domingo, julho 06, 2008

ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その56 「大作が消された」ことの報道。

ブラジル・サンパウロの中心部に多いグラフィッチ(壁絵)。

ブラジルでは、あの壁絵の類をグラフィッチGrafittiと呼ぶ。

サンパウロの数あるグラフィッチの中でも、もっとも絵画的に鮮やかで、
かつ、その地域にマッチしている作品を描き続けている作家は、何と言っても、
有名なパンドルフォ兄弟である。

二人は、双子のなので、
Os gêmeos(=双子の意味)と名乗り、作品のそばに署名を残している。

-----------------------------
このOs gêmeosについては、
雑誌Pen誌で、
すでに2005年にとり上げられている。

-----------------------------
バンドフォ兄弟は、多作である。
今も、描き続けている。
なかった所に、新作を発見することも多い。
ただし、消されてしまったものもある。

彼らの多くの作品は、
かなり治安的に問題があるところにある。
サンパウロ市の中心部周辺のカンブシCambuci、リベルダーヂLiberdade、ベラ・ヴィスタVela Bistaのそれも低地地区にほぼ集中している。
カンブシは彼らの出身地区で、各ブロックごとに、作品があるといえるくらいだった。

撮影には、かなり手間暇がかかったところもある。
作品を発見しても、その時は撮影不可能と判断して、
最適な撮影場所やタイミングを求めて、何度も通ったところもある。

描いた彼らはもっと大変だっただろうか。

------------------------------
8月まで、ロンドンLondresにある、世界で最も重要な美術館の一つであるテイト・モダンTate Modernで、彼らの作品を見ることができる。

二人で、os gemeosというグスタヴォGustavoとオタヴィオOtávioのパンドルフォPandolfo兄弟、フランシスコロドリグェスFrancisco RodriguesことヌンカNuncaは、サンパウロ市の屋外にグラフィッチと同じスタイルで、パネルを使っていた。
しかし、もうそれを見ることはできない。

3人は、ベラ・ヴィスタBela Vistaのヴィンチ・トレス・マイヨ23 de Maioとコスタ・イ・シウヴァCosta e Silvaの交差するところにある、さらに3人の造形作家(オタヴィオOtávioの妻のニナ・パンドルフォNina Pandolfo、ヴィツシェVitchéとエルベryト・バグリオーニHerbert Baglione)とともに描いた、680メートルあるサンパウロで最も重要な壁の一つが灰色のペンキで塗られたのを発見した。

市の広報を通じて、市は公共の場所から落書きを消すために契約した企業によるものと認めた。

清掃は、看板から、果ては芸術家の壁にまで至っていると、広報は言った。

市との契約で、「ミス」として、作業は中断し、一部は残っている。

「尊重していない。 スコットランドEscóciaの城に描いた。 ニューヨークNova York市役所は我々を招待した。 我々は、世界中で尊敬され、知られている。 ここ、我々のホームではそうではない」とオタヴィオOtávioは言った。

市役所は、今、芸術家たちは公認されたグラフィッチがあるほかの場所の場所を知らせるために接触するように要求している。

この作品は、2002年に、当時のマルタ・スプリシー市長の公認で、3ヶ月かかって描かれた。

「市の完全なサポートがあった。 次の代になって消されたが、市のロゴマークも入っていた」

Os gemeosは、多くの彼らの作品がすでに町の景観から消えたといっている。
「3つの大作品が消えた。 小さな作品は言うこともできない」と、オタヴィオOtávioは言った。
ヌンカNuncaは、100から150の作品が消されたと明言した。

「怒った。 仕返しすると言っておく。 壁絵を消すな。 サンパウロのアートの歴史の一部を消すことだ。 市役所はおおやけに謝る必要がある」と、ヌンカNuncaは言った。

ニナ・パンドルフォNina Pandolfoは、「アートの場所までが、美観条例Lei Cidade Limpaで撲滅するべき汚れなの」と言った。
彼女にとって、「サンパウロSão Pauloにはもう地平線がない。ただビルだけだ。 それらは、灰色、黄色、もしくは白のトーンだ。 壁に色をつけることで、地平線が広がる」。
「20080705JNsp2-Grafite.wmv」をダウンロード

-------------------------------
Os gemeos(=双子の意味)のパンドルフォ兄弟は、とても有名なグラフィッチの作家である。
ロンドンの作品についても、報道された。

スコットランドで城に色をつけたのも、報道されている。

双子のパンドルフォ兄弟の一人オタヴィオの妻が、ニナ・パンドルフォの作品も、サンパウロ市内でよく見つけることができる。
すでに、紹介したものもある。
いま、このニナ・パンドルフォは、サンパウロ市内の画廊で、初めての個展を開催中である。

-------------------------------
問題になった「壁絵」は、この連載のはじめに紹介している。

パンドルフォ兄弟の部分については、何とか撮影していたのだが、不十分なので、再撮影を考えていたのだが、それも不可能になった。
Sps20080516ca

Sps20080516cb

やはり、急いで撮影を進めなくてはならない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sábado, julho 05, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その12 「100年記念碑除幕式」2。

