quinta-feira, 19 de março de 2015

2015年もまだまだ「疾走中」は続いています。

「昼」に駈け、「夜」を抜け、「疾走中」。

失踪中ではありません。

最新の状況は、Facebookへ。

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sábado, 19 de junho de 2010

ブラジル・サンパウロはワールドカップ態勢2010 その3 初戦 対北朝鮮戦。

6月15日(火)15時30分(*ブラジリア時間)から、
2010年サッカー・ワールドカップにおける
ブラジル代表の初戦が行われた。

対戦相手は、あの「北朝鮮」であった。

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その朝から、
やはり、サンパウロ市の様子は何か違っていた。

「午後に大事なことがある」という雰囲気である。
それにあわせて、すべてを行っているという雰囲気である。
すべての人が、そうなのだから、街中がいつもとはどことなく違った雰囲気なのである。

「緑と黄色」を着込んだ人が多かった。
「緑と黄色」の小旗をつけて走る車も増えていた。

午後からは仕事にならないので、サンパウロ市内に入ってくる車も少なかったのか、午前中は車がいつもよりはスムーズに動いていた。

14時に業務を終えることになっていたので銀行は、人が午前中に集中したようだ。

正午前から、
そろそろ帰宅し始める人が、現れていた。

昼食をとる人も、いつもよりは少なかった。

13時になると、
帰宅する車で道路が渋滞してきた。
15時30分までに、絶対に家に着かなくてはならないという目標があるわけで、
いつのも夕方のラッシュとはそこが違う。

かなり焦っているような感じで、
クラクションが鳴っていた。
それに、
ブブゼラではないが鳴り物をならしながら走る人も多く、
騒然としていた。

14時に州の公的な機関で用事があったのだが、
早めに13時前にはついていたのだが、
果たして予定通りなのかどうか、
警備員でもわからないという状態。

図書館で時間をつぶして、
13時45分頃にいったのだが、
どうも機能しそうであった。

所用を、14時40分頃までに済ませて、
拙宅に向かった。
近いところだったし、ラッシュの流れとは全く反対方向なので、
あまり渋滞はしなかった。

ほぼパカエンブー大通りを走ったのだが、
対向車線はまだだ渋滞であった。

ロナウドの自宅アパートのすぐ近くにある
彼の行きつけの美容サロン前あたりから、
パカエンブー競技場のまえのシャルレス・ミラー広場に至るまでである。
http://www.youtube.com/watch?v=OXUi10tKy1Y

さらに、自宅に戻る前に、
シャルレス・ミラー広場を軽く回ってみた。

サッカー博物館はすでに閉館していた。
競技場の一角にあるカフェバーは、
巨大な画面を設置して、
いつもよりスペースを広げて、
自宅に戻らずに観戦する人たちを期待していたようだが、
あまり客はいないようだった。
http://www.youtube.com/watch?v=SdvU9RjdBec

15時少し前に、拙宅に戻ったのだが、
Globo局の地上波では、
すでに、
ナレーターのガルヴォン・ブエノ氏が喋りまくっていた。

試合開始前に、
あちこちで花火が上がった。

まだ、渋滞は完全に解消していなかった。

後半になって、
ブラジルのゴールで、
また花火が少し上がった。

2点目でも、少しあがった。

試合終了時にも、
花火が上がった。
でも、たいしたことはなかった。

終了直前に、ゴールを入れられたせいなのか、
大勝でもなかったからかもしれない。

試合後、30分もすると、
また車が増えてきた。
試合中でも、車の通りが全くなくなったわけでもない。

昔に比べると、
試合中でも、静かではなくなったように思う。

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いつものことながら、
ブラジル代表は、
1次リーグ戦の初戦では、余りよい試合をしない。
徐々に調子を上げて、チームを作っていくという感じである。

第2戦そして第3戦を、見ていかなければならないだろう。

それにしても、
ドゥンガ代表監督の管理が厳しいので、
代表選手たちの「余計な情報」が全く出てこない。

それが、
2006年の代表とは大きな違いである。

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segunda-feira, 10 de maio de 2010

