terça-feira, julho 22, 2008

ブラジルの出生率が激減。

ブラジルは、予想したよりももっと早く高齢化している。

2006年に、出生率は一人の女性につき1.8人となり、2043年にこの水準になると予定した水準だった。

ますます高齢化し、子供が少なくなることで、公共政策は現実に合わせるために見直されることになる。

ブラジルの高齢化envelhecimentoは、予想よりもっと早くやってくる。

今月初めに出された、「人口統計と健康調査」PNDS (Pesquisa Nacional de Demografia e Saúde)の発表結果は、2006年に、ブラジルの出生率が一人の女性が1.8人の子供を産むという率になったことを示していた。

ブラジル統計地理院IBGEは、2004年に出されたその公式予想で、その水準は2043年になるという見通しをしていた。

国連の予想はより控えめで、2010年前には2.0にならないとしていた。
出生率がより低くなったという調査により、ブラジル統計地理院IBGEはその予想を見直す。

統計上の数字を単純に見直す移乗に、ブラジルは予想以上により多くの高齢者がいて少ない子供がいるということは、年金計算にインパクトを与え、高齢化する人口構成に適応しなくてはならないための社会政策に影響する。

「人口統計と健康調査PNDS」の分析・計画・調整センターの人口統計学者demógrafaのエルザ・ベルクオElza Berquóは、ブラジル統計地理院が毎年出すサンプル家庭による国家統計Pnads (Pesquisas Nacionais por Amostra de Domicílios, feitas anualmente pelo IBGE)が、すでに出生率が予想されたリズム以上に早く下がっていることを示していたことを想起した。

2004年に、一人の女性のこどもが2.1人という水準になっていた。
これは、ブラジル統計地理院が2014年に達すると予想したいたものである。

「出生率の変化の動きは40年前に始まった。 最近のデータは一連の歴史と密着している。 どうして、ブラジル地理統計院が現象を少なく見ている予想で仕事を続けているのかは知らない。 プロジェクトはしないが、この傾向を判断すると、出生率は下がり続けると思う」と、エルザ・ベルクオは言った。

ブラジル統計地理院IBGEの予想に作成に参加したフェルナンド・アルブクェルキFernando Albuquerqueは、当院は2000年のセンサーCenso(=国勢調査)と2001年の人口統計と健康調査Pnadが下落の進行を示していなかったので、その下落を小さく予想したと言った。

「しかし、2002年と2006年の人口統計と健康調査で、より早く下落していることを記録している。 それで、すでい最近の結果似合わせるために予想を見直している」。

ブラジル統計地理院の統計科学スクールEscola Nacional de Ciências Estatísticas の人口統計学者demógrafoのジョゼ・エウスタクィオ・アルヴェスJosé Eustáquio Alvesは、出生率fecundidadeのより早い下落は予想より人口は減少し始めることを示している。 ブラジル統計地理院の予想では、それは2062年から始まるとしていた。 より最近に出された国連の予想はもっと早くて、それでも、2030年代に始まるに違いないと指摘していた。

高齢化がより早くブラジルに来るという予想である。
これにより、高齢者をよりよくみるために健康に対する投資を増やさなくてはならない。

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ブラジルの社会の急激な変化をしめす重要な事実である。

日本に比べれば、まだまだ子供をいっぱい見かけるブラジルである。

「貧乏人の子だくさん」という傾向は変わらないにしても、その貧困層や低教育層までも、子供を少なくしているのである。
すでに、高所得者層から中産階級までは、子供の数は2人程度が普通であった。

ブラジルの人口構造は1980年頃までは、完全なピラミッド型であったが、
今は30歳前後をピークとする紡錘形になっている。

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sábado, julho 19, 2008

ブラジル・サンパウロの路上に生きる子供達 その15 三兄弟。

ブラジル・サンパウロのパカエンブー競技場の前にあるシャルレス・ミラー広場。

中心部から西部や北部にむかう、ちょっとした道路交通の結節点になる。

夕方も17時なると、車が増えて、信号待ちの時間も長くなる。

そうした信号待ちの車の運転手に対する「物売り」が現れるのもこの時間からだ。

広場を横切っていった3人の子供達。
手にしている平たい箱の中には、大切な「商品」が入っていた。
商品は、細く巻かれたクロスだった。
Sps20080717czt

売れる時間は、せいぜい20時までだろう。
いったい何本売れるだろうか。
ライバルはいくらでもいるので販売競争は厳しいのだ。

運転手だって、
いくら哀れに思ったとしても、
毎日、
信号待ち毎に現れる
物売りをする子供たちから、
買っているわけにはいかないのだ。

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sábado, julho 05, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その12 「100年記念碑除幕式」2。