100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。

今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。

皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。

6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。

実は、この除幕式を見に行った。

-------------------------------
続きである

皇太子殿下は、この式に最後までご出席になって、ご退席された。

そういうわけで、皇太子殿下が去られると、もう警備も何もない。

招待者も含めて、集まった人は、すぐに散り始めた。

ブラジル最大のメディアグループのGlobo局の取材。
Sps20080620cze

ローカルニュースのレポーターの中で、もっとも美人のジャナイナ・レプリJanaina Lepri嬢。
テレビで見るとき以上に、美しかった。
実は、この除幕式を伝える、この日のGlobo局のニュースに映されてしまった。
Sps20080620czf

除幕したばかりの、「100年記念碑」の碑石。
この碑石の両側に、お手植えの木がある。
皇太子殿下は、ブラジルの国花イペーを、
サンパウロ市長は、桜を植えた。
Sps20080620czg

「100年記念碑」は、いくつかの碑石からなっている。
これは、
日本から船に乗って、ブラジルに向かったような図が彫り込んである。
Sps20080620czh

最初は、おずおずだったが、どんどんと人々が碑の周りに集まってきた。
Sps20080620czi

写真撮影会になってきた。
ブラジル人は、ポーズをとるのが好きだ。
Sps20080620czj

人が増えたので、完全な姿で碑の写真を撮るのは難しくなった。
Sps20080620czk

碑にもさわり放題。
Sps20080620czl

楽団もすぐに撤収。
Sps20080620czm

碑に上る子供たち。
上るために階段も彫ってある。
ほんの10分前までは、皇太子殿下が御覧になったばかりのところなのであるが、もうそんなことはお構いなしだ。
Sps20080620czn

子供たちがこうやって碑で遊ぶことは、作者の意図したところらしい。
Sps20080620czo

いくつかの白い碑の真ん中に赤い石がある。
もう写真の撮影で、碑をとらえることはできなかった。
Sps20080620czp

先ほどまで、皇太子殿下がお立ちになっていたステージに立ってみた。
Sps20080620czq
※クリックすると拡大する。

とうとう大人も、碑に上った。
Sps20080620czr

-------------------------------
この「100年記念碑除幕式」に、招待された人に配布されたパンフレットである。
Sps20080626d

どういう訳か、ポルトガル語でしか書かれていなかった。
式次第。
Sps20080626f

作家の紹介。
Sps20080626g

協賛者のリスト。
日本のそうそうたる大企業の名前、下部に並んでいる。
Sps20080626e

-------------------------------
「100年記念碑」が、人々に親しまれるのはよいのだが、
あっという間に、
こんな状態になってしまったことには、
ちょっと驚いた。

皇太子殿下は、
このカルモ公園のすぐ西側の「広島学校」を、ご視察になっていて、その道は閉鎖されていた。

まだ、皇太子殿下がご滞在中の時に、
日本国サンパウロ領事館の公用車プラド1台が、突然飛び出してきて、ブラジル警察の先導もなく暴走運転を繰り返して、市内中心部に向かっていった。
一般の車を、対向車線も使って、次々と蛇行運転で、追い抜いていった。
サイレンもないわけで、、非常に危険で、みんな急ブレーキをかけたり、抗議のクラクションを鳴らした。

何があったのか知らないが、呆れた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sexta-feira, julho 04, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その11 「100年記念碑除幕式」1。

100年前の1908年6月18日が、最初の日本人移民団が、笠戸丸に乗って、サントス港に到着した日で、この日が、サンパウロ州の移民の日となっている。

今年は、この日本人の移民100年を祝っていろいろな行事が、ブラジルの日本人・日系人が多いところで、次から次と行われている。
6月21日(土)には、サンパウロ市のサンボードモで、皇太子殿下ご臨席の下、「100周年記念式典」が開催された。

皇太子殿下は、この前後9日間にわたって、ブラジルの各地を、非常に稠密な日程でくまれた行事に参加されたことは、すでに取り上げたことである。

6月20日(金)の午後には、サンパウロ市東部のカルモ公園での、「100周年記念碑」の除幕式にご出席になった。

実は、この除幕式を見に行った。

除幕式は、13時30分に始まり、15時10分に終わる予定であった。

カルモ公園は、サンパウロ市の中心部から20数キロ離れており、平日では1時間以上かかるようなところにある。
と言っても、沿道の警備が厳しいということもなかった。
ただ、公園に入るときは、園内の駐車場は、一部閉鎖されており、別のところに行くように言われたのだが、結果的にはそこに止めたことが会場には近かった。

