quinta-feira, 19 de março de 2015

2015年もまだまだ「疾走中」は続いています。

「昼」に駈け、「夜」を抜け、「疾走中」。

失踪中ではありません。

最新の状況は、Facebookへ。

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quinta-feira, 22 de setembro de 2011

ブラジル・サンパウロの「ジョアン・ジルベルト」のコンサートのチケット発売開始。

11月5日(土)22時から、
サンパウロ市の南部のVia Funchalで催される、あの「ジョアン・ジルベルトJoão Gilberto」のコンサートのチケットが、本日(9月22日)12時から発売開始となっている。

入場料は、
最高が1000レアル(約5万円)から、最低でも500レアルとなっている。
ブラジル人の演奏家の入場料としては、破格も破格である。

理由は言うまでもなく、
神話・伝説の域に達しているジョアン・ジルベルトのもう二度とないかもしれないコンサートであるからである。
今年80歳になって、人前に姿を現すことなどない、ジョアン・ジルベルトを、会場内で拝むことができるだけでも、ありがたいというわけである。

Via Funchalのサイトで、購入することもできるが、
直接にVia Funchalの入場券売り場で買った方が安い。

ブラジルの、クレジット会社の手数料は、異常に高いのである。

サイトは、ポルトガル語だけなので、
何が何だかちんぷんかんぷんという人も多いことだろう。

前回のジョアン・ジルベルトが、サンパウロで行ったコンサートから、3年がたつ
あのときの顛末は、このブログに書いた。
それなりに大変で、結局購入できなかった。

今回は、入場料があまりに高価なので、
サイトがダウンするとか、
瞬時に売り切れることにはなっていないようだ。

また、日本からもマニアがやってこられるのだろうが、
くれぐれも常軌を逸した行いをされないことを願っている。
間違って狙われたくないからである。

購入代行を、希望する人がいれば、至急にメイル(saopaulopacaembu@gmail.com)で条件を知らせていただきたい。
それなりの「マージン」は、いただくことにしているので、それはあらかじめご承知願いたい。

なお、リオ・デ・ジャネイロおよびブラジリアでの入場券は、昨日(9月21日)に発売開始となっている。

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segunda-feira, 14 de fevereiro de 2011

ブラジル・サンパウロのコリンチャンスのロナウドの引退会見。

2月14日(月)13時から、
サンパウロ市東部にある
コリンチャンスのパルケ・エコロジコ・トレーニング・センターにおいて、
ロナウドの記者会見が行われた。
約50分間続いた。
記者会見の前に、
ロナウドは、
グランドの選手たちにお別れをした。
http://sportv.globo.com/videos/v/antes-da-coletiva-de-despedida-ronaldo-cumprimenta-os-companheiros-de-corinthians/1435326/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1


ロナウドは、
何度も感極まり、
また非常にゆっくりと言葉を選んで話をした。
http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-anuncia-aposentadoria-e-explica-que-lesoes-encurtaram-carreira/1435460/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-revela-que-familia-estava-viajando-e-diz-estava-sozinho-quando-decidiu-parar/1435504/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

引退の大きな理由として、
膝のけがに加えて、
あらたに
ミランにいるときにすでに発症していたとのことだが、
甲状腺の異常(hipotireoidismo)をあげた。

これが、
体重の減少を妨げたということである。

治療は、ホルモン療法なのだが、
これを行うと、ドーピングとなるので、
これを行うことができなかったという。

すでに、
コリンチャンスのユニフォームは着用していなかったが、
ユニフォームと同色のナイキのポロシャツを着ていた。

二人の息子も同席した。
最初の結婚で生まれたロナウドと、
昨年末にDNA検査の結果確認された、日系のミシェリ梅津との間に生まれたアレックスである。

選手としては引退したが、
当分、コリンチャンスで、各種プロジェクトに関わる。
http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-revela-que-continuara-no-corinthians-levando-o-nome-do-clube-pelo-mundo/1435507/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

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domingo, 13 de fevereiro de 2011