ただいま「疾走中」。

「昼」に駈け、「夜」を抜け、「疾走中」。

失踪中ではありません。

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sexta-feira, 19 de março de 2010

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その304 Os gêmeos 163。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
パンドルフォ兄弟は、国際的に有名になった今でも、グラフィッチをサンパウロ市の街角で描き続けている。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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サンパウロ市の歴史的中心部セントロの南を回って、
サンパウロ市の東西を結ぶ大幹線道路のラヂアル・レスチ・オエスチ付近には、
パンドルフォ兄弟の作品が、
いくつもあり、
今までにそれらをずいぶんと紹介してきた。

また、
新たな作品が描かれているのを、
2月中旬に発見した。

場所は、
東から西へ向かう車線が、
リベルダーヂのグロリア通りの下を通りかかる道路壁である。
つまり、三重県橋(正式名称)の橋脚部分である。
Sps20100213ci

Sps20100213cm

Sps20100213cj

Sps20100213ck

Sps20100213cl

どういう訳か、
この橋脚下には、あまり住民が居着かないようだ。
他の橋脚下には割と見かけるのだが。
Sps20100227cb

この場所への歩いての、
アプローチはかなりおすすめできない。
西側からでは、ヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通りあたりから歩道を歩くことになり、片道数百メートルは無防備な状態になる。
Sps20100213cn

東側は、グリセリオ通りから入るしかないが、自殺行為としか言えない。
どうしてもというならば、
三重県橋の袂から、路側の植栽を通り抜けて降りるしかないが、思った以上に急斜面で、足下に気をつけなければならない。
Sps20100227ca

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最近、ますます、パンドルフォ兄弟の新作に巡り会う確率が減っている。
作品が、今まで集中していた地区を中心に、探索を行っているのだが、どうも見あたらない。

今回の作品を発見して以降は、全く成果がない。

パンドルフォ兄弟が、世界的な評価を受け、大家になって、
「芸術作品」の作成で、世界を飛び回ったり、
アトリエに籠もったりしている時間が増えているのかも知れない。

前にも述べたが、
気に入っているのは、
サンパウロ市の街角に、密かに描かれたグラフィッチである。
「美術展」で見る作品ではない。

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quinta-feira, 4 de fevereiro de 2010

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その303 Os gêmeos 162。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
パンドルフォ兄弟は、国際的に有名になった今でも、グラフィッチをサンパウロ市の街角で描き続けている。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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サンパウロ市の歴史的中心部セントロから、サンパウロ市の東部に向かって一直線に向かって延びる大幹線道路のラヂアル・レスチと呼ばれる大体片側3-4車線はある広い道路がある。

このラヂアル・レスチでは、セントロから東部に向かって、アルカンターラ・マシャード陸橋で、鉄道を越えるあたりまでは、今までにいくつものパンドルフォ兄弟の作品を発見していた。
それよりラヂアル・レスチを東に進んだところでは、道路沿いで、過去にパンドルフォ兄弟の作品を見つけたことはなかった。

ラヂアル・レスチを越えるブレッセル陸橋の橋脚に描かれていた作品の撮影のために、事前現地調査をしているときに、さらにもう1点の作品を発見した。

パンドルフォ兄弟の作品を発見したら、そのあたりにまだいくつかある可能性が高いのだが、今回もその通りだった。

新たな作品も、ブレッセル陸橋の橋脚に描かれていた。
ただし、ラヂアル・レスチを挟んだ反対側である。

ところが、道幅だけの距離にしても、条件はさらに厳しいものに思えた。

発見日に、とりあえずの撮影をしておいたのだが、
作品の背後がいかに荒廃しているかが、一目瞭然である。
Sps20100117cf

ラヂアル・レスチは、大幹線道路であり、駐車禁止である。
ならば、車は写真にあるようなところに止めなければならないのだが、そこから歩いて、グラフィッチの撮影をするという「間の抜けたこと」を、どう理解して貰うかを、考えただけでも、頭が痛くなった。