この公園の位置関係については、よく知っているので、中に入ることができれば、特に問題はない。

園内では、いつもは警備員程度しかいないのだが、そこは警備員もいつもより遙かに多く、警察もいた。

会場に向かう道である。
この非舗装の道を、皇太子殿下を乗せた車も往復している。
Sps20080620ce

会場に近づいてくると、人が集まっていた。
Sps20080620cf

皇太子殿下は、車を降りると、カーペットの上を、約100メートル歩くことになっていて、到着1時間も前なのだが、人がいっぱいだった。
Sps20080620cg

会場には、仮設のテントが4つ設置されていた。
一つは、ステージ。
2つは招待客用。
Sps20080620ca
※クリックすると拡大する。

そして、楽団用だ。
Sps20080620ch

会場は、やや高い丘の上にある。
Sps20080620ci

丘の上は、以前から、子供の遊び場があったところで、その脇に記念碑が設置される。
Sps20080620cj

楽団のテント。
クラシック中心で、
テノール歌手も登場していた。
ご到着前には、ブラジルのポピューラーも演奏していた。
Sps20080620ck

14時30分頃、
除幕式に参加する子供たちが入場してきた。
Sps20080620cl

そして、予定より遅れていたが
14時40分過ぎ、
皇太子殿下が到着された。
遠くでもすぐに、どなたが皇太子なのか、見分けがついた。
高齢の招待者も立ち上がって旗を振った。
Sps20080620cm

皇太子殿下の隣の、赤いネクタイをしたのがサンパウロ市長のカサビ。
この公園は市営だ。
そして、柿色の紙袋を持っているのは、西林サンパウロ総領事である。
どうも、各総領事はその紙袋を持って、皇太子殿下のすぐそばにいなくてはならなかったようだ。
何が入っているのか、とても気になった。
何かの「お印」なのだろうか。
Sps20080620cn

ひげの男性が、
「記念碑」制作したKota Kinutaniと言う人。
日芸の卒業である。
Sps20080620co

まず、日本国歌の「君が代」の短い演奏の後、
ブラジル国歌の長い演奏があった。


サンパウロ市長カサビの挨拶。
皇太子殿下は、いつも挨拶をしている人の方を向いておられた。
Sps20080620cq

皇太子殿下はご挨拶をされることはなかったが、
何人かが挨拶をした後、
除幕となった。
Sps20080620cp

NHKが、参加者に取材していた。
Sps20080620cr

除幕の後、ステージを降りられて、
皇太子殿下は、記念碑をごらんになった。
記念碑はいくつかの碑からなっており、
それらを順に回られたのである。
作家が説明をしていた。
Sps20080620cs

参加者に、お手を振られる皇太子殿下。
作家も手を振っているが、これはちょっと勘違いだと思った。
こういうときに、手を振ってよいのは、皇太子殿下とサンパウロ市長だけだろう。
作家ではあるが、そこはわきまえてほしかった。
みんな皇太子殿下を見に来ているである。
Sps20080620ct

かなりゆっくりと回られた。
Sps20080620cu

皇太子殿下と市長の間にいるのは通訳。
西林総領事の持つ紙袋はどうしても目立つ。
人に預けるわけにはいかないものが入っているのは明らかだ。
このあと、木を植えられているが、そこは報道陣の場所の真ん前で、視界には入らなかった。
Sps20080620cv

ステージの上では、鋭い目をした連邦警察の警備陣。
Sps20080620cw

そして、除幕式が終わり、ステージを降り、次の予定のために車に向かわれる皇太子殿下。
あの手の振り方は、なんとも上品で、簡単そうで簡単ではないと思えた。
Sps20080620cx

周りを警備が取り巻くにしても、結構無防備な。
Sps20080620cy

「20080620f.MOV」をダウンロード

ほんの数メートル先を、通り過ぎられた。
Sps20080620cz

皇太子殿下がサンパウロで使用されたベンツ。
ブラジリア・ナンバーだった。
Sps20080620cza

すぐに車に乗り込まれることもなく、市長などに挨拶をされ、そしてまた手を振られた。
Sps20080620czb

この車は防弾車なのだが、
日本ではあるカーテンがなく、外から丸見えのままである。
これでは、移動中も気が休まらないことだったと思う。
Sps20080620czc

一行が会場を離れられた。
Sps20080620czd

つづく。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sexta-feira, junho 27, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その10 「移民百周年記念切手」発売。

6月18日(木)が、ブラジルに日本人移民が笠戸丸でサントス港に到着して100年にあたる日で、この日にブラジルでも記念切手が発売されることになっていた。

拙宅の近くの普通の郵便局に、6月18日の昼過ぎに行ったのだが、
そんな切手のことはどの局員も知らず、
まだ届いていないと言われた。

翌日19日、サンパウロ市の歴史的中心部セントロにある中央郵便局に行った。
Sps20080420cg

歴史のある重厚感にあふれた建物で、何年も改修のために閉鎖されていたのだが、今年の2月頃に再開していた。
Sps20080226ce

Sps20080226cd

ここに行くと、過去の記念切手も額面で買うことができる。

目的の「移民100年」の切手は、小型シートだけが発行された。
小型シートの上下の縁は、金縁とやや派手。
Sps20080626v

この売り場窓口の局員が、全員揃いの赤いTシャツを着ていた。
Sps20080619ca

「移民100年」の切手を真ん中にあしらったTシャツだ。
Sps20080619cf

これも販売しているという。
ついつい買ってしまった。

このほかに、大型の封筒も販売。
これも買ってしまった。
Sps20080619cg

さらに、絵ハガキも発売されることになっていたのだが、まだ到着していないということで、買うことはできなかった。

※※これらが欲しいいう方は、連絡ください。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

quinta-feira, junho 26, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その9 「移民百周年記念式祭典」は終了したが。

