quinta-feira, 19 de março de 2015
sexta-feira, 5 de março de 2010
ブラジル・サンパウロに、小泉純一郎氏。
元首相の小泉純一郎氏が、ブラジルを訪問中だ。
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3月4日(木)14時50分頃、
パウリスタ大通りとアウグスタ通りの交差点にあるブラジル銀行の前を歩いていた。
警察官が何人かいたが、それくらいはあるだろうと、あまり気にしなかった。
黒っぽいスーツを着た日本人らしい人が一人いたが、日系人だろうと思っていた。
15時35分頃、再びそこを通った。
警察官の人数が増えていた。
私服警官らしい人も、SPらしいのもいた。
そして、日本人らしいのや、日系人らしいのも増えていた。
SPらしいのには、目つきの鋭い日系人もいた。
パウリスタ通りには、領事館の車が2台と、小型バスが1台止まっていた。
本来は、駐車禁止のところだ。
それで、思い出した。
サンパウロ市にやってきた小泉純一郎氏が、
アウグスタ通りにあるブラジル銀行の建物にある
ブラジル開発銀行を訪問する日程になっていることを聞いていたからだ。
丁度、その時間に出くわしたわけだ。
そのあたりにいれば、いずれ小泉純一郎氏が、会談を終えて出てくるだろうと思ったのだが、
ちょっと急いでいたので、そのまま通り過ぎた。
小泉純一郎氏は、
そのあと、ブラジル日本文化協会において、
サンパウロにあるいわゆる「日系3団体」と面談したらしい。
現職だったときに、涙を流した場所である。
夜は、
ブラジル日本商工会議所の面々との会食だったようだ。
大体、日本からの進出企業の社長などが出てくるわけだ。
小泉純一郎氏には、8人くらいの随行者が、日本から来ているらしい。
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元首相とはいえ、
もうやめて3年以上。
それに、今や野党の自由民主党で、
それも現職の議員でもない。
それでも、
まだ何かブラジルに何か大きなご縁をお持ちのようだ。
外務省の出先である大使館や領事館関係者も、その対応に大変なようだし、
ブラジル連邦政府も、
要人扱いをしている。
厚生族で郵政族であったわけで、ブラジルの利権などあまり縁がなさそうな小泉純一郎氏なのだが、
何かあるのだろうか。
何でも、まだ何かの団体の「顧問」というようなことをされているようだ。
昨年や一昨年は、
大臣や議員が、よくブラジルを訪問されていたが、
政権交代以来、あまり聞かない。
ただ、ブラジルを訪問されたあとに、
どういう訳か、
かなり運気が落ちた方が多かったように思えるのなのだが、どういうわけだろうか。
小泉純一郎氏は、
現役時代のやり方を見ている限り、
そういう運気などを跳ね返すような人だと思っている。
sexta-feira, 29 de janeiro de 2010
ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァが入院。
1月27日(水)の夜、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァLuiz Inácio Lula da Silvaが、レシフェRecifeのポルツグス病院Hospital Portuguêsに運ばれた。
2時30分過ぎの、病院の広報の発表によると、大統領は検査を受けた。
ポルツゲス病院Hospital Portuguêsの情報によると、大統領の広報が、大統領の健康状態について詳細を知らせるために、まもなく記者会見を行う。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領は、この夜は、カンポーダス・プリンセーザス宮殿Palácio do Campo das Princesasで、ペルナンブコPernambuco州知事エドゥアルド・カンポスEduardo Camposと一緒にいた。
大統領は、ポルツゲス病院Hospital Portuguêsで一夜を過ごし、ダボス経済フォーラムFórum Econômico de Davosへは出席せず、新たな検査をシリオ・リバノ病院Hospital Sírio Libanêsで行うためにサンパウロSão Pauloに行く。
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ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領が、1月27日(水)の夜に、レシフェの病院に行った第一報である。
一時的に血圧が高くなり、18-13にまでなっていたそうだ。
※※ブラジルの血圧の表示は、二桁。
朝までに、血圧は通常の13-8に戻っていた。
専用機で、サンパウロ市のコンゴニアス空港に、28日(木)11時半に到着し、歩いてタラップを降りて、車に乗り込んだ。
サンパウロ市中心部のシリオ・リバノ病院で検査を受けた。
※シリオ・リバノ病院は、シリア・レバノンということで、アラブ移民系の超一流病院。
その後、サンパウロ市の南東にあるサン・ベルナルド・ド・カンポ市の自宅アパートで静養している。
quarta-feira, 11 de novembro de 2009