100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。

今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。

皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。

6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。

実は、この除幕式を見に行った。

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続きである

皇太子殿下は、この式に最後までご出席になって、ご退席された。

そういうわけで、皇太子殿下が去られると、もう警備も何もない。

招待者も含めて、集まった人は、すぐに散り始めた。

ブラジル最大のメディアグループのGlobo局の取材。
Sps20080620cze

ローカルニュースのレポーターの中で、もっとも美人のジャナイナ・レプリJanaina Lepri嬢。
テレビで見るとき以上に、美しかった。
実は、この除幕式を伝える、この日のGlobo局のニュースに映されてしまった。
Sps20080620czf

除幕したばかりの、「100年記念碑」の碑石。
この碑石の両側に、お手植えの木がある。
皇太子殿下は、ブラジルの国花イペーを、
サンパウロ市長は、桜を植えた。
Sps20080620czg

「100年記念碑」は、いくつかの碑石からなっている。
これは、
日本から船に乗って、ブラジルに向かったような図が彫り込んである。
Sps20080620czh

最初は、おずおずだったが、どんどんと人々が碑の周りに集まってきた。
Sps20080620czi

写真撮影会になってきた。
ブラジル人は、ポーズをとるのが好きだ。
Sps20080620czj

人が増えたので、完全な姿で碑の写真を撮るのは難しくなった。
Sps20080620czk

碑にもさわり放題。
Sps20080620czl

楽団もすぐに撤収。
Sps20080620czm

碑に上る子供たち。
上るために階段も彫ってある。
ほんの10分前までは、皇太子殿下が御覧になったばかりのところなのであるが、もうそんなことはお構いなしだ。
Sps20080620czn

子供たちがこうやって碑で遊ぶことは、作者の意図したところらしい。
Sps20080620czo

いくつかの白い碑の真ん中に赤い石がある。
もう写真の撮影で、碑をとらえることはできなかった。
Sps20080620czp

先ほどまで、皇太子殿下がお立ちになっていたステージに立ってみた。
Sps20080620czq
※クリックすると拡大する。

とうとう大人も、碑に上った。
Sps20080620czr

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この「100年記念碑除幕式」に、招待された人に配布されたパンフレットである。
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どういう訳か、ポルトガル語でしか書かれていなかった。
式次第。
Sps20080626f

作家の紹介。
Sps20080626g

協賛者のリスト。
日本のそうそうたる大企業の名前、下部に並んでいる。
Sps20080626e

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「100年記念碑」が、人々に親しまれるのはよいのだが、
あっという間に、
こんな状態になってしまったことには、
ちょっと驚いた。

皇太子殿下は、
このカルモ公園のすぐ西側の「広島学校」を、ご視察になっていて、その道は閉鎖されていた。

まだ、皇太子殿下がご滞在中の時に、
日本国サンパウロ領事館の公用車プラド1台が、突然飛び出してきて、ブラジル警察の先導もなく暴走運転を繰り返して、市内中心部に向かっていった。
一般の車を、対向車線も使って、次々と蛇行運転で、追い抜いていった。
サイレンもないわけで、、非常に危険で、みんな急ブレーキをかけたり、抗議のクラクションを鳴らした。

何があったのか知らないが、呆れた。

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terça-feira, junho 10, 2008

サッカー・ブラジル代表のカカの子供誕生。

6月10日(火)1時過ぎに、ブラジル代表seleção brasileiraで、2007年にFifaの最優秀選手に選ばれたカカKakáの最初の子供が生まれた。

伸長51センチで3600グラム、サンパウロSão Pauloのアルベルト・アインシュタイン病院Hospital Albert Einsteinで通常出産でルーカLucaは生まれた。

カカKakáとその妻カロリーニ・セリコCaroline Celicoは、彼女の羊膜bolsa amnióticaが破れてすぐ、18時過ぎに病院へ入った。
彼女は、月曜日の夕刻から出産に入っていた。

これにより、カカKakáは出演が予定されていたSporTV局の番組"Bem, Amigos"への出演をやめた。
おそらく、来週その番組に出ることになるだろう。

左ひざの手術によりカカKakáは米国Estados Unidosで行われたブラジル代表seleção brasileiraの二つの親善試合に行かなかったし、ドゥンガ代表監督によって2010年のワールドカップCopa do Mundoの南米予選のパラグアイParaguai戦もアルゼンチンArgentina戦も外された。

