェスAlberto Augusto Alves大通りの信号で容疑者に襲われた。

グラウベル・アレシャンドレ・パイヴァは犯罪者から逃げようとして車のアクセルを踏んだ。 しかし悪党は撃った。
車の後部座席には、夫婦の子供7歳がいて、全てを見た。

警察によると、木曜日に2人の逮捕された未成年者は犯罪に加わったことは認めている。
しかし、発砲の当人であることは否定していた。
彼らは、逃げていた3人目の未成年者が、夫婦を殺したと指摘していた。

木曜日に逮捕された2人の未成年者は、殺人市民保護部で夜を過ごした。
今朝、彼らは青少年法廷Vara da Infância e Juventudeへ向かって、2人が”家財団”Fundação Casa (ex-Febem).(=少年院)に行くかどうかがそこで決定する。

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この事件は発生したときは、割と大きく報道された。

事件が起きたところが、いわゆる広義のモルンビー(本当はジオバーニ・グロンシ大通りの一番終わりのところで、モルンビーとは言い難いところで、ほとんどカンポ・リンポで、夫婦のアパートはそこにあった。 はっきり言って、このあたりは絶対に夜には近づかないと決めている。)だったことと、
さらに逃げようとして撃たれたこと、そして子供だけが生き残ったことからだ。

車は、2007年モデルの本田フィット。
更に、日系人(かなり顔つきが違い、名前も違ったが母親が日系人の顔をして、名前も入っていた)だった。

目撃者はいたのだが、犯人については、未成年者かもしれないという報道はなかった。

7月12日(木)に、どういう訳か、急に未成年者が捕まったという報道があった。
未成年者なので、テレビでは顔は映されなかった。

こういう未成年者が自身のコントロールが聞かないので、一番怖いと言われている。

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quarta-feira, 30 de maio de 2007

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その14 寒風の中。

ブラジル・サンパウロは、先週からずっと寒い。

5月28日(月)は日中に日が差したので、久しぶりに気温が20度を超えた。

しかし、
29日(火)はまた寒くなった。
朝方には冷たい雨が降り、
その後も雲がたれ込めた。
こういう日は、暗くなるのも早い。
Spd20070529t_1

信号待ちをしていると
赤ちゃんを抱いた子供が、車を一台一台回っている。

こちらにもやってきて、
何も言わずに、ただしばらく運転席の横に立つ。
赤ちゃんを見せるようにしてだ。

何も貰えないと分かると、次に行く。
Spd20070529r_1

誰からも貰えなかった。

妹なのか、仲間なのか、
「芸」をみせる子供達と一緒にかたまっていた。
Spd20070529s_1

もう気温は10度近くまで下がっていた。
風は冷たい。

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sábado, 28 de abril de 2007

ブラジル・サンパウロの「若者のショー」

拙宅は、サンパウロの中心部に近いパカエンブー競技場の近くである。

このパカエンブー競技場は、サンパウロ市営で、
おもにサッカーの試合に使われている。
それも、ほとんどがコリンチャンスの試合である。

こんなところに住んでいると、大変だろうと思われるようだが、それほどでもない。
コリンチャンスの試合の日であっても、それほどでもない。

”クラシコの”対パルメイラス戦などは、大抵モルンビー競技場で行われるので、
このパカエンブー競技場では、そこまで荒れそうな試合はない。

人が多くなるのは、
選手権の後半でコリンチャンスが優勝に絡んでいるとか、
リベルタドーレス杯南米選手権のような国際試合の時である。
普通は、せいぜい2.5万人もはいれば多い方だ。

だいたい試合の2-3時間前から屋台が開き始めて、
2時間前くらいからかなり気が早い観客がやってきて、
屋台で一杯やり始める。
道路で爆竹をならしたり、花火を打ち上げるのはこのころからだ。

普通の観客は、1時間半前から競技場に入り始めるが、
多くは30分前くらいにやって来る。
試合は、だいたい2時間くらいある。
拙宅にいても、
時折観客の歓声が風に乗って聞こえてくるくらいである。
インターバルは20分ぐらいが普通だ。
試合が終わると、観客はさっさと帰る。
抗議活動や騒乱などよほどの事がない限り、20-30分で静かになる。

だいたい試合が開催されるのは、年間に40日もないのである。
稀に、サントスやパルメイラスやサンパウロFCが主催試合を行う事もあるが、それらを入れてでもある。
今年のように、コリンチャンスが選手権で早々と敗退すると、それだけ試合は更に減る。

サッカーの試合の他に、このパカエンブー競技場は、
コンサートや集会にも貸し出される。

実は、こちらのほうが問題なのだ。

コンサートは、だいたいロック・コンサート。
ブラジルのこういったコンサートは、公演時間が長い。
前座を入れると数時間はやっている。
高い入場料なのでこれくらいしないと観客が納得しないのだろう。

昨年は、2回コンサートがあって24時をすぎるまでやっていたので、
住民が大クレームをして、
22時くらいまでに終了しないと、電気を切る事を約束させた。
この地区の住民は政治的にとても強力だからである。

そして、
もう一つは集会。
これは、宗教の集会だ。
これがまた時間が長い。
6時間はみっちりやる。
何も説教だけで人が集まるわけはない。
音楽コンサート仕立てである。

さて、4月28日(土)のサンパウロは、引き続き寒い。
気温は日中でも20度に達しない。

だが、朝から、パカエンブー競技場付近は騒がしい。

11時頃になると、次々にバスがやってきた。
もしくは何か若者の集団が集まってきた。

スポーツ大会にしては、時間が遅い。

12時、13時とどんどんとバスがやってきて、周辺の道路は大渋滞。
何かなんだかわからないうちに渋滞に巻き込まれた車のクラクションが
更に混乱を増大させる。

バスが動かないので、
次々にバスを降りて歩き始める。

何だろうと、確認しに行った。

"Forca Joven"という標語があるシャツを着た人が、競技場の周辺で集団を整理していた。

だいたい一つの集団は数十人。
ちょうどバス一台分なので、それ毎にまとまっている。

迷子にならないように、手をつないで移動している。
「20070428Universal1.MOV」をダウンロード

だいたいが10代半ばから後半の若者である。
「20070428Universal2.MOV」をダウンロード
「20070428Universal3.MOV」をダウンロード

よく見て分かった。
"Igreja Universal"という文字を見つけた。
ウニヴェルサル教会だ。

ペンテコスタ系(福音派系)では、多分ブラジルで最大のキリスト教系の教団である。
数百万人は信者がいるらしい。

それの若者向けの集会なのだ。

つまり、ほとんどコンサートである。

そういえば、毎年やっているはずだったのだが、忘れていた。

バスの前に
教会の地区名や
このパカエンブー競技場での入り口が書いてあるのだが、
何故か集団は入り口を求めて、競技場周辺を右往左往している。

肝心の集会(ショー)が何時に始まるのか分からないが、
15時半でもまだ入り切れていない。

この集会(ショー)が終わるのは、何時になるのだろうか。

--------------------------------
ここの集まってくる人は、普段この地区ではまず絶対に見ない人たちである。

サッカーの試合だって、学生料金の最低でも8レアルは必要なので、
ある程度の層以上でないと観戦はむずかしい。

今日の集会(コンサート)は、
ブラジルで一般的な1キロの食料を持っていけば入れる事にもなっているようだ。

その食料を販売している人もいた。

この地区では見ない人たちではあるが、
考えてみたらこちらからもその人達が住んでいる地区には行かない。

ウニヴェルサル教会が教勢を増しているのは、
こういう人たちをターゲットとし、信者獲得に成功しているからだ。

ブラジルでも葬式宗教と化している多くの日系宗教もすこしは見習った方がいい。
宗教はこうやっていかなくてはならないのではないか。

ところで、この集団の中に、日系人の姿は見つけられなかった。
いることはいるとは思うのだが。

それにしても、かなりうるさい。
鳴り物を持参している一団もいる。

毎年の事なのだから、
もうちょっとスムーズに競技場内に入るように、誘導できないのだろうか。
ほとんどの者はパカエンブー競技場など来た事がないから、
ゲートの番号が分かっても、それがどこにあるのか分からないのでうろうろしている。

だが、
競技場の周辺で、マコーニャ(=マリファナ)の香りに包まれたぞ。
どうなんだ。

16時をすぎても人はまだ競技場に入り切れていない。
拙宅の前にも列が伸びてきた。

16時45分、
一体始まっているのかいないのか。
拙宅の前にも人がずらっと座り込んで動かない。

何か、諦めているのか期待しているのか
べちゃべちゃと話し込んでいる。
鳴り物も時折さわっている。

諦める事になれているから、
文句も言わないのだろうか。

拙宅周辺は、
今までにない雰囲気になった。
モルンビーの南部に住んでいるとこんな事は良くある事なのだろうが。

--------------------------------
集会(ショー)は、17時半頃に終わったかのようだ。
帰り始めた人がいる。

でも、18時過ぎでもまだ何か宗教っぽい音がしている。
終わっていないのかもしれない。

拙宅の家の前にいた人たちは、
なんでも入れなかったようだ。
わざわざ、こんな遠くまでやって来たのに可哀想な事だ。

もっとも拙宅の前で、
結構宴会を始めていて楽しそうだった。
その人達も、17時半前にはいつの間にか消えていた。

--------------------------------
18時20分過ぎ、
また帰路につく人が一段と増えた。

もうあたりは真っ暗になった。

19時15分、
またクラクションが鳴り渡った。

19時18分、
バテリアの一団が通りすぎている。
カルナヴァルみたいになった。

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quinta-feira, 12 de abril de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その28 Parque Buenos Aires

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっており、東部および北部西部の公園の紹介はすでに終えた。
サンパウロ市の中心部の公園を紹介している。
”緑の地図”による21番は、ブエノス・アイレス公園Parque Buenos Aires。

面積:25000m²
開園:1987年

特色:
この公園には有名人の彫刻がある。

住所   :Avenida Angélica, s/n (altura do n° 1500) - Higienópolis
電話   :(11)3666-8032
開園時間: 6h às 18h

サンパウロ市の中心部セントロから直線で西に4キロ離れた中心部にある。

主な設備は、遊び場、器械運動器具、散策路、ドッグラン。
駐車場はない。

Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)
Spd20070409pgmf

公園は小さい。
しかし、入り口は6箇所もある。

この公園の周辺は、サンパウロで最も高級なアパート街イジエノポリスである。
1960年代に建築されたアパートはいかにも老朽化しているのだが、
その分内部は重厚である。
まだ、サンパウロがいまよりも安全だったときに出来たアパートが多い。
Spd20070210pbao

その後に出来たアパート街とは、雰囲気が全く違う。
静かで、上品で、落ち着いている。

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この公園および周囲については、以前に紹介している。

より詳しいところもあるので、改めて参照願いたい。

ブエノス・アイレス公園 その1
ブエノス・アイレス公園 その2
ブエノス・アイレス公園 その3
ブエノス・アイレス公園 その4
ブエノス・アイレス公園 その5
ブエノス・アイレス公園 その6
ブエノス・アイレス公園 その7
ブエノス・アイレス公園 その8
ブエノス・アイレス公園 その9
ブエノス・アイレス公園 その10
ブエノス・アイレス公園 その11
ブエノス・アイレス公園 その12
ブエノス・アイレス公園 その13

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この公園に行ってみた。
Spd20070210pbag

公園の北西端の入り口にある
サンパウロ市営公園に共通なデザインの公園名称表示板。
Spd20070210pbaa

公園には、確かに彫刻が多い。
Spd20070210pbab

これは母子像である。
Spd20070210pbae

この像のまわりには、
なぜか、子供連れが集まる。
Spd20070210pbaf

平日には、乳母が連れてくることが多いが、
休日には親子連れが多い。
Spd20070210pbac

Spd20070210pbad

園内の通路。
Spd20070210pbah

園内の通路。
Spd20070210pbam

器械運動用具。
Spd20070410pbac

アンジェリカ大通りに面した入り口前にある公園名称表示板。
Spd20070210pbaj

遊び場。
乳母に連れられた子供が多い。
Spd20070210pbal

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この公園のあるイジェノポリス地区は幹線道路からはアプローチがやや難しい。
それも、いまだに環境を守っている理由の一つだろう。

サンパウロ市中心部のセントロのセ広場からのアプローチとともに、パライゾ地区からのアプローチも示しておいた。

セ広場からは、やや面倒だ。
一旦ドン・ペドロ1世広場まで下りて、右折し、ヴィアドゥット・レスチ-オエスチを使って、セントロの西側にでてくる。
フランクリン・ルーズベルチ広場でコンソラソン大通りにでて、西に向かう。
右折して、マリア・アントニア通りに入り、そのままイジエノポリス大通りにはいる。
アンジェリカ大通りを左折して、3ブロック目が公園になる。

イジエノポリス地区は一方通行が多い。
パウリスタ大通りからアプローチする場合は、このことをいつも頭に入れておかねばならない。

コンソラソン大通りをクロスして、イジェノポリス地区に入るには、
マリア・アントニア通りの他には、アントニア・ヂ・ケイロス通り、マセイオ通りしかない。
これらの通りを使って、イジエノポリス地区に入ったあとに、公園に至るには、一方通行が多いので、回り道を余儀なくされる。
Spd20070409pgmh

また、アンジェリカ大通りは平日はほとんどの交差点で左折禁止であるが、休日は可能である。
また、公園の周辺道路は、平日はゾナ・アズールになっているが、空きがそれほど見あたらない。
土曜日の午後と日曜日には、駐車可能になるところが多い。

公園の西南側のアラゴアス通り。
公園周辺の道路は、休日は駐車し易い。
Spd20070210pban

帰路も、一方通行により、複雑な経路をとらざるを得ない。
示した経路は、あくまでも参考である。

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公園のあるイジエノポリス地区は最高級アパート街。
(橙色で囲んだところ)
そしてその西側のパカエンブー地区は、最高級一戸建て屋敷街。
(黄色で囲んだところ)
Spd20070409pgmg

その中心にあるのが、ブエノス・アイレス公園である。
20年ほど前は、塀などなくて、ブエノス・アイレス広場と呼ばれていた。

ところが、広場で色々な事件が起きたので、住民の要請で夜は閉園する公園となった。
この地区の住民は、市政に対して極めて強い発言力を持っている。

パカエンブー地区は、日中でもほとんど人通りはないが、
イジエノポリス地区は人通りが多い。

サンパウロで住民が安心して歩く事が出来る唯一の地区と言われている。

住民は、極めて上品である。
言葉使いや話題が全く違う。

この地区で事件が起きないわけではないが、
起きるとわざわざ報道される地区である。

セントロに近い東側やサンタ・セシリア地区になると、治安がいい地区とは言えないが、イジエノポリス地区とははっきり区別できる。

---------------------------
この公園の評価。

小さい。
基本的に、周辺住民達の交歓の場。

わざわざ、この公園に来るような事はない。
設備も大したものはない。
彫刻と言っても、さほどではない。

この地域の上品な人々と雰囲気が、一番の魅力といっても良い。
ブラジルに、こんな地区があったのかと思うようなところだ。

この公園に来るなら、この地区の探訪をお薦めしておきたい。
この地区には、美術館や良質のレストラン、そしてその上品さで知られるパチオ・イジエノポリスというショッピングセンターがある。

公園の北西側のピアウイ通りには、ウニバンコの小さな美術館がある。
さらにパカエンブー地区になるが、公園から5分くらいのところにFAAPがある。
公園とFAAPの間にあるヴィラ・ボイン広場には、カジュアルなレストランが並んでいる。

土曜日の午後を、この地区で過ごすのはどうだろうか。

サンパウロでは、本当に気持ちよく歩く事が出来る地区は少ない。
この地区は、比較的勾配もきつくない。
パカエンブー地区は、屋敷街で人通りも多くないので歩いていると寂しいが、
イジエノポリス地区は人通りがそこそこある。