6月18日(木)が、ブラジルに日本人移民が笠戸丸でサントス港に到着して100年にあたる日で、
6月21日(日)に、サンパウロ市のアニャンビーにあるサンボードモで、皇太子殿下のご臨席のもとで、「移民100周年記念式」が開催されたあと、24日(火)までは皇太子殿下の動静が伝えられるなどして、まだこの100周年関連の報道もあったが、それ以降はなくなった。

25日(水)に、皇太子殿下はブラジルを離れられたわけだが、それについてはテレビ・ニュースの映像がない。

前大統領のフェルナンド・エンリケのロッチ夫人が亡くなられたので、サンパウロのローカルニュースも、全国ニュースも、この件に多くの時間をとったこともあっただろう。

ただ、移民100周年の記念行事は、
ビッグなものはこの6月に集中していたといっても、
まだ2008年中は各地で行われる。

実際恐ろしい数のイベントが、この1年に行われるのである。
Sps20080626h

このブログでは、そういった行事については、ほとんど取り上げてきてはいないし、今後も力を入れて伝えることはないと思う。

とはいえ、まったく無視するわけでもない。

多少はとりあげていく。

皇太子殿下は、20日(金)には、サンパウロ市のリベルダーヂ地区にあるブラジル日本文化協会の建物にある「日本人移民史料館」を訪れられ、そのあとガルヴォン・ブエノ通りを車で通過されている。
そういうことで、ガルヴォン・ブエノ通りの一部の街路灯は、日本とブラジルの国旗に飾られていた。
Sps20080622ca

リベルダーヂ広場から、バロン・ジ・イグアッペ通りとの交差点あたりまでだった。
Sps20080627ca

日曜日にリベルダーヂ広場で開催される「東洋市」も、いつも以上に混んでいた。
Sps20080622cb

| | Comments (0) | TrackBack (0)

quarta-feira, junho 25, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その8 皇太子、ブラジルを出発。

今日6月25日(水)は、日本の皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhitoにとり、ブラジルBrasilでの最後の日であった。

皇太子は、今日10時16分にロス・アンジェルスLos Angeles (EUA)に向かって出発した。
明日、皇太子は日本Japãoに戻る。 東京Tóquio到着は、27日(金)18時30分である。

皇太子は、ブラジルに日本人移民が到着して100年の祝賀に参加するために、先週17日にブラジルBrasilに到着した。

厳しいスケージュールの中、皇太子はブラジリアBrasília、サンパウロSão Paulo、パラナParaná、ミナス・ジェライスMinas Gerais、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroを訪れた。
皇太子は、しきたり(儀礼)を破り、ルーラLula大統領と大統領夫人のマリーザ・レチッシアMarisa Letíciaと、プラナルト宮Palácio do Planaltoに到着してすぐに、手を握って挨拶をした。

皇太子は、サントスSantosで日系人にあいさつをして、パラナParanáでは集まった7万5千人の一部と握手をした。
ミナス・ジェライス州知事アエシオ・ネヴェスAécio Neves、サンパウロ州知事ジョゼ・セッハJosé Serra、リオ・デ・ジャネイロ州知事セルジオ・カブラルSérgio Cabralと会った。

皇太子は、サンパウロSão Paulo市のサン・フランシスコ広場Largo do São Franciscoのサンパウロ大学USP法学部Faculdade de Direitoの訪問では、約5分間、ポルトガル語portuguêsであいさつをして驚かせた。

ジョゼ・セッハJosé Serra知事による、バンデイランチ宮Palácio dos Bandeirantesでの夕食の後には、ヴィオラを演奏して、しきたりを破った。

「20080623JNsp-ImigracaoJapaonesa-Naruhito-Jantar-Viola.wmv」をダウンロード

--------------------------
皇太子殿下は、今回の訪問で、
日系人だけではなく、
非日系ブラジル人にも、
素晴らしく好印象を残されたと思う。

今回の訪問は、
大成功だったのではないだろうか。

110年記念や120年記念が開催されるとしても、
また違ったものになるのは、当然だと思うが、
その際には、どなたが訪れられるのだろう。

かなり、先のことであるが、必ず110年目も120年目もやってくる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その7 皇太子、リオ・デ・ジャネイロでの日程。

日本Japãoの皇太子の徳仁Naruhitoは、6月24日(火)に、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroのポン・ヂ・アスカールPão de Açúcarを訪問した。
観光ポイントの頂上で、皇太子はカメラで市のイメージを記録した。

雨は降らなかったが、曇りの日で、雲と視界の悪さで、皇太子はポン・ヂ・アスカールPão de Açúcarから市の海岸の写真を撮ることができなかった。

観光ガイドに案内されて、皇太子と彼の一行はまたリオ・デ・ジャネイロの人気がある別の観光地の植物園Jardim Botânicoを訪れた。
そこで、皇太子は、そこの植物や生き物を観察することができた。

※原文にない敬称や敬語は極力その原文をそのままにしている。

---------------------------
リオ・デ・ジャネイロの名所を訪問した日、日本の皇太子の徳仁Naruhitoは、火曜日の夜に、ブラジルの音楽、スポーツ、芸術、そしてビジネスの著名人に会った。