というのは、陸橋の下には、20人近い住民がお住まいになっていたからである。
もちろん、お仕事のない休日には、さらに人数は多くなる。
実は、陸橋下だけではなく、この陸橋の北側にはかつての貨物駅があり、その元駅舎の軒先にも、住民がいっぱいで、その数は全部で100人にはなりそうなところだった。
Sps20100118cf

その人たちが、直ちに危険ということは全くないのだが、
「写真の撮影」には敏感な人も多いので、
十分な配慮をしなくてはならないのだ。

だが、こんなところに何回も来てもいられないので、
最初に発見した作品の撮影のあとに、
道の反対側から改めて現場を観察して、
一気に決行することにした。
Sps20100118cl

作品の前に、
ちょうどサンパウロ市の道路管理をしている交通エンジニアリング公社の車が止まり、その職員がおられたからだ。
Sps20100118ct

その人を頼りに、そしてその人と話をして、
住民たちを刺激することがないように、さっと撮影を完了させた。
Sps20100118cq

Sps20100118cr

Sps20100118cs

ちょうど作品の前に、就寝中の方がおられたのだが、熟睡されていたは、幸いであった。
Sps20100118cp

Sps20100118co

Sps20100118cn

撮影をしたあと、離れたところから、また作品を見ていたのだが、
作品の前でお休みだったこの方は、このあと目が覚められたようだった。
Sps20100118cx

Sps20100118cy

Sps20100118cz

久しぶりに、緊張した撮影になるかと思っていたのだが、思ったよりあっさりと終了した。
ただ、もう再度訪問はしたくない。

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quarta-feira, 27 de janeiro de 2010

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その302 Os gêmeos 161。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
パンドルフォ兄弟は、国際的に有名になった今でも、グラフィッチをサンパウロ市の街角で描き続けている。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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パンドルフォ兄弟の未紹介作品のストックが、昨年12月末でやっと無くなったのだが、肩の荷が下りたようでもあり、また手持ちの在庫が無くなったようで寂しくもあった。
パンドルフォ兄弟の作品の発見の確率が、昨年後半からますます減っていたからである。

昨年11月中旬から、ある事情であまり徘徊をすることができなくなっているのだが、わずかな機会を見つけては、引き続き作品の発見に努めている。

しかし、1月になったとたんに、また何体か発見できたことは、非常に喜ばしい。

サンパウロ市の歴史的中心部セントロから、サンパウロ市の東部に向かって一直線に向かって延びる大幹線道路のラヂアル・レスチと呼ばれる大体片側3-4車線はある広い道路がある。

このラヂアル・レスチでは、セントロから東部に向かって、アルカンターラ・マシャード陸橋で、鉄道を越えるあたりまでは、今までにいくつものパンドルフォ兄弟の作品を発見していた。
それよりラヂアル・レスチを東に進んだところでは、道路沿いで、過去にパンドルフォ兄弟の作品を見つけたことはなかった。

ラヂアル・レスチも、このところあまり通っていなかったのだが、たまたまサンパウロ市の東の方に住んでいる人をその人の家まで送っていこうという親切心がわいたので、他にも道がないわけでもないのだが、敢えて通ってみた。

そしたら、作品を発見した。
ラヂアル・レスチを越えるブレッセル陸橋の橋脚に描かれていた。
Sps20100109cd

信号で止まっている間に、窓を開けて、とにかく写真におさめた。
送っていく人がいたので、この日は、ロケハンをすることもなく、終えた。
Sps20100109ce

Sps20100109cf

それからまたしばらくして、まずロケハンをかねて、作品のあるあたりに向かった。
作品が、まだその場所に残っているかどうかも気になっていたからである。
Sps20100117cd