アパート街の中に、良いレストランも散在している。

公園に訪れる人は、高齢の女性が多い。
介護人を連れた人が多い。
ブラジルの高齢化が進んでいる事を感じることが出来る地区である。

住民は白人がほとんどだが、
使用人が一緒なので、来園者が白人だけとは言えない。

日系人はあまりいないのだが、いない事はない。

こういうところに住んでいる日系人は、すでに日系社会から離れた人と考えた方がよい。

---------------------------
1970年代までは、日本企業の社長宅はイジェノポリス地区に多く存在していた。
普通の駐在員にかなり予算オーバーだったようだ。
そのころは、アクリマソンに住んでいた事が多かったそうだ。
セントロに事務所があったので、そういう事になっていたのだろう。

その後、パウリスタ大通りのブリガデイロ・ルイス・アントニオ通りと7月9日大通りのアパート街に集住するようになった。
どういう訳か、アウグスタ大通り側には、あまり住まなかったようだ。
予算オーバーだったのだろう。

そして、そこからはみ出た人がより安いパライゾ地区に行った。

このところは、パライゾ地区とモエマ地区などに住んでいるようだが、
率直に言って、どうしてこんな、うるおいのない、危険極まりない地区にお住みなのか理解できない。
やはり予算の関係なのだろうか。

欧米企業のように事務所も思い切りパウリスタを離れて、
その付近の新しく、敷地が広い、安全なアパートに籠もるようなことは、
日本企業は出来ないから、結局パライゾ地区にやむを得ずいるのだろう。

イジェノポリス地区を歩いてみて、
イジェノポリス地区に引っ越そうなどと思っても出来ないだろう。

もっとも、日本人が多く住むようになると、
イジェノポリス地区でも事件が起きてきそうな気がする。

パライゾ地区が危険というのは、
日本人が住んでいて、日本人が狙われるという意味で危険なのである。
だから、パライゾ地区には昼も夜も、平日も週末も出来るだけ近づかないようにしている。

---------------------------
ところで、いまこの公園では大変な問題が起きている。

来園者の中で、議論が沸騰している。

まさしく、この公園ならではの議論である。
サンパウロの他の地区では絶対に起きえない議論である。

この公園は、犬だらけである。
住民が、飼い犬を散歩に連れてきて、飼い主同士で話をしている。
小型犬も、中型犬も、大型犬もいる。

広いアパートが多いので、大型犬でも飼えるのである。

大型犬を連れていると、
「家で飼っているのか、アパートで飼っているのか」と尋ねられる。

犬を連れてくるのは、飼い主だけではない。
犬の散歩係や、散歩代行業の人たちもやってくる、
とにかく一日中、犬が溢れている。

そして、この公園にはサンパウロの公園で唯一のドッグランがある。
自然に出来たという事だ。
(自然に出来るはずもないのだが)
Spd20070410pbae

公園の東の角にある。

昨年、そのドッグランが拡張された。
愛犬家がいつの間にか広げたという事である。
(いつの間にか広がるわけもないのだが)
Spd20070210pbai

ドッグランでは、犬を放してよい。

ところが、全ての犬がドッグランにいるわけではない。

ドッグランに行かない犬もいるし、そういった犬の方が多い。
公園中の至る所にいるのである。

時には、引き綱を外されて、芝生を走っている犬もいる。
もちろんこれは違反である。
公園入り口には、規則がちゃんと表示されている。
Spd20070410pbab

愛犬家向けたものもある。
Spd20070410pbaa

いくら愛犬家が多いといっても、
さすがに眉をひそめる人もいる。

この地区の愛犬家はマナーもとても良い。
サンパウロの他の地区とは大違いである。

多くの人はちゃんと糞の処理もする。
だが、ごく稀にしない人もいる。

芝生にはいると、糞がある事もあるのだ。

一方、愛犬家の要求は尽きない。
現在のドッグランは日当たりが悪い。
いつも湿気た感じである。

そこで公園の真ん中にある芝生の部分を犬のために解放しろと言っている。
Spd20070210pbak

以前は犬が走り回って、芝生が枯れてしまったので、いまは養生中である。
Spd20070410pbad

サンパウロで、
犬の健康の事で議論をしているような地区はここしかない。
人間の健康が問題の地区がほとんどである。

こういった事が、ローカル・ニュースで2週間ほど前に報じられた。
「20070327JNsp-Buenosaires-Cachorro.wmv」をダウンロード

月曜日の9時に取材が来るからと、その前の土曜日と日曜日に常連の愛犬家達に通知が廻った。
取材のときに、犬を連れてかなり集まったようだ。

上品にそして美しい言葉を使われる方々が多い事がよくわかる。

こんな地区は他にない。

日本でもそうだが、
見知らぬ者同士が、
犬を通して交流する事が出来る。

このイジエノポリス地区は、そういった犬の飼い主と知り合いになっても損はないところである。
一流人士がお住まいになっている事で有名である。

この地区の人たちは、かなり浮世離れした人たちということもできる。
会話の話題が、犬のことだけではなく、ほかのことでも異なっている。


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domingo, 1 de abril de 2007

サッカー・サンパウロ州選手権2007 その67 第14節 コリンチャンス対ノロエスチ戦 観戦2。

3月18日(日)16時から、サンパウロのパカエンブー競技場で行われた、サッカー・サンパウロ州選手権の第14節コリンチャンス対ノロエスチ戦を観戦に行った。

続きである

前半の半ばから、細かい雨が降ってきた。
母は息子にはカッパを用意していた。
Spd20070318fzd

この日のパカエンブー競技場。
(クリックすると拡大する)
Spd20070318fze

前半が終了すると雨も止んだ。
気が付くと、虹が出ていた。
Spd20070318fzf

とても得した気になった。
Spd20070318fzg

10分以上は、虹がでていた。
Spd20070318fzh

写真できれいな虹をとるのは難しいのだが、いい色がでた。
Spd20070318fzi

レインボーカラーは、サンパウロでも変わりない。
Spd20070318fzj

ボランチのマルセロ・マットス。
Spd20070318fzk

女性線審。
腿の裏側がなにか変だ。
ご本人の腿はきれいだったのだが、どうしてこんな風に撮れてしまったのか。
Spd20070318fzl

女性線審。
Spd20070318fzm

ノロエスチが得点をあげて喜ぶ、おそらく本拠地のバウルからわざわざやって来たファン。
Spd20070318fzn

エーメルソン・レオン監督が、FWジェアン・カルロスとFWダニエル・グランドを交替で入れる。
Spd20070318fzo

FWダニエル・グランドは、FWアモローゾに替わってはいった。
Spd20070318fzp

ダニエル・グランド。
Spd20070318fzq

ジェアン・カルロス。
Spd20070318fzr

ダニエル・グランドがペナルティーエリアで倒されたので主審はPKを宣した。
しかし、この女性線審がその前にオフサイドを宣していた。
それで揉めた。
結局は、線審の判断でオフサイドになった。
でも、その後のビデオ映像ではオフサイドではないようで、この女性線審の誤審だったようだ。
Spd20070318fzs

ノロエスチの監督。
どっちが監督かわからない。
Spd20070318fzt

この日の有料入場者数は11,182人。
Spd20070318fzu

ここには写っていないが、ダニエル・グランドが、後半48分に決勝点を決めた。
Spd20070318fzv

ダニエル・グランドが、エーメルソン・レオン監督と抱き合った。
Spd20070318fzw

大喜びのダニエル・グランド。
昨年末から言っていることだが、
彼は頬が汚れているように撮れてしまう。
Spd20070318fzx

死ぬほど喜ぶダニエル・グランド。
Spd20070318fzy

ガヴィオンエス・ダ・フィエウの皆さんのところにも挨拶に行った。
Spd20070318fzz

試合は、そのまま終了。
コリンチャンスが、2対1で勝利。
Spd20070318fzza

最初の得点をあげたDFグスタヴォにも記者が張りついた。
Spd20070318fzzb

エーメルソン・レオン監督にも取材記者。
Spd20070318fzzc

そして、立役者のダニエル・グランドにも。
Spd20070318fzzd

ノロエスチのファンがいるので、しばらくは特別な駐車場へ行くゲートが開けられなかった。
Spd20070318fzze

観客。
Spd20070318fzzf

上半身は良かったのだが、下半身はちょっとお太りになっていたのでカット。
もちろん彼氏と一緒だった。
彼氏もカット。
Spd20070318fzzg

ダニエル・グランドへのインタビューは長く続いた。
Spd20070318fzzh

未練がましく残るノロエスチのファン。
Spd20070318fzzi

観客。
Spd20070318fzzj

両チームのバスの駐車スペースに集まったファン。
運が良ければここでサインなどが貰える。
Spd20070318fzzk

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sábado, 31 de março de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その16 Parque Cidade de Toronto。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっており、これら東部の公園の紹介はすでに終えた。
サンパウロ北部の公園の紹介をしている。
”緑の地図”による12番は、トロント市公園 Parque Cidade de Toronto。

面積:109.100m²
開園:1992年

特色:
この公園はサンパウロSão Paulo市とカナダCanadáのトロントToronto市の技術協力プログラムの一つとして生まれた。
両市の技術者間の仕事の理解、診断、ノウハウの移転を目的としていた。
湿地と池が、公園エリアの大きな部分を占めている。
このため、こういった環境に生きる生態系を知る事が出来る。
特筆すべきことはカナダの遊具が遊び場にある事である。

住所:Av. Cardeal Mota, 84 - City América/ Pirituba
電話: (11)3648-0579
開園時間:6h-18h

サンパウロ市の中心部から直線で10.5キロ離れた北西部にある。

面積的には決して小さくはない公園である。
主な設備は、多目的コート、遊び場、遊歩道、運動器具、シュラスコ場。
駐車場は無い。

Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)
Spd20070330pgmc

この公園は、確かに、池と湿地がほとんどである。
※※衛星写真が撮影されたときの池の面積はかなり小さい。
   水位がかなり下がっていたときのようだ。
   実際はもっと広い。
   ずっと西側に広がっている。   

その周囲のわずかな土地が実際に来園者が入り込めるところとなっている。
この公園は、北西が高く、東側が低い。
平地なのは、多目的コート、管理事務所、遊び場があるあたりだけである。

全体的に見ると、池と湿地がほとんどを占めている。
わずかに原生林もある。

ここも、川の原流域を公園にしたものであるが、下流域は暗渠化されていない。

公園の入り口は2箇所。

公園の周辺は、完全に住宅地。
ほとんどの家の屋根の色が瓦の色をしている。
更にそれぞれの家の輪郭がはっきりしていて、大きい。
敷地は最低でも500平米以上はありそうで、家の床面積も400平米以上はあり、プールがある家がほとんどである。
この10数年前から分譲されている高級住宅街である。
中の上の階層以上が多いようなところである。

公園の北側の入り口あたりが、この公園の頂上になる。

-----------------------------
この公園へのアプローチは難しくない。
※説明で、理解できない人はこの公園には行かない方がよい。

サンパウロ市の中心部からはマルジナル・チエテを西に行く。

バンデイランチへの分岐をすぎて、バンデイランチの高架の下を通り過ぎたところで右に曲がる。
※右側に入って直進するのではなくて、右側に曲がる。
Spd20070330pcta

かなり急角度に曲がるので、十分に減速が必要である。

曲がるとアパート街が近づいてくる。
左手の塀の向こうは住宅街である。
このアパート街は、低所得者向けではない。
といって高級でもない。
位置づけが難しいアパート。
Spd20070330pctb

アパートを通り過ぎたところがもう公園になる。

公園のフェンスに沿ってちょっと行くと、正門になる。
Spd20070330pctc

帰りは、アパート街を戻り、マルジナル・チエテにでる方法が正当だろう。
Spd20070327pctb

あえてそれは説明しない。
せっかくなので高級住宅街を抜ける方法を紹介しておく。
Spd20070330pgme

この高級住宅街は、出入り口が3箇所しかない。
それぞれの出入り口に、門番がいるわけではない。
自由にはいる事が出来る。

一つはアパート街側である。

あと2つは、西側にある。
公園の南側の道は、カルヂアル・モッタ大通り。
正門から西向かい、最初の角を左に行き(ジョゼ・レボウサス・ヂ・カルヴァーリョ通り)、2番目の角を左にはいる(マルコ・A・モンタドン通り)。
突き当たりを右に行き直進する(エンジネイロ・ジウゼッペ・ミギリオレッチ通り)。
更に突き当たりを左に曲がり(アナスタシオ大通り)、道なりに行って、次に右に曲がりあとは、道なりに直進する(プロフェッソール・ベネヂット・アァリコ・ヂ・カストリ・ボレーリ通り)。
道の名前は変わるが、そのまま行くとアニャングェーラが正面に見えてくる。
信号を直進し、アニャングェーラの下を抜けて、反対側にでる。
※この方法でしか、アニャングェーラのサンパウロ市内方面に出る方法はない。
 途中で、決して間違えない事。
 この道は、サンパウロ市内での重要な抜け道の一つなので覚えた方がよい道である。

アニャングェーラを通り、チエテ川を渡る。
そのまま直進して、アルト・ダ・ラッパやポンペイアを通って市内中心部にアプローチするのが好きだ。
どうしてもこのルートが嫌いな人は、チエテ川を渡ってすぐに、右にまがりマルジナル・チエテの東行にはいるのも良い。

マルジナル・チエテから、マルジナル・ピニェイロスを使いたい人は、
アニャングェーラを潜ったあと、アニャングェーラに合流せずに、マヌエル・ドミンゴス・ピント大通りを直進していけばマルジナル・チエテの西行にでる。
マルジナル・チエテに出る前、左側に小さなファヴェーラがあるが、昼間は気にする事はないだろう。

----------------------------
公園に行ってみた。

正門付近の住宅街
Spd20070330pctd

正門。
Spd20070330pctzf

正門には色々な注意の表示掲示がある。
放し飼いの犬は駄目、
池で泳いだり、釣りをしても駄目。
自転車も駄目なそうだ。
Spd20070330pcte

さっそく、正門の左側に、自転車をつなぐところがある。
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珍しく公園の配置図がある。
青い部分が池で、緑の部分は入り込めない樹林である。
つまり池を一周する事は出来ない。
更に西の方は湿地になっているのだが、ここも入り込む事は出来ない。
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公園の東端にある多目的コート。
2面ある。
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更に円形のステージがある。
(着色してあるところ)
何に使うのか使った事があるのか不明。

公園の池の下流域。
雨でも降らないとほとんど枯れている。
アパート街とバンデイランチの間を流れている。
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公園の東北端からのパノラマ。
(クリックすると拡大する)
左側に、池の排水溝がある。
正面の丘は全て高級住宅街。
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正門を入って正面に、
サンパウロ市営公園に共通なデザインの公園名称の表示板がある。
カナダにちなんでメープルである。
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その先に、デッキがあった。
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このデッキは、湾曲して、池の方に突き出ていた。
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大して突き出ているわけでもないのに、池の風をちょっと感じられて気持ちよかった。
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平和である。
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遊び場は2つに分かれている。
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一つは地面が砂になっているところ。
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もう一つはコンクリートが引いてあるのだが、
これが多分カナダの遊具のはずだ。
夏の休日にはわずかに水が溜められるようになっている。
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この正門前の地区から対岸に行くには、細い遊歩道を通らなくてはならない。
砂利道である。
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公園の南側に沿って西に行くと、対岸へ行く橋がある。
右側の橋が池の端をかすめて通る。
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左側は、湿地の中を通り抜けて、対岸の芝生のあるところの左の外れにでるようになっていた。
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対岸には平地はほとんどない。
向こうに見えるのも高級住宅街である。
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橋の上から、東側を見た。
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橋の終端。
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対岸から、正門の地区の方を見てみた。
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高級住宅街。
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対岸には、運動器具がある。
全て使い方を図示している。
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公園の西の端。
雨が降ると、水が流れるようだ。
正規の道ではないようだが、フェンスに沿って歩く事は出来た。
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対岸側の入り口の外にある公園名称表示板。
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住宅街。
誰も歩いていない。
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シュラスコ場。
竈は7つほどあった
週末は賑わうという。
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シュラスコ場の下の池の縁から対岸を見てみた。
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池の縁に沿った小道。
”カナダの雰囲気”という事だが、”どこが”としか言えない。
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この公園のある地区は、"シチー・アメリカCity America"(オレンジ色で囲んだ地区)という。
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サンパウロで、正式に”City”の名称が付く地区はここだけであるが、
通称にCityが付く地区が幾つかある。
City LapaとかCity Pinheirosなどがそうだ。