ブラジル・サンパウロのコリンチャンスのロナウドが引退。

ロナウドが引退を決めたようだ。

2月13日(日)のある新聞では、友人の談として報じられていたが、
夕刻になって、
各メディアでも、
「ロナウドが引退を決めた」ということを、
同日に行われたサッカーの試合の結果よりも、
大々的に報じている。
http://sportv.globo.com/videos/v/ronaldo-pode-anunciar-aposentadoria-nesta-segunda-feira/1434962/#/Futebol/Times/Corinthians/page/1

ロナウド本人は、まだ、登場していない。

2月14日(月)12時40分から、
サンパウロ市東部の
コリンチャンスのパルケ・エコロジコ・トレーニング・センターにおいて、
記者会見が設定されている。

ここで、正式にロナウド本人が発表するようだ。

12時40分という中途半端に思える時刻は、
Globo局の昼のスポーツ番組”GLOBO Esporte”の放送時刻にあわせたことは明々白々。

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コリンチャンスは、2月12日(土)に
ロベルト・カルロスとの契約を解除したばかり。

続いて、
ロナウドがいなくなるわけである。

経営的には、
超高給の二人がいなくなるわけで、支出は減る。
その分、若くて、まだ安い選手を買うことができるだろうが、
入場料やテレビ放送料さらにスポンサー料が
減ることもまた否めない話だ。

2008年末のロナウドの入団で、
場所によっては5倍以上になった入場料がいささかでも安くなるのだろうか。
ブラジルのクラブの中では、断トツに高い入場料だが、
それでもコリンチャンスのファンはいつも大挙して現れていた。

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ロナウドの選手生活は、けがとの戦いだったわけだが、
コリンチャンスに入ってからもそれは変わらなかった。
2009年にサンパウロ州選手権とブラジル杯に優勝に貢献したが、
その後は目立った活躍はしていない。

2010年そして2011年のリベルタドーレス杯では、全く期待はずれ。

2009年そして2010年は、
「格の違い」を見せていたが、
2010年の末から今年になって、
凄みもなくなっていたのは明らかであった。

つい先頃の記者会見では、本年12月の契約満了まではコリンチャンスでプレイするといっていたが、
その願望はかなわなかったことになる。

熱烈なコリンチャンスのファンであるブラジルの前大統領の
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァも
数日前に記者会見で
「ロナウドは太りすぎ、止めるべきだ」と、
引導を渡していた。

いくら絞ろうとしても、やせない体質と、止まらない食欲が、結局これにつきるようだ。

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2009年そして2010年に、何試合も、
ロナウドをみることができたのは、
幸運であった。

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sábado, 25 de dezembro de 2010

ブラジル・サンパウロの「第九(合唱)」。

ブラジルでは、
年末にベートーベンの交響曲第9番のいわゆる「合唱」を、
そこら中のオーケストラが演奏するといった奇矯な習慣はない。

季節的にはどうかというと、
年末にはというより、
ナタウ(=クリスマス)前には、
コーラスの合唱会が急に増える。

クリスマスにちなんだ宗教的な楽曲には、コーラスがあるのものが多い。
もしくは、バッハやヘンデルのようなバロックもよく演奏されることになる。
教会で聴くと、雰囲気がよい。

ブラジルは、
なんといっても欧州移民が作った国である。
文化の基本は、欧州文化であることはいうまでもない。

クラッシックの演奏会は、日常的に、市内各所で開催されている。
日曜日などは、選択に迷うほどだし、一日に3-4カ所も回ることもある。
そこでは、場所にもよるが日系人は意外に多いのだが、日本企業の駐在員らしい姿を見ることはまずない。

さて、
10月5日に一日だけ行われた、その「第九」が演目の演奏会があったので、
万難を排して、行ってきた。

拙宅からは、夜ならば、車で、10-15分ほどで行ける会場であるが、
主催者の関係で、入場券の入手は別のところであったので、
狙った席を確保するために、ちょっと汗をかいた。

サンパウロ市立交響楽団と合唱団によるものである。
※長さの関係で、分割を余儀なくされているものもあるが、ご了解いただきたい。

第1楽章から第4楽章まで、すべての映像がある。
時間に余裕があれば、御覧いただきたい。


「第1楽章」

「第2楽章」

「第3楽章」

「「第4楽章」(有名な「喜びの歌」はここにある)