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出産は、予定日よりちょっと遅れた。
ブラジルは、以前は異常に帝王切開が多かったのだが、このごろやっと自然分娩が増えてきた。
アルベルト・アインシュタイン病院は、最高級の病院。

Globo局系列のスポーツ専門チャンネルのsporTV局の"Bem, Amigos"は、毎週月曜日21時から、Globo局のスポーツ・ナレーターのガルヴォン・ブエノが取り仕切る番組で、大体約2時間35分くらい放送される。
昨夜は、ガルヴォン・ブエノがまた一人で喋りまくったので、23時45分頃まで延びていた。

毎週、スポーツ選手が2-3人呼ばれ、座談をする番組。
この番組での発言が、大きな意味を持つこともあるので、暇な人は見逃せない番組。

過去に、ジーコが「君が代」を歌ったこともある。

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terça-feira, janeiro 22, 2008

ブラジルの朝から、Xuxaが消えたその翌日。

2007年12月31日に、ブラジル最大のメディア集団の中核であるGlobo局で21年間続いてきたシューシャXuxaの番組が終わった。
月曜日から金曜日まで、朝9時半くらいから12時過ぎまでの番組であった。
内容は、シューシャが若かった頃は、子供たちと唄って踊るパートが多かったのだが、段々とアニメのパートが長くなっていた。
アニメには、日本製のものや米国製のものが次々と放映され、
最近ではその合間にシューシャが、ちょっとだけ子供と話をしたり、子供の芸を仕切るようなものになっていた。

かつてのはち切れるようなシューシャとはほど遠いものになっていた。

そして、その翌日の
2008年1月1日からは、グロビーニョGlobinhoという番組が始まった。
もともとグロビーニョは、土曜日の朝に放送されていた番組で、
アニメだけを、3時間ほど流していた。

そのグロビーニョで、シューシャのあとを埋めることになった。

でも、一応司会を用意した。

若さが、はち切れんばかりの女性である。
Spd20080101ta

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その初回の放送の番組の最後に、ちょっとだけ締めの挨拶をした。
Spd20080101tc

「20080101TVGlobinho.wmv」をダウンロード

「さよなら」なんて言っているが、
この女性は日系人だった。

その第3回目の番組の終了時には、
妹が日本にいるということも、語っている。
Spd20080102th
「20080103Globinho.wmv」をダウンロード

1月4日には、名前も分かった。
Spd20080104th

混血ではなく、純粋の日系人のようだ。
Spd20080104tj

「20080104TVGlobinho.wmv」をダウンロード

「20080109Globinho.wmv」をダウンロード

いつまで続くかと思っていたが、
しばらくたつうちに「さよなら」は言わなくなってしまった。

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segunda-feira, janeiro 21, 2008

ブラジルの朝から、Xuxaが消えた日。

2007年12月31日に、
21年間、
ブラジルの子供たちを魅了し続けてきた、
Globo局のXuxaの番組が終了した。

番組名は、何度変わっても、Xuxaが消えることはなかった。

その最後の番組の、最後に、Xuxaのメッセージがあった。

決して、「お別れ」とは言っていない。
「20071231TVXuxa-MessagemdaXuxa.wmv」をダウンロード

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12月から1月にかけて、
日曜日の午後、1時間ほど、
特番として
Xuxaが番組を取り仕切った。
Spd20080107tg

でも、この番組では、
もうXuxa自身が飛び跳ねることはない。
Spd20080107tb

Spd20080107ta

年齢的にも、そういったことは、難しくなってきたことは明らかだ。
Spd20080107th

Spd20080107ti

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3-4月に始まるという、Xuxaの新番組についてはまだ何も明かされていない。

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segunda-feira, janeiro 07, 2008

ブラジル・サンパウロの「悲しきエア・ギター」。

ブラジル・サンパウロは、ナタウ(=クリスマス)も新年のお祝いも終わったのだが、人の動きや車の通りはまだ少ない。

1月いっぱいは、休暇シーズンなので、まだまだ休みを取っている人が多いからである。
学校のほうも、12月中旬から1月末もしくは2月初めまで、夏休みとなっている。

1月6日(日)の午後、
サンパウロ市の中心部からそれほど遠くないカンブシ地区を通りかかった。
独立記念碑へ向かって南に延びるドン・ペドロ1世大通り。

男の子の兄弟が2人いた。
道路の中央分離帯である。

まだ、5-6歳くらいだろうか。
手に棒を持っているのは、棒だ。
本来なら、信号で止まった車の前に立ち、この棒3本を使って、曲芸を見せる。
そして、ドライバーから幾ばくかのお金を貰うのだ。
Spd20080106a