このCityは、不動産開発会社のCIA.Cityから来ている。
元々は英国系の会社で、
サンパウロの高級住宅街のかなりの部分を、この100年ほど開発してきた企業である。

パカエンブー、ジャルジン・アメリカ、アルト・ヂ・ピニェイロス、アルト・ヂ・ラッパ、ブタンタン、ジャルジン・グェダーラなどもこの企業が取りあげてきたところだ。
注意して歩いていると、これらの地区では、今でもマンホールの蓋にこのCIA.Cityのマークを見つける事が出来る。
※他に注意する必要もあるので、下を向いて歩いてはいけないが。
 こういった高級住宅街は、ほとんど誰も歩いていないので、ある意味安全で、ある意味危険。

さてこのシチー・アメリカ地区は、20年前には区画整理は終わっていたが、まだ分譲が始まっていないくらいであった。
道路の名前もまだ付いていなかった。

だから、公園の周囲にある家もほとんど新しい。
逆に言うと、落ち着きや風格が全くない。
また、家が建てられていない土地が沢山ある。

高級住宅街とはいえ、このサンパウロの北西部などに、本当の金持ちは住もうと思わないはずである。
本当の富裕層は富裕層が住むべき別の高級住宅街にいるのは普通のはずで、少なくともここではない。
この場所は、地価も安いはずである。
転売をしようとしても、早々売れないはずである。

この地区が開発された20年前には、すでにサンパウロから西に20キロほど行ったアルファヴィレというところに、住宅街そのものを高い塀で囲こみ、その地区の入り口を厳重に警備している分譲地がすでに出来ていた。
今は、郊外のアパートまでがそういう形式になりつつある。

このシチー・アメリカ地区のように、誰でもその地区に入り込めるような地区の設計は20年前に新たに住宅用の土地を手に入れようという富裕層にはもう受け入れられなかったはずである。

そういう事で、ここは本当の意味での高級住宅街という事は出来ない。

ただ、かなりの高級住宅街である事には違いない。

大きな家は何よりもその維持にお金がかかる。
それが出来るという事は、金持ちに違いないからである。

この公園のあるシチー・アメリカ地区は、
サンパウロ州の内陸部へ向かう2本のハイウェー(アニャングェーラとバンデイランチ)に挟まれている。
さらに東南側はチエテ川。

これらを歩いて越えてくる事は、まず出来ない。
シチー・アメリカ地区の南側の住宅地も、プールなどはないがかなり良い雰囲気の一戸建て住宅専用地区である。

この公園は、基本的にとても良い雰囲気のところにあると言える。
公園の東側のアパートの向こうの住宅街も、家は大きくないが、地区そのものが塀で囲まれたところである。

地区の西側も、サン・ドミンゴス公園の周辺になる中の中程度の住宅街になっている。

この公園の周辺には、危険な地区はないのである。

だが、高級住宅街では、基本的に住民は歩いていない。
歩いているとすると、
郵便配達人、家の使用人、工事関係者位である。
人がいない事が、危険につながることもあることは、十分に配慮しておくべきことである。

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この公園の評価。

たまに雰囲気の違う公園に行きたくなったときには悪くない。

欠点を先にいうと、
園内は、池と湿地がほとんどなので、来園者がはいる込めるところはとても少ない。
そして、ほとんどの人が遊び場のある正門地区にいるので、そのあたりは日曜日はごった返す事になる。
対岸の方には、シュラスコをする人以外はあまり人はいない。

バンデイランチからの騒音がとても大きい。
特に正門地区から、対岸へ行く遊歩道にかけては気になる。
対岸に行くと、住宅に遮られて静かになる。

カナダの雰囲気は全くない。
期待しては駄目だ。
どこまでいってもブラジルだ。

良いところはやはり池がある事だ。
珍しく水が澄んでいる。
そして、匂わない。
他では見られない種類の鳥が多い。

駐車場はないが、
公園の周辺道路にはいくらでも駐車できる。
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いつもの事だが、出来るだけ入り口近くがよい。
この公園は、おそらくほとんどの人が車で来る人のようで、休日は駐車している車でいっぱいである。
何しろ地元の人は高級住宅街なのであまり住んでいない。
よそから来ている人たちだけだ。
バスも通っていない。

来園者の多くは、子供連れの白人。
もちろん日系人はいない。

平日も、更に休日には周辺に、移動販売の車が並ぶ。

シュラスコをしなければ、1時間も滞在すると十分な公園だ。
日陰も少ないので、暑い日はきつい。

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なお、この公園の売り物であるデッキと橋は現在壊れている。
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雨で池の水位が上がったときに浮き上がったという。

対岸へ行くために池の端を抜ける橋だけは問題なく通れる。

湿地を通る方は、通行止め。
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この公園で見る事が出来た鳥たちである。

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domingo, 25 de março de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その14 Parque Jardim Felicidade。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっていて、これらの公園の紹介はすでに終えた。
サンパウロ北部の公園の紹介をしている。
”緑の地図”による10番は、ジャルヂン・フェリシダーヂ公園Parque Jardim Felicidade。
※突然だが、”Felicidade”という曲が好きだ。
 リメイクされた方ではない「黒いオルフェ」という映画の冒頭に使われた曲だ。
 週末に北青山のプラッサ・オンゼに行ったときには、いつもこの曲をリクエストしていた。
 そのうちにリクエストしなくても歌ってくれた。

面積:28.800m²
開園:1990年

特徴:
公園の計画は、土地の自然な地形と人々にレクレーションとレジャーをほどよく提供するという機能を尊重して作り上げられた。
多目的コートの他に、地域のコミュニティの人々の協力で植えられた果実の木があり、また遊び場、ベンチなどがある。

住所:Rua Laudelino Vieira de Campos, 265 - Jardim Felicidade / Pirituba
電話: (11)3836-6786
開園時間: 7h-18h


サンパウロ市の中心部から直線で11キロ離れた北西部にある。

小さい公園である。
主な設備は、多目的コート、遊び場、集会所、シュラスコ場。
駐車場は無い。

Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)
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この公園は、北が低く、南側が高い。
特に多目的コートから、北はかなり低くなっている。
木が茂って見えるところは、急に下がっている。
そこに小さな池がある。

この公園も、小川の源流を利用した公園である。
公園の形状からそれが読みとれる。
サンパウロ市営の多く公園は、もともとはこのように川の源流の谷であったり、丘の斜面であったりと、平地に作られたものはほとんどないのである。

公園に続いている北側は、更に下がっていた。

谷の地形を利用しているので、幅はとても狭い。北の端では100メートルくらいはあるが、反対に南の方は50メートルもない。

公園の入り口は少なくとも3箇所。
多目的コートが2面ある。

公園の周辺は、完全に住宅地。
サンパウロでは、街路樹がある住宅地は、割とよい住宅地と考えてよい。
この衛星写真でも、街路樹が一部にあることが、判読できる。
ほとんどの家の屋根の色が瓦の色をしている。
更に、一戸一戸の家の形が明確である。
といって、庭は広くないし、プールがあるような家はない。
中の中の一寸下の階層が多いようなところである。

公園の北側の住宅街と、南側は公園よりも高台になっている。
この公園は、丘の中腹にあるので、この公園自体が雨の時に冠水するような事はない。

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公園に行ってみた。

実際に行ってみて分かったのだが、
この公園も北と南の2つの地区に別れている。

南側は遊び場があるだけである。
北側に、多目的コート、管理事務所、池、シュラスコ場などがある。

2つの地区の間の広場はかなりある。
北側の住宅地から、この広場を見てみた。
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逆に南側から北側を見てみた。
住宅地なのだが、このあたりの住宅の壁はもうレンガのままではない。
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遊び場である。
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遊び場としては、割と広い。
樹木も茂っていないので、芝も青く、明るい感じである。
住宅は南側の住宅。
間口はあまり広くない。
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サンパウロ市営公園に共通なデザインの公園名称の表示板。
「白い手と黒い手が握手をしている」デザイン。
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多目的コート。
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多目的コートの東側の通路。
この先に管理事務所がある。
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これが幾つかの公園にあった施設で”malha e bocha”という棒に球を当てるゲームである。
プレイをしているのは、どこでもほとんどが高齢の男性であった。
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この奥は、一団高いところに管理事務所があった。
集会所もある。
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シュラスコ場。
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竈はまだ新しいように見えた。
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シュラスコ場よりも更に下がったところに池があった。
アヒルなどが飼われている。
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池は、ネットで囲まれていて、近づく事は出来ない。
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池の脇はちょっとした広場になっている。
このあたりは低地であるし、木が茂っているので、湿っぽい。
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その一番低いところから、多目的コートの北東角へと続く階段。
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公園の北側の道路。
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住宅地なので、人通りは多くない。

駐車場はないが、
車は公園の周囲の道路に駐車可能である。
管理事務所の近くに止めておきたいものである。

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サンパウロ市の中心部から、この公園へのアプローチは、やはりまずマルヂナル・チエテを西に行く事になる。

ポンチ・ピクェリponte piqueriをすぎたところで、すぐに右の方に別れるライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャンエス大通りAv. Raimund Pereira de Magalhaesに入らなくてはならない。

ライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りは、そこから10数キロ先のペルースPerusへとつながっている重要な道である。

ここではいる事に失敗すると、とんでもなく遠回りをしなくてはならなくなる。
事前に地図などを見て、十分に確かめておく必要がある。

このライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りは、マルジナル・チエテとの分岐から約1キロはほぼ平行しているのであるが、入り口はもう無い。

ライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りにはいると道なりに進んでいく事になる。
マルヂナル・チエテに近いところは平地で、整備の悪いグラウンドがあり、草サッカーが行われている。
そこを大きく右にカーブして、北の方へ登っていく事になる。
しばらくは両サイドは未利用地が続く。

左手の未利用地に、ファヴェーラが形成されつつある。
一旦右に曲がり、再び左に大きくカーブするところがある。
そのあたりには、パン屋などがありちょっと賑やかになっている。
そこを右にはいると公園に出るはずだ。
公園はそのあたりでは低いところになるので、低い方に曲がっていけばよい。
Spd20070316pgmm

帰りは、一旦ライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りにでて、マルヂナル・チエテにでるのが簡単である。
もしくは、ライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りを北に進み、ミグェル・ヂ・カストロ大通りに入り戻る方法も考えられる。

ライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りに入ったばかりのところは、人がごちゃごちゃいて、あまり雰囲気は悪くないが、交通量も多く、それなりにスピードも出せるので危険は感じない。

公園の周辺は普通の住宅地。
一戸建ての住宅しかない。
それだけに、ライムンド・ペレイラ・ヂ・マガリャエス大通りから中にはいると、人通りはおおくない。

ちなみに、この公園は近郊電車のピリツーバ駅から約1キロのところにある。
理論的には歩く事は可能である。

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この公園がある地区は、実は狭い。
東側を近郊電車が走っている。
線路は低いところを走っている。
ところどころに陸橋があるが、向こう側からやって来るのは簡単ではない。

また、西側はサンパウロ州の内陸部へ向かうバンデイランテスが走っている。
ここは横断することは出来ないし、陸橋は公園から2キロ先になる。

つまりこの公園に来る人はかなり限られるという事である。
公園の南北の一戸建て住宅街に住んでいる人だけである。

小さな公園なので、わざわざ車を使ってよその地区から来るようなところではない。

一戸建て住宅だけなので、住民も多くない。
だから公園も割と閑散としている。

公園の南側地区の外れあたりが、やや低級な地区になっている。

公園の南側地区の先を東西方向にやや斜めに横切っている緑地帯は、高圧送電線が通っているところである。
この高圧電線が通っている緑地の左側に、何軒かファヴェーラが形成されている。

中流の中の住宅地なので、この地区自体には大きな危険はない。

線路沿いは低地になっていて、やや荒れた雰囲気である。
近づかない方がよいだろう。
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ただ、公園は誰でもやって来られるところである。
注意はいつも必要だ。

もちろん、この地区にも日系人はまず住んでいないだろう。
全く見かけないところである。

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この公園の評価。

行く必要はない。

小さく狭い公園である。
一周しても、15分程度。
幅が狭く、落ち着かない

何の特徴もない公園である。

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sábado, 24 de março de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その13 Parque Rodrigo de Gásperi。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっていて、これらの公園の紹介はすでに終えた。
サンパウロ北部の公園の紹介をしている。

サンパウロの市営公園は、市域のうちの市街化地域にほぼ均等に設置されていない。
むしろ偏在していると言える。

すでに、紹介して東部地区の場合でも分かるように、サンパウロ市の中心部セントロから20キロ以上も離れたところに5箇所もあって、それぞれ2-3キロしか離れていないにも関わらず、そのほかには9,5キロのところにあるピケリ公園だけしかないわけで、中心から15キロ以内に住んでいる人は全く公園の恩恵に被らない人がほとんどという事になる。

どうしてこんな事になってしまったのかについては、そう難しい事でもない。
ブラジルについて語るときに、必ず行き着くところの「社会階層のコントラスト」が、その究極の原因である事は言うまでもない。
このことについては、32箇所の公園を全て回りきる前から、予想も付いていたし、実際に回っている途中で確認も出来た。
公園を全て紹介した後に改めて総括してみたい。

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公園が全くない地区があれば、
どういう訳か集中している地区がある。

サンパウロ市の中心部から北西に直線で10-12キロのところには、一番離れた公園同士でも4キロ、近いものは1キロも離れていないところに5つもの公園がある。
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(公園はピンクに着色したところ)

それぞれの公園は、決して大きなものではない。
このあたりは、地形も複雑で、さらにサンパウロ州北部へ向かうハイウェーが2本、そして近郊鉄道も1本通っている事もあり、それらによって分断されているので、一つにまとまっている地区とは言えないところである。

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しばらくこの地区にある公園の紹介をする。
”緑の地図”による9番は、ロドリゴ・ヂ・ガスペリ公園Parque Rodrigo de Gásperi。

面積:39.000m²
開園:1982年

特徴:
ロドリゴ・ヂ・ガスペリ公園Parque Rodrigo de Gasperiは、池の公園Parque da Lagoaとして人々に知られている。
それは以前にはそこに、池と小川があって、そこで人々が釣りをしたり、泳いだりしていたからである。
何件もの溺死によって、池は埋められ、川は暗渠化した。
その土地はサッカーグラウンドとロッカールームになり、地元のクラブが使用する中心となった。
その地区の住民は全ての土地を公園として開放する事にした。

住所   :Av. Miguel de Castro, 321 - Vila Zati / Pirituba
電話   : (11)3974-8600
開園時間: 7h-18h

サンパウロ市の中心部から直線で11.5キロ離れた北西部にある。

サッカー場があるくらい名ので、小さいとは言えない公園である。
主な設備は、サッカー場、多目的コート、サイクリングコース、遊び場、集会所。
駐車場は無い。

Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)
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池と川を埋めた公園という事が、その形からすぐに判別できる。
東側のグラウンドがあるところがかつて池があったところで、散策路の方から川が流れ込んでいたわけである。
池から流れ出していた川もすでに暗渠化して、道路になっている。
※実は、サンパウロ市は、とにかくほとんどの中小河川を暗渠化している。
 中小河川が、都市化によって、どぶとなり、衛生的にも問題がある事が、
 暗渠化工事の理由の一つだろうが、潤いがない事は否めない。

公園に流れていた川は、公園の上流域はまだ暗渠化されていない。

公園の右側の道路は、ミグェル・ヂ・カストロ大通りといって、このあたりの東西を結ぶ幹線道路で、交通量の多い道である。

公園の入り口は少なくとも3箇所。
サッカーグラウンドは1面。
多目的コートが3面ある。

公園の周辺は、基本的には住宅地。
サンパウロでは、街路樹がある住宅地は、割とよい住宅地と考えてよい。
この衛星写真でも、街路樹が一部にあることが、判読できる。
だが、この地区の場合は、決してよい住宅地ではない。
屋根の色が瓦の色をしているところもあるが、そうでもないスレートの灰色をしたところもある。
中の中というよりも中の下の階層が多いようなところである。
家の大きさからもそのように判断できる。