演奏終了後。

2011年には、3月17日から20日まで、
サンパウロ州立交響楽団が、
「第九」を演奏することになっている。

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domingo, 25 de julho de 2010

サッカー・ブラジル選手権2010 その 第11節コリンチャンス対グァラニー戦。 

サッカー・ブラジル選手権の第11節の、
コリンチャンス対グァラニー戦が、
7月25日(日)の18時30分から、
サンパウロ市のパカエンブー競技場で行われた。

本来ならば、
この試合は、あまり大きな意味を持つ試合ではなかったのだろうが、
ブラジル代表監督への就任を受諾した
コリンチャンスのマノ・メネゼス監督
が指揮する最後の試合となったことで、
全く違った意味で重要な試合となった。

インターネット経由でチケットを購入すれば、
割引になるのであるが、
その販売期限までに、
入場券は購入していなかった。

マノ・メネゼス監督が受諾をした昨日(7月24日)のパカエンブー競技場の
トボガン席に一カ所だけ設定された
前売りの入場券売り場をみていたのだが、
午後には数十人の列ができていた。
拙宅からわずかな距離であるので、何度もみたのだが、いつもそんな程度であった。

試合当日の今日の朝10時に、
パカエンブー競技場の各セクターごとにある売り場が、
試合当日なので開いた。
いつも買い求めるセクターの売り場には全く列はなかった。
つい通りかかったものだから、
買い求めてしまった。

昼過ぎから、
競技場周辺は何となく騒がしくなってきた。

試合開始までずいぶん時間があるのに、
14時過ぎから何度も渋滞し、
クラクションが鳴った。

落ち着かないので、
17時20分に拙宅を出た。
向かいの人と世間話をしたりしたので、
競技場に入り、
いつもの所定の席についたのは、
17時40分くらいになっていた。

この時間では、さすがにまだ人は入っていなかったが、
でも、なんだか盛り上がっていた。

18時15分過ぎに、
電光掲示板での出場選手の紹介の時に、
マノ・メネゼス監督も映し出されたのだが、
ひときわ大きな歓声が上がった。

18時20分に、選手たちに続いて、マノ・メネゼス監督がグラウンドに現れた。
いつもならば、選手たちに目がいくのだが、
やはりコリンチャンス監督として最後の務めをするマノ・メネゼス監督に目がいってしまう。

今までにないマスコミが、マノ・メネゼス監督に集まった。

国歌演奏で、いったんはインタビューが中断したのだが、
演奏中にもかかわらず、また再開していた。

試合開始早々の1分に、
FWジョルジ・エンリッキのゴールで、
コリンチャンスが先制した。

その後も、
試合を支配したのだが、
徐々にいやなムードになってきた。

後半になって、
グァラニーがゴールを脅かすことが増えて、
ついに18分に、同点になった

FWデンチーニョが、退場になり、ますます危険な状況になってきた。

しかし、
33分に、ブルーノ・セーザルが、フリーキックをゴールに直接入れて
再びリード。

さらに、40分に、
またもや、ロベルト・カルロスの左からのクロスを、ブルーノ・セーザルの頭でのゴールで、突き放した。

3対1で、コリンチャンスが勝利し、
再び首位に返り咲き
マノ・メネゼス監督の最終試合に花を添えた。

有料入場者数は、24,501人と、やはり結構入った。

試合後、
マノ・メネゼス監督は、
グラウンドを一周し、ファンの歓声に応えた。

そして、
いつもならば試合後にはすぐにロッカールームに向かう選手たちが、
グラウンドで待ち受けていて、
マノ・メネゼス監督の胴上げをした。

観客も、拍手で、マノ・メネゼス監督を送った。

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マノ・メネゼス監督は、幸せな人だ。

多くの監督は、
よい成績を上げられずに、
ファンから罵声を浴びせかけられて、
任期途中で、辞任するか解任されるのが普通である。

コリンチャンスのファンも、
いつもはそうなのだ。

でも、
セリエBに転落したコリンチャンスを指揮して、
セリエBでの優勝で、セリエBに復帰させ、
翌年の2009年には、
サンパウロ州選手権とブラジル杯で優勝させたことは、
忘れていない。