でも、この子は棒を1本しか持っていない。
まだ、小さいから曲芸が出来ないのだ、

車の前に立って、
その棒をギターに見立てて、掻き鳴らした。
Spd20080106b

何も曲芸をみたからといって、ドライバーに支払う義務は全くない。
でも、貰えた。
何か感じたのだろう。
Spd20080106c

でも、いつも貰えるわけではない。
貰えないことがほとんどなのだ。

この子供たちのすぐ側に、大人がいた。
大人がこんなでは絶対にお金は貰えない。
小さな子供だからこそ、小さな子供だから、エア・ギターでお金が貰えるのである。

こういった子供たちにはもう見慣れているはずなのだが、
今日は、心がかなり痛んだ。

何もしてやることも出来ないし、
何をしたらいいのかもよく分からない。
あまりに、対象が多すぎるからだ。
「20080106a.MOV」をダウンロード

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segunda-feira, dezembro 17, 2007

ブラジル・サッカー:2007オフ その39 ロビーニョの子供の誕生。

ロビーニョRobinhoは、”ペダラーダ”を引き継ぐための後継者を得た。

12月17日(月)12時20分に、ロブソン・ヂ・ソウザ・フィーリョRóbson de Souza Filhoが、サントス健康病院Casa de Saúde de Santosの産科で誕生した。

3,240グラム、47センチメートル。
2008年に結婚を考えているロビーニョRobinhoとヴィヴィアンVivianの最初の子供である。

ロビーニョは、この5月に父親になることを明かしていた。
そこ後何ヶ月かして、米州杯Copa Américaの時に、ベネズエラで、子供のために全てのゴールを捧げ始めた。

子供の性別が分かる前に、ロビーニョRobinhoは男の子になると確信を持っていて、名前も決めていた
もし女の子だったら、ジュリアJúliaになっていた。

ロビーニョRobinhoは近日中に子供にあう。
先週末は、ロビーニョはレアル・マドリReal MadridがオサスナOsasunaに2対0で勝利するのに貢献した。
来週日曜日には、バルセロナBarcelonaとの”クラシコ”がある。

帝王切開の後、母親は具合良く、すでに病室で休んでいる。

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誠に、おめでたい話である。

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terça-feira, dezembro 11, 2007

ブラジルの朝からXuxaの番組が無くなる。

シューシャXuxaが、毎朝の番組を無くし、2008年には土曜日だけになる。

Globo局は、12月11日(火)夜に、シューシャXuxaは2008年には週一の番組だけになると発表した。
新しい番組は、土曜日の午後の時間に放送される。
放送開始は4月になる。


毎日放送している"TV Xuxa"払い年初めに消える。
この時間には、Globo局は"TV Globinho"というアニメ番組を入れる。

Globo局は、シューシャの新しい番組企画についての詳細を明らかにするのを避けた。
番組が子供とファミリー向けのもので、インテラクチブになると、発表しただけである。

2007年はシューシャにとって難しい年になった。
毎日の番組は視聴率に置いて満足な数字を出すことが出来なくなった。

色々なトライはしたが、成功しなかった。
先週日曜日に放送された彼女の新しい番組の "Conexão Xuxa"は、レコルヂRecord局の"Turma do Pica-Pau"に負けた。

2006年の終わりに、もうGlobo局がシューシャXuxaが競争相手に負け続けていることで解決策出すだろうと予想されていた。.

回答がでた:「子供たちの女王」 "rainha dos baixinhos"は消える。

10月に、シューシャXuxaはGlobo局で21年やって来たことを祝った。

子供向けの司会者としてのキャリアーは、今はもう無いマンシェッチ局Rede Mancheteで、1983年に"Clube da Criança"という番組を指揮した時に始まった。

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ブラジルでは、これは一つの時代が終わったニュースだ。

今の25歳以下のブラジル人でシューシャの番組を見なかった人はいないはずだ。

でも、21年も番組を続けているシューシャも、40歳を超えて、見ていてちょっと辛いところがあったのは事実だ。
子供向けに特化しているだけに、他の番組で使えないところがある。

4月からの番組で、新しいシューシャを見せてくれないと、やはり辛いことになるだろう。

かつて、ブラジルの朝の時間は、どの局もほとんど子供向けの番組やアニメばかりであった。
子供自体が多かったし、午後から学校に行く子供もいたので、視聴率は高かったのだろう。
制作側も、日本製アニメを買ってきて、繰り返し放送するだけで、楽だったと思う。