リオ・デ・ジャネイロにおいて「ブラジルにニッポン人移民がやってきて100年」を祝う最大の展示会が開催されているリオ・デ・ジャネイロの中心部のブラジル銀行文化センターCentro Cultural Banco do Brasilを訪問したときに、皇太子はジーコZico監督、日系3世で歌手のフェルナンダ・タカイFernanda Takkaiと会った。

ジーコZicoの手を握り、皇太子は日本語で、「あなたは日本のサッカーのレベルを上げるのにとても貢献した」"O senhor contribuiu muito para elevar o nível do futebol japonês"と言った。
ジーコZicoは、日本Japãoでプレイし、日本代表seleção japonesaの監督だった。

ブラジル銀行文化センターCCBBの訪問は、リオ・デ・ジャネイロにおける皇太子príncipe herdeiroの最後の公式日程であった。

皇太子は、16時20分に展示会に到着し、すぐに、4階で行われたセレモニーに人が来れなくするために建物のすべてのエレベーターが止まった。

訪問が終わって、展示会に来た人は写真を撮るためにとまった。
皇太子は訪問者たちに合図をして、賞賛された。

午後、皇太子は、リオ・デ・ジャネイロ州知事のセルジオ・カブラルSérgio Cabralの公邸のラランジェイラ宮Palácio Laranjeirasで、知事と昼食をともにした。

※原文にない敬称や敬語は極力その原文をそのままにしている。

---------------------------
皇太子殿下は、植物園で、またもや植樹をされている。

※ニュース専門チャンネルでの夜のニュース映像。
「20080624encimadahora-ImigracaoJaponesa-Naruhito-Rio.wmv」をダウンロード

| | Comments (0) | TrackBack (0)

terça-feira, junho 24, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その6 皇太子、リオ・デ・ジャネイロへ。

日本Japãoの皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhitoは、6月23日(月)の夕刻にリオ・デ・ジャネイロに到着し、夜すぐにリオ・デ・ジャネイロでの最初の公式プログラムを行った。

リオ・デ・ジャネイロ州知事セルジオ・カブラルSérgio Cabralと日本人社会の関係者を隣に、リオ・デ・ジャネイロの市立劇場Teatro Municipalでの、ブラジル・日本コンサートconcerto Brasil-Japãoに行った。

ペトロブラス交響楽団Orquestra Petrobras Sinfônicaとブラジル・レパートリーrepertório brasileiroが参加した、コンサートは、日本とブラジルの音楽を混ぜ合わせた。

指揮者ノブユキ・ナカノNobuaki Nakatoは、紹介の時に、指揮者カルロス・プラゼレスCarlos Prazeresと交代した。
ピアニストで作曲家のヴァグネル・チゾWagner Tisoと歌手のジョイスJoyceも参加した。

皇太子は、約2時間のコンサートをすべて出席した。
セルジオ・カブラルSérgio Cabral知事によると、オーケストラがこの夜の最後に「3月の水」 "Águas de Março"と「イパネマの娘」"Garota de Ipanema"を演奏したときに、感激していた。

「彼はコンサートは素晴らしかったといった。 ポルトガル語で言った。 皇太子はブラジルの文化を称賛した。 彼はすでにヴィラ・ロボスVilla-Lobosとトム・ジョビンTom Jobimを知っていた」と、イベントの後、知事は言った。

皇太子は何も話さなかった、しかし今一度「しきたり(儀礼)protocolo」を破り、コンサートから退出するときに、セルジオ・カブラルSérgio Cabral知事の手を強く握った。
日本の総領事館により企画されたこのイベントには、リオ・デ・ジャネイロのいろいろな国の領事やリオ・デ・ジャネイロにおける日本人社会の関係者も出席した。

皇太子は、24日(火)までリオ・デ・ジャネイロに滞在する。

※※原文にない敬称や敬語表現は、そのままにしている。
「20080623JG-ImigracaoJaponesa-Naruhito-RiodeJaneiro-Concerto.wmv」をダウンロード

-------------------------------
皇太子殿下が、ヴィラ・ロボスをご存じだったというのは、何も不思議なことでもないと思う。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その5 皇太子、ベロ・オリゾンチへ。

日本Japãoの皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhitoは、6月23日(月)の昼前に、ミナス・ジェライス州の州都ベロ・オリゾンチBelo Horizonteのパンプーリャ空軍基地Base Aérea da Pampulhaに到着した。
空港から、皇太子はリベルダーヂ宮Palácio da Liberdade(知事官邸)に向かい、そこでアエシオ・ネーヴェスAécio Neves知事が出迎えた。

またもや、皇太子は「しきたり」を破り、手を強く握ってアエシオ・ネーヴェスとあいさつをした。
次いで、州知事、ベロ・オリゾンチBelo Horizonte市長のフェルナンド・ピメンテウFernando Pimentel、さらにブラジル人と日本人の企業家が、両国の経済と関係について挨拶をした。