だから、
それに感謝し、
そして今度はブラジル代表監督として、
2014年にブラジルで開催されるワールドカップで
ブラジル代表を優勝させてくれることを託すために、
この試合にやってきたわけである。

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さらにいっそう激やせしていたメッセージ親父、コリンチャンス大好きおばあさん
第1号と第2号も、観客席にいた。

メッセージ親父は、やせて、すっかり若返っていた。

コリンチャンス大好きおばあさん第1号は、
テレビのインタビューでは泣いていた

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今年もっともよかった試合は、
この試合になりそうである。

やはりこういうことは、
サンパウロ市内では、
パカエンブー競技場でないとおきない。

そばに住んでいてよかった。

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terça-feira, 20 de julho de 2010

サッカー・ブラジル代表2010 その 元代表のトニーニョ・セレーゾの娘が、フランスのVouge誌に登場。

ブラジルでは、
サッカー・ブラジル代表の選手になった人は、
引退後も、結構尊敬されている。

たとえ、ワールドカップで優勝しなくてもである。

引退後も、サッカー界にそのまま残り、クラブの役員や監督をしたり、
選手の代理人をしたりと、サッカーから離れない人も多い。

引退して、何十年たっていたとしても、
割と、スポーツニュースなどに登場してくる。

亡くなったときにも、報道される。

そんな中で、
トニーニョ・セレーゾToninho Cerezo氏に関係する話題がでてきた。

日本にもなじみの深いトニーニョ・セレーゾ氏である。

ジーコと同じ頃に、ブラジル代表で活躍している。

引退後は、
何度か監督に就任していているが、
監督としては余りよい結果は出していない。

そのトニーニョ・セレーゾ氏には、息子が4人いるそうだ。

その一人が、レアンドロ・セレーゾLeandro Cerezoという名前なのだが、
2010年秋から2011年冬のジヴァンシーGivenchyのモデルとして、
Leo T.という名前で登場する。

そして、
その写真が
7月19日に発売されたフランスのVogue誌8月号に
掲載されているのだが、
これが話題になっている。

これに先立って、
Leo T.は、
Vanity Fair誌でのインタビュー記事にも登場していて、
そこで、
父親の名前は明かしていないが、
有名なスポーツ選手だったとだけ言っている。
年に一度だけ、短い会話を交わす関係だそうだ。

父親としては、関係を明かされたくないのだろうが、
ブラジルのマスコミは、
そういうところを突っ込むのが好きなので、
トニーニョ・セレーゾ氏に電話をして、確認をしている。

トニーニョ・セレーゾ氏は「息子は4人いる」と言って、
記者が「レアンドロのことで」と言ったら、電話を切ってしまったそうだ。

このエピソードが、各新聞などで、大報道されている。

息子が、娘になってしまったトニーニョ・セレーゾ氏。
このことが、世界的に有名になってしまったわけで、
やはり面目を失ったというところだろうか。

娘は、母親との関係は良いらしい。
今年の年末までに、手術をしたいということも、インタビューで言っていたが。

Sps20100720aleotvogue

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ブラジルには、こういうトランスセクシャルの人がいっぱいいて、
街中でも、よく見かける。

特に、拙宅からそれほど遠くないところ(歩いて20分くらい)には、
夜になると数十人以上が固まって現れるところがある。

週に、3-4回は、そこを通ることもある。

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segunda-feira, 19 de julho de 2010

サッカー・ブラジル選手権2010 その 第9節 コリンチャンス対アツレチコ・ミネイロ戦。

7月18日(日)16時から、
サンパウロ市のパカエンブー競技場で、
サッカー・ブラジル選手権の第9節の
コリンチャンス対アツレチコ・ミネイロ戦が行われた。

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サンパウロ市は、
7月12日(月)から、ずっと雨が降り続き、そしてとても寒かった。