でも、今は子供が急激に減っているので、視聴率が減るのも、仕方がない。
主婦向けの番組の時間が増えたのだが、これとて競争が激しい。

同じGlobo局の朝の主婦番組の"Mais Voce"もその存続が危ぶまれている。

ブラジルではガリバー的なGlobo局なのだが、
このところ視聴率が減少傾向にある。
トップは焦っているはずだ。

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terça-feira, novembro 27, 2007

ブラジル・サンパウロの「テント村」 その1。

午後に激しい雷雨が降った日。
Spd20071031czl

雨上がり。
夕方のラッシュ時には、いつも以上に道が混雑するサンパウロ。
車が動かないので、
普段は見過ごしてしまうような光景を、じっくりと見ることが出来る。

道は、円を描いて登っていく。
その円の中にある緑地。
テントがいくつも立てられている。
Spd20071031czo

何もキャンプをしているわけではない。
ここに住みついているのである。
小さな子供もいる。
夏が近づくと、例年、このような生活者が増える。
豊かなサンパウロを目指してやって来るのだろう。
Spd20071031czp

一斉に子供達が出て来ていた。
Spd20071031czq

ここは、サンパウロ市のセントロのすぐ東になる。
車に乗っていた人は、みんなこの光景を目にしたはずだ。
Spd20071031czr

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sexta-feira, novembro 16, 2007

ブラジル・サンパウロは「春」2007 その13 11月15日は共和制記念日。

ブラジルは、11月15日(木)は共和制記念日で、祝日で全国的に休み。

更に、全国的ではなくて、サンパウロ市は、11月20日(火)が「黒人覚醒の日」で、これまた休み。
つまり、飛び石を繋げて、6連休にする人も多いのだ。

でも、ブラジルはこのところ天候不良。

サンパウロは、このところだいたい曇りで、気温もそれほど高くならず、雨も必ず降っている。

11月15日も、昨夜半に強く降った雨がそのままのこり、ほぼ一日中雨が止まなかった。
気温も、やっと20度くらいと寒い。

休日にもかかわらず、パウリスタ大通りには、人も車も少なかった。
Spd20071115p

こんな雨の中、
コンソラソン墓地の横では、少女が傘もなく裸足で物を売っていた。
Spd20071115l

これから、12月のナタウ(=クリスマス)まで、
楽しいナタウにするために、自分で稼がなくてはならない子供達が増えてくる。
来月夏休みになると、更に増えてくる。

パカエンブー競技場の、今は工事のために使われていないチケット売り場の前は、雨が降り込みにくいので、このあたりに住みついているホームレスが溢れている。
年末になり、暖かくなってくると、こういう人たちも例年増える。
もちろん、小さな子供もその中にはいるのだ。
Spd20071115r

この悪天候は、連休中は続くらしい。
11月16日は、更に寒くなるようだ。
最高気温は17度だそうだ。

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sexta-feira, novembro 02, 2007

ブラジル・サンパウロのイジェノポリスの午後 その1 子供。

ブラジル・サンパウロの中心部に最も近い最高級アパート街のイジェノポリス地区。

1960年代から70年代にかけて建設されたアパートが多いので、設計は古いし、設備的には老朽化しているのは事実である。

だが、その時代の最高級アパートとして、天井は高く、部屋は広く、もちろん部屋数も多い。
住民も長く住み続けている人が多いので、高齢者がとても多い地区である。

住民のレベルは高く、
政治家やインテリ、芸能人も多く住んでいる、

サンパウロ市内で、唯一「歩ける街」といわれるほど、コンパクトで、安全なところである。

そのイジェノポリス地区において、レストランなどが集まったヴィラ・ボイン広場への入り口になるところで、
子供達が、歩道にあるバンカ(=新聞・雑誌売り場)の隅にしゃがみ込んでいた。
女の子ばかりだった。
Spd20071009ci

そのうち、信号で止まった車に、小さい子はおねだりをした。
Spd20071009cj

そして、大きな子はボールを使って芸を見せた。
もちろん幾ばくかのおひねりをいただくためにだ。
Spd20071009ck

ここを通る車には、午後の学校を終えて、送り迎えをしてもらう同じくらいの年齢の子供も乗っている。

「悲しいくらい」というような平凡な言葉では言い表せない格差が、もうガラス一枚の間にある。

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quinta-feira, novembro 01, 2007