サッカー:コリンチャンスのロナウド その49 イスラエル大統領と面談。
ロナウドRonaldoは、この木曜日(11月12日)に特Boa Vontade別な約束がある。
国連ONU (Organizações das Nações Unidas), の””大使のタイトルで、炉な魚でゃ、イスラエルIsrael大統領のシモン・ペレスShimon Peresに会うために招待されていた。
イスラエル大統領のシモン・ペレスは、この週末までブラジルBrasilに滞在し、ロナウドFenômenoと、パウリスタ大通りAvenida Paulista地区のある有名なホテルで16時30分に会談する。
午前中、パルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeで、ロナウドはチームの他の選手たちと、日曜日(11月15日)にフロリアノポリスFlorianópolisのレサカーダRessacada競技場で行われるアヴァイAvaí戦に備えてトレーニングをする。
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単なる選手の枠を完全に越えているロナウド。
いろいろと参加しなくてはならない行事があるのだ。
quinta-feira, 23 de julho de 2009
ブラジル・サンパウロの新幹線計画 その2 徐々に明らかになる計画。
国家地上交通局ANTT (Agência Nacional de Transportes Terrestres)が、7月16日(木)に発表したところでは、サンパウロSão Pauloとリオ・デジャネイロをつなぐ高速鉄道は、346億レアルの費用がかかる。
この金額は、成長促進計画PAC (Programa de Aceleração do Crescimento)が110億米ドル(=212.3億レアル)とした予想よりも63%も上である。
工事は、年末までに入札があり、2014年に終わる。
サンパウロSão Pauloとリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro間のピーク時ではないときの運賃の予想はエコノミークラスで150レアルで、エグゼクティブクラスは200レアル。
ピーク時には、エコにミークラスは200レアルで、エグゼクティブクラスは350レアル。
費用には、線路の建設費、車両費、土地買収費、社会環境費、すべての必要なシステムの設置の費用を含む。
最大の費用は土木工事費obras civisで、245億レアル。
研究によると、弾丸列車trem-balaは2014年には1年間に640万人の乗客を運ぶ。
航空輸送transporte aéreoは390万人、自動車automóveisは96万人、バスônibusは86.5万人。
現在、航空輸送の需要は1年間に440万人である。
2024年の予想では、高速列車の乗客需要は1年間に1020万人。
2044年には、2490万人となっている。
列車はサンパウロSão Pauloとリオ・デ・ジャネイロを直接に1時間33分で結ぶ特急サービスである。
カンポ・ヂ・マルチCampo de Marte駅を出て、バロン・ヂ・マウアBarão de Mauá駅までである。
さらにカンピーナスCampinas(SP)とリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro間で、ヴィラコポス国際空港aeroporto internacional de Viracopos (SP)駅、グァリューリョス国際空港aeroporto internacional de Guarulhos (SP)駅、ヴォルタ・レドンダVolta Redonda駅、バッハ・マンサBarra Mansa (RJ)駅、ガレオン国際空港aeroporto internacional do Galeão (RJ駅にとまる長距離の地域サービスもある。
さらに、短距離での地域サービスも提供される。
カンピーナスCampinasからサンパウロSão Pauloとグァリューリョス国際空港aeroporto de Guarulhos駅に止まりサン・ジョゼ・ドス・カンポスSão José dos Campos駅までである。
2014年には、1日に42列車が運行され、ピーク時には1時間の間に20分毎3列車が、そして閑散時には40分ごとに1本(1時間に1.5本)直通の特急サービスをすることになる。
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以前よりは、
随分とそれらしい数字が出てきているのだが、
さてさて
本当に今回は実現するのだろうか。
なにしろ、
日本から見ると驚くべき鉄道貧困後進国である。
(世界的に見たらどうかは知らないが)
貨物輸送はそこそこあるのだろうが、
日本のそれに比較すると、旅客輸送は非常にお粗末に思える。
domingo, 19 de julho de 2009
ブラジル・サンパウロの新幹線計画 その1 今度こそは実現か。
リオ・デ・ジャネイロRio de JaneiroからカンピーナスCampinasまでの弾丸列車trem-bala(=いわゆる新幹線)は、サンパウロSão Paulo市を少なくとも16キロメートルのトンネルで通過する。