公園の北側の住宅街と、南側は高台になっている。
西側は、公園と比べても低いところもあり、雨が降ると冠水する事が予想される。

この公園自体が、池だったわけで、降水時には周囲の水が集中していたのは確実である。

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公園に行ってみた。

正門は右奥にある。
正門を入って、階段が数段あり、その先に管理事務所がある。
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サッカー場。
芝生はかなり痛んでいる。
毎日ほとんど使用されているので、養生するのは困難であろう。
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多目的コート。
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公園の南側の、ミグェル・ヂ・カストロ大通り。
Spd20070119prgi

公園を訪れるのはこういった感じの人たちが多い。
Spd20070119prgd

遊び場。
Spd20070119prge

この公園は、実は2つに分断されている。
サッカー場、多目的コート、遊び場がある方と、散策路がある方にである。
その間にある、遊び場側の入り口。
平日でも、物売りはいる。
Spd20070119prgo

サンパウロ市営公園に共通なデザインの公園名称の表示板。
Spd20070119prgb

きれいにしている。
地面からでている黄色のものは、自転車を繋ぎ止めるためのものだ。
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散策路から、遊び場の方を見てみた。
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散策路。
緩やかにくねっていて、木漏れ日が差す感じは悪くないが、敷地の関係で幅はない。
両側はすぐに道路になっている。
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散策路。
Spd20070119prgk

散策路が終わると、公園も終わる。
上流は、いまだに暗渠化されていない小川のままになっている。
Spd20070119prgm

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サンパウロの中心部から、この公園に行くには、
マルヂナル・チエテを西に行き、
ポンチ・ピクェリの手前で北にはいる。
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さらにジェネラル・エドジェル・ファコ大通りを北に行く。
この道がかっての川で、中央分離帯がある広い道である。
両側には、中古車販売店が並んでいる。

セレブラル・アドン・ペレイラ大通りに入り、しばらく行くと、左手に公園が見えてくる。

ずっと商業施設が並んでいて、危険は感じない。
道の両側の奥は、全て高台になっていて、中の中もしくはやや下の住宅地のようである。

公園には駐車場はない。

しかし、公園の周囲は住宅地なので、駐車は可能である。
できれば、管理事務その近くに駐車する事をお薦めする。

帰路は、同じ道を通って帰るのが一番早い。

マルヂナル・チエテの東行きが混んでいると思われるときは、ポンチ・ピクェリをわたり、道なりにバッハフンダを通っていく方法も考えられる。
事故渋滞はかなり避ける事が出来る。

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この公園の評価。

草サッカーのクラブにでも参加していて、この公園のグラウンドで試合をする事でもあれば行ってもよいが、それ以外は行く必要はない。

この公園にしかないというものはない。

この公園は、平日は訪れる人もそれほどなく、近所のひとが公園を通って歩いているくらいである。
しかし、休日はグラウンドがあるため、ものすごい人出になる。
やはり、サッカー場の威力は絶大である。

付近は、路上駐車でいっぱいになる。
公園の周囲だけでは足りなくなるくらいである。
しかし、このあたりの住宅は、間口が狭く、その間口を駐車場入り口がほとんどを占めているので、その家の前に駐車する事は非常に困難になる。
あまり、公園から離れて止めるのは得策ではない。

正門から入って、散策路を歩いても、せいぜい300メートル。
幅も狭いので、通路といった方がよい。
ベンチは設置されているが、落ち着かない。

この公園の中だけは、平日は静かな感じであるし、
近辺に不気味さが漂ったり、緊張感がただような事はない。
休日でも、ただサッカーやフット・サルをしに来ている人たちばかりである。

危険な雰囲気を帯びた少年グループはあまりいない。
スポーツをしている横には居づらいのだろう。

尚、この公園を訪れる白人は少ない。

日系人は元々このあたりにはそれほどすんでいないこともあって、皆無。

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この公園の周囲は、
中の下あたりの階層の住宅がほとんどといっても良い。
幹線道路沿いは、商業施設や町工場が多い。
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屋根の色が、瓦の色であるオレンジ一色ではない事で、そのように判断できる。

公園から北西に延びた川の先は、規模の小さなファヴェーラ(=貧民窟)になっている。
公園から1キロほど行った先の、霞んだようにごちゃごちゃしたあたりである。
公園の散策路の先にある小川に沿って、歩いていくと、ファヴェーラということになる。

この衛星写真の範囲を外れた北側は、ファヴェーラの方が多い地域になる。
サンパウロ市の北部では、もっとも危険なブラジランヂアという地区になる。
道路も高低差をもってくねり、幹線道路もはっきりしていないので、万が一入り込むと、抜け出るまでに、汗びっしょりになるかもしれないので、決して近づかない。

この公園の南1-2キロのところは、ピリツーバの古い集落である。
元々は、サンパウロとは別の街である。
教会を中心に落ち着いた佇まいを残しているところもある。

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quinta-feira, 22 de março de 2007

ブラジル・サッカー:2007 その3 ロベルト・カルロスに子供。

サッカー選手のほうのロベルト・カルロスの個人的な話題だ。

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レアル・マドリReal Madridの左SBロベルト・カルロスが、5回目の父親になった。

ロベルト・カルロスRoberto Carlosにとって、3人目の男のである。
3月20日(火)に、サンパウロ州カンピーナスCampinasで生まれた。

ロベルト・カルロスは子供が生まれた事について詳細を明らかにしていないが、子供はルカLucaと呼ばれると明らかになった。

「男の子はとても健康で、ロベルト・カルロスは跡継ぎが生まれてともてしあわせだ」と、ロベルト・カルロスのサイトで言っている。

子供の母親はアレサンドラAlessandraと呼ばれ、弁護士である。
ロベルト・カルロスRoberto Carlosはすでに4人の子供がいる。
ジオヴァンナGiovanna、ロベルタRoberta、カルロス・エドゥアルドCarlos Eduardo、養子にしたロベルト・カルロス・ジュニオールRoberto Carlos Júniorである。

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ロベルト・カルロスは、つまりこのアレサンドラとは結婚しているわけではないようだ。
そういう表現だ。

個人的な事でどうでも良いが。

ロベルト・カルロスは、トルコのフェネルバッハに移籍すると伝えられているようだが。
みんなジーコのところに行きたがる。

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domingo, 18 de março de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その10 Parque Piqueri。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっている。
6番は、ピクェリ公園Parque Piqueri。

面積:97.200m²
開園:1978年

特徴:
公園の発祥は、ピクェリ荘園Chácara do Piqueriである。
フランシスコ・マラターゾ伯爵Conde Francisco Matarazzoによって植樹によって、1927年に植樹された。
タツアペTatuapéの川の泉と共に、チーズ工場とマタラーゾ工業の用地の他には、管理事務所、果樹園、小農園、水牛、リャマ、山羊などの動物を繁殖場所からなっていた。
50種類以上の国内外の木が植えられていて、、サンパウロで最もよい環境のそれらの観察地になった。
1954年に荘園の一部が売却された。
1976年に、サンパウロ市の財産となった。

※マタラーゾとは、、20世紀初頭にサンパウロで最大の財閥。
 イタリア系移民の出で、繊維、セメント、製粉などの企業を持っていた。
 1950年以降急速に没落。
 しかし、その威光を偲べるように、地区名や道路名にマタラーゾの名称が付いている。
 スプリシ-上院議員は、マタラーゾ一族の傍流。
 サンパウロ市の市長の補佐は、正真正銘のマタラーゾ一族の一員。
※水牛を飼っていたのは、モッツァレーラ・チーズのために違いない。


住所   :Rua Tuiuti, 515 - Tatuapé
電話   : (11)6197-2213
開園時間: 6h - 18h / 6h - 19h (夏期)

サンパウロ市の中心部から直線で6.5キロ離れた東部である。
遠くない。

小さくもない公園なので、割と施設も整っている。

主な設備は、散策路、器械体操器具、多目的コート、遊び場、池、森。

駐車場はない。

Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)
Spd20070306pgmr

一辺が約300メートルのほぼ四角形の敷地である。

北側は、マルヂナル・チエテに接している。
西側の道路は、マルヂナル・チエテからは南行のみの一方通行。

東側は工場。
南側は、かつては工場であったが、今は高層アパートが建築中。
このアパートが出出来ると、公園を見下ろす事になって、圧迫感を感じるはずだ。
ただ、高級アパートになりそうなので、住環境はよくなるはずだ。
西側の道路沿いは、町工場街。
その裏側には、中の下の住宅街がわずかにある。
基本的に、マルヂナル・チエテ沿いには、商業施設、流通施設などが多く、住宅はわずかである。

ここはもともと、めちゃくちゃに蛇行していたチエテ川の直線化の工事を進めていった中で、乾燥化した湿地。
だから、北側のチエテ川寄りは、南側に比べて、多少土地が低い。
河川改修が終わったので、樹木を植えたという事だろう。

樹木は多いように見えるが、原生林ではないので、実際には意外とまばら。
公園内には、立ち入る事が出来ないような森はない。

公園内は、管理用地を除くと、ほぼ全て歩き回る事が出来る。
それで、広く感じる。

入り口は西側に2箇所のみ。

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公園に行ってみた。

マルヂナル・チエテを東に行くだけで、この公園に到着する。
ルート(紺色)は実に簡単だ。
マルヂナル・チエテのカーザ・ヴェルヂ橋からでも、道路が空いていれば10分くらいで到着するはずだ。
Spd20070306pgmq

マルヂナル・チエテ沿いに、公園を行きすぎると、すぐにサン・ジャヌアリオのコリンチャンスの本部がある。
ガヴィオンエス・ダ・フィエルの本部ではないので、別に危険はない。

行きは簡単であるが、
帰りの道(水色)は考えなければならない。
公園西側の道が一方通行だからである。

公園南端のT字路を西に右折し、道なりに直進し、サリム・ファラ・マルフィ大通りに出る。
サリム・ファラ・マルフィ大通りを北に向かい、マルヂナル・チエテのタツアペ橋を渡ってから、戻るのが普通だろうか。
もしくは、、サリム・ファラ・マルフィ大通りを南行し、ラヂアル・レスチに入る方法もある。
ラヂアル・レスチは、朝のラッシュ時を除いては、サンパウロの中心部に向かうのはそれほど渋滞しないので、バンデイラ橋の手前からかなり渋滞するマルヂナル・チエテよりもはやくサンパウロ市の中心部に到達できるはずである。
そのままレスチ・オエスチを使うと、パウリスタ方面へもすぐである。

どうしても、「マルフィ」という名称に抵抗がある方は、
公園の西側のツイウチ通りを真っ直ぐ行って、セルソ・ガルシア大通りを東に向かい、カホンへ向かう陸橋を越えて、ラヂアル・レスチにでる方法もある。
サリム・ファラ・マルフィ大通りは、大型車が多く、大渋滞する事もあるので、この方法も意外に使える。

さらに、セントロから、セルソ・ガルシア大通りを使って公園にアプローチする方法もあるが、ここでは図示しない。
途中はブラス地区、パリ地区ととても賑やかな問屋街を通るペンニャに向かう歴史的な道である。
ほとんどが、東行だけの一方通行になっている。
セントロからすぐは、ランジェル・ペスターナ大通りという名前であるが、その付近は木製のドアや窓の問屋が並んでいる
ブラス駅周辺は、怪しげな激安の衣料店が林立していて、いかにもそういった店にピッタリの階層の人たちでものすごく賑わっている。
コンコルド広場の露店が一掃されてからは、多少怪しさが減った。
更に進むと、業務用の調理用品の問屋が並んでいる。
歩きたくなるところだが、浅草の合羽橋とは安全度はかなりちがうので、諦めた方がよいだろう。

※※業務用調理品の問屋は、規模は小さいが同じくセントロの3月25日通り地区の北の端のパウラ・ソウザ通りにある。
15時頃までは、比較的安全だ。
それをすぎると、パラグアイへ向かう担ぎ屋の無許可バスがそのあたりから出発する時刻になるので、近づいてはいけない。

セルソ・ガルシア大通りの問題は、その業務用調理用品問屋街をすぎてからだ。
サリム・ファラ・マルフィ大通りの手前になるのだが、日曜日などは特にだが、女性が荷物を持って列をなしているのを見る事がある。
ここは、少年院だ。
いくつのも少年院が集まったところである。
よく反乱や暴動が起きるところだ。
脱走もある。
こういった事に巻き込まれると、道路は通行止めになるし、それだけでは済まない事もあるかもしれない。

個人的には、セルソ・ガルシア大通りは好きだが。

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公園の北側は、チエテ川。
チエテ川の両岸は、商工業物流地区なので、あまり人は住んでいない。
対岸の住民は、橋を渡るのにかなり大回りしてこなくてはならないところ。

公園の周辺に見える敷地の大きな土地は、そういった工場や倉庫である。
公園の南側にある工場は、徐々に閉鎖されて、その敷地を生かして、高層アパート街になりつつある。
アパートの細長い影が公園の南側に目立ってきた。

公園から南に1.5㎞のところに地下鉄タツアペ駅があり、その周辺は近年かなり環境が改善され、発展しているところである。

タツアペ駅周辺は、サンパウロの東部地区での商業中心地となりつつある。

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公園の2つある入り口のうちの南側の入り口。
こちらが、正門である。
なかなか凝っていて、趣のある門である。
サンパウロ市営の公園に共通な公園名称表示板も、奇麗にしている。
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門から、真っ直ぐに道が延びている。
この道は非舗装である。

この公園は、自転車では入る事はできない。
注意が必要である。
動物を捨ててはいけないというサンパウロ市の条例の表示もある。
Spd20060908ppqd

門も入ってすぐ左にある、
この公園が1978年に開園したときの記念碑。
Spd20060908ppqc

正門の左側に、遊び場がある。
近所の人といった感じである。
白人が多い。
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正門の右手奥にも、もう一箇所遊び場がある。
塚のようなものもある。
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公園管理事務所。
Spd20060908ppqi

この公園では、無防備に昼寝も出来る。
それくらいには安全だという事だ。
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器械体操施設。
こういった施設は多くの市営公園に設置されている。
筋肉を見せたい人がいつもこのまわりにいる。
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門からずっと延びる道は、それほぼ長いわけでもないにもかかわらず、随分と歩いた気になる道だ。
いい感じの道だった。
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ベンチに座って、子供に本を読んであげている。
とても良い光景だ。
純血の犬そして本。
最東部では、想像もできないものだ。
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子供の足に合わせてゆっくりと歩く人たち。
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大きな木の陰で、語らう学生。
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道の奥には、多目的に使える集会所がある。
まだ新しい。
Spd20060908ppqs

公園を訪れる学童などに、環境教育などもしているようだ。
ちょっとした展示会も開催される。
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建物から正門に続く道をみてみた。
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この建物の右奥には、竹林がある。
Spd20060908ppqn

公園の西側にある池。
Spd20060908ppqa
(クリックすると拡大する)

小さな池だ。
腐敗防止のためが、薬剤のために水が変な緑色をしている。
Spd20060908ppqb

公園の北側は、やや荒れた感じになる。
樹木が茂っているせいか、湿度も高く感じる。
人も少ないので、カップルにはちょうどよいみたいだ。
Spd20060908ppqw

覗きをしてしまった。
Spd20060908ppqv

変な木もあった。
歪な幹だ。
Spd20060908ppqx

問題は、公園の北側は、片側7車線もあって交通量がとても多いマルヂナル・チエテに面しているので、騒音がすごいことである。
だから、あまり公園を訪れる人は北側には行かないのである。