集会の後、皇太子は官邸での知事による昼食会に出席した。
午後、皇太子は最近開園した日本庭園jardim japonêsがあるベロ・オリゾンチ動物園zoológico de Belo Horizonteを訪れる。
「20080623JH-ImigracaoJaponesa-Naruhito.wmv」をダウンロード

訪問の後、皇太子は、25日(水)まで滞在のリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroに向かう。

皇太子は、20時過ぎに、市立劇場Teatro Municipalでのコンサートで、リオ・デ・ジャネイロ州知事のセルジオ・カブラウSérgio Cabralと会う。

------------------------
ベロ・オリゾンチには、宿泊しない日程になっていた。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

segunda-feira, junho 23, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その4 皇太子、パラナへ。

皇太子殿下は、
6月21日(土)の夜に行われたサンパウロ州知事ジョセ・セッハの主催した夕食会にご出席されて、これをもってサンパウロ州での日程を終えられた。
6月22日(日)の朝、次の訪問先であるパラナ州に向かわれた。

日曜日には、ローカルニュースの時間はないので、皇太子殿下については、全国ニュースが取り上げただけである。

--------------------------
パラナ州の警察の集計では、日曜日の午後、日本の皇太子herdeiro do trono japonês徳仁Naruhitoは、北パラナParanáのローランヂアRolândiaで7万5千人に迎えられた。

この町で、皇太子はユメ・テーマ・マークparque temático Yumêの礎石式lançamento da pedra fundamentalに参加されて、日本文化の象徴の木である桜cerejeiraを植えられた。

朝は、州都クリチーバCuritibaから381キロのロンドリーナLondrinaで、皇太子はニッポン人移民をたたえるトミ・ナカガワTomi Nakagawa広場の開所式に出席された。
※※「中川トミ」さんは、笠戸丸乗船者で最後まで生存されていたかたである。

約5千人が集まった式典で、皇太子徳仁はサンパウロSão Pauloでも行われたようにまたも「しきたり(儀礼)」を破られて、大衆と挨拶を交わされた。
※※「皇太子のしきたり」については、ご訪問の前に、西洋的な習慣とは異なることが、かなり詳しく報じされていた。 ブラジルでは普通のことを、「皇太子はされないし、また受け入れ側もしてはならない」と、いくつかの例をあげて、到着前に記事になっていた。
ところが、この「しきたり」を、皇太子が「破られて」おり、そのことについても、何度か報道があった。
別の機会に、これを取り上げてみたい。

移民者のハルオ・タケトミHaruo Toketomi89歳は、皇太子príncipeの手を握った一人である。
彼にとって、日本の将来の天皇imperadorとの挨拶は「予想もしなかったことで、感激」"uma coisa inesperada e emocionante"であった。

皇太子がパラナParanáを訪問したことの公式式典solenidade oficialが行われたローランヂアRolândiaでは、ロベルト・レキオンRoberto Requião知事と連邦副大統領のジョゼ・アレンカールJosé Alencarが最近の欧州連合União Européiaの反移民規則を批判するのに挨拶を使った。

ジョゼ・アレンカールは、ブラジルBrasilと日本Japãoの良好な関係は欧州のと「手本」"exemplo"となるに違いないと言った。

副大統領は、ローランヂアRolândiaでのあるへまの責任者であった。
ジョゼ・アレンカールJosé Alencarは、まだロンドリーナLondrinaにいるかのように、朝に開所した広場とこの町の開拓者である中川一家família Nakagawaの歴史についてのあいさつをした。

夜の初めに、皇太子はクリチーバCuritibaから420キロのマリンガMaringá市に行った。
そこで、1982年に最初にパラナParaná州を訪れた時に植えた桜の木を見た。

※22日(日)夜のニュース専門チャンネルの全国ニュース。
「20080622GN22-ImigracaoJaponesa-Parana.wmv」をダウンロード

皇太子の公式訪問の日程は、23日(月)も続き、ベロ・オリゾンチBelo Horizonteを訪問され、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroで終了する。
皇太子は、水曜日に日本Japãoに向かって出発する。

※記事の中には、敬称や敬語表現はないので、極力その文章を生かして翻訳した。

-----------------------------
パラナ州の北部も、日系人が多いところである。
一日で、3か所を、陸路移動するというのも、きつい話である。

さらに、パラナ、ベロ・オリゾンチそして、リオ・デ・ジャネイロと、毎日空路での移動もある。

相当な使命感がなければ、これだけの日程はとてもやっていけいない。

日本に戻られてからは、
2週間程度は、ご静養をと思うのだが、もどられたらまた「公務」が待っているのだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

domingo, junho 22, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その3 皇太子、稠密日程2。

サンパウロSão Paulo州知事の招待による夕食会で、日本の皇太子príncipe herdeiro徳仁NaruhitoはブラジルBrasilと日本Japãoの関係においてサンパウロ州の重要さを強調した。

サンパウロSão Paulo市南部のバンデイランチ宮Palácio dos Bandeirantesにおいて土曜日に行われたイベントは、ブラジルBrasilに日本移民が到着して100周年の祝賀のひとつである。

「サンパウロは称賛に値する。 サンパウロSão Paulo州はブラジルの日本の間にかけ橋として重要である」と、公式訪問で18日(水)からブラジルに滞在中の皇太子は言った。