専門家によると、トンネルのコストは、地下鉄での同様のコストを適用すると、32億レアルから50億レアルの間になる。
プロジェクトの総コストは成長促進計画PAC (Programa de Aceleração do Crescimento)を含めて220億レアルで、専門家によると330億レアルになる。
サンパウロSão Paulo市における唯一の駅になる予定の市内北部のカンポ・ヂ・マルチCampo de Marteは地下駅になる。
大サンパウロ都市圏Grande São Pauloでは、列車が地表を通るグァリューリョスGuarulhos市のクンビッカCumbica空港に駅がもう一つできる。
この情報は、連邦および州の政府に関係する技術者と政治家、それにプロジェクトに関わっているコンサルタントによって確認された。
先月、ヂウマ・ロウセフDilma Rousseff大臣はサンパウロSão Pauloとリオ・デ・ジャネイロRio de Janeiroの連絡はブラジルがワールドカップを開催する2014年にはできると明言した。
サンパウロSão Paulo,以外にも、弾丸列車はカンピーナスCampinas市、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro市、そしてアララス山脈Serra das Ararasでも必要で、地下区間は約50キロになる。
より高くなるのだが、技術者はトンネルには土地買収のコストを無くし、環境負荷を減らし、高架線によって町に与える影響を減らすという利点もあると明言した。
経路はまだ決定していないが、駅はカンポ・ヂ・マルチCampo de Marte駅、サン・ジョゼ・ドス・カンポスSão José dos Campos 駅(サンパウロから91キロ)、ヴォルタ・レドンダVolta Redonda駅(リオから112キロ)そして、ヴィラコポスViracopos(カンピーナス)、グァリューリョスGuarulhos、ガレオンGaleãoの各空港駅が予想される。
さらに、ジュンジャイJundiaí(サンパウロから60キロ)とアパレシーダAparecida(サンパウロから167キロ)にも駅ができるだろう。
サンパウロとリオ・デ・ジャネイロの最も早い列車は約150レアルで、飛行機のシャトル便の利用者を引きつけるだろう。
より安く、よく止まる列車は、100レアルとなり、バスを使っている人の代替となる。
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何となく、具体的な計画が話題になり始めたのだが、
実現するのだろうか。
日本政府も、そして企業も、
随分と働きかけをしているようだ。
sexta-feira, 3 de julho de 2009
サッカー・ブラジル杯2009 その44 ブラジル大統領が、優勝のコリンチャンスと謁見。
7月2日(木)の午後Palácio da Alvoradaで、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァLuiz Inácio Lula da Silvaは、1日(水)の夜ポルト・アレグレPorto AlegreでインテルナシオナウInternacionalに2対2と引き分けて、ブラジル杯Copa do Brasilのタイトルを獲得したコリンチャンスCorinthiansの一行に謁見した。
大統領は、写真にポーズをとり、コリンチャンスのたすきを身につけ、優勝杯を持った。
※クリックすると拡大する。
謁見には、記者たちは立ち会うことを禁止された。
カメラマンだけが許可された。
建物の外で、ファンが写真を撮り、選手の名前を叫んだ。
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コリンチャンスの一行は、
ポルト・アレグレを出発後、
一旦サンパウロのグァリューリョス国際空港に到着した。
そこで、13人の選手などが、飛行機を降りた。
そして、
コリンチャンスの社長アンドレス・サンシェス、マノ・メネゼス監督、キャプテンのDFウィリアン、FWロナウド、FWデンチーニョ、FWジョルジ・エンキケ、ボランチのクリスティアンなど8人が、ブラジリアに向かい、大統領のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァに会った。
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左SBアンドレ・サントスだけは、
ポルト・アレグレから
サンタ・カタリーナ州のフロリアノポリスへ向かっている。
そこで、
2日(火)の夜20時30分から行われた
ロビーニョの友達対ジョーの友達というチャリティー親善試合に参加している。
※この試合は、ケーブルのスポーツ専門局で実況中継された。
欧州から戻ってきて休暇を過ごしている選手などが参加した。
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連邦大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、
ブラジル杯で優勝したのが、コリンチャンスではなかったら、
謁見しなかっただろう。
サッカー・ブラジル杯2009 その43 大統領が、コリンチャンスの予定を変更した。