北西の隅に2面ある多目的コートで、フットサルをする少年達にはあまり影響はないようだが、静かに過ごしたい人は南東側の竹林の方に行くべきだろう。

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この公園の評価。

この公園があることは、意外な発見だった。

北側の道路からの騒音を除くと、とても感じがよかった。
冬になって、水量が減ると、川から悪臭が漂ってくる日も多い事だろう。

駐車場はないのだが、西側の道は駐車が出来る。
歩道に対して、斜めに止める事が出来るように、白線が引かれている。
30台程度は駐車可能だろう。

道の反対側は、町工場や個人経営の作業場であるが、特に危険はないだろう。

公園内を隅から隅まで歩きまわると、ちょっと時間もかかる。

人工的に植えられた樹木ということで、樹種も多く。
それらを見るのも楽しい。

静かに時間が流れていく公園といったところである。

たまに他の公園に行ってみたいと思ったときには、
この公園に来ても悪くはない。

来園者にはかなり白人が多い公園であった。

ただ、日系人の姿はなかった。
でも、日系人がいても、不自然な雰囲気のところではないと思う。

不特定多数の人が訪れることができる公園ではあるし、
ゾナ・レスチ(=東部の意)なので、警戒は怠ってはならないことはいうまもでもない。

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この公園の周辺といっても、北側は川で遮られている。
Spd20070306pgms

工場が散在している。

だが、ほとんどは中流の中の家である。
イタリア系だろうが白人が多く住んでいる。

今まで紹介してきた最東部の公園の周辺とは、住宅の屋根の色が違う。
瓦屋根なので、上から見るとそういった家はオレンジ色である。

中流の下もしくはそれ以下の階層が住んでいそうなところもわずかにあるが、まず静かな住宅街といってよい。

公園から、タツアペ駅まで徒歩で約15分から20分。
タツアペ駅に近づくに連れて、比較的きれいな店が増えてくる。
近年、高級アパートがどんどんと立ち上がっているので、街並みが変化している。
タツアペ駅のすぐ北側は、ショッピングセンター・タツアペの新館も建設中である。

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かつては、ゾナ・レスチ(=東部の意)というだけで、すべて治安が悪いところとひとまとめにされていたのだが、いつまでもそうではないようだ。

特に、このタツアペ駅の南側の商店街などは、結構高級そうな店が並んでいる。
タツアペ駅に繋がっているショッピング・タツアペは、駅直結なのでいつも人でいっぱいである。

他のショッピングとは違って、暇つぶしに訪れるものも多いようで、他のショッピングでは見られないような階層の人も多い。
サンパウロの東部でもこの付近には日系人も多いはずなのだが、このショッピングではあまり見る事は出来ない。

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sábado, 17 de março de 2007

サッカー:ロマリオ、1000ゴールへの道。 その38 3月21日はダウン症の日。 

より1000ゴールに近づいただけでは十分ではない。
ロマリオRomárioは、ボアヴィスタBoavista戦での3ゴールを祝う理由があった。
娘のイヴィーの誕生日が、この3月17日(土)で、2歳になる。
ヴァスコ・ダ・ガマが、サクァレマSaquaremまで、ボアヴィスタBoavistaに6対2で勝利したときに、ロマリオBaixinhoは後半18分に最初のゴールを決めたときにダウン症Sindrome de Downの娘の写真があるT-シャツを見せたことについて説明した。
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「ゴールした2ゴールは自分の娘に、そしてもうひとつは今日が誕生日のカーボ・フリオCabo Frioの友達チアゴ・コスタThiago Costaにだ」と、ロマリオRomárioはグラウンドを出るときに語った。

998ゴールになったロマリオは、この機会を利用して、3月21日(水)にブラジリアBrasiliaで行われる、ブラジル杯Copa do BrasilのガマGama戦で試合に出場すると確認した。

「水曜日には娘のイヴィーと共にブラジリアBrasiliaにいる。 朝、上院議員のレナン・カリェイロスRenan Calheirosと会うつもりだ。3月21日はダウン症Síndrome de Downの日である。 社会活動に参加する」と、ロマリオBaixinhoは保証した。

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ロマリオは、
3月21日(水)には、先発出場しなくても、ベンチにいるといっていた。

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サッカー:ロマリオ、1000ゴールへの道。 その37 ブラジリアへ。

3月21日(水)にブラジリアBrasíliaで行われるガマGamaとの試合にロマリオRomárioが出場するのは確かである。
少なくともロマリオBaixinho自身が、ブラジル杯Copa do Brasil第2フェーズのヴァスコにとっての最初の試合においてブラジリアにいる事を保証した。

1000ゴールは別にして、ロマリオRomárioはブラジリアBrasíliaまで行くには重要な理由があると言った。

「自分の娘のイヴィーIvyは3月17日が誕生日で、ダウン症Síndrome de Downである。 3月21日(水)は「世界ダウン症の日Dia Internacional da Síndrome de Down」で、ブラジリアBrasíliaの人がこれに関連して色々な行動をする日である。 参加した。 これはとても重要な事だ」と明言した。

ロマリオRomárioは、41歳で、1週間に3試合をするのは大変なことだと知っている。
しかし、ブラジリアBrasíliaで1000ゴールを決めるの何の問題もないと保証した。

「マラカナMaracanãで現実になればというのが望みである。 リオ・デ・ジャネイロ以外のチームというのは頭に浮かばなかった。 もしボールが自分の足にあれば、ガマGama戦でもゴールをしなくてはならない。 ゴールするだろう」と、話を終えた。

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あと2ゴール。

ロマリオは、末娘のイヴィーを本当にかわいがっている。

いい話である。

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sexta-feira, 16 de março de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その7 最東部のおさらい。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。
※「緑の地図」に掲載されていない公園は紹介しない。

これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっている。

すでに、サンパウロ市最東部に立地している次の4つの公園を紹介した。

1番は、サンタ・アメリア公園Parque Santa Amélia
2番は、シャカラ・ダス・フローレス公園Parque Chácara das Flores
3番は、シコ・メンデス公園Parque Chico Mendes
4番は、ラウル・セイシャス公園Parque Raul Seixas
 
Google_mapで、これら4つの公園の位置関係を改めて確認して見てみる。

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サンパウロ市は、大西洋には面していない。
一番近い海は、サントスの方になるのだが、約80キロ離れており、市内中心部から車で行くとだいたい1時間半は最短でもかかる。
サンパウロからは南に向かって徐々に標高を上げていき、60キロ地点くらいから一気に標高約1000メートルの崖のような海岸山脈を下り海岸沿いの平地に到達する。
海岸沿いの平地はほとんど幅がない。

サンパウロ市の市域は、非常にいびつな形をしている。
東と南に向かって特に伸びている。
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最南端部は、サンパウロ市の中心部から50キロほども離されており、海岸山脈の広大な原生林の森林となっている。
都市化の波は到達しておらず、人もほとんど住んでいない。
今は州立公園域になっており、開発は禁じられている。
40キロまではまだ舗装されて1本道があるが、その先には舗装道路もほとんどないところである。
普通の車で立ち入るのは危険なところである。

最東端は、28キロほど離れており、まさに住宅開発の最前線である。
更に市域を越えて、衛星都市へと広がりを見せている。

北側は、東西に走っている山脈を市域が越える事はなく、市街地化は山脈の手前で終わっている。

西側は、完全に市域を越えて、市街地化が進展している。

人口1000万人のサンパウロは、盆地のような地形の高原に立地している。
標高は約700メートル。
北側の山脈は、それより300メートルほど高いだけである。
市街地は、この盆地のもうほとんどを埋めつつある。

南東側や西側の都市は、いずれも人口急増都市である。
そういった周辺を入れると人口は2000万人を近い。

サンパウロは、人口の割に意外と広がりは狭い。
地形に制約されているところや、大量高速交通機関が発達していない事や、
高層アパートが多い事で、中心部での人口密度が高い事もあると思う。

20年ほど前は、15キロを超えたところが、市街地化を進行させていた。

今は、もちろんばらつきはあるが、25キロを超えたところが、まさに市街地になりつつあるところである。
Spd20070314pgma

そこに、きちんとした道路があり、上下水道などのインフラが整備してあればよいのだが、往々にして人口の急増に追いついていないところがある。
さらに、土地の不法占拠が常態化し、勝手に家を建ててしまうのである。
そういったところをファヴェーラ(=貧民窟)という。

20年ほど前は、市内中心部から10キロ程度でも、よく見られた。
河川沿い、空き地、道路用地などどこにでも見られたが、徐々に移転させて、大きなファヴェーラは目に付くところにはなくなった。
小規模なものは、あちこちにある。
大規模なファヴェーラで割と市内中心部に近いのは、モルンビーにあるパライゾノポリスやコロンボくらいだろうか。

だいたい15キロを超えたところから、幹線道路からちょっとはいると、もうこのファヴェーラやそれに近い住宅街が広がっている。
サンパウロは、地形的な事もあって、広大なファヴェーラがあっても、それを一望するようなところはない。
Google Mapでみると、すぐにそれと判別できる。

すでに紹介した4つの公園は、サンパウロの中心部が19キロから26キロの範囲にある。

それぞれの公園のところで、周辺の環境について触れているが、公園へのアプローチに使った幹線通り沿いはともかくも、ちょっとはいるとそういった低質住宅がある事は言うまでもない。

いちおう何度も繰り返しておくが、低質住宅に住んでいようが、貧しかろうが、そこに住んでいる方々の質が悪いなどというつもりはまったくない。
しかし、統計上、事件が多いのは事実である。
そういった事で、こういった地域へ無用に立ち入る事は、お薦めしない。

このブログが、不幸な事件のきっかけになるような事にはなってもらいたくない。

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4つの公園の位置関係は次の地図の通り。
緑の道は、アプローチに使えると紹介した道である。
いずれも幹線道路なので、幅も広く、交通量もそこそこである。
※①のサンタ・アメリア公園Parque Santa Améliaだけは、幹線道路には面していない。
Spd20070313pgma

それぞれの公園は、直線ではそれほど離れていない。
だが、それぞれの公園間を移動する場合には、幹線道路を使うようにしなくてはならない。

現地取材では、周辺の環境を知る必要もあって、幹線道路だけではなくて、実際には限りなく短絡な道路も使ったが、詳細な地図を手にしないととても、行き着く事は出来ない。
山あり谷ありで、上がったり下がったり、くねったり、何度曲がったか分からないくらいであった。
更に地図が間違っている場合もあった。
※優秀なナビゲーターが隣に座っていて、的確な指示をしてくれるとよいだろう。
 もちろんモンゴロイド顔しか乗っていない車は避けたい。

こういったところでは、人に聞くのも難しい。
尋ねるべき人間を選択するにも気を使う。
車を持っていなくて、車で移動しない人が多いので、、それほど道を知らないのである。

また、いい加減に走ると、そこかしこにあるファヴェーラに突入しかねない。

衛星写真で見ると、これらの公園が、この地区では本当に貴重な緑地である事が分かる。
こういった地区では、宅地も狭く、庭木もない。
歩道にも街路樹がない。
幹線道路は、川を暗渠化しているか、丘陵の尾根を通っている事が多い。

確かに、緑地は他にみえるが、それらは整備されていない。
雑木地、雑草地や低湿地である事が多い。
入り込む事は危険である。
※東側のやや赤く着色したところは、市外である。
 まだ若干緑地が見える。
Spd20070313pgmb

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実は、最東部にはもうひとつ公園がある。

すでに、以前に取りあげた事があるカルモ公園Parque do Carmoである。

④のラウル・セイシャス公園Parque Raul Seixasからは、それほど遠くない。

このカルモ公園は、サンパウロ市の中心部から約17キロほどで、最東部とは言え、やや南側になる。
このため、サンパウロの中心部から今まで紹介した公園へのアプローチに使ったアイルトン・セナからサン・ミグェル・パウリスタ駅を通っている(水色の)ルートは使わない。
ラヂアル・レスチから、アリカンドゥーバに入るのが、最も速く、且つ簡単な方法になる。
(薄紫のルート)

※④のラウル・セイシャス公園Parque Raul Seixasへのアプローチとして、このルートを利用して、行くという代替ルートも考えられる。
Spd20070313pgmc

このカルモ公園Parque do Carmoはそれ自身が広大な公園であり、
南側は、サンパウロ州の環境保護区に指定されており、
東側には、周囲を市街地に囲まれて島のようになってはいるが、まだまだ農場がかなり残っている。
※このあたりはちょっと山になっているので、宅地化が阻まれたようだ。

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この「カルモ公園Parque do Carmo」も、最東部の公園には違いないのだが、
他の4つの公園とは規模も雰囲気も違うので、別にする事にした。

他の4つの公園は、規模が小さく、他にはない特徴もない。
わざわざ時間と手間をかけ、鳥肌が立つような思いをする事もないので、
行く事はない、もしくは行かない方が良い。

しかし、カルモ公園は、そこまでの事はない。

次回は、カルモ公園を取りあげる事にする。

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今までに「カルモ公園」についてふれた記事は、次の通りである。


ブラジル・サンパウロの桜 その1 桜のシーズン 06/07/13
ブラジル・サンパウロの桜 その2 桜のシーズン2 06/07/14
ブラジル・サンパウロの桜 その3 桜とハチ鳥。 06/07/17
ブラジル・サンパウロの桜 その4 桜林 06/07/18
ブラジル・サンパウロをGoogle Mapでみる その30 サンパウロのデータの更新。 06/07/26
ブラジル・サンパウロをGoogle Mapでみる その31 パルケ・カルモ 06/07/28
ブラジル・サンパウロの公園 その1 緑の地図 06/07/30
ブラジル・サンパウロの桜 その5 開花  06/07/30
ブラジル・サンパウロの桜 その6 開花が進んだ。 06/08/01
ブラジル・サンパウロの桜 その7 パルケ・カルモの桜祭り。 06/08/15
ブラジル・サンパウロの桜 その8 パルケ・カルモの桜祭り2。 06/08/16
ブラジル・サンパウロの「鳥人間大会」 その1 06/09/19
ブラジル・サンパウロの「鳥人間大会」 その2 06/09/23
ブラジル・サンパウロの「鳥人間大会」 その3 06/09/28
ブラジル・サンパウロの「鳥人間大会」 その4 テレビ放送。 06/10/01

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domingo, 11 de março de 2007

ブラジル・サンパウロの公園 その6 Parque Raul Seixas。

ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した”Mapa Verde緑の地図”によると、サンパウロ市営の公園は、32箇所である。

これらの公園を順に紹介している。
紹介は、”緑の地図”に振られている番号に沿っていく

番号は、サンパウロ市の東部の公園から始まっている。
4番は、ラウル・セイシャス公園Parque Raul Seixas。

面積:33.000m²
開園:1989年

この公園は、1930年代は薪炭を作っていたモルガンチMorganti家族の農場を再生したものである。
現在は、ジョゼ・ボニフォファシオ団地COHAB-José Bonifácioのもっとも大きな緑地となっている。
2軒の主要な建物(管理事務所と文化の家Casa de Cultura)は農場の建物を再生したものである。
文化の家Casa de Culturaでは、いつも工房が開いているし、劇や展示会も開催されている。

住所:Rua Murmúrios da Tarde, 211/COHAB 2 - Itaquera
電話: (11)6527-4142
開園時間:6h-18h

サンパウロ市の中心部から直線で20キロ離れている、まだまだ最東部である。

主な設備は、 文化活動施設(劇場、工芸)、体育器具、複合コート、遊び場、売店、池、再生林。
※売店は、休日のみ開店。

Google_mapで、公園を見てみる。(衛星写真なので、高低差は把握できない。)
Spd20070306pgmn

この公園の周辺は、公営団地になっている。
公営団地にしては、やや綺麗な建物である。

公園は広くない。
台形をしていて、西側の面でも200メートルない。
東西は、300メートル弱である。

この公園は、北側の道から見ると高台にある。
公園の東南部が台上になっていて、そこに管理棟や遊び場がある。
途中から西側に向かっても緩やかに下がっている。

駐車場はない。(職員用だけである。)
しかし、公園南側や東側の道路には駐車が可能である。
交通量は多くない。
なるべく入り口に近いところに止めるように心がけることは必要だろう。
南側の入り口には警備員室がある。
ただ警備員は、公園のためにいるのであって、路上駐車の車を見る役目はない。
これはブラジルの常識で、
警備員は給与を支払ってくれる人だけを守るのである。
路上駐車の車のために働いて、公園をおろそかにすると、馘首されるだけだ。