ブラジル・サンパウロは「春」2007 その11 雷雨。

このところのサンパウロ市は、よく雨が降る。
それも、夏型の雨になった。

朝から、午後にかけては、晴れているのだが、
そのあと入道雲が発達して、夕方から夜にかけて、雷雨になる。

10月31日(水)は、15-16時頃に市内南部で割と強い雨が降った。

11月1日(木)は、18時頃に市内北部から中心部にかけて、強い雨になった。

ブラジルは、11月2日(金)は、カトリックの「死者の日」で休日である。
真面目にお墓参りに行く人もいないではない。

でも、真っ当な家族は、3連休を遊んで過ごすのが、当たり前。
サンパウロを出かける手段とお金がある人たちが、車で100万台もサンパウロを離れるそうだ。
サンパウロの車の2割にあたるから、ものすごい比率である。

すでに、1日(木)の夕方から、ラッシュと重なって、大渋滞が始まっている。
朝の2-3時まで混雑は続くという。

だが、天気予報では、この3連休には、寒冷前線がまたやってきて、気温は下がり、天気はよくないということである。

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sábado, outubro 20, 2007

ブラジル・サンパウロのF1-2007 その3 とらえてみれば10歳と14歳。

軍警察Polícia Militarは、10月20日(土)に2人の未成年者を逮捕したことを確認した。
※※軍警といっても憲兵ではない。 普通の州警察である。

2人は、10月19日(金)の午後、サンパウロSão Paulo市の南部Zona SulのインテルラゴスInterlagos・レース場Autódromoの前を通っていた運転手への強盗に加わった容疑をもたれている。


土曜日の夜のはじめまでに、少なくとも10人の被害者が、シダーヂ・ドゥットラCidade Dutraにある警察の48番署に現れた。

逮捕者の1人は10年の少年で、警察で、被害者によって確認された。
警察によると、少年は犯罪に加わったことを認めた。 しかし武器を持っていたことは否定した。
被害者は警察に少年はリボルバーを持っていたと言っていた。

イヴァン・ブスマイエールIvan Busmaier軍曹は、強盗の犠牲者は強盗の1人として少年の似顔絵を描いていたと言った。
容疑者の捜索で、警察はレース場の近くのファヴェーラ・ダ・パスFavela da Pazに行って、少年を発見した。

土曜日の午後のずっと、少年は警察の48分署48º Distritoにいた。
しかし警察によると、彼を初等少年院Vara de Infância e Juventudeに連れていくことを約束した母親に渡されるという。
そこで、少年は保護観察になるのか、他の少年院に連れて行くのかが決定される。

もう1人の容疑者もまた14歳の未成年者である。
すでに、盗みや窃盗の罪で捕まったことがあると、警察のイヴァン・ブスマイエール軍曹は言っている。

警察によると、彼は少年院Fundação Casaに行くことになるに違いない。
彼もまたファヴェーラ・ダ・パスFavela da Pazの住人で、警察に連れられて、彼の書類を持ってくるために自分の家に行った。

そこで、警察は彼の叔父に会い、殺人と盗みで手配されていた人物であることを発見した。
彼もまた警察に連れて行かれた。

※※ブラジルでは、12歳未満はお家に帰ることになっている。
  
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金曜日の午後に、少なくとも3台の車が、F1のフリー走行のあとに、インテルラゴスInterlagosのレース場Autódromoの前で襲われた。


名前を明かすと復讐が怖いので名前を明かさないでくれという犠牲者の1人の建築家によると、約10人の少年のグル-プがインテルラゴス大通りAvenida Interlagosが渋滞しているのを利用した。

「何秒かのことだった。しかし恐怖だった。 我々は前の車にグループがやって来るのを見て、窓を閉めようとしたが、間に合わなかった」と明言した。

彼は、他に4人の友達と本田フィットに乗っていて、囲まれた。
「彼らの1人が38口径の短銃を持っていた。 もう1人も武器を持っていた」と報告した。
この模様は、ロイターReutersのカメラマンのリッキー・ロジャーRickey Rogers,によって記録された。
Spm20071020a011783050ex00

驚いて、彼はレース場で、最終日のレースを見るのを諦めた。
「他の人は行く。 自分はもう行かない。 レース場の中の安全は素晴らしい。 しかし、南北の道は警護されていない。 出口でおそわれた。

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こういうこともあるブラジル・サンパウロのF1である。
毎年のことだが。

もともとインテルラゴスのレース場の周辺の、西側以外はファヴェーラ(=貧民窟)に囲まれている。

レース後、3時間は大渋滞するはずであるから、
動き始めるまで、どこかで時間つぶしをする手もある。
それも危ないか。

レース場の東600メートルのところに、
10月17日(木)に新たに鉄道の駅が開設された。
ここが終点である。
8分に1本運行する。

これだと、渋滞は関係ないが、
600メートルの距離がどうかな。
こういう時は、人の流れに紛れて進んで、不愉快な思いをする確率を少なくするしかない。

レースのない時には、
この列車に乗ることは自殺行為だろう。

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terça-feira, outubro 02, 2007