コリンチャンスCorinthiansは、7月2日(木)午後の予定を変更し、ポルト・アレグレPorto Alegreでブラジル杯Copa do Brasilのタイトルを獲った後、サンパウロSão Pauloには着陸しない。
チームの飛行機の新たな行き先はブラジリアBrasíliaである。
そこで、選手たちは連邦大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァLuiz Inácio Lula da Silvaに迎えられる。
コリンチャンスのファンである連邦大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァは、午後にブラジリアBrasíliaのブラジル銀行文化センターCCBB (Centro Cultural Banco do Brasil)で選手たちを迎える。
コリンチャンスの元々の予定では、サンパウロSão Pauloに到着後、ファンとともにタイトルを獲った祝いをパルケ・サン・ジョルジParque São Jorge(*コリンチャンスの本部)ですることになっていた。
上院Senadoの問題でスケジュールがいっぱいにも関わらず、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領はコリンチャンスCorinthiansのためにスケジュールを調整した。
予定が変更される約1時間前に、マノ・メネゼスMano Menezes監督はtwitterで、一行はポルト・アレグレPorto Alegreの空港に到着しつつあり、サンパウロに到着した後にパルケ・サン・ジョルジParque São Jorgeに行くと発表していた。
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連邦大統領といえば、国家元首。
日本で、国家元首として扱われる立場にある方といえば、
あのお方、つまり陛下である。
天皇賜杯を獲得した選手と会いたいとしても、
そのためにお互いのスケジュールを調整することが簡単ではないはずだろう。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領が、
かなりのコリンチャンスのファンであることは、
公然の事実であり、
いままでも頻繁にコリンチャンスの社長や選手と会ったという報道はあるが、
今回のように急にスケジュールが変更になったということはなかったように思う。
ブラジルらしい話というよりも、
むしろ、
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領らしいと言った方がよいだろう。
sexta-feira, 8 de maio de 2009
ブラジル・サンパウロの「”豚”インフルエンザ」 その1 感染者発生。
ブラジルでも、ついに「“豚”インフルエンザ」も感染者が確認された。
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5月7日(木)19時過ぎに、
保健相ジョゼ・ゴメス・テンポロンJosé Gomes Temporãoが、ブラジルにおいてインフルエンザが4件あることを確認した。
ブラジルBrasilにおいて、新型インフルエンザが初めて確認されたことになる。
4件は,若い男性のブラジル人である。
すべて、外国で感染した。
2件がサンパウロSão Paulo州で、リオ・デ・ジャネイロRio de Janeiro州とミナス・ジェライスMinas Gerais州でそれぞれ1件である。
3件は、最近メキシコにいた人であることが確認され、もう1件は米国にいた人である。
すべて、体調はよいという。
サンパウロSão Paulo州での1件は、
4月17日から22日までメキシコMéxicoにいた人で、24日から新型インフルエンザの症状が出た。
ジョゼ・ゴメス・テンポロンによると、感染者は4月29日から5月4日まで入院した。
ビールスを他人に移す可能性が高い10日間を過ぎたので、他の人へ移す危険はない。
サンパウロSão Paulo州でのもう一件は、4月28日に(火)に、米国Estados UnidosのフロリダFlóridaから到着した患者である。
翌日には症状が出始めた。
しかし入院はしていなかった。
というのは、WHOによると、フロリダFlóridaは感染地区と考えられていなかったからである。
しかし、疑わしいので、彼は自宅で隔離された。
保健相によると、彼の家族の誰も病気の症状が出ていない。
ミナス・ジェライスMinas Gerais州で確認されたケースは、4月22日から27日までメキシコMéxico にいた患者で、まだ海外にいた26日に症状が出始めていた。
保健相によると、彼はブラジルBrasilに到着してすぐに入院し、5月6日までは家で隔離されていた。
他の人に感染するリスクはないという。
リオ・デ・ジャネイロ州で確認された4件目は、メキシコMéxicoにいて、5月3日にブラジルBrasilに戻った患者である。
彼は、まだ海外にいた5月2日に症状を現していて、5月5日から入院した。
まだ、ビールスを感染させるかもしれない病気の状況にある。