この公園には、人間の入り口が3箇所ある。

北側からの入り口からはいると、すぐに階段を上るようになっている。

北側の道は、グリーンベルトがある広い道である。
公園から2本目の西の端に見える道は、ノヴァ・トリャバリャドーレス大通りといって、近年開通したサンパウロの東部の大幹線道路で、まだ交通量は少ない。
この通りを使うのが、車出来る場合には、最短時間でアプローチできるであろう。

公園の西側の道はサバッド・アンジェロ通りといって、ノヴァ・トリャバリャドーレス大通りが出来る前からあって、これもこの地域における幹線道路である。

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公園に行ってみた。

コースはいつも、最短距離ではなく最短時間でいけるであろう方法を考えている。
サンパウロ市の中心からは、チエテ川に沿って東に向かう。

アイルトン・セナ(かつてのトリャバリャドーレス)をとおり、グァリューリョス国際空港への分岐の次の出口で下りる。
そして、サン・ミグェル・パウリスタSao Miguel Paulisitaの方に向かう。

サン・ミグェル・パウリスタ駅の前を通る。
駅前は賑やかなところである。
Spd20070117prsr
Spd20070117prss

サン・ミグェル大通りに入り西に向かう。
そして、ノヴァ・トリャバリャドーレス大通りに入りずっと南下する。
あまり信号もなく、立体交差もあって、快適な道である。
新しい道なので道路沿いには空き地も多い。
約6-7キロ行くと、鉄道の高架線が走っている。
そのから約1キロ先を左折することになる。
その道が、公園の北側の道になる、ジョアン・バチスタ・コンチ大通りである。
すぐに公園が右手に見える。
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公園の北側入り口から階段を上ったところにあるサンパウロ市営公園に共通のデザインの公園名称の表示。
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北側入り口の階段から、東側の風景。
Spd20070117prsi

北側入り口の階段から、西側の風景。
Spd20070117prsj

北側入り口の階段からの北側の風景。
ジョアン・バチスタ・コンチ大通り通りの先には、公営団地が広がっている。
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公園の東側からみた公営団地群。
道を挟んで、小さな商店が並んでいる。
Spd20070117prsa

公園内の東側にある多目的スペース。
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左の建物が文化スペース。
やたら著名なロックミュージシャンの絵が掲げてあった。
歩いている人は常駐の作業員。
もちろん、ここで紹介しているどの公園にもガードマンは最低2人以上はいる。
警察も頻繁に立ち寄っている。
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遊び場。
Spd20070117prsd

遊び場。
一部は高台の草地にあって、足元が気持ちよい。
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幾つかの公園で同様の施設を見たのだが、高齢者が主に使っている球転がし場。
ボーリングのようなものである。
ルールは分からない。
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公園の西部から、東側を見てみた。
この草地は悪くない。
Spd20070117prsk

西の端の下がったところにある多目的コート。
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北西の方向を見てみた。
向こうの丘には、戸建て住宅が並んでいる。
Spd20070117prsm

文化の家。
Spd20070117prsn

公園の中心部から南寄りを西向かって、林の中を行く道。
徐々に下がっていき、最後に小さな池がある。
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逆に、西側から東方を見てみた。
この公園の木は全てまだ若く、森林という感じはない。
Spd20070117prsp

公園管理棟。
Spd20070117prsq

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この公園の評価は次の通り。

行く必要は全くない。

サンパウロ市の中心部から1時間以上は絶対かかる。
平日では1時間半は確実だろう。

この公園は高台にあって、見晴らしがよく、開放感があるが、
だからといって安全とは全く関係ない。
ここも、サンパウロの都市化最前線戦であることには間違いない。
見渡せる範囲においてはファヴェーラ(=貧民窟)はない。
しかし、地図や衛星写真で確認すると団地の先にはある。
特に東南の方向はにはまだ空き地が多くあり、その辺にはファヴェーラが出来つつあるようだ。

この公園は小さいので、
ここを訪れる人はほとんどが近隣の人と言ってもよい。
わざわざ、車で来るようなところではない。
車で行くならば、この公園から車で10分くらいのところに、広大なカルモ公園があるので、そちらに向かうはずである。
この公園でなければという特色はひとつもない。

訪れる人は、混血系と白人系。
意外に白人系の比率は高い。
白人といってもまずしい白人である。
公営団地の住民は、中流未満であることには留意しなくてはならない。
貧しいからといって、心がどうこうということとは全く関係はないのだが、生きている社会階層が違うのは事実である。
公園を訪れる人たちは、気持ちに余裕がある人たちとは思われるが。

日系の顔はここでも全く見ることは出来ない。
当然、日本人が行って落ち着けるはずもない。

繰り返しておくが、高台にあって、樹木も混んでいないし、広い道に面しているので、割と遠くまで見渡せて、そこだけは気持ちがよい公園であった。
この公園は、原生林もなく、隅から隅まで、歩くことが出来る。
実際の面積以上に広く感じる公園である。

この立地でなく、市内中心部に近ければ、おそらくよい公園であったろう。

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公園の西側の大幹線道路のノヴァ・トリャバリャドーレス大通りは、河道を挟んで作られた道路である。
道の両側が丘になっている。

公園の周囲には公営団地が広がっている。
西側は、中の下が多い住宅地区。
公園の南側にはまだまだ未開発の土地が沢山ある。

この公園の西側のサバッド・ダンジェロ通りを着たに1キロほど行くと、近郊電車のドン・ボスコ駅がある。
歩くことが理論的には十分可能な距離である。
現実的にはどうかわからないが、見た限りではまがまがしさはなかった。

ドン・ボスコ駅は、地下鉄のイタクェラ駅の次の駅になる。

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segunda-feira, 26 de fevereiro de 2007

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その13

暑い日だった。

まだ年端もいかない男の子が、塀の礎石に腰掛けて水を飲んでいた。
何か貫禄さえ感じてしまうような、堂々とした飲みっぷりであった。
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脇には、この子供の身体には不釣り合いな大きさの白い袋があった。

ここは、
サンパウロ市南部のレバノン共和国大通りと100周年大通りの交差点。
地区で言うと、
共に最高級という形容詞が付く、一戸建て住宅街のジャルヂン・ルジタニアと一戸建て住宅からアパート街に替わりつつあるノヴァ・コンセイソンの境にあたる。

もちろん、この小さな子供が1人のはずはない。

父親と兄とおぼしき2人は、信号待ちをしている車を一台一台回って物乞いをしていた。
兄とは服がおそろいだ。
Spd20070126h

暑い日の午後だった。

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sexta-feira, 19 de janeiro de 2007

ブラジル・サンパウロの子供の写真を撮った。 その2

ブラジル・サンパウロの深南部。
ピニェイロス川を渡り、車で20分くらい行ったところだ。

あまり行かないところだし、行くことを勧めたくないところだ。

車を止めた。
もちろん駐車場などもう無いところだ。
前後左右を見て、路上に止めた。

30分弱ほどして、戻った。
もちろん、車は何の問題もなく止まっていた。

車を止めたところにある家の戸口から、3人の子供が顔を出した。
珍しいものを見るような感じだった。
好奇心いっぱいの顔をしていた。

写真を撮ってあげた。
Spd20070116d

そしたら、また更に1人出て来た。
姉妹なのかなんなのか。
更に、写真を撮ってあげた。
Spd20070116e

いい顔で自然に笑ってくれる子供達。

また、ブラジルが好きになった。

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domingo, 31 de dezembro de 2006

第27回サンパウロ・ビエンナル その66 作品53。

ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園ビエンナル館で開催の第27回サンパウロ・ビエンナルは、10月7日(土)から、12月17日(日)まで開催されていた

出展作を、
会場の雰囲気と共に、簡単に紹介している。

四角い部屋の全ての面に、家具が置かれている。
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不思議な空間にいるような感じがしてくる。

なので、来館者には人気があった。
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特に、学童は大喜びだった。
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quinta-feira, 7 de dezembro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その12

ブラジル・サンパウロの中心部のリベルダーヂ地区。
高台は、東洋人街などと呼ばれているところもある。

だが、その東洋人街から2本目まで下ったところまではまだいいが、3本目からはやや身構えたくなる雰囲気になる。

一番下まで下っていくと、そこにはまた悲しい光景がある。
そこにも、暮らしがある。

高架道路の下に広がっている。
時々、撤去させられている時もあるが、いつの間にかまた元に戻っている。

高架道路の下には、
回収した廃品の集積分別所がある。
男は、荷車を引いてセントロを歩き回って回収してくる。
女は、それらを分別する。

廃品回収は、一種の協同組合組織になっている。

サンパウロで、分別をする必要がないのは、この人達がいるからだ。
パカエンブー競技場の周辺でも、試合前に観客がのみ散らかした飲料のペットボトルやアルミ缶は、あっという間に回収されている。

東京でも、隅田公園沿いに青いビニールシートで出来た家が並んでいる。
日本の大都市では、こういった風景を見ることも出来る。

だが、日本のそこには、子供はいないはずだ。
ブラジルでは、今そこで子供が生まれている。
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この子供達が、坂道を上っていって、お菓子を売ったり、芸を見せたりしている。

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terça-feira, 5 de dezembro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その11

ブラジル・サンパウロの中心部に近い最高級アパート街のイジェノポリス。

イジェノポリス地区からコンソラソン大通りに出るには、セルジッペ通りを使う車が多い。

2人の子供が元気なく座っていた。
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それから、3時間後。

イジェノポリス地区のアラゴアス通りに、1人の少女がいた。
先ほどのセルジッペ通りの一本北側の通りで、
逆方向の一方通行になっている。
やはり元気なくうつむいている。
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元気を出してと、聞こえないだろうが言ってみた。

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terça-feira, 28 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その10

ブラジル・サンパウロの中心部に近い最高級アパート街イジェノポリスと最高級住宅街のパカエンブーの境に位置するFAAPで開催されていた「ギリシアの神々展」は、11月26日(日)に最終日を迎えた

15時過ぎ、
この美術館のまわりには、300メートル近い入館を待つ人々の列が出来ていた。
また、入場制限をしていた。
周囲にも、路上駐車された車が並んだ。
Spd20061126b

こういう美術展に行く人たちは、見るからに、中流の上以上の人たちばかりだ。
この美術展は、無料でもあり、その気になれば、誰でも入ることができる。
よほど不適切な服装でもなければ、何も気にすることはない。
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でも、
ほとんどが白人である。
色の黒い方の人たちは、ほとんどいない。

まして日系人(日本人も含む)など、こういった催しにはまずいない。
どうも日系人は、芸術系は避けているかのようだ。
人口比から考えても、ほとんど見たことがない。
ブラジルで著名なアーチストで、日系人という人は何人もいるのであるが。
いつも日系人にも行くように言うのだが、みんな何とか言い訳をして、逃げてしまう。
日系人の生活習慣には、美術展に行くというのはないかのようだ。

このFAAPの美術館は、アラゴアス通りに入り口がある。
アラゴアス通りは、、イジェノポリスを東西に貫通している。
アンジェリカ通りと交差するところに、ブエノスアイレス公園がある。
東から西に向かっての一方通行で、パカエンブー競技場の前の広場に繋がっている。

FAAPの入り口から、400メートルほどこのアラゴアス通りを下っていくと、そのパカエンブー競技場前の広場になる。
そこの信号の待ち時間はやや長い。
いつも車の列が出来る。

そこに、いつも子供達がいる。
何人もいる。
平日でも、午後になるといる。
Spd20061126d

ここで、稚拙な芸をして、ドライバーに幾ばくかのお金を貰うのだ。
ほとんど貰える可能性はない。
だが、稀に貰える。
このあたりの信号で、こういった子供たちがいるのは何故かここだけだ。
Spd20061126e

仲間がいる。
黄色いテニスボールを握っている。
お手玉をするのだ。
Spd20061126f

400メートルの距離は歩いていけばたかだか4-5分だ。
だが、実際のところ、これから何世代かけると上まで登って、
美術館に入って行くことができるのだろうか。

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domingo, 26 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの子供の写真を撮った。

サンパウロ市の東部、姉と弟がいた。
写真を撮ってあげた。
Spd20061122o

友達を呼んできた。
女の子は、さっとT-シャツを脱いで、ビキニになった。
モデルの気分なのだ。
撮ってあげた。
Spd20061122p

更に友達を呼んできた。
ぜんぜん整列なんかしない。
撮ってあげた。
Spd20061122q

大喜びなので、さらに撮ってあげた。
思いっきり、思い思いのポーズととってくれる。
Spd20061122r

彼らだって、デジタルカメラは知っている。
撮影後の写真を見て、また喜んでいた。

この付近のファヴェーラの子供達だろう。
屈託のない、いい感じの子供達だった。
また、ブラジルはいい国だと思った。

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sábado, 18 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その11

ブラジル・サンパウロの中心部に近い最高級アパート街のイジェノポリスを抜けるアンジェリカ大通り。

サンパウロで、住民が歩いて生活をすることが出来る地区というかなり珍しい讃えられかたをしているこのイジェノポリス。

確かに、日中は人通りが多い。
住民だけではなく、事務所もあるので、それらに出入りする人も多い。

富裕層が多いので、銀行の支店も多い。

バネスパBanespaという銀行の前に、2人はいた。
日がかなり傾いてきた時間であったが、十分に暑い。
日陰に身を隠すわけでもない。
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8歳くらいの子供と、乳児を抱いた女性だ。

子供と女性は、親子ではないかも知れない。
女性は、とても若い母親のように見える。

道を行く人に向ける視線が物憂げだ。
Spd20061117b

この3人のそれぞれの未来は、どのようなものになるのだろう。

明日も知れない。

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quinta-feira, 16 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その10

ブラジル・サンパウロでは、大きな道で、長い信号待ちになる交差点には色々な物売りがいる。
単なる物乞いもいる。

中には物を売らないで、サービスを提供する人もいる。

モップとポリタンクを持っている人がいる。
車の前面ガラスを綺麗にしてくれる。
Spd20061114d

これは小さな子供には無理なことである。
手が届かないからだ。

サンパウロ市東部アリカンドゥーバ大通りがラヂアル・レスチ大通りと交差するところにも、おおくの人たちがいた。
信号待ちが長いところだ。
窓ふき隊も数人いた。

その中のひとりに子供がいた。
それほど幼いわけではない。
ちょっと身を乗り出すように、一心にモップを動かしていた。
Spd20061114a

いい顔をしている。
Spd20061114c

1台が終わったら、また次に行く。Spd20061114b

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segunda-feira, 13 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その9

ブラジル・サンパウロの市内中心部に近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。

ここから、コンソラソン大通りへ出るためには、
コンソラソン墓地の北側で、コンソラソン大通りに突き当たるセルジッピ通りを使う車が多い。

昼や夕方は、渋滞も発生し、信号待ちも長くなる。

セルジッピ通りが、サバラ通りと交差するところは、五叉路になっていて、信号待ちが更に長くなる。

そういうところの歩道の街路樹の縁石に、この少年は腰掛けていた。
Spd20061109zu

手には「お菓子」を箱で持っていた。

もちろん、売り物だ。

信号待ちの車に向かうこともなく、座っていた。
何度も何度も、車の運転手に向かっていくことに疲れてしまったかのようだ。

彼の目は何を見ていたのだろうか。

彼の隣にも、もう1人同業者がいたが、やはり座っていた。

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domingo, 12 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの「日本」。

ブラジル・サンパウロの「日本」といえば、東洋人街のあるリベルダーヂ地区ガルボン・ブエノ通り周辺というのが、普通だ。

だが、地名で「日本Japao」と言うところがある。

サンパウロ市の中心部から北東に8-9キロのところに、ヴィラ・マリアVila Maria地区というところがある。
そのヴィラ・マリアの中にジャルヂン・ジャポンJardim Japaoという地区がある。
小高い丘になっている。Spd20061104r

なんということはない中流の下の住宅地区である。
20年前は、地名も道はすでにあったが、まだ家が本当にまばらにしか建っていなかったのだが、サンパウロ市が成長していく中で、もうすっかり落ち着いた市街地になった。
バス通りに沿って、ずっと商店が建ち並んで活気もある。

このジャルヂン・ジャポン地区の多くの道の名前は、日本にちなんで付けられている。

広場がある。
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東京広場Placa Tokioだ。
Spd20061104l