ブラジル・サッカー:2007 その91 息子を外されて、監督の肋骨を折った父親。 

パルメイラスPalmeirasの社長は、ファン組織の影響力あるメンバーのパうロ・セルダンPaulo Serdanを、パルメイラスVerdãoのU-14チームの監督のマルシオ・ヴィセンチMárcio Vicenteを襲ったことで、訴えた。

襲撃の理由は、パウロ・セルダンの息子のカイッキKaiqueが、バイシャーダ・サンチスタBaixada Santista(=サントスを含む周辺地域)ので9月29日土曜日に行われた
サントスSantosとの試合から外されたことである。

カイッキは、前半に早くも交替となった。
試合の間、パウロ・セルダンは監督を脅かしていた。
パルメイラスPalmeirasは、この「クラシコ」で3対0で負けた。
試合が終わって、パウロ・セルダンはグラウンドに侵入し、マルシオ・ヴィセンチ監督を拳骨で殴り、背中を2回蹴った。

マルシオ・ヴィセンチMárcio Vicente監督は、サントスSantosで検査を受けた。
医者は、肋骨に2箇所ひびが入っているのを発見した。
マルシオ・ヴィセンチ監督は、月曜日に退院した。

「攻撃した。 また攻撃したい。 しかし70%はあの子供の父親として攻撃したんだ。 みんな青の監督の具備を欲しがっていた。 彼は子供達の心を傷つけた」と、パウロ・セルダンPaulo Serdanは説明した。

パルメイラスPalmeirasのジュニア部門の役員によると、パウロ・セルダンPaulo Serdanはいつも自分の子供の試合を見に来ている。
ファン組織を率いている彼は、すでにライバルのファンとの喧嘩や、はてはパルメイラスの別のファン組織との喧嘩で逮捕されている。

パルメイラスのクラブ会員として、パウロ・セルダンは罰せられるだろう。

パルメイラスPalmeirasは、10月2日(火)に、パウロ・セルダンPaulo Serdanがマルシオ・ヴィセンチMárcio Vicente監督を攻撃したことについての離縁状を発表した。
サッカー担当副社長のジウベルト・シプロGilberto Cipulloの署名で、卑怯なこととして行為を非難している。

パルメイラスは、カイッキ・セルダンKaique Serdan選手は引き続きパルメイラスのユニフォームを着て、派rめいらすにいる限りは、その父親が攻撃したことには、影響されないと、発表した。

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どこでもいそうな父親の話である。

映像がないのが残念である。

14歳にもなると、息子の将来が見えてくる。
数年以内に、数十万米ドルで売れるのか、普通の人になるのかでは、
天と地の差である。
蹴りですむ問題ではない。

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sábado, setembro 15, 2007

ブラジルの「素敵なベリーダンス」。

月曜日から金曜日まで毎日午前に、Globo局で放送されているシューシャXuxaの番組。

色々とタイトルが変わったり、模様替えもあるのだが、20年以上続いている。

子供向けの番組なので、
普段は見ることはない。
9月11日に、何となく見ていたら、
とても素敵なベリーダンスが始まったので、
あわてて録画してみた。
「20070911Xuxa.wmv」をダウンロード

どうもこのコーナーは、
才能のある子供の芸を披露するコーナーのようであった。
毎日1人もしくは一組が、ダンスなどの芸を見せているようだ。
Spd20070912d

ブラジルは、
言うまでもなく移民の国である。

日本人移民の前に、
アラブ系の移民も沢山来ている。
19世紀の話である。
主に、当時はオスマントルコ帝国領であった、現在のレバノンやシリアあたりから来た人が多かったようだ。

サンパウロ市では、
商業に携わっている人が多く、
ここの分野では強い力を持っているほか、
政治家も多い。

そういうことで、アラブ系の人がいるわけで、
アラブ系の文化芸能が、ブラジルにあっても何の不思議もない。

たぶん十代前半だと思うのだが、
あどけなさもあるが、
艶めかしくもある。
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かつて、中東で、
このようなダンスを見たことがあった。

ある人の家で、
その家の女性が踊ったのである。

手の動きが何とも妖艶であった。

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segunda-feira, agosto 13, 2007