皇太子は両国の関係がより拡大することを望むと付け加えた。
300人の招待者の中には、サンパウロSão Paulo市長のジルベルト・カサビGilberto Kassab (DEM)、元州知事のジェラルド・アルケミンGeraldo Alckmin、サンパウロ市議会議長presidente da Câmaraのアルリンド・シナグリアArlindo Chinaglia (PT-SP)などがいた。

サンパウロSão Paulo州知事のジョゼ・セッハJosé Serraは、日本人はブラジルの社会に計り知れないを作り出したと明言した。
「芸術的、科学的、経済的果てはスポーツの財産」とブラジルがオリンピックで柔道judôで優勝したことを引いて、明言した。
ジョゼ・セッハは両国の関係における経済の重要性を強調した。
挨拶の最後に、知事は皇太子の健康を祈った。

皇太子は、この21日(土)の午後は、ブラジルにおけるニッポン人移民100周年の公式セレモニーcerimôniaに参加した。
彼は、アニェンビーAnhembiのサンボードモSambódromoに温かく迎えられた。
警察によると、2万5千人の観客の拍手を受けた。

その前には、ニッポン人移民が最初に到着したサントスSantos市を訪れている。

皇太子は日本語であいさつし、移民100周年を祝うことができて「とても嬉しい」と言った。
そして、妻の皇太子妃princesa herdeiraの雅子Masakoについて、「雅子Masakoもまたブラジル政府から招待を受けてとても喜んでいる」と言った。

あいさつの最後に、皇太子はポルトガル語で、ほとんど訛りなく、「とてもありがとう」"muito obrigado"と言った。

それより前、皇太子príncipe herdeiroは、1908年6月18日に笠戸丸Kasato Maruに乗ってきたブラジルに最初のニッポン人移民が到着したサントスSantosにいて、同国人をたたえるモニュメントに花を捧げた。

※※夜の全国ニュースの映像の一部。
「20080621JN-ImigracaoJaponesa-Ceremonia2.wmv」をダウンロード

----------------------------
雅子皇太子妃について、こういった機会にも、きちんと一言述べられていたとは、さすが。

次に、もし機会があれば、ぜひとも雅子妃にも、ブラジルをご訪問いただきたいものである。
その前に、お元気になられることが、何よりも大事なことだ。

州知事の夕食会の映像を見ていると、そこに高田賢三氏のお顔を見つけた。
ちょうど開催中のサンパンロ・ファッション・ウィークに招待されていることは知っていたが、こちらでも招待されていたとは。

サントスは、サンパウロ市から約80キロ離れている。
車で、通常1時間半ほどかかる。

午前中に向かわれ、
モニュメントの除幕式に参加され、
日系人のクラブで昼食を摂られ、
最初の船が着いた埠頭にも足を運ばれている。

そして、またサンパウロに戻られて、そのまま休息なしで、
「100周年式典」の会場のサンボードモに、
16時半ころに到着されて、18時40分ころまで滞在になっている。

そして、今度は夕食会である。

本当に、稠密なスケジュールである。

皇太子殿下は、22日(日)には、
次の訪問地であるパラナ州へ向かわれることになっている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sábado, junho 21, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その2 皇太子、稠密日程。

日本Japãoの皇太子príncipe herdeiro徳仁Naruhito殿下は、6月20日(金)に、サンパウロSão Paulo市東部のカルモ公園Parque do Carmoで、ブラジルBrasilに日本人が移民して100年をたたえるモニュメントの開幕をした。

強い日差しの下で、徳仁Naruhito殿下とサンパウロSão Paulo市長のジルベルト・カサビGilberto Kassab (DEM) は手袋をして、モニュメントのわきに木の苗を植えた。

何百人もの人たちが、セレモニーを祝った。

記念碑は、キヌタニ・コータKota Kinutaniによるもので、日本からの7つの岩と大理石の日本庭園となっている。
そして、日本のシンボルカーラーの赤い石がある。

岩の表面に、アーチストは日本文化とブラジルの文化の関係をイメージしたものを彫った。
富士山monte Fuji、キリスト像Cristo Redentor、桜cerejeira、ツカーノtucano。

公園にやってくる子供たちに、これらは小さな公園となる。
ある岩には、ベンチ、窓、階段がある。

続いて、皇太子は、"Viva Japão"プロジェクトを視察するために、州立広島市学校escola estadual Cidade Hiroshimaに行った。

このプロジェクトは、100周年を機会に、公共教育において、日本の文化を普及させるためのものである。

夕刻には、徳仁殿下は、宿泊しているホテルで、ブラジルにおける日系のコミュニティの代表者との会議に参加した。

朝は、皇太子はリベルダーヂLiberdadeにあるブラジル日本文化協会Bunkyo、そしてサン・フランシスコ広場Largo de São Franciscoのサンパウロ大学法学部Faculdade de Direito da USPに行った。
サンパウロ大学では、訛りのないポルトガル語であいさつさして、学生を驚かせた。