ちょっとしたベンチなどもある。
通りすがりの人が一休みできる。
Spd20061104k

江戸広場Placa Yedoもある。
カラフルな塀は、この地区の学校のものだ。
Spd20061104m

東京広場と江戸広場をつなぐ横浜通りRua Yokoamaもあるが、
”H”が抜けてしまっているのでヨコアマになっている。
Spd20061104n

帝広場Placa Mikadoもある。
周囲の道は、有栖川通りRua Arissugawaという。
Spd20061104o

付近には、
京都通り、大阪通り、神戸通りと、関西の三都の名前もある。
広島通り、長崎通りもある。

東郷通というのもあるが、これは「東郷平八郎」から来ているのではないかと推察する。

成田通り、侍通り、娘通りというのもある。

全てただの住宅街である。

大和通Rua Yamatoというのもあった。
Spd20061104p

丁度そこに歩いてきた2人の少女。
「大和撫子」とでもよびたいところが、随分と風情が違う。
Spd20061104q

ブラジル・サンパウロの通りには、どんなに細い道でも全て名前が付いている。
ほとんどが、ブラジルやサンパウロに何らかの貢献をした故人の名前である。
大きな貢献をした人は、大きな道に名前を与えられる。

日系人の名前も、歴史の古い市内中心部ではあまり見ることはないが、郊外になると割と見かけることがある。

ただ、このジャルヂン・ジャポン地区のように日本に関係する名前がまとまったところはない。

このジャルヂン・ジャポン地区が、どうしてこのような名前を付けられたのかはわからない。
名前がそうだからといって、日系人が多く住んでいるようなわけでもなさそうだった。

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ジャルヂンJardimとは、「庭」の意味だが、地名の場合はそのままに理解することは出来ない。
ジャルヂンJardimがつく地名は市内いたるところにある。

ジャルヂン・アメリカJardim America地区とジャルヂン・エウロッパJardim Europa地区の、一戸建て住宅専用地区は、サンパウロ市内の最高級住宅街なのかでも最高のところである。
その中でも、ジャルヂン・エウロッパ地区は、最高の中の最高。

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ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その8

ブラジル・サンパウロの業務中心部を貫くパウリスタ大通り。

片側4車線の広い道だ。
その道の中央の分離帯に、2人の子供がいる。
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兄弟だろう。

兄の手には、黄色のテニスボールがある。
テニスをするために持っているわけではない。

赤信号で止まった車に立ち、
このボールを使って、お手玉をするのだ。

そして、その芸に対して、幾ばくかのお金をドライバーからいただくのだ。
兄が芸をしている時に、弟が車を回るのだ。

赤信号の間に、
1台の車から何も貰えないことが普通だ。
ただ、貰えなくても何回も何回も繰り返すしかない。

こんな稚拙なことをやってお金を貰えるのは、小さな子供だけだ。
哀れみを感じさせるからだ。
ちょっと大きくなると、かなり高度な芸を披露しないと貰えるわけはない。

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サンパウロ市内の中心部の交差点には、
このような芸を見せる子供達がいっぱいいる。

以前はこのような「ちいさな芸人」はいなかったのだが、
いつの間にか蔓延してしまった。

物乞いはいたが。

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サッカー:ロマリオの種馬場開業。

リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州内陸部のパチー・ヂ・アルフェレスPaty do Alferes市の農場で、ロマリオRomárioは1000ゴールを達成する以外に、もう一つの目標があることを明らかにした。
ロマリオ自らそう呼ぶことを好むダウン症síndrome de Down、脳性小児マヒparalisia cerebral、そして自閉症autistasなどの特別な子供達の治療施設である。

それで、ロマリオBaixinhoは11月10日(金)に”連帯の種馬場”を開場することになっていた。
ロマリオの1歳6ヵ月の娘を称えて、イヴィ・ビッテンクルチ・ヂ・ソウザ種馬場Haras Ivy Bittencourt de Souzaともう言う。
しかし、2つの理由で夢の開始が阻まれた。
天気が悪いことと、大きな理由はスポンサーがいないことである。

「自分の甥が種馬場のアイデアを持ってきた。 自分はとても感動した。 パチー・ヂ・アルフェレスPaty do Alferes市役所はこの計画に資金を出す気がなかった。 それ以上に今日の天気も適当ではなかった。 市役所は彼らの役割をしていない。 それで、出来るだけこの種馬場を機能させるために協力してくれるひとをさがしている。 年末までに、300人から400人の特別な子供達の治療をしたい」と、ロマリオRomárioは言い、この種馬場の治療施設を維持するのに月に12千レアル(約70万円)の資金がいると言った。 

ロマリオBaixinhoは、この計画に責任のある獣医師となる甥のヴィルジリオ・ビッテンクルチVirgílio Bittencourtの助けを得て、設備のインストラクター、療養士、精神医、音響治療師を使う。
子供達の治療は無料である。
治療の設備については、ロマリオRomárioの娘もまたこの種馬場で過ごす程信頼している。

「技術的なことについて話すことは出来ない。 しかし自分の娘もまた他の子供達と共にここで治療をすることができる。 彼女がより容易に意思を伝えることを始めることが、すぐなことは間違いない」と、ロマリオは保証した。

ロマリオは、ダウン症の子供の親への勇気となる、エヴァルト・モカルゼウEvaldo Mocarzelのドキュメントを見てとても感動した。

「映画を見て感動したのは自分だけではない。 見た人全てが感動する。 自分は1年6ヵ月ダウン症と共に生きて、特別な人たちの可能性に印象を受けた。 どんどんとイヴィが天の神様Papai do Céuが自分の懐に遣わした天使であると思えてきている」と、ロマリオRomárioはブラジルで毎年8000人のダウン症の赤ちゃんを持つことになる親の1人として宣言した。

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ロマリオの静かなそして優しい一面をまた見せてくれたインタビューだった。
「20061110Ramario-Haras.wmv」をダウンロード

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sábado, 11 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの「子供が乗っています」。

よく日本で、車の後部に「子供が乗っています」とか、「子供が寝ています」とか書いてあるステッカーなどを貼っているのを見かける。

いつも思うのだが、だから後ろにいる車にどうしろと言っているのだろう。

子供が乗っている車の運転者自身が、一番注意するべきだと思う。

後ろの人には、何を望んでいるのだろう。

車間距離をとるように言っているのだろうか。
クラクションをならすなと言っているのだろうか。

先日、ブラジル・サンパウロでのこの種のステッカーを貼った車を見つけた。
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キティーちゃんだ。

やはり思った。
だから、どうして欲しいのか。

ブラジルでは、前部座席に子供を乗せてはいけないことになっている。
抱いていても駄目だ。

日本が法制化する以前から、チャイルドシートは義務づけられていた。
だけど、そういう規則を守っていない車は多い。
チャイルドシートは高いから。

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ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その7

このところ、午後になると、路上で働く子供達がとても増えてきた。

ナタウ(=クリスマス)が近づいてきたせいだろう。
12月になって、学校が休みになると、もっと増えてくるはずだ。

ブラジル・サンパウロの業務中心部パウリスタ側から、
コンソラソン大通りを交差して、
最高級アパート街のひとつイジェノポリス地区へ向かうところ、
1台の車に3人の子供がたかっていた。
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よほど気前のよいドライバーなのか。

それとも、窓を開けて相手をくれるドライバーがいなかったので、
ここぞと集まっているのか。

母親らしき女性が、すぐ側の歩道の脇の建物に隠れるように座っていた。
更に幼い子を抱えていた。
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すこしでも楽しいナタルを迎えるのは、
自分の働き次第の子供達。
家族のためだ。

ブラジル・サンパウロでは見慣れた光景なのだが、
今日はちょっと痛ましく思えた。
とても寒かったせいだろうか。

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quarta-feira, 1 de novembro de 2006

ブラジル・サンパウロの「車内に幼児を置き去りにした母親」。

カチア・ヂ・パウラ・トッヘスKátia de Paula Torres25歳が、10月24日(火)の未明に、サンパウロのバッハ・フンダにあるポルト・アルコバサPorto Alcobaçaという夜のお店の、エザウトサンバExaltasambaと言うショ-に行って、タジプル通りrua Tagipuruの駐車場に車を駐車し、その車の中に1歳の子供を置き去りにした。
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幼児が、1時45分に泣いているところを、駐車場の人間に見つけられた。
母親のいるところを発見できなかったので、彼は警察に連絡した。
車の中から出されたあとに、幼児は小児科病院Instituto da Criança do HC (Hospital das Clínicas), に運ばれた。
体調はよい。
Spd20061024f

裁判所が行き先を決めていないので、引き続き病院にいる。

カチア・ヂ・パウラ・トッヘスは、
店を出て来たところで、現場で事情聴取を受けた。
10月23日23時45分に店にやってきたところで、子供が寝ていたのでそのままにしていたと応えている。
彼女は店を出てくるまで、約2時間置き去りにしていた。
Spd20061024a

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この事件は、ローカルニュースで大々的に報じられた。
何度も。
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Spd20061024c
Spd20061024d

このカチア・ヂ・パウラ・トッヘスは、夫と暮らしていたが、
最近別れたということだが、
暮らしている家も映し出された。
Spd20061024g

裁判所の決定というのは、
下手すると「強制的に養子に出されるというもの」である。
きちんと育てることが出来る環境にないと判断される可能性がある。

また置き去りにしたことは、
6ヵ月から、2年の刑務所行きの可能性もある。

事情聴取の召喚状まで映し出された。
Spd20061024h

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ブラジルでは、子供への虐待は、社会的な「大罪」である。

サンパウロの夜は、かなり冷えるので、まず熱中症になる可能性は少ない。
ブラジルにはパチンコ屋はないが、車の中に子供を置き去りにしていて、熱中症で死亡させる事件は時々報じられている

この女性は、車を持っているし、家も一応小ぎれいなので、貧しいとはいえないはずだ。

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このタジプル通りは、地下鉄バッハ・フンダ駅から歩いて5分くらいのところである。
ちょうどミヨコンが終わり、フランシスコ・マタラーゾ大通りになるところあたりで、フランシスコ・マタラーゾ大通りの1本北側になる。

大きなライブハウスもこの付近にはあるが、この通りには小さなライブハウスが何軒かある。
PUCやUNINOVEなどの大学やその他の学校も近いので、
狭く短い通りだが、若者でいっぱいのところである。

ただし、難易度は高い場所だ。

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sábado, 14 de outubro de 2006

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その6

ブラジル・サンパウロには、路上に「物乞い」がいる。
当然のことながら、懐に比較的余裕のありそうな人がいるところに、陣を取る。

ビジネス街であったり、高級アパート街であったりする。
こういうところには、そこかしこにいる。

高級一戸建て住宅専用地区にはいない。
なぜなら住民はまず歩いていないからだ。

サンパウロ屈指の高級アパート街であるイジェノポリスを貫くアンジェリカ大通り。
平日の午後。

身体つきから判断するに8歳前後の女の子が、歩道にしゃがんでいた。
リンゴにかじりついている。
Spd20061011z

女の子の後ろには、誰か寝ていた。
男だが、親でもないようだった。
年上の兄弟のような。
もしかしたら、一緒にいるだけの他人かもしれない。
ブラジルではそういうことはままあることだ。
「共生」しているのだ。
Spd20061011za

一心に囓っているようでも、
通行人を見ている。
時々、手を差し出す。

通行人は、
ちょっと距離を取って、通り過ぎる。
Spd20061011zc

でも、視線は一瞬女の子に向かう。
Spd20061011zb

この次の日は、
ブラジルはこどもの日だった。
この女の子には、何か良いことはあっただろうか。

国民の7割以上が、自分は幸福だと思っているブラジル
不幸だと思っている人は、わずか2%しかいないブラジル。

この女の子は、どちらにはいるのだろうか。

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時たま、こういった人たちに恵みを与える人もいる。

決してお金持ちそうではない人たちが、与えることが多いようだ。
子供には、お金ではなく、食べ物を与える人も多い。


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terça-feira, 10 de outubro de 2006

サッカー:ロマリオが、ダウン症児のための種馬飼育場を開設。

10月9日(月)にツゥピーTupi-MGと契約したFWロマリオRomárioは、12月に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州内陸部にあるパチー・ヂ・アルフェレスPaty de Alferesにダウン症síndrome de Downの子供の治療のために、”馬による治療”equoterapia (terapia com cavalos),を行う種馬飼育場harasを開設する。

ダウン症で生まれたロマリオの娘の名前をとって、イヴィー・ビッテンクルチ治療センターCentro Eqüestre Ivy Bittencourtと呼ばれることになる。

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良いと思うことは、どんどんやるべきだ。

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domingo, 8 de outubro de 2006

ブラジル・サンパウロの「赤ちゃん人形」 その2 おしっこ機能付。 

ブラジルは、10月12日は「こどもの日」だ。

このところ、この「○○の日」がどんどん盛大になってきた。
商業主義のせいだ。

12月のナタウ(=クリスマス)のプレゼントも近いのに、
この10月にも子供達はプレゼントを貰えるのだ。

そういうわけで、
子供関係の商売をしている人にとっては、
稼ぎ時だ。

テレビでも、
そういったCMが、
子供番組でない時間でも、放映されている。

男の子向けの物。
Spd20061006g

女の子向けの物。
Spd20061006k

ブラジルは、こういうところの区別が割とはっきりしているように思う。

ヘロ・キチHello Kittyもすっかり定着している。
Spd20061006f

そして、このところ経済が好調なのか、
おもちゃの質が本当に良くなってきた。
以前は、「子供だまし」以下の品質であった。
新製品も続々と出て来ている。

最大手のEstlera社は、
赤ちゃん人形の新製品を発売した。
Spd20061006i

ハイハイしたり、おしっこをする。

赤ちゃん人形を欲しがる、もしくは買って貰えるのは
まず「女の子」だろう。
「男の子」が欲しがっても、買って貰えないだろう。

持ち主になった「女の子」が、
人形の排尿のお世話をするのである。
Spd20061006o

CMもそのようなシーンを想定していることがわかる。
「20061006CM-Estlera-Pipi.wmv」をダウンロード

この人形は、新製品だし、
排尿装置がはいっているので、安いものではない。
まだ、ショッピングセンターにあるような一流玩具店にしかおいていない。

普通のスーパーの玩具売り場にはなかった。

ところで、この人形は性別がある。
どちらが売れるのであろうか。
Spd20061006p

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日本では、
いけない趣味のお兄さんが密かに買い求めそうだ。

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ブラジルの玩具業界は実は苦境にある。
中国からの玩具がどんどん入ってきているからだ。

新製品の多くは、中国製であることが多い。
市場の半分は、もうすでに中国製という話もある。
子供の世界と違って、大人の世界は簡単ではない。

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terça-feira, 12 de setembro de 2006

ブラジル・サンパウロの「共生」展 その1 共生とは。

8月27日から、ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園の
平和広場で、「共生」展が開催されている。

「共生」とは、Coexistence。
「一緒に生きる」とか、「共に生きる」とかという意味なのだろうが、
ここに「協力して生きる」という意味があるかどうかはよく分からない。
どうもこのあたりが気になるのだ。
Spd20060901k

この展覧会は、
極めてメッセージ性の強いものである。

なぜなら、ブラジルでの主催は
ユダヤ人の団体ユダヤ文化センターだからである。
Spd20060830zr

ブラジル・サンパウロだけで開催されているのではなくて、
すでにニューヨークなどでも開催されてきたものだ。
それが、サンパウロでも開催されているということだ。

そういうことなので、
「共生」という意味についてものすごく考えてしまうのである。

ホロコーストで何百万人も殺されたユダヤ人である。
だが、
先月、レバノンで約1000人が死んだのは、
ユダヤ人の国イスラエルの軍隊によるものであった。

長い複雑な歴史があってのことなので、
誰が良いとか悪いとか語るのは難しい。

だが、
この「共生」展が一つのきっかけで考えさせてくれる。

先月のレバノンことを考えると、
「共生」というのは、
「それぞれが別々に生存するのを認める」くらいの意味しかないのではないかと思う。
「一緒に」とか「協力して」とかいう意味は、無いのではないかとも思ってしまう。
「共生」ではなく「共存」くらいの意味だろうか。