このラヂアル・レスチは、日曜日でも、この道路沿いでは駐車はできない。
どこで止めたら、もっとも安全に作品の前まで行けるのかなどを検討した。

作品の脇には、その陸橋の下あたりにいる住民の家財道具らしきものがあり、そういったことにも経験上配慮しなくてはならないと思っていた。
Sps20100117ce

それに、この通りは、車の通りは多いが、特に日曜日は人があまり歩いていない。
そのかわりに、日曜日は住民などがお休みになられているわけで、休日の撮影は、
できれば避けた方が良さそうな環境にあった。

そういったことがロケハンを通じて、判断できたので、
次の機会に、一気に撮影を強行した。
Sps20100118ce

Sps20100118cg

Sps20100118ch

Sps20100118ci

Sps20100118cj

Sps20100118ck

Sps20100118cm

Sps20100118cu

Sps20100118cv

陸橋の下は、このあたりのコミュニティーが使用していて、カルナヴァル(=カーニバル)のアレゴリア(=山車)を制作していた。
2月のカルナヴァルにはこのあたりを練り歩くのだろう。
Sps20100118cw

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segunda-feira, 25 de janeiro de 2010

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その301 Os gêmeos 160。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
パンドルフォ兄弟は、国際的に有名になった今でも、グラフィッチをサンパウロ市の街角で描き続けている。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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サンパウロ市の歴史的中心部セントロの南側リベルダーヂ地区を南北に割って東西に延びる大幹線道路のラヂアル・レスチ・オエスチが通っている。
この大幹線道路のリベルダーヂ付近には、今までいくつもパンドルフォ兄弟の作品が描かれてきている。
Sps20100118cb

また、新たにラヂアル・レスチ・オエスチの道路壁に、パンドルフォ兄弟による作品が描かれた。

場所は、ラヂアル・レスチ・オエスチの西行きで、リベルダーヂ大通りの陸橋を過ぎたあたりで、ヴィンチ・ツレース・ヂ・マイヨ大通りとの立体交差の手前になる。
Sps20100117cj

Sps20100117ck

この場所は、路側に歩道はあるが、一般の道からは、なかなか近寄りがたいところである。

まずは、8車線を隔てた向かい側から、とりあえず撮影を行った。
Sps20100117cg

いつ消されてしまうかわからないので、一刻も早く映像に残しておくのだ。
Sps20100117ci


8車線のこのラヂアル・レスチ・オエスチは、日曜日でも交通量が少なくないし、80キロ程度のスピードで、車が走ってくるので、横断は自殺行為だ。
Sps20100118cc

ここあたりはもうよく知っているので、実際のロケハンは2回だけで、あとは頭の中でシュミレーションをして、実際の撮影に臨んだ。

この作品の先を右に曲がり、200メートルほど先のヴィンチ・ツレース・ヂ・マイヨ大通りの側道に車を止めて、作品まで小走りに向かった。

いつものように、手早く撮影を済ませた。
Sps20100118czc

Sps20100118cze

Sps20100118czd

文字まで入れて正面から作品をとらえるには、どうしても車線に出なくてはならなかったのでそれはあきらめた。
Sps20100118czg

Sps20100118czf

文字の意味は、「道路で飢えている沢山の子供たちがいる」だ。
Sps20100117ch

この作品の道を隔てたほぼ向かい側には、以前に紹介した作品がまだ健在である。
Sps20100118czh

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domingo, 3 de janeiro de 2010

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その300 Os gêmeos 159。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
パンドルフォ兄弟は、国際的に有名になった今でも、グラフィッチをサンパウロ市の街角で描き続けている。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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サンパウロ市の歴史的中心部セントロの、そのまた中心とも言えるアニャンガバウーの谷にあるビルの壁面に、パンドルフォ兄弟による巨大な作品が描かれた。
Sps20091112ca