17日(土)になって、やっと雨がやんだが、曇りで、やはり寒かった。

サンパウロでは、冬は乾期で、ほとんど雨は降らないのに、
4日間連続で雨が降るのは本当に希なことである。

それまでは、2週間以上雨が降らず、
空気が乾燥していたのである。

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この雨が続きそうで、
日曜日までは、回復しないという予報が、
週半ばまであったので、
インターネット経由での、前売りでは購入していなかった。

こちらの方が、割引もあるし、確実なのであるが。

今年は、それに、サッカーの試合以外のものを優先するようにしていることもある。

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18日(日)の午前に、
いつものような用事を済ませた後は、
午後があいてしまった。

天候も回復して、
太陽が久しぶりに出てきたら、
14時頃から気温も急上昇してきた。

寒さでずっと縮こまっていた身体をほぐすために、
試合を観戦する気になった。

競技場周辺は、13時頃から、ややざわめき始めていた。

15時過ぎに、
拙宅を出て、
そこがすでに、競技場みたいなものであるが、
目指す観客席の入場券売り場まで、
コリンチャンスのファンであふれている競技場の周辺を歩いた。

日曜日の午後の試合で、
天候が回復したこともあるし、
学校が休みで、
子供連れの人が多かったように思えた。

入場券を買うのに、20分も、窓口に並んで、
競技場に入ったのは、15時40分頃。

入場券は、前日までに15,000枚売れていたというのだが、
だいたいそのような感じであった。

いつもの所定の席に座って、観戦。

その席は、日が当たらない席なので、結構寒い。
それに、また徐々に雲が出てきて、気温もまたまた急降下してきた。

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コリンチャンス大好きおばあさんをすぐに発見したのだが、
珍しく安い席にいた。

フェンス越しに話をしたら、
たまにはこちらに来ないというよくわからない説明。

ロナウドは、まだ調整中で出場はしない。
ロベルト・カルロスとダニーロは出場した。

試合開始早々1分に、
FWデンチーニョに対するファールで、
PKのチャンスが訪れたのだが、
DFシッコンがこれを外した。

アツレチコ・ミネイロのGKは、2004-2005年にコリンチャンスにいた
ファビオ・コスタ。
ほかにも、アツレチコ・ミネイロには、
2002年のワールドカップの代表メンバーだった
MFリカルヂーニョやSBジュニーニョもいた。

前半を終了して、0対0。

後半35分に、ブルーノ・セーザルのゴールで、コリンチャンスが勝利。

有料入場者数は、22,163人と発表されている。

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コリンチャンスは、
9試合で、6勝3分けと、未だ無敗。

首位を続けている。

しかし、このような試合では、
早晩転落するだろう。

入場料が高いと感じた試合だった。

18時過ぎには、拙宅に戻った。

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terça-feira, 6 de julho de 2010

ブラジル・サンパウロはワールドカップ態勢2010 その7 対オランダ戦。

7月2日(金)11時(*ブラジリア時間)から、
サッカー・ワールドカップのブラジル対オランダ戦が行われた。

朝の11時からなので、
午前中のサンパウロ市はとても静かであった。

9時に業務を始めて、10時半頃には一旦やめてしまうわけで、
事実上仕事にならないので、
たいした用がない人は、サンパウロ市内には入ってこないわけである。

車が走っていないわけではないが、
特段急いでいるようでもなかった。

Globo局の地上波の中継は、
9時45分頃に始まった。
相変わらず、ガルヴォン・ブエノ氏は冒頭からハイテンションだ。
だいたい試合の前1時間以上も前から、
しゃべりまくって大丈夫なのかと思うのだが、
話題もちゃんと局が考えている。
ブラジル各所に設けられた大応援会場からの中継などで時間をつぶしていた。

15時からの試合の時は、14時頃には帰宅を急ぐ車が渋滞し、
焦ってクラクションを鳴らしまくったりしていたのだが、
それもない。

花火ですら、散発的であった。

試合が始まるときには、多少多くあがったが。

前半10分に、
FWロビーニョのゴールで、
この試合は意外に楽勝かと思ったのだが。

結果は、ああいうことになった。

13時前に、結論が出たのだ。

ガルヴォン・ブエノ氏の中継は、上手かった。
もう長くやっていて、何度も経験しているからだろうが、
最後の最後まで、使わない言葉があった。
それを使えば簡単なのだが、国民の心に事実を突きつけるようなことはしないのだ。