ブラジルにおける最初のケースが確認された後に,マスクの使用が必要かと問われて、ジョゼ・ゴメス・テンポロンは保証は否定した。
彼によると、ブラジルは12,5千人分の患者の治療の準備をして、必要であれば9百万人までの治療の薬を税蔵することができる。
保健相によると、
「分析的に確認された」 "confirmados laboratorialmente"ケースの発表は、「防疫モニター・システムが機能している」“sistemas de vigilância e monitoramento estão funcionando”ことを示している。
「今のところ、ビールスが他の人に感染した証拠はない。 つまり、ビールスはブラジルでは広がっていない」と、ジョゼ・ゴメス・テンポロンは語った。
ジョゼ・ゴメス・テンポロンは、ブラジルのテリトリー内で感染したというケースがないという事実により、状況はコントロール下にあると確認した。
「WHOが警報を出して以来、連邦政府は保健省Ministério da Saúdeação を通じて、この件については完全に透明にしている」と語った。
ジョゼ・ゴメス・テンポロンは、5月6日(水)に、ブラジルは患者がH1N1ビールスに感染しているかどうかを検出可能にするキットを受け取ったとした。
彼によると、ブラジルでは3つの分析所が72時間以内に検出をする。
保健相によると、木曜日(7日)に発表された24件の疑わしいケースのうち、4件が確認された。
5件は関係がなく、
残り15件が引き続き調査されている。
結果は,金曜日(8日)に発表される。
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保健大臣ジョゼ・ゴメス・テンポロンが自ら、記者会見で、詳細に状況を説明した。
いまのところ、
ブラジルは冷静である。
quarta-feira, 18 de março de 2009
ブラジルの「クロードヴィル・エルナンデス」連邦下院議員が逝去。
サンパウロ州選出の連邦下院議員のクロードヴィル・エルナンデスClodovil Hernandes (PR-SP)が、3月17日(火)18時50分に亡くなった。
すでに、午後に脳死の宣告が出ていたが、臓器の贈与を進めるために、機器と薬で生かされていた。
だが、連邦区Distrito Federalの移植コーディネーターのルシオ・ルーカスLúcio Lucasによると、いかなる臓器も贈与できなかった。
角膜には、浮腫があって、取り出すことができなかった。
臓器の取り出しの許可は議員の秘書と公共省から出ていた。
彼には連絡を取っている近親者がいなかった。
議員の広報担当者のベルタ・ペレグリーノBerta Pellegrinoは、クロードヴィル・エルナンデスは亡くなったときに臓器を贈与する意志を何度も示していたと語った。
PRの党首のサンドロ・マベルSandro Mabel (GO)連邦下院議員は、
クロードヴィル・エルナンデスの通夜はサンパウロSão Pauloだけで行われると語った。
議員の秘書の当初の考えでは、ブラジリアの議会内でも行われるはずだった。
サンドロ・マベル連邦下院議員は、クロードヴィル・エルナンデスの秘書と夜のはじめに会議をした。
彼によると、遺体は18日(水)の8時に議会の手配により空軍機でサンパウロSão Pauloに運ばれる。
通夜は10時30分から、サンパウロ州議会場Assembléia Legislativaで行われ、17時にモルンビーMorumbi墓地に埋葬される。
脳死は、意志によって5時45分に確認された。
すぐに発表された発表では、引き続ききわめて重篤となっていた。
(経歴)
1937年6月17日、サンパウロSão Paulo市から402キロのエリザーリオElisárioに生まれた。
クロードヴィル・エルナンデスは、スペイン系の夫婦のドミンゴス・エルナンデスDomingos Hernandesとイザベル・サンチェス・エルナンデスIzabel Sanches Hernandesに養子に出された。
本当の両親を知らなかった。
内陸部の高校で学んだ。
ホモセクシュアルであることを明らかにした。
結婚せず、子供ももうけなかった。
スタイリスト、俳優、歌手、テレビの司会者、先生などしてきたクロードヴィル・エルナンデスは2005年に政治の世界に入った。
2006年にサンパウロ州で3番目に多い493,951票を得て、連邦下院議員になった。
任期は、2011年までであった。
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なんだかあっさりと亡くなってしまった。
いろいろな話題を振りまいてきた人だ。
ご冥福をお祈りする。
より以前の記事一覧
- ブラジルの「クロードヴィル・エルナンデス」連邦下院議員の容態悪化。 2009.03.17
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その9 サンパウロ市長にジルベルト・カサビ現市長。 2008.10.26
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その9 サンパウロ市長選は第2回投票へ。 2008.10.06
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その8 コリンチャンス頼み。 2008.10.04