Sps20091112cb

谷に面した側ではなく、側面に描かれたので、作品を、真正面から見ることはできない。
Sps20091112ce

もっともよく見える場所を探して、移動した。
Sps20091112cd

Sps20091112cf

Sps20091112cg

Sps20091112cj

Sps20091112cl

Sps20091112cm

この作品は、公認の作品である。
Sps20091112ci

Sps20091112ch

Sps20091112ck

2009年は、「ブラジルにおけるフランス年」で、その掉尾を飾るイベントにおける、大きな呼び物として描かれた。
Sps20091112cn

Sps20091112co

2009年11月12日(木)と13日(金)の両日、19時30分から、このイベントが行われた。
年末も近い時期のこの時間に、このようなことのために、この場所に行くことは、ちょっとはばかられたので、行かなかった。

ニュース映像によると、
この壁絵と同じような大きさの、人形型のバルーンが立ち上がり、そのあたりを歩き回ったのである。
Sps20091112ta

Sps20091112tb

Sps20091112tc

Sps20091112td

Sps20091112te

Sps20091112tf

Sps20091112tg

Sps20091112th

これは、フランスのアーチストとの競演で、
地球型のバルーンもあった。

なお、この建物は、一帯の再開発のために、取り壊される予定になっている。

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sábado, 2 de janeiro de 2010

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その299 Os gêmeos 158。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。
パンドルフォ兄弟は、国際的に有名になった今でも、グラフィッチをサンパウロ市の街角で描き続けている。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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年末年始は、グラフィッチ探しには最適な時期である。
路上駐車の車が少ないので、壁がよく見えるからである。

ただ、発見には最適とはいえ、撮影に最適かどうかは、場所によって、条件が異なる。

2009年12月31日(木)に、パカエンブー大通りを北に向かい、
メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナを左手に見るあたりで、パンドルフォ兄弟の作品を発見した。
Sps20091231cl

作品が描かれていた場所には、つい最近まで2体の作品があったのが、いつの間にか消えていた。
ここには、それ以前にも、作品があった。
Sps20091231ck

うっすらと、前に描かれていた作品が見えている。
Sps20091231cj

Sps20091231ci

Sps20091231ch

Sps20091231cg

このあたりは、サンパウロ市で大晦日に開催される伝統のショートマラソンのサン・シルヴェストレの救護地点になっていて、その設置工事が行われていた。
Sps20091231cm

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sábado, 26 de dezembro de 2009

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その298 Os gêmeos 157。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。

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このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

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パンドルフォ兄弟は、多作である。
国際的に有名になった今でも、描き続けている。

彼らの多くの作品は、かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシCambuciリベルダーヂLiberdadeベラ・ヴィスタVela Bistaのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。

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サンパウロ市の歴史的中心部セントロの南を迂回して、サンパウロ市の東西を結ぶ大幹線道路のラヂアル・レスチ・オエスチが、サンパウロ市の南北を結ぶ大幹線道路のヴィンチ・トレース・ヂ・マイオ大通りと、立体交差するあたりにある道路壁に書かれた壁絵。
Sps20081214cb

この作品は、
サンパウロ市が公認したもので、パンドルフォ兄弟のほか、ニナ・パンドルフォやヌンカなどが参加した共同制作作品である。
Sps20081222cb

Sps20081222cj

この作品が書かれた道路壁には、以前にも公認の共同制作作品が描かれていたのだが、市に依頼されたグラフィッチの塗り消しを行っている業者が塗りつぶしてしまった

これに抗議したところ、市がまたあっさりと非を認めてしまった。
そして、また新たに、2008年12月に、共同制作作品が描かれた。
Sps20081214ca

Sps20081217ca

個人的には、共同制作作品そして市当局の公認の作品は、パンドルフォ兄弟の作品としては、あまり評価していない。

メルヘンな、寓話的な図案になることが多く、サンパウロ市の危ない地区に出没する少年たちを描いたグラフィッチのような生々しさがないからである。

とはいえ、パンドルフォ兄弟の作品でもあることも、事実であるので、紹介しておく。
Sps20081222cc

Sps20081222ce

Sps20081222cf

Sps20081222cd

特に、パンドルフォ兄弟によって、描かれた部分である。
Sps20081222ca

Sps20081222ch

Sps20081222ci

このほかにも全体にわたって、彼らの手による小さなキャラクターも存在している。

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