試合の後、20分もすると、
また車が増えてきた。

試合は試合で、
仕事に向かうのだ。

14時頃に、あるところにいったが、
もう粛々と働いていた。

ただ、そのことについては、話題にしないのが、ルールである。
何もなかったかのように、別のことを話すのが、良識人の振る舞いである。

夕方になっても、何も変わりはしない。
もう、終わったことなのである。

それでも、
17時前におこなわれていた、ウルグアイ戦の中継をみるために、
電気店の店頭などテレビがあるところには、人だかりができていた。

夜のニュースでも、
淡々と事実を伝える。
決して扇情的でもなく感情的でもない。
不測の出来事が起きないためでもあるだろう。

翌日の新聞各紙の表紙は、もちろんその事実に関することがトップではあったが、
その見出しはまちまちだ。

すでに、「監督を物色中」という求人広告のような大見出しをつけたところもあった。
それで、すべてを物語っているのである。

土曜そして日曜と、
街からは、急激に「緑と黄色」が消えつつある。

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どうなのだろう、
元々今回の代表チームは「ドリームチーム」とは言われていなかった。

いつものように優勝候補とは言われていても、
一般のブラジル人は、それはそれとして、
目は肥えているので、
冷静に評価していたはずである。

もちろん期待はしていただろうが、
ものすごく失望したような風には見えないのである。

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もう、次の話題に移っているのである。

つまり、2014年である。

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segunda-feira, 28 de junho de 2010

ブラジル・サンパウロはワールドカップ態勢2010 その6 対チリ戦。

6月28日(月)15時30分(*ブラジリア時間)から、
2010年サッカー・ワールドカップの、
ブラジル体表にとっての第4戦で、
決勝トーナメントでの初戦となる対チリ戦が行われた。

朝から、
何かそわそわして、落ち着かない。

トーナメントに入って、やっとワールドカップ本番といえるわけで、
真剣になる。

午前中に、いろいろなことを済ませておかないと、いけないので、
焦った感じ。

銀行やスーパーなど、人が多いわけでもないのだが、なんか落ち着かない。

12時を過ぎて、
帰宅を始める車が徐々に増えてきた。

Globo局は、14時40分過ぎには中継開始。
ガルヴォン・ブエノ氏が、いつものように快調に喋りまくっている。

15時頃で、
まだ拙宅の近くの、郊外へ向かう道路は渋滞。

そんな中15時19分に、
またもや車がカーブを曲がりきれずに、隣家に突っ込んだ。
明らかにスピードの出し過ぎて、
突っ込む前から、異常なタイヤの音がして、
またやるなと思っていたら、
やっぱり突っ込んだ。
盛大に、ほこりが上がった。


何人か乗っていたようで、
助手席の男は頭を打ったようだ。

だいたい時速30キロが、制限速度である。
60キロでも出し過ぎである。

結局、
試合に間に合わないどころか、
完全に見ることができなくなったわけだ。

気になるので、
試合開始後に見に行った。
運転していたのは、若い女性だった。
真新しそうなプジョーの307の全部が塀に突っ込んで大破していた。
エンジン・オイルが流れている。
エアバッグは機能したようだ。

15時40分過ぎに、
パトカーが2台やってきた。

1台のパトカーには、
どこかのテレビ局(たぶんバンデイランチ局)のクルーも同乗していた。

前半34分 DFフアンが、コーナーキックを、頭でゴール。

花火が上がりまくっている。
神経質な試合の均衡が崩れた。

前半37分、 FWルイス・ファビアーノのゴール。
オフサイドかと思っていたが、違っていた。
左から、ロビーニョがよく走った。

16時16分 前半終了。
        2対0で、ブラジルがリード。

レッカー車が来て、
事故車を引っ張っていた。
道路が空いているので、
早くやってきた。

後半14分に、ロビーニョのゴール。

結局、延長2分の末、17時22分に、
ブラジルが3対0で勝利した。

試合後、3-4分は花火が上がったが、
それもすぐに終わった。

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