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その7 選挙運動員。 2008.10.03
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その6 日系人候補者2。 2008.09.28
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その5 日系人候補者。 2008.09.22
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その4 ソクラテスも登場。 2008.09.19
- ブラジル・サンパウロのクロードヴィル・エルナンデス下院議員が入院した。 2008.09.06
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その2 物まね立候補者。 2008.09.03
- ブラジル・サンパウロの選挙2008 その1 市長と市議会選挙。 2008.08.28
- ブラジル・サンパウロのグラフィッチ(壁絵) その199 「大作が消された」ことの報道。 2008.07.06
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その12 「100年記念碑除幕式」2。 2008.07.05
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その11 「100年記念碑除幕式」1。 2008.07.04
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その10 「移民百周年記念切手」発売。 2008.06.27
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その9 「移民百周年記念式祭典」は終了したが。 2008.06.26
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その8 皇太子、ブラジルを出発。 2008.06.25
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その7 皇太子、リオ・デ・ジャネイロでの日程。 2008.06.25
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その6 皇太子、リオ・デ・ジャネイロへ。 2008.06.24
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その5 皇太子、ベロ・オリゾンチへ。 2008.06.24
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その4 皇太子、パラナへ。 2008.06.23
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その3 皇太子、稠密日程2。 2008.06.22
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その2 皇太子、稠密日程。 2008.06.21
- ブラジル・サンパウロの「日本移民100周年」 その1 皇太子、サンパウロ御到着。 2008.06.20
- ブラジル・サンパウロの「文化の総ざらい」2008 その2 4百万人が集まり大成功のうちに終了。 2008.04.28
- ブラジルの「武士道を守って実行する事」。 2008.04.24
- ブラジル・サンパウロの「南米危機」。 2008.03.04
- ブラジル・サンパウロの公園 その96 「サンパウロ市の100公園計画」 3。 2008.02.26
- ブラジル・サンパウロの公園 その95 Parque Lydia Natalízio Diogo。 2008.02.23
- ブラジルと「フィデル・カストロ」。 2008.02.20
- ブラジル・サンパウロの公園 その94 「サンパウロ市の100公園計画」 2。 2008.02.18
- ブラジル・サンパウロの公園 その93 「サンパウロ市の100公園計画」。 2008.02.16
- ブラジル・サンパウロのカルナヴァル2008 その21 今年も、あのキャンペーン。 2008.02.05
- サッカー・ブラジル選手権2007 その152 ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァには、誰もそのことを触れなかった。 2007.12.04
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- ブラジル・サンパウロ州議会で、「ゲイ乱舞」で大論争。 2007.11.25
- サッカー・ブラジル選手権2007 その131 ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァがコリンチャンスは降格を免れたと言った。 2007.11.12
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