※夜の全国ニュースの映像。
「20080620JN-ImigracaoJaponesa-Naruhito.wmv」をダウンロード

6月22日(土)は、午前中はサントスSantos (SP)に行き、午後はサンパウロSão Paulo市北部のアニャンビーAnhembiでのサンボードモSambódromoでの「祭典」に出席する。
夜は、サンパウロ州知事のジョゼ・セッハJosé Serraの招待によるバンケッチに参加する。

※※記事の翻訳なので、文章からくみとれない敬称や敬語表現は極力使わないようにしていることに、ご理解願いたい。

------------------------------
サンパウロのローカルニュースだけなのかもしれないが、
皇太子殿下の動静は、映像つきで、かなり細かく報じられている。

このスケジュールは、かなりキツイ。
いくら交通規制がひかれていて、一般の場合よりも短いとはいえ、移動時間だけでもばかにならない。

それに、なによりも「時差」が12時間もあるのである。

何びとにも代えられない「公務」である。
強い使命感をお持ちであることは間違いない。

リベルダーヂのブラジル日本文化協会は、3年前に当時の小泉首相が泣いたところである。
ここにある日本移民史料館をご訪問になり、金一封の寄付をされた。
※「金額は明らかにされていない」と、ニュースでは付け加えていた。
 皇族の寄付は日本でも、金額は明らかないならないのが普通である。

サンパウロ大学法学部は、歴史的中心部セントロにあり、リベルダーヂからもすぐである。
挨拶は、紙を読みながらで5分ほどで、出席した学生はかなり感激したようである。
ご出発前に、相当に努力されたのであろう。

カルモ公園は、中心部からは25キロほど離れている。
交通規制があるにしても、30-40分は必要なところである。

広島学校は、そのカルモ公園のすぐ脇にある。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

sexta-feira, junho 20, 2008

ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その1 皇太子、サンパウロ御到着。

ご存知の方も少なくないと思うのだが、
2008年は、
日本人が、ブラジルに、最初の集団移民をしてから、100周年にあたる。

6月18日に、そのニッポン人移民団が乗船していた笠戸丸が、サンパウロ州のサントスに到着した日が、ブラジルの「移民の日」となっている。

例年、この6月18日の中心とした週には、サンパウロ市東部のブラスにある「移民博物館」でイベントが行われている。

「日本移民100周年」のイベントは、2008年に入って、いろいろなものが次から次へと開催されている。
このブログでは、ほとんど取り上げていないのだが、いろいろなレベルのイベントが、サンパウロ市内でも常にいくつか開催されている。

中には、無理やり100周年にかこつけているようなものもあるようにも思えるが、主催者は真面目にやっておられるのであろうから、あげつらうようなことはしないようにしている。

この100周年のイベントは、この6月18日の週にもっとも重要なイベントが行われる。

6月13日から22日までは、サンパウロ市北部のアニャンビー展示場で、「日本文化週間」というものが開催されていて、いろいろな文化を紹介している。
ただし、100年の間にその文化はかなり変容している。
もちろん変容したのは、ブラジルだけではなくて、日本そのものの文化も100年の間に変容しているのであるから、どちらがどうと軽々に語ることはしない。
とにかく、100年前の日本がどうだったかを想像する機会にはなる。
いまでこそ、テレビやインターネットという伝達手段もあるし、さらに飛行機でわずか24時間で、それも距離を考えるとさしたる費用を要すことなく移動できるのだが、それはつい最近のことである。
戦前も情報量なんて微々たるものだったろうが、戦中は10年近く交流さえも途絶していたのである。
ブラジルの中で、独自に発達するものもあったことは間違いない。

そして、6月21日(土)には、そのアニャンビー展示場の隣の、「サンボードモ」(=サンパウロ市におけるカルナバルでの主会場)で「100周年記念式祭典」が執り行われる。

これにご出席されるのが、皇太子殿下である。

皇太子殿下は、6月17日(火)夜に、ブラジリアに到着されて、18日(水)はブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァにお会いになっている。

そして、19日(木)の午後、サンパウロ市に入られて、さっそくタイトなスケジュールをこなされている。

その模様が、19時ころからのローカルニュースで伝えられた。
「20080619JNsp-ImigracaoJaponesa-Narihito.wmv」をダウンロード

皇太子殿下を、ニュースではNaruhito(=徳仁)と呼んでる。
名前に当たるものは、徳仁なので、ほかに呼びようがないわけである。

ブラジリアからは、
ブラジル空軍機を使用されている。
ブラジル大統領専用機のはずである。

サンパウロ市のコンゴニアス空港には予定より30分遅れて到着されて、タラップの下ではサンパウロ市長のカサビが出迎えている。
皇太子のすぐそばには、西林サンパウロ総領事の姿が見える。

コンゴニアス空港からは、それほど遠くないのだが、そのままイビラプエラ公園に向かわれ、園内の移民慰霊碑をおとづれられている。
さらに、すぐその脇の日本館では、鯉に餌をおあたえになっている。

ホテルは、サンパウロ市中心部のパウリスタ大通りの一本南西側のサントス通りにあるメリア・モファヘジである。
このホテルは、20数年前に開業した時はシェラトンであったが、いつの間にかメリアになっていた。
大きなホテル