ブラジル・サンパウロの「乳児死亡率が激減」

ブラジル・サンパウロの乳児死亡率が激減している。

1995年から2006年までの変化をみてもそれは明らかだ。
Spd20070810a

元もと、ブラジルは、その経済レベルの割には異常なほど乳児死亡率が高い国であった。

貧富の差が激しいことや、国土が広く医療サービスが均等に行き渡らないことなど、乳児死亡率の改善に向けての前提となる条件も、簡単にはいかないことが多い。

しかし、この10年ほどでここまで改善できた理由については、次のように解説された。
Spd20070810b

基本的な衛生環境の改善。
妊産婦へのアシスタントの向上。
ワクチン接種。

劣悪な環境に住み、栄養状態が悪く、医療サービスを受けられなかった、もしくはそういった知識に欠けていた貧民層への行政サービスがよくなったことが大きな要因である。

また、以前は「貧乏人の子沢山」を地でいったのだが、
徐々にそれは変わりつつある。
貧民層でも、子供の数は減りつつあり、それだけにそれぞれの子供の生育環境、栄養状態もよくなっている。

社会自体が変化していることも大きい。

しかし、サンパウロ州でもっとも乳児死亡率高いのは、
海岸沿いの地域である。

低地なので高温多湿であり、
貧民窟は低湿地に広がっている。

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ブラジルでは、
以前は、スーパーの棚に、粉乳の占める割合が多かった。

乳児用の調製粉乳だけではなく、全脂粉乳や脱脂粉乳がずらりと山積みになっていた。

しかし、今はそれほどでもない。

よく言われるのが、粉ミルクを溶かす水そのものが汚染されていることが、乳児死亡率を高める原因の一つであるということである。

当たり前のことだが、乳児にとって一番の栄養源は母乳なのである。

どうも、以前のブラジルでは、富裕層も貧民層も、そこを調粉メーカーの戦略に乗せられたせいか、母乳よりも調製粉乳のほうがよいくらいに理解していたきらいがあった。
歴史的には、富裕層は、子育てには乳母を使ったくらいだから、元もと自分の母乳を与えるなどいうことに、あまり関心が高くなかったのかもしれない。

WHOと、調製粉乳メーカー(世界で圧倒的なのはネスレ)の戦いは、1960年以降にはじまり、いまは世界中のほとんどの国で販売されている乳児用の調製粉乳には、かならず「母乳が一番であることと、医師の指示を受けて与えるということ」が、缶の上部にその国の言葉ではっきりと記載されている。

日本は、この表示を記載していない例外的な国である。
元もと、民度が高く、調製粉乳のほうが母乳よりよいなどという理解がなかったからだとか、メーカーが詐欺的にあくどいことをしなかったからいうのだが、無いものはない。
この表示をしなくてよいことは、厚生労働省も認めていることである。

ブラジルでは、1980年代から、母乳推進運動が、中核的な病院から始まっている。
この運動はとても力強く、拡大した。
世界的にみても、きわめて先進的なものになった。
政府もこれを後押しした。
日本の政府とは立場が随分とちがうものだ。

いまでは、
母乳を与えるのが、当然になっている。
母乳を与えようというキャンペーン活動は今も続けられている。

8月7日にも、パウリスタ大通りでこういったキャンペーンが行われている。
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ブラジルの社会が、この20年間で大きく変わった事の一つが、調製粉乳の使用の大幅な減少ではないかと思っている。

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ブラジルでは、調整粉乳のメーカーとしては、ネスレしかなかった。

米国系のワイス、ミード・ジョンソン、ドイツ系のミウパなど、
世界で高いシェアを持っている調粉メーカーのものは、何故か無かった。

もちろん、日本の4社(明治、雪印、森永、和光堂)もなかった。

これは、乳製品の販売については、ブラジル農業省の許可を得なくてはならないのだが、その取得の条件が非常に厳しいということがある。
それと、ネスレのブランド力が圧倒的に確立されていて、新規参入が難しかったこと。
そして、普及のための病院でのプロモーションが、近年の母乳推進派によって認められなかったことも、新規メーカーにとっては普及の手段を断たれたことになった。

乳児用調製粉乳の販売については、WHOのコードがある。
メーカーによる母親への直接的な接触などはもってのほかである。

日本では、その辺もやや曖昧である。
もっとも、日本の母親は、メーカーの接触などあってもなくても、それ以前に知識を持っているはずである。

この種の製品のブランド選択の動機は、だいたい次の通り。

出産した病院の推薦するブランド。
自分の母親の推薦もしくは自分が使ったブランド。

最近は、育児雑誌の記事もやや影響があるようだが、
微妙にメーカーの色が付いていることもある。
テレビ番組など同じで、タイアップの可能性がある。