この展示会は、屋外展示会である。
公園の一角に、40-50もの作品が展示されている。
Spd20060830zq

この展示会の趣旨をもっともよく表している作品である。
Spd20060901l

こういった展示会は、とてもブラジルに相応しいと思う。
もちろん色々な国からの移民からなっている国ブラジルであると言うこともあるが、
それ以上に多様性を持った国だからだ。

これらの作品を見て、
この多様な国ブラジルの人々は、
それぞれの置かれている立場からこれらの作品をみて、
それぞれが色々な思いを持つに違いないと思うからだ。

主催は、ユダヤ人の団体ではあるが、
そういったことを反映した作品はむしろ少ない。

ゆっくりと紹介していきたい。

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sexta-feira, 16 de junho de 2006

サッカー・ブラジル代表 ドイツ合宿 その35 アドリアーノの息子誕生。

ブラジル代表seleção brasileiraのFWアドリアーノAdrianoにとって、今週はとても良い週で終わりそうだ。
6月16日木曜日に、アドリアーノの最初の子供アドリアーノ・ジュニオールAdriano Júniorがリオ・デ・ジャネイロで誕生した。
子供が誕生した病院は、詳細は発表していない。

子供の母親は、アドリアーノの元恋人のダニエリDanielleである。
アドリアーノは、妊娠期間中は全面的に援助を与えた。

アドリアーノAdrianoは夜にこのことを知って、長男primogênitoの誕生に興奮した。
ブラジル代表の選手達は、アドリアーノと一緒に祝った。

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アドリアーノが待望の子供が生まれた。

しかし、母親は元恋人ということだ。
初めから父親がいないと同じ様な子供だ。

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terça-feira, 21 de março de 2006

ブラジル・サンパウロの恐竜展

ブラジル・サンパウロのイビラプエラ公園の中にあるOCAという施設で、恐竜展がしばらく前から開催されている。

遅ればせながら行ってきた。

入場料は、こういう催し物の入場料が安いブラジルにしてはかなり高いのだが、中に入って納得できるものであった。

会場の入り口である。
色々な企業や団体が協賛を誇っている。
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まず、入り口を過ぎて最初の展示は、地球が誕生して今までの発展が、細長い通路を進みながら、理解できるようになっている。
つまり、恐竜たちが活躍したジュラ紀が、いつだったのかを理解させようという狙いである。
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なかなかビジュアルな物で、丁寧な展示の説明であった。
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そして、そこを抜けて、スロープを下ると、お目当ての恐竜の骨格標本が現れてくる。
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地階には、比較的大型の恐竜の骨格標本が、迫力いっぱいに何体も展示されていた。
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そして、再び上階に進むと、中型の骨格見本や、化石の実物がいくつもいくつも展示されていた。
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翼竜も迫力満点だ。
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最上階には、魚類の化石がずらりと展示されていた。
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少なくともこの展示会は、大人のための物ではなく、やはり学童のためのもので、何十組もの生徒達のグループが先生に引率されてやってきていた。 ある者は熱心に、そうでない者はそれなりに騒いで、見ていた。
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何かのきっかけになれば、それで良いはずである。

ブラジルで発掘された化石も多く展示されていた。
大体東北部の乾燥地帯で発見されているようだった。

展示場の最後には、グッズコーナーがあり、また珍しく充実していた。
ビジュアルな本を1冊買い求めた。

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quarta-feira, 28 de dezembro de 2005

ブラジル・サンパウロで、6日間穴に落ちた子供が退院

ブラジル・サンパウロ州のグァリューリョス市で、「穴に落ちた子供」が6日目に発見されて、入院していたのだが、今日12月28日に退院し、自宅に戻った。
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グァリューリョス市は、サンパウロ市の北東にある人口100万を超える衛星都市で、国際空港はここにある。
この家族は、このグァリューリョス市でもかなり奥地で都市化の波がまだ届いていないようなところに住んでいた。

この子供9歳、自宅から父親が働いている農場に昼食を運んだ帰りに、穴に落ちた。
この穴というのが、広い野原の中にあるかなり直径の大きなそして深い穴である。
古井戸がそのままになっていたという。
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20メートルも落ちて、あまり怪我もしなかったようだ。
そして、雨水を飲んで生き延びた。
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子供を捜す父親の声に反応して、救急隊にすくわれた。
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そして、今日退院し、遅れていたナタルのプレゼントを受け取った。

母親はかなり信心深いようだ。
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壁には、沢山の像。
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神様のおかげと、ブラジルの守護神ノッサ・シニョーラ・ダ・アパレシーダを抱きしめる。
ブラジルの報道では、大事なポイントだ。
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この夫婦の子供は9人。 すでに孫もいる。
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大都市の中に組み込まれたファヴェーラの中の貧しさと、大都市の近郊とはいえ都市化の及んでいない農村地区の貧しい家庭とは、随分雰囲気が違う。

「清く、貧しく、美しく」などという言葉が、まだ通用しそうなところである。

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terça-feira, 27 de dezembro de 2005

ブラジル・サンパウロのナタウ その6 眠る子供

12月25日、ブラジル・サンパウロのセントロは人通りも少なく、とても静かだった。

交差点の歩道に、子供が寝ていた。
15時だった。
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この子供のクリスマス・プレゼントは何だったのだろう。

セントロの西北部リオ・ブランコ通りAvenida Rio Branco。

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domingo, 25 de dezembro de 2005

ブラジル・サンパウロのナタウ その6 サンタクロースは本当にやって来る。

ブラジルでは、サンタクロースを「パパイ・ノエルpapai noel」という。

やっぱり、ナタウ(=クリスマス)の前日の12月24日の夜にプレゼントをくれるのは、パパイ・ノエルということになっている。

だけど、子供だって馬鹿ではない。
お父さんやお母さんが、夜中に枕元にやクリスマスツリーの下にそっとおいてくれることに、とうの昔に気付いているのである。

一体、こどもは何歳まで、パパイ・ノエルが持ってくるのだと信じていてくれるのだろうか。

「どうして、パパイ・ノエルが来たときに起こしてくれなかったの」と、文句を言ってくれるのはいつまでなのだろうか。

さて、
ブラジルでは、富裕層の子供達はいつまでもパパイ・ノエルの存在を信じていることがそうだ。
少なくとも、お父さんやお母さんとは違った人であると信じ続けることが出来るかもしれない。
そういうことがあった。

12月24日の23時45分に、拙宅の前の道で突如起きた大音量の生バンド
正体がわかった。

ブラスを含めた3名編成のバンドと、パパイ・ノエルだった。

拙宅の隣りの家に、プレゼントを届けに来たのであった。
当然、子供は寝ぼけ眼で起きて、パパイ・ノエルに会い、お話をすることが出来るわけである。

子供の傍らで、両親がそれを見守っているのである。
プレゼントを持ってきてくれるのは、パパイ・ノエルで間違いないのである。

「他の子供達にも届けなくてはならないから」と、パパイ・ノエルはすぐに去っていくのである。

子供は、「パパイ・ノエルさんが持ってきてくれたね」と言って、安心してまた眠りにつくに違いない。

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大したサービスである。
一体、いくらの費用がかかるのであろうか。

隣の場合は、4人であって、トナカイはいなかった。

更にお金を支払うと、トナカイさんのそりも着いてくるのだろう。

もっともっとお金を支払うと、空から降りてきて、煙突から入ってきてくれるに違いない。

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quinta-feira, 10 de novembro de 2005

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供たち その5

ブラジル・サンパウロには、路上で商売をしている人たちが沢山いる。

特に交差点では、小袋に入れたキャンディーを売りに来たり、
水や清涼飲料水、
さらに傘や花やおもちゃや携帯電話のケースやさらに海賊版のCDにDVDなどなにやかにやを売りにやってくる。

特に車が渋滞していて、車が滞っているときにはいい商売が出来るようだ。

こういった物販業をやっているのはだいたい大人だ。

こどもがやるのは、「芸」を見せる事だ。
ナタウ(=クリスマス)まで2ヶ月を切って、自分で自分のナタウを飾らなくてはならない子供達が路上にとても多くなってきた。
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これから、ナタウに、新年、そしてカルナヴァルと休暇シーズンで何かとお金が必要になる時期である。
一年で一番危なくなってくる時期でもある。
すでにその徴候は出て来ている。

かわいそうにも思うのだが、子供であっても、油断は出来ないのである。

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sábado, 24 de setembro de 2005

ブラジル・サンパウロは「貧乏人の子沢山」

ブラジル・サンパウロの地区別の子供の数が発表された。

詳細なデータは、「spd20050907aa.jpg」をダウンロード

地区によって人口も違うから、子供の数が違う。
しかし、地区別の人口の変化のマッピングが発表されている。

spd20050907a

これによると、サンパウロの中心部ではほぼ子供の数が減っている。
そして、サンパウロ市の辺境部では、子供の数が急増している。
そして、その急増部に隣接したやや中心部に近いところが最も子供数が減っていることを示している。

一番減っているところは、10年前に市街地が進み、人口が増えて、そして子供を作ったことだ想像できる。
そして、急増しているところが、今まさに都市化が進んでおり、人口も急増しているところあり、且つ子供もどんどん生まれているところである。

そして、これらの急増地区は、ファヴェーラの多い地区といっても良い。
社会資本の整備も悪い、そして犯罪の温床で、殺人事件も多いという地区である。
つまり、この地区は貧しい人が多いところということになる。

ブラジルの出生率は、急激に下がっている。
年齢別の人口グラフを作ると、完全に紡錘型になっている。
ブラジルも、いずれ人口が減少する日が来るかもしれない。

ブラジルの出生率は次の通りである。
サンパウロやリオ・デ・ジャネイロのような大都市は、国全体の平均よりかなり低い。

spd20050922a

更に、もっと興味深いのは、世帯収入や修学年数(つまり学歴)によっての出生数が、極端に違うことである。
まさしく「貧乏人の子沢山」である。

spd20050922b

富裕層は、いまや少ない子供を高学歴に育てる。
しかし、貧困層は数多くの子供をつくり、そして学校にも行かせられない。

「貧乏の再生産」は続いているのである。

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sábado, 6 de agosto de 2005

ブラジルの社会運動"Criança Esperança 20"

ブラジル最大のマスメディアであるGLOBO。

そのGLOBOが、この2週間以上、キャンペーンの告知をしていた。

"Criança Esperança"(=子供の希望)というもので、ブラジルのたくさんいる恵まれない子供の状況を改善しようという運動である。
今年で、20週年という事で、また一段と力が入っている。

logo_CRIESP

ユネスコも関わっている。

ニュースの時間にも、このキャンペーンの活動などがレポートされて、更に寄付金を求める告知がなされていた。

そして、今日(8月6日)の22時から、サンパウロで開催されているショーの模様を放送している。
3時間に渡るショーである。

GLOBOが誇る豪華な陣容である。

サンデー&ジュニオールも当然出てくる。
サンデーの歌は本当に安定している。

シュシャも出て来た。

日本公演をキャンセルしたイヴェッチ・サンガーロも出てくるようだ。

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ブラジルにこういった社会運動が増えてきた。

たとえ、このようにテレビ局の主導によるものであっても、その結果が出ていればそれでよいのではないだろうか。

「ブラジルが、確実に良くなっている」ことが、大切なことだ。

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ブラジル・サンパウロの路上にて

ブラジル・サンパウロの最高級アパート街の一つであるイジェノポリス地区。
そこを貫くアンジェリカ大通りに面したスーパーの前には、いつも物乞いがいる。

顧客が出入りする入り口の前にいるのであるが、店のガードマンは排除はしない。

この場所には、ながく「足を不自由に見せた」老人が陣取っていた。
前に紹介したことがある老人で、時間が来るといずこかへとすたすたと歩いていった老人である。

ところが、この日は新たなメンバーに変わっていた。

母親と子供3名である。
このうちの一人の子供は、150メートルほど先にいた子供に似ていた。
でもそこでの母親はもう少し痩せていたような気がした。

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また、子供を貸し借りしているのであろうか。

このスーパーを中心に、200メートルくらいの範囲に数組の物乞いがいる。

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segunda-feira, 1 de agosto de 2005

ブラジル・サンパウロの子供の誕生日

ブラジル人の生活では、誕生日はとても大切な行事である。

絶対に忘れてはならない大切な行事である。
子供だけではなく大人になっても、大事な行事である。

さて、サンパウロの高級アパート街のイジェノポリスHigienopolisを貫いているのが、アンジェリカ大通りAvenida Angelicaである。
サンタ・セシリアからパウリスタの方に緩い坂道で登って行く通りである。

ここに、アンジェリカ・グリルというレストランがある。

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前から、気になっている店であった。
歩いて、その近くに行って、外からのぞいてみたら、悪くなさそうな店だった。

先日来拙宅は、キッチンの大改装工事中である。
だから、どうしても外食が増えている。

先週の木曜日にも外食ということになり、予約もせずにこの店に行ってみた。

ビルの一階にあるこのレストランの内部は日本にありそうな白っぽい店内で、リゾートホテルや結構式場の大ホールのような所であった。
ブラジルには、あまり無い雰囲気のレストランであった。

この店は、シュラスカリアである。

中にはいると、店の約半分が仕切られており、奥の方は貸切となっていた。

奥では、Natalia Kimという韓国系の女の子の誕生日会をするようであった。

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19時半頃には始まったのだが、240人も招待しているのだと、店の人がいっていた。
韓国人もこのブラジルにやってくると盛大な誕生日会をやるという習慣になるようだ。

招待客はほとんどが、韓国系の人たちであった。

この店は、まもなく満員になってしまった。
良く見ると韓国系の人たちが何組かいた。
韓国系の人の御用達の店であったようだ。
肝腎の肉はちょっと乾いていた。

サラダ・バーには、サンパウロのシュラスカリアとして当然のように寿司や刺身がある。
わさびもガリもちゃんとある。
この店の割り箸もあった。

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サンパウロで一番価格の割に美味しいと気にいっている店は、前にも紹介したがレパブリカ広場の裏のの方にあるBoi na Brasaという店である。
今日の日曜日の14時過ぎにいったが、いつものように列ができていた。
肉は軟らかく、ジューシーで、大満足した。
20年間通っている店である。
あまり、日本人を見たことがない店である。

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基本的にはB級グルメである。

最近は高級レストランに行く気がしない。
高い値段を出して、美味しいのは当たり前である。

そういうのは、バブルの時に十分に堪能し、そして卒業した。

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terça-feira, 12 de julho de 2005

ブラジルのモノレール

ブラジルでは、公共交通機関といえばまずバスである。

地下鉄は、サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロそしてポルト・アレグレで運行されているのみだ。
新交通システムといわれるものもない。

そして、モノレールは無いことはない。

拙宅のすぐ近くで運行されている。
2両編成である。
それも不定期運行である。

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公共交通機関でもない。
遊園地の遊具でもない。

設置してあるのは、普通の邸宅を改装した建物である。
外装はカラフルに塗装されている。
この施設は、ブラジルで大盛況の、富裕層の子供たちのパーティー会場である。

このモノレールは、このパーティー会場の常設アトラクションの一つである。

この日も、富裕層のお坊ちゃんやお嬢ちゃんを乗せて、運行していた。
運行距離は30メートルくらいである。
ゆっくりと動いている。

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ブラジルでは、家族の誕生日会はとても大事である。
家族の誕生日を理由に、ジーコ監督だってすぐにリオ・デ・ジャネイロに帰るし、日本になかなか戻ってこないJリーガーもいるが、理解してあげなくてはならない。

この会場を借りて、数十名のお子ちゃまとその親を招待すると、「車」が買えるほどの費用がかかることもあるという。
バンドやマジシャンなども呼ばれたりするのである。

ブラジルの富裕層とは、それほどのものなのである。

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quarta-feira, 29 de junho de 2005

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供たち その4

ブラジル・サンパウロには、路上で働いている子供たちが沢山いる。

路上で「芸」を見せる子供は、大体午後遅くに沢山出てくる。
休日は、特に多いようだ。

サンパウロ市東部の独立記念像の前。
子供たちが、「商売道具」を持って、交差点に